高井伸夫の「所懐風発」の最近のブログ記事

 

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2015年1月18日(日)朝7:45 東京都港区芝公園 芝東照宮にて撮影
<梅の花>花言葉 「高潔」「上品」  (白)「気品」

 

※「労働新聞」2011年7月25日 第2834号「髙井伸夫弁護士の<人事労務の散歩道>」より転載

 

「ボスの条件」(5) 引き際の見定め

 

 

昭和の名横綱栃錦と大鵬が、横綱に昇進したときから常に引き際を頭に置いて精進したというエピソードは、よく知られているだろう。角界のトップに登りつめた横綱としての重責を一身に引き受ける強い覚悟があったからこそ、彼らは雄々しくそして輝いていたのだ。

 

企業においても、社長や幹部に就任したときに引き際を意識しておかないと、晩節をけがすことになる。引き際の見定めの基準の第一は、心身の健康が保たれているかということである。健康に不安のある者は、トップとしての激務に耐えられず責任を果たせない。第二は、トップやリーダーに就任したときに設定した目標が達成されたかということである。目標達成の目途がたったら、新しい目標を掲げる者にリーダーを引き継がなければならない。第三は、年齢である。いまの時勢からすれば、せいぜい75歳が限度で、できれば60歳前後で引き際を決断するのがトップの役割であろう。今年上半期の社長交代で、新社長の50歳代の比率が前年比5ポイント増という報道があったが(2011年7月8日付日経新聞)、これは企業がいかに激烈な競争にさらされていて、トップに若さと体力が要求されるかを物語るものだろう。

 

要するに、トップには新陳代謝をはかる義務がある。そうしてこそ企業は、社会の激しい変化についていける。「頭の良い者や力の強い者が勝ち残るわけではない、変化に対応する者だけが勝ち残る」というダーウィンのものとされる言葉は、企業のトップ人事についてもそのままあてはまる。

 

さて、新陳代謝をはかるためには、トップは後継者を選定し、育成していくことが必要になる。

 

トップにとって、後継者は見つけ難いものだが、時代の流れに対応するためには、無理をしてでも、後継者を見いだし、育成しなければならない。そして、トップの交代について、社会的な認知を受ける努力をしなければならないのである。

 

引き際は、前述のとおり「心身の健康」「目標達成」「年齢」の三要素をかけ合わせて、トップが自分自身で決心しなければならない。後継者が見当たらないときに、とかく交代を躊躇しがちであるが、後継者はトップの地位につけば意外に育つ場合が多い。それゆえ、さほど心配する必要はない。

 

仄聞した某社の例を、反面教師として紹介しよう。既に90歳台半ばである社長が、自分がかわいがっている者を社長に就任させるために、自らは代表権のある名誉会長に就任し、いわゆる情実人事を行った。新社長は経験も能力も不足しているため、社内では納得感が得られないという。一定規模以上の企業で人事が言わば私物化されるこうした例は、いまの時代には非常に珍しいが、これもトップが引き際を決断しないことが産んだ悲劇である。まわりの者は、社長の退任をなかなか進言できないものである。

 

そして引き際の重要性は、事業についても同様のことが言える。たとえば、企業が中国・アジア諸国等に進出して事業を始めたとしても、撤退を常に意識していなければならない。トップは、そこでの事業展開が自社にとってマイナスであることを直感した時点で速やかに引かなければ、取り返しのつかないことになる。これもトップの下すべき重要な決断のひとつなのである。

 

以上

 

 

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左上から時計回りに([ ]内は花言葉)
ボケの花[早熟]、コエビソウ[真の友情]
(2015年1月11日<日>7:30 東京都目黒区中目黒公園)
ニワナズナ[美しさに優る値打ち]、マーガレット[秘密の恋]
(2015年1月11日<日>8:00 渋谷区東1丁目)

 

 

 

※「労働新聞」2011年6月27日 第2830号「髙井伸夫弁護士の<人事労務の散歩道>」より転載

 

自己研鑚と組織の維持

 

「(日本の相次ぐ首相交代をさして)このような指導力では、震災や原子力発電所の事故など危機に対応することは不可能だ」「小国でも強い指導力があれば国は強くなる。逆に国が大きくても政治が弱ければ国は衰退する。その典型が日本だ」これは、中国の清華大学現代国際関係研究院・閻学通院長が、6月2日に北京市内で行われた講演で述べた言葉である(2011年6月3日付日本経済新聞)。

