2017年6月アーカイブ

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2017年5月28日(日)13:53 中央区銀座5にて紫陽花を撮影
花言葉:「移り気」

 

 

第6回 残業手当に思う


株式会社日本総合研究所
リサーチ・コンサルティング部門
青木 昌一

 

1.成果で測るべき仕事

20年ほど前でしょうか、「時間で給料が上下することはもう今の時代では通用しない。改めるべきだ。」という趣旨のことを高井先生から何度もお聞きしました。同時に「一人の人間の知恵でさほど時間を費やさなくても何億円も稼ぐような時代になった。だからこそ成果で報酬を決める必要がある。」ともおっしゃっていました。

 

2.賃金決定メカニズムのジレンマ

給与に関する「疑問」としてよく言われるのが「効率よく仕事を片付けて残業をしないで済む社員より、効率が悪く残業なしには他の人と同等の仕事ができないのに残業手当によって給料は効率の悪い社員の方が高いのはなぜか?なんとか改めることはできないか?」という話です。このことは企業の人事の方や企業経営者と話をしていても、しばしば話題になります。

残業手当すなわち時間外勤務手当は、今の法律では時間で支払うように定められています。ある程度定められた手順で定められた仕事をこなせば、一人前の人がやればほぼ同じ成果を出せるという仕事における給料の算定には適していると思います。実際には経済環境や会社の持つブランド力そのほかの要因で単純には語れない面も多いのですが、モデルを単純化してものを考えると上記のような仕事に関しては時間で報酬を決めることに合理性があると言えます。

また、かつては今のようなIT技術もありませんでしたから、手数がものを言う仕事も多く、誰がやってもさほど生産性に大きな差がつくことがなかったのだろうと思います。ですので、個人の生産性の差は賞与で少し報いてあげれば社員に対しても折り合いがつく。そんな状況だったのだろうと思います。労働関係の法律もそういった点に着目されてこのような賃金算定のルールが定められたのだろうと思います。

 

3.人の能力で大きな差がつく時代の到来

ところがビジネスがグローバル化し、IT技術も進化を遂げる中で1人の人が生み出す利益すなわち生産性も大きな差がつくようになってしまいました。

ここで私が西洋環境開発の新入社員として給与計算の担当をしていたときの例をご紹介します。

当時、西洋環境開発では15日締めで給与を計算していました。毎月16日から17日の間に私が担当していた東日本の事業所に勤務する社員の勤務報告書が届きます。私はここに記されている各社員の残業時間を集計用紙に手作業で個人別に書き込んでいきます。これを外注していた給与計算をしてくれる会社に18日くらいまでに提出します。

外注先の会社ではキーパンチャーをたくさん雇い、この方々が私の作った集計用紙に記載されている残業時間をコンピューターに打ち込みます。すると20日には給与が計算され、それがまだ袋が閉じられていない、かつ一人ずつ切り分けられていないつながったままの給与明細書と個人別の振込額が一覧になっている銀行への振り込み用紙となって私の手元に届きます。

振込用紙は振り込み日から中3日の営業日をあけて届ける必要がありましたから25日の支給日の場合、21日までに銀行に持ち込みます。これを各銀行では恐らくキーパンチャーの方々が入力しておられたのだと思います。

一方で、私は給与明細を事業所別に送るために、開いて届いた給与明細を袋とじにして1枚ずつ切り分け、あて名書きをして封筒につめて発送したり、本社内の各部署に渡すために輪ゴムで束ねる作業をします。

今、多くの企業では勤怠は各社員が直接システムに入力し、上司がシステム上でそれをチェックして勤怠が確定するとそのまま給与が計算されます。さらに給与明細はWEBで各人が見ることができ、必要なら印刷をすればよいという形になってきています。

これを当時の私の仕事に置き換えるならば、、、ないのです。私がやっていた仕事は見事にシステムに置き換わり完全に不要になってしまった訳です。

私が担当していた仕事はスピードや正確性については個人差はあれ、誰がやっても大きな差はつきません。ですから時間で給与を払ってもそこそこ合理的だと言えたのだと思います。

一方で、給与計算の業務が手作業からシステムに置き換わるとき、このシステムを発案した人たちの仕事は時間で測ることに合理性はあるのでしょうか?

給与計算の業務プロセスをシステムに置き換え、クライアントのコストの引き下げを実現すると同時にシステム会社としてもクライアントから委託料が入り続けるビジネスモデルを作ったことで、大きな成果を上げたと容易に想像がつきます。

 

4.成果主義に思う

上記の給与システムを作る仕事は新しいビジネスモデルを発明したと言えるでしょう。そして時給換算で給与を支払うよりも、その成果の大きさで処遇する方がなじむはずです。アイデアで莫大なコスト削減とそのシステム会社の利益を生み出しているわけですから。

1990年代後半から世間で言われ始めた成果主義は今では失敗だったのではないかと言われることも多くなってきました。どんな仕事でも成果で報いる人事制度に変えたのだけどもうまくいかないケースが数多く出たと言われています。しかし、それは「成果主義」が失敗だったのではなく、成果で測りやすい仕事と測りにくい仕事に対してすべからく成果主義を当てはめようとしたからだと私は考えています。

成果主義のあり方を考えることは、いま話題になっている「働き方改革」を考えることにもつながるのではないかと思っています。

以上

 

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2017年5月23日「ハウステンボス訪問記」

 

高井・岡芹法律事務所 弁護士 村田浩一

 

2017年5月23日、ハウステンボス株式会社代表取締役社長 澤田秀雄様に、弊所会長弁護士高井伸夫とともに、テーマパーク ハウステンボス(長崎県佐世保市)にご招待いただきました。

 

5月中旬~下旬は、種類にして2000種以上、本数にして120万本以上というバラが満開になり、最も良い時期とのことでした。

 

[一面の色とりどりのバラ]

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[夜は約7万個のLEDが点灯する白い観覧車]

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また、ハウステンボスというと、冬のイルミネーションのイメージを持っていましたが、春はチューリップ、100万本のバラ祭、あじさい祭(日本最多1100品種)、夏はゆり祭(日本最多300品種)、胡蝶蘭と、多くの見どころがあるそうです。

 

見どころの多さや品種の多さも驚きです。

 

