時流を探る~高井伸夫の一問一答の最近のブログ記事

  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第26回目です。
  • 第26回目は、株式会社浦上蒼穹堂 代表取締役 浦上満様です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第26回)■ ■ ■ 

株式会社浦上蒼穹堂 代表取締役 浦上 満 様

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[株式会社浦上蒼穹堂 代表取締役 浦上満様プロフィール]

1951年東京生まれ。

大学卒業後、古美術界の老舗、繭山龍泉堂にて5年間修行。1979年4月に独立、日本橋に浦上蒼穹堂を設立し、今年で満38年。

中国、朝鮮半島、日本の古陶磁を主に扱い、他に青銅器、漆器そして浮世絵(主に葛飾北斎)なども取り扱う。国内外の美術館、博物館の企画展にも協力、出品依頼が多数あり、1994年東京国立博物館で催された「中国の陶磁」展には全343点(国宝3点重要文化財30点を含む)中、42点を出品協力。個人コレクターを主眼におきながらも、国公立の美術館や財団法人の美術館、アメリカの美術館にも数多く作品を納める。

葛飾北斎の「北斎漫画」のコレクションは質量ともに世界一といわれ、1987年以来、現在までに35回以上「北斎漫画」展を全国の公立美術館で企画、開催。2016年、第10回国際浮世絵学会 学会賞受賞。

〔著書〕

  • 「古美術商にまなぶ 中国・朝鮮古陶磁の見かた、選び方」(淡交社)
  • 「北斎漫画入門」(文春新書)

 

〔現在〕

(株)東京美術倶楽部 常務取締役、東洋陶磁学会 監事、国際浮世絵学会 常任理事/総務委員長、アートフェア東京 コミッティ(運営委員)、慶應義塾大学特別招聘講師

浦上様と高井

(写真は左が浦上満様、右が高井伸夫 取材日に撮影)

[今回のインタビュアー・同席者は以下の通りです]

  • 高井伸夫
  • 高木光彦(弊所庶務・ドライバー)

(取材日 2017年8月26日(土)11:30~於:株式会社浦上蒼穹堂)

 


高井

浦上様といえば、北斎漫画のコレクションでは世界一と言われていますよね。

 

浦上様

北斎漫画は葛飾北斎が描いた絵手本です。初編から15編あって、これは江戸時代のベストセラーでありロングセラーなんです。私は18歳の時から集め始めておりまして、爾来48年間、今でも集め続けていて、専門家の間では質量ともに世界一のコレクションといわれています。

江戸時代の版本ですから、当時は1編につき、何百冊、何千冊とあったはずなんです。版画ですから、初摺りといって、初めに摺ったものがいいに決まっているんですね。なぜかというと、初めのうちは版木がまだエッジが立っている、ところが沢山摺っていくうちに、だんだん版木が摩耗して、線も鈍くなっていく。当然初摺りで、なおかつ保存状態がいいものが欲しくなる。200年も前に刊行されたものですから、保存状態が悪いものがいっぱいあるんですよ。摺りが早くて、保存状態がいいものを一生懸命探しているうちに、1,500冊にもなっちゃったんです。初摺りは1,500冊あるうちの150冊もないですね。とても貴重です。

自分で購入して「これより、こっちのほうが早いな」という経験を積んで、だんだん目も利いてくる。1,500冊も集めましたので、おかげさまで、大英博物館や東京国立博物館の所蔵品よりも良い「北斎漫画」を私は持っています。

 

 

高井

本当によい骨董品とはどういったものをいうのですか。

 

浦上様

例えば“三彩”は技法ですから、現代でも作られていますよね。中国は唐の時代、8世紀を中心に作られたのが、オリジナルの唐三彩です。本ものでも、ピンからキリまであります。理想をいえば、本ものの最高品を買うことです。でもそんなものはなかなか出てこない、出てきても1点で何千万円、何億円もする場合があります。値段も大切なファクターです。大切なのはそのものの本質を見ることです。

例えば、あるジャンルで、最高のものが1億円だとして、同じ時代の同じ窯で焼成されたものでも10万円しかしないものもあります。本ものでありながらこの1億円と10万円の差というのは、普通ちょっと理解できませんよね。それぐらい厳しい差があります。

 

 

高井

本ものとガラクタをどうやって見分けるのですか。

 

浦上様

やっぱりそれは、長年の経験と、経験を通じて培った美意識でしょうね。そんなに難しいことではありません。私たちは若いうちから数多くのものを見ている。特に見始めの頃は、変なものを見ちゃいけない。いいものだけをたくさん見る。そうすると、変なものを見た時に、自然に拒絶反応が出ます。嫌だとか、気持ち悪いとか。そんなのは君の感想だろうといわれそうですが、それが大事なんです。そうやって一種の感覚が純粋培養されていきます。ただ、それを勘とか感覚だけで終わらせず、本を読んだり研究したり、いろいろ勉強もします。今は、世界中の美術館で、優れたコレクションを見ることができます。現物を見る機会がある。そういう時にしっかりといいものの造形や感触を叩き込んでおきます。比較してみると“いいもの”と“そうでないもの”との違いが分かってきます。

 

高井

そういった“目利き”の後継者は育っているんですか。

 

浦上様

どの業界も、「後継者不足だ。質が落ちた。」と言いますが、それなりにいると思うし、いなきゃ困りますね。

今、一番の問題は、優れた本ものに触れる機会が少ないことです。美術館の学芸員で例えると、いい作品を、展覧会のためによそから借りてきたりする。その時に、学芸員が直接触れることができないんですよ。日通とかヤマトの美術専門のチームがあって、その人たちが、作品を開包したり展示したりする。なぜかというと、何か事故が起きて美術品が壊れたりした時に、そういう人たち以外の人だと、保険が下りないからです。

これはまさに本末転倒の話で、プロの学芸員が触らなきゃいけない。特に新米の学芸員なんか、そういう時に触ってものの重さとか、高台の様子を覚えるんですね。ところが、触れることができないから、一生、目利きになれませんよ。

われわれ、いわゆるプロの美術商がなぜ目が利くかというと、恐ろしいほど沢山ものを見ているんです。それも手にとる。手にとって、体で覚えているんです。だから、そういう訓練をしていかないと、眼なんて肥えるもんじゃないんですね。保険が問題なら、特記事項に、ここの学芸員の誰々が触って、もし何か事故があっても保険が下りるというような条項に変えたらいいんですよ。今のままだと、どんどん不毛になって、目利きが育たなくなると思います。

 

 

高井

先生は長年古美術を扱っていますが、オールマイティの目利きですか。

 

浦上

オールマイティという人は、ハッキリ言っていません。いたら、それはかなりあやしいと思ってください。みんな、自分の得意のジャンルしか分からないです。ただ、得意なジャンルを極めた人は、当然いろんなものを見ていますから、だいたいのことは分かるんです。でも、“だいたいのこと”であって、自分の自信を持って言えることしか、言っちゃいけないんです。

全部オールマイティ、どこかの占い師じゃないけど「黙って座れば、ピタリと当たる」なんて、そんなふうに言う人がいたら嘘だと思ってください。

それぞれの分野で「これはあの人だな」というのがあるんです。私も「これはもう浦上さんに聞こう」という立場にならなければいけない。お互いにそれぞれの分野で、引き出しを持っているわけです。これはあの人に聞く。それはもう、ものすごく確かです。学者さんは値段まで分かりませんが、プロは当然値段まで分かっちゃう。

 

高井

日本の美術の問題点について教えてください。

 

浦上様

日本の政治家とか官僚や役人という人たちは、非常に美術に弱い、疎いんです。それが問題だと思っています。美術は政治家にとっては票にならない。官僚も学業は優秀なんでしょうが、子どもが「お父さん、今度の日曜日、美術館に連れて行って」と言われても「お前そんな時間があったら勉強でもしていろ」とか、「せめてスポーツにしろ」とか言う。要するに、美術は無駄なもの、ある意味では、一種の遊びだという感覚で捉えている人が多い。

企業でも銀行でもトップになる人というのは、人間性が大事ですよね。外国で「私、美術が嫌いです」とか「関心がありません」と言ったら、「私は野蛮人です」ということを、自ら吐露しているようなもんなんですよ。ところが日本人は、それに気が付いていない。一流の政治家でも、一流の経済人でも、それが非常に恥ずかしいということに気が付いていないんです。

日本人は、勉強なら勉強だけができればいい。企業なら、ただ仕事がちゃんとできればいいとか、そんなことばかり言っているけれど、そこに文化的な素養がないと、欧米では馬鹿にされるんです。少なくとも、トップには立てない。

 

 

高井

日本人がより美術に親しむためには何が必要でしょうか。

 

浦上様

根本的には教育です。小さい時から、日本には、美術に対してのびのびと見る環境がなさ過ぎると思います。

外国では、よく美術館の大きな絵の前で、子どもたちがペタッと床に座って、先生か学芸員の人たちから「これはね、こういうことが描いてあるのよ」と説明を受けている光景を目にします。日本だと、「静かにちゃんと見て、レポートを書きなさい」と言われる。だから、子ども心に「厄介な所に連れてこられたな」と思ってしまう。要するに、もっと自由に本当にその世界に馴染むような教育がされていない。日本の美術教育っていうのは、中学校も高校も、惨憺たるもんです。文化は金だけかかって何にもならないって、一般の人も思ってしまっていると思います。

 

高井

美術に対する教養が必要なんでしょうか。

 

浦上様

“教養”とは少し違います。教養というと勉強なんか嫌だと思ってしまう。私は、美術を楽しんでほしいと思っています。

よく美術館へ行くのは敷居が高いとも言われますが、私たちが2015年に日本初の春画展を開催した時、3ヶ月で21万人の入場者があり、特に若い女性が殺到しました。その中には「美術館に生まれて初めて来ました」と言う人もいました。春画がどうこうということではなく、本当に見たいものがあれば人は来ます。

本当に見たいものを見る。何か好きなものを見つけることが大事です。例えば美術館へ行って混んでいれば順番に見る必要はありません。すいているところから見て「あ、これ好き」と思うものがあったら、作品の名前を覚えておく。そして、また行った時に「ああ、これやっぱり何回も見ても好きだな」と、そういうことから入っていけばいいんです。そうやっているうちに、だんだん、いい意味で深みにはまって行く。好きな絵をみると疲れが吹っ飛んじゃう。例えば、おいしい物を食べたり、素晴らしい景色を見たときと、美術も同じなんです。

また、若い時はいいと思ったけれども、年を取ってきたらちっともいいと思わない。逆に若い時、これはつまんないと思っても、だんだん年を取ってきたら良くなった、なんていうこともあります。ものを通して自分が見えてくる。そういうこともあるから、美術は面白いんです。古美術だって古くさいと思わず今に生きる人間として、人類の遺産と思って、まず見ること。自分の好きな作品を、素直に見ながら、少しずつ勉強していく。そうしたら、美術が楽しいし、また、はたから見ても「あの人はちょっと格好いいわね」ということになると思いますよ。

 

 

高井

浦上さんは今後どういう生き方をするのですか。

 

浦上様

私は美術商ですから、よい作品をそれにふさわしい美術館やコレクターに収めていくということです。やはり、できるだけいいものを扱いたい。あの世まで持って行けないだけに、そのものにとって一番ふさわしい所に収める。そうやって日本の美術を盛り上げるのに一役かって、「いい仕事をしたな」と思えたら嬉しいです。

 

以上

 

 

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2017年11月29日(水)、日本工業倶楽部会館において、連載「時流を探る~高井伸夫の一問一答」第25回達成を記念して、感謝の会を開催いたしました。16名の方々にご参加いただきました。

