2017年9月アーカイブ

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2017年9月10日(日)10:53 北区豊島8にてエンジェルストランペットを撮影
花言葉:「魅力、愛嬌」

 

 

第9回 対人影響力の極み

 

株式会社日本総合研究所
リサーチ・コンサルティング部門
青木昌一

 

1.人を巻き込む力

「極み」

とてもインパクトのある言葉ですが、人と人との関係に関しての「極み」を高井先生とのお付き合いを通じて垣間見た気がしています。

企業再建に向けて高井先生のご指導を仰いでいる頃、私が先生の圧倒的な存在感に触れて信者になってしまっていたことは、この連載をお読みいただいている方なら既にお気づき頂けたと思います。

高井先生は当時、「弁護士は一人で仕事をするスタイルをとる人が多いからリーダーシップに長けた人が少ないんだよ。」と仰っていました。私が日本総研に入って様々な専門職の方と接する機会が増え、これは弁護士に限らず専門職の世界、とりわけ高度な専門性を必要とする職種の方々の特徴であると実感しています。一方で高井先生ご自身はというと、強烈なリーダーシップを発揮してクライアントを引っ張って行ってしまいます。

いかに高井先生といえども、ひとりの人間の作業としてできることは極々限られています。それでも多くの会社の支援し、再生させてこられたというのは、ひとえに周り人の巻き込み方に極めて秀でていらっしゃったことで、クライアントの中の多くの人の力を引き出されて大きな力を発揮させていたからだと考えています。

以前、リーダーシップとは「方向を指し示すこと」だと高井先生が仰っていたことをご紹介しましたが、さらに人を巻き込み組織化する能力もリーダーシップの重要な要素なのだと考えています。

ハーバード大学の有名な経営学者であるジョン・コッターは変革型リーダーの重要な要素として「危機感を高める」ことができる。これが企業を変革する際の第一のステップであるとしています。その上で次に「周りを巻き込み組織化する」ということを言っています。

これは私の勝手な推測ですが、高井先生は当時コッターのこの主張を恐らくご存知なかったのではないかと思います。しかし、数々の困難な案件をこなされる中で人を巻き込む力を身につけられたのではないかと考えています。

 

2.勉強会

私が日本総研に入社し、コンサルタントとして歩み始めた頃から、高井先生に様々な勉強会に声をかけられ出席させていただくようになりました。スタイルも様々で「シンクタンクについて考えよう」といったテーマで、人材マネジメントにかかわる方々がごく少数集まるスタイルだったり、年2回の定例的な会に最初のメンバーが知り合いの方々を誘い出席者が増えていきホテルのミーティングルーム集うというスタイルもありました。そこでひとつのテーマに関して各出席者が自らの意見や経験談を紹介し、みんなで議論するようなもの。また、ある時はこのテーマに関しては我が国の第一人者という方をお招きし、基調となるお話を聞きし、出席者が質疑応答をしながらおいしい料理を楽しむ食事会ということもありました。

それらの勉強会に出席されている方々も実に多様多彩な方々でした。大きな会社の役員の方や人事担当者、起業家としてビジネスを立ち上げている方、ジャーナリスト、教育家、会計士や弁護士、医師、コンサルタント 等々。

そこになぜ私がいるのかはいまだによくわからないのですが、実に様々な分野で活躍されていて、すごい方ばかりです。そういう場にいらっしゃる方というのは何かしらそれまでの人生の中で高井先生と知り合われた方ばかりです。高井先生がこのような人と人との縁を極めて大切にされていたことがよく分かります。

 

3.人への影響力

このようなスタイルで広がった高井先生の人脈が実際のところどのくらいなのかは私にも想像がつきません。

ですが、例えばビジネスの種について何か分からないこと、困ったことが発生した場合に高井先生を通じて連絡を取り合ったり、場合によっては出席者同士が新たな人脈として協力し機能し始めるといったこともあります。

私の周りでも高井先生から大きな影響を受けた方はいらっしゃいます。

この連載の第一回でご紹介した西洋環境開発時代の先輩であり直属上司だった課長。西洋環境開発の再建に向けて数えきれないほど多くの回数の高井先生とのミーティングに私は一緒に参加しました。この方がそのまま勢いがついて法曹への道を志すようになり、40歳を過ぎて司法試験に見事合格されました。

現在は紀尾井坂テーミス総合法律事務所で活躍されている西本弁護士がその人です。年に数回今でもご一緒する。。。実態は遊んでもらっているのですが、弁護士を志した理由についてきちんとお話を伺ったことはありません。しかし、当時間近で西本弁護士を見ていて間違いなく高井先生の影響を受けて司法試験に挑戦されたことは疑いようがありません。高井先生と知り合うことがなければ恐らく弁護士としての西本さんはいなかっただろうと思うのです。

さらに私が西洋環境開発の人事部員として最後の頃に北海道の関連会社に出向していた後輩が人事部に異動してきました。一緒に仕事をしていた期間は2年ほどでしたが、この後輩も現在は帯広で弁護士として活躍しています。この後輩の場合、高井先生と直接の面識がないわけではありませんが、さほどでもありません。どちらかと言うと西本弁護士の姿を間近に見て司法試験への挑戦を始めました。そして見事に弁護士として活躍している訳です。つまりは間接的に高井先生の影響を受けた一人と言えるのでしょう。

以上

第9回 対人影響力の極み 

 

「極み」 

とてもインパクトのある言葉ですが、人と人との関係に関しての「極み」を高井先生とのお付き合いを通じて垣間見た気がしています。 

企業再建に向けて高井先生のご指導を仰いでいる頃、私が先生の圧倒的な存在感に触れて信者になってしまっていたことは、この連載をお読みいただいている方なら既にお気づき頂けたと思います。 

高井先生は当時、「弁護士は一人で仕事をするスタイルをとる人が多いからリーダーシップに長けた人が少ないんだよ。」と仰っていました。私が日本総研に入って様々な専門職の方と接する機会が増え、これは弁護士に限らず専門職の世界、とりわけ高度な専門性を必要とする職種の方々の特徴であると実感しています。一方で高井先生ご自身はというと、強烈なリーダーシップを発揮してクライアントを引っ張って行ってしまいます。 

