【追悼文】
「博覧強記の人 逝く ~吉村德則先生の御逝去を悼んで~ 」弁護士 髙井 伸夫

【巻頭言】
「架け橋と絆から生まれる希望」 弁護士 髙井 伸夫

【エッセイ】
・「グリコ・森永事件の捜査を省みて」
・・・・・・事件発生時の元刑事部長 鈴木 邦芳 様

・「これからの教育、これからの学校・大学経営」
・・・・・・株式会社開倫塾代表取締役社長 林 明夫 様

【連載エッセイ】
「第3回 常夏バンコクの遠い夢-情報の真贋を見分ける眼」
・・・・・・アリヤ・グループ日本支社 公認会計士 形部 直道 様

【北京だより(29)】
「あっ!と驚く、中国の会計システム」 中瑞岳華会計師事務所 薄井 義之 様

【上海だより(30)】
「上海歯科事情 その1」」 日本東京都歯生会上海恒佳歯科診療所  劉 佳

【事務所行事報告】
・東城聡弁護士 入所ご挨拶
・岡芹健夫・単著第二弾「雇用と解雇の法律実務」のご案内
・第10回 人事・労務 実務セミナーのご報告
・髙井伸夫「営業で『結果を出す人』が必ず実行していること」のご案内
・キャリア権研究会
・上海代表処活動報告
・北京代表処活動報告

<同封物一覧>
(1)新刊本のご案内(兼申込書)『雇用と解雇の法律実務』
(2)新刊本のご案内(兼申込書)『経営側弁護士による精選労働判例集第2集』
(3)中国情報№60 

経営法務情報「Management Law Letter」は、顧問会社及び弊所のお客様に無料にて配布しております。ご質問等ございましたら、下記までご連絡下さいますようお願い申し上げます。
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【追悼文】「博覧強記の人 逝く ~吉村德則先生の御逝去を悼んで~ 」弁護士 髙井 伸夫

 私どもの事務所の客員弁護士である吉村德則先生が、この3月7日に永眠されました。客員弁護士押してのご在任期間は、2004年3月26日より2012年2月29日のほぼ8年間でした。

 吉村先生は昨年より病気ご療養中であられましたところ、一日も早いご快癒とご復帰をお祈りしていた私どもの願いは叶わず、突然の訃報に、所員一同悲しみにくれるばかりでございます。吉村先生は、最愛の奥様はじめご家族の皆様方に見守られながら、息を引き取られたとうかがっております。享年七四歳でした。

 ここに深く哀悼の意を表しますとともに、ご生前の吉村先生のご指導に心より感謝申し上げます。

 吉村先生は、1964年に任官され、2000年に名古屋高等検察庁検事長で退官されるまで、検察官として要職を歴任され、活躍されました。またその間、先生は法務省等でも多くの重要なお仕事を担われました。退官後は、内閣府情報公開審査会の会長代理をつとめられましたが、04年に弁護士登録されると同時に、私からお願いして当事務所の客員弁護士にご就任いただきました。私は、先生の幅広い教養と豊かな人間性が、良き法曹を目指す若い弁護士たちにとって、何よりのお手本であると考えたからです。先生には、週2日、勤務弁護士全体へのご指導をお願いしておりました。

 先生と私との出会いは、先生が法務大臣官房人事課付、総理府(当時)人事局付検事として任務にあたられていた昭和40年代後半の頃であったと記憶しております。若手官僚を対象とした講演を私にご依頼いただいたことや、総理府からの仕事で、日本に復帰して間もない沖縄を共に訪問したことがご縁の始まりでした。先生も私も、まだ30代の働き盛りの時代でした。

 私は、先生の豪快にして爽やかで繊細なお人柄にひかれ、また生まれ年が同じであったこともあり、大いに意気投合しました。長身でひときわ目立つ体躯でありながら、笑顔の優しい先生のお姿は、優秀で大変ご立派な検察官として、私の脳裏に深く刻み込まれたのです。

