『労働新聞』高井伸夫弁護士の四時評論の最近のブログ記事

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第34回 人事・労務の未来(3)
(2009年10月19日)

 

人事・労務を軽視すると、後に述べる労働力人口の急激な減少と相俟って、企業にはどのような弊害が生じるのだろうか。

 

崩壊する労使協調路線

人事・労務の軽視は、人を大事にしないということであり、その結果、従業員の勤労意欲の減退・士気の低下を招き、社員・従業員のロイヤリティーが徐々に薄れていくことは言うまでもない。そして、社員の能力が発揮されず組織のパフォーマンスが落ちることにより、創造性(製品開発力)、生産性(営業力・品質・コスト管理力)も当然に低下し、労務対応のコストが増大する。その代表的な事象として、訴訟が提起されるなど経営の求心力が失われ、労働側の意見を集約しづらくなることが挙げられる。さらに、労使関係が悪化し、日本の良き風土として利点であった経営と労働側の協調路線も崩れていくだろう。

そして、企業は人なりという本筋が失われ、優秀で貢献度の高い社員は退職し、他の企業へ流出する。また、社員の育成も進まず、人事労務の責任者や管理監督者も育たなくなり、他社と違ったユニークで戦略的なポジションをとるためのマネジメント層も不足し、組織の存続が一層脅かされる。こうして企業競争力は劣化し、最終的には淘汰されてしまうのである。

このように、人事・労務を軽視することにより様ざまな弊害が起こり得るが、最も大きな弊害の一つに、風評被害(レピュテーションリスク)が挙げられる。

従来、企業はヒト・モノ・カネの三資源でできていると言われていたが、本稿第1回で述べたとおり、私は数年前から信用と組織がそれらに追加されるべきであると説いている。企業間競争が激しくなればなるほど、信用の重要性が高まり、その反作用として、レピュテーションリスクが顕在化するのである。つまり「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」(『潜夫論』より)という故事成語のように、まさに噂が噂を呼び、悪評が企業の負荷になるのである。その対象は、マスメディアのみならず、ネット上の数多くの情報(書き込み・掲示板・ブログ・SNSなど)まで及ぶ。情報量の急増により、利用者が個々の情報の真偽を判断することは難しく、間違った情報でも情報量が多ければ、人間の心理として信用する傾向がある。リスクが顕在化した場合の顧客離れ・売上減少・株価下落・訴訟等によるブランドおよび信用の失墜・損失は計り知れず、会社の存亡に大きな影響を与えかねない。

ところで、こうしたレピュテーションリスクの問題はコンプライアンスとも大いに関連がある。そして、コンプライアンスは企業倫理のごく一部を把握しているものにすぎず、例えて言うならば、“企業倫理の浮島”とも言うべきなのである。それゆえ、企業経営においては人事・労務の面でも、法令遵守義務を果たすだけではなく、企業倫理を極めようとする姿勢が必要不可欠となる。そして、前述のような風評被害のリスクが蔓延する社会状況であっても、経営陣以下全員が、わが社は倫理上も誤った対応をしていないという確信を持てるように、人事・労務の仕組みの中で、従業員らに企業倫理・コンプライアンスの重要性を徹底的に叩き込まなければならないのである。

 

後継育成が大きな使命

さて、日本の総人口は減少の一途を辿っており、このままでは労働力不足による経済の縮小は避けられない。日本の現在の人口は約1億2770万人であるが、2055年には8993万人となり、50年もしないうちに3割もの日本人が姿を消し、さらに2105年には、4459万人にまで激減すると予測されている(国立社会保障・人口問題研究所)。また、厚生労働省の推計によれば、2030年の労働力人口は、女性や高齢者などの就労が進まない限り、現在より約1070万人減の5584万人(約16%減少)まで落ち込むという。これは「生産性の伸びによって補える人口減少規模でなく、労働力人口の減少は、確実に経済成長を抑制する」と指摘されている(日本経済団体連合会「少子化対策についての提言」より)。この人口激減リスクに対する抜本的な処方箋の一つとして、移民法制も視野に入れなければならなくなるであろう。

さて本稿第2回でも述べたとおり企業の成長に資する能力を持つ者は限られた割合でしか存在しない以上、人口減によって企業に有用な人材の絶対数が減少し、社内人材の衰退・対価が急速に進行すると予測される。

そのような状況下で、必要となってくるのが、若年労働力の確保と活性化である。

ドラッガーも「若年人口の減少が国内市場を根本的に変える」「人口構造の変化こそ、ネクスト・ソサエティーにおいてもっとも重要な要因である」と述べているとおり、それを実現するための教育等の諸施策が必要となってくるであろう。各企業は生涯にわたり教育を施し、特に若年労働者に向上心を持たせ続ける努力を行うとともに、企業が仕事を通じ、従業員の知的能力・体力・精神力を鍛えることができるようなプログラムを実施すべきである。企業の指名は利益の追求にあるのは当然だが、人材を育てて初めて企業は継続する価値があると言えるのである。

具体的には、企業が給与以外の恩恵ももたらしてくれると考え、仕事そのものにやりがいと生きがいを感じる従業員を育て上げ、人間としてのレベルアップを継続させることが必要である。そして経営者は一人でも多くの良き後継者を育てるべく、自ら率先して一生勉強を怠らない姿を見せるとともに、一緒になって勉強することである。

 

修正すべき年功型賃金

さらに、若年労働力の確保と活性化についての施策として、年功型賃金制度を見直し、職務や成果を適切に反映した報酬体系に組み直すことが考えられよう。労働力不足になれば、需給のバランスが崩れるのであるから、初任給を含む年功給的体系から今以上の能力給あるいは成果給体系に移行せざるを得ないだろう。従って、現在ほぼ新卒共通の初任給水準も、会社の事情に応じて個別に設定することになろう。

一般的に年功型賃金制度のもとでは、業務に習熟する入社数年後から、職位を与えられる30代半ばくらいまでが、業績への貢献度に対して報酬水準が比較的低い年代と位置付けられる。一方で、40代以上の社員のなかには、貢献度に対して報酬水準が高すぎる者が一定量発生する。コストパフォーマンスの高い若年労働者が不足し、その業務を割高な中高年労働者でカバーしようとした場合、人件費負担が増大し、これまでの収益モデルは破綻に向かい深刻な問題となるのは明白である。そこで、貢献度に対して報酬水準が高すぎる中高年社員のそれを適正化し、雇用を維持しながら若年労働者に代替していくことが考えられるのである。

 

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第33回 人事・労務の未来(2)
(2009年10月12日転載)

 

「平準化」した人間関係

本稿第1回では、これからの企業では個別人事管理を強く意識せざるを得ないがゆえに、集団労務管理がより一層難しくなることを述べた。

今回はまず、上下関係を忌避しがちな平準化した今の社会の人間関係の中で、いかにして秩序立った円滑な人事・労務の仕組みを築くかということが、これからの人事・労務管理の課題であることについて述べたい。

一般に今の時代は、親子関係も師弟関係も本来の上下の秩序を前提としたあり方ではなく、尊敬の念が薄れ、友人や兄弟のような関係に変化している。例えば、学校で教師が生徒に気を遣い、生徒は教師と対等な口をきくゆゆしき現状がある。こうした環境で成長し社会人となった若手社員と先輩社員との関係は、かつてとは異質なものに変化していることは、必然と言えよう。仕事も大学のサークル活動の延長線上にあることを望む若手社員に、上司に対する尊敬・畏敬の念を抱かせること自体が、そもそも難しいのである。

こうした状況では、労働者の権利義務をどのように位置付けるかという従来からの課題が、より重要かつ困難なテーマとしてクローズアップされる。

それには、まず新入社員に企業のあり方を徹底して教え込み、甘えを排除することから始めなければならない。企業には優勝劣敗という決定的な判断基準があり、勝ち残ることが最終的な目標となる。その目標達成のためには企業の構成員が心を一つにして他企業との戦いに挑むことが最も重要であるが、それは単なる友達付き合いのような甘い人間関係では果たせない。構成員の絆は、互いが切磋琢磨し高め合う中で得られる連帯感でなければならないのだ。

また、企業は階層社会であって、その階層があるがゆえに統一性や秩序を保てるという事実がある。しかし閉鎖的な階層社会になってしまっては、今の社員・従業員・労働者を活性化させることはできず、さらには優秀人材を当該企業に引き留め、定着させることはできない。

さらに、企業間の競争が激化した結果、利益・成果をあげるために閉塞的な環境で非常にきめ細かい社員マネジメントを行うと、社員にハラスメントやメンタルヘルスの問題が生じかねない点にも大いに留意しなければならないのである。

ハラスメント問題の背景には、上司に心理的余裕がなくなり、相手の立場に配慮して指揮命令するセルフコントロール、自己統制力が乏しくなっていることがある。部下の教育・指導に当たり、業務外のコミュニケーション促進による適切な職場人間関係の形成を併せて行っていくことが効果的であろう。

その意味で、今後は企業には開かれた階層社会であること、つまり、実力に応じて昇格を果たし、誰もが管理監督者・経営者になり得る組織であることが求められているのである。ここに実は、公正・公明・公平な評価が求められる所以がある。

ところで、評価とよく似た言葉に査定があるが、査定と評価の根本的な違いは、公開性の有無である。即ち査定には公開性がないが評価には公開性がある。しかし、日本人は「公開」について非常に消極的である。公開すれば日本人の民族性である集団主義が瓦解するのではないかということを恐れ、評点を公表することを忌み嫌う傾向がある。例えば、最近の事象では、いわゆる全国学力テスト(文部科学省)の市町村・学校別のテスト結果を公表するという自治体側の判断が、市民的運動として猛反対を受けた事実がある。

それゆえに、人事考課は査定が一般的であって、評価という意識があまりない。しかし、個別的人事管理と人材育成が重視される時代となれば、当然、公開の方向で人事管理をしていかなければならないであろう。即ち、先に述べた企業における開かれた階層社会を作り、その結果を社員の指導に用いるためには、公開を旨とする「評価」の方向が模索され具体化されなければならないのである。

一般に査定は密室で行われるがゆえに、社員・従業員・労働者に不安感・恐怖感が伴い、対象者の人格を否定することにもつながりかねない。そこで、日本人にとって、評点を公表することに耐えられるかが今後の大きな課題となってくる。