 

私は、この閻院長の指摘にひとことも反論できない。そして、「一国の政治は国民を映し出す鏡にすぎない」(スマイルズ『自助論』)というように、政治のレベルは国民のレベルそのものであるから、国民を埒外として政治家だけを批判することは、潔しとしない。

 

既に政界を引退された某有力元国会議員の秘書の方が、「中選挙区制になってから、国会議員間の競争がなくなり議員が勉強しなくなったように感じる」旨述べていたが、選挙制度の運用面はともかく、日本の政界も社会全体も、あるべき競争や切磋琢磨のなかから、ボスとなるべき人材が選りすぐられ登り詰めていく試練のプロセス・修羅場体験が忌避されていることは、深刻な事態として受け止めなければならない。さらに、海外留学・海外赴任に極めて消極的になった日本の風潮は、多様な価値観のなかで厳しい競争を勝ち抜く強靱さを、日本人から失わしめている。これからは、どの分野の仕事であれ、海外経験が一層重要になることは言うまでもない。

 

さて、ビジネスの世界で優秀な働きをされている方々に、良きボスの条件とは何か、ボスとしてどのようなことに心掛けてこられたかとお尋ねしたところ、「自分を磨き続ける」「自ら研鑽・勉強を怠らない」「博覧強記を目指す」など「研鑽」「勉強」にまつわる回答が目立っていたのは、予想していたとはいえ重要な点である。リーダーシップを発揮し活躍している人は、決して自分の地位に安住することなく切磋琢磨を好み、よく勉強している。

 

また、「人間としての徳」「部下の成長を願う」「部下の人間性の尊重」「部下の話をよく聞く」など、部下への配慮の重要性に関する回答も多かった。良きボスは、実力主義の厳しさを熟知し、常に研鑽を積み、部下には人間的な温かさを示して信頼関係を醸成し、組織としての機能を心掛けているのである。

 

かつての終身雇用を旨とした時代とは異なり、実力主義・成果主義になればなるほど、組織の一体感は阻害される。個として能力の高い社員を「ソバ粉社員」、調整活動だけに携わる社員を「つなぎ社員」と呼ぶなら、実力主義のもとではソバ粉社員が評価されるが、ソバ粉社員が多くなればなるほど、一方で組織にきしみが生じる。自らの力を過信して、同僚や同志や組織を無視する悪しき個人主義の蔓延が、その典型例である。

 

組織のきしみを克服するには、上に立つ者は、組織性を維持することに敢えて腐心しなければならない。それには、部下それぞれの専門的知識の統合されるべき方向性を示すリーダーシップと、部下の専門的知識と知恵を連携させるマネジメント力が強く要求されることになる。自己研鑽は、自分自身の能力や資質だけに向けられるべきものでなく、組織との調和を強く意識してなされなければならないのである。

以上

 

 

 

 

 

 

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2014年12月28日(日)7:03 東京都港区南麻布一丁目で撮影
ガーベラ(花言葉:「希望」)

 

※「髙井伸夫弁護士の<人事労務 散歩道>」(『労働新聞』2011年5月30日号より転載)

 

「ボスの条件」(3)ボスになれる者となれぬ者

 

ボスでない者がボスのように振る舞うと、「あの人はbossy(いばり散らす)だ」というように、bossの形容詞が否定的な意味で用いられることがしばしばある。

 

こうした陰口を言われないように、組織のリーダーたるボスは、魅力ある存在でなければならない。その究極は「カリスマ」あるいは「大御所」であるが、ボスはそれらに及ばぬ「大物・傑物・怪物」や「小物」の世界で展開される存在である。

 

私はリーダーやボスの魅力の根源は「人格・識見・手腕・力量・多芸多趣味」であると説いているが、ボスはこれらを磨き、部下や同僚等に受け容れられる魅力ある存在になることが必要である。カリスマは、人間として生来的な魅力やオーラが傑出した者のみへの呼称だが、ボス程度であれば、生まれながらの資質は二の次で、リーダーシップやマネジメント力を向上させる後天的な努力によって担い得る。

 

