2017年11月アーカイブ

2017年10月22日「カメリア会桜ヶ丘訪問記」

 

 

高井会長弁護士20171022カメリア桜ヶ丘訪問.jpg

 

2017年10月22日、湖山医療福祉グループが運営する特別養護老人ホーム カメリア桜ヶ丘を訪問しました。

 

カメリア会の湖山泰成理事長は、社会奉仕のために高齢者施設等の運営を始めたといいます。現在では17都道府県に199箇所の施設を展開し、年間利用者数延べ380万人、職員は9,000人を超す大規模グループとなりました。湖山理事長は、交通費以外は無給で仕事に取り組んでおられるそうで、その福祉精神の深さに、私は非常に感銘を受けました。

 

さて、訪問日当日、職員の皆さんはお忙しいさなかにもかかわらず、暖かく迎えてくださいました。

 

私が一番驚いたのは、何といっても施設の清潔さでした。

一般的に、医療等の施設においては、どうしても臭いが多少は気になるものですが、カメリア会桜ヶ丘はそういったものが全くありませんでした。

 

院内には、各居室の中央に「なかまち」というスペースが設けられ、そこは、カフェでもあり、同時に買い物、映画やコンサートの鑑賞もできるようになっています。

買い物スペースにはカートが設置され、施設内にいながら外出しているような気分を味わえるという工夫も凝らされており、こういった環境であれば、長期滞在の入居者の方々も閉塞感を感じることなく毎日を気分よく過ごせるのではないでしょうか。

 

伺った話によると、湖山医療福祉グループでは人材育成に力を入れていて、介護福祉士実務者研修を行うことのできる「KOYAMA College」を開設して、授業料を全額免除として、職員が国家資格を取得するための手助けをしているとのこと。職員の方々がキャリアプランを明確に思い描き、充実感をもって働いていることも、施設の雰囲気を明るくする大きな要因なのだと思います。

 

湖山医療福祉グループは経営方針として以下の五箇条を挙げられています。

 

個を大切にし、心を満たす医療・福祉の実現

よろこびと感動の共有

地域社会との対話と交歓

安定と健全な発展

誇れる職場の創設

 

今のような運営を続けられていれば、この方針を体現する貴重な施設として、カメリア会はより一層の発展を遂げていくであろうと私は確信しております。

 

以上

 

この記事にコメントをする
  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第25回目です。
  • 第25回目は、レストラン・L’asse(ラッセ) シェフ 村山太一様です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第25回)■ ■ ■ 

レストラン・L’asse(ラッセ)  シェフ 村山 太一 様

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


[レストラン・L’asse(ラッセ) シェフ 村山太一様 プロフィール]

新潟県出身。http://lasse.jp

京都、料亭にて茶懐石の修業をした後、2000年イタリアに渡る。

2つ星レストラン2店を経験した後、3つ星レストラン「ダル・ぺスカトーレ」で修業。2008年に帰国し、店の開店準備を始め、2011年5月12日、オーナーシェフとして独立、L’asseをオープン。L’asseはオープン半年でミシュランガイド1つ星を獲得。

 

[今回の同席者は以下の通りです]

  • 株式会社松井オフィス 代表取締役 松井忠三様

株式会社良品計画 名誉顧問(現任)、株式会社松井オフィス 代表取締役 http://matsui-office.jp/

2001年に株式会社良品計画代表取締役社長就任。大掛かりな経営改革を断行し、創業以来11年続いた海外の赤字も2002年に黒字に転換させ、現在25の国と地域に300店舗を展開する礎を築く。2008年、株式会社良品計画 代表取締役会長(兼)執行役員。2015年から現職。


※村山様と松井様は、村山様が当時、イタリアを代表する三つ星レストラン「ダル・ペスカトーレ」にて副料理長として働いていた時に、松井様が食事に訪れ出会われました。村山様の帰国後にお二人は再会され、東京でのレストラン開店を目指して、準備をすることで意気投合され、2010年10月19日に、株式会社ラッセを村山様と松井様の折半出資で設立されました。

  • 高井伸夫

村山様松井様お写真

(写真は村山太一様(左)、松井忠三様(左)取材日に撮影)

(取材日 2017年8月22日(火)15:30~ レストラン・L’asse(ラッセ)

 


 

高井

村山様はイタリアで修行されていますが、イタリアに行くまでの経緯を教えてください。

 

村山様

僕は新潟の十日町の出身です。十日町は豪雪地帯で、冬になると雪が2~3メートル積もることがあります。高校を卒業して、長岡市の北陸学園に1年間通った後に、京都の料亭で修行をしました。「吉泉」という2008年にミシュランが上陸したときに3つ星を取っている料亭です。僕が修行していたのは20年前なので、まだミシュランも何もない時代でした。そこで修行した後に今度イタリアにひょんなことから行くことになりました。25歳の時です。8年弱、イタリアで過ごしました。

 

高井

村山様はイタリアに行って、”皿洗い”から始めたんですか。”見習い”から始めたんですか。

 

