2015年10月のアーカイブ

第10回 高井先生言行手控え


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2015年9月14日(月)7:46 中目黒公園にてトレニア(紫)とサルビア(赤)を撮影
花言葉:トレニア「温和、愛嬌」サルビア「尊敬、知恵」 

 

 

築地双六館館長
公益社団法人全国求人情報協会 常務理事
吉田 修 

 

 

■二人の横綱の取材手控え

「髙井先生言行手控え」も残すところ3回になりました。これまでの些か堅い手控えから、先生との楽しい体験を紹介する手控えとして、先生と親しい二人の親方の取材を再録します。角界の頂点に立った元横綱の貴乃花と武蔵丸です。取材を通じて、横綱の素敵な人柄や厳しい稽古に裏打ちされた重みのある言葉に触れることができたことは一生の宝になりました。

今回は横綱貴乃花です。

 

※貴乃花 光司。第65代横綱。所属した相撲部屋は藤島部屋後に二子山部屋。現在は一代年寄・貴乃花で貴乃花部屋の師  匠。日本相撲協会理事(協会本部)で総合企画部長他。他にスポーツニッポン評論家(大相撲担当)。通算成績:794勝262敗201休 勝率.752、幕内最高優勝:22回、横綱在位:49場所(歴代4位)。2001年の5月場所で、14日目の大関武双山戦で巻き落としに敗れ右膝の半月板を損傷。出場が危ぶまれた千秋楽に強行出場。優勝決定戦では横綱武蔵丸を上手投げで豪快に下し、通算22回目の優勝を果たす。

小泉純一郎首相が、表彰式で内閣総理大臣杯を直接手渡し、「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!おめでとう!」と祝福したエピソードは有名。2003年 1月場所8日目限りで現役を引退。

本取材は2002年12月27日なので、横綱貴乃花が引退する直前の時期であったことになります。

 

■押されてもいいから自分の形を崩すな!

2002年の暮れも押し詰まった12月27日。高井先生のお誘いで二子山部屋の稽古風景を見学に参りました。日本の伝統文化に関心の高いネパーリアンシンガーのボビン君も一緒です。さて、高井先生と貴乃花の接点は何でしょう!気になりますよね。それはこういうことです。高井先生と貴乃花とは膝の治療先である某治療院の先輩患者と後輩患者の関係だそうです。こういう世界にも先輩後輩関係があるのかしらん?!しかし、それを有無を言わさず、力技で人間関係を築かれるのが高井先生の高井先生たる所以です。今では、横綱貴乃花が、尊敬の念を込めて「高井先生、高井先生!」と呼ぶ間柄で、ご夫妻同士のお付き合いとのことです。

 

さて、二子山部屋は、中野区の住宅街にありましたが、部屋の近くでゴミ回収車が火災を起こし消防車が来て消化作業中でした。このことは、後の横綱との会話に影響してくるのでした・・!早速、部屋の若い衆に招かれて稽古場に入りました。見学者は取材記者や部屋の馴染み、外国人家族など皆で20名くらいいました。その中に、乙武洋匡さんを見つけました。彼は大変身軽で、板の間をぴょんぴょんとジャンプして横綱に近づき、話し掛けていました。小生が助平心から「一緒に写真をとっていただけますか?」と乙武さんにお願いしたら、「ボクはいいですけど、ここは写真撮影禁止ですよぉ。」とたしなめられました。確かに「稽古中は私語と写真撮影は禁止」の看板がありました。乙武さん、大変失礼いたしました。

 

若い力士10数人くらいが、ぶつかり稽古や三番稽古をやる中で、貴乃花は静かに四股を踏み、鉄砲を繰り返しています。今日が稽古仕舞いなので、無理はしないのかなと思っていたところ、突然、しかしとても優しい声で貴乃花が「新堂(力士の名前)、押されてもいいから自分の形を崩すな!」と土俵上の若い力士新堂クンに声を掛けました。この瞬間、部屋の空気がピリッと引き締まりました。新堂クンは、次の申し合いでは、土俵際で踏ん張り抜いて相手を押し返していました。凄い!「押されてもいいから自分の形を崩すな!」・・・胸にじんと来る言葉でした。思えば、貴乃花の人生はこの言葉に象徴されているのではないでしょうか。マスコミに、ファンに、協会に、怪我に、種々の人間関係のトラブルに・・・押しまくられても自分の主張やペースを変えなかったので、今日の偉大な横綱があるのだと思います。この日稽古場には、先代貴乃花の二子山親方はおられず、実質的に貴乃花が部屋を取り仕切っていました。そうこうするうちに、貴乃花が土俵に上がり、ぶつかり稽古をはじめました。最初は若い力士に胸を貸し、ぶつかってきた相手に土俵間際まで押させ、相手を転がすという稽古です。相撲というのは、瞬発力を連続的に発揮して、相手の重心を崩すスポーツです。大きな身体の力士はすぐに息があがりますが、それを我慢して稽古をしなければ強くなれません。力士は皆ゼイゼイと喘ぎながら、髪を乱して相手にぶつかっていき、転がされます。最初は胸を貸していた貴乃花は、突然自らもぶつかり、転がされ、受身をし、背中に泥をつけていきました。横綱もこのような泥稽古をするものとは知りませんでした。誰も声を発することの出来ない緊張感で土俵が引き締まっていきました。

 

稽古が終わり、貴乃花からチャンコ鍋のお誘いがあり、2Fに上がりました。ちゃんこ鍋は若い力士がサーブしてくれます。まわし一枚の若い力士が汗をかき、髪を乱しながらも気を使ってくれる様は得もいえないタニマチ気分です。ちゃんこは、豚の出汁をベースに鰹や昆布出汁をまじえたとてもあっさりした味です。これに肉や野菜をたっぷりと入れて食べます。このほかにもキムチやサラダや鳥のから揚げや漬物などの大皿が並んでいますが、まあ、殆ど食べ切れません。

 

■④ちゃんこ鍋DSCF2925.JPGのサムネール画像

 

 

 

■“高貴”な会談!