その際、個人情報保護の法理が公開の大きな障害となるが、人事考課の公開の重要性が意識されるならば、まずは各考課の対象者個人にその評価を告知することが必要となる。これにより、人事労務の公明・公平・公正という原則に一歩でも近づくことになるのである。

しかし、何度も述べたように人事考課を評価として公開すると、公正さ・公平性を一層担保しなければならないが、これは容易なことではない。なぜならば、人事考課はデジタル数値によってのみ行われているのではなく、その要素にはアナログ要素をも加味されているからである。アナログ要素を取り入れて、より公正・公平な人事考課を行おうとする努力の一環として、各企業で評価項目と基準の明確化の努力や人事考課の調整作業が行われているのはそのためである。昇格の折には、業績だけではなく、人格や人望についても評価の対象とすることは言うまでもない。

 

裁判も総合判定を是認

しかし何はともあれ、査定ではなく評価としての考課となれば、公正・公平性を担保する困難さという隘路を克服しなければならないのが、今後の人事労務の大きな課題となっている。

また、労働組合側が、組合員から人事考課の公開を委ねられて公開を要求し、それに使用者は応ずべきかという課題がある。この要求は正当性があるように思われるが、当然それには様ざまな弊害がある。その一つとして、デジタルな数字だけではなく、アナログの数字をも斟酌して人事考課を行っていくことを、使用者は率直に明言しなければならないのである。

この点、裁判所は、会社に査定義務違反があるかどうか争われた事案で、「人事評価は、使用者が企業経営のための効率的な価値配分を目指して行うものであるから、基本的には使用者の総合的裁量的判断が尊重されるべきであり、それは社会通念上著しく不合理である場合に限り、労働契約上与えられた評価権限を濫用したものとして無効となる」として、アナログ的な評価要素をも十分に念頭に置いた判決を下している(東日本電信電話事件=東京地判平16・2・23)。また、含み損社員の解雇の効力が争われた事案では、「勤務実績」「性格」「適性」等の項目を基に総合判定された勤務評定について、それぞれの項目に属するアナログ的な諸要素(仕事の結果・仕事の仕方・仕事に対する態度・部下の統率の仕方・誠実さ・積極性・意志の強さ・慎重さ・機敏さ・辛抱強さ・几帳面さ・協調性・明朗さ等)を前提とする勤務評定を是認している(東京都土木建築健康保険組合事件=東京地判平14・10・7)。裁判所は、デジタルな客観評価だけではなく、アナログ要素の評価も加味してこそ正しくなされるとしている。

 

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2017年8月24日(水)13:02 ベロペロネを撮影
花言葉:「ひょうきん、おてんば」

 

 

第32回 人事・労務の未来(1)
(2009年10月5日転載)

 


高井伸夫弁護士は、企業構成員が「個」としての能力を十分に発揮できるよう条件を整えるのが、人事・労務管理の役割と位置付けている。いまや利益追求のみで通用する時代ではなく、心身の健康と人間性重視の姿勢で臨むべきであると提言した。

 

「個別人事管理」に重心

企業におけるこうした人の獲得競争が激化した根本原因は、①日本の人口が減少局面に入り“人材の市場”も縮小し、優秀人材の獲得競争がますます激しくなっていること、②グローバル化により企業は外国企業との競争を強いられていること、③日本の国内市場が縮小し、右肩上がりの成長路線を描けなくなったこと等であり、手をこまねいていればジリ貧になるという恐怖感が、潜在的にせよ強く意識されてきたからであろう。

10年ほど前に日本に成果主義が浸透し始める以前から、私は、「事業戦略・企業戦略は、人事採用戦略に宿る」と述べてきた。近年この人的資源獲得競争の中で、特に経営能力・管理能力・専門知識を備えた稀少人材を確保・維持・育成することの重要性は増し、今後もますます増加するのは必然で、それに伴い人事・労務の重要性がさらに高まっているのである。

そして、成果主義的な人事・賃金制度の定着と社会的な個人主義の風潮の高まりが相俟って、企業では集団管理よりも個別人事管理に重点が置かれるようになってきている。成長という右肩上がりのビジョン・価値観によって従業員に対する求心力を保つことは不可能になっており、その一例として、組合の組織率が低下し続けているのは当然の現象であり(2008年労働組合推定組織率=18.1%)、かつての団体交渉を中心とした組合・社員会対策は下火となっている。それゆえ、人事・労務管理の面でも、これからは個々人を対象として丁寧な対応を行う必要に迫られるだろう。

しかし、企業は秩序ある協働体・組織として活動し、成果を上げ続けなければならない存在であることに変わりはない。即ち、企業においては、社会的変化によっていかに組織の集団的な堅固さが脆弱化する状況にあっても、個別人事管理だけでは経営組織は成り立たず、集団管理も当然に必要とされるのである。したがって個別管理と集団管理の両立という点にこそ、これからの人事・労務管理の難しさの根本があると言ってよい。

さて、人事管理と労務管理の違いとは何か。人事管理とは、企業経営のために従業員の個々の処遇を決定すること、つまり、配置・賃金等の報酬の決定をすることである。配置の決定とは、各人が取り組む仕事の内容を決めることであり、賃金等の報酬の決定とは、単に賃金額の決定だけではなく、序列付けをし、どの地位の職位・職制に就かせるかにも関連してくる。そこで、配置と賃金は互いに大きく関係してくるのである。

これに対して、労務管理とは、多数の労働者を使用するに当たって公明・公平・公正に処遇していくことである。

 

実効性ある労務管理へ

要するに、人事管理が一人ひとりの個人を対象とするのに対し、労務管理は多数の労働者を対象とし、集団的に秩序付けるべく取り組むことである。

この意味において、人事管理と集団管理を旨とする労務管理とは根本的に異なるようにみえるが、集団も個人によって成り立つがゆえに両者は密接な相関関係にあり、一体感あるものでなければならない。そしてそのバランスは、個別企業ごとに経営理念によって異なってくると思われる。

現在では、前述のとおり個別人事管理の重要性が増してきているが、その背景には、従業員・社員が、使用者に対して個別に発言するようになったこともあるだろう。それゆえに、企業の対応は複雑にならざるを得ず、公明・公平・公正を期する労務管理自体が、難しくなってきたことを意味する。

また、労務管理は日々の積み重ねが重要であるが、労務管理にとっての日常的な指導・教育の意義を改めて考えさせられる近時の裁判例がある。

「T社事件」(甲府地判平21・3・17)では、営業職にある従業員が、社有車を子どもの保育園への送迎に使用していたこと、早退が多い等合計15項目の解雇理由により普通解雇されたことの有効性が争われたが、裁判では解雇は無効とされた。裁判所は、不適切な言動を繰り返す従業員に対して会社が指導を行ったことを示すメモは、記載が断片的で不自然であるため、公平かつ公正な立場から記載された物とは認められないとして、メモ自体の信用性を否定した。そして、会社が主張した解雇理由15項目中14項目について「事実を認めるに足りる証拠はない」としたのである。

「詞は飛び書は残る」という法諺を紹介するまでもなく、裁判における証拠としての書面の存在は極めて重要である。そして、裁判対策だけの意味ではなく、労務管理の実効性をあげるためには、会社が自らを律するとともに、日頃から就業に関する的確な指導・教育を行う体制を作っておく必要があるのである。

 

アナログ的能力を活用

さて、企業間競争が激しくなるにしたがって、「企業を活かし、人を活かす」ことがなお一層必要となる。「企業を活かす」とは、集団管理の視点に立つことであり、経営者・管理職者のリーダーシップ・マネジメント力等々が要素となる。「人を活かす」とは個性を大切にされてこそ人は最大限の力を発揮できるとの個別人事管理の視点に立つものであり、個別管理の基本である「人を見て法を説く」ことが重要な要素となる。

こうして、個性に主眼を置く個別人事管理の強化という視点に立つと、集団管理の困難さが一層際立つことに気づくだろう。これからの人事・労務管理は、集団管理と個別管理の一層の統合を図らなければならないが、結局、両者の架け橋は評価にあり、その公明さ・公平さ・公正さと、適切な経営理念の推進を実現することにあると言えるだろう。

人の労働の価値基軸は、主に手足を使う肉体労働がメーンであったフットワーク・ハンドワークから、頭脳労働・知的労働がメーンであるヘッドワークに移行し、社会の進歩や変化とともに変わってきた。そして今まさに、主に心を用いることが重要な要素であるハートワークの時代(心の時代)となっており、そして、近い将来はハートワークよりもなお一層人間性全体を活性化する時代(ヒューマンワークの時代)になるだろう。

私が提唱するこの「ヒューマンワーク」とは、マニュアル経営と対峙する概念であり、人間性の原点に立ち帰り、心身の限界を尽くして、人として有する全機能をフルに働かせる労働を意味している。言わば、全人教育の成果としてなし得るものである。

グローバル化が進めば進むほど、民族の考え方の違い、価値観の違いを超えて機能する、人類に普遍的な「ワーク」であるヒューマンワークが必要とされるだろう。

つまり、人事管理・労務管理においても心・精神性、さらには多様な価値観を前提とした上で、個人の人間性を念頭において構築なければならない。

先に、経営能力・管理能力・専門知識を備えた稀少人材の必要性について触れたが、そこで重視される人間の資質・能力はデジタル的な能力(数値上明確化することのできない能力)にあると言える。現代のように誰もがITを仕事に活用するのが当然の時代となればなるほど、勝負はIT化できない能力、数値化できない能力の優劣にかかってくる。例えば、話す能力・意思伝達能力・問題発見能力・協調性・営業力・交渉力・プレゼンテーション能力・リーダーシップなどは、いわばその代表例である。これらは、成果を数字で示すような頭脳労働だけではなく、人の感情や思いに訴えかける能力を必要とする。そして、ITはこれらの能力を増幅させる「てこ」の役割を果たす。だからこそ、ヒューマンワーク社会ではわずかな違いが大きな成果の差につながるのである。

 

利益追求のみでは限界

さて、このヒューマンワークの時代においては、健全な肉体はもとより、心の健全性も当然意識されなければならず、健全な心身と人間性との統合があって初めて、人としての存在意義と機能が十分発揮できるのである。この点、人事・労務管理においても人間性の尊重は当然意識されるべき視点であり、経営者や管理職者についても、また企業の精神である経営理念や事業活動自体についても、さらたには就業規則等の規定類の運等に当たっても、心身の健康と人間性を重視する態度で臨む必要がある。そして、こうした姿勢は企業構成員の意思統一を図るためにも極めて重要である。