社長澤田様のご著書の中でも「100万本のバラ祭」について、

「100万本というと本数は国内最大規模になる。具体的な本数をアピールすること、そしてそれが、わかりやすく言えば日本一とか東洋一、できることなら世界一であることがとても大切だ。それならお客様も、わざわざハウステンボスまで行ってみようか、という気持ちになってくれる。」(『運をつかむ技術』〔小学館、2012年〕92ページ)

と述べられており、一番になる重要性や数字のインパクトを感じます。

 

パーク内をご案内いただいた後、自然レストランAURA(オーラ)で昼食をご馳走になりました。

 

[地元の野菜などを使った健康食バイキング]

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最後にロボットが運営をしている「変なホテル」も案内していただきました。

ハウステンボスでは2015年7月に第一期72室、2016年3月に第二期72室が開業し、2017年3月には千葉県浦安市にも100室が開業、さらに、ラグーナテンボス(愛知県蒲郡市)でも2017年8月1日にオープンする予定とのことです。

 

変なホテルの「変」はstrangeの意味なのかと思っていましたが、「変わり続けることを約束するホテル」(change)という意味とのことです。

 

同ホテルの館内にはギネスブックの認定証や特許書もあります。

記録はいつか抜かれるものが多いですが、変なホテルの記録は「世界初の、ロボットが働くホテル」という記録で、抜かれない記録です。

 

[ギネスブックの認定証]

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2時間でハウステンボスを案内していただくという、ハードなスケジュールでしたが、80歳になってこのスケジュールをこなす高井弁護士はおそろしいなと思いました。

 

ご招待くださった社長澤田秀雄様、このような強行なスケジュールにもかかわらず丁寧にご案内してくださった柚木達矢様、スタッフの皆様、ありがとうございました。

 以上

 

高井伸夫「来年ラグーナテンボスを訪問させていただく予定です。現在、同行者を募集しておりますので、興味のある方はご連絡下さい!」

 

 

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  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第15回目です。
  • 第15回目は、TMI総合法律事務所パートナー弁護士・弁理士升永英俊先生です。

 

 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第15回)■ ■ ■ 

TMI総合法律事務所 パートナー
弁護士・弁理士 升永英俊 先生

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[升永英俊先生 プロフィール]

弁護士・弁理士。TMI総合法律事務所パートナー。1965年東京大学法学部卒業、1973年東京大学工学部卒業、1979年米国コロンビア大学ロースクール修士号(LLM)取得。米国ワシントンDC、ニューヨーク州に弁護士登録。「青色LED訴訟」を始め、数多くの特許権・税務訴訟を手掛ける。弁護士や文化人らの賛同を得て「一人一票実現国民会議」を立ち上げ、いわゆる「一票の格差」といわれる「1票価値の住所による差別」を撤廃すべく、自ら多くの違憲訴訟を提起している。

升永先生お写真

写真は、升永英俊先生(右)と高井伸夫(左)

 

 

[今回のインタビュアーは以下の通りです]

  • 高井伸夫 
  • 宮本雅子(秘書)

取材日:2017年4月20日(木)11:45~  於:芝とうふ屋うかい

 


高井

升永先生が2017年5月3日の東京新聞に出される意見広告では、2013年7月29日に麻生財務大臣が都内で講演をされたときの憲法改正に係る発言が紹介されています。麻生大臣は、ドイツのワイマール憲法がいつのまにか誰も気がつかないうちにナチス憲法に変わっていたと述べられ、憲法改正に関しても「あの手口学んだらどうかね。」と発言されたとのことですが、「ナチスの手口」について教えて下さい。

 

 

升永先生

当時、この話が新聞に出たとき、麻生さんは何を言っているんだろうと思いました。誰も知らないうちに憲法が変わったはずはない、国民が圧倒的にナチスを支持したんだ、国民が何も知らないはずはないと。

つい1年半ぐらい前に、このナチスの当時の一日、一日を順に追っ掛けてみました。ナチスが政権を取る直前の一日、一日がとても大事です。驚くことが分かりました。

1932年11月6日に選挙がありましたが、ナチスの得票率が33%、この時点で67%も反対がいたわけです。ナチスは多数の政党の中の第一党ではあるけども、多数ではなかった、過半数は持っていなかったんです。

 

高井

ナチスが政権をとる直前の選挙で得票率が33%しかなかったのは意外です。そこからどのようにして支持を集めたのでしょうか。

 

升永先生

当時のドイツは日本と同じような議会制民主主義でしたので、過半数を連立でつくるより仕方ありません。そこで、第2政党と第3政党が連立を組んで過半数にしようとした。32年11月6日の選挙が終わってから2カ月半の間に2回連立を試みましたが、いずれも失敗しています。ナチス抜きでうまくいくと思ったらいかなかった、そこで結局、第1党のナチスと連立を組もうということになりました。12人の閣僚のうちのナチスから3人、残り9人はナチス以外で閣僚を確保することにして、当時は6カ月連立を組んでやってみて、経済が良くなったら、そこでナチスを閣議決定で追い出せばいいという予定だったんです。当初は、ヒトラーは副首相ということで連立の申し入れをしました。ここが、ヒトラーが天才と思うところです。

 

高井

ヒトラーが天才ということですが、具体的にはどういった点でしょうか。

 

升永先生

ヒトラーは、ナチスの閣僚は3人でいいが、その代わり首相は私がやりたいという提案をしました。提案された方は、閣僚12人中9人を握っていれば、閣議決定でヒトラーを辞めさせられるという考えがあり、ヒトラーの首相就任を承認しました。ナチスからは、ヒトラー以外2人しか閣僚を認めないということで連立ができたんです。

ナチス、ヒトラーが首相になったのは1933年1月30日です。ヒトラーは1932年11月の選挙の2カ月半後、選挙をしたばかりなのに1933年2月2日に(ヒンデンブルグ大統領に要請して)国会を解散させました。そして、解散の2日後、2月4日に言論の自由を停止する緊急事態命令を出したわけです。

 

高井

まず解散があって、2日後に、緊急事態命令を出した。言論の自由停止といいますが、命令というのは法的根拠とか議会の合意なく発せられるものでしょうか。

 

