2016年10月アーカイブ

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2016年10月15日(土)16:16 千葉県夷隅郡大多喜町上総中野駅にて撮影

 

 

 

株式会社開倫塾
代表取締役 林 明夫

 

「心の経営体を目指して」

 

1.はじめに

高井伸夫先生から教えて頂いたことは数知れないが、最も参考になった教えは、経営者や経営幹部が心がけなければならないことは「心の経営体」を目指すべきだということだ。

 

2.では、目指すべき「心の経営体」とは一体どのようなものか。10年ほど前から、江戸時代の中期の思想家で石門心学の祖である石田梅岩(1685~1744)先生の主著である「都鄙問答」を少しずつではあるが岩波文庫で読むようになり、「心の経営体」とは何かを考える上で大きなヒントを得るようになった。

 

3.ただし、岩波文庫版の「都鄙問答」は1935年の初版本が再版されたものなので、漢文の素養に欠ける私にとっては難解なため、次のような本を手元に置いて読み進めた。

(1)柴田実著「石田梅岩」人物叢書、吉川弘文館1962年9月1日刊

(2)石川謙著「石田梅岩と『都鄙問答』」岩波新書、岩波書店1968年6月20日刊

(3)寺田一清著「石田梅岩に学ぶ」致知出版社1998年7月30日刊

(4)森田健司著「石門心学と近代―思想史学からの接近―」八千代出版2012年5月11日刊

(5)山岡正義著「魂の商人 石田梅岩が語ったこと」サンマーク出版2014年8月5日刊

(6)森田健司著「なぜ名経営者は石田梅岩に学ぶのか?」ディスカヴァー・トゥエンティワン2015年10月25日刊

 

4.以上に加え、本年2016年9月25日に致知出版社から「いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ」の最新作として城島明彦著「石田梅岩『都鄙問答』」が刊行された。

(1)城島先生の最新著は、漢文の素養の少ない私にとって難解極まる石田梅岩の主著「都鄙問答」の全文をわかりやすく現代語訳したものだ。「都鄙問答」に出てくる漢文も、すべて書き下し文にした上で現代語訳し、現代人にとり難解と思われる語句には、すべて親切この上ない解説が加えられている。

(2)高井先生の教えである経営者が目指すべき「心の経営体」とは何かを考える上で、石田梅岩の「都鄙問答」は欠くことのできない古典であり、この全文を正確に読み解く上で、城島先生の最新著はまさに「天の助け」と言える。

(3)是非、重版なった岩波文庫版「都鄙問答」の全文を、城島先生の最新著を用いて精読し、「心の経営体」とは何かをお考え頂ければ幸いである。

 

5.石田梅岩先生の考えを城島先生の現代語訳で少し御紹介させて頂く。

(1)私が拠って立つ信念は、「孟子」(尽心上篇)の最初に出てくる次の言葉だ。

「孟子曰く、其の心を尽くす者は、其の性を知る。其の性を知れば、則ち天を知る」

*「其の心」とは、「四端」と呼ばれる①惻隠、②羞悪、③敬愛、④是非の4つの心を指す。

*「其の性」とは、「仁義礼智の本性」を知ることをいう。

*つまり、「本性は天が命じるものであり、仁義礼智の本性を知るとは、即ち天を知ることになる」という意味。P.41~42

(2)「士の道は何をおいても、まず心を知って志を決めることだ」P.60

「心が正しく愚直な生き方を貫いているなら、ほかには少々の不足があっても志と呼んでかまわない」P.61

(3)学問の道というのは

①まず自分自身の行いをよく慎み

②義の心で主君を尊び

③仁愛の心で父母に仕え

④信の心で友と交わり

⑤人を分け隔てせずに愛し

⑥貧窮した人には同情し

⑦功徳があっても決して誇らず

⑧衣服からさまざまな道具に至るまで倹約を心がけ

⑨華美を求めず

⑩家業をおろそかにせず

⑪家計は収入に合わせて支出を抑え

⑫法をきちんと守って、家をよく治める

―学問のあらましは、このようなものである。P.68

(4)「道を知る」ということは、今の自分が置かれた立場に不満を唱えず、高望みをしないように自分を戒めること。P.71

自分の今の境遇は天命だと考えなければならない。P.72

(5)「心を知る」と志が強くなり、「義理」(義の道理)がよくわかるようになるので、学問は上達する。P.73

(6)仁者は、天地万物と心が一体となる。だから、目に触れるものが自分の心と異なることはないのだ。P.74

(7)立派な儒者は、常に学ぶ者の心を正し、徳ある人間を導くことに目的を絞っている。自分の文才を自慢せず、欲得とか世間の評価なども念頭に置かず、ひたすら人としての道を志している。P.75

(8)学び続けるならば、ついには聖賢の域にたどり着ける。われわれのような凡人は、欲を抑え、悪いことはしないようにして、刻苦勉励し続けるならば、少しずつそこに近づいていることがわかるはずだ。P.79

(9)生まれ持った「本性」を自覚して自身を濡している者を真の儒者という。

(10)心を求め、心を会得して教える儒者が真の儒者である。

(11)孟子(告子篇)は、「貴くなりたいと願う心は誰でも同じだ。誰もが自分の中に貴いものを持っているのに、それに気づかないだけだ」(貴からんと欲するは、人と同じ心なり。人人己れに貴き者有り、思わざるのみ)といっている。P.79

この言葉の意味をじっくり噛みしめてほしい。

 

6.おわりに

「心の経営体」の意味をこれからも考え続けたい。

以上

―2016年10月23日(火) 林明夫記―

 

