2017年2月アーカイブ

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2017年2月11日(土)10:20 蘆花恒春園にて梅を撮影

 

 

第2回 解決策は己の中にある

 

株式会社日本総合研究所
リサーチ・コンサルティング部門
青木 昌一

 

1.事務局長の役割

「誰か事務局長をやってくれ。僕が企業のお手伝いをするときには必ず事務局長を置いてもらっているんだ。」

なかなか手が上がらないので、私はうかつにも「はい。私がやります。」

「事務局長はスケジュールの調整、議事録の作成を頼む。いいかい議事録は一字一句漏らさず会議の記録をとるんだよ。」

小さなリゾート会社の撤退から始まった西洋環境開発の再建に向けての取り組みはその状態が明るみになるにつれて、徐々に範囲が広がっていきます。そこで本格的に高井先生に顧問をお願いし、労務的な対応のご支援をいただくことになりました。ただ、会社としての再建に向けての具体的な策は固まりません。とはいえ、動きが決まってから動き出したのでは後手に回ってしまいます。そこで人事部としては、ある程度先を見越して状況を想定し、準備を整えることにした訳です。

当時多忙を極める高井先生のスケジュールは本当に分刻みです。その多忙なスケジュールの隙間で30分とか1時間の時間を毎週抑えさせていただき、ミーティングを行うことになりました。

ミーティングは一旦録音し、それをワープロで一字一句漏らさぬよう書き起こします。録音した内容を再生しながら1時間の会議を書き起こすのに2~3時間はかかります。当時は今と違い会社の書類はB版全盛。そのB4の紙にびっしり4~5枚になります。

しかし、この議事録の使い道が正直なところ最初のうちはよくわかりませんでした。ほどなくその謎が解けます。

 

2.プライオリティのつけ方

「青木君、今度の土曜の朝7時半に議事録から課題をリストアップして事務所に持ってきてくれ。読み合わせをやろう。」

ひと月分だったかふた月分だったかは記憶が定かではありませんが、事前にB5の用紙に各ミーティングでポイントになった課題を書き出します。

今、私が所属している日本総研に限りませんが、多くのコンサルティングファームでは、新人研修で要領よくポイントを抜き出しまとめるスタイルの議事録の取り方の訓練を受けます。しかし、当時の一般企業でそこまでやっているところは少なかったのではないでしょうか。私も当然そんな教育は受けていません。したがって、この課題を抜き出す作業も簡単ではありませんでした。膨大な議事録から内容にプライオリティをつけ、それを書き抜くことはかなりのスキルを要します。だからこそ、この一旦一字一句を書き起こし、後でポイントを出す議事録の作成するスタイルは良い訓練になりました。

しかも、高井先生からマンツーマンで指導を受けられる機会にもなります。この時間は後々いろいろな意味で私の財産になります。

 

3.課題整理

話しを元に戻します。

この箇条書きにしたメモを元に先生と2人での打ち合わせが始まります。「これはどういうことかい?」

「それは恐らくこういうことではないかと思います。」

「ということは、ここが決まらないと打ち手が決まらないな。ここを決めるように伝えておいてくれ。」

そんなやり取りを小一時間したあと、週が明けて先生との打ち合わせ結果を会社に持っていき、社内で対応を練ります。

その結果を持って次の高井先生とのミーティングに備えます。

課題が明らかになり、打ち手が見えてくると、議論が具体的になります。そういう段階に入ってくるとミーティングが始まる前に私が高井先生からある指示を受けます。

 

4.コーチングの原型

「参加者に紙を配って各自心配ごと、気がかりを書いてもらってくれ。」

心配ごと、気がかり以外に条件はありません。そうするとさまざまな心配ごとが書き出されてきます。レベルも極めて高度な経営的な問題から、本来のテーマから一見かけ離れているような話まで。これを会議の開始と同時に高井先生がひとつずつ書き出した人に説明させていきます。同時に本人に「どうしたら良いと思いますか?」と尋ねます。これによって一瞬にして解決する話、慎重に策を練ってあたらなければならない話が明らかになり、問題が仕訳されてくるわけです。

もうお気づきかと思いますが、これは「コーチング」につながる手法です。当時、「コーチング」などという言葉は世間には広がっていませんでしたから、高井先生も「コーチング」としてこうした作業を行われていた訳ではなく、経験的に問題解決に有効な手法として採用されていたのだと思います。

書き出すという作業によって、まずは書いた本人の頭の中が整理されます。何が問題なのか?それは本当に問題なのか?が自分自身で整理されます。そして、場合によっては書き出して整理しているうちに打ち手が自分の頭の中に湧いてくることもあります。仕事をする際に問題を書き出すというスタイルをとっている方がどのくらいいらっしゃるか分かりませんが、一度試されると良いと思います。

私が日本総研でコンサルティングをやるようになってから、この手法の真似をさせていただき、ずいぶん役立ちました。人事制度を設計する中で事務局が後ろ向きになるケースがあります。そういった時には客先の事務局の皆さんに心配ごと、気がかりを尋ねたり書き出してもらったりすることで議論が徐々に前向きかつ実践的になるのです。