升永先生

議会なしで、大統領令でいいのです。大統領令なので連立があっても議会の他の議員が反対できない。

 

高井

ヒトラーは当然最初から独裁するつもりだったんですね。

 

升永先生

そうです。初めから独裁するつもりだった。天才ですよ。緊急事態命令で全て決まりです。その後、いろいろやるけれども、報道されないのです。1933年2月27日に国会が放火されます。国会を解散したのが1933年2月2日で、3月5日が選挙の投票日でした。投票日の1週間前の2月27日に国会を放火して、翌日、第2回目の緊急事態命令でナチス反対派を約5000人逮捕しています。問題は、こういう情報が国民に知らされていないんです。国民の大部分は何も知らないのです。

この2回目の緊急事態命令が1933年2月28日、約5000人逮捕した後の3月23日に全権委任法ができました。重要です。全権委任法というのは、国会は立法できるけども、国会だけじゃなくて、内閣総理大臣も立法できるという法律です。この法律をどうやって通したかというと、国会は2月27日に放火されていて使えません。ナチスは3月23日にベルリン市内のオペラ座を仮会場にするという指定をして国会議員を集めました。既に逮捕・拘束されている共産党議員(81名)、社会民主党議員(26名)と病欠者を除く、残りの国会議員538人が、国会の仮会場としてオペラ座に集められた。オペラ座の周囲は武装したナチスの私兵である突撃隊が包囲していました。その会議場の正面には、カギ十字のナチスのマークが大きく掲げられ、会議場には、武装したナチスの突撃隊が居た。とても国会の会議場といえるものではない。そこで、さあ投票しろって言うわけです。

32年の11月6日の選挙のときはナチ党の得票率は33%でしたが、問題の2回目の選挙(開票日は33年3月5日)では、ナチ党の得票率は44%まで上がりました。

それでもまだ過半数ではなく、ナチス反対派が56%いた。ところが、武装したナチスの突撃隊がいる会場で表決が取られ、全権委任法は、82%(=444人÷538人×100)の国会議員の賛成により、国会を通過しました。反対票を投じた社会民主党議員・97名を除くナチス反対派は、ナチスに恐怖した、ということです。

まさに、麻生さんの言うとおり、全権委任法は、国民が何も知らないうちに成立しました。緊急事態宣言により報道統制下におかれていたので、新聞、ラジオは、このような異様な国会の議事進行を報道しなかったのです。

 

高井

緊急事態宣言の脅威について教えて下さい。

 

升永先生

内閣総理大臣が、「緊急事態だ」と判断すれば、内閣総理大臣は緊急事態宣言を出せます。最近ではトルコ大統領が緊急事態宣言を出して強権政治を行っています。トルコ大統領は、緊急事態宣言を発し、1か月で3万5,022人を逮捕拘禁しました。新聞、テレビは、そのことを大きく報道しません。そのため、日本国民の大部分は、緊急事態宣言の恐さに気がついていません。ナチスは、緊急事態宣言で約5000人を逮捕しました。戦前の日本でも、1936年の二.二六事件で緊急事態宣言が出ました。二.二六事件以降、軍が日本を支配し、議会は機能しなくなりました。

 

高井

次に自民党憲法改正案21条2項。「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社することは認められない。」これについて教えてください。

 

升永先生

実は、自民党改憲案21条2項は、中国憲法51条と実質的に同じなんです。中国憲法35条では、言葉の上では、日本国憲法21条1項よりもっと強く言論の自由を保障しています。中華人民共和国 憲法35条「中華人民共和国市民は、言論、出版、集会、結社、行進、示威の自由を有する。」

言論、通信、思想の自由を保障すると書いてあります。では、実際そうなってないのはおかしいじゃないかと思いますが、51条というのがあります。それが自民党改憲案の21条の2項と同じようなものです。

中華人民共和国 憲法51条「中華人民共和国市民は、自由及び権利を行使する際、国・社会・集団の利益およびその他の市民の合法的自由および権利を害してはならない。」

この条文があるから結局、中国国民は、言論の自由の権利は持っているけども、言論の自由の権利を自由に行使できないのです。自民党改憲案21条2項はこれと同じです。

 

高井

自民党草案は言論の自由を形骸化するものであるにも拘らず、新聞はなぜ報道しないのでしょうか。

 

升永先生

当初は、新聞が報道しない理由が分からなかったんです。私は、新聞は大騒ぎすると思っていた。言論の自由っていうのは彼らの飯の種だと思ってた。実際に、3年前くらいまでは、言論の自由、報道の自由が飯の種でした。ところが、今は違うようです。広告収入というのがあります。広告収入が重要なわけです。広告主の一部は安倍政権をサポートしています。だから、新聞社は、安倍政権に批判的な記事を書くと広告を出さない企業が出てくることが起こり得る、と懸念しているのでしょう。

 

宮本

安倍政権に批判的なことをいうと広告しない、とは穏やかではありませんね。

 

升永先生

実際に、自民党の一部の議員が記者会見で言っています。マスコミをつぶすのは簡単だと。広告を出さなきゃいいんだと。自民党の国会議員が公開のテレビの記者会見で、沖縄の基地反対運動がうるさいのは、あれは沖縄の新聞やテレビが報道するからだ、だから、広告で締め上げりゃあいいのだというようなことを言っていました。そういったことは、沖縄の新聞社だけじゃなくて、東京の朝日新聞も日経新聞も同じことだろうと思います。

新聞は部数を売るだけでは経営が成り立たない、広告収入も増やさないといけない、広告を取らないといけない。自民党が、広告で締め上げると言いますが、本当にそうするかどうか分かりません、本当に断っているかどうかは分からんけども、やっぱり、新聞社の忖度(そんたく)ですよ。

 

宮本

広告主の意向を忖度するということですか。

 

升永先生

一部の企業が実際に広告を出さないと言っているかどうかは分かりませんが、新聞社は忖度する。これは有り得るでしょう。

 

宮本

先生は、憲法改正が実現するかどうかというのはどれぐらいの可能性があるとお考えでらっしゃいますか。

 

升永先生

100%です。

 

宮本

100%。では、もし日本で緊急事態命令が出されたとします。そうすると、何が起こるんですか。やはり反体制の人が逮捕されるんですか。

 