ご参加いただいた方々をご紹介申し上げます。

〔対談者〕

s   第3回 プロ登山家 竹内洋岳様

http://www.law-pro.jp/weblog/2016/10/post-220.html               

s   第6回 精神科医 大野裕先生     

http://www.law-pro.jp/weblog/2016/12/post-234.html               

s   第7回 元トッパン・フォームズ代表取締役社長 福田泰弘様                

http://www.law-pro.jp/weblog/2016/12/post-237.html

s   第8回 アタックス税理士法人公認会計士・税理士 酒井悟史様             

(現在 株式会社repca 代表取締役社長)             

http://www.law-pro.jp/weblog/2017/01/post-243.html

s   第9回 メルコスール観光局 池谷光代様                      

http://www.law-pro.jp/weblog/2017/02/post-248.html

s   第12回大鵬薬品工業株式会社特別相談役・ニチバン株式会社名誉会長 小林幸雄様

http://www.law-pro.jp/weblog/2017/04/post-267.html

s   第15回TMI総合法律事務所パートナー 弁護士・弁理士 升永英俊先生

http://www.law-pro.jp/weblog/2017/06/post-280.html

s   第17回ナミHRネットワーク 代表 人事コンサルタント 川浪年子様  

http://www.law-pro.jp/weblog/2017/07/post-286.html

s   第18回法政大学名誉教授 諏訪康雄先生                      

http://www.law-pro.jp/weblog/2017/08/post-290.html

s   第24回警察官友の会 前事務局長 秦正行様、事務局長 星範夫様      

http://www.law-pro.jp/weblog/2017/11/-gen.html

 

〔対談にご同席された方〕

s   第1回、第7回、第10回ご同席 株式会社ことば未来研究所 代表取締役社長 鮒谷周史様

(第1回)http://www.law-pro.jp/weblog/2016/09/hdcoo.html

(第7回)http://www.law-pro.jp/weblog/2016/12/post-237.html

(第10回)http://www.law-pro.jp/weblog/2017/03/post-255.html

s   第2回ご同席 株式会社新規開拓   管理部  古林央子様 

(第2回)http://www.law-pro.jp/weblog/2016/10/post-218.html

s   第4回、第9回ご同席 久佐賀義光様

(第4回)http://www.law-pro.jp/weblog/2016/11/post-223.html

(第9回)http://www.law-pro.jp/weblog/2017/02/post-248.html

s   第22回ご同席 A.S技術士事務所 所長 角耀様

(第22回)http://www.law-pro.jp/weblog/2017/10/post-302.html       

s   第23回ご同席 公益財団法人ヒューマニン財団 理事長 寺山智雄様

(第23回)http://www.law-pro.jp/weblog/2017/10/post-306.html

 

当日は、小生の挨拶の後、プロ登山家竹内洋岳様、精神科医大野裕先生、メルコスール観光局池谷光代様よりスピーチをしていただきました。

スピーチの一部をご紹介いたします。

 

竹内洋岳様

「私が登山を続けてきた理由は、おそらく“人に出会う”ためだったのではないかと思っております。自分にとっての1つの頂上に立った時に、またその先の頂上を見つけます。皆さんが違う山なんだが、それぞれの分野の頂上に立っておられて、実はその山同士が意外と見渡しが良くて、見えてしまって目が合った、というのが今日のような機会なのかなと思っております。」

 

大野裕先生

「『意欲をどうやって出すか。』というテーマで取材があり、“山に登る”というのを1つのテーマに、ちょっと話しました。山に登るのは非常に大変なことだけれど、それでも登るのは、その先に目標があるからではないでしょうか。山に登って良い気持ちになるというのも理由でしょう。それから“人との出会い”というのも大事なんだと思います。今日そういう話をここで聞けるというのが、すごく色んなご縁だと感じております。」

 

池谷光代様

「1番大切なご縁。ご縁というのは、その人の可能性を引き出す大きなものだと思います。そしてそのご縁を未来につなげるのは、自分自身であります。ですから、またこういう素晴らしい皆様とのご縁を頂きまして、本当にありがとうございます。」

 

また、警察感友の会 事務局長星範夫様が勇躍登壇され、友の会の会員募集に熱弁を振るわれました。

 

今回参加が叶わなかった第3回ご同席のUTグループ株式会社 代表取締役社長若山陽一様より、卓上花をお贈りいただきました。お花は講演台に飾らせていただきましたが、会場が大いに華やぎました。

 

参加された皆様、積極的に名刺交換をされて、熱心に交流しておられました。最高齢は、昭和6年生まれの大鵬薬品工業株式会社特別相談役・ニチバン株式会社名誉会長 小林幸雄様で、最年少は??

幅広い年代の皆様とご縁をいただき感謝申し上げます。

今回は第25回を記念しての開催でしたが、50回、75回、100回を目指して連載インタビューを続けたいと思っております。

 以上

 

集合写真

写真撮影:角耀様

 

 

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  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第25回目です。
  • 第25回目は、レストラン・L’asse(ラッセ) シェフ 村山太一様です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第25回)■ ■ ■ 

レストラン・L’asse(ラッセ)  シェフ 村山 太一 様

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[レストラン・L’asse(ラッセ) シェフ 村山太一様 プロフィール]

新潟県出身。http://lasse.jp

京都、料亭にて茶懐石の修業をした後、2000年イタリアに渡る。

2つ星レストラン2店を経験した後、3つ星レストラン「ダル・ぺスカトーレ」で修業。2008年に帰国し、店の開店準備を始め、2011年5月12日、オーナーシェフとして独立、L’asseをオープン。L’asseはオープン半年でミシュランガイド1つ星を獲得。

 

[今回の同席者は以下の通りです]

  • 株式会社松井オフィス 代表取締役 松井忠三様

株式会社良品計画 名誉顧問(現任)、株式会社松井オフィス 代表取締役 http://matsui-office.jp/

2001年に株式会社良品計画代表取締役社長就任。大掛かりな経営改革を断行し、創業以来11年続いた海外の赤字も2002年に黒字に転換させ、現在25の国と地域に300店舗を展開する礎を築く。2008年、株式会社良品計画 代表取締役会長(兼)執行役員。2015年から現職。


※村山様と松井様は、村山様が当時、イタリアを代表する三つ星レストラン「ダル・ペスカトーレ」にて副料理長として働いていた時に、松井様が食事に訪れ出会われました。村山様の帰国後にお二人は再会され、東京でのレストラン開店を目指して、準備をすることで意気投合され、2010年10月19日に、株式会社ラッセを村山様と松井様の折半出資で設立されました。

  • 高井伸夫

村山様松井様お写真

(写真は村山太一様(左)、松井忠三様(左)取材日に撮影)

(取材日 2017年8月22日(火)15:30~ レストラン・L’asse(ラッセ)

 


 

高井

村山様はイタリアで修行されていますが、イタリアに行くまでの経緯を教えてください。

 

村山様

僕は新潟の十日町の出身です。十日町は豪雪地帯で、冬になると雪が2~3メートル積もることがあります。高校を卒業して、長岡市の北陸学園に1年間通った後に、京都の料亭で修行をしました。「吉泉」という2008年にミシュランが上陸したときに3つ星を取っている料亭です。僕が修行していたのは20年前なので、まだミシュランも何もない時代でした。そこで修行した後に今度イタリアにひょんなことから行くことになりました。25歳の時です。8年弱、イタリアで過ごしました。

 

高井

村山様はイタリアに行って、”皿洗い”から始めたんですか。”見習い”から始めたんですか。

 

村山様

イタリアでは、洗い場は洗い場という職業があり、料理人は料理人という職業で分かれています。僕は、料理人として入ったので最初に働いた店からメイン料理を担当しました。

イタリアでは、料理人に階級というのがなくて、前菜のポジション、お肉のポジション、お魚のポジション、パスタのポジションというように、ポジションがあり、そこを全員でぐるぐる回るという形です。ある程度未経験の場合は、そのまま各ポジションのサブ的な役割、見習いの役割になるんです。一度各ポジションのシェフになると、もうずっとシェフのまま、いろんなポジションを移動して、それで最終的に全部学んだ後に一番の統括シェフになります。イタリアでは、見習いかシェフかのどちらかしかありません。

 

高井

イタリアでは、料理人は見習いかシェフしかない。村山様はどちらでしたか。

 

村山様

最初のお店からシェフとして「できるか?」と聞かれたので「できる」と答えました。本当に初日からシェフとして働かなければならない状況でした。客席には、最初はイタリア語が分からなかったので出ませんでしたが、6~7年目ぐらいになると自分で作った料理は自分で出してサービスするということもやっていました。

 

高井

村山様は三つ星レストラン「ダル・ぺスカトーレ」で修業されていますが、相当厳しかったようですね。

 

村山様

「ダル・ぺスカトーレ」は、イタリアで一番長い、23年間ものあいだ、3つ星を取っているレストランです。「ダル・ぺスカトーレ」のシェフであるナディア・サンティーニさんには、イタリア料理を徹底的に教えていただきました。とても厳しいところでしたが、もっとも多くのことを学びました。今でも、シェフとは月に1回は電話をしています。家族のような感じで、たわいない会話をしていますよ。

 

高井

L’asseを開店してから、一番苦労したことは何ですか。お客さん集めですか?

 

村山様

L’asseを開店したのは、2011年5月です。今ちょうど7年目に入りました。店を開ける前にお客さまに対して宣伝・告知を一切しなかったので、当たり前ですが、全く知られていなかったので、お客さまは来ませんでした。

 

松井様

海外で経歴を積んで、通常は日本のレストランでスーシェフ(注)か何かをやってお客さんを作って、独立するときには、その人たちが来てくれる。これが通常の独立の仕方です。村山君はそれなしで独立したんです。ですから通常とは違って苦労がありました。

注:スーシェフ フランス料理における副料理長のこと

 

村山様

今は、いい時もあれば悪い時もあり、山あり谷ありですが、お昼は90%以上、夜は70%くらい席が埋まっています。週末はありがたいことにずっと満席なんです。お客さん集めも大変なことですが、料理は味を向上させるというのがやっぱり一番苦労します。

 

高井

味を向上させるとは、どうやって向上させるんですか。

 

村山様

いい食材を探すことが第一です。食材探しは本当にいい生産者と出会うこと。その生産者自体がどこにいるのか分からなかったので、お客さまに聞いたり、知り合いのシェフに聞いたりして、生産者さんのところに会いに行って、生産者さんと話をしてお互い信頼関係を結ぶ。よりいいものを仕入れて送ってもらうためには、生産者さんと信頼関係を結んでいくことが大切だと考えています。

 

高井

生産者との出会いで一番感激したことは何ですか。

 

村山様

当店では、淡路島の漁師さんから直接、お魚をそのまま船の上から発送してもらってるんです。今年の2月頃に、淡路島へ行って漁師さんと一緒に船に乗って漁に出させてもらいました。漁師さんたちは、ものすごい揺れてる船の上で、落ちたら本当に命を失ってしまう、そういう状況で漁をしている。漁にかける思いに重みがあります。そういう人たちから新鮮なお魚を送っていただいている。それにすごく感動して、これはぜひお客さんに届けなきゃいけないと感じました。船の上で食べたらすごくおいしい、そのおいしさを、いかに変わらないように最短で送ってもらい、お客様に届けるか。僕らの仕事は、“食材”を“味”に変えるということ、そこで味わった感動をお客さまに味わっていただく、というのが僕らの仕事かなと思っています。

 

高井

ディナーコースは、1万5,000円と1万800円。ランチコースは2,600円、5,400円、3,600円。メニューの中身はどれぐらいで変えるのですか。

 

村山様

メニューは月に1回変えて、季節感を大切にしています。月に1回変えるんですけども、その日に本当にいい食材が、お魚の漁師さんだったり、お肉の生産者から入ったりしたら、その時はぱっと入れ替えます。

 

高井

L’asseのメインディッシュでベストワンは何ですか。

 

村山様

今、当店でベストワン、お客さまに一番支持いただいているのは、先日『東京カレンダー』という雑誌でも取り上げられた、4種のチーズを入れたラヴィオリです。一番お客さまから好評いただいています。ラヴィオリというのはパスタ料理なんですが、チーズの詰め物をした卵の麺です。先生も何回か召し上がっていますよ。

