『労働新聞』高井伸夫弁護士の四時評論の最近のブログ記事

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2017年2月11日(土)7:40 中目黒公園にてローズマリーを撮影
花言葉:「記憶、思い出」 

 

 

第24回雇用の未来(終)
(2009年2月23日転載)

 

 

前回の最後に企業の「社会的貢献」の未来像について論じたが、近年においては「コンプライアンス」「環境問題」「社会貢献」等あらゆる問題を含めて企業の社会的責任(CSR=Corporate Social Responsibility)への取組みとして、多くの企業が社会に向けて強くアピールしている。

 

雇用創出は社会的責任

しかし、企業の社会的責任の第1は何といっても「企業の存続」であり、それは「雇用の確保」「雇用の創出」「雇用の場の創造」であることは絶対に譲れない。私が「雇用の創出」の最重要性をここで強調するのは、今後ますます深刻化する経済不況によって、雇用調整・リストラが加速されることのみが理由ではない。好不況を問わず、いついかなるときでも、企業は雇用を創出する社会的責任を負っているのである。

なぜなら、雇用の創出・雇用の場の創造がなければ、結局国民は困窮し、国そのものが倒産してしまうからである。まして、グローバル企業ともなれば、雇用の場が喪失すれば進出先の地域の経済にも打撃を加えることになる。企業の社会的責任は、今やグローバル規模で捉える必要がある。

周知のことであるが、ドラッカーは、著書「現代の経営」において2つのことを述べている。「事業の目的として有効な定義はただ1つである。それは、顧客を創造することである」「顧客だけが雇用を創出する。そして、社会が企業に資源を託しているのは、その顧客に財やサービスを供給させるためである」。

つまり、企業が事業を行うことは、雇用の創出に直結することであり、企業の社会的使命でもある。経営者は雇用創出という重大な責務を深く自覚しなければならない。そして政治家は、企業が雇用創出できる政策を実行しなければならない。

オバマ大統領に限らず、米国の歴代大統領が機会あるごとに自らの政策が雇用の創出にどれほど寄与するか国民に向かって必ず数値を具体的に明言するのは、そうした理解と緊張感があるからである。オバマ大統領も、グリーン・ニューディール等を看板に、2年間で300万人~400万人(うち90%は民間部門)の雇用創出をめざすと説いている。

この点、日本の政治は雇用については未だに「派遣労働者の正社員化で派遣先に100万円支給」等の役所の助成金(雇用調整助成金・中小企業緊急雇用安定助成金等々)が主流であり、発想が貧困である。

私は、今から10年以上前に「今こそ求められる抜本的な雇用改革―労働省予算は『雇用創出度』で格付けを」というテーマの論稿を発表したが(1998年12月14日号『日経ビジネス』掲載)、爾来、日本の立法や行政が「雇用の創出」をめざして知恵を絞り、効果的な政策の立案に真剣に取り組んだという事象を寡聞にして知らない。

お上の助成金頼みではなく、個別企業が雇用の創出を実行するには、何と言っても消費者・需要者(自然人のみならず法人も含む)の関心やニーズが奈辺にあるか追求してイノベーションを徹底させ、購買意欲を刺激する新商品・新サービス・新事業を開発し、顧客が“お金を落とす”に値する商品・サービスを構築することが重要であって、道はそれしかない。

「未来を予測する最もよい方法は未来を創り出すことである」(1971年ノーベル物理学賞受賞者デニス・ガボール氏)という言葉があるように、徹底したマーケティングが未来のヒット商品と雇用創出につながるのである。

 

研究開発に心血を注げ

こうした努力がなければ、自社の不採算部門から出した失業者や他企業からの失業者を吸収することなどできず、また新規開業による雇用の場も増えず、個人も企業も地域も国もいずれ破綻してしまう。今は資金繰りの困難さから実際上の難しさはあろうが、苦しくとも可能なかぎり新商品等の研究開発に励み、あるいは既存の商品・サービスについても斬新な形に変え、再度顧客に提供することに、経営者も従業員も心血を注がねばならない。

さらに、新商品・新サービスの開発に当たっては、1人の発明家による成果が新商品や新事業にもつながり雇用を創出し得ることにも留意すべきである。例えば、青色LEDの職務発明による相当対価の金額が争われ、社会的にも大きな話題となった「日亜化学工業事件」(2005年1月11日東京高裁で和解成立・和解金8億4000万円強)のケースを例にとると、元従業員の訴訟代理人を務められた升永英俊弁護士によれば、青色LEDの売上高の急伸により、当該企業の雇用数は「1993年当時の200人台から、2003年度は3000人程度と劇的に増大」したと報じられたという。1人の優れた発明家がいかに雇用の創出に寄与するかを示す好例であろう(升永英俊弁護士「法と正義と200億円判決」/日経BP社刊「ビジネス弁護士大全2005」101頁参照)。

加えて、雇用の創出のためには、雇用の受け皿作りという視点も重要となる。

例えば労働集約的なサービス産業であれば、労働生産性を向上させることによって低収益体質から高収益体制へと脱皮させることが、絶対的に必要になる。今後はグローバルな企業間競争は更に激しくなり、また顧客の要求水準も一層高くなるから、生産性がますます問われることになる。従って、働く者には常に高いレベルの成果が問われ続けるし、業務改善は半永久的に続けていく必要があるのである。

 

このままでは国が滅ぶ

なお、生産性が要求されるとさらなるスピードや計画性が求められるのが必定であるが、一方でこの激務についていけない者も増えてくる可能性がある。ワーク・ライフ・バランスの考え方は、若手・女性・高齢者を中心にこれから根付いていくと思われるので、短時間で効率よく業務を行うためには、労働時間管理の重要性も増してくるだろう。全ての点において、これからはマネジメントの質を上げる必要性が生じている。

これからの日本企業は、誰もが予想しているとおり淘汰の危険にさらされながら経営を行うことになる。しかし、現下の不況は次に到来する本当の意味の惨状のプロローグに過ぎないかもしれない。

わが国は、明治維新、第二次世界大戦の敗戦等々、未曾有の社会変動を幾度もくぐり抜けて復興を遂げ発展してきたが、21世紀になって急速に進展したグローバル化・IT化には真の意味で未だ対応しきれていない。また人口減少・優秀人材の育成と海外流出防止の問題にも効果的な対策を打てず、国のあり方そのものが旧弊から脱し切れない。このままでは、国が滅ぶことは必然である。

雇用の未来は経営の未来であり、ひいては日本の未来である。そして、日本の未来は日本人の未来である。未来が明るくなるためには、雇用の創出が必要不可欠なのである。

ILOは「ディーセント・ワーク=decent work」(働きがいのある人間らしい仕事)の実現をスローガンとして提唱し、経済雇用政策の中心にすべきであると主張しているが、どのような仕事がdecentであるかを議論する以前のレベルとして、失業と脆弱な雇用(非正規労働)が問題視されている。

オバマ大統領の演説においてもdecentという言葉が使われ、各家庭が「jobs at a decent wage(適正な賃金の仕事)」を得ることの重要性を指摘している。仕事の量(仕事の有無)だけでなく仕事の質(働きがいのある人間らしい賃金)を問題にしていることがILOのディーセント・ワークの考え方にも通じているのである。

ILOの主張を待つまでもなく、雇用の創出は政治の最大課題であって、しかもその雇用がもたらす仕事は日本人を活気づけ、自己実現の喜びを与えるような「decent work」でなければならないといえる。補助金政策でたとえいくらかの雇用が確保されたとしても、それは後ろ向きの暗いものであり、明るい未来には決してつながらないのである。

 

人間性教育を一層重視

今は、ヘッドワークの時代からハートワークの時代を経て、本稿第3回(2月9日号)でも述べたように「ヒューマンワークの時代」を迎えようとしている。

それは、単に知識・知恵だけを持っていれば済むという世界ではなく、豊かな知識と知恵を兼ね備えていることに加えて、さらに人間性それ自体の発揮が求められるいわば「超・知識の時代」である。

 

それゆえ、学校でも企業でも、知識はもとより倫理・道徳面を含めて人間性の教育が一層重視されて然るべきである。その意味で雇用の未来では自らを「知」と「人間性」の両面で磨き続ける者しか、生き残ることはできない。

米国で黒人初の大統領が誕生したことで引き合いに出される機械が多いキング牧師だが、彼は歴史に残る演説(1963年8月「I Have a Dream」)で「肌の色ではなく内なる人格で評価される国」に米国がなることが夢であると語った。「人格」での評価・人間らしさの評価とは、働く者にもまさに当てはまる言葉なのである。

