東日本大震災の最近のブログ記事

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(2011年6月4日(土) 朝9時46分 長野県飯山市 ある日本画家のご自宅兼アトリエで撮影)

 

【被災地の皆様からの生のお声】

 さて、この度の東日本大震災についての記事の執筆に当たっては、私自身、新聞や雑誌、テレビ番組などのマスコミ報道はもちろん、多くの書籍を購入し、情報の収集に努めましたが、ブログ内で引用したのは幸田露伴、船瀬俊介、E・F・シューマッハ―、M・ハイデガー、渋沢栄一、H・シュリーマン、寺田寅彦、山田真美等の書籍の一部です。様々な情報源の中でも一際参考になったのは、何と言っても、実際に被災された私の知人の皆様からの生のお声でした。

 

 ここに、被災地の皆様からのご意見を、いくつかピックアップし、ご紹介させて頂き、この度の東日本大震災・原発事故についての結びとさせて頂きます。紙幅の関係で、全部をご紹介出来ず申し訳ございませんが、震災ご対応等に追われご多忙の中にもかかわらず、アンケートにご協力くださいました皆様に、この場をお借りして、深く御礼申し上げます。

 

 

 

 

【4月20日付 財団法人竹田綜合病院 理事長 竹田 秀 様からの声】

 財団法人竹田綜合病院・・・福島県会津若松市にある綜合病院。「信頼されるヘルスケアサービスを提供し地域に貢献する」「職員が成長し喜びを感じられる組織風土を造る」「21世紀にふさわしい新しいヘルスケア組織づくり ⇒ 日本のリーディング組織へ」を経営理念とされ、「質の高い保健・医療・福祉の機能を提供し地域の方の健康に関する問題解決を支援する」ことを使命として医療活動をされています。ホームページはこちら

 

ⅰ 今一番困っていること

 

 今一番困っていることは、原発問題の先行き不透明感です。先般、東電から工程表が開示されましたが具体性に欠けており、地元福島県及び隣県の住民がいつ地元に戻れるか、どれだけの負担が発生するかが明らかになっていません。東電が民間企業である以上、今回の事故に対する補償額が到底まかなえるものでないことは想像できますが、国有化をせず私的整理での処理・再出発は困難であると考えます。経営と運営を一時的にでも国有化し、これまでの体質を正していくことが重要であると考えます。

 

 津波による被害に加え、原発に関する補償問題まで国が税金を投入していくとなると、財政面の逼迫は避けられず、国民負担の増加により経済の更なる疲弊が懸念されます。復興対策と並行して、経済への梃入れも必要と考えます。

 

 

ⅱ 「マスコミに取り上げてほしい事柄」について

 

 新聞・テレビともに中央の各キー局が中心となって報道を構成しているため、本当に必要な地方の情報が「正確に」「早く」伝わっていません。こんな時であるからこそ、地方の新聞紙・テレビ局が地元の情報を地元の視聴者に「正確に」・「早く」伝える必要があると考えます。そこには思想的考えやスポンサー企業への配慮は不要です。

 

 また、NHKなどの影響力のあるメディアは、専門分野のコメンテーターを毎回変えることなく、首尾一貫した放送姿勢を取る必要があると考えます。

 

 今回の原発問題については、あまりにも恣意的な報道操作がなされており、且つ、情報量の格差が年代・地域によって大きくなっていることが問題であると考えます。

 

 

 

【4月29日付 株式会社ディアー 代表取締役 栗原利行 様からの声】

株式会社ディアー・・・福島県南相馬市鹿島区にある有名デザイナーブランド作りの工場。国際的夢企業、ファッションエンジニア集団。(代表取締役の栗原利行様は、地方の企業家として、福島大学経済学部の非常勤講師を務められる等、特に若者を中心とした各方面への講演活動をも行われています。) 

 

 当社は、原発事故地より32km地点に存在する南相馬市鹿島区にあり、海岸より4kmの場所にあります。3月11日の東日本大震災では、半分の2Km地点まで大津波で大被害を受けました。社員の3名の自宅が津波で流されました。残念なことに、自宅が心配で戻った社員の1人はタイミング悪く、津波にのまれて亡くなってしまいました。大小被災した社員、原発放射能危険等のため遠方に避難する必要があり通勤出来ない社員もおり、少数精鋭16名中5名が不在という状況では正常な生産活動はできません。出勤出来た11名で何とかやりくりして途中商品を完成させて無事納品をしました。

 

 その後の生産予定商品は手を付けず、お取引先に相談し返却したり、他の工場へ転送し、生産依頼された工場として最低限責任ある行動はとりましたが、万事休すといった状況でした。

 

 南相馬市であっても原発近くは避難地区でまったく無人地帯となっています。その地区での同業者と連絡を取りましたが、悲惨そのものでした。何一つ計画を立てられず、皆裸一貫ゼロから事業を起こしたパワフルな猛者なので、何らかの方法で立ちあがってくれるものと信じています。

 

 大変残念な事でありますが、当社全社員を解雇とせざるを得ませんでした。しかしながら、創業時より経営状態を公開してきたので、全員に理解して頂きました。妻、知人、若干名の力を借りて、物創造会社としての灯は消さずに続けています。

 

 今回の東日本大震災で有名になった南相馬市ですが、住民みんな元気です。国内外あらゆる地からの励ましのメッセージが一番の活力源です。ありがとうございます。

 

 

 

 

【5月3日付 学校法人朴沢学園 理事長 朴澤泰治 様からの声】

学校法人朴沢学園・・・宮城県仙台市青葉区にある明成高等学校、宮城県柴田郡柴田町にある仙台大学を運営。(高校、大学ともに建学の精神は「実学」と「創意工夫」であり、大学では「スポーツ・フォア・オール」=スポーツは健康な人のためだけでなく、すべての人にという志を教育理念として、人材育成にあたっていらっしゃいます。)ホームページはこちら

 

ⅰ 一番困っていること

 

 今一番困っていることは、福島原発について今後がはっきりしていないことです。大学部門は、毎年30数都道府県から学生が入学しておりますが、今回震災で、80kmの距離にあるにも拘らず、既に沖縄出身の在学生1名が地元の私立大学に転籍してしまいました。

 

 国には、東電の今後約9ヶ月の対応内容について公認しているのであれば、このような動向を断ち切るために、教育環境に関する風評被害防止のため、安全の保証に積極的に動いて頂きたいと考えます。

 

ⅱ 「マスコミに取り上げてほしい事柄」について

 

 マスコミ関係は映像・活字とも経営が厳しいようで、視聴者・読者、広告主迎合型の報道になりがちです。補正予算の内容、原発事故対応内容など、もう少し客観的に掘り下げて報道することが求められていると考えております。

 

 

 

【最後に】

 私はこの度の東日本大震災・福島第一原発事故を経験し、何か私にできることがないかと考えました。私は現在、表舞台から退き、執筆活動や後進の指導にあたっております。今の私にすぐできるのは「文章」を書いて発表すること、次の人に情報を伝えること、被災地の皆様の生のお声をお聴かせ頂きご紹介すること、と考えブログのテーマにして投稿して参りました。

 

 3月29日に行われたJリーグの「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」において、鹿島アントラーズの小笠原満男選手が、「思いやりの精神をもった我々日本人なら必ず復興できると信じています。皆さんでがんばりましょう。」とおっしゃっていました。当ブログの読者の皆様も、私の呼びかけもふまえて、それぞれ出来る範囲でご活動されることを願っております。そして何より被災地の一刻も早い復興を心より祈念致します。

 

以上

 

 

追記:4月1日(金)より、「地震・原発事故」をテーマとしたブログを投稿して参りましたが、今6月10日(金)更新分記事をもちまして一旦終了致しました。次回以降は「気」をテーマとしたブログを少しずつ書いて参ります。

高井・岡芹法律事務所
会長弁護士 高井伸夫

 

 

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20110603(2).JPG20110603(1).JPG(2011年5月27日 午後1時13分 北海道苫小牧市 ノーザンホースパークにて撮影)
                                             ノーザンホースパークホームページはこちら

 

 

 

 さて、4月1日より、今まで計14回、この度の東日本大震災について記事を投稿して参りましたが、今回より2回にわたって、ブログへのご質問に対するご意見・回答及び被災地の皆様からの生の声をご紹介し、ひとまず地震・原発事故に関する記事の結びとさせて頂きます。

 

【ブログ記事本文ご質問への回答】

 まず、今回は4月8日付記事「東電国有化についての所感と方針~やはり民営企業で」のコメント欄に寄せられた、森山雪子様からのご質問に回答させていただきます。

 

<森山様からのご質問>

高濃度の放射性物質混じりの水を、海に放出したことでロンドン条約に触れて、今後、多くの賠償金を求められるだろうといくつかのメディアで聞いたり見たりしました。

もしも、海外から訴えられた場合、「国外に対する保証」は、新東電が受け持つのでしょうか?それとも、国がやってゆくものですか?3兆〜30兆の試算の中に、この保証は含まれているのでしょうか?

