「高井伸夫のリーダーの条件」<『月刊公論』財界通信社>の最近のブログ記事

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右から時計回りに
2015年11月7日(土)6:56 目黒区東山1にてビオラを撮影 花言葉:「忠実、誠実」
2015年11月7日 (土)12:48 日比谷公園にてストックを撮影 花言葉:「愛情の絆」
2015年11月22日(日)8:05 早稲田鶴巻町507にてガーベラを撮影 花言葉:「希望、常に前進」 

 

 

7月24日(金)から、2011年5月~2012年4月にかけて、計12回、『月刊公論』(財界通信社)にて私が連載いたしました「高井伸夫のリーダーの条件」を転載しています。 

私の半世紀にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、リーダーのあり方について述べた連載です。 

これからは、自分一人の信念で周囲をひっぱっていくというリーダーの時代ではありません。優れたリーダーには必ず、”股肱(ここう)の臣、頼れる参謀”が付いているものです。もはや”孤高の人”では、リーダーにはなり得ないのです。 

ブログ読者の皆さまに、現代におけるリーダーシップ論を考えていただく一助となれば幸いです。

 

 

日本が希望の持てる国であるために
「志」あるリーダーが明日の日本を作る
(『月刊公論』2012年4月号より転載)

 

私の連載は、予定どおり今号が最終回です。1年間ありがとうございました。改めて「リーダーの条件」を考えてきて思うのは、あらゆる面で多様化の時代を迎えているいまほど、統率力の発揮が難しい時代はないし、また、いまほど統率力が求められる時代もないということです。

 

「50年後・生産人口の半減」

直近の国勢調査(2010年10月実施)では、国内の日本人人口が前回調査(05年)から37万人(0.3%)減少したことが発表され、国勢調査ではこうした減少は初めてのことである旨、マスコミで大きく取り上げられました。

さらに、この結果をもとにして本年1月30日に発表された日本の「将来推計人口」によれば、2060年の日本の人口推計は、2010年の1億2806万人から4132万人減って、8674万人になるといいます。これは、32%もの減少です。また、少子高齢化が加速し、2060年には、65歳以上の割合は2010年現在の23%(世界最高)から39・9%(5人に2人)になり、一方で15歳未満の年少人口の割合は、同様に13・2%(世界最低)から減少し、9.1%になってしまうといいます。さらには、社会の働き手である15歳~64歳の生産年齢人口も、半減するといいます。(国立社会保障・人口問題研究所)。

これはもはや人口減少というより、国の消滅の始まりといっても過言ではないでしょう。日本は掛け値なしに、存亡の危機に立っているのです。出生率も、1.3人台にとどまりながら、下降傾向が続いています。

かたや新興国は若い人口の比率が高いのが特徴で、15歳未満の人口割合は、中国は19・5%、インドは30・6%、ブラジルは25・5%です(2010年)。日本とは対照的な、まさに活力あふれる社会です。

 

「人口問題の難しさ」

日本の抱える課題はいくつもありますが、人口減少問題こそ、喫緊に取り組むべき、最も深刻かつ重要なテーマであると私は思います。

日本では1990年代初めにバブル経済が崩壊しましたが、それ以後続く日本経済の停滞は、「失われた20年」といわれています。人口減少問題に無策であり続けることは、この先もずっと経済の活力が低下することを意味します。それは、日本に「失われた『40年』『50年』」をもたらし、社会全体が停滞し続けることになるでしょう。

私はもうすぐ75歳になります。これまで、日本社会のいろいろな変化や紆余曲折を体験してきました。戦争のときはまだほんの子どもでしたが、戦後の物不足やひもじさは痛烈な体験として記憶に刻み込まれています。日本全体が敗戦と貧しさのなかから這い上がってこられたのは、右肩上がりで人口が増え、労働力が潤沢であり、さまざまな生産活動を活発におこなえたことがひとつの大きな要因であったと思います。

人口問題は、女性に妊娠・出産を促すことが必要になりますから、順調に結果が出るとしても、20年~30年のスパンで考えなければならない長期の課題です。しかも、女性が自然に「産みたい」という意欲を持たなければならないのです。これは実に大変なことで、人口増の実現は容易ではありません。

日本が高度成長に浮かれていた1970年代、既に人口減少問題を指摘する専門家がいたと仄聞しますから、政府はなぜその時期に真剣な取り組みをしなかったのかと思いますが、いまでは詮ないことです。

 

「産業政策の重要性」

私は人口問題の専門家ではありませんから、どのようにすれば実際に出生率が上昇して人口が増えるのか、具体的方策はわかりません。ただ、人口が増えない現実の背景には、いまの社会への期待や希望が薄れていることも大きく作用しているのではないかと直感します。そして、たとえ首尾よく人口増に成功したとしても、日本が展望のない社会であったとしたら、国民は活動の場を持てず、国力は向上しません。つまり、いまの日本では、人口を増やす研究・対策を進めて女性の妊娠・出産への意欲を刺激する方途を探る一方で、日本を未来に対する展望ある社会に作り変える努力も並行しておこなわなければならないのです。

日本は、昨年の輸出額から輸入額を差し引いた貿易収支が、31年ぶりに赤字に陥りました(財務省)。いまの日本の企業は「6重苦」に悩まされているといいます。これは「円高」「高い法人税」「貿易自由化の遅れ」「労働規制」「温暖化ガス削減」「電力不足と値上げ」で、さらに「世界経済の減速懸念」や「国内政治の停滞」のふたつを加えて「8重苦」という人もいるようです。そして、いまこれに「人口減少問題・労働力不足」が加わろうとしています。展望ある社会を実現すべく産業政策を充実させなければ、日本社会は「8重苦」以上のさらなる苦しみにとらわれ、沈没してゆくしかないでしょう。いまの日本の国力、経済力からすれば、すべての産業の振興を図る余裕はなく、国として強化すべき分野を決めて注力することが重要です。

 

「エリート教育の必要性」

未来への展望を開くには、産業政策に加えて、教育の問題も重要です。一時期のゆとり教育のような悠長な発想はできないのです。できない子もできる子も全員を平等に教育することは、日本の国力では難しくなっています。選抜された優秀な生徒・学生にエリート教育を施し、さまざまな分野でのリーダーとして活躍してもらう以外にないでしょう。

折しも、東京大学の浜田純一学長が提唱したことを契機に、大学の秋入学をめぐる議論が巻き起こっています。私は、この動きは、単なる入学時期の問題ではなく、日本の教育全体の仕組みを根本的に作り変えて、世界的な競争に打ち勝とうとする志ある教育者・研究者の勇気ある行動であると受け止めています。それほどに、世界を知る彼らの危機感は強いのでしょう。海外の人材と切磋琢磨して、競争に勝ち抜く者をいかに多く輩出できるかで、日本全体の力は決まるのです。

 

「優秀人材の海外からの取り込み」

日本の人口を増やして活力を維持あるいは向上させるためには、人口対策、産業政策、教育問題等が重要だとしても、いずれも時間を要します。とすれば、より即効性のある施策にも国は正面から取り組まなければなりません。それは、優秀人材の海外からの取り込みです。各企業は、必要に迫られて外国人の採用比率を高めつつありますが、日本全体としても、各分野で外国人を受け入れる準備に着手しなければならないのです。日本人の労働力が不足することが明らかになっている以上、国は外国人の受け入れに躊躇できないはずです。受け入れを前提として、日本の国力の維持・向上に資するためのシステムをどのようにすればよいか、取り組まなければならないのです。

海外からの優秀人材の受け入れを国家戦略としておこない成功している国としては、シンガポールが有名です。シンガポールの要人から直接話しを聞いた人によれば、この国は厳しい選抜のもと、とくにアメとムチを使い分け、ハングリー精神あふれる海外の優秀人材を国費で集めて厚遇し、それが国全体への刺激にもなっているといいます。日本でもこうした仕組みを作れないものでしょうか。

 

* * * * *

 

人口減少問題をめぐる施策は、どれも結局は強いリーダーシップのもとに行われなければ実現不可能なものばかりです。国際化と社会の多様化と個人主義が進むなかで、効果的な施策を提言し、説得し、意見を集約し、そして実行することは、容易なことではありません。

しかし、こういう時代であればこそ、リーダーが求められるといってよいのです。私はリーダーに求められるのは、最終的には志の高さであると思います。どのようなグループであれ、リーダーは必要です。それぞれの場で、リーダーシップを発揮し、日本を希望の持てる国にしようとする志が、あすの日本を作ると私は信じています。

 

 

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2015年10月11日(日)12:38 東名高速初狩P.Aにてミヤマムラサキを撮影
花言葉:「尊い思い出」

 

 

7月24日(金)から、2011年5月~2012年4月にかけて、計12回、『月刊公論』(財界通信社)にて私が連載いたしました「高井伸夫のリーダーの条件」を転載しています。 

私の半世紀にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、リーダーのあり方について述べた連載です。 

これからは、自分一人の信念で周囲をひっぱっていくというリーダーの時代ではありません。優れたリーダーには必ず、”股肱(ここう)の臣、頼れる参謀”が付いているものです。もはや”孤高の人”では、リーダーにはなり得ないのです。 

ブログ読者の皆さまに、現代におけるリーダーシップ論を考えていただく一助となれば幸いです。

 

 

地域の特色を発揮、グローバル化を目指す
密着型より地域振興型企業へ
(『月刊公論』2012年3月号より転載) 

 

本連載は当初の予定どおり次回4月号が最終回です。連載の間に一層あきらかになったのは、日本の企業もヒトも、国外に果敢に出て勝負をしなければ生き残れないということです。そしてこれは、地域のあり方にとっても同じことなのです。

 

「地域密着型」は時代遅れ

各地の企業や組織が、何かにつけ「地域密着型」をスローガンにし始めたのは、いつの頃からでしょうか。私は10数年前から、講演でも執筆でも、「地域はどこも衰退していくのだから、それに密着していたら企業も一緒につぶれてしまう。これからは、『地域振興型』を標榜し、自らが地域を活性化させ、鼓舞することを目標にしなければならない」と繰り返し説いてきました。

地域密着型の発想は、完全に時代遅れです。日本全体が貧困化し、さらには少子高齢化により人口が減少し続けるなかにあって、地方にはこれら「貧困」「人口減少」問題がより強く影響し、いよいよ斜陽化し衰弱しています。企業が、地域で雇用を創出し、地域を発展させ、その結果、自立・自律した地域となることを目指すのであれば、地域とともに歩む地域密着型ではなく、日本全体および世界の市場を念頭において地域を牽引していく「地域振興型」であるべきです。

 