升永先生

それは分かりません。ただ、首相の意のままにやろうと思えばできるのが緊急事態命令です。最高裁も憲法違反だと言えない、国会も止められない。

そのときの首相次第です。日本で首相が独裁しようと思ったら、数千人を逮捕すれば、それは可能でしょう。

 

髙井

緊急事態命令で独裁ができてしまう。逮捕者がでる。恐ろしい話ですね。升永先生は、1人1票運動に私財を投げ打って活動されていますよね。

 

升永先生

言論の自由がなければ1人1票運動なんか吹き飛んじゃいます。1人1票運動なんて悠長なことはいってられない状況です。麻生大臣は、2013年7月29日の都内の公開の講演で、「憲法も、ある日気がついたら、ドイツのこともさっき話しましたけれども、ワイマール憲法がいつのまにか変わってて、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気がつかないで変わったんだ。あの手口学んだらどうかね。」と発言しました。麻生大臣は3日後に発言を撤回していますが。多くの国民は、この麻生発言の危険性に気付いていません。日本中の誰も首相が独裁するなんて思っていない。多くの国民は、緊急事態命令の危険性を知りません。

 

宮本

私のような一般のもの、それはどのようなところを意識していけばよいのでしょうか。

 

升永先生

「あの手口を学んだらどうかね。」の麻生発言の危険性を自分の回りの人々に伝えることしかないでしょう。あなたの周りにいるこの事実を知らない人々に伝える。ドイツでは、ナチスの時代に、緊急事態命令によって、ドイツ国民の誰も知らない間に、ドイツ憲法が実質的に変えられた。この事実を、1人1人が知らない人々に伝えるしかないでしょう。

 

 

以上

 

 

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20170609IMG_3130.JPGのサムネール画像

2017年5月14日(日)7:10 港区南麻布2にてブラシノキを撮影
花言葉:「恋の炎、素直な気持ち」

 

 

第28回リストラの本質と手法ー恐慌下における諸現象を踏まえて―(4)
(2009年5月18日転載)

 

 

経営監督と執行の責任

企業のリストラは経営者の権利と捉えるのがこれまで一般的であったが、今では「リストラ義務」という言葉さえ登場している(2008年12月9日付朝日新聞)。これは、米国の自動車会社BIG3から補助金を要請された米政府が、経営者の責任として人件費削減策の実行を求めた際の報道である。米政府は公的資金を導入するに当たり、“リストラしてこそ企業は健全化する”との事実を経営陣に強く認識させるために「リストラ義務」を課したのであろう。

経営者のリストラ義務は、本稿第2回で述べたとおり、リストラの真の目的は企業の再建・再興であることに根拠があるだろう。特に私企業の救済のために公的資金を用いることは、国民に負担を強いるのと同義であるから、その導入に当たってはリストラを法的義務として扱わなければならないということである。このリストラ義務は、企業・国家間の公的関係のみならず、企業・株主間においても常に意識されなければならないテーマである。その際、株主の納得を得るためにも重要な役割を果たすことになる。

ところで、企業では例えボトムの従業員等を2割リストラしても組織は往々にして再生せず、正社員のリストラに及ばざるを得ないことがあるが、その際には、一般従業員に先立ち経営幹部・管理職から行わなければならないことになる。それは権限・責任の大きさからくる序列でもあり、従業員等を納得させ、事業の縮小に応じて組織を圧縮するために必要な手続きであるが、加えて高いサラリーに見合う働きをしない者を排することで人件費総額を縮減し、その結果、組織が若返りを果たすことにもなり、企業体質が強化されるのである。その具体的手順としては①まず余剰な役員を退任あるいは非常勤化して減員を図り、②次に役員報酬の大幅な減額措置を採り、③そのうえで管理職にも組織の縮小と減員そして大幅な人件費の減額措置を図るのである。

役員・経営幹部のリストラは、故意過失責任ではなくここに至った経営の監督と執行の結果責任の問題である。ここで言う結果責任とは、高位に就く者に固有の責任という強い意味のことである。それゆえの、結果責任を負う経営幹部は経営状況を理由に責任回避できず、「経営悪化は未曾有の不況が原因である」との自己弁護は全く無意味となる。

ドラッカーは「(働く者は)雇用と所得を失う恐れのある中では、仕事・作業集団・成果に責任を持つことができない」と述べている(『マネジメント』第22章参照)。しかし、現在の恐慌とも言える経済情勢では企業の存続自体が危うくなっているため、雇用の維持は不可能な事態と言ってよく、企業の存続こそが社会的責任であるということにならざるを得ない。「大恐慌のときには、何の保証も期待できない」(同書第22章)のであるから、社会的に企業の赤字が慢性化する中で雇用・所得を維持すべくさらなる赤字を求めることは自殺行為とも言え、企業には自救行為としてリストラが容認されることになる。

そして、企業の社会的責任としては、企業の存続に次いで「企業の成長」と「雇用の創出」が課題となる。雇用の新たな場を構築するためには、生産性の向上のみならず、「企業は常に陳腐化する」という危険を内包しているものとして、生き残りをかけた絶えざる智慧の研究・開発がより重要となり、企業内外のあらゆる場面でイノベーションが要請される。

 

求められる超大型投資

さて具体的な雇用対策としては、まずは大胆な超大型公共投資を推進すべきである。国として将来に向けた生産性アップに資する取組みを実施することが重要である。その具体策はいくつもあろうが、私は以下の4つを挙げる。

①都市の交通インフラ整備

今までの公共工事は僻地や地方にも非効率に展開されてきたことを反省し、費用対効果の面からも、今後は都市生活者の利便性を最大限追求した公共事業を真っ先に考えるべきであろう。例えば、乗車率の高い山手線・中央線・総武線等の複々線化や2階建て車輌の導入により、通勤通学ラッシュを解消するのである。あるいは、脱化石燃料高速交通であるリニアモーターカーで成田空港~羽田空港間を結んだり、三大都市圏(首都圏・中部・関西)を結ぶことも具体的に検討すべきである。その際、JRだけでなく航空業界に属する企業や圏内外企業にも資本参加させ、国家プロジェクトとして早期に開通させることにより、関連機器製作工場での要員の大量採用を可能とする。

