『労働新聞』高井伸夫弁護士の四時評論の最近のブログ記事

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2017年5月14日(日)7:10 港区南麻布2にてブラシノキを撮影
花言葉:「恋の炎、素直な気持ち」

 

 

第28回リストラの本質と手法ー恐慌下における諸現象を踏まえて―(4)
(2009年5月18日転載)

 

 

経営監督と執行の責任

企業のリストラは経営者の権利と捉えるのがこれまで一般的であったが、今では「リストラ義務」という言葉さえ登場している(2008年12月9日付朝日新聞)。これは、米国の自動車会社BIG3から補助金を要請された米政府が、経営者の責任として人件費削減策の実行を求めた際の報道である。米政府は公的資金を導入するに当たり、“リストラしてこそ企業は健全化する”との事実を経営陣に強く認識させるために「リストラ義務」を課したのであろう。

経営者のリストラ義務は、本稿第2回で述べたとおり、リストラの真の目的は企業の再建・再興であることに根拠があるだろう。特に私企業の救済のために公的資金を用いることは、国民に負担を強いるのと同義であるから、その導入に当たってはリストラを法的義務として扱わなければならないということである。このリストラ義務は、企業・国家間の公的関係のみならず、企業・株主間においても常に意識されなければならないテーマである。その際、株主の納得を得るためにも重要な役割を果たすことになる。

ところで、企業では例えボトムの従業員等を2割リストラしても組織は往々にして再生せず、正社員のリストラに及ばざるを得ないことがあるが、その際には、一般従業員に先立ち経営幹部・管理職から行わなければならないことになる。それは権限・責任の大きさからくる序列でもあり、従業員等を納得させ、事業の縮小に応じて組織を圧縮するために必要な手続きであるが、加えて高いサラリーに見合う働きをしない者を排することで人件費総額を縮減し、その結果、組織が若返りを果たすことにもなり、企業体質が強化されるのである。その具体的手順としては①まず余剰な役員を退任あるいは非常勤化して減員を図り、②次に役員報酬の大幅な減額措置を採り、③そのうえで管理職にも組織の縮小と減員そして大幅な人件費の減額措置を図るのである。

役員・経営幹部のリストラは、故意過失責任ではなくここに至った経営の監督と執行の結果責任の問題である。ここで言う結果責任とは、高位に就く者に固有の責任という強い意味のことである。それゆえの、結果責任を負う経営幹部は経営状況を理由に責任回避できず、「経営悪化は未曾有の不況が原因である」との自己弁護は全く無意味となる。

ドラッカーは「(働く者は)雇用と所得を失う恐れのある中では、仕事・作業集団・成果に責任を持つことができない」と述べている(『マネジメント』第22章参照)。しかし、現在の恐慌とも言える経済情勢では企業の存続自体が危うくなっているため、雇用の維持は不可能な事態と言ってよく、企業の存続こそが社会的責任であるということにならざるを得ない。「大恐慌のときには、何の保証も期待できない」(同書第22章)のであるから、社会的に企業の赤字が慢性化する中で雇用・所得を維持すべくさらなる赤字を求めることは自殺行為とも言え、企業には自救行為としてリストラが容認されることになる。

そして、企業の社会的責任としては、企業の存続に次いで「企業の成長」と「雇用の創出」が課題となる。雇用の新たな場を構築するためには、生産性の向上のみならず、「企業は常に陳腐化する」という危険を内包しているものとして、生き残りをかけた絶えざる智慧の研究・開発がより重要となり、企業内外のあらゆる場面でイノベーションが要請される。

 

求められる超大型投資

さて具体的な雇用対策としては、まずは大胆な超大型公共投資を推進すべきである。国として将来に向けた生産性アップに資する取組みを実施することが重要である。その具体策はいくつもあろうが、私は以下の4つを挙げる。

①都市の交通インフラ整備

今までの公共工事は僻地や地方にも非効率に展開されてきたことを反省し、費用対効果の面からも、今後は都市生活者の利便性を最大限追求した公共事業を真っ先に考えるべきであろう。例えば、乗車率の高い山手線・中央線・総武線等の複々線化や2階建て車輌の導入により、通勤通学ラッシュを解消するのである。あるいは、脱化石燃料高速交通であるリニアモーターカーで成田空港~羽田空港間を結んだり、三大都市圏(首都圏・中部・関西)を結ぶことも具体的に検討すべきである。その際、JRだけでなく航空業界に属する企業や圏内外企業にも資本参加させ、国家プロジェクトとして早期に開通させることにより、関連機器製作工場での要員の大量採用を可能とする。

②超小型エコカーの開発

自動車開発では、エネルギー消費を考慮し、まずは小型車の開発から着手すべきであろう。エコカーでも中型車・大型車ではエネルギーを使い過ぎるからである。例えばメルセデスの「スマート」のような超小型のエコカー開発を国策として行い、それと併行して電気・水素・バイオマス自動車の研究開発に投資する。また、新産業の育成として、自動車各社が推進している太陽電池車や電気自動車の事業化を期して、国としても推進するべきである。

③老人医療・メンタルヘルスへの新たな取組み

超高齢社会へと突き進んでいるわが国で、いま最も必要なのは老人専門の町医者の育成および支援である。介護の分野だけでなく、健やかな老年を送るための予防医学的な分野への国としての取組みが急務となる。

また、メンタルヘルス不全者の治療体制の確立も急がれる。西洋医学・東洋医学・心理学等の専門医療従事者および産官学の専門家の参画のもと、世界から人材を集めて「メンタル総合国立病院」を創設するのである。その際、ロシアの「ダーチャ」(別荘)を参考にした郊外型家庭菜園付メンタルヘルス支援施設の導入なども考えられる。

 

重要な英語力のアップ

④全国民の英語力向上へ

なお、雇用創出のためには公共工事も一手ではあるが、グローバル化や知識社会に対応するための必須条件である「全国民の英語力向上」に向けて1兆円を投入することも提案したい。この点、英語教育に熱心な韓国では、全ての高校卒業生が流暢な英語を話せるための計画に政府が4兆ウォン(約4500億円)を投入すると聞くが、わが国では、中学・高校・大学の英語教員を再教育し実力なき者を淘汰するための教育養成システムの構築に、まず重点を置くべきであろう。グローバルに活躍できる人材を育て産業力・国力を上げるためにも、国民の英語力向上への投資は極めて重要である。

折しも、政府は本年4月9日に「未来開拓戦略」を発表し今後3年間で140万~200万人の雇用創出を見込むが、単なる弥縫策ではなく長期的視点に立った大胆な戦略と緻密な計画が今こそ求められる。

 

 

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2017年4月29日(土)8:53 千代田区九段南4にてマーガレットを撮影
花言葉:「信頼」

 

~お知らせ~


私が執筆した書籍2冊が今月中旬に刊行されます。

1冊は、以前このブログでも連載をしていた「弁護士の営業」を元に執筆した

『弁護士の経営戦略』(株式会社民事法研究会)という本で、

もう1冊は『一流の人は小さな「ご縁」を大切にしている』(株式会社かんき出版)という本です。

どちらも私の長年の弁護士人生を通じて得た知識・経験をもとに書いた自信作です。


興味のある方は、弊所HPに詳細を記載しておりますので、ご確認ください。


『一流の人は小さな「ご縁」を大切にしている』
http://www.law-pro.jp/books/p3501/

 

『弁護士の経営戦略』
http://www.law-pro.jp/books/p3506/

 

 

 

第27回リストラの本質と手法―恐慌下における諸現象を踏まえて(3)ー
(2009年5月11日転載) 

 

 

企業存続と再興を強調

今後、正社員についての雇用調整・リストラが急激に進み、紛争が増えれば、いわゆる整理解雇の4要件に基づく裁判所の判断は、厳しい雇用情勢の中で厳格になっていくであろう。そして、企業としては従業員への説明や組合との協議も短時間で終結することを迫られ、その結果として経営資料の開示も一層強く迫られるであろう。私が多数のリストラ案件を担当する中で必要に迫られ編み出した知恵と工夫の筆頭に、リストラに当たっての「大義名分」を明らかにする手法が挙げられる。

大義名分は、裁判所のいう「整理解雇の必要性」が現下の人員削減の必要性を説くにとどまるのと異なり、右の必要性はもとより、従業員らの士気を極力損なわないよう企業の存続・再生・再興を図るためにはリストラしかないことをデジタルな資料で強調する点において、独自性がある。即ち、大義名分書では、①厳しい経営状況、②経営改善努力、③経営のけじめと再建に向けた体制、④合理化の徹底と再建計画骨子、⑤再建の前提としての人件費の限界と人員体制、⑥人件費および人員目標達成の具体的方策―などの項目を掲げ、人員削減の必要性および再興を実現する手立てを説得的に示す。加えて、当該企業が「未来に生きる」ための目的意識と、リストラの断行により社会的ニーズに応える企業として存続し得ることを明示するのである。理想としては、従業員等に企業の将来を考えさせるために、日頃から経営に関する情報公開を行い、共通認識を持たせることが必要となるだろう。

 

予め想定問答集も用意

さらに、「大義名分書」のほかに、「想定状況」および「想定問答」の精査も必要となる。

「想定状況」とはリストラを実行するに当たってのリスクを予め想定し、それに対する対応策を構想することをいう。

リストラの想定状況の第1は、優秀な人材が希望退職募集等に応募して退職するのではないかという不安である。この防御策としては、後述の「ターゲットシステム」あるいは募集要項に留保条項を明記することが一般に行われている。

第2は、人員削減によって当該企業の業務の維持が不可能になるという不安である。これに対しては、アウトソーシングの徹底、パート・アルバイト社員の雇用の検討等が浮上する。

第3は、人員削減に対する反発から、新たな労働組合が結成されたり外部の労働組合に加入する者が出てくる不安である。その防御策としては、合理化の必要性を従業員に理解させることが肝要であるから、大義名分書が行き届いた内容で納得感のあるものであることが必要不可欠となるのである。