 

 私の4月8日付記事では、もっぱら今後の東電のあり方という国内的な問題にしぼって意見を述べましたため、森山様からのご質問の点には触れておりませんでした。この点については、概略以下のとおりご回答申し上げます。

 

 報道等では、確かにロンドン条約の名前が取りざたされておりますが、これは国同士の取り決めであって直接東電の責任を定めるものではない上、この条約を見ると、「投棄」については、船舶等から廃棄物を海洋へ処分することと定義されておりますので、今回のような陸上にある原発からの汚染水の放出がこれに当たるかどうかは問題もあるかと思います。

 

 森山様のご質問のご趣旨としましては、東電という私人の不祥事に国が責任を負う場合があるのかという違和感にあるのではないかと思料致しますが、条約は、法律とは異なり国家間を規律する法規範であり、条約違反に基づく賠償責任ということになれば、それは国家間の問題であり、私人の行為について、原則的には国がその責任を負うことはありません。しかし、国が指示をした場合や、国が私人の行為に関連した自らの国際義務に違反したような場合には、国が金銭賠償等を含む責任を負わなければならないこともありましょう。

 

 なお、補償額につきましては、巷で3兆円ないし30兆円と言われているにすぎず、その内訳については試算を行う人によって異なると思われます。これについては、本ブログ記事内でも申し上げましたとおり、誰も未だ正確な数字は分かっていないということでご理解頂ければと存じます。

  

 

【ブログに関するご意見・ご質問】

 私が4月1日よりブログを始めてから、知人ら等ブログ読者の皆様から様々なご意見・ご質問を頂いておりますが、ここでお寄せ頂いたご意見・ご質問につき2~3をピックアップし、ご紹介したいと思います。

 

  1. 「ブログの写真はどなたが撮られているのですか?」というご質問をよく受けますが、写真は、私が散歩先や訪問先等で目にとまった風景や花々等を自分でカメラを構えて撮影しています。ちなみに私が写っている写真は、ドライバー等々同行者が撮影しています。




  2. 5月13日付記事「福島第一原発事故~所感統括」に書いた、【福島県元知事佐藤栄佐久に対する有罪の判決「収賄被告事件、収賄、競売入札妨害被告事件」】の「最高裁判所は上告を受理しなかったと伝えられています」という記述についてですが、「最高裁に受理され、係属中」とのご指摘を頂きました。記載に誤りがございましたことを、お詫びして訂正致します。なお、「その判決の行方はどうですか?」というご質問も受けますが、私は次のようにお答えしています。


    東京高等裁判所平成21年10月14日判決(事件番号 平成20年(う)第2284号)は、要するに「無罪であるけれども有罪である」という大変不思議な、言ってみれば検察庁あるいは国に阿った(おもねった)判決になっています。このことは、誠に遺憾でございます。そして最高裁では、「有罪であるけれども無罪である」という庶民を納得させられない論理で無罪とする可能性があります。要するに佐藤栄佐久氏は国策への反逆者・謀反人としての所為に及んだとして起訴されましたが、このことをネグレクトした上、有罪に値する証拠が十分ないとして推定無罪という形で判決を出すことを私は予測しています。

    また、「無罪判決が確定した場合に、佐藤栄佐久氏は刑事補償請求をするでしょうか?」というご質問も受けました。刑事補償請求訴訟を提起するかどうかは、本人及び弁護団の意向次第ですが、私は佐藤栄佐久氏が、無実の罪で監獄に送られ復讐に生きたモンテ・クリスト伯爵のようには、検察官にも裁判官にも復讐の念を起さず、正々堂々と、再び福島県知事選挙に立候補すべきではないかと考えています。もちろん、立候補の結果、落選ということもありうるでしょうが、命ある限り、自分の信念を貫くためにはそのことが必要ではないかと存じます。もちろん、あの世では認めていただけるでしょう。(ちなみに現在の福島県知事佐藤雄平氏は、民主党の大立者である渡部恒三議員の甥と伝えられていますが、佐藤雄平氏が立候補するかどうかも見物です。)

    なお、この事件を担当して有罪判決を出した裁判官は、佐藤栄佐久氏に対し、深甚なる謝罪をするべきだと思います。そして、裁判官は、福島県民に対しても、遺憾な点があったと明確に表明すべきでしょう。また、検察官については、最高検察庁検事総長が、佐藤栄佐久氏に対し、深甚な謝罪をするべきでしょうし、さらに福島県民に対して、反省の態度を明確に示すべきでしょう。過去の例としては、足利事件の再審(事件番号平成14年(た)第4号)で、宇都宮地方裁判所が2010年3月26日に無罪判決を言い渡した際、裁判長および二人の陪席裁判官が謝罪しております。裁判官も人の子ですから、このような人倫に基づいた態度を鮮明にすべきでしょう。





  3. 小生がメンタルヘルスに関する著書等を発表しているため、「この度の震災・原発事故につき、メンタルヘルスについてもブログで書かれますか?」というご質問もよく頂きます。メンタルヘルスについては、あまりにも難しい問題なのでブログで取り上げ兼ねますが、最近私は、山田真美著『死との対話』(2004年11月30日株式会社スパイス発行)を読み、感銘を受けました。山田真美氏ホームページはこちら



    山田氏は、『死との対話』の「16 世界で最も自殺しやすい男と女」の章で、「思うに、人間というものは概して『安定志向』の強い生き物ではないだろうか。」(p159)「急激な変化。この先の生活がどうなるかわからない、先行きの見えない毎日。そうした不安にさらされ続けた人々が経験するであろうストレスの大きさは、想像に余りある。」「こうした状況が長く続けば、肉体的にも精神的にも相当なストレスを強いられることだろう。」(p157)と述べられています。



    私は次のように思います。人間は向上心があると共にそれが故に不安定になりがちですから、安定性を求める動物でもあります。だからこそ人間は生き残り、万物の霊長という地位を得るに到ったのです。それにも拘わらず、今回の震災・原発事故を通じて多くの方々が配偶者や子供、両親、祖父母等の親族を亡くすという痛恨の極みの不祥事に遭遇し、また、人生の努力の結晶ともいえる家を失ってしまうという異常で悲劇的な事態に遭遇し、不安定極まりない喪失感に満ちた心境に至っています。気が張っているうちはよいのですが、気が抜けた瞬間に心身の顕著な疲労が顕在化し、精神障害者が様々な所で発症するだけでなく、自殺者が多発するのではないかと私は心配しています。精神科医、心療科医、カウンセラー等がこれにどう手助けをするかが大切な課題であると考えます。



    各種報道では、被災地で救助等を行っている自衛隊員のメンタルヘルスが非常に大切であると報じていますが、私は、実は、被災者自身のメンタルヘルスこそが大切な課題であるということを声を大にして言いたいと思います。



    私は現地に行って取材するだけのルートや時間がございませんので、生の声を聞いておらず、事実をふまえた十分な論述をし得ないので、問題点のみを指摘するにとどめます。

 高井・岡芹法律事務所
会長弁護士 高井伸夫

(次回に続く)

 

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(2011年5月23日 朝07:02 東京都渋谷区 代々木公園にて撮影)

 さて、前回5月25日第13回の記事では、被災地の復興についての方針、そして日本全体の復興についての方針を述べましたが、今回は、それらの復興の方針を行うために、日本人は、「心の立て直し」をすることが必要である、ということを改めて述べたいと思います。

 

【復興に向けて「心の立て直し」を】

  今、被災地の方々や、復興に向けて努力されている方々の、最悪の事態に立ち向かい、連帯しているお姿を拝見すると、感銘を受けるばかりです。彼らには、自制心と連帯、互助の精神で毅然と行動できる「日本人の心」が存在しています。(「日本人の心」については、5月18日付第11回記事もご覧ください)

 

 米国・中国も含め、各国の海外メディアでも、被害の事実報道やお見舞いの言葉に留まらず、被災地の方々の人間としての真摯さと、秩序だった社会を称賛し、復興努力を期待・激励する論調が相次いでいます。

 

