2017年7月のアーカイブ

20170727IMG_3634.JPG

2017年6月14日(水)11:22 長野市にてランタナを撮影
花言葉:「合意、厳格」

 

 

平成29年6月13日 中小企業と企業統治セミナー 開催報告

 


第1 ごあいさつ

 

今年1月~3月、「週刊 労働新聞」において連載された「経営・人事担当者向け 中小の企業統治論(全11回)」を契機に、連載執筆者のうち、エゴンゼンダー株式会社代表取締役社長の佃秀昭氏、中央大学法科大学院教授・弁護士の升田純氏を講師にお招きし、去る6月13日、市ヶ谷法曹ビル(弊所所在ビル)において「中小企業と企業統治セミナー」を開催した。具体的な数値、事例を元にした講演を行って頂き、受講者からは大変好評の声を頂いた。

 

富士ゼロックス、東芝が不正会計問題で生死をさまよっているが、インチキのない、厳格な時代に沿った感覚で今後の経営を考えていかなければ、企業は生き残れない時代になった。(そもそも「不正会計問題」ではなく、正しく「違法請求」というべきである。)

中小企業の経営者からしてみれば、中小企業は企業統治とは縁遠いと思われているかもしれないが、以上のことを念頭に置いて、今回、セミナー受講者にお話を聴いて頂いた。

 

 

第2 講演要旨

 

【第1部 実効的な企業統治の在り方を考える】
(講師:エゴンゼンダー株式会社代表取締役社長 佃秀昭氏)


1.統治実態調査2016と中小企業における課題

 

エゴンゼンダー社が東証一部上場企業380社から取ったアンケートの回答の結果から見えること。380社のうち、500億円未満の売り上げの会社(比較的規模の小さい企業も含まれている。ここでは、便宜的に中小企業と称する)が101社。1兆円以上の企業が57社であったが、売上高500億円未満の規模の企業に着目する。

 

(1)社外取締役の貢献に対する評価

 

中小企業の半数近くが、社外取締役の会社への貢献度に満足していない。中小企業では、社外取締役が法律・会計専門家にやや偏っているきらいがあり、3人に2人は弁護士か公認会計士であるというのが日本の中小企業の現状であるが、それが社外取締役の貢献に対する評価の相対的な低さにつながっている可能性がある。

→ 特に中小企業においては、まず社外取締役の出身・職業の構成について、企業経営経験者を入れるなどし、社外取締役の貢献度を高める方向性の検討をしてみてはどうか。

 

(2)後継者計画等の整備状況

 

企業規模を勘案すれば理解できる水準。指名委員会の設置状況は、売上高1兆円以上の大企業は80%以上が設置済みであるのに対して中小企業は約24%と非常に低い数値だが、これは使える資源が限られている中小企業にとって、運営が大変な負担になるからだと考えられる。

→ 指名委員会の設置は必ずしも必要ではないと考えるが、指名委員会の運営負担の大きさは企業にとって今後も大事な論点であると捉えたい。

そもそも、法律・会計専門家が指名委員である場合、経営者として優れている人を見極める知見があるのかどうか。適格性を備えた指名委員を招聘することの困難さも問題。

 

(3)取締役会評価(取締役会の実効性についての定期的評価)の実施状況

 

自己評価・第三者評価の実施率は、売上高1兆円以上の大企業では94.7%、1000~5000億円の企業は59.7%、500億円未満の中小企業では50.5%

→ 中小企業も、企業規模を勘案すれば積極的に対応していることがうかがえる。もっとも、企業規模が小さければ小さいほど、必要性を感じない経営者も相当にいる可能性がある。

 

2.取締役会の実効性を強化する

 

<中小企業の企業統治を考える>

 

(1)企業統治の目的

 

経営陣を「攻め」と「守り」の両面から規律し、結果的に企業価値の向上に資するような組織運営を行う仕組みを作ること


(2)中小企業の特徴

 

・企業価値に与える、トップの影響が大きい

・経営の意思決定が極めて迅速

・企業規模ゆえ、資源(人的・資金的)の制約がある<

 

※考慮すべき論点として、そもそも中小企業に企業統治改革は必要か?

 

→ 必要ない企業もたくさんあると思われる。(e.g. 優れた経営者によるワンマン経営で企業価値が向上しているケース)

 

<取締役会の責務>・・・企業規模に関わらず当てはまる責務

 

①企業戦略等の「大きな方向性」の決定

②経営幹部のリスクテイクの環境整備

③独立した立場からの実効性の高い監督

 

<取締役会機能の向上に向けた施策>
・・・取締役会の責務を果たすために何をすべきか

 

①取締役会の議案・・・戦略的重要性の高い議案の選定と付議基準の見直し

②取締役会の構成・・・社内・社外バランス見直しと多様性(知見・経験)の確保

③事務局機能・・・専任部署などの新設、優秀人材の配置など

④傘下委員会の機能・・・指名委員会・報酬委員会の設置、委員会体制の強化

⑤取締役会の議事運営・・・議事運営の見直し、議長のファシリテーション(*1)強化等

⑥社外取締役の支援・・・事前説明の充実、社内会議への陪席許可等

⑦開催頻度・時間等・・・開催頻度の減少と1回あたり時間の拡大など

⑧取締役会評価・・・取締役会の課題認識と自己内省・PDCAサイクル(*2)の導入

 

※特に大事なものは①②④

*1 会議の場で、発言や参加を促したり、話の流れを整理したりすることで合意形成や相互理解をサポートすることにより、組織や参加者の活性化を促進させる能力のこと。

*2  Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)を繰り返すことによって、業務を継続的に改善させる手法。


<指名委員会の機能~後継者計画の重要性と難しさ>

 

経営者年齢が上がるほど投資意欲の低下やリスク回避性向が高まり、経営者が交代した企業のほうが利益率が高いということは、中小企業庁のデータからも分かっている。事業承継は極めて重要な問題。

→ しかし、

・経営トップの影響力の強さゆえ、現在のトップが経営権を承継することに対してなかなか踏ん切りがつかないという問題

・人材確保の難しさ

 

経営者とは?

