2015年11月アーカイブ

第11回 高井先生言行手控え

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2015年10月31日(土)8:11 渋谷区広尾1にてネリネを撮影
花言葉:「また会う日を楽しみに、忍耐」 

 

 

築地双六館館長
公益社団法人全国求人情報協会 常務理事
吉田 修 

 

 

■元横綱武蔵丸の取材手控え

高井先生の横綱対談第二弾は元横綱武蔵丸です。

※武蔵丸 光洋

第67代横綱。現在は年寄・武蔵川。得意手は、突き、押し、右四つ(かつては左四つ)。幕内成績:706勝267敗115休、幕内在位:73場所、優勝:12回、座右の銘:我慢して、努力すれば、人間絶対に成功できる。 ハワイ出身。高校時代はアメフトのディフェンスラインとして活躍し、プロ選手とし嘱望されていた。14年間で通算連続勝ち越し55場所(歴代1位)、外国出身力士最多の幕内706勝(引退当時、2014年1月場所2日目に白鵬が更新)外国出身力士最多優勝回数12回(引退当時。現在は白鵬が保持)などを記録した。

 

■一度も負け越しのない空前の力士

2013年12月7日に高井先生のお誘いで、武蔵川親方(元横綱武蔵丸)ご夫妻・部屋の4人の力士・マネージャー・金谷美術館鈴木理事長ご夫妻と食事会を行いました。実は高井先生と角界の親方を訪ねるのは、2002年二子山部屋の横綱貴乃花の稽古見学以来11年ぶりです。ゆえに、シリーズその②なのです。

平成23年2月、第57代横綱三重ノ海の引退に伴い、弟子である武蔵丸が武蔵川の名跡を継承、本年4月に新小岩に部屋を設立されました。武蔵川親方(武蔵丸)は幕内優勝12回、ハワイ出身で、現在は帰化し「武蔵丸光洋」が本名で現在42歳(当時)。人柄は温厚で明るく、とてもユーモアがおありで、日本と奥様を愛し、相撲を愛しておられます。現役時代は、アメフトの技術を応用した安定感のある突き押しを武器に、幕内時代は対戦相手を土俵際まで吹っ飛ばす事もあったほど。 入門前に痛めた怪我を除けば、大きな怪我も無く安定的な成績を残し、時代は貴乃花、若乃花、曙など実力者がひしめく中、14年間で通算連続勝ち越し55場所(歴代1位)などを記録しました。

特筆すべきは、初土俵から横綱昇進まで一度も休場が無く、また入幕から引退まで皆勤して負け越した場所が無いという空前絶後の記録です。あの若貴や曙ですら一回以上は皆勤での負け越しを経験しています。

お弟子さんはみな若く、一番上位の武蔵国(フィアマル ペニタニ君)でもまだ序二段です。女将さんは今はタレント&歌手の小錦のバックフラダンサーを務めていた方です。明るく、とても気遣いのある超美人の奥様です。高井先生が角界関係者のパーティーで女将さんを見て、「この人は面白い!」と直感して、親方ご夫妻との親交が始まったそうです。武蔵川親方は、いつものおとぼけキャラ丸出しで弟子にも優しく、自分の食事を度々弟子に分けておられました。武蔵平(森宗順平君)は、広島の広陵高校出身で甲子園に2度出場した投手です。残念ながら、肩を壊して角界入りしました。甲子園投手で相撲取りになった人はいないのではないでしょうか。頑張ってほしいものです。

 

■我慢して努力すれば必ず成功できる

高井先生と私が武蔵川親方に質問する形で楽しい会話が進みました。


Q:横綱になるには何が必要ですか?

A:すべてだよ。何か一つ欠けても横綱にはなれない。我慢して人間努力すれば、必ず成功できる。


Q:稽古では弟子に胸を貸しておられるのですか?

A:そう。 毎朝ぶつかり稽古やってるよ。弟子が少ない分、稽古の生産性が高いんだ。

Q:確か入幕以降、一度も負け越しがなかったと思いますが?

A:よく知ってるね。入門してからでも1度しか負け越していないよ。
横綱になった力士で、幕内以降全部勝ち越したのはボクだけよ。何回も優勝するより難しい。


Q:お酒を一番飲んだのはどれくらいですか?