開倫塾のホームページ(www.kairin.co.jp)に林明夫のページがあります。

毎週、数回更新中です。

お時間のあるときに、是非、御高覧ください。

 

 

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2016年10月2日(日)8:47 千代田区六番町にて彼岸花を撮影
花言葉:「あきらめ、独立」

 

 

第14回 管理監督者性の本質(終)
(2008年8月18日)

 

 

管理監督者問題の本質についての論稿を終えるに当たり、今後のあるべき労働法制をも念頭に置いた提言を行いたい。

都市銀行・金融機関の管理監督者についての行政通達(昭52・2・28基発104号の2、同基発105号)が、労働基準法41条2号の管理監督者にスタッフ職も含まれることを是認した時点で、労基法は死文化し破綻が決定的になったと言ってよい。

なぜなら、社会の変化によって労働の態様が多様化した結果、労基法の規定では現実の雇用社会に対応できないことを、行政自ら認めざるを得なかったからである。即ち、通達によってスタッフ職の管理監督者性を肯定したのは弥縫策にすぎず、適法な抜本的解決を図るには法改正によるしかない。

なお、管理監督者についての新しい規定を策定するに当たっては、グローバルな視点を忘れてはならない。そうでなければ世界から取り残され敗退していくことが目に見えている。

 

良心と善意が考課対象 

本稿第1回で引用したとおり、ドラッガーは管理監督者の要件を「人間としての真摯さ」と「教育的役割」としており、私もこれに賛同するものである。そこで、管理監督者の権限と責任を一体化した概念を構築し、それを受ける形で待遇を考えるという例を提唱したい。

(ア)まず、この概念の基本は、時代の潮流であるハートワークを旨として「真摯さ」と「役割」を合体させたものでなければならない。即ち、管理監督者に求められるのは、裏切らない・ごまかさない・嘘をつかない態度であり、せこい・狡(こす)いなどと言われない公正な姿勢である。そして部下である一般社員よりも高度の「誠実さ=忠実度」、そして指揮統率を担う役割に相応しい積極性・責任感が求められる。

これらの権限を受ける形での新しい概念を構築して「考課表」を作成・実施し、この結果により待遇を考えることになる。ここでもハートワークを旨とするから、考課要素は「良心管理」「善意管理」「成長管理」を念頭に作成されることになる。

(イ)その名称はともかく、管理監督者の待遇として「役割手当」(仮称)を法的に導入する。自己犠牲の精神で業務に勤しんでいる管理監督者には、温かい理解と愛情を以って報いる必要があるからである。

「役割手当」の構成は、大きくは(1)管理監督者としての平均的な「時間外見合い分」と(2)「責任手当」の二本立てとする。

「責任手当」の内容としては、前述の権限と責任の内容を踏まえて、①「指揮統率する役割」、次に②「教育的役割」が挙げられる。そして 、「教育的役割」の中には、(a)部下に目標を掲げさせる役割、(b)部下に気付かせる役割(コーチング)、(c)部下を評価する役割がある。さらに第3の要素として③「顧客満足度への役割」が挙げられよう。顧客の意向の変化の兆しをいち早く捉えて最前線の情報として咀嚼し、店舗・事業所等のヒト・モノ・カネ・組織のイノベーションに向けて対応を献策する。

このように「責任手当」のウエート付けを正当に行うことによって管理監督者としての意識を持たせ、管理監督者として機能させていく。

なお、管理監督者としての存在性と意欲を喚起すべく法的にこれらを整備しても、管理監督者に就任した者が能力不足等不適格者として降格されれば、心が病み、あるいは時に絶望するに違いない。そうすると、管理監督者への昇格は任命制ではなく「志願制」を認め、さらには「異議権」や「同意権」を認めることが必要となろう。そもそも、広く手を挙げさせる志願制を導入すれば、「キャリア権」にもつながる(拙稿「注目すべき『キャリア権』」本紙2655~2667号参照)。

ある者を管理監督者にする場合に、本人が「異議権」を行使することを認めると、会社は異議を申し立てられたら書面で回答する義務を負う。異議を申し立てる方も、書面で行わなければならないことになる。そうなると、管理監督者に昇進させるに当たって、使用者側は予め慎重な吟味が必要になる。後日になって異議の理由を付加することはできない。

 

インターバル制に注目

また、本人の同意を必要とすると、その場合にも同意を拒むには然るべき理由を書面によって明らかにさせる。そして拒否されても命令できるかどうかについて「同意権の濫用」という法的問題となる。同意権の濫用は、今までは集団的労使関係で論じられてきたものであるが、個人との関係では論じられておらず、企業等の組織法的視点から今後探求する必要がある。

なお、「異議権」「同意権」等は厚生労働省が推進している「ワークライフバランス」論にもつながる。「私生活を大事にする人は、同意権の下に人間としての機能を発揮することができる」のである。「ワークライフバランス」の思想が強まるに連れて、「異議権」「同意権」は必要不可欠な労働者の権利として認知されていくであろう。

さて、意欲的に業務に勤しむ者であればあるほど、経営者も管理監督者も、仕事から完全に離れる時間を作るのは難しい。なぜなら、ハートワークの時代においては、常に、変化とその対応に戸惑う心の動きの中で仕事をしなければならないから、非労働時間といえどもハートワークを完全には停止し得ず、「常在戦場」であることがこれに拍車をかける。こうした状況を乗り越えて上手に仕事とプライベートの切り替えを実行できれば、本人の能力開発にもつながる。その結果、ハートワークの時代における人材としての賞味期限を延ばすことにつながる。

一方、新たな労働時間制においては報酬を以って補償するという方向だけではなく、インターバル時間を積極的に導入すべきである。ハートワークになればなるほど、心身、特に心は破綻する危険があるからである。