 また、4月24日付のJ-CASTニュースは、「『私は、略奪や買い占めに走らなかった日本の人たちをとても誇りに感じることができました。日本で今起きていること、日本の人々がとった行動や勇敢な行為について報道で知り、私は同じ人間として強く共感しました。』(「マイケル・サンデル 究極の選択 大震災特別講義 私たちはどう生きるか」NHK総合2011年4月16日21時〜)」という、米国・ボストンの女子大生の言葉を紹介しています。

 

 私は、特に東北地方の方々には、今の東京の若者にはない、「日本人の心」という精神的な強さや豊かさがあるように感じます。「東北が(震災に)選ばれてしまった」という言い方が正しいかどうかは分かりませんが、仮に震災が東京に直撃していたら、世界中にパニック映像が流れ、海外の人々が日本から今以上にどんどん去り、日本は終わりだったかもしれません。

 

 今こそ、かつての精神的先進国であった日本が、身を持って世界に正しい生き方を示し、リードしていくべきです。ですから、軽視してきた日本人の心を、今、改めて見直し、より一層の徹底をはかるという「心の建て直し」こそ肝心・肝要なことだと思います。

 

 

 

【「不朽・不屈の精神」を胸に、「貧しくとも美しく生きる」】

 

 3月19日付の日経新聞夕刊(第4面)は、ソニーのハワード・ストリンガー会長が、3月18日付の米紙ウォールストリートジャーナルに「日本人には不屈の精神がある。難局を必ず乗り越える」と寄稿されたと報じています。

 

 私たち日本人は、この度の震災後の現実を受け入れ、勇気を持って逆境に耐えることのできる精神的強さ、すなわち、「不朽・不屈の精神」を胸に、「貧しくとも美しく生きる」という日本人の本来持っている姿、すなわち「日本人の心」の真骨頂を発揮すべきだと思います。この苦しみから、人々が協力し合い、英知を出し合い、次世代へのステップの足がかりとするのです。

 

 

 

【寺田寅彦の「日本人の自然観」】

 

 さて、寺田寅彦氏(1878年~1935年)は、科学者でありながらも、文学など自然科学以外の事柄にも造詣が深く、科学と文学を調和させた随筆を多く残した方です。最近の若い方は、寺田寅彦のお名前もご存じないかもしれませんが、私は、学生時代に寺田氏の随筆をよく読んだ記憶があります。

 

 「寺田寅彦随筆集 第五巻」(1948年11月20日発行)の中に、「日本人の自然観」という随筆がありますが、そこで寺田氏は下記の通り述べています。

 

 「こうして発達した西欧科学の成果を、何の骨折りもなくそっくり継承した日本人が、もしも日本の自然の特異性(注・寺田氏は、日本の自然の特異性について、日本は地質地形が複雑で、地震ならびに火山の地殻活動の現象は、日本の複雑な景観の美を作り上げる原動力となった、と述べています)を深く認識し自覚した上でこの利器を適当に利用することを学び、そうしてただでさえ豊富な天恵をいっそう有利に享有すると同時にわが邦に特異な天変地異の災禍を軽減し回避するように努力すれば、おそらく世界中で我邦ほど都合よくできている国は稀であろうとおもわれるのである。しかるに現代の日本ではただ天恵の享楽にのみ夢中になって天災の回避の方を全然忘れているように見えるのはまことに惜しむべきことと思われる。」

 

 日本が近代科学技術を導入して、富国強兵・殖産興業のもとで国つくりをしてまだ143年しかたっていません。科学技術は、人間の生活を豊かにする道具として間違いなく有益なものでありますが、この有益性ばかりに夢中になって、天災の回避を怠っていると、寺田氏は述べているのです。

 

 こういった人間の驕りを最小にするためには、教育にあることは火を見るより明らかでしょう。この度の原発を巡る諸問題も、この点に集約されると思います。

 

 ですから、若者はもちろんおよそ日本人は、寺田寅彦の著書をはじめ、古典(古い書物)を読む、ということをしなければなりません。最近の傾向である、安直なノウハウ本とか、ハウツー本だけしか読まないのではいけません。それでは日本人は廃れ、日本は危ぶまれてしまうことは言うまでもないからです。

高井・岡芹法律事務所
会長弁護士 高井 伸夫

(次回に続く)

 

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震災復興院の掲げるべき方針

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(2011年5月23日 朝6:59 東京都渋谷区 代々木公園にて撮影)

 

 

 

 前回の記事で、原子力発電に代わる新発電方式を提案いたしましたが、今回は、被災地の復興についての方針、そして日本全体の復興についての方針の二つを述べます。

 

(1) 被災地の雇用復興

 

 地域活性のための手続きとして、従来法規制等の関係で事業化が不可能な事業を、特別に行うことを可能にする規制緩和の手段「経済特区(構造改革特別区域)」という制度があります。

 

 この度の地震の被災地である東北地方に、労働条件を規制する労働基準法等の規定が緩和適用される、労働契約の特区、いわば「労働特区」の指定をするべきだと私は考えています。

 

 今は、単に被災地だけでなく、日本各地で中小企業が破産状態になっています。たとえば、石川県能登半島の輪島漆器製造業は、3月11日以前から、給与の支払いが遅れ、従業員が販売した物品の債権を取り立てた場合、その回収した債権のほとんどを自分の賃金に充当するという方式が採用されつつあります。例えば、40歳の営業担当の女性は、名目賃金が14万円前後で、手取りが10万円前後だったそうです。

 

 東北地方の多くの地域では、一次産業の比重が高いですが、この一次産業は被災前から長期にわたって低落状態にあり、後継者の育成・確保も大変厳しい状態になっています。東北地方の産業の低落傾向については、日本全体の少子化の中では、これはやむをえないものとして受け取り、また、この度の東日本大震災でも、この低落傾向は一層加速するでしょう。このことを思えばこそ、まさに、今、新産業を興す必要があります。そして、高齢者が多い東北地方では、「技能・技術産業」を起こすべきでしょう。この技能・技術産業には、一番説得力のある「防災産業」を戦略産業として育成し、自動車に次ぐ輸出商品の一つとしていくことが復興への一つの証になると思われます。防災産業だけに限らず、東北地方を中心とした文字通り「新産業」を起こし、県ごとのタイムリミットと数値目標を掲げて、雇用の場の創造を具体的に図っていくことが必要だと思います。なぜなら、雇用は地域の活力を推測する目安となるバロメーターであるからです。

 

 また、世界随一の防災産業だけでなく、意識して、他の産業にも力を入れ、産業育成を図らなければならないと思います。なぜなら、日本は貧しい国になってしまって、あらゆる分野に注力することができないからです。例えば、日本の国民所得は、1997年には303万1千円でしたが、2009年には約266万円となり、この12年間で、1997年のほぼ1・5カ月分の所得に匹敵する37万1千円も減少して、8分の7になりました(内閣府国民経済計算確報)。また、一世帯当たりの平均所得をみてみると、1994年には664万2千円でしたが、2008年には547万5千円となり、この14年間で、なんと116万7千円も減少して、6分の5に目減りしてしまったのです(厚生労働省国民生活基礎調査)。

 

 

(2)日本全体を視野においた『震災復興院』の掲げるべき方針

 この度の地震により、被災地周辺地域である、日本経済をけん引していた首都圏(東京や埼玉、千葉、神奈川)でも、そして日本全体でも、今後、雇用問題が大きな社会問題となることを私は予想しています。

 

 この雇用問題を具体的に解決するには、リストラという方式ではなくて、賃金ダウンをより強く容認する労使協定の普及と、裁判所の後押しが必要となるでしょう。また、雇用量の増加を促すため、採用人数に応じた企業への減税の実施なども有効であると考えています。

 

 さて、日本全体の復興計画なるものの策定にあたって私への様々な助言を参酌して、私が提案するのは、「平成の震災復興院」です。

 

 「平成の震災復興院」とは、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災の際、第2次山本内閣の内務大臣に就任した後藤新平が設立した「帝都復興院」を準(なぞら)えたものです。

 

 私は、この度の東日本大震災のための「平成の震災復興院」は以下の方針を掲げるべきであると考えます。

 

  1. 震災復興院の総裁には小泉純一郎氏を政府は三顧の礼を持って迎え、小泉氏はすべての機関や事業を一本化し、スピード決済・スピード実行を旨とする。

  2. 先に述べた通り、いわば、想定外を想定した世界唯一の「防災科学国家」を目指し、防災産業を今後の主要輸出産業に育てる。 
    また、このたびの震災で日本は国難に直面することになりましたが、次なる国難に備えることが肝要でしょう。それは、日本の領土保全を図り、万全を期するということです。それには防衛産業への注力が必要となるということでしょう。日本全体で防衛産業に従事する企業は多くあると思いますが、これらに対する温かい目をもって接しなければならないということです。この度の震災によって自衛隊が歓迎されるだけでなく、その活動ぶりに地域住民が拍手を送っている実情からして、防衛産業への注力は国民的支持を受けるでしょう。その他、色々な新産業あるいは既存の産業で注力すべき産業を明示する必要がありますが、私はいささか産業論には縁遠い立場の者ですから、勉強して今後述べることがあるかもしれません。
    復興事業の資材調達、アイデア、委託先選定にあたっては支援をしてくれた国すべてに窓を開く。例えば、皆さんが複雑な思いを抱かれている北朝鮮にも窓を開く、という意味です。