 先生は、在任中から後進の指導にも存分にお力を発揮されました。リーダー論について書かれた随想は見事なもので、私どもの事務所でもテキストにさせていただきましたし、また、検察官にとっての大切な心得として、「謙虚」「研鑽」「健康」の「三ケン主義」を徹底指導されたというお話も、強く印象に残っております。

 吉村先生は、このように優秀な検察官であられましたが、それと同時に、専門外のありとあらゆる分野にも精通された、まさに博覧強記の方でした。話題が豊富で、とにかくお話が楽しいのです。

 先生は、法律家の自己研鑽のひとつとして、世の中の動きや考え方などあらゆることを日頃からデータとして頭に取り込んでおくことの重要性を指摘されていましたから、専門とは一見無関係の事柄でも、形を変えてお仕事に役だっていたと思います。そして、万般にわたる幅広い知識と体験が、お仕事にも一種の深みを与えていたのではないでしょうか。

 先生が特に詳しかった分野を思い起こしますと、私が存じ上げているだけでも、米国本場のアメリカンフットボール・メジャーリーグベースボールを中心としたスポーツ観戦、海釣り、南北朝を除く日本の古代史~近世の歴史、和洋中を問わない料理の腕前、奥様とご一緒に知床から石垣島まで全都道府県を制覇された国内小旅行、ロシア出身のオペラ歌手シャリアピンの声に魅せられ、また盲目のイタリア人テノール歌手アンドレア・ボチェッリの歌を滂沱の涙で聞かれたという音楽への造詣の深さ、テレビドラマの監修(頼まれ仕事のボランティア)等々、枚挙にいとまがありません。これら以外のあらゆる分野についても、先生は驚くほど何でもよくご存じでした。

 先生はマスコミに登場されることを全く好まれませんでしたが、私から無理をおしてお願いして、昨年、雑誌『月刊公論』の2011年4月号・5月号に掲載された「リレー対談」に「歴史のなかで『if』を想定する愉しみ」等のタイトルでご登場いただいたことが、つい昨日の出来事のように思い出されます。

 吉村先生とのお別れは痛惜の極みです。先生のお心のこもったご指導は、先生の後輩検察官や、私どもの事務所の若い弁護士たちに確かに受け継がれておりますが、稀にみる人間性豊かな法曹として、先生にはさらなるご活躍と若手弁護士の指導をお願いしたかったという思いが、こみ上げてまいります。

 吉村先生は、私どもの中にいつまでも生き続けてくださいます。悲嘆にくれながら、今はただ、衷心より先生のご冥福をお祈り申し上げます。

 先生、やすらかにお眠りください。

合掌

【巻頭言】「架け橋と絆から生まれる希望」 弁護士 髙井 伸夫

 私はこの5月で75歳になる。そして、弁護士生活も50年目を迎えた。来し方を思い、時の流れの早さを痛感せずにはいられない。

 この年齢になると、人間は「老・病・死」から決して逃れられないことを強く実感する。ひとりで生まれ、ひとりで死んでゆく孤独な存在である。そうであるからこそ、自分にとって絆が最も強い家族の存在が何よりかけがえのないものであり、最期は家族に見守られながら安心して彼岸へ旅立つことが、一番の幸せであると思う。私がこうした人間同士の絆をひときわ愛おしく大切に感じるのは、昨年の東日本大震災の影響も大きいかもしれない。

 最近、物理学者で俳人・随筆家でもあった寺田寅彦(1878~1935)の年譜をひもとく機会があり、彼が異質な二足のわらじをはき続けた理由がわかったような気がした。

 寺田は、私の事務所からほど近い千代田区麹町に生まれたが、高知県士族の父親の転勤のためすぐに転居している。神経質で病弱な子どもで、いじめにもあい、長じてからも病気がちであったようだ。おそらく、彼は幼少の頃から深い孤独や不安と向き合っており、こうした心情を打ち消すためにも、俳句や文学を語り合う仲間とのつながり・絆を持ち続けたいと願ったのではあるいまいか。

 寺田は、高知の尋常中学校を主席で卒業したあと熊本の第五高等学校に進学した。五高では、その年に同校に赴任してきた夏目漱石から英語を習い、また、俳句の手ほどきを受けている。そして、東京帝国大学理科大学物理学科に進んでからは、漱石の紹介により正岡子規と面識を得たり、大学院修了後には、英国留学から帰国した漱石宅での言わばサロン「木曜会」に参加している。