実際には、このシステムは現実の労使関係において、タクシー等自動車運転手の拘束時間と休息期間が告示によって定められている他には未だ成果らしいものはないが、非常に重要なテーマである。

例えば、民放労連はこの制度について30年ほど前から主張しており、同労連冊子「2008年春闘方針」にも、「1日の勤務終了から次の勤務開始まで最低12時間のインターバルをとることをルール化させます」という項目を掲げている。

ところで、実態を詳細に調査したわけではないが、およそ弁護士等の専門家集団の事務所では、労基法どおりに時間外割増賃金を支払っている事務所は皆無であると言ってよいだろう。少なくとも、私は寡聞にして知らない。

そうしたなかで、勤務弁護士の労働時間の長さを踏まえた働きの成果を、各経営者たるボスがいかに判断・評価し賃金に反映させているかと言えば、各人の「勤務度の濃淡」を評価の基準の大きな要素としているのである。弁護士事務所に限定して言っても、一般にはそうした方式によるしか支払うことはできず、このことは何も使用者側弁護士のみならず、労働者側弁護士の事務所も同様である。要するに、報酬にこだわらないことが弁護士としての誇りでもあると言ってよい。

本稿第1回の結びでも述べたように、このことは単に資格者だけの問題ではなく、プロ人材全てに通ずることである。厚生労働省はこれをなぜ勇気を以って認めないのか。その事なかれ主義の姿勢には、遺憾という程度を超えて、情けなささえ感ずる。行政とは本来、日本の未来を切り拓くという思想のもとに国の根本的なあり方を論ずるべきである。

企業においては、お金に吝(しわ)い存在に対して、経営者はもち論のこと管理監督者さらにはおよそ同僚社員・一般社員も違和感を抱き反発し、さらには疲労感、ときには苦痛感・嫌悪感さえ持ち、要するに“嫌われ者”として扱うということが、人間関係の根本であることを知らなければならないのである。いかに仕事上数字を上げる者でも、周りから忌み嫌われる者は、部下から尊敬され目標とされるべき管理監督者像とは著しくかけ離れている。こうしたことが、行き着くところ管理監督者の選抜基準となり、評価基準ともなっているのである。

 

経営者へ「自戒」求める 

この稿を閉じるに当たり、ご参考までに私の指導方法を書いておこう。私は、日々、全ての弁護士が起案した全書面、その他秘書等所員が作成した全資料について、目を通して赤を入れる(補正を加える)のが常である。このことを通じ所員の指導教育方針の基礎としている。

そして、週1回、それぞれの弁護士が作成した「週間総括報告書」をもとにして、若手弁護士と打ち合せを行う。それは早朝のわずか10分間程度のことに過ぎないが、困難な案件や成果を確認する。各弁護士は、報告書を作成する過程で自分の案件を顧みることが習慣化すると言ってよい。

この習慣こそが、若手弁護士に、反省点をもとにした改善への努力を自覚させ、各人の業務の姿勢・仕事ぶりに良い影響を及ぼし、成長の糧になっている。それぞれの管理監督者は、工夫して後継者を育てることに熱意を持たなければならない。

管理監督者に自己犠牲を求める以上、経営者は、管理監督者がいてこそハートワークが成り立つことを肝に銘じ、愛情をもって彼らに接しなければならない。自らがまさに自己犠牲の精神で社業に勤しまなければならないのである。

同時に、従業員の成長ということを掲げ、そのことを日常的に心掛けていかなければならない。管理監督者にもそのような資質を求める以上、経営者はハートワークにおいてより優れた者でなければならない所以はそこにあり、利益追求主義であってはならない根本である。これは何も企業であるがゆえではなく、およそ人間として当然のことなのである。「名ばかり管理職」ではなく、「名もある管理職」が企業で存分に活躍できるよう経営者の自戒が強く求められている。

 

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2016年10月1日(土)10:36 一橋大学にてベゴニアを撮影
花言葉:「愛の告白、幸福な日々」

 

 

  • 話題のテーマについて各界で活躍されている人と対談をする一問一答形式のブログの第3回です。
  • 今回は、プロ登山家竹内洋岳様にお話をお伺いいたしました。

 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第3回)■ ■ ■ 

プロ登山家  竹内 洋岳 様 
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[プロ登山家 竹内洋岳様ご紹介・プロフィール]

1971年東京生まれ。プロ登山家、立正大学客員教授。ICI石井スポーツ所属。日本人初の8000メートル峰全14座の登頂者 第17回植村直己冒険賞受賞。

1995年に日本山岳会隊に参加して、マカルー(8,463m)東稜下部より登頂し、初めて8000m峰を登頂する。各国の登山家と少人数の国際隊を組み、酸素やシェルパを使用しない軽量装備でスピーディに高峰への登頂を行う速攻登山で複数の8000m峰を登頂している。2007年にパキスタンのガッシャーブルムII峰(8,035m)で雪崩に巻き込まれ、腰椎破裂骨折の重傷を負う。2012年5月26日(日本時間)に最後の1座となっていたダウラギリへの登頂に成功し、全14座の登頂を成し遂げた。

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今回は、小生が長年お付き合いをさせていただいている、エベレストにもチャレンジしたことがあるUTグループ株式会社代表取締役社長兼CEO若山陽一様のご紹介で、同じく小生の長年の親しい友人で、穂高や八ヶ岳で強力をしていた小松茂生様に同席いただき、お話を伺った。(対談は2016年8月29日に行いました。於:西麻布「香宮」)

 

[今回のインタビュアーは以下の通りです(順不同)]

  • 高井伸夫 
  • 医療法人社団成扶会馬見塚デンタルクリニック 相談役 小松茂生 様
  • UTグループ株式会社 代表取締役社長兼CEO 若山陽一 様

 

 


 

高井

今年の9月末から山に入ると伺いましたが、次はどこの山に登るのですか。

 

竹内様

2年前にネパールの未踏峰マランフランという山へ行きました。残念ながら登りきれなくて帰ってきてしまったので、9月にマランフランへ行きます。ここは政治的な理由で未踏峰になっていました。1年かけてネパール政府と交渉して解放してもらったので、私には思い入れのある山で、ぜひ登りたいんです。

 

高井

マランフランという山は標高は何メートルですか?