人事労務管理の目的は、「企業の活性化を図る」「事業経営の成功を期する」ことに尽きるが、これは利益のみを追求するだけでは不可能であり、個々の企業構成員が「個」としての能力を十分に発揮することが必要不可欠となるであろう。即ち社員・従業員・労働者を、尊厳ある存在として扱うべく人事・労務が重要視される時代となってきたということなのである。

 

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2017年8月6日(水)13:21 麻布十番2にてペチュニアを撮影
花言葉:「心のやすらぎ」

 

 

第31回 経営理念と賃金ダウン(下)
(2009年7月27日転載)

 

 

今回の全世界的な不況に限らず、グローバル化が一層進むこれからの社会には、予測不可能な変化が起こり続けるであろう。企業としては、経営手法も人事制度も賃金体系も、諸事情の変化に応じて迅速かつ適切に変更できるものにしておかなければならない。それと同時に、働く者の側も家計の面において心配りをしてく必要がある。

日本の家計の貯蓄率は1970年代半ばには20%を超えていたが、下降の一途をたどり、07年度は2.2%と過去最低を記録したという(09年6月28日付日経新聞等参照)。今の深刻な不況下では、この率はさらに悪化していくに違いない。

賃金ダウンを実施した企業で従業員からとったアンケート資料に接する機会があったが、それによると、家計に関して次のような回答があった。―①教育費の捻出が特に問題で、家計の縮小・見直しについて家族で真剣な討議をした、②様ざまな節約をする中で、本を買わない・新聞購読をとりやめるなど自分自身への投資を減らした、③とにかく生活を根本から見直してこれからの厳しい社会を生きる覚悟をした―。

このように、賃金を引き下げられた従業員等の心理を分析すると、まず「不平」「不満」「非難」が噴出し、「反発」となり、その後事態を「甘受」するようになり、やがてやむを得ないという「諦め」「諦念」の心境に至る。しかし「諦念」だけでなく、その後賃金ダウンを積極的に「承認」するということにならないと、「発奮」にはつながらない。

賃金ダウンされた従業員等が最終的には「発奮」し、前向きに業務に取り組むようになるためには、経営者に愛情がなければならない。では、愛情をもって賃金ダウンを行うとはどういう意味だろうか。

 

「愛情」と「慈悲」の心で

人間はもともと共同体・協働体の中で生きるように作られた存在であり、自分達は社会のために働いているのだという大義名分が人にも企業にも潜在的にしろ存在している。しかも、日本人労働者は、環境の改善提案等を自主的かつ積極的に行うなど、自らの労働を意義あるものにすることに熱心であるということを念頭において、賃金ダウンを実行することが必要である。即ち、彼らの働きを認め、冷酷なやり方ではなく「愛情」と「慈悲」の心で、決して機械的ではない情理にかなった進め方をしなくてはならない。

二宮尊徳が「慈悲」とは「強と柔と二つ合わせて唱うなり」、「人を治め、国家を治むるにも、よく両面(強と柔のこと)を見ること肝要なり」と述べているように、企業経営も、優しさあるいは強さだけでは立ち行かず、優しさと強さの両方が必要なのである。尊徳の言う「強」は企業経営において経営者側から見れば慈悲の「悲」であり、「柔」とは慈悲の「慈」である。賃金を引き下げることは「悲」であることは間違いなく、その「悲」に対する「慈」の施策も同時に行うことが必要なのである。

ここで企業がなすべき「慈」の施策とは、賃金ダウンを実施している間にも経営改革が確実に一歩一歩進み、企業としても競争力がいくらかでも強まっていることを従業員等に見せることである。透明性を確保して、経営が少しずつでも上向いている様子が分かるようにするのである。例えば、不況で取引先が急減したとしても、営業努力によって新規の取引先が少しずつでも開拓され得ている状況が見えるようにするのである。

そして、賃金ダウンにおける「柔」の施策としては、雇用の維持を明示貫徹し、企業の再生を図ることである。賃金ダウンには、この見通しがなければならない。「悲」の施策(=賃金ダウン)を実施するが、近い将来は企業にとって確実に明るいものがあり、社会への貢献につながることを現実化することである。賃金ダウンにあたっての大義名分書でそれを約束し、実現していくことが「柔」の施策ということになる。

そうは言っても、愛情をもって賃金ダウンを行うことは大変難しい命題である。それゆえに、経営者としては、たとえ一時期賃金がダウンしても、企業に将来再起の目処があり、賃金が元に戻る可能性があるということを現実の問題として検討したうえで、賃金ダウンを行うべきである。つまり、一時しのぎの意味での賃金ダウンは、愛情ある賃金ダウンではない。それゆえ、単に賃金が復元し得るだけではなく、将来企業が再興し成長していくという確信が経営者になければ、賃金ダウンをしてはならない。

賃金ダウンを行うのは経営者としてもイヤなものだが、企業の存続そして将来への展望に向けて必要であれば、断行せざるを得ない。そして、賃金ダウンを断行しても経営改善の見通しが得られないならば、事業の大幅な縮小をして、人員整理を行い、あるいは企業の自主廃業を検討すべきことになる。

さて、企業で評価が必要とされるのは、多数の労働者の組織体である企業においては序列付けが不可欠だからであり、また、この序列付けなくして、企業の秩序は確立し得ない。

人間には、自立心・連帯心とともに向上心があり、下位の者は上位をめざし、上位の者はさらに上位をめざすといった向上心に支えられている。評価制度は人間の刺激剤という役割を担っているのである。そのため、人間の成長は競争的解決の手法によって促されると言えるが、単なる競争的解決だけではなく、協調的解決も必要であり、それゆえに連帯心を刺激することも必要になってくる。そのためには、評価システムとしての様ざまな規則や規定に基づいて「公明・公平・公正」を旨とした評価を行い、連帯心を刺激していくほかない。

また、評価をするのは、人間が個性ある存在であるからでもある。個性は、優秀かどうかという違いにとどまらず、優秀さにおいてもそれぞれ格差があることを前提としている。即ち、人間は適切に評価されなければ、優秀さを発揮できない存在なのである。この格差による個々の分裂を埋めるものは、人間的な精神の絆しかない。共感し共鳴し合う状態を形成することが、職場において必要不可欠である所以は、この点にある。

ところで、経営は目的をもった組織、即ちゲゼルシャフトであり、成果をあげるための組織であって、仲良しクラブのようなゲマインシャフトとは違う。問題は「成果」として何を掲げるかということになるが、収益だけを掲げてはならない。企業は公共的存在であるがゆえに、社会的貢献活動・社会責任も大きな課題として念頭に置かなければならないし、成果の目的としての組織理念・経営理念も、評価の根本基準としなければならない。そうしてこそ、より適切な評価が得られることとなる。

評価においては、企業を取り巻く現在の社会情勢に適合するように「成果」を定義づけなければならない。従業員が組織の頂上に登りつめることをめざす“エベレストクライマー”ではなくなってしまった現在においては、従業員が評価の基準をそれぞれの“個性”に求めていることは言うまでもない。誰しも社長をめざす時代ではなくなり、各々が各々の場で活躍する場所を与えられなければならない時代となったからである。

こうした今の時代に合うように、評価の在り方も根本的に変換する必要がある。そのため、評価制度は総合的・網羅的なものではなく、専門性の向上に資するものではなければならず、それぞれの分野における判断力・実行力・企画力が問われる。賃金ダウンに当たって多くは賃金体系を変更するが、その意図するところに沿って再格付けを実現すべきなのである。

賞与や退職金と異なり、月額で支給される基本賃金の減額に手をつけるということは、労働者の生活のための保障を奪うことである。そうなると、経営者は責任を問われてもやむを得ないと言うことになる。

 

トップの交代も視野に

経営者の責任問題の端的な表れは経営者の交代であろう。企業を売却せざるを得ない状況を迎えるということもあり得るだろう。つまり、賃金ダウンをするのは万策が尽きた結果であるが、その万策には経営者の交代も含まれる。企業の再建・再生に新しい視点・新しいビジネスモデルで取り組むためにも、賃金ダウンされた従業員等に展望を与えるためにも、経営者の交代が必要である。これは、今後の賃金ダウンの施策において、特に意識していかなければならない課題と言えるであろう。

経営理念といえども、人が策定するものであり、人の所産である。賃金もまた人が人に給するものであろう。そうなれば、経営理念と賃金との間に、連動性があるとされる所以も明確になる。“給する人”が経営理念を確立して行くため、当然ながら賃金もまた、経営理念を踏まえたものでなければならない。

ところで、ドラッガーが「若年人口の減少が国内市場を根本的に変える」「人口構造の変化こそ、ネクスト・ソサエティにおいてもっとも重要な要因である」(ドラッカー著『ネクスト・ソサエティ』1章・2章参照)と言うように、人口動態は今後の社会のあり方を決めるものである。既に05年から人口減少社会に突入した日本は、出生率がこのまま推移すると、50年度には総人口が現在の約1億2770万人から3割減り、100年後には6割5分減り、900年後には日本人が消失するという推計があるという。

日本企業は労働力の確保が極めて困難になり内需も望めず、成長はおろかしだいに衰退していかざるを得ない。凋落し勢いを失った根源的な衰退状況にあっては賃金ダウン策さえ意味を持たなくなってしまうだろう。

経済評論家としても活躍された故神崎倫一氏は、今から10年以上も前、「週刊新潮」1997年12月18日号で「私は常々、日本は美しく老いるべきだと考えているんです。それが最も大切なことだと思っています」と述べられた。もはや日本には老いて朽ち果てていく以外道がないとすれば、国家のみならず企業も雇用者も、貧しくとも世界に尊敬される存在をめざし、それを実現するための教育等諸施策が必要になってくるのである。

 

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2017年7月29日(土)7:26 中目黒公園にてカワラナデシコを撮影
花言葉:「大胆、可憐」

 

 

第30回 経営理念と賃金ダウン(上)
(2009年7月13日転載)

 


賃金ダウンは、細心の注意を払い、思いやりと愛情を持って―高井伸夫弁護士は、日本経済が長期停滞期に突入し、賃金ダウンもやむなしの状況にあると訴えている。説得力のある大義名分を掲げ、従業員から共感を得る努力がその前提である。