 寺田の生涯をたどると、人生は出会いの連続であることを改めて思う。恩師や仲間との得がたい関係に恵まれた寺田は、自らも門下生との交流を大切にしたようである。そうして、寺田が師から受け継いだ徳も知も、次の世代へと受け継がれ、育まれていったのであろう。人との絆を大切にした寺田は、理系(物理学)と文系(俳句・随筆)の架け橋であっただけでなく、学究の世界と一般社会をつなぎ、さらには上の世代と下の世代をつなぐ、大いなる架け橋でもあったといえるだろう。

 今の日本の閉塞感の根本を私なりに探ってみると、あらゆる分野で、いろいろな形での架け橋が求められているという思いを強くする。

 第一に、私の専門である企業の人事・労務問題の分野でいうと、使用者側と労働者側が企業という組織(=雇用の場)のグローバル競争の勝ち残りを目指し、危機感を共有しながら邁進することが必要であり、そのための労使の架け橋が必要となっている。それには、従来のような労使の話し合いを継続して深めることももちろん重要であるが、働き方が極めて多様化している現状もふまえて、労働契約のあり方、従業員や管理職の指導・教育、労働条件の決定等々の問題について、より柔軟で迅速な決定を可能にするしくみも必要になってくる。

 そのための一助になると私が考えているのは、本紙でも度々紹介している「キャリア権」の概念である。これは、法政大学大学院教授・諏訪康雄先生が提唱された考え方であり、先生を座長にお迎えして私が主宰するキャリア権研究会が発刊した「報告書」では、キャリア権を、「働く人一人ひとりが、その意欲と能力に応じて、自己の望む仕事を選択し、職業生活を通じて幸福を追求する権利」であるという噛み砕いた表現で定義している。そして、「報告書」では、研究会の委員のひとりである神戸大学大学院教授・大内伸哉先生による「キャリア権基本法」(大内試案)も発表したが、同法案は第一条に「労働者のキャリア権を保障することにより、その個人として尊重された幸福な職業生活の実現に資するとともに、わが国の産業の競争力の向上を図り、日本経済の発展に寄与することを目的とする」と掲げ、国・事業主・労働者・労働組合それぞれの責務についてもあわせて明記している。

 キャリア権は、日本経済の発展に寄与すべく、労働者側には今まで以上に個々が職業能力を磨く努力を求め、企業側には組織で働く者の能力向上へのより一層の配慮を求めるものである。キャリア権という労使の架け橋になるキーワードを念頭に置き、同床異夢に陥らないよう注意しながら、労使がスピード感のある健全な協力関係を築かなければ、衰退著しい日本も日本の企業も、競争力を復元させることは難しいと思う。

 第二に、社会全体に必要とされる架け橋として、企業や個人による社会貢献・社会還元の推進の必要性を指摘したい。

 日本でも、NPO法人の活動や、企業や個人によるボランティア活動・募金活動等は盛んになってきているが、まだ十分とはいえない。

 私は、昨秋、視察団を組み九日間にわたりインドの経済事情等を見て回った中で、タタ自動車の要職にある方からうかがったお話に衝撃を受けた。同社は、利益の66%を社会に還元しているというのだ。もちろん、日本とインドでは宗教的にも社会・文化的にも背景が全く異なるし、日本にはヒンズー教やイスラム教のように富める者が貧しい者に施しを与えて徳を積むという考え方はないので、一概に比較することはできないとしても、彼我の差に唖然とした。

 すでに始まっている熾烈なグローバル競争の波は、企業や組織や個人にも容赦なく襲いかかり、その結果、努力をしても競争に取り残される者や弱者は必ず生まれてくる。そうした者へ救いの手を差しのべるのは、余力ある者の務めでもあるだろう。国力が衰えて公助が手薄になる時勢には、自助でどうにもならない者を、共同体的な仕組みを工夫して、共助により支える必要があると思う。