我々がちゃんこを食べている間、お風呂上りの貴乃花は近くに座って、床山さんに丁寧に髪を梳いてもらっています。貴乃花が若い床山さんの方に話しかけました。

 

貴:お子さんは何歳?

床:5歳です。

貴:そうか。もう年長だ。可愛い頃だね。高井先生、この床山さんは先代からお世話になっています。この部屋には通勤して もらってるんですよ。本当にお世話になっています。

 

そこに、若い衆がフルーツスジュースとバナナを持ってきました。

 

貴:バナナは身体にいいんです。このジュースの賞味期限はいつ?賞味期限切れはダメだよ!

若:はい大丈夫です。来年3月末です。

 

やがて、井先生と横綱乃花の「高貴な会話」が始まりました。

 

貴:高井先生!HP拝見しましたよ。何かあったら、先生宜しくお願いしますよ。

高:ははは。今日、来るときに清掃車が燃えていて手間取ってしまった。遅くなってしまって。

貴:先生、電話いただいたら、若い衆が清掃車を片付けに参りましたのに。ハハ!

高:今日で稽古は仕舞いなの?

貴:はい。今日が土俵収めで、明日が綱打ち、元旦は新年会と挨拶周りで、2日から稽古です。

高:稽古は誰でも見られるの?常連さんはいるの?

貴:記者の常連はいますが、後は自分の友人くらい。基本的に関係者以外は禁止なんです。

小生飛び入り質問:横綱が新弟子の頃、東北かどこかの巡業先で、稽古の後に農業用水路に頭から飛び込んだのをNHKで見ました。長い髪が流れになびいてとても綺麗でした!

貴:覚えていますよ。田舎の用水路はとても綺麗ですからね。

高:マスコミの取材は多いでしょう?

貴:今、一切断っています。協会から依頼のあったNHKだけは受けましたが。

高:髪の毛を梳くと身体にいいみたいだね。

貴:お相撲さんは髪の毛は商売道具のようなものですから、毎日整えています。自分は髪の毛は固い方で、新弟子の頃は髪を梳かれると痛くて寝られないくらいでした。場所中もどんどん伸びて、大銀杏も毎日切って揃えていました。でも髪は、昔より少なくなったかな。先生、髪の毛が固い人は助平だそうです。冗談ですよ。ハハ。

高:怪我が大変だね。年6場所はきついんじゃないの?年4場所がいいんじゃない。

貴:そですね。若い人にとって年6場所は大変でしょうね。ところで、先生の法律事務所は上海に事務所があるんですね。

高:そうだよ。一度ご夫婦で遊びにおいでよ。大相撲上海場所なんてないのかな。

貴:上海は行ってみたいですね。今年は韓国場所が予定されています。

高:海外ではどこが好きなの?

貴:怪我の治療に行ったパリは大好きです。何度でも行きたいです。

高:一緒に写真を撮れますか?

貴:もちろんです。もう少しで髪が整いますから。少しお待ちください。

 

かくして、高貴な会話を終え、記念写真を撮ったのでありました。

 

■①貴乃花とともに.jpg

 

 

圧倒的に勝つことを義務付けられた横綱貴乃花は、ぶっきらぼうで不器用な人物ではないかと思っている方もあるでしょうが、さにあらず。気配りの細やかな、優しく、かつ責任感の強い好青年でありました。高井先生によれば、貴乃花の最も嫌いなのは「知ったかぶりをして、偉そうにする人間」だそうです。そのような人間は、国会にも、マスコミにも、実業界にも、横綱審議会にもたくさんいそうじゃないですか。横綱って本当につらいよ。先の横綱審議会の稽古総見の折に、稽古に参加しないで黙々と四股を踏む貴乃花を見て、境川元理事長が「稽古で負けても恥ずかしいことはないから参加しろ」と言ったそうです。寅さんじゃないけど、「それを言っちゃあおしまいよ!」というものです。大相撲のことを横綱の尊厳のことを一番深く考えているのが、横綱貴乃花です。今回の見学は、それを肌身で感じました。双葉山以来の最も神に近づいた横綱、それが貴乃花です。横綱があと何場所務めるかはわかりませんが、「ごちゃごちゃ言わんで、最期まで静かに静かに見守ることこそが大切なんだ」と、俄かタニマチ気分の小生は思うのでありました。

木枯らしを心に収め稽古仕舞い

 

(2003年1月13日 吉田)

 

■貴乃花の断髪式

2003年6月1日に行われた横綱貴乃花の断髪式に髙井先生ご夫妻とともに、参加させていただきました。奥様がお元気な頃であり、種々お気遣いをいただいたことを覚えています。

この時の横綱は30歳。目指すべき最高のキャリアアップを果たしたわけですが、満身創痍の凄まじいキャリア形成でした。髙井先生と共に、貴乃花のセカンドキャリアである親方としての成功を念じたのでありました。

 

■⑤DSCF3440 断髪式 緒方拳氏.JPG

 

■⑧DSCF3472断髪式 貴乃花奥様.JPG

 

 

 

 

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2015年9月12日(土)8:37 千代田区九段北4にてニチニチソウの蕾を撮影
花言葉:「楽しい思い出」 

 

 

