2016年3月のアーカイブ

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2016年3月13日(日)9:34 上野恩賜公園にて寒緋桜を撮影
花言葉:「あでやか、善行」

 

3月13日上野恩賜公園に散歩に行ったところ、寒緋桜が満開でした。
3月21日には私の事務所の近くの靖国神社で、例年より5日ほど早く桜の開花が確認され、
いよいよ春本番といったところでしょうか。
色とりどりの花を目にでき、日課の散歩が一段と楽しくなる季節です。 

 

 

株式会社開倫塾
代表取締役 林 明夫

 

「3分以内に話しをまとめるには」


Q:高井伸夫先生は「3分以内に話はまとめなさい」とご指導なさっておられるようですね。

A:はい。かんき出版から2008年9月1日に「3分以内に話はまとめなさい。できる人と思われるために」という御著書まで、出版なさっておられるほどです。

高井先生は、当意即妙、卓話の名手で、どのような話題でも、ズバーと本質に迫りながらも、人間味にあふれるお話を、短く、文字通り3分以内におまとめになり、聞く人すべてに、感動を与えておられます。

 

Q:それでは、どうしたら話を3分以内にまとめることができると、林さんはお考えになりますか。

 A:参議院議員で国際政治学者の猪口邦子先生に、ある時、世界の政治家の中で演説のうまい政治家はだれですかという質問をさせていただいたことがあります。

猪口先生はしばらくお考えになった後、イギリスの首相を務めたトニーブレアかなとお答えになりました。 

ブレア首相は、どのような短いスピーチの時にも、発言の直前までメモを作り続け、そのメモを何回も読む練習のようなことをしてからスピーチに臨んでいる。ブレア首相の演説の質が高いのは、直前まで直し続けるメモのためかもしれませんよ。

このように猪口先生は教えて下さいました。

 

Q:「教育、教育、教育」など、確かに、ブレア首相の演説は、歯切れがよく、印象深いものでしたね。

A:私が会長を務める「開倫ユネスコ協会」の名誉会長をお願いしている衆議院議員で自由民主党選挙対策委員長の茂木敏充先生に、一年に数回、ユネスコ協会の行事に御臨席頂き、お話をしていただいておりますが、茂木先生も、メモはご覧になりませんが、いつもかなり準備をなさったと思われるお話をしてくださり、話を聞く人すべてに感銘を与えておられます。

 

Q:たとえ3分間でも人の前でお話をする時には準備をしたり、話す内容をメモにまとめることは大切なのですね。

A:その通りです。高井先生がお話になる時もそうですが、茂木先生が話し始めると、多くの人が一斉にメモ用紙を探しはじめ、メモをし始めます。

どのような会場でも、話を聞く人は、毎日のようにいろいろな人の話を聞いておられますから、物事の本質に迫る中身のある話かどうか、瞬間的に判断できる「客プロ」ばかりです。

たとえ3分以内とはいえ、真に迫る内容のあるお話があったらどうなるか。

「今日は、ためになった、有意義だった、ここに来てよかった。」と、喜ばれ、感謝されます。忘れないようにとメモまでし始めます。

 

Q:林さんはラジオ番組を担当しているそうですが、どのように準備をしているのですか。

A:CRTとちぎ放送というラジオ局から、毎週土曜日の午前9時15分から実質8分40秒のラジオ番組「開倫塾の時間、林明夫の歩きながら考える」という番組を一人で担当し、この3月5日で30年目に入りました。

放送開始直後の数年間は生放送でした。現在は週に1回スタジオで事前に収録していただいております。次週のテーマは、放送終了直後から考えはじめ、収録当日の朝、大雑把なメモを作り、親しい友達にお話しするような雰囲気で、番組に臨んでいます。

完全原稿でお話しすることもありますが、話が固くなってしまい、聞きにくいようなので、できるだけ大雑把なメモのみで行うようにしています。

 

Q:経済同友会の幹事会や委員会などで発言する時にはどうしているのですか。

A:一つ一つの組織には、その目的、設立趣旨がありますので、ここはどのような場所か、自分はどのような立場でこの場所に存在しているのかを十分自覚してから、その組織の目的達成のためにどうしたらよいかを考え、一つ一つのテーマについて、自分の考えをまとめます。

発言すべきと考えた場合には、必ず、たとえ数行でもメモにまとめて、何回か推敲してから、なるべく短時間で、いくら長くとも3分以内になるよう、懐中時計を見ながら発言しています。

