松浦和光の『百聞は一見に如かず』の最近のブログ記事

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2014年9月27日(土)
東京都目黒区青葉台1丁目にてダリアを撮影
花言葉 「栄華」「華麗」

 

 

アベノミクスの終焉

 

 

高井先生の「無用の用」に当コラムの執筆を始めてはや1年以上が経つ。月日の経つのは早いものだ。いまから1年ほど前といえば、安倍晋三総理大臣が「三本の矢」をかざしてアベノミクスなる経済政策を華々しく打ち出した頃である。

 

経済政策といえば聞こえはいいが、なんのことはない、「拡大均衡」にて金をばらまくだけである。国の借金が天文学的に膨れ上がっているというのに…。どんな親でも、子どもたちには「収入に見合った生き方」「身の丈に合わせた生活」を教えるものだ。こんなことは常識である。借金が1200兆円もある国では縮小均衡の政策をとるのが当たり前なのだが、それを拡大均衡で金をばらまくとは、それも、それをまともな経済政策として「アベノミクス」とのフレーズを付けて、だ。

 

アベノミクスに対する懸念を抱いているは私だけではない。安倍総理の経済政策に“噛みつく”ように当初から「批判の矢」を射てきたのは、高井先生である。それも鋭い論調で切り捨てるところの、容赦ない批判である。

 

当初は、マスコミも国民の多くもアベノミクスをもてはやし好景気の宴に酔っているかの様相があった。しかし、最近では、高井先生が声を大にして説いていた「アベノミクスの負の部分」に、皆が気付き始めているとも感じられる。

 

国際機関も冷徹な分析をするようになっている。10月7日のロイター通信によると、《IMF(国際通貨基金)は、7日発表した最新の世界経済見通しで、今年の日本の経済成長率予想を0.9%とし、7月の時点から0.7ポイント引き下げた》とのことだが、これは先進国の中で最も大きな下方修正である。さらに、消費税「10%」が議論されているからして、今後、消費はさらに冷え込むことは間違いないだろう。

 

安倍総理の限界は、アベノミクス=経済政策だけではない。9月3日、第2次安倍改造内閣が発足したが、その陣容をみると、果たして国益を最優先にした適材適所を貫いたといえるのか、疑問なしとしない。

 

しかし、安倍氏を総理大臣にしてしまった責任は、我々国民にあることを忘れてはならない。英国のある社会学者が語っていたとおり、「その国のトップと国民のレベルは比例する」のである。

 

もうすぐおとずれるであろう「アベノミクスの終焉」に対して、私たちは万全の策を考えておかなければならない。

 

 

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2014年8月24日(日)7:10 東京都千代田区永田町付近にて
線香花火(フットボールリリー)を撮影
花言葉「清らかなこころ」 

 

 

 

縁の連鎖

 

 

高井先生のブログ『無用の用』に掲載される当コラムを執筆して早1年になろうとしている。

その間、高井先生をはじめ、高井先生の周辺でおこったことを題材にいろいろ述べさせてもらった。その中でも、事あるごとに「出会い」と「縁」に関して様々な角度から執筆させてもらった。これも、高井先生が常日頃から「縁の大切さ」「出会いの重要さ」を説いてくださったからか、それが私の中に強く焼き付いてしまったようである。

 

人生は「出会い」と「縁」で紡がれるといっても過言ではない。事実、このコラムを私が執筆するようになったのも、高井先生との縁からである。高井先生との出会いを振り返ってみると…昨年の春、大阪にいる仲のよい友人のB氏から『誰か力のある弁護士を知らないか。知っていたら紹介して』との相談を受けた。B氏は関西で数百億円の事業をしていたがバブル崩壊後、銀行に資産を差し押さえられた経緯から、その法的解決を有能な弁護士先生にお願いしたいと思っていたのである。もちろん、すでに大阪で他の弁護士先生に依頼はしていたのだが、どうも埒があがらないじれったさに、私に連絡してきたようであった。B氏から相談された私は早速、親友のF氏に連絡して『いい弁護士を知らないか。友人が困っている』と、B氏の依頼内容と経緯を説明した。すると、F氏が『日本一のすごい弁護士先生がいるから話してみる』と言って、「高井伸夫先生」のことを教えてくれた。さっそく、インターネットで「高井伸夫」を検索してみたところ、法曹界で半世紀にわたって活躍してきた実績と存在感をして、並みの弁護士ではないことがすぐにわかった。とくに、人事・労務に関しては第一人者であった。

 

大阪のB氏に連絡して『すごい先生を紹介できる』と伝え、高井先生の名前を伝えた。

2週間後、高井先生との面談となった。B氏とF氏と私が九段下にある高井先生の事務所を訪問した。会議室で高井先生を待っている間、日本でも有数の弁護士先生にお会いする緊張感から、再度、姿勢を整えた。ところが…ところが、である。入ってきた高井先生は、三色か四色の柄の靴下にポロシャツ、白髪混じりの髪はぼさぼさ、極めつけは、踵のないスリッパのような靴であった。先生との初対面での印象に、内心、言葉は悪いが「はあ?」となった。関西流で言えば、吉本の芸人あたりが意外な顛末に「ガクン」となるあれである。だが、人懐こい笑顔ときさくな雰囲気で名刺を渡してくれる高井先生の素朴な姿に、服装や外見を気にする「小ささ」を超越した人間的大きさ、のようなものが感じられた。人間にとって最も大切なものが何であるか知っている方たちは、外見の服装や体裁など、そんなことはどうでもいいように思えてしまうものであり、先生もそうした方の一人かもしれないと、自分なりの解釈にて新たな印象を刻んだ。

さっそく、当日の用件であるB氏の経緯説明に入った。F氏と高井先生は二十数年来の親しい間柄だったので場の空気は“弁護士事務所に渦巻く堅苦しさ”などは微塵もなく和気あいあいの雰囲気…いや、F氏と先生が親しいからではなく、高井先生の気さくな個性がそのような雰囲気を排除してしまったのかもしれない。

 

B氏から事件の経緯を聞いた高井先生は、得意としている人事・労務分野でないことからか、親しくされているM.H弁護士に連絡された。M先生も、経済分野に精通している法曹界における重鎮であった。M先生を待っている間、高井先生・B氏・F氏、そして私と4人で雑談めいた世間話をしたのだが、この時に行き交った会話をして、高井先生の人間的な個性、人となりが再度、私の中に刻まれると同時に、弁護士という枠からはみ出した高井先生の強力な個性は、先生とお会いされた方たちをして、一度お会いしたら忘れられない印象を焼き付かせているのだろうとも思った。“赤ひげ先生”は医者だが、“法曹界の赤ひげ先生”がぴったりのような気がした。