7月24日(金)から、2011年5月~2012年4月にかけて、計12回、『月刊公論』(財界通信社)にて私が連載いたしました「高井伸夫のリーダーの条件」を転載しています。 

私の半世紀にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、リーダーのあり方について述べた連載です。 

これからは、自分一人の信念で周囲をひっぱっていくというリーダーの時代ではありません。優れたリーダーには必ず、”股肱(ここう)の臣、頼れる参謀”が付いているものです。もはや”孤高の人”では、リーダーにはなり得ないのです。 

ブログ読者の皆さまに、現代におけるリーダーシップ論を考えていただく一助となれば幸いです。

 

 

女性経営者・女性管理職について考える
組織の活性化のために女性を敢えて登用する実務の重要性
(『月刊公論』2011年12月号より転載)

 

女性の活用をいかに推進するかは、古くて新しい問題です。企業側にも女性側にも努力をする責任がありますが、消費者の半数が女性である実態からすれば、女性経営者・女性管理職を増やす努力を怠っている企業経営者は、およそ顧客満足度・消費者満足度を軽視していると言わざるをえないのです。

 

「仕事に関する男女の違い」

私は、漢字の成り立ちにまで遡り、発想のヒントを得ることがあります。漢字のルーツを探ると、興味深い発見があるからです。たとえば、「男」「女」という漢字の成り立ちは以下のとおりです。「男」は、「田」と「力」(もとは農具のスキを表す)が合わさってできたものです。つまり、男性がいにしえより農耕=力仕事に精を出す存在であったことが改めてわかります。一方、「女」は、女子がひざまずいて座する姿から生まれました(白川静『新訂・字統』平凡社2007年刊参照)。このように、男性と女性の本質的な違いが、漢字の成り立ちに示されているのです。

私は中国にも法律事務所を置いて16年になりますが、中国企業の経理担当者はほとんどが女性であるということに気づいたのは新鮮な感覚でした。その理由は、女性のほうが男性よりも正確に業務を遂行することに加えて、女性は不正をしないということが挙げられます。女性はひざまずいて大地に根を生やしているからでしょうか、どっしりと落ち着いて仕事を処理していくので、経理の仕事に適性があるのでしょう。

技術の進歩により、仕事のうえでの男女の違いは一切なくなったと断言する人もいますが、私は現実にはそうはいかないと思います。女性には妊娠・出産もありますし、男性より体力が劣りますから、力仕事や身体に悪影響を及ぼす仕事は向いていないのが一般です。ただ、技術のさらなる発達にともない、性差はますます小さくなっていくでしょう。

 

「女性の特性」―粘り・華やかさ・しなやかさ・細やかさ

2011年のノーベル平和賞は、アフリカと中東の女性3人が同時に受賞しました。同賞が常に政治的な意図を有していることを割り引いても、すばらしいと思います。こうした女性の活躍をみると、女性も男性に伍して働くようになったという表現では不正確で、むしろ、生来的に能力の高い女性は男性を凌駕する成果を出しているし、出していくべきであると思います。

わが国では、確かに溌剌と働く女性が以前より増えていることは実感します。ただ、少子高齢化社会に突入し人口減少が始まっているにも拘わらず、女性の労働力が発揮されなければ国も社会もたちゆかなるという切迫感は、まだ社会全体にあまり強く感じられません。

政府は、2020年までに指導的地位に女性が占める割合を30%程度に上げるという目標を掲げていますが(内閣府男女共同参画局)、実態は、企業における女性管理職比率は約10%で、そのうち部長担当職は3%しかありませんし、女性国会議員比率は11.3%です(厚労省・内閣府)。

女性はもっと活躍すべきだというのが私の考えです。仕事のうえで女性ならではの力が発揮されている実例を、これまで数多くみてきた経験があるからです。

第一に、女性は目標への貫徹力が非常に顕著です。女性はひたむきに脇目もふらずねばり強く、与えられた仕事に邁進します。これは、逆の見方をすれば視野狭窄に陥りがちで幅広い判断力に欠けるともなりましょうが、専門性を尊ぶ世界では、女性がもっと活躍して然るべきです。

第二に、女性はコミュニケーション能力にたけていて、華やかさがあります。女性が存在すればチーム・職場が活性化するのも、華やかさの所以のひとつです。しかも、女性ならではの、しなやかさ・細やかさ・繊細さを発揮して仕事を完遂します。

こうした女性の特性は、総合的にみて営業職に適するものです。女性の高学歴化が進み、男性営業職の補佐だけでなく、女性営業職自身が好成績を収めている例も多いのです。私が存じ上げている朝倉千恵子さん(株式会社新規開拓 社長)は営業職の指導・教育活動に活躍されていますが、営業こそ女性の適職であるというお話しをされています。

 

「女性が登用されない理由」

統計上、日本は諸外国に比べて女性活用が遅れています。文化や社会的背景の違いがありますから、数字だけを単純比較することはできませんが、組織の上層部の女性の人数が伸びないことを私たちは真剣に受け止め、これを克服する具体的な方策を考えなければならないでしょう。

重要ポストにつく女性が少ないことの第一の理由は、企業においては、女性経営者はもちろん、女性管理職を念頭においた採用がほぼ行われていないことです。これは、企業側の努力不足・認識不足、そして怠慢です。消費者の半数は女性であり、CS(顧客・消費者満足度)の観点から女性を意識した企業運営をすべきであるという当然の結論からすれば、女性経営者・女性管理職をイメージしない人事施策は、CSを無視するものです。これからは女性パワーがないと組織は活性化しません。女性の活用は、企業経営にとって極めて重要なことなのです。