 

Q:学習塾で先生が塾生にお話をする場合はどうしていますか。

A:「教育の成果を決定する要因」は「本人の自覚」と「教師の力量」であると考えのもとに、私が経営する開倫塾では、毎回の授業中に,塾生の自覚を促すために「武者語り」を3分間行うことが先生としての義務事項となっています。3分間の「武者語り」を行う前には、何をお話しするか十分に考え、レッスンプラン(教案)の中で練り上げるようお願いをしています。

 

Q:最後にひとことどうぞ。

A:このように「3分間で話はまとめなさい」という高井伸夫先生の教えは,多くの場面で役に立つコミュニケーションの大原則といえます。その前提は、十分な準備と、メモの活用であると私は考えます。

話が終わった後、お話に用いたメモの中に、省察、リフレクションの内容を朱書きして、ファイルし続ければ、その発言メモのファイルは、自分自身の成長の記録になります。これは、授業のレッスンプランが先生としての成長の記録となるのと同じです。

 

2016年3月19日(土)22時07分

 

 

開倫塾のホームページ(www.kairin.co.jp)に林明夫のページがあります。

毎週、数回更新中です。

お時間のあるときに、是非、御高覧ください。


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2016年2月26日(金)8:02 芝公園にて菜の花を撮影
花言葉:「快活、明るさ」 

 

 

第6回 同一労働同一賃金
(『労働新聞』平成27年6月22日より転載) 

 

世の中の不公平の最たるものは、同等の仕事をして同じような成果を上げながら一方が他方より低い評価を受け、低い賃金しか得られないことではないだろうか。これは、労働の場面における人間としての尊厳に係る問題ともいえるであろう。

 

正規社員と非正規社員との格差問題を考えるとき、私はILOが提唱する「ディーセントワーク」(働きがいのある人間らしい仕事)という言葉を思い起こす。社会的存在である人間は、深層心理で他者から評価されることを願う習性を持っている。それゆえ評価は何より向上心につながり、個々の能力を高める起爆剤にもなるのである。同じ職場で能力不足の正規社員と同じ仕事をして同等かそれ以上の成果を上げていても、非正規社員という理由だけで生活に窮するような低い賃金となれば、人間としての誇りが損なわれ士気が下がるのは当然のことだ。

 

労働基準法は、3条および4条で労働者の賃金等の差別的取扱いを禁じているが、法文上はいわゆる同一(価値)労働同一賃金の原則は定められておらず、パートタイム労働法にも同一労働同一賃金の文言はない(今国会に民主などの野党3党が提出した通称「同一労働同一賃金推進法案」にもこの文言はない)。

 

しかし、この概念は、同じ働きをした場合は同じ評価・処遇を受けるべきであるという労働の根源的テーマである以上、遠からず法文化されると私は思っている。もし法文化されると、企業の現場では成果主義的賃金体系がより一層強調され、当然のことながら正規社員の平均賃金は下がる。このことに皆は気付いているだろうか?成果主義の事務職の評価は非常に難しいが、「透明性」「報われること」を念頭に、社員誰もが見える公正・公平・公明なシステムを採るべきであろう。

 

均衡待遇のもとでは、雇用関係解消の場面でも均衡が求められるようになり、不況時の人員削減の場面で非正規社員であるがゆえに正規社員よりも先に解雇されるという構図は論理的に否定される。さらにはそれと表裏一体のこととして、正規社員の解雇についても然るべき理由があれば解雇をより可能にする方向が今以上に意識されざるを得ないのではないか。

 

ところで、同一労働同一賃金を実現するためには、「職務」の内容を明らかにして「職務給」に移行する手続きが必要である。この点、企業経営者も労働組合も同一労働同一賃金の実現に消極的で従来の「職能給」を維持したいために、企業は職務説明書の作成に熱心ではないようだ。昨秋の臨時国会では、安部首相も塩崎厚労相も、職能給を前提とする日本の労働市場のあり方を追認するが如き発言をしている。

 

一方で、厚労省は「職務分析実施マニュアル」を出し職務説明書の作成を慫慂しているが、私の知る限りではほとんど活用されていない。パートタイム労働法で正規・非正規の均衡・均等待遇をめざす施策とセットとなるものだろうが、行政として本腰を入れているのか甚だ疑問である。ILO憲章前文に「同一価値の労働に対する同一報酬の原則の承認」と明記されていることを、日本政府としても重く受け止めなければならない。