夕方7時すぎ、M先生が到着された。さっそく、M先生はB氏の事件について要点をまとめつつ、今後の対応と戦略を話し合われた。後日、B氏の依頼事件は見事に解決、さすがと思った。

 

友人のB氏、そしてF氏との縁の延長にて高井先生と知り合い、それがきっかけで先生と私の出会いが始まり、そして、このコラムを執筆させてもらう縁に発展した。縁の不思議な連鎖図式を考えながら、もし20数年前にB氏と知り合わなかったら高井先生との縁もなかったはず、そこにまたF氏との出会いがなければこのような展開にはなっていなかっただろう。なにより、B氏と出会ったのも、B氏を紹介してくれたM氏がいたからである。そのM 氏との出会いは、M氏の友人であるH氏と私が飛行機で座席が隣り合わせになった「縁」からである。

飛行機で隣り合わせになった縁が高井先生にまで繋がる妙、そればかりか、高井先生と交わったことでいろんな方との新たな出会い、縁が生じた。

こうしてみると、人生はまさに「出会いと縁」が連鎖して様々な人間関係を紡がれていく。それだけに、たとえ小さな、取るに足りないような出会いでも、それは将来における「大きな糧」に繋がる種とおもって大切にしなければならない。それこそ、高井先生がいつも言われるように「袖すりあうのも多生の縁」なのである。

 

 

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2014年7月6日(日)7:16 東京都港区芝公園にてローズマリーを撮影
花言葉:「私を想って」

 

 

日本の隣国(中国・韓国)

 

最近、日本と中国、韓国との関係が相当、険悪な状況になってきた。国の外交は、まず「隣国」との関係を良好な状態で維持するのが国際外交のイロハだが、我が国の「安倍総理」は、中国や韓国を刺激するような言動を繰り出しては、「中国・韓国、なんぼのもんじゃい!」と言わんばかりに振る舞っている。もちろん、中国や韓国の「反日」は今日に始まったことではないが、それでも、これほどまでの膠着状態は過去になかったことだ。とくに、安倍首相が靖国神社に参拝してからというもの、関係が急激に悪化している。

 

それだけに、日本のマスコミは連日、中国と韓国に関するネガティブな記事を掲載、中には言葉に出せないような見出しがついているのもある。それも、どんなに恥部的な内容でも、そこはある程度の品を感じさせる文章で伝えんとするならまだしも、大手出版社系列の雑誌までが不愉快な言葉のオンパレードときている。今日の、このようなマスコミの状況をして、日本のマスコミのレベル、実力がわかるような気がする。

 

このように述べるといかにも、中国や韓国の肩をもっているように思われるが、そうではない。中国や韓国のマスコミ、政府関係者の言動にも眉をひそめたくなるような言葉が溢れており、どっちもどっちである。ただ、相手を貶す(けなす)場合、聞いている者が納得できるような「言葉使い」「記事・文章力」はあってしかるべきである。とにかく、昨今の不況の出版界にあって、中国と韓国の悪口を記事にすればある程度の販売部数が期待できるからか、中国・韓国関連のネガティブ記事は当分、続くだろう。

 

書き出しに「隣国」と記したが、中国と韓国は、日本にとって「とても深い関わりをもつ隣国」であり、文化や風習には重なるものが少なくない(正確には北朝鮮も隣国だが今回は省きました)。

 

われわれが使っている漢字も中国からきたものであり、それ以外にも仏教伝来をはじめ、多くの文化が中国、朝鮮半島を通じて日本に入ってきた。いわば、ルーツを辿れば一つのところに行きつく、近くて近い隣国なのである。それだけに、中国と韓国との関係はなんとしても良好な関係を維持しなければならないのだが、安倍総理にはそれを期待するだけの器量も知恵もないとあっては、中国・韓国と個人的な関係を維持している日本人たちに期待するしかない。国と国との関係も、個人の人間的な信頼関係が土台になって形成されるものゆえ、最悪の関係におちいるのだけは防ぎたいものである。

 

中国といえば、高井先生は早くから、中国に「高井・岡芹法律事務所」を開設している。中国の経済が開花しだした頃、高井先生は“企業の海外進出”と同じような先見性から中国に進出。そう言う意味では、高井先生の法曹界における国際感覚は相当なものである。以前に高井先生から聞いた話だが、中国に「上海高井倶楽部」があったそうである。その上海高井倶楽部を通じて日中に関連している様々な方と出会い、縁を結ばれたが、その縁が後々に「日中間における人的交流の種」になっているとしたら、これこそ、中国との関係における潤滑油的な役割を果たすと思える。中国や韓国を貶すことにはしゃいいでいないで、相手の国・国民と交わっていこうとする広い視野こそ、隣国の関係を良好に保つ秘訣ではないだろうか。

 

前々回のコラムで「アベノミクス」を批判的に切り捨てたが、この原稿を執筆するにあたりまたもや「安倍総理」を取り上げてしまった。そこで、ついでだから安倍総理について少しだけ触れておきたい。

 

中国と韓国の関係がこのような状況に陥った一番の要因は、安倍総理にあると言っても過言ではないだろう。靖国神社問題、中国との領土問題、慰安婦問題とは別に、世界第三位の経済大国のである日本のリーダーにあるまじき器量と人格をして、このような状況になってしまったと思えてならない。だいたい、政治家としての理念、哲学、教養もない人が総理大臣になってしまった“過ち”が問題なのであり、アベノミクスなる経済政策における「愚策」のように、外交においても失格である。本当なら、マスコミは声を大にしてそのへんの問題点を取り上げ指摘しなければならないのだが、日本のマスコミは…よそう。この勢いで書いたら日本中のマスコミから袋叩きされかねないだろう。

 

 

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2014年5月17日(土)6:51 東京都目黒区東山1丁目にて箱根(源平)ウツギを撮影
花言葉「移り気」 

 

 

 

健康という「宝」

 

人類は大昔から「不老長寿」に憧れてきた。秦の始皇帝は、不老長寿を願って医の知識を有している人を国中から集めて研究にあたらせたそうである。しかし、「寿命」には勝てなかった。人間の寿命だけではない。どんなに美しい花とて、やがては枯れ、土にかえる。生と死は、大自然に組み込まれた聖なる法則、宇宙の摂理であるからして、それから逃れることはできないが、それでも人間は、生への執着をして、健康で長生きすることを願ってやまない。それだけに、健康を害する兆しや異変が生じると、他の事に手がつかなく…いや、他のことは“どうでもいい”ように思えてくる。どんな一大事なこととて、健康以上に大事なことは存在しないからである。