東京カレンダー掲載:https://tokyo-calendar.jp/article/9848?ref=restaurant

 

松井様

「L’asse」という名前はイタリアの麺を打つ板のことを意味します。それでL’asseでは全部手打ち麺なんです。発想はイタリアのマンマの味を日本に届けるということです。イタリアの最高の素材を最高の技術で届けている、ラヴィオリは、まさにナンバーワンに相応しい料理ですよ。

 

高井

麺はどこから仕入れているんですか。オーガニックですか。

 

村山様

麺は日本の国産の小麦や、鮮度のいい、いわゆる製粉したての小麦を使っています。千葉県にある、小さな小さな製粉会社から仕入れています。すべてオーガニックにこだわっていて、卵もやっぱり味の濃い卵で合わせて使ったりしています。

 

高井

ところでお店の壁紙がすべて和紙のようですが、特徴的ですね。

 

村山様

店内の壁紙は全部和紙でつくっています。故郷の新潟十日町の森のブナ林と白樺が素晴らしいので、それをコンセプトに特注したんです。パンレフットに載せた「木漏れ日の差し込む森の中」をイメージしたんですよ。

 

高井

村山様の理想のお店はありますか。

 

村山様

理想ですか。理想は、教わってきたイタリア料理もそうなんですけれども、やっぱり現地のイタリア料理、現地でしか食べられないもの、日本だったら日本の素晴らしい食材、新鮮な食材を、イタリアで教わってきた技術で「日本でしか食べられないイタリア料理」にしたいなと思っています。それでこそ本物のイタリア料理になると思っています。

そしてそれは、やはりいかに自分でおいしい料理を作ってお客さんを呼ぶかにかかってるなと思っています。いかにおいしい鮮度のある食材を出せるか。

お客さんが来店された時にいかにおいしいものを提供できるか。自分が全力を出して、昨日よりも今日の方がおいしい。今日よりも明日のほうがおいしいっていうものを常に考えていく。

 

高井

社訓や理念はありますか。

 

村山様

社訓。そういうのをまだ考えている最中といえば考えている最中なんですけれど、「食を通して人を幸せにする」ということでしょうか。あとは、食に関わることによって、みんなが、関わってる人全員が幸せになっていく、これがすごく大事じゃないかなと思っています。

 

高井

最後に、今後の抱負を教えてください。

 

村山様

これは、やはり料理の味です。より一層おいしいものを作っていって、おいしい料理で勝負したい。これに尽きます。

 

高井

おいしい料理の追求ですね。これからも頑張ってください。

 

以上

 

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  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第24回目です。
  • 第24回目は、警察官友の会 前事務局長 秦正行様、現事務局長 星範夫様のお二人です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第24回)■ ■ ■ 
警察官友の会 
前事務局長 秦正行様
現事務局長 星範夫様
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[秦正行様プロフィールご紹介]

昭和15年1月生まれ。千葉県出身。

昭和34年11月警視庁警察官拝命。高輪警察署、深川警察署、第二機動隊等々勤務、警察学校初任科教授、丸の内警察署副署長、戸塚警察署長を歴任。平成11年3月警視庁を退職。平成19年4月、全国警察官友の会事務局次長、警察官友の会事務局長(東京担当)、平成23年4月東京都警察官友の会事務局長就任。平成29年6月同会を退職。

平成20年4月より、佐倉市少年野球連盟西志津クラブコーチとして活動。趣味は野球観戦と映画鑑賞。

 

[星範夫様プロフィールご紹介]

昭和26年7月生まれ。宮城県出身。

昭和45年3月、警視庁警察官拝命。牛込警察署、新宿警察署、麻布警察署、人事第一課等々勤務、王子警察署副署長、蔵前警察署長、荏原警察署長を歴任。平成23年9月警視庁を退職。平成29年5月東京都警察官友の会事務局長に就任。

特技 全日本剣道連盟7段、称号教士。趣味は園芸とゴルフ。

秦様星様高井

(写真は左から秦正行様、中央 星範夫様、右高井〔撮影:取材日2017年8月21日)

[今回のインタビュアーは以下の通りです]

  • 高井伸夫 
  • 中村六彌(弊所参与) 

取材日:2017年8月21日(月)於:日本工業倶楽部会館2階ラウンジ

 


 

高井

警察官友の会は、どういった経緯で発足したのですか。

 

秦様

昭和35年、第一次日米安全保障条約改定反対闘争がきっかけです。その前年に私は警視庁警察官になりましたが、いわゆる安保闘争、学生紛争が激しかったためたくさん採用されたうちの一人です。反安保闘争が激しくて、世の中が騒然として、警察官に負傷者が続出していました。このままでは日本の国が滅ぶ、何とかして治安を守る警察官を激励、慰問しなければならないとして、当時のNHK会長阿部真之助氏や、テレビドラマ「花子とアン」のヒロインである村岡花子先生が中心となって、世の有識者、文化人、市民らが昭和35年(1960年)7月30日に警察官友の会を作りました。

設立趣意書

 

(写真は、警察官友の会機関誌「国民と警察」(第1号1961年7月25日発行)より、設立趣意書と役員名簿〔当時〕を抜粋)

 

高井

警察官友の会に入会すると、具体的にどういった活動をするのですか。

 

秦様

主な活動内容は、(1)警察職員のところへ行き慰問激励をしたり(2)殉職警察職員の慰霊、遺族の方々へ肖像画を贈呈したり、慰霊祭へ出席する(3)警察官の表彰・記念品の贈呈これは、警視庁優良警察職員、地域活動等優秀警察職員の表彰と記念品を贈呈することで、士気の高揚に努めています。(4)警察学校の卒業式に友の会の役員が出席して、卒業生全員に記念品を贈り激励する。(5)警察武道の奨励、これは、警察では、柔道・剣道・逮捕術・合気道など各種大会がありますが、優勝者や優勝チームに記念品を、年間で柔道・剣道に精励した署員に武道奨励賞を贈呈しています。その他に(6)懇親会・研修会等の開催、新年会や支部懇親会、警察施設の見学や社会見学研修があります。また、警察官友の会主催の懇親会、懇談会に参加して、警察幹部の方と話したり、治安情勢などを直接お聞きすることができます。

 

 

高井

機関誌は、今も発行されているのですか。

 

秦様

1号が昭和36年7月に発刊されまして、1年に12回発行されていて、発行されない月は一度もありませんでした。創刊から57年経ちましたが、平成29年9月号で第675号になります。

 

高井

警察官友の会の会員は、現在どのくらいおられるのですか。

 

秦様

全国で約6万6000人くらいです。東京だけでは、約2700人です。

 

高井

2700人とは、少ないですね。

 

星様

なぜ少ないかと申しますと、入る方も退会される方も高齢者が多いのです。分かりやすく言えば、1年間で100人が入会しても、95人の方が退会されている。結論はプラス5名。退会の理由は、健康上の理由や連れ合いの介護などや、死亡退会などです。やはり、若い世代の方に入会していただかなければと思っております。それで、3年後の東京オリンピック・パラリンピックまでには3000名、つまり300名を増員していこうと目標を立てています。

 

高井

警察官友の会の会員の女性比率は増えていますか。減っていますか。

 

秦様

おかげ様で少しずつ増えております。東京都警察官友の会に女性部会がありまして、そこのリーダーの方は熱心に活動してくださっています。月丘夢路さんや、山本富士子さんも過去に会員でした。

 

星様

警察官友の会には、会長、副会長、常任理事がいて、常任理事は20名くらいいますが、西新井大師近くの清水屋のおかみさんである清水洋子さんも常任理事の一人です。女性会員を増やしていこうということで、今から3年前に役員10名の女性部会を作りました。任期3年でこの6月に任期満了になったので、新たに会議を設けたときに、「今の10人だけではとてもとても女性の活性化は図れません。もっと女性の幹部を増やして活性化していきましょう」という意見が出たので、松澤会長の了解を得て、6人女性部役員を増やしました。お陰で、3年前よりも女性部会の活性化が図られ、女性の会員も増加しています。

 

高井

入会は会員の推薦が必要とのことですが、自分から進んで入会したいという人が来られることはありますか。

 

秦様

入会するには、個人会員、法人会員ともに会員の推薦が必要ですが、お知り合いがいないという場合は、当会事務局に直接お問い合わせいただくことがあります。

 

警察官友の会 事務局 電話番号03-5226-8655

 

平成22年に50周年の記念行事が新聞で報道されました。その時には、問い合わせが数件ありました。友の会の会員の皆様は、企業の社長さまも多く、お金には換えられない信用というものが第一でございます。それと、世界一のおまわりさんを応援しているという誇りをもっていらっしゃる方々です。そこまで理解しておられる方にご入会いただいております。

 

会員の皆様には、友の会の活動を理解していただいて、役員としていろいろ活動していただける方と、活動はできないけれども、趣旨を理解して応援していただいてる方の両方が相まって友の会は成り立っております。

 

高井

秦様は前事務局長として一番友の会活動で印象に残ったことは何ですか。事務局長を何年勤められたんですか。

 

秦様

事務局長を10年勤めさせていただきました。暑い時期や寒い時期にも会員の皆さんと交番や駐在所で活躍されている警察官の方々を激励訪問しておりました。警察官の方々は、夜もほとんど寝ないで、重い装備を身にまといながら、昼夜を問わず親身に応接や事件事故の取り扱いを行っています。

 

現職時代は気が付かなかったのですが、会員の皆さんが、交番の前を通るときに、警察官が立番してれば、「ご苦労さまです」と声をかける。あるいは、取扱い中で立番をしている時は、心の中で「ご苦労さまです」と唱えながら感謝の気持ちを表しています。このような嬉しいお話を会員の方から聞きました。また2011年に起きました東日本大震災で当時、30人の警察官が殉職されました。そのうちの28人がほとんど逃げられるにもかかわらず、逃げないで仕事をしておられました。そういう公に尽くす尊い気持ちというのを持ち続けるには、国民の理解と応援が必要ではないかと思います。

 

そのようなことで、元警察官であった私が育てていただいた警察の組織を応援する警察官友の会で勤務できたこと、警察官の皆さんが大変なご努力をされていることを改めて肌で理解して感謝の念を持って心から応援したということが一番の印象に残ったことです。

 

高井

僕は若いころ、交番にお酒を持っていきました。今は禁止されていますから、警察官を激励するといってもどうしたらいいんでしょうか。ざっくばらんに言って。ご苦労さんですなんて言ったっていいけれども、何かいい考えはありませんか。

 

星様

実は、同じような質問が先日の支部総会でありました。それで、警察官友の会の存在をもっとアピールしないと強く感じました。

警察官を激励するには、現在は各支部から署長さんに事前連絡して了解をいただいたうえで、警察署を訪れて激励品を渡したり、交番や駐在所を訪れて激励品を渡したりしております。一般の方が激励するには、必ず警察署に電話して面会したうえで行動に移してもらいたいと思います。

 

高井

昔は交番に一升瓶を持って行ったものです。そういった交流は今はなくなってしまったように感じます。

 

秦様

私も昭和の話ですが、当時、寒い時には炭を使用していた時代でしたから、炭が足らなくなると、地元の方が持ってきてくれたなんてこともありました。これからの時代は、多忙な警察の実情をくんでいただき、公務に支障を及ぼさないように配慮して激励を行うなど、会員の方も含めて住民の皆さんと警察官の方々が交流していければと思っています。

 

高井

友の会の在り方も時代とともに変わっていくと思いますが、考えられる今後の会の在り方について教えてください。

 

星様

集団的行動による暴力闘争、あさま山荘事件など爆弾・銃器を使った闘争から、国際的なテロ・ゲリラ闘争、弱者に対するDV、特殊詐欺、ITやサイバー攻撃の横行など、世の中が複雑になってまいりました。警察官は多忙を極め、常に精神的緊張感を強いられています。

 