第二に、パワフルな女性は組織で排除されやすい実態があります。エネルギッシュに仕事に没頭している男性は頼もしいと評価され次々と仕事が与えられるのに対して、女性の場合は「女性らしくない」と疎んじられます。残念ながら、この風潮は一朝一夕には改善されないでしょう。

第三に、女性は「好き嫌い」で仕事や人物を判断しがちであることが挙げられます。

第四に、女性の側の努力不足も挙げられます。女性の側に男性と対等に仕事をする意識が乏しいことも、女性が然るべき立場になれない原因です。専門職志向が強く管理職になりたがらない女性が多いという傾向もこの点を示すもので、「責任をとりたくない」と考える女性が多いと言われていますが、実は若年労働者には責任を忌避する傾向があり、女性にはそれがより強く浮き彫りにされるということではないでしょうか。女性の側もこの点を反省して大いに努力しなければなりません。

第五に、女性には財務感覚が欠けることが挙げられます。女性は概ね会計意識しかありません。会計・経理を超えた新たな知恵による計数管理ができてはじめて財務管理といえますが、女性は社会的にどうしても劣勢であるがゆえに、財務面での創意工夫が不得手な傾向があります。

 

「女性活用の具体化を」

女性の活躍を促進する制度として、一定割合の女性の確保を法的に定める方策(クオータ制)等もありますが、こうした環境整備を待っていては、女性経営者・女性管理職の育成は実現できません。環境整備を乗り越える経営者の姿勢が必要なのです。

ここに、私のいくつかの実行例のなかから2点ほど紹介します。私の事務所では実力主義を徹底し、管理職は女性も男性も区別なく取り扱い、能力のある者を優遇しています。事態を立体的にバランスよくコントロールできない者・相手の心を読めない者は、男女に関係なく管理職として役に立ちません。また、永守重信氏(日本電産㈱社長)の言による「築城3年、落城3時間」のスピード社会への現実的適応能力があることも不可欠な資質です。女性のほうが男性に比べてはるかにスピード感覚があります。また、私は女性の育成概念として、ある業務の担当者が3人であれば、女性を必ずひとり入れることを自らのルールとしています。そうすることによって女性の活用が具体化するからです。もちろん将来は一対一の比率を目標にしています。

こうした工夫を経営者側が積極的に行わなければ、女性の育成は実現できません。これからは、男女の違いを踏まえた職務分担が自ずと行われることはそれはそれとして、あえて女性を登用するという経営者の姿勢が重要になってくると思います。

 

 

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2015年9月26日(土)11:29 軽井沢町長倉727にてホトトギスを撮影
花言葉:「秘めた意志」

 

 

7月24日(金)から、2011年5月~2012年4月にかけて、計12回、『月刊公論』(財界通信社)にて私が連載いたしました「高井伸夫のリーダーの条件」を転載しています。 

私の半世紀にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、リーダーのあり方について述べた連載です。 

これからは、自分一人の信念で周囲をひっぱっていくというリーダーの時代ではありません。優れたリーダーには必ず、”股肱(ここう)の臣、頼れる参謀”が付いているものです。もはや”孤高の人”では、リーダーにはなり得ないのです。 

ブログ読者の皆さまに、現代におけるリーダーシップ論を考えていただく一助となれば幸いです。

 

 

異業種の多様な人との交流の重要性
飛躍的思想こそ新規事業のカギ
(『月刊公論』2011年11月号より転載) 

 

法律家はひとつひとつの具体的事実を積み上げ、分析・検討し、法的な結論を出します。ただ、ときにまったく異なる角度からの視点や考え方が一挙に物事を解決に向かわせることもあります。これは企業経営においても同様で、経営者・リーダーの飛躍的思考が、企業に成長と発展をもたらすことに留意すべきです。

 

「本業回帰の陥穽からの脱出」

ひところ、「本業回帰」ということが盛んに言われた時代がありましたが、私が1993年5月から2007年7月まで毎月出講し続けた「社長フォーラム」の講義録を見てみますと、1999年5月26日開催分において、私は「本業回帰は決して日本の発展のためになるものではない」と明言しています。それから12年後のいま、この考え方に一層確信を深めています。

本業回帰という言葉には、善解すれば、基本に立ち戻るという意味が込められているのかもしれませんが、単に本業に戻るだけでは、企業は萎縮経営となり発展性は見込めません。

発展とは変貌することであり、成長とは変わることですが、自分にとってよく知る世界、手慣れた仕事である本業回帰だけをメーンテーマとしていては、何も変わらず、成長も発展もありません。

人が日々成長し続ける存在であるべきことと同様に、社会の構成員である企業もまた、成長し発展しなければならないと思います。社会が激しく変遷するなかで、企業も変わらなければ、社会から取り残された存在になってしまいます。それが、新規事業を興さなければならない理由なのです。

日本の経済はまさに斜陽化しています。そして、この事態を招いたのは、本業回帰という誤った方向性を示した経済界にこそ、責任があるのではないかと私は思います。

主に国内市場を念頭に置けばよかった時代が過ぎ去ったいま、企業がグローバルな社会で生き残り、さらには発展を遂げるためには、本業だけに固執していてはならず、新たな事業にチャレンジすることがどうしても必要になってきます。

この新たなチャレンジにあたっては、本業を土台として、そこから飛躍する事業を展開するというスタイルを貫くことが肝要です。新規かつ独自の事業を構想するためには、既存の事業の単なる延長線上の発展策では独自性を発揮できず、競争力の強化となる保障はありません。

その一方で、本業と突拍子もなくかけ離れた分野の事業に取り組むことは、長年にわたり蓄積してきた本業の力を無駄にすることになります。つまり、本業のノウハウを効果的に活用し、そこから意味のある飛躍をすることが、企業のリーダーには求められているのです。

