2015年12月のアーカイブ

第12回 高井先生言行手控え


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2015年12月7日(月)7:32 中目黒公園にてスイートアリッサムを撮影
花言葉:「優美、美しさに優る価値」 

 

 

築地双六館 館長
公益社団法人全国求人情報協会 常務理事
吉田 修

 

■高井先生と「蝉しぐれ」

「いちめんの青い田圃は早朝の日射しをうけて赤らんでいるが、はるか遠くの青黒い村落の森と接するあたりには、まだ夜の名残の霧が残っていた。じっと動かない霧も、朝の光をうけてかすかに赤らんで見える。そしてこの早い時刻に、もう田圃を見回っている人間がいた。黒い人影は膝の上あたりまで稲に埋もれながら、ゆっくり遠ざかって行く。」

(藤沢周平「蝉しぐれ」より)

高井先生は、藤沢周平とりわけ、この蝉しぐれの描写が大好きであると伺いしました。この文章には、日本人の心の中にある自然の原風景があり、古代から連綿と続く人と自然のあり様がイメージ豊かに描かれています。

高井伸夫、1937年(昭和12年)三重県生まれ。先生の何かの文章に「子供の頃は、朝から晩まで自然のなかで遊んでいた」とありました。

豊かな自然の中で育った郷愁とその中にいる自分の存在のイメージが一定の湿度と温度で今日まで先生の中に保たれていたことがわかります。それは、1937年生まれという時代のアイデンティティーもあるもしれません。ちなみに、1937年生まれの方々は以下の通りです。塩野七生、養老孟司、庄司薫、出井伸之、河野洋平、浅井慎平、 加山雄三、伊東四郎、笑福亭仁鶴、平尾昌晃、森祇晶、コシノ ヒロコ、モンキー・パンチ、ロバータ・フラック、 ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン。。。

いつまでも、元気でかつ現世代に影響を与え続ける存在でいていただきたいと切に思います。

 

■人・仕事・経営、 私が、今、気になっていること

「高井先生言行手控え」は最終章を迎えました。前編として、「人・仕事・経営、 私が、今、気になっていること」のテーマでの先生へのインタビュー記事を2回に分けて、後編では、「高井先生を読み解く10の質問」として即答いただいたご回答をお届けいたします。「考え抜く知性」がここにあります。日本の労働市場の行く末に心悩ましているすべて方にお読みいただきたいと思います。

 

■非正規社員の増加が一番気掛かり

Q1:先生が今、大変、気になっていることを以下の観点でご教示ください。

①   働く人(求職者)について気になること

働く人に関して私がいまもっとも気になっているのは、非正規社員が増え続けているということです(図①)。
非正規が4割になったという厚労省統計(図②)が先日話題になっていましたが、非正規が5割を超えたら、格差問題は各世 代でますます深刻化し、社会の不安定感はさらに強まるのではないかと憂慮しています。それが社会不安(たとえば、残虐性の高い事件が多くなった、薬物関係の事件が頻発し低年齢化している、公務員・教師の事件が多くなった、農業人口が低下し続けている、離婚が増加している、メンタルヘルス疾患の問題が広がっている、うつ病患者が増加している等々)となり、日本社会の安全を阻害する要因になる可能性すらあると思います。

 

図①

正規雇用と非正規雇用労働者の推移.jpg厚生労働省 「非正規雇用の現状と課題」より作図



図②

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厚生労働省 平成26年「就業形態の多様化に関する総合実態調査」(平成27年11月4日発表)のデータより作図

 

・ 非正規が増えている要因はいろいろあると思いますが、第一に、社会の少子高齢化によって需要が減少している(市場が縮小している)にもかかわらず生産設備が削減されていないという状況のなかで、企業は競争社会にありますから、より良いものをより安くということになると、人件費を削減する以外にないということになります。

そうすると、企業は、正社員を雇えなくなり、非正規社員で間に合わせるということになります。そのため非正規社員がどんどん増えて、正社員がどんどん減るということになります。その結果、働く者、求職者の不公平感が強まるということになります。

付言しますと、日本企業は、人件費の安価な海外の進出先(新興国)には設備投資をして、最新の設備にして生産活動をしていますが、国内では設備投資をする余力がないために設備は更新されずにどんどん古くなっています。古い設備では生産性が劣るために、海外での最新設備での効率の良い生産よりも国内での生産が高くつくことなり、国内では人件費にしわ寄せがきます。その結果、今後、時間が経つにつれてますます非正規社員が増えることになります。