次に「想定問答」とは、労働組合との折衝・交渉に当たり想定される質問と、対象者との個人面談の際に対象者から発せられることが想定される質問とをリストアップし、予めQ&Aにまとめたものである。

想定される代表的質問としては、①希望退職募集への応募を勧奨されたのに応募しないとどうなるのか問う、②経営者・管理職者の責任を指摘し面談者自身も希望退職に応募するのか問う、③再就職斡旋に関する当該企業の努力を問う、④当該対象者・応募者のみに金銭等の特別な取扱いを求める―などであるが、企業によってはマスコミや取引先に対する想定問答を用意すべきケースもある。

 

コア人材には引留め策

リストラを為し遂げるためには、「スケジュール表・具体的進行表」も内々に作成しなければならない。ことの性質上各々の企業の事情・特性に合致するものを作成すべきであるから特に指標はないが、重要なのは、①人員削減を決意してから3カ月以内で全体が終了するタイムテーブルを作成する、②タイムテーブルの作成までに準備企画として1カ月、組合との交渉で1カ月、その後実行行為として1カ月の計3カ月以内に終えることであり、Just in timeの方式であることが必要だ。この恐慌状態では時間的余裕がない。情報が漏洩する危険を避けるためにも、なるべく短期間で収める必要があるからである。

ところで、かつては従業員全員に対して希望退職を募集していたが、今では退職を求めたい者のみ退職を慫慂する「ターゲットシステム」を採用することが多い。含み損社員に退職を促すとともに、リストラ後の起業の再興・存続に必要不可欠なコア人材・優秀人材の流出を防ぐためである。経営の再建・再興を可能にするためには、人件費負担をできる限り軽くし、少数精鋭で再建する体制を組み立てなければならない。そして、リストラを通じて経営再建を図りたいという暗黙の共通認識を、経営側のみならず当該優秀人材にも抱いてもらうことが肝要である。そのためには、彼らを人員整理のための実行部隊に入れたり、リストラ終結後も継続する仕事を担当させることも有用であろう。

また、企業にとって必要な優秀人材については、“希望退職に応募しても会社側が受理しない場合がある”という留保条項をつけることもある。この点判例は、希望退職応募に際して会社側の「承諾を要件とした趣旨が…(会社の)業務の円滑な遂行に支障がでるような人材の流出という事態を回避しようというものであって、それ自体不合理な目的とはいえ」ず、「本制度について承諾という要件を課すことが公序良俗に反するものとはいえない」としている(大和銀行事件=大阪地判平12・5・12)。

 

仕事の”報酬”は仕事で

なお、一般的なリテンション策としては、日常的に以下を行う必要がある。①従業員等にメリハリのある明確な評価を下す、②評価結果のフィードバックは時間をかけてしっかりと行い本人に納得させる、③高い評価を与えた者はどんどん抜擢し、給与も上げる。

しかし何よりも重要なのは、高評価の者にはより価値のある仕事を与え、「仕事の報酬は仕事」で報いることである。組織の中で認められているという感覚こそが仕事のやりがい、充実感、満足感を醸し出すのである。ただし、従業員等がロイヤリティー(忠誠心)を持てる魅力を、企業が保持し続けることが必要であることを忘れてはならない。

厳しい経営環境下では有能な人材ほど先見性を発揮し、将来が期待できない企業に対しては早く見限る傾向がある。それでは、少数精鋭で企業の再建を図るという最大の目標も達成できず、逆に資金を投じて企業を脆弱化させるという極めて不本意な結果を招いてしまう。

このとき十分に説得的な文章や資料が準備され、理解を得られたかどうかがリストラの成否を分けるのである。リストラの根拠と企業の再興の姿を明確にした大義名分書が不可欠となる所以は、ここにこそある。

 

企業存続と再興を強調 

今後、正社員についての雇用調整・リストラが急激に進み、紛争が増えれば、いわゆる整理解雇の4要件に基づく裁判所の判断は、厳しい雇用情勢の中で厳格になっていくであろう。そして、企業としては従業員への説明や組合との協議も短時間で終結することを迫られ、その結果として経営資料の開示も一層強く迫られるであろう。私が多数のリストラ案件を担当する中で必要に迫られ編み出した知恵と工夫の筆頭に、リストラに当たっての「大義名分」を明らかにする手法が挙げられる。 

大義名分は、裁判所のいう「整理解雇の必要性」が現下の人員削減の必要性を説くにとどまるのと異なり、右の必要性はもとより、従業員らの士気を極力損なわないよう企業の存続・再生・再興を図るためにはリストラしかないことをデジタルな資料で強調する点において、独自性がある。即ち、大義名分書では、①厳しい経営状況、②経営改善努力、③経営のけじめと再建に向けた体制、④合理化の徹底と再建計画骨子、⑤再建の前提としての人件費の限界と人員体制、⑥人件費および人員目標達成の具体的方策―などの項目を掲げ、人員削減の必要性および再興を実現する手立てを説得的に示す。加えて、当該企業が「未来に生きる」ための目的意識と、リストラの断行により社会的ニーズに応える企業として存続し得ることを明示するのである。理想としては、従業員等に企業の将来を考えさせるために、日頃から経営に関する情報公開を行い、共通認識を持たせることが必要となるだろう。 

 

予め想定問答集も用意 

さらに、「大義名分書」のほかに、「想定状況」および「想定問答」の精査も必要となる。 

「想定状況」とはリストラを実行するに当たってのリスクを予め想定し、それに対する対応策を構想することをいう。 

リストラの想定状況の第1は、優秀な人材が希望退職募集等に応募して退職するのではないかという不安である。この防御策としては、後述の「ターゲットシステム」あるいは募集要項に留保条項を明記することが一般に行われている。 

第2は、人員削減によって当該企業の業務の維持が不可能になるという不安である。これに対しては、アウトソーシングの徹底、パート・アルバイト社員の雇用の検討等が浮上する。 

第3は、人員削減に対する反発から、新たな労働組合が結成されたり外部の労働組合に加入する者が出てくる不安である。その防御策としては、合理化の必要性を従業員に理解させることが肝要であるから、大義名分書が行き届いた内容で納得感のあるものであることが必要不可欠となるのである。 

次に「想定問答」とは、労働組合との折衝・交渉に当たり想定される質問と、対象者との個人面談の際に対象者から発せられることが想定される質問とをリストアップし、予めQ&Aにまとめたものである。 

想定される代表的質問としては、①希望退職募集への応募を勧奨されたのに応募しないとどうなるのか問う、②経営者・管理職者の責任を指摘し面談者自身も希望退職に応募するのか問う、③再就職斡旋に関する当該企業の努力を問う、④当該対象者・応募者のみに金銭等の特別な取扱いを求める―などであるが、企業によってはマスコミや取引先に対する想定問答を用意すべきケースもある。

 

コア人材には引留め策

リストラを為し遂げるためには、「スケジュール表・具体的進行表」も内々に作成しなければならない。ことの性質上各々の企業の事情・特性に合致するものを作成すべきであるから特に指標はないが、重要なのは、①人員削減を決意してから3カ月以内で全体が終了するタイムテーブルを作成する、②タイムテーブルの作成までに準備企画として1カ月、組合との交渉で1カ月、その後実行行為として1カ月の計3カ月以内に終えることであり、Just in timeの方式であることが必要だ。この恐慌状態では時間的余裕がない。情報が漏洩する危険を避けるためにも、なるべく短期間で収める必要があるからである。

ところで、かつては従業員全員に対して希望退職を募集していたが、今では退職を求めたい者のみ退職を慫慂する「ターゲットシステム」を採用することが多い。含み損社員に退職を促すとともに、リストラ後の起業の再興・存続に必要不可欠なコア人材・優秀人材の流出を防ぐためである。経営の再建・再興を可能にするためには、人件費負担をできる限り軽くし、少数精鋭で再建する体制を組み立てなければならない。そして、リストラを通じて経営再建を図りたいという暗黙の共通認識を、経営側のみならず当該優秀人材にも抱いてもらうことが肝要である。そのためには、彼らを人員整理のための実行部隊に入れたり、リストラ終結後も継続する仕事を担当させることも有用であろう。

また、企業にとって必要な優秀人材については、“希望退職に応募しても会社側が受理しない場合がある”という留保条項をつけることもある。この点判例は、希望退職応募に際して会社側の「承諾を要件とした趣旨が…(会社の)業務の円滑な遂行に支障がでるような人材の流出という事態を回避しようというものであって、それ自体不合理な目的とはいえ」ず、「本制度について承諾という要件を課すことが公序良俗に反するものとはいえない」としている(大和銀行事件=大阪地判平12512)。

 

仕事の報酬は仕事で

なお、一般的なリテンション策としては、日常的に以下を行う必要がある。①従業員等にメリハリのある明確な評価を下す、②評価結果のフィードバックは時間をかけてしっかりと行い本人に納得させる、③高い評価を与えた者はどんどん抜擢し、給与も上げる。

しかし何よりも重要なのは、高評価の者にはより価値のある仕事を与え、「仕事の報酬は仕事」で報いることである。組織の中で認められているという感覚こそが仕事のやりがい、充実感、満足感を醸し出すのである。ただし、従業員等がロイヤリティー(忠誠心)を持てる魅力を、企業が保持し続けることが必要であることを忘れてはならない。

厳しい経営環境下では有能な人材ほど先見性を発揮し、将来が期待できない企業に対しては早く見限る傾向がある。それでは、少数精鋭で企業の再建を図るという最大の目標も達成できず、逆に資金を投じて企業を脆弱化させるという極めて不本意な結果を招いてしまう。

このとき十分に説得的な文章や資料が準備され、理解を得られたかどうかがリストラの成否を分けるのである。リストラの根拠と企業の再興の姿を明確にした大義名分書が不可欠となる所以は、ここにこそある。

企業存続と再興を強調

今後、正社員についての雇用調整・リストラが急激に進み、紛争が増えれば、いわゆる整理解雇の4要件に基づく裁判所の判断は、厳しい雇用情勢の中で厳格になっていくであろう。そして、企業としては従業員への説明や組合との協議も短時間で終結することを迫られ、その結果として経営資料の開示も一層強く迫られるであろう。私が多数のリストラ案件を担当する中で必要に迫られ編み出した知恵と工夫の筆頭に、リストラに当たっての「大義名分」を明らかにする手法が挙げられる。