リーダーシップでは先見性が最も重要な要素である。これは時代の流れに関心をもって勉強していれば自然に備わってくる。そして、マネジメント力の真髄は、相手の心を理解することである。「相手が自分に対して何を望んでいるか」を探求し、納得できる回答を得たとき、それを目指して邁進することが肝要である。独りよがりでは決して組織はマネジメントできない。マネジメント力は、他者との間に、より広く深い合意を形成してゆく手続なのである。

 

しかし、いくら努力してもリーダーシップもマネジメント力も身につけられず、際立った存在になれない者もいる。そういう者は、ヒラ社員のまま終わるか、たとえ管理職・役員になったとしても存在感を発揮できず、その他大勢のなかのひとりとして、謙虚に生きなければならない。不満を募らせ、ボスになった者を批判するだけの人生はむなしい。ボスになれなかった者がすんなりと諦めの境地に達することは稀であり、多くは生きる気概を失ってしまう。生きる目的を失わず、多かれ少なかれ青雲の志(=徳を修めて聖賢の人になろうとする志)を持ち続けるためにも、現役時代はもとより定年後の第二の人生でも、趣味の世界でもよいから生きがいを求めて努力すべきである。

 

さて、組織には世代交代という大テーマもある。社長や役員等の若返りが進まない企業は発展しない。後継問題は、ボス自身に後継者育成の気持ちがあるか、そして後継指名された者が十分な心構えと資質(能力・自立心・向上心・連帯心)を持っているかによって決まる。経営者には、ボスたりうる人材を見いだし、ミッションをわかりやすく伝え、育てる任務がある。

 

ところで、後継問題には、ボス候補同士の葛藤も伴う。後継候補が複数存在すると「両雄並び立たず」となり組織が維持できないから、上司による選択がなされる。複数を同時に重用することは、よほど力のあるボスにしかできない。負けた者は出ていくか、趣味等々別の世界で生きるしかない。企業が子会社を作りそこに役員を配置する意味は、この点にもある。

 

サル山のボスの交代劇では命がけの激しいバトルが展開され、負けたボスは群れを抜けて、ハナレザルになるともいう。ヒトの社会でも、本質的にはこれと同様のことが、常に繰り広げられているのである。

 

 

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2014年12月7日(日)東京都大田区西馬込にてシコンノボタンを撮影
花言葉:「平静」「謙虚な輝き」

 

 

※「労働新聞」2011年4月25日 第2822号「髙井伸夫弁護士の<人事労務の散歩道>」より転載

 

「ボスの条件」(2)「補瀉(ほしゃ)の法則」―捨てる勇気

 

 

『日経ビジネス』誌で「企業の寿命30年」説が紹介されたのは、1983年のこと。それから30年近くが経ち、状況は一変した。企業が継続することは非常に難しい。

 

長寿企業が世間でなぜあがめられるかというと、どこの国・地方でも一番の長老が皆の尊敬を集めるのと同じで、長寿であるというだけで、半ば不可能を十分に現実のものとしているからである。これは「長寿がいかに難しいか」ということを意味する。企業も長い年月存在し続けるということ自体が非常に難しく珍しいことなのである。

 

私がよく知る(株)セラリカNODAは、創業180年を迎えようとする正真正銘の長寿企業である。同社は現在の福岡県八女市で1832年に産声を上げ、終始一貫して、植物・昆虫等から採取される生物系のロウの研究・開発・生産に取り組んできている。時代の流れとともに、社名も変わり、会社も福岡から東京、そして神奈川へと移ったが、同社は、常に時代の変化に対応した新製品の開発により、新しい市場を創造し続けているのである。同社の製品は食品からハイテクまでさまざまな分野で応用されており、特に、「石油の世紀から生物産業の時代への転換」という明確なビジョンを打ち出しながらリーダーシップを発揮し続ける現在の野田泰三社長の功績によるところが大きい。野田社長は、時代の流れを的確によみ、企業のDNAを守りながら、捨てるべきもの、取り入れるべきものを見極める力が卓越している。

 

既に本紙平成23年3月28日号本欄でも紹介したが、東洋医学の「補瀉(ほしゃ)の法則」は、身体に不足なものを補うと同時に余剰なものを排出する流れがあってはじめて人間の健康は維持できるという考え方である。この法則の真骨頂は、取り入れることと捨て去ることのバランスを重視している点である。

 

