当社では、職種によって一定程度の残業が予定されており、残業代計算等の事務処理手続を効率化するために、固定残業代の導入(支給)を検討していますが、留意点はありますか。
固定残業代を導入するには、①一定の手当等を時間外労働等の対価として支給する旨を合意又は周知性を有する就業規則において定め(対価性)、②その手当等が、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することができること(判別可能性)が必要である。
固定残業代の金額に対応する時間外労働等の時間数は、現状では、45時間を超えないようにするのが実務対応としては穏当である。
1 固定残業代とは
固定残業代とは、労働基準法(以下「労基法」)37条所定の計算方法による割増賃金の支払に代えて、実際の時間外労働等の時間数にかかわらず、あらかじめ一定の金額を、基本給に含めたり(以下「組込型」)、諸手当に含めたり(以下「手当型」)することにより支払うものをいいます。
労基法37条は、時間外労働、休日労働及び深夜労働(以下「時間外労働等」)について、同条並びに政令及び厚生労働省令に定められた方法により算定された額を下回らない割増賃金を支払うことを使用者に対し義務付けるにとどまり、上記固定残業代のような支払方法自体が直ちに違法とはされていません(医療法人社団康心会事件 最判平29.7.7労判1168号49頁、日本ケミカル事件 最判平30.7.19労判1186号5頁ほか)。
そのため、固定残業代を導入したとしても、時間外労働等について法所定の計算方法による額が固定残業代の額を上回る場合には、当然、その差額を清算する必要があります(差額清算の明確な合意がない場合でも、労基法13条の強行的直律的効力により、労基法37条所定の割増賃金の清算が必要です)。
2 固定残業代の有効要件
⑴ 対価性
固定残業代を有効に導入するには、一定の手当等を時間外労働等の対価として支給する旨を、合意又は周知性を有する就業規則において定めることが前提となります(前掲・日本ケミカル事件参照)。
ある手当等が対価性を有するか否かは、雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当等に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況等の諸般の事情を考慮して判断すべきであり、その判断に際しては、労基法37条の時間外労働等を抑制するとともに労働者への補償を実現しようとする趣旨を踏まえ、当該手当等の名称や算定方法だけでなく、当該雇用契約の定める賃金体系全体における当該手当等の位置付け等にも留意して検討しなければならないとされています(国際自動車[第2次上告審]事件 最判令2.3.30労判1220号5頁)。
例えば、当該手当等が実際の勤務状況に照らして想定し難い程度の時間外労働等を見込んだ過大な額であったり、実質として、賃金総額を変えずに基本給を減額してその分固定残業代に振り替えたりすることは、対価性および判別可能性を否定する要素として考慮されています(熊本総合運輸事件 最判令5.3.10労判1284号5頁)。なお、基本給の減額については労働条件の不利益変更の問題も生じます。
⑵ 判別可能性
また、固定残業代の支払をもって使用者が労働者に対し労基法37条の定める割増賃金(の全部又は一部)を支払ったとすることができるか否かを判断するためには、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別できることが不可欠です(前掲・医療法人社団康心会事件ほか)。
組込型の場合、少なくとも、時間外労働等の時間数(例:基本給には時間外労働10時間分の固定残業代を含む)又は固定残業代の金額(例:基本給には残業手当として月額5万円を含む)を明らかにするほか、(月平均)所定労働時間が明らかであれば、一応、それらの数値に基づき、客観的な判別可能性はあると考えられます(グレースウィット事件 東京地判平29.8.25労判1210号77頁参照。なお、かかる考え方に立っても、時間外労働等の内容により賃金の割増率は異なるため、時間数のみを明示する場合、記載の仕方次第では、どの割増率を適用するのかが不明となり、判別可能性が否定されるリスクがあることは注意が必要です。)。もっとも、そもそも時間数又は金額のいずれかのみを明示しただけでは足りないとして判別可能性を否定する裁判例もあり(無洲事件 東京地判平28.5.30労判1149号72頁)、確立した考え方がないのが実情といえます。
他方、手当型の場合、当初から基本給より区分されているため、対価性要件に問題がなければ、別途判別可能性が問題となることはありませんが(前掲・日本ケミカル事件ほか)、少しでも時間外労働等の対価以外の性質を併有する場合には、判別可能性が問題となります(前掲・熊本総合運輸事件ほか)。
なお、上記2要件以外の事情(差額清算合意や36協定の有無等)は、固定残業代固有の要件ではなく、上記要件充足性を判断するための考慮要素として考えるのが近年の裁判例の傾向であるとされています(岩佐圭祐「いわゆる『固定残業代』の有効性をめぐる諸問題」判例タイムズ1509号37頁(2023))。
⑶ 公序良俗等違反による無効の可能性
仮に上記要件を満たしても、固定残業代に対応する時間外労働等の時間が過大な場合、その効力が問題視される場合があり、基本給に月80時間分相当の固定残業代を定めていた事案で、公序良俗に反するとして全部を無効とした例(イクヌーザ事件 東京高判平30.10.4労判1190号5頁)や、固定残業代として95時間分の職務手当を定めていた事案で、労基法37条を潜脱するとして直ちに全部無効とするのは相当でなく、限定解釈が可能かつ相当である場合には、その限りで合意を認めるのが相当であるとして、月45時間分相当の範囲で有効とした例(ザ・ウィンザーホテルズインターナショナル事件 札幌高判平24.10.19労判1064号37頁)があります。他方、固定残業代として時間外労働70時間、深夜労働100時間相当の業務手当を定めていた事案で、当該手当が常に36協定の特別条項を充足しない時間外労働を予定しているものとはできない上、当該時間外労働であっても割増賃金は発生する以上、その場合の支払も含めて固定残業代を定めても当然に無効になるとはいえないとして有効とした例(コロワイドMD[旧コロワイド東日本]事件 東京高判平28.1.27労判1171号76頁)もあり、無効とされる水準・範囲が確立されていないのが実情といえます。
3 対応について
以上のとおり、固定残業代は、具体的な要件充足性の判断についていまだ定説がないところもあり、導入を検討する際には、見通しが不透明な紛争を避けるため、月45時間以下、かつ、労働者の就労実態とかい離が生じない範囲内で、手当型として固定残業代を支給する旨を雇用契約書及び就業規則(賃金規程)等に明記し、途中で当該手当を増減額させる必要がある場合も、対価性を損なわないよう、他の賃金項目とは独立させて検討する(基本給から当該手当に振り替えるなどの操作を行わない)ことが重要です。
以上