地域振興の実例

私が実際に高知市などの地元の方にお会いして話を聞いた地域振興型の成功例は、高知県馬路(うまじ)村のユズ産業です。馬路村は人口1000人ほどの小さな山村ですが、村の特産品であるユズをもとにして、営業努力と商品開発の苦労を重ねて、ユズの村として県内外に認知させることに成功しました。特産品というと、1980年、当時の平松守彦大分県知事(2003年没)が県全体に号令をかけて大成功をおさめた「一村一品運動」が有名ですが、馬路村は、村がこれを自律的に展開した例といえるでしょう。

馬路村は以前からユズの産地として有名でした。ある年、大豊作によるユズの価格下落・値崩れに困り果てた村の当局者が、需要拡大の方途を模索して商品開発に取り組んだことが、現在のビジネスの発端でした。そして、雌伏10数年間を経て、ユズの飲料水などの商品が売れるようになり、ユズの村として全国に知られるようになりました。いまでは、全国に販路を拡大し、ユズ関係の商品の売上は年間30億円、観光客は年間6万人にもなります。馬路村の成功は、地元の農協トップが強いリーダーシップを発揮したことが大きな要因であったといえます。このリーダーのもと村のブランド化をはかり、都会に売り込むことでお客の囲い込みに成功したのです。そして、馬路村は経済的にも独立が可能となり、近隣の市町村からの合併話に見向きもせず、独立独歩で運営しています。

 

地域振興の難しさと具体策

残念なことに、日本では、このような特産品による地域振興で成功した地域は極めて少ないといえます。むしろ、地域復興以前の問題として、経済の沈滞と人口減少が進み、町村や都市としての機能を失い、打つ手がないところがたくさんあります。都市のシャッター通りもその例です。ただ、米沢市在住の方から聞いた話の例によれば、伝統工芸・米沢織の工場が電機部品の工場に変わったりしているものの、それにより雇用の場が守られているという実情もあるようです。現実は厳しいですが、地域振興の志を掲げて奮闘する企業こそが地域のリーダーとしてふさわしい存在であり、成果をあげていくと信じています。

地域振興を具体的に推進する方策は何でしょうか。

第一に、馬路村のように、特産品・名物商品を開発し、徐々にであっても、拡大していくことが必要です。馬路村の特産品の発展の歴史を調べると、ユズ事業が花開くまでには多くの苦労がありましたが、日頃から問題意識をもって商品開発を地道におこなっていたからこそ、最終的には成果を得られたのです。

商品開発の根本は、消費者に喜ばれるものを目指すことです。そのうえで、地域の特産品の素材自体の魅力を活かした商品化を推進し続けることが重要です。インターネットの時代ですから、商品に魅力があり、発信力さえあれば、販路は日本全国、さらには世界へと広がります。そして、お土産や贈答品として多く用いられるようになれば(たとえば、米沢市であれば米沢牛など)、特産品は自然と広まってゆくのです。

 

観光への取り組み

地域振興の第二のポイントは、観光への取り組みです。

「観光」の語源は『易経』にある「国の光を観る。用て(もって)王の賓たるに利し(よろし)」との一節によるといいます。(須田寛著『産業観光読本』〔交通新聞社刊〕等を参照)。

観光スポットがあれば、それをいかに上手にマスメディアに売り込むかが重要です。いまは、テレビ番組やインターネットで紹介されることが集客の契機になりますから、取り上げられるだけの素材を発掘し、育むことが必要になります。

さらには、歴史上の人物や事象との関連で、観光客が紐解きたくなるような資料を提供できなければなりません。江戸時代でいえば、たとえば、米沢藩主であった上杉鷹山公は人気のある歴史上の人物のひとりですが、その理由は、鷹山公は、「なせばなる、なさねばならぬ何事も、ならぬは人のなさぬなりけり」という名言や、藩の財政再建と産業育成を成し遂げたことや、米国のケネディ元大統領やビル・クリントン元大統領に「もっとも尊敬する日本人政治家」と言われたことなど、魅力的で豊かな人間性を偲ばせるエピソードに彩られているからなのです。

 

産業集積について

地域振興型の第三のポイントは、産業集積でしょう。米国のシリコンバレーは、IT分野の産業集積地として世界的に著名ですが、日本各地でも、当該地域のささやかな事業が時代の変化に乗り遅れないように、次々と新しい産業を開発していくのです。それには行政(国・自治体)の力・地域の大学と研究者の力・企業の研究開発陣の奮闘が三位一体のごとく協同して機能することが何より重要になります。

ただ、いまの日本で産業集積の顕著な成功例を、私は寡聞にして知りません。製造業では、東京都大田区の金属加工等の町工場群が有名でしたが、グローバル競争の直撃を受けて沈滞したという報道に接しました。また、東京の渋谷にIT関連企業が集まった時期には、シリコンバレーをもじってビットバレーなどと言われた時期もありましたが、いまではどうでしょうか。私は業務でも原稿執筆でも現場に行くことを重視しますので、これまで日本全国を訪れてきましたが、いまの日本で産業集積に成功して活気がある地域をみたことがありません。

この点、経済産業省は、産業集積と同じような意味の「産業クラスター計画」(地域の中堅中小企業、大学、研究機関等によるネットワーク形成の取り組みに対する支援)なるものを、税金をつぎ込んで2001年度から09年度にかけて推進したといいますが、私は知りませんでした。日本の産業界の現状をみれば、この政策は、まったく成果を上げなかったということになるでしょう。

 

国際化について

さらに、地域振興を図るには国際化の視点も不可欠です。日本は人口減少の局面に入っていますから、市場は縮小の一途をたどるばかりです。

地域の特産品なり特徴を世界に積極的にアピールして、グローカル化を目指す必要があります。(グローカル〔Glocal〕とは、グローバル〔Global〕とローカル〔Local〕を掛け合わせた造語で、「地球規模の視野で考え地域視点で行動する」という考え方をいいます。)そのためのひとつの方途として、姉妹都市作りが効果的です。自分たちと同じような規模で指向性も似ている海外の地域と提携して、交流を深めるのです。たとえば、日本の温泉地であれば、海外で有名な温泉地と姉妹都市になることによって、自らの地域のグローカル化を推進することが可能になるでしょう。

国際化には、海外から多くの観光客を自分たちの地域に呼ぶことも大切な視点です。些か大げさに言えば、外国人観光客のほうが日本人より多くなることを期することです。もちろん、これは一朝一夕に実現できることではありませんが、努力し続けることが肝要なのです。

 

 

 

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2015年10月3日(土)7:23 目黒区青葉台1にてマリーゴールドを撮影
花言葉:「嫉妬、悲しみ」 

 

 

7月24日(金)から、2011年5月~2012年4月にかけて、計12回、『月刊公論』(財界通信社)にて私が連載いたしました「高井伸夫のリーダーの条件」を転載しています。 

私の半世紀にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、リーダーのあり方について述べた連載です。 

これからは、自分一人の信念で周囲をひっぱっていくというリーダーの時代ではありません。優れたリーダーには必ず、”股肱(ここう)の臣、頼れる参謀”が付いているものです。もはや”孤高の人”では、リーダーにはなり得ないのです。 

ブログ読者の皆さまに、現代におけるリーダーシップ論を考えていただく一助となれば幸いです。

 

 

いまの時代にふさわしい「コンプライアンス」「危機管理」の要諦はなにか
経営者の志を守るために― 
(『月刊公論』2012年2月号より転載) 

 

企業の不祥事が起こるたびに、法令遵守・コンプライアンスの重要性が声高に叫ばれます。これは経営者にとって確かにいろはの「い」です。しかし、事業体にとっての一番の価値や、経営者の志が何かということが明確になっていないのにコンプライアンスに取り組んでも、それは、「仏作って魂入れず」にほかならないのです。

 

「高収益の確保による危機管理」

日本最高の経営力を誇り、日本の製造業の最後の大物経営者とも言われている日本電産・永守重信社長は、インタビューやご自身のブログで、「築城3年、落城3時間」という刺激的な警句を紹介されています(『ウエッジ』2011年10月号、日本経済新聞社「永守重信氏の経営者ブログ」等)。これは、危機管理の重要性を訴える言葉に違いありません。

リーマンショックで世界が経済不況に陥った2008年秋、日本電産は、2007年度実績で770億円を超える営業利益を上げていたにも拘わらず、永守社長のリーダーシップのもと、社内で十分な合意形成をおこない、迅速に賃金ダウンを実施したのは有名な話です。私は、予て永守社長のこうした素晴らしい経営力に感銘を受けていましたので、雑誌『ウエッジ』で永守社長の「築城3年落城3時間」という言葉を拝見して、打たれたのです。

経営者は危機管理に鋭くなければなりませんが、その基本は平素から法令遵守=コンプライアンスを心掛けることです。しかし、危機管理のさらなる原点は、なんと言っても経営力の強さであることを知らなければなりません。そして、経営力の原点は、強い経営体であるということです。強い経営体であってはじめて、危機管理を十分におこなえるのです。永守社長は、「高収入を維持しておかないと、会社は持続できない」(12月7日付ブログ)という発言もされていますが、高収入こそ、強い経営体による最上の危機管理です。

 

「良心経営の時代」

私はこれまでいろいろなところで書き、発言していますが、いまは良心経営の時代です。ITの発達という点からも、また内部告発が一般的になったことからいっても、企業や経営者の邪悪な活動はすぐに社会に知れわたります。経営者が良心に基づく生き方をして、さらに良心に基づく経営を行わなければ、よい人材は決して集まらない時代なのです。そして、良心経営になればなるほど、危機管理は繊細かつ緻密でなければなりません。この場合の良心の内容を私なりに分析すれば、「真・善・美」を求め、「夢・愛・誠」を追い続け、「道理・道義・道徳」を旨として、これらの頂点に「志」を高く掲げるということです。ですから、あえて言えば、「真・善・美」「夢・愛・誠」「道義・道理・道徳」そして「志」という10要素を満足する経営が、良心経営なのです。

永守社長の志は「100万人の雇用」がテーマであると、人ずてに聞いたことがあります。日本電産の雇用数は現在およそ10万人ほどであるとのことですので、永守社長はこれを10倍にすることを目標にしていることになります。この不況下では、人員削減・リストラが激しく断行されますが、それに逆行するかのように、永守社長は雇用量の増大を旨として経営を引っ張っているのです。

これは、永守社長が、経営力の基盤として極めて強靱な思想・信条を持っていることを示しています。そうした基盤があってこそ、大きな利益をあげながらもなお果敢に賃金ダウンを図る力を発揮できたのです。

ちなみに、永守社長は、M&Aにより譲り受けた企業を再建するときも、社長以下の経営陣を原則として交代させず経営のやり方を学んでもらい、赤字から黒字に大転換する経験を積んでもらうといいます。これはもう経営の域をはるかに超越して、社会貢献、否、社会還元活動ともいうべき高い志であると私には思えます。そして、経営者・経営陣に対するこうした指導・教育を可能にしている根源は、グループが高い収益性を保持していることにあるのです。