既存秩序にとらわれず、リスク志向である。ビジョンが目標を定める。やりたいことが目標(やらなきゃいけないではなく、やりたいことは何か)。選択肢を狭めるのではなく広げていく。うまくいっている間こそどんどん手を入れていく。人との衝突を恐れない。変化の推進者である。

 

 

【第2部 法律の活用】
(講師:中央大学法科大学院教授・弁護士 升田純氏)


1.企業の経営と資源の活用

 

・企業統治は、法律によって支えられている。また、法律を遵守することが基本となっている。

・企業経営は、知っているかどうか、気が付いているかどうかにかかわらず、法律に関係し、法律が適用される場面が多い。

・経営資源には、資金の調達、原材料の調達、優秀な労働力の確保、信用の形成・向上、取引関係の形成・維持、情報の入手・活用など、有形のものに限らず無形のものもあるが、ここに法律の活用も加えるべき。

・法律の活用は無形の経営資源であり、代価、費用を要しない。

 

2.法律のイメージと実像

 

・法律の中には刑罰等の制裁を定める法律があり、そこに注目が集まりがちだが、事業者に様々な権利、利益、便宜を与える法律も多数存在する。(e.g. 補助金を与える法律)

 

・企業における実際の法律問題の実情として、法律の内容・改正動向への無関心、それ故の法律違反による信用の低下、コンプライアンス違反の指摘を受ける、権利や利益を提供してくれる法律の利用を見逃してしまう、訴訟対策に出遅れる等がある。

→ ただ、企業の中には、法律を積極的に活用し、経営・事業の戦略に活用する所もある。

 

3.法律の活用の基本戦略

 

・法律の内容、改正動向には常に関心をもつ。

・法律の変わり目(改正の前後)は、企業の経営、事業にとってリスクが大きくなるものの、逆に利益を得るということもあるため、注意しておくこと。

・同業者の会合、講演会、セミナー等、あらゆる機会を利用して法律に関する情報を入手する。

→ 特に、法律を所管する各省庁のホームページは情報が満載であり、これを日頃活用することをお勧めする。そして、詳細を正確に理解するためには各省庁への問い合わせ、弁護士への相談をすることが重要。

・企業の経営、事業の場面で法律のことを一度は話題にし、疑問が生じたりした場合には必ず確認する。

 

4.法律の活用と裁判の利用

 

・法律の活用は、最終的には訴訟において勝訴判決を得て、確定しなければ実現しない。

・また、訴訟に巻き込まれることもある。

・常日頃から訴訟対策に留意することも重要。

 

※「論より証拠」

・訴訟には「請求」「主張」「立証」「判断」の4つの手続きがある。

4つの手続きのうち、勝つために一番重要なものは何か?

→ 証拠による立証であり、「論より証拠」の格言

 

証拠の種類は5つ

①本人(会社の場合は代表者)の供述

②証人の供述(証言)

③鑑定人

④文書(インターネット上の電子文書、録音媒体等を含む)

⑤検証物

 

良く利用される証拠は①②④

訴訟対策として、証拠を常日頃から蓄えておくことが必要。

 

以上

 

20170728IMG_3644.JPG

2017年6月17日(土)11:59 長野市栗田付近でロベリアを撮影
花言葉:「謙遜」

 

 

第7回 高度プロフェッショナル制度

 

株式会社日本総合研究所
リサーチ・コンサルティング部門
青木 昌一

 

1.残業手当の免除

先日新聞などでも取り上げられていましたが、前回のテーマで残業手当の問題を議論する中で必ず取沙汰されるのが、残業対象にならない職種の新設です。

現在の我が国の法律の枠内で残業手当の対象を外れている職種としては管理監督職がよく知られています。

ただし、以前から本来管理監督職として求められる要件を満たしていないのに、「あなたは当社の管理職です。」と位置づけ、残業手当を支払っていない、いわゆる「名ばかり管理職」の問題があり、10数年前から大きな社会問題として取りざたされてきました。

この管理監督職以外に残業手当の支払いが免除されるものとして裁量労働制があります。裁量労働制とは簡単に言えば、仕事の進め方の裁量権を労働者に委ねる代わりに時間外手当の支給を免除するものです。しかし、厳密に言うと、「残業手当を免除」と表現しましたが、実際には「みなしで時間外の設定を認める」という枠組みの中で、個々の時間外労働時間を細かに積み上げて残業手当を算定することは不要にしますという制度になっています。

裁量労働制にはふたつの種類があり、ひとつは「専門業務型裁量労働制」、もうひとつが「企画業務型裁量労働制」です。

「専門業務型裁量労働制」の適用職種は労働基準法で定められており、それらの職種に限り労使合意など必要な手続きを経て時間外手当の支給を免除するものです。

「企画業務型裁量労働制」はいわゆる企画業務に就くホワイトカラーを対象にみなし時間外を定め、時間外手当の支給を免除する仕組みです。ただし、「企画業務型裁量労働制」は濫用の恐れが高いため、「専門業務型裁量労働制」と比較すると、必要な手続きが厳しく設定されています。

また、管理監督職と異なり休日出勤の手当は支給が免除されるわけではありません。

 

2.新たな枠組み

アメリカなど欧米では残業手当の支給対象にならない仕組みとして、いわゆるホワイトカラーエグゼンプションが存在しています。

例えばアメリカの場合、「ホワイトカラー要件」、「俸給要件」、「職務要件」の3つを満たせば時間外手当の支払いが免除となります。「職務要件」についてはさらに3つの種類があり、「管理職エグゼンプト」、「運営職エグゼンプト」、「専門職エグゼンプト」が定められています。

先ほど裁量労働制では時間外労働を「みなす」という趣旨のことを述べましたが、そうではなくそもそも時間外労働に対する残業手当の支払いを「免除」する、言い換えると「時間で給料の算定を行うこと自体をやめよう」という考え方のもとに検討されているのが「ホワイトカラーエグゼンプション」です。

ご案内のとおり、一度は2016年4月の導入を目指し、法制化が進められていましたが、さまざまな議論を呼びはしたものの廃案になり一旦表舞台からこの議論が消えました。

しかし、今回「高度プロフェッショナル」制度として再び議論が浮上し、連合から104日の休日確保などの修正条件などが付きはしたものの一定の理解が示されたと報道されています。

 

3.なるか「高度プロフェッショナル制度」

高度プロフェッショナル制度の最大のポイントは労働時間で賃金を決めるものではなく、あくまで「成果」に対して賃金を支払うという考え方に全面的に軸足を移すことにあります。

その要件として、現在なされている報道によると、「研究開発や金融、コンサルタントなどの高度な専門的知識を必要とする業務」に就き、「年収1075万円以上」の者という認定条件が柱になっているようです。

今後詳細な詰めがなされ、「高度プロフェッショナル制度」の法的整備がなされる日も近いと考えています。一方で大きな論点になるのではないかと私が考えているのは「年収1075万円」という報酬要件です。

その他の要件については今の裁量労働制度の枠組みがある程度たたき台として使えそうなので議論は比較的早く進むのではないかと思います。しかし、報酬要件が設定されるのはこの制度が初めてになります。

真偽がまだ確認できていないのですが、1075万円というのは労働者全体の3倍程度の年収で算定されたようです。であれば、ここまで精緻にしなくても1000万円とか1100万円でも良さそうな気がします。

それはともかく報酬要件の1075万円という基準の確定方法と確定時期をどうするかが悩ましいのです。

というのは、サラリーマンの年収が確定するのは12月の給与や賞与が支払われてからになります。仮に残業手当の支給がないとすると、月例給与はほぼ固定になりますが、賞与は会社や個人の評価で大きく変動することが多いと言えます。そうすると1075万円に達すると見込まれていた年収が、賞与が思ったほど伸びず1060万円でしたとなる可能性が現実的に少なからずあります。

また、年収のカウントそのものを4月~3月とするのか、1月から12月にするのかによっても大きく異なります。多くの企業がいわゆる昇格を4月や7月に実施するケースが多く、昇格や昇進によっても年収は変わります。この辺り対象者認定時期も一定のルールを定める必要がありそうです。