②超小型エコカーの開発

自動車開発では、エネルギー消費を考慮し、まずは小型車の開発から着手すべきであろう。エコカーでも中型車・大型車ではエネルギーを使い過ぎるからである。例えばメルセデスの「スマート」のような超小型のエコカー開発を国策として行い、それと併行して電気・水素・バイオマス自動車の研究開発に投資する。また、新産業の育成として、自動車各社が推進している太陽電池車や電気自動車の事業化を期して、国としても推進するべきである。

③老人医療・メンタルヘルスへの新たな取組み

超高齢社会へと突き進んでいるわが国で、いま最も必要なのは老人専門の町医者の育成および支援である。介護の分野だけでなく、健やかな老年を送るための予防医学的な分野への国としての取組みが急務となる。

また、メンタルヘルス不全者の治療体制の確立も急がれる。西洋医学・東洋医学・心理学等の専門医療従事者および産官学の専門家の参画のもと、世界から人材を集めて「メンタル総合国立病院」を創設するのである。その際、ロシアの「ダーチャ」(別荘)を参考にした郊外型家庭菜園付メンタルヘルス支援施設の導入なども考えられる。

 

重要な英語力のアップ

④全国民の英語力向上へ

なお、雇用創出のためには公共工事も一手ではあるが、グローバル化や知識社会に対応するための必須条件である「全国民の英語力向上」に向けて1兆円を投入することも提案したい。この点、英語教育に熱心な韓国では、全ての高校卒業生が流暢な英語を話せるための計画に政府が4兆ウォン(約4500億円)を投入すると聞くが、わが国では、中学・高校・大学の英語教員を再教育し実力なき者を淘汰するための教育養成システムの構築に、まず重点を置くべきであろう。グローバルに活躍できる人材を育て産業力・国力を上げるためにも、国民の英語力向上への投資は極めて重要である。

折しも、政府は本年4月9日に「未来開拓戦略」を発表し今後3年間で140万~200万人の雇用創出を見込むが、単なる弥縫策ではなく長期的視点に立った大胆な戦略と緻密な計画が今こそ求められる。

 

 

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2017年5月9日 出版記念祝賀会開催のご報告

 

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2017年5月9日(火)18:00から、アルカディア市ヶ谷において、私が執筆した書籍『一流の人は小さな「ご縁」を大切にしている』(株式会社かんき出版)、『弁護士の経営戦略』(株式会社民事法研究会)の出版を祝う会を開催し、総勢156名の方々にご参加いただきました。

同日は私の傘寿の誕生日でもあり、ご出席者の方のみならず、ご欠席された方からも、お花や祝電をいただき、会場は大変華やかになりました。

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司会は、本ブログでも連載をしていただいた公益社団法人全国求人情報協会の吉田修常務理事に務めていただきました。

吉田様には、私の古希の会でも司会をしていただきましたが、相変わらずの落ち着いた司会ぶりで、会をリラックスした心地の良い雰囲気にしてくださいました。

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冒頭には、株式会社かんき出版の境健一郎前最高顧問よりご挨拶をいただきました。

境様は、今年3月末に同社を退職されましたが、私は2002年刊行の『朝10時までに仕事は片づける』から始まり、今回の『一流の人は小さな「ご縁」を大切にしている』まで計10冊の書籍を出版していただき、大変お世話になりました。

境様、長い間お疲れさまでした。

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私からのご挨拶では、常日頃お世話になっている皆様へのお礼と、これから取り組みたいと考えている執筆のテーマ、特に私が自身で考えついた新説40話をまとめたものについては、人生の集大成として何としてでも書き上げたいということをお話ししました。

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かつて高井法律事務所に所属しておられ、私の一番弟子である弁護士法人いつき法律事務所の立花充康代表弁護士に、乾杯のご発声をいただきました。

立花先生は今回の式に、大分から遠路はるばる駆けつけてくださいました。温和なお人柄の立花先生は、高井・岡芹法律事務所のOBとして、今でも後輩弁護士たちに慕われる存在です。

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会の中盤、日比谷パーク法律事務所の久保利英明代表弁護士よりご挨拶をいただきました。

「高井先生は私のヴィーナスです」。皆様の度肝を抜き、笑いを誘うひと言で始まった久保利先生のスピーチは、さすがの流暢さ、かつ先生の謙虚なお人柄がよく表れていました。

久保利先生こそ、私のインスピレーション源です。

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続いて、株式会社新規開拓朝倉千恵子代表取締役社長にご挨拶をいただきました。

私の耳の持病が悪化したときにご自身で体得された気功による施術をしてくださったことや、これからの時代の女性の社会進出についてお話いただきました。自ら会社を起こし、精力的に働かれている朝倉様のお話は大変説得力のあるものでした。

 

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また、今回お越しいただいた皆様にお配りした記念品をご作成いただいた書道家の中村鳳仙先生に、ご自身の作品についてご説明いただきました。

中村先生とは、私が30歳、先生が23歳の時に初めてお会いしました。あれから50年、書の道をひたむきに精進されてきた中村先生は世界中で高い評価を受けています。先生の作品は将来必ずや国宝になるものと私は思っております。

今回の作品も、万葉集の志貴皇子の「岩走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」という春先のこの季節にあった爽やかな和歌を美しい色紙に書かれた、非常に素晴らしいものでした。

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最後に、今回『弁護士の経営戦略』を刊行いただいた株式会社民事法研究会田口信義代表取締役よりご挨拶をいただきました。

田口様とは1994年に『リストラの攻防』を同社より出版いただいてから、20年以上にわたるお付き合いになります。

会の閉幕に相応しい、重厚感あるスピーチと三本締めをしていただきました。

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司会の吉田様より、私の卒寿、さらには皇寿(皇という字を分解すると白(99)と王(12)になることから111歳を表す言葉とのこと!)のお祝いを同じメンバーでできるよう、私を含め、お集まりいただいた皆様のご健勝をお祈りして、閉会となりました。

 

長年親しくお付き合いをさせていただき、私を支えて下さった方々から暖かいお祝いのお言葉をかけていただき、大変幸せな1日となりました。

皆様、本当にありがとうございました。

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2017年6月1日
高井 伸夫

 

 