以上

 

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2017年2月4日(土)7:24 中目黒公園にてエリカ・ダーレンシスを撮影
花言葉:「博愛主義・幸運・孤独」 

 

 

第23回雇用の未来(4)
(2009年2月16日転載)
 

 

 

深刻な不況のもと製造業の派遣社員が大量に失職したことが契機となり、昨年末頃からワークシェアリング(仕事の分かち合い)導入の当否がさかんに議論されてきている。

 

難しい“ワークシェア”

ワークシェアリングの概念が、今回ほど意識された不況はなかった。ITバブルが崩壊した時期である2002年に「多様な働き方とワークシェアリングに関する政労使合意」が発表され一時は話題にもなったが、その後議論は自然消滅してしまった。

これまでの不況では「雇用調整」「リストラ」等の言葉が横溢していたが、今回の大不況ではこれらとともに、未だわが国で実績のない「ワークシェアリング」が注目されている。

その原因の1つは、今回の不況は従来のものとは質的に異なる極めて深刻なもので、物やサービスが極端に売れないため、仕事量自体が縮減し、人員整理だけに頼っていてはいかんともし難い経済状況であることにある。

確かに今回の不況に限れば、雇用を些かでも維持するための緊急手段として、ワークシェアリングを採用することも1つの方途であろう。しかし、①ワークシェアリングは人間の向上心を刺激しないこと、②ワークシェアの向く職種はともかく標準化が難しく、個々の相違工夫が求められる「ハートワーク」等においては仕事を分かち合うこと自体が難しいこと、③競争力が低下した産業の構造転換が遅れる弊害があること(③は本年1月9日付日経新聞・日本総研山田久氏談)等の理由で、ワークシェアリングの採用は基本的には望ましくない。

現に、生産性向上の権威として著名なデジタル関連製造業の経営者から、ワークシェアリングがいかに働く能力を蝕む仕組みであり、組織をダメにするかということを、私は直接お伺いしたことがある。製造業はワークシェアリングに適する業種との認識が一部にはあるが、この経営者は「製造業こそワークシェアは成功しない」と断言された。その理由は、仕事を分け合うことで生産性は落ちるし、また好況になって増産体制に入ろうとしても、一度“分かち合い”で力の出し惜しみが恒常化し、心身を完全になまらせてしまうと、労働能力は容易には元に戻らず、企業は立ち行かなくなるという。

現場にはこうした認識が強いにも拘らず、ワークシェアリングが話題になっている理由は、今回の不況が恐慌状態と言うべき立ち直りが容易でないものであり、働くこと・仕事に勤しみ対価を得ること自体が人間性の発露として重要であるという原点に立ち返って、働く機会を極力確保すべきと判断されていることにあると思われる。

恐慌下で大量の失職者が出ることは、長期にわたり収入が途絶える者が増大するだけでなく、失業して社会への貢献の場を失うことが人間性の喪失につながり、ひいては人間の尊厳を毀損するのである。

ワークシェアリングについての議論は、正規・非正規の処遇格差の是正を真剣に考える契機を提供する点においては意味があろう。

折しも、与謝野馨経済財政担当相は、ワークシェアリングに関する文脈の中で、「同じ職場で、同じ時間、同じ労働をして、賃金がこんなに違うのは社会的に正しくない」と発言したという。これはまさに「同一労働同一処遇」概念の必要を説くものであり、政府もその実現に向けて研究を開始したと思われる。

 

派遣対象業務を見直し

今や雇用者の約34%に当たる非正規雇用者の問題を抜きにして、雇用の未来は語れまい。これからは、非正規社員にも正社員への道を開かなければならないし、現に法制度もそのように発展し続けている。非正規社員という身分のみを理由とする差別が禁止されることは自明の理と言ってよいであろう。

雇用の未来には、正規が非正規かという形式的身分ではなく、本人の専門性こそが尊ばれる。

専門性とは、一般人が簡単には習得できない能力・技術・技能を言い、一定期間にわたってその仕事に打ち込んで初めて修得できるものであることは言うまでもない。

専門性ある者は一般人と差別化され尊重されるから、自ずと自律心・自立心を有し従属労働からいくらか脱皮できる。そして、タレントということになれば、なお自律性・自立性が高まり従属労働から解放されるのである。つまり、専門性の本質は「従属労働からの解放」にあると言ってよい。その意味において、これからは能力・技術・技能を蓄えることを労働者が意識すべき時代である。労働者が自律・自立できる専門性を備えていることがこれまでにより強く問われることを、これを「キャリア権」思想の発展とともに日本の新たな社会システムとしても一層強化していかなればならない。