 

「我というその大元を尋ぬれば、食うと着るとの二つなりけり」、人間世界のことは政治も教法(物事を教える方法)も、みなこの2つの安全を図るためのものであって、その他は枝葉である潤色にすぎない(『二宮翁夜話』参照)。

江戸時代後期の農政家・思想家二宮尊徳(1787~1856)は、こう説いて「衣食足りて礼節を知る」の道理を明らかにした。

仕事を持つ者の約8割強が雇用者(正規・非正規・派遣・契約等を含む。役員を除く)として就業する雇用社会であるわが国において、衣食を支える生活の糧は何よりもまず賃金である。そこで、フルタイム労働者の平均月額賃金(男女計・残業代除く)の推移をみると、2001年に最高額30万5800円となったあと翌02年から前年を下回り始め、05年にほんの僅か持ち直したものの再び下落し、賃金ダウンの時代が続いている。

また、消費者物価指数を勘案した実質賃金も98年から下がる傾向がみられる。00年・05年を除き01年以降下落基調にあり、日本人が統計的にも01~02年頃から貧しくなっていることが窺える。加えて、確かな統計はないものの退職金や企業年金もこの時期減額されたはずである。衣食の確保が危うくなりつつある貧困化の状況は長引く不況のもとますます進行すると予想される。ちなみに08年の平均月額賃金は29万9100円(男女計)で、10年ほど前の98年当時の水準に戻っている。またこの夏の賞与は、近来にない激しい落ち込みをみせるだろう。賞与を全く支給できない企業も相当数に上るはずであり、賞与時に増額する住宅ローン返済では特に支払いが滞り、自宅を手放す人が増えることも危惧される。

 

重要性増す「経営理念」

日本を含む世界経済は「L字」型の長期停滞時代に入ったという分析もあり(『エコノミスト』平成21年6月16日号)、各企業は「社会情勢や当該企業を取り巻く経営環境等の変化に伴い、企業体質の改善や経営の一層の効率化、合理化をする必要に迫られ」(みちのく銀行事件=最判平12・9・7)ており、引き続き賃金ダウンやむなしの状況に直面している。

そこで本欄「夏号」では、不況下における賃金ダウンのあり方について、主に経営理念との関係を念頭に置いて論じたい。

経営とは、事業・企業を運営していくことであり、経営理念とは、経営者が「どのような会社にしたいか」「どのような会社として社会に貢献したいか」を明らかにし、同時に日々の経営活動において重視する姿勢・価値観・目的等を表すものである。とすれば、経営者による評価の結果である賃金は、「株主に対する配当」「内部保留」等とのバランスにおいて経営理念が反映される重要な一場面であり、従業員等に対する最も分かりやすい経営者の意思表示である(この点、企業の将来のための経営判断事項である内部留保はともかく、生活の糧である賃金には株主への配当以上に重きが置かれて然るべきである)。

それゆえに、経営者には賃金の決定について大きな責任と覚悟が求められることは言うまでもない。事業体を運営する経営者が、ある局面では自らと対峙する立場にある従業員等に支給する賃金額は、経営理念即ち経営体の選択する価値観等によって大いに左右されるのである。

回を改めて論じる「みちのく銀行事件」等最高裁判決および労働契約法9条・10条によると、必要性・相当性・合理性等が然るべく備わっていれば、従業員等の個別の同意がなくとも就業規則による賃金の不利益変更は認容されるので、これに反対する従業員に対しても就業規則の変更によって賃金を引き下げることは可能である。このように企業の人事労務の基本である就業規則・賃金規程には経営理念のエッセンスが反映されるべきことに鑑み、経営理念と賃金制度・賃金ダウンは直結していると言ってよいことになる。

 

説得力ある大義名分

本欄「09年春号」でリストラ問題を論じた際にも指摘したとおり、企業の社会的責任とは、まずは企業が存在し続け雇用の場を提供し続けることであって、存亡の危機に万策尽きた場合には、まがりなりにも企業を存続せしめて従業員等に賃金を払い続けるために、賞与・手当等を含む賃金の額を削減することはやむを得ないことになるのである。

そしてそれと同時に、「企業は人なり」という至言のとおり、正に企業は人によって成り立つ集合体・協働体であることを忘れてはならず、賃金は労働の対価であることはもとより、従業員等の「人」としての生活と生存を保障するものでなければならない。彼らにとっては、一家の収入源としての賃金の総額が何より重要な問題なのである(ドラッカー著『企業とは何か』参照)。もし、賃金の引き下げにより従業員等の生活保障が危うくなれば、衣食が満たされなくなり、生活もその家族をも含む人生そのものが毀損されてしまう。そうなると彼らから大きな反発を受けるのは必然であり経営も成り立たなくなる。こうした事態にならないよう、賃金ダウンには細心の注意を払い、思いやりと愛情をもって行わなければならない。

賃金ダウンを実施すると、①優秀人材が退職するリスク、②とかく“含み損社員”が組合に加入ないし結成するリスクが生じるが、前者のリスクを回避するためには、賃金ダウンの状況を従業員等に納得させ、少なくともそれを納得させるための努力を尽くさなければならない。

加えて、賃金ダウンを実行する経営者には、「以って範を示す」態度と、万策尽きて人件費に手を付けるという悩み抜いた姿勢が求められる。そのためにも、従業員等に先んじて経営者自身が大幅な報酬カットを甘受し、痛みを伴わなければならない。そうした共感を形成してこそ初めて、従業員等の諦念、納得を得られるからである。

そして、優秀人材を引き留めて、彼らが将来展望があることを確信し当該企業で活躍し続けるためには、賃金ダウンを選択せざるを得なかった経営者自身が、自らの経営力の衰えと陳腐化という事実を十分に自覚し、経営の現場から退場するという覚悟をもって、強く省みかければならない。それには、経営陣の交替や他社との合併・統合をも視野に入れた様ざまな経営刷新を断行することが必要となることは言うまでもない。

このように、企業の将来を見通しながら、説得力ある「大義名分」をいかに従業員等に示すかが、賃金ダウンを成功させる大きなカギとなるのである。

 

 

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2017年6月9日(金)9:34 上海市内の公園にて撮影

 

 

第29回 リストラの本質と手法ー恐慌下における諸現象を踏まえてー(5)
(2009年5月25日転載)

 

 

勉強は一生続けるもの

経営不振に陥った企業への公的資金注入制度を新設した改正産業活力再生法が4月22日に成立した。既にいくつもの企業が同制度の活用を検討している。本改正法は3年間で企業価値を向上させる事業計画の策定を要件とするが、適正な人員削減の実行や経営責任を厳しく問わない点で企業の根本的な再生策としては不十分であろう。

さて、企業のリストラ(再建・再興・経営体制の再構築)を実現するためには、組織改革などのハード面の施策のみならず、個々人の意思・行動というソフト面の施策も極めて重要である。今回は、リストラ問題における労働者側のテーマの主に光を当ててこの連載を締めくくりたい。

個々の労働者は、優れた専門家・技術者・技能者として常に学び続け、雇用されるに値する能力(エンプロイアビリティー)を養っていかなければならない。そして、そのための基盤としては、収入の範囲内で生活する能力を身につけた上で、清く正しく貧しくとも生きる姿勢を身につける必要があろう。

それには、今この大変な不況の中、学校教育だけでなく、社会人となってもさらなるキャリア確立のために勉強を続けていくべきである。つまり、より高度な教育を受けるべく、大学卒業後も不足する知識や技術を身につけるためにコミュニティースクールや専門学校・大学・大学院に一生涯を通じて何回でも再入学する必要性が増すだろう。ドラッカーも「人を雇うのは、強みのゆえであり、能力のゆえである。何度も言うように、組織の機能は、人の強みを生産に結びつけ、人の弱みを中和することである」(『マネジメント』第23章参照)と述べているように、個々の労働者が勉強することは、労働者と企業の双方の利益となるのである。

そこで、これからはキャリアコンサルタントの重要性が高まることが予測される。学生に対してのみならず企業内でも、メンタルヘルスをも踏まえた心理学的手法を用いて、相談を求める者の心理面を重視しつつ、自らの力で解決できるように援助するメンター・助言者としてのキャリアコンサルタントの教育・育成が、ますます必要となってくるであろう。

ところで今は一般に企業では副業を禁止しているが、景気悪化による賃金目減り補填のために、副業を容認する動きがあるという(例「富士通」2009年2月4日付産経新聞等)。これはリストラに関連するテーマとしても、重要な側面を持っている。なぜなら本連載第3回でも述べたとおり、これからはリストラの激化に伴い、判例法上のいわゆる「整理解雇の4要件」が厳格化されると予測されるが、賃金ダウン分補填のために副業を容認したとなれば、企業は「4要件」のうち「解雇回避努力義務」を一部履行したとされ、裁判になっても人員削減策が容認される方向に働くのではないかと思われるからである。

経営悪化によりやむを得ず副業を容認するのは窮余の策であるが、本来は、個人の能力の多様な開花を支援すべく、そして産業社会の活性化のためにも、全企業が前向きに副業の容認をすべきだと思われる。企業に勤める者が副業を視野に置くことは、個人の収入の幅を広げるだけにとどまらず、個人の職業選択の自由度を高め、自らの将来性や次の人生ステージを意識することにもつながるだろう。それゆえ「副業」という言葉よりも、「マルチ・ジョブ」等のような表現で前向きに捉える必要があろう。

 

個人の教育投資を優遇

そして、マルチ・ジョブ実現のためには①労働契約法の制定過程で検討された「副業禁止規定の禁止」を再検討し、法改正で条文化を実現する。②個人の能力開発にかかわる教育研修費を非課税とし、個人向け能力開発資金の貸与制度を設けるなどの実際的な取組みが必須となる。また、企業にも社員の全人生は背負いきれない旨の方針を明示する決断が迫られることになる。これは経営理念の大転換とも言えよう。

なお、マルチ・ジョブの容認には、社外秘情報の漏洩等の恐れがあることも留意しなければならない。企業秘密の管理状況が甘いケースも散見され、企業側の就業規則等の整備、社員への研修も必要である。