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2017年5月14日(日)11:51 千葉市若葉区の風戸農園にてオオツルボを撮影
花言葉:「辛抱強さ、多感な心」

 

 

 

最終回 資本主義からの脱皮の第一歩(下)
(平成28年12月26日)

 

 

「経済」という言葉は、中国の古典にある「経世済民」(世を経〔おさ〕め、民の苦しみを済〔すく〕う)に由来することは、よく知られている。然るに現実はどうか?資本主義経済の下、過度な自由競争によって生じた如何ともし難い格差問題が、世界に蔓延している。格差を緩和するには、国民全体が平等・博愛・共助の精神によって助け合うしかないのであり、その一例が、前回述べたベーシックインカム等の導入である。

平等・博愛・共助を体現する条文を身近な法律でみると、たとえば民法90条(公序良俗)、労働契約法5条(使用者の労働者に対する安全配慮義務)、障害者雇用促進法第2章の2(障害者に対する雇用の分野における差別の禁止、使用者の配慮義務等)、同法指針等々が挙げられる。

日本を含む先進諸国の経済成長は鈍化し、拡大路線を進められなくなっている現在、日本社会は成長至上主義を断念し、成熟、定常化の方向に舵を切らざるを得ない。そして、フロンティアがなくなり、成長が限界に達したとなれば、垂直指向ではなくあらゆる物事を水平指向で考えなければならないのである。水平指向の社会では、量ではなく質の進化が追求され、機会の平等の拡充、そして公明・公平・公正が特に重視される。具体的には、①貧富の差を小さくするための政策の実施、②男性優位の社会から女性活躍の社会へ、③水・食料等の生きるための必需品の質を平均化・充実化し、国民に公平に行き渡るための施策の実施等である。

日本資本主義の父といわれる渋沢栄一(1840~1931)は、『論語と算盤』を著し、「富みながら、かつ仁義を行い得る例はたくさんにある」とした。渋沢は論語を規範とする企業経営を実践したのだ。企業が社会に貢献して利益を出す存在であるなら、社会貢献を忘れて「われ勝ちに私利私欲を計るに汲々として」利益のみに狂奔しては、企業の本来的使命を忘れたことになる。企業が使命を果たし永続するために必要とされるのは、論語に代表される倫理観・道徳観であり、法令遵守のみならず倫理・道徳に適った運営をして企業活動の公明・公平・公正を実現しなければならない。

今年は、6月にEU離脱を是とする英国における国民投票結果、11月に米国大統領選挙におけるトランプ氏の当選という世界中が驚く事象が起こった。ここから導き出されるのは、物事の本質をより追究するには、見える世界よりも「見えない世界」に迫る努力こそが重要であるという教訓である。英国と米国での事態を予想できなかった世界中のジャーナリズムは、見える世界を表層的に論じるだけで満足していたことになる。見えない世界が今後どんどん広くかつ威力を持つようになると、様ざまな分野において専門家の予想が外れることも多くなるだろう。

かのアインシュタインは、「宗教抜きの科学は足が不自由も同然であり、科学抜きの宗教は目が不自由も同然である」といったが、天才科学者が見えない世界を大切に思っていたことに私は深く感動する。

日本は社会主義の国だと揶揄されてもいるが、和をもって尊しとする国民性ゆえに諸外国に比べて格差が小さい。日本は、自分たちの経験も踏まえて、仁義・道徳・倫理を大切にする新しい経済体制を世界に発信すべきである。それには、さらに強力な思いやりのある社会主義化を進めていかなければならない。それでこそ、真の意味の経世済民の実現につながるのである。

 

 

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  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第14回目です。
  • 第14回目は、ジャーナリスト莫邦富様です。

 

 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第14回)■ ■ ■ 

ジャーナリスト 莫 邦富 様 

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[莫邦富様 プロフィール]莫邦富先生

作家・ジャーナリスト。1953年中国・上海生まれ。上海外国語大学卒業後、同大学講師を経て、85年に来日。日本にて修士、博士課程を修了。95年、莫邦富事務所を設立。知日派ジャーナリストとして、政治経済から社会文化にいたる幅広い分野で発言を続け、「新華僑」や「蛇頭」といった新語を日本に定着させた。また日本企業の中国進出と日本製品の中国販売に関して積極的にアドバイスやコンサルティングを行っており、日中の経済交流に精力的に取り組んでいる。

『蛇頭』、『「中国全省を読む」事典』、翻訳書『ノーと言える中国』がベストセラーとなり、話題作には『新華僑』、『鯛と羊』、自分自身の半生を綴った『これは私が愛した日本なのか』、『中国ビジネスはネーミングで決まる』などがある。2002年から2011年にかけて朝日新聞土曜版にて連載コラム「mo@china」が掲載された。

現在、ダイヤモンド・オンラインにて「莫邦富の中国ビジネスおどろき新発見」、時事通信社の時事速報にて「莫邦富の『以心伝心』講座」、プレジデント社『プレジデント』にて「本の時間」(新刊書評)などのコラムを連載中。

莫邦富事務所HP:http://www.mo-office.jp/

 

 

[今回のインタビュアーは以下の通りです]

  • 高井伸夫 
  • 高島さつき(秘書)

取材日:2017年4月27日(木)14:30~  於:日本工業倶楽部会館2階ラウンジ

 


高井

さて、鄧小平先生は日本に来て、松下電機などを見学して日本を学べと言いました。鄧小平先生はなぜ日本に学べと言ったのですか?