そして、昨今話題になっている派遣労働について言えば、極めて専門性の高い業種のみに限定する方向で見直しを図るべきである。但し、専門性を優先するあまり、専門業務の派遣労働者がなし得る専門外業務の割合を「1日・1週間当たりの就業時間数で1割以下」(労働者派遣事業関係業務取扱要領)とする現行の基準は硬直的であり、20~25%程度の比率まで認める必要があろう。なぜなら日本の企業では互助で仕事をするので、専門性がある程度緩和されなければ組織が円滑に回らず、かえって生産性が低下する可能性があるからである。

 

社会貢献で生産性向上

企業が社会的存在であるという意味は、企業は社会的貢献を果たさなければ存在が許されないことを意味する。これは当然のことであり、社会的貢献の重要性を実践する企業が、尊重・尊敬されるということである。これからの企業は今まで以上に社会的貢献を意識し、金銭・賃金以外のインセンティブを従業員に与えることに熱心でなければならない。

また、企業は社会的貢献によって事業展開にアドバンテージを得ることにもなる。なぜなら、企業の社会的貢献は従業員ら自身の矜持につながり、個々人が満足感をもって仕事に取り組むことになるから、その結果企業全体の生産性が高まり好業績をもたらすのである。

不況の影が色濃くなりつつあった2008年の秋に聞いた旅行業の話だが、「カンボジアのアンコールワットに行こう―草むしりをしよう」という企画に、50~60人もの若者が応募してきたという。今の若者は、物見遊山の旅よりも社会貢献をする点に価値を見出し奮い立つのである。

経営の未来は、「社会貢献」にこそ成長の道筋がある。そして雇用の未来には、企業は本人の志願と企業の適格性を前提とした合意によってはじめて可能になることではあるが、労働者を半年間休ませて社会貢献活動に従事させるということも必要になってくるのである。

 

 

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2017年2月4日(土)14:10 港区北青山にて白梅と紅梅を撮影
白梅の花言葉:「気品」 紅梅の花言葉:「優美」

 

 

第22回雇用の未来(3)
(2009年2月2日)

 

 

日本人の長寿化は進む一方である。平均寿命の推移を辿ると、1900年頃‥男性43・97歳、女性44・85歳→1950年頃‥男性59・57歳、女性62・97歳→2000年‥男性77・72歳、女性84・60歳→2007年‥男性79・19歳、女性85・99歳(厚労省生命表参照)であり長寿化に比例して勤労年数も長くなっていることは容易に推測できる。

 

キャリアこそ「資産」に

しかし、人間の寿命の伸びとは反対に、企業の寿命は短くなっているという現実がある。「日経ビジネス」誌は1983年9月19日号掲載の調査で、売上高や総資産を元に日本企業の寿命を「30年」と発表して話題となったが、同誌1999年10月4日号掲載の調査では、株式時価総額をもとに日本の企業が大きな影響力を持つ盛期は7年以下で、米国企業は5年以下と発表した。社会・経済の変化のスピードが加速度的に速まり企業環境が激変している現在では、この期間はさらに一層短くなっているだろう。企業の寿命が急速に短縮化する一方で、人間の寿命は伸び続けている現実は、企業・組織で働く労働者は、自ら絶えざるキャリアアップを期さなければ人生をまっとうできないことを示している。

ここにこそ、長寿社会における雇用の未来の変化の原点があり、「キャリア権」概念思想が生まれる所以でもある。

法政大学大学院の諏訪康雄教授が10年以上前から提唱されている「キャリア権」については、本紙2008年1月21日~2月4日号掲載の拙稿「注目すべき『キャリア権』」(上・中・下)で論じたとおりであり詳述しないが、「キャリア権」概念とは、今の時代は職業キャリアこそが働く者にとっての資産であり自己実現の重要な手だてであるという発想から、これを権利概念にまでに高めて雇用関係を見直そうとする考え方である。法文上は「職業生活」「職業生活設計」等の文言が職業キャリアを念頭に置いたものであり、個々の労働者の能力の向上なくして企業の成長も実現し得ないという点において、雇用の未来には人材教育の重要性と同様に「キャリア権」の視点がなお一層注目を浴びるようになるだろう。

さらに言えば、時代の変化に応じて人はキャリアを変えなければならない事態も起こる。ドラッカーは自らをマネジメントする必要性を説く中で、次の5項目をチェックポイントとして掲げている。即ち①自分は何か、強みは何か、②自分は所を得ているか、③果たすべき貢献は何か、④他との関係において責任は何か、⑤第2の人生は何か(P・F・ドラッカー著「明日を支配するもの」1999年)。

これらを常に念頭に置き能力・技術・技能を磨き続ける者であれば、今のような世界同時不況においても有為の人材として組織から必要とされ、活躍の場が得られるのである。

なお、キャリア開発や方向転換に当たっては、進路指導を行うキャリアカウンセラー等の専門家が必要となってくるが、その際に留意すべきは、前提条件として、本人自身が努力し勉強する資質と「学び方を学ぶ(Learning To Learn)」スキル・能力を身に付け、幅広の情報を身に付けたり的確な判断をなし得る資質に優れていることが必要となろう。そうした向上心あふれた人材を対象として、今後の人事部門においては職務能力開発室等の部署が重要な役割を担っていく。キャリア開発支援は優秀人材の囲い込み・リテンション策でもあるのだ。

