オアシスの椰子の木
砂漠の民にとって、オアシスの水は何より貴重です。
あるところに、汲めども尽きず滾々と湧き出る水量豊かな井戸がありました。砂漠の住人は、その井戸の水を頼りに1本のナツメ椰子を植え、日々、担いだ桶で水を掛け、数年様子を見ることにしました。
数年経つと、1本のナツメ椰子には、5百個の実が成り、スーク(市場)に持ち込むと、高値で売れました。
これに気を良くして住人は、椰子を10本に増やし、その根元には、脚踏み水車を使って、井戸の水を導きました。
次の年、10本のナツメ椰子には、5千個の実が成りました。住人は、大いに喜び、スークでもよい値で売ることが出来ました。
更に次の年、住人は、椰子の木を百本に増やしました。ラクダが回す汲み上げ水車で、その百本に満遍なく井戸の水を導きました。
百本の椰子の木は、首尾よく5万個の実を結び、住人は益々大きな利を得ることが出来ました。
翌年、住人は椰子の木を一気に1千本に増やそうとしました。するとオアシスの長老が言いました。
「おやめなさい。既に、たった一本の井戸は涸れかかっている。この井戸が枯れたら、困るのはあなただけではない。井戸に頼って生活をしていた全ての住民が困るのだ。」
しかし、住人はこう言いました。
「そんなことはない。井戸からは滾々と水が湧き出している。このオアシスに住む人々も、ナツメを隊商に売っては、大きな利を得ている。」
こうして長老の意見を無視し、住人は千本の椰子を植え、全ての椰子の根元に、大きな水路を巡らし、複数の汲み上げ水車を設け、ラクダの頭数を増やして水車を回し、円滑に水が流れるように工夫しました。
翌年のことです。
一本の井戸は、千本の椰子を賄うには足りず、井戸は涸れました。井戸に水がなくなって、全ての椰子も涸れました。そこの住民も生活の水に困り、他のオアシスに続々と居を移し換えました。
こうして、長く栄えてきたオアシスも消えてしまいました。
彼が曾ての勤務地で聞いた話は、これで終わります。
アラブの地では、水という資源の限界を無視すれば、村落が消滅するという喩えに使われる話だそうです。
似たような話もあります。
「ラクダの背に藁しべ1本」と言う言葉もあります。乾燥した砂漠を行くのにラクダは不可欠です。重たい荷物にもよく耐えて長距離を移動できます。ですが、ラクダの背に乗せることのできる荷物に限界があり、最後は、藁しべ1本の追加で、背骨が折れるのだとか。
これは英語圏にも伝わっているようで、ネット上の英訳に次のような文章がありました。
The straw that broke the camel’s back
「わらの一本一本は重くないが、らくだの背にわらを載せ続けた結果、ついには最後に載せた1本のわらでらくだの背が折れたということ。つまり、一見ささいなことのように見えることも、負荷が重なればついには我慢の限界が来るということを喩えている。」のだそうです。
私には、経営資源の見極めの難しさを示唆する言い伝えであるように感じました。
以上