大義名分は、裁判所のいう「整理解雇の必要性」が現下の人員削減の必要性を説くにとどまるのと異なり、右の必要性はもとより、従業員らの士気を極力損なわないよう企業の存続・再生・再興を図るためにはリストラしかないことをデジタルな資料で強調する点において、独自性がある。即ち、大義名分書では、①厳しい経営状況、②経営改善努力、③経営のけじめと再建に向けた体制、④合理化の徹底と再建計画骨子、⑤再建の前提としての人件費の限界と人員体制、⑥人件費および人員目標達成の具体的方策―などの項目を掲げ、人員削減の必要性および再興を実現する手立てを説得的に示す。加えて、当該企業が「未来に生きる」ための目的意識と、リストラの断行により社会的ニーズに応える企業として存続し得ることを明示するのである。理想としては、従業員等に企業の将来を考えさせるために、日頃から経営に関する情報公開を行い、共通認識を持たせることが必要となるだろう。

 

予め想定問答集も用意

さらに、「大義名分書」のほかに、「想定状況」および「想定問答」の精査も必要となる。

「想定状況」とはリストラを実行するに当たってのリスクを予め想定し、それに対する対応策を構想することをいう。

リストラの想定状況の第1は、優秀な人材が希望退職募集等に応募して退職するのではないかという不安である。この防御策としては、後述の「ターゲットシステム」あるいは募集要項に留保条項を明記することが一般に行われている。

第2は、人員削減によって当該企業の業務の維持が不可能になるという不安である。これに対しては、アウトソーシングの徹底、パート・アルバイト社員の雇用の検討等が浮上する。

第3は、人員削減に対する反発から、新たな労働組合が結成されたり外部の労働組合に加入する者が出てくる不安である。その防御策としては、合理化の必要性を従業員に理解させることが肝要であるから、大義名分書が行き届いた内容で納得感のあるものであることが必要不可欠となるのである。

次に「想定問答」とは、労働組合との折衝・交渉に当たり想定される質問と、対象者との個人面談の際に対象者から発せられることが想定される質問とをリストアップし、予めQ&Aにまとめたものである。

想定される代表的質問としては、①希望退職募集への応募を勧奨されたのに応募しないとどうなるのか問う、②経営者・管理職者の責任を指摘し面談者自身も希望退職に応募するのか問う、③再就職斡旋に関する当該企業の努力を問う、④当該対象者・応募者のみに金銭等の特別な取扱いを求める―などであるが、企業によってはマスコミや取引先に対する想定問答を用意すべきケースもある。

 

コア人材には引留め策

リストラを為し遂げるためには、「スケジュール表・具体的進行表」も内々に作成しなければならない。ことの性質上各々の企業の事情・特性に合致するものを作成すべきであるから特に指標はないが、重要なのは、①人員削減を決意してから3カ月以内で全体が終了するタイムテーブルを作成する、②タイムテーブルの作成までに準備企画として1カ月、組合との交渉で1カ月、その後実行行為として1カ月の計3カ月以内に終えることであり、Just in timeの方式であることが必要だ。この恐慌状態では時間的余裕がない。情報が漏洩する危険を避けるためにも、なるべく短期間で収める必要があるからである。

ところで、かつては従業員全員に対して希望退職を募集していたが、今では退職を求めたい者のみ退職を慫慂する「ターゲットシステム」を採用することが多い。含み損社員に退職を促すとともに、リストラ後の起業の再興・存続に必要不可欠なコア人材・優秀人材の流出を防ぐためである。経営の再建・再興を可能にするためには、人件費負担をできる限り軽くし、少数精鋭で再建する体制を組み立てなければならない。そして、リストラを通じて経営再建を図りたいという暗黙の共通認識を、経営側のみならず当該優秀人材にも抱いてもらうことが肝要である。そのためには、彼らを人員整理のための実行部隊に入れたり、リストラ終結後も継続する仕事を担当させることも有用であろう。

また、企業にとって必要な優秀人材については、“希望退職に応募しても会社側が受理しない場合がある”という留保条項をつけることもある。この点判例は、希望退職応募に際して会社側の「承諾を要件とした趣旨が…(会社の)業務の円滑な遂行に支障がでるような人材の流出という事態を回避しようというものであって、それ自体不合理な目的とはいえ」ず、「本制度について承諾という要件を課すことが公序良俗に反するものとはいえない」としている(大和銀行事件=大阪地判平12・5・12)。

 

仕事の”報酬”は仕事で

なお、一般的なリテンション策としては、日常的に以下を行う必要がある。①従業員等にメリハリのある明確な評価を下す、②評価結果のフィードバックは時間をかけてしっかりと行い本人に納得させる、③高い評価を与えた者はどんどん抜擢し、給与も上げる。

しかし何よりも重要なのは、高評価の者にはより価値のある仕事を与え、「仕事の報酬は仕事」で報いることである。組織の中で認められているという感覚こそが仕事のやりがい、充実感、満足感を醸し出すのである。ただし、従業員等がロイヤリティー(忠誠心)を持てる魅力を、企業が保持し続けることが必要であることを忘れてはならない。

厳しい経営環境下では有能な人材ほど先見性を発揮し、将来が期待できない企業に対しては早く見限る傾向がある。それでは、少数精鋭で企業の再建を図るという最大の目標も達成できず、逆に資金を投じて企業を脆弱化させるという極めて不本意な結果を招いてしまう。

このとき十分に説得的な文章や資料が準備され、理解を得られたかどうかがリストラの成否を分けるのである。リストラの根拠と企業の再興の姿を明確にした大義名分書が不可欠となる所以は、ここにこそある。

 

 

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平成29年4月7日(金)11:30 埼玉県日高市高麗神社にて桜を撮影 

 

 

第26回リストラの本質と手法―恐慌下における諸現象を踏まえてー(2)
(2009年5月4日転載) 

 


経営悪化した企業がリストラを断行する本来の目的は、雇用調整によるコストダウンそれ自体ではなく、あくまでも事業経営システムの再構築(リストラクチュアリング)にあることを忘れてはならない。リストラを行う際の留意事項として、リストラ後の業務維持・再興が掲げられる所以もこの点にある。

 

雇用解消の具体的手順

とすれば、企業のリストラに当たり最も重要なミッションとは、「企業戦略は人事戦略に宿る」との理念のもと、組織のあり方を次代の事業戦略に合うように見直し、必要な人材を見極めて内部に留めることである。そして人材の選別は正規・非正規という雇用上の身分に関係なく、労働者自身の資質・能力・技能、技術を公明・公平・公正に判断した結果に基づいて行わなければならない。

経営悪化に陥った企業の雇用調整の手順は具体的には、①企業戦略に基づき今後の組織像を明確にする、②組織を活性化できる優秀人材の引き留め策を実行する、③正規・非正規の区別なく「ロー・パフォーマー」の雇用を解消する、④その上で全社的に早期退職者の募集を行う、⑤それでも雇用調整が進まない場合には非正規労働者を雇止めする―ということになろう。

翻って企業のリストラの現状をみると、非正規労働者が雇用の安全弁とされ、不況になると彼らが真っ先に切り捨てられているし、古い裁判例ではあるが最高裁判所もそれを「合理的な差異」として是認している(日立メディコ事件=最判昭61・12・4)。しかし、リストラの本質が事業の再構築・再興にあるという根本に立ち返れば、非正規という身分のみを理由とする雇用関係の解消は不合理にして悪であるという法思想が生まれ、新しい判例が登場するのは必然であろう。優秀人材の見極めは身分を問わず事業再興に資する能力の有無でのみなされるべきことを忘れてはならない。

 

「含み損社員」から着手

ところで、雇用差別見直しの歴史を顧みると、まず男女差別の解消に始まっている。1985年に制定され数度の改正を経たいわゆる男女雇用機会均等法は、既に差別的取扱いを禁止していた募集・採用、配置・昇進・教育訓練、福利厚生、定年・解雇に加えて、2006年の改正で降格・雇用形態の変更・労働契約の更新・退職勧奨等も差別禁止とした(同法6条)。

次に禁止されたのは年齢差別である。雇用対策法は、2007年の改正で募集および採用における年齢制限の禁止を事業主の努力義務から義務規定とした(同法10条。但し例外事由あり)。

そして2008年4月に施行されたいわゆる改正パートタイム労働法では、「同一労働同一処遇」の理念のもと、短時間労働者の待遇はその働きや貢献に応じて決定することが求められた。特に、通常の労働者と同じ働きをしている者の待遇について差別的取扱いが禁止され、均等待遇の確保が明示された(同法1条、8条等)。

今後は、正規・非正規の身分差別がなお一層見直され実力本位となり、将来的には雇用解消の場面でも差別が禁止されるに至ると思われる。

なお、直接雇用ではない派遣労働はそもそも雇用調整の安全弁として機能することを企図された雇用形態であるから、今回のような恐慌時にまず契約関係が解消されるのは理論上当然である。今回の「派遣切り」問題は、Just in time方式で一挙に行われた雇用調整の様相が余りに鮮烈であったために、派遣労働の実態が社会問題としてクローズアップされたのである。マスコミ等で、彼らの契約を真っ先に打ち切ることが社会的弱者への仕打ちの如く非難されたのは、労働者派遣法を含む労働法全般が労働者の人間としての尊厳を最低限確保するための社会法であるという認識が、立法・行政に希薄だったためであろう。今後、単純労働は次第に直接雇用へと移行せざるを得ず、派遣労働は制定当初のように専門性の高い職種に限定されていくのではないだろうか。

このように雇用差別の見直しが進む結果、雇用関係の解消に当たっては正規・非正規という雇用上の身分に拘泥せず、ロー・パフォーマーか否かを基準とすべきであるという法思想が生まれ、人材の賞味期限切れへの対応が意識されるようになる。そして雇用調整のルールとなる新たな最高裁判例および立法措置も生まれ、実力主義のもとでの雇用調整が行われるようになるだろう。