単なる本業回帰ではなく新しい事業を興すには、まさに経営力が必要になりますが、この経営力の本質とは何でしょうか。それは、目標と時間軸を設定して具体的に明示すること、つまり方向性を明らかにすることです。このことが、実は社員を糾合するにあたって一番大きな決め手となります。

経営者・リーダーの目標設定能力は、利益を生む金の落ちているところを見極める嗅覚を伴うものでなければならないことはもちろんですが、それだけでなく、先見性にあふれたものでなければなりませんし、また、将来の夢を語るものであってほしいものです。経営者・リーダーが夢を語るとき、社員の心はやる気に満ちて、強く結束できるからです。

こうした的確な目標設定に裏付けられた新規事業への飛躍を実現するためは、一見したところ無関係にみえるようなヒト、モノ、カネ、そしてテーマなどをうまく結びつけて、アイデアを生み出すひらめきを持つことが必要になります。このひらめきの根源になるのが、資質や専門の異なる人々との交流です。

ビジネスの手掛かりを見出すための異業種交流会は、20~30年前より盛んに行われていますが、これからはより進んで、共同開発・共同研究といったレベルまで押し上げ、さらには共創(きょうそう)=共に創る=という意識までも持つことが必要になると思います。

また、社外取締役を採用する場合にも、むしろ企業経営者以外の人を積極的に社外取締役として迎える必要があるということも重要です。企業活動についてあまりにも無知や無理解な人材であってはなりませんが、企業の発展を目指すのであれば、やはり、発想の違う人、違う世界で生きてきた人を迎えるべきであると思います。

 

「グローバル化のなかの多様性」

ダイバーシティ(diversity・多様性)という概念は米国から入ってきたもので、10年ほど前より日本でも聞かれるようになりましたが、いまではかなり浸透していると思います。

ダイバーシティは、もともとは米国の公民権運動の流れで、人種・性別・年齢・国籍等の差別なく多様な従業員を活用すべきであるという「機会均等」の趣旨で提唱されました。

しかし、実際に多様な構成員のグループのほうがより創造的な成果を出し、企業に利益をもたらすことから、米国では以前より経営戦略のひとつとされています。つまり、異なる資質を持つ多様な人材が集まって共同で業務をおこなえば、新しい質的変化と飛躍と成長が見られることが、実務のうえでも実証されているのです。

では、どのような資質の異なる者を交流させて成長・発展につなげるかということになりますが、いまの時代に一番大切なことはグローバル化ですから、まずは、異なる民族・国籍の人材を融合すべきことになります。そうすることによって、日本人だけで物事を考えると同質性の思考しか生まれないという弊害を、除去するのです。

このように、グローバル化のなかでは、人事管理上も、異なる思考を可能にしていかなければならない要請が生まれてきています。つまり、日本ではグローバル企業しか将来性がないといってもよいでしょう。

現に、新卒採用でも外国人を採用する動きが急速に増えています。3年以内に新卒採用の8割を外国人にするというファーストリティリング(ユニクロ)、来年の新卒採用の約3割を外国人にする楽天は、その代表例です。

株式会社リクルート・柏木斉社長によれば、海外から新卒を採用する日本企業は「圧倒的に増え一年前から様変わりした」といいますが(2011年8月31日付日本経済新聞「人こと」)、前年に比べ大幅に伸びており、今後も継続する見通しであるとのことです。

先見性のあるグローバル企業で既に行われているこうした人材の現地化及び民族・国籍の多様化は、これからどの企業でも取り組むべき第一の課題になるといえるでしょう。

 

「多様な世代、専門家との交流」

人材のダイバーシティの実現に向けたもうひとつの方途・視点は、組織内の世代間の交流です。年金支給年齢が引き上げられることに伴い、企業は早晩70歳定年に対応せざるを得なくなるでしょう。そうなれば、企業には親子の世代格差にとどまらず、三世代が存在することになりますから、意識的に世代間交流を進めなければならないことになります。

また、経営や事業体の運営を社会の動きに合わせるためには、若い人の感覚を探り、若い人の思いを知り、若い人の意見を聴くことが重要になってきます。社会の変化を知るために、若い人のセンスに学ぶのです。

そして、その若い人の意見を集約して事業展開をしている異業種の方の意見をよく聞いて、自らの事業経営・事業運営のあり方との違いを見て、そこから新しい発想を得ることも必要ですし、さらには、専門に勉強している学者・研究者に学ぶことも重要になります。

学者は専門分野に特化して学んでいますから、当然のことながら、一般の経営者よりはるかに先進的な知識を身につけています。その先進的知識を自らの経営と事業運営のデータ・知識・知恵と掛け合わせて、新しい知恵を構築することが経営者の務めなのです。

 

 

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左上から時計回りに 
2015年8月16日(日)14:49 諏訪坂にて百日紅を撮影 花言葉:「雄弁、愛嬌」
2015年8月23日(日) 千代田区丸の内1にてカリオプテリスを撮影 花言葉:「悩み」
2015年9月26日(土) 軽井沢町長倉727にてコスモスを撮影 花言葉:「優美」 

 

 

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2015年9月28日(月)8:00 中目黒公園にてセンニチコウを撮影しました。
鮮やかに咲き誇る夏の花に比べると、色のせいか、
秋の花は寂しげなものが多いように思います。
淡い日差しの下で見る花々は、秋の情緒を感じさせてくれます。 

 

 

7月24日(金)から、2011年5月~2012年4月にかけて、計12回、『月刊公論』(財界通信社)にて私が連載いたしました「高井伸夫のリーダーの条件」を転載しています。 