村山様

イタリアでは、洗い場は洗い場という職業があり、料理人は料理人という職業で分かれています。僕は、料理人として入ったので最初に働いた店からメイン料理を担当しました。

イタリアでは、料理人に階級というのがなくて、前菜のポジション、お肉のポジション、お魚のポジション、パスタのポジションというように、ポジションがあり、そこを全員でぐるぐる回るという形です。ある程度未経験の場合は、そのまま各ポジションのサブ的な役割、見習いの役割になるんです。一度各ポジションのシェフになると、もうずっとシェフのまま、いろんなポジションを移動して、それで最終的に全部学んだ後に一番の統括シェフになります。イタリアでは、見習いかシェフかのどちらかしかありません。

 

高井

イタリアでは、料理人は見習いかシェフしかない。村山様はどちらでしたか。

 

村山様

最初のお店からシェフとして「できるか?」と聞かれたので「できる」と答えました。本当に初日からシェフとして働かなければならない状況でした。客席には、最初はイタリア語が分からなかったので出ませんでしたが、6~7年目ぐらいになると自分で作った料理は自分で出してサービスするということもやっていました。

 

高井

村山様は三つ星レストラン「ダル・ぺスカトーレ」で修業されていますが、相当厳しかったようですね。

 

村山様

「ダル・ぺスカトーレ」は、イタリアで一番長い、23年間ものあいだ、3つ星を取っているレストランです。「ダル・ぺスカトーレ」のシェフであるナディア・サンティーニさんには、イタリア料理を徹底的に教えていただきました。とても厳しいところでしたが、もっとも多くのことを学びました。今でも、シェフとは月に1回は電話をしています。家族のような感じで、たわいない会話をしていますよ。

 

高井

L’asseを開店してから、一番苦労したことは何ですか。お客さん集めですか?

 

村山様

L’asseを開店したのは、2011年5月です。今ちょうど7年目に入りました。店を開ける前にお客さまに対して宣伝・告知を一切しなかったので、当たり前ですが、全く知られていなかったので、お客さまは来ませんでした。

 

松井様

海外で経歴を積んで、通常は日本のレストランでスーシェフ(注)か何かをやってお客さんを作って、独立するときには、その人たちが来てくれる。これが通常の独立の仕方です。村山君はそれなしで独立したんです。ですから通常とは違って苦労がありました。

注:スーシェフ フランス料理における副料理長のこと

 

村山様

今は、いい時もあれば悪い時もあり、山あり谷ありですが、お昼は90%以上、夜は70%くらい席が埋まっています。週末はありがたいことにずっと満席なんです。お客さん集めも大変なことですが、料理は味を向上させるというのがやっぱり一番苦労します。

 

高井

味を向上させるとは、どうやって向上させるんですか。

 

村山様

いい食材を探すことが第一です。食材探しは本当にいい生産者と出会うこと。その生産者自体がどこにいるのか分からなかったので、お客さまに聞いたり、知り合いのシェフに聞いたりして、生産者さんのところに会いに行って、生産者さんと話をしてお互い信頼関係を結ぶ。よりいいものを仕入れて送ってもらうためには、生産者さんと信頼関係を結んでいくことが大切だと考えています。

 

高井

生産者との出会いで一番感激したことは何ですか。

 

村山様

当店では、淡路島の漁師さんから直接、お魚をそのまま船の上から発送してもらってるんです。今年の2月頃に、淡路島へ行って漁師さんと一緒に船に乗って漁に出させてもらいました。漁師さんたちは、ものすごい揺れてる船の上で、落ちたら本当に命を失ってしまう、そういう状況で漁をしている。漁にかける思いに重みがあります。そういう人たちから新鮮なお魚を送っていただいている。それにすごく感動して、これはぜひお客さんに届けなきゃいけないと感じました。船の上で食べたらすごくおいしい、そのおいしさを、いかに変わらないように最短で送ってもらい、お客様に届けるか。僕らの仕事は、“食材”を“味”に変えるということ、そこで味わった感動をお客さまに味わっていただく、というのが僕らの仕事かなと思っています。

 

高井

ディナーコースは、1万5,000円と1万800円。ランチコースは2,600円、5,400円、3,600円。メニューの中身はどれぐらいで変えるのですか。

 

村山様

メニューは月に1回変えて、季節感を大切にしています。月に1回変えるんですけども、その日に本当にいい食材が、お魚の漁師さんだったり、お肉の生産者から入ったりしたら、その時はぱっと入れ替えます。

 

高井

L’asseのメインディッシュでベストワンは何ですか。

 

村山様

今、当店でベストワン、お客さまに一番支持いただいているのは、先日『東京カレンダー』という雑誌でも取り上げられた、4種のチーズを入れたラヴィオリです。一番お客さまから好評いただいています。ラヴィオリというのはパスタ料理なんですが、チーズの詰め物をした卵の麺です。先生も何回か召し上がっていますよ。

東京カレンダー掲載:https://tokyo-calendar.jp/article/9848?ref=restaurant

 

松井様

「L’asse」という名前はイタリアの麺を打つ板のことを意味します。それでL’asseでは全部手打ち麺なんです。発想はイタリアのマンマの味を日本に届けるということです。イタリアの最高の素材を最高の技術で届けている、ラヴィオリは、まさにナンバーワンに相応しい料理ですよ。