いかに高井先生といえども、ひとりの人間の作業としてできることは極々限られています。それでも多くの会社の支援し、再生させてこられたというのは、ひとえに周り人の巻き込み方に極めて秀でていらっしゃったことで、クライアントの中の多くの人の力を引き出されて大きな力を発揮させていたからだと考えています。

以前、リーダーシップとは「方向を指し示すこと」だと高井先生が仰っていたことをご紹介しましたが、さらに人を巻き込み組織化する能力もリーダーシップの重要な要素なのだと考えています。

ハーバード大学の有名な経営学者であるジョン・コッターは変革型リーダーの重要な要素として「危機感を高める」ことができる。これが企業を変革する際の第一のステップであるとしています。その上で次に「周りを巻き込み組織化する」ということを言っています。

これは私の勝手な推測ですが、高井先生は当時コッターのこの主張を恐らくご存知なかったのではないかと思います。しかし、数々の困難な案件をこなされる中で人を巻き込む力を身につけられたのではないかと考えています。

   

2.勉強会

私が日本総研に入社し、コンサルタントとして歩み始めた頃から、高井先生に様々な勉強会に声をかけられ出席させていただくようになりました。スタイルも様々で「シンクタンクについて考えよう」といったテーマで、人材マネジメントにかかわる方々がごく少数集まるスタイルだったり、年2回の定例的な会に最初のメンバーが知り合いの方々を誘い出席者が増えていきホテルのミーティングルーム集うというスタイルもありました。そこでひとつのテーマに関して各出席者が自らの意見や経験談を紹介し、みんなで議論するようなもの。また、ある時はこのテーマに関しては我が国の第一人者という方をお招きし、基調となるお話を聞きし、出席者が質疑応答をしながらおいしい料理を楽しむ食事会ということもありました。

それらの勉強会に出席されている方々も実に多様多彩な方々でした。大きな会社の役員の方や人事担当者、起業家としてビジネスを立ち上げている方、ジャーナリスト、教育家、会計士や弁護士、医師、コンサルタント 等々。

そこになぜ私がいるのかはいまだによくわからないのですが、実に様々な分野で活躍されていて、すごい方ばかりです。そういう場にいらっしゃる方というのは何かしらそれまでの人生の中で高井先生と知り合われた方ばかりです。高井先生がこのような人と人との縁を極めて大切にされていたことがよく分かります。

 

3.人への影響力

このようなスタイルで広がった高井先生の人脈が実際のところどのくらいなのかは私にも想像がつきません。

ですが、例えばビジネスの種について何か分からないこと、困ったことが発生した場合に高井先生を通じて連絡を取り合ったり、場合によっては出席者同士が新たな人脈として協力し機能し始めるといったこともあります。

私の周りでも高井先生から大きな影響を受けた方はいらっしゃいます。

この連載の第一回でご紹介した西洋環境開発時代の先輩であり直属上司だった課長。西洋環境開発の再建に向けて数えきれないほど多くの回数の高井先生とのミーティングに私は一緒に参加しました。この方がそのまま勢いがついて法曹への道を志すようになり、40歳を過ぎて司法試験に見事合格されました。

現在は紀尾井坂テーミス総合法律事務所で活躍されている西本弁護士がその人です。年に数回今でもご一緒する。。。実態は遊んでもらっているのですが、弁護士を志した理由についてきちんとお話を伺ったことはありません。しかし、当時間近で西本弁護士を見ていて間違いなく高井先生の影響を受けて司法試験に挑戦されたことは疑いようがありません。高井先生と知り合うことがなければ恐らく弁護士としての西本さんはいなかっただろうと思うのです。

さらに私が西洋環境開発の人事部員として最後の頃に北海道の関連会社に出向していた後輩が人事部に異動してきました。一緒に仕事をしていた期間は2年ほどでしたが、この後輩も現在は帯広で弁護士として活躍しています。この後輩の場合、高井先生と直接の面識がないわけではありませんが、さほどでもありません。どちらかと言うと西本弁護士の姿を間近に見て司法試験への挑戦を始めました。そして見事に弁護士として活躍している訳です。つまりは間接的に高井先生の影響を受けた一人と言えるのでしょう。

 

以上

 

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  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第21回目です。
  • 第21回目は 墨田区長 山本亨様です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第21回)■ ■ ■ 

墨田区長 山本亨様

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


墨田区長 山本亨様 プロフィール]山本亨様

昭和36年9月25日生まれ、墨田区向島出身。

昭和59年3月 青山学院大学経済学部経済学科卒業

昭和63年4月1日 都議会議員秘書着任(平成17年7月退任)

平成19年5月1日 墨田区議会議員就任(2期)

平成27年4月27日 墨田区長就任。

座右の銘は「背私向公」、趣味特技は剣道(教士七段)

 

 

[今回のインタビュアーは以下の通りです]

  • 高井伸夫
  • 高島さつき(秘書)

取材日:2017年7月19日(水)於:墨田区役所

 


高井

墨田区の人口は伸びていますか。

 

山本様

おかげさまで伸びていまして、人口がいま26万7千人です。ひところは、例えば区のイベントでは“22万人のメッセージ”というキャッチコピーを使っていましたが、22万人を割っていた時期がありました。20年くらい前です。そこから徐々に増えていって、現在26万7千人です。昨年策定した墨田区の基本計画では、10年後には人口が27万5千人と想定していますが、もう少し前倒しで達成できるのではと考えています。

 

高井

人口が増えた要因は何ですか。ベッドタウンが増えたのですか。

 

山本様

下町の“ものづくり”の工場だったところがなくなって、跡地にマンションが建っています。東京スカイツリーが5年ほど前に開業して、その近隣エリアが大手町まで13分とか、実は非常にアクセスがいいところであると再認識されました。スカイツリーができるちょっと前から、いい状況になっています。

 

高井

工業地区だったところが住宅地やマンションになっているのですね。商業地区はどうなんですか。

 

山本様

墨田区には商店街が40くらいあります。これは墨田区に限らないと思いますが、後継者がなかなかいません。墨田区は、13.77平方キロメートルと、23区のなかでも下から6番目に小さい区なのですが、大規模な商業施設ができていますので、そうした店舗と、専門の魚屋さんや八百屋さん、お肉屋さんなど、意欲あるお店も多くありますが、後継者がいない現状におかれている皆さんが競うのは厳しいと思います。

 

高井

墨田区の観光面について教えてください。

 