 

竹内様

6700メートルくらいです。

 

髙井

初登頂になるんですよね?

 

竹内様

私が登れば初登頂です、人類初登頂です。登れたらいいのですが・・・。

 

高井

なぜ未踏峰へ登るのですか。

 

竹内様

いま人類が宇宙に出ていく時代において、地球上には未踏の山がたくさんあります。私はそれを非常に面白いことだと思っています。今から100年以上前に探検家たちが地図の空白地帯をさまよっていた。未踏峰はその様子を現代の私たちが再現できる可能性を秘めています。難しくて登れないのではなくて、政治的な理由で登れないエリアがたくさんあります。パキスタンの方に行ったり、アフガニスタンに行ったりすると、紛争地ゆえにまだ未踏峰の山が残されています。そこがいずれ平和になって、解放されたときにそこに人類が最初に到達する可能性というのはまだ残されています。

ネパールにも未踏峰がたくさんありますし、いずれパキスタンやアフガニスタンの未踏峰にも行ってみたいです。もしかしてアフガニスタンであれば現地のゲリラと交渉してこの山登らせてくれと言わなければならない日が来るのかなと思うのですが、そういうことを考えるとちょっとわくわくしたりします。

 

 

高井

話は変わりますが、山で不思議な現象に遭遇したことはありますか。

 

竹内様

過去には、あまりそういった経験をしたことはありません。海外のクライマーと話をしているとサードマン現象が話題に出ます。もう一人の自分がどこかから見ているような感覚がするんだというようなことを言われる人がいます。何か限界的なスポーツをしている人が時々見るものだと言いますが、私は見たことがありません。

ただ、これはあんまり人には話をしていませんが、今思えば不思議な経験だったのが、パキスタンのナンガ・パルバットという8000メートル峰に登った際のことです。2001年に国際公募隊で登ったのですが、私が先頭でずっとルートファインディングをしていて、ファイナルキャンプから頂上に登っていく時に、結構複雑な雪の斜面をルートを選んで頂上に到達しました。私は1時間も早く登って降りてきてしまったのですが、あとからついてきたメンバーに「ヒロ、お前が選んだラインは美しいラインだった。一番合理的で一番安全で、一番美しいラインだった」とすごくほめてくれました。実は、私はそこを登った時にそこに何かが通った跡を感じました。何かが雪の上を通ったような・・・。

 

高井

何かが通った?

 

竹内様

雪と氷と岩の斜面で、岩がごちゃごちゃなっているところも、そこだけ不自然に誰か歩いたように岩がずれたように見えたのです。でもそのシーズンは私たちが一番最初の登山隊で、山は一冬経つと、過去の登山の痕跡はまずなくなってしまいます。残されているわけがない。しかし、私には何かが通ったような跡を感じました。

 

高井

霊感があったのでしょうか。

 

竹内

他でそんなことを感じたことはありません。誰かに言おうか言うまいかと思っていたのですが、ある時ずっと一緒に登っていたガリンダというオーストリアの女性クライマーに「ヒロ、今まで不思議な経験をしたことはある?」と聞かれた時に、そういえば・・・と、このエピソードを話題にしたら、彼女は、「それはね、ナンガパルバットが登って欲しかったんだよ」と。それはそれで、女性らしい詩的なことを言ってくれました。彼女はいうには、「山があなたを選んだんだ」と。

 

高井

簡単にいうと山が待っていたということでしょうね。

 

 

高井

14座登頂されて、麓の村に滞在することもあると思いますが、一番よかったのはどこですか。

 

竹内様

どこも面白いです。8000メートルの山があるエリアというのは、チベットとネパール、パキスタンですが、どこも非常に面白いです。いいところかと言われるとちょっと分かりませんが、面白いのは間違いないです。どこも面白いのですが、ネパールの方が楽しいです。ネパール人の方が親切ですし日本人に少し近い部分があるように思います。

 

高井

ところで、動物には予知能力があって、人間にも本来予知能力があったのが人間は予知能力が退化してしまったと思いますが、いかがですか。

 

竹内様

私もそう思います。ただ、人間は、予知能力を発揮する場がないのだと思います。私達はきびしい環境におかれたらおのずと取り戻す可能性があると思っています。

 

高井

竹内さんの夢は何ですか?

 

竹内様

プロ登山家となる前の、趣味として登山をしていたときの私にとって、将来、登山を続けていくことは、夢だったかもしれませんが、プロ登山家と名乗って以来、それは、夢ではなく目標として、登山に取り組んできました。 プロ登山家として、あるのは、夢ではなく、目標です。 14座完全登頂という目標の先に、新たな目標を見いだし、その先に、また新たな目標を見いだし、いかにプロ登山家として、登山を続けていけるか?新たな目標を見つけ続けられるか?が私の目標であり、挑戦です。

 

高井

プロ登山家という肩書を使っていますが、どうしてですか?

