1.パワーハラスメントの定義と不法行為との微妙な関係
第1回のコラムで、「パワーハラスメントの定義は万能か」とのテーマで解説しましたが、本コラムでは第1回のコラムと関連する問題を取り上げたいと思います。
近時、パワーハラスメント(以下、「パワハラ」といいます)という言葉が世間に浸透したこともあってか、「この間、A部長に業務のことでかなり厳しく叱責されて頭にきたんだけど、あれはパワハラだからA部長に損害賠償請求すれば慰謝料で数十万くらいは取れると思うよ。」といった会話がなされている場面に遭遇したことがある人もいるかと思います。
上記のような発言については、もちろん冗談で言っているケースが多いのでしょうが、その発言の前提として、上司から厳しい指導を受けて気分を害した場合には、それはパワハラであり、パワハラであるから慰謝料等の賠償金を得ることができるという考えに基づいているように思います。
上司などから業務上の注意・指導を受ければ、誰しも少なからず嫌な思いをするでしょう。しかし、上司から部下に対する業務上の注意・指導は、上司(特に管理職)の重要な職責の一つであり、部下が嫌な思いをするかもしれないという理由で上司が部下に対して業務上の注意・指導を控えるようになってしまえば、企業秩序を維持することが困難となり、ひいては企業の生産性に影響することにもなりかねません。
実際に、最近は、部下に「パワハラです。」と言われるのではないかと萎縮してしまい、必要な業務上の注意・指導を行うことを躊躇する管理職もいるということを聞きます。
それでは、上記A部長の叱責は、厳しい業務上の注意・指導であり、かつ部下が嫌な思いをしたのであるからパワハラであり、パワハラであるから即不法行為として損害賠償が認められるということになるのでしょうか。
2.厳しい業務上の注意・指導は直ちにパワハラとなるのか
この点、上記の発言は、A部長の叱責がパワハラに該当することを前提としています。
しかし、第1回のコラムでご紹介したパワハラの定義においても、パワハラとは「業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」(注:下線は筆者にて加筆)とされており、「業務の適正な範囲」の指導であれば、パワハラとはされないことが明確になっています(「職場のパワーハラスメント対策の推進について」平24.9.10 地発0910第5号・基発0910第3号:最終改正 平28.4.1 地発0401第5号・基発0401第73号)。
したがって、大前提として、たとえ上司から部下に対して厳しい業務上の注意・指導がなされ、それにより部下が一定の精神的負担を感じたとしても、それが「業務の適正な範囲」を超えないものであれば、即パワハラとなるものではなく、したがって不法行為となる可能性も極めて低いということを認識される必要があります。
3.パワハラの定義に該当すれば即不法行為となり損害賠償が認められるか
それでは、上司から部下に対する業務上の注意・指導が「業務の適正な範囲」を超えてしまった場合に即パワハラとなり、不法行為として損害賠償まで認められることになるのでしょうか。
ここで重要なことは、第1回のコラムでも解説しましたが、パワハラが問題となるケースにはさまざまなケースがあり、ケースごとに判断基準が微妙に異なるということです。
そして、本コラムで問題となっている上記発言は、A部長に対して不法行為により損害賠償請求をするというケースになります。このような場合、A部長に対する損害賠償請求が認められるか否かについて、A部長の行為がパワハラの定義に該当するか否かということも一つの判断要素にはなりますが、あくまでも①故意または過失のある行為であること、②他人の権利または法律上保護される利益を侵害したこと、③損害が発生していること、④行為と損害との間に因果関係があることという不法行為(民法709条)の要件に該当するか否かが判断されることになります。
したがって、上司の言動が仮にパワハラの定義に該当するとしても、そのことにより直ちに当該上司の言動が不法行為の要件をも満たすということには必ずしもならないのです。
裁判例においても、「人が他人との関わり合いを持ちながら社会生活を送っている限り、他人に迷惑をかけたり、他人に不快感を及ぼすことは、ある程度までは避けられないことであり、いわゆるマナー違反あるいはエチケット違反といわれる類のものが民法上の不法行為を構成するわけではない。しかし、他人の私生活に立ち入って生活の平穏を害したり、他人の人格に立ち入って心的ストレスを加え、社会生活上の受忍すべき限度を超えて他人に不快感を及ぼす行為は違法であり、その不快感は金銭賠償による慰藉を要する精神的苦痛であると解される。
この場合、他人に不快感を及ぼす行為が『セクシュアル・ハラスメント』や『パワー・ハラスメント』に該当するから違法となると考える必要はない。それら概念は、職場等でのいかなる行為が許されざるものかを啓蒙し、使用者や労働者にそのことを自覚させるために有用な概念ではあるが、必ずしも、民法上の不法行為(民事上の賠償責任を発生させる違法行為)の成否を画する概念として必要であるとか有用であるとはいえない。
なぜなら、一般に『セクシュアル・ハラスメント』や『パワー・ハラスメント』という概念は、民事上の違法行為の範囲を網羅的に記述するために形成された概念ではなく、その中に刑法の犯罪構成要件に該当しそうなものからマナー違反に近いものまでを含む幅広い概念であって、これに該当すれば不法行為となるとか、該当しなければ不法行為とならないという判定基準として用いることが困難だからである。」(注:下線は筆者にて加筆)と判示し、上記と同様の見解が示されています(札幌地判平23.4.7・X市教育長事件)。
会社を離れた社会生活においても、誰かからの言動で嫌な気持ちになったり精神的苦痛を感じたりすることがあると思いますが、だからといってそのような言動が直ちに不法行為の要件を満たすことになるかと言えば、そうではなく、不法行為として損害賠償請求が認められるようなケースというのはある程度違法性が強い言動に限られます。
上司(管理職)も人間であり、部下に対する指導に熱が入り、ちょっと言い過ぎてしまったというようなケースはどんな上司であってもあり得えます。しかし、部下に対してどんな時でも誰から見ても非の打ちどころのない適正な業務上の注意・指導を行うことは不可能であり、多少部下に対して不適切な指導があったとしても、そのような指導が直ちに不法行為の要件を満たす(損害賠償請求が認められる)ということには必ずしもなりません。
もちろん、上記のように考えられるからといって、部下に対して不適切な指導を行ってよいということにはなりませんが、企業の生産性を向上させ、企業秩序を維持していくためには、管理職は部下からパワハラと言われるのではないかと過度に萎縮する必要が必ずしもないということは言えると思います。
もっとも、近時、部下からパワハラと主張されるリスクは増大しているため、管理職としては、パワハラ研修等において、部下に対する業務上の注意・指導の留意点の理解に努め、無用なトラブルに巻き込まれるリスクを回避する努力をしておく必要はあると言えます。
以上
文責:弁護士 帯刀康一
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