真のイノベーションは、新しいものを取り入れる(補う)と同時に、捨てることをしなければ決して達成できない。また、これと同様、企業や組織も、理念や事業内容、人材、設備等の新陳代謝・入替えがうまくいかないと、活性化されずに沈滞する。そうなると、陳腐化はとどめようがない。

 

ボスも管理職も、彼ら自身が「補瀉の法則」をよく身に付け、よく勉強して、自分を鍛えて、新しく取り込むべきもの、捨て去るべきものを意識して、果敢に時代の流れに即したバランスを保ち、生命力・エネルギーを発揮し続けなければ、よい指導、よい仕事、そしてよい社会的貢献もできないことになる。そして、ボスや管理職者についても、能力の劣る者は辞めさせて人の流れを良くすることが、企業・組織を活性化させる重要な「補瀉」である。

 

このように、企業の成長には、取り入れることばかりでなく、捨て去ることが重要であることに、「ボス」は気づかなければならない。いまの時代は、あらゆる分野でスピードが要求され、新陳代謝も一日・一刻きざみでなされなければ、競争に打ち勝つ最適のバランスを保つことはできない。企業トップも、個々の管理職も、一般従業員も、このことをそれぞれの立場で強く自覚しなければならないのである。

 

あなたは「取り入れ、そして捨てる勇気」を持っているだろうか。自問自答してみよう。

 

 

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2014年11月16日(日)東京都港区芝公園にて千日紅を撮影
花言葉:「色あせぬ愛」

 

※「労働新聞」2011年3月28日 第2818号「髙井伸夫弁護士の<人事労務の散歩道>より転載

 

「ボスの条件」(1)「補瀉(ほしゃ)の法則」―企業の有限性

 

宇宙物理学では、宇宙の終焉をビッグクランチ(big crunch)と言うようだが、生きとし生けるものが、誕生して成長・成熟して枯れて黄昏れて、そして死ぬという経過をたどるのと同じように、宇宙にも終わりがあることは、新約聖書「ヨハネ黙示録」のハルマゲドン(世界の破滅・終末)のごとく、直感的に理解できる。この直感を論証することが、宇宙物理学の使命であろう。人類はもちろん、宇宙の生命体には全て寿命があり、有限であるということを前提に存在する以上、宇宙もまた当然有限であろう。

 

寿命に抗おうとした秦の始皇帝(前259年~前210年)は、不老不死の妙薬を求めて蓬莱の国(日本)に徐福ら数百人(一説には3000人)を遣わしたというが、結局はその薬は発見されなかったというのも、人間そして宇宙は有限な存在であることを無視した企てであったと言うほかはない。

 

企業も人によって組織されるものゆえ、有限なる存在として「廃業」「倒産」を当然予測していなければならない。こうした厳しい現実を乗り越えて存在し続ける長寿企業・老舗は極めて稀であり、青雲の志(設立の趣意)を生かして社会に貢献し続ける非常に立派な企業として、賞賛される。生命力を維持し続けること自体、企業が社会に貢献する所以だからである。

 

「ボス」と呼ばれる者すべてが、とりわけ企業の有限性を強く意識して、活動し続けなければならない。その場しのぎの経営ではダメで、「企業は有限なる存在である」という厳しい前提のもと、社会という小宇宙に存在し続けるためには、自らの生命のあり様(よう)をどうすべきか絶えず考えることが、肝要・喫緊の課題なのである。我われ弁護士の世界でも、絶えずイノベーションを図らなければならないし、それがひいてはクライアントの生命力を保持することにつながるのであるが、立法についても絶えざる変革を迅速・果敢・的確に行う必要がある。

 

では、企業が生命力を維持し、社会性をもって小宇宙に生き続けるためには、何が必要か。それは、企業創立の使命を生かすべく絶えずイノベーションを続け、エネルギーを補完することである。時代の流れとニーズに即した事業展開ができて初めて、企業の存続は可能になる。しかし、ただ単に新規なものを追い求めるだけでは企業の寿命は保てないことを、私は強く指摘したい。「補う」ばかりではなく、時代に合わなくなったものを「捨てる」ことを断行しなければならない。

 