ところで、非違行為はないがロー・パフォーマーである者を勇退に導くプロセスの具体例は次のとおりである。①まず、含み損社員のワーストを選ぶ。実際には様ざまなしがらみなどから本当のワーストを除外する傾向が強いが、これらを乗り越えて選定する。ここで留意すべきはあくまで現在の実力によって判断することであり、過去の実績を勘案してはならない。②次に、2回ほど配置換えを行いこの間指導・注意・警告を繰り返して「誰もが当該労働者に往生した」という実績(例えば人事考課が3回連続最低ランクであるなど)を記録する。この点、裁判所も「勤務評定という客観的な評価に基づいて最も低い評価を受けた者を解雇するという人選がされたものであるから」、「被解雇者(3回連続最低ランクのDを受けた者)の人選は妥当であった」としている(東京都土木建築健康保険組合事件=東京地判平14・10・7)。③その後、「残念だが勇退をお願いする」というプロセスを経て勇退に導く。その際、企業各々のカラー・社風に副った表現で、「勇退を求める」「淘汰する」という趣旨を明確に伝える。この時、然るべき退職金を支払うことが重要である。④当該労働者の勇退後は、それが前例となりその後の淘汰は容易に進むだろう。

 

正社員でも躊躇は無用

さて、前述のとおりいわゆる改正パートタイム労働法の「同一労働同一処遇」の理念は、雇用関係の“出口”=雇用関係の解消においても、十分に留意されるべきである。その結果、これからは正社員の既得権である雇用保障と賃金にメスを入れることが、リストラのメーンテーマとして不可避となってくる。

正社員の雇用保障を打破する最も合理的で現実に即した方法は、先に述べたように「含み損社員」の解雇規制を緩和することである。なぜなら、成果主義的な人事制度と賃金体系が浸透した今日の状況にあっては、貢献と雇用保障とのバランスを失する従業員は解雇されてもやむを得ないとする法的思想が生まれ、その結果として正社員の単純一律的な雇用保障は不適当と理解されるに違いないからである。

経営悪化に陥ってしまった企業の果たすべき社会的責任の根本は、事業再興に向けて本当に必要な人材を見極めたうえで、人員削減をしてでも企業の存続を図り雇用の場を確保することにある。そのためには、経営者は正社員のリストラを躊躇してはならないのである。

 

 

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2017年3月17日(金)7:33 芝公園にて菜の花を撮影
花言葉:「快活、明るさ」



第25回リストラの本質と手法―恐慌下における諸現象を踏まえて―(1)
(2009年4月27日転載) 

 


高井伸夫弁護士は、日本経済が“脳梗塞”状態から抜け出すには8年を要するとみている。半身不随となる前に、正社員削減を含めたコスト対策を最優先すべきであるとした。1000件を超すリストラに携わった経験を基に解決の方向性を明らかにする。

 

光輝くべき春を迎えても、日本社会には重苦しい閉塞感が漂っている。今回の不況は一過性ではなく、恐慌と言える性質のものである。私が敬愛する中前忠先生(中前国際経済研究所代表)は、昨年12月の講演で、現在の金融不況はまだ三合目にすぎず惨憺たる状況が今後も続くと指摘された。

思えば、2007年12月初旬(当時日経平均株価1万5000円台・1ドル110円台)、私が某証券会社の経営幹部に「日経平均株価は7000円、為替は1ドル75円となり、不況は少なくとも2015年まで続く。大手証券会社ですらそれまでに従業員を半分以下にリストラせざるを得ない」と予測したときには誰も信じなかった。しかし、今ではそのとおりの展開になっていると言ってよい。各企業は急激に業績を悪化させ、リストラこそが企業存続のために必須であり、企業はリストラ義務を負っていると言っても過言ではない。「(2008年12月からの1年間で)270万人の雇用が喪失する可能性がある」(2009年2月4日、前日銀副総裁・大和総研理事長武藤敏郎氏講演)との見通しはさらに悪化するだろう。

私が企業の人員整理を担当し始めたのは、1963年に弁護士になって間もなくのこと。これまでに数多くのリストラ案件を体験し、その数は余りにも多く自分自身では数えていないが、1000件以上になるという人もいる。その経験から、企業の再構築(本来の意味のリストラクチュアリング)には、常に半歩先を読む先見性と、問題点を明確にした上で解決への方向性を具体的に解き明かすことが必要であると痛感してきた。

本稿では、まず導入として不況が2015年まで続くと予測する根拠等を述べ、次回以降、企業が生き残りをかけて行う人員削減策の問題点を真正面から取り上げ、提言を行いたい。

 

日米同時破産の懸念も

ドラッカーは「放っておけば不況も自然に治ることは確かであろう。しかしその頃には患者は死んでいる」とし、「あらゆる先進社会が、不況に対しては積極的な対策をとらざるを得ない」と指摘している(初版1946年『企業とは何か』第12章参照)。

今年1月10日付日本経済新聞で、倒産法の専門弁護士であり裁判官としても活躍され、退官後には産業再生機構の委員長を務められた高木新二郎先生が、「万が一トヨタや日産、ホンダの売上高が半減した場合も想定して、日本も支援策を検討した方がよい。影響が甚大な大企業には公的資金を入れ、中小企業にはモラトリアム(借金の棚上げ)をする。職を失った人への生活保護など総合的な対策を考えたほうがよいのではないか」と明言されたのも、また、金融危機で資金調達が困難になった一般企業に対して、一定要件のもと公的資金を活用して資本注入する新制度創設が国会で審議中なのも(改正産業活力再生特別措置法)、前掲のドラッカーの言葉と同じ問題意識に立つ。そして、トヨタ自動車が4月まで国内生産台数を前年同期比で半減させたり、新日本製鐵が粗鋼生産高を前年度比4分の1減とした状況をみれば、まさに高木先生の「売上が半減した場合は公的資金を入れて救う以外ない」とのご指摘が現実化しつつあることが分かる。日米同時破産ということも半ば公然と言われ始めている。 さて、歴史的に紛争の解決方法として「競争的解決」と「協調的解決」という2つの方途が考えられるが、恐慌の克服策としても、それは同様である。

 

正社員も例外ではない

1929年の世界恐慌の際、人類は戦争という競争的解決による経済の立て直しを選択し、第二次世界大戦(1939~45年)に至った。すなわち、1927年(昭和2年)の金融不況以降、極めて深刻な経済状況に陥った日本も「競争的解決」による克服をめざした。1929~31年頃の東京朝日新聞の見出しを見ると、「空前の就職難時代」「減俸令発表さる(現在の公務員の賃金ダウン)」「官庁も会社も皆人減らし」「失業地獄」「民間会社・銀行も減俸にならえ」等々の言葉が並び、当時の厳しい状況が伝わってくる。1930年度卒業生就職率は、大学卒39.1%、専門学校卒43.8%であり、まさに「大学は出たけれど」(1929年、小津安二郎監督映画作品)どおりの状況であった。結局、わが国は有効な打開策を講じることができず、満州事変(1931年)、日中戦争(1937年)という形で大陸への軍事的な領土拡張策を展開し、市場確保と軍隊の増強によって失業者の吸収・救済を図ろうとした。

かくして日本では1937年には一時的軍需景気で「競争的解決」は成功したかにみえたものの、1945年には敗戦を迎えた。この戦争で日本を始め多くの国が焦土と化し、生産力が減退すると同時に大量の物資が必要となったが、戦後にはイノベーションにより需要が喚起され経済が復興したのである。

ところが、今このような世界的規模の戦争をすれば核による地球の破壊をもたらすのは必定であり、今回の恐慌は戦争という競争的解決を用いることはできない。それが、協調的解決しか取り得ないと世界で強く認識されている所以である。例えば、世界同時不況の解決策について協議する金融サミットが、G7ではなく日米欧に新興国を加えたG20によるものであることも、世界規模による協調的解決が必至である証左であろう。

先にこの不況は少なくとも 2015年まで続くと予想したがその根拠は、1929年の世界恐慌の終息まで16年間要したことから(第二次大戦の終結は1945年)、今回世界全体で強力に協調的解決が可能になったとしても、少なくとも半分の8年間は必要と考えたらからである。

いわゆるサブプライムローンに端を発した金融危機で、血液であるカネを送り出す心臓の役割を果たす金融機関が、不良債権の急増により機能不全に陥っている。そのため、借金(テコ)で消費・投資していた人々が資金調達できなくなり、カネの流れも滞ってしまった。これは言ってみれば脳梗塞のような状態であり、回復には時間がかかるであろう。「血液」が流れないと「身体=市場」に酸素や栄養が届かず、深刻なダメージとなって半身不随に陥り、更に企業倒産という壊死さえも起こり始めている。

各企業は、この未曾有の不況下で先が読めず、完全な機能不全に陥る前にコスト削減を最優先し、正社員をも人員削減の対象とするリストラを続けざるを得ない状況なのである。

 

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2017年2月11日(土)7:40 中目黒公園にてローズマリーを撮影
花言葉:「記憶、思い出」 

 

 

第24回雇用の未来(終)
(2009年2月23日転載)

 

 

前回の最後に企業の「社会的貢献」の未来像について論じたが、近年においては「コンプライアンス」「環境問題」「社会貢献」等あらゆる問題を含めて企業の社会的責任(CSR=Corporate Social Responsibility)への取組みとして、多くの企業が社会に向けて強くアピールしている。

 

雇用創出は社会的責任

しかし、企業の社会的責任の第1は何といっても「企業の存続」であり、それは「雇用の確保」「雇用の創出」「雇用の場の創造」であることは絶対に譲れない。私が「雇用の創出」の最重要性をここで強調するのは、今後ますます深刻化する経済不況によって、雇用調整・リストラが加速されることのみが理由ではない。好不況を問わず、いついかなるときでも、企業は雇用を創出する社会的責任を負っているのである。