  3. 復興投資=教育投資(米百俵の教えと同様)と心得るべし。
    【「米百俵の教え」とは】
    小林虎三郎(1828年8月18日生、長岡藩・現在の新潟県生まれ、長州の吉田寅次郎(松陰)とともに「佐久間象山門下の二虎」と称せられた人物)を描いた故山本有三氏が戯曲として書き下ろした「米百俵」内で、虎三郎が「早く、米を分けろ」といきり立つ藩士たちに向かって「この米を、一日か二日で食いつぶしてあとに何が残るのだ。国がおこるのも、ほろびるのも、まちが栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある。……この百俵の米をもとにして、学校をたてたいのだ。この百俵は、今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵になるか、はかりしれないものがある。いや、米だわらなどでは、見つもれない尊いものになるのだ。その日ぐらしでは、長岡は立ちあがれないぞ。あたらしい日本はうまれないぞ。……」と語るエピソードのことです。(新潟県長岡市のホームページよりhttp://www.city.nagaoka.niigata.jp/kurashi/bunka/komehyaku/kome100.html

  4. 共同体思想を掘り起こし、更に育成する。
    日本の復興、再生への長い道のりは、社会の中に、共同体思想(すなわち、社会奉仕的かつ社会貢献的な共同体を構成する思想)、共助・互助・相互扶助の精神をどう浸透させられるかにかかっています。このような極限的な状態だからこそ、人は自分のためには頑張れないものですが、他人のためなら力を発揮できるから、共同体思想を掘り起こし、普及し、強化する必要があるのです。それには、多彩なそして多岐にわたるコミュニティー作りが必要でしょう。

  5. 実務的には資金調達が最も要かつ困難であるでしょう。
    EX:
    ・皇室、経団連等の大企業、高額所得者の寄付の促進税制を拡充整備する。
    ・復興外債の発行
    ・高額所得者や法人に復興外債(国債はだめです。国債は早晩破綻するとすでに予測されているから)の購入の義務付け
    ・国民一律10%賃金ダウンの甘受
     なお、東電の関係者は、三分の一の従業員のリストラを行った上で、年間4割の賃金ダウンを行うこと。
    ・公務員にも20%を目標に大いにリストラを図り、かつ、一律に20%の賃金ダウンを行う。例外は許さない。かつて、昭和初期に、裁判官・検察官が、気が狂ったように興奮して大反対をしたような愚は、絶対にしてはならない。

  6. 復興終了年限を明示し、そのときの国家の青写真を国民に提示する。
    その青写真は、国民が高揚感を持てるようにし、かつ実効性のあるものでなければならない。
    そして、復興終了年限は、最大限10年、できたら5年以内を明示すること。
    復興は、一気にできるものではありません。一歩一歩、着実に前へと進めることが大切です。当然、そこには障害があるでしょうが、障害を乗り越えたときこそ、更に前進することができます。障害があるからといって、それにへこたれてはいけません。復興終了年限まで、歩み続けることが大切です。

 

 

【哲学的思索の拡充を】

 被災地の雇用復興、日本全体を視野に入れた復興の方針を述べてまいりましたが、これらを実行し、日本回復を図る・再興をするためには、哲学という学問領域を拡充させなければならないと思います。老子の教えである「足るを知る」といった東洋哲学の真髄を究めるなど、哲学的思索の拡充が、教育の場ではもちろん、日本人全体でこれを見直し、再度勉強する必要があるでしょう。また、哲学だけではなくて、政教分離とはいえども、宗教学をあらためて見直し、道徳等の日本人の原点に戻って再構築を図るべきでしょう。もちろん、神・仏などを勉強することは言うまでもありません。さらに文化の進展を大いに図らなければなりません。すなわち、文化政策等を充実させていくことが必要でしょうし、そのバックアップとして観光行政も一層充実させなければなりません。観光の語源は中国の古典『易経』とも言われていますが、その『易経』に「観国之光 利用賓于王(国の光を観る 用て王に賓たるに利し)」とあるとおり、「観光」とは国の「光」を観ることですから、それぞれの地域の「光」るところをさらに磨き上げることが必要です。

 高井・岡芹法律事務所
会長弁護士 高井伸夫

(次回に続く)

 

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(2011年5月19日 朝6:55 東京都千代田区 日比谷公園にて撮影)

 

 

 前回、エネルギー資源問題を解決するべきだと述べましたが、それとの関わりで、今回の記事では、私の具体的な提案を述べていきたいと思います。

 

 

【原子力発電に対する国民意識の今後】

 

 原子力発電に対して、国民は、今後どのような態度をとるのでしょうか。

 

 原子力発電はこれまで、その事故リスクを金銭補償することで推進されてきました。

 

 しかし、国民意識は、次第に「良心」に目覚め、「絶対安全」という触れ込みに惑わされ、金で買収されてきたと認識するでしょう。そもそも、政府ならびに核発電関係者が、常に絶対安全を目指すとかと言明して来ましたが、この発想こそ科学技術万能という考え方で、あえていえば、中世の宗教万能時代の対極にあるものです。人間の発展には科学技術が不可欠でありますが、一方この科学技術にはリスクが付随するのは明白です。人間の課題は、このリスクのマネージメントではないでしょうか。東京電力というマネージメント能力(マネージメント能力についてはドラッカーが詳しく述べていますが)皆無の企業にこの核電力開発を任せていたことは、政府のみならず国民の問題であると考えます。そして、このようなことの認識が広まれば、かかる現状を打破しなければならないという方向に向かっていくでしょう。

 

 原子力発電は、最も安価な発電方法です(絶対安全を旨としていた計算の下ではそうでありましたが、実は絶対安全でないことが暴露されてしまった今日においては、むしろ高い発電方法に転換する可能性があります。)が、これを放棄し、他の発電形態に置きかえるとなれば、当面は経済的効率をないがしろにすることになるとして、国民の一部から強い批判・反対を受けるでしょう。しかし、結局は、経済的効率を第一義とする日本社会の価値観が、「良心」に目覚めて変転し、原子力発電所は設置してはならないという国民的意識が形成されるのではないかと判断します。ちなみに「良心」とは、道徳的に正邪・善悪を判断する意識であって、真・善・美を求め、夢・愛・誠を実践することであります。

 

 そして、様々な困難に直面しながらも、結局は日本全体で原子力発電の廃炉という事態に陥るでしょう。

 

 浜岡原子力発電所運転差止請求控訴事件(東京高等裁判所平成19年(ネ)第5721号)等、そして、将来取り上げるべき課題として直面する最高裁判所の判決が待たれるところです。

 

 

 

【泊原発を廃炉にして、北海道を観光立地に】

 

 さて、沖縄電力株式会社は原子力発電を持たない運営をしてきていますが、次は北海道がその対象に選ばれるでしょう。北海道には泊原子力発電所が一ヶ所ありますが、この廃炉が現実的課題として登場するでしょう。勿論、他の地域の原子力発電所も風前の灯火となりますが、それでも、延々と発電事業を続けようと、各電力会社は努力するでしょうが、これらは国民的理解・納得を早晩失うことになるということは、先に述べた通りです。

 

 たとえば、原子力発電をやめて、別の発電方式をとると、電力価格があがると言われていますが、事実たぶんそうでしょう。そして、その結果、産業が衰退し、地域が疲弊するとも言われています。

 

 しかし、北海道は、別の活路の方法があるのではないかと思います。北海道を、観光立地として世界に訴え、集客をすれば、今以上に活性化する地域となる余地があると思われるからです。

 

 たとえば、沖縄は観光地として有名ですが、実際は海南島に行った方がいいとか、台湾に行った方がいいとかいう声が次第に強くなってきており、沖縄の地盤沈下が進んでいます。

 

 その中で、北海道は、冷涼な気候、雪、スキー場などレジャーの充実、自然の豊かさということから、有利な地位を占めつつあります。つまり、泊原子力発電所を廃炉にすることによって、諸外国の国民が抱いている危険意識が極めて薄らいで、一層観光地として賑わうことになるのではないでしょうか。まさに、観光立国日本が北海道で開花する時が来たと思えてなりません。