 第三に、国や企業・組織が、現状を打破して、飛躍的な変革を遂げるための基盤として、政治家や経営者に求められるリーダーシップの発揮も、重要な架け橋である。

 ファーストリテイリング会長兼社長の柳井正氏は日本を代表する経営者のひとりであるが、「この国は下手をしたら三年で破綻し、どの国からも相手にされなくなってしまうのではないか」という強い危機感のもと、政治・行政にも経営者や個人にも新聞にも苦言を呈している(本年3月7日付け産経新聞)。能力のある者、責任感のある者、知恵の働く者、努力を厭わない者、決断力のある者が、それぞれの持ち場で、救国の使命感と高い志をもってリーダーとしての任務を果たさなければ、日本は3年ともたないかもしれない。

 第四に、諸外国との架け橋を築くことも忘れてはならない視点である。

 私は上海と北京にも事務所を置き、企業へのさまざまな助言を通して、微力ながら日中の架け橋となる業務に取り組んできた。日中関係は確かにひと筋縄ではいかない側面があるが、隣の大国の存在を抜きにして日本の将来はないと断言できる。日本と中国は、より成熟した関係を構築していく途上であると思う。そして、貿易の面でいえば、TPP(環太平洋経済連携協定)への参加問題を乗り超え、日本も日本人もたとえ寒風に曝されようともこれに耐え、国際競争の場で自らを鍛えてこそ、世界の中での日本たりうるであろう。

 私にどれほどの時間が残されているかは神のみぞ知るだが、「老・病・死」の不安をも乗り超え、これからも自分に与えられた課題に真摯に取り組みながら、架け橋の先にある希望を信じて、志を高く持つ人たちを応援していきたいと思う。

 (参考 寺田寅彦『俳句と地球物理』角川春樹事務所・ランティエ叢書)

以上

【エッセイ】「グリコ・森永事件の捜査を省みて」
      事件発生時の元刑事部長 鈴木 邦芳 様

1 グリコ・森永事件とは

 昭和59年3月、江崎グリコ社長が誘拐され、身代金を要求される事件に端を発し、次々と食品会社が脅迫された一連の事件である。

 犯人がマスコミにも文書を送りつけたことから劇場型犯罪ともいわれた。平成12年、すべての事件が時効となった。

 私は事件発生当時、大阪府警察本部刑事部長であった。

 複雑な事件であり、事件の全容を説明することは出来ないが、事件発生から大同門での逃走劇、ハウス食品への身代金要求について、時系列に沿って、そのポイントのみ話したい。

2 事件発生当初の犯人の動きの不透明さ

 最初の身代金の要求は「金塊100キログラムと現金10億円」である。刑事経験の長い私には理解しがたい額であった。

 身代金目的の誘拐事件は、これまでほぼ100%検挙になっている。現金受け渡しの時に逮捕されるのである。現金10億円は、約130キログラムと聞いた。金塊100キログラムとあわせて、私の体重の三倍を超える重さの身代金をどうやって運ぶのか。

 これはいやがらせか。いたずらか。この点は、最後まで「犯人のねらいは何か」という疑問の形で残った。

3 大同門事件

 昭和59年6月2日、犯人は、茨木市の大同門の焼肉店に「三億円を持ってこい」とグリコに言ってきた。

 これまでの捜査の経過からみて、私たちは、これは犯人は勝負に出てきたと確信した。事実、犯人グループは勝負に出てきたのである。犯人グループは、近くの堤防にいたアベックを襲い、女性を人質にとり、男性を現金運搬人に仕立ててきたのである。

 私たちにとって不幸が重なった。男性は、自分の自動車が犯人に強奪されているのに、自分の自動車のナンバーが思い出せないのである。極度の恐怖、彼女が犯人に押さえられていることもあって脳が正常に働かないという状態だろう。加えて、男性は、中古の自動車を二週間程前に購入したばかりで記憶があいまいだったという事情もあった。