 

竹内様

「○○家」という肩書は、世の中にたくさんあります。そこで作家、画家、音楽家、芸術家、建築家、格闘家、評論家など思いつく限り書き出してみました。それらをじっと眺めていたときに、ある共通点に気が付きました。中には例外もありますが、多くの「○○家」には資格が必要ない。つまり、「自称」でいい。名乗るための資格も認定機関もない、要するに自分は今日から○○家だと、なりたいときに、名乗れば「○○家」になれるのです。

ということは、自分の都合のいいときになれるのが「○○家」ならば、都合が悪いときに簡単にやめられるのも「○○家」だと思ったわけです。私は、14座登頂は最後まで絶対にやりぬく覚悟をもって挑む目標なので、都合が悪くなってやめられる「登山家」としては宣言できないと思いました。

プロとして最後までやり抜くかどうか、その強い遺志、覚悟があるかどうかだと思うんです。だから私にとってプロとは覚悟。「絶対に14座を登り切る覚悟がある」という意思表示をするために「登山家」に「プロ」とつけて「プロ登山家」と名乗ったわけです。また、それをやっていくことで今は稼げないけどこれから稼いでいくんだと言い切れることもプロの定義のひとつなので、プロ登山家と名乗ったのは「今日からプロとして登山の世界で生きていってみせます」という意思表示でもあったのです。

 

高井

プロ登山家の育成をすることにどんな意味がありますか。

 

竹内様

プロ登山家が存在することで、登山がプロスポーツに成長、発展する可能性が生まれます。必ずしも、プロ登山家だけがプロではなく、登山の世界に、プロフェッショナルを誕生させることが目的です。登山を専門にした、プロガイド、プロカメラマン、プロジャーナリスト、プロトレーナー、プロモーターなど。登山がスポーツとして、成長、発展、洗練されることで、他のスポーツと同様に、そこに、プロフェッショナルが誕生するはずです。

登山に、職業と雇用、そして、自立した経済活動が生まれることで、登山が、スポーツとして、そして、文化となって、次の世代に受け継がれていくことになります。

これは、登山の先輩たち(小松さんなど)が、私たちに手渡してくれた登山を、次の世代に受け渡す、私たちの役割です。

 

以上

 

日本人初の14サミッターであり、今現在も未踏峰にチャレンジされていると聞くと、ギラギラした汗臭い山男を想像されるかもしれませんが、インタビューでお会いした竹内様ご本人は物腰が柔らかで謙虚な印象を受けました。14座登頂という経験に奢ることなく、一つ一つ誠意をもって丁寧に対応される方なのだと思います。

ご自身の未踏峰へのチャレンジに留まらず、プロ登山家を育成したいと語る彼の夢にご協力、ご賛同いただける方を募集しております。竹内洋岳様の講演等に関心がある方、あるいはスポンサーとしてご支援いただける方は当事務所までご連絡ください。

連絡先 高井・岡芹法律事務所 takai-okazeri☆law-pro.jp  ☆を@に変換してメールをお送り下さい

 

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2016年10月5日(水)8:26 麻布十番2にてセンニチコウを撮影
花言葉:「色あせぬ愛、不朽」

 

 

第13回 管理監督者性問題の本質(4)
(2008年8月11日) 

 

 

妥当性ある待遇とは

 

  ③待遇面についての判断

「管理監督者」のスペックとして、「待遇」がなぜ意識されるかについて述べなければならない。なぜなら、管理監督者性の判断はその「職務内容、権限及び責任」を明確にすることで足りるという反論もあり得るし、またそう考えることもごく自然であるからである。しかも行政通達や裁判例が掲げる管理監督者性の要件のうち、「職務内容、権限及び責任」「勤務態様」は、条文上の定義「事業の種類にかかわらず監督若しくは管理の地位にある者」(労働基準法41条2号)の内容として理解できるが、「待遇」については条文上何も規定されていない。

確かに「待遇」は管理監督者性の条文上の要件ではないが、管理監督者の職務・権限と密接なかかわりを有するので、極めて重要な要素となるのである。管理監督者としての待遇を受けていることは、それに見合う責任を負うことを意味し、責任を負うということは「職務と権限」を実態のあるものとして、管理監督者自身が意識することを意味するからである。

管理監督者の待遇問題で実際に問題になるのは、一般社員の残業手当を含む賃金よりも一部の管理監督者の賃金の方が低いケースがままあることを、どのように解釈し評価するかだ。

前回コメントした「日本マクドナルド事件」(東京地判平20・1・28)で裁判所は「店長全体の10%に当たるC評価の店長の年額賃金は、下位の職位であるファーストアシスタントマネージャーの平均年収より低額である」こと等をもって、「店長の賃金は、労働基準法の労働時間の規定の適用を排除される管理監督者に対する待遇としては十分であるといい難い」とした。こうした逆転現象は、管理職手当自体が抑制されていることや、優秀な一般社員の基準内賃金に残業手当が加算された結果起こるもので、賃金体系そのものに根本原因があると言える。

同事件のような訴訟が頻発しているが、それは賃金や報酬のあり方の妥当性の問題に帰結する。本来、管理監督者には一般の従業員と明らかに異なる権限と責任に相応しい賃金を支払い、一般従業員の賃金を切り下げるという方向で、日本企業の賃金体系を改める必要がある。

しかし、一方で、日本の企業は、管理監督者への昇進をもって固定給を一挙に引き上げることはできないシステムになっていることも理解しなければならない。企業は、①グローバル化のもとの激烈な競争に勝つためには人件費総額を抑制せざるを得ない、②急速に進む人口減少のなかで優秀人材の争奪戦に勝つには一般職の従業員の賃金を高くせざるを得ないという2つの事情があり、結果的に経営者の報酬も諸外国に比べて低く、管理監督者の賃金が相対的に低下せざるを得ないのである。