警察官友の会は設立趣旨の通り、目に見える形で激励慰問する活動を中心にしていくことに変わりはありませんが、今後は、警察官に対する心身のリフレッシュへの支援や、警察官が努力されておられることの広報活動など、精神面への応援も重要な柱になってくるものと思っています。

 

警察官友の会の在り方も更に検討を重ねてまいりたいと思っています。

 

 

 

以上

警察官友の会入会希望の方は、以下へお問い合わせください。
警察官友の会事務局 電話番号03-5226-8655

 

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  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第23回目です。
  • 第23回目は、世田谷区長保坂展人様です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第23回)■ ■ ■ 

世田谷区長 保坂展人様

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[世田谷区長 保坂展人様 プロフィール]保坂展人様

1955年11月26日、宮城県仙台市生まれ。中学校卒業時の「内申書」をめぐり、16年にわたる内申書裁判の原告となり、そこから教育問題を中心に取材するジャーナリストになる。96年11月、衆議院議員初当選。09年までの3期11年で546回の国会質問に立ち、「国会の質問王」との異名をとる。2011年4月の世田谷区長選挙で初当選。区内で車座集会ほか、区民参加の意見交換の場を次々と持ち、今後20年の「世田谷区基本構想」をまとめる。

著書:「相模原事件とヘイトクライム」(2016年、岩波ブックレット)、「脱原発区長はなぜ得票率67%で再選されたのか?」(2016年、ロッキング・オン)、「88万人のコミュニティデザイン」(2014年、ほんの木)、「闘う区長」(2012年、集英社新書)ほか、著書多数。

 

[今回のインタビュアー・同席者は以下の通りです]

  • 高井伸夫 
  • 公益財団法人ヒューマニン財団 理事長 寺山智雄 様 

取材日:2017年7月31日 於:世田谷区役所

 


高井

一番力を入れてる区政は何ですか。

 

保坂様

時間も精力も大きく使ったのは保育園の整備等の子育て支援政策です。世田谷区では、10年前には年間6,000人子どもが生まれていましたが、今は8,000人生まれています。少子高齢化といいますが、世田谷区は子どもが増え続けています。

平成23年度以降、増加し続けていた待機児童数ですが、6年ぶりに前年度の数値を下回り、3歳以上の待機児童は解消することができました。今後も、0歳から2歳までの待機児童解消に向け、努力をさらに続けていきたいと思います。

また、子どもの数だけでなく、すべての年代で万遍なく人口が増加しています。区の人口は年に1万人ずつ増えていて、現在、約90万人の方が暮らしています。あと十数年で100万くらいになるのではないでしょうか。

 

高井

世田谷区では人口が増えているのですね。世田谷区の予算は豊富なんですか。

 

保坂様

平成29年度予算で、一般会計が約2,987億円、特別会計を含めると約4,785億円です。世田谷区は一番豊かだということではありません。むしろ人口が約90万人と多いので、ふるさと納税の影響が都内で一番大きいです。

 

高井

世田谷区はふるさと納税の影響が大きいとはどういうことですか。

 

保坂様

影響が大きいというのは、区財政から出ていく金額が多いということです。ふるさと納税制度による影響で、平成29年度の世田谷区住民税減収額は、約31億円にも上りました。これがどんどん増えていくと手の施しようがありません。

 

高井

ふるさと納税の影響で、減収額がもっと増えることもあり得るのでしょうか。

 

保坂様

仮に、世田谷区のすべての納税者が限度額までふるさと納税をしてしまうと、最大200億円減収する可能性があります。そのため、区では、ふるさと納税制度の現状やそれに伴う影響、区の取組みをわかりすくまとめたリーフレットを作成しました。また、直接区民の方にふるさと納税の影響を伝えるため、私も街頭に立ち寄付を呼びかけました。100億円の減収になると、もう、予算が組めない状態になります。もちろん50億円でもかなり影響がありますが、そうなりますと、新築工事は全部無制限でストップするだとか、区のサービスを一時的に止めることになりかねません。投資など政策的に使えるお金を削るしかありません。

 

高井

最近、総務省を中心にふるさと納税の見直しをしていますよね。

 

保坂様

地方の活性化といっても、都会の保育園、あるいは、学校建設が止まるようなところまでいくとは総務省も考えていなかったんじゃないでしょうか。

ただ、地方の高齢化と、少子化、人口減少というのは非常に深刻ですよね。現在は、地方都市にいる若者が、首都圏にかなり多く流出していますが、その地方都市が衰退すると、地方から首都圏に来る人もいなくなると言われています。ですから、地方の衰退は都市部にとっても非常に大きな問題で、ふるさと納税ではない形で、いろいろ関わりを持つことが重要だと考えています。

 

高井

地方とふるさと納税ではない形で関わりをもつとは、例えば、どういうことですか。

 

保坂様

世田谷区は北海道から沖縄まで約40の交流自治体があります。普通の自治体の付き合いにしては多い方だと思います。今週末(注2017年8月5日~6日)に、“第40回せたがやふるさと区民まつり”を開催しますが、36の地方自治体が特産物を持って世田谷区に集まるんです。もう40回も続くお祭りで、非常に多くの区民も楽しみにしています。毎年、交流自治体の市町村長が集まって、“せたがやふるさと区民まつり首長懇談会”を開催したり、特産品の販売だけでなく、さまざまな交流があります。

例えば、川場村は、世田谷区と、姉妹都市事業の縁組み協定を昭和56年に結んでいます。川場村には、関東好きな道の駅第1位に選ばれた“道の駅川場田園プラザ”がありますが、これは世田谷区の名誉区民である鈴木忠義氏をはじめ世田谷区が積極的にかかわり、姉妹都市事業に端を発し、発展した例です。新潟県十日町は、お正月に毎年何十トンもの雪を持ってきてくれて、子どもたちがそれで遊んだりします。自然エネルギーを地方で作ってもらって世田谷区で買い取って使うということも実現しだしたりしてるんです。それだけの地方とつながっていることは世田谷区の資産です。

 

寺山様

エネルギーについてのお話がありましたが、区長という地方自治体の首長になって、エネルギー政策を考え実行されるうえで一番悩ましいことは何ですか。

 

保坂様

悩ましいことですか・・・。私がよく知る首長さんの中に宝塚市長がいるんです、宝塚市は実は広大な山があるんです。そういった自然環境だったら、その自区内でエネルギーの調達方法もいろいろ考えられるわけです。世田谷区はほぼ住宅地なので、自然エネルギーの地産地消は世田谷区ではなかなか難しいなと。そこで交流自治体との連携を考えました。

 

高井

自然エネルギーについて、交流自治体との連携とはどういったことですか。

 

保坂様

例えば、桜の名所で有名な、長野県伊那市高遠で、この4月から水力発電所が稼働し始めました。ここで発電した電力を買って世田谷区の41の区立保育園で使っています。いままで区立保育園では、年間約6,000万円の電力料金を支払っていましたが、水力発電に切り替えることで500万円ほど安くなる見込みです。これまで中部電力に全て売電してきた長野県も、新電力の買取り価格が、従来よりも高くなり、年間約2億円の収益が得られるそうです。地方の自治体が、都市部の自治体へ電力を送るという仕組みは日本で初めての仕組みです。この仕組みを作るのに、環境省や経済産業省、それぞれの自治体、長野県と、世田谷区と共同で準備しました。東西のヘルツの違いなど、困難な面もありましたが、一つ一つ突破しました。これを受けて、8月1日に、エネルギー連携だけの会議が開催されます。

その他にも、交流自治体の一つである八幡平市は日本で有数の、地熱発電のポテンシャルが高いのですが、送電網の整備が整わないという課題がありました。この課題を突破するのに約5年かかりましたが、ようやく実現しました。こういった自治体と自治体の連携は全国にどんどん広がるはずです。世田谷区だけがあちこちの自治体と連携してやるだけでなく、別の地方自治体と地方自治体が協力してやることも可能です。このように、ネットワーク型で見ていくと意外とやれることがあると思っています。

 

高井

地方自治体との連携のほかには、どういった取り組みをされていますか。

 

保坂様

世田谷区内には、16の大学(隣接含む)があります。昼間の学生総数が約9万人で、研究室もたくさんあります。そういうところと、区の政策等をつなげてコラボレーションするということをやっています。例えば、商店街の活性化や、東京都市大学と連携して世田谷区にある等々力渓谷を清流化するプロジェクトなどが始まっています。エネルギー分野でも、大学や企業が入ってきたりすると、より加速して可能性が拡がるのではないかと、そういった形で、原子力や、化石燃料に依存した発電に依存しない電力をいかに作り、確保していく仕組みをつくるかということに、かなり時間も割いてます。

この分野は、狙いどおりに5年前に立てた戦略どおりに動いているんですよ。

 

高井

区長の将来の夢は何ですか。

 

保坂様

一つは、住民自治。住民自治というものが日本では言われながら、なかなか実現してこなかった。今回、高知県の大川村で村議員のなり手がいないので、村議会を廃止して村総会を検討するというニュースがありましたが、全員自治は、民主主義の一番原始的な姿ですよね。それを、90万都市の世田谷区でやりたい。世田谷区では、くじ引きで当選者を決めてその当選者に集まってもらうという形で無作為抽出型住民ワークショップを開催し、いろいろなことを議論してもらっています。

 

高井

無作為抽出型住民ワークショップですか。今まで何回ぐらいやっているんですか。

 

保坂様

今までで、あれこれ合わせると、もう20回以上やってるんです。

 

高井

そんなにやってるんですか。知りませんでした。あまり報道されませんよね。

 

保坂様

そうですね、あまり報道されていませんが、一番特色があることだと思っています。くじで選ばれた住民の方の話してることや、意見は、非常に素晴らしくて、かえって、われわれ役所の人間や、政治で言われてることよりも遅れてるんではなくて、進んでるというふうに感じます。行政も、政治も間接ですが、その現場にいる住民の方々の話から気付くことや、提案されることは非常に貴重です。そういうことをまちづくりとか、自治体経営の中にどこまでビルトインできるのかっていうのが当面の目標です。無作為抽出型で議論する以外に、毎日、区長へのメールを頂いています。これは毎日10人くらいからメールが届きます。そういった声を自治に活かしていきたいと思っています。

 

寺山様

最後に1つだけ教えてください。働き方について、区の職員が5,100人ほどいますが、それだけの職員を抱えているトップとしての働き方について何かお考えがあれば教えてください。

 

保坂様

世田谷区では、イクボス宣言っていうのをやりました。フランスが少子化から反転した理由をいろいろ調べていて、フランスは、男性の産休2週間取得を義務付けている、というのを知りました。今、フランスでは男性の産休の取得率は8割ぐらいらしいんですけど、お父さんが育児の当事者になるっていうのは大きい理由ではないかと。2子目、3子目に大きく関わっていくという。そこから派生して、世田谷区役所では、生まれたら、いろんな休暇を使って、ちゃんと子どもに向き合いましょうという問題提起をしたんです。ただ、区長だけ言ってても、なかなか徹底できないので私だけでなく、部課長が、みんなでイクボス宣言文にサインをして職場の目立つところに掲げることにしました。

 

高井

イクボス宣言ですね。

 

保坂様

その他に、保育のこと考えたときに、特に女性の社会参加を考えたときに、今、区で推進しているのは、いわゆるテレワークです。すぐ近くで子どもをみてもらいながら仕事ができる子どもの見守り機能付きのワーキングスペースの設立を含め、「働くこと」と「子どもとともに過ごす時間」を両立させる施策を検討しています。

 

高井

本日は貴重なお話をありがとうございました。

 

以上

 

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  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第22回目です。
  • 第22回目は、シンガーソングライター・自営業 ボビン・マン・バジュラチャルヤ様です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第22回)■ ■ ■ 

シンガーソングライター・自営業
ボビン・マン・バジュラチャルヤ 様 

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[ボビン・マン・バジュラチャルヤ様 プロフィール]