職業キャリアの問題を考えるに当たっては、今後、急速に進むデジタル情報化・グローバル化の流れをも念頭に置かなければならない。私が言いたいのは、各人がIT技能や語学能力の向上に励むべきという当たり前のことではない。ここで強調したいのは、さらに高次元の問題として(私の造語であり恐縮だが)「ヒューマンワーク」を意識すべきだということである。

デジタル化の進行によって職場ではハートや人間関係のぬくもりが失われ始め、「お早うございます」の挨拶さえできない者が増えつつあり、また信じ難いことに、傍らの上司にさえ口頭ではなくメールで報告を済ませて何ら疑問を抱かない者もいる。その背景には、ハートを反映した口頭による報告の重要性等を教える上司も、温かくて厳しい上司も減っていることがある。人間の温かさや優しさが職場から失われ人との関わりを拒み、パソコンが我が唯一の部下となるような状況では、人は孤独でストレスも上手に解消できず、うつ状態に陥るであろう。

笑いはストレス解消につながり免疫力を高め病症の軽減にも資することが、医学的にも実証されてきているという(日本医科大学リウマチ科HP参照)、九段坂病院副院長の山岡昌之先生(心療内科)が、職場の誰もがよい関係でいるための3カ条として「挨拶」「雑談」「冗談」を挙げられるのも、人間のコミュニケーションにとって笑いの効能がいかに大きいかを指摘されていると思われる。

 

ヒューマンワーク時代

こういう時代であるからこそ、全人格・全人間性をかけて労を惜しまずに尽くすべきは尽くし、「血と汗と涙の結晶」としての労働=「ヒューマンワーク」をなし遂げることによって、相手の心を和らげるとともに自分自身の人間性をも豊かにすることが一層求められると言ってよい。

また、グローバル化が進むことで、労働の評価には、国籍や民族や文化の違いを超えて納得できる基準が必要となってくる。その場合にも、「ヒューマンワーク」は多様な価値観を超えて万人の旨に届く評価基準として重要になってくるだろう。

常に相手のことを思いやり全力を尽くし「本気」で「熱意」「情熱」を以って仕事をしている人にとっては、「ヒューマンワーク」は敢えて強調するまでもない至極当然のことと思えるかもしれない。しかし実際にはごく一部の限られた者しか「ヒューマンワーク」を実行できていないのであり、雇用の未来には、このことを日々為し得る者しか生き残ることはできない。その意味で、これからは「ヒューマンワーク」の時代と言っても過言ではない。そして今のような不況・大恐慌の時代には人の差別化や企業の差別化が求められるから、「ヒューマンワーク」はそこでも確固たる評価基準として機能することになるだろう。

2008年4月に施行された改正「パートタイム労働法」は、正社員とパートタイマーとの処遇等の均衡をめざすものであるが、「ヒューマンワーク」の概念は正規・非正規の身分とは全く関連しないことに注目して頂きたい。「ヒューマンワーク」を実行した者は、労働の身分と関係なく正当な評価を受けるべきなのである。全身全霊をかけて労働の成果を上げた者は、雇用の場において人間性の創出・発揮をしたことに対し正規・非正規の差異なく取り扱うことこそが均衡概念にもつながる。

「不患寡而患不均(貧しきを憂えず、均しからざるを憂う)」とはかの毛沢東の言葉であったともいうが、雇用の未来では、正規・非正規の区別なく労働の成果が均しく評価されなければならないのは言うまでもない。

 

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2017年1月29日(日)8:13 千代田区大手町1にて寒桜を撮影
花言葉:「気まぐれ」

 

 

朝日新聞記者 高橋美佐子さんと小生のご縁

 

朝日新聞の夕刊紙面で2016年12月12日から28日まで全12回にわたり連載されていた「人生の贈りもの~わたしの半生 作家落合恵子氏」の記事を拝読していて、担当者欄に高橋美佐子さんの名前を見つけた。

この連載は、落合恵子さんが高橋さんに対して心を開いている様子が感じられる見事な内容であった。高橋さんを知る者のひとりとしてうれしかった。

事務所の記録をみると、小生が高橋さんと初めてお目にかかったのは、2006年5月のことである。

 

小生は株式会社ABCCookingStudioの法律顧問をしているが、おそらく2006年5月に、同社の創始者である志村なるみさんが朝日新聞から取材を受けられ、その担当記者であった高橋美佐子さんを志村さんからご紹介いただいたのであろう。高橋さんは溌剌とした爽やかなお人柄であり、そして、読者に何を伝えるべきか真摯に取材対象となる方に向き合い、使命感をもって仕事をしておられるという印象を受けた。