リストラクチャリングは、何度も述べた通り、本来企業再興のための経営体制再構築という意味であるが、わが国では人員削減策の実施という意味で用いられるのが一般的である。人員削減策は企業経営にとって、本来質と量の双方にかかわる問題である。しかし経営困難という緊急事態に陥った場合、質の向上を期する時間的余裕がないために、量の減少を図るという方向に行かざるを得ず、リストラを行う企業の再興は人員削減となって登場してくるのである。

ところが、企業が経営の限界に陥り、倒産含みの状況に陥ると、優秀人材は会社を見限り転職するため、企業の再興は不可能になってしまう。そこで、本連載第3回でも述べたとおり、正規・非正規の身分に関係なく優秀人材のリテンション策を講じなくてはならないのであり、将来的な課題として、どこの企業でも通用する職業能力を社会的に認定し、正規・非正規の「均衡処遇」を実現すべきである。

その点を踏まえて、職種別労働市場の定着を期待する向きもあるが、一部の専門的職業を除いては、職種別の労働市場は定着しないと思われる。なぜなら、企業に寿命があるように職種にも寿命があるからである。例えば、江戸時代の職業で今日残存しているのは3分の1程度であるという。時代の進化とは、職種が「多産多死」を迎えることでもあるから、今後ますます残存率が低くなるであろう。

 

賃金ダウンし投資余力

そこで、今までのように例えば営業職であればその職種を前提に自動車・化粧品等の業種を選択するのではなく、これからは、職種よりも個人の一生涯のキャリアプラン(家族構成・地域・子育て等々)を前提とした上で、職種・業種を柔軟に選択できるような“キャリア志向別”の労働市場の形成が重要になると思われる。そして将来的には、前述のキャリアコンサルタントが、求職者側の視点から長期的スパンに立った上で、当人にとっての最適な“売り時”を判断し指導していく社会になることが望ましいのではないだろうか。

さて、現下のような恐慌状態にあっては、無暗に人員削減を行うのではなく、残された従業員全員が一丸となって全力で取り組まなければ業務を維持できず、事業・企業として生き残れない現実がある。限られた投資余力を“選択と集中”により焦点を絞って活用しなければならない。そして、資金収支を確保し、でき得るならば投資余力をいくらかでも強めるために、総体としての人件費削減策つまり賃金ダウンを実施する必要性が日に日に強まっている。そこで、賃金ダウンについては本連載「09夏号」(注:本ブログに8月11日に掲載予定です)にて詳述したい。

 

 

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20170609IMG_3130.JPGのサムネール画像

2017年5月14日(日)7:10 港区南麻布2にてブラシノキを撮影
花言葉:「恋の炎、素直な気持ち」

 

 

第28回リストラの本質と手法ー恐慌下における諸現象を踏まえて―(4)
(2009年5月18日転載)

 

 

経営監督と執行の責任

企業のリストラは経営者の権利と捉えるのがこれまで一般的であったが、今では「リストラ義務」という言葉さえ登場している(2008年12月9日付朝日新聞)。これは、米国の自動車会社BIG3から補助金を要請された米政府が、経営者の責任として人件費削減策の実行を求めた際の報道である。米政府は公的資金を導入するに当たり、“リストラしてこそ企業は健全化する”との事実を経営陣に強く認識させるために「リストラ義務」を課したのであろう。

経営者のリストラ義務は、本稿第2回で述べたとおり、リストラの真の目的は企業の再建・再興であることに根拠があるだろう。特に私企業の救済のために公的資金を用いることは、国民に負担を強いるのと同義であるから、その導入に当たってはリストラを法的義務として扱わなければならないということである。このリストラ義務は、企業・国家間の公的関係のみならず、企業・株主間においても常に意識されなければならないテーマである。その際、株主の納得を得るためにも重要な役割を果たすことになる。

ところで、企業では例えボトムの従業員等を2割リストラしても組織は往々にして再生せず、正社員のリストラに及ばざるを得ないことがあるが、その際には、一般従業員に先立ち経営幹部・管理職から行わなければならないことになる。それは権限・責任の大きさからくる序列でもあり、従業員等を納得させ、事業の縮小に応じて組織を圧縮するために必要な手続きであるが、加えて高いサラリーに見合う働きをしない者を排することで人件費総額を縮減し、その結果、組織が若返りを果たすことにもなり、企業体質が強化されるのである。その具体的手順としては①まず余剰な役員を退任あるいは非常勤化して減員を図り、②次に役員報酬の大幅な減額措置を採り、③そのうえで管理職にも組織の縮小と減員そして大幅な人件費の減額措置を図るのである。

役員・経営幹部のリストラは、故意過失責任ではなくここに至った経営の監督と執行の結果責任の問題である。ここで言う結果責任とは、高位に就く者に固有の責任という強い意味のことである。それゆえの、結果責任を負う経営幹部は経営状況を理由に責任回避できず、「経営悪化は未曾有の不況が原因である」との自己弁護は全く無意味となる。

ドラッカーは「(働く者は)雇用と所得を失う恐れのある中では、仕事・作業集団・成果に責任を持つことができない」と述べている(『マネジメント』第22章参照)。しかし、現在の恐慌とも言える経済情勢では企業の存続自体が危うくなっているため、雇用の維持は不可能な事態と言ってよく、企業の存続こそが社会的責任であるということにならざるを得ない。「大恐慌のときには、何の保証も期待できない」(同書第22章)のであるから、社会的に企業の赤字が慢性化する中で雇用・所得を維持すべくさらなる赤字を求めることは自殺行為とも言え、企業には自救行為としてリストラが容認されることになる。

そして、企業の社会的責任としては、企業の存続に次いで「企業の成長」と「雇用の創出」が課題となる。雇用の新たな場を構築するためには、生産性の向上のみならず、「企業は常に陳腐化する」という危険を内包しているものとして、生き残りをかけた絶えざる智慧の研究・開発がより重要となり、企業内外のあらゆる場面でイノベーションが要請される。

 

求められる超大型投資

さて具体的な雇用対策としては、まずは大胆な超大型公共投資を推進すべきである。国として将来に向けた生産性アップに資する取組みを実施することが重要である。その具体策はいくつもあろうが、私は以下の4つを挙げる。

①都市の交通インフラ整備

今までの公共工事は僻地や地方にも非効率に展開されてきたことを反省し、費用対効果の面からも、今後は都市生活者の利便性を最大限追求した公共事業を真っ先に考えるべきであろう。例えば、乗車率の高い山手線・中央線・総武線等の複々線化や2階建て車輌の導入により、通勤通学ラッシュを解消するのである。あるいは、脱化石燃料高速交通であるリニアモーターカーで成田空港~羽田空港間を結んだり、三大都市圏(首都圏・中部・関西)を結ぶことも具体的に検討すべきである。その際、JRだけでなく航空業界に属する企業や圏内外企業にも資本参加させ、国家プロジェクトとして早期に開通させることにより、関連機器製作工場での要員の大量採用を可能とする。

②超小型エコカーの開発

自動車開発では、エネルギー消費を考慮し、まずは小型車の開発から着手すべきであろう。エコカーでも中型車・大型車ではエネルギーを使い過ぎるからである。例えばメルセデスの「スマート」のような超小型のエコカー開発を国策として行い、それと併行して電気・水素・バイオマス自動車の研究開発に投資する。また、新産業の育成として、自動車各社が推進している太陽電池車や電気自動車の事業化を期して、国としても推進するべきである。

③老人医療・メンタルヘルスへの新たな取組み

超高齢社会へと突き進んでいるわが国で、いま最も必要なのは老人専門の町医者の育成および支援である。介護の分野だけでなく、健やかな老年を送るための予防医学的な分野への国としての取組みが急務となる。

また、メンタルヘルス不全者の治療体制の確立も急がれる。西洋医学・東洋医学・心理学等の専門医療従事者および産官学の専門家の参画のもと、世界から人材を集めて「メンタル総合国立病院」を創設するのである。その際、ロシアの「ダーチャ」(別荘)を参考にした郊外型家庭菜園付メンタルヘルス支援施設の導入なども考えられる。

 

重要な英語力のアップ

④全国民の英語力向上へ

なお、雇用創出のためには公共工事も一手ではあるが、グローバル化や知識社会に対応するための必須条件である「全国民の英語力向上」に向けて1兆円を投入することも提案したい。この点、英語教育に熱心な韓国では、全ての高校卒業生が流暢な英語を話せるための計画に政府が4兆ウォン(約4500億円)を投入すると聞くが、わが国では、中学・高校・大学の英語教員を再教育し実力なき者を淘汰するための教育養成システムの構築に、まず重点を置くべきであろう。グローバルに活躍できる人材を育て産業力・国力を上げるためにも、国民の英語力向上への投資は極めて重要である。

折しも、政府は本年4月9日に「未来開拓戦略」を発表し今後3年間で140万~200万人の雇用創出を見込むが、単なる弥縫策ではなく長期的視点に立った大胆な戦略と緻密な計画が今こそ求められる。

 

 

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2017年4月29日(土)8:53 千代田区九段南4にてマーガレットを撮影
花言葉:「信頼」

 

~お知らせ~


私が執筆した書籍2冊が今月中旬に刊行されます。

1冊は、以前このブログでも連載をしていた「弁護士の営業」を元に執筆した

『弁護士の経営戦略』(株式会社民事法研究会)という本で、

もう1冊は『一流の人は小さな「ご縁」を大切にしている』(株式会社かんき出版)という本です。

どちらも私の長年の弁護士人生を通じて得た知識・経験をもとに書いた自信作です。


興味のある方は、弊所HPに詳細を記載しておりますので、ご確認ください。


『一流の人は小さな「ご縁」を大切にしている』
http://www.law-pro.jp/books/p3501/

 

『弁護士の経営戦略』
http://www.law-pro.jp/books/p3506/

 

 

 

第27回リストラの本質と手法―恐慌下における諸現象を踏まえて(3)ー
(2009年5月11日転載) 

 

 

企業存続と再興を強調

今後、正社員についての雇用調整・リストラが急激に進み、紛争が増えれば、いわゆる整理解雇の4要件に基づく裁判所の判断は、厳しい雇用情勢の中で厳格になっていくであろう。そして、企業としては従業員への説明や組合との協議も短時間で終結することを迫られ、その結果として経営資料の開示も一層強く迫られるであろう。私が多数のリストラ案件を担当する中で必要に迫られ編み出した知恵と工夫の筆頭に、リストラに当たっての「大義名分」を明らかにする手法が挙げられる。