生年月日:1976年4月17日、出身地:パタン、カトマンズ盆地、ネパール

ヒマラヤのふもと、カトマンズ盆地の南に位置する古都パタンの大乗仏教お坊さんと金属職人を営む家系のもと生まれる。

1996年10月、アルバム『Heroes Of Dream』を発表。2000年2月日本での初アルバム、『SAMSARA bobin』をMONSOONRECORDよりリリース。2001年春、日本で2枚目となるアルバム『bobin and the mantra』をリリース。2002年7月に台湾の音楽フェスティバル『HO_HAI_YAN』に出演。ネパールに帰国。2003年春、台湾でアルバム『Soul Rhythm』リリース。当アルバムが台湾の金曲賞にノミネートされる。2003秋、2004年夏に台湾ツアーを行う。2004年冬、音楽活動の拠点を日本におくために来日。2005年春、アルバム、『Songs Of Love』をリリースし、Earth Day Main Stage、Fuji Rock Festival、Risining Sun Rock Festivalなど日本の大型音楽フェスティバルに出演する。2007年6月、日本で代表曲"Slow Burning"を収録したアルバム『Rainbow Vibaration bobin』を発表。

2007年ネパールで伯父が営む工場で音楽関係のTシャツ生産を開始。同年、日本で(株)スローバーニンを設立。その後、2010年2月まで日本を拠点に音楽活動と会社運営に励む。結婚を経て、子育てはネパールでしたいとの思いから2010年3月ネパールに帰国。地元パタンで現地生産のみのセレクトショップ、アパート、フリースペースを含んだ独自の店、『Melting Pot』を開店。

2015年のネパール地震後、カトマンズの中心街タメルにTシャツ屋を移転。ネパールに住みながら、定期的に日本での音楽ツアーを行う。ネパールでも音楽活動中。2017年9月カトマンズ・タメルに新たにTシャツ屋を2店舗オープンさせ、現在に至る。

ボビンさん写真

(写真は左からボビン様、高井、角様)

ボビン君との出会いは、2002年8月に知人と訪れた赤坂の沖縄現代料理店「紅い花」で、皿洗いのアルバイトをしている当時25歳の彼に声をかけたことがきっかけです。私は、同年11月20日から24日にかけて25名からなる「桃源郷を訪ねる訪問団」の団長としてネパールを訪問する予定があり、ボビン君がネパール・カトマンズ出身と聞き、秋にネパールを訪問予定である旨お話しました。すると彼は「10月にはネパールに帰国するので、11月20日にはカトマンズの空港でお待ちしています」という言葉を返してくれ、実際にカトマンズ空港で我々一団を出迎えてくれたのです。その後も親交を続け、シンガーソングライターとして活躍する彼をささやかながら応援させていただいております。

ボビン君についての過去のブログご参照ください。【交友録 その9】9月第1週<8月28日(日)~9月3日(土)>

 

[今回のインタビュアーは以下の通りです]

  • 高井伸夫 
  • 角 耀 様 
  • 高島さつき(秘書)

取材日:2017年8月8日(火)於:中国飯店市ヶ谷店

 


 

高井

ネパールの地方選挙は終わったんですか。

 

ボビン様

地方選挙が3回に分かれてしまったんですが、僕のところは、もう終わって、20年ぶりに市長も決まりました。ただ、まだ1州(One State)が終わっていないので、そこが終わらないと完全に終わったとは言えません。

 

高井

地方選挙はまだ終わってないとして、国の選挙はいつやるんですか。

 

ボビン様

国の選挙は、もうちょっと先だと思います。今、やっと憲法ができました。それでもインドの圧力がいろいろとかかっています。実際、この20年の間に、1,000万人ぐらいのインド人がネパールの国籍を取得していると言われています。ネパールの人口が今、3,000万人ですね。その3分の1はインド人です。

 

高井

ネパールはインドの影響が大きいようですが、お隣のブータンはどうなんですか。

 

ボビン様

ブータンは、割と安定しています。ブータンの国王は、Gross Domestic Happiness(国民総幸福量)を提唱して「ブータン」のブランド化に成功しました。ブータンはインドに政治的影響を受けつつも、自身のアイディンティティーを確立させていて、政策がスマートだと感じます。

インドは、領土問題などで中国と揉めていて、中国とインドの間にあるブータンとネパールをコントロール化においておきたいんです。インドのモディは、過激ヒンズー教でネパールがヒンズー王国になるんだったら、王制を復活させてもいいという気持ちがあると思います。モディだけでなく、インドにはRAWというシンクタンクがありますが、RAWも、ネパールと合併してもしなくてもいいから、自分のコントロールできるリーダーをネパールに作りたいと思っています。

 

高井

ネパールにインドの言いなりになるリーダーがいるんですか。

 

ボビン様

いっぱいいます、それがネパールの問題なんです。国民はすごく頑張っているんですが、政府がインドの顔色を窺っている。ネパールは90年代に王制が弱くなってから、だんだん、だんだん政策もでたらめになっていったように感じます。

 

 

高井

2015年に地震がありましたが、観光への影響はどうですか。

 

ボビン様

地震の前に少し、観光客の数が増えていたんですが、地震の後、当然激減しました。4月に地震があって、8月まで全然駄目で9月からは徐々に良くなったんですよ。地震の後のネパールを見たいということで観光客が増えたんですが、9月末からインドに国境を封鎖されてしまってしばらく全くダメでした。それからやっとよくなりはじめて、今年はこれからシーズンに入るので、どれくらい来るのかまだ分かりませんが、ホテルは空室がなくなっていると聞きます。

 

角様

地震でお寺とか随分つぶれちゃったと言いますが復興は進んでいるんですか。

 

ボビン様

お寺を修復する伝統的な職人も、まだまだたくさんいますのでお寺は復活できると思います。地震があってもネパールでは暴動が一切起きなかったんですよ。そういう点でも焦ってる人は誰もいないですね。復興は、ゆっくりですけど進んでます。

 

高井

ネパールではバーや何か盛んですか? クラブやキャバレー等はどうですか。

 

ボビン様

昔みたいな、踊るところは、だんだん減っています。もっと若者が集まるライブハウスのようなところは、たくさんあります。ジャズのフェスティバルとか、ブルーズのフェスなど。

僕も1つ「Shanti Utsav(シャンティ ウトサブ)」というイベントを主催しています。シャンティは平和で、ウトサブは祝うという意味です。心の平和を祝うというテーマです。イベントでは友人である日本人のキャンドル・ジュン氏と一緒にキャンドルアートをやったりしています。

カトマンズにはストリートチルドレンがいるのですが、彼らに職業訓練として竹細工を教えたり、キャンドル・ジュン氏が、キャンドルを教えたりして、販売するにまで至っています。そのキャンドルを7世紀のお寺に灯して、中庭で僕らが音楽をやったりしています。次のイベントは11月中旬を予定していますが、過去には北海道のアイヌのミュージシャンOKI(オキ)氏を呼んでライブを開催したりしました。OKI氏はアイヌの楽器「トンコリ」の奏者で、古くからの友人だった縁でお招きしたんです。

 

高井

音楽活動に、ストリートチルドレンへの職業訓練。ボビン君の本業、ビジネスは何をやってるんですか。

 

ボビン様

僕は日本にいるときから、音楽活動とTシャツの販売の両方をやっています。音楽活動の方は、実は今年も日本でフジロックに出る予定だったんですよ。ネパールのタメルという町に2つのTシャツのお店を3月にオープンする予定だったんですが、ビルが完成してなくて、延びて、延びて、延びて、9月になってしまった。それで、7月末のフジロックに行けなくなって、キャンセルしたんですよ。

日本でのTシャツの販売のビジネスは、東日本大震災が起こる前までは、どんどん伸びていてすごく良かったんです。今は駄目ですね。地震後は、ネパール自体への注文がどんどん減ってるんです。日本人の最近の傾向として、あんまり洋服にお金かけなくなっちゃったっていうのが一番の理由だと思います。ただ、高級で高額な洋服は売れているらしいんです。昨日お会いした方は、5万円~10万円くらいの高級なシャツを作っているて、イタリアで5万~10万ぐらいのシャツを作っているんです。それをネパールで作れないかなという相談をしました。100%麻で、ビジネスマンが夏に着られる服。日本で作ると10万円を超えてしまうので、イタリアのシャツに勝てないんですね。そういうマーケットは健在していますが、僕らが売るのは、シャツ1枚8,000円とか、1万円。その価格帯は、需要がものすごい低下しました。高級品を作るか、もう、3,000円、4,000円のを作るか・・・。実は、ある方とネパールで繊維が作れないか、相談しているところなんです。

 

高井

ネパールで作る繊維とは、何の繊維ですか。

 

ボビン様

麻とイラクサです。イラクサというのは、雑草なんですが、ネパールでは、昔から紐を作ったり、洋服にしたり、食べたりしてるんです。すごく栄養があって、ちょっとねちょねちょしていて、煮てから食べるんですよ。そのイラクサから繊維が作れないかと。今は繊維を中国から輸入して、それで生地を織ったりしているんですが、コストが合わないんです。

 

角様

繊維を作るっていうのは、技術を導入するっていうことですか?

 

ボビン様

そうですね、おそらく工場を造るなどで10億円規模のプロジェクトになるので、結局、政府の協力がないと、個人ではちょっと大変です。権利関係とか、手続き等、今調べているところです。伯父が25年くらい前から縫製工場を経営していますが、今、繊維をネパールで生産できれば色々と一番スムーズにいく段階なんですね。ただ、今のネパールで作る繊維は古いスタイルのままなので粗いんです。

 

角様

麻やイラグサはネパールでたくさん生産されているんですか。

 

ボビン様

ネパールは、麻、イラクサの産地です。うちは縫製工場なので、やっぱり、麻の布で何かしたいというのが一番のメインです。ネパールでは、麻の栽培は禁止されていますが、実情は政府がコントロールできないぐらいあちこち至るところで栽培されています。5年ほど前の報道ですが、南ネパールの麻、種類がヒマラヤとは少し違って薬にも使える麻が、ネパールから60億円分もインドに密輸されてるそうです。医薬会社が、原料として使うために密輸してるらしいんです。毎年60億円分も密輸されてるんだったら、ちゃんと合法化して税金を取ったほうが、もっといいんじゃないのかという意見の記事でしたが、その状況はいまだに続いてるんです。

 

高井

音楽活動と、Tシャツのビジネスの他は何かやっていますか。

 

ボビン様

実は、ネパールの山間部に6,000坪ぐらいの土地を買ったんです。まだ車道がなくて、車道から5分くらい歩いて登らないといけないんですが、水源もあります。そこでトウモロコシの種をまいた1週間後に地震がきて、農場に2軒あった家が潰れちゃったんです。ぺしゃんこに。しばらく落ち込みました。それでその後フルーツの木を100本くらい植えたんです。今度帰国したら、車道を造ろうと思っています。車が入れるようになったら、自分たちの食べ物だけでも作ろうかなと思っています。他にもショウガとか、そういう乾燥できるもの作って、輸出できたら輸出もしようかなと思っています。来年ぐらいには農業の会社を1つ設立しようかなと思ってるんです。

 

高井

ネパールの将来は明るいと思いますか。

 

ボビン様

将来は明るいと思っています。ネパール人はネパールが好きなので、政治が安定していけばと願っています。ネパールはいろんな文化が混ざって、いろんな人種が混ざっています。地震のちょっと前は中国人観光客が多かった。今は南米系、メキシコ人とか、ベネズエラ人や、ベトナム人も増えてるんです。常に誰かしらネパールを訪問・観光しています。

ネパールは、シンプルな政策を取ればいいなと思っています。フリーポートみたいに、シンガポールみたいにすればいいんですけれど、それはインドにとっては都合が悪いので、政治家は斟酌しています。国民自体は、一回ネパールに来てみたらわかると思いますが、すごくリラックスしてます。パタンにも、おしゃれなカフェや宿ができて、町の雰囲気はすごくいいですよ。ネパールの発展には、日本とかヨーロッパとは異なる文化的な発展が、もっと重要になってくるかもしれないですね。まあ、未来は明るいと思いますよ。