山本様

もともと墨田区には、大相撲が国技館で年間3場所開催され、隅田川花火大会などの伝統行事があり、江戸東京博物館やスカイツリーなどの観光スポットもあります。

さらに、昨年11月にはすみだ北斎美術館がオープンしました。平成2年頃から、作品の寄付を受けたり、区が購入したりして葛飾北斎の作品を1500点ほど取得して、なんとか建設したいということで、前任の山﨑区長さんが努力されていたんですが、区が美術館を持つことの難しさがありまして、昨年11月22日に私の代でオープンさせていただきました。これが好調で、8か月ですでに27万人のお客様をお迎えしています。

来年の1月には、日本刀の刀剣博物館がオープンします。これは渋谷区代々木にあったのですが、刀剣美術保存協会の皆さんの協力を得て、両国にある旧安田庭園内に移転されます。その他にも、大手町にあった逓信総合博物館が東京ソラマチの8階に郵政博物館として生まれ変わり、渋谷にあった、たばこと塩の博物館もスカイツリーにほど近い、横川に移転されました。

今まで、これらは連携や関連性をもった運営は、されていませんでした。他にも、相撲博物館や花火の資料館がありますが、これから連携をとってネットワークを創り上げるなどいろいろと盛り上げていきたいと思っています。また、ハード面、いわゆる施設だけつくるのでなくて、両国地域の歴史や、江戸時代から脈々と流れる下町の伝統なども伝えていきたいと思っています。

 

高井

観光地区としては材料が有り余るということですね。オリンピックは影響はありますか。

 

山本様

3年後の東京オリンピックでは、国技館がボクシング競技会場になります。墨田区から会場が一つ選ばれたということで、これをきっかけに、区民を挙げて盛り上げていきたいですし、おもてなしの心をもって、国内外のお客様に墨田区はいいところだなと思ってもらえるように、ソフトパワーも備えていきたいと思っています。

区の基本計画に掲げる10年先の墨田区の将来像は、ちょっと大げさにいうと、国際文化観光都市として、レガシーをもって街の発展につなげていきたいと思っています。

 

高井

墨田区は、ものづくりは今でも盛んですか。行政としてどのようにかかわっていますか。

 

山本様

墨田区では、墨田区のものづくり事業者が作ったそれぞれの商品を、“すみだモダン” として認証して、販路につなげる活動をしています。ものづくりは盛んで、ガラス製品、皮製品、羽子板づくりや人形づくり等、伝統工芸にかかわる皆さんは、事業継承がうまくできています。墨田区伝統工芸保存会には若い人も参加しています。伝統工芸以外も盛んで、精密機械や部品類、ニットも有名です。

伝統工芸に携わる方々は、まっすぐ地道に努力をされている方で、自分が、自分がという人でもなく墨田の独特の職人気質の皆さんです。工場を経営している人もそうです。先進、先端技術をしっかり持っていて、地道に努力されている人が多いです。それをどう紹介して、情報発信していくのか、といった点は区が担当しなければいけないところです。

 

高井

墨田区はどういった取り組みをしているのですか。

 

山本様

東京都の事業を活用し、区内で新たな“ものづくり”を創出する拠点を整備する事業者に、整備費として2000万円を上限に補助しています。ニットだったりガラスだったり、機械工場だったり、水耕栽培だったり、印刷だったり、墨田区内では、8か所の拠点が整備されています。東京都の産業労働局との連携ですが、工場を建て替えたり、改装したりして、“新ものづくりの拠点”を整備する事業者の、ものづくりを支援しています。

また、先ほどご紹介した“すみだモダン”ブランド認証事業のほか、区内での事業承継を円滑に行うための支援事業などによって、すみだの“ものづくり”を様々な面からサポートしています。

 

高井

23区の中で墨田区はそういう支援の予算は多いんですか。

 

山本様

墨田区よりもっと面積も広く予算規模も大きい区はあると思いますが、産業支援とか、産業振興という点において、うまく効率的に支援ができていると思っています。額が大きいかどうかはなかなか比較はできません。

 

高井

成果は上がっていますか。

 

山本様

8か所の新ものづくり創出拠点は視察の方が来られるなど、いろんな面で取り上げられていると思います。各事業者の皆さんも、ご自身の事業に活かしたり、異業種との連携をしたりと拡がりを見せています。ただこの事業は5年目なので、これから実を結んでいくと思います。

 

高井

最後に、墨田区の子ども子育て支援について教えてください。墨田区は、子どもの数は多いんですか。

 

山本様

人口が伸びている一番大きい要因は、20代30代の方々の転入です。特別区民税の規模が200億円くらいですが、この3年で、8億、4億、4億と増えていますので、いわゆる納税世代、お子さんがいて働く世代の方に住んでいただいて税収も上がっています。その一方で保育園も待機児童が増えているという状況です。どこも23区は似たような傾向がありますが。

たとえば、墨田区の今年度の一般会計が年間1111億円ですが、すでに保育園の運営費だけで年間100億円かかっています。待機児童を解消しようとして、保育園をつくればつくるほど、運営費が10億円単位で増えていきます。保育園以外にも、幼稚園への支援、子育て支援総合センターの運営等、子育てに関するものも含めると、現状で予算の10分の1以上を子育て支援に充てています。

 

高井

300人規模の大規模保育園を作る計画はありませんか。

 

山本様

限られた土地を有効活用してつくるので、どうしても規模は限られてしまいますが、比較的大きい保育園では、定員150人というところもあります。限られた財政の中でできる限りの対応をしていきたいと思っています。

 

高井

分かりました。今日は時間をとっていただき、ありがとうございました。

 

以上

 


 

[次回以降のご案内]

次回の「時流を探る~高井伸夫の一問一答」のゲストはシンガーソングライター・自営業 ボビン・マン・バジュラチャルヤ様です。更新は10月10日(火)の予定です。次々回は世田谷区長 保坂展人様です。更新は10月25日(水)の予定です。

 

 

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こんにちは。

株式会社新規開拓の阿部由里と申します。今年の5月、縁あって私の地元山形県庄内地方の旅を、高井伸夫先生、有限会社セカンドステージ代表取締役 鮒谷周史様、弊社代表の朝倉千恵子と一緒に過ごさせて頂きました。
とても楽しく充実した庄内時間を満喫いたしました。