また、管理監督者と一般従業員に大きな格差をつけるような賃金体系を導入することは、日本の集団主義という民族性に照らして不可能と言ってよい。欧米並みの格差をつけようとしても、結局は各方面に気を遣い平準化されてしまう。その結果、現実の経営において管理監督者を優遇的に取り扱うことを甚だ困難にしている。

そのこともあり、本稿第1回から繰り返し述べているように自己犠牲の精神を有するものしか現実に管理監督者に選べないし、管理監督者になるにはその覚悟が求められるのである。

なお、この問題については、昇進における「同意権」等についての提言を次回行いたい。

私は各企業に管理監督者性の判断、助言をするに当たって、管理監督者全体の1~2割の者の賃金が一般社員の賃金を下回ることがあっても、それをよしとすることを念頭に置きながらも、管理監督者の賃金額のあり方の基本は、一般社員の少なくとも10%増しでなければならないと説いている。

もちろんこれは原則的な扱いではあるが、このことを通じて管理監督者が「名ばかり」の存在と言われないよう配慮することにもつながるのである。

管理監督者は職責上一般社員に比べ大きなストレスを受ける存在であるから、一般社員より余りにも低い賃金が通常である賃金体系では、やる気を失い働く意欲を喪失することはもち論である。法的にも標準的残業時間に伴う残業代を超えた管理監督者手当が支払わなければならないことは理の当然である。

問題は、管理監督者手当は個別に設定し難く、金額の決定に当たっては、平均実残業時間数をもとにしてそれに責任手当をも加算すべきであるという、慎重で真摯な態度が経営者側に求められる所以がある。それでもなお、所定残業時刻を待ってすぐ退出する者と、月100時間を超すような長時間残業をする者とが管理監督者に混在すればアンバランスが生ずるが、それは制度上やむを得ないと判断するしかない。

しかし、管理監督者である上位者がなぜこうした賃金のアンバランスな状況を受け容れているかと言えば、昇進こそ次への更なる昇進・ステップアップへの現実的可能性を生むからである。昇進は自己実現に向けての大きなステップとして体感することができ、更なる挑戦の始まりとして達成感と高揚感を味わえるからである。

 

賃金問題解決に向けて

それでは私が実務の感覚で考案した管理監督者性判断の一基準をここに紹介する。

行政通達や裁判例の示す管理監督者性の判断基準は数値等具体的なものではないため、現場の悩みは大きい。そこで、店長ひいては事業所長の業務遂行の程度を計り、管理監督者性が認められるかどうか、認められるとしてその賃金問題をいかに解決すべきか検討するために、私は、その統率する部下の賃金総額を基準とする次のような算定を各企業にお願いしている。

即ち、①アルバイトに関するあつれき・矛盾・葛藤等は、社員と比較して経験則上2分の1~3分の1程度であるから、管理監督者のアルバイトに対する気の遣い方も同様であるとの判断に基づき、アルバイト各人の賃金についてまずは2分の1~3分の1とした金額を出す。②そのうえで、当該事業所でのアルバイト人数分を合算する。社員もいればその賃金額はそのまま加算して、当該事業所の基準となる賃金総額とする。③そして、この賃金総額を当該企業の一般社員の平均賃金で割って社員何人分に当たるかを算出し、当該事業所の店長ないし事業所長が統率している規模をカウントするのである。

この算定方式により割り出された店長・事業所長の部下の数が、本社の管理監督者が扱っている平均の社員数の同数もしくはそれを超えた場合は、管理監督者性を認めるべきであると助言している。例えば、本社の課長が平均で社員5人を統括しているとすれば、店長としては社員5人分以上の賃金を管掌しているとなれば、管理監督者として評価すべきことになる。

このような現場の具体的感覚を裁判所に提言し続けることが、弁護士の役割の1つでもあろう。

 

 

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2016年10月3日(月)11:45 北京龍熙温泉度假酒店にて撮影

 

 

 

第15回「実現不可能な一億総活躍社会」
(平成28年3月28日)

 

 

今年の春闘はベアが縮小し、一部では非正規の賃金が底上げされたというが、雇用者全体の約4割を占める非正規労働者の多くは組合に入らず(パートタイム労働者の推定組織率は7%)、春闘の熱気の埒外にいる。

 

最新の民間給与実態統計調査(国税庁2014年)をみると、年間平均給与額は正規478万円、非正規170万円で、非正規は正規の3割強にすぎず、両者間には甚だしい格差がある。このように低収入の非正規労働者は経済的な自立が難しい状況にある。同じような仕事をしても、雇用形態の違いだけで賃金に著しい格差が生じるのは、法理論の範疇を超えて人道的に許されないといわざるを得ない。経済的に自立できなければ誇りを捨てて働く存在とならざるを得ず、仕事を通じて自己実現を図ったり、達成感や喜びを得たりする機会も極めて少なくなる。

 

非正規労働者は経済不況の深刻化とともに90年代後半から急増し始めた。2003年には雇用者に占める割合が30%を超え、15年には37.5%に達している(総務省「労働力調査」)。非正規労働比率が5割を超え、現状に大きな不満を持つ層が多数派になると、社会不安がより強くなるであろう。おそらくこうした危惧感から、安倍政権は「同一労働同一賃金の実現」「一億総活躍社会」というスローガンを唐突に掲げざるを得なくなったと私はみている。しかし、人件費の総額が決まっている以上、正社員の待遇を下げて非正規の待遇を上げることでしか両者の格差を解消することができないことから、既得権を持つ正社員側の拒絶は強硬であろう。

 