A:ヘネシー16本だよ。現在は控えているけどね。お酒を飲むと筋肉が固くなり、翌朝の稽古に影響が出てしまう。

Q:食事は日に2回ですか?

A:そう。朝食べると稽古で全部吐いてしまう。特に、夏の名古屋場所の稽古は大変だ。朝食べていなくても吐いてしまう。
でもボクは一度も吐いたことがないよ。これも自慢。

Q:最近、ハワイ出身力士が少ないようですが?


A:外国人力士は各部屋に一人だけと制度が変わった。この影響が大きい。後は給料の価値の違い。
モンゴルでは1万円あれば、1年暮らしていける。入幕できなくても帰国すればリッチになれる。
ハワイではそうはいかない。


Q:以前アームレスリングの世界チャンピオンに勝ちましたよね?

A:そうそう。はじめてやったので、最初はこつがわからなかった。 2回やって1回勝った。
チャンピオンはそれまで無敗だったので驚いていたよ。一緒に世界を回らないかと言われたけど断った。

Q:吉田さん、後援会入ってよ。

A:わっ、わかりました・・・!

 

(がぶり寄りで親方の勝ち。後援会に入ることになりました。)

 

“まことに小さな部屋が開化期を迎えようとしています”(どっかで聞いたような・・・)

皆様、是非武蔵川部屋の応援をよろしくお願いします。詳しくはWEBで。

http://musashigawa.com/

シリーズ③は11年後の2024年です。私の郷土島根県の力士である隠岐の海が親方になった頃に、まだまだ元気溌剌であろう高井先生とご一緒に訪問したいと思います。

 

湯気が立ち汗が冷たい寒稽古(修)

 

(2014年1月13日 吉田)

 

■北の湖理事長のご冥福を祈ります

この原稿を書いている時に、北の湖理事長の訃報が飛び込んできました。

北の湖は私の1つ歳上であり、同時代を歩んできたことになります。横綱在位当時、子供が嫌いな物として「江川・ピーマン・北の湖」と言われるくらいに強い横綱でした。昭和56年の夏場所の千秋楽で大関の千代の富士が北の湖を破って14勝1敗で2度目の優勝を果たして横綱を掴んだシーンは今もよく覚えています。北の湖は、それ以降も2回優勝し、昭和60年両国国技館のお披露目のあった初場所で引退しました。

北の湖は、引退間際に「観客から、“頑張れ!”と言われて情けなかった」と述懐しいるほど、強かった横綱でした。北の湖理事長のご冥福をお祈りします

 

■力士の健康管理の問題

1980年から2002年までに亡くなった幕内経験力士100人の死亡時の平均年齢は63.6歳だったそうです。この値は2002年の日本人男子の平均寿命の78.07才より15才近く短命と言うことになります。力士の平均体重を下げるなどの施策で、内臓疾患と足腰や間接の怪我を抑制することが必要なのはないでしょうか。大相撲に多くの若者が入門し、両親も安心して子供を預けることができるようにするには、協会の現役及び退職力士の組織的継続的な健康マネジメントが求められます。これは力士のリクルーティング上の本質的な課題です。北の湖理事長が主張していた「土俵の充実」は「身体の充実」からにほかなりません。プロ野球やプロゴルフにはシニアの大会があります。大相撲も是非にと思うのですが、課題は多いようです。

 

 

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(武蔵川親方と奥様)

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(武蔵川部屋の皆さんと集合写真)

 

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2015年10月11日(日)12:38 東名高速初狩P.Aにてミヤマムラサキを撮影
花言葉:「尊い思い出」

 

 

7月24日(金)から、2011年5月~2012年4月にかけて、計12回、『月刊公論』(財界通信社)にて私が連載いたしました「高井伸夫のリーダーの条件」を転載しています。 

私の半世紀にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、リーダーのあり方について述べた連載です。 

これからは、自分一人の信念で周囲をひっぱっていくというリーダーの時代ではありません。優れたリーダーには必ず、”股肱(ここう)の臣、頼れる参謀”が付いているものです。もはや”孤高の人”では、リーダーにはなり得ないのです。 