朝一番の便で庄内空港到着。まずは腹ごしらえ!東京でも美味しいブランド豚で有名な平田牧場経営の喫茶店「HIRABOKU CAFÉ」平牧三元豚ソーセージがまるごと入ったチーズヒラボクドック。コーヒーよりもビールにあう味でした。

 

庄内の旅は庄交ハイヤーさんにお願いして移動。腹ごしらえも終わって、まず最初に訪れたのが

【鶴岡市立加茂水族館】

小学生の頃、遠足で訪れた頃は、正直、ごく普通のありふれた地元の水族館で、入館者も減ってきていましたが、「クラゲドリーム館」で全国的に有名になり、今では夏休みや週末など全国各地から沢山の人が訪れる人気スポットになりました。可愛いアシカのショータイムも楽しみました。

クラゲの前で

 

【藤沢周平記念館】

「阿部さんの地元か、一度行ってみたいんだよなぁ」帰省のタイミングで藤沢周平記念館を訪れて、高井先生に熱烈なファンとお聞きしていたので、藤沢氏の冊子をお土産でお渡しさせて頂きました。そのときの会話がきっかけで、今回の旅も実現しました。藤沢周平記念館

まさか高井先生と一緒に庄内を訪れることができるなんて!と朝倉と私も(そして鮒谷さんも一緒!)驚きと嬉しさと、どんな旅になるか・・・とワクワクしながら予定を立てていきました。

ちょうど菖蒲が綺麗に咲いている時期。記念館の周辺は遊歩道になっていて、ゆったりとした時間が流れています。

 

【大松庵】

地元でもお蕎麦が美味しと有名なお店。店舗は、元々鶴岡市内にあった慈善家・鈴木今右エ門の屋敷を移築したもので、古民家風でとても趣ある雰囲気です。手打ち蕎麦はもちろんですが、庄内名物「麦切り」も是非、食べて頂きたくて追加オーダーしました。

https://www.tsuruokakanko.com/cate/p0358.html

うどんとひやむぎの中間のような、庄内独自の麺で、ツルッとしたのど越しで美味しいです。

 

【藤沢周平氏生誕の地Ⅰ】

旅の最後は藤沢周平氏生誕の地を訪れました。

内川

小説「蝉しぐれ」に登場する「五間川」牧文四郎がお福と幼子を刺客から守るために暗闇の中を舟で逃がした川がここだと言われています。地元では「内川」と呼ばれています。

【小菅隆次氏の自宅訪問】

この度、大変貴重なご縁と出逢いを頂きました。小菅さんは甥にあたる方で、藤沢周平氏ととても近しい人物。今回の鶴岡訪問にあたり、ご自宅にお邪魔させていただき「小菅留治さん」(藤沢氏の本名)との思い出やエピソードをお聴きしました。

藤沢周平直筆

ご自宅には藤沢氏直筆の書がありました。大事に保管しているものを見せてくださいました。ご存命のとき、毎年届いていた年賀状。手書きで優しい柔らかい文字でした。

直筆年賀状

この日は当時、ご近所に住んでいた佐藤久雄様も同席いただき、色々お話しをしてくださいました。学校の勉強を藤沢氏に教えてもらった思い出があるそうです。

【藤沢周平氏生誕の地Ⅱ】

記念碑

この周辺は鶴岡市高坂地区といいます。当時あった家は既に取り壊されていて、更地の状態でしたが、藤沢氏を忍んで全国からファンの方が訪ねてきて、何かあったほうがいいのでは。せっかく訪ねて来てくださるんだから、、、とこの石碑を建てられたそうです。

(中央:小菅隆次さん、右から2番目、佐藤久雄さん)

 

生前、藤沢氏は目立つことや派手に振る舞うことを嫌い、記念碑などをつくることはやめてくれと常々言われていたそうです。

 

【高坂部落藩公民館】

地元の公民館には、貴重な資料や書籍が保管されています。

地元に原版や初版書籍など、今ではなかなか見ることができない当時の作品が大事に陳列されていました。高井先生が色々質問すると、小菅さんも1つ1つ丁寧に教えてくださいました。

藤沢周平文庫

ファンの方であれは、これだけ作品がそろっていたら、物凄く嬉しいし、気持ちが高揚すると思います。(終始、このような姿で食い入るように閲覧しておりました)

文庫を見る三人

【曹洞宗洞春院】位牌

こちらの寺院には藤沢氏の位牌と遺影が安置されています。作品ができると必ず寄贈しており、寺院と公民館にそれぞれ今でも保管されています。大変貴重な資料を拝見できました。

位牌と遺影のある場所も案内してくださいました。写真も撮って大丈夫ですから。と、お声かけいただき、手を合わせてから一枚撮らせて頂きました。

 

鶴岡庄内の旅の最後まで、地元の方々の優しい温かい心遣いに触れることができました。また甥であり、藤沢周平著書保存会会長の小菅隆次さんと佐藤久雄さんがずっと同行してくださって、地元の方々にご紹介をいただきご縁を繋いでくださいました。皆さん優しい笑顔であったかいおもてなしの心で迎えてくださり、旅の最後は胸がいっぱいになりました。

高井先生は日帰りで、夕方の最終便で鮒谷さんと一緒に東京へ戻りました。

地元庄内の魅力を十分にお伝えできただろうか。大好きな藤沢周平氏生誕の地を一緒に訪問できたことは、数か月経った今でも、大切な思い出です。

高井先生、鮒谷さん、鶴岡市高坂の皆さん 大変お世話になりました。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

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20170915IMG_3776.JPG

2017年8月6日(水)13:21 麻布十番2にてペチュニアを撮影
花言葉:「心のやすらぎ」

 

 

第31回 経営理念と賃金ダウン(下)
(2009年7月27日転載)

 

 

今回の全世界的な不況に限らず、グローバル化が一層進むこれからの社会には、予測不可能な変化が起こり続けるであろう。企業としては、経営手法も人事制度も賃金体系も、諸事情の変化に応じて迅速かつ適切に変更できるものにしておかなければならない。それと同時に、働く者の側も家計の面において心配りをしてく必要がある。

日本の家計の貯蓄率は1970年代半ばには20%を超えていたが、下降の一途をたどり、07年度は2.2%と過去最低を記録したという(09年6月28日付日経新聞等参照)。今の深刻な不況下では、この率はさらに悪化していくに違いない。