 

「経営者にとって志の重要性」

志を高く揚げる経営体であるということは、自分を取り巻く従業員の幸せを願うだけでなく、日本の雇用のあり方、世界の雇用のあり方に対する影響力をなにがしか持つという事実と気構えが必要です。自分の経営体を単に活かすだけでなく、積極的に活かす方向での社会寄与を意識してこそ、良心経営下の志として評価されるのではないでしょうか。

永守社長のほかにも、良心経営を実行されている経営者は多くいます。たとえば、楽天・三木谷浩史社長の「世界一のインターネット・サービス企業」を作ろうという意気込みや、武田薬品工業・長谷川閑史社長の「持続的成長」というテーマもまた立派な志でしょう。

要するに、良心経営とは、「真・善美」等々の細かい話はもちろんのこと、志をたてること自体がもっとも重要なのです。コンプライアンスは、あくまでも志を守るための方途ですから、志がないのにコンプライアンスの遵守のみに忠実でそのことが目的化してしまっては、本末転倒です。

 

「経営に改革・革新・変化を」

「さらばガラパゴス統治 たゆまぬ改革が信認生む」(2011年12月4日付日本経済新聞)という新聞の見出しがありましたが、この言葉は、柔軟な思考で経営に臨まなければならない経営者の姿勢にもあてはまります。自身の成功体験に酔ったり、固定観念にとらわれたりしては進歩がありません。時代の絶えざる変化の半歩先を読んで、経営革新をはかり続けることこそが企業存続のための最重要ポイントなのです。まさに、「いち早く変わらなければ、後退あるのみ」(柳井正氏コメント/森山進『英語社内公用語化の傾向と対策』研究社2011年4月)なのです。いま、日本を取り巻く環境は険しいものですが、「日本にいつまでも残る『リスク』のほうが、成長市場である中国など新興国に進出する『リスク』より大きくなってきた」(永守社長)という事実を直視して、覚悟を決めて国際化を断行せざるを得ないのです。

この原稿を書いている2011年12月10日現在では、TPP(環太平洋経済連携協定)への参加に反対する勢力がかなりあります。そして、彼らの主張にも頷ける部分が多いことも十分に承知しています。なぜなら、TPPに参加すれば、日本が寒風にさらされることは必然だからです。しかし、このことに怖じ気づいていては、日本は退歩するのみです。寒風を覚悟でこれに耐え、鍛えてこそ、日本は生き残ることができるのです。

コンプライアンスは、時代の変化に伴い変容するものであり、新しい時代を旨とした経営の土台たり得るものでなければならないと思います。すなわち、新しい酒を古い革袋に入れるようなことがあってはなりません。企業は、事業革新のために新しい困難に挑戦することになりますから、当然、コンプライアンスについても、世界に羽ばたくにふさわしい企業として、絶えず意識改革して臨まなければならないのです。

 

「ソフト化時代の危機管理の要諦」

さて、コンプライアンスも危機管理も、多方面にわたって際限なくありますが、何を中心にして危機管理を進めるかが経営者の腕の見せどころです。企業が進展をはかるためには、経営者自らが新しい事業地域に赴いて、そこで深呼吸して体感し、食事をし、知人友人と話し、現地の話題を接収することが必要となります。東京の丸ノ内のオフィスにいては、危機管理はできません。そして、前述のとおり、いまは「真・善・美」「夢・愛・誠」「道義・道理・道徳」「志」という捕捉しがたいテーマを克服しなければならないだけに、コストや売上高などの数字だけを意識してコンプライアンス・危機管理を見定めてはならないのです。言ってみれば、ソフト化の時代には、それにふさわしい抽象的な世界・見えない心を察知することに、企業の危機管理の要諦があるのです。

 

 

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右上から時計回りに
2015年10月3日(土)9:44 千代田区一番町にてムラサキシキブを撮影 花言葉:「上品、聡明」
2015年10月7日(水)10:25 横浜市日吉7にてマリーゴールドを撮影 花言葉:「嫉妬、悲しみ」
2015年9月28日(月)7:59 中目黒公園にて百日草を撮影 花言葉:「絆、幸福」

 

 

7月24日(金)から、2011年5月~2012年4月にかけて、計12回、『月刊公論』(財界通信社)にて私が連載いたしました「高井伸夫のリーダーの条件」を転載しています。 

私の半世紀にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、リーダーのあり方について述べた連載です。 

これからは、自分一人の信念で周囲をひっぱっていくというリーダーの時代ではありません。優れたリーダーには必ず、”股肱(ここう)の臣、頼れる参謀”が付いているものです。もはや”孤高の人”では、リーダーにはなり得ないのです。 

ブログ読者の皆さまに、現代におけるリーダーシップ論を考えていただく一助となれば幸いです。

 

 

日本企業が海外で成功するには
優秀な人材を尊重し現地での良心経営をおこなう
(『月刊公論』2012年1月号より転載) 

 

私が初めて中国・上海に事務所を構えたのは、1999年5月です。当時はアジア通貨危機の真っただ中でしたが、勇気をもって国外への一歩を踏み出しました。人も組織も企業も、同質性や集団主義を旨としていては、進歩はありません。異質なものと出会い、悩み、克服して絆を強める努力をすることが、自らを高めることになるのです。

 

「日本流の押しつけは厳禁」

「なぜ私が(1999年5月に)中国に進出したのかというと、この国際化時代に国内の業績のみをこなしているのでは、近い将来、一人前の事務所ではなくなると感じたからだ。もちろん、このようなことを目指したところで、自分の時代にすぐ大きな実りがあるとは思わない。しかし次代には、目線の高さを世界に合わせなければ、間違いなくドメスティックな法律事務所になってしまうだろう、という思いに駆られたのだった。」(拙著『中国で成功する人事労務の戦略戦術』講談社2002年10月刊より)

これは、私がいまから9年以上前に出した本の「はじめに」からの抜粋です。当時の思いは、いまではより一層強まっています。

企業が海外進出する際に、第一に心すべき基本は、日本での姿勢や行動パターンをそのまま海外の企業に投影してはならないということです。日本ナイズされた企業運営は、現地の人々に受け容れられないことが非常に多く、軋轢を生みます。

私が中国・上海に事務所を開設した1999年の当時ですら、中国には、トマトを食べるときに砂糖をかける風習があり、時代遅れと感じた日本人も多かったと思います。また、ビールは常温で飲むのが通常で、冷やすことは、まずありませんでした。

かつて、日本人が、「冷たいビール、冷たいビール」といって中国で大騒ぎした時代がありましたが、それはまだ中国の文化度が低く、冷たいビールになじんでいない時代のことです。当時の駐在日本人は、ビールは冷えているのが当然だと横柄に振る舞ったということも仄聞します。

これらは中国の実例ですが、ことほどさように、現地の風習と日本人の行動パターンとは大きく異なっていたのですから、日本の企業のシステムをただちに現地に適用することは正しいことではありません。

第二に留意すべき重要なことは、何にせよ、邪心をもって現地企業に強制する姿勢は許されないということです。日本側の都合だけで、現地の従業員をいいように手なずける姿勢をもってはならないのです。

私は、日本から大連に進出したりんごの菓子の製菓会社を2000年に訪問しましたが、中国人従業員による親しみを込めた出迎えの光景を見て、不覚にも涙ぐんでしまいました。

同社の大連工場の日本人リーダーは、まさに善意のかたまりの人で、中国人従業員と心の交流を実現していました。彼が、日本から来た客人を迎えるときには、中国語の歌ではなく、日本語の歌で迎えたほうが心がやすまると中国人従業員に説いたときにも、日本ナイズが目的ではなく、客人を心底思っての言葉であることが十分に伝わったからこそ、中国人従業員は日本語の唱歌を熱心に練習して、私たちに披露してくれたのです。20~30人の女性従業員が一生懸命に唄ってくれた「うさぎ追いし、かの山。小鮒釣りし、かの川…」(ふるさと)の響きは、私にほんとうに快く響きました。

日本人同士でも、善意に基づく行為か、悪意による行為か、あるいは邪心にみちた行為かによって、受け取る側の印象は当然異なりますが、これは中国人にとっても同様です。要するに、現地の人々には良心をもって接することが肝要であって、日本式システムを当然のごとく導入するスタイルは、現地では成り立たないのです。

こうした彼我の民族性の違いを意識して日本の企業は海外進出しなければならず、違いを無視しては、労働生産性をあげることも、活力を得ることも不可能といってよいでしょう。人事制度において特に留意すべきは、日本人は集団主義で、中国はじめアジア諸国は個人主義であるという違いです。個人主義の国では、成果主義が当然ですから、日本流の年功序列の人事制度はまったく受け容れられません。

 

「『元』で生きる時代」

さて、日本企業は、このような現地化への努力があってはじめて発展するのですが、その根本は、中国人と同じ生活をするという次元のものでなければならないと思います。私は上海で高級ホテルを利用することをよしとせず、いわゆる二流ホテルを定宿としていました。台湾人の経営する青松城大酒店というホテルでしたが、それなりに行き届いたサービスを受けました。もちろん日本人専用のホテルはありましたが、私はあえてそこには泊まりませんでした。

ところが、日本から派遣されてくる管理職は五つ星ホテルにしか泊まらないことを豪語したような時代もありました。それは、中国人に対する妙な優越意識でしたが、今では日本はそうした状況ではなくなってしまったことは、ご承知のとおりです。

いまは「円」で生きる時代ではなく、「元」で生きる時代です。これは、日本人であるがゆえに高い賃金をもらうという固定観念が通用しないことを意味します。具体的には、中国に派遣される日本人は、中国人の幹部と同レベルの賃金でなければなりません。さらには、役職格差も解消しなければなりません。

人格・識見・手腕・力量等々において優秀な人材は、国籍を問わず当然に幹部に登用されるという姿勢がなければ、優秀な現地の人材は集まらないのです。

中国で日本企業よりも欧米企業のほうが格段に人気が高いのも、欧米企業は積極的に現地化を進めており、現地の人材の幹部登用が当然であることが最大の魅力であるといってよいでしょう。日本人というだけで高い賃金をもらうような悪弊を打破する努力が、今後なお一層必要になってくるのです。

シンガポールも注目すべき国です。グローバルな視点で企業活動に利点があることから、日本企業がここに拠点を移しつつあります。私の顧問会社でも実際にそうした動きがあります。私は、1997年に、シンガポールのマウントエリザベス病院という、当時、東南アジア最大といわれた病院を訪問しました。この病院では、受診者に希望医師を募って医師の人気投票・ランク付けを行い、医師を定期的に入れ替えているとのことでした。