 確認に若干の時間を要したこともあって、犯人は不安になり逃走したのである。

4 ハウス食品事件

 犯人は、同年11月14日、ハウス食品に「現金一億円を積んでおいて指示を待て」と言ってきた。

 私たちは、事前に検討し、この種の事件としては例のない報道協定の締結をマスコミ各社にお願いした。

 現場へ向かう捜査員に対して私は、「犯人は必ずあちこちと現金輸送車を引き廻す。最後は能登半島の先端か、また、その先の海か。いずれにしても最後まで突っ込んでゆけ」と指示した。

 また、課長は、「最後は銃撃戦もあり得る。生命をかけてやれ。骨は必ず拾ってやる。」と指示した。

 結局、この日も犯人は姿を見せなかったが、犯人が走行を指示した高速道路の下で不審車両が発見された。

 これを滋賀県警のパトカーが追跡し、逃走されてしまったが、事後、この不審車両が放置されているのが発見され、車両内部に残されていた桟器から犯人の一味の者だったと見られるに至った。

5 滋賀県警察本部長山本氏の自殺

 昭和60年8月7日、滋賀県警察本部長山本昌二氏が大津市の本部長公舎の庭で焼身自殺されるという重大事件が発生した。

 山本氏は、私と同様この日に警察庁付の人事異動が発令されていた。山本氏は、犯人の一味と思われる不審者を県警パトカーが取り逃したことを苦にして自殺されたとの話があった。

 専門家の言によれば焼身自殺という手段は、自らを責める自殺の方法と聞いたことがある。

【エッセイ】「これからの教育、これからの学校・大学経営」 
      株式会社開倫塾代表取締役社長 林 明夫 様

1 はじめに

 栃木県を中心に群馬県・茨城県に62校、塾生数7000名の学習塾を経営するかたわら、さまざまな活動をしてきた立場から、これからの教育、これからの学校・大学経営を考えてみたい。

2 これからの教育(教育の目的)とは

 私は、教育の目的は、人間としてよく生きること、具体的には、人生における(自分なりの)成功の実現と正常に機能する社会の形成に役立つことと考える。

 この目的達成のために求められる基本的能力とは、①知識・情報・技術を相互作用的に用いる能力②多様な集団で行動する能力③自律的に活動する能力であり、これら基本的能力の前提条件とは、①一度理解したことを身につける方法を得ていること、②読書により思慮深さを身につけていることである。

これら教育の目的・目標を達成するために存在するのが、学校・大学である。それでは、現在の学校や大学が目的・目標の達成のために十分機能を発揮するにはどうしたらよいかを次に考える。

3 これからの学校・大学経営とは

 経営とは、営みを経て目的・目標を達することだと定義すると、学校・大学にこそ経営が求められる。 そして、経営に最も大切なのは経営者である。学校・大学の設立理念の実現、児童・生徒・学生の教育を通して地域社会の発展に貢献するという社会的使命を、自らの生命を懸けて達成することが学校・大学の経営者の役割である。

 超少子化やグローバル化という厳しい現況の中で経営者としての尊い役割を果たすためには、ガバナンスを強化しつつ、強烈なリーダーシップの発揮が求められる。そして、厳しい経営環境を乗り切るためには、ガバナンスを担う理事・評議員も最強の布陣を敷くべきだ。したがって、理事会・評議会の人数や任期、役割の見直しも必要である。定期的なメンバーの入れ換えは必要不可欠だ。学校の経営の行方は学校長により決まり、大学の経営の行方は学長により決まる。学校・大学の運命を決する学校長・学長の選任・監督は理事会・評議会の最重要事項であり、性別、年齢、出身を一切問わず、全世界、日本中から最適な学校長・学長をリクルートし、選任・監督すべきだ。 また、学校長・学長には副校長・主任や学部長・学科長だけでなく、全教員、全事務職員についての人事権を附与し、建学の精神、社会的使命達成のための具体的成果、アウト・プットを求めるべきだ。