高橋さんは、朝日新聞入社後、長野支局、横浜支局を経験し、2000年から東京本社の社会部へ配属され、その頃、首都圏で働く20代~30代のOLをターゲットにした連載企画「口紅のささやき」などを担当しておられたそうだ。小生が初めてお会いした2006年ごろは、朝日労組本部広報部長も務めておられた。その後、名古屋本社報道センター社会グループ、東京本社文化くらし報道センターで生活面キャップを務められた。

(なお、2008年4月に小生が立ち上げた勉強会「キャリア権研究会」に、小生から高橋さんにお願いして、2年間にわたりご参加いただいたということもあった。)

2009年10月~11月にかけて、当時の夕刊一面の連載「にっぽん人脈記」に、「排泄と尊厳」というタイトルで署名入りの連載記事を書かれたことも、大変印象深いお仕事として記憶に残っている。介護問題とも密接に関連し、人間にとっての根源的かつ重要なテーマに正面から挑んだ力作であったと思う。また、取材班のひとりとして参画された2010年末の朝刊一面などの年間連載「孤族の国」では、単身世帯が急増する日本社会の実情に迫っておられた。高橋さんは、社会で弱い立場にある人の抱える問題を、独自の視点で丁寧に取材して読者に伝えることを、自らの信条とされているのではないだろうか。

2012年には東京本社デジタル編集局デスクに異動され、テレビ朝日CS2「ニュースの深層」でキャスターを務められ、2013年4月には、『週刊朝日』副編集長として朝日新聞出版へ出向された。異動のご連絡を受けた際には、放送や雑誌という新分野に果敢に挑戦される高橋さんを頼もしく思った。朝日新聞出版時代には、2年連続で東京大学情報学環境部「メディア論」(後期)にて講義を担当されるなど、活躍の場を拡げ、2015年に古巣ともいえる東京本社文化くらし報道部に異動され、現在は再び記者として活躍しておられる。

 

高橋さんは、同じく朝日新聞で記者をされている上野創(はじめ)さんと、上野さんが26歳でがんを発症された1997年に結婚された。高橋さんのご紹介で、小生は上野さんにお会いしたことがあるが、柔和な優しい雰囲気の好青年であった。再発や4度の手術を経て社会復帰を立派に果たされるまでには大変なご苦労があったことは、ご著書『がんと向き合って』にも綴られている。上野さんとともに歩み、上野さんを勇気づけた高橋さん。すばらしいおふたりだと思う。民間療法だといわれるかもしれないが、小生から、真夏に裸足で海岸の砂地を歩くこと、特に熱い砂地を歩くと良いとアドバイスをしたこともある。

高橋さんの妹さんは、ソプラノ歌手の高橋美千子さんである。高橋さんにご紹介いただき、2011年12月2日に開催した弊所年末講演会のコンサートでは、美千子さんに素晴らしい歌声を披露していただいた。アメージング・グレイスやアヴェ・マリアを歌い上げる美千子さんの美声がコンサート会場内に響き渡り、圧巻であった。

 

高橋美佐子さんは、現在は朝日新聞文化くらし報道部生活グループで記者をされている。様々な経験を経た彼女がこれから何をどのように伝えていくのか、今後も応援していきたいと思っている。

 

以上

 

 

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2017年1月21日(土)10:17 北区豊島8にてモミジハグマを撮影

 

 

第20回 働き方改革(1)誰のために働くのか
(平成28年8月29日) 

 


東京帝国大学において、1920(大正9)年に日本で初めての労働法の講義をされた末広厳太郎(すえひろ・いずたろう)博士は、1947年(昭和22)年、労働組合関係者、使用者側の者、学生等を対象とした労働法ゼミナールという講話をされ、速記録をもとにした本を出された。私は10年ほど前になじみの本郷の古書店でこれを入手したが、内容は濃く、活字もしっかりと組まれており、戦火が止み勉強できるようになったことへの人々の喜びを感じずにはいられない。

この講話の導入部分の「労働法の史的概観」には、「マルクスは、現代資本主義社会の労働者を賃銀(ママ)奴隷と呼んだが、歴史的にみると今日の労働者の職能上の祖先は奴隷である。かくの如く古代の奴隷と今日の労働者とは一貫して一つのものとして理解される共通の要素がある。」(末広厳太郎述『労働法のはなし』一洋社1947年11月刊)というくだりがある。戦後間もない時期のこの指摘は、いまを生きる私たちにも響くものがあるのではないか。従属労働の担い手である限りは、働く者の本質は、自立・自律し得ない存在である奴隷と同じものなのだ。

時代の変遷とともに人の労働観は「国家のため」から「企業のため」に変わり、近年は「個人のため」「自分のため」へと変わりつつある。こうした潮流は立法にも反映され、2007年11月には労働契約法が成立した。同法は、雇用形態が多様化し個別的な人事管理が進展してきた社会の実情のもと、労働関係は基本的に労働者と使用者との個別的な合意(約束)によって成立、展開、終了することを法文上明らかにしたものである(弘文堂『詳説労働契約法』等参照)。