人格で評価される時代とは、誰もが人間の尊厳の重要性を認識し、それに値する振る舞いが求められる社会である。人間は価値ある存在として全ての生命体の頂点にあり、生物としての魂の次元においても、また人間存在の核心である人格においても尊厳性が発揮される状況を構築しなければならないということなのである。世界第恐慌を思わせる今の大不況期であればこそ、人間についてのこうした基本的な哲学が求められる。

「雇用の未来」をこの方向に導くことで、世界に誇れる品格のある社会が実現できるものと確信している。

 

 

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2017年2月4日(土)7:24 中目黒公園にてエリカ・ダーレンシスを撮影
花言葉:「博愛主義・幸運・孤独」 

 

 

第23回雇用の未来(4)
(2009年2月16日転載)
 

 

 

深刻な不況のもと製造業の派遣社員が大量に失職したことが契機となり、昨年末頃からワークシェアリング(仕事の分かち合い)導入の当否がさかんに議論されてきている。

 

難しい“ワークシェア”

ワークシェアリングの概念が、今回ほど意識された不況はなかった。ITバブルが崩壊した時期である2002年に「多様な働き方とワークシェアリングに関する政労使合意」が発表され一時は話題にもなったが、その後議論は自然消滅してしまった。

これまでの不況では「雇用調整」「リストラ」等の言葉が横溢していたが、今回の大不況ではこれらとともに、未だわが国で実績のない「ワークシェアリング」が注目されている。

その原因の1つは、今回の不況は従来のものとは質的に異なる極めて深刻なもので、物やサービスが極端に売れないため、仕事量自体が縮減し、人員整理だけに頼っていてはいかんともし難い経済状況であることにある。

確かに今回の不況に限れば、雇用を些かでも維持するための緊急手段として、ワークシェアリングを採用することも1つの方途であろう。しかし、①ワークシェアリングは人間の向上心を刺激しないこと、②ワークシェアの向く職種はともかく標準化が難しく、個々の相違工夫が求められる「ハートワーク」等においては仕事を分かち合うこと自体が難しいこと、③競争力が低下した産業の構造転換が遅れる弊害があること(③は本年1月9日付日経新聞・日本総研山田久氏談)等の理由で、ワークシェアリングの採用は基本的には望ましくない。

現に、生産性向上の権威として著名なデジタル関連製造業の経営者から、ワークシェアリングがいかに働く能力を蝕む仕組みであり、組織をダメにするかということを、私は直接お伺いしたことがある。製造業はワークシェアリングに適する業種との認識が一部にはあるが、この経営者は「製造業こそワークシェアは成功しない」と断言された。その理由は、仕事を分け合うことで生産性は落ちるし、また好況になって増産体制に入ろうとしても、一度“分かち合い”で力の出し惜しみが恒常化し、心身を完全になまらせてしまうと、労働能力は容易には元に戻らず、企業は立ち行かなくなるという。

現場にはこうした認識が強いにも拘らず、ワークシェアリングが話題になっている理由は、今回の不況が恐慌状態と言うべき立ち直りが容易でないものであり、働くこと・仕事に勤しみ対価を得ること自体が人間性の発露として重要であるという原点に立ち返って、働く機会を極力確保すべきと判断されていることにあると思われる。

恐慌下で大量の失職者が出ることは、長期にわたり収入が途絶える者が増大するだけでなく、失業して社会への貢献の場を失うことが人間性の喪失につながり、ひいては人間の尊厳を毀損するのである。

ワークシェアリングについての議論は、正規・非正規の処遇格差の是正を真剣に考える契機を提供する点においては意味があろう。

折しも、与謝野馨経済財政担当相は、ワークシェアリングに関する文脈の中で、「同じ職場で、同じ時間、同じ労働をして、賃金がこんなに違うのは社会的に正しくない」と発言したという。これはまさに「同一労働同一処遇」概念の必要を説くものであり、政府もその実現に向けて研究を開始したと思われる。

 

派遣対象業務を見直し

今や雇用者の約34%に当たる非正規雇用者の問題を抜きにして、雇用の未来は語れまい。これからは、非正規社員にも正社員への道を開かなければならないし、現に法制度もそのように発展し続けている。非正規社員という身分のみを理由とする差別が禁止されることは自明の理と言ってよいであろう。

雇用の未来には、正規が非正規かという形式的身分ではなく、本人の専門性こそが尊ばれる。

専門性とは、一般人が簡単には習得できない能力・技術・技能を言い、一定期間にわたってその仕事に打ち込んで初めて修得できるものであることは言うまでもない。

専門性ある者は一般人と差別化され尊重されるから、自ずと自律心・自立心を有し従属労働からいくらか脱皮できる。そして、タレントということになれば、なお自律性・自立性が高まり従属労働から解放されるのである。つまり、専門性の本質は「従属労働からの解放」にあると言ってよい。その意味において、これからは能力・技術・技能を蓄えることを労働者が意識すべき時代である。労働者が自律・自立できる専門性を備えていることがこれまでにより強く問われることを、これを「キャリア権」思想の発展とともに日本の新たな社会システムとしても一層強化していかなればならない。

そして、昨今話題になっている派遣労働について言えば、極めて専門性の高い業種のみに限定する方向で見直しを図るべきである。但し、専門性を優先するあまり、専門業務の派遣労働者がなし得る専門外業務の割合を「1日・1週間当たりの就業時間数で1割以下」(労働者派遣事業関係業務取扱要領)とする現行の基準は硬直的であり、20~25%程度の比率まで認める必要があろう。なぜなら日本の企業では互助で仕事をするので、専門性がある程度緩和されなければ組織が円滑に回らず、かえって生産性が低下する可能性があるからである。

 

社会貢献で生産性向上

企業が社会的存在であるという意味は、企業は社会的貢献を果たさなければ存在が許されないことを意味する。これは当然のことであり、社会的貢献の重要性を実践する企業が、尊重・尊敬されるということである。これからの企業は今まで以上に社会的貢献を意識し、金銭・賃金以外のインセンティブを従業員に与えることに熱心でなければならない。

また、企業は社会的貢献によって事業展開にアドバンテージを得ることにもなる。なぜなら、企業の社会的貢献は従業員ら自身の矜持につながり、個々人が満足感をもって仕事に取り組むことになるから、その結果企業全体の生産性が高まり好業績をもたらすのである。

不況の影が色濃くなりつつあった2008年の秋に聞いた旅行業の話だが、「カンボジアのアンコールワットに行こう―草むしりをしよう」という企画に、50~60人もの若者が応募してきたという。今の若者は、物見遊山の旅よりも社会貢献をする点に価値を見出し奮い立つのである。

経営の未来は、「社会貢献」にこそ成長の道筋がある。そして雇用の未来には、企業は本人の志願と企業の適格性を前提とした合意によってはじめて可能になることではあるが、労働者を半年間休ませて社会貢献活動に従事させるということも必要になってくるのである。

 

 

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2017年2月4日(土)14:10 港区北青山にて白梅と紅梅を撮影
白梅の花言葉:「気品」 紅梅の花言葉:「優美」

 

 

第22回雇用の未来(3)
(2009年2月2日)

 

 

日本人の長寿化は進む一方である。平均寿命の推移を辿ると、1900年頃‥男性43・97歳、女性44・85歳→1950年頃‥男性59・57歳、女性62・97歳→2000年‥男性77・72歳、女性84・60歳→2007年‥男性79・19歳、女性85・99歳(厚労省生命表参照)であり長寿化に比例して勤労年数も長くなっていることは容易に推測できる。

 

キャリアこそ「資産」に

しかし、人間の寿命の伸びとは反対に、企業の寿命は短くなっているという現実がある。「日経ビジネス」誌は1983年9月19日号掲載の調査で、売上高や総資産を元に日本企業の寿命を「30年」と発表して話題となったが、同誌1999年10月4日号掲載の調査では、株式時価総額をもとに日本の企業が大きな影響力を持つ盛期は7年以下で、米国企業は5年以下と発表した。社会・経済の変化のスピードが加速度的に速まり企業環境が激変している現在では、この期間はさらに一層短くなっているだろう。企業の寿命が急速に短縮化する一方で、人間の寿命は伸び続けている現実は、企業・組織で働く労働者は、自ら絶えざるキャリアアップを期さなければ人生をまっとうできないことを示している。