つまり、下位の医師を雇い止めし、新しい医師を採用するのです。日本の集団主義的な人事制度では考えられないことです。

 

「多くの日本ファンを作ろう」

仕事をとおして知り合った現地の人々の人間性を十分に尊重し、自分は現地の人と友達になるのだという思いをもって、現地で事業を展開することが必要です。

2011年10月末、私は10回目の台湾訪問を果たしました。台湾の産業育成と近代化に大いに貢献した日本人としては、後藤新平と新渡戸稲造が有名ですが、台中で、私はもうひとりの功労者を思い起こすことになりました。私たち一行を案内してくれた高雄市のバスの運転手さんが、現地のダム建設に尽力した日本人・八田與一の墓前に、立派な花束を供えてから、ハンドルを握ったのです。私は彼の姿を見て、心揺さぶられる思いがしました。現地の人の敬愛を集めている日本人がいることの晴れがましさと、そこまで現地にとけ込んだ八田與一の志の高さ・良心の見事さに胸打たれたのです。企業の海外進出も、基本は同じではないでしょうか。

 

「現地での実体験をいかすセミナー開催へ」

私は、2012年に「アジアの情勢を見る」(仮)というセミナーを立ち上げて、経営者の皆様の意識改革をはかることを企画します。

私は、実際に現地に足を運んで、これまでさまざまな見聞を拡げてきました。ベトナムには10回、フィリピンには5回、ミャンマーには4回、インドには2回等々、経済視察団等を組んで、行ったことになります。アジアの情勢を知らなければ、これからの企業経営はできません。このセミナーでは、各国の実情に詳しい論客を外部から招聘することを考えております。ご期待ください。

 

 

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2015年9月12日(土)8:37 千代田区九段北4にてニチニチソウの蕾を撮影
花言葉:「楽しい思い出」 

 

 

7月24日(金)から、2011年5月~2012年4月にかけて、計12回、『月刊公論』(財界通信社)にて私が連載いたしました「高井伸夫のリーダーの条件」を転載しています。 

私の半世紀にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、リーダーのあり方について述べた連載です。 

これからは、自分一人の信念で周囲をひっぱっていくというリーダーの時代ではありません。優れたリーダーには必ず、”股肱(ここう)の臣、頼れる参謀”が付いているものです。もはや”孤高の人”では、リーダーにはなり得ないのです。 

ブログ読者の皆さまに、現代におけるリーダーシップ論を考えていただく一助となれば幸いです。

 

 

女性経営者・女性管理職について考える
組織の活性化のために女性を敢えて登用する実務の重要性
(『月刊公論』2011年12月号より転載)

 

女性の活用をいかに推進するかは、古くて新しい問題です。企業側にも女性側にも努力をする責任がありますが、消費者の半数が女性である実態からすれば、女性経営者・女性管理職を増やす努力を怠っている企業経営者は、およそ顧客満足度・消費者満足度を軽視していると言わざるをえないのです。

 

「仕事に関する男女の違い」

私は、漢字の成り立ちにまで遡り、発想のヒントを得ることがあります。漢字のルーツを探ると、興味深い発見があるからです。たとえば、「男」「女」という漢字の成り立ちは以下のとおりです。「男」は、「田」と「力」(もとは農具のスキを表す)が合わさってできたものです。つまり、男性がいにしえより農耕=力仕事に精を出す存在であったことが改めてわかります。一方、「女」は、女子がひざまずいて座する姿から生まれました(白川静『新訂・字統』平凡社2007年刊参照)。このように、男性と女性の本質的な違いが、漢字の成り立ちに示されているのです。

私は中国にも法律事務所を置いて16年になりますが、中国企業の経理担当者はほとんどが女性であるということに気づいたのは新鮮な感覚でした。その理由は、女性のほうが男性よりも正確に業務を遂行することに加えて、女性は不正をしないということが挙げられます。女性はひざまずいて大地に根を生やしているからでしょうか、どっしりと落ち着いて仕事を処理していくので、経理の仕事に適性があるのでしょう。

技術の進歩により、仕事のうえでの男女の違いは一切なくなったと断言する人もいますが、私は現実にはそうはいかないと思います。女性には妊娠・出産もありますし、男性より体力が劣りますから、力仕事や身体に悪影響を及ぼす仕事は向いていないのが一般です。ただ、技術のさらなる発達にともない、性差はますます小さくなっていくでしょう。

 

「女性の特性」―粘り・華やかさ・しなやかさ・細やかさ

2011年のノーベル平和賞は、アフリカと中東の女性3人が同時に受賞しました。同賞が常に政治的な意図を有していることを割り引いても、すばらしいと思います。こうした女性の活躍をみると、女性も男性に伍して働くようになったという表現では不正確で、むしろ、生来的に能力の高い女性は男性を凌駕する成果を出しているし、出していくべきであると思います。

わが国では、確かに溌剌と働く女性が以前より増えていることは実感します。ただ、少子高齢化社会に突入し人口減少が始まっているにも拘わらず、女性の労働力が発揮されなければ国も社会もたちゆかなるという切迫感は、まだ社会全体にあまり強く感じられません。

政府は、2020年までに指導的地位に女性が占める割合を30%程度に上げるという目標を掲げていますが(内閣府男女共同参画局)、実態は、企業における女性管理職比率は約10%で、そのうち部長担当職は3%しかありませんし、女性国会議員比率は11.3%です(厚労省・内閣府)。

女性はもっと活躍すべきだというのが私の考えです。仕事のうえで女性ならではの力が発揮されている実例を、これまで数多くみてきた経験があるからです。

第一に、女性は目標への貫徹力が非常に顕著です。女性はひたむきに脇目もふらずねばり強く、与えられた仕事に邁進します。これは、逆の見方をすれば視野狭窄に陥りがちで幅広い判断力に欠けるともなりましょうが、専門性を尊ぶ世界では、女性がもっと活躍して然るべきです。

第二に、女性はコミュニケーション能力にたけていて、華やかさがあります。女性が存在すればチーム・職場が活性化するのも、華やかさの所以のひとつです。しかも、女性ならではの、しなやかさ・細やかさ・繊細さを発揮して仕事を完遂します。

こうした女性の特性は、総合的にみて営業職に適するものです。女性の高学歴化が進み、男性営業職の補佐だけでなく、女性営業職自身が好成績を収めている例も多いのです。私が存じ上げている朝倉千恵子さん(株式会社新規開拓 社長)は営業職の指導・教育活動に活躍されていますが、営業こそ女性の適職であるというお話しをされています。

 

「女性が登用されない理由」

統計上、日本は諸外国に比べて女性活用が遅れています。文化や社会的背景の違いがありますから、数字だけを単純比較することはできませんが、組織の上層部の女性の人数が伸びないことを私たちは真剣に受け止め、これを克服する具体的な方策を考えなければならないでしょう。

重要ポストにつく女性が少ないことの第一の理由は、企業においては、女性経営者はもちろん、女性管理職を念頭においた採用がほぼ行われていないことです。これは、企業側の努力不足・認識不足、そして怠慢です。消費者の半数は女性であり、CS(顧客・消費者満足度)の観点から女性を意識した企業運営をすべきであるという当然の結論からすれば、女性経営者・女性管理職をイメージしない人事施策は、CSを無視するものです。これからは女性パワーがないと組織は活性化しません。女性の活用は、企業経営にとって極めて重要なことなのです。

第二に、パワフルな女性は組織で排除されやすい実態があります。エネルギッシュに仕事に没頭している男性は頼もしいと評価され次々と仕事が与えられるのに対して、女性の場合は「女性らしくない」と疎んじられます。残念ながら、この風潮は一朝一夕には改善されないでしょう。

第三に、女性は「好き嫌い」で仕事や人物を判断しがちであることが挙げられます。

第四に、女性の側の努力不足も挙げられます。女性の側に男性と対等に仕事をする意識が乏しいことも、女性が然るべき立場になれない原因です。専門職志向が強く管理職になりたがらない女性が多いという傾向もこの点を示すもので、「責任をとりたくない」と考える女性が多いと言われていますが、実は若年労働者には責任を忌避する傾向があり、女性にはそれがより強く浮き彫りにされるということではないでしょうか。女性の側もこの点を反省して大いに努力しなければなりません。

第五に、女性には財務感覚が欠けることが挙げられます。女性は概ね会計意識しかありません。会計・経理を超えた新たな知恵による計数管理ができてはじめて財務管理といえますが、女性は社会的にどうしても劣勢であるがゆえに、財務面での創意工夫が不得手な傾向があります。

 

「女性活用の具体化を」

女性の活躍を促進する制度として、一定割合の女性の確保を法的に定める方策(クオータ制)等もありますが、こうした環境整備を待っていては、女性経営者・女性管理職の育成は実現できません。環境整備を乗り越える経営者の姿勢が必要なのです。

ここに、私のいくつかの実行例のなかから2点ほど紹介します。私の事務所では実力主義を徹底し、管理職は女性も男性も区別なく取り扱い、能力のある者を優遇しています。事態を立体的にバランスよくコントロールできない者・相手の心を読めない者は、男女に関係なく管理職として役に立ちません。また、永守重信氏(日本電産㈱社長)の言による「築城3年、落城3時間」のスピード社会への現実的適応能力があることも不可欠な資質です。女性のほうが男性に比べてはるかにスピード感覚があります。また、私は女性の育成概念として、ある業務の担当者が3人であれば、女性を必ずひとり入れることを自らのルールとしています。そうすることによって女性の活用が具体化するからです。もちろん将来は一対一の比率を目標にしています。

こうした工夫を経営者側が積極的に行わなければ、女性の育成は実現できません。これからは、男女の違いを踏まえた職務分担が自ずと行われることはそれはそれとして、あえて女性を登用するという経営者の姿勢が重要になってくると思います。

 

 

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2015年9月26日(土)11:29 軽井沢町長倉727にてホトトギスを撮影
花言葉:「秘めた意志」

 

 

7月24日(金)から、2011年5月~2012年4月にかけて、計12回、『月刊公論』(財界通信社)にて私が連載いたしました「高井伸夫のリーダーの条件」を転載しています。 

私の半世紀にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、リーダーのあり方について述べた連載です。 

これからは、自分一人の信念で周囲をひっぱっていくというリーダーの時代ではありません。優れたリーダーには必ず、”股肱(ここう)の臣、頼れる参謀”が付いているものです。もはや”孤高の人”では、リーダーにはなり得ないのです。 

ブログ読者の皆さまに、現代におけるリーダーシップ論を考えていただく一助となれば幸いです。

 

 