労働契約関係は一般の債権契約とは異なり、人格的結合性と組織性に特色が求められるとしても、「個人のため」「自分のため」に働くという考え方が主流になってきた以上、企業は個人の多種多様な生き方を尊重していかざるを得ないのであって、様ざまな雇用形態を採用し、働く者の選択肢を増やす努力が求められる。統一的かつ画一的な雇用では魅力に欠け、優秀な人材は集まらず、組織の充実はあり得ない。企業は多種多様な働き方を希望する従業員に対して、マッチングする制度を採用していかなければ、真の働き方改革たり得ない。自分のために働くという目的意識に配慮し、労働者側からみた理想の働き方概念を打ち立てなくてはならない。いうまでもなく、いまや優秀人材は国境を越えて移動する時代である。彼ら彼女らにとっては、好きなこと得意なことについて、好きな時間に好きな人と働き、自分が納得できる報酬を得られることが理想であり、人種、性別、学歴、宗教、キャリア等に関係なく、こうした動きは世界レベルで進行している。企業はこれらの事象を念頭に、新たな人事制度、雇用制度を確立しなくてはならないと思うのである。

そして、働く者を賃金奴隷の労働から解放すべく従属労働から自立労働へと促し、自己責任に基づく自己実現を果たし得る労働法体系を構築することが、厚生労働省のいまの役割なのである。個人のために働くとなれば、雇用契約は必然的に請負契約的な働き方に転換され、労働の成果による格差は広がっていくであろうが、やむを得ない。財源問題はあるにせよ、救済策としてのベーシックインカム等のシステムの導入も、真剣に議論されるべきときなのである。

 

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  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第9回目です。
  • 第9回目は メルコスール観光局 池谷光代様です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第9回)■ ■ ■ 

メルコスール観光局 池谷光代  様

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【池谷光代様プロフィール・ご紹介】池谷光代様お写真

東洋大学短期大学にて、観光学を学び、卒業後一貫して、観光業に従事。全日空商事株式会社を経て、サンフランシスコにて日系旅行会社に勤務。1997年に、ある偶然の出会いがきっかけで、アルゼンチンに渡る。その後、約10年間、アルゼンチン・ブエノスアイレスに滞在し、旅行会社勤務を経て、ブエノスアイレス市公認観光ガイド、各種コーディネーター等の仕事に携わる。

アルゼンチン観光省との縁より、現職であるメルコスール観光局〔※説明はブログ本文ご参照ください〕にて、メルコスール加盟国の観光のプロモーション業務の為、2007年に帰国。

現在、南米とひとくくりには出来ない、国柄も文化も違う5カ国の観光省とのコーディネート、観光PRイベントの企画、手配、運営、観光セミナー講師等を担い、2012年には、一般社団法人日本旅行業協会より、4カ国(当時)観光省とのコーディネート力、日本の旅行業界への貢献を評価され、「ツーリズム大賞2012観光局部門」を受賞。

日本、米国、アルゼンチンと国内外の民間企業勤務の経験と、現在アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイ、ベネズエラ5カ国の観光省という外国公的機関とのコーディネート経験、国柄も文化も違う5カ国をコーディネートするコーディネート力、そのユニークなキャリアが業界から評価されている。

日本と海外の旅行社勤務の経験を経て、現在観光局で観光PR に従事するという、観光を学ぶ学生から憧れられるキャリアを持つ女性として、またユニークな経験談が評価され、大学や専門学校から、観光学科学生向けの講義依頼等も受けている。

【今回の同席者は以下の通りです】

  • 久佐賀義光様
  • 三井物産株式会社(1955年4月-1992年6月)にてアルゼンチン(ブエノスアイレス)化学品課長、ドイツ(デュッセルドルフ)化学品部長、中国(北京):初代中国総代表を歴任。アルゼンチン勤務は1962年12月~1968年1月の5年に亘る。

  • 高井伸夫

今回は、アルゼンチン勤務経験のある久佐賀義光様をもお招きして、お話をお伺いいたしました。
(取材日:2016年12月1日(木)中国飯店市ヶ谷店)

 

 

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高井

南米とかかわるようになって何年ですか?

 

池谷様

来年(2017年)で20年になります。

 

高井

南米に関するお仕事ですが、19年間どのようなことをされてきているのですか?

 

池谷様

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで旅行会社に勤務したのをきっかけに、一般旅行業務、ブエノスアイレス市公認ガイド、イベントのコーディネーター等をしていました。その後、アルゼンチン観光省と縁に恵まれ、現職の観光局に関わるようになりました。ずっと、観光業に携わっています。

 

高井

池谷様が日本に戻られてまもなく10年ですが、日本に戻られてから他の南米の国とも関わるようになったのですね?それが、メルコスールの国々だったのですね?