とは言えここまで議論が進むと、かつて高井先生がおっしゃっていた成果で給料を決める制度が実現する日はもうまもなくではないかと考えています。

 

以上

  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第17回目です。
  • 第17回目は、ナミHRネットワーク 代表 人事コンサルタント 川浪年子様です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第17回)■ ■ ■ 
ナミHRネットワーク 代表
人事コンサルタント 川浪年子様
 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


[ナミHRネットワーク 代表 川浪年子様 プロフィール]

川浪様

1947年、東京下町生まれ。フジテレビ、外資系旅行代理店を経て21歳で結婚し、夫の転勤に伴いグァム島に転居。現地で女児を出産した後、香港系の免税店にてセールズクラーク兼在庫管理要員として勤務。 

帰国後1976年、米国デュポンの日本支社入社、同時に離婚。デュポンで総合職に抜擢され、1990年にはアジア太平洋地区初の女性情報システム部長に就任するも、米国留学の夢をあきらめきれず、デュポンを退職した翌1993年米国バーモント州SIT大学院に入学。 

1995年、異文化マネジメント修士号を取得。帰国後東京ベイヒルトン 人事部長、リーボックジャパン 人事総務部長、エース損害保険 取締役人事部長を歴任、エース保険米国フィラデルフィア本社 国際人事部、中国の華泰(フアタイ)保険北京本社人事シニア・アドバイザーを経て、2004年9月にエースを退職し帰国。翌2005年、駐日英国大使館人事マネジャーに就任。定年退職した2011年8月より人事コンサルタントとして独立。

一方、2010年より3年間にわたり、英国国立ウェールズ大学経営大学院 東京キャンパスにおいて 日本語MBAプログラム の一環として「リーダーシップ」コースの教鞭をとる。2013年より海外産業人材育成協会が主催する、スリランカで選抜された企業幹部向け二週間の「シニア・マネジメント・リーダーシップ・プログラム」のコースディレクターを務め、本年11月に5期目を担当する予定。 

人事分野に直接携わってきた直近の22年をはじめ、長年、組織の変革及びリーダーシップの開発に格別の情熱を注ぎ、幅広く関わってきた。

 

 

[今回のインタビュアーは以下の通りです]

  • 株式会社開倫塾 代表取締役社長 林明夫様
  • 高井伸夫 
取材日:2017年5月18日(木)日本工業倶楽部会館2階ラウンジ

 

 


高井

川浪さんは今、どのようなお仕事をされていらっしゃるのでしょうか。

 

川浪様

2011年に独立し、人事コンサルタントとして活動しています。2年前から、Xcendant(センダント)いう名前のスリランカのIT企業と、日本のIT企業である株式会社ウィザードの顧問として、両社のコミュニケーションのサポートをしています。また、その他にはリーダーシップ開発に関するセミナーのファシリテーターを頻繁に行っています。毎週、スカイプでの会議に参加し、両社のビジネスに関するやり取りのほとんどを把握した上で、サポートしています。

 

高井

スリランカの会社はどういったことを希望しているのでしょうか。

 

川浪様

日本からシステムの開発を請け負いたいんです。オフショア開発(注)と言われていますが、それがかなり盛んで、日本に進出したい、パートナーを見つけたいという会社が多いんです。センダントとは2年以上前に仕事を通して知り合いましたが、日本でパートナーを探してほしいと依頼され、ウィザードが、私が拙い力でようやく見つけた日本のパートナーです。

注:オフショア開発とは、情報システムやソフトウェアの開発業務を海外の事業者や海外子会社に委託・発注すること。営業や企画、設計、納品、サポートなど顧客に近い業務は本国で、実装やテストなどを海外で行なうといった形で分業することが多い。 

センダントが開発した他のシステムを、日本の社長にもスリランカに行って見ていただく機会があり、センダント社がインドの企業にも決して劣らないシステム開発力を持っていることがわかりました。それから双方で様々なプロジェクトが盛んに行われています。まだまだ決して成功していると言えるところまでは行ってはいませんが、必ずや上手く行くと信じています。

 

高井

ところで、川浪様の経歴について教えてください。かつて所属したことのある会社の数、仕事の内容をそれぞれ教えてください。

 

川浪様

今まで、わずかな期間でも籍を置いた、あるいは常駐した会社を含めると17社です。一番最初はフジテレビで1年8か月在籍し、人生最初の転職をしました。今はもう存在していないと思いますが、トラベルセンターオブジャパンというアメリカの旅行会社で、帝国ホテルのロビーにあるブースでした。その次がリオ・ティント・ジンクというオーストラリアの大きな鉱山会社の日本における連絡事務所です。

 

その次は、結婚して夫がグァムに転勤になったので、グァムの免税店で働きました。3年余り勤務し日本に帰国し、帰国後は、アンドリュース商会という、イギリスの会社でアシスタントをしました。娘が小さかったため、パートで働き、そのあとに、デュポンジャパンに入ったんです。デュポンには16年いました。

 

デュポンを辞めてから、アメリカのバーモントにある大学院に2年間留学しました。この大学院では、キャンパスでの授業が1年間フルにあり、そのあとどこかの組織でインターンを半年以上やらなければいけないという大学院でした。インターンを終えて、サンフランシスコへ移りました。大学院の卒業論文は、世界中どこで書いてもいいので、サンフランシスコでは卒論を書きながら、州立大学で自分の好きな人事関連の科目を受講しました。

 

高井

大学院とは別に、サンフランシスコ州立大学で社会人教育を受講されたんですか?

 

川浪様

はい、“生涯教育”と呼んでおり、ダウンタウンに教室がありました。私は、Legal Aspect of Human Resource Management”と言って、日本語に訳すと、“人事管理の法的側面”とでもいいましょうか、それと人材育成関連のコースを受講しました。大学院で修士号をとり、サンフランシスコでの生涯教育も終え、そのあと5週間くらい、第二外国語として英語を教える方法だけに特化している専門学校に行きました。英語を初めて学ぼうとする人達に、最初から限られた英語を使ってどうやって英語を教えて行くのかという授業です。

 

林様

第二言語習得理論というのがありますが、それに基づいた第二言語としての英語を教える特別な資格ですね。

 

高井

日本に戻られたのはいつ頃ですか。

 

川浪様

日本に帰ってきたのは、1995年9月です。そのあとすぐに、東京ベイヒルトンに就職いたしました。はじめての人事部長のポジションでしたが、仕事に対しては、ほとんど違和感がありませんでした。これは全くデュポンのおかげだと思います。

デュポンという会社には16年間在籍しましたが、当時リーダーを育成することに力を入れていました。部門にかかわらずどのリーダーも人事というものをかなり理解させられていたんです。ただ、ヒルトンで一番大変だったのが組合との折衝でした。情熱あふれる若者が数多くいる組合で、あっという間にいい関係を築くことができましたが、その反面、トップからの信頼よりも組合からの信頼の方が大きくなってしまい、一年もしないうちに辞めることになりました。