大義名分は、裁判所のいう「整理解雇の必要性」が現下の人員削減の必要性を説くにとどまるのと異なり、右の必要性はもとより、従業員らの士気を極力損なわないよう企業の存続・再生・再興を図るためにはリストラしかないことをデジタルな資料で強調する点において、独自性がある。即ち、大義名分書では、①厳しい経営状況、②経営改善努力、③経営のけじめと再建に向けた体制、④合理化の徹底と再建計画骨子、⑤再建の前提としての人件費の限界と人員体制、⑥人件費および人員目標達成の具体的方策―などの項目を掲げ、人員削減の必要性および再興を実現する手立てを説得的に示す。加えて、当該企業が「未来に生きる」ための目的意識と、リストラの断行により社会的ニーズに応える企業として存続し得ることを明示するのである。理想としては、従業員等に企業の将来を考えさせるために、日頃から経営に関する情報公開を行い、共通認識を持たせることが必要となるだろう。

 

予め想定問答集も用意

さらに、「大義名分書」のほかに、「想定状況」および「想定問答」の精査も必要となる。

「想定状況」とはリストラを実行するに当たってのリスクを予め想定し、それに対する対応策を構想することをいう。

リストラの想定状況の第1は、優秀な人材が希望退職募集等に応募して退職するのではないかという不安である。この防御策としては、後述の「ターゲットシステム」あるいは募集要項に留保条項を明記することが一般に行われている。

第2は、人員削減によって当該企業の業務の維持が不可能になるという不安である。これに対しては、アウトソーシングの徹底、パート・アルバイト社員の雇用の検討等が浮上する。

第3は、人員削減に対する反発から、新たな労働組合が結成されたり外部の労働組合に加入する者が出てくる不安である。その防御策としては、合理化の必要性を従業員に理解させることが肝要であるから、大義名分書が行き届いた内容で納得感のあるものであることが必要不可欠となるのである。

次に「想定問答」とは、労働組合との折衝・交渉に当たり想定される質問と、対象者との個人面談の際に対象者から発せられることが想定される質問とをリストアップし、予めQ&Aにまとめたものである。

想定される代表的質問としては、①希望退職募集への応募を勧奨されたのに応募しないとどうなるのか問う、②経営者・管理職者の責任を指摘し面談者自身も希望退職に応募するのか問う、③再就職斡旋に関する当該企業の努力を問う、④当該対象者・応募者のみに金銭等の特別な取扱いを求める―などであるが、企業によってはマスコミや取引先に対する想定問答を用意すべきケースもある。

 

コア人材には引留め策

リストラを為し遂げるためには、「スケジュール表・具体的進行表」も内々に作成しなければならない。ことの性質上各々の企業の事情・特性に合致するものを作成すべきであるから特に指標はないが、重要なのは、①人員削減を決意してから3カ月以内で全体が終了するタイムテーブルを作成する、②タイムテーブルの作成までに準備企画として1カ月、組合との交渉で1カ月、その後実行行為として1カ月の計3カ月以内に終えることであり、Just in timeの方式であることが必要だ。この恐慌状態では時間的余裕がない。情報が漏洩する危険を避けるためにも、なるべく短期間で収める必要があるからである。

ところで、かつては従業員全員に対して希望退職を募集していたが、今では退職を求めたい者のみ退職を慫慂する「ターゲットシステム」を採用することが多い。含み損社員に退職を促すとともに、リストラ後の起業の再興・存続に必要不可欠なコア人材・優秀人材の流出を防ぐためである。経営の再建・再興を可能にするためには、人件費負担をできる限り軽くし、少数精鋭で再建する体制を組み立てなければならない。そして、リストラを通じて経営再建を図りたいという暗黙の共通認識を、経営側のみならず当該優秀人材にも抱いてもらうことが肝要である。そのためには、彼らを人員整理のための実行部隊に入れたり、リストラ終結後も継続する仕事を担当させることも有用であろう。

また、企業にとって必要な優秀人材については、“希望退職に応募しても会社側が受理しない場合がある”という留保条項をつけることもある。この点判例は、希望退職応募に際して会社側の「承諾を要件とした趣旨が…(会社の)業務の円滑な遂行に支障がでるような人材の流出という事態を回避しようというものであって、それ自体不合理な目的とはいえ」ず、「本制度について承諾という要件を課すことが公序良俗に反するものとはいえない」としている(大和銀行事件=大阪地判平12・5・12)。

 

仕事の”報酬”は仕事で

なお、一般的なリテンション策としては、日常的に以下を行う必要がある。①従業員等にメリハリのある明確な評価を下す、②評価結果のフィードバックは時間をかけてしっかりと行い本人に納得させる、③高い評価を与えた者はどんどん抜擢し、給与も上げる。

しかし何よりも重要なのは、高評価の者にはより価値のある仕事を与え、「仕事の報酬は仕事」で報いることである。組織の中で認められているという感覚こそが仕事のやりがい、充実感、満足感を醸し出すのである。ただし、従業員等がロイヤリティー(忠誠心)を持てる魅力を、企業が保持し続けることが必要であることを忘れてはならない。

厳しい経営環境下では有能な人材ほど先見性を発揮し、将来が期待できない企業に対しては早く見限る傾向がある。それでは、少数精鋭で企業の再建を図るという最大の目標も達成できず、逆に資金を投じて企業を脆弱化させるという極めて不本意な結果を招いてしまう。

このとき十分に説得的な文章や資料が準備され、理解を得られたかどうかがリストラの成否を分けるのである。リストラの根拠と企業の再興の姿を明確にした大義名分書が不可欠となる所以は、ここにこそある。

 

企業存続と再興を強調 

今後、正社員についての雇用調整・リストラが急激に進み、紛争が増えれば、いわゆる整理解雇の4要件に基づく裁判所の判断は、厳しい雇用情勢の中で厳格になっていくであろう。そして、企業としては従業員への説明や組合との協議も短時間で終結することを迫られ、その結果として経営資料の開示も一層強く迫られるであろう。私が多数のリストラ案件を担当する中で必要に迫られ編み出した知恵と工夫の筆頭に、リストラに当たっての「大義名分」を明らかにする手法が挙げられる。 

大義名分は、裁判所のいう「整理解雇の必要性」が現下の人員削減の必要性を説くにとどまるのと異なり、右の必要性はもとより、従業員らの士気を極力損なわないよう企業の存続・再生・再興を図るためにはリストラしかないことをデジタルな資料で強調する点において、独自性がある。即ち、大義名分書では、①厳しい経営状況、②経営改善努力、③経営のけじめと再建に向けた体制、④合理化の徹底と再建計画骨子、⑤再建の前提としての人件費の限界と人員体制、⑥人件費および人員目標達成の具体的方策―などの項目を掲げ、人員削減の必要性および再興を実現する手立てを説得的に示す。加えて、当該企業が「未来に生きる」ための目的意識と、リストラの断行により社会的ニーズに応える企業として存続し得ることを明示するのである。理想としては、従業員等に企業の将来を考えさせるために、日頃から経営に関する情報公開を行い、共通認識を持たせることが必要となるだろう。 

 

予め想定問答集も用意 

さらに、「大義名分書」のほかに、「想定状況」および「想定問答」の精査も必要となる。 

「想定状況」とはリストラを実行するに当たってのリスクを予め想定し、それに対する対応策を構想することをいう。 

リストラの想定状況の第1は、優秀な人材が希望退職募集等に応募して退職するのではないかという不安である。この防御策としては、後述の「ターゲットシステム」あるいは募集要項に留保条項を明記することが一般に行われている。 

第2は、人員削減によって当該企業の業務の維持が不可能になるという不安である。これに対しては、アウトソーシングの徹底、パート・アルバイト社員の雇用の検討等が浮上する。 

第3は、人員削減に対する反発から、新たな労働組合が結成されたり外部の労働組合に加入する者が出てくる不安である。その防御策としては、合理化の必要性を従業員に理解させることが肝要であるから、大義名分書が行き届いた内容で納得感のあるものであることが必要不可欠となるのである。 

次に「想定問答」とは、労働組合との折衝・交渉に当たり想定される質問と、対象者との個人面談の際に対象者から発せられることが想定される質問とをリストアップし、予めQ&Aにまとめたものである。 

想定される代表的質問としては、①希望退職募集への応募を勧奨されたのに応募しないとどうなるのか問う、②経営者・管理職者の責任を指摘し面談者自身も希望退職に応募するのか問う、③再就職斡旋に関する当該企業の努力を問う、④当該対象者・応募者のみに金銭等の特別な取扱いを求める―などであるが、企業によってはマスコミや取引先に対する想定問答を用意すべきケースもある。

 

コア人材には引留め策

リストラを為し遂げるためには、「スケジュール表・具体的進行表」も内々に作成しなければならない。ことの性質上各々の企業の事情・特性に合致するものを作成すべきであるから特に指標はないが、重要なのは、①人員削減を決意してから3カ月以内で全体が終了するタイムテーブルを作成する、②タイムテーブルの作成までに準備企画として1カ月、組合との交渉で1カ月、その後実行行為として1カ月の計3カ月以内に終えることであり、Just in timeの方式であることが必要だ。この恐慌状態では時間的余裕がない。情報が漏洩する危険を避けるためにも、なるべく短期間で収める必要があるからである。

ところで、かつては従業員全員に対して希望退職を募集していたが、今では退職を求めたい者のみ退職を慫慂する「ターゲットシステム」を採用することが多い。含み損社員に退職を促すとともに、リストラ後の起業の再興・存続に必要不可欠なコア人材・優秀人材の流出を防ぐためである。経営の再建・再興を可能にするためには、人件費負担をできる限り軽くし、少数精鋭で再建する体制を組み立てなければならない。そして、リストラを通じて経営再建を図りたいという暗黙の共通認識を、経営側のみならず当該優秀人材にも抱いてもらうことが肝要である。そのためには、彼らを人員整理のための実行部隊に入れたり、リストラ終結後も継続する仕事を担当させることも有用であろう。

また、企業にとって必要な優秀人材については、“希望退職に応募しても会社側が受理しない場合がある”という留保条項をつけることもある。この点判例は、希望退職応募に際して会社側の「承諾を要件とした趣旨が…(会社の)業務の円滑な遂行に支障がでるような人材の流出という事態を回避しようというものであって、それ自体不合理な目的とはいえ」ず、「本制度について承諾という要件を課すことが公序良俗に反するものとはいえない」としている(大和銀行事件=大阪地判平12512)。