東洋医学ひいては東洋哲学の基礎には、生命体を維持するに「補瀉(ほしゃ)の法則」という考え方がある。これは、身体に不足しているものを補い、余剰なものを的確に排出する流れができていないと、身体に不調をきたし、生命力(自己成長力・自己治癒能力)を喪失するという条理であり、要は、人間の心身の健康は、「入り」と「出」のバランスのうえにあるということである。この点、西洋医学は、生命体の根源である自己成長力・自己治癒能力を軽視しがちであるから、およそ“古典医学”と言われてもやむを得ないであろう。

 

「補瀉の法則」は、企業論・組織論・指導者論にもあてはまる。現代の経営の神様とも言えるドラッカーの経営・経営者論も、同じことを論じているに過ぎないのである。

 

 

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評価とヒューマンワーク

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2014年10月26日(日)東京都港区芝公園にてアガパンサスを撮影
花言葉:「恋の訪れ」

 

※「労働新聞」2010年3月29日 第2770号「髙井伸夫弁護士の<人事労務の散歩道>」より転載

 

評価とヒューマンワーク

 

企業の労務管理が重要である理由のひとつは、労働者自身が、職場は成長の場であり仕事は人格形成に資するという意識を持っていることであろう。いかに多くの人がひたむきに生き、業務に勤しんでいることか。労務担当者が、こうした人々に報いる企業でありたいと真剣に願って努力するとき、その労務管理はヒューマニティー(仁愛)に裏打ちされたものとなり、働く者のロイヤリティーや労働生産性にも好影響を及ぼすのである。

 

それゆえに、企業の人事考課の面においても、これからは「ヒューマンワーク」を評価する視点が必須となるであろう。

 

査定の結果の数字で、しばしば落ち着きが悪いことがある。それは、評価とは本来、全人格的に360度の意識で行われなければならないにもかかわらず、各企業で一般に行われている人事評価は、数値化しやすい特定の項目についてのみデジタルに評価して、客観性を担保しているようにみせる辻褄合わせをしているからなのである。

 

こうした方法では、数値化が困難な「ハートワーク」「ヒューマンワーク」の領域の業績は勘案されにくいため、結果の妥当性も、働く者にとっての納得感も得られなくなってしまう。それでは、彼ら彼女らの仕事への意欲が向上するはずもない。

 

これからの「ヒューマンワークの時代」では、経営者の打ち立てた明確なミッションのもと、全人間性をかけてなされた働きを正当に評価して報酬に反映させなければならない。実際の現場では、無意識的であるにせよ、業務遂行に当たって体現された「ヒューマンワーク」を、調整給の根拠のひとつとしているだろう。

 

「一生懸命は万策に勝る」とは、(株)コーセー執行役員荒金久美氏(注:役職は当時。現在は取締役)が、大学の後輩達に向けて語られた言葉であるが(赤門学友会報「懐徳」2009年6月号)、企業の評価制度は、こうした一生懸命に仕事に取り組む姿勢とそこから生まれる成果の広がりを、最も重要な評価対象としなければならないのである。

 

さて、日頃から「ヒューマンワーク」を実践している人は、雇用契約のもと働いていても、時間労働的な思考から自ずと脱却し、クライアントや相手を満足させることを旨とする請負労働的な思考・働き方をしている。「ヒューマンワーク」は時間労働の枠に収まらない概念でもあるため、その実践者にとっては、残業時間という定義自体がナンセンスだろう。

 

仕事に携わる時間の長さのみをもって長時間労働の弊害を説くことは愚かである。粉骨砕身の働き方をしてこそ初めて自己実現を果たす場合があることは紛れもない事実であり、それを規制しては本人の成長を阻害する。立法論として、将来的には残業時間のとらえ方自体も根本的に変える必要があるだろう。

 

ただ、「ヒューマンワーク」を極めようとしてもできないことに挫折し、組織・集団からの落伍や淘汰の恐怖に襲われ、人によっては精神疾患に陥る危険があることも忘れてはならない。働く者が自己保健義務の一環として自らの健康に留意し、使用者もこれに配慮することは重要なことである。

 

今のような先行き不透明な経済状況では、人も企業も差別化が求められる。「ヒューマンワーク」の概念は、不況の時代にこそ確固たる評価基準として機能するといえる。

 

 

以上

 

 

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2014年10月19日(日)東京都目黒区中目黒公園にてダリアの蕾を撮影
花言葉:「栄華」「優美」

 

 