異業種の多様な人との交流の重要性
飛躍的思想こそ新規事業のカギ
(『月刊公論』2011年11月号より転載) 

 

法律家はひとつひとつの具体的事実を積み上げ、分析・検討し、法的な結論を出します。ただ、ときにまったく異なる角度からの視点や考え方が一挙に物事を解決に向かわせることもあります。これは企業経営においても同様で、経営者・リーダーの飛躍的思考が、企業に成長と発展をもたらすことに留意すべきです。

 

「本業回帰の陥穽からの脱出」

ひところ、「本業回帰」ということが盛んに言われた時代がありましたが、私が1993年5月から2007年7月まで毎月出講し続けた「社長フォーラム」の講義録を見てみますと、1999年5月26日開催分において、私は「本業回帰は決して日本の発展のためになるものではない」と明言しています。それから12年後のいま、この考え方に一層確信を深めています。

本業回帰という言葉には、善解すれば、基本に立ち戻るという意味が込められているのかもしれませんが、単に本業に戻るだけでは、企業は萎縮経営となり発展性は見込めません。

発展とは変貌することであり、成長とは変わることですが、自分にとってよく知る世界、手慣れた仕事である本業回帰だけをメーンテーマとしていては、何も変わらず、成長も発展もありません。

人が日々成長し続ける存在であるべきことと同様に、社会の構成員である企業もまた、成長し発展しなければならないと思います。社会が激しく変遷するなかで、企業も変わらなければ、社会から取り残された存在になってしまいます。それが、新規事業を興さなければならない理由なのです。

日本の経済はまさに斜陽化しています。そして、この事態を招いたのは、本業回帰という誤った方向性を示した経済界にこそ、責任があるのではないかと私は思います。

主に国内市場を念頭に置けばよかった時代が過ぎ去ったいま、企業がグローバルな社会で生き残り、さらには発展を遂げるためには、本業だけに固執していてはならず、新たな事業にチャレンジすることがどうしても必要になってきます。

この新たなチャレンジにあたっては、本業を土台として、そこから飛躍する事業を展開するというスタイルを貫くことが肝要です。新規かつ独自の事業を構想するためには、既存の事業の単なる延長線上の発展策では独自性を発揮できず、競争力の強化となる保障はありません。

その一方で、本業と突拍子もなくかけ離れた分野の事業に取り組むことは、長年にわたり蓄積してきた本業の力を無駄にすることになります。つまり、本業のノウハウを効果的に活用し、そこから意味のある飛躍をすることが、企業のリーダーには求められているのです。

単なる本業回帰ではなく新しい事業を興すには、まさに経営力が必要になりますが、この経営力の本質とは何でしょうか。それは、目標と時間軸を設定して具体的に明示すること、つまり方向性を明らかにすることです。このことが、実は社員を糾合するにあたって一番大きな決め手となります。

経営者・リーダーの目標設定能力は、利益を生む金の落ちているところを見極める嗅覚を伴うものでなければならないことはもちろんですが、それだけでなく、先見性にあふれたものでなければなりませんし、また、将来の夢を語るものであってほしいものです。経営者・リーダーが夢を語るとき、社員の心はやる気に満ちて、強く結束できるからです。

こうした的確な目標設定に裏付けられた新規事業への飛躍を実現するためは、一見したところ無関係にみえるようなヒト、モノ、カネ、そしてテーマなどをうまく結びつけて、アイデアを生み出すひらめきを持つことが必要になります。このひらめきの根源になるのが、資質や専門の異なる人々との交流です。

ビジネスの手掛かりを見出すための異業種交流会は、20~30年前より盛んに行われていますが、これからはより進んで、共同開発・共同研究といったレベルまで押し上げ、さらには共創(きょうそう)=共に創る=という意識までも持つことが必要になると思います。

また、社外取締役を採用する場合にも、むしろ企業経営者以外の人を積極的に社外取締役として迎える必要があるということも重要です。企業活動についてあまりにも無知や無理解な人材であってはなりませんが、企業の発展を目指すのであれば、やはり、発想の違う人、違う世界で生きてきた人を迎えるべきであると思います。

 

「グローバル化のなかの多様性」

ダイバーシティ(diversity・多様性)という概念は米国から入ってきたもので、10年ほど前より日本でも聞かれるようになりましたが、いまではかなり浸透していると思います。

ダイバーシティは、もともとは米国の公民権運動の流れで、人種・性別・年齢・国籍等の差別なく多様な従業員を活用すべきであるという「機会均等」の趣旨で提唱されました。

しかし、実際に多様な構成員のグループのほうがより創造的な成果を出し、企業に利益をもたらすことから、米国では以前より経営戦略のひとつとされています。つまり、異なる資質を持つ多様な人材が集まって共同で業務をおこなえば、新しい質的変化と飛躍と成長が見られることが、実務のうえでも実証されているのです。

では、どのような資質の異なる者を交流させて成長・発展につなげるかということになりますが、いまの時代に一番大切なことはグローバル化ですから、まずは、異なる民族・国籍の人材を融合すべきことになります。そうすることによって、日本人だけで物事を考えると同質性の思考しか生まれないという弊害を、除去するのです。

このように、グローバル化のなかでは、人事管理上も、異なる思考を可能にしていかなければならない要請が生まれてきています。つまり、日本ではグローバル企業しか将来性がないといってもよいでしょう。

現に、新卒採用でも外国人を採用する動きが急速に増えています。3年以内に新卒採用の8割を外国人にするというファーストリティリング(ユニクロ)、来年の新卒採用の約3割を外国人にする楽天は、その代表例です。

株式会社リクルート・柏木斉社長によれば、海外から新卒を採用する日本企業は「圧倒的に増え一年前から様変わりした」といいますが(2011年8月31日付日本経済新聞「人こと」)、前年に比べ大幅に伸びており、今後も継続する見通しであるとのことです。

先見性のあるグローバル企業で既に行われているこうした人材の現地化及び民族・国籍の多様化は、これからどの企業でも取り組むべき第一の課題になるといえるでしょう。

 

「多様な世代、専門家との交流」

人材のダイバーシティの実現に向けたもうひとつの方途・視点は、組織内の世代間の交流です。年金支給年齢が引き上げられることに伴い、企業は早晩70歳定年に対応せざるを得なくなるでしょう。そうなれば、企業には親子の世代格差にとどまらず、三世代が存在することになりますから、意識的に世代間交流を進めなければならないことになります。

また、経営や事業体の運営を社会の動きに合わせるためには、若い人の感覚を探り、若い人の思いを知り、若い人の意見を聴くことが重要になってきます。社会の変化を知るために、若い人のセンスに学ぶのです。

そして、その若い人の意見を集約して事業展開をしている異業種の方の意見をよく聞いて、自らの事業経営・事業運営のあり方との違いを見て、そこから新しい発想を得ることも必要ですし、さらには、専門に勉強している学者・研究者に学ぶことも重要になります。

学者は専門分野に特化して学んでいますから、当然のことながら、一般の経営者よりはるかに先進的な知識を身につけています。その先進的知識を自らの経営と事業運営のデータ・知識・知恵と掛け合わせて、新しい知恵を構築することが経営者の務めなのです。

 

 

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左上から時計回りに 
2015年8月16日(日)14:49 諏訪坂にて百日紅を撮影 花言葉:「雄弁、愛嬌」
2015年8月23日(日) 千代田区丸の内1にてカリオプテリスを撮影 花言葉:「悩み」
2015年9月26日(土) 軽井沢町長倉727にてコスモスを撮影 花言葉:「優美」 

 

 

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2015年9月28日(月)8:00 中目黒公園にてセンニチコウを撮影しました。
鮮やかに咲き誇る夏の花に比べると、色のせいか、
秋の花は寂しげなものが多いように思います。
淡い日差しの下で見る花々は、秋の情緒を感じさせてくれます。 

 

 

7月24日(金)から、2011年5月~2012年4月にかけて、計12回、『月刊公論』(財界通信社)にて私が連載いたしました「高井伸夫のリーダーの条件」を転載しています。 

私の半世紀にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、リーダーのあり方について述べた連載です。 

これからは、自分一人の信念で周囲をひっぱっていくというリーダーの時代ではありません。優れたリーダーには必ず、”股肱(ここう)の臣、頼れる参謀”が付いているものです。もはや”孤高の人”では、リーダーにはなり得ないのです。 

ブログ読者の皆さまに、現代におけるリーダーシップ論を考えていただく一助となれば幸いです。

 

 

求められるスピード、革新者たる能力
「すぐやる」を企業内で徹底
(『月刊公論』2011年10月号より転載) 

 

インターネットの普及・定着は、経営のスピードを急加速させ、世界を一挙に狭くしました。このなかで、リーダーは複雑な連立方程式をより俊敏に解くことが迫られるわけですから、独力ですべてをこなすことは不可能です。企業が生き抜くために、リーダーにはこれまで以上に人格が求められているといえるでしょう。

 

「迅速・スピード・時間」

千葉県松戸市役所に「すぐやる課」ができたのは、1969年(昭和44年)、今から42年前です。同課は、当時の松本清市長が唱えた「すぐやらなければならないもので、すぐやり得るものは、すぐにやります」という精神のもと、立ち上げられたそうです(松戸市ホームページより)。このとき既にドラッグストア「マツモトキヨシ」を創業していた実業家としての松本氏の目には、行政のスピードの遅さは致命的欠陥であると映ったのでしょう。

いまの社会のスピードは、そのときとは比べようもなく加速しています。この42年間で空と陸の交通網が格段に充実したことはもちろんですが、なんといっても、ここ15年間ほどのITのめざましい進歩=インターネットの普及は、変化の速度をまったく質的に変化させました。

1990年代後半には、「アジル経営」(俊敏性が競争力の源泉であると考える経営)、「ドッグ・イヤー」(犬の1年は人間の7年に相当する)、「マウス・イヤー」(ネズミの1年は人間の18年に相当する)のように、経営の速度にまつわる言葉も登場しました。社会のスピードは、加速化の一途をたどっているのです。

ちょうどその頃から、日本経済は斜陽化し続けたままの状態です(いわゆる金融ビッグバンが始まったのも1996年のことで、金融自由化が進みました)。それは、勝てることが保障されない社会であって、いまは生き残るだけでなく、生き抜くことが必要な時代となっています。こうしたなかで、企業が生き残り、生き抜くためには、迅速性・スピードを旨とし、経営は時間の勝負であることを意識して行動しなければなりません。

競争に勝ち抜くには、他に先んじて、新商品・新サービスを提供し、消費者の利便性を高めることに注力することが必要です。企業間には、品質確保や低価格化をめぐる競争もありますが、実は、社会の変化に的確に対応する開発スピード、そして、新たなビジネスモデルの策定こそが、競争の中核といえるでしょう。変化に対応する者だけが生き残るという格言を実行するには、スピード勝負しかないといっても過言ではないと思います。