 

池谷様

そうですね。メルコスールというのは、日本では聞きなれない言葉かと思いますが、アルゼンチンとブラジルとパラグアイ、ウルグアイとベネズエラの関税同盟の名称です。

それまでは、アルゼンチンの観光だけに関わっていましたが、日本に帰国後、その周辺諸国にも関わることになりました。日本では南米というとまるで同じ国のようにひとくくりで見られる方が多いように感じますが、日本とその周辺のアジア諸国が異なるように、南米大陸の各国はそれぞれ異なります。それぞれに独自の文化があり、異なる面もありますが、お隣通しの国が手を組んで一緒に観光促進をするプロジェクトは、とても興味深いと思います。

 

高井

アルゼンチンの魅力は何ですか。

 

池谷様ペリトモレノ氷河

まず、アルゼンチンの最大の魅力は大自然ですね。アルゼンチンの国土は日本の約7.5倍です。

観光で特に人気なのは、南部のパタゴニア地方にある世界自然遺産ロス・グラシアレス国立公園の「ペリト・モレノ氷河」です。

アンデス山脈から30KMの距離を、氷河の名の通り、氷の河が湖に流れていて圧巻です。そして、遊歩道からその氷河を目の前に見ることができます。もし、東京の中心部にそれがあったとしたら、その氷の壁は、日本橋から浜松町まで続き、上を見上げるとその高さはビルの20階ぐらいと同じ。

そんな大きな真っ青な巨大な氷河があるんです。すごいと思いませんか?

(写真;ペリト・モレノ氷河・手前に遊歩道あり)

また北東部にいくとアルゼンチンとブラジルの国境に、イグアスの滝と呼ばれる世界遺産に登録されている滝があります。この滝は、なんと275本の滝が連なって、幅が2.7KMにもなるんです。日本橋から新橋ぐらいの距離!(笑)イグアスというのは、この辺りに住んでいた先住民グアラニー族の言葉で、「大いなる水」という意味ですが、訪れた人はその言葉の意味を、思う存分体感することができると思います。日本にはない景色です。

北部に行きますと、190KM続くウマワカ渓谷のある村に7色の丘を持つ村があったりします。

 

高井

丘の色が7色なのですか?

 

池谷様

ウマワカ渓谷

そうです。地層の色が7色です。この丘は、世界遺産ウマワカ渓谷のプルママルカ村というところにあります。自然の作った素晴らしいグラデーションです。さらにアルゼンチンの自然の魅力を語りだしたら、今のこのお時間では足りないぐらいです。

他にもちろん、まだまだたくさんありますが、お時間もありますし、もしもうひとつしか選べなかったら、それは間違いなく「人の温かさ」と言いたいです。例えば、地下鉄に乗っていて、妊婦さんやお年寄りが乗ってくると、どなたか一瞬で席を立ちます。日本のように寝たふりをしている人なんて皆無です。そして、家族や友人をとても大切にするアルゼンチン人。例えば、もし、あなたが年末年始などの人が集まる季節に一人だったら?そんな時は、こんな声が聞こえます。「ひとりでいるもんじゃない、うちに来なさい!一緒に楽しもう!」日本では、家族の集まりに他人が加わるといった習慣は、あまりないかもしれませんが、アルゼンチンの人達は、あなたが誰だからというわけでなく、ただ人とのつながりをとても大事にしてくれる人々だと思います。

(写真;ウマワカ渓谷7色の丘)

 

高井

治安はどうなのでしょうか。

 

池谷様

南米の中では、比較的良いと思います。首都のブエノスアイレスには、東京にもあるような、バス停で乗り降りできる2階建て観光バスが走っています。治安が悪いところでは、バス車内強盗などがあったりしますが、乗り降り自由な観光バスが運行しているということは、比較的治安がいいといえるかと思います。

また、治安が悪い国ではお勧めできない長距離バスも、アルゼンチンでは全く問題ございません。

 

久佐賀様

アルゼンチンは南米で一番安全な国ではないでしょうか。私がいた当時は夜中の1時2時に町の中を1人で歩いていても、全然怖さを感じませんでした。

 

高井

観光業のお仕事で一番のやりがい、醍醐味は何ですか。

 

池谷様

やりがいは、仕事に限界、リミットがないことです。

 

久佐賀様

何でもできるということでしょうか。

 

池谷様

例えば、今観光地でないところがあったとします。その場所は、未来にはお客さんが来てくれるような場所に、育てることができます。創造性には、リミットはありません。

観光業は、代金を支払う時は、商品を手に取って品定めして買える商品でなく、その観光地にいる時、もしくは家に戻ってきてから、その価値がわかるものです。

同じ代金でも、同じ観光地でも、まあまあだったという人もいれば、一生忘れない思い出になる人もいればさまざまです。そんなひとりひとりの違う人生の一部に関われると思うと、ロマンを感じます。多様性があり、そういった面にもくくり(リミット)がありません。

また、お勧めしたところへ行ったお客さんに「楽しかった!いい思い出になった。」と言われること、その方の喜びが私の喜びになるときは、観光業に携わって、本当に良かったなと思います。

 

高井

池谷様が開発された観光地はありますか?