※ 「労働新聞」2010年2月22日 第2766号「髙井伸夫弁護士の<人事労務の散歩道>」より転載

 

グローバル化のなかの『ヒューマンワーク』

 

「できるなら、どうか心をつくし、能力をつくし、また、これまで蓄えた力を全て発揮して、出し惜しむことのないようにしてください」(『吉田松陰名語録』より)―この言葉は、全力で仕事をすることを旨とする「ヒューマンワーク」の本質を端的に表すものである。

 

私が今、「ヒューマンワーク」という概念を敢えて提唱して必要性を訴えるひとつの理由は、企業のグローバル化現象が急激に進み、企業間競争が激しくなっていることにある。グローバル化の進展の中で、各企業は多様な人材を抱え、多様な価値観、多様な民族性や国民性を統率したうえで、より大きな成果を生み出さなければならなくなっている。例えば、「集団主義」の日本人と「個人主義」の外国人のように根幹の部分で相容れない者同士でも、グローバル化のなかでは同じ組織で共に働き、互助と牽制の適切なバランスのもとで成長し成果を上げなければならず、その円滑なマネジメントのために、各企業は「ワーク」についてのグローバルな共通認識を構築する必要に迫られている。

 

企業のグローバル化に伴う人の問題では、①相互理解促進のために、対面コミュニケーションと電子メールによる効率化をバランスよく行う、②組織における価値観の多様性を尊重する、③共存共栄を図る人道的な行為を尊重する等に留意すべきであるが、その際の基盤となるのが「ヒューマンワーク」なのである。この概念は、損得勘定や利害関係ではなく、フェイス・トゥ・フェイスの関係が生み出す人間性への共感を最も重視する。

 

「フットワーク」の時代には、体力や手先の器用さ等の違いが企業や国の発展に格差をもたらした。そして、思い方・考え方・感じ方の斬新さが求められる「ヘッドワーク」の時代には、そうした能力は各民族の得手・不得手の特質やDNAレベルによって差異があり、格差が生じた。そのため、肉体労働や頭脳労働の段階では各民族の差異が強調され、共通点は見出しにくかった。

 

ところが、「ハートワーク」ではまさに人間としての「真・善・美」や「良心・善意・連帯心」が重要になるため、民族間の違いは比較的小さくなってくる。ただ、「良心・善意」のあり方は、各民族性によって尺度の違いが大きいといわざるを得ないし、余りにも繊細すぎる表現や技巧的な手法は普遍性を失い、民族性や文化が異なる相手には通じない。

 

この点、「ヒューマンワーク」では、“人間らしさ”そのものが問われる。大きな困難に直面したときでも、逃げずに肉体と知力の限界まで気力をふりしぼって頑張る姿こそが、あらゆる垣根を越えて胸を打つのである。全人間性をかけて「血と汗と涙の結晶」を育くむべく「夢・愛・誠」を求める真摯でピュアな仕事ぶりが、様ざまな差異を超えて普遍的な価値観をもたらし、顧客獲得にもつながる。そして国際的企業の行動規範に必ず登場する“integrity(高潔・誠実)”もまた、多様な背景を持つ人々に共通に適用できる概念として、「ヒューマンワーク」の重要な要素となるであろう。

 

全ての違いを乗り越えて共有できる概念をいかに組織の中に定着させ得るかが、企業がグローバルに発展するためのカギであり、そのための大きなヒントが「ヒューマンワーク」なのである。

 

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ヒューマンワークの必要性

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2014年10月19日(日)東京都港区有栖川公園付近にて
金木犀(きんもくせい)を撮影
花言葉:「謙遜」「真実」

 

※「労働新聞」2010年1月25日 第2762号「髙井伸夫弁護士の<人事労務の散歩道>」より転載

 

ヒューマンワークの必要性

 

 

人の労働の価値基軸は、社会の進歩や変化とともに変わってきている。

 

労働の質的側面に着目すると、主に手足を使う肉体労働がメーンであった「フットワーク・ハンドワークの時代」から、頭脳労働・知的活動がメーンである「ヘッドワークの時代」へと変化してきている。さらに、主に心を用いることが重要な要素である「ハートワークの時代」へ変遷してきたことが分かる。

 

今は、社会のソフト化に伴い、頭脳労働による成果が大きな価値を生み出している時代からさらに一歩進み、「ハートワークの時代」へと移行しようとしているとみてよいだろう。