ここにこそ、長寿社会における雇用の未来の変化の原点があり、「キャリア権」概念思想が生まれる所以でもある。

法政大学大学院の諏訪康雄教授が10年以上前から提唱されている「キャリア権」については、本紙2008年1月21日~2月4日号掲載の拙稿「注目すべき『キャリア権』」(上・中・下)で論じたとおりであり詳述しないが、「キャリア権」概念とは、今の時代は職業キャリアこそが働く者にとっての資産であり自己実現の重要な手だてであるという発想から、これを権利概念にまでに高めて雇用関係を見直そうとする考え方である。法文上は「職業生活」「職業生活設計」等の文言が職業キャリアを念頭に置いたものであり、個々の労働者の能力の向上なくして企業の成長も実現し得ないという点において、雇用の未来には人材教育の重要性と同様に「キャリア権」の視点がなお一層注目を浴びるようになるだろう。

さらに言えば、時代の変化に応じて人はキャリアを変えなければならない事態も起こる。ドラッカーは自らをマネジメントする必要性を説く中で、次の5項目をチェックポイントとして掲げている。即ち①自分は何か、強みは何か、②自分は所を得ているか、③果たすべき貢献は何か、④他との関係において責任は何か、⑤第2の人生は何か(P・F・ドラッカー著「明日を支配するもの」1999年)。

これらを常に念頭に置き能力・技術・技能を磨き続ける者であれば、今のような世界同時不況においても有為の人材として組織から必要とされ、活躍の場が得られるのである。

なお、キャリア開発や方向転換に当たっては、進路指導を行うキャリアカウンセラー等の専門家が必要となってくるが、その際に留意すべきは、前提条件として、本人自身が努力し勉強する資質と「学び方を学ぶ(Learning To Learn)」スキル・能力を身に付け、幅広の情報を身に付けたり的確な判断をなし得る資質に優れていることが必要となろう。そうした向上心あふれた人材を対象として、今後の人事部門においては職務能力開発室等の部署が重要な役割を担っていく。キャリア開発支援は優秀人材の囲い込み・リテンション策でもあるのだ。

職業キャリアの問題を考えるに当たっては、今後、急速に進むデジタル情報化・グローバル化の流れをも念頭に置かなければならない。私が言いたいのは、各人がIT技能や語学能力の向上に励むべきという当たり前のことではない。ここで強調したいのは、さらに高次元の問題として(私の造語であり恐縮だが)「ヒューマンワーク」を意識すべきだということである。

デジタル化の進行によって職場ではハートや人間関係のぬくもりが失われ始め、「お早うございます」の挨拶さえできない者が増えつつあり、また信じ難いことに、傍らの上司にさえ口頭ではなくメールで報告を済ませて何ら疑問を抱かない者もいる。その背景には、ハートを反映した口頭による報告の重要性等を教える上司も、温かくて厳しい上司も減っていることがある。人間の温かさや優しさが職場から失われ人との関わりを拒み、パソコンが我が唯一の部下となるような状況では、人は孤独でストレスも上手に解消できず、うつ状態に陥るであろう。

笑いはストレス解消につながり免疫力を高め病症の軽減にも資することが、医学的にも実証されてきているという(日本医科大学リウマチ科HP参照)、九段坂病院副院長の山岡昌之先生(心療内科)が、職場の誰もがよい関係でいるための3カ条として「挨拶」「雑談」「冗談」を挙げられるのも、人間のコミュニケーションにとって笑いの効能がいかに大きいかを指摘されていると思われる。

 

ヒューマンワーク時代

こういう時代であるからこそ、全人格・全人間性をかけて労を惜しまずに尽くすべきは尽くし、「血と汗と涙の結晶」としての労働=「ヒューマンワーク」をなし遂げることによって、相手の心を和らげるとともに自分自身の人間性をも豊かにすることが一層求められると言ってよい。

また、グローバル化が進むことで、労働の評価には、国籍や民族や文化の違いを超えて納得できる基準が必要となってくる。その場合にも、「ヒューマンワーク」は多様な価値観を超えて万人の旨に届く評価基準として重要になってくるだろう。

常に相手のことを思いやり全力を尽くし「本気」で「熱意」「情熱」を以って仕事をしている人にとっては、「ヒューマンワーク」は敢えて強調するまでもない至極当然のことと思えるかもしれない。しかし実際にはごく一部の限られた者しか「ヒューマンワーク」を実行できていないのであり、雇用の未来には、このことを日々為し得る者しか生き残ることはできない。その意味で、これからは「ヒューマンワーク」の時代と言っても過言ではない。そして今のような不況・大恐慌の時代には人の差別化や企業の差別化が求められるから、「ヒューマンワーク」はそこでも確固たる評価基準として機能することになるだろう。

2008年4月に施行された改正「パートタイム労働法」は、正社員とパートタイマーとの処遇等の均衡をめざすものであるが、「ヒューマンワーク」の概念は正規・非正規の身分とは全く関連しないことに注目して頂きたい。「ヒューマンワーク」を実行した者は、労働の身分と関係なく正当な評価を受けるべきなのである。全身全霊をかけて労働の成果を上げた者は、雇用の場において人間性の創出・発揮をしたことに対し正規・非正規の差異なく取り扱うことこそが均衡概念にもつながる。

「不患寡而患不均(貧しきを憂えず、均しからざるを憂う)」とはかの毛沢東の言葉であったともいうが、雇用の未来では、正規・非正規の区別なく労働の成果が均しく評価されなければならないのは言うまでもない。

 

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2016年12月28日(水)11:20 東京工業大学周辺にてプリムラを撮影
花言葉:「青春のはじまりと悲しみ」


 

第21回雇用の未来(2)
(2009年2月2日転載) 

 

 

 これからの雇用は労働の成果に着目して捉え直さなければならない。つまり、労働の価値は拘束される時間の長短によって評価されるのではなく、人間性の発揚如何によって労働の定義を構築し、報酬もまたそれにそって支払わなければならないのである。

 

主体的働き方を促進へ

報酬についてさらに言えば、奴隷制の時代には、まさに人間としての生存本能だけを満足させるに足りるかどうかが問題であった。しかし、それだけでは人間として遇したことにならないから、人間としての存在価値を認めるに足る第一歩として、自由時間を設定することを意図し、労働時間の長さと能力を報酬の基準として採用したのである。

それは、人たるに値する生活を維持する賃金ということになる。このことは、最低賃金法(1959年成立)第1条が、「労働者の生活の安定」と「労働力の質的向上」を満足させる報酬・賃金であるべきと定めていることからも分かる。

しかし、未来はそれだけでは不十分である。つまり、人生をかけた本人の「熱血・入魂・本気」の仕事への取組み如何に呼応して、どのような報酬を与えるかということである。そうなると、金銭といった物的な報酬だけではなく、労働を提供する者の心をも満足させ、充足させる対価を与える必要が生じてくるのではないか。そして、経営者には、労働の提供に対して人間性をもって応えることで、まさに人間の尊厳を守ることが迫られていることになる。これこそが、次回以降論じる“ヒューマンワーク”の時代に相応しいだろう。

雇用関係については、近い将来、主体的な労働に転換しなければならないことは既に述べた。その第一歩として、請負的契約を更に推進しなければならない。即ち働く者それぞれが技術・技能を蓄え、その発揮による成果報酬で毎日生活していくという姿勢でなければならないのである。現在の契約概念では、雇用契約(民法第623条)とは「労働に従事すること」と「報酬を与えること」が雇用者と被用者との間でなされるべきことであるが、労働者が主体性をもって働くということになれば、雇用契約は限りなく請負契約的にならざるを得ないのではないか。

この点、カール・マルクスはすでに19世紀後半に、出来高賃金(=請負賃金)は、個性に対してより大きな裁量の余地を与えるため、一方では労働者の個性、自由の精神、独立、克己等を発達させる傾向があると同時に、他方では労働者同士の競争を強化する傾向があるという趣旨のことを述べている(『資本論』第1巻第6篇「労働賃金」第19章「出来高賃金」参照)。

また、この資本論では、少数のますます富んだ資本家が生み出され、一方で多くの貧しい労働者が拡大再生産されることを明らかにして、貧富の差、即ち所得格差が生み出される社会メカニズムを指摘している。2008年にノーベル経済学賞を受賞したポール・R・クルーグマン(プリンストン大学教授)は、「所得格差、これこそアメリカにおける大問題の一つである」と近著『クルーグマンの視座』で述べている。

ソ連が崩壊し、共産主義は瓦解したが、マルクスが指摘した問題は今日においても、そして今後においても克服されないであろう。

 