4 独自性をもった高いレベルの教育で国際競争力の強化を

 最近では、超少子化で募集業務に困難を極めている学校・大学が多い。今後は、これに外国の学校や大学との競争が加わり、更に混迷が深まると予想される。

 しかし、ピンチは最大のチャンスである。日本や世界の教育における課題の解決を自校で行うと決すれば、日本中のすべての学校・大学にはいくらでもチャンスが存在する。教育ほど伸びしろの大きなものはない。 例えば、英語の授業は、教員のスキルを上げるしくみを整え、幼稚園から大学院まで原則すべて英語で行ったらどうか。また、幼稚園と小学校、中学校と高校、大学と大学院、おのおののカリキュラム、教員、マネジメントを一貫させたらどうか。あるいは、インドや中国などの新興諸国との交流を、経営陣、教職員、児童・生徒・学生・保護者すべてが積極的に進め、外国にも進出を果たしたらどうか。経営陣や教職員、生徒・学生の半数を外国から招いたらどうか。

5 おわりに

 中高年齢者の学習意欲が今ほど高い時期はない。すべての学校・大学はコミュニティ・カレッジを開設し、この膨大な需要に応えるべきだ。

 一方、学力不足のNo Study Kidsとよばれる大学生を、自らの高校から一人も出してはならない。自らの大学に一人も存在させてはならない。一度入学させたからには教育するしくみを整えるべきだ。

【連載エッセイ】「第3回 常夏バンコクの遠い夢-情報の真贋を見分ける眼」 
         アリヤ・グループ日本支社 公認会計士 形部 直道 様

 前回、「日本人専門家は、大抵、提携先の事務所に机を借りるような具合で仕事をしている」というお話をしました。つまり、そこでは日本人専門家はお客さんであり、指揮権も人事権もなく、あっても軒先を借りている組織の機嫌を損ねない範囲に限られます。ありていに言わせてもらえば、税調の時に係官にお金を払うのは当然と言われて、これを鵜呑みにするような態度が求められるのです。そして営業にいそしむ。さもないと仕事はやりにくくなります。

 外国の制度について、当地でも日本でも、いろいろ専門家と称する人たちがスピーカーとなってセミナーが開かれます。これはタイに限ったことか知りませんが、商工会議所などのセミナーの案内状に、「専門家の参加はご遠慮ください」とあることが多い。私はよく思うのですが、この日本語という閉鎖的な空間で喧伝される情報のやり取りを当地の外国人が聞いたらどう思うでしょうか。「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」ではないが、仰天するのではないかと怪しみます。さらに、外国人と仕事をする人間の特殊性も勘定に入れないといけないでしょう。日本人や英国人と仕事をするタイ人は、決して典型的なタイ人ではない気がします。ただし、英語は上手です。この、外国人と仕事をすることに慣れたタイ人から得られる情報は、一般的なタイ人から見ると、どうも、歪んでいるきらいがあります。

 昨年、タイでは大洪水がありました。日本のマスコミは、大変だと大騒ぎで、駐在員の家族が一時帰国する始末でした。ところが、実際のタイでの暮らしを見ていると、どうも違う節があります。バンコクには日本のテレビや新聞の支局がありますが、彼らが得る情報は、自社で雇っているタイ人(つまり、外国人に雇われているタイ人)や、外国向けメディアからのものです。そこに、大きな落とし穴がある気がします。

 言葉も、外国の制度を知るうえで大きな関門です。特にマイナーな言語が相手ですと大変ですし、制度にかかる用語は、その国の制度を引きずっているため下手に訳すと誤ります。非公開会社法で言えば、監査役とか代表取締役という機関はタイでは存在しない、日本のような弁護士制度もないというと驚かれる方が多いのではないでしょうか。

 もっとも、最近話題の国際会計基準においてでも、Probablyという英語が、米語とのニュアンスが違うために日本でも間違った邦訳をしてしまい大騒ぎとなったことを見れば、タイのような途上国に限ったことではないのかもしれません。

 いろいろ書きましたが、結果としてタイの法制度は、いい加減な解釈に基づいて日本人社会に説明されることも少なくないということです。前回の「タイでは、税務調査が来たら、係官に金銭を与えなくてはいけない」というのもその典型でしょう。