ありがたいことに、スニーカーのメーカーであるリーボックからヘッドハントされて、人事・総務のトップになりました。しばらくして昇格して香港転勤をオファーされました。最初はかなり喜びましたが、香港に行く直前になって、リーボックが全世界でリストラをやることになったから、日本でも終えてから行ってくれと言われました。リストラを無事に終えますと、今度はオフィスの引っ越しをするから、リロケーション・プロジェクトをやってから行って欲しいと言われたのですが、そうこうしているうちに、エース損害保険からヘッドハントされました。そこで高井先生と出会うわけです。

 

高井

リーボックで昇格して香港には行かずに、エースに転職されたのは何故ですか。

 

川浪様

一つはヘッドハントされて誘われたというのがありますが、実はずいぶん悩みました。鉛筆を倒して、香港に行こうか日本に残ろうかと・・・。が、香港ではやることが決まっていました。リストラです。日本から女性のマネジャーがきてリストラをやる、それが現地の人にとってどんなに嫌なことかと考え始めました。そんな嫌な役をやるよりも、日本でこれだけ求められている、大変かもしれないけどエースに入った方がいいのではないかと思い始め、転職の決意をいたしました。エースでは日本で4年、フィラデルフィアと北京で2年と、合計6年間在籍しました。

 

高井

エースで6年勤められて、その後、どちらへ転職されたのですか。

 

川浪様

エース保険が筆頭株主となった中国の華泰(フアタイ)保険北京本社に人事のシニア・アドバイザーとして出向していた際に、ハートフォード生命というアメリカの会社からヘッドハントされて日本に帰ってきたんです。残念ながらアメリカ人のCEOと考え方がまるで違いました。当時、ハートフォード生命は大成功していましたが、ビジネスの展開と組織の拡大とがそろっていなかったのです。こんな時こそ、新しいことを考えなければならないと思っていたのですが、トップは型にはまったままでとにかくやれ、と。それでいて毎晩、その日のリポートを提出させられました。結局、区切りとなる半年間だけ勤務して辞めることにいたしました。

そのあと直ぐに、英国大使館の募集を見て応募し、人事マネジャーになりました。

 

高井

英国大使館には何年勤務されたのですか。

 

川浪様

58歳から64歳までの6年です。英国大使館が日本に来て130年経っていたのですが、初めての人事マネジャーとなりました。あらゆる変化が求められている時期でした。私が手掛けた一番大きな変革は、年功序列からパフォーマンス・ペイシステムへの移行でしたが、多くの反対もあり、大変な苦労をしました。が、結果的にはかなり上手く行き、やりがいがありました。64歳になり、自分が作った就業規則に基づいて、私が定年退職者の第一号になりました。

 

高井

64歳で自身が作った就業規則に則って定年退職された。今まで川浪様が在籍された企業は外資系企業が多いようですが、一番働きやすかった企業はどこですか。

 

川浪様

この50年間、日本の企業はフジテレビだけで、あとは全部外資系でした。デュポンの16年をはじめとして、アメリカの企業が一番長かったことになります。一言で言いますと、アメリカの企業がもっとも働きやすかった印象はありますが、それよりも、人事をやるようになってから考えたことは、働きやすい、働きにくいというのは、上司、つまりトップがどういう人かにつきると思います。部下を信頼できずに、小さいところまで管理するような上司、トップのもとでは働きにくいとつくづく感じています。

 

高井

まさにトップ次第ですね。ご自身の定年は考えていますか。

 

川浪様

4月に70歳になりました。定年についてはよく考えますが、「ノー」というのが苦手なもので、次から次へと新しいお話をいただいているうちは、働き続ける・・・それが私の生き方かなと思うようになってきた今日この頃です。

以上

 

2017年6月24日~25日「萩旅行記」

 

6月24日(土)25日(日)に、松下村塾があったことで有名な山口県萩市に行ってきました。

旅行の様子を、ご同行いただいた有限会社セカンドステージの鮒谷周史代表取締役にご執筆いただきましたので、掲載致します。

 

【6月24日(土)】

■ 7時55分羽田発の飛行機にて出発。9時30分山口宇部空港に到着。

萩近鉄タクシーの運転手さんに空港に迎えに来ていただき、 途中、道の駅にて小休止を入れながら1時間20分ほどかけて萩市に到着しました。

 

                                  立ち寄った萩市内の珈琲専門店「異人館」の前で

IMG_3668.JPG

 

萩の街並みは、世界大戦時に空襲がなかったことや、条例により派手な色遣いや建物の高さが制限されていることから、現在でも江戸時代の城下町の雰囲気を残しています。

下の写真のセブンイレブンを始め、萩市内のマクドナルドやユニクロは、一般的に使用されている看板とは異なった、街並みに調和するような色で統一されていました。

 

IMG_3720.JPG

■ 萩市は高杉晋作の生誕の地、木戸孝允、田中義一の生家など、明治の偉人の生家が近隣(非常に狭いエリア)に集中しています。

 

IMG_3669.JPG

 

IMG_3673.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

偉人ゆかりの地を巡った後は、土産物屋で竹久夢二の風呂敷を2枚購入。

萩市には椿の原生林があるので、それにちなみ、椿の大ぶりの風呂敷を選びました。

 

■ 11時40分に割烹千代着。

「cyonmage」という地ビール(山口萩ビール株式会社)をいただきました。

 

運転手さんから伺ったお話によると、ロシアのプーチン大統領が山口を訪問した際には、東洋美人という日本酒を贈ったとのことです。

参考URL:株式会社澄川醸造場 http://y-shuzo.com/hp/sumikawa.html

 

■ 12時45分に高井先生一押しのお菓子、萩銘菓夏蜜柑丸漬けの光國本店に立ち寄り、高井先生は「萩の薫」をお買い求めになられました。

 

IMG_3679.JPG

 

IMG_3675.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■ 12時55分、山口県立萩美術館・浦上記念館へ 。

 

IMG_3681.JPG

 

この美術館は色鍋島の展示で、浦上敏朗さんという方がコレクションを寄贈されて 1996年に開館した美術館です。

 

その昔(6年ほど前)に高井先生と鮒谷が訪れた、足利にある栗田美術館は古伊万里の美術館。

豪華絢爛で西洋的な派手さのあるコレクションでした。

また、栗田美術館はその建物も、鹿島建設が美術館建設の営業をその後行うためのモデルとして建設しただけあって、凝った造りとなっていました。

 

対して、浦上記念館は、日本的で落ち着いて、繊細な展示が主でしたが、栗田美術館よりもはるかに賑わっていました。

 

※私のメルマガバックナンバー2893号(2011年8月)に栗田美術館の記載がありました。http://www.2nd-stage.jp/backnumber/digest/2011/08/2893.html

 

■ 13時50分、笠山椿原生林へ。

ここは、さまざまな種類の椿が群生しているそうです。

あいにく、花の咲く季節ではありませんでしたが、 海べりの道をしばらく行くと笠山椿原生林に到着しました。

 