私たち弁護士の世界でも、「あとでやる」という姿勢では、生き残れない時代になっています。何事にもスピードが尊ばれる社会的状況があることに加えて、弁護士数が増えているのですから、依頼者は悠長に待ってくれません。仕事の遅い弁護士を切り捨て、他の弁護士を選ぶことになります。午前中に依頼された相談に、午後に対応すればよいという姿勢では話にならないのです。「いますぐやる」という姿勢が、依頼者をいらだたせないすなわち安堵させるために必要であり、それは弁護士としての信用に大きく関わってきます。信用の有無は、弁護士に限らず、すべての職業にとって生命線なのです。

 

「社長の資質・能力」

製品の品質を競う時代から、人材の質・能力を競う時代に変わってきたということを、私は12~13年前から述べています。これは、ちょうど前述のITの急激な進展に代表されるような社会のソフト化に伴い、頭脳の能力格差が、人材の決定的な格差として強く意識され始めた時期でもあります。質の良い人材を集め確保し、彼らに気持ちよく働いてもらえる組織を構築することが社長の役割であると、それまで以上に強く社会的に認識され始めたのです。

企業のスピードの実現は、優秀な社員のやる気、チャレンジ精神にかかっていることは確かですが、実は、最も問われるべきは社長自身の資質・能力であることを、敢えてここで強調したいと思います。社長は、単にやる気や積極性があるだけでは不十分です。社長は、物事を迅速に、しかも的確に処理する能力を持ち、さらには、新商品・新サービスの開発にひたむきに取り組み、新しい世界を打ち立てる構想力を持ち、そして何よりも人間的魅力を有していることが必要なのです。社長の人間性自体が、企業活動において問われている時代であり、良心をもって実行することが全ての経営者に必要です。極めて難しいことですが、意識的に良心を磨きあげ、社会の変化を鋭く察知して対処することこそが、社長に必要な心構えといえるのです。

現在は、より高品質の製品・サービスを、消費者により迅速に提供することが企業に求められていますから、全社員が、社長のリーダーシップのもと、全力をあげて一心不乱に、全身全霊で取り組む姿勢が必要な時代になってきています。品質が良いのは当然であり、それをいかに速く提供できるかということが主たるテーマになっているのです。

社長の資質・能力として何が一番に問われるかといえば、やはり「チャレンジ精神」でしょう。それは、勇気をもって経営にあたるということです。たとえば、新しい製品・サービスの開発を実行に移すには不安もあるでしょう。しかし、その不安に打ち勝たなければならないのです。よく検討し、分析し、勇気をもって実行に移すことが必要です。それには先見力が必要ですし、また、実行力が必要であることはいうまでもありません。そして、先見力は洞察力であり、実行力は、困難という壁を乗りこえて新しい事態を招く精神力ということになるでしょう。

 

「ヒト・モノ・カネ・信用・情報・組織」=企業の6大要素

社長の資質・能力として、勇気と先見力と実行力を挙げましたが、これらはいったいどの領域で発揮されるべきものでしょうか。かつて、企業の三大要素は「ヒト・モノ・カネ」といわれていましたが、いまではこれらに「信用」「情報」そして「組織」を加える必要がでてきています。社長の目配りは、「ヒト・モノ・カネ・信用・情報・組織」の全般について、なされなければならないのです。これらが革新的であるように、絶えざるイノベーションが行われなければ企業は生き残れない時代なのです。

企業の6大要素のうち、情報・組織が経営資源として重要である所以を少し述べましょう(ヒト・モノ・カネ・信用は一般によく言われますので、語るまでもありません)。

まず、情報を得ることは、先見力なり実行力を発揮する端緒です。情報を得てこそ、ヒトもモノもカネも信用も活かすことができます。情報がなければ人間は先見力を発揮できないし、更には実行力も機能しません。情報とは、要は人より先に物事を知るということで、アンテナを張り続けているということです。それは当該事業の専門情報だけではなく、無用の用として、さまざまな社会的情報に接する機会が必要です。異業種交流という世界は随分以前からありますが、これからの複雑な社会では、情報を得るためのコミュニティ作りが必要になります。共同開発・共同研究、更には共創(共に創る)という世界は、情報があって、初めて可能になります。いまは自分ひとりの力だけでは生きることのできない時代になっているがゆえに、一層情報が必要なのです。

次に、組織については、企業内外のいずれの場合でも、これからはすべてを独力で成し遂げようとせず、他者・他社との協力関係を重視する必要が出てきます。これを私は、新しい共同体思想・コミュニティ思想と位置づけています。スピードが重視され、課題が複雑化した社会にあっては、企業間の連携・提携・事業統合さらにはM&A等を明確に念頭に置いている企業ほど、生き抜く力が強いということになると思います。現状を見れば、こうした絆を築くためには、結局は経営者同士の信頼が極めて肝要であるという結論に達します。つまり社長は、企業の信用と信頼の根源となるべく、人格を磨き上げ、組織の革新者として機能しなければならないということなのです。

 

 

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2015年8月22日(日)7:07 千代田区丸の内1にてルリマツリを撮影
花言葉:「ひそかな情熱」

 

 

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2015年9月26日(土)、折々の花を撮影することを目的の一端として軽井沢を訪れました。
軽井沢はすっかり秋模様で、上の写真のシュウメイギクを始め
コスモスやホトトギスなど秋の花が咲き乱れていました。
軽井沢の涼しい空気と草花などの自然に触れることで、
季節の移り変わりを肌で感じることができ、大変心地好い1日となりました。

 

 

7月24日(金)から、2011年5月~2012年4月にかけて、計12回、『月刊公論』(財界通信社)にて私が連載いたしました「高井伸夫のリーダーの条件」を転載しています。 

私の半世紀にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、リーダーのあり方について述べた連載です。 

これからは、自分一人の信念で周囲をひっぱっていくというリーダーの時代ではありません。優れたリーダーには必ず、”股肱(ここう)の臣、頼れる参謀”が付いているものです。もはや”孤高の人”では、リーダーにはなり得ないのです。 

ブログ読者の皆さまに、現代におけるリーダーシップ論を考えていただく一助となれば幸いです。

 

『気』がある人こそリーダーになれる
経営の推進力は「気」の発する迫力が生み出す
(『月刊公論』2011年9月号より転載) 


私たちは、宇宙では吹けば飛ぶような儚(はかな)い存在です。誕生して46億年になる宇宙は、この先なお膨張し続け50億年後には雲散霧消するといいます。宇宙がたどる「誕生」「成長」「成熟」「枯れる」「たそがれ」「終焉」から、そこに生きる生命体である私たちも、逃れることはできません。だからこそ、生ある限り精一杯エネルギーを使って「気」を発し、社会に貢献しなければならないのです。2人で「あうんの呼吸」で協調作業をしているときには脳内活動が一致しているという記事がありましたが(2011年7月20日付日経新聞)、これも互いに気を合わせた結果でしょう。目に見えないものの重要性をリーダーは直感すべきです。

 

「気の時代」

「気」という言葉を聞いて、ピンとくる人、何も感じない人、頭から拒絶反応を示す人、さまざまだと思います。私は、これまでの50年間の弁護士としての仕事の体験や多種多様な方々とのお付き合いの経験から、人生にとっても、そして仕事・経営にとっても、「気」への共感と理解が極めて重要であると思っています。心のありようを重視すべきである「心の経営」の次には、「気の経営」が求められるのです。経営者には、「気」の存在自体を疑う人も多いようですが、「やる気」「人気」「活気」の3要素が企業経営の血液であるといえば、実感をもってわかっていただけるはずです。

第1に「やる気」とは、人にいわれなくても自分で仕事を作る積極的な姿勢をいいます。あなたの会社では、10人中何人が、やる気のある人でしょうか。1人なら普通、2人ならまあまあ、3人なら優良企業です。この3割を確保するために、常にチェックを怠らないことが必要です。やる気を刺激するには、朝礼など全員が揃うところでほめる・顕彰する等のちょっとした工夫が効果的です。

第2に「人気」とは具体的には、会社に名物商品があるか、名物社員がいるかということです。小売業であれば、本部の推薦ではなくあくまでも現場の意見として、ジャンル別に売れ筋・名物商品をリストアップさせ、なければまず1個つくる。このリストを絶えず更新しながら当初の3倍にまでなったら、立派な名物商品のできあがりです。名物社員については、清掃が上手な人、万引きの摘発のうまい人など、どのような分野でもよいから余人をもって代え難い人物をリストアップします。そして、それらの人物について、第三者の意見を聞いてみます。こうした経緯のなかで、皆が名物商品・名物社員を意識し始めたら、組織は活性化の端緒をつかんだといえます。

第3に「活気」は、組織のリーダーがプラス思考であることから生まれるものです。リーダーは、できないことや言い訳を並べるのではなく、自分たちができることを課題にして、組織全体に高揚感を与えて、鼓舞する責任を負っています。

このように、「気」を忘れた経営はあり得ません。社長自身が「気」を持っていなければなりませんし、それは一種のオーラやカリスマ性にもつながっていきます。エネルギーを伝播させる力のある人、すなわち迫力のある人が社長なり管理職にならなければ、組織は活力を得られません。経営において物事を推し進める原動力は、「気」から発せられる迫力しかないのです。

 

「信用・人脈・情熱」

人間は社会的存在であって(アリストテレス)、独りでは生きていくことはできません。別の見方をすれば、人間は、生来的に社会のなかで生きることが運命づけられているといってもよいでしょう。

そうなると、私たちにとっては、気が合う同僚や志を同じくする仲間の存在が、絶対に必要になります。そして、志をより具体的に表現すれば、「同じ意図・目的」であり、これが紐帯となって人の集合体は「組織」となるのです。このような人と人との結びつきを生じさせる要素を因数分解すると、どうなるでしょうか。私は、「信用」と「人脈」と「情熱」であると思います。経営強化に必要な3要素は何かと問われれば、私は躊躇なくこれらを挙げます。

「信用」「人脈」「情熱」は、個人が発展的に活動するための要素であると同時に、個々の構成員、組織全体の起爆剤でもあります。対外的にも組織内でも信用されるように、そして、良い人脈を形成できるように、さらには情熱を発揮できるようにということを目標に掲げて、互いに切磋琢磨することが重要なのです。

第1に「信用」とは、「人の言を用いる」と書くように、言がなければ信は生まれません。言葉には「気」の力がこもっていますから、重要なのは、プラス思考を生み出す前向きで未来志向の言であるべきことです。そして、言を実現することによって信頼を生み、その言を成して実らせる=誠実に至ることが大切です。