賃金ダウンを実施した企業で従業員からとったアンケート資料に接する機会があったが、それによると、家計に関して次のような回答があった。―①教育費の捻出が特に問題で、家計の縮小・見直しについて家族で真剣な討議をした、②様ざまな節約をする中で、本を買わない・新聞購読をとりやめるなど自分自身への投資を減らした、③とにかく生活を根本から見直してこれからの厳しい社会を生きる覚悟をした―。

このように、賃金を引き下げられた従業員等の心理を分析すると、まず「不平」「不満」「非難」が噴出し、「反発」となり、その後事態を「甘受」するようになり、やがてやむを得ないという「諦め」「諦念」の心境に至る。しかし「諦念」だけでなく、その後賃金ダウンを積極的に「承認」するということにならないと、「発奮」にはつながらない。

賃金ダウンされた従業員等が最終的には「発奮」し、前向きに業務に取り組むようになるためには、経営者に愛情がなければならない。では、愛情をもって賃金ダウンを行うとはどういう意味だろうか。

 

「愛情」と「慈悲」の心で

人間はもともと共同体・協働体の中で生きるように作られた存在であり、自分達は社会のために働いているのだという大義名分が人にも企業にも潜在的にしろ存在している。しかも、日本人労働者は、環境の改善提案等を自主的かつ積極的に行うなど、自らの労働を意義あるものにすることに熱心であるということを念頭において、賃金ダウンを実行することが必要である。即ち、彼らの働きを認め、冷酷なやり方ではなく「愛情」と「慈悲」の心で、決して機械的ではない情理にかなった進め方をしなくてはならない。

二宮尊徳が「慈悲」とは「強と柔と二つ合わせて唱うなり」、「人を治め、国家を治むるにも、よく両面(強と柔のこと)を見ること肝要なり」と述べているように、企業経営も、優しさあるいは強さだけでは立ち行かず、優しさと強さの両方が必要なのである。尊徳の言う「強」は企業経営において経営者側から見れば慈悲の「悲」であり、「柔」とは慈悲の「慈」である。賃金を引き下げることは「悲」であることは間違いなく、その「悲」に対する「慈」の施策も同時に行うことが必要なのである。

ここで企業がなすべき「慈」の施策とは、賃金ダウンを実施している間にも経営改革が確実に一歩一歩進み、企業としても競争力がいくらかでも強まっていることを従業員等に見せることである。透明性を確保して、経営が少しずつでも上向いている様子が分かるようにするのである。例えば、不況で取引先が急減したとしても、営業努力によって新規の取引先が少しずつでも開拓され得ている状況が見えるようにするのである。

そして、賃金ダウンにおける「柔」の施策としては、雇用の維持を明示貫徹し、企業の再生を図ることである。賃金ダウンには、この見通しがなければならない。「悲」の施策(=賃金ダウン)を実施するが、近い将来は企業にとって確実に明るいものがあり、社会への貢献につながることを現実化することである。賃金ダウンにあたっての大義名分書でそれを約束し、実現していくことが「柔」の施策ということになる。

そうは言っても、愛情をもって賃金ダウンを行うことは大変難しい命題である。それゆえに、経営者としては、たとえ一時期賃金がダウンしても、企業に将来再起の目処があり、賃金が元に戻る可能性があるということを現実の問題として検討したうえで、賃金ダウンを行うべきである。つまり、一時しのぎの意味での賃金ダウンは、愛情ある賃金ダウンではない。それゆえ、単に賃金が復元し得るだけではなく、将来企業が再興し成長していくという確信が経営者になければ、賃金ダウンをしてはならない。

賃金ダウンを行うのは経営者としてもイヤなものだが、企業の存続そして将来への展望に向けて必要であれば、断行せざるを得ない。そして、賃金ダウンを断行しても経営改善の見通しが得られないならば、事業の大幅な縮小をして、人員整理を行い、あるいは企業の自主廃業を検討すべきことになる。

さて、企業で評価が必要とされるのは、多数の労働者の組織体である企業においては序列付けが不可欠だからであり、また、この序列付けなくして、企業の秩序は確立し得ない。

人間には、自立心・連帯心とともに向上心があり、下位の者は上位をめざし、上位の者はさらに上位をめざすといった向上心に支えられている。評価制度は人間の刺激剤という役割を担っているのである。そのため、人間の成長は競争的解決の手法によって促されると言えるが、単なる競争的解決だけではなく、協調的解決も必要であり、それゆえに連帯心を刺激することも必要になってくる。そのためには、評価システムとしての様ざまな規則や規定に基づいて「公明・公平・公正」を旨とした評価を行い、連帯心を刺激していくほかない。

また、評価をするのは、人間が個性ある存在であるからでもある。個性は、優秀かどうかという違いにとどまらず、優秀さにおいてもそれぞれ格差があることを前提としている。即ち、人間は適切に評価されなければ、優秀さを発揮できない存在なのである。この格差による個々の分裂を埋めるものは、人間的な精神の絆しかない。共感し共鳴し合う状態を形成することが、職場において必要不可欠である所以は、この点にある。

ところで、経営は目的をもった組織、即ちゲゼルシャフトであり、成果をあげるための組織であって、仲良しクラブのようなゲマインシャフトとは違う。問題は「成果」として何を掲げるかということになるが、収益だけを掲げてはならない。企業は公共的存在であるがゆえに、社会的貢献活動・社会責任も大きな課題として念頭に置かなければならないし、成果の目的としての組織理念・経営理念も、評価の根本基準としなければならない。そうしてこそ、より適切な評価が得られることとなる。

評価においては、企業を取り巻く現在の社会情勢に適合するように「成果」を定義づけなければならない。従業員が組織の頂上に登りつめることをめざす“エベレストクライマー”ではなくなってしまった現在においては、従業員が評価の基準をそれぞれの“個性”に求めていることは言うまでもない。誰しも社長をめざす時代ではなくなり、各々が各々の場で活躍する場所を与えられなければならない時代となったからである。

こうした今の時代に合うように、評価の在り方も根本的に変換する必要がある。そのため、評価制度は総合的・網羅的なものではなく、専門性の向上に資するものではなければならず、それぞれの分野における判断力・実行力・企画力が問われる。賃金ダウンに当たって多くは賃金体系を変更するが、その意図するところに沿って再格付けを実現すべきなのである。

賞与や退職金と異なり、月額で支給される基本賃金の減額に手をつけるということは、労働者の生活のための保障を奪うことである。そうなると、経営者は責任を問われてもやむを得ないと言うことになる。