普段は好き勝手な、健康に悪い生活をおくってきた人ほど、健康に異変が生じてはじめて、健康がいかに大切であるかということに気付くようだ。

 

「病」に関する諺や故事は多くある。「医者の不養生」、患者に健康上の注意を説く医者も自分の健康には注意しない。健康の理屈を誰よりも知っている医の専門家ですら、自分の健康には実行が伴わないのだから、普通の人はなおさらであろう。そのほかにも「薬人を殺さず医師人を殺す」、これは、薬が人を殺すのではなく、その薬の使い方を間違った医師が人を殺すという意味。「薬より養生」、薬を飲むことで健康を保つより、日ごろの養生のほうが健康には効果があるとの意味。同じ意味で「一に看病二に薬」という言葉もある。「薬も過ぎれば毒となる」、薬にも適量があって、飲み過ぎればかえって健康を損ねる。こうした言葉は、健康を追い求めてきた先人たちの知恵から生れた言葉だが、どれもが大切な教訓である。

 

健康といえば、一年前までは、常に大声で怒鳴っていた高井先生が、最近ではあまり怒鳴らなくなった。怒鳴るのは健康の証しでもあるからして、元気な声で放たれる「高井節」が聞かれないのは少しさみしい気がしなくもない。無理もない。高井先生も今年で77歳、後3年で80歳、法曹界で半世紀にわたって活躍してきた実績と存在感は、それなりの足跡として刻まれており、その影響力は今なお健在でもあるのだが、天はここにきて、喜寿を迎えられた先生に、『その間、本当に御苦労さまでした。アベノミクスに腹をたて、ミャンマーや中国にまで出かけて忙しく業務をこなしているのを少しセーブして、そろそろ隠居の準備でもされてはどうですか。後は、好きな趣味に戯れつつ、人生を楽しんでください』と告げるかのように、先生の元気度を少し調整しているのかもしれない。

孔子の論語に、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳従い、七十にして心の欲する所に従う」とあるが、八十歳からはない。ということは、八十歳になったら仕事も人間関係も、すべての執着から解放されて、自然に帰すように、仏のように生きることを志せ、ということではないだろうか。

 

高井先生に限らず、人間、体調が悪いと何事においても意欲が減退する。それこそ、健康は富以上に尊きもの、宝といっても過言ではない。世界一の富豪でも健康に支障をきたしたら、財産なんてどうでもいいように思えてしまう。

思えば、百年足らずの人間の寿命など、宇宙の時空に比ぶれば“瞬きするほどの一瞬”でしかない。して、その瞬きするほどの一瞬を我欲で充たそうと一生懸命に励んでいるのが愚かな人間である。でも、人生は上手く出来ていて、そのへんは天がちゃんとバランスをとって調整しているような気がする。すなわち、我欲に寿命をすり減らしている人ほど、健康に支障をきたすようにできている、とも思える。

 

十数年前にイタリアで発行された雑誌に「健康への秘訣」という言葉があった。それによると、「陽気(笑いと楽観的思考・ポジティブな考え)」「与えよ(モノや金を与えることだけではなく、布施の心、笑顔を与え、安らぎを与え、癒すことばを与える。モノに執着する気持を捨てる)」「腹八分目(過飲過食は早死のもと)」「感謝すること(自分を下げて全てに感謝し、謙虚に生きること)」「怒りは毒(赦し、受け入れる)」、「愛ある生活(他人が喜ぶことを糧にする)」、だそうである。これらの言葉には、聖書に記されている「与えよ さらば与えられん」のように、カトリック文化的な思考が感じられるが、「執着するな」という言葉は「無常」に繋がる仏教的な言葉でもある。要するに、長生きの秘訣はイタリアもアジアも世界共通であり、どれもが「人生の生き方」につながっている。ということは、健康や病は生き方における「結果・現象」なのかもしれない。事実、お伽噺や童話に出てくる「お爺さん・お婆さん」や「七福神」をみると、みな人が良さそうで、明るく、やさしそうに描かれており、その笑顔は、健康そのものである。

 

最後にもう一度記しておくが、健康ほど大切なものはないのだから、くれぐれも健康には注意をはらってほしい。

 

 

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5月11日(日)の母の日に寄せて カーネーションを撮影
花言葉:「母の愛」 

 

母の日に思う

 

5月の第二日曜日は「母の日」である。母の日は、世界中の子どもたちが日頃の母の苦労を労い、母への感謝を捧げる。

 

アメリカ南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家「ジュリア・ウォード・ハウ」が、夫や子どもを戦場に送るのを拒否しようと立ち上がり「母の日」を宣言(Mother's Day Proclamation)した。ハウの「母の日」は、南北戦争中にバージニア州で、「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させた「アン・ジャービス女史」の活動にヒントを得たものだが、結局普及することはなかった。ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、その娘のアンナが、亡き母を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会を開き、白いカーネーションを贈ったことから、白いカーネーションが母の日のシンボルとなり、5月の第二日曜日が「母の日」となったそうである。

 

 

世界には、母にまつわる故事やエピソードが数えきれないほどある。子の将来を案じて住居を三度も移した孟子の母の故事、「孟母三遷の教え」。人間社会だけではない。「四鳥別離」という故事もある。孔子が早朝に悲鳴のような泣き声を聞き、高弟の顔回に尋ねたところ、顔回は『桓山で鳥が四羽のヒナ鳥を育て、ヒナ鳥が巣立つとき母鳥は別れの悲しさに声をあげて鳴き送ると申しますが、あの声もその母鳥の鳴き声と同じです』と答えたという。

アフリカに生息する母猿は、子猿が死んで枯枝のようになっても子猿の死骸を離そうとせず、次の子猿が産まれるまで背負い続けるそうである。子のことを思う母性は、人間も動物も同じだ。それは、神様が地上の生物に植え付けた本能、聖なるプログラム、かもしれない。

 

 