労働運動の総本山である連合は同一労働同一賃金の採用に消極的であり、報道によれば「正社員は残業や転勤のリスクもある。そうした負担も考え合わせて賃金を払うべきだ」という趣旨の発言をしている。

 

政治家も経済界も、連合に脅かされてひるんでいる。政治家は日本の行くべき道を誤ってはならないし、経団連は組合との対決を避けてはならない。格差の解消をめざすのはいまや国是であり、日本に活力を戻す重要な施策なのである。

 

いまから70年前、戦火で廃墟となった日本は国全体が貧しかった。しかし、日本全体が熱気をもって取り組み立派な復興を遂げた。だが、低収入の非正規社員が4割もいる社会では、希望も活力も熱気も望むべくもない。このような状態では「一億総活躍社会」の実現は不可能なのである。

 

論語には「寡(すく)なきを患(うれ)えずして均(ひと)しからざるを患(うれ)う」「貧しきを患(うれ)えずして安からざるを患(うれ)う」という言葉がある。

 

これを格差問題の解消への構図に当てはめてみると次のようになるだろう。つまり、正規と非正規の処遇格差がある(=「均しからざる」)ことを憂うべきで、正社員の賃金をダウンさせることが憂いを解消することにつながるのであり、また、非正規の増大により社会不安が招来することこそが憂うべき事態であり、正社員の賃金が下がり今より貧しくなったとしてもそれを憂うことはないのである。

 

こうした筋道を作るために、政界のトップも経済界のトップも決しても挫けず、真剣勝負であると覚悟してやらなければならない。格差問題を解消し、同一労働同一賃金を真の意味で実現しなければ、日本は生き延びることはできないだろう。

 

 

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201610コラージュ07.jpgいずれも2016年9月11日(日)12:15 神奈川県秦野市寺山にて撮影
コウホネ 花言葉:「崇高、秘められた愛情」
曼珠沙華 花言葉:「悲しき思い出、独立」
秋海棠 花言葉:「片思い、繊細」

 

 

 

  • 話題のテーマについて各界で活躍されている人と対談をする一問一答形式のブログの第2回です。
  • 今回は、会津大学 教授・工学博士趙強福先生にお話をお伺いいたしました。

 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第2回)■ ■ ■ 
会津大学 教授・工学博士 
趙 強福 先生 
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


[会津大学 教授・工学博士 趙強福先生ご紹介・プロフィール]

 
趙強福先生は山東省济宁出身の中国人である。北京理工大学、日本の東北大学勤務を経て、1995年から創立間もない会津大学に迎えられたという。そして17年前に助教授から教授に任命された時に、会津大学が公立大学であることから、福島県庁に赴いて当時県知事であった佐藤栄佐久氏から辞令書をいただいたとのことであった。

中国人であるにも拘らず、流暢な日本語でお話しいただいた。開明的で学者肌であったが、市井の人と話のできるおおらかさもあった。

今回は、AIに関して趙強福先生に色々とお話を伺った。私どもはAIについてずぶの素人という立場であったが、平易な言葉で説明していただいた。質問したのは、主に株式会社新規開拓代表取締役社長朝倉千恵子様、同管理部古林央子様であり、小生はほとんど傍聴していた。佐藤栄佐久氏も終始立ち会ってくださり、英語でメモを取っておられた。当時、教育長をしていた遠藤教之氏も立ち会ってくださった。また、会津大学理事・事務局長宮村安治様も同席された。

1時間ほどお話をして、またお会いする日を約束して別れたのだが、小生は、AIに関する2年後の講演会に趙強福先生にご登壇いただくことを約束したのである。

 

[今回のインタビュアーは以下の通りです(順不同)]

  • 高井伸夫 
  • 株式会社新規開拓 代表取締役社長 朝倉千恵子 様
  • 同  管理部  古林 央子 様
  • 元福島県知事  佐藤栄佐久 様
  • 佐藤栄佐久様秘書(元福島県教育長) 遠藤 教之 様
  • 会津大学  理事・事務局長 宮村 安治 様
趙強福先生.JPG
会津大学にて撮影(2016年8月6日)

左から 会津大学理事・事務局長宮村安治様、株式会社新規開拓代表取締役社長朝倉千恵子様、佐藤栄佐久様秘書遠藤敎之様、元福島県知事佐藤栄佐久様、高井伸夫

 


 

 

趙先生

まずは、人工知能について少しご説明します。

知能と言えば、人間を基準にすることが多いのですが、人間は感情があるので、場合によってかならずしも知的ではありません。人工知能は感情に惑わされず、ルールに従って解決を導きだします。我々人間は感情が働くので、それが邪魔になってしまいます。感情に従って解を導き出すと、下手な解になってしまいます。

一方、スーパーコンピュータは私たち人間よりもはるかに速く解けますが、プログラムがないと解けません。問題を与えて、計画を立て、計画・ルールが正しければ解が導きだせます。我々人間から見ると、それは全く知能ではありません。ルールに従ってやっただけではないか、ということです。

しかし、最近のAIは、問題を与えると、白紙の状態からスタートして、自ら観測したデータを基にしてバーチャル空間で自ら学習ができます。学習した後、足りない知識はデータを吸収して補います。

知能は、問題を解決する能力です。問題を解決するということは、基本的に探索のです。探索がうまくいけば、うまく解がでます。人工知能は、探索のルールに従って行うと、効率よくできます。それが人工知能のいいところです。

全ての問題は、探索問題です。数学的に解決不可能という問題でも、なぜ不可能なのかを証明することが、探索問題に帰着できます。

探索の過程は、主に二つの動作を含みます。一つは、次に行くべき選択肢を求めること、もう一つは、選択肢を絞ってから探索を繰り返すことです。目標状態にたどり着くと、人間だったら、そこでストップしないでどんどん目標を更新していきますが、人工知能はそこで終わりです。

 

朝倉様

人工知能はゴールが明確で、それ以上のことはしないのですね。プログラムにない発想は人工知能はできないですか?