 税務に関する情報の誤りは、多額の現金支出を伴うことになります。合弁契約の解除とか、会社債権の取立てといった企業法務、さらに労務上の問題、これらは会社の死活にかかわります。正しい情報を得ることは、本当に大切です。では、どのようにして情報の真贋を見分けたらよいでしょうか。「日本の常識で考えてみる」。これが秘訣だと思っています。日本人やタイ人の専門家から、よく、「ここはタイですから」という台詞を聞きます。しかし、タイでも日本でも、水は上から下に流れるのが当たり前で「ここタイでは」といたずらに強調するときは、一体水が下から上に流れるといった調子の話につながるきらいがある。闇雲に、当地に詳しいとされる専門家や機関を信じて誤った意思決定をして損害を受けても、誰も責任は取ってくれません。制度の情報を得るときには、必ず理由を聞くことも大事です。そして、どうも水が下から上に流れるような話であれば、セカンドオピニオンを得ることが大切だと思います。

 外国での事業において、正確な制度情報は絶対に不可欠です。正確な情報を得る秘訣は、一般社会人の常識を持って判断すること、これにつきる。よく言われる語学能力なんて、その次の次だと思っています。

【北京だより(29)】「あっ!と驚く、中国の会計システム」 
           中瑞岳華会計師事務所 薄井 義之 様

 街の中にうっすらと緑の気配を感じると北京の長い冬は終わる。さすが北国だけに(北緯三九度/岩手県とほぼ同緯度)この街の冬は厳しいはずなのに、なぜか今年はそれほどの寒さを感じなかった。これは地球温暖化のせいなのか、あるいは身体がこの街の気候に馴染んできたせいなのだろうか。

 振り返ってみると、この街に移り住んで早六年が経過した。デスクの片隅に一片の紙がある。そこには六年前の日付と北京出向の辞令が書かれている。初めてこの地に来て実務について以来のさまざまな衝撃を、私はいまだ忘れることが出来ない。これから4回にわたって、それらの驚きについて、そして「あぁ、そうなんだ!」とわかったこと、あるいは文化の異質性について感じたことなどを記してゆきたい。

 最初は、「これがあるから中国の台所は火の車ではない」という中国の発票制度(国の機関が発行する領収書発行制度)についてだが、これは正式な領収書がないと税務上必要経費として認めないという、中国特有の制度である。営業税(売上に対して5.5%相当額)を支払いたくない商店やレストラン等の販売サイドに対し、これを必要経費としたい消費者サイドに領収書を請求させることにより、販売サイドに強制的に営業税を支払わせるというシステムである。この制度が機能してはじめて、この国は税収入を見込むことが可能となる。さらにこの制度を確実に機能させ、ひいては一四億の民を飢えさせることなく国家経営をするために、この国は、領収書に宝くじ(スクラッチ形式で現金等が当たる)を付けて消費者の欲望を刺激するという画期的方策を講じている。

 入口と出口を抑えるという当たり前のことをすることに、この国の未来があるのだろう。

【上海だより(30)】「上海歯科事情 その1」 
           日本東京都歯生会上海恒佳歯科診療所  劉 佳

 現在、中国の社会経済傾向は、中国に特徴的な社会主義マーケテイング経済であり、上海の歯科業界の状況もそれと同じである。中国の病院のメインは公立病院で、その他は私立病院で成り立っている。病院は、政府の管理・監督下に置かれている。

 上海もほかの都市と同様に、公立病院のみ医療カードを使用できる。私立病院は、自主経営ではあるが、政府に管理・監督されている。現在上海には、800~900の私立歯科医院があり、約2500名の歯科医師がいる。私立歯科医院のサービス方針は公立歯科医院と違い、メインは次の通りである。

  1. 価格の自己設定
  2. 医療行為中の態度(サービス態度)重視
  3. 患者に対して治療時間が十分で患者の来院回数も多い。
  4. 予約制度により待ち時間が少ない。
  5. 治療プランと治療費は契約関係により確立されている。(選択の自由と知る権利)。
  6. 富裕層が対象である。

 上海の口腔衛生意識は、中国の他の都市よりも明らかに高い。定期的な口腔検査および口腔クリーニングは、中産階級では必須であり、基本の一つとなっている。特に最近10年間においては、私立歯科医院の大幅な増加、口腔衛生についての知識の普及・啓発の推進などにより、多くの人が歯科医院で治療を受けるようになった。清新な口腔、白い歯と綺麗な歯並びは、高品質な生活の標準となった。