定年は50歳に引き下げ

雇用の未来において、労務の提供のあり方が請負的な契約に変わることは、正社員を理由に優遇されることがなくなるということも意味する。

雇用調整に当たっては、まず「含み損社員」であるかどうかが判断基準であるべきであり、これは正規・非正規を問わないものである。自分の給料の3倍の粗利を稼ぐのが優秀な社員、3・5倍を稼ぐのが超優秀な社員、そして2倍以下の者は含み損社員であると私は規定している。

正社員といえども、それこそ真剣に働かなければ生き残ることはできない時代となり、身分は意味を持たなくなるだろう。特に、高い賃金を受けているにもかかわらずそれに見合う仕事をしない中高年役職者は、典型的な含み損社員であると言ってよい。これらの者を退かせ、その分の人件費で優秀な若年労働者を多く採用することが、企業組織の活性化と好業績につながる。

そのためには、定年年齢を50歳前後に引き下げるという思い切った施策も、①若年労働者の雇用の場を確保し、②優秀な労働者の海外への流出を阻止するために必要となってくるだろう。即ち、第2の人生を公式に認めることが、それぞれの労働者の若年からの技術と技能を蓄えることにつながる。

そして、この第2の人生には厳しい峻別が待ち構えており、さらには第3の人生を構想する社会が切り拓かれていくであろう。しかし残念ながら、ここに到達できる者は極めて少なく、まさに切磋琢磨がものをいう狭き門となるのである。第3の人生に入れない者はまともな職業に就けず、いわば日雇い的な仕事に甘んぜざるを得なくなるだろう。

公務員についてもこのことは当然あてはまり、そのためには行政サービスをしっかり評価するシステムを構築すべきである。そのシステムができたとすると、果たして何人の公務員が含み損にならず生き残ることができるだろうか。現在においては、ほとんど全員が含み損人材と評価されても仕方ない状態であろう。

 

「派遣切り」の要因とは

雇用契約が請負契約的になればなるほど個々の労働者は自らの技能・技術を磨き研鑽することが何よりも重要になる。これは言ってみれば、労働が人間を創るという基本精神に立ち帰るべきであることを意味している。雇用の未来においては、この基本精神こそが何より重要なのである。

一時もてはやされたような、好きなときに働いてそれ相当の報酬を受け取るという生き方は人間本来の働き方ではない。こうした片手間の労働という誤った思想を増殖させた時代は、昨年秋以降の悲惨な「派遣切り」の状況を生み出した誘因のひとつだったのである。格差問題の根本は、職業能力開発・育成格差であるとも言える。

そして、雇用契約の請負契約化が進んでいくことは、個々の職業能力がいよいよ問われる時代になるということを意味している。

また、現下の厳しい経済状況においては賃金ダウンも当然のことになるから、知識・技能・技術を日々向上させるとともに、経済的に少しでも余裕を持てるように誰しも「蓄える思想」を持つことも今後重要になってくる。これは、「恒産なきものは恒心なし」(定まった財産や職業がなければ、正しい心を持つことができない。物質面での安定がないと精神面で不安定にあるという意味。「孟子」)の言葉につながるものであろう。

 

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2016年12月31日(土)12:27 新宿区山吹町で山茶花を撮影
花言葉:「困難に打ち克つ、ひたむきさ」


 

第20回雇用の未来(1)
(2009年1月26日) 

 

 

高井伸夫弁護士は、世界恐慌が深刻化するなか、「雇用の未来」を改めて問い直すべきであると提言している。柔軟な解雇法制と雇用の確保という、一見して相容れない要素を両立させる新しい労働概念の構築が待たれるという。

 

現下の厳しい経済情勢の中で、雇用の確保が最も重要かつ喫緊の政治的・社会的課題であることは言うまでもない。そこで、こうした状況を踏まえつつ雇用の未来を考えたい。

米国のサブプライムローン問題に端を発した金融不況は、瞬く間に100年に1度ともいわれるほどの世界恐慌に至ってしまった。これを単なる不況だと主張する者もいるが、物が売れず、ほとんどの企業が恒常的に赤字経営の状態に陥り、工場生産がストップし、人員削減が猛烈なスピードで進み、消費がさらに委縮するという悪循環に陥っている世界的状況を、恐慌と呼ばずして何というのか。

恐慌(panic)とは、経済用語ではなく、本来は心理学用語である。猛烈な不況の中で、社会全体が言いようのない不安や閉塞状態に陥り、先の見えない恐怖と闘う心理状態に追い込まれてしまうことである。私はこれまで経済を専門に勉強したことはないが、人事労務を専門とする弁護士として多くの企業経営の実態について現場の目から経済の動向を見続けてきた。だから雇用の問題を通してではあるが、恐慌についても私なりの見解を持っている。

恐慌とは、すなわち社会的に物やサービスが売れなくなる状態であると定義するのが最も妥当であろう。これは企業において固定費をまかなう収入すら得られない状態が広がり、赤字経営が一般化するという状況である。この状況に陥ると、消費が落ち込み、物が売れず、企業が在庫を抱え、在庫の保管場所さえなくなり生産を止めざるを得なくなる。そうすると従業員は解雇され、物を買う金もなくなり、悪循環が始まる。あちこちの企業から端を発して、全国的にかかる状態になると、国内恐慌といえる。さらに全世界的に物が売れなくなる状態を世界恐慌という。現在はその真っ只中に向かいつつある状態のなのである。

 

正規・非正規基準の行方

実体経済を支える製造業があっという間に前代未聞の著しい不振に陥った。例えば、自動車もデジタル機器も工場の操縦が大幅にセーブされたり工場建設が延期されたりしている。こうした実体経済に表れている事象こそが、経済を考えるに当たり、最も重要である。アメリカの自動車会社は「経済破綻しないよう金融支援をせよ」「資金繰りを助けよ」「救済法を制定せよ」という趣旨のことを言っているが、そういうことが世界的に広がると、日本においては単に自動車産業だけでなく電機産業等々すべての輸出関連企業に伝播し、貿易立国の日本は破産する。

すでに各企業はこうした経営不振に耐えきれず、人員削減を余儀なくされている。今は非正規社員が先にリストラの対象にされるのが普通であるが、次回以降に詳述するとおり、近未来においてはこの正規・非正規の判断基準はなくなると言ってよい。

そして、これまでは2年ほどのタイムスパンで雇用調整が行われてきたが、今は6カ月ぐらいで行われている。しかし、さらに迅速に3カ月ぐらいで瞬時に雇用調整を行わなければ、経営は大変な事態を迎えることになる。

この状況が現実となったことで、経営者や人事労務に携わる者すべてにとって、雇用の未来について考え、適切な施策を講じなければ生き残れない様相を呈してきた。

社会・経済が激変しているからこそ、未来への方向性をしっかりと踏まえた人事労務施策が求められるのである。即ち、施策をこれからの事業戦略の実現に貢献し得るものにするためには、未来を透視した先見性に富んだものでなければならない。私は、本紙でも機会あるごとに「事業戦略は人事政策に宿る」と述べてきたが、同様の言い方をすれば、「雇用戦略は企業の未来展望力に宿る」といえるのである。

 

「ユニークネス」追求を

いったい人事労務の未来について考えることは何のために必要かと言えば、人事労務は法律より少し先行して進めなければならないからである。法律が定められ、運用・適用されるのは、実は既に起こった事象を追認するという形で展開されていくのが実態である。人事労務の未来を見つめるのは、未来の方向性を推認するということであるが、そのことは実は法律を先取りして事態を改める手続きを進めるということになる。

企業の進歩は競争であるがゆえに、あるべき未来を明確に想定して、「戦略」の立案つまりユニークネス(独自性)を追求することが少しでも早ければ、企業間競争に勝ち抜くことができる。

未来を予測することは、今起きたことを確認する手続きではない。様ざまな兆候の中から、未来のあり方を透視して、それに基づいて施策を実施していくことであり、必要なのは、ユニークネスを追求するために、未来を予測したうえで「やるべきこと」を明確に定めると同時に「決してやらないこと」を明確に定めること、つまり「トレード・オフ」を実行することが求められるのであり、このことが企業戦線において勝利するために肝要と言ってよいのである。

先陣で走れば走るほど抵抗が強く、困難が多いものの、収穫も多いということになる。そのことから、何と言っても正しい展望をもって未来を見つめることが必要である。誤った方向で未来を見てしまったら、先陣を切って走ることが、後塵を拝することにつながることは言うまでもない。

雇用の未来は何であるかと言えば、労務提供のあり方の変化、あるいは報酬のあり方の変化、さらには雇用関係、能力強化のあり方を見極めることである。

そもそも、労働の世界は奴隷制から始まったが、やがて、労働時間制が採用され、労働のあり方が規制されることになった。そして、その先が何かと言えば、労働時間の規制を超えて、新しい労働の概念を構築することが必要であるということである。