 

 これまで、北海道を観光立地にしようという提案はすでに何度もなされてきましたが、その具体策として一番大事なことは、誘致策第一ではなくて、北海道の若人が世界各国に出向くことにあります。中学生、高校生、大学生が折に触れて、外国に行く、旅行する、留学するという「草の根・観光大使」システムを、北海道の教育界は、率先して実践しなければなりません。また、社会人も折に触れて、海外に行くシステムを構築する施策が必要となりましょう。それは、北海道庁と北海道内にある企業がこぞって行えば、決して難しいことではありません。これらが、北海道を観光地として売り出す最善策であるということに気づかなければなりません。北海道道民の海外への渡航者数が日本の他の各地域に比べて2倍以上の高い記録を作ることを目標にし、これが実は北海道が観光地になる基盤であるとして、具体的・計画的・数量的に実践することが必要でしょう。

 

 この精神的なバックボーンは二宮尊徳が述べたという、「経済を忘れた道徳は罪悪であり、道徳を忘れた経済は戯言である」という教え・格言を、より今日的に述べれば「良心を忘れた経済は罪悪であり、経済を忘れた良心は戯言である」ということになりますが、この哲理を踏まえて、北海道を運営すべきでしょう。

 

 日本政府の熱烈な要請を受けて、1876年(明治9年)7月に、北海道大学の前身である札幌農学校の教頭に就任したウィリアム・スミス・クラーク博士(1826年~1886年)は、かの有名な「ボーイズ・ビー・アンビシャス=青年よ大志を抱け、ボーイズ・ビー・ジェントルマン=青年よ紳士たれ」等の言葉を遺しましたが、まさに北海道道民は大いに大志を抱いて、原子力発電の設備のない地域を確立することが、結局は北海道道民の幸福と発展につながるという真摯な確信をもつべきでしょう。

 

 

【原子力発電に代わる新発電方法の提案】

 

 上述したように、日本全体で原子力発電所を廃炉していくとなると、原子力発電に代わる新発電方法が大いに研究されなければなりません。そして、研究されるでしょう。

 

 私は、無限の資源であるともいえる水自体を発電の資源とした新しい発電方法、つまり、量子力学の知識と技術と知恵をもって、水を水素と酸素に分解し、それを燃焼させて水に還元する、その過程で生まれるエネルギーをもって発電する時代が近く来るのではないかと予知しています。そして、最近このような水が存在することを知りました。

 

 この水は、亜臨界の状態(水は、通常は温度によって氷→水→水蒸気と状態を変化していきますが、水が水蒸気に変わる臨界点の直前まで水に圧力を加えることで、水でも水蒸気でもない、両方の特徴を持つ状態に近づいた状態)にある水で、約500℃の環境下で、ミスト状態で分解し燃焼する水です。(普通の水は、常圧で約4000℃近い温度環境でないと分解しないと言われてきています。)

 

 また、この亜臨界状態の水を電気分解すると、普通水の10%ないし15%の電力で水素・酸素に分解するそうです。燃焼温度を比較すると、この水は、普通水に比すると約8分の1の温度で燃焼し、電気分解も約8分の1の電力で水が分解されます。すなわち、燃焼と電気分解のどちらの場合でも、普通水に比べて約8分の1のエネルギーで、水が水素と酸素に分解できるのです。

 

 量子力学をマスターした研究者3人以上が集う企業の研究所(国の研究所はなにしろ遅くてだめです。そしてコスト高になり、成果が上がらないから一層だめです。)があれば、私は、その企業と研究チームに技術の発明者・開発者を紹介する用意があります。その意向があれば、私に連絡して下さい。

 高井・岡芹法律事務所
会長弁護士 高井伸夫

以上

 

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20110518 北京.JPG
 (2011年5月12日 午後12:54 中国北京市 在中国日本国大使館にて撮影)
                            在中国日本国大使館案内

 

20110518 上海.JPG(2011年5月13日 午後12:18 中国上海市 在上海日本国総領事館にて撮影 
在上海日本国総領事・泉裕泰様と )  在上海日本国総領事館ご案内

 

 

【渋沢栄一の天譴論】

 

 1923年9月1日に発生したマグニチュード7.9の関東大震災は、東京、横浜を中心とする関東地方の広範囲に甚大な被害をもたらしました。死者行方不明者は10万5千余人と言われています(「理科年表」及び気象庁発表数値)。

 

 この関東大震災時の救済事業、復興事業史などに度々登場する、渋沢栄一という、幕末から昭和初期に活躍した実業家をご存じの方も多いかと思います。

 

 渋沢氏は、第一国立銀行(今の「みずほ銀行」の基礎の一つです)や東京証券取引所や東京ガスなどといった多種多様な約500もの企業・事業の設立・経営に関わり、日本資本主義の父ともいわれている方です。

 

 関東大震災の際に、渋沢氏は「大震災善後会」(会長は徳川家達氏、御三卿の一つである田安徳川家の慶頼の三男で、1903年~1933年貴族院議長)を設立しました。そして、自らも粕谷義三氏(1923年~1927年衆議院議長、武蔵野鉄道の役員を務めるなど実業界でも名を残した人物)らと共に副会長を務め、救護・救援活動に力を尽くしました。

 

 渋沢氏は、このように「私利を追わず公益を図る」ことを重視し、社会活動にも熱心なことを認められ、子爵(明治時代の華族制度における公・侯・伯・子・男の五爵の内第4位)という位を授かりました。

 

 当時富を築いた資本家として断トツとも言われた実業家岩崎弥太郎氏(三菱財閥の創業者)や、三井高福・安田善次郎・住友友純・古河市兵衛・大倉喜八郎などといった他の明治の財閥創始者が「男爵」の位を授与されるにとどまったことを考えると、子爵の位は、渋沢氏の興した企業・事業の規模の大きさとそれが多岐にわたっていたこと、そして社会活動がどれだけ偉大だったかということを物語っています。

 

 さて、関東大震災から8日後の9月9日に、東京商業会議所に約40名の実業家が集まり、座長を務めた渋沢氏は、民間融資による救護・復興に関する組織を提案し、その際、世間も注目する「天譴(てんけん)論」を展開しました。

(「天譴」とは、「天のとがめ・天罰」を意味し、「天罰」とは、「自然に来る悪事の報い」を意味します。『広辞苑 第四版』新村出[編]、1994、岩波書店)

 

 「今回の大震火災は日に未曾有の大惨害にして、之天譴に非ずや」…「我が国の文化は長足の進歩を成したるも、政治、経済社交の方面に亘り、果して天意に背くことなかりしや否や」(『東京商業会議所報』6巻10号、1923年11月、19頁)

 

 続いて渋沢氏は、報知新聞の1923年9月10日付夕刊で「思ふに今回の大しん害は天譴だと思はれる…この文化は果して道理にかなひ天道にかなつた文化であつただらうか、近来の政治は如何、また経済界は私利私欲を目的とする傾向はなかつたか…この天譴を肝に銘じて大東京の再造に着手せなければならぬ」と、述べました。

 

  渋沢氏が、当時の世の何を「悪事」として自然が報いたと考えたのかは、必ずしもはっきりとはしませんが、明治維新後の急速な近代化の中で、「私利私欲を目的とする傾向はなかつたか…」と述べていることから、世の中全体が「清く・正しく・美しく」や「道徳」といった「日本人の心」を軽視した社会になってきていたことを指しているのではないかと思います。

 

 

【因果倶時】

 「日本人の心」とは、清く・正しく・美しく、道徳、親切、謙虚、大義、義理、人情、信義、誠心誠意、一所懸命、潔さ、節度、純潔、世の為・人の為、恩、道義心、配慮、思いやり、労り、良心、常識、真面目、正直…などなど、私が思いつく限りを列記してみましたが、正に人間の理想とされることです。

 

 トロイア遺跡の発掘で有名な考古学者シュリーマンは、1867年に発刊した旅行記『清国・日本』の中で、「この国(日本)には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地が見られる」と、貧しくとも秩序を重んじる豊かな精神性や勤勉さを持った日本人の心を絶賛しています。しかし、この「日本人の心」は、生活が豊かになり、物に溢れ、飢えに苦しめられることはなくなり、贅沢や便利さに慣れた現代の日本人から、離れつつあると思います。

 

 「因果倶時」という、「原因と結果は常に一致するものであり、未来の結果も、今日の自分の積み重ねである」という意味の仏教用語があります。

 

 私は、渋沢氏が関東大震災の際に述べたことと同様に、この度の東日本大震災は、日本人が、「日本人の心」を失ってきたという原「因」が導いた結「果」であったと認識するべきだと思っています。