子の死骸を背負い続ける母猿の姿も痛々しいが、巣立つヒナ鳥を見送る母鳥の鳴き声も悲しく、我が子を戦場に送る母親たちの悲しみに重なる。

子を戦場に送る母親たちの悲しみ…高井・岡芹法律事務所は「九段下」にあるが、戦時下につくられた「九段の母」という歌は今なお、戦争を知らない世代である私の中にも強く焼き付いており、我が子を戦争で亡くした母親の、痛いまでの悲しみが伝わってくる。とくに、「♪上野駅から九段まで 勝手しらないじれったさ 杖をたよりに一日がかり 母はきました会いに来た♪」「♪両手合わせて膝まずき 拝むつもりのお念仏 はっと気付いてうろたえました せがれゆるせよ田舎もの♪」…の歌詞に胸が疼いてしまう。この母親は、靖国神社に“英霊”として祀られている我が子を“国家の方針”としては拝まなければならないのだが、知らないうちにお念仏を唱えてしまったことで“はっと気付いて”うろたえてしまった。この悲しい心情こそ、当時の、軍国主義の空気に覆われた日本であったのだろう。親子の絆よりも国策が優先された時代、子が死路に向かう機に及んで「万歳・おめでとう」で見送らなければならなかった母親たちの悲しすぎる現実は、矛盾で塗り固められた悲惨な時代でもあった。こんなことを記すと、やれ右だの左だのと騒ぐ輩たちがいるが、親子の絆や情に右も左もあろうはずがない。

 

 

せっかくの「母の日」のコラムを戦争の話で汚してはいけないので軌道修正するが、今年の高井先生の誕生日は5月の第二金曜日(5月9日)、母の日の二日前である。日本では昔から「5月に生まれた男の子は大成する」と言われ、5月5日は子どもの日、男の子の節句となっている。

 

私は3歳の時に母を亡くしたことで母の顔をしらない。ところが、10歳の時に祖母から教えてもらった母の誕生日(5月22日)は今でも、大切に覚えており、母の誕生日に重なる「5と2」の数字は最も重要な数字となってしまった。その5という数字が母の日と高井先生に重なっている偶然に、たまたまの偶然かそれとも、あの世にいる母が私のために導いてくれた縁・出会いなのか、と考えたことがある。でも実際は、99・99%は偶然であろうが、私は、幼くして別れた母が私のために導いてくれた縁だと信じている。そう信じることで「あの世から母が常に私を見守ってくれている」と自分に言い聞かせられるからだ。人生は、すべて“移ろいでいく”ことからして、人間が死ぬという物質的な死は一時的な悲しみをもたらすが、心の中に生き続ける精神的絆は、自分を見つめ直す機会を与えてくれ、慰め、癒し、新たな決意、希望をもたらしてくれる。そういう見地から、すでに母親が他界された方も、あの世にいる母に『私を産んでくれてありがとう』の、感謝の気持を捧げてほしい…今日の自分があるのは、母がいたからであることを尊く刻むためにも。

 

 

このブログにおけるトレードマークは花の写真だが、5月に限っては、何がなんでも母の日の花である「カーネーション」である。

 

 

 

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2014年4月11日(金)午前7:22
東京都千代田区北の丸公園にて八重桜を撮影
花言葉 「理知に富んだ教育」

 

 

 

「アベノミクス」と高井伸夫

 

 

安倍政権が誕生して打ちだした「アベノミクス」なる経済政策、すっかり定着してしまったようだ。しかし、定着しているといっても、経済のイロハもしらない輩と腑抜けなメディアが浮かれているだけで、現実は、アベノミクスのために日本国の崩壊が刻々と近づいているといっても過言ではなかろう。そもそも、国の借金が1200兆円以上もある日本が縮小均衡ではなく「拡大均衡策」にて舞っているとは、無知を通り越した経済政策でしかない。このアベノミクスに真っ先に異を唱えたのが、高井先生である。それも、声を大にして唱えるといった生易しい唱え方ではなく、アベノミクスをこき下ろす論調で切り捨てている。

 

書き出しからアベノミクスに噛みついているように思われるが、今回のコラムのテーマを「アベノミクスと高井伸夫」とした理由は、あることが脳裏に焼き付いて離れなかったからである。それは「イタコとアベノミクス」である。

昨年の秋、高井先生が「恐山のイタコ(霊媒者)」に会いにいった時、私も同行させてもらった。年齢は80歳前後と思われるイタコにお会いした時、先生がイタコに切り出した最初の質問が『アベノミクスを知っていますか。どう思われますか』であった。するとイタコは『はあ、アブノミ…それはなんですか?』とキョトンとしていた。そこで私が『先生、知っているはずないですよ』と言ってその場を取り繕ったが、イタコにアベノミクスを聞くのは、多分、日本で高井先生しかいないだろう。でも、高井先生の“聞かずにいられない心情”はわかるような気がした。なぜなら、その頃の高井先生は、アベノミクス批判に強い関心を注いでいたからである。お会いされるジャーナリストやメディア関係者たちにアベノミクスの矛盾を伝えては、アベノミクスが日本の将来にとっていかにマイナスかを熱く説いていた。そればかりか、一部のメディアや関係先の会報誌にもアベノミクスの評論を掲載、何が何でも「アベノミクスの愚策」を世間に知らしめたいとの思いを滾らせていた。だからか、イタコにお会いした瞬間、イタコの霊的能力なら「アベノミクスの将来」がわかるのではないか、との思いが過ったのではないだろうか。高井先生のこうした心情は、生意気のようだがわかりすぎるほどわかる気がする。「高井伸夫」という先生は、何事も関心を注いでいる真っ只中では、そのことが脳裏に焼き付いて離れないことから、あらゆる機会にてそのことに関連する言動を繰り出す。それが「イタコにアベノミクスの質問」なのである。純粋と言うか一直線と言うか…でも、このような性格だから、一度口にした事は…いや、一旦脳裏に入った事は絶対に、ほったらかしにはしない。

私など限りなくいい加減で大雑把な性格ゆえ、先生のこうした面は学ばなければならないと思っている。

イタコに日本の経済政策を質問した先生の、ユニークな個性と言動は、私にとって一生忘れられない記念的思い出となって刻まれてしまった。そして、このことが今回の「アベノミクスと高井伸夫」のコラムになってしまったのである。

 

先日、エヌティ―経営研究所のセミナーにて、高井先生は、『日本は10年以内に崩壊します』と、アベノミクス批判の延長にて語られた。無理もない。半世紀に亘って日本経済の側面、日本の名だたる経営者と接してきた先生にとって、安倍政権が打ち出した経済政策は、一時的な劇薬としか思われないのであろう。して、自らの体験を通じて日本の将来を見据えんとする先生にとって、アベノミクスの岐路は、まさに破滅に向かう岐路であり、イタコどころか、神様にも聞いてみたい心境となる。

 