IMG_3684.JPG

 

IMG_3703.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「伊豆大島の椿との比較をしたいな」 とは高井先生談。

自然の緑の香りがしました。

 

■ 14時20分、松陰神社、松下村塾へ。

かの有名な吉田松陰が、ここで教えたのは実際にはわずか1年ほどだそうです。

同塾は、明治の志士を数多く輩出し、その大半は明治維新の前後に亡くなりましたが、幾人かは明治政府樹立後も活躍しました。

松陰の実家は貧しい農家だったとのこと。

 

IMG_3712.JPG

 

IMG_3715.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の集客効果は放送終了後、すでに失われているようです。

 

■ 14時50分に世界のお酒セレクトショップSAKAYA (豊田酒販株式会社) にて、お土産に東洋美人の壱番纏を 3,600円で購入しました。

安倍首相からこのお酒を贈呈されたプーチン大統領は、「フルーティー」とコメントしたそうです。

 

■ 15時15分に旅館「常茂恵」に到着。

萩の旅館で一番良い旅館で、非常に気持ちの良い接客をする仲居さんがいらっしゃいました。

同旅館には萩焼の展示室もありました。

 

常茂恵の会食の際、常茂恵の女将が、広島県宮島の生まれで、嫁いできて現女将となっておられることをお聞きしました。

その流れで高井先生の縁戚が宮島の岩惣という旅館の先代女将であったという話になり、 高井先生と鮒谷とで、来年桜の季節にその旅館に伺うことが決まりました。

 

また、会食でその他に印象的だったのは、田中義一のお孫さんで日本製鋼株式会社に勤められていた田中素夫さんは、高井先生と同い年。

もう亡くなられたのだけれども、 常茂恵の女将厚東さんも面識があったそうで、「もっちゃん」と呼ばれていたことでした。

女将さんといえば余談ですが、浅草おかみさん会の会長の冨永照子さんは、高井先生が以前、日本経済新聞の夕刊に連載していた「仕事人のための接待学」を読まれ、それを忠実に実行したことにより、今や全国おかみさん会の会長になられたといいます。

全国おかみさん会は平成27年11月「ふるさと創生にっぽんおかみさん会」にバージョンアップされました。

 

【6月25日(日)】

■ 6時50分から朝食を開始。

ビュッフェ形式ではなかったのが良かったです。ご飯は山口県産のコシヒカリ。

特徴的なのは、アウボカーサオリーブオイルという希少なオリーブオイルを調味料として用意いただいていたことです。和食で量も多すぎず、少なすぎず、それぞれ工夫された料理でありました。

 

■ 7時40分、旅館発。 本日も雨。

山陰地方は、「弁当を忘れても傘を忘れるな」と言われるほど気候が変わりやすいところであるけれども、この1か月はずっと晴天続きで、我々が訪れた昨日は久しぶりに雨が降ったとのこと。

山口宇部空港に向かう際、途中から雨足が強くなってきましたが、タクシーの運転手さんの心遣いで快適に旅程を全うすることができました。

 

■ 9時45分発のスターフライヤー便で羽田に戻りました。

 

2017年6月26日記
有限会社セカンドステージ
代表取締役 鮒谷 周史

 

20170714IMG_3611.JPG

2017年6月9日(金)9:34 上海市内の公園にて撮影

 

 

第29回 リストラの本質と手法ー恐慌下における諸現象を踏まえてー(5)
(2009年5月25日転載)

 

 

勉強は一生続けるもの

経営不振に陥った企業への公的資金注入制度を新設した改正産業活力再生法が4月22日に成立した。既にいくつもの企業が同制度の活用を検討している。本改正法は3年間で企業価値を向上させる事業計画の策定を要件とするが、適正な人員削減の実行や経営責任を厳しく問わない点で企業の根本的な再生策としては不十分であろう。

さて、企業のリストラ(再建・再興・経営体制の再構築)を実現するためには、組織改革などのハード面の施策のみならず、個々人の意思・行動というソフト面の施策も極めて重要である。今回は、リストラ問題における労働者側のテーマの主に光を当ててこの連載を締めくくりたい。

個々の労働者は、優れた専門家・技術者・技能者として常に学び続け、雇用されるに値する能力(エンプロイアビリティー)を養っていかなければならない。そして、そのための基盤としては、収入の範囲内で生活する能力を身につけた上で、清く正しく貧しくとも生きる姿勢を身につける必要があろう。

それには、今この大変な不況の中、学校教育だけでなく、社会人となってもさらなるキャリア確立のために勉強を続けていくべきである。つまり、より高度な教育を受けるべく、大学卒業後も不足する知識や技術を身につけるためにコミュニティースクールや専門学校・大学・大学院に一生涯を通じて何回でも再入学する必要性が増すだろう。ドラッカーも「人を雇うのは、強みのゆえであり、能力のゆえである。何度も言うように、組織の機能は、人の強みを生産に結びつけ、人の弱みを中和することである」(『マネジメント』第23章参照)と述べているように、個々の労働者が勉強することは、労働者と企業の双方の利益となるのである。

そこで、これからはキャリアコンサルタントの重要性が高まることが予測される。学生に対してのみならず企業内でも、メンタルヘルスをも踏まえた心理学的手法を用いて、相談を求める者の心理面を重視しつつ、自らの力で解決できるように援助するメンター・助言者としてのキャリアコンサルタントの教育・育成が、ますます必要となってくるであろう。

ところで今は一般に企業では副業を禁止しているが、景気悪化による賃金目減り補填のために、副業を容認する動きがあるという(例「富士通」2009年2月4日付産経新聞等)。これはリストラに関連するテーマとしても、重要な側面を持っている。なぜなら本連載第3回でも述べたとおり、これからはリストラの激化に伴い、判例法上のいわゆる「整理解雇の4要件」が厳格化されると予測されるが、賃金ダウン分補填のために副業を容認したとなれば、企業は「4要件」のうち「解雇回避努力義務」を一部履行したとされ、裁判になっても人員削減策が容認される方向に働くのではないかと思われるからである。

経営悪化によりやむを得ず副業を容認するのは窮余の策であるが、本来は、個人の能力の多様な開花を支援すべく、そして産業社会の活性化のためにも、全企業が前向きに副業の容認をすべきだと思われる。企業に勤める者が副業を視野に置くことは、個人の収入の幅を広げるだけにとどまらず、個人の職業選択の自由度を高め、自らの将来性や次の人生ステージを意識することにもつながるだろう。それゆえ「副業」という言葉よりも、「マルチ・ジョブ」等のような表現で前向きに捉える必要があろう。

 

個人の教育投資を優遇

そして、マルチ・ジョブ実現のためには①労働契約法の制定過程で検討された「副業禁止規定の禁止」を再検討し、法改正で条文化を実現する。②個人の能力開発にかかわる教育研修費を非課税とし、個人向け能力開発資金の貸与制度を設けるなどの実際的な取組みが必須となる。また、企業にも社員の全人生は背負いきれない旨の方針を明示する決断が迫られることになる。これは経営理念の大転換とも言えよう。