なぜなら、雇用の創出・雇用の場の創造がなければ、結局国民は困窮し、国そのものが倒産してしまうからである。まして、グローバル企業ともなれば、雇用の場が喪失すれば進出先の地域の経済にも打撃を加えることになる。企業の社会的責任は、今やグローバル規模で捉える必要がある。

周知のことであるが、ドラッカーは、著書「現代の経営」において2つのことを述べている。「事業の目的として有効な定義はただ1つである。それは、顧客を創造することである」「顧客だけが雇用を創出する。そして、社会が企業に資源を託しているのは、その顧客に財やサービスを供給させるためである」。

つまり、企業が事業を行うことは、雇用の創出に直結することであり、企業の社会的使命でもある。経営者は雇用創出という重大な責務を深く自覚しなければならない。そして政治家は、企業が雇用創出できる政策を実行しなければならない。

オバマ大統領に限らず、米国の歴代大統領が機会あるごとに自らの政策が雇用の創出にどれほど寄与するか国民に向かって必ず数値を具体的に明言するのは、そうした理解と緊張感があるからである。オバマ大統領も、グリーン・ニューディール等を看板に、2年間で300万人~400万人(うち90%は民間部門)の雇用創出をめざすと説いている。

この点、日本の政治は雇用については未だに「派遣労働者の正社員化で派遣先に100万円支給」等の役所の助成金(雇用調整助成金・中小企業緊急雇用安定助成金等々)が主流であり、発想が貧困である。

私は、今から10年以上前に「今こそ求められる抜本的な雇用改革―労働省予算は『雇用創出度』で格付けを」というテーマの論稿を発表したが(1998年12月14日号『日経ビジネス』掲載)、爾来、日本の立法や行政が「雇用の創出」をめざして知恵を絞り、効果的な政策の立案に真剣に取り組んだという事象を寡聞にして知らない。

お上の助成金頼みではなく、個別企業が雇用の創出を実行するには、何と言っても消費者・需要者(自然人のみならず法人も含む)の関心やニーズが奈辺にあるか追求してイノベーションを徹底させ、購買意欲を刺激する新商品・新サービス・新事業を開発し、顧客が“お金を落とす”に値する商品・サービスを構築することが重要であって、道はそれしかない。

「未来を予測する最もよい方法は未来を創り出すことである」(1971年ノーベル物理学賞受賞者デニス・ガボール氏)という言葉があるように、徹底したマーケティングが未来のヒット商品と雇用創出につながるのである。

 

研究開発に心血を注げ

こうした努力がなければ、自社の不採算部門から出した失業者や他企業からの失業者を吸収することなどできず、また新規開業による雇用の場も増えず、個人も企業も地域も国もいずれ破綻してしまう。今は資金繰りの困難さから実際上の難しさはあろうが、苦しくとも可能なかぎり新商品等の研究開発に励み、あるいは既存の商品・サービスについても斬新な形に変え、再度顧客に提供することに、経営者も従業員も心血を注がねばならない。

さらに、新商品・新サービスの開発に当たっては、1人の発明家による成果が新商品や新事業にもつながり雇用を創出し得ることにも留意すべきである。例えば、青色LEDの職務発明による相当対価の金額が争われ、社会的にも大きな話題となった「日亜化学工業事件」(2005年1月11日東京高裁で和解成立・和解金8億4000万円強)のケースを例にとると、元従業員の訴訟代理人を務められた升永英俊弁護士によれば、青色LEDの売上高の急伸により、当該企業の雇用数は「1993年当時の200人台から、2003年度は3000人程度と劇的に増大」したと報じられたという。1人の優れた発明家がいかに雇用の創出に寄与するかを示す好例であろう(升永英俊弁護士「法と正義と200億円判決」/日経BP社刊「ビジネス弁護士大全2005」101頁参照)。

加えて、雇用の創出のためには、雇用の受け皿作りという視点も重要となる。

例えば労働集約的なサービス産業であれば、労働生産性を向上させることによって低収益体質から高収益体制へと脱皮させることが、絶対的に必要になる。今後はグローバルな企業間競争は更に激しくなり、また顧客の要求水準も一層高くなるから、生産性がますます問われることになる。従って、働く者には常に高いレベルの成果が問われ続けるし、業務改善は半永久的に続けていく必要があるのである。

 

このままでは国が滅ぶ

なお、生産性が要求されるとさらなるスピードや計画性が求められるのが必定であるが、一方でこの激務についていけない者も増えてくる可能性がある。ワーク・ライフ・バランスの考え方は、若手・女性・高齢者を中心にこれから根付いていくと思われるので、短時間で効率よく業務を行うためには、労働時間管理の重要性も増してくるだろう。全ての点において、これからはマネジメントの質を上げる必要性が生じている。

これからの日本企業は、誰もが予想しているとおり淘汰の危険にさらされながら経営を行うことになる。しかし、現下の不況は次に到来する本当の意味の惨状のプロローグに過ぎないかもしれない。

わが国は、明治維新、第二次世界大戦の敗戦等々、未曾有の社会変動を幾度もくぐり抜けて復興を遂げ発展してきたが、21世紀になって急速に進展したグローバル化・IT化には真の意味で未だ対応しきれていない。また人口減少・優秀人材の育成と海外流出防止の問題にも効果的な対策を打てず、国のあり方そのものが旧弊から脱し切れない。このままでは、国が滅ぶことは必然である。

雇用の未来は経営の未来であり、ひいては日本の未来である。そして、日本の未来は日本人の未来である。未来が明るくなるためには、雇用の創出が必要不可欠なのである。

ILOは「ディーセント・ワーク=decent work」(働きがいのある人間らしい仕事)の実現をスローガンとして提唱し、経済雇用政策の中心にすべきであると主張しているが、どのような仕事がdecentであるかを議論する以前のレベルとして、失業と脆弱な雇用(非正規労働)が問題視されている。

オバマ大統領の演説においてもdecentという言葉が使われ、各家庭が「jobs at a decent wage(適正な賃金の仕事)」を得ることの重要性を指摘している。仕事の量(仕事の有無)だけでなく仕事の質(働きがいのある人間らしい賃金)を問題にしていることがILOのディーセント・ワークの考え方にも通じているのである。

ILOの主張を待つまでもなく、雇用の創出は政治の最大課題であって、しかもその雇用がもたらす仕事は日本人を活気づけ、自己実現の喜びを与えるような「decent work」でなければならないといえる。補助金政策でたとえいくらかの雇用が確保されたとしても、それは後ろ向きの暗いものであり、明るい未来には決してつながらないのである。

 

人間性教育を一層重視

今は、ヘッドワークの時代からハートワークの時代を経て、本稿第3回(2月9日号)でも述べたように「ヒューマンワークの時代」を迎えようとしている。

それは、単に知識・知恵だけを持っていれば済むという世界ではなく、豊かな知識と知恵を兼ね備えていることに加えて、さらに人間性それ自体の発揮が求められるいわば「超・知識の時代」である。

 

それゆえ、学校でも企業でも、知識はもとより倫理・道徳面を含めて人間性の教育が一層重視されて然るべきである。その意味で雇用の未来では自らを「知」と「人間性」の両面で磨き続ける者しか、生き残ることはできない。

米国で黒人初の大統領が誕生したことで引き合いに出される機械が多いキング牧師だが、彼は歴史に残る演説(1963年8月「I Have a Dream」)で「肌の色ではなく内なる人格で評価される国」に米国がなることが夢であると語った。「人格」での評価・人間らしさの評価とは、働く者にもまさに当てはまる言葉なのである。

人格で評価される時代とは、誰もが人間の尊厳の重要性を認識し、それに値する振る舞いが求められる社会である。人間は価値ある存在として全ての生命体の頂点にあり、生物としての魂の次元においても、また人間存在の核心である人格においても尊厳性が発揮される状況を構築しなければならないということなのである。世界第恐慌を思わせる今の大不況期であればこそ、人間についてのこうした基本的な哲学が求められる。

「雇用の未来」をこの方向に導くことで、世界に誇れる品格のある社会が実現できるものと確信している。

 

 

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2017年2月4日(土)7:24 中目黒公園にてエリカ・ダーレンシスを撮影
花言葉:「博愛主義・幸運・孤独」 

 

 

第23回雇用の未来(4)
(2009年2月16日転載)
 

 

 

深刻な不況のもと製造業の派遣社員が大量に失職したことが契機となり、昨年末頃からワークシェアリング(仕事の分かち合い)導入の当否がさかんに議論されてきている。

 

難しい“ワークシェア”

ワークシェアリングの概念が、今回ほど意識された不況はなかった。ITバブルが崩壊した時期である2002年に「多様な働き方とワークシェアリングに関する政労使合意」が発表され一時は話題にもなったが、その後議論は自然消滅してしまった。

これまでの不況では「雇用調整」「リストラ」等の言葉が横溢していたが、今回の大不況ではこれらとともに、未だわが国で実績のない「ワークシェアリング」が注目されている。

その原因の1つは、今回の不況は従来のものとは質的に異なる極めて深刻なもので、物やサービスが極端に売れないため、仕事量自体が縮減し、人員整理だけに頼っていてはいかんともし難い経済状況であることにある。

確かに今回の不況に限れば、雇用を些かでも維持するための緊急手段として、ワークシェアリングを採用することも1つの方途であろう。しかし、①ワークシェアリングは人間の向上心を刺激しないこと、②ワークシェアの向く職種はともかく標準化が難しく、個々の相違工夫が求められる「ハートワーク」等においては仕事を分かち合うこと自体が難しいこと、③競争力が低下した産業の構造転換が遅れる弊害があること(③は本年1月9日付日経新聞・日本総研山田久氏談)等の理由で、ワークシェアリングの採用は基本的には望ましくない。

現に、生産性向上の権威として著名なデジタル関連製造業の経営者から、ワークシェアリングがいかに働く能力を蝕む仕組みであり、組織をダメにするかということを、私は直接お伺いしたことがある。製造業はワークシェアリングに適する業種との認識が一部にはあるが、この経営者は「製造業こそワークシェアは成功しない」と断言された。その理由は、仕事を分け合うことで生産性は落ちるし、また好況になって増産体制に入ろうとしても、一度“分かち合い”で力の出し惜しみが恒常化し、心身を完全になまらせてしまうと、労働能力は容易には元に戻らず、企業は立ち行かなくなるという。