政府は企業の尻を叩いて「賃上げ」を奨励している。賃上げのニュースに接するといかにも景気が持ち直したかのような雰囲気になるが、ここまでくると劇薬の効き目が益々強くなっているような気がしてならない。これもみな、アベノミクスという宴に酔って生じた錯覚でしかない。でも、日本という国は、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というお国柄ゆえ、今の状況がどれだけ日本の将来を危うくしているかに気付かない…いや、気付いている人も多いと思われるが、先生のように「声を大にして」警告を発し続けている人はすくない。そう言う意味で、今年で満77歳になられる高井先生に頑張ってもらいたいと願わずにいられない。しつこいようだが、イタコにアベノミクスを質問するぐらいの熱中と本気度でアベノミクスの過ちを糾弾しなければ、それこそ、日本は二度と立ち直れない国家に転落してしまうだろう。

 

 

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2014年3月9日(日)朝8:05  東京都文京区4丁目にて椿を撮影
花言葉「理想的な愛情」

 

 

「好奇心」

 

 

昨年、ロボット(コンピューター・プログラムによる人工頭脳)が米長邦雄永世棋聖と対戦して勝った。数年前、ロボットがチェスを負かせた時、関係者は『日本の将棋はチェスより複雑なので勝つのは無理』と言われたものだが…すごいことである。このテンポですすむとやがては、一昔前には「魔法」と思われていたことが次々と現実になってくる気がする。でも、コンピューターで支配される“味気ない社会”には抵抗を感じなくもない。もちろん、技術進歩によって生活が便利になり、安全になっていくのは良いことだが、コンピューターが人間の上に位置しているような環境は、やっぱり嫌なものである。でも、心配することはない。いくらコンピューターが発達してもコンピューターが人間を凌駕することなど、絶対にありえない。なぜなら、人間にはコンピューターにない「喜怒哀楽」という感情と、「菜の花や 月は東に 日は西に」のたった17文字で宇宙をも描きだす感性がある。コンピューターが逆立ちしても「朝顔に 釣瓶取られて もらい水」なんて句はつくれないはずだ。

 

以前に読んだある雑誌に、人間と人工知能の最も大きな違いは「嘘」と「好奇心」だそうである。なるほど、コンピューターは嘘をつかない。ましてや、「好奇心」なるものは絶対に、人工知能に置き換えることはできない。

 

好奇心…人類における文明の発展は、すべて「好奇心」から出発している。あの海の向こうに何があるのだろう?…という好奇心に嗾けられて米大陸を発見したコロンブス、木からリンゴが落ちるのを見て引力を発見したニュートンなどなど、歴史を彩った偉人たちは、感性に触れた些細なことに疑問を抱き、その疑問に好奇心を滾(たぎ)らせたことで数々の発見・発明に“辿りついた”。そう、IQではなく「辿りついた」のである。いうなれば、好奇心は、知性や知識を凌駕する結果をもたらすのである。

 

好奇心が最も威力を発揮する…威力というと変だが、人間の「出会い」や「縁」の始まりは好奇心からと言っても過言ではない。お見合いでも旅先でも、お会いした相手に対する好奇心をして、その人の人格・人間性・価値観・個性に興味が芽生え、それが関心に注がれることで交わりにおける物語がスタートする。

また、人間、好奇心がなくなったら進歩はない。「学ぶ」「体験する」という行為も、自分の知らなかった世界に対する好奇心、未知の世界への興味である。

好奇心が最も旺盛な時期はというと、幼年期から少年期である。この年頃は、何事にも興味を抱く。ところが、年齢を重ねるほどに、好奇心が衰え、打算や処世という「邪気」に惑わされて生きてしまう。

 

好奇心といえば「高井伸夫先生」の右に出る人はいない。高井先生は常に「縁」と「出会い」の大切さを説いており、縁と出会いの延長にコミュニケーションが存在すると語っている。事実、高井先生ほど「好奇心の塊」のような方は今までお会いしたことがない。いつだったか、先生の徳島出張に同行した時、ケーブルカーに乗り合わせた観光客に「どこから来たのですか」「どこに勤めているんですか」と話しかけ、最後には「連絡先を教えてください」、とまで言っていた(この部分は以前のコラム[昨年12月9日付記事]にも掲載)。

 

高井先生は、ケーブルカーに乗り合わせた瞬間、その旅人について「どこから来たのだろう」「何をしている人だろう」といった好奇心が芽生え、話しかけられずにいられなかったのだろう。多分そうである。この件だけではない。高井先生は行く先々で、出会った人ごとに、好奇心に嗾けられた言動を繰り出す。それを「高井流」で言うなら「袖すり合うのも多生の縁」ということになろう。そもそも、高井先生は年中、国内外を問わず旅行されているが、これも、未知の土地に対する好奇心からではないだろうか。さらに、高井先生の口癖が、会う人ごとに『何かいいニュースある』という言葉である。自分の体験だけでは足りずに、相手の体験の中に、先生の好奇心・関心・興味にひっかかるものがないかと確認しているようである。でも、こうした、積極的な、前向きな生き方こそが、生きている証しであり、存在感かもしれない。

 

好奇心とは、われわれの潜在意識の中に刻まれた「前向きの生き方」への原動力、とも思える。反対に、好奇心のない人は、何事にも興味が湧かず、関心すら示さない。それだけに、「うつ病」という状態は、好奇心が失われた状態、ではないだろうか。

 

好奇心によって興味が芽生え、興味が関心を抱かせ、関心が人間社会の縁を紡いでいるとすれば、それはきっと、神様が人間に植え付けた聖なるプログラムかもしれない。

だが、好奇心が旺盛だと「悪いこと」に関わってしまうこともある。アダムとイブが蛇に誘惑されて禁断のリンゴを食べたのも、彼らの中に芽生えた好奇心からである。

 

好奇心のことを羅列してきたが、どんな些細なことにも目を向け、そこにて何か新たな発見をした時の、充実感や喜びは、生きている実感につながるものだ。とくに、素晴らしい「縁」や「出会い」にめぐり合うためには、出会った人に対して興味・関心を注ぐことから始めなければならない。

 

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2014年2月12日(水)現地時間14:38(日本時間17:38)
ミャンマー・ヤンゴンの
在ミャンマー日本国特命全権大使公邸にて「ブーケンビリア」を撮影
 花言葉:「あなたは魅力に満ちている」

 

 

弁護士という“稼業”

 