 

趙先生

これからの人工知能は、それができるようになります。プログラムを書かなくても、探索を繰り返せば、どんな問題でも解決できることは、理論上可能です。コンピュータはどんどん進化しています。そのうち、我々人間が一生かかって解くような問題も、コンピュータは一瞬で解けるようになるかもしれません。

 

朝倉様

医学の分野ではものすごく役に立つと思いますが、いかがでしょうか。

 

趙先生

NHKで「AIが命を救った」というニュースが放映されました。非常に珍しい白血病があって、人間はなかなか正しい診断ができませんでしたが、IBMのワトソンという人工知能が10分くらいかけて世界中の文献を調べて、正しく診断したというニュースです。

実は、そこには落とし穴があります。なぜかというと、どういう病気なのか?人工知能が診断したものは正しかったのか?それはわかりません。

人間の医師は様々な経験を積み重ねて、経験やその場の計測によって正しい判断ができますが、人工知能は世界中から調査して調べます。その中には信頼性の高い資料もあるし、信頼性の低い資料もある。美人の顔を混ぜて平均化すると、普通の顔になってしまうのと同じように、様々な情報の集まりは、必ずしも信頼できない。それに基づく判断は、間違ってしまう可能性が高い。また、最終的に誰が判断するのか、そこは法律的な判断、責任が発生します。

今回はたまたま正しく診断しましたが、様々な病気に対して全て人工知能へ依存しすぎると危険です。

 

朝倉様

誤診が減ると同時に、そこへ依存しすぎると危険ということですね。

 

趙先生

人工知能はあくまで参考に、ということです。例えば、ひらめくためのヒントの種としてはいいですね。それを最終結論として使うと危ないですね。

 

朝倉様

人工知能にかかわらず、なんでもそうですよね。自分の意志で判断したことと、だれかの意見に左右されて決めたことは結果的に人のせいにしたり、後悔したりしますからね。

 

古林様

これから人工知能が発達した時に、ひらめくためのヒントと思っていても頼ってしまう時が来るのでは?

 

趙先生

我々人間は弱い、同時に見られるものが限られていますから、たくさんの情報を与えられたときに判断しきれません。特に時間が限られて、すぐに判断しなければならない時につい人工知能に頼ってしまうでしょう。

 

これは私が最近の国際学会で発表した論文ですが、その中にブラックボックス的に使うのではなく、学習した後にルールに直して、問題に対してステップバイステップで結論を出す。スタートからゴールまで、ルールの形で出して、人間が後から確認する。特に医療的な分野やセキュリティ分野、高速道路の交通管理、電力管理など、全て計算機に任せる。そこを検証できる形で管理しないと、後で危ないことになるでしょう。

 

 

朝倉様

去年、一昨年くらいに映画で、肉体は亡くなっていくのですが、その人の思考は残り、次世代に継承されていく、という物語を見ました。

 

趙先生

今そのような研究が様々なところでされています。自分の体はなくなっても、思考は生き続け、自分の子孫と会話ができます。あたかも、亡くなったおじいちゃんが生きている、ただテレビ会話しているだけ。

 

朝倉様

それってすごいですよね。思考は生き続ける、肉体は滅びるけれどもその人の思想、思考は生き続ける。

 

趙先生

倫理的に、我々人間が守るべきものは何なのか、というところです。体を物として、生命の主として体を残すべきか、魂だけでいいのか。神様に作られた体を簡単に捨てていいのか、別の生物が我々人間と同じように生きていけるのか。

一昨年、アトランタで国際会議があって、'international symposium on independent computing'という会議を催しました。

独立計算のミッションは、我々人間がインターネットやコンピュータに依存しすぎないように、ということです。依存しすぎていると、災害や大地震の時に何もできなくなってしまいます。

 

朝倉様

この人工知能が発展すれば発展するほど、アナログ力が問われると思っています。だからこそ、そんな中で我々が大事にしている「影響力・営業力・コミュニケーション力」を特化するための研修に力を入れていかなければならないと感じています。

 

趙先生

我々教員の立場からすると、明日の授業の準備などに人工知能を使えばいいですけど、人間自身の能力をもう少し伸ばさないと、なんでもAIに依存してしまうようになる。

 

朝倉様

その道を極めた人から認められるとうことは、唯一人間がAIに勝てることかもしれないですね。

 

趙先生

AIに勝つかどうかはなく、AIをいかに利活用することかは大事です。本講座の博士の学生がやっている研究で、携帯に入れるアプリの知的エージェントと言うものがあります。アプリの初期設定は共通ですが、各ユーザーはそれぞれ気持ちが異なっているので、フィードバックすることで、アプリが自分で学習して自分のユーザーに対してユーザーの思考をある程度把握できるようになります。

知的エージェントを、普通のサーバーへ置くと、それぞれの人が何が欲しいかなど現在のアマゾンのリコメンド機能が当てはまります。そこは人工知能のすごいところです。

今は最初のプログラムは共通のことしかできないかもしれませんが、世界中のユーザーが使うことで、AI自身が学習して、AI自身の判断を修正していくんです。会員登録をすると、それぞれの会員の特性、性格までも把握していくということです。ある意味、恐ろしいです。

現実の世界でどういうニーズがあるのかAIがわからないので、われわれ人間が違う立場からどのようなニーズがあるかAIに教ええるとAIが自然に人間のために成長していくかもしれないですね。

 

 

以上

 

 

 

 

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