ブログ読者の皆さまに、現代におけるリーダーシップ論を考えていただく一助となれば幸いです。

 

 

地域の特色を発揮、グローバル化を目指す
密着型より地域振興型企業へ
(『月刊公論』2012年3月号より転載) 

 

本連載は当初の予定どおり次回4月号が最終回です。連載の間に一層あきらかになったのは、日本の企業もヒトも、国外に果敢に出て勝負をしなければ生き残れないということです。そしてこれは、地域のあり方にとっても同じことなのです。

 

「地域密着型」は時代遅れ

各地の企業や組織が、何かにつけ「地域密着型」をスローガンにし始めたのは、いつの頃からでしょうか。私は10数年前から、講演でも執筆でも、「地域はどこも衰退していくのだから、それに密着していたら企業も一緒につぶれてしまう。これからは、『地域振興型』を標榜し、自らが地域を活性化させ、鼓舞することを目標にしなければならない」と繰り返し説いてきました。

地域密着型の発想は、完全に時代遅れです。日本全体が貧困化し、さらには少子高齢化により人口が減少し続けるなかにあって、地方にはこれら「貧困」「人口減少」問題がより強く影響し、いよいよ斜陽化し衰弱しています。企業が、地域で雇用を創出し、地域を発展させ、その結果、自立・自律した地域となることを目指すのであれば、地域とともに歩む地域密着型ではなく、日本全体および世界の市場を念頭において地域を牽引していく「地域振興型」であるべきです。

 

地域振興の実例

私が実際に高知市などの地元の方にお会いして話を聞いた地域振興型の成功例は、高知県馬路(うまじ)村のユズ産業です。馬路村は人口1000人ほどの小さな山村ですが、村の特産品であるユズをもとにして、営業努力と商品開発の苦労を重ねて、ユズの村として県内外に認知させることに成功しました。特産品というと、1980年、当時の平松守彦大分県知事(2003年没)が県全体に号令をかけて大成功をおさめた「一村一品運動」が有名ですが、馬路村は、村がこれを自律的に展開した例といえるでしょう。

馬路村は以前からユズの産地として有名でした。ある年、大豊作によるユズの価格下落・値崩れに困り果てた村の当局者が、需要拡大の方途を模索して商品開発に取り組んだことが、現在のビジネスの発端でした。そして、雌伏10数年間を経て、ユズの飲料水などの商品が売れるようになり、ユズの村として全国に知られるようになりました。いまでは、全国に販路を拡大し、ユズ関係の商品の売上は年間30億円、観光客は年間6万人にもなります。馬路村の成功は、地元の農協トップが強いリーダーシップを発揮したことが大きな要因であったといえます。このリーダーのもと村のブランド化をはかり、都会に売り込むことでお客の囲い込みに成功したのです。そして、馬路村は経済的にも独立が可能となり、近隣の市町村からの合併話に見向きもせず、独立独歩で運営しています。

 

地域振興の難しさと具体策

残念なことに、日本では、このような特産品による地域振興で成功した地域は極めて少ないといえます。むしろ、地域復興以前の問題として、経済の沈滞と人口減少が進み、町村や都市としての機能を失い、打つ手がないところがたくさんあります。都市のシャッター通りもその例です。ただ、米沢市在住の方から聞いた話の例によれば、伝統工芸・米沢織の工場が電機部品の工場に変わったりしているものの、それにより雇用の場が守られているという実情もあるようです。現実は厳しいですが、地域振興の志を掲げて奮闘する企業こそが地域のリーダーとしてふさわしい存在であり、成果をあげていくと信じています。

地域振興を具体的に推進する方策は何でしょうか。

第一に、馬路村のように、特産品・名物商品を開発し、徐々にであっても、拡大していくことが必要です。馬路村の特産品の発展の歴史を調べると、ユズ事業が花開くまでには多くの苦労がありましたが、日頃から問題意識をもって商品開発を地道におこなっていたからこそ、最終的には成果を得られたのです。

商品開発の根本は、消費者に喜ばれるものを目指すことです。そのうえで、地域の特産品の素材自体の魅力を活かした商品化を推進し続けることが重要です。インターネットの時代ですから、商品に魅力があり、発信力さえあれば、販路は日本全国、さらには世界へと広がります。そして、お土産や贈答品として多く用いられるようになれば(たとえば、米沢市であれば米沢牛など)、特産品は自然と広まってゆくのです。