現場にはこうした認識が強いにも拘らず、ワークシェアリングが話題になっている理由は、今回の不況が恐慌状態と言うべき立ち直りが容易でないものであり、働くこと・仕事に勤しみ対価を得ること自体が人間性の発露として重要であるという原点に立ち返って、働く機会を極力確保すべきと判断されていることにあると思われる。

恐慌下で大量の失職者が出ることは、長期にわたり収入が途絶える者が増大するだけでなく、失業して社会への貢献の場を失うことが人間性の喪失につながり、ひいては人間の尊厳を毀損するのである。

ワークシェアリングについての議論は、正規・非正規の処遇格差の是正を真剣に考える契機を提供する点においては意味があろう。

折しも、与謝野馨経済財政担当相は、ワークシェアリングに関する文脈の中で、「同じ職場で、同じ時間、同じ労働をして、賃金がこんなに違うのは社会的に正しくない」と発言したという。これはまさに「同一労働同一処遇」概念の必要を説くものであり、政府もその実現に向けて研究を開始したと思われる。

 

派遣対象業務を見直し

今や雇用者の約34%に当たる非正規雇用者の問題を抜きにして、雇用の未来は語れまい。これからは、非正規社員にも正社員への道を開かなければならないし、現に法制度もそのように発展し続けている。非正規社員という身分のみを理由とする差別が禁止されることは自明の理と言ってよいであろう。

雇用の未来には、正規が非正規かという形式的身分ではなく、本人の専門性こそが尊ばれる。

専門性とは、一般人が簡単には習得できない能力・技術・技能を言い、一定期間にわたってその仕事に打ち込んで初めて修得できるものであることは言うまでもない。

専門性ある者は一般人と差別化され尊重されるから、自ずと自律心・自立心を有し従属労働からいくらか脱皮できる。そして、タレントということになれば、なお自律性・自立性が高まり従属労働から解放されるのである。つまり、専門性の本質は「従属労働からの解放」にあると言ってよい。その意味において、これからは能力・技術・技能を蓄えることを労働者が意識すべき時代である。労働者が自律・自立できる専門性を備えていることがこれまでにより強く問われることを、これを「キャリア権」思想の発展とともに日本の新たな社会システムとしても一層強化していかなればならない。

そして、昨今話題になっている派遣労働について言えば、極めて専門性の高い業種のみに限定する方向で見直しを図るべきである。但し、専門性を優先するあまり、専門業務の派遣労働者がなし得る専門外業務の割合を「1日・1週間当たりの就業時間数で1割以下」(労働者派遣事業関係業務取扱要領)とする現行の基準は硬直的であり、20~25%程度の比率まで認める必要があろう。なぜなら日本の企業では互助で仕事をするので、専門性がある程度緩和されなければ組織が円滑に回らず、かえって生産性が低下する可能性があるからである。

 

社会貢献で生産性向上

企業が社会的存在であるという意味は、企業は社会的貢献を果たさなければ存在が許されないことを意味する。これは当然のことであり、社会的貢献の重要性を実践する企業が、尊重・尊敬されるということである。これからの企業は今まで以上に社会的貢献を意識し、金銭・賃金以外のインセンティブを従業員に与えることに熱心でなければならない。

また、企業は社会的貢献によって事業展開にアドバンテージを得ることにもなる。なぜなら、企業の社会的貢献は従業員ら自身の矜持につながり、個々人が満足感をもって仕事に取り組むことになるから、その結果企業全体の生産性が高まり好業績をもたらすのである。

不況の影が色濃くなりつつあった2008年の秋に聞いた旅行業の話だが、「カンボジアのアンコールワットに行こう―草むしりをしよう」という企画に、50~60人もの若者が応募してきたという。今の若者は、物見遊山の旅よりも社会貢献をする点に価値を見出し奮い立つのである。

経営の未来は、「社会貢献」にこそ成長の道筋がある。そして雇用の未来には、企業は本人の志願と企業の適格性を前提とした合意によってはじめて可能になることではあるが、労働者を半年間休ませて社会貢献活動に従事させるということも必要になってくるのである。

 

 

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2017年2月4日(土)14:10 港区北青山にて白梅と紅梅を撮影
白梅の花言葉:「気品」 紅梅の花言葉:「優美」

 

 

第22回雇用の未来(3)
(2009年2月2日)

 

 

日本人の長寿化は進む一方である。平均寿命の推移を辿ると、1900年頃‥男性43・97歳、女性44・85歳→1950年頃‥男性59・57歳、女性62・97歳→2000年‥男性77・72歳、女性84・60歳→2007年‥男性79・19歳、女性85・99歳(厚労省生命表参照)であり長寿化に比例して勤労年数も長くなっていることは容易に推測できる。

 

キャリアこそ「資産」に

しかし、人間の寿命の伸びとは反対に、企業の寿命は短くなっているという現実がある。「日経ビジネス」誌は1983年9月19日号掲載の調査で、売上高や総資産を元に日本企業の寿命を「30年」と発表して話題となったが、同誌1999年10月4日号掲載の調査では、株式時価総額をもとに日本の企業が大きな影響力を持つ盛期は7年以下で、米国企業は5年以下と発表した。社会・経済の変化のスピードが加速度的に速まり企業環境が激変している現在では、この期間はさらに一層短くなっているだろう。企業の寿命が急速に短縮化する一方で、人間の寿命は伸び続けている現実は、企業・組織で働く労働者は、自ら絶えざるキャリアアップを期さなければ人生をまっとうできないことを示している。

ここにこそ、長寿社会における雇用の未来の変化の原点があり、「キャリア権」概念思想が生まれる所以でもある。

法政大学大学院の諏訪康雄教授が10年以上前から提唱されている「キャリア権」については、本紙2008年1月21日~2月4日号掲載の拙稿「注目すべき『キャリア権』」(上・中・下)で論じたとおりであり詳述しないが、「キャリア権」概念とは、今の時代は職業キャリアこそが働く者にとっての資産であり自己実現の重要な手だてであるという発想から、これを権利概念にまでに高めて雇用関係を見直そうとする考え方である。法文上は「職業生活」「職業生活設計」等の文言が職業キャリアを念頭に置いたものであり、個々の労働者の能力の向上なくして企業の成長も実現し得ないという点において、雇用の未来には人材教育の重要性と同様に「キャリア権」の視点がなお一層注目を浴びるようになるだろう。

さらに言えば、時代の変化に応じて人はキャリアを変えなければならない事態も起こる。ドラッカーは自らをマネジメントする必要性を説く中で、次の5項目をチェックポイントとして掲げている。即ち①自分は何か、強みは何か、②自分は所を得ているか、③果たすべき貢献は何か、④他との関係において責任は何か、⑤第2の人生は何か(P・F・ドラッカー著「明日を支配するもの」1999年)。

これらを常に念頭に置き能力・技術・技能を磨き続ける者であれば、今のような世界同時不況においても有為の人材として組織から必要とされ、活躍の場が得られるのである。

なお、キャリア開発や方向転換に当たっては、進路指導を行うキャリアカウンセラー等の専門家が必要となってくるが、その際に留意すべきは、前提条件として、本人自身が努力し勉強する資質と「学び方を学ぶ(Learning To Learn)」スキル・能力を身に付け、幅広の情報を身に付けたり的確な判断をなし得る資質に優れていることが必要となろう。そうした向上心あふれた人材を対象として、今後の人事部門においては職務能力開発室等の部署が重要な役割を担っていく。キャリア開発支援は優秀人材の囲い込み・リテンション策でもあるのだ。

職業キャリアの問題を考えるに当たっては、今後、急速に進むデジタル情報化・グローバル化の流れをも念頭に置かなければならない。私が言いたいのは、各人がIT技能や語学能力の向上に励むべきという当たり前のことではない。ここで強調したいのは、さらに高次元の問題として(私の造語であり恐縮だが)「ヒューマンワーク」を意識すべきだということである。

デジタル化の進行によって職場ではハートや人間関係のぬくもりが失われ始め、「お早うございます」の挨拶さえできない者が増えつつあり、また信じ難いことに、傍らの上司にさえ口頭ではなくメールで報告を済ませて何ら疑問を抱かない者もいる。その背景には、ハートを反映した口頭による報告の重要性等を教える上司も、温かくて厳しい上司も減っていることがある。人間の温かさや優しさが職場から失われ人との関わりを拒み、パソコンが我が唯一の部下となるような状況では、人は孤独でストレスも上手に解消できず、うつ状態に陥るであろう。

笑いはストレス解消につながり免疫力を高め病症の軽減にも資することが、医学的にも実証されてきているという(日本医科大学リウマチ科HP参照)、九段坂病院副院長の山岡昌之先生(心療内科)が、職場の誰もがよい関係でいるための3カ条として「挨拶」「雑談」「冗談」を挙げられるのも、人間のコミュニケーションにとって笑いの効能がいかに大きいかを指摘されていると思われる。

 

ヒューマンワーク時代

こういう時代であるからこそ、全人格・全人間性をかけて労を惜しまずに尽くすべきは尽くし、「血と汗と涙の結晶」としての労働=「ヒューマンワーク」をなし遂げることによって、相手の心を和らげるとともに自分自身の人間性をも豊かにすることが一層求められると言ってよい。

また、グローバル化が進むことで、労働の評価には、国籍や民族や文化の違いを超えて納得できる基準が必要となってくる。その場合にも、「ヒューマンワーク」は多様な価値観を超えて万人の旨に届く評価基準として重要になってくるだろう。

常に相手のことを思いやり全力を尽くし「本気」で「熱意」「情熱」を以って仕事をしている人にとっては、「ヒューマンワーク」は敢えて強調するまでもない至極当然のことと思えるかもしれない。しかし実際にはごく一部の限られた者しか「ヒューマンワーク」を実行できていないのであり、雇用の未来には、このことを日々為し得る者しか生き残ることはできない。その意味で、これからは「ヒューマンワーク」の時代と言っても過言ではない。そして今のような不況・大恐慌の時代には人の差別化や企業の差別化が求められるから、「ヒューマンワーク」はそこでも確固たる評価基準として機能することになるだろう。