 

・日本で昔から 「貧しきを憂えず、等しからざるを憂う」という言葉があります。出典は『論語』の季氏篇です。「有國有家者、不患寡而患不均、不患貧而患不安。」国を有(たも)ち家を有(たも)つ者は、寡(すくな)きを患(うれ)えずして均(ひと)しからざるを患え、貧しきを患えずして安からざるを患う〕が原典の意味合いですが、日本では、「結果の平等」と「機会の平等」の問題として語られてきました。

たまたま見つけた昭和6年(1931年)6月5日付け「大阪毎日新聞」の「官吏の減俸問題」を扱った論説記事にも、「貧しきを憂えず均しからざるを憂う、と古の賢人はいった。誠に人間心理を道破したものであって、現代社会の深憂はここにある。」と書かれています。この年の2年前に世界大恐慌が起こり、この年の9月に満州事変が起こりました。日本も世界全体も大不況のまっただ中にあった時期です。

非正規の増加は、この時代と同じ状況を招くかもしれません。格差が拡大し、不公平感がますます高まり、社会不安が日本の社会にどんどん強まってくるのです。それは、前述のとおり、日本の国としての安定性を失わしめることになります。

 

・ 非正規社員の増加による社会不安を克服する方策は「同一(価値)労働同一賃金」概念を法定することだと思います。法定化の結果、日本の労働者全体の賃金が全体的に低下することは不可避ですが、「貧しきを憂えず、均しからざるを憂う」という精神からいえば、「同一労働同一賃金」概念は、極めて理にかなった方策だと思います。ただし、これには労働組合が強く反対するでしょう。なぜならば日本の労働組合の大半は、正規社員で構成されているからです。

 

・ 非正規問題の次に気になるのは、女性管理職の少なさです。11月19日(木)の新聞で、世界経済フォーラムが発表した資料で、「男女平等ランキング」で日本は101位という記事がありました。

日本人の国民性だと思いますが、日本の女性は管理職になりたがらない傾向があります。それは周囲との軋轢を憂慮してのことです。女性は、目立ちたがりやになれないのが一般です。

それを克服するには、経営トップが、社内全体に対して、「残業・出張はしなくてよい」「結果を出してくれれば労働時間は問わない」ということを言い続けることです。そして、「あなたは過去◯◯という場面で成果を出してくれた」ということを強調し、あるいは「◯◯で業務改善してくれた」ということを言い続けることです。そして、「同僚もあなたを認めている」ということを言い切ることです。

また、女性が管理職になりたがらないのは、周囲との軋轢を憂慮するだけでなく、家庭のことを重んじて仕事のみに熱中できないこともあるのではないかと思います。

特に子育て中は時間の拘束を厭うという傾向が強いことは言うまでもありませんし、子育てが終わった頃に親の介護が始まるという巡り合わせもあります。共同体社会がほとんど崩れてしまった日本では、敢えて行政が共同体と同じ役割を果たす仕組みを作出して、女性への厚い支援をおこなわなければ、女性は安心して働くことはできないと思います。

 

・ 第三には、社会の多様性に応える土台作りの必要性を感じます。社会には、さまざまな生き方、さまざまな働き方のニーズがあります。多様性の時代です。多様性の時代にはそれぞれのニーズに応え、土台作りに真剣にならなければならないと思います。

その土台作りのひとつの方策としては、幼児・小学生・中学生の時代からキャリアというものを意識させ、これに向かって幼児・児童・生徒・学生が努力するシステムを構築することが重要であると思います。

具体的には、インターンシップ、エクスターンシップ等にはじまり、さまざまな過程が考えられます。遊び心も刺激するような、キッザニア等の施設で、子ども職業体験を充実させることも重要でしょう。これは厚労省としてすぐにでも取り組むべきことです。

 

・ ITからAIあるいはロボットやIOTという時代になってきますから、ヒトにしかできないことに注力することが、若いときから必要だと思います。それにはまずはAIやロボットに、若いとき、幼児・小学生・中学生の頃からなじむこと、そしてそれに慣れてそれを超えるという姿勢を貫くことが必要です。厚労省もAIやロボットに関する児童見学会を企業に義務付けることが必要でしょう。

 

・ 「世界でのビジネス競争」という時代になってきましたから、ソロバン勘定だけでは競争に勝てません。論語の世界ということです。「論語と算盤」(渋沢栄一)という言葉がありますが、論語、要するに「道義・道徳・道理」を教えこむことが必要です。そのためには企業の就業規則その他にそれを明示することも必要でしょう。