 

高井

麺はどこから仕入れているんですか。オーガニックですか。

 

村山様

麺は日本の国産の小麦や、鮮度のいい、いわゆる製粉したての小麦を使っています。千葉県にある、小さな小さな製粉会社から仕入れています。すべてオーガニックにこだわっていて、卵もやっぱり味の濃い卵で合わせて使ったりしています。

 

高井

ところでお店の壁紙がすべて和紙のようですが、特徴的ですね。

 

村山様

店内の壁紙は全部和紙でつくっています。故郷の新潟十日町の森のブナ林と白樺が素晴らしいので、それをコンセプトに特注したんです。パンレフットに載せた「木漏れ日の差し込む森の中」をイメージしたんですよ。

 

高井

村山様の理想のお店はありますか。

 

村山様

理想ですか。理想は、教わってきたイタリア料理もそうなんですけれども、やっぱり現地のイタリア料理、現地でしか食べられないもの、日本だったら日本の素晴らしい食材、新鮮な食材を、イタリアで教わってきた技術で「日本でしか食べられないイタリア料理」にしたいなと思っています。それでこそ本物のイタリア料理になると思っています。

そしてそれは、やはりいかに自分でおいしい料理を作ってお客さんを呼ぶかにかかってるなと思っています。いかにおいしい鮮度のある食材を出せるか。

お客さんが来店された時にいかにおいしいものを提供できるか。自分が全力を出して、昨日よりも今日の方がおいしい。今日よりも明日のほうがおいしいっていうものを常に考えていく。

 

高井

社訓や理念はありますか。

 

村山様

社訓。そういうのをまだ考えている最中といえば考えている最中なんですけれど、「食を通して人を幸せにする」ということでしょうか。あとは、食に関わることによって、みんなが、関わってる人全員が幸せになっていく、これがすごく大事じゃないかなと思っています。

 

高井

最後に、今後の抱負を教えてください。

 

村山様

これは、やはり料理の味です。より一層おいしいものを作っていって、おいしい料理で勝負したい。これに尽きます。

 

高井

おいしい料理の追求ですね。これからも頑張ってください。

 

以上

 

この記事にコメントをする

20171124.JPG

2018年10月18日(水)13:10 六義園にてツワブキを撮影
花言葉:「謙遜、先を見通す能力」

 

 

第11回 経営危機下の身の処し方

 

株式会社日本総合研究所
リサーチ・コンサルティング部門
青木昌一

 

 1.窮極の選択

今回はかつて私が経験したような経営危機下でどうモチベーションを保ち、自らの役割を全うするかについてお話ししておきたいと思います。

今現在、どんなに優良企業であっても10年後に会社が経営危機に瀕することはないとは誰も保証できません。私自身前職の西洋環境開発に入社したときにまさか自分の会社が14年後にこの世から消えてなくなるなどということは露ほども考えていませんでした。

 

さて、自らが所属する会社が経営危機に瀕したらどうするか?

もちろん、そんな会社には早々に見切りをつけて新たな道を見つけて転身することも有力な選択肢です。もし、今の私であればたとえ年齢的に転職が厳しくてもそういう選択肢を志向したのではないかと思います。

しかし、もしあなたが30代半ばまでの若手、中堅であれば、しばらくその環境に置いて厳しい体験をあえて経験してみることをお勧めします。

会社で仕事をするというのは自らを成長させる場であることは誰しも考えるとは思います。しかし、一方で働いて得た収入で生活をしなければなりません。そのことはある意味自らを成長させること以上に重要なことです。まして養っていかなければならない家族があるとしたら、その選択は余計に簡単ではありません。したがって、経営危機に瀕していてもその会社にとどまることは究極の選択とも言えます。

 

2.修羅場の経験

私自身、どうだったのか?

実は当時置かれていた立場のせいで辞めるに辞められなかったというのが正直なところです。まず、会社が極めて厳しい状況に置かれているという情報は他の部署の人より早くしかも詳しく知らされていました。再建に向けて事業ドメインを絞り、人員を削減しても生き残れるかどうかという状況の中で人員を絞るための施策の検討をする立場に置かれたことで、「僕、一足お先に失礼します。」とは言いたくても言えなくなってしまったのです。

とは言え、ここで頑張って会社での役割を全うしたところで将来報われるという保証はどこにもありません。しかし、今思えばあのときの経験が私にとってとても貴重な経験でありさまざまな困難に対して、耐えながら勝機を伺う訓練になっていました。

私の場合、幸いなことに周りの上司や先輩に恵まれていました。例えば極めて厳しい環境下でも先輩や上司の心が折れることはなく、いつも前向きに議論がされていました。あれがもし周りが後ろ向きな愚痴ばかりであれば恐らく私の心は折れて、早々に会社を辞めていたと思います。しかし、当時は周りの先輩たちとも「これだけ大変な思いをしていればどこに行ってもやっていけるよな。」といった開き直りで仕事をしていました。

さらに、幸運にも高井先生に日々起きる様々な問題を報告し、指導していただきながら解決策をひねり出していたことも大きなモチベーションにつながっていました。高井先生に「こうしてみたらどうだい。大丈夫だよ。」と言われると、不思議とどうにかなるような気がしてきます。そういう日々を過ごすことで、いわゆる人事的なスキルが上がり、さまざまな引き出しが自分の中に増えていくことを実感することができていました。