 

高井

最後に、ネパールに日本人が行って、一番興味がある所どこでしょうか。

 

ボビン様

やっぱり、山、自然ですね。去年、標高5,000メートルのところにあるティリチョ・レイクという湖を見に行ったんです。自然は、もう涙が出るほどきれいです。ぜひ見に来ていただきたいです。

以上

 

 

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  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第21回目です。
  • 第21回目は 墨田区長 山本亨様です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第21回)■ ■ ■ 

墨田区長 山本亨様

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墨田区長 山本亨様 プロフィール]山本亨様

昭和36年9月25日生まれ、墨田区向島出身。

昭和59年3月 青山学院大学経済学部経済学科卒業

昭和63年4月1日 都議会議員秘書着任(平成17年7月退任)

平成19年5月1日 墨田区議会議員就任(2期)

平成27年4月27日 墨田区長就任。

座右の銘は「背私向公」、趣味特技は剣道(教士七段)

 

 

[今回のインタビュアーは以下の通りです]

  • 高井伸夫
  • 高島さつき(秘書)

取材日:2017年7月19日(水)於:墨田区役所

 


高井

墨田区の人口は伸びていますか。

 

山本様

おかげさまで伸びていまして、人口がいま26万7千人です。ひところは、例えば区のイベントでは“22万人のメッセージ”というキャッチコピーを使っていましたが、22万人を割っていた時期がありました。20年くらい前です。そこから徐々に増えていって、現在26万7千人です。昨年策定した墨田区の基本計画では、10年後には人口が27万5千人と想定していますが、もう少し前倒しで達成できるのではと考えています。

 

高井

人口が増えた要因は何ですか。ベッドタウンが増えたのですか。

 

山本様

下町の“ものづくり”の工場だったところがなくなって、跡地にマンションが建っています。東京スカイツリーが5年ほど前に開業して、その近隣エリアが大手町まで13分とか、実は非常にアクセスがいいところであると再認識されました。スカイツリーができるちょっと前から、いい状況になっています。

 

高井

工業地区だったところが住宅地やマンションになっているのですね。商業地区はどうなんですか。

 

山本様

墨田区には商店街が40くらいあります。これは墨田区に限らないと思いますが、後継者がなかなかいません。墨田区は、13.77平方キロメートルと、23区のなかでも下から6番目に小さい区なのですが、大規模な商業施設ができていますので、そうした店舗と、専門の魚屋さんや八百屋さん、お肉屋さんなど、意欲あるお店も多くありますが、後継者がいない現状におかれている皆さんが競うのは厳しいと思います。

 

高井

墨田区の観光面について教えてください。

 

山本様

もともと墨田区には、大相撲が国技館で年間3場所開催され、隅田川花火大会などの伝統行事があり、江戸東京博物館やスカイツリーなどの観光スポットもあります。

さらに、昨年11月にはすみだ北斎美術館がオープンしました。平成2年頃から、作品の寄付を受けたり、区が購入したりして葛飾北斎の作品を1500点ほど取得して、なんとか建設したいということで、前任の山﨑区長さんが努力されていたんですが、区が美術館を持つことの難しさがありまして、昨年11月22日に私の代でオープンさせていただきました。これが好調で、8か月ですでに27万人のお客様をお迎えしています。

来年の1月には、日本刀の刀剣博物館がオープンします。これは渋谷区代々木にあったのですが、刀剣美術保存協会の皆さんの協力を得て、両国にある旧安田庭園内に移転されます。その他にも、大手町にあった逓信総合博物館が東京ソラマチの8階に郵政博物館として生まれ変わり、渋谷にあった、たばこと塩の博物館もスカイツリーにほど近い、横川に移転されました。

今まで、これらは連携や関連性をもった運営は、されていませんでした。他にも、相撲博物館や花火の資料館がありますが、これから連携をとってネットワークを創り上げるなどいろいろと盛り上げていきたいと思っています。また、ハード面、いわゆる施設だけつくるのでなくて、両国地域の歴史や、江戸時代から脈々と流れる下町の伝統なども伝えていきたいと思っています。

 

高井

観光地区としては材料が有り余るということですね。オリンピックは影響はありますか。

 

山本様

3年後の東京オリンピックでは、国技館がボクシング競技会場になります。墨田区から会場が一つ選ばれたということで、これをきっかけに、区民を挙げて盛り上げていきたいですし、おもてなしの心をもって、国内外のお客様に墨田区はいいところだなと思ってもらえるように、ソフトパワーも備えていきたいと思っています。

区の基本計画に掲げる10年先の墨田区の将来像は、ちょっと大げさにいうと、国際文化観光都市として、レガシーをもって街の発展につなげていきたいと思っています。

 

高井

墨田区は、ものづくりは今でも盛んですか。行政としてどのようにかかわっていますか。

 

山本様

墨田区では、墨田区のものづくり事業者が作ったそれぞれの商品を、“すみだモダン” として認証して、販路につなげる活動をしています。ものづくりは盛んで、ガラス製品、皮製品、羽子板づくりや人形づくり等、伝統工芸にかかわる皆さんは、事業継承がうまくできています。墨田区伝統工芸保存会には若い人も参加しています。伝統工芸以外も盛んで、精密機械や部品類、ニットも有名です。

伝統工芸に携わる方々は、まっすぐ地道に努力をされている方で、自分が、自分がという人でもなく墨田の独特の職人気質の皆さんです。工場を経営している人もそうです。先進、先端技術をしっかり持っていて、地道に努力されている人が多いです。それをどう紹介して、情報発信していくのか、といった点は区が担当しなければいけないところです。

 

高井

墨田区はどういった取り組みをしているのですか。

 

山本様

東京都の事業を活用し、区内で新たな“ものづくり”を創出する拠点を整備する事業者に、整備費として2000万円を上限に補助しています。ニットだったりガラスだったり、機械工場だったり、水耕栽培だったり、印刷だったり、墨田区内では、8か所の拠点が整備されています。東京都の産業労働局との連携ですが、工場を建て替えたり、改装したりして、“新ものづくりの拠点”を整備する事業者の、ものづくりを支援しています。

また、先ほどご紹介した“すみだモダン”ブランド認証事業のほか、区内での事業承継を円滑に行うための支援事業などによって、すみだの“ものづくり”を様々な面からサポートしています。

 

高井

23区の中で墨田区はそういう支援の予算は多いんですか。

 

山本様

墨田区よりもっと面積も広く予算規模も大きい区はあると思いますが、産業支援とか、産業振興という点において、うまく効率的に支援ができていると思っています。額が大きいかどうかはなかなか比較はできません。

 

高井

成果は上がっていますか。

 

山本様

8か所の新ものづくり創出拠点は視察の方が来られるなど、いろんな面で取り上げられていると思います。各事業者の皆さんも、ご自身の事業に活かしたり、異業種との連携をしたりと拡がりを見せています。ただこの事業は5年目なので、これから実を結んでいくと思います。

 

高井

最後に、墨田区の子ども子育て支援について教えてください。墨田区は、子どもの数は多いんですか。

 

山本様

人口が伸びている一番大きい要因は、20代30代の方々の転入です。特別区民税の規模が200億円くらいですが、この3年で、8億、4億、4億と増えていますので、いわゆる納税世代、お子さんがいて働く世代の方に住んでいただいて税収も上がっています。その一方で保育園も待機児童が増えているという状況です。どこも23区は似たような傾向がありますが。

たとえば、墨田区の今年度の一般会計が年間1111億円ですが、すでに保育園の運営費だけで年間100億円かかっています。待機児童を解消しようとして、保育園をつくればつくるほど、運営費が10億円単位で増えていきます。保育園以外にも、幼稚園への支援、子育て支援総合センターの運営等、子育てに関するものも含めると、現状で予算の10分の1以上を子育て支援に充てています。

 

高井

300人規模の大規模保育園を作る計画はありませんか。

 

山本様

限られた土地を有効活用してつくるので、どうしても規模は限られてしまいますが、比較的大きい保育園では、定員150人というところもあります。限られた財政の中でできる限りの対応をしていきたいと思っています。

 

高井

分かりました。今日は時間をとっていただき、ありがとうございました。

 

以上

 


 

[次回以降のご案内]

次回の「時流を探る~高井伸夫の一問一答」のゲストはシンガーソングライター・自営業 ボビン・マン・バジュラチャルヤ様です。更新は10月10日(火)の予定です。次々回は世田谷区長 保坂展人様です。更新は10月25日(水)の予定です。

 

 

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  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第20回目です。
  • 第20回目は FINEST株式会社 代表取締役 徳永美佳様です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第20回)■ ■ ■ 

FINEST株式会社 代表取締役 徳永美佳様

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[FINEST株式会社 代表取締役 徳永美佳様プロフィール]

徳永美佳様お写真FINEST株式会社 代表取締役社長、一般社団法人ビジネスカラー検定協会 会長 

元ANA全日本空輸株式会社の客室乗務員。チーフパーサー、グループスーパーバイザー職を務め、客室本部(地上職)勤務ではスターアライアンス、政府チャーター、新機種導入時の客室乗務員の編成担当などを担当。JAL系の研修会社ザ・アールの研修講師、みずほ証券調査部長秘書を歴任、その後独立し、個人事務所finestを設立。2013年8月に株式会社FINEST設立。

2015年12月には一般社団法人ビジネスカラー検定協会を立ち上げ、「ビジネスカラー能力検定」の普及に努めている。

 

 

 

 

 

 

 

[今回のインタビュアーは以下の通りです]

横倉様

  • FINEST株式会社 教育研修部 チーフ講師 横倉容子 様


    FINEST株式会社チーフ講師。的確なアドバイスとメリハリのある指導が好評。ANA空輸株式会社で客室乗務員職として乗務し、その後インテリアコーディネーター、整理収納アドバイザー資格を取得。店舗研修では接遇指導に加えVMDの視点からも指導を行い、資格を活かして指導を行っている。
  • 高井伸夫  
  • 高島さつき(秘書)

 

 

 


高井

御社の研修の特徴、強みを教えて下さい。

 

徳永様

新入社員研修もそうですが、中小企業、100人以下の企業に対する研修に強みがあります。100人以下の規模だと全ての階層では行われていなかったり、そもそも研修自体を全く実施していない企業様も多いんです。「研修なんて必要ないよ」「なんで今さらマナーなんだ」と言っている現場の人を相手に、カリキュラムを作り上げて、研修を実施して、マナーの大切さを伝えてきました。そこには様々な苦労がありましたが、今ではその経験と知識の豊富さが弊社の大きな強みとなっています。

 

高井

御社のHPに、BCMブレインマネージメントカード研修というのがありますが、これは御社独自の研修でしょうか。

 

徳永様

これは、立ち上げ当初からある研修で、弊社が作り上げたコミュニケーションツールです。最初、一人で講師をやり始めたころに、心理学を学び、様々なソーシャルタイプ分けの研究をしていくなかで、どのツールも最後の落としどころが一緒だなと感じていました。またソーシャルタイプ分けの作業では、様々なキーワードを選んでもらうのですが、ネガティブなキーワードがあることは避けたかった。例えば「威圧的」とか、「権威主義」というキーワードを他人に選ばれてしまうのは嫌だろうなと思っていました。それで、そういった言葉を全部排除したものを作ろうと意識して、独自のコミュニケーションツールが出来上がりました。

外国人の方、特に中国人の方を対象にBMCカードを使いだして、カードに中国語のテプラ貼って対応していたのですが、英語のカードを作れば、さらにいろんな国の方に分かってもらえると思い、英語のカードをつくることにしました。その際に、英語のニュアンスと日本語のニュアンスが違うなと思うものは、キーワードを変えたりしました。そのほかにも、よりソーシャルタイプ分けのヒントになるようにキーワードを作り替えるなど、創業時から少しずつ改良を加えています。ソーシャルタイプ分けについては、同じようなのがたくさんありますが、弊社のBMCはより実践的で分かりやすく、皆さんが前向きに自信をもって使っていただけるものになっています。