 

 また、福島第一原発事故については、今まで、原子力の利用というものについて、危険性を指摘する者はごくわずかで、私たちの日常は「巨大な無関心」に覆われていました。このことも、この度の震災の原「因」ではないかと考えています。

 

 テレビ番組(NHK総合テレビ2011年5月5日21:00~、NHKニュースナイン)で、ノーベル化学賞受賞者の野依良治氏が、「世界的に人口が増える中で、人は自然の限定的な枠組みの中で暮らしていかなければならない。今後、科学の力で明らかになっていく『自然の摂理』に逆らわないようなライフルタイルに意識変革していかなければならない」と述べられていましたが、まさにその通りだと思います。原子力発電の有益性や経済的な側面ばかりに気を取られていたことを、今次の震災の「因」と認識して、貧しくとも秩序を重んじる豊かな精神性をもった日本人の心を取り戻し、質素なライフスタイルへと意識変革し、エネルギー資源問題を解決していくべきだと思います。

 高井・岡芹法律事務所
会長弁護士 高井伸夫

(次回に続く)

 

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福島第一原発事故~所感統括

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20110513.JPG (2011年5月8日 午前11:06 静岡県御殿場市 秩父宮記念公園にてチューリップを撮影)
秩父宮記念公園 http://chichibunomiya.jp/

 

 

【活断層の上の核の地雷】

 『巨大地震が原発を襲う』(船瀬俊介著,地湧社)は2007年9月1日に発行された書籍ですが、その111頁には,<“地震危険地帯”に原発集中>,という中見出しがあって,福島第一原発の6基も,原発危険地域に集中している,と明示されています。また,津波についても,112頁以下で詳しく論じられています。

 

 この本を読んでみると,日本国民は,原発に関し,核の地雷を踏まされている,ということを忘れていると思えてなりません。つまり,原発を日本に設置するということは,核の地雷が,活断層の上に置かれているということ意味しています。より分かり易く言えば,あなた自身が家を建てるときに,原子力(核)発電所(核地雷)の回りに家を建てられるかどうかを考えれば,わかることでしょう。

 

 核の時代を迎えようとしているこの時代に,日本において,原子力発電にどのように取り組むのか,一から再構成を検討するべきです。特に,電力会社の首脳部は,この本を熟読して,ゼロの視点から原子力発電所問題を考えるべきでしょう。

 

 「ゼロの視点」とは、予断と偏見を排すということでしょう。

 

 それからすれば、第5回(4月8日号)のブログに書いた、ドイツの電力会社の社長が2009年11月に東電に来社した際に指摘した「これだけ地震の多い土地に、原発を中心に電力を供給することはいかなるものなのか。太陽・水力・風力発電、今では波力発電等もあるのだから、原発よりもそちらに変えていくことの方がいいのではないか?」という意見は、まさに日本の原子力(核)発電の弱点をついた適切な言葉であって、これに受け応えした東電の首脳部の態度・見識がいかに間違ったものであるかを痛感させられます。

 

 

 

 

【東電が第87期(来期)有価証券報告書に記載すべき事柄】

さて,東電は,2010年6月28日に関東財務局長に提出した第86期有価証券報告書(2009年4月1日 ‐ 2010年3月31日)の中で,「事業リスク」として下記の通り記載して報告しています。

 

 

EDINET 
http://info.edinet-fsa.go.jp/

東京電力株式会社(E04498)第86期有価証券報告書(20頁)より抜粋

  1. 電気の安定供給
    当社グループは,電気の安定供給確保に向け万全を期しているが,自然災害,設備事故,テロ等の妨害行為,燃料調達支障などにより,長時間・大規模停電等が発生し,安定供給を確保できなくなる可能性がある。その場合,復旧等に多額の支出を要し,当社グループの業績及び財政状態は影響を受ける可能性があるほか,社会的信用を低下させ,円滑な事業運営に影響を与える可能性もある。
  2. 原子力設備利用率
    当社グループは,原子力発電所の設備と運転の信頼性を高めることを通じて,原子力設備利用率の向上に努めているが,自然災害や設備トラブル,定期検査の延長等により原子力設備利用率が低下した場合,燃料費の高い火力発電設備の稼働率を必要以上に高めることとなり総発電コストが上昇する可能性がある。また,
    CO2排出量の増加に伴い,追加的なコストが発生する可能性がある。この場合,当社グループの業績及び財政状態はその影響を受ける。
    なお,平成19年7月に発生した新潟県中越沖地震によって当社の柏崎刈羽原子力発電所が被災し,複数のプラントが運転を停止しているため,その復旧状況によっては影響を受ける可能性がある。
  3. 原子燃料サイクル等
    原子燃料サイクルを含めた原子力発電は,中長期的な安定供給の確保はもとより,地球温暖化防止のためにも必要不可欠なものであり,引き続き安全・安定運転を大前提に着実に推進していく。ただし,原子力発電の推進には,使用済燃料の再処理,放射性廃棄物の処分,原子力発電施設等の解体を含め,多額の資金と長期にわたる建設・事業期間が必要になるなど不確実性を伴う。バックエンド事業における国による制度措置等によりこの不確実性は低減されているが,制度措置等の見直しや制度外の将来費用の見積額の増加,六ケ所再処理施設等の稼働状況,同ウラン濃縮施設に係る廃止措置のあり方などにより,当社グループの業績及び財政状態は影響を受ける可能性がある。

 

 

 

 今般の事故は,東電がここに記載している事業リスクが発現したものでした。しかし,放射能が人間,生物,自然,に与える地球規模のリスクを抱えているという認識はまったく記載されていなく,電力供給の側面のリスクのみの認識が記載されています。

 東電には,「原子力(核)を扱う企業」「その影響」という立場からのそれらのリスクを十分に認識する必要があったのです。日本の10電力会社は、社長会において、この東電の誤りを厳しく反省して,その態度・見識を改め,国民に早急に明示する必要があるでしょう。そして東電の87期の有価証券報告書の内容に注目すべきでしょう。何故なら86期のごとき記載では,最近は企業情報開示の規制が強化されているにも関わらず、極めて形式的で実効性が希薄な内容だからです。

 87期の有価証券報告書には,

  1. 3月11日の福島第一原発等の事故の推定損害額の総額を明示すること
    ちなみに,私は,第3回4月8日のブログに書いた通り, 16兆5000億円は、覚悟しなければならないと思います。
  2. そのうち何億円を東電として補償するものであるのか,その総額を明示すること
  3. 3.    そしてそれが東電として支払える範囲内にある数額なのか、それを超える数額なのか,明示すること

の3点が必要でしょう。

 また,この補償額の如何によって,会計監査人は,報告書に,「企業の継続性(企業の存続)について,重大な疑義あり」との監査意見を付するか否か,の判断を下すことになります。

以上

 

【追記】

 なお,司法の場の在り方も,根本的に変革しなければなりません。

 

【「原子炉設置許可処分無効確認等請求事件」(「もんじゅ」行政訴訟)】

最高裁判所 第一小法廷 判決 平成17年5月30日 事件番号平15年(行ヒ)第108号,
名古屋高等裁判所 金沢支部 判決 平成15年1月27日 事件番号平成12年(行コ)第12号,
福井地方裁判所 判決 平成12年3月22日 事件番号平成4年(行ウ)第6号,

の判決が適切であったかどうかを,見直すべきものと思料します。

 

 ある法曹関係者が「原発の安全性が争われた,国を相手取った設置許可処分の取り消し訴訟で裁判所は許可取り消しを認めてこなかった。想定外のことで事故が起きたと判断すれば過去の司法判断との整合性が取り易く,異常に巨大な天災地変(原子力損害賠償法3条但書)だと認定する可能性もある」と指摘しているそうです(2011年5月2日号「日経ビジネス」86頁,日本経済新聞社編集委員・三宅伸吾)。

 

 裁判所は,そもそも,地震は自然災害であって,想定「外」とか「内」等という話はありえず,また,東電による放射能被害が,人災そのものであると強く主張されていることを念頭に置いて,自らの過去の司法判断との整合性を取るための理由で「異常な巨大な天災地変」だと安易に認定することはしてはなりません。それを踏まえて,上記判決が適正なものであったかどうか,今一度真剣に省みるべきでしょう。

 