私の半世紀にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、リーダーのあり方について述べた連載です。 

これからは、自分一人の信念で周囲をひっぱっていくというリーダーの時代ではありません。優れたリーダーには必ず、”股肱(ここう)の臣、頼れる参謀”が付いているものです。もはや”孤高の人”では、リーダーにはなり得ないのです。 

ブログ読者の皆さまに、現代におけるリーダーシップ論を考えていただく一助となれば幸いです。

 

 

求められるスピード、革新者たる能力
「すぐやる」を企業内で徹底
(『月刊公論』2011年10月号より転載) 

 

インターネットの普及・定着は、経営のスピードを急加速させ、世界を一挙に狭くしました。このなかで、リーダーは複雑な連立方程式をより俊敏に解くことが迫られるわけですから、独力ですべてをこなすことは不可能です。企業が生き抜くために、リーダーにはこれまで以上に人格が求められているといえるでしょう。

 

「迅速・スピード・時間」

千葉県松戸市役所に「すぐやる課」ができたのは、1969年(昭和44年)、今から42年前です。同課は、当時の松本清市長が唱えた「すぐやらなければならないもので、すぐやり得るものは、すぐにやります」という精神のもと、立ち上げられたそうです(松戸市ホームページより)。このとき既にドラッグストア「マツモトキヨシ」を創業していた実業家としての松本氏の目には、行政のスピードの遅さは致命的欠陥であると映ったのでしょう。

いまの社会のスピードは、そのときとは比べようもなく加速しています。この42年間で空と陸の交通網が格段に充実したことはもちろんですが、なんといっても、ここ15年間ほどのITのめざましい進歩=インターネットの普及は、変化の速度をまったく質的に変化させました。

1990年代後半には、「アジル経営」(俊敏性が競争力の源泉であると考える経営)、「ドッグ・イヤー」(犬の1年は人間の7年に相当する)、「マウス・イヤー」(ネズミの1年は人間の18年に相当する)のように、経営の速度にまつわる言葉も登場しました。社会のスピードは、加速化の一途をたどっているのです。

ちょうどその頃から、日本経済は斜陽化し続けたままの状態です(いわゆる金融ビッグバンが始まったのも1996年のことで、金融自由化が進みました)。それは、勝てることが保障されない社会であって、いまは生き残るだけでなく、生き抜くことが必要な時代となっています。こうしたなかで、企業が生き残り、生き抜くためには、迅速性・スピードを旨とし、経営は時間の勝負であることを意識して行動しなければなりません。

競争に勝ち抜くには、他に先んじて、新商品・新サービスを提供し、消費者の利便性を高めることに注力することが必要です。企業間には、品質確保や低価格化をめぐる競争もありますが、実は、社会の変化に的確に対応する開発スピード、そして、新たなビジネスモデルの策定こそが、競争の中核といえるでしょう。変化に対応する者だけが生き残るという格言を実行するには、スピード勝負しかないといっても過言ではないと思います。

私たち弁護士の世界でも、「あとでやる」という姿勢では、生き残れない時代になっています。何事にもスピードが尊ばれる社会的状況があることに加えて、弁護士数が増えているのですから、依頼者は悠長に待ってくれません。仕事の遅い弁護士を切り捨て、他の弁護士を選ぶことになります。午前中に依頼された相談に、午後に対応すればよいという姿勢では話にならないのです。「いますぐやる」という姿勢が、依頼者をいらだたせないすなわち安堵させるために必要であり、それは弁護士としての信用に大きく関わってきます。信用の有無は、弁護士に限らず、すべての職業にとって生命線なのです。

 

「社長の資質・能力」

製品の品質を競う時代から、人材の質・能力を競う時代に変わってきたということを、私は12~13年前から述べています。これは、ちょうど前述のITの急激な進展に代表されるような社会のソフト化に伴い、頭脳の能力格差が、人材の決定的な格差として強く意識され始めた時期でもあります。質の良い人材を集め確保し、彼らに気持ちよく働いてもらえる組織を構築することが社長の役割であると、それまで以上に強く社会的に認識され始めたのです。

企業のスピードの実現は、優秀な社員のやる気、チャレンジ精神にかかっていることは確かですが、実は、最も問われるべきは社長自身の資質・能力であることを、敢えてここで強調したいと思います。社長は、単にやる気や積極性があるだけでは不十分です。社長は、物事を迅速に、しかも的確に処理する能力を持ち、さらには、新商品・新サービスの開発にひたむきに取り組み、新しい世界を打ち立てる構想力を持ち、そして何よりも人間的魅力を有していることが必要なのです。社長の人間性自体が、企業活動において問われている時代であり、良心をもって実行することが全ての経営者に必要です。極めて難しいことですが、意識的に良心を磨きあげ、社会の変化を鋭く察知して対処することこそが、社長に必要な心構えといえるのです。

現在は、より高品質の製品・サービスを、消費者により迅速に提供することが企業に求められていますから、全社員が、社長のリーダーシップのもと、全力をあげて一心不乱に、全身全霊で取り組む姿勢が必要な時代になってきています。品質が良いのは当然であり、それをいかに速く提供できるかということが主たるテーマになっているのです。

社長の資質・能力として何が一番に問われるかといえば、やはり「チャレンジ精神」でしょう。それは、勇気をもって経営にあたるということです。たとえば、新しい製品・サービスの開発を実行に移すには不安もあるでしょう。しかし、その不安に打ち勝たなければならないのです。よく検討し、分析し、勇気をもって実行に移すことが必要です。それには先見力が必要ですし、また、実行力が必要であることはいうまでもありません。そして、先見力は洞察力であり、実行力は、困難という壁を乗りこえて新しい事態を招く精神力ということになるでしょう。

 