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2015年12月7日(月)7:34 中目黒公園にて楓を撮影
花言葉:「大切な思い出、美しい変化」 

 

 

2004年9月から2005年9月にかけて、上海のフリーペーパー「コンシェルジュ上海」に小生が連載として書いたものです。10年の年月が経ちましたが、原文通り転載しました。当時としては斬新な内容であったかと思いますが、多くが今でも通用する要諦であると考えております。

例をあげれば、日本企業は中国企業との取引において、全部疑うか、完全に信じてしまうかと二者択一に偏ることが多く、あいかわらず、「中国人は信用できない」とぼやく企業があとを絶ちません。過度に疑うことなく、また、過度に信じることなく、冷静な対応が健全な取引が継続する鍵となることは今も昔も同様です。

また、中国では個人主義も強まることすらあれど、集団主義的な要素は殆ど見受けられません。10年前と比べ、中国の台頭が顕著になった今、巨大市場を有する中国と、冷静かつフェアに付き合っていくために本稿が何らかの参考になれば幸いです。

 

 

『日本人と中国人 第1回』

 

■ 日本、中国両国間の国民性や文化の相違を把握し、理解と友好を深めるため、日中各分野で活躍する知識人、経済人が指南する連載リレーコラム。第1回目は弁護士の高井伸夫氏。氏は、日本で弁護士業務や執筆活動の傍ら、02年に上海高井倶楽部を発足、日中友好に尽力を尽くしている。

 

中国に進出した日本人・日本企業の多くが、「中国人は信用できない。中国人に騙された。裏切られた」とぼやいているのをよく耳にする。しかし、私は中国人が必ずしもそのような民族ではないということを日本人・日本企業に説き続けている。そもそも、日本人がこのような認識をもつに至ったのは、日本人と中国人の民族性の根本的な違いを理解しないことが大きな原因であると言えるだろう。

 

中国人はひとにぎりのバラバラな砂

孫文先生(1866~1925)は『三民主義』の中で、「中国人はひとにぎりのバラバラな砂である」との論説を紹介した。つまり、乾いた砂は決してくっつかず、石にも岩にもなり得ないということである。一方、日本最初の憲法である聖徳太子の17条憲法第1条には、「和を以て貴(たつと)しと為す。忤(さから)ふこと無きを宗とせよ」の一節がある。島国日本は、天皇制を軸に国に対する信頼と国民同士の結束を営々と強め、結果として集団主義が形成されてきた。ところが、大陸国家の中国は古来より異民族との葛藤が絶えざる課題であった。王朝も絶えず変転し、漢民族が異民族に支配される時代も多かった。モンゴル民族による元王朝(1271~1368)や、満州族による清王朝(1636~1912)がその代表である。このような中国の地理的・歴史的プロセスから、漢民族は「国民」という概念をもち得ず、「人民」という概念をもつに至り、ここに中国人が個人主義となった所以があるのである。

 

個人主義の中国、集団主義の日本

しかし、個人主義はなにも中国人特有のものではない。他民族の支配を受けやすい大陸国家、即ちヨーロッパ諸国や、移民で結成されたアメリカもまた同様である。このように、世界の民族の大部分が個人主義であるのに対し、島国であるが故に他民族からの侵略を受けることなく、日本国土を脈々と支配し続けてきた日本民族は、世界の中でも珍しく集団主義の国なのである。

日本の契約書の中には必ずと言って良いほど「甲と乙は、信義に基づき誠実にこの契約を履行する。そしてこの契約に定めのない事項が生じたとき、又は、この契約各条項の解釈につき疑義の生じたときは、甲乙各誠意を以て協議し、解決する」の一条項を加える。ところが、中国人は個人主義という民族性から、権利の極大化と義務の極小化を図ることがすべての局面において大前提となる。よく日本人は、「中国人と契約しても契約を守ってもらえない。代金を支払ってもらえない」と嘆いている。しかし、代金を極力支払わないということは彼らが義務の極小化に努めた結果であり、民族性に適ったごく当たり前の言動と言えるのである。そこで、日本人経営者や財務担当者は、この点において抜かりのないよう慎重を期し、結果として契約書は詳細でかつ多義的解釈を許さないものでなければならないことになる。