さらに、人事部の後に異動した関連事業部という部署で不良資産つまり保有不動産の売却や関係会社の売却、閉鎖を担当したことで今の仕事につながるスキルを得たとも言えます。交渉におけるポジションのとり方、様々な経営指標を読み取る力、そういったものを実務として身に付けることで単に座学では得られないものを吸収できました。

こういった仕事を通して、どん底の「基準」のようなものが自分の中に培われ、日々増えていく自分の「引き出し」と相まって大きな自信を得ることができた訳です。

 

 

3. 今苦境にあえぐあなたに

「今年度過去最高益の見通し!」といった新聞の見出しが躍る一方で、苦境に喘ぐ企業のニュースも飛び込んできます。

そういう企業で再建に取り組んでいる方に是非以下のような意識を持って仕事に取り組んで頂きたいと思います。

(1)今の苦労は真剣に取り組んでいれば、将来必ず自分の武器になる。

企業の状況が厳しいときというのは、例えば取引先なども極めて厳しい条件を提示してきます。したがって、その厳しい状況を少しでもばん回する必要があります。そのときに「ここはひとつなんとかしてよ!」という精神論は通用しません。相手が「それも良いか」とか「それなら大丈夫」と思ってもらわなければなりません。そのためには現在の状況を分析し、相手にもメリットがあると感じてもらえるような条件をひねり出す必要があります。この訓練はそう簡単には体験できません。

(2)火事場の馬鹿力を体験できる。

厳しい経営環境の中で仕事をやっていれば必ず「もうダメかもしれない」と感じる場面と遭遇することも多いでしょう。そういったときに自分では持っていないはずのスキルが発動されることがあります。私の場合、元来のんびりした性格で締め切りギリギリのおしりに火がつかないと動かない悪い癖がありました。しかし、物事には旬というものがあり、このタイミングを逃したら二度とチャンスは訪れないかもしれない。そういうアラームが鳴るようになりました。その際のいくつかの選択肢に対する判断も比較的適切に選択できるようになっていました。こういった力は意識して働くものではなく、日々ギリギリの中で仕事をしていたからこそ発揮できたに違いありません。

 

会社が傾くような経験をせずに済むに越したことはないのですが、もし、厳しい環境に置かれたときには以上のようなことを思い出して欲しいと思います。

以上

 

この記事にコメントをする

<イッピン>
萬鐵五郎記念美術館にて― 岩手県花巻市東和町

 


 

news20171115.JPG

 

わずか41年の生涯ながら、独自の世界観を持つ画境を開こうとした萬鐵五郎。独特の自画像や裸婦像を思い浮かべる方も多いのではないだろうか。

今年は萬の没後90年に当たり、ゆかりの土地などで大規模な回顧展も催されている。

小生も秋晴れの岩手県花巻市を訪れ、萬鐵五郎記念美術館へと足を運んだ。

実は、7月9日の葉山の回顧展に続き、今年2度目である。

 

萬の生地である土沢が一望できる「舘山」。ここからの風景を萬はこよなく愛したという。その中腹に位置する美術館で、作品を巡りながら進むと、果たして最後の部屋の真ん中で堂々たる「裸体美人」が出迎えてくれた。東京美術学校の卒業制作であり、萬を世に出した作品だそうだ。

萬の作品には、その信条に裏打ちされた、見る者にうったえかける魂の力強さが溢れているように思う。萬の絵が、最初に出会った時から鮮烈な感動とともに忘れがたいのは、小生にとってはその印象的で独特の画風ゆえ、というだけではない。

小生は、美術はいささかかじった程度である。しかし、絵画から発せられる、何か画家の「エネルギー」や「息遣い」や「言葉」、「心もち」は感じられるように思うのだ。

 

萬が生きたのは、西洋の新しい美術運動である後期印象派、フォービスム、キュビスムが日本に紹介された時代だったそうだ。(セザンヌ、ゴッホ、ゴーガン、マティス、ピカソ、といった画家たちがいる。)それに影響を受けつつ、それを吸収し、自身の表現方法を模索し続けて41年という短い生涯の中に自己の内面、魂を具現化した絵画を確立しようとしたのではないか。

 

すでに画家として活動していた萬が突然故郷である花巻に戻り、外からの刺激を遮断してひたすら絵の探求に打ち込んだ時期があった。その時、萬はこんな言葉を残しているという。

 

「あらゆる周囲と戦い、いろんな関係を切り離して、ここに自由に製作しうるごく僅かな機関を作った。作画以外に少しの時間もエネルギーも費やしたくない」

 

「吾々は自然を模倣する必要はない。自分の自然を表せば良いのだ。円いものを描いたとすれば、それは円いものを描きたいからなので、他に深い意味も何もない」

こうも言う。

「画家は明日を憂えてはならない。今日 今 最も忠実でなくてはいけない」

 