 

高井

一番売れているコースは何ですか。

 

徳永様

そうですね。ビジネスマナーはスタンダードなので、コンスタントに人気ですが、最近は接遇マナーの問い合わせが多いです。この接遇マナーの中に「江戸しぐさ」を取り入れているのですが、これにはいろいろな意見はありますが、弊社では江戸しぐさをもとに、古き良き日本の素晴らしい部分が残っている、思いやり・おもてなしの心、所作を「幸せしぐさ」とネーミングしています。この「幸せしぐさ」の接遇マナー研修がすごく人気です。

高井

ビジネスマナー研修、「幸せしぐさ」の接遇マナー研修、3番目は何ですか。

 

横倉様

弊社の特色を活かした「CAのおもてなし研修」も人気研修のひとつです。

 

徳永様

弊社の講師全員が全日空出身者ということもあって、その特色を活かそうと発案したものです。会議室に飛行機のように椅子を並べて、最初はお客様役になっていただき、色々な事例の対応を体感していただきます。CAは、どんな目線で、どう対応しているのか、具体的に種明かしをしていく。その後実際にCA役になってもらい、学んだおもてなしを実践していきます。当初は接客をする人を対象に始めたものですが、事務職の人にも好評で、チームワークの大切さなども学べます。CAになりたいという、CAの予備校に通っているような学生も受講して合格につながっています。

 

高井

日本のマナーを世界に広げるとはどういうことですか。

 

徳永様

弊社のコースの一つに、日本で働く外国人向けのマナー講座があります。日本で働く外国人の方からは、日本のやり方・しきたり、日本人の心をすごく求められています。研修では、日本の地域的な環境や気遣いについて、日本人が何でこうやっているのかをお話しして、理解を深めていく。外国人の方は、受講中にダイレクトに意見を言います。NGなことにはNG、納得いかない、と言ってくれるので研修の中で討論ができます。外国人とマナーについて徹底的に話し合うのは楽しいですし、彼らも、そこで落としどころを見つけてくれる、そういう場を提供することが必要だと感じています。

 

高井

御社の企業理念は何ですか。

 

徳永様

「ありがとう」です。「ありがとう」には、いろいろな「ありがとう」があります。ある作家さんの講演会で、講演の題字を書道で書く機会がありました。その講演会で、難のない人生「無難な人生」と難がある人生「有難い人生」という話があって、難があっての「有難い」を知りました。ちょうど当時、私自身、「難」が多かった時代で、今でも多いですが、自分に「難」が多い時だったからこそ、何か心に響くものがありました。それもあって、「ありがとう」を企業理念にしています。研修も理念である「ありがとう」と言ってもらえるものを目指しています。講師たちは、自分の研修の出来・不出来だけに一喜一憂してしまいがちですが、研修のアンケート結果を見ると、受講者から「ありがとう」が多かったりする。自分の研修の出来ももちろん大切ですが、「ありがとう」をもらっているなら合格点という思いがあります。

 

高井

ありがとうと言われる研修。研修終了後もお付き合いは続くのですか。

 

徳永様

100人程度の規模感の企業様が多いので、非常に距離も近く気軽にお悩みを相談していただけます。例えば、受講者の様子を知っているので、次の配属をどこにしたらいいとか、相談を受けることがあります。

 

横倉様

全部を頼りにされることが多いというか、困ったら徳永さんにお願いしましょうという企業様もありますね。

 

徳永様

弊社は、研修の一人一人のフィードバックも細かくするので、そうすると、例えば遠くに配属しても大丈夫かなとか、あの上司とは合うかなとか、そういう相談もあります。社長からはそういった報告を、「役員会で話してくれ」と言われることもあります。

 

高井

起業したことで、女性特有というガラスの天井を意識したことはありますか。

 

徳永様

実は、私は感じたことがないんです。起業して、いろいろ仕事が取れなかったり、ばかにされたりすることはありましたが、すべては自分の実力なので、女性ならではのガラスの天井を感じたことはありません。この話を、横倉としていたのですが、おそらく組織の中にいると感じるものなのだろうという結論になりました。組織の中だと、同じ実力で、こうやって頑張ってきても、女性だからということで、ガラスの天井を感じることがあるのかもしれません。起業してしまえば、かえって感じないものなのではないでしょうか。

女性特有ということであれば、逆に天井ではなく子育てや家事というベースの部分で、仕事との両立は非常に難しいと感じました。私の場合、実家も岩手で親族も傍にいないこともあり、頼れる身内がいない中で両立している見本となる女性起業家が見つからないのが一番辛かったことです。結局は子供達自身の理解と協力、親族以外の周囲の助けがありここまでやって来れました。今では自分が見本になれればと思い、頑張っております。

 

高井

ところで、徳永様は「書道家徳永青玲」としてもウィリアム王子に書を送るなど、活躍されています。書を始めたきっかけ、活動内容について教えてください。

 

徳永様

7歳から書道を始めました。公民館でおばあちゃんに教えてもらい、年を取ったら自分もこんなふうになりたいと思っていました。そして師範の資格を取ろうと思い、CAになった後も夜学などで学びました。

私は、岩手出身なのですが、震災の後、どうやったら地元の人を励ますことができるかを考えていました。地元の人の励ましの言葉なんて要りません、という声もあるなかで、例えば「ハッピー」を、「羽が飛ぶ」で「羽飛(ハッピー)」と読む。こういう書だったら、「頑張れ」と言うのでもなく楽しめるかなと。それで、書に色も入れていきました。色彩心理で、「青だったら地球規模の愛ですよ」とかいうのを、ちょっとずつ始めて、それで読んでくれる人もいたりして。そんな活動をしているうちに、今度は、外国人の方から、自分の名前を漢字にしてくれという依頼が来るようになりました。まさかウィリアム王子の書を書く日が来るとは思ってもいなくて。

千本ノックと言って、「書彩」、英単語を全部で1000個書く取り組みを始めています。今は、560個くらいまで書いています。拙い書ですが、喜んでくださる人がいて今後も続けていきます。

以上

 

 

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  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第19回目です。
  • 第19回目は 株式会社サイバーエージェント人事本部事業推進室長野島義隆様です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第19回)■ ■ ■ 

株式会社サイバーエージェント
人事本部事業推進室 室長  野島 義隆 様 

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野島様[株式会社サイバーエージェント 
人事本部事業推進室 
室長 野島義隆様プロフィール]

1973年神奈川県鎌倉市生まれ。

 ベンチャー企業の立ち上げを経験後、2003年サイバーエージェントに入社。インターネット広告事業本部営業局長を経て、2013年新規事業子会社の取締役に就任。2013年に人事本部へ異動後、2015年より現職。

 


[今回のインタビュアーは以下の通りです]

  • 高井伸夫 
  • 宮本雅子(秘書) 

 

 


 

高井

御社の業績はいかがでしょうか。

 

野島様

7月に第3四半期決算発表をさせていただきましたが、年間の予算計画に対して堅調に推移しております(注2017年7月末現在)。注力事業であるインターネットテレビサービスであるAbemaTVのダウンロード数も順調に伸びていて、今(同上)開局1年4ヶ月で2,000万ダウンロードを超えました。利用者もだいぶ増えてきて、手探りから手応えを感じている状態です。

 

高井

インターネットとテレビの融合という企画にチャレンジし始めて、融合はどんどん進んでいるのでしょうか。テレビ事業の資金源はゲーム事業ですか?

 

野島様

おかげさまで一定の手ごたえを感じています。若者のテレビ離れに対しスマートフォンで動画視聴が進めば「新しい視聴習慣の創造」を実現できるのではと思っています。実際は若者中心ではありますがその他の世代にも使われていて、月間900万人以上(同上)の利用者の方に使っていただいております。

積極投資は広告やゲームといった既存事業が支えている形になっております。ゲーム事業はスマートフォンゲームが堅調に推移しております。また、広告事業も動画広告中心に好調に伸びております。海外拠点も増やしさらに拡大中です。AbemaTV以外のメディア事業も市川海老蔵さんなどに活用していただいているアメーバブログや若い世代に人気のマッチングサービスなどが伸びてきております。

 

高井

ところで、御社ではAIは活用されていますか?

 

野島様

社内にAI研究機関である「AI Lab(エーアイラボ)」があります。現在大阪大学、東京大学、米イェール大学、東京工業大学、理化学研究所など複数の機関と産学連携を行っております。また、事業としてはAIを活用したチャットボット(注1)事業である「AIメッセンジャー」を展開しております。

人事領域でのAI活用については、現在人材科学センターと人事システム室を設置し活用の検討をしている状態です。

(注1)チャットボット:人工知能を活用した「自動会話プログラム」

 

高井

御社ではインターンシップがかなり活発ですね。

 

野島様

そうですね。サイバーエージェントのことをもっと知ってほしい、事業の現場をリアルに体験してほしいということで積極的にやらせていただいております。

インターンの種類もいくつかあって、ワンディ(1日)か、3日間が多いですが、長期インターンも実施しています。広告をやりたい、ゲームをやりたいなど分野で選ぶ方と、経営者とか新規事業の立ち上げをやりたいなどキャリア軸でのコースの両方があるんですけど、どちらにも、まんべんなく集まっています。

 

高井

インターンの面接ではどういった人を採るのですか。

 

野島様

まずは弊社のビジョンである「21世紀を代表する会社を創る」に共感していただける方です。一緒に会社を創っていく方を求めているのでその考えに賛同していただけるかが重要です。

また、素直で良い人を多く採用するようにしています。インターネット業界は変化の多い業界です。頑固で変化に対応できない人はうまくいかないことがあります。採用基準ということではないのですが人事で活躍している人材の特徴を話したことがあります。野心があり、行動力があり、成果が出せるかどうか。野心と行動力、この二つができている人は多いのですが、最後に成果を出すところにこだわれるかが重要ですね。最後、球際(注2)で成果を出すところまで頑張らなきゃいけない時も多く出てくるので。

(注2)球際:野球やサッカーで,ボールを勝負どころぎりぎりで打ったり捕球したり,あるいは蹴ったりすること。


高井

御社の平均年齢と社員の男女比について教えてください。

 

野島様

平均年齢は31歳強です。私が入社した時は平均年齢27歳ぐらいだったので、少し上がりました。男女比は、男性7対女性3ぐらいです。ビジネス職は、女性比率が高いのです。エンジニアの職種は、ほぼ9割近くが男性です。執行役員は10人中1人のみ女性ですが、マネージメントをする管理職は20%くらいが女性です。女性で2年目から管理職になる人もいます。

 

高井

女性が多いということで気を付けていることはありますか。

 

野島様

あまりマネージメントとしては変わらないですかね。あるとすれば、女性はライフイベントがあるので、目標設定のところで短期的に一番頑張れるところを引き出せるようにしています。

 

高井

今の若者がゆとり世代という感覚はありますか。

 

野島様

感じることは少ないですね。面接の際に、何がやりたいですかって聞くと、「裁量権がある仕事がしたいです」「新規事業をやりたいです」という人が多いのでよく言われるようないわゆるゆとり世代の人は当社には少ないのかもしれないですね。

 

高井

新規事業と裁量権がある仕事がしたいと。若手での実績はありますか。

 

野島様

内定者が入社までの間にアルバイトをしていた時に社長に抜擢されたことがあります。毎日日記のようにスマートフォンに写真をアップしていく写真共有アプリを本人が趣味で作っていたところ、それを会社化しました。その会社は、今、業態を変えて、スマートフォンのマーケティング会社になったものの、大きく成果を出しています。このように入社年次の若い世代が事業責任者や子会社社長に抜擢される事例は数多くあり、若手の活躍土壌としてはチャレンジしやすい環境だと思っています。