さらに、日本企業の商品・サービスが、中国において日本と同様に受け入れられる為には、それらが揺るぎない価値を有するものであることが不可欠となる。つまり、中国人の権利の極大化に役立つものでなければならないということである。義務の最小化を前提とする中国人に対し、現金を提供してまでも、その製品・サービスを受けたいと動機付けでき、義務の極小化ということを忘れさせることが必要となる。

個人主義は中国社会のシステムや習慣の中にも度々見られる。例えば、中国人が自動車を我勝ちに走らせることは権利の極大化に、交通ルールが守られないことは義務の極小化に拠るものと言ってよい。また、個人主義の延長線上に家族主義、地方保護主義、さらには人治主義があるのである。紹介手数料も結論的に言えば個人主義に拠るものと言えるだろう。中でも個人主義がよく反映されているものは、夫婦別姓であろう。日本では民法750条において、夫婦同姓が義務付けられているが、中国では結婚しても夫婦の姓は同一とはならない。

このように、我々日本人の多くが頭を抱える中国人との様々なトラブル、葛藤の多くは、民族性の違いについての我々の理解不足に端を発しているといえるのである。

 

 

上海高井倶楽部

02年、高井伸夫氏により発足。上海に赴任・駐在、または、それを計画中の日本人が成功できるよう3か月に1度研究会を開催し、先輩・同輩・後輩間で知恵と知識を共有するとともに、後進にも提供する相互扶助的な非営利組織を構築することを目的とする倶楽部。理事に大手企業総経理や医師・研究家がいる。

 

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2015年11月22日(日)8:03 早稲田鶴巻町507にてホットリップスを撮影
花言葉:「知恵、尊重」 

 

 

第1回 下学上達(かがくじょうたつ)
(『労働新聞』平成27年1月26日より転載) 


私の関心事はいろいろあるが、その最たるものは古代史と絵画である。仕事で手詰まりになったときほど、こうした専門外の分野に触れて思考をいったん解放しリフレッシュする効用を、強く実感したものだった。また、ジャンルを問わず手当たり次第に小説を乱読することも、私の大切な趣味のひとつである。一切の先入観を持たずに作家の創造した世界に没入し、時空を超えて心を自由に遊ばせる感覚は、読書から得られる最高かつ唯一無二の愉しみであるといってよいだろう。

 

最近では、帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)氏の作品群を堪能し、そして学んだ。例えば、日本の2~3世紀の古代史を扱った小説『日御子(ひみこ)』には、倭国(日本)の伊都国から漢(中国)への朝貢に通訳として加わった日本人男性が、現地の役人から論語の「下学上達」という言葉を教えてもらう場面が描かれていた。「下学(かがく)して上達(じょうたつ)す」と読み、その意味は「日常の身近なところから学んで、次第に深遠な学問に進んで行くこと」(『広辞苑』)、「自分より身分・年齡・学識などの低い者からもきいて学び、どんな卑近なこともおろそかにしないで、一日一日上達していく」(諸橋轍次著『中国古典名言事典』)などとされている。この小説で初めて知った言葉である。

 

普通に考えると、「下を見ずに上を向いて生きなさい」というように、向上心を刺激する教えのほうが一般的かもしれないが、孔子は、まずは地に足をつけて学びを着実に蓄積することで道を究めなさい、それが天にも通ずる道なのだといっているのであろう。

 

私の専門分野である人事・労務問題にも、「下学上達」の心構えが求められる。基本書や裁判例を熱心に勉強して法理論を頭では理解していても、組織を構成する千差万別の価値観を持つ多数の人々に対応する段になると、当然のことながらまったく勝手が違うものだ。人事・労務はヒトの問題を扱う領域であるだけに、日頃から視野を広くもって、小さなことでも深く一生懸命に勉強し、例えば関連する些細な言葉でも突き詰めて調べて考えるような「下学上達」の姿勢がなければ、関係者を納得させられるだけの説得力や迫力が出てこない。

 

経営状態の悪化に伴い、やむなく賃金の引下げあるいは人員削減を実施しなければならなくなった経営者から、法律相談を受けたとしよう。弱り切った経営者を前に、法律の条文や「合理性」「必要性」「相当性」「手続の妥当性」などの硬い言葉だけを羅列しても、問題解決にはつながらない。経営者が一番悩み、気がかりに思っている本音を引き出し、相手の心に響く表現で問題点を明らかにしていく手腕が必要とされるのである。そして、反対派の人々に対しても、企業存続こそ経営者の社会的責任であると正攻法で説き、「やむなし」と思ってもらえるだけの大義名分を語る能力がなければならない。こうした手腕や能力は一朝一夕には身につかないものだ。しかし、日頃から「下学上達」を実践していれば自ずと体得できる。