「画家は」を言い換えれば、それぞれの日常を生きる我々にも頷いて思い当たることがあるように思う。それを貫き通せるかどうか。

萬が向き合ったのは、常に自分自身であったのだろう。難しいことだが、そのことに飢え、時に悶え苦しみながら強く絵画を追究し続けた姿を想像するのだ。

しかし、それこそが成しえなかったことを遂げようとする幸福でもあり、「日本近代絵画の先駆者」と称され、海外でも高い評価を得るに繋がったのではないかと思う。

 

萬の作品には魂の力強さを感じる。言い換えれば、強さを与えられるような気がする―。

小説家であり、「気まぐれ美術館」等の美術エッセイでも名を知られる州之内徹氏は、

「いい絵とは何か?一言で答えなければならないとしたら、盗んでも自分のものにしたくなるような絵である!」と言った。我が意を得たり、小生にとっても萬の作品はまさにそれである。

心に語りかけてくる精神世界をもった、小生にとってのイッピン(逸品)である。

 

追記:

訪れた「萬鐵五郎記念美術館」は萬鐵五郎を顕彰するため、萬の没後57年目の1984年、生地に開館した町民手作りの美術館であると聞いた。

様々な企画展等で萬の世界観を後世に伝える努力、取り組みをされていることの尊さを思う。その画家とともに、地域が誇るべき美術館である。

 

 

この記事にコメントをする
  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第24回目です。
  • 第24回目は、警察官友の会 前事務局長 秦正行様、現事務局長 星範夫様のお二人です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第24回)■ ■ ■ 
警察官友の会 
前事務局長 秦正行様
現事務局長 星範夫様
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


[秦正行様プロフィールご紹介]

昭和15年1月生まれ。千葉県出身。

昭和34年11月警視庁警察官拝命。高輪警察署、深川警察署、第二機動隊等々勤務、警察学校初任科教授、丸の内警察署副署長、戸塚警察署長を歴任。平成11年3月警視庁を退職。平成19年4月、全国警察官友の会事務局次長、警察官友の会事務局長(東京担当)、平成23年4月東京都警察官友の会事務局長就任。平成29年6月同会を退職。

平成20年4月より、佐倉市少年野球連盟西志津クラブコーチとして活動。趣味は野球観戦と映画鑑賞。

 

[星範夫様プロフィールご紹介]

昭和26年7月生まれ。宮城県出身。

昭和45年3月、警視庁警察官拝命。牛込警察署、新宿警察署、麻布警察署、人事第一課等々勤務、王子警察署副署長、蔵前警察署長、荏原警察署長を歴任。平成23年9月警視庁を退職。平成29年5月東京都警察官友の会事務局長に就任。

特技 全日本剣道連盟7段、称号教士。趣味は園芸とゴルフ。

秦様星様高井

(写真は左から秦正行様、中央 星範夫様、右高井〔撮影:取材日2017年8月21日)

[今回のインタビュアーは以下の通りです]

  • 高井伸夫 
  • 中村六彌(弊所参与) 

取材日:2017年8月21日(月)於:日本工業倶楽部会館2階ラウンジ

 


 

高井

警察官友の会は、どういった経緯で発足したのですか。

 

秦様

昭和35年、第一次日米安全保障条約改定反対闘争がきっかけです。その前年に私は警視庁警察官になりましたが、いわゆる安保闘争、学生紛争が激しかったためたくさん採用されたうちの一人です。反安保闘争が激しくて、世の中が騒然として、警察官に負傷者が続出していました。このままでは日本の国が滅ぶ、何とかして治安を守る警察官を激励、慰問しなければならないとして、当時のNHK会長阿部真之助氏や、テレビドラマ「花子とアン」のヒロインである村岡花子先生が中心となって、世の有識者、文化人、市民らが昭和35年(1960年)7月30日に警察官友の会を作りました。

設立趣意書

 

(写真は、警察官友の会機関誌「国民と警察」(第1号1961年7月25日発行)より、設立趣意書と役員名簿〔当時〕を抜粋)

 

高井

警察官友の会に入会すると、具体的にどういった活動をするのですか。

 

秦様

主な活動内容は、(1)警察職員のところへ行き慰問激励をしたり(2)殉職警察職員の慰霊、遺族の方々へ肖像画を贈呈したり、慰霊祭へ出席する(3)警察官の表彰・記念品の贈呈これは、警視庁優良警察職員、地域活動等優秀警察職員の表彰と記念品を贈呈することで、士気の高揚に努めています。(4)警察学校の卒業式に友の会の役員が出席して、卒業生全員に記念品を贈り激励する。(5)警察武道の奨励、これは、警察では、柔道・剣道・逮捕術・合気道など各種大会がありますが、優勝者や優勝チームに記念品を、年間で柔道・剣道に精励した署員に武道奨励賞を贈呈しています。その他に(6)懇親会・研修会等の開催、新年会や支部懇親会、警察施設の見学や社会見学研修があります。また、警察官友の会主催の懇親会、懇談会に参加して、警察幹部の方と話したり、治安情勢などを直接お聞きすることができます。

 

 

高井

機関誌は、今も発行されているのですか。

 

秦様

1号が昭和36年7月に発刊されまして、1年に12回発行されていて、発行されない月は一度もありませんでした。創刊から57年経ちましたが、平成29年9月号で第675号になります。