今回のコラムの執筆に際し、当初は「別れのワルツ」という題名で「別れ」について書いたのだが、高井先生から『弁護士事務所のブログに合わないのでは…』と指摘された。そう言われて改めて読んでみると…なるほど、少し違和感があるように思えなくもない。私は、前回に執筆したコラム「人生は出会いで紡がれる」の延長にて、出会いがあるから別れがあるということを述べてみたく、男女の別れを描いた米映画の名作「哀愁」のストーリーを紹介、卒業式で歌われる「蛍の光」は当映画の主題歌「別れのワルツ」であることを“得意気”に述べてみたかったのだが…独りよがりの得意気であったようだ。

 

それにしても、私の原稿を読んで鋭く指摘した高井先生の感性というか、視点には恐れ入る。物作りの生産現場に例えるなら、些細なズレをも見逃さない厳しさであり、妥協なき視点である。だからか知らないが、高井先生は、高井事務所にてやり取りされるすべての文章に目を通され、そこに少しでも違和感的表現、見解からずれた箇所があれば必ず、修正し、やり直しとなる。いい加減なことは通用しない厳格さは、まさにプロフェッショナル的な厳しさでもあろう。このような厳格・鋭さは「弁護士」という職業柄から来ているのか、それとも高井先生の価値観、性格から来ているのか、と考えたことがある。そして出てきた答えが、両方であろうと思えた。

 

敵(訴訟相手)と向かい合う仕事が弁護士の業務であるのだが、そこではちょっとした油断、言葉の間違いが「敗訴」に繋がってしまう場合が少なくない。それだけに、あらゆることを想定して緻密に事を進めなければならない。こうした世界で半世紀以上活躍されてきた高井先生ゆえ、何事もきっちりと“鮮明”で“正確”な姿勢で消化していかなければ弁護士失格となる。「高井伸夫」という弁護士が労務関連の弁護士として絶大なら信頼を得ているのは、こうした姿勢と無関係ではないはずだ。事実、全国紙にて発表される日本の弁護士評価・ランキングおいて、労務関連弁護士分野で、かつて上位にランキングされてきたことからもわかる。

 

私の友人にも4~5人の弁護士がいる。それぞれに、弁護士としての力量、実績、性格、価値観は異なっているが、高井先生のような存在感には至ってない。また、訴訟社会と言われるアメリカで30数年を暮らしてきたことから、その間に多くの弁護士と接し、交わってきた。その中には、駆け出しの若い弁護士から著名な弁護士まで、さまざまな弁護士がいる。そんなことから、弁護士という職業を私なりの視点で見つめてみると…ある意味でいえば厳しい職業とも思える。この厳しさとは、焦点のぶれない視点、相手に付け入る隙を与えない正確さ、そして、時には情感や常識、現実を排した厳格な姿勢で向かい合わなければならない。

コラムの題名を「弁護士という稼業」としたのは、弁護士という職業はまさに、“稼業”に思えるからである。良き意味で言うなら「稼業=使命感」ということもできる。しかし、最近は、稼業でないところの「サラリーマン的弁護士」が増えている。「法曹界」という言葉で表されるように、弁護士の仕事は法律という定規をもって事にあたるのだが、“稼業”における弁護士は、法律の先にある人間の業や欲、虚栄や体面をも見据えて向かいあわなければならない。いわば「人間」が仕事のフィールドなのである。

 

陪審員制度で裁く米法曹界にて、腕利きの弁護士といわれる弁護士は総じて「一流の役者」でなければならないともいわれている。十数年前に読んだある雑誌に、ニューヨークのある老弁護士が『陪審員を泣かせられる弁護士は、一流である』と語っていた。なるほど、陪審員の心情をも操れる弁護士は、法律を越えたところの、人間というものを熟知している弁護士であろう。

 

事実、米でおきたO・J・シンプソン事件のように、刑事訴訟では無罪になったが民事では有罪となることが多々ある。そこに関わる弁護士の力量、演技力、知恵によって事は天国と地獄にわかれるのである。まさに「稼業」である。

 

「稼業」としたもう一つの視点は、弁護士という仕事は個々の能力・実力・実績がすべてである。いわば一匹オオカミ的な、自分の力で結果を出さなければ生き残れない世界なのである。アメリカでも、弁護士資格はもっているが仕事のない弁護士がたくさんいる。日本でも同じであろう。

 

弁護士界においては、これから厳しい時代がやってくると思える。それは、弁護士という仕事が完全な「サービス業」に移行するからである(以前から分類としてはサービス業として取り扱われたが、現実はそのような概念ではなかった)。アメリカでは、弁護士の営業活動が熾烈に行われている。深夜のテレビCMでは『交通事故の裁判で100%の勝訴実績を誇る○○弁護士』と派手に宣伝している。いわば、営業で“顧客”を確保しなければ生き残れない時代が到来するのである。ましては、昔は顧問弁護士に相談するような些細な法的相談事でも、今ではインターネット上にある「法律相談」である程度、事の流れが把握でき、弁護士費用まで掲載されている。最後に、アメリカで“繁盛”している弁護士事務所は、こまめにパーティーや集まりに出席して縁をつくり、多くの人とコミュニケーションを行っている弁護士である。これは一種の“営業活動”でもあるが、弁護士の仕事は「クライアントの顧客に何か起こった時」に始まるからして、日頃からアンテナをはりめぐらして「何か起こった時はあの先生に相談」と連鎖される状況をつくっておくことである。そういう意味では、高井先生が常日頃から言っている「出会い」と「コミュニケーション」が弁護士稼業最大の営業ツールでもあろう。

 

 

付録   「2月8日(土)武蔵川部屋 朝稽古見学会」

 

2月8日(土)に、私が懇意にしており、1月10日付けブログでもご紹介いたしました元横綱武蔵丸の武蔵川部屋(江戸川区中央4丁目1-10)を訪問し、朝稽古を見学いたしました。

 

実際に眼前に繰り広げられる稽古は、誠に真摯で心打たれるものがありました。朝稽古の後にはちゃんこを一同でいただきました。

 

今回、大雪の中ご参加いただいたのは、下記の5名です。

 

 三野 耕司様  株式会社 教育環境研究所 取締役 企画部長

 廣川 雅則様  株式会社ダイヤモンド・PR・センター 代表取締役社長

 蓮間 啓道様  株式会社ダイヤモンド・PR・センター 営業企画部課長

 村上 哲次様  株式会社千總 相談役

 川浪 年子様  ナミHRネットワーク 人事コンサルタント

(企業名順)

 