 

トップの交代も視野に

経営者の責任問題の端的な表れは経営者の交代であろう。企業を売却せざるを得ない状況を迎えるということもあり得るだろう。つまり、賃金ダウンをするのは万策が尽きた結果であるが、その万策には経営者の交代も含まれる。企業の再建・再生に新しい視点・新しいビジネスモデルで取り組むためにも、賃金ダウンされた従業員等に展望を与えるためにも、経営者の交代が必要である。これは、今後の賃金ダウンの施策において、特に意識していかなければならない課題と言えるであろう。

経営理念といえども、人が策定するものであり、人の所産である。賃金もまた人が人に給するものであろう。そうなれば、経営理念と賃金との間に、連動性があるとされる所以も明確になる。“給する人”が経営理念を確立して行くため、当然ながら賃金もまた、経営理念を踏まえたものでなければならない。

ところで、ドラッガーが「若年人口の減少が国内市場を根本的に変える」「人口構造の変化こそ、ネクスト・ソサエティにおいてもっとも重要な要因である」(ドラッカー著『ネクスト・ソサエティ』1章・2章参照)と言うように、人口動態は今後の社会のあり方を決めるものである。既に05年から人口減少社会に突入した日本は、出生率がこのまま推移すると、50年度には総人口が現在の約1億2770万人から3割減り、100年後には6割5分減り、900年後には日本人が消失するという推計があるという。

日本企業は労働力の確保が極めて困難になり内需も望めず、成長はおろかしだいに衰退していかざるを得ない。凋落し勢いを失った根源的な衰退状況にあっては賃金ダウン策さえ意味を持たなくなってしまうだろう。

経済評論家としても活躍された故神崎倫一氏は、今から10年以上も前、「週刊新潮」1997年12月18日号で「私は常々、日本は美しく老いるべきだと考えているんです。それが最も大切なことだと思っています」と述べられた。もはや日本には老いて朽ち果てていく以外道がないとすれば、国家のみならず企業も雇用者も、貧しくとも世界に尊敬される存在をめざし、それを実現するための教育等諸施策が必要になってくるのである。

 

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<イッピン>
道場水産「たらこ」―北海道茅部郡鹿部町

 

 

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この夏、北海道・道南地方を旅し、鹿部町に立ち寄った。駒ヶ岳山麓と内浦湾(地元の方は噴火湾と呼ぶ)に挟まれるようにたたずむ、水産が主産業の町である。

 

当地で、「道場水産」さんの「たらこ」に出会った。
たらこの加工場を多く有する鹿部町の中にあってそのおいしさは折り紙付き、全国で1,2を争う逸品と聞いた。

噴火湾は古くから「宝の海」と呼ばれ、季節ごとに様々な魚が来遊するが、特に冬に産卵のためにやって来るスケソウダラの日本有数の漁場なのだという。このスケソウダラの卵のみを使用して作られるのが、道場水産の「たらこ」である。

その最大の特徴は、皮が非常に薄く、かぶりついても簡単に噛み切れる食感の良さである。それでいてきめ細かい粒がぎっしりと詰まり、一粒一粒のうまみとともにさらさらと喉を通ってゆくのだ。

道場水産では、その日水揚げされたスケソウダラの生の卵をその日のうちに仕入れ、低塩水でまろやかな塩味に漬け込む。低塩だから素材本来の味を失わず、健康志向にもかなう。甘みを含む上質な塩にこだわり、その日の卵の状態によって塩分濃度を微妙に調節するという徹底ぶりと、たらこへの愛情こそが、日本1,2といわれるブランド力を築いているのであろう。

 

もうひとつ、「原料としてのたらこ」の話を聞いた。鹿部町から送られたたらこが、福岡の「明太子」になるのだという。原料の良さが、「明太子」というもう一つの逸品を創出しているのだ。

最良の素材を、最良の状態で加工し、最良の商品を生み出す。加工だけでも、もちろん原料提供だけでも成り立たない。個々のたゆまぬ技の追求と、世に送り出す創意工夫が相俟ってこそ、それぞれの「イッピン」が生まれるのであろう。

 

鹿部土産の「たらこ」を手に、町の大(おお)寿(ず)司(し)さんで「たらこ」を食した。実に美味、「イッピン」に間違いなかった。

 

以上

 

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  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第20回目です。
  • 第20回目は FINEST株式会社 代表取締役 徳永美佳様です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第20回)■ ■ ■ 

FINEST株式会社 代表取締役 徳永美佳様

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[FINEST株式会社 代表取締役 徳永美佳様プロフィール]

徳永美佳様お写真FINEST株式会社 代表取締役社長、一般社団法人ビジネスカラー検定協会 会長 

元ANA全日本空輸株式会社の客室乗務員。チーフパーサー、グループスーパーバイザー職を務め、客室本部(地上職)勤務ではスターアライアンス、政府チャーター、新機種導入時の客室乗務員の編成担当などを担当。JAL系の研修会社ザ・アールの研修講師、みずほ証券調査部長秘書を歴任、その後独立し、個人事務所finestを設立。2013年8月に株式会社FINEST設立。

2015年12月には一般社団法人ビジネスカラー検定協会を立ち上げ、「ビジネスカラー能力検定」の普及に努めている。

 

 

 

 

 

 

 

[今回のインタビュアーは以下の通りです]

横倉様

  • FINEST株式会社 教育研修部 チーフ講師 横倉容子 様


    FINEST株式会社チーフ講師。的確なアドバイスとメリハリのある指導が好評。ANA空輸株式会社で客室乗務員職として乗務し、その後インテリアコーディネーター、整理収納アドバイザー資格を取得。店舗研修では接遇指導に加えVMDの視点からも指導を行い、資格を活かして指導を行っている。
  • 高井伸夫  
  • 高島さつき(秘書)

 

 

 


高井

御社の研修の特徴、強みを教えて下さい。

 

徳永様

新入社員研修もそうですが、中小企業、100人以下の企業に対する研修に強みがあります。100人以下の規模だと全ての階層では行われていなかったり、そもそも研修自体を全く実施していない企業様も多いんです。「研修なんて必要ないよ」「なんで今さらマナーなんだ」と言っている現場の人を相手に、カリキュラムを作り上げて、研修を実施して、マナーの大切さを伝えてきました。そこには様々な苦労がありましたが、今ではその経験と知識の豊富さが弊社の大きな強みとなっています。