 

高井

警察官友の会の会員は、現在どのくらいおられるのですか。

 

秦様

全国で約6万6000人くらいです。東京だけでは、約2700人です。

 

高井

2700人とは、少ないですね。

 

星様

なぜ少ないかと申しますと、入る方も退会される方も高齢者が多いのです。分かりやすく言えば、1年間で100人が入会しても、95人の方が退会されている。結論はプラス5名。退会の理由は、健康上の理由や連れ合いの介護などや、死亡退会などです。やはり、若い世代の方に入会していただかなければと思っております。それで、3年後の東京オリンピック・パラリンピックまでには3000名、つまり300名を増員していこうと目標を立てています。

 

高井

警察官友の会の会員の女性比率は増えていますか。減っていますか。

 

秦様

おかげ様で少しずつ増えております。東京都警察官友の会に女性部会がありまして、そこのリーダーの方は熱心に活動してくださっています。月丘夢路さんや、山本富士子さんも過去に会員でした。

 

星様

警察官友の会には、会長、副会長、常任理事がいて、常任理事は20名くらいいますが、西新井大師近くの清水屋のおかみさんである清水洋子さんも常任理事の一人です。女性会員を増やしていこうということで、今から3年前に役員10名の女性部会を作りました。任期3年でこの6月に任期満了になったので、新たに会議を設けたときに、「今の10人だけではとてもとても女性の活性化は図れません。もっと女性の幹部を増やして活性化していきましょう」という意見が出たので、松澤会長の了解を得て、6人女性部役員を増やしました。お陰で、3年前よりも女性部会の活性化が図られ、女性の会員も増加しています。

 

高井

入会は会員の推薦が必要とのことですが、自分から進んで入会したいという人が来られることはありますか。

 

秦様

入会するには、個人会員、法人会員ともに会員の推薦が必要ですが、お知り合いがいないという場合は、当会事務局に直接お問い合わせいただくことがあります。

 

警察官友の会 事務局 電話番号03-5226-8655

 

平成22年に50周年の記念行事が新聞で報道されました。その時には、問い合わせが数件ありました。友の会の会員の皆様は、企業の社長さまも多く、お金には換えられない信用というものが第一でございます。それと、世界一のおまわりさんを応援しているという誇りをもっていらっしゃる方々です。そこまで理解しておられる方にご入会いただいております。

 

会員の皆様には、友の会の活動を理解していただいて、役員としていろいろ活動していただける方と、活動はできないけれども、趣旨を理解して応援していただいてる方の両方が相まって友の会は成り立っております。

 

高井

秦様は前事務局長として一番友の会活動で印象に残ったことは何ですか。事務局長を何年勤められたんですか。

 

秦様

事務局長を10年勤めさせていただきました。暑い時期や寒い時期にも会員の皆さんと交番や駐在所で活躍されている警察官の方々を激励訪問しておりました。警察官の方々は、夜もほとんど寝ないで、重い装備を身にまといながら、昼夜を問わず親身に応接や事件事故の取り扱いを行っています。

 

現職時代は気が付かなかったのですが、会員の皆さんが、交番の前を通るときに、警察官が立番してれば、「ご苦労さまです」と声をかける。あるいは、取扱い中で立番をしている時は、心の中で「ご苦労さまです」と唱えながら感謝の気持ちを表しています。このような嬉しいお話を会員の方から聞きました。また2011年に起きました東日本大震災で当時、30人の警察官が殉職されました。そのうちの28人がほとんど逃げられるにもかかわらず、逃げないで仕事をしておられました。そういう公に尽くす尊い気持ちというのを持ち続けるには、国民の理解と応援が必要ではないかと思います。

 

そのようなことで、元警察官であった私が育てていただいた警察の組織を応援する警察官友の会で勤務できたこと、警察官の皆さんが大変なご努力をされていることを改めて肌で理解して感謝の念を持って心から応援したということが一番の印象に残ったことです。

 

高井

僕は若いころ、交番にお酒を持っていきました。今は禁止されていますから、警察官を激励するといってもどうしたらいいんでしょうか。ざっくばらんに言って。ご苦労さんですなんて言ったっていいけれども、何かいい考えはありませんか。

 

星様

実は、同じような質問が先日の支部総会でありました。それで、警察官友の会の存在をもっとアピールしないと強く感じました。

警察官を激励するには、現在は各支部から署長さんに事前連絡して了解をいただいたうえで、警察署を訪れて激励品を渡したり、交番や駐在所を訪れて激励品を渡したりしております。一般の方が激励するには、必ず警察署に電話して面会したうえで行動に移してもらいたいと思います。

 

高井

昔は交番に一升瓶を持って行ったものです。そういった交流は今はなくなってしまったように感じます。

 

秦様

私も昭和の話ですが、当時、寒い時には炭を使用していた時代でしたから、炭が足らなくなると、地元の方が持ってきてくれたなんてこともありました。これからの時代は、多忙な警察の実情をくんでいただき、公務に支障を及ぼさないように配慮して激励を行うなど、会員の方も含めて住民の皆さんと警察官の方々が交流していければと思っています。

 