なお、マルチ・ジョブの容認には、社外秘情報の漏洩等の恐れがあることも留意しなければならない。企業秘密の管理状況が甘いケースも散見され、企業側の就業規則等の整備、社員への研修も必要である。

リストラクチャリングは、何度も述べた通り、本来企業再興のための経営体制再構築という意味であるが、わが国では人員削減策の実施という意味で用いられるのが一般的である。人員削減策は企業経営にとって、本来質と量の双方にかかわる問題である。しかし経営困難という緊急事態に陥った場合、質の向上を期する時間的余裕がないために、量の減少を図るという方向に行かざるを得ず、リストラを行う企業の再興は人員削減となって登場してくるのである。

ところが、企業が経営の限界に陥り、倒産含みの状況に陥ると、優秀人材は会社を見限り転職するため、企業の再興は不可能になってしまう。そこで、本連載第3回でも述べたとおり、正規・非正規の身分に関係なく優秀人材のリテンション策を講じなくてはならないのであり、将来的な課題として、どこの企業でも通用する職業能力を社会的に認定し、正規・非正規の「均衡処遇」を実現すべきである。

その点を踏まえて、職種別労働市場の定着を期待する向きもあるが、一部の専門的職業を除いては、職種別の労働市場は定着しないと思われる。なぜなら、企業に寿命があるように職種にも寿命があるからである。例えば、江戸時代の職業で今日残存しているのは3分の1程度であるという。時代の進化とは、職種が「多産多死」を迎えることでもあるから、今後ますます残存率が低くなるであろう。

 

賃金ダウンし投資余力

そこで、今までのように例えば営業職であればその職種を前提に自動車・化粧品等の業種を選択するのではなく、これからは、職種よりも個人の一生涯のキャリアプラン(家族構成・地域・子育て等々)を前提とした上で、職種・業種を柔軟に選択できるような“キャリア志向別”の労働市場の形成が重要になると思われる。そして将来的には、前述のキャリアコンサルタントが、求職者側の視点から長期的スパンに立った上で、当人にとっての最適な“売り時”を判断し指導していく社会になることが望ましいのではないだろうか。

さて、現下のような恐慌状態にあっては、無暗に人員削減を行うのではなく、残された従業員全員が一丸となって全力で取り組まなければ業務を維持できず、事業・企業として生き残れない現実がある。限られた投資余力を“選択と集中”により焦点を絞って活用しなければならない。そして、資金収支を確保し、でき得るならば投資余力をいくらかでも強めるために、総体としての人件費削減策つまり賃金ダウンを実施する必要性が日に日に強まっている。そこで、賃金ダウンについては本連載「09夏号」(注:本ブログに8月11日に掲載予定です)にて詳述したい。

 

  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第16回目です。
  • 第16回目は、有限会社横内商店 代表 横内誠様です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第16回)■ ■ ■ 
有限会社 横内商店
代表 横内 誠 様
 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


[有限会社横内商店 代表 横内誠様 プロフィール]

昭和49年8月8日生まれ。有限会社横内商店代表。

『究極の産地直送とは?』を考え、自らも生産者になることを決意し、2006年の銃砲所持許可免許を取得し、2007年から狩猟者(ハンター)となり、自ら狩猟した獲物を食材として販売。日本にない食材をつくるべくフランスより食用鳩を輸入し、茨城の提携農場にて食用鳩専門農場を設立し現在も一流レストランに卸業務を行っている。その他にも大学と提携し究極の赤身牛肉の生産販売や循環型畜産にて生産されるエコ食材の精力的な販売など行っている。

2006年銃砲所持許可免許取得から夏場はクレー射撃の練習を行い続けた結果、現在クレー射撃日本代表として海外の試合などに出場。2014年アジア選手権大会(UAE)10位、2012年アジア選手権大会(インド)16位。その他、世界選手権・ワールドカップに多数出場。国内の大会では2016年岩手国体スキート種目 優勝。

横内様、新井様お写真

写真は、右から横内誠様、新井由可様
日本工業倶楽部会館2階ラウンジにて2017年5月10日撮影

[今回のインタビュアーは以下の通りです]

  • 新井(横内)由可 様
  • 昭和52年3月21日生まれ。
    オリンピックテレビ観戦をきっかけに9歳で 器械体操を始める。1990年に全日本選手権大会個人総合7位入賞、その後、数々の国際大会に日本代表として出場。段違い平行棒の降り技で新技に挑戦し、後に「ARAI」というE 難度の技が誕生。自分の名前の技を持つ体操女子選手は日本で3名のみ。18歳でクレー射撃へ転向後、日本代表として数々の国際大会に出場。現在はパーソナルトレーナーとして活動するとともに後輩選手のセカンドキャリア相談・支援も行っている。

  • 高井伸夫 
  • 高島さつき(秘書)
取材日:2017年5月10日(水)日本工業倶楽部会館2階ラウンジ

 

 


高井

ジビエは業界全体で伸びているのですか。

 

横内様

ちょっと前に比べると伸びていると思います。なぜかと言うと、昔はジビエの流通が悪かったので、ジビエ食材が行き来しませんでした。今は流通が良くなって物量が増えたのと、それを告知する報道とか、雑誌、書籍等が増えていますので、みんながジビエを食べようという気持ちになっている部分があります。ジビエに対して、「行ってみたい」「ヘルシー」というふうにイメージが変わってきています。

 

高井

ジビエを提供するレストランは増えているんですか。

 

横内様

増えています。いろんな人がジビエ食材を使う事によって、いろんな料理方法で提供され、メニューが増え、お客さんも選択肢が増えていると思います。今までは、そもそもジビエを扱っているレストランが少なかったので、ある一定の料理でしか提供されなかったのが、色んな考え方の色んな人が料理するようになった。フレンチだけでも、クラシカルな伝統的な料理を作る人もいるし、今の新しいモダンなものを作る人もいる。食べさせ方、ソースの付け方、熟成のさせ方が変わってきています。そういう意味ではフレンチは奥が深いです。

 

高井

素人におすすめの、馴染みやすいジビエを教えてください。

 

横内様

馴染みやすいのはカモです。それなりに美味しいやつは高いですが・・・。ジビエ食材は、獲るのも大変ですし手間がかかっている分、付加価値を付けて出したいというレストランが多いです。カモの他には、シカでしょうか。流通量も多いですし、食べやすさからしたらシカが一番食べやすいかもしれませんね。

 

新井様

シカ、カモ、は初級編ですね。

 

高井

具体的にはどういったお店がありますか。おすすめのレストランを教えてください。

 

横内様

この辺り(注:丸の内)だと、「ブラッスリー ギョラン (Brasserie Gyoran)」さん、このお店のシェフは一緒に狩猟をやっています。シェフ自らが獲りに行く。もちろん僕が獲ったのも卸しています。キジ、カモなどの鳥類や、珍しいところだと、コジュケイ(小綬鶏)だとか、ヒヨドリなどを獲っています。

 

高井

ジビエのダイヤモンドと呼ばれる食材はありますか。

 