第2に「人脈」は、淡くとも信頼関係に基づくものです。ここで留意しておきたいことは「人脈定年」です。同年代の人との限られた交流であると、歳を重ねるにしたがい友人・知人が少なくなってきます。若い人と付き合うことも必要ですが、単なる友達づきあいでは年長者はうるさがられるだけです。年長者は、若い人から尊敬と人望をもたれなければ人脈として形成されません。

第3に「情熱」は、とにかく人一倍勉強することです。新しいものをつかむために、社長自ら身体をはって朝から夜遅くまで働くだけでなく、新しい知識・トレンドを吸収するようにし、かつ、社長自身の知恵を発揮できる場面を作ることです。

ところで、私が強調している言葉のひとつに、「事業戦略は、人事・採用戦略に宿る」というものがあります。これは、人事が経営の基本方針を踏まえていなければならないことを端的に示したものですが、いまを「人事の時代」と呼ぶなら、「信用」「人脈」「情熱」の3要素は、人事の時代にあって、人物の優秀さを判断する基準として考慮すべきものでもあります。要するに、これからの企業においては、「信用」「人脈」「情熱」という要素においてすら、実力主義を如何なく発揮することが求められているのです。

 

「実力主義と組織性」

年功序列・終身雇用制を旨としてきた日本企業において、成果主義が採用されはじめたのは1990年代後半のことです。組織が実力主義・成果主義になればなるほど、組織の一体感はうすれ、組織性は失われます。

私は、こうした事態を、わかりやすく「そば粉」と「つなぎ」の例に置き換えてお話ししています。個として能力の高い社員を「そば粉社員」、調整活動だけに携わる社員を「つなぎ社員」と呼ぶなら、実力主義のもとでは、そば粉社員が評価されますが、そば粉社員が多くなればなるほど、そして、つなぎ社員が少なくなればなるほど、組織にはきしみが生じてしまうのです。自らの力を過信して、同僚や上司や組織を無視する悪しき個人主義の跋扈が、その典型です。こうした組織のきしみを克服するには、リーダーは、組織性を維持することに敢えて腐心しなければならないのです。

このとき第一に考えなければならないのは、組織の本質は一丸になること、すなわち「助け合い」「互助」にあるということです。そして互助を実行させるためには、誰のもとで仕事をするかを明確に定め(互助の体系化・制度化)、ルール違反には懲罰があることを示すことが重要です(互助の規範化)。

互助をささえる連帯心を刺激するための実践策は、経営者自らが社員と「目を合わせる」(アイコンタクト)ことから始まります。そして、挨拶の励行です。「おはようございます」「ご苦労様です」「お疲れさま」「行ってらっしゃい」「ただいま」など、日常当然なされるべき挨拶が、コンピューター万能の社会ではおろそかになっています。挨拶がなければ人間的な結合や信頼関係は生まれません(因みに、「挨」と「拶」の漢字は、どちらも、くっつく、ぎりぎりに近づくという意味です)。

なお、実力主義の時代にも組織性を維持するための方策として、実力主義のどこに限界値を定めるかということも、経営者としては重要なことです。実力主義だけを貫徹すれば、企業の組織性は破壊されてしまいます。そこで、経営者としては、年功序列的な要素も一定の範囲で容認しなければならないのです。ただ、その按配は、ひとえに経営者の手腕・力量にかかっています。

 

 

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2015年8月10日(月)7:57 中目黒公園にて百合を撮影
花言葉:「純潔、威厳」

 


9月6日(日)の朝、門前に出ると秋の虫が鳴いていました。
私は虫に詳しくないため、はっきりとは分かりませんでしたが、
鈴虫のようでした。
虫の鳴き声で秋の訪れを感じた清々しい朝でした。 

 

 

7月24日(金)から、2011年5月~2012年4月にかけて、計12回、『月刊公論』(財界通信社)にて私が連載いたしました「高井伸夫のリーダーの条件」を転載しています。 

私の半世紀にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、リーダーのあり方について述べた連載です。 

これからは、自分一人の信念で周囲をひっぱっていくというリーダーの時代ではありません。優れたリーダーには必ず、”股肱(ここう)の臣、頼れる参謀”が付いているものです。もはや”孤高の人”では、リーダーにはなり得ないのです。 

ブログ読者の皆さまに、現代におけるリーダーシップ論を考えていただく一助となれば幸いです。

 

「私心がないことの重要性」
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
(『月刊公論』2011年8月号より転載) 

 

いま日本は、掛け値なしに危機的状況にあります。放射線被害による身体の安全の危機、電力供給の不確実さがもたらす生産活動の危機、被災地における人心の危機、そして、政治家のリーダーシップの危機―。大震災のためにこれらの危機がもたらされたというよりも、あるいは、大震災が起きたことで、これまで見えにくかった日本の危機があぶり出されたと表現したほうが正しいのかもしれません。こうした状況であるからこそ、経営トップをはじめとする組織のリーダーは、我欲を離れ、進むべき方向を見定めなければならないのです。私は、特に若い世代に対して、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」というリーダーの覚悟を説きたいと思います。

 

「リーダーは、関連企業が被災し、資材が入らない窮地を、いかにリーダーシップを発揮し、乗り切るか。」

トップ営業という言葉がありますが、資材関係が窮地に陥った場合には、トップがこの困難に対峙して「トップ仕入れ」に奔走しなければなりません。トップは単に指図をするだけでなく、トップ自身が相手方の企業に出向いて、今までの不義理をわびて資材の提供を懇願するのです。

その際には、自社が早急に資材を仕入れる必要性に迫られている大義名分を明確にして、説得に当たらなければなりません。そして、相手方から何らかの前向きの言葉を引き出し、あるいは約束してもらえたならば、それを面談後に速やかに書面あるいはメールで再確認すべきでしょう。「詞は飛び、書は残る」という法諺があるように、口頭の約束を現実化するためには、書面化することが必要なのです。

しかし、「被災した」「部品が入らなくなった」という状況があるからといって、経営トップ、幹部、資材購入の責任者などが、日頃は関係のうすい取引先に突然お願いに行ったとしても、ほとんど効果はないでしょう。危機のときこそ、結局は、日頃からの人間関係、コミュニケーションがものをいいます。平常時には傲慢でふんぞり返っているくせに、苦境に陥ったからといって、手のひらを返したように土下座するなど笑止千万のこととして、嘲笑を受けるだけです。あたりまえのことですが、経営トップも幹部も、取引先とは、損得勘定だけにとらわれず、日頃の人間関係や対応を大切にしなければならないということです。

なお、経営者は、資材を国内で調達するだけでは会社がまわらなくなる危険が大きくなっていることを覚るべきでしょう。なぜなら、国内市場がますます冷え込み、倒産が相次いでくるからです。今回の震災のことに限らず、中長期的な課題として、資材は、国内だけでなく海外からも輸入するという観点から取り組まなければなりません。

 

「社員の不安をいかに鎮めるか」

ある有名ファーストフード企業の社長は、この度の大地震が起こった直後、社員を残して、自分だけ本社のある東京から大阪に逃げたと言われています。彼は、まさに自らの身の安全の確保だけに走った人物として、業界のなかでも評判になったという話を仄聞しました。この人物は、「メールがあれば大丈夫だ」と弁解したとも聞きますが、とんでもない話です。トップは、いかなるときであっても現場に姿を見せることが重要であって、ましてや組織が危険にさらされているときには、なおさらのことです。危機に遭遇してトップがうろたえ、オロオロして自らの職場を放棄して逃亡するなど、もってのほかです。リーダーたるものは、危機にあっても、決してそのような醜態をさらしてはならないのです。

東北地方の被災者の状況を伝える報道を見ているとわかりますが、町長・市長ら各地方自治体のトップは、自らも被災者であることを乗り越え、住民ら避難民とともに行動しかつ現場の指揮をとっています。この姿は大変立派で、胸打たれるものです。前述の社長のように、危険が生じたときに、部下のことを考えず、自分だけが遠方に逃げてしまう者にはリーダーとしての資格はないことは言うまでもありません。

天皇皇后両陛下が大地震でも皇居にとどまられ、東京の中心部分から一切動かれることなく、被災者に対して精一杯のことをされたことが、日本国の立派なリーダーの姿としてわれわれ日本人の心の支えになったことを、私はここで敢えて申し添えたいと思います。

両陛下にわれわれが感動するのはなぜでしょうか。それは、おふたりに私利私欲がまったくないからです。

このことは、組織論にもそのままあてはまるでしょう。組織が危機的状況であればあるほど、リーダーは何事にも私利私欲を離れて取り組まなければ、説得力がありません。

部下はバカではありませんから、リーダーの邪心をすぐに見抜き、本心を察知します。同じ行為をしても、私利私欲があるかないかは、まわりの者にすぐにわかるものです。私利私欲にまみれたリーダーは人望を失い、次のステップでは、この人物をいかにして追放するかということが組織のテーマにされることを、リーダーは自覚しなければなりません。

リーダーは、日頃から、我欲を捨てて、苦しいこと、困難なことに立ち向かっていく姿勢を示さなければまわりの信頼を得られず、大阪に逃げ出してしまった前述の社長のように、物笑いになるのです。

 

「人事に常についてまわる風評が、情実人事。これにどう対処するか。」

トップがなぜ情実人事を行いがちかと言えば、そうすると気がやすまるからです。社長やリーダーは強いストレスを受けて、非常に孤独な仕事で疲れているため、つい情実人事に走ってしまうことがありますが、それは、社長の精神力の弱さのあらわれとも言えます。要するに、自分が苦しいから、一層かわいさ・親しみやすさを求めて、つい情実人事に走ってしまう。そこで、番頭たる者がこれを牽制して社長を支えることが必要になります。リーダーは、いまのような苦しい時代こそ、番頭役からの諫言を謙虚に受け止めなければならないのです。

では、情実にならない人事を行うにはどうすればよいのでしょうか。

まずは、「人をみて法を説け」を実践し、トップの重要な役割のひとつである人物鑑定・人物評価のための能力を磨くことです。「人をみて法を説け」とは、釈尊が相手の能力や性質に応じてわかりやすいように真理を説いたということからきた言葉です。上に立つものは、何より部下の本質を即座に見抜く目を持たなければなりません。相手の言動のなかからその特性を感じ取り、対応しなければならないのです。こうした鍛錬を経て、人を見る目は確かなものになっていきます。

人事が情実に基づいて行われているという風評はとかく発せられがちなものですが、「わが社のトップは人を見る目が優れている」ということを社員に意識させること自体が、情実人事でないことを裏付ける事実となります。そして、人事が情実ではないことを示すためにも、部下をほめるだけではいけません。ほめるだけでは、まさに情実人事に陥っているという風評を招きかねません。部下を適切に叱ることの意義を、トップは意識しなければならないのです。