 

仕事の報酬は仕事で

なお、一般的なリテンション策としては、日常的に以下を行う必要がある。①従業員等にメリハリのある明確な評価を下す、②評価結果のフィードバックは時間をかけてしっかりと行い本人に納得させる、③高い評価を与えた者はどんどん抜擢し、給与も上げる。

しかし何よりも重要なのは、高評価の者にはより価値のある仕事を与え、「仕事の報酬は仕事」で報いることである。組織の中で認められているという感覚こそが仕事のやりがい、充実感、満足感を醸し出すのである。ただし、従業員等がロイヤリティー(忠誠心)を持てる魅力を、企業が保持し続けることが必要であることを忘れてはならない。

厳しい経営環境下では有能な人材ほど先見性を発揮し、将来が期待できない企業に対しては早く見限る傾向がある。それでは、少数精鋭で企業の再建を図るという最大の目標も達成できず、逆に資金を投じて企業を脆弱化させるという極めて不本意な結果を招いてしまう。

このとき十分に説得的な文章や資料が準備され、理解を得られたかどうかがリストラの成否を分けるのである。リストラの根拠と企業の再興の姿を明確にした大義名分書が不可欠となる所以は、ここにこそある。

企業存続と再興を強調

今後、正社員についての雇用調整・リストラが急激に進み、紛争が増えれば、いわゆる整理解雇の4要件に基づく裁判所の判断は、厳しい雇用情勢の中で厳格になっていくであろう。そして、企業としては従業員への説明や組合との協議も短時間で終結することを迫られ、その結果として経営資料の開示も一層強く迫られるであろう。私が多数のリストラ案件を担当する中で必要に迫られ編み出した知恵と工夫の筆頭に、リストラに当たっての「大義名分」を明らかにする手法が挙げられる。

大義名分は、裁判所のいう「整理解雇の必要性」が現下の人員削減の必要性を説くにとどまるのと異なり、右の必要性はもとより、従業員らの士気を極力損なわないよう企業の存続・再生・再興を図るためにはリストラしかないことをデジタルな資料で強調する点において、独自性がある。即ち、大義名分書では、①厳しい経営状況、②経営改善努力、③経営のけじめと再建に向けた体制、④合理化の徹底と再建計画骨子、⑤再建の前提としての人件費の限界と人員体制、⑥人件費および人員目標達成の具体的方策―などの項目を掲げ、人員削減の必要性および再興を実現する手立てを説得的に示す。加えて、当該企業が「未来に生きる」ための目的意識と、リストラの断行により社会的ニーズに応える企業として存続し得ることを明示するのである。理想としては、従業員等に企業の将来を考えさせるために、日頃から経営に関する情報公開を行い、共通認識を持たせることが必要となるだろう。

 

予め想定問答集も用意

さらに、「大義名分書」のほかに、「想定状況」および「想定問答」の精査も必要となる。

「想定状況」とはリストラを実行するに当たってのリスクを予め想定し、それに対する対応策を構想することをいう。

リストラの想定状況の第1は、優秀な人材が希望退職募集等に応募して退職するのではないかという不安である。この防御策としては、後述の「ターゲットシステム」あるいは募集要項に留保条項を明記することが一般に行われている。

第2は、人員削減によって当該企業の業務の維持が不可能になるという不安である。これに対しては、アウトソーシングの徹底、パート・アルバイト社員の雇用の検討等が浮上する。

第3は、人員削減に対する反発から、新たな労働組合が結成されたり外部の労働組合に加入する者が出てくる不安である。その防御策としては、合理化の必要性を従業員に理解させることが肝要であるから、大義名分書が行き届いた内容で納得感のあるものであることが必要不可欠となるのである。

次に「想定問答」とは、労働組合との折衝・交渉に当たり想定される質問と、対象者との個人面談の際に対象者から発せられることが想定される質問とをリストアップし、予めQ&Aにまとめたものである。

想定される代表的質問としては、①希望退職募集への応募を勧奨されたのに応募しないとどうなるのか問う、②経営者・管理職者の責任を指摘し面談者自身も希望退職に応募するのか問う、③再就職斡旋に関する当該企業の努力を問う、④当該対象者・応募者のみに金銭等の特別な取扱いを求める―などであるが、企業によってはマスコミや取引先に対する想定問答を用意すべきケースもある。

 

コア人材には引留め策

リストラを為し遂げるためには、「スケジュール表・具体的進行表」も内々に作成しなければならない。ことの性質上各々の企業の事情・特性に合致するものを作成すべきであるから特に指標はないが、重要なのは、①人員削減を決意してから3カ月以内で全体が終了するタイムテーブルを作成する、②タイムテーブルの作成までに準備企画として1カ月、組合との交渉で1カ月、その後実行行為として1カ月の計3カ月以内に終えることであり、Just in timeの方式であることが必要だ。この恐慌状態では時間的余裕がない。情報が漏洩する危険を避けるためにも、なるべく短期間で収める必要があるからである。

ところで、かつては従業員全員に対して希望退職を募集していたが、今では退職を求めたい者のみ退職を慫慂する「ターゲットシステム」を採用することが多い。含み損社員に退職を促すとともに、リストラ後の起業の再興・存続に必要不可欠なコア人材・優秀人材の流出を防ぐためである。経営の再建・再興を可能にするためには、人件費負担をできる限り軽くし、少数精鋭で再建する体制を組み立てなければならない。そして、リストラを通じて経営再建を図りたいという暗黙の共通認識を、経営側のみならず当該優秀人材にも抱いてもらうことが肝要である。そのためには、彼らを人員整理のための実行部隊に入れたり、リストラ終結後も継続する仕事を担当させることも有用であろう。

また、企業にとって必要な優秀人材については、“希望退職に応募しても会社側が受理しない場合がある”という留保条項をつけることもある。この点判例は、希望退職応募に際して会社側の「承諾を要件とした趣旨が…(会社の)業務の円滑な遂行に支障がでるような人材の流出という事態を回避しようというものであって、それ自体不合理な目的とはいえ」ず、「本制度について承諾という要件を課すことが公序良俗に反するものとはいえない」としている(大和銀行事件=大阪地判平12・5・12)。

 

仕事の”報酬”は仕事で

なお、一般的なリテンション策としては、日常的に以下を行う必要がある。①従業員等にメリハリのある明確な評価を下す、②評価結果のフィードバックは時間をかけてしっかりと行い本人に納得させる、③高い評価を与えた者はどんどん抜擢し、給与も上げる。

しかし何よりも重要なのは、高評価の者にはより価値のある仕事を与え、「仕事の報酬は仕事」で報いることである。組織の中で認められているという感覚こそが仕事のやりがい、充実感、満足感を醸し出すのである。ただし、従業員等がロイヤリティー(忠誠心)を持てる魅力を、企業が保持し続けることが必要であることを忘れてはならない。

厳しい経営環境下では有能な人材ほど先見性を発揮し、将来が期待できない企業に対しては早く見限る傾向がある。それでは、少数精鋭で企業の再建を図るという最大の目標も達成できず、逆に資金を投じて企業を脆弱化させるという極めて不本意な結果を招いてしまう。

このとき十分に説得的な文章や資料が準備され、理解を得られたかどうかがリストラの成否を分けるのである。リストラの根拠と企業の再興の姿を明確にした大義名分書が不可欠となる所以は、ここにこそある。

 

 

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平成29年4月7日(金)11:30 埼玉県日高市高麗神社にて桜を撮影 

 

 

第26回リストラの本質と手法―恐慌下における諸現象を踏まえてー(2)
(2009年5月4日転載) 

 


経営悪化した企業がリストラを断行する本来の目的は、雇用調整によるコストダウンそれ自体ではなく、あくまでも事業経営システムの再構築(リストラクチュアリング)にあることを忘れてはならない。リストラを行う際の留意事項として、リストラ後の業務維持・再興が掲げられる所以もこの点にある。

 

雇用解消の具体的手順

とすれば、企業のリストラに当たり最も重要なミッションとは、「企業戦略は人事戦略に宿る」との理念のもと、組織のあり方を次代の事業戦略に合うように見直し、必要な人材を見極めて内部に留めることである。そして人材の選別は正規・非正規という雇用上の身分に関係なく、労働者自身の資質・能力・技能、技術を公明・公平・公正に判断した結果に基づいて行わなければならない。

経営悪化に陥った企業の雇用調整の手順は具体的には、①企業戦略に基づき今後の組織像を明確にする、②組織を活性化できる優秀人材の引き留め策を実行する、③正規・非正規の区別なく「ロー・パフォーマー」の雇用を解消する、④その上で全社的に早期退職者の募集を行う、⑤それでも雇用調整が進まない場合には非正規労働者を雇止めする―ということになろう。

翻って企業のリストラの現状をみると、非正規労働者が雇用の安全弁とされ、不況になると彼らが真っ先に切り捨てられているし、古い裁判例ではあるが最高裁判所もそれを「合理的な差異」として是認している(日立メディコ事件=最判昭61・12・4)。しかし、リストラの本質が事業の再構築・再興にあるという根本に立ち返れば、非正規という身分のみを理由とする雇用関係の解消は不合理にして悪であるという法思想が生まれ、新しい判例が登場するのは必然であろう。優秀人材の見極めは身分を問わず事業再興に資する能力の有無でのみなされるべきことを忘れてはならない。

 

「含み損社員」から着手

ところで、雇用差別見直しの歴史を顧みると、まず男女差別の解消に始まっている。1985年に制定され数度の改正を経たいわゆる男女雇用機会均等法は、既に差別的取扱いを禁止していた募集・採用、配置・昇進・教育訓練、福利厚生、定年・解雇に加えて、2006年の改正で降格・雇用形態の変更・労働契約の更新・退職勧奨等も差別禁止とした(同法6条)。

次に禁止されたのは年齢差別である。雇用対策法は、2007年の改正で募集および採用における年齢制限の禁止を事業主の努力義務から義務規定とした(同法10条。但し例外事由あり)。

そして2008年4月に施行されたいわゆる改正パートタイム労働法では、「同一労働同一処遇」の理念のもと、短時間労働者の待遇はその働きや貢献に応じて決定することが求められた。特に、通常の労働者と同じ働きをしている者の待遇について差別的取扱いが禁止され、均等待遇の確保が明示された(同法1条、8条等)。