横内様

ダイヤモンドと表現するものは聞いたことはありませんが、フランスの表現で、ヤマシギ(山鴫)はジビエの王様とか女王様と呼ばれています。一皿1万円くらいします。

 

高井

一番おいしい食材は何ですか。

 

横内様

好みがあると思いますが・・・、新鮮なカルガモ、もしくは1か月くらい熟成させたくらいのキジでしょうか。

 

新井様

フランスではもともとキジは、1か月くらい熟成して、腐りかけたものを食べるんですって。ぶら下げて行って、首がとろーっと伸びてくるんです。それくらい伸びてくると食べごろとなるそうです。熟成させた方が、味がよくなり香りもでるようですよ。

 

高井

横内様は、具体的にどこでどうやって狩猟をしているのですか。横内様の狩猟スタイルを教えてください。

 

横内様

地元の狩猟免許を持ったおじいちゃんたちと組んでペアでいきます。犬を使って獲物を見つけて、追い出して、飛んだところを鉄砲で狙います。獲物は特別な場所に生息しているわけではなく、身近なところにいるんですよ。

近郊だと千葉の雑木林とか、銚子辺りまで行くと、キャベツ畑で作業をしている農家の方の横を「こんにちは」なんて挨拶して通り過ぎたりすることもあります。キジは嘴でキャベツをつつくから農家さんにとっては天敵なんですよ。

 

高井

今年のヒットは何ですか?

 

横内様

今年はヤマシギですね。40羽くらい獲りました。日本では、ヤマシギを獲る人が少ないんです。鉄砲撃ちはそれなりにいますが、ヤマシギがいる場所を知っている人が少ないんです。それと、犬を連れていても、犬がヤマシギの匂いを知らないとヤマシギがいても分からない。犬は匂いを知っているか知らないかなので、僕らは犬に匂いを覚えさせて獲っているんです。

 

高井

ヤマシギの匂いを犬に覚えさせて獲るとは、どうやって犬に匂いを覚えさせるのですか。

 

横内様

親犬の猟に子犬の頃から連れていきます。親が獲ったら、内臓を出させて、子犬に食べさせるんです。これは美味しい、と子犬に匂いを覚えさせるんです。覚えると、その匂いを求めて追いかけるんです。獲物がいたら、しっぽをピーンと振るんです。ここにいるよ~と。そこで僕らは構えて待っていて獲るんです。

 

高井

一番難しい、大変だった猟について教えてください。

 

横内様

ここ2~3年は行ってませんが、北海道の蝦夷ライチョウはなかなか獲れません。日本ライチョウは獲ったらだめですが、蝦夷ライチョウは獲ってもいいライチョウです。生息数が本当に少ないんです。朝一から北海道の山奥の小川のほとりで、おびき寄せるためにピーピー笛を吹くんですが、なかなか出てきません。寒いし、吹きすぎて酸欠になって、もう頭がいたくなるんですよ。笑

 

高井

蝦夷ライチョウは高価なんですか?

 

横内様

むちゃくちゃ高いです。北海道まで行って、僕が笛を吹く料金がかかってますから 笑。ただ、1日1羽も獲れないので、面白くないから誰もやらないんですよ。僕は高く売れると思ってやりますが、商売をやってきて、まだ6羽くらいしか獲ったことがないです。何回北海道を往復していることか・・・。蝦夷ライチョウは大赤字です。

 

高井

熊の胆嚢は癌に効くと聞いたことがありますが、マタギと呼ばれる人達から獲物を卸してもらうことはありますが?

 

横内様

僕が知っている人で、岩手と北海道でそれぞれ獲物を獲って皮をなめして販売したり、普通の時期は野菜を作ったりして生活している人がいます。その人たちは、認可を受けた解体場を持っていない人が多い。四つ足に関しては、認可を受けた解体場で解体したものしか買わないようにしています。そうでもしないと、法律が甘すぎるんで、何かトラブルがあった時に、だれも責任を負えなくなってしまうんです。ですから彼らから買わないのではなく、買えないというのが現状です。扱っている食材は、お客さんの口に入るものである以上、衛生面がしっかりしているところでないと、という思いがあります。そこの部分だけはちょっとナーバスになります。

 

高井

ジビエの仲買人をするためには、どういった資格が必要ですか。

 

横内様

僕の場合は狩猟登録、ハンターとしての免許と、食肉の販売免許、この2つでやっています。実際に販売するに当たっては、おそらく販売免許も何にもいらないと思います。まだ、そういった決まりがないんです。販売するところさえ持ってたら、ど素人でもジビエを販売できます。例えば高井先生が獲ってきたら、僕が500円で買いますよ。笑

 

高井

ジビエ・狩猟に関するの日本の問題点は何ですか。

 

横内様

疑問になりますが、日本では、狩猟をすること、鉄砲を使うことは引け目を感じる部分があります。法律的にも厳しくなってきています。国が、銃、鉄砲を持たせないようにする、という流れがあります。一方で、狩猟者が少なくなってきているから、農作物への被害が年々増え深刻化しているのを受けて、狩猟者の育成に国が補助金を出しています。あい反することをやっていてます。

 

高井

管轄している省庁はどこですか。

 

横内様

環境省が狩猟に関しての免許を全部発行しています。あくまでも駆除、生体の調整が目的ですが。一方で、鉄砲を持たさないようにしているのは、警察庁です。

 

高井

安全、防犯か、環境整備か・・・、国の姿勢に一貫性がありませんね。

 

横内様

鳥獣被害は年々拡大していて、農家は困っている。食料自給率は下がっている。イノシシとかシカの被害があるから獲って、といわれて鉄砲で獲りにいっても、警察からあなたは資格がないですね、というふうに言われると、どうしたらいいのかわからなくなります。国は何がしたいのでしょうか。

 

高井

横内様はジビエの自給率100%を目指されていますが、現状と可能性を教えてください。

 

横内様

イタリアンやフレンチレストランの場合は、ヨーロッパ産の食材をたくさん使いたいという志向があります。彼らは修行したときに使っていた現地、ヨーロッパ産の食材を使って料理を提供するという考えのため、ジビエは輸入食材が多いんです。フランス、スコットランド、スペイン等から輸入しています。

実際には、イタリアン、フレンチ、スペイン料理でも日本でジビエ料理をするうえにおいて、すべて国産で揃うんです。鮮度も高いですし、何で日本の食材使わないのかなと。それで、地産地消を訴えています。自給率100%を目指して、国産のものだけでレストランを行ってくださいよ、という形で営業を行っています。

ジビエ市場拡大についてはまだまだ課題がたくさんありますが、自給率100%を目指していきたいと思っています。

以上

 

20170703IMG_3566.JPG

2017年5月28日(日)8:56 茨城県稲敷郡イーグルポイントにてヤマボウシを撮影
花言葉:「友情」

 

 

<働き方改革> 第2回 株式会社開倫塾~健康経営企業を目指して~

 