 長年弁護活動に当たった者として,およそ裁判官は,要件の分析をして論理的な思考ばかりに陥って事の真髄を突く直観力が萎えているのではないかと判断しています。裁判官たる者は「何が正である」、「何が不正である」をいわば直感で見極めることが職責の最たるもの、すなわち「良心」そのものであります。裁判官は,中立の立場で公正な裁判をするために、その良心に従い独立してその職権を行い、日本国憲法及び法律にのみ拘束される(日本国憲法第76条)のです。すなわち,裁判官はまずは「良心」から出発しなければなりませんが,この点が欠けていないかどうか,全日本の裁判官に,問いただすべきでしょう。

 

 そして,原子力(核)発電は、E・F・シューマッハが言っているように(詳しくは4月29日付第8回記事「スモール・イズ・ビューティフル」をご覧ください),「救いである」としても「呪いである」ことを十二分に認識して、判断していかなければなりません。

 

 ドイツの哲学者,M・ハイデガー(1889年~1976年)も,原子力(核)を利用するには,管理が必要不可欠であることは,「この力(原子力)の承認を表明している」とともに,「この力(原子力)を制御しえない人間の行為の無能をひそかに暴露している」と,原子力(核)には,その力の有益性と,その力を人間が制御しえないという危険性という2つの側面があることを指摘しています(1963年8月にハイデガーが小島威彦氏(ハイデガーの著書の翻訳者)に宛てた手紙。「ハイデガー 生誕120年,危機の時代の思索者」KAWADE道の手帳,河手書房新社発行,2009)。

 

 このように,原子力(核)の利用とは,すなわち,正であるとしても、不正であることは明白なのであるから、まさに賢者の集まりである最高裁判所をはじめ,この事の核心に迫る判決等が展開されることを、今後期待しています。

 

 さらに,刑事事件について言えば,

【福島県元知事佐藤栄佐久に対する有罪の判決「収賄被告事件,収賄、競売入札妨害被告事件」】

東京高等裁判所 判決 平成21年10月14日 事件番号 平成20年(う)第2284号,
東京地方裁判所 判決 平成20年8月8日 事件番号 平成18年(刑わ)第3785号,第4225号,
(最高裁判所は上告を受理しなかったと伝えられています)

の判決が適切であったかどうか,については,裁判所が省みることはもとより、そもそも東京地方検察庁は政治的圧力に阿(おもね)て,あるいは屈して、起訴した案件ではないかという疑義があります。それゆえ、この点を解明する職責があるでしょう。何故ならば佐藤栄佐久元知事は原発問題についても政府の方針と相いれない存在であったからです。

 

 これらは、私が一件書類を見ることができず不勉強ですから詳細を述べることはできませんが、問題点を指摘させていただくことにとどめます。

 高井・岡芹法律事務所
会長弁護士 高井伸夫

 

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地震による世界観の転機

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20110506.JPGのサムネール画像(2011年5月3日 午後2時01分 滋賀県大津市坂本 千手院にて撮影 牡丹の花)

 

20110506-2.JPGのサムネール画像(2011年5月5日 午前10時47分 栃木県小山市若木町の邸宅にて撮影 牡丹の花と私)

 

 1755年にポルトガルのリスボンを襲った大地震は、この町をいっきに破壊し、津波による死者も含めて6万人の犠牲者を出したといわれているそうですが、地震の被害の甚大さによるだけではなく、この地震が当時のヨーロッパの世界観に大きな影響を与え、リスボン大地震を歴史に残すものとしたようです。このことは、2011年4月18日付産経新聞朝刊京都大学教授佐伯啓思先生が書かれた「日の陰りの中で」の記事の中に書かれています。

 

 同記事によると、リスボン地震によって大きな精神的影響を受けた人物の一人にイマヌエル・カント(1724年~1804年、プロイセン王国<現在のドイツ北部~ポーランド西部>出身の哲学者、ドイツ観念論哲学の祖ともされる)がいたそうです。彼は有名な『判断力批判』という書物の中で次のようなことを述べているそうです。

 

 「荒れ狂う海、暴風、雷、こうした人間の力をはるかに超えた巨大な自然現象は人間に恐怖心をおこさせる。それは人の命も財産もすべて一瞬にして破壊し尽くすだけの力を備えている。そのことに人は本能的に恐怖を覚える。しかし、理性の力と構想力をもって人は、自然現象を解明し、恐怖を乗り越えることができる。そのとき、人は自然に対して『崇高』な感じをもち、その崇高さによって、人格性を高め、自然を支配することができる。」

 

 このカントの言葉を受けて、佐伯先生は次のように述べられています。「カントや当時の啓蒙主義者、合理主義者が切り開いた道は、人間は、ただ生物的な存在として自然にひれ伏すのではなく、理性の力によって自然に働きかけ、自然を支配し、さらには社会に働きかけてこれを変革し、こうしていっそうの幸福を手にいれる、ということである。」「もちろん、カント自身は理性の限界をよく理解していたし、人間の能力が万全などとはまったく考えていなかった。にもかかわらず、リスボン大地震から250年もたてば、人は科学と技術の力を万能であるかのようにみなすようになる。この極限に核の技術ができ核兵器と原発ができあがった。」

 

 この記事によると、リスボン大地震は科学技術発展の一つの契機になったということですが、今回の東日本大震災はまったくその逆を示す契機となる地震であったと私は考えます。リスボン大地震を契機に、幸福を手に入れるため科学技術の発展に勤しんだところ、身の丈を忘れ、人間の心に驕りが出て来たために、今回の事態を招いてしまったというべきではないでしょうか。佐伯先生も、「東日本大震災がかつてのリスボンのように世界観の転機になるのか否か、それは不明である」が、「この転換は、当時出現した啓蒙思想や化学主義とは逆で、人間中心的な理性や科学の限界を如実に示すものであった。自然の脅威は、それを支配できるとした人間の驕りを打ち砕いた。」と述べられています。

 

 1868年の明治維新から1945年(広島・長崎への原爆投下)までが、77年です。そして1945年から2011年までが、66年です。どちらの区切りも「核」というのは何かの偶然でしょうか。2度あることは3度あるのでしょうか、こうなれば、わが国も独自の路線をとって、自然との共生をしっかりと国民意識に根付かせ、国策の中に明記して国の運営を行う時期に来ているものとして対処すべきでしょう。

 

 ちなみに、私は「原子力発電」という言葉は語弊があるように思います。爆弾のことを「核爆弾」というように、原子力発電も「原子力」とはいわず、「核電力」というべきではないかと思います。

 

 日本人は「ものづくり」が上手いとか言われていますが、哲学とか思想とかがしっかりしないと、いくら「ものづくり」が素晴らしくても破たんしてしまうのです。繰り返しになりますが、この地震を契機に「科学技術万能」を見直し、「道徳観(哲学)」「精神」「神(宗教)」を新たに見直すことが肝要だと思います。

 

 今回の地震で「人生観が変わった」「自分の中の価値観が変わった」という声を多く聞きます。私が改めて人生観で認識したことは、「所詮何事も自分でやらなければならない」ということです。しかしながら、「自分でやらなければならない」ということと「自分でできる」ということとは違います。他人の手助けが必要だからです。他人の手助けが必要であるということを念頭におき、自らも進んで他人の手助けをすることが必要であると思います。他人から支えられていることを忘れてはいけません。また、極限的な状態では、人は自分のためには頑張れないものですが、他人のためなら力を発揮できるのです。ギブアンドテイクという言葉がありますが、まさにギブアンドテイクが大切です。要するに、それは人間観につながることなのです。そして、社会観は「共同体思想」という方向へと展開し、「共同体思想」の更なる掘り起こしが必要となるでしょう。

 高井・岡芹法律事務所
会長弁護士 高井伸夫

 

(次回に続く)

 

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20110429.JPG

(2011年4月27日 朝6時44分 東京都千代田区北の丸公園にて撮影 満開のツツジ)

 

 

【E・F・シューマッハ―著『スモール・イズ・ビューティフル』】

 1911年にドイツのボンで生まれ、オックスフォード大学のイギリスで学び、その後英国に帰化した経済学者エルンスト・フリードリヒ・シューマッハーによる、『スモール・イズ・ビューティフル』という本があります。同著は、今から約40年前である1973年に英国で出版されましたが、そこには、第二部第四章(176頁以下)において、「原子力-救いか呪いか」という記述があります。(「スモール・イズ・ビューティフル」、E・Fシューマッハー著、小島慶三・酒井懋訳、講談社、1986)

 

 シューマッハーは、同著の中で、資源・環境の両面から、際限のない膨張主義のもと、自然を暴力的に破壊・汚染する現代文明を批判しています。

 

  • ★同著のタイトルになっている『スモール・イズ・ビューティフル』とは?
    科学・技術の発展には新しい方向、すなわち「人間の背丈に合わせる方向」を与えるべきで、「人間は小さいものである。」「巨大さを追い求めるのは、自己破壊に通じる」というシューマッハ―の経済哲学の考え方を表しているものです。(211頁)