 

莫邦富様

鄧小平先生は1978年に日本に来ました。78年以前の中国は言いかえれば、よくも悪くも、毛沢東時代の余韻がまだまだ残っていた時代です。当時、私の給料は45元(注:1978年当時の為替レート 1元=122.98円、45元=5534円程度)です。あの頃、クレジットカードのことも知りませんでした。外国人専門の友誼商店と呼ばれる店で、ある外国人がすごい買い物をしていたのを見ました。私の年収以上のものを買っていたのです。そこで小さい札みたいなものを出して会計をサインして済ませていたわけです。あれが噂のクレジットカードかと思い、その威力に目を見張りました。

ですから当時の中国にとって海外との認識の差は非常に大きかったものです。鄧小平先生は以前フランスに留学したこともあるので、とりあえず海外を見た経験を持っていた。これは非常に重要なことです。毛沢東自身と、毛沢東と共に革命をやっていた人たちは、ある意味で生活が厳しくてどうしようもなくて革命に参加したわけです。革命後は政府の高官になったりしていますが、海外のことは知りませんでした。鄧小平先生は少なくとも海外を知っているので、松下電器を訪問したり、新幹線に乗ったりして背中を押されたのを感じたという感想をもったことは、非常に当然でした。

鄧小平先生は海外について、ある意味で他の中国の指導者よりも敏感に反応しています。しかも謙虚に見ようという意識があったのでしょう。鄧小平先生の考えは非常にシンプルです。松下電器のような工場を中国にも作りたい。工場を作るには、人を派遣して工場の運営の仕方を学びたい。新日鉄製鉄所を見たら、それも中国に作りたいと言い出す。鉄イコール国の実力だと思ったからです。

新幹線は、さすがにそれに手をだすその実力は当時には、まだなかったと思います。しかし新幹線のスピードに対する彼なりの認識があったと思います。

私は比較的早い時期に日本を訪問しました。初めて日本を訪問したのは1981年です。大阪グランドホテル(注:2008年に閉館)に泊まりました。当時は自由行動が認められていなかったので、朝早く起きて、出発する前の時間を利用してホテルの周りを1人で回りました。ホテルを出たら地下街に入る入口があったので、降りてみました。誰もいなかった。地下道で自分の足音が響くほど静かでしたが、地下鉄が到着した途端に、たくさんの人が電車から降りてきました。出勤の時間が近づいてきて、女性のハイヒールの音、つまりハイヒールの踵が地面をたたく音がしますが、その音に陶酔しました。

 

高井

なぜ、ハイヒールの音に陶酔したのですか?

 

莫邦富様

足音が、速いんです。トトトトト、その後中国に戻り訪日のエッセイに書きました。これが先進国のスピードだと。朝、トトトトト、と。当時中国の歩く速度はゆっくりしていました。今はハイヒールの音にはもう感動はしませんが、当時はかなり感動しましたよ。鄧小平先生もおそらく同じ様に、このスピード感に、ある種の陶酔というか、刺激を受けたのではないかと思います。

当時の中国は、門戸を開放して、外国の文化や技術を受け容れる準備ができていなかったのです。だから、あの頃のスローガンは「窓を開けて世界を見よう」というものでした。窓です。ドアではありません。外を見ようということです。窓を開けて外を見ようとすると、アメリカやヨーロッパは遠くて見えてこない。一番見えやすいのは近くにある日本でした。

なぜ私が日本語を選んだのかと言いますと、外国語を覚えれば、将来、詩を訳せるという思いもありましたが、もう一つ別の理由もありました。ちょうど1972年に日中国交正常化、1973年に初めて上海でラジオ日本語講座が開設されたのです。そのテキストを取った時にひらめきました。英語、ロシア語は勉強する人がたくさんいた。これまで日本語を専攻した人は、いたとしても非常に少なかったはずですので、みんな0からのスタートだった。ですので、今から日本語を覚えていけば絶対メリットがあると思いました。

大学を卒業して1978年改革開放時代が訪れた時に、期待していたそのメリットがすぐに出てきました。「窓を開けて外を見よう」というスローガンですが、実際には、外国語の書物、新聞を通して、色々な情報を吸収するのです。しかし、当時の中国はあまりお金がなかったので、外国の新聞は、ニューヨークタイムズでも、ワシントンポストでも全部船便でした。

 

髙井

「窓を開けて外を見よう」として、得られるアメリカ、ヨーロッパの情報は船便だった。船では遅いですよね。

 

莫邦富様

新華社が使用する一部は航空便でしたが、他は船便でした。アメリカの新聞が中国に着くのに最低1か月以上かかりました。それに中国とアメリカとの間を行き来する船もそんなに多くはなかった。一方日本の新聞は10日間くらいで入ってきました。朝日新聞や日経新聞を読んで面白い記事を参考にしながら原稿に書いて、中国のメディアに送る。そのメディアに掲載される頃に、アメリカの新聞がようやく届くのです。時間差がかなりありました。

ですから、中国の最初に見ようと思っていたその外、つまり外国は日本でした。鄧小平先生はフランスを訪問して改革開放をやろうと決意したのではなくて、日本を訪問して改革開放路線に突入したのです。

 

高井

莫邦富先生は日中経済交流はハードからソフトへとおっしゃっていますが、ハードからソフトへ、そのソフトの次は何ですか。

 

莫邦富様

78年頃から、中国は外の世界をよく見るようになったわけです。日本人1千人と中国の1千人が持つものなどをよく比較していました。例えば、テレビは何台持っているのか、洗濯機はどれくらいか、車は何台かなど、全部羅列して中国のそれと比較して、そして中国がいかに遅れていたのをよく指摘していました。こうして家電の生産ラインなどを導入していきました。いつの間にかこういった比較はしなくなりました。ハードの比較はだんだん意味がなくなってきたからです。いまの中国では、ハード関連のものについては、質がよいかといった問題はさておき、とりあえず揃いました。

当時の中国では一回の海外の出張で持ち帰る家電に制限があり、大きいのが1つ、小さいのが2つと制限されていました。日本を訪問する中国人は帰国の際、カラーテレビ1台、ラジカセ1台、カメラ1台といった感じで中国へ持って帰った。

全部ハード関連の製品です。今は、日本を訪れた中国人の多くはドラックストアやスーパーで、日用品を買います。日本に来る目的も、だいぶ変わりました。当時は家電の生産ラインなどを導入するためといった商談でした。今は、技術を入手しよう、企業を買収しよう、あるいは日本の環境保護の政策を勉強しようとして、来ています。目的も旅行、医療、留学、あるいは住宅を買う、といったものに変わりました。全部ソフトのところに流れています。

ハードからソフトへだけではなく、もう一つ、大きいものから小さいものへ。こまごましたものになります。さらに外から中へ。以前服を買うとしたら、コートやオーバー、背広、とにかく人の目に触れるものを買いました。今は違います。保温機能のある下着など。外側から内側のものに変化しています。