「働き方改革」連載第2回目です。いよいよ今回から、実際に企業の皆様が実践されている働き方改革を取り上げていきたいと思います。

今回は、私が日頃から親しくお付き合いをさせていただいている林明夫氏が代表取締役を務める株式会社開倫塾での取り組みについてご紹介致します。

 

1 85歳過ぎまで働ける職場作り

 

株式会社開倫塾は、栃木県で創立され、現在では群馬県、茨城県そして本年7月には東京の墨田区に進出し、その後、荒川区、足立区、葛飾区などでの展開を予定しています。同社は400人という従業員で、60校舎において6,500人もの生徒を受け入れていて、その売り上げ規模は15億円から16億円にも上ります。

 

開倫塾において、林氏が積極的に取り組んでいる「働き方改革」について伺ったところ、「85歳過ぎまで働ける職場作りを目指すことです」という回答がすぐに返ってきて、私は大変に感銘を受けました。林氏の掲げた目標は、現代の長寿化時代に即した素晴らしいものだと思います。

この構想の下では、定年後の従業員は時給制となり、例えば集団授業なら講義1コマにつき1,500円~2,000円、個別指導の場合は1,300円といった扱いになるそうです。

 

林氏は、自身が所属し、幹事を務める公益社団法人経済同友会(東京)で、高齢者の定義を65歳から75歳に繰り上げ、後期高齢者を75歳から85歳に繰り上げ、超後期高齢者を95歳以上とするという施策を積極的に提言し、注目を浴びているとのことです。

 

世間的にもこのような声は高まっていたのでしょう。最近、一般社団法人日本老年医学会では、ようやく75歳からを高齢者とする議論がなされるようになったとの記事を新聞でも目にしました。

林氏はここからさらに進んで、保険料について75歳までは3割負担、85歳までは2割負担、95歳以上は1割負担を原則とするということを提案しています。

 

林氏は、冒頭の「85歳過ぎまで働ける職場作り」という目標を達成するために、まずは労働日数や労働時間を短縮していくことを検討しているそうです。

この点、同社の小島雅子調査部長によると、これは特にホワイトカラーについて当てはまるとのことですが、日本人はITに関する知識が不足しており、加えてパソコンの操作技術が非常に低次元であるため、これを根本的に直さない限り、労働時間の短縮には繋がらないそうです。

したがって、パソコンの知識と操作方法の基礎を労働者が修得しさえすれば、生産性もおのずから上がっていくと小島氏は述べています。

小島氏は、また、Windows10などの新しいオペレーションシステムの導入を薦めています。それも一部の情報技術を専門とする従業員だけではなく、企業全体で導入し、研修を行うことを強く薦めています。

 

2 健康経営

 

内閣府が発表した「平成28年度版高齢社会白書」の中では、65歳以上の高齢者の実に4分の1近くが、現在、健康上の問題で、日常生活動作、外出、仕事、家事、学業、運動等に影響があると回答しています。少子高齢化社会において高齢者雇用の需要は高まる一方ですが、健康問題を原因とする高齢者の仕事の能力の低下は、解決が困難な課題です。

開倫塾では「85歳以上まで働くことができる職場」を実現するために、2015年から「健康経営」という目標を掲げ、これに沿った経営をすべく全社を挙げて取り組んでいるそうです。

開倫塾のように今や「健康経営」を目標として掲げる企業は少なくありません。サントリーホールディングスの新浪剛史社長も、2017年5月29日のNHKの「おはよう日本」のインタビューで、「想像力豊かに新しいものをつくっていくためには、社員一人ずつが健康で、心の余裕があることが必要」と仰っていました。

林氏は、「健康経営」を実践するために、体制を一新したそうです。まず、従業員の健康を担保するには、健康診断を最大限活用するべきであると判断して、塾長室に健康経営企業推進室を設け、担当者を男性から女性に変更し、年齢性別を問わず全社員の健康状態に目が行き届くようにしました。そして、産業医を変更するとともに、定期健康診断を請け負う業者を変え、従来より充実したサービスが受けられるようになりました。

 

開倫塾での健康管理はこれだけに留まらず、歯の検診も健康診断と共に1学期ごとに1回ずつ年3回し、また、産業医や有識者による「健康ライフを考える会」と題する講演会を開催しています。

同講演会は、都度講師を変えるなど、立体的な講演となるよう力を入れて企画しているそうです。

 

また、体重が一定以上の人にメタボ検診を義務付けて、毎月1回産業医、もしくはかかりつけ医に受診することを促す「メタボ検診」の指示勧告書も出しています。

 

林氏によると、具体的な健康促進のために2017年度より、インフルエンザと帯状疱疹の予防接種に補助金を出す制度の導入も決定したとのことです。どの程度の補助金を増額するかは経営状況を勘案して決定するそうですが、同制度はパート従業員からの強い要望を受けて導入する方向で進めているとのこと、こういったところに従業員の声を丁寧に受け止める林氏の真摯な経営姿勢が表れていると思います。

 

さらに、認知症予防のための高齢者の公文式・脳のトレーニングを、その第一歩とすることも構想しているそうです。

先に述べた「平成28年度版高齢者白書」においても、65歳以上の高齢者の7人に1人が認知症患者であるとの調査結果が出ており、認知症予防が極めて急務である現在、林氏のこういった取組みは、実に的を射たものだといえるでしょう。

 

3 生きる目的を

 

また、林氏は、高齢者が社会の負担とならず、それどころか社会に貢献する存在になるためには、高齢者を含め全ての労働者自身がキャリアを大事にし、社会もまた労働者のキャリアを守る、つまりキャリア権の確立と労働者によるその行使が急務かつ必要不可欠と考え、トップ主導で開倫塾は「キャリア権推進企業」を宣言しました。私もこれには大いに賛同します。

 

労働観というものは、労働を苦役と見るか、あるいは価値ある物に対する取組みと見るかによって、全く異なるものになるでしょう。苦役と見るのであれば労働時間はより短い方が良いに決まっていますが、価値ある物と見る場合は、労働時間は必ずしも短い方が良いということにはなりません。

現在、働き方改革の推進において、労働時間規制派と労働時間反規制派は対立を続けていますが、両派の対立の根源は、このような、労働というものの捉え方にあるように思います。

労働者のキャリア権の確立と、労働者によるキャリア権の行使を実現すれば、労働時間規制への議論もまた変わったものとなっていくのではないでしょうか。

 

御木本幸吉は「長寿のためには生きる目的があることが必要だ」と言っています。長生きするためには、体のみならず心も健康でなければなりません。

日本全体が、健康長寿で働き続ける社会を目指すのであれば、まず個々人が生きる目的を持つことがその第一歩となるのだと思います。

以上

 

 

 

 

ご利用案内

内容につきましては、私の雑感等も含まれますので、真実性や正確性を保証するものではない旨ご了解下さい。

→ リンクポリシー・著作権

カレンダー

2017年7月
« 6月   8月 »
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31  

最近の投稿

カテゴリー

月別アーカイブ

プロフィール

高井・岡芹法律事務所会長
弁護士 高井伸夫
https://www.law-pro.jp/

Nobuo Takai

バナーを作成