当日の様子を、株式会社ダイヤモンドPRセンター代表取締役社長 廣川 雅則様にレポートしていただきましたのでご覧ください。

 

 


 

 

「ドス! ドス! ドス!」

 

東京に45年振りの大雪が降った2月8日。

私たちは東京都江戸川区にある武蔵川部屋を訪問した。

外の大雪から壁一枚隔てるだけで、土俵には全身から湯気を立ち上らせた力士たちが朝稽古をしている最中であった。

 

この部屋の親方は、ユーモアあふれる性格で人気を博した第67代元横綱武蔵丸こと武蔵川親方。

今も当時とはあまり変わらない体型で弟子たちに体を貸しながら厳しく稽古をつけている。

「何度も言ってんだろう!何やってんだ!聞いているのか!」と罵声が飛ぶ。その迫力がまた凄い!そして弟子たちからはいっそう湯気が立ち上る…。

今、部屋にはハワイ出身の武蔵国、広島出身の武拳、大阪出身の清武蔵ともう一人広島出身の武蔵平の4人の地方出身力士たちが、毎日稽古を積んでいる。部屋創設は平成25年4月1日。まだ1年も経っていないため兄弟子が不在ということもありみんな伸び伸びと、そして親方の厳しい指導でキリっと表情が引き締まる。

 

朝8時から始まったそのような厳しい稽古も10時には終わり、その後は弟子たちも普段の若者に戻り、親方はいつもの優しい親方に戻る。

 

そして、いよいよお待ちかねのちゃんこ鍋の始まりだ。

武蔵川部屋のちゃんこ鍋は、いつもの決まった味というものが無く、毎日味を変えるという。

これも親方のアイデアで、飽きが来ないようにという配慮からちゃんこ鍋でない日もあり、たまにタコスやハンバーガー、それに親方の出身であるハワイ料理なども食卓に上るそうだ。これも若い力士のことを考えた親方の優しさであるとともに、新しい部屋だからこそできることであるように感じる。

 

そして相撲部屋の中では一番と思えるほど美人の女将さんが、地方出身者ばかりの若い力士の母親となり、また部屋の切り盛りをしている。元々フラダンスを嗜んでおられた関係で親方と知り合ったという。現在妊娠5カ月。今年7月には初めてのお子様(男の子)が誕生される。子煩悩な親方は、今か今かと待ち構えている。

 

外の大雪も、この武蔵川部屋の周りだけ溶け出してしまいそうな厳しい中にも温かで優しさに包まれた部屋であった。

 

<株式会社ダイヤモンドPRセンター代表取締役社長 廣川 雅則様>

 

 

 

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2014年1月12日(日)朝8:21
東京都目黒区中目黒公園にてシクラメンを撮影
花言葉:「はにかみ」

 

 

文は人なり

 

高井・岡芹法律事務所の業務においては、文章・文章力がとても重要なキャリア要素になっている。これはなにも高井先生のところだけでなく、他の弁護士事務所でも同じであろう。弁護士事務所の業務といえば、文章で始まり文章で終わるといっても過言ではない。そもそも、訴訟・裁判を前提とした弁護士事務所の業務は、「訴状」から「判決文」まで、すべてが書面をもって進行される。弁護士事務所だけではない。わが国では口頭での意思表示よりも書面の方が重要視される。だからか、「反省文」や「始末書」、「辞表」など、およそ口頭で伝えられることでも「文章」として提出するのが習わしのようになっている。それも、「辞表」の場合、お決まり文句のように「一身上の都合により…」と記す。経営者と喧嘩して辞めても「一身上の都合」である。「始末書」も同じだ。反省していなくても一応、「反省文」や「始末書」にて反省しているようなニュアンスの文面を書いて提出すると、一件落着となる。まさに、世界でも類をみない「書面文化の国」である。

 

話がそれてしまったが、高井先生の事務所において「文章」が重要視されるのは、弁護士事務所だからという理由だけではない。約半世紀にわたり法曹界で活躍されてきた先生ゆえ、政財界はもちろんのこと、文化・教育・スポーツ界に至るまで、幅広い交友関係にて寄せられる数多くの用件・案件・問い合わせ・招待・相談事に対応しなければならない。そして、そのほとんどが文章での連絡で始まるので、こちら側も文章で対応しなければならない。ましてや先生は、どんな用件でも誠意と敏速さをもって対応されることから、高井事務所のスタッフたちは気を抜く間もなく、文章と取っ組み合いをしながら励んでいる(このへんの様子は、前回のコラム(第4回)で移動中の先生に書類や文章をFAXで送信する現場を書いてあるので参考にされると解りやすい)。

 

先日、得意先の社長から書信を頂いたが、その文面に「貴台」との言葉が使われていた。貴台とは、二人称にて相手を敬う敬語だが、貴台と言われるとこちらが恥ずかしくなってくる。そればかりか、その方から依頼されて送付した私の原稿を「玉稿」と評して誉めてくれた。ここまでくると、夏目漱石ではないが、「先生と言われるほどのバカでもなし」という気持になってしまう。日本ではなるべくむずかしい漢字・言葉を用いて書けばいいという傾向があり、中には広辞苑で引かなければ意味がわからないことも少なくない。私なら、メールで頻繁に連絡しあっている身近な間柄ゆえ、「貴台」や「玉稿」という言葉よりも、《○○さんありがとう。送付された原稿を拝読、とても参考になりました。ありがとうございます》とでも記してくれた方が素直に喜べる。この方だけではない。書信や挨拶状などの場合、相手を敬う気持を少しでも文面に表したいと思うあまり、普段使わないような難しい漢字・言葉を羅列した文章が少なくない。事実、私の会社に送られてくる案内状や書信のほとんどが、ビジネス文章の例文から引用したと思える“やたらと丁寧な言葉”に覆われた文章になっている。そしてそこに「宛名」と「日付」を入れ替え、文中に用件を付け足しただけの、無機質な文面に仕上がっている。このようなことは礼節における形式的な慣例ではあろうが、なるべくなら“自分の言葉”で伝える文章…たとえ文章が下手でもこちらの気持が率直に伝わる文面だと、相手はそれなりの気持で読んでくれるものである。

 

文章といえば、南九州市にある知覧特攻平和会館に展示されている「特攻隊員たちの手紙」が胸に焼き付いて離れない。祖国のために死を決意した若者たちが、特攻隊として発つ前に書いた肉親への手紙だ。そこには、どんなに優れた見識をもってしても表現できない「人間の究極な心情」が綴られており、これほど心に迫ってくる文章は他にないと思える。まさに「言霊」で綴られた文である。