その際には、フレキシキュリティー(flexicurity)という新しい政策目標も検討課題となるべきであろう。フレキシキュリティーとは、「flexibility=柔軟性。柔軟な解雇法制」と「security=安全を保障すること」をつないで作られた造語である。これは労働市場の柔軟性を維持することと雇用を確保するという矛盾しがちな2つの目標の両立の方向性を目指す言葉であり、近年EUで注目されているという(日本総研「Business & Economic Review」2007年6月号・藤井英彦氏「OPINION」等参照)。

 

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2016年12月4日14:41 千代田区九段南3にてポインセチアを撮影
花言葉:「祝福、幸運を祈る」 

 


第19回人材グローバル化(終)
(2008年11月3日) 

 

 

協調性を重んじる意識

今年のノーベル物理学賞・化学賞を日本人が計4人受賞したことは、日本による研究が国際的に評価された結果である。自然科学3分野に限っていえば、日本人(出生時)受賞者はこれで13人になるが、同分野全体の530人に比べれば僅かにすぎない。そして、日本人受賞者には米国籍を取得したり米国の研究所に在籍している方が多いことを考えれば、純粋に日本の力であるとはいい得ず、素直には喜べない。日本国籍あるいは日本国内の研究所では世界に羽ばたけないという現実が研究者の世界にあるといわれて久しいが、改善が遅々として進んでいないようだ。

オリンピックを成功させた中国は、次なる目標としてノーベル賞受賞者の増大をめざし、全学者を叱咤激励していくに違いない。そこで日本もさらなる精進が必要であるが、それは研究者のグローバル化以外にない。

前回も述べたが、日本は人口減少の桎梏から逃れられない。2015年には世帯数も減少局面に入ると推計されているので、国力はあらゆる分野で衰退していく。その結果、世界における日本のプレゼンスは大いに低下し、経済では世界に相手にされない国となってしまうだろう。そのため、日本は経済的にもグローバル化せざるを得ず、幼稚園・小学校から実践につながる語学教育をたたき込むことは勿論のこと、日本史・世界史等の充実を図っていかなければならない。文部科学省が推進したゆとり教育などは、世界に遅れをとるあまっちょろい政策であることを自覚しなければならない。そしてダイバーシティ教育を単元として採用することも、グローバル教育の一環として必要になっていくであろう。今の日本の教育のままでは国内有名大学を卒業したとしても単なる井の蛙にすぎない。

今の日本には、「第一の開国」(明治維新)、「第二の開国」(戦後復興)に続く「第三の開国」=「制度疲労を乗り越え、グローバル化を加速する」が必要であると説く文献は、私の認識と同一であるといってよい(『2015年の日本』東洋経済新報社)。

極東の島国であるという地勢的な問題もあり、日本人はグローバル化が不得手とみられがちであるが、諸外国と比べて日本人・日本企業は協調性を重んじる意識が高いという点は、グローバル化に向けての長所である。これを自覚し長所を伸ばしていけば、日本人はグローバル化が不得手と決め付けることはできない。

多様な人々と共に働き、社会を構成するには、民族・国籍等の属性を超越した生身の人間としてのコアな部分が、より一層重要な価値を持つことになる。それを象徴的に表現する言葉として「ハートワーク」があるが、これは「良心・善意・成長」を基本とする概念である。そして、「ハートワーク」よりもなお一層人間性如何が問われるものとして、「ヒューマンワーク」という概念が生まれる。これは、心身を限界まで尽くして、「血と汗と涙の結晶」としての全人格・全人間性をかけての自己表現をすることであり、人間の理想である「夢・愛・誠」の世界に通ずるものである。どんなに些細なことでも相手のことを考え、一生懸命に尽くし、「結晶」を見せることによって、猜疑心や反発で頑なになった心を溶かすことができるのである。

余りにも繊細すぎる表現や手法は普遍性を失い、民族性や文化が異なる相手には通じない。人間関係において、日本人が血と汗と涙をともに流すことができる存在として、外国人に認識してもらう態度を取れるかどうかが課題となるのである。

 

外に向け発信する努力

人事労務の課題としては、グローバル化には「日本ファン」を作ることも重要である。我々が相手国を尊敬する気持ちと同様に、日本文化に対する敬意を持つ人でなければ、パートナーとして選ぶことはできない。

中国人が日本を見て憧れるのは、よくある現象である。私の上海事務所と提携している中国人弁護士は、この夏初めて訪日した折の滞在記でその感動を語っていた。きれいな空気・青い空や海に感激するだけでなく、日本人社会の緻密さに強烈な印象を持ち、清潔感や繊細かつ緻密な美意識に富んでいること、日本人の生活が秩序立っていることに感動していた。そのように感じる中国人は非常に多い。

こうした気持ちになってくれる外国人を増やすことは、日本のグローバル化を下支えする重要な要素であるから、海外企業における人事労務は内にこもってはならず、外に向かって日本の良さを発信する努力をしなければならない。

また、企業がグローバル化すれば、自国の技術力は当然現地にも広まり、それを凌駕しようと各国のライバルが磨きをかけてくるから、他国の追い上げに負けぬよう自らの技術力・技能をさらに進化させなければならない使命を負うことになる。「技術」はデジタルな世界であって、教えたり伝えたりできるものだが、

「技能」はアナログな領分であり、教えることのできない匠の世界である。そのため、技能を身に付けるためには、民族・国籍を問わず、血と汗と涙の結晶を求めて磨き続けるしかないのである。

そしてこの論稿の最後に、明治30年代に日本人で海外経営に成功した人物を紹介しておこう。それは、のちに東京市長となった後藤新平(1857~1929)による台湾統治である。後藤は日本人が台湾に行って、台湾人を日本人のようにしようとしてもできるはずがないし、やってはならない、現地の人々の習慣を重んじるべきであるということを旨とし、台湾全土に向かって「民政優先」を宣言し、港や道路、鉄道を整備し、東京よりも早く上下水道まで完備したという。また殖産のためには、郷里(陸奥)の後輩、新渡戸稲造をスカウトし、彼が提言したというさとうきびの品種改良の大成功で、台湾に多くの富をもたらした。後藤と新渡戸は台湾の産業育成と近代化に大いに成功したのである。

 

他国の幸福を願うこころ

晩年の後藤がことあるごとに説いて回った「自治三訣」、つまり「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして報いを求めぬよう」という思想は、日本人の海外経営に当たっても教訓を与えるものである。即ち、経営の現地化に当たっては、現地の文化・習慣等を尊重して現地に合わせる姿勢を前提としたうえで、絶えず刺激を与え続けることが重要である。

今の世界的な金融不安により経済沈滞が、グローバル化を停滞させると見る向きもあるようだが、グローバル化という時代の流れはもはや決して押し止めることはできない。政治、経済、文化をはじめあらゆる面で世界と強く連動する時代のなのである。今後も世界の中で日本企業の存在感を保持し高め得るかは、謙虚で他国の人々の幸福をも心から願える人材を育成できるか、そして、そうしたグローバルに対応できる人事労務制度を構築できるか否かにかかっているといっても過言ではない。

 

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2016年12月4日(日)14:42 千代田区九段南3にてビオラを撮影
花言葉:「誠実、信頼」

 

 

第18回人材グローバル化(4)
(2008年10月27日) 

 

 

この10月1日に松下電器産業がパナソニックに社名を変更した。同社が目指すのは、真の「Global Panasonic」の実現であるという(同社2007年度決算説明会〔2008年4月28日〕配布資料より)。同社は売上高に占める海外比率が50%程度であり、ライバル社と比べて国内依存度が高いことを弱点として、その克服を成長戦略の一つに掲げた。この社名変更はそこから脱却しようとする姿勢を象徴的に表している。同社は、グローバル化しなければ生き残れないとの判断に立ち未来像を描いていたのだ。

日本企業にグローバル化が必要なのは、諸外国の経済的発展が著しい中で、日本が人口減少から逃れられないからである。日本の総人口1億2700万人余は、2046年には1億人を割り込み、日本全体が“過疎化”し、“うつ状態”に陥るのは明らかである。

 

「海外人事部」の設置へ

そうした中で日本人が活性化し生きていくためには、発展している海外に市場を求め、自らを磨きあげてグローバル化を進展しなければならない。国としても、企業がグローバル化のために求める、より具体的な実学をベースとした最新の知見を集約する研究機関を持つべき時期にきている。海外事情について調査・研究の余裕のない中小企業でも海外進出できるための情報インフラの整備を主たる目的とする部署を置くべきである。