 

高井

御社のHPに、BCMブレインマネージメントカード研修というのがありますが、これは御社独自の研修でしょうか。

 

徳永様

これは、立ち上げ当初からある研修で、弊社が作り上げたコミュニケーションツールです。最初、一人で講師をやり始めたころに、心理学を学び、様々なソーシャルタイプ分けの研究をしていくなかで、どのツールも最後の落としどころが一緒だなと感じていました。またソーシャルタイプ分けの作業では、様々なキーワードを選んでもらうのですが、ネガティブなキーワードがあることは避けたかった。例えば「威圧的」とか、「権威主義」というキーワードを他人に選ばれてしまうのは嫌だろうなと思っていました。それで、そういった言葉を全部排除したものを作ろうと意識して、独自のコミュニケーションツールが出来上がりました。

外国人の方、特に中国人の方を対象にBMCカードを使いだして、カードに中国語のテプラ貼って対応していたのですが、英語のカードを作れば、さらにいろんな国の方に分かってもらえると思い、英語のカードをつくることにしました。その際に、英語のニュアンスと日本語のニュアンスが違うなと思うものは、キーワードを変えたりしました。そのほかにも、よりソーシャルタイプ分けのヒントになるようにキーワードを作り替えるなど、創業時から少しずつ改良を加えています。ソーシャルタイプ分けについては、同じようなのがたくさんありますが、弊社のBMCはより実践的で分かりやすく、皆さんが前向きに自信をもって使っていただけるものになっています。

 

高井

一番売れているコースは何ですか。

 

徳永様

そうですね。ビジネスマナーはスタンダードなので、コンスタントに人気ですが、最近は接遇マナーの問い合わせが多いです。この接遇マナーの中に「江戸しぐさ」を取り入れているのですが、これにはいろいろな意見はありますが、弊社では江戸しぐさをもとに、古き良き日本の素晴らしい部分が残っている、思いやり・おもてなしの心、所作を「幸せしぐさ」とネーミングしています。この「幸せしぐさ」の接遇マナー研修がすごく人気です。

高井

ビジネスマナー研修、「幸せしぐさ」の接遇マナー研修、3番目は何ですか。

 

横倉様

弊社の特色を活かした「CAのおもてなし研修」も人気研修のひとつです。

 

徳永様

弊社の講師全員が全日空出身者ということもあって、その特色を活かそうと発案したものです。会議室に飛行機のように椅子を並べて、最初はお客様役になっていただき、色々な事例の対応を体感していただきます。CAは、どんな目線で、どう対応しているのか、具体的に種明かしをしていく。その後実際にCA役になってもらい、学んだおもてなしを実践していきます。当初は接客をする人を対象に始めたものですが、事務職の人にも好評で、チームワークの大切さなども学べます。CAになりたいという、CAの予備校に通っているような学生も受講して合格につながっています。

 

高井

日本のマナーを世界に広げるとはどういうことですか。

 

徳永様

弊社のコースの一つに、日本で働く外国人向けのマナー講座があります。日本で働く外国人の方からは、日本のやり方・しきたり、日本人の心をすごく求められています。研修では、日本の地域的な環境や気遣いについて、日本人が何でこうやっているのかをお話しして、理解を深めていく。外国人の方は、受講中にダイレクトに意見を言います。NGなことにはNG、納得いかない、と言ってくれるので研修の中で討論ができます。外国人とマナーについて徹底的に話し合うのは楽しいですし、彼らも、そこで落としどころを見つけてくれる、そういう場を提供することが必要だと感じています。

 

高井

御社の企業理念は何ですか。

 

徳永様

「ありがとう」です。「ありがとう」には、いろいろな「ありがとう」があります。ある作家さんの講演会で、講演の題字を書道で書く機会がありました。その講演会で、難のない人生「無難な人生」と難がある人生「有難い人生」という話があって、難があっての「有難い」を知りました。ちょうど当時、私自身、「難」が多かった時代で、今でも多いですが、自分に「難」が多い時だったからこそ、何か心に響くものがありました。それもあって、「ありがとう」を企業理念にしています。研修も理念である「ありがとう」と言ってもらえるものを目指しています。講師たちは、自分の研修の出来・不出来だけに一喜一憂してしまいがちですが、研修のアンケート結果を見ると、受講者から「ありがとう」が多かったりする。自分の研修の出来ももちろん大切ですが、「ありがとう」をもらっているなら合格点という思いがあります。

 

高井

ありがとうと言われる研修。研修終了後もお付き合いは続くのですか。

 

徳永様

100人程度の規模感の企業様が多いので、非常に距離も近く気軽にお悩みを相談していただけます。例えば、受講者の様子を知っているので、次の配属をどこにしたらいいとか、相談を受けることがあります。

 

横倉様

全部を頼りにされることが多いというか、困ったら徳永さんにお願いしましょうという企業様もありますね。

 

徳永様

弊社は、研修の一人一人のフィードバックも細かくするので、そうすると、例えば遠くに配属しても大丈夫かなとか、あの上司とは合うかなとか、そういう相談もあります。社長からはそういった報告を、「役員会で話してくれ」と言われることもあります。

 

高井

起業したことで、女性特有というガラスの天井を意識したことはありますか。

 

徳永様

実は、私は感じたことがないんです。起業して、いろいろ仕事が取れなかったり、ばかにされたりすることはありましたが、すべては自分の実力なので、女性ならではのガラスの天井を感じたことはありません。この話を、横倉としていたのですが、おそらく組織の中にいると感じるものなのだろうという結論になりました。組織の中だと、同じ実力で、こうやって頑張ってきても、女性だからということで、ガラスの天井を感じることがあるのかもしれません。起業してしまえば、かえって感じないものなのではないでしょうか。

女性特有ということであれば、逆に天井ではなく子育てや家事というベースの部分で、仕事との両立は非常に難しいと感じました。私の場合、実家も岩手で親族も傍にいないこともあり、頼れる身内がいない中で両立している見本となる女性起業家が見つからないのが一番辛かったことです。結局は子供達自身の理解と協力、親族以外の周囲の助けがありここまでやって来れました。今では自分が見本になれればと思い、頑張っております。

 

高井

ところで、徳永様は「書道家徳永青玲」としてもウィリアム王子に書を送るなど、活躍されています。書を始めたきっかけ、活動内容について教えてください。

 