 

 

【これからは「身の丈にあった時代」へ】

 日本人は、明治維新後に、近代科学を信奉し、富国強兵殖産興業を国を挙げて進めてきました。科学主義、合理主義、効率主義、スピード主義を最優先してきました。第二次世界大戦を経て、我が国は、一度は廃墟になってしまいましたが、その後の復興に関しても、外貨獲得・経済大国の標語のもと、「イケイケドンドン」という言い回しが適切かどうかは分かりませんが、明治維新以降と同様、科学主義、合理主義、効率主義、スピード主義にて今日まで来ていることは、明白です。つまり、今までは「背伸びの時代」でした。合理的で収益力があって論理的なことばかりを追求していくと、結果として、この度の福島第一原発事故のような出来事がおこります。なぜなら、自然の力というのは、合理性とか効率性とか収益性とかでは測りきれないものを持っているからです。

 

 近現代の科学技術は確かに我々の生活を豊かにし、また便利にもなりました。しかし、科学技術は万能ではなく、常に、その背後にあるリスクを考慮して対応すべきだと思います。

 

 シューマッハーは、「人間同士とだけではなく、自然と、そしてとりわけ自然と人間を創った高い存在(神)と調和して生きてゆく道を学ばなければならない。」(28頁)と述べています。20世紀は、技術革新が叫ばれ、理数系の学問が重点的に研究されてきましたが、自然との共生には、やはり哲学・宗教という科学技術の対極の学問もしっかりと頭の中に入れておく必要があります。今後は、人間的にみて(つまり科学技術の対極として人間を捉えた場合)何が本当に価値があるものなのか、という哲学的思索ならびにものの根本に立ち返って価値を意義付ける思考回路が必要だと思います。

 

 第二次世界大戦後、すっかり軍隊嫌いになってしまった日本人が自衛隊のことを嫌ったのと同様、この度の原発事故を受けて、「原子力はとにかく嫌い、危ない、ノーサンキューだ」と極端に原子力の利用をやめてしまうことは、科学技術の発展の妨げになってしまうでしょう。しかし、「科学技術万能」が行き過ぎないように、「道徳観(哲学)」「精神」「神(宗教)」が再度研究されていかなくてはならないと思います。エネルギー需要を原子力に頼るというのは、まさに「科学技術万能」の極みで、「道徳観(哲学)」「精神」「神(宗教)」といったものへの学習が欠けていたから、福島第一原発事故のような問題が起こるのではないかと思います。東京電力の事故の処理、対応を見ていても、やはり収益性や科学を中心に考えていたために、経済効率性で一番優れているように処理をしようとした所に問題がある、という印象を受けます。

 

 人間の欲や、向上心というのは普遍的なもので、人間は一生懸命働いて自分の所有物を増やしたいと思うことは変わらないことを前提にすると、科学技術万能に夢中になって、自然を壊す生産体制を作り上げ、富を手に入れることが最高の目標になってしまったことは、当然の流れでした。だから、人間に、自分の所有には属さない、「自然」というものへ如何に意識を向けさせるかは非常に難しいことです。シューマッハーは、「知恵」という言葉を用いてこの点についての解決策を論じています。

 

 「知恵がとくに重要だというのは、善を実行するには現実をよく知ることが先決」(384頁)で、「知恵があってはじめて、正義と勇気と節制を身につけることができる」(385頁)と述べています。そして、「正義は真、勇気は善、節制は美と結びつ」き、「各自が自分の心をととのえること」が解決策だと述べています。そのために必要な手引きは、普遍的な「人類の英知の伝統の中に」今でも見出すことができると述べています。(385頁)先に述べた、「人類の英知」とは、真・善・美にとどまらず、夢・愛・誠でもあります。

 

 これからの社会は、科学・技術が人間本来の「身の丈」にあった社会へと再構築していくことが必要です。例えば、森林を宅地化し、団地や住宅を作ることに価値があると考えるのではなく、その土地をそのまま調整区域にしておきながら、森林を十分に保全するようなシステムを考えるなど、21世紀型は、20世紀方式のやり方ではなくて、収益性とか合理性とか、採算性が無いものの中にも、価値があるということに気づく世代だと考えます。

 高井・岡芹法律事務所
会長弁護士 高井伸夫

(次回に続く)

 

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アメリカの原発事故対策設備

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  20110422.JPG

(2011年4月20日 朝6:35 東京都千代田区 ホテルニューオータニの前にて撮影)

 

【不良欠陥品の原子炉】

  高濃度の放射能漏れという事態に発展した福島第一原発事故の原子炉は、そもそも不良欠陥品であったのではないかという指摘がインターネット上で発表されているのをご存じの方も多いと思います。

  インターネット上でニュース記事を読んでいたところ、福島第一原子炉を巡っては、3月15日の米ニューヨーク・タイムズが、「米原子力委員会の専門家が1972年、この原子炉は水素がたまって爆発した場合、放射能を封じる格納容器が損傷しやすいため、『使用を停止すべき』と指摘した」と報じているようです。また、設計に携わった東芝の元技術者は、3月16日の外国特派員協会の記者会見で「(67年に)設計した当時は、津波は前提になかった。日本で事実上、初の原子炉設計だけに知識に乏しく、耐震設計基準についても判断できなかったと思う」という発言をしたそうです。

  今回、事故を起こしたのは「GEマーク1」という沸騰水型原子炉の一種で、60年代にGEが開発したものです。米国では同型の炉が23基、米国外にも9基あり、計32基が現在も運転中ですが、格納容器が小さいゆえに、水素爆発で損傷するリスクが高い型です。雑誌記事「今そこにあるフクシマ」(Asahi Shimbun Weekly AERA 2011.4.11号)によると、この型の原子炉については、「プリンストン大のアレクサンダー・グラサー准教授も(3月)24日のシンポジウムでその危険性を指摘してい」るそうです。

  つまり、もともと事故の危険性が高い米国製の原発が、地震・津波の危険を十分に考慮せず、建設・運転されてきたのです。日本は世界最大の原子力発電を誇っていたにもかかわらず、それに相応しい原子炉をそもそも備えておらず、更に、事故対策施設・設備を揃えていない等、安全に備える心構えと技術が立ち遅れていたのです。先(4月5日更新記事)に述べたとおり、日本語である「津波」が国際語化するほど、津波は地球上の中でも日本に特に多い天災であるということを考えれば、あってはならないことです。

 

 

【アメリカの原発事故対策設備】

  •  米軍無人偵察機「グローバルホーク」
    電子光学・赤外線カメラのほか、雲を透過する合成開口レーダーも搭載しており、リアルタイム映像に加え、30センチ四方を識別できる写真撮影や赤外線カメラでの温度計測もできる。隊員の被爆等避けるためにも、常時測定にはこの偵察機が不可欠。(2011年3月26日付産経新聞)

 

  • 無人ヘリコプター「K-MAX
    米政府が現場投入を日本政府と東京電力に打診している。「米航空・防衛大手ロッキード・マーチン社とカマン・エアロスペース社が共同開発した」、米海兵隊が所有しているつり下げ物資輸送ヘリで、「遠隔操作のため放射線量が高い現場での作業が可能」。(2011年4月17日付日刊スポーツ)

 

  • 米軍大気収集機「WC-135コンスタントフェニックス」
    採取した全サンプルを高圧力下で保存する圧縮装置を備え、大気中に含まれる微量の放射性粒子をリアルタイムに探知できる(2011年4月21日付毎日新聞)

 

 
 等々、米国が保有していて日本がまだ保有していない最新鋭の設備があること自体、いかに東電をはじめ電力会社各社と日本政府が怠慢であったかを物語っています。プレデター(中高度長時間滞空無人機システムで遠隔操作で飛行するため災害対策にも用いうる)とグローバルスカイクレーン(空中消火任務用に水投棄機材を搭載しているヘリコプター)に至っては、まだ導入の検討さえされていないのではないでしょうか。

  事故当初からこれらの機器などを開発し、発達している米国の支援を受けていれば、事故を最小限に抑えることができたにも関わらず、なかなか受け入れなかったのは、東電が面子を重視したがゆえのものであり、その責任は重大です。ましてや普天間基地等今後の米国との交渉を政治的に懸念した上での判断であったとすれば、これは失政と言わざるをえません。

 

 このような理由から、私は、この度の福島第一原子力発電所事故は、「天災」ではなく「人災」だと考えているのです。

 

高井・岡芹法律事務所
会長弁護士 高井 伸夫

 

(次回に続く)

 

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