部下への指導・注意は蔭で行うこともありますが、厳しく対処して、懲戒処分や懲戒解雇にすることも、ときには必要です。「厳しい人事を行う社長」という評判を得るキャラクターでなければならないのです。ニコニコ笑っているだけでトップが務まると思ったらとんでもない話です。厳しさがなければ、情実人事に走る社長と受け取られてしまいます。

レピュテーションリスク(風評被害)という言葉がありますが、これは、風評を立てられる側の責任でもあることを知るべきです。トップが情実人事をしたという風評を立てられるときには、本人の側の責任も決して看過できません。

ところが、世の中は不思議なもので、風評をことさらに流す者がいます。リーダーにとっては、そうした悪意ある者をいかに整理整頓していくか、そして、悪意ある者の発言の効果をいかになくしていくかということも課題となります。それは、本人の絶えざる規律ある態度による以外ありません。つまり、風評を立てる者との関係において、スキがあるところを見せてはならないのです。そして、情報が瞬時に伝わるいまの時代は、誰もが現実にさまざまなレピュテーションリスクを負っていると言っても過言ではないのです。

 

 

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2015年8月4日(火)7:54 ホテルニューオータニ庭園にて蓮を撮影
花言葉:「神聖」

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2015年8月10日(月)中目黒公園に行きましたところ、ススキが風にそよいでいました。
立秋を過ぎ、暑さまだ厳しいなかでも、少しずつ秋の花が咲いています。
秋の訪れと、季節のうつろいの早さを、しみじみと感じました。

 

 

 

7月24日(金)から、2011年5月~2012年4月にかけて、計12回、『月刊公論』(財界通信社)にて私が連載いたしました「高井伸夫のリーダーの条件」を転載しています。 

私の半世紀にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、リーダーのあり方について述べた連載です。 

これからは、自分一人の信念で周囲をひっぱっていくというリーダーの時代ではありません。優れたリーダーには必ず、”股肱(ここう)の臣、頼れる参謀”が付いているものです。もはや”孤高の人”では、リーダーにはなり得ないのです。 

ブログ読者の皆さまに、現代におけるリーダーシップ論を考えていただく一助となれば幸いです。

 

 

 

「これからのリーダーシップ」
貧しくなる日本社会の中で新たな共同体経営を目指す
(『月刊公論』2011年7月号より転載) 


 

日本はこれから想像以上に貧しくなっていくと思います。人口減少はますます進み、国内市場は縮小し、国民の所得も、一世帯あたりの所得も減少の一途をたどらざるを得ないでしょう。まさに、「日本は国として美しく老いるべきだ」(経済評論家 故神崎倫一氏談『週刊新潮』1997年12月18日号掲載)という状況になってきます。こうした現実に、企業経営者そしてリーダーは、どのように向き合えばよいのでしょうか。日本の企業は今までのように個人の成果主義を旨とするだけでは立ちゆかなくなっているのであり、共同体を構成することの意義や必要性を自覚しなければなりません。私は、後輩弁護士たちに、こうした視点をも伝える努力をしていきたいと思います(髙井伸夫)。

 

 

「大義名分書の重要性」

いかに優秀なリーダーでも、自分ひとりの力だけでは、仕事の目的を達成することも、成果を上げることもできません。リーダーたる者は、役員・幹部(執行役員等)・幹部管理職・従業員等、組織全体を総動員してミッションを成し遂げる体制を、作り上げなければならないのです。

そのとき、彼ら彼女らにやる気を起こさせるための重要な方途のひとつが、「大義名文書」です。

「大義名分書」とは、文字通り物事の大義名分を書面化したものであり、経営側の人事・労務問題を専門とする弁護士として、私が実務の経験のなかから編み出したツールです。たとえば、裁判所は、整理解雇が解雇権の濫用とならないための要件・要素のひとつとして、「人員削減の必要性」を挙げますが、実際に紛争になった場合には、経営側としては「必要性」を述べるだけでは足りません。人員削減の断行によっていかに将来に展望が開けるかということについて、数字を含む裏付け資料を用いて「大義名分書」で明らかにし、さらに、「想定状況」「想定問題」「スケジューリング」等々の資料も精緻に作成することが、肝要なのです。そして、これらのツールは、あらゆる仕事の遂行の場面に応用できるものなのです。

リーダーは、「大義名分書」において、単に必要性を語るだけではなく、「この施策に展望あり」ということを、説得力をもって明示すべきです。いま取り組んでいる仕事は、本人のためだけでなく、同僚のため、組織全体のため、ひいては、世のため人のため、社会全体に貢献するものであるという将来に向けての大義名分を、書面で明らかにするのです。

リーダーからのこうしたアナウンスが為されることにより、各々が社会における自らの仕事の意義を再確認し、意欲的に取り組むことができるのです。日々の業務のなかでは、とかく目先の売上げや利益等に思考が偏りがちであるが、社会や共同体を意識することで、仕事の質は格段に向上するものです。

 

「契約社会から新たな共同体社会へ」

世界のほとんどの国は、異民族との激しい葛藤や紛争を経てきた長い歴史をもち、基本的に個人主義を旨としています。孫文(1866~1925)が、「外国の傍観者は、中国人はひとにぎりのバラバラな砂だという」(『三民主義』)と紹介したくだりは有名であるが、個人主義は中国に限ったことではありません。そして、個人主義の民族によって形成されるのは、厳然たる契約社会です。これに対して、日本は島国であるがゆえに他民族からの侵略を受けることなく現在に至り、集団主義となった稀な国である。まさに「和を以て貴(たっと)しと為す。忤(さから)ふこと無きを宗とせよ」(聖徳太子「十七条憲法」第一条)の精神が、日本人のDNAにすり込まれていると言ってよいでしょう。

契約社会は、権利義務関係を明確にして、そのうえで、契約関係により心の紐帯をはかり、無限の信頼ではなく、限界ある信頼を形成します。権利はとかく極大化し、義務は極小化する世界であるがゆえに、まず、権利と義務の明確化が必要になります。権利義務を明確にすることの本当の意味は、実は、責任転嫁を許さないことにあるのです。

日本の集団主義を旨とする契約書には、必ずと言ってよいほど「甲と乙は、信義に基づき誠実にこの契約を履行する。そしてこの契約に定めのない事項が生じたとき、又は、この契約各条項の解釈につき疑義の生じたときは、甲乙各誠意を以て協議し、解決する」の一条項を加えます。要は、何かのときには互いに歩み寄りましょうという基本姿勢です。ところが、たとえば個人主義の代表例である中国人の場合は、権利の極大化と義務の極小化を図ることがすべての局面における大前提ですから、契約で定めた代金を、何かと理由をつけて支払わないとしても、それは彼らが義務の極小化に努めた結果であり、民族性にかなった当然の言動なのです。

さて、契約書の本質は、このように契約における権利と義務の限界を明確にすることにありますが、日本に多く見受けられたいわゆる家族主義的な企業や家族的雇用関係は、信用から成り立ち、権利義務を規定せず、家族的な運営によって相互扶助を行い、ある種の共同体を構築していました。この共同体においては、無限の忠誠と保護とを、お互いに約束しあう関係が結ばれていたと言ってよいでしょう。つまり、権利義務が無限である点が、契約社会とは決定的に異なっていたのです。旧来の日本社会は、多かれ少なかれ、こうした傾向がありましたが、90年代後半から成果主義という考えが色濃くなるにつれ、契約社会へと転換する動きが主流になりつつありました。

ところが、日本経済が、発展しないどころか斜陽化し、沈没しつつあるなかでは、成果主義を旨とする経営もうまくいかなくなってきたのです。自国の経済の衰退を、日本人はなかなか認めようとしませんが、次のような統計をみれば、所得の激減は明々白々です。

日本の国民所得は、1997年には303万1千円であったが、09年には約266万円となり、この12年間で、97年のほぼ1・5カ月分の所得に匹敵する37万1千円も減少して、8分の7になりました(内閣府国民経済計算確報)。また、一世帯当たりの平均所得をみてみますと、94年には664万2千円であったが、08年には547万5千円となり、この14年間で、なんと116万7千円も減少して、6分の5に目減りしてしまったのです(厚生労働省国民生活基礎調査)。

こうした貧しくなりつつある社会では、まさに「貧すれば鈍する」で、信頼関係が失われてきます。ここに、日本において契約社会を超えて改めて相互扶助や共同体の意義が謳われる素地が出現したのです。

 

「人間関係尊重の視点」

これからは、経営においても敢えて人間関係尊重の強化をはかっていかなければならない時代となります。人間関係尊重の経営とは、構成員それぞれの希望・期待・成長を期することに、経営者、リーダーは配慮しなければならないということです。いま日本は、東日本大震災によって苦しんでいますが、それは、少子化という決定的な要因と相俟って、日本の将来を極めて危うくするものとして、心配されている。前述のとおり、国民所得及び一世帯あたりの平均所得が急減している現状では、これを回復させ、成長路線に戻すことは不可能に近い。この問題を解決するためにも、改めて共同体経営を意識しなければならないのです。

共同体では、子どもも、年寄りも、あるいは、失業した人等も、全体で扶養していくことが必要であって、個人の力ではなく集団の力によって乗り切る社会でなければ、日本を復旧・復興させることはできないでしょう。

これからますます貧しくなり、市場原理主義一辺倒では社会が立ちゆかなくなっている日本の現実をふまえれば、これからのリーダーシップは、より広義のリーダーシップにならざるを得ないことは、明らかです。言ってみれば、共同体をいかに円滑に展開していくかということですが、そのためには、これからのリーダーは、①組織や共同体の構成員それぞれの持つ「成長したいという希望」を的確に把握し、②リーダーが構成員それぞれを「成長させたいという期待」を具体的なビジョンとして描き、③さらには、構成員それぞれに応じた「成長」を実現することが必要になってきます。そして、構成員各々が自らの「成長」を実感できたとき、そこから、また新たな「希望」が生まれてくるのです。

こうした「希望」「期待」「成長」の好循環のプロセスを実現できるのは、より社会奉仕的かつ社会貢献的な共同体を構成することに熱心な経営者のみである。目先の利益だけにとらわれるようなガリガリ亡者は、これからの共同体の経営者としては全く機能しないでしょう。

現実に、ボランタリーのNPO組織がこの大震災で大活躍している所以は、この点にあると言ってよいのです。「極限的な状態で、人は、自分のためには頑張れないが、他者のためなら力を発揮できる」(木山啓子氏 認定NPO法人 特定非営利活動法人ジェン 理事・事務局長)という言葉の重さを、改めてかみしめたいと思います。

 

 

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