さらに、日本の企業の対中ビジネスをみても、大きく変化しています。BtoCへ。以前BtoBでやっていた企業が中国のエンドユーザー向けに販売するようになりました。ユニクロや無印良品は、そういった企業の代表です。この流れはまだまだ続くと思います。

中国に対する人への講演のテーマもそういったものを求められるようになりました。東京駅周辺には、中国の視察団をよく連れて行きます。近くに東京駅の駅舎がありますが、八重洲にあった高いビルを数年前に解体して、左に200メートルくらい移して立て直しました。大丸デパートが入っているこのビルをなぜ200メートル動かして立て直したのか。実はこれは大勢の日本人も知らないことだと思いますが……。

東京湾からの風が隅田川を通ってくるわけです。風の道をたどってくると、ちょうど当時、このビルが風の邪魔になっていた。それをどけたのです。海からの風ですので、夏は温度が低い。この風が来ると東京の駅舎はそれほど高さがないので、駅舎を超えることができる。そして、その先に丸ビルと新丸ビルがあります。この2つの建物はそれぞれ高さが160メートルほどで、近接しています。物理の原理で言うと、二隻の船が近づくと、間に流れる水は早く流れます。これは空気も同じです。この建物の間を風がスピードを上げて通過します。つまり、東京湾から来た風が、この二つの建物で、加速させられるのです。25%~30%くらい加速する。この先に皇居があります。皇居は緑が多く、測定では、温度が2度ほど周辺より低いです。この涼しい空気を奪って、四谷、新宿に風が通ります。大都市にはヒートアイランド現象がありますが、建物を移動させて、巨大都市東京に電気代が1円もかからない巨大なエアコンをとりつけたようなものです。こういう話をすると、視察団は一様に驚いて目を輝かせます。こういうことに対してみんな感心するようになっています。

ハードのものも、日本に学ぶ必要がまだまだありますが、大きくいえば1段新しい階段を登る時期に来ていると思います。ですから中国国内で、78年と同じように、もう1度日本に学べと主張しているのもそのためです。1978年は、日本のハード面に目を向けていた。今はハードよりもむしろソフトに目をむけるべきだと私は思います。

 

髙井

日本に学ぶべきとおっしゃいますが、一方で日本のダメなところはどこですか。

 

莫邦富様

日本のダメなところは、日本は昔の成功に胡坐をかいているところです。それほど前進していない、というと語弊がありますが、少なくとも感心するほどの前進はなかなかないと思います。一言でいえば、ここ(注:日本工業倶楽部会館)にWi-Fiが入っていないことからもわかるように、問題はかなり深刻だと思います。ここを利用する人たちは、この国の工業に関わっているある程度の地位になっている人たちだろうと思います。Wi-Fiがないということは、たとえていうならば、このビルに電話が引かれてないのと同じことです。

 

髙井

日本工業倶楽部会館にWi-Fiが入っていないことに危機感や不便を感じる人がいないのでしょうね。

 

莫邦富様

日本工業倶楽部会館にいる方々は、年齢層が高いですが、そういう点も日本が直面しているもうひとつの深刻な問題です。今、電子決済を色々とやっています。ネットを通じてお金を払っている。日本工業倶楽部会館のような場所でも、中国ではネットを通じて利用代金などを払えます。しかし、Wi-Fiがないと払えなくなります。そうすると、誰もここは不便だと思い、いつの間にか、誰もが来なくなります。Wi-Fiは、世界の平均使用率43%、日本は10%、中国は86%です。

 

髙井

Wi-Fi以外で日本のダメなところはありますか?

 

莫邦富様

ほかにも、日本のサービスが低下している。中国人から見れば、日本のサービスはまだいいとみんなほめますが、長年日本に住んでいる私からすれば、日本のサービスは明らかに硬直化、低下しています。マニュアル化している。例えば、水をサービスする、夏ですから冷たい水を運んでくるのはサービスですが、この水を運んだことでサービスが終わったわけではなく運んだ時に、「暑いですね」と一言言う。この一言がサービスの質とレベルを2倍くらい倍増させることになる。

形の上では日本はサービスができています。例えば私のように咳をしている。冷たい水はあまり飲みたくない。数日前、私は上海のホリデイインホテルにあるWi-Fiが使えるコーヒーショップで、深夜まで仕事をしていました。紅茶を注文したとき、咳をしました。しばらくすると温かいレモン水を持ってきてくれました。「お客さん、この温かい水は喉にいいかもしれません」と女性の従業員は優しく声をかけてくれました。同じ水です。それを今、日本の従業員に求めるのは・・・

 

髙井

日本人にそういった付加価値のついたサービスを求めるのは難しいですね。

 

莫邦富様

お水を出すことは、一つの標準装備になっている。これは守っている。以前の築かれた栄光です。そこに心が入っていない。日本のサービスが低下していると私は感じていますが、多くの日本人は実はあまり感じていません。今まで通りやっているではないかと言うかもしれません。しかし、昔、サービスの“サ”もわからなかった中国は、追い上げてきています。お水を出すならば、同じ様にお水を出すと同時に、それ以上に何をやればいいのかという工夫をする。そうすると、温かいレモン水を持ってきたり、生姜のお湯を持ってくるということになる。そうして差が出てくる。こういうことは、よほどアンテナを張って敏感にならないと分からない。

 

髙井

日本は内向き内向きになっていて外向きに学ぶ心がないと思いますがいかがでしょうか。

 

莫邦富様

ある地方自治体の首長の方と対談をした際に、一生懸命日本の素晴らしさを語っておられました。対談中に日本から海外の農業に、あるいは中国、東南アジアの農業に学ぶことはないのか、と聞いた時に、きょとんとされました。実はその時に何かがずしっと落ちました。つまり、日本の良さをアピールするだけで、冷静に海外の何がいいのかを見ていなかった。あの時私は、ここまで多くの人を引っ張ってこられた人でも見方が偏ってしまうおそれもあるのだと思いました。

 

髙井

そういった内容で講演会をやっていただけないでしょうか。日本のダメなところを教えて欲しいと思います。本日はどうもありがとうございました。

以上

2017年7月5日(水)14:00~セミナーを開催いたします。詳細は以下より弊所HPご覧ください。

莫邦富が見た経済大国ニッポン 直面する厳しい課題セミナー

 

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