 

 

高井

それは素晴らしいですね。他に例はありますか。

 

野島様

女性が2年目からマネージメントに登用されることがあったり、20代のうちにサイバーエージェントの取締役に抜擢されることもあります。若手の抜擢機会は、会社全体にもチャレンジを実現できるという意識が増え、実際実現する機会も増えて行く良いサイクルになっていると思います。

 

宮本

会社としての大きな目標、掲げていらっしゃる社是というのは何があるんですか。

 

野島様

社是というものはありませんが、ビジョンとして、「21世紀を代表する会社を創る」というものがあります。このビジョンができて、会社の雰囲気も変わったと思います。私が入社したころは、目標が複数あり、何を目指せばよいのかわかりませんでした。そこで1つのビジョンに絞ったことで、みんながビジョンに向かって個性ある様々な発想を持ち始めました。

 

宮本

野島様にとっての21世紀を代表するっていうのは、どういうことになりますか。

 

野島様

この質問は学生にも面接で聞かれることが多いんです(笑)。私の個人的な意見になりますが、みなさんの想像する20世紀を代表する会社であるトヨタやソニーのように、世界的に圧倒的な成果を出し、かつその企業自体が多くの方に愛されているという2つが成り立たないといけないと思っています。これからも世界中で使われるようなサービスを提供し、みなさんに応援してもらえるような会社をつくらなきゃいけないと思っています。

 

高井

社会貢献、社会のため、国家のため、企業のためとよく言いますが、何をやったら社会のため、国家のため、企業のためになるのか、どうしても利益を上げることに目が行きがちですが、それを具体化することが愛されることにつながる。社員がこうなればいいとそれぞれ思うことを実現していくということ、21世紀を代表する会社、21世紀に誇れる会社になるというのは素晴らしいと思います。頑張ってください。

以上

 

 

 

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  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第18回目です。
  • 第18回目は、法政大学名誉教授諏訪康雄先生です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答(第18回)■ ■ ■ 
法政大学 名誉教授 
諏訪康雄 先生 

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[法政大学名誉教授 諏訪康雄先生 プロフィール]

1972年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、1974年~76年ボローニャ大学(欧州最古の総合大学)留学。1977年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学、法政大学社会学部専任講師、教授を経て、2001年法政大学大学院政策科学研科教授、2008年同政策創造研究科教授、2009年労働政策審議会会長、2013年法政大学名誉教授、2013年~2017年2月中央労働委員会会長。

2017年6月より、認定NPO法人 キャリア権推進ネットワーク 理事。

著書に「雇用と法」(放送大学教育振興会・1999年)、「キャリア・チェンジ」(編著・生産性出版・2013年)、「雇用政策とキャリア権―キャリア法学への模索」(弘文堂・2017年)等。

諏訪康雄先生と高井伸夫

写真左から諏訪康雄先生、高井伸夫

[今回のインタビュアー・同席者は以下の通りです]

  • 高井伸夫 
  • 宮本雅子(秘書) 

取材日:2017年6月15日(木)日本工業倶楽部会館2階ラウンジ

 


 

高井

キャリア権というものを発想して何年ですか。

 

諏訪先生

キャリア権の基本構想が自分のなかでまとまったのは1995年ころですから、22年ぐらいでしょうか。初めて海外の国際学会で発表したのが1996年です。オーストラリアのホバートの国際労働法学会のアジア支部大会で報告しました。その時はまだキャリア形成への権利という感じで説明をいたしておりました。

それを今のような姿に近い形にまとめて説明をしたのが1998年ボローニャ(欧州最古の大学がある)での国際労使関係研究学会の世界大会です。総括報告者として提唱をいたしました。これは多少反響がありまして、スウェーデンの研究者がいたく関心を示してくださいました。スウェーデンでは、失業給付を出す条件として然るべく教育訓練コースに行くことなどを義務付けるわけです。さまざまな再チャレンジ措置などの一連の政策措置はキャリア権という概念を使うと位置づけしやすくなるということのようです。

 

高井

今、キャリア権を勉強している学者はいるんですか。

 

諏訪先生

日本でキャリア権は随分、反応が出てくるようになりまして、労働法学者だけでも10人以上がキャリア権に関して議論や言及をしてくださっている(他分野の研究者でも少なからぬ言及がある)。比較的、有力な研究者が反応を示してくれています。実は今、労働法学会は新しい「労働法学会講座」(全6巻)を刊行していますが、ついに「キャリア権」を扱う1章が登場し(慶応義塾大学の両角道代教授が担当)、いわば学会に認知された形になりました。おかげさまで、ようやく単独説状態を脱して「有力説」扱いとなったようです。しかし、多数説になるかどうかは世の中の流れを見ませんと分からないですね。ともかく、塩崎恭久厚労大臣(注:インタビュー当時)もキャリア権という言葉を知っているところにまでは今、来ています。

 

高井

若手でキャリア権を研究している人はいるのでしょうか。

 

諏訪先生

先日、東大の労働法研究会からの依頼で、キャリア権をめぐる諸問題について報告いたしました。辛抱強く種を撒き、育てていけば、研究テーマにキャリア権を選ぶ人が、いずれ出てくると思っています。例えば、就労請求権をもっときちんと考えるというのはキャリア権を具体化していくときのコアになる重要な権利概念ですから、誰か若い人にドクター論文等でやっていただきたいと希望しています。

ただ、どうしても、日本型雇用慣行の中で、就労請求権を強く言うと、いろんな形で難しい副次的な問題が起きます。今さら言うまでもなく、消極説をとる裁判所もそういうふうに見ているのでしょう。そういった問題があるだけに、私は若い人にとっては非常にチャレンジングないいテーマだと考えています。

 

高井

キャリア権が多数説になるにはどうすればいいのでしょうか。

 

諏訪先生

結局は、仕事の世界と日本型雇用形態がどう変わっていくかが影響するでしょう。日本型雇用が変わっていったとき、これまでの人材育成や処遇の方式が変わって、キャリアをもっと正面から重視しないと企業も従業員も前へ進めないということになれば、少なくとも理念的には、キャリア権という考え方への関心も高まってくると思います。

 

高井

先生の考える、キャリア権の今後の展望について教えてください。

 

諏訪先生

これからの時代は間違いなく個人のキャリアを大事にしないと回らなくなると思います。AIやロボット化などのイノベーションが起こる。そういう中で人が持つ創造性、統合力、コミュニケーション能力や人間的な魅力がますます重要になってきます。創造性や人間的な魅力は、外から他人が押し付けてどうなるもんではないです。外から刺激を与えて人々がその方向に動き出すようにすることは大切ですけれども、その後は個々人が主体的に対応しなければ能力形成はとても無理です。これからの労働、仕事の世界で非常に重要な部分は、人が主体的にキャリアを形成していくという基本線に依拠していくと思います。

 

例えば、グーグルの人事担当者が書いた「ワーク・ルールズ!」という本には、読むとびっくり仰天するようなことがいろいろ書いてあります。それを読み、また、日本でのクリエイター企業の人事の話を聞くと、最先端のコンテンツ産業とか、IT産業はどういう働き方をさせなきゃいけないのかというのがかなり見えてきます。さらにそういう産業の最先端では、従来、製造業をはじめとする企業でやっていたような査定という問題、人事評価をこれまでと同じような形ではできないのではないかと思えます。

 

高井

従来の査定、人事評価ができなくなるのですか。

 

諏訪先生

評価の仕方は、徐々に、専門領域などを理解し、かなり中長期的な視点で見ていかなくてはいけなくなってきます。そうすると、まるで大学の先生や芸術家への評価みたいなものに近づいていくようです。そうなってくると、ここでも重要なのは当の本人がキャリア意識を持って、キャリアを形成していくという意欲や習慣やスキルを持つことではないかと思っています。

このように考えると、100人働く人がいたとき、全員がそうだとまでは思いませんが、最先端を走る人たちにとってキャリア形成が喫緊の課題となるだけでなく、知的なものを含めたサービス業や感性労働に従事する人たちにとっても、また、組織内でさまざまな仕事をする人にとっても、この仕事なら〇〇さんだよねという、独自の個人ブランドの形成が要請されていくことでしょう。物を売るにしても、商品やサービスをめぐるストーリーを作って、消費者の要望を満足させていく、そのような働き方をする人たちにとっては、キャリア形成というものがさらに重要になってくると思います。

知識集約産業ではこういう知識を担う人材の争奪戦が起きていますが、各種の知識サービスや感性サービスを担う人材の能力形成も重要な課題になり、そのためにはその人たちのキャリア権みたいなものをしっかり踏まえて、それを支援したり、尊重したりしていくことが不可欠になるのではないかと見ています。

 

高井

キャリア権の法制化が具体的に実現するのはいつ頃でしょうか。

 

諏訪先生

私は今から30年くらい前に、テレワークについて熱心に調査していました。当時は世間の反応が乏しかったのですが、今や働き方改革の目玉の一つとなっています。それらの経験からしますと、時代が追いつくのに30年ほどかかりますので、キャリア権も唱え始めてからまだ20年ほどですから、あと10年ぐらいはかかるかなと思っています(笑)。

 

高井

キャリア権を法制化するには、どういった方法があるのか、先生のお考えを教えてください。

 

諏訪先生

キャリア基本法というような形だったら超党派的にやれる可能性があるのではないかという気がしております。その中に、スポーツ基本法の前文でのスポーツ権と同じように、あるいは別建ての理念規定の条文として、キャリア権の理念を書き入れる方向が考えられます。そうなりますと、もう一段先へ行けるかなと思っています。

平成13年職業能力開発促進法改正により「職業生活」にキャリアの意味が明確に盛り込まれてから、厚生労働省系の法令では、多くの法令に「職業生活」という言葉が入ってきました。女性活躍推進法の場合は、「女性の職業生活」という言い方で女性のキャリアに関連する言葉がついに法律のタイトルにも入りました。「職業生活」に何らかの形で言及する法令は、はや49本になりました。

ところが、厚生労働省とほぼ同時期にキャリアの問題(キャリア教育)に着手した文部科学省は、その根拠になる特段の法を作っていないようです。教育基本法の諸規定を読み込むことで導き出せるとの考えでしょうが、免許状更新講習規則で「キャリア教育」の語が出てくる程度です。私は文部科学省系のキャリアの定義と厚生労働省系のキャリアの定義が大きくかい離することはよろしくないと懸念していますし、キャリア教育の基礎にキャリア権を置くことが望ましいと思っています。

よく知られているように、こういった省庁間の調整は極めて難しいので、議員立法で解決をはかる。議員立法で、キャリアの尊重と形成というところだったら、おそらく総論ではまとまると思っています。

 

高井

議員立法は可能性がありそうですね。

 

諏訪先生

漠としているにせよ、ともかくこれからの時代は個々人のキャリアを尊重し、伸ばすようにしていかないと、個人も、企業も、社会もきわめて難しい事態に遭遇すると懸念されます。それだけに、子ども、若者、さらには若手社員、中年、中高年へのキャリア教育・学習は、どれも不可欠です。

いずれにしても、文部科学省が生涯学習政策局を有し、また、学校でのキャリア教育を担っているのですが、キャリア教育はキャリア権を踏まえたものであるべきだと考えます。個々人のキャリア権を実現する基礎、前提としてキャリア教育があると考えています。また、経済産業省も産業人材という観点からキャリアの問題にやはり関心を示しています。とはいえ、経済産業省と文部科学省と厚生労働省の間で調整をさせて、キャリア権に関する基本法の制定をしようなんていったら、これはもう大変な時間と手間がかかるのではないかと想像します。そこで結論として、議員立法のほうがいいかなと考えています。

そのようにして成立する基本法や関係諸立法を踏まえ、実務の現場がそれぞれに工夫して、キャリア尊重と支援により、労使にも社会にもウィンウィン関係が成立するような時代が来ることを切に願っています。

 

以上

 

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