2008年4月に施行された改正「パートタイム労働法」は、正社員とパートタイマーとの処遇等の均衡をめざすものであるが、「ヒューマンワーク」の概念は正規・非正規の身分とは全く関連しないことに注目して頂きたい。「ヒューマンワーク」を実行した者は、労働の身分と関係なく正当な評価を受けるべきなのである。全身全霊をかけて労働の成果を上げた者は、雇用の場において人間性の創出・発揮をしたことに対し正規・非正規の差異なく取り扱うことこそが均衡概念にもつながる。

「不患寡而患不均(貧しきを憂えず、均しからざるを憂う)」とはかの毛沢東の言葉であったともいうが、雇用の未来では、正規・非正規の区別なく労働の成果が均しく評価されなければならないのは言うまでもない。

 

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2016年12月28日(水)11:20 東京工業大学周辺にてプリムラを撮影
花言葉:「青春のはじまりと悲しみ」


 

第21回雇用の未来(2)
(2009年2月2日転載) 

 

 

 これからの雇用は労働の成果に着目して捉え直さなければならない。つまり、労働の価値は拘束される時間の長短によって評価されるのではなく、人間性の発揚如何によって労働の定義を構築し、報酬もまたそれにそって支払わなければならないのである。

 

主体的働き方を促進へ

報酬についてさらに言えば、奴隷制の時代には、まさに人間としての生存本能だけを満足させるに足りるかどうかが問題であった。しかし、それだけでは人間として遇したことにならないから、人間としての存在価値を認めるに足る第一歩として、自由時間を設定することを意図し、労働時間の長さと能力を報酬の基準として採用したのである。

それは、人たるに値する生活を維持する賃金ということになる。このことは、最低賃金法(1959年成立)第1条が、「労働者の生活の安定」と「労働力の質的向上」を満足させる報酬・賃金であるべきと定めていることからも分かる。

しかし、未来はそれだけでは不十分である。つまり、人生をかけた本人の「熱血・入魂・本気」の仕事への取組み如何に呼応して、どのような報酬を与えるかということである。そうなると、金銭といった物的な報酬だけではなく、労働を提供する者の心をも満足させ、充足させる対価を与える必要が生じてくるのではないか。そして、経営者には、労働の提供に対して人間性をもって応えることで、まさに人間の尊厳を守ることが迫られていることになる。これこそが、次回以降論じる“ヒューマンワーク”の時代に相応しいだろう。

雇用関係については、近い将来、主体的な労働に転換しなければならないことは既に述べた。その第一歩として、請負的契約を更に推進しなければならない。即ち働く者それぞれが技術・技能を蓄え、その発揮による成果報酬で毎日生活していくという姿勢でなければならないのである。現在の契約概念では、雇用契約(民法第623条)とは「労働に従事すること」と「報酬を与えること」が雇用者と被用者との間でなされるべきことであるが、労働者が主体性をもって働くということになれば、雇用契約は限りなく請負契約的にならざるを得ないのではないか。

この点、カール・マルクスはすでに19世紀後半に、出来高賃金(=請負賃金)は、個性に対してより大きな裁量の余地を与えるため、一方では労働者の個性、自由の精神、独立、克己等を発達させる傾向があると同時に、他方では労働者同士の競争を強化する傾向があるという趣旨のことを述べている(『資本論』第1巻第6篇「労働賃金」第19章「出来高賃金」参照)。

また、この資本論では、少数のますます富んだ資本家が生み出され、一方で多くの貧しい労働者が拡大再生産されることを明らかにして、貧富の差、即ち所得格差が生み出される社会メカニズムを指摘している。2008年にノーベル経済学賞を受賞したポール・R・クルーグマン(プリンストン大学教授)は、「所得格差、これこそアメリカにおける大問題の一つである」と近著『クルーグマンの視座』で述べている。

ソ連が崩壊し、共産主義は瓦解したが、マルクスが指摘した問題は今日においても、そして今後においても克服されないであろう。

 

定年は50歳に引き下げ

雇用の未来において、労務の提供のあり方が請負的な契約に変わることは、正社員を理由に優遇されることがなくなるということも意味する。

雇用調整に当たっては、まず「含み損社員」であるかどうかが判断基準であるべきであり、これは正規・非正規を問わないものである。自分の給料の3倍の粗利を稼ぐのが優秀な社員、3・5倍を稼ぐのが超優秀な社員、そして2倍以下の者は含み損社員であると私は規定している。

正社員といえども、それこそ真剣に働かなければ生き残ることはできない時代となり、身分は意味を持たなくなるだろう。特に、高い賃金を受けているにもかかわらずそれに見合う仕事をしない中高年役職者は、典型的な含み損社員であると言ってよい。これらの者を退かせ、その分の人件費で優秀な若年労働者を多く採用することが、企業組織の活性化と好業績につながる。

そのためには、定年年齢を50歳前後に引き下げるという思い切った施策も、①若年労働者の雇用の場を確保し、②優秀な労働者の海外への流出を阻止するために必要となってくるだろう。即ち、第2の人生を公式に認めることが、それぞれの労働者の若年からの技術と技能を蓄えることにつながる。

そして、この第2の人生には厳しい峻別が待ち構えており、さらには第3の人生を構想する社会が切り拓かれていくであろう。しかし残念ながら、ここに到達できる者は極めて少なく、まさに切磋琢磨がものをいう狭き門となるのである。第3の人生に入れない者はまともな職業に就けず、いわば日雇い的な仕事に甘んぜざるを得なくなるだろう。

公務員についてもこのことは当然あてはまり、そのためには行政サービスをしっかり評価するシステムを構築すべきである。そのシステムができたとすると、果たして何人の公務員が含み損にならず生き残ることができるだろうか。現在においては、ほとんど全員が含み損人材と評価されても仕方ない状態であろう。

 

「派遣切り」の要因とは

雇用契約が請負契約的になればなるほど個々の労働者は自らの技能・技術を磨き研鑽することが何よりも重要になる。これは言ってみれば、労働が人間を創るという基本精神に立ち帰るべきであることを意味している。雇用の未来においては、この基本精神こそが何より重要なのである。

一時もてはやされたような、好きなときに働いてそれ相当の報酬を受け取るという生き方は人間本来の働き方ではない。こうした片手間の労働という誤った思想を増殖させた時代は、昨年秋以降の悲惨な「派遣切り」の状況を生み出した誘因のひとつだったのである。格差問題の根本は、職業能力開発・育成格差であるとも言える。

そして、雇用契約の請負契約化が進んでいくことは、個々の職業能力がいよいよ問われる時代になるということを意味している。

また、現下の厳しい経済状況においては賃金ダウンも当然のことになるから、知識・技能・技術を日々向上させるとともに、経済的に少しでも余裕を持てるように誰しも「蓄える思想」を持つことも今後重要になってくる。これは、「恒産なきものは恒心なし」(定まった財産や職業がなければ、正しい心を持つことができない。物質面での安定がないと精神面で不安定にあるという意味。「孟子」)の言葉につながるものであろう。

 

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2016年12月31日(土)12:27 新宿区山吹町で山茶花を撮影
花言葉:「困難に打ち克つ、ひたむきさ」


 

第20回雇用の未来(1)
(2009年1月26日) 

 

 

高井伸夫弁護士は、世界恐慌が深刻化するなか、「雇用の未来」を改めて問い直すべきであると提言している。柔軟な解雇法制と雇用の確保という、一見して相容れない要素を両立させる新しい労働概念の構築が待たれるという。

 

現下の厳しい経済情勢の中で、雇用の確保が最も重要かつ喫緊の政治的・社会的課題であることは言うまでもない。そこで、こうした状況を踏まえつつ雇用の未来を考えたい。

米国のサブプライムローン問題に端を発した金融不況は、瞬く間に100年に1度ともいわれるほどの世界恐慌に至ってしまった。これを単なる不況だと主張する者もいるが、物が売れず、ほとんどの企業が恒常的に赤字経営の状態に陥り、工場生産がストップし、人員削減が猛烈なスピードで進み、消費がさらに委縮するという悪循環に陥っている世界的状況を、恐慌と呼ばずして何というのか。

恐慌(panic)とは、経済用語ではなく、本来は心理学用語である。猛烈な不況の中で、社会全体が言いようのない不安や閉塞状態に陥り、先の見えない恐怖と闘う心理状態に追い込まれてしまうことである。私はこれまで経済を専門に勉強したことはないが、人事労務を専門とする弁護士として多くの企業経営の実態について現場の目から経済の動向を見続けてきた。だから雇用の問題を通してではあるが、恐慌についても私なりの見解を持っている。

恐慌とは、すなわち社会的に物やサービスが売れなくなる状態であると定義するのが最も妥当であろう。これは企業において固定費をまかなう収入すら得られない状態が広がり、赤字経営が一般化するという状況である。この状況に陥ると、消費が落ち込み、物が売れず、企業が在庫を抱え、在庫の保管場所さえなくなり生産を止めざるを得なくなる。そうすると従業員は解雇され、物を買う金もなくなり、悪循環が始まる。あちこちの企業から端を発して、全国的にかかる状態になると、国内恐慌といえる。さらに全世界的に物が売れなくなる状態を世界恐慌という。現在はその真っ只中に向かいつつある状態のなのである。

 

正規・非正規基準の行方

実体経済を支える製造業があっという間に前代未聞の著しい不振に陥った。例えば、自動車もデジタル機器も工場の操縦が大幅にセーブされたり工場建設が延期されたりしている。こうした実体経済に表れている事象こそが、経済を考えるに当たり、最も重要である。アメリカの自動車会社は「経済破綻しないよう金融支援をせよ」「資金繰りを助けよ」「救済法を制定せよ」という趣旨のことを言っているが、そういうことが世界的に広がると、日本においては単に自動車産業だけでなく電機産業等々すべての輸出関連企業に伝播し、貿易立国の日本は破産する。