加えて、企業側のより進んだ対応としては、日本人への人事部とは別の組織として「海外会社人事部」を作らなければならない。なぜなら、現地では、労働法・労働慣習に沿って現地人の人事的な枠組みを決める必要があるからである。例えば、幹部に登用した場合の役割・権限・責任・報酬等について、大企業といえども未整備なところが多い。人材の選抜と定着が難しく、現地マネジメントの悩みになっている。いかに小規模の企業でも、小さいなりにグローバル対応の人事部署を設けることが必要となるのである。

経営的には対症療法的な取組みだけでなく、経営体質自体を強化する観点からの継続的取組みが必要となる。その一環としての海外人事部には、国内人事部と同等の権限を付与する必要がある。海外の占める割合が大きくなるにつれ、将来的に国内人事部以上により大きい権限を付与することになろう。

要するに、日本的な感覚だけで現地スタッフの配置・選抜・教育等を行ってはならず、それぞれの海外拠点に相応しい人事対応がなされなければならない。基本的な思想は、年功要素を排除し、能力重視型あるいは成果重視型の制度を打ち立てることである。グローバルに人材を扱う際の統一価値観であり、統一価値観はこれしかない。

企業における現地化にはいろいろな要素があるが、現地化としては人の問題に行き着く。社長たる者、専務たる者、総務、人事、経理、販売等々要職に就く者の現地化を進めなければならない。経営理念のしっかりした企業ほど、海外の現地雇用の社員に日本人と差異なく接していると感じられる。ただし、文化的な背景や社会性の違いなど働く者のモチベーションにかかわる部分等の心理的な面では、日本人の感覚とは異なるケースが多いので、この点留意する必要がある。それらにきちんと対処しながら、日本の本社と情報を共有し、かつ現地雇用の社員に将来展望をもってもらうという観点からすれば、早い段階で漸次現地社員に経営を委ねる必要があるが、本稿1~3回でも述べたとおり容易ではない。

しかし、終局的にはソニー、日産や日本板硝子のように、外国人社長が日本本社のトップに就任することも厭わないスタンスを持つことが、単なる理想論でなく現実的課題としてこれから次々と登場するであろう。

さて幹部候補となる優秀人材の採用と引留め策は、現地雇用の社員がキャリアを明確に描けるかどうか、特に優秀な者にとって、経営トップになれる夢を描くことができるかどうかにかかっている。中国でいえば、残念ながら日系企業ではその夢を果たせる可能性はまずない。そのため従業員は自身について明確な将来像を描けず、日本の企業は欧米の企業に比して劣位に置かれてしまうのである。

 

現地主義を貫く方法

日本企業は未だ終身雇用制を基調とした労務管理であるため一旦採用した者を囲い込む傾向があるから、雇用の流動性を旨とする多民族の行動・資質を理解し難いという弱点がある。

要するに、本人の資質が向上し労働価値が高まれば、当然のことながら転職し易くなる。ここにこそ、実は働く者の「学習権」「キャリア権」(本紙2665~2667号掲載拙稿「注目すべき『キャリア権』」参照)の本質があるといってよい。自分を磨き上げることによって、より広い活躍の場を得て、より高い報酬を得ることができる。これは、グローバル化に伴う当然の現象のみならず、国内企業も「学習権」「キャリア権」を意識して人事制度を改めなければならない時代に来ていることを示している。

企業が従業員に対して教育機会を提供し、実行していく姿勢をみせることが必要不可欠であると意識しなければ、企業はグローバル化を達成し得ない。企業自らの現在の成長だけではなく、将来にわたっての成長をもたらす優秀な人材を引き留めることができなくなるのである。

企業のグローバル化とは、競争が一層激しくなるがゆえに、「絶えざるイノベーション」につながっていくことが肝要である。そのために企業は、新商品・新経営システム・人事等の新諸制度・新事業を創出しなければならない。とすれば、本社の所在地は、企業としてのイノベーションを最も良く実現し得るのはどこかという視点から、全世界の都市を候補として検討される必要が生じるだろう。グローバル化の行き着くところ、企業グループが成長し続けるための本社の海外移転が、現地主義を貫く具体的な検討課題として現実性を帯びてくるに違いない。つまり、真のグローバル化とは、このテーマを真剣な態度で検討する姿勢を持つかどうかにかかっているのである。

それにはまず確固たるグローバル戦略を打ち立て、地域ごとに独自の経営組織を構築し、調和のとれた事業計画を推進する母体を作ることが大切である。

本社を日本国内に限定する拘りや先入観がなくなり、海外への本社移転を、身近な感覚で捉えられるようになると、人事労務のあり方も根本的に変質しよう。そのとき日本企業は“三種の神器”~「終身雇用」「年功序列」「企業内組合」の呪縛から解放されることになるだろう。

では、日本企業の近い将来の新三種の神器とは何か?これについては多くの議論を重ねていく必要があるが、目指すべき方向性としては、①「キャリア権の尊重(個人の職業キャリアと人材教育の重視)」、②「ダイバーシティ(性・年齢・国籍によらない雇用の多様性)」、③「日本的成果主義(プロセスと成果の評価)」ではないかと思われる。少なくとも、これらを充足できない企業は脱落する。

 

 

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2016年11月12日(土)7:26 目黒区青葉台3にてプリンセス・ドゥ・モナコを撮影
花言葉:「淑やか、温かい心」 


 

第17回人材グローバル化(3)
(2008年10月20日) 

 

 

孫文(1866~1925)は著作『三民主義』の中で「中国人はひとにぎりの砂である」との論説を紹介している。つまり、乾いた砂粒は独立していて決してくっつかず、石にも、まして岩にもなり得ない。

一方、わが国では聖徳太子の「十七条憲法」(604年伝)1条が「以和爲貴(和を以って貴しとなす)」とし、国家君が代が「さざれ石の岩の巌となりて苔のむすまで」と謳うように、「和」「協調」が何より重んじられてきた。これらは国民性・民族性の違いと言うほかはなく、互いの特徴として認め合うしかない。日本人の中にはとかく「中国人に騙された、裏切られた」と嘆きあるいは怒る者もいるが、それは違う。基本的に、個人主義と集団主義の相克に過ぎないのである。そして、残念ながら世界では日本だけが集団主義であると言っても過言ではなく、個人主義は中国のみならず諸外国にほぼ共通する文化である。即ち、日本は万世一系の天皇のもとに「和」や「集団」を重んじる風土が形成されたが、諸外国の王朝・政府は革命で覆ることが半ば当然であり、人民は「公」を信頼し得ないとして個人主義とならざるを得なかったのである。そのため、日本は自らを変質させなければ、グローバル化対応を果たせないという宿命を負っている。

個人主義の内容を分かりやすくいえば、「権利の極大化・義務の極小化・責任転嫁」と表現できる。個人主義の国では、誰もが自らの利益を絶えず追求する“常在戦場”の精神に基づき、権利を可能な限り小さくし、いかに責任を負わないようにするかが行動基準になる。したがって、日常的買い物でも値段を高めに吹っかけ(権利の極大化)、買い手はそれを値切ることが義務なのである(義務の極小化)。

また、日本の契約書は「この契約に定めのない事項が生じたとき、又は、この契約各条項の解釈につき疑義の生じたときは、信義誠実の原則に基づいて協議・解決する」旨の条項を置いているが、中国ではこうした曖昧な文言は意味をなさない。中国人・中国企業との契約は、アメリカ的に細大漏らさず規定しなければ、彼らにとって信義誠実の原則=「権利の極大化・義務の極小化・責任転嫁」の行動原理に基づき対応され、当方は想定外の損害を受ける。

 

書面が必要な労働契約

これらを、日本人の感覚のみをもって中国を「とんでもない国!」と批判すること自体が、世界を知らない平和ボケ以外のなにものでもない。「衣食住足りて礼節を知る」(管子)というが、新興国の礼節に関する部分は、国民の一人ひとりが豊かになり国際的地位が高まることによって初めて備わっていくものなのである。それを興隆期に求めても、ないものねだりというほかはない。現地人のいささか気になる行為等をも包容する姿勢こそ大切である。

労働契約の面でも、中国の労働契約法10条は、労働契約締結の際に書面を取り交わさなければならない旨定めているが、これは前述の民族性に基礎を置くものである。日本では徐々に書面化が進んでいるとはいえ、口頭でも労働契約は成立し得る。