 

「生活から切り離された知識は活きてこない」とは、外山滋比古先生(英文学者・エッセイスト)の名言だが(『週刊文春』対談記事など)、これも「下学上達」と相通ずる指摘だと思う。人事・労務問題に携わる方々は、身近な細かい事柄を疎かにせずに「下学」し、「上達」してもらいたい。

 

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右から時計回りに
2015年11月7日(土)6:56 目黒区東山1にてビオラを撮影 花言葉:「忠実、誠実」
2015年11月7日 (土)12:48 日比谷公園にてストックを撮影 花言葉:「愛情の絆」
2015年11月22日(日)8:05 早稲田鶴巻町507にてガーベラを撮影 花言葉:「希望、常に前進」 

 

 

7月24日(金)から、2011年5月~2012年4月にかけて、計12回、『月刊公論』(財界通信社)にて私が連載いたしました「高井伸夫のリーダーの条件」を転載しています。 

私の半世紀にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、リーダーのあり方について述べた連載です。 

これからは、自分一人の信念で周囲をひっぱっていくというリーダーの時代ではありません。優れたリーダーには必ず、”股肱(ここう)の臣、頼れる参謀”が付いているものです。もはや”孤高の人”では、リーダーにはなり得ないのです。 

ブログ読者の皆さまに、現代におけるリーダーシップ論を考えていただく一助となれば幸いです。

 

 

日本が希望の持てる国であるために
「志」あるリーダーが明日の日本を作る
(『月刊公論』2012年4月号より転載)

 

私の連載は、予定どおり今号が最終回です。1年間ありがとうございました。改めて「リーダーの条件」を考えてきて思うのは、あらゆる面で多様化の時代を迎えているいまほど、統率力の発揮が難しい時代はないし、また、いまほど統率力が求められる時代もないということです。

 

「50年後・生産人口の半減」

直近の国勢調査(2010年10月実施)では、国内の日本人人口が前回調査(05年)から37万人(0.3%)減少したことが発表され、国勢調査ではこうした減少は初めてのことである旨、マスコミで大きく取り上げられました。

さらに、この結果をもとにして本年1月30日に発表された日本の「将来推計人口」によれば、2060年の日本の人口推計は、2010年の1億2806万人から4132万人減って、8674万人になるといいます。これは、32%もの減少です。また、少子高齢化が加速し、2060年には、65歳以上の割合は2010年現在の23%(世界最高)から39・9%(5人に2人)になり、一方で15歳未満の年少人口の割合は、同様に13・2%(世界最低)から減少し、9.1%になってしまうといいます。さらには、社会の働き手である15歳~64歳の生産年齢人口も、半減するといいます。(国立社会保障・人口問題研究所)。

これはもはや人口減少というより、国の消滅の始まりといっても過言ではないでしょう。日本は掛け値なしに、存亡の危機に立っているのです。出生率も、1.3人台にとどまりながら、下降傾向が続いています。

かたや新興国は若い人口の比率が高いのが特徴で、15歳未満の人口割合は、中国は19・5%、インドは30・6%、ブラジルは25・5%です(2010年)。日本とは対照的な、まさに活力あふれる社会です。

 

「人口問題の難しさ」

日本の抱える課題はいくつもありますが、人口減少問題こそ、喫緊に取り組むべき、最も深刻かつ重要なテーマであると私は思います。

日本では1990年代初めにバブル経済が崩壊しましたが、それ以後続く日本経済の停滞は、「失われた20年」といわれています。人口減少問題に無策であり続けることは、この先もずっと経済の活力が低下することを意味します。それは、日本に「失われた『40年』『50年』」をもたらし、社会全体が停滞し続けることになるでしょう。

私はもうすぐ75歳になります。これまで、日本社会のいろいろな変化や紆余曲折を体験してきました。戦争のときはまだほんの子どもでしたが、戦後の物不足やひもじさは痛烈な体験として記憶に刻み込まれています。日本全体が敗戦と貧しさのなかから這い上がってこられたのは、右肩上がりで人口が増え、労働力が潤沢であり、さまざまな生産活動を活発におこなえたことがひとつの大きな要因であったと思います。

人口問題は、女性に妊娠・出産を促すことが必要になりますから、順調に結果が出るとしても、20年~30年のスパンで考えなければならない長期の課題です。しかも、女性が自然に「産みたい」という意欲を持たなければならないのです。これは実に大変なことで、人口増の実現は容易ではありません。