 

「ハートワークの時代」における社会では、「真・善・美」が求められ、「良心・善意・連帯心」を旨とする「心」を大切にすることに大きな価値が置かれている。

 

「良心」とは、自分の心に恥じない姿勢で生きること(コンプライアンス・内部統制等の視点)であり、「善意」とは、他人の心を慮って行動すること(顧客満足度の視点)であり、「連帯心」とは、豊かな想像力と良好なコミュニケーションによって互いに相手の立場を十分に理解し、信頼関係に基づく人間的つながりを基盤として何かを成し遂げようとする関係性を意味している。

 

そして近い将来には、「ハートワーク」よりもなお一層人間性如何が問われ、さらに上位に位置付けられる「ヒューマンワーク」という概念を意識しなければならない時代が到来するだろう。

 

私が提唱するこの「ヒューマンワーク」とは、マニュアル経営と対峙する概念であり、人間性の原点に立ち返り、心身を限界まで尽くして、人として有する全機能をフルに働かせる労働を意味している。人は、自分の限界ギリギリまで働くことで初めて自分の限界を知るものであるし、またそれが自己の長所・短所と真正面から向き合う契機ともなり、人間としての本当の成長にもつながる。いわば全人教育の成果として為し得るのが「ヒューマンワーク」なのである。

 

これは、労働の意義を考えるにあたっては、「手足(フットワーク)」「頭(ヘッドワーク)」「心(ハートワーク)」というような細分化した発想ではなく、労働はまさにそれらを統合したうえでの完全なる人間性の発揮の場であり、勝負を決するリングであると捉えるべき事象であるとして、私が命名した造語である。

 

別の表現をすれば、「ヒューマンワーク」とは、“人間らしさ”を基調とし、真剣味をもって「熱血・入魂・本気」を具体化する自己表現であり、全人格・全人間性をかけて全身全霊で「血と汗と涙の結晶」を育くむべく、無我夢中・一心不乱に人間の理想である「夢・愛・誠」を求め続ける働きである。これこそが、民族や国籍を超越した人類に普遍的な「ワーク」であると言えるだろう。

 

どんなに些細なことでも相手のことを考え、デジタルではないアナログな肉声が伝わるように一生懸命に尽くし、努力の「結晶」を見せることができれば、猜疑心や反発で頑なになった相手の心でさえも和らぐ。

 

また、クライアントに対しては、幸せを実感させることが大切になる。これが実は「ヒューマンワーク」の行き着くところであり、労働においてはクライアントが求めていることを提供し、単なる満足ではなく、大いに満足させることが重要になるのである。

 

 

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2014年10月8日(水)
東京都港区虎ノ門4丁目にてランタナを撮影
花言葉 「協力」「合意」

 

 

 

「人的資本の価値を高めるキャリア権」

 

 

日本の国力の劣化を社会資本という切り口からも私に意識させたのは、「このまま何もしなければ、東京オリンピック開催50周年の2014年は、同時に『日本の社会資本崩壊元年』になる恐れがある」(根本祐二氏)というコメントであった(『エコノミスト』2011年7月号)。

 

この記事を読み、人事・労務問題を専門とする弁護士として直感したのは、社会資本と並び国力を支えるもう一方の柱であるヒトの仕事の能力の問題であった。どれほど優秀な人材でも本気で勉強し続けなければ力が落ちるのは当然だが、能力の劣化は、建造物や道路等のよりも外見からはわかりにくい。

 

 

これより前、私は、諏訪康雄先生(現中央労働委員会会長)が大学院で教鞭を執られていた2007年7月に、先生が予てより提唱されていたキャリア権概念の存在を直接ご教授いただく光栄に浴し、この考え方を勉強して社会に広め立法化することをめざし、キャリア権研究会(座長・諏訪先生)を主宰した(2008年4月~2010年5月)。そして、研究会の成果は「報告書」にまとめ刊行した。

 

キャリア権概念とは、法的議論はおき、要は働く者が自らの能力を高め、個人も企業・組織も共に発展することにより、社会全体の力を高めようとする考え方である。自らの能力とキャリアの向上のために努力する個人へのバックアップを、国をあげて行う必要があるとするこの新しい概念は、当然に国力向上に資する。ただ、いくら高邁な理想でも社会に浸透しなければ意味がない。本研究会を契機にこの4月(注・2013年)にNPO法人キャリア権推進ネットワークが設立されたが、キャリア権を社会に普及するには、企業も含む万人が納得する大義名分が必要である。