「ヒト・モノ・カネ・信用・情報・組織」=企業の6大要素

社長の資質・能力として、勇気と先見力と実行力を挙げましたが、これらはいったいどの領域で発揮されるべきものでしょうか。かつて、企業の三大要素は「ヒト・モノ・カネ」といわれていましたが、いまではこれらに「信用」「情報」そして「組織」を加える必要がでてきています。社長の目配りは、「ヒト・モノ・カネ・信用・情報・組織」の全般について、なされなければならないのです。これらが革新的であるように、絶えざるイノベーションが行われなければ企業は生き残れない時代なのです。

企業の6大要素のうち、情報・組織が経営資源として重要である所以を少し述べましょう(ヒト・モノ・カネ・信用は一般によく言われますので、語るまでもありません)。

まず、情報を得ることは、先見力なり実行力を発揮する端緒です。情報を得てこそ、ヒトもモノもカネも信用も活かすことができます。情報がなければ人間は先見力を発揮できないし、更には実行力も機能しません。情報とは、要は人より先に物事を知るということで、アンテナを張り続けているということです。それは当該事業の専門情報だけではなく、無用の用として、さまざまな社会的情報に接する機会が必要です。異業種交流という世界は随分以前からありますが、これからの複雑な社会では、情報を得るためのコミュニティ作りが必要になります。共同開発・共同研究、更には共創(共に創る)という世界は、情報があって、初めて可能になります。いまは自分ひとりの力だけでは生きることのできない時代になっているがゆえに、一層情報が必要なのです。

次に、組織については、企業内外のいずれの場合でも、これからはすべてを独力で成し遂げようとせず、他者・他社との協力関係を重視する必要が出てきます。これを私は、新しい共同体思想・コミュニティ思想と位置づけています。スピードが重視され、課題が複雑化した社会にあっては、企業間の連携・提携・事業統合さらにはM&A等を明確に念頭に置いている企業ほど、生き抜く力が強いということになると思います。現状を見れば、こうした絆を築くためには、結局は経営者同士の信頼が極めて肝要であるという結論に達します。つまり社長は、企業の信用と信頼の根源となるべく、人格を磨き上げ、組織の革新者として機能しなければならないということなのです。

 

 

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2015年8月22日(日)7:07 千代田区丸の内1にてルリマツリを撮影
花言葉:「ひそかな情熱」

 

 

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2015年9月26日(土)、折々の花を撮影することを目的の一端として軽井沢を訪れました。
軽井沢はすっかり秋模様で、上の写真のシュウメイギクを始め
コスモスやホトトギスなど秋の花が咲き乱れていました。
軽井沢の涼しい空気と草花などの自然に触れることで、
季節の移り変わりを肌で感じることができ、大変心地好い1日となりました。

 

 

7月24日(金)から、2011年5月~2012年4月にかけて、計12回、『月刊公論』(財界通信社)にて私が連載いたしました「高井伸夫のリーダーの条件」を転載しています。 

私の半世紀にわたる経営側の人事・労務問題の専門弁護士としての経験もふまえ、リーダーのあり方について述べた連載です。 

これからは、自分一人の信念で周囲をひっぱっていくというリーダーの時代ではありません。優れたリーダーには必ず、”股肱(ここう)の臣、頼れる参謀”が付いているものです。もはや”孤高の人”では、リーダーにはなり得ないのです。 

ブログ読者の皆さまに、現代におけるリーダーシップ論を考えていただく一助となれば幸いです。

 

『気』がある人こそリーダーになれる
経営の推進力は「気」の発する迫力が生み出す
(『月刊公論』2011年9月号より転載) 


私たちは、宇宙では吹けば飛ぶような儚(はかな)い存在です。誕生して46億年になる宇宙は、この先なお膨張し続け50億年後には雲散霧消するといいます。宇宙がたどる「誕生」「成長」「成熟」「枯れる」「たそがれ」「終焉」から、そこに生きる生命体である私たちも、逃れることはできません。だからこそ、生ある限り精一杯エネルギーを使って「気」を発し、社会に貢献しなければならないのです。2人で「あうんの呼吸」で協調作業をしているときには脳内活動が一致しているという記事がありましたが(2011年7月20日付日経新聞)、これも互いに気を合わせた結果でしょう。目に見えないものの重要性をリーダーは直感すべきです。

 

「気の時代」

「気」という言葉を聞いて、ピンとくる人、何も感じない人、頭から拒絶反応を示す人、さまざまだと思います。私は、これまでの50年間の弁護士としての仕事の体験や多種多様な方々とのお付き合いの経験から、人生にとっても、そして仕事・経営にとっても、「気」への共感と理解が極めて重要であると思っています。心のありようを重視すべきである「心の経営」の次には、「気の経営」が求められるのです。経営者には、「気」の存在自体を疑う人も多いようですが、「やる気」「人気」「活気」の3要素が企業経営の血液であるといえば、実感をもってわかっていただけるはずです。

第1に「やる気」とは、人にいわれなくても自分で仕事を作る積極的な姿勢をいいます。あなたの会社では、10人中何人が、やる気のある人でしょうか。1人なら普通、2人ならまあまあ、3人なら優良企業です。この3割を確保するために、常にチェックを怠らないことが必要です。やる気を刺激するには、朝礼など全員が揃うところでほめる・顕彰する等のちょっとした工夫が効果的です。