 

目覚めていない企業経営者や官僚は同一労働同一賃金の実現に反対するだろうが、結局は時代の変化に抗しきれないと思う。問題はその先見性を誰が発揮して、旗振り役を担うかということなのである。

 

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2016年2月27日(土)11:47 麻布十番2にて椿を撮影
花言葉:「控えめな優しさ、誇り」

 

 

第5回 青春時代
(『労働新聞』平成27年5月25日より転載) 

 

青春時代の特権は、大きな夢を抱いて遮二無二がんばり抜く熱意ではないか。やわらかな陽光を浴びて街を闊歩する新入生、新入社員の若者諸君の姿を見ながら、そんなことを思った。

 

齢を重ねたわが身の青春時代を顧みると、自分自身が何者たり得るのだろうかという不安もあったに違いないが、それをはるかに上回る夢と希望にあふれ、友情を育み、青雲の志を抱き、未来は光輝いていた。だからこそ、「志ある者は、事(こと)竟(つい)に成る」(後漢書)の意気込みで、リスクと失敗を恐れず、目標に向かって果敢に挑戦し続ける日々であった。また、当時の日本社会全体も、貧しくとも将来への夢と希望の信じられる良き時代であった。格差のめだたない時代でもあった。

 

大学1年生の夏休み、私は父の意向に従い、渥美半島先端にある曹洞宗・常光寺に1カ月間居候したことがある。自分の家と宗派の異なる寺をなぜ父が選んだのかは分からない。想像するに、人格者で勉強家のほまれ高かった先代の住職から、有形無形の影響を受けて成長してもらいたいと願ってのことだったのかもしれない。あるいは、大学入学以来、東京での初めての一人暮らしを経験して疲弊している心身を、静かな環境下で癒してやりたいという親心だったかもしれない。

 

そこでの生活で私は何か具体的な知識を得たわけではない。ただ、自分自身と向き合う恰好の時間を持てたことは確かである。私のかねてからの持論だが、人間の生き方にとって最上位にあるのは「志」であり、その下に「真・善・美」「夢・愛・誠」「道義・道理・道徳」があると思う。19歳の私が寺でこうした悟りを得たはずはないが、これに通じる何かをそのとき感じ取っていたのかもしれない。

 

大学を卒業して、新人弁護士として昼夜を問わず仕事に打ち込んだ。米国の映画会社13社の労使紛争問題について顧問弁護士のお手伝いをして得た経験は、現在につながる貴重な財産である。相当な激務であったが、やりがいがあり、希望にあふれ、楽しかった。その働きが認められて世界一周の航空券をご褒美にいただいたが、あまりに仕事が忙しく、結局ひとりでハワイに行ったのが初の海外旅行であった。何もかも目新しく、若い私は大いなるカルチャーショックを受けた。

 

江戸時代後期の儒学者・佐藤一斎は、「少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り」(『言志晩録』第60条)と説いた。少年のときに学んでおけば、壮年になってから役に立ち何事かを為すことができるという意味である。若いときには、人生の土台となる様ざまな実体験から貪欲に吸収して学び取ることが何より重要である。

 

海外から日本を眺めて思索を深めるのも貴重な勉強の一つである。感受性の豊かな若いときこそ海外に行くべきなのである。

 

私は、若い人たちには、仕事から得る喜びを人生を豊かにするという実感を持ってもらいたい。現場体験を人材育成の端緒とすべく日本でも20年ほど前から始まったインターンシップは、資格に関係しないものに限っても大学および大学院の70%超で実施されているが、学生の参加率は2%程度という。これでは実効性が乏しいと指摘されても仕方あるまい。それでも、企業での就業体験を通して、夢と希望がいくらか現実になり成長する学生も必ずいると思う。良き人材を育むために、教育界と産業界と政治の連携による一層の制度改善を期待したい。

 

 

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2016年2月13日(土)8:25頃 渋谷区広尾1にて撮影
右上から
ボケ 花言葉:「早熟、先駆者」
キンセンカ 花言葉:「慈愛、用心深い」
黄梅 花言葉:「控えめな美、期待」

 

 

2004年9月から2005年9月にかけて、上海のフリーペーパー「コンシェルジュ上海」に小生が連載として書いたものです。10年の年月が経ちましたが、原文通り転載しました。当時としては斬新な内容であったかと思いますが、多くが今でも通用する要諦であると考えております。