徳永様

7歳から書道を始めました。公民館でおばあちゃんに教えてもらい、年を取ったら自分もこんなふうになりたいと思っていました。そして師範の資格を取ろうと思い、CAになった後も夜学などで学びました。

私は、岩手出身なのですが、震災の後、どうやったら地元の人を励ますことができるかを考えていました。地元の人の励ましの言葉なんて要りません、という声もあるなかで、例えば「ハッピー」を、「羽が飛ぶ」で「羽飛(ハッピー)」と読む。こういう書だったら、「頑張れ」と言うのでもなく楽しめるかなと。それで、書に色も入れていきました。色彩心理で、「青だったら地球規模の愛ですよ」とかいうのを、ちょっとずつ始めて、それで読んでくれる人もいたりして。そんな活動をしているうちに、今度は、外国人の方から、自分の名前を漢字にしてくれという依頼が来るようになりました。まさかウィリアム王子の書を書く日が来るとは思ってもいなくて。

千本ノックと言って、「書彩」、英単語を全部で1000個書く取り組みを始めています。今は、560個くらいまで書いています。拙い書ですが、喜んでくださる人がいて今後も続けていきます。

以上

 

 

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2017年8月12日~14日「函館旅行記」

 

 

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8月12日(土)

11時40分函館空港到着。

13時15分のシャトルバスまでしばらく時間があったので、空港3階のレストランで海鮮どんぶりを食べましたが、期待していたほどの味ではなかった、というのが正直な感想です。

その後シャトルバスに乗って、15時頃大沼プリンスホテルに着きました。ホテルがある七飯町は緑豊かなところでしたが、雨が降っていたせいか、少し涼しく感じました。

 

16時に鹿部町に行き、鱈子を発見しました。案内して下さった道南タクシーの運転手さんが教えて下さったのですが、函館の鱈子は特級品だそうです。道の駅でお土産に一箱購入しました。

道場水産を訪れたところ、そこでも鱈子が製造されていました。ここで作られる鱈子は日本全国でも1、2を争う良質・高級な商品だそうです。

福岡県産の明太子は有名ですが、明太子に使われるスケトウダラの鱈子は北海道でしか取れないため、鹿部町の鱈子を加工して作られているそうです。

その後、鹿部町の大寿司というお寿司屋さんで鱈子を食しました。やはり、旨みが凝縮されていて、とても美味しかったです。

 

18時20分に北海道出身の事務所員お薦めの、大沼にあるラッキーピエロというハンバーガーのお店に行き、チャイニーズチキンバーガーの卵入りを食べました。このお店は、日経新聞のご当地バーガーランキングで1位になったそうです。

 

ホテルに戻ったのは20時頃です。静かなホテルでしたが、ちょうど私が戻った頃、中国からの旅行客が団体でお風呂に入るとのことだったので、残念ながら大きなお風呂には入れず、部屋のお風呂で汗を落としました。

 

 

8月13日(日)

10時頃、降り続いていた雨がいったん止みましたが、空模様は優れず。いつでも振り出しそうな天気でした。

高いところから函館市内を見わたそうと7時にシャトルバスに乗ってまず函館空港に向かい、函館空港からタクシーで山を登りました。しかし残念ながら小雨が降っており、かつ霧がかかっていたので、全くと言って良いほど何も見えませんでした。

諦めきれず、函館山の2合目までタクシーで行ったのですが、結局ここでも雨と雲とで視界が開けず、景色を見ることはできませんでした。

 

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仕方なく下って、村岡画廊にお邪魔しました。藍染の作品などをみせてもらい、店主の村岡武司さんと色々なお話をさせていただきました。

 

11時過ぎに五稜郭タワーに行きました。エレベーターで90mを一気に上り、上から見下ろしたところ、その名の通り、実に見事な星形になっていて感心しました。飾られていた写真を見ると、春には土手に植えられた桜が一斉に咲き、また違った景色となるようです。

五稜郭が造られた当時は、大砲の弾が沿岸から3キロメートルまで届いたため、五稜郭は沿岸から5キロメートル離れたところに造られたそうです。こういった話を聞くと、日本人には匠の精神が満ち満ちているということを改めて感じます。

 

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その後、「やきだんご 銀月」というお団子の店に行き、お団子を購入しました。地元では知らない人がいないという程の名店だそうです。

事務所の所員が卒業した函館短大を見て、12時半に函館空港まで戻ってきました。

タクシーで金寿司というお寿司屋さんで、お寿司をちょっとつまんだ後、7、8の画廊と骨董商をめぐろうとしたのですが、生憎お盆休みの、しかも日曜日だったため、そのほとんどが休みでした。

しかし、画廊・骨董商巡りのために函館市内をタクシーで回ったので、市内の空気をかなり理解することが出来ました。函館市は人口が減少していて斜陽化しつつあるようですが、お盆休みなど観光シーズンには観光客が多く集まり、街並みに活気が溢れるようです。

 

この日は朝10時まで雨が降り、いったん上がったものの午後4時からまた降り出すという天気であったため、当初予定していた伊達市在住の画家さんのところへ訪ねていく気には、とてもなれませんでした。

その代わりに、函館市が運営している函館市立北方民族資料館に向かいました。この資料館には、アイヌ民族に関する資料を中心として様々なものが展示されていました。私は、アイヌ民族自体についての知識はあったのですが、彼らが実際に身に付けていた服飾品や祭祀や生活に使用していた品を見たことがなかったので、「この資料館を見学できただけで函館に来た価値があったなぁ」と思えるほど非常に興味深かったです。

 

続いて旧イギリス総領事館を見に行きました。いわゆる一般的なイギリス式の庭園で新鮮味はありませんでしたが、明治から昭和初期にかけて函館が世界的にもメジャーな都市であったことが窺われました。

 

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8月14日(月)

いよいよ旅行最終日となりました。帰る前に、見学も兼ねて朝市に行き、この日もお寿司をいただきました。函館は魚介が新鮮で、お寿司がとても美味しいのです。

この日も曇り空で時々雨が降るというすっきりしない天気でした。最後まで雨に祟られた3日間でしたが、函館では8月中旬は紫陽花が盛りの季節ということで、雨に美しく映えていたのが印象的でした。

 

20170904IMG_3790.JPG

 

以上

 

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