 

観光への取り組み

地域振興の第二のポイントは、観光への取り組みです。

「観光」の語源は『易経』にある「国の光を観る。用て(もって)王の賓たるに利し(よろし)」との一節によるといいます。(須田寛著『産業観光読本』〔交通新聞社刊〕等を参照)。

観光スポットがあれば、それをいかに上手にマスメディアに売り込むかが重要です。いまは、テレビ番組やインターネットで紹介されることが集客の契機になりますから、取り上げられるだけの素材を発掘し、育むことが必要になります。

さらには、歴史上の人物や事象との関連で、観光客が紐解きたくなるような資料を提供できなければなりません。江戸時代でいえば、たとえば、米沢藩主であった上杉鷹山公は人気のある歴史上の人物のひとりですが、その理由は、鷹山公は、「なせばなる、なさねばならぬ何事も、ならぬは人のなさぬなりけり」という名言や、藩の財政再建と産業育成を成し遂げたことや、米国のケネディ元大統領やビル・クリントン元大統領に「もっとも尊敬する日本人政治家」と言われたことなど、魅力的で豊かな人間性を偲ばせるエピソードに彩られているからなのです。

 

産業集積について

地域振興型の第三のポイントは、産業集積でしょう。米国のシリコンバレーは、IT分野の産業集積地として世界的に著名ですが、日本各地でも、当該地域のささやかな事業が時代の変化に乗り遅れないように、次々と新しい産業を開発していくのです。それには行政(国・自治体)の力・地域の大学と研究者の力・企業の研究開発陣の奮闘が三位一体のごとく協同して機能することが何より重要になります。

ただ、いまの日本で産業集積の顕著な成功例を、私は寡聞にして知りません。製造業では、東京都大田区の金属加工等の町工場群が有名でしたが、グローバル競争の直撃を受けて沈滞したという報道に接しました。また、東京の渋谷にIT関連企業が集まった時期には、シリコンバレーをもじってビットバレーなどと言われた時期もありましたが、いまではどうでしょうか。私は業務でも原稿執筆でも現場に行くことを重視しますので、これまで日本全国を訪れてきましたが、いまの日本で産業集積に成功して活気がある地域をみたことがありません。

この点、経済産業省は、産業集積と同じような意味の「産業クラスター計画」(地域の中堅中小企業、大学、研究機関等によるネットワーク形成の取り組みに対する支援)なるものを、税金をつぎ込んで2001年度から09年度にかけて推進したといいますが、私は知りませんでした。日本の産業界の現状をみれば、この政策は、まったく成果を上げなかったということになるでしょう。

 

国際化について

さらに、地域振興を図るには国際化の視点も不可欠です。日本は人口減少の局面に入っていますから、市場は縮小の一途をたどるばかりです。

地域の特産品なり特徴を世界に積極的にアピールして、グローカル化を目指す必要があります。(グローカル〔Glocal〕とは、グローバル〔Global〕とローカル〔Local〕を掛け合わせた造語で、「地球規模の視野で考え地域視点で行動する」という考え方をいいます。)そのためのひとつの方途として、姉妹都市作りが効果的です。自分たちと同じような規模で指向性も似ている海外の地域と提携して、交流を深めるのです。たとえば、日本の温泉地であれば、海外で有名な温泉地と姉妹都市になることによって、自らの地域のグローカル化を推進することが可能になるでしょう。

国際化には、海外から多くの観光客を自分たちの地域に呼ぶことも大切な視点です。些か大げさに言えば、外国人観光客のほうが日本人より多くなることを期することです。もちろん、これは一朝一夕に実現できることではありませんが、努力し続けることが肝要なのです。

 

 

 

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2015年10月3日(土)7:23 目黒区青葉台1にてマリーゴールドを撮影
花言葉:「嫉妬、悲しみ」 

 

 

7月24日(金)から、2011年5月~2012年4月にかけて、計12回、『月刊公論』(財界通信社)にて私が連載いたしました「高井伸夫のリーダーの条件」を転載しています。 