すでに各企業はこうした経営不振に耐えきれず、人員削減を余儀なくされている。今は非正規社員が先にリストラの対象にされるのが普通であるが、次回以降に詳述するとおり、近未来においてはこの正規・非正規の判断基準はなくなると言ってよい。

そして、これまでは2年ほどのタイムスパンで雇用調整が行われてきたが、今は6カ月ぐらいで行われている。しかし、さらに迅速に3カ月ぐらいで瞬時に雇用調整を行わなければ、経営は大変な事態を迎えることになる。

この状況が現実となったことで、経営者や人事労務に携わる者すべてにとって、雇用の未来について考え、適切な施策を講じなければ生き残れない様相を呈してきた。

社会・経済が激変しているからこそ、未来への方向性をしっかりと踏まえた人事労務施策が求められるのである。即ち、施策をこれからの事業戦略の実現に貢献し得るものにするためには、未来を透視した先見性に富んだものでなければならない。私は、本紙でも機会あるごとに「事業戦略は人事政策に宿る」と述べてきたが、同様の言い方をすれば、「雇用戦略は企業の未来展望力に宿る」といえるのである。

 

「ユニークネス」追求を

いったい人事労務の未来について考えることは何のために必要かと言えば、人事労務は法律より少し先行して進めなければならないからである。法律が定められ、運用・適用されるのは、実は既に起こった事象を追認するという形で展開されていくのが実態である。人事労務の未来を見つめるのは、未来の方向性を推認するということであるが、そのことは実は法律を先取りして事態を改める手続きを進めるということになる。

企業の進歩は競争であるがゆえに、あるべき未来を明確に想定して、「戦略」の立案つまりユニークネス(独自性)を追求することが少しでも早ければ、企業間競争に勝ち抜くことができる。

未来を予測することは、今起きたことを確認する手続きではない。様ざまな兆候の中から、未来のあり方を透視して、それに基づいて施策を実施していくことであり、必要なのは、ユニークネスを追求するために、未来を予測したうえで「やるべきこと」を明確に定めると同時に「決してやらないこと」を明確に定めること、つまり「トレード・オフ」を実行することが求められるのであり、このことが企業戦線において勝利するために肝要と言ってよいのである。

先陣で走れば走るほど抵抗が強く、困難が多いものの、収穫も多いということになる。そのことから、何と言っても正しい展望をもって未来を見つめることが必要である。誤った方向で未来を見てしまったら、先陣を切って走ることが、後塵を拝することにつながることは言うまでもない。

雇用の未来は何であるかと言えば、労務提供のあり方の変化、あるいは報酬のあり方の変化、さらには雇用関係、能力強化のあり方を見極めることである。

そもそも、労働の世界は奴隷制から始まったが、やがて、労働時間制が採用され、労働のあり方が規制されることになった。そして、その先が何かと言えば、労働時間の規制を超えて、新しい労働の概念を構築することが必要であるということである。

その際には、フレキシキュリティー(flexicurity)という新しい政策目標も検討課題となるべきであろう。フレキシキュリティーとは、「flexibility=柔軟性。柔軟な解雇法制」と「security=安全を保障すること」をつないで作られた造語である。これは労働市場の柔軟性を維持することと雇用を確保するという矛盾しがちな2つの目標の両立の方向性を目指す言葉であり、近年EUで注目されているという(日本総研「Business & Economic Review」2007年6月号・藤井英彦氏「OPINION」等参照)。

 

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2016年12月4日14:41 千代田区九段南3にてポインセチアを撮影
花言葉:「祝福、幸運を祈る」 

 


第19回人材グローバル化(終)
(2008年11月3日) 

 

 

協調性を重んじる意識

今年のノーベル物理学賞・化学賞を日本人が計4人受賞したことは、日本による研究が国際的に評価された結果である。自然科学3分野に限っていえば、日本人(出生時)受賞者はこれで13人になるが、同分野全体の530人に比べれば僅かにすぎない。そして、日本人受賞者には米国籍を取得したり米国の研究所に在籍している方が多いことを考えれば、純粋に日本の力であるとはいい得ず、素直には喜べない。日本国籍あるいは日本国内の研究所では世界に羽ばたけないという現実が研究者の世界にあるといわれて久しいが、改善が遅々として進んでいないようだ。

オリンピックを成功させた中国は、次なる目標としてノーベル賞受賞者の増大をめざし、全学者を叱咤激励していくに違いない。そこで日本もさらなる精進が必要であるが、それは研究者のグローバル化以外にない。

前回も述べたが、日本は人口減少の桎梏から逃れられない。2015年には世帯数も減少局面に入ると推計されているので、国力はあらゆる分野で衰退していく。その結果、世界における日本のプレゼンスは大いに低下し、経済では世界に相手にされない国となってしまうだろう。そのため、日本は経済的にもグローバル化せざるを得ず、幼稚園・小学校から実践につながる語学教育をたたき込むことは勿論のこと、日本史・世界史等の充実を図っていかなければならない。文部科学省が推進したゆとり教育などは、世界に遅れをとるあまっちょろい政策であることを自覚しなければならない。そしてダイバーシティ教育を単元として採用することも、グローバル教育の一環として必要になっていくであろう。今の日本の教育のままでは国内有名大学を卒業したとしても単なる井の蛙にすぎない。

今の日本には、「第一の開国」(明治維新)、「第二の開国」(戦後復興)に続く「第三の開国」=「制度疲労を乗り越え、グローバル化を加速する」が必要であると説く文献は、私の認識と同一であるといってよい(『2015年の日本』東洋経済新報社)。

極東の島国であるという地勢的な問題もあり、日本人はグローバル化が不得手とみられがちであるが、諸外国と比べて日本人・日本企業は協調性を重んじる意識が高いという点は、グローバル化に向けての長所である。これを自覚し長所を伸ばしていけば、日本人はグローバル化が不得手と決め付けることはできない。

多様な人々と共に働き、社会を構成するには、民族・国籍等の属性を超越した生身の人間としてのコアな部分が、より一層重要な価値を持つことになる。それを象徴的に表現する言葉として「ハートワーク」があるが、これは「良心・善意・成長」を基本とする概念である。そして、「ハートワーク」よりもなお一層人間性如何が問われるものとして、「ヒューマンワーク」という概念が生まれる。これは、心身を限界まで尽くして、「血と汗と涙の結晶」としての全人格・全人間性をかけての自己表現をすることであり、人間の理想である「夢・愛・誠」の世界に通ずるものである。どんなに些細なことでも相手のことを考え、一生懸命に尽くし、「結晶」を見せることによって、猜疑心や反発で頑なになった心を溶かすことができるのである。

余りにも繊細すぎる表現や手法は普遍性を失い、民族性や文化が異なる相手には通じない。人間関係において、日本人が血と汗と涙をともに流すことができる存在として、外国人に認識してもらう態度を取れるかどうかが課題となるのである。

 

外に向け発信する努力

人事労務の課題としては、グローバル化には「日本ファン」を作ることも重要である。我々が相手国を尊敬する気持ちと同様に、日本文化に対する敬意を持つ人でなければ、パートナーとして選ぶことはできない。

中国人が日本を見て憧れるのは、よくある現象である。私の上海事務所と提携している中国人弁護士は、この夏初めて訪日した折の滞在記でその感動を語っていた。きれいな空気・青い空や海に感激するだけでなく、日本人社会の緻密さに強烈な印象を持ち、清潔感や繊細かつ緻密な美意識に富んでいること、日本人の生活が秩序立っていることに感動していた。そのように感じる中国人は非常に多い。

こうした気持ちになってくれる外国人を増やすことは、日本のグローバル化を下支えする重要な要素であるから、海外企業における人事労務は内にこもってはならず、外に向かって日本の良さを発信する努力をしなければならない。

また、企業がグローバル化すれば、自国の技術力は当然現地にも広まり、それを凌駕しようと各国のライバルが磨きをかけてくるから、他国の追い上げに負けぬよう自らの技術力・技能をさらに進化させなければならない使命を負うことになる。「技術」はデジタルな世界であって、教えたり伝えたりできるものだが、

「技能」はアナログな領分であり、教えることのできない匠の世界である。そのため、技能を身に付けるためには、民族・国籍を問わず、血と汗と涙の結晶を求めて磨き続けるしかないのである。

そしてこの論稿の最後に、明治30年代に日本人で海外経営に成功した人物を紹介しておこう。それは、のちに東京市長となった後藤新平(1857~1929)による台湾統治である。後藤は日本人が台湾に行って、台湾人を日本人のようにしようとしてもできるはずがないし、やってはならない、現地の人々の習慣を重んじるべきであるということを旨とし、台湾全土に向かって「民政優先」を宣言し、港や道路、鉄道を整備し、東京よりも早く上下水道まで完備したという。また殖産のためには、郷里(陸奥)の後輩、新渡戸稲造をスカウトし、彼が提言したというさとうきびの品種改良の大成功で、台湾に多くの富をもたらした。後藤と新渡戸は台湾の産業育成と近代化に大いに成功したのである。

 

他国の幸福を願うこころ

晩年の後藤がことあるごとに説いて回った「自治三訣」、つまり「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして報いを求めぬよう」という思想は、日本人の海外経営に当たっても教訓を与えるものである。即ち、経営の現地化に当たっては、現地の文化・習慣等を尊重して現地に合わせる姿勢を前提としたうえで、絶えず刺激を与え続けることが重要である。

今の世界的な金融不安により経済沈滞が、グローバル化を停滞させると見る向きもあるようだが、グローバル化という時代の流れはもはや決して押し止めることはできない。政治、経済、文化をはじめあらゆる面で世界と強く連動する時代のなのである。今後も世界の中で日本企業の存在感を保持し高め得るかは、謙虚で他国の人々の幸福をも心から願える人材を育成できるか、そして、そうしたグローバルに対応できる人事労務制度を構築できるか否かにかかっているといっても過言ではない。

 

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