高井

友の会の在り方も時代とともに変わっていくと思いますが、考えられる今後の会の在り方について教えてください。

 

星様

集団的行動による暴力闘争、あさま山荘事件など爆弾・銃器を使った闘争から、国際的なテロ・ゲリラ闘争、弱者に対するDV、特殊詐欺、ITやサイバー攻撃の横行など、世の中が複雑になってまいりました。警察官は多忙を極め、常に精神的緊張感を強いられています。

 

警察官友の会は設立趣旨の通り、目に見える形で激励慰問する活動を中心にしていくことに変わりはありませんが、今後は、警察官に対する心身のリフレッシュへの支援や、警察官が努力されておられることの広報活動など、精神面への応援も重要な柱になってくるものと思っています。

 

警察官友の会の在り方も更に検討を重ねてまいりたいと思っています。

 

 

 

以上

警察官友の会入会希望の方は、以下へお問い合わせください。
警察官友の会事務局 電話番号03-5226-8655

 

この記事にコメントをする

20171013DSC00036.JPG

2017年8月24日(水)13:02 ベロペロネを撮影
花言葉:「ひょうきん、おてんば」

 

 

第32回 人事・労務の未来(1)
(2009年10月5日転載)

 


高井伸夫弁護士は、企業構成員が「個」としての能力を十分に発揮できるよう条件を整えるのが、人事・労務管理の役割と位置付けている。いまや利益追求のみで通用する時代ではなく、心身の健康と人間性重視の姿勢で臨むべきであると提言した。

 

「個別人事管理」に重心

企業におけるこうした人の獲得競争が激化した根本原因は、①日本の人口が減少局面に入り“人材の市場”も縮小し、優秀人材の獲得競争がますます激しくなっていること、②グローバル化により企業は外国企業との競争を強いられていること、③日本の国内市場が縮小し、右肩上がりの成長路線を描けなくなったこと等であり、手をこまねいていればジリ貧になるという恐怖感が、潜在的にせよ強く意識されてきたからであろう。

10年ほど前に日本に成果主義が浸透し始める以前から、私は、「事業戦略・企業戦略は、人事採用戦略に宿る」と述べてきた。近年この人的資源獲得競争の中で、特に経営能力・管理能力・専門知識を備えた稀少人材を確保・維持・育成することの重要性は増し、今後もますます増加するのは必然で、それに伴い人事・労務の重要性がさらに高まっているのである。

そして、成果主義的な人事・賃金制度の定着と社会的な個人主義の風潮の高まりが相俟って、企業では集団管理よりも個別人事管理に重点が置かれるようになってきている。成長という右肩上がりのビジョン・価値観によって従業員に対する求心力を保つことは不可能になっており、その一例として、組合の組織率が低下し続けているのは当然の現象であり(2008年労働組合推定組織率=18.1%)、かつての団体交渉を中心とした組合・社員会対策は下火となっている。それゆえ、人事・労務管理の面でも、これからは個々人を対象として丁寧な対応を行う必要に迫られるだろう。

しかし、企業は秩序ある協働体・組織として活動し、成果を上げ続けなければならない存在であることに変わりはない。即ち、企業においては、社会的変化によっていかに組織の集団的な堅固さが脆弱化する状況にあっても、個別人事管理だけでは経営組織は成り立たず、集団管理も当然に必要とされるのである。したがって個別管理と集団管理の両立という点にこそ、これからの人事・労務管理の難しさの根本があると言ってよい。

さて、人事管理と労務管理の違いとは何か。人事管理とは、企業経営のために従業員の個々の処遇を決定すること、つまり、配置・賃金等の報酬の決定をすることである。配置の決定とは、各人が取り組む仕事の内容を決めることであり、賃金等の報酬の決定とは、単に賃金額の決定だけではなく、序列付けをし、どの地位の職位・職制に就かせるかにも関連してくる。そこで、配置と賃金は互いに大きく関係してくるのである。

これに対して、労務管理とは、多数の労働者を使用するに当たって公明・公平・公正に処遇していくことである。

 

実効性ある労務管理へ

要するに、人事管理が一人ひとりの個人を対象とするのに対し、労務管理は多数の労働者を対象とし、集団的に秩序付けるべく取り組むことである。

この意味において、人事管理と集団管理を旨とする労務管理とは根本的に異なるようにみえるが、集団も個人によって成り立つがゆえに両者は密接な相関関係にあり、一体感あるものでなければならない。そしてそのバランスは、個別企業ごとに経営理念によって異なってくると思われる。

現在では、前述のとおり個別人事管理の重要性が増してきているが、その背景には、従業員・社員が、使用者に対して個別に発言するようになったこともあるだろう。それゆえに、企業の対応は複雑にならざるを得ず、公明・公平・公正を期する労務管理自体が、難しくなってきたことを意味する。