【事務所行事報告】

東城聡弁護士 入所ご挨拶

 私は、弁護士登録以来三年以上にわたり、欧米系の企業と日本の企業の取引関係を取りもつ業務をして参りました。

 昨今、日本企業のアジアへの移転、日本産業の空洞化が叫ばれておりますが、アジアに拠点が移転すると日本の産業がすべてなくなり、日本の企業が衰退するかのような理解は正確ではありません。

 たとえば、メーカーが製造部門を中国等に移しても、日本の管理部門をすべて移転できるわけではありません。太陽光発電などの環境技術や建築といった世界でも評価の高い技術を、上手く現地のパートナーにライセンスして、中国を中心としたアジアの市場に売り込んでいく足掛かりをつくるといった中国への進出方法も考えられます。業務の一部を他国に役割分担しても、業務の全体のパイが成長すれば、日本でしかできない国内業務の絶対量は増加します。

 コンサルティングファームに四年間務めた経験もあわせて知恵の限りを尽くして中国業務の分野から皆様をサポート致しますので、今後も何卒宜しくお願い申し上げます。

岡芹健夫・単著第二弾「雇用と解雇の法律実務」のご案内

 岡芹健夫所長弁護士が、自身の経験に基づく「雇用と解雇の法律実務」(予価4000円)を弘文堂より法律実務シリーズとして上梓いたします。五月上旬頃書店に並ぶ予定です。詳細は七月下旬発行の次号盛夏号にてお知らせいたします。

第10回 人事・労務 実務セミナーのご報告

 平成24年1月26日(木)に右記セミナーが開催され、岡芹健夫所長弁護士が「最近の重要労働判例」という演題で講演させて頂きました。

 特に高齢法の解説についてわかりやすいとのお声を頂戴しました。今後も様々なテーマを考えておりますので、何卒宜しくお願い致します

髙井伸夫「営業で『結果を出す人』が必ず実行していること」のご案内

 髙井伸夫会長弁護士が、朝倉千恵子氏との共著を三笠書房より上梓いたしました。同封物②「新刊本のご案内」(兼申込書)をご覧ください

キャリア権研究会

 平成24年3月6日(火)18時30分より、第三回定例会が開催されました。本研究会のNPO法人化について、法人の目的や事業計画等の重要性をめぐる意見も含めて、さまざまな議論がなされました。第四回は本年7月10日(火)開催です。

上海代表処活動報告

 1月末、岡田拓也弁護士が一身上の都合で退職し、2月13日、後任の東城聡弁護士が首席代表として着任しました。奥様ともども初めての上海ですが、変貌の激しい上海での生活に一日でも早く慣れてほしいものです。また、3月初旬、東京より岡芹健夫所長が上海市司法局を表敬訪問、当局担当者からは、外国法律事務所のあり方に関する再確認とともに日中間の発展のためには外国法律事務所の尽力が必要不可欠であり、今後も友好交流に一層ご活躍願いたいとの発言がありました。同日夜は、普段お世話になっている顧問先および現地律師事務所の方々をお招きし、意見交換と懇親会が催され、有意義なひとときを過ごしました。

北京代表処活動報告

 当代表処は萩原大吾首席代表と中国人弁護士との相互協力で、徐々に業務量も増加傾向にあり、今後のさらなる法務サービス拡大につなげたいと思います。また、萩原大吾首席代表は2月17日(金)、東京での第20回「中国セミナー」に「中国初心者の方へ~陥りやすい落とし穴~」と題して出講、58名の参加者を得て好評裡に終了、出席者の中国市場への熱い期待が印象的でした。3月初旬には、東京より岡芹健夫所長が来燕、北京市司法局を表敬訪問、今年は日中国交正常化40周年の年でもあり、外国法律事務所として、引き続き日中友好発展に向け尽力願いたいとの発言がありました。

以上

経営法務情報「Management Law Letter」は、顧問会社及び弊所のお客様に無料にて配布しております。
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