私の半世紀にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、リーダーのあり方について述べた連載です。 

これからは、自分一人の信念で周囲をひっぱっていくというリーダーの時代ではありません。優れたリーダーには必ず、”股肱(ここう)の臣、頼れる参謀”が付いているものです。もはや”孤高の人”では、リーダーにはなり得ないのです。 

ブログ読者の皆さまに、現代におけるリーダーシップ論を考えていただく一助となれば幸いです。

 

 

いまの時代にふさわしい「コンプライアンス」「危機管理」の要諦はなにか
経営者の志を守るために― 
(『月刊公論』2012年2月号より転載) 

 

企業の不祥事が起こるたびに、法令遵守・コンプライアンスの重要性が声高に叫ばれます。これは経営者にとって確かにいろはの「い」です。しかし、事業体にとっての一番の価値や、経営者の志が何かということが明確になっていないのにコンプライアンスに取り組んでも、それは、「仏作って魂入れず」にほかならないのです。

 

「高収益の確保による危機管理」

日本最高の経営力を誇り、日本の製造業の最後の大物経営者とも言われている日本電産・永守重信社長は、インタビューやご自身のブログで、「築城3年、落城3時間」という刺激的な警句を紹介されています(『ウエッジ』2011年10月号、日本経済新聞社「永守重信氏の経営者ブログ」等)。これは、危機管理の重要性を訴える言葉に違いありません。

リーマンショックで世界が経済不況に陥った2008年秋、日本電産は、2007年度実績で770億円を超える営業利益を上げていたにも拘わらず、永守社長のリーダーシップのもと、社内で十分な合意形成をおこない、迅速に賃金ダウンを実施したのは有名な話です。私は、予て永守社長のこうした素晴らしい経営力に感銘を受けていましたので、雑誌『ウエッジ』で永守社長の「築城3年落城3時間」という言葉を拝見して、打たれたのです。

経営者は危機管理に鋭くなければなりませんが、その基本は平素から法令遵守=コンプライアンスを心掛けることです。しかし、危機管理のさらなる原点は、なんと言っても経営力の強さであることを知らなければなりません。そして、経営力の原点は、強い経営体であるということです。強い経営体であってはじめて、危機管理を十分におこなえるのです。永守社長は、「高収入を維持しておかないと、会社は持続できない」(12月7日付ブログ)という発言もされていますが、高収入こそ、強い経営体による最上の危機管理です。

 

「良心経営の時代」

私はこれまでいろいろなところで書き、発言していますが、いまは良心経営の時代です。ITの発達という点からも、また内部告発が一般的になったことからいっても、企業や経営者の邪悪な活動はすぐに社会に知れわたります。経営者が良心に基づく生き方をして、さらに良心に基づく経営を行わなければ、よい人材は決して集まらない時代なのです。そして、良心経営になればなるほど、危機管理は繊細かつ緻密でなければなりません。この場合の良心の内容を私なりに分析すれば、「真・善・美」を求め、「夢・愛・誠」を追い続け、「道理・道義・道徳」を旨として、これらの頂点に「志」を高く掲げるということです。ですから、あえて言えば、「真・善・美」「夢・愛・誠」「道義・道理・道徳」そして「志」という10要素を満足する経営が、良心経営なのです。

永守社長の志は「100万人の雇用」がテーマであると、人ずてに聞いたことがあります。日本電産の雇用数は現在およそ10万人ほどであるとのことですので、永守社長はこれを10倍にすることを目標にしていることになります。この不況下では、人員削減・リストラが激しく断行されますが、それに逆行するかのように、永守社長は雇用量の増大を旨として経営を引っ張っているのです。

これは、永守社長が、経営力の基盤として極めて強靱な思想・信条を持っていることを示しています。そうした基盤があってこそ、大きな利益をあげながらもなお果敢に賃金ダウンを図る力を発揮できたのです。

ちなみに、永守社長は、M&Aにより譲り受けた企業を再建するときも、社長以下の経営陣を原則として交代させず経営のやり方を学んでもらい、赤字から黒字に大転換する経験を積んでもらうといいます。これはもう経営の域をはるかに超越して、社会貢献、否、社会還元活動ともいうべき高い志であると私には思えます。そして、経営者・経営陣に対するこうした指導・教育を可能にしている根源は、グループが高い収益性を保持していることにあるのです。