今後は、正規・非正規の身分差別がなお一層見直され実力本位となり、将来的には雇用解消の場面でも差別が禁止されるに至ると思われる。

なお、直接雇用ではない派遣労働はそもそも雇用調整の安全弁として機能することを企図された雇用形態であるから、今回のような恐慌時にまず契約関係が解消されるのは理論上当然である。今回の「派遣切り」問題は、Just in time方式で一挙に行われた雇用調整の様相が余りに鮮烈であったために、派遣労働の実態が社会問題としてクローズアップされたのである。マスコミ等で、彼らの契約を真っ先に打ち切ることが社会的弱者への仕打ちの如く非難されたのは、労働者派遣法を含む労働法全般が労働者の人間としての尊厳を最低限確保するための社会法であるという認識が、立法・行政に希薄だったためであろう。今後、単純労働は次第に直接雇用へと移行せざるを得ず、派遣労働は制定当初のように専門性の高い職種に限定されていくのではないだろうか。

このように雇用差別の見直しが進む結果、雇用関係の解消に当たっては正規・非正規という雇用上の身分に拘泥せず、ロー・パフォーマーか否かを基準とすべきであるという法思想が生まれ、人材の賞味期限切れへの対応が意識されるようになる。そして雇用調整のルールとなる新たな最高裁判例および立法措置も生まれ、実力主義のもとでの雇用調整が行われるようになるだろう。

ところで、非違行為はないがロー・パフォーマーである者を勇退に導くプロセスの具体例は次のとおりである。①まず、含み損社員のワーストを選ぶ。実際には様ざまなしがらみなどから本当のワーストを除外する傾向が強いが、これらを乗り越えて選定する。ここで留意すべきはあくまで現在の実力によって判断することであり、過去の実績を勘案してはならない。②次に、2回ほど配置換えを行いこの間指導・注意・警告を繰り返して「誰もが当該労働者に往生した」という実績(例えば人事考課が3回連続最低ランクであるなど)を記録する。この点、裁判所も「勤務評定という客観的な評価に基づいて最も低い評価を受けた者を解雇するという人選がされたものであるから」、「被解雇者(3回連続最低ランクのDを受けた者)の人選は妥当であった」としている(東京都土木建築健康保険組合事件=東京地判平14・10・7)。③その後、「残念だが勇退をお願いする」というプロセスを経て勇退に導く。その際、企業各々のカラー・社風に副った表現で、「勇退を求める」「淘汰する」という趣旨を明確に伝える。この時、然るべき退職金を支払うことが重要である。④当該労働者の勇退後は、それが前例となりその後の淘汰は容易に進むだろう。

 

正社員でも躊躇は無用

さて、前述のとおりいわゆる改正パートタイム労働法の「同一労働同一処遇」の理念は、雇用関係の“出口”=雇用関係の解消においても、十分に留意されるべきである。その結果、これからは正社員の既得権である雇用保障と賃金にメスを入れることが、リストラのメーンテーマとして不可避となってくる。

正社員の雇用保障を打破する最も合理的で現実に即した方法は、先に述べたように「含み損社員」の解雇規制を緩和することである。なぜなら、成果主義的な人事制度と賃金体系が浸透した今日の状況にあっては、貢献と雇用保障とのバランスを失する従業員は解雇されてもやむを得ないとする法的思想が生まれ、その結果として正社員の単純一律的な雇用保障は不適当と理解されるに違いないからである。

経営悪化に陥ってしまった企業の果たすべき社会的責任の根本は、事業再興に向けて本当に必要な人材を見極めたうえで、人員削減をしてでも企業の存続を図り雇用の場を確保することにある。そのためには、経営者は正社員のリストラを躊躇してはならないのである。

 

 

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2017年3月17日(金)7:33 芝公園にて菜の花を撮影
花言葉:「快活、明るさ」



第25回リストラの本質と手法―恐慌下における諸現象を踏まえて―(1)
(2009年4月27日転載) 

 


高井伸夫弁護士は、日本経済が“脳梗塞”状態から抜け出すには8年を要するとみている。半身不随となる前に、正社員削減を含めたコスト対策を最優先すべきであるとした。1000件を超すリストラに携わった経験を基に解決の方向性を明らかにする。

 

光輝くべき春を迎えても、日本社会には重苦しい閉塞感が漂っている。今回の不況は一過性ではなく、恐慌と言える性質のものである。私が敬愛する中前忠先生(中前国際経済研究所代表)は、昨年12月の講演で、現在の金融不況はまだ三合目にすぎず惨憺たる状況が今後も続くと指摘された。

思えば、2007年12月初旬(当時日経平均株価1万5000円台・1ドル110円台)、私が某証券会社の経営幹部に「日経平均株価は7000円、為替は1ドル75円となり、不況は少なくとも2015年まで続く。大手証券会社ですらそれまでに従業員を半分以下にリストラせざるを得ない」と予測したときには誰も信じなかった。しかし、今ではそのとおりの展開になっていると言ってよい。各企業は急激に業績を悪化させ、リストラこそが企業存続のために必須であり、企業はリストラ義務を負っていると言っても過言ではない。「(2008年12月からの1年間で)270万人の雇用が喪失する可能性がある」(2009年2月4日、前日銀副総裁・大和総研理事長武藤敏郎氏講演)との見通しはさらに悪化するだろう。

私が企業の人員整理を担当し始めたのは、1963年に弁護士になって間もなくのこと。これまでに数多くのリストラ案件を体験し、その数は余りにも多く自分自身では数えていないが、1000件以上になるという人もいる。その経験から、企業の再構築(本来の意味のリストラクチュアリング)には、常に半歩先を読む先見性と、問題点を明確にした上で解決への方向性を具体的に解き明かすことが必要であると痛感してきた。

本稿では、まず導入として不況が2015年まで続くと予測する根拠等を述べ、次回以降、企業が生き残りをかけて行う人員削減策の問題点を真正面から取り上げ、提言を行いたい。

 

日米同時破産の懸念も

ドラッカーは「放っておけば不況も自然に治ることは確かであろう。しかしその頃には患者は死んでいる」とし、「あらゆる先進社会が、不況に対しては積極的な対策をとらざるを得ない」と指摘している(初版1946年『企業とは何か』第12章参照)。

今年1月10日付日本経済新聞で、倒産法の専門弁護士であり裁判官としても活躍され、退官後には産業再生機構の委員長を務められた高木新二郎先生が、「万が一トヨタや日産、ホンダの売上高が半減した場合も想定して、日本も支援策を検討した方がよい。影響が甚大な大企業には公的資金を入れ、中小企業にはモラトリアム(借金の棚上げ)をする。職を失った人への生活保護など総合的な対策を考えたほうがよいのではないか」と明言されたのも、また、金融危機で資金調達が困難になった一般企業に対して、一定要件のもと公的資金を活用して資本注入する新制度創設が国会で審議中なのも(改正産業活力再生特別措置法)、前掲のドラッカーの言葉と同じ問題意識に立つ。そして、トヨタ自動車が4月まで国内生産台数を前年同期比で半減させたり、新日本製鐵が粗鋼生産高を前年度比4分の1減とした状況をみれば、まさに高木先生の「売上が半減した場合は公的資金を入れて救う以外ない」とのご指摘が現実化しつつあることが分かる。日米同時破産ということも半ば公然と言われ始めている。 さて、歴史的に紛争の解決方法として「競争的解決」と「協調的解決」という2つの方途が考えられるが、恐慌の克服策としても、それは同様である。

 

正社員も例外ではない

1929年の世界恐慌の際、人類は戦争という競争的解決による経済の立て直しを選択し、第二次世界大戦(1939~45年)に至った。すなわち、1927年(昭和2年)の金融不況以降、極めて深刻な経済状況に陥った日本も「競争的解決」による克服をめざした。1929~31年頃の東京朝日新聞の見出しを見ると、「空前の就職難時代」「減俸令発表さる(現在の公務員の賃金ダウン)」「官庁も会社も皆人減らし」「失業地獄」「民間会社・銀行も減俸にならえ」等々の言葉が並び、当時の厳しい状況が伝わってくる。1930年度卒業生就職率は、大学卒39.1%、専門学校卒43.8%であり、まさに「大学は出たけれど」(1929年、小津安二郎監督映画作品)どおりの状況であった。結局、わが国は有効な打開策を講じることができず、満州事変(1931年)、日中戦争(1937年)という形で大陸への軍事的な領土拡張策を展開し、市場確保と軍隊の増強によって失業者の吸収・救済を図ろうとした。

かくして日本では1937年には一時的軍需景気で「競争的解決」は成功したかにみえたものの、1945年には敗戦を迎えた。この戦争で日本を始め多くの国が焦土と化し、生産力が減退すると同時に大量の物資が必要となったが、戦後にはイノベーションにより需要が喚起され経済が復興したのである。

ところが、今このような世界的規模の戦争をすれば核による地球の破壊をもたらすのは必定であり、今回の恐慌は戦争という競争的解決を用いることはできない。それが、協調的解決しか取り得ないと世界で強く認識されている所以である。例えば、世界同時不況の解決策について協議する金融サミットが、G7ではなく日米欧に新興国を加えたG20によるものであることも、世界規模による協調的解決が必至である証左であろう。

先にこの不況は少なくとも 2015年まで続くと予想したがその根拠は、1929年の世界恐慌の終息まで16年間要したことから(第二次大戦の終結は1945年)、今回世界全体で強力に協調的解決が可能になったとしても、少なくとも半分の8年間は必要と考えたらからである。

いわゆるサブプライムローンに端を発した金融危機で、血液であるカネを送り出す心臓の役割を果たす金融機関が、不良債権の急増により機能不全に陥っている。そのため、借金(テコ)で消費・投資していた人々が資金調達できなくなり、カネの流れも滞ってしまった。これは言ってみれば脳梗塞のような状態であり、回復には時間がかかるであろう。「血液」が流れないと「身体=市場」に酸素や栄養が届かず、深刻なダメージとなって半身不随に陥り、更に企業倒産という壊死さえも起こり始めている。

各企業は、この未曾有の不況下で先が読めず、完全な機能不全に陥る前にコスト削減を最優先し、正社員をも人員削減の対象とするリストラを続けざるを得ない状況なのである。

 

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