 

池谷様

テレレ茶器

そんな大それたものはありませんが、アイディアを採用していただいたことはあります。パラグアイでの話ですが、テレレというマテ茶を冷たくしたものを、飲む習慣があります。このテレレは(アイスマテ茶)、ポットに注いで飲むのではなくて、特別な容器に入ったお茶を、銀のストローのようなもので飲むという、独特の飲み方をします。パラグアイでは家庭で飲むもので喫茶店等では飲むことが出来ません。しかし、街中では小脇にポットを抱え、日本人には見たこともない専用容器で飲んでいるのを見かけるのです。そんな姿をみたら、観光客は益々味わってみたいものです。でも、喫茶店やレストランでは飲めない。そこで、こんな提案をしてみました。旅行会社のツアーでは、お客さんに1日1本ミネラルウォーターを付けていたりします。パラグアイ滞在中は、ミネラルウォーターの代わりにテレレセットを用意し、テレレ体験をしていただき、その入れ物はお土産として持って帰れることにすればお客さんが喜ぶのではないでしょうか?ということを提案しました。現地の旅行社は、灯台下暗しとでもいいましょうか、自分たちの毎日の当たり前のような習慣が観光客にはとても興味深いということに、今までは気が付かなかったそうです。そして、思った通りそれを実行したら、お客さんにとても喜んでもらえたという例がありました。

(写真:パラグアイ、テレレの茶器)

 

高井

観光業のお仕事で一番苦労されるのはどのようなことですか。また、日本人がアルゼンチンに観光で行って一番苦労することは何ですか?

 

池谷様

現職では、文化の違いから価値観の違いもあることを、理解するよう心がけています。

日本人がアルゼンチン観光に行って一番苦労すること?なんでしょう?(考え込む)スペイン語の文字が飛び込んでくることでしょうか?(笑)観光地は、英語は通じますし、身振り手振りでも相手を理解しようという人がたくさんいるし、食事も素材を使ったお料理ばかりで日本人の口に合うし、苦労ではなく逆にたくさんの楽しみが待っているはずです。

 

高井

価値観とおっしゃいましたが、どのような価値観ですか。

 

池谷様

例えば、簡単な例だと、日本ではメールを受けとったら、それに対しての回答がすぐ出せなくても、受け取りましたという受信メールを返信する方が多いかと思いますが、私が一緒に仕事をしている人たちは、回答が出てから連絡がくることが多いです。ですから、数日間は、メールを受け取ったのか受け取っていないか分からない時間があります。

彼らたちにとっては、聞かれたことの回答がわからないから、確認してから書こうとただ思ったということだそうです。自分の価値観だけで考えてしまうと、その数日間はイライラするかもしれません。しかし、どちらがいいか悪いかではなく、お互いのやり方を尊重し、確認しながらミスコミュニケーションがないようにしています。また、各国間とは、メールのみで、ほぼやり取りするのですが、些細なことでも全てをちゃんとシェアしていくことを心がけています。これをとても大切にしています。5か国で仕事のリズム、文化が違うので、アルゼンチンもブラジルもウルグアイもパラグアイもベネズエラも南米大陸にありますが、国が違うわけです。日本だってアジアの1つだけども、お隣の中国とも違うし、韓国とも違う。それと同じです。

南米は、大陸でつながっているけれど、違う国同士、考え方の違いも生まれますし、そういうことを理解しながら、バランスを取りながら仕事を進めるというのが、一番、難しいと言うか、気を付けていることです。

 

 

高井

ところで池谷様はボランティア活動も積極的に行っていらっしゃると伺いました。どのような活動をされていますか?

 

池谷様

最近は行っていませんが、東日本大震災と広島の土砂災害でのボランティアの経験が印象に残っています。東日本大震災では、震災後に岩手の釜石と宮古へ行きました。

 

高井

ボランティアに行って、感じたことを教えて下さい。

 

池谷様

災害の現場に際して一番感じたことは、自分がテレビを見た時の想像と、実際の被害の大きさの違い、自然災害の恐ろしさは、テレビだけでは表現できないと感じました。そして、被災された方について、東北の場合は、何もなくなってしまって、更地になってしまっていて、平地になってしまって、それでも人は立ち直ろうとする、東北の人の強さを感じました。何にもない道を釜石から宮古まで走った時に、ただの更地といっても、平原ではありません。アルゼンチンの大自然の平原とは違います。町があった場所です。全く何もなくなってしまった、こんな状態になっても、立ち直ろうとする人のすごさを肌で感じました。

広島の土砂災害は、「横の家は大丈夫だったけど、うちはダメだった、というように、間一髪の差で全てがなくなっている、それを認めるまでは時間がかかったけれども、これからがんばっていく、復興していく」とお話を伺い、人間の強さというのは、すごいなと本当に思いました。

 

高井

本日は貴重なお話をありがとうございました。

 

以上

 

 

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