また、人事労務との関連で言うと、集団主義である日本は基本的には集団管理でよいが、個人主義である中国では大衆の統御が極めて困難であり、個人管理を徹底しなければならない。これが中国の人事労務の一番のコツである。それゆえ、中国人の就業規則が日本のような曖昧な文言では実効性がなく、微細に亘り規定する必要がある。例えば、規律違反に対する罰金規定では、対象となる行為と金額が具体的かつ詳細に列挙されているのが一般なのである。

なお、個人主義の人事管理の弊害の一つは、部下に自分より能力のある者を迎えたがらず、迎えたとなると功績を貶め、“足を引っ張る”傾向がある。このことを念頭に置いて人事管理を進めなければならないこともまた、個人主義の国民に対する態度として極めて肝要である。

 

国外追放や入国拒否も

こうした彼我の様々な差異を理解し、現地でも日本国内でも国籍に拘らない働きのできる人材を得るためには、①ダイバーシティの理解、②柔軟な価値観、③人権を重んじる振る舞いを念頭においたグローバル教育が重要となる。異なった考え方・思い方・感じ方・価値観を持つ多様な人材が交流する中で、発展的かつ創造的な成果が生み出されるのである。多様性の概念=ダイバーシティ(diversity)は、企業の現場でも業績の向上につながるものとして評価されている。

香港の地下鉄工事(1975年)を請け負った日本の建設会社担当者の当時の経験談を紹介しよう。この工事は英国人・広東人・韓国人・日本人の4つの異なる民族が協力して完成した。始めはお互いの言葉が通じなかったため摩擦もなかったが、少しずつ言葉が分かりはじめコミュニケーションが可能になってくるとケンカがみられるようになり、人間関係上の葛藤が凄まじかったという。しかし、彼らはケンカや衝突を経ることによって相互理解を深め工事は安全に進んだ。

①日本企業は人を見抜く目利きとなることを心掛け、ダイバーシティ概念を理解できる人材を見出し、教育・評価し、海外に派遣することが第一に肝要である。②そしてそれには、価値観において硬直的な人物は不適であり、フレキシブルな思考を展開できる人材が必要である。特に、日本から派遣するトップおよびナンバー2には、国内で成功した人よりも、多様な文化に喜んで対応できる人を選ぶべきである。

さらに、これらの大前提とも言えるのが、③現地の国民の人権を重んじる日本人派遣員の意識・姿勢・振る舞い、つまり人間としての真摯さである。例えば、中国の日本人派遣員の中には、国外追放を命じられる者や再入国を拒否される者もいる。それは現地の反政府的団体に関与した等の政治的理由だけでなく、現地女性とふしだらな行為に及んだことを理由とするビジネスマンの例も非常に多い。そのような人物を擁する企業に属する者が、中国の人権問題を云々すること自体、論外である。

グローバル化の意義を深く理解し、人権を尊重する所作・振る舞いを身に付けさせることは、グローバル化対応教育の重要な一章なのである。

また、グローバル化教育は日本人だけでなく現地人に対しても重要であり、上記①~③は彼らにも同様に求められる。そして、日本での定期的・継続的な研修や、日本と現地で人材交流(転勤・出向・出張等)を行い、人の往来を実行することも教育効果が大きい。さらに、日本本社で海外子会社などを統括する部門の長やスタッフ・サポート部隊に、海外から優秀なスタッフを招致し実をあげるとともに、将来の海外子会社の幹部候補として育成することも取り組むべき課題であろう。

グローバル化を図るには、尖兵としての日本人派遣員は、現地人に対する教育的役割を一層強調しなければならないのである。

 

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『去る10月12日に、株式会社労働新聞社と高井・岡芹法律事務所の共催で、
特別セミナー「AI(人工知能)が拓く未来 ~人事労務分野への影響を探り可能性を考える~」
を開催致しました。次回よりAI特別セミナーの概要、および講師の方のご感想を全5回に分けてご紹介致します。

去る10月12日に、株式会社労働新聞社と高井・岡芹法律事務所の共催で、特別セミナー「AI(人工知能)が拓く未来 ~人事労務分野への影響を探り可能性を考える~」を開催致しました。

次回よりAI特別セミナーの概要、および講師の方のご感想を全5回に分けてご紹介致します。

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2016年10月29日(土)10:51 白浜野島崎にて撮影

 

 

第16回人材グローバル化(2)
(2008年10月13日) 

 


今回は小生が中国での実体験に基づいて、現地の情報収集の重要性を指摘する観点から感じていることを述べてみたい。

 

まず群れから飛び出す

前回、日本人の群れたがる習性を批判的に紹介したが、日本人には「群れざるを得ない」事情がある事も否めない。なぜなら、日本人は欧米では人種的に差別され、中国等アジアでは対抗意識を抱かれるため、それらに伍していくためには自己防衛的な意味で集団の力で活動せざるを得ないのである。この点、米国に「日本人村」がなくなったのは、ひとつの進化であるといってよい。日本人は個々が切磋琢磨した結果、有能であると認知されてきたからこそ、集団になる意味が薄れ、「村」がなくなった。一方、韓国人村や中国人村はまだ存在するのであり、彼らは未だ日本人ほど認知されていないということになる。

しかし、いかに自らを守るために「群れざるを得ない」側面があったとしても、勇気をもってそこから飛び出し現地の人々と積極的に交わらなければ、更なる成長を遂げることはできない。例えば中国で日本人幹部だけで経営方針を決めたり、人事労務問題を処理すること自体、現地の人々に違和感・不信の念を持たれ信頼を得られない。その結果、士気の低下や労働生産性の低下をもたらすのである。

私が上海で主催している勉強会「上海高井倶楽部」は、非営利の相互扶助組織で、日中のビジネスの架け橋たらんとして2002年11月に立ち上げたものである。会員は在上海の日本企業百数十社だけでなく、多くの中国人にも会員や理事としてご参加いただいている。日本人が中国人との真の信頼関係を作り上げるためには、おごりや慢心を捨て、謙虚に中国人に学ぶ姿勢を持つことが重要であるし、また、日本人だけでは結局「群れる」ことになり会の発展性がないからである。こうした交流の仕組みを作り、現地の人々との交わりを日本人に体験してもらう「場」を提供することも、この会の趣旨である。会の費用は私の事務所がいくらか負担するボランティア組織であるが、日本人が「群れる」ことを回避するための、現地社会に対する貢献活動のひとつである。

現地の人々と交流すると彼らから大いに尊敬され、いろいろな重要な情報を得ることが可能となるものだが、これは実際に体験してみなければ分からない。現地の人との交流は心掛けひとつで容易に実行できるグローバル化の第一歩なのである。

コミュニケーション能力というと、「TOEFLのスコア××点以上」という話になりがちであるが、人間同士の交流は、まずは相手に好意好感を持ってもらう人間性を表現することから始まることを忘れてはならない。

相手に好感を持ってもらえるほどの語学力とは、単なる挨拶や日常会話レベルでは不十分で、電話で当意即妙の会話をして笑いを誘うことができる程度の能力をいう。中国人と自然に交わり、冗談をいい合い、雑談・歓談することによって互いの心の絆は強くなっていくのである。現地の企業内で日本人だけで固まっていては、どうしても現地の人とコミュニケーションの本質である意思疎通を欠き、全社一体となって企業活動を展開するような経営の一体感の形成ができなくなってしまう。

中国人は個人主義であるがゆえにとかく情報を公開せず、社会的には透明性が低い。こうした、事実を隠し正確に伝えないという中国社会の傾向からすると、情報の希薄化・途絶化は企業活動にとって極めてリスキーな状態をもたらすことになる。

 

日本総領事館に足運ぶ

さて、内販を進めるに当たってはクライアントに好意好感を持ってもらうことが必要だが、とりわけ政府の要職の方にそうした感情を抱いてもらうことが肝要であり、そのことが従業員や企業を取り巻く利害関係者に、安心感・安堵感を与えることにつながる。十分なコミュニケーション能力が必要となる。

現地の人々との交流を深めて現地に溶け込むことに加え、さらには政治的背景を築くことは、日本人企業として非常に重要なことである。特に新興国には民主主義が十分に発達していないところがあるから、現地政府の人と親しくなって交際し、こちらを理解してもらい、政治的背景を築くことが重要である。

それは何も難しいことではなく、例えば現地政府の行う講演会等に出席し、名刺を交換し、御礼状を出すというささやかなことが端緒となる。より効果的なのは、質問をして適切な回答を得た場合に感謝の意を表すべく御礼状を出すことである。さらに折に触れ懇談会の席を設けてごく少人数でお話を聞くことになれば、現地政府との間で理解が深まり好感を持ってもらえるようになる。中国で日本企業が日本人だけで経営し、中国人や地方政府と交流する機会を得ようと努力しないならば、結局は中国人従業員の信頼を得られない。