 

「経営者にとって志の重要性」

志を高く揚げる経営体であるということは、自分を取り巻く従業員の幸せを願うだけでなく、日本の雇用のあり方、世界の雇用のあり方に対する影響力をなにがしか持つという事実と気構えが必要です。自分の経営体を単に活かすだけでなく、積極的に活かす方向での社会寄与を意識してこそ、良心経営下の志として評価されるのではないでしょうか。

永守社長のほかにも、良心経営を実行されている経営者は多くいます。たとえば、楽天・三木谷浩史社長の「世界一のインターネット・サービス企業」を作ろうという意気込みや、武田薬品工業・長谷川閑史社長の「持続的成長」というテーマもまた立派な志でしょう。

要するに、良心経営とは、「真・善美」等々の細かい話はもちろんのこと、志をたてること自体がもっとも重要なのです。コンプライアンスは、あくまでも志を守るための方途ですから、志がないのにコンプライアンスの遵守のみに忠実でそのことが目的化してしまっては、本末転倒です。

 

「経営に改革・革新・変化を」

「さらばガラパゴス統治 たゆまぬ改革が信認生む」(2011年12月4日付日本経済新聞)という新聞の見出しがありましたが、この言葉は、柔軟な思考で経営に臨まなければならない経営者の姿勢にもあてはまります。自身の成功体験に酔ったり、固定観念にとらわれたりしては進歩がありません。時代の絶えざる変化の半歩先を読んで、経営革新をはかり続けることこそが企業存続のための最重要ポイントなのです。まさに、「いち早く変わらなければ、後退あるのみ」(柳井正氏コメント/森山進『英語社内公用語化の傾向と対策』研究社2011年4月)なのです。いま、日本を取り巻く環境は険しいものですが、「日本にいつまでも残る『リスク』のほうが、成長市場である中国など新興国に進出する『リスク』より大きくなってきた」(永守社長)という事実を直視して、覚悟を決めて国際化を断行せざるを得ないのです。

この原稿を書いている2011年12月10日現在では、TPP(環太平洋経済連携協定)への参加に反対する勢力がかなりあります。そして、彼らの主張にも頷ける部分が多いことも十分に承知しています。なぜなら、TPPに参加すれば、日本が寒風にさらされることは必然だからです。しかし、このことに怖じ気づいていては、日本は退歩するのみです。寒風を覚悟でこれに耐え、鍛えてこそ、日本は生き残ることができるのです。

コンプライアンスは、時代の変化に伴い変容するものであり、新しい時代を旨とした経営の土台たり得るものでなければならないと思います。すなわち、新しい酒を古い革袋に入れるようなことがあってはなりません。企業は、事業革新のために新しい困難に挑戦することになりますから、当然、コンプライアンスについても、世界に羽ばたくにふさわしい企業として、絶えず意識改革して臨まなければならないのです。

 

「ソフト化時代の危機管理の要諦」

さて、コンプライアンスも危機管理も、多方面にわたって際限なくありますが、何を中心にして危機管理を進めるかが経営者の腕の見せどころです。企業が進展をはかるためには、経営者自らが新しい事業地域に赴いて、そこで深呼吸して体感し、食事をし、知人友人と話し、現地の話題を接収することが必要となります。東京の丸ノ内のオフィスにいては、危機管理はできません。そして、前述のとおり、いまは「真・善・美」「夢・愛・誠」「道義・道理・道徳」「志」という捕捉しがたいテーマを克服しなければならないだけに、コストや売上高などの数字だけを意識してコンプライアンス・危機管理を見定めてはならないのです。言ってみれば、ソフト化の時代には、それにふさわしい抽象的な世界・見えない心を察知することに、企業の危機管理の要諦があるのです。

 

 

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右上から時計回りに
2015年10月3日(土)9:44 千代田区一番町にてムラサキシキブを撮影 花言葉:「上品、聡明」
2015年10月7日(水)10:25 横浜市日吉7にてマリーゴールドを撮影 花言葉:「嫉妬、悲しみ」
2015年9月28日(月)7:59 中目黒公園にて百日草を撮影 花言葉:「絆、幸福」