 

文章の上手・下手は文法的巧みさや見識・学識にて評されるものではなく、読む人の心に素直に入ってくる文脈で計られるものである。

高井先生はよく「文は人なり」と言われるが、まさにその通りだと思う。素直で飾り気のない文章は、書き手の気持が行間から伝わってくるのはもちろん、書き手の人間性や性格まで伝わってくる。が、まさにその通りだと思うだからか、難しい言葉を並べた文章は一見、格調と品格を備えているように思えるのだが、心に刻まれることはない。

 

世に名文といわれる文章は山ほどあるが、私は「相田みつを」氏の文章が好きである。相田みつを氏のそれは文章というより“言葉”といった方がいいかもしれないが、その言葉が文字となって発せられる時読む人の心に「余韻」を刻みつける。まさに「文は人なり」である。

 

「相田みつを」氏の文章が人々の心に刻まれるのは、文章がうまいからではない。相田氏の言葉に込められた人間的な温もりや心が、読む人の気持を響かすからである。相田氏だけではない。歴史を彩った偉人達の名言や手紙にも、そのような脈が息づいている。文章の下手・上手は、記された言葉と文章にあるのではなく、言葉と言葉の間から滲み出る…行間から伝わってくる筆者の思いとメッセージにある。相田みつを氏も言っているように「人間だもの」…人間が書いて人間が読む文書だからこそ、心と気持が伝わる文章を書けたらと願っている。

 

 

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2013年12月1日(日)8:10
目黒区立中目黒公園内にてダリアを撮影
花言葉:「華麗」「優雅」「威厳」「移り気」「不安定」

 

 

縁で紡がれる人生


高井先生の旅行に何度か同行させてもらった。それに伴い、行き先々で多くの体験をすることが出来た。また、先生に何度か同行するうち、旅先での先生の言動をして「先生独特のパターン」に気付いた。


まず、どこに行こうと、現地にて出会い、接し、見たものすべてに、重度の好奇心を発揮されるということだ。ちょうど、探検家が未知なる世界に好奇心をたぎらせるようなとでも言おうか、いやそんな言葉では足りないほどの強烈な好奇心である。

もう一つは、「袖すりあうも多生の縁」である。


いつだったか、徳島で「眉山ケーブルカー」に乗った時である。平日ということで乗客は先生と私、そして40代と思える男性の観光客、3人だけであった。

先生は、ケーブルカーが動き出すとすぐにその男性に「観光ですか。どこから来たのですか」と声をかけた、すると男性は、一瞬戸惑ったような表情で「東京からです・・・」と答えた。その言葉には、旅先で出会った観光客どうしの「旅は道連れ」的な空気は感じられなかった。無理もない。初老の男性2人がわけのわからない笑顔を振りまいて馴れ馴れしく話しかけてきたのだ。“得体の知れない人たち”ということで構えてしまったかもしれない。

それでも先生は、ケーブルカーが中間あたりに差し掛かった頃、一方的に「私も東京からです」と言って名刺を出した。名刺をみて相手は、目前にいる初老の人が「弁護士」ということで一先ず安心したか、或いは気を取り直したようであった。男性は、筑波にある研究所に勤務していると言い、会話らしきものが行き交った。


だが、ここからが高井先生の、高井先生たる所以である。男性に「名刺があったらください」と言った。男性は「あいにく名刺は持ってないのですが・・・」と言うと、「それじゃ携帯電話番号を教えてください、ああ、名前と住所も書いてください」と言い放った。

出会って5分もたっていない相手に「電話番号・住所」を教えろとは、「袖すり合うのも多少の縁」どころか、「縁と思って俺の袖に触れろ!」と言わんばかりである。ところが意外にも、その男性は先生の要求に応えて住所と名前、携帯番号を書いてくれた。先生の積極的な声かけと人懐こさに、その男性は拒むことができなかったのかもしれない。きっとそうであろう。
それにしても、頂上までの6分間で、半ば強引に縁を取りまとめてしまったのだから、すごいセンセイである。


エピソードが長くなってしまったが、先生は常日頃から「縁」や「出会い」を重要視している。そればかりか、先生は現在、「縁」に関する本を発刊する準備をされているぐらいだ。つまり、これほど縁を大切に・・・いや本当にどんなところへ行っても、隣り合った人、触れ合った人にはすぐ話しかけて、縁をスタートさせてしまうのである。

高井先生が「縁」をそれほどまでに大切にされる理由も、なんとなく分かるような気がする。

人生におけるすべては「縁」にて紡がれる。そればかりか、宇宙を司っている何かの存在が、我々人間を、我々を導くために「縁」という手段を施しているような、そんな気がしなくもない。人には偶然としか思えない縁も、その実、それは必然的なものであるように思える。

 

縁といえば、米作家アーネスト・ヘミングウェイ(1899~1961)の人生が思い出される。彼の作品『老人と海』は、世界で最も多く読まれた小説であり、多くの国で教科書としても使われている。

米イリノイ州で生まれたヘミングウェイは18歳の時、新聞記者からスタート、世界大戦の勃発とともにヨーロッパに渡り、義勇兵としてイタリア戦線に加わった。戦後、通信記者としてパリに住み、作家活動をはじめる。

ヘミングウェイが文壇にデビューしたのは1926年にパリで発行した『日はまた昇る』であった。その後、『武器よさらば』『誰が為に鐘が鳴る』等の名作を発表した。

『老人と海』にはモデルとなった一人の老人がいた。キューバ籍のグレゴリア・フェンテスさんがその人である。彼はスペイン領アナリア諸島に生まれ、6歳のとき家出してキューバにわたった。そして31歳のときにヘミングウェイと出会い、ヘミングウェイの船の船長兼コックとして働いた。1952年、ヘミングウェイはフェンテスさんの日常生活や漁民たちの様子をもとに『老人と海』を書き上げ、ノーベル賞を受賞した。一方、フェンテスさんは2002年1月、ハバナから15キロほど行ったコヒマル村で104歳の生涯を閉じた。

ヘミングウェイにとって、フェンテスさんと出会った「縁」がなかったら『老人と海』、“ノーベル賞”は存在しなかったはずだ。ヘミングウェイだけではない。人間が織りなす人生は、こうした名も無き人たちとの出会いによって紡がれる。

 

高井先生はこれからも、海外や国内を問わず、出張される地で様々な「縁」を手繰り寄せることだろう。そういえば、私が今、この原稿を執筆しているのも、高井先生と出会った「縁」からである。

 

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