日本が高度成長に浮かれていた1970年代、既に人口減少問題を指摘する専門家がいたと仄聞しますから、政府はなぜその時期に真剣な取り組みをしなかったのかと思いますが、いまでは詮ないことです。

 

「産業政策の重要性」

私は人口問題の専門家ではありませんから、どのようにすれば実際に出生率が上昇して人口が増えるのか、具体的方策はわかりません。ただ、人口が増えない現実の背景には、いまの社会への期待や希望が薄れていることも大きく作用しているのではないかと直感します。そして、たとえ首尾よく人口増に成功したとしても、日本が展望のない社会であったとしたら、国民は活動の場を持てず、国力は向上しません。つまり、いまの日本では、人口を増やす研究・対策を進めて女性の妊娠・出産への意欲を刺激する方途を探る一方で、日本を未来に対する展望ある社会に作り変える努力も並行しておこなわなければならないのです。

日本は、昨年の輸出額から輸入額を差し引いた貿易収支が、31年ぶりに赤字に陥りました(財務省)。いまの日本の企業は「6重苦」に悩まされているといいます。これは「円高」「高い法人税」「貿易自由化の遅れ」「労働規制」「温暖化ガス削減」「電力不足と値上げ」で、さらに「世界経済の減速懸念」や「国内政治の停滞」のふたつを加えて「8重苦」という人もいるようです。そして、いまこれに「人口減少問題・労働力不足」が加わろうとしています。展望ある社会を実現すべく産業政策を充実させなければ、日本社会は「8重苦」以上のさらなる苦しみにとらわれ、沈没してゆくしかないでしょう。いまの日本の国力、経済力からすれば、すべての産業の振興を図る余裕はなく、国として強化すべき分野を決めて注力することが重要です。

 

「エリート教育の必要性」

未来への展望を開くには、産業政策に加えて、教育の問題も重要です。一時期のゆとり教育のような悠長な発想はできないのです。できない子もできる子も全員を平等に教育することは、日本の国力では難しくなっています。選抜された優秀な生徒・学生にエリート教育を施し、さまざまな分野でのリーダーとして活躍してもらう以外にないでしょう。

折しも、東京大学の浜田純一学長が提唱したことを契機に、大学の秋入学をめぐる議論が巻き起こっています。私は、この動きは、単なる入学時期の問題ではなく、日本の教育全体の仕組みを根本的に作り変えて、世界的な競争に打ち勝とうとする志ある教育者・研究者の勇気ある行動であると受け止めています。それほどに、世界を知る彼らの危機感は強いのでしょう。海外の人材と切磋琢磨して、競争に勝ち抜く者をいかに多く輩出できるかで、日本全体の力は決まるのです。

 

「優秀人材の海外からの取り込み」

日本の人口を増やして活力を維持あるいは向上させるためには、人口対策、産業政策、教育問題等が重要だとしても、いずれも時間を要します。とすれば、より即効性のある施策にも国は正面から取り組まなければなりません。それは、優秀人材の海外からの取り込みです。各企業は、必要に迫られて外国人の採用比率を高めつつありますが、日本全体としても、各分野で外国人を受け入れる準備に着手しなければならないのです。日本人の労働力が不足することが明らかになっている以上、国は外国人の受け入れに躊躇できないはずです。受け入れを前提として、日本の国力の維持・向上に資するためのシステムをどのようにすればよいか、取り組まなければならないのです。

海外からの優秀人材の受け入れを国家戦略としておこない成功している国としては、シンガポールが有名です。シンガポールの要人から直接話しを聞いた人によれば、この国は厳しい選抜のもと、とくにアメとムチを使い分け、ハングリー精神あふれる海外の優秀人材を国費で集めて厚遇し、それが国全体への刺激にもなっているといいます。日本でもこうした仕組みを作れないものでしょうか。

 

* * * * *

 

人口減少問題をめぐる施策は、どれも結局は強いリーダーシップのもとに行われなければ実現不可能なものばかりです。国際化と社会の多様化と個人主義が進むなかで、効果的な施策を提言し、説得し、意見を集約し、そして実行することは、容易なことではありません。

しかし、こういう時代であればこそ、リーダーが求められるといってよいのです。私はリーダーに求められるのは、最終的には志の高さであると思います。どのようなグループであれ、リーダーは必要です。それぞれの場で、リーダーシップを発揮し、日本を希望の持てる国にしようとする志が、あすの日本を作ると私は信じています。

 

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