 

この点、本や資料を乱読し模索していたところ、「日本が豊かさを維持するためには、いかに人的資本を増やすか、そのことにかかっている」という一文に、発想のヒントを得た(2012年12月28日付日経新聞夕刊「あすへの話題」青柳正規氏「国の豊かさ」)。日本は水以外の天然資源に恵まれないため、社会的に生み出した成果、いわば社会資源を富ます以外に豊かさは得られない。社会資源には、物的な社会インフラ等である社会資本と、教育や労働力等の人の価値の総和としての人的資本があるだろう。日本の人口は減少し続け、2100年には今の半分以下、5000万人足らずになるという予測もある。単純に考えても、人的資本の価値を倍増させなければ日本は今の豊かさを維持できないのだ。

 

人的資本の価値を高め、国としての豊かさを保つための重要な方途として、まさにキャリア権概念は位置づけられるべきなのである。こうした大きな思想の中でキャリア権を捉えてこそ、初めて、社会一般にも企業や政治家にも受け入れられる素地ができる。多くの人・組織・団体がこの考え方に関心を持ち、NPO法人の活動に参加してくださることを願っている。

 

◎ NPO法人キャリア権推進ネットワークwebsite http://www.career-ken.org/

 

※ 高井・岡芹法律事務所2013年4月25日発行事務所報「Management Law Letter」No.98より転載

 

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20130829.JPG

 2013年8月9日(金)17:09(現地時間16:09)
中国 北京市豊台区南四環中路235号
「世界花卉大鑑園」にて胡蝶蘭を撮影

 

 

 

ホタル狩りとは一昔前に流行っていましたが、現在都心では全く見られなくなった夏の風物詩です。 

去る6月15日、私が顧問弁護士を務めるポルシェクラブ六本木が主催するイベントで、ホタル狩りに参加しました。

 

場所は東京・豊島区目白の椿山荘。以前は九州から空輸し放った蛍を楽しんだのだそうですが、現在は庭園内で自然羽化した蛍だそうです。都心で自然羽化とは管理される方の御苦労が察せられます。

今年は、桜の開花が早かったため、開花状況が目安となる「ほたるの幼虫の上陸」も例年より一週間早かったそうです。
会場では、期間中の前半はゲンジボタル、後半はヘイケボタルを観賞できるので、同じホタルでも大きさや光り方などが違うことが分かるとのことです。また、庭園の滝の裏側にはほたるが好む水辺の環境があり、ビオトープ(生物空間)を設置するなど、お客様を喜ばせる工夫も随所にありました。

 

当日は曇り空、無風でしたから絶好のホタル狩り日和でした。

 

当イベントはポルシェクラブ六本木の理事会とクラブ懇親会を兼ねており、完全にオープンな形で開催され、興味を持ったクラブ会員及び関係者がいつでも出席できるようになっていました。

小生は沖縄から参加された医薬品メーカー社長・奥キヌ子様をお誘いし、同行いたしました。仕事で開宴時間には遅れたのですが、懇親会後半に挨拶もさせていただきました。
そこで私が述べたのは、ポルシェクラブ六本木の大黒柱・小松茂生さんのことです。小松さんの働きによっていかにこのクラブが旺盛な活躍を見せ、世界に誇る自動車クラブになっているのかということです。
当クラブが主催するモータースポーツ活動の質の高さは国内は勿論、海外のポルシェ開発の地“ニュルブルクリンク”においても定評があるそうです。

 

18時に開演し、皆様のご挨拶が続き、瞬く間に2時間を過ぎ、その頃が最も蛍が飛び交う時間だそうで園内の散策に出たのは21時過ぎでした。
私も、娘婿が連れてきてくれた孫とホタルを仲立ちに楽しいひとときを過ごすことができました。夜陰に妖しげに光るホタルを見て、たくさんの来場者とともに安らぎある一刻を過ごしました。

会も盛会の内に終了し、そぞろ歩きの自然解散となりました。大きな解放感・満足感とともに帰路についた、夏の前の一宵でした。

 

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