 

 

7月24日(金)から、2011年5月~2012年4月にかけて、計12回、『月刊公論』(財界通信社)にて私が連載いたしました「高井伸夫のリーダーの条件」を転載しています。 

私の半世紀にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、リーダーのあり方について述べた連載です。 

これからは、自分一人の信念で周囲をひっぱっていくというリーダーの時代ではありません。優れたリーダーには必ず、”股肱(ここう)の臣、頼れる参謀”が付いているものです。もはや”孤高の人”では、リーダーにはなり得ないのです。 

ブログ読者の皆さまに、現代におけるリーダーシップ論を考えていただく一助となれば幸いです。

 

 

日本企業が海外で成功するには
優秀な人材を尊重し現地での良心経営をおこなう
(『月刊公論』2012年1月号より転載) 

 

私が初めて中国・上海に事務所を構えたのは、1999年5月です。当時はアジア通貨危機の真っただ中でしたが、勇気をもって国外への一歩を踏み出しました。人も組織も企業も、同質性や集団主義を旨としていては、進歩はありません。異質なものと出会い、悩み、克服して絆を強める努力をすることが、自らを高めることになるのです。

 

「日本流の押しつけは厳禁」

「なぜ私が(1999年5月に)中国に進出したのかというと、この国際化時代に国内の業績のみをこなしているのでは、近い将来、一人前の事務所ではなくなると感じたからだ。もちろん、このようなことを目指したところで、自分の時代にすぐ大きな実りがあるとは思わない。しかし次代には、目線の高さを世界に合わせなければ、間違いなくドメスティックな法律事務所になってしまうだろう、という思いに駆られたのだった。」(拙著『中国で成功する人事労務の戦略戦術』講談社2002年10月刊より)

これは、私がいまから9年以上前に出した本の「はじめに」からの抜粋です。当時の思いは、いまではより一層強まっています。

企業が海外進出する際に、第一に心すべき基本は、日本での姿勢や行動パターンをそのまま海外の企業に投影してはならないということです。日本ナイズされた企業運営は、現地の人々に受け容れられないことが非常に多く、軋轢を生みます。

私が中国・上海に事務所を開設した1999年の当時ですら、中国には、トマトを食べるときに砂糖をかける風習があり、時代遅れと感じた日本人も多かったと思います。また、ビールは常温で飲むのが通常で、冷やすことは、まずありませんでした。

かつて、日本人が、「冷たいビール、冷たいビール」といって中国で大騒ぎした時代がありましたが、それはまだ中国の文化度が低く、冷たいビールになじんでいない時代のことです。当時の駐在日本人は、ビールは冷えているのが当然だと横柄に振る舞ったということも仄聞します。

これらは中国の実例ですが、ことほどさように、現地の風習と日本人の行動パターンとは大きく異なっていたのですから、日本の企業のシステムをただちに現地に適用することは正しいことではありません。

第二に留意すべき重要なことは、何にせよ、邪心をもって現地企業に強制する姿勢は許されないということです。日本側の都合だけで、現地の従業員をいいように手なずける姿勢をもってはならないのです。

私は、日本から大連に進出したりんごの菓子の製菓会社を2000年に訪問しましたが、中国人従業員による親しみを込めた出迎えの光景を見て、不覚にも涙ぐんでしまいました。

同社の大連工場の日本人リーダーは、まさに善意のかたまりの人で、中国人従業員と心の交流を実現していました。彼が、日本から来た客人を迎えるときには、中国語の歌ではなく、日本語の歌で迎えたほうが心がやすまると中国人従業員に説いたときにも、日本ナイズが目的ではなく、客人を心底思っての言葉であることが十分に伝わったからこそ、中国人従業員は日本語の唱歌を熱心に練習して、私たちに披露してくれたのです。20~30人の女性従業員が一生懸命に唄ってくれた「うさぎ追いし、かの山。小鮒釣りし、かの川…」(ふるさと)の響きは、私にほんとうに快く響きました。

日本人同士でも、善意に基づく行為か、悪意による行為か、あるいは邪心にみちた行為かによって、受け取る側の印象は当然異なりますが、これは中国人にとっても同様です。要するに、現地の人々には良心をもって接することが肝要であって、日本式システムを当然のごとく導入するスタイルは、現地では成り立たないのです。