また、情報という観点からいえば、現地の日本総領事館等政府機関の重要性も見逃してはならない。実際に足を運ぶ人はなぜか少ない。前述の「上海高井倶楽部」では、総領事館等の方にも折りに触れ勉強会にご出講いただく等の活動も行っており、会員から好評を博している。

以上のように、私がグローバル化のための留意点として現地で特に実感している①日本人同士で群れないこと、②真の意味でのコミュニケーション能力を磨く、③現地における政府関係者との交流の重要性、という3テーマを中国において日本企業が疎かにしていると、次の3つのリスクが発生するだろう。

 

人事労務情報が途絶も

第1に、中国人からの人事労務上・経営上の肝心な情報が希薄化ないし途絶化する。その結果、経営が日常的に様々な危険にさらされ脆弱になる。第2に現地の人の積極的な協力が得られず、企業内で一体感の形成ができない。経営者にコミュニケーション能力がなく、現地政府の理解を得ていないということ自体が、中国人のビジネスマン・労働者に潜在的不安感を抱かせることに繋がるからである。第3にその結果として労働者の定着率が悪くなり、積極的な協力が得られず、結局は生産性が上がらないという結果を招く。

(社)日本能率協会(JMA)の報告書「中国における日系企業の経営のあり方」(2008年4月)の調査結果によれば、上海の日経企業にとって現在の最も重要な経営課題は「優秀な中国人幹部の採用、定着と育成」(100%)であり、人材マネジメントの最も重要な課題は「優秀な人材の採用・定着」(80%)であるという。つまり中国における企業経営はリーダーシップ・マネジメントにかかっているということである。

何はともあれ、日本企業が海外に進出し、現地化に成功して現地で確かな経営を行うためには、現地の正確な情報収集が何よりも必要である。要するに、彼を知って初めて、市場・ビジネス戦場でフルに企業の能力を発揮できるからである。

 

 

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2016年10月23日(日)8:07 港区麻布十番1にてカランコエを撮影
花言葉:「幸福を告げる、おおらかな心」



第15回 人材グローバル化(1)
(2008年10月6日) 

 

 

アジア各国のグローバル化が猛スピードで進むいま、日本に時間的余裕はない―。高井伸夫弁護士は、欧米人と比べ人種的に劣位に立つ日本人がグローバル化を成し遂げるには、世界にはない繊細な商品、サービスを提供し続けることが不可欠とした。

 

私は弁護士として1973年に独立して東京に事務所を構えたが、さらに99年には中国上海、06年には北京にも事務所を開設し、ほとんど毎月中国に出張している。海外にも拠点を置くようになって一層強く感じているのが、グローバル化に視点を置く人材が、致命的に不足しているということである。

一般に、グローバル化における基本的要件・留意点は、①人材の多様性の許容・異文化への理解、②語学力を含むコミュニケーション能力の獲得と経営の現地化、③人事労務業務のグローバル対応―等々と言われている。

しかし、この問題は、そもそも日本人に「多様化」ができるかどうかという大前提から議論を始めなければならないと私は常々考えている。なぜなら、日本人は、国土が島国であるという地理的位置、単一の民族でひとつの言語を用いていること、そして連綿たる歴史や文化等を背景に、集団的かつ排他的行動をとりがちで、同一性価値観から脱皮しにくくなっている。これに天皇制や鎖国的心情からくる「妙な優越感と劣等感からくる変な自信」がないまぜになり、日本人は残念ながら集団主義であり、どうしても異なった価値観・思考・態度をなかなか容認しない。

 

劣位におかれる日本人

近世の歴史をみれば、明治以降、政治・軍事・経済面では西洋に拡大したが、日本人一般の世界はまだ本質的には西洋にまで至っていない。言葉・歴史・文化なども世界的な目で見るようになっていない。グローバル時代といえども、日本人伝来の価値観・視野は日本のままにとどまっている。シンガポール、インド、マレーシアなど旧植民地国の視野が広がっているのと対照的だ。このように、日本人は、グローバル化を図っても現地人に溶け込んで仕事をすることが得手ではないと思われる。

加えて日本人は黄色人種であるがゆえに現地化できない宿命を背負った民族でもある。グローバル化にはコミュニケーション能力が絶対的に必要で、日本人がこの点それほど劣っているわけではなく、この人種的問題こそ日本人が多様化や現地化を推進できない大きなハンディと思われてならない。

つまり、中国・ベトナム・インド等アジア各国で私がいつも痛感するのは、白人の如何ともし難い優位性である。アジアの人々では口ではいかに欧米人を悪しざまに言おうとも、実際には白人を崇拝し最大件の敬意を表し、服する。そして、日本人はアジアでは白人に対して劣位な立場に置かれるのが常である。アジア各国の人々は日本人に対する対抗意識を持ちがちで、ひどい者は反日感情を持つに至り、さらには日本人を屈服させようとする意欲すら持つ。黄色人種である日本人は現地の人が服する存在ではなく、それゆえに企業経営の実態を現地人に委ね得ず、真の意味で企業経営の現地化ができない。

こうしたアジアの人々の「白人崇拝の心理」及び「黄色人種である日本人に対する対抗心」の根本原因は何だろうか。ひとつは人種差別的な意味ではなく、欧米文化を享受する場においては、欧米人が生来有している彫刻的な美しさや雰囲気が、アジア人よりもカッコよくてさまになると感じられることが深層心理にあるからだろう。例えばジーンズの着こなしの違いやラスベガスとマカオのカジノでの光景の違いを見ても、如何ともし難い。洋装は欧米人の体型に合うもので、音楽やバレエ・ダンス等彼ら自身が育んだ文化や娯楽は、彼らを堂々と立派に見せる。また、もはや実際上の国際語となっている英語を母国語としていあるいは母国語同様に用いている彼らに、仕事のうえで服する気持ちが働くことも自然の成り行きかもしれない。

このように、白人の優位性は是認してしまうが、同じ黄色人種である日本人には優位に立たれるのを忌避するアジアの人々の心理的なレベルの問題として、日本人にとって、グローバル化は容易ではないことを肝に銘じて、現地化等に取り組まなければならない。つまり、日本人が現地で尊敬を集めグローバル化に成功するためには、勤勉で正直でよく働くという資質、さらには精神性の高さをも訴えなければならない。さらに他の国では決して真似できないような繊細できめ細やかな特質を持った商品やサービスを、世界の市場に向けて提供し続けなければならない。

このようにグローバル化がいかに困難な事業であったとしても、日本企業にとってグローバル化は必然である。なぜなら、日本の社会は人口減により年々市場が縮小するのは不可避であり、人材も市場もグローバル規模で考えざるを得ない。

 

全人間性備えた行動を

グローバル化は、大企業だけでなく中小・零細・微粒子企業にとっても生き残りを続けるために絶対的に必要である。むしろ大企業に圧倒される小規模企業こそ、海外に活路を見出さなければならない。

そこで、グローバル化に適する人材を確保することが課題となるのだが、小規模企業は限られた経営資源の中で人材育成しなければならないことになるため、経営者自身がグローバル化の実体験者として、海外で生活し現地の状況をよく知ることが必要不可欠になる。

グローバル化するとなれば、企業は様々な国籍の人材を擁して様々な国に市場を求めざるを得ず、それを可能にするには、第1に、日本人経営者に多様な価値観を許容し尊ぶ姿勢がなければならない。まず、アジアの歴史から学ぶことだ。その成果としてリーダーシップもマネジメント力の発揮の仕方も良い方向に向かう。多様な価値観を持つ人材を統御していくのはそうした地道な努力なしには不可能である。アジア各国のグローバル化が猛スピードで進む今、日本には時間的余裕はあまりない。

それでは、こうした多様な価値観を生かしながら複雑な組織を率いるに当たって、リーダーに最も強く求められる資質は何か。良心と善意と人間性である。良心と善意に基づく行動は、国籍・民族問わず全ての人間を納得せしめるのである。

ハートワークが旨とする「真・善・美」、良心・善意・成長というキーワードは普遍的であるが、さらにその上位にあるヒューマンワークは、人間らしさを基調とし、全人間性・全人格をかけて「夢・愛・誠」を育み続ける働きであり、これこそが人類共通のものである。これらのキーワードで示される価値観基準で日本人が行動するようになれば、グローバル化において新たな展望が開けるであろう。

 

 

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