第2に「人気」とは具体的には、会社に名物商品があるか、名物社員がいるかということです。小売業であれば、本部の推薦ではなくあくまでも現場の意見として、ジャンル別に売れ筋・名物商品をリストアップさせ、なければまず1個つくる。このリストを絶えず更新しながら当初の3倍にまでなったら、立派な名物商品のできあがりです。名物社員については、清掃が上手な人、万引きの摘発のうまい人など、どのような分野でもよいから余人をもって代え難い人物をリストアップします。そして、それらの人物について、第三者の意見を聞いてみます。こうした経緯のなかで、皆が名物商品・名物社員を意識し始めたら、組織は活性化の端緒をつかんだといえます。

第3に「活気」は、組織のリーダーがプラス思考であることから生まれるものです。リーダーは、できないことや言い訳を並べるのではなく、自分たちができることを課題にして、組織全体に高揚感を与えて、鼓舞する責任を負っています。

このように、「気」を忘れた経営はあり得ません。社長自身が「気」を持っていなければなりませんし、それは一種のオーラやカリスマ性にもつながっていきます。エネルギーを伝播させる力のある人、すなわち迫力のある人が社長なり管理職にならなければ、組織は活力を得られません。経営において物事を推し進める原動力は、「気」から発せられる迫力しかないのです。

 

「信用・人脈・情熱」

人間は社会的存在であって(アリストテレス)、独りでは生きていくことはできません。別の見方をすれば、人間は、生来的に社会のなかで生きることが運命づけられているといってもよいでしょう。

そうなると、私たちにとっては、気が合う同僚や志を同じくする仲間の存在が、絶対に必要になります。そして、志をより具体的に表現すれば、「同じ意図・目的」であり、これが紐帯となって人の集合体は「組織」となるのです。このような人と人との結びつきを生じさせる要素を因数分解すると、どうなるでしょうか。私は、「信用」と「人脈」と「情熱」であると思います。経営強化に必要な3要素は何かと問われれば、私は躊躇なくこれらを挙げます。

「信用」「人脈」「情熱」は、個人が発展的に活動するための要素であると同時に、個々の構成員、組織全体の起爆剤でもあります。対外的にも組織内でも信用されるように、そして、良い人脈を形成できるように、さらには情熱を発揮できるようにということを目標に掲げて、互いに切磋琢磨することが重要なのです。

第1に「信用」とは、「人の言を用いる」と書くように、言がなければ信は生まれません。言葉には「気」の力がこもっていますから、重要なのは、プラス思考を生み出す前向きで未来志向の言であるべきことです。そして、言を実現することによって信頼を生み、その言を成して実らせる=誠実に至ることが大切です。

第2に「人脈」は、淡くとも信頼関係に基づくものです。ここで留意しておきたいことは「人脈定年」です。同年代の人との限られた交流であると、歳を重ねるにしたがい友人・知人が少なくなってきます。若い人と付き合うことも必要ですが、単なる友達づきあいでは年長者はうるさがられるだけです。年長者は、若い人から尊敬と人望をもたれなければ人脈として形成されません。

第3に「情熱」は、とにかく人一倍勉強することです。新しいものをつかむために、社長自ら身体をはって朝から夜遅くまで働くだけでなく、新しい知識・トレンドを吸収するようにし、かつ、社長自身の知恵を発揮できる場面を作ることです。

ところで、私が強調している言葉のひとつに、「事業戦略は、人事・採用戦略に宿る」というものがあります。これは、人事が経営の基本方針を踏まえていなければならないことを端的に示したものですが、いまを「人事の時代」と呼ぶなら、「信用」「人脈」「情熱」の3要素は、人事の時代にあって、人物の優秀さを判断する基準として考慮すべきものでもあります。要するに、これからの企業においては、「信用」「人脈」「情熱」という要素においてすら、実力主義を如何なく発揮することが求められているのです。

 

「実力主義と組織性」

年功序列・終身雇用制を旨としてきた日本企業において、成果主義が採用されはじめたのは1990年代後半のことです。組織が実力主義・成果主義になればなるほど、組織の一体感はうすれ、組織性は失われます。

私は、こうした事態を、わかりやすく「そば粉」と「つなぎ」の例に置き換えてお話ししています。個として能力の高い社員を「そば粉社員」、調整活動だけに携わる社員を「つなぎ社員」と呼ぶなら、実力主義のもとでは、そば粉社員が評価されますが、そば粉社員が多くなればなるほど、そして、つなぎ社員が少なくなればなるほど、組織にはきしみが生じてしまうのです。自らの力を過信して、同僚や上司や組織を無視する悪しき個人主義の跋扈が、その典型です。こうした組織のきしみを克服するには、リーダーは、組織性を維持することに敢えて腐心しなければならないのです。

このとき第一に考えなければならないのは、組織の本質は一丸になること、すなわち「助け合い」「互助」にあるということです。そして互助を実行させるためには、誰のもとで仕事をするかを明確に定め(互助の体系化・制度化)、ルール違反には懲罰があることを示すことが重要です(互助の規範化)。

互助をささえる連帯心を刺激するための実践策は、経営者自らが社員と「目を合わせる」(アイコンタクト)ことから始まります。そして、挨拶の励行です。「おはようございます」「ご苦労様です」「お疲れさま」「行ってらっしゃい」「ただいま」など、日常当然なされるべき挨拶が、コンピューター万能の社会ではおろそかになっています。挨拶がなければ人間的な結合や信頼関係は生まれません(因みに、「挨」と「拶」の漢字は、どちらも、くっつく、ぎりぎりに近づくという意味です)。

なお、実力主義の時代にも組織性を維持するための方策として、実力主義のどこに限界値を定めるかということも、経営者としては重要なことです。実力主義だけを貫徹すれば、企業の組織性は破壊されてしまいます。そこで、経営者としては、年功序列的な要素も一定の範囲で容認しなければならないのです。ただ、その按配は、ひとえに経営者の手腕・力量にかかっています。

 

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