また、労務管理は日々の積み重ねが重要であるが、労務管理にとっての日常的な指導・教育の意義を改めて考えさせられる近時の裁判例がある。

「T社事件」(甲府地判平21・3・17)では、営業職にある従業員が、社有車を子どもの保育園への送迎に使用していたこと、早退が多い等合計15項目の解雇理由により普通解雇されたことの有効性が争われたが、裁判では解雇は無効とされた。裁判所は、不適切な言動を繰り返す従業員に対して会社が指導を行ったことを示すメモは、記載が断片的で不自然であるため、公平かつ公正な立場から記載された物とは認められないとして、メモ自体の信用性を否定した。そして、会社が主張した解雇理由15項目中14項目について「事実を認めるに足りる証拠はない」としたのである。

「詞は飛び書は残る」という法諺を紹介するまでもなく、裁判における証拠としての書面の存在は極めて重要である。そして、裁判対策だけの意味ではなく、労務管理の実効性をあげるためには、会社が自らを律するとともに、日頃から就業に関する的確な指導・教育を行う体制を作っておく必要があるのである。

 

アナログ的能力を活用

さて、企業間競争が激しくなるにしたがって、「企業を活かし、人を活かす」ことがなお一層必要となる。「企業を活かす」とは、集団管理の視点に立つことであり、経営者・管理職者のリーダーシップ・マネジメント力等々が要素となる。「人を活かす」とは個性を大切にされてこそ人は最大限の力を発揮できるとの個別人事管理の視点に立つものであり、個別管理の基本である「人を見て法を説く」ことが重要な要素となる。

こうして、個性に主眼を置く個別人事管理の強化という視点に立つと、集団管理の困難さが一層際立つことに気づくだろう。これからの人事・労務管理は、集団管理と個別管理の一層の統合を図らなければならないが、結局、両者の架け橋は評価にあり、その公明さ・公平さ・公正さと、適切な経営理念の推進を実現することにあると言えるだろう。

人の労働の価値基軸は、主に手足を使う肉体労働がメーンであったフットワーク・ハンドワークから、頭脳労働・知的労働がメーンであるヘッドワークに移行し、社会の進歩や変化とともに変わってきた。そして今まさに、主に心を用いることが重要な要素であるハートワークの時代(心の時代)となっており、そして、近い将来はハートワークよりもなお一層人間性全体を活性化する時代(ヒューマンワークの時代)になるだろう。

私が提唱するこの「ヒューマンワーク」とは、マニュアル経営と対峙する概念であり、人間性の原点に立ち帰り、心身の限界を尽くして、人として有する全機能をフルに働かせる労働を意味している。言わば、全人教育の成果としてなし得るものである。

グローバル化が進めば進むほど、民族の考え方の違い、価値観の違いを超えて機能する、人類に普遍的な「ワーク」であるヒューマンワークが必要とされるだろう。

つまり、人事管理・労務管理においても心・精神性、さらには多様な価値観を前提とした上で、個人の人間性を念頭において構築なければならない。

先に、経営能力・管理能力・専門知識を備えた稀少人材の必要性について触れたが、そこで重視される人間の資質・能力はデジタル的な能力(数値上明確化することのできない能力)にあると言える。現代のように誰もがITを仕事に活用するのが当然の時代となればなるほど、勝負はIT化できない能力、数値化できない能力の優劣にかかってくる。例えば、話す能力・意思伝達能力・問題発見能力・協調性・営業力・交渉力・プレゼンテーション能力・リーダーシップなどは、いわばその代表例である。これらは、成果を数字で示すような頭脳労働だけではなく、人の感情や思いに訴えかける能力を必要とする。そして、ITはこれらの能力を増幅させる「てこ」の役割を果たす。だからこそ、ヒューマンワーク社会ではわずかな違いが大きな成果の差につながるのである。

 

利益追求のみでは限界

さて、このヒューマンワークの時代においては、健全な肉体はもとより、心の健全性も当然意識されなければならず、健全な心身と人間性との統合があって初めて、人としての存在意義と機能が十分発揮できるのである。この点、人事・労務管理においても人間性の尊重は当然意識されるべき視点であり、経営者や管理職者についても、また企業の精神である経営理念や事業活動自体についても、さらたには就業規則等の規定類の運等に当たっても、心身の健康と人間性を重視する態度で臨む必要がある。そして、こうした姿勢は企業構成員の意思統一を図るためにも極めて重要である。

人事労務管理の目的は、「企業の活性化を図る」「事業経営の成功を期する」ことに尽きるが、これは利益のみを追求するだけでは不可能であり、個々の企業構成員が「個」としての能力を十分に発揮することが必要不可欠となるであろう。即ち社員・従業員・労働者を、尊厳ある存在として扱うべく人事・労務が重要視される時代となってきたということなのである。

 

この記事にコメントをする

ご利用案内

内容につきましては、私の雑感等も含まれますので、真実性や正確性を保証するものではない旨ご了解下さい。

コメント欄に法律相談を書き込まないようお願い致します。

私のブログへのご意見・ご批評をお待ちしております。コメントは承認制とさせて頂いておりますが、基本的に掲載させて頂きたく存じますので、ご記名のうえご記入下さい。掲載不可の方はその旨ご記入下さい。

→ リンクポリシー・著作権

カレンダー

<   2017年11月   >
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

カテゴリ

月別 アーカイブ

プロフィール

高井・岡芹法律事務所会長
弁護士 高井伸夫
http://www.law-pro.jp/

Nobuo Takai

バナーを作成