例をあげれば、日本企業は中国企業との取引において、全部疑うか、完全に信じてしまうかと二者択一に偏ることが多く、あいかわらず、「中国人は信用できない」とぼやく企業があとを絶ちません。過度に疑うことなく、また、過度に信じることなく、冷静な対応が健全な取引が継続する鍵となることは今も昔も同様です。

 

 

『日本人と中国人 最終回』

 

■ 昨年9月より連載開始した「中国人と日本人」が今月で最終回を迎える。上海高井倶楽部の理事をはじめとするリレーコラムの最後を飾るべく、高井伸夫法律事務所の高井伸夫氏が再登場。再三にわたり言及してきた中国人の個人主義に触れながら、日中の人事労務施策の違いについて指摘、成功へのアドバイスをする。

 

人材『引き留め策』が基本の中国『淘汰策』が基本の日本

読者の皆さんは、中国と日本の企業の人事労務施策の違いは何だとお考えだろうか。私は、中国では人材の『引き留め策』が基本であり、日本では人材の『淘汰策』が基本である点に求められると思う。日本では解雇等が法律上制約されているため、企業は人材の淘汰をいかに実現するかというレベルで汲々としているのに対し、中国では淘汰が容易に実現できるため、企業はその先の、いかに優秀な人材を引き留めるかという段階で知恵を絞っているのである。

中国で人材の淘汰が容易である背景として、まず労働者の多くが期間雇用者である点が挙げられる。中国では終身雇用ではなく、期間雇用の連鎖が労働契約関係の中心となるから、期間の到来をもって雇止め(更新拒否)することは、法律上何ら理由を要しない。これは、一見、労働者に対し冷たい扱いのようにも思えるが、そうではない。余剰労働人口が多い中国では、より多くの人材に勤労の喜びを体験させることが必要だからである。

翻って、日本企業では終身雇用制が長年にわたって採用されてきたため、人材の淘汰が極めて難しい。裁判所も終身雇用的な思考が基本であり、期間雇用者の雇止めを安易に行なえば労使紛争が起き、裁判所は労働者側を擁護する趣旨の判断をする傾向がある。これが日本企業の成長性を弱めている一因でもあったわけだが、最近では日本社会の個人主義化の進行や企業のグローバル化を背景に、労働者に対する過保護的状況を反省する雰囲気が生じつつあると言ってよい。

 

労働契約に見て取れる中国人の個人主義

さて、私はかねてより個人主義の本質を「権利の極大化と義務の極小化にある」と指摘してきたが、中国での労働契約関係にもそれが見て取れる。彼らは企業への忠誠心よりも自らの利益を優先するから、転職は当然の権利と考えられている。その結果、転職数が多く労働市場が形成されている。換言すれば、中国では人材の能力に対する評価システムが日本以上に先進的で、厳格に機能しているのである。

また、中国ではホワイトカラーとブルーカラーとが区別されているため、日本人経営者が中国人ホワイトカラーに指示を出してもそれがブルーカラーにまで浸透しないことも珍しくない。そこで、日系企業が中国の地に根付いて生産・販売・サービス業を行なっていくためのアイデアとして、次の2点の実行をおすすめしたい。

①日本の賃金体系ではあまり馴染がないが『職種別賃金制度』を積極的に取り入れる。

②人材の生産性を高め、より良いサービスを提供できるよう、日本人幹部が工場や現場でブルーカラーと共に汗を流し作業に従事する。社長室などに閉じ籠もり指示しているだけでは、生産性の向上は到底図れまい。

価値観の違いなどもあり、日本人は、中国人と共に働くことに総じて不慣れである。この点を克服するためには、的確な指導・助言をしてくれる良き中国人コンサルタントを見つけることが重要である。論語(衛霊公)にも『工欲善其事、必先利其器』という言葉があるように、良い仕事をするためには、まずはそれに相応しい立派な道具を揃えなければならないのである。残念なことに、日系企業には、コンサルタント費用の支出に消極的な傾向がある。しかし、彼我の価値観の相違を乗り越え、現地で良い仕事を成し遂げるためには、優秀な中国人コンサルタントとの契約は『投資』と心得て、賃金体系構築の面でも、生産・販売・サービス高度化の面でも、彼らの指導・助言を大いに取り入れる必要があろう。これが、現地企業を確実に成長させるための第一歩なのである。

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