こうした彼我の民族性の違いを意識して日本の企業は海外進出しなければならず、違いを無視しては、労働生産性をあげることも、活力を得ることも不可能といってよいでしょう。人事制度において特に留意すべきは、日本人は集団主義で、中国はじめアジア諸国は個人主義であるという違いです。個人主義の国では、成果主義が当然ですから、日本流の年功序列の人事制度はまったく受け容れられません。

 

「『元』で生きる時代」

さて、日本企業は、このような現地化への努力があってはじめて発展するのですが、その根本は、中国人と同じ生活をするという次元のものでなければならないと思います。私は上海で高級ホテルを利用することをよしとせず、いわゆる二流ホテルを定宿としていました。台湾人の経営する青松城大酒店というホテルでしたが、それなりに行き届いたサービスを受けました。もちろん日本人専用のホテルはありましたが、私はあえてそこには泊まりませんでした。

ところが、日本から派遣されてくる管理職は五つ星ホテルにしか泊まらないことを豪語したような時代もありました。それは、中国人に対する妙な優越意識でしたが、今では日本はそうした状況ではなくなってしまったことは、ご承知のとおりです。

いまは「円」で生きる時代ではなく、「元」で生きる時代です。これは、日本人であるがゆえに高い賃金をもらうという固定観念が通用しないことを意味します。具体的には、中国に派遣される日本人は、中国人の幹部と同レベルの賃金でなければなりません。さらには、役職格差も解消しなければなりません。

人格・識見・手腕・力量等々において優秀な人材は、国籍を問わず当然に幹部に登用されるという姿勢がなければ、優秀な現地の人材は集まらないのです。

中国で日本企業よりも欧米企業のほうが格段に人気が高いのも、欧米企業は積極的に現地化を進めており、現地の人材の幹部登用が当然であることが最大の魅力であるといってよいでしょう。日本人というだけで高い賃金をもらうような悪弊を打破する努力が、今後なお一層必要になってくるのです。

シンガポールも注目すべき国です。グローバルな視点で企業活動に利点があることから、日本企業がここに拠点を移しつつあります。私の顧問会社でも実際にそうした動きがあります。私は、1997年に、シンガポールのマウントエリザベス病院という、当時、東南アジア最大といわれた病院を訪問しました。この病院では、受診者に希望医師を募って医師の人気投票・ランク付けを行い、医師を定期的に入れ替えているとのことでした。

つまり、下位の医師を雇い止めし、新しい医師を採用するのです。日本の集団主義的な人事制度では考えられないことです。

 

「多くの日本ファンを作ろう」

仕事をとおして知り合った現地の人々の人間性を十分に尊重し、自分は現地の人と友達になるのだという思いをもって、現地で事業を展開することが必要です。

2011年10月末、私は10回目の台湾訪問を果たしました。台湾の産業育成と近代化に大いに貢献した日本人としては、後藤新平と新渡戸稲造が有名ですが、台中で、私はもうひとりの功労者を思い起こすことになりました。私たち一行を案内してくれた高雄市のバスの運転手さんが、現地のダム建設に尽力した日本人・八田與一の墓前に、立派な花束を供えてから、ハンドルを握ったのです。私は彼の姿を見て、心揺さぶられる思いがしました。現地の人の敬愛を集めている日本人がいることの晴れがましさと、そこまで現地にとけ込んだ八田與一の志の高さ・良心の見事さに胸打たれたのです。企業の海外進出も、基本は同じではないでしょうか。

 

「現地での実体験をいかすセミナー開催へ」

私は、2012年に「アジアの情勢を見る」(仮)というセミナーを立ち上げて、経営者の皆様の意識改革をはかることを企画します。

私は、実際に現地に足を運んで、これまでさまざまな見聞を拡げてきました。ベトナムには10回、フィリピンには5回、ミャンマーには4回、インドには2回等々、経済視察団等を組んで、行ったことになります。アジアの情勢を知らなければ、これからの企業経営はできません。このセミナーでは、各国の実情に詳しい論客を外部から招聘することを考えております。ご期待ください。

 

 

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