2015年6月アーカイブ

第6回 高井先生言行手控え

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2015年5月17日(日)15:20
東京都千代田区清水谷公園にてガザニアを撮影
花言葉:「豪華」「栄光」 

 

 

築地双六館館長
公益社団法人全国求人情報協会 常務理事
吉田 修

 


■詞は飛び書は残る

 

前回まで、1989年に行われた髙井先生のご講演「就職情報誌の現状と今後のあり方」からそのポイントを抜粋してご紹介してきました。髙井先生のお言葉には、求人情報提供事業の本質と果たすべき社会的役割について、厳しくも期待感に溢れた強いメッセージが込められています。現在、このご講演を記憶しているオーディエンスは殆どいないでしょう。

髙井先生は艱難辛苦の日々を忘れやすい凡夫のことを見通しておられ、7回にわたる講演を講演録としてまとめるよう当初からご指示がありました。先生がよくおっしゃる「詞は飛び、書は残る」の通りです。その結果、四半世経った今でも色褪せることのないコンテンツをネットを通じて広く共有できるようになりました。

 

 


■第一次「就職情報誌(求人メディア)の法規制」問題

本論とかけ離れない範囲で述べておかなければならないことがあります。それは、就職情報誌(求人メディア)の法規制」問題です。1980年台は、若年層の求人難時代を迎え、多くの求人情報誌紙が創刊されました。同時に、求人広告への苦情も増加し、社会問題化してきました。求人情報ビジネスを非難するマスコミ報道も見受けられるようになりました。

このような社会情勢の中で、1985年に社団法人全国求人情報誌協会(全求協)が設立されました。高井弁護士の指導により、協会設立から読者の苦情相談窓口の設置、倫理綱領・掲載基準の採択まで、わずか9箇月で行っています。業界の緊張感と切迫感が伝わってきます。これが求人広告の自主規制のはじまりです。一方で有効求人倍率は、1987年0.7倍、88年1.01倍、89年1.25倍、90年1.4倍、91年1.4倍・・・と急上昇を続けていました。求人広告件数は増え続け、苦情も増えるというスケールデメリットが生じ、遂には、1989年9月に堀内労働大臣が「就職情報誌の法規制について、労働省内で研究を進めており、この問題にはしっかりした対応が必要だ」との発言がありました。自主規制路線を必死で歩んできた全求協の危機感はピークに達しました。

 


■職安局長通達により、法規制でなく、自主規制に

この求人情報誌の法規制問題については、1990年11月に労働省が中央職業安定審議会に民間労働力需給制度小委員会(民需小委)」を設置し、検討を開始しました。1991年1月には、同委員会は全求協をはじめとする民間の求人情報提供事業者団体のヒアリングを行い、全求協は「自主規制が実効を上げており、法規制は不要である」旨の意見要望書を提出しました。その後、時間をかけて審議検討が行われ、1989年9月の堀内労働大臣の上記発言から6年後の1995年8月に労働省職業安定局長通達により、求人広告は法規制ではなく自主規制を継続していくことが確定しました。今日にも生きる重要な通達ですので、ここに全文を掲載いたします。

 

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平成7年8月 労働省職業安定局長通達「文書募集を行う事業主に対する適正化指導等について」(全文)

 

先の見出しに、“第一次” 「就職情報誌(求人メディア)の法規制」問題としたのは理由があります。今日、“第二次”ともいうべき法規制問題が出来(しゅったい)しているからである。この問題については改めて述べる機会があろうかと思います。

 

(つづく)

 

 

 

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2015年5月12日(火)東京都目黒区中目黒公園にてバラを撮影
花言葉:「温かい心」「かわいい人」

 

 

 

6月12日(金)より、『Lawyer’s MAGAZINE(ロイヤーズマガジン)』2011年7月号に掲載された私のインタビュー記事<巻頭特集「Human History 弁護士の肖像」>を転載しています。

 

このインタビュー記事のなかで、私は、これまでの弁護士人生を振り返り、二人の恩師、新人時代からの血沸き肉躍る労使紛争を経て学び取った信条、現代リーダーシップ論、そして、若手法曹への助言などの一端について述べております。

 

この記事をお読みいただければ、各位の中には、同時代人として生きられた当時の喜びや悩みを感慨深く思い出される方、あるいは、これから待ち受ける極めて困難な時代への心構えとして活かしていただける方がいらっしゃるのではないかと考えています。6月12日(金)分よりお読みいただければと思います。

 

 

 

人事・労務分野の第一人者として

 

1973年に独立し、事務所を構えた。”反対尋問の名人”の面目躍如となったのは、ニチバン事件(※11)のときだ。
※11 1977年、東証一部上場企業・ニチバンの再建を、大鵬薬品工業社長・小林幸雄氏が引き受け、人件費圧縮とともに年間労働時間の延長策を採用したことに端を発した一連の裁判。

 

「経営危機に直面したニチバンの再建にあたり、人件費の圧縮に加えて年間労働時間を1865時間から2136時間に延長するという抜本的施策が採用されることになりました。私は、この労働時間問題などに関する裁判を多数引き受けたわけです。当時の合化労連ニチバン労働組合・佐藤功一委員長に対する反対尋問は30回以上に及びました。数年間にわたり、同じ命題を巡って私が質問し、佐藤氏が答えるというやりとり。佐藤氏は非常にまじめな方で、誠実に取り組んでおられた。ドラマのように次々と展開した尋問が、大変印象に残っています。裁判では負け続けたものの、その間、『倒産回避。会社再建のために』と社員の労働意欲は高揚し、体質改善が進展。社員の大半が『労働時間の延長策などの施策が会社再建にとって必要不可欠な処置である』という理解に達しました。東京地裁の裁判官は、『もとより、当裁判所は、債務者の積極的な経営政策をそれ自体として批判するものではなく、また、本件勤務時間延長実施の前後を通じて相当数の従業員が債務者の経営方針の転換、経営政策の積極化に協力的な機運を醸成していた、との債務者の主張を否定し去るものではない』とお褒めの言葉をいただきました。結果的に、会社再建に成功したということです」

 

また、青山学院大学の「恩給事件」は、人事・労務問題の専門弁護士として、深く印象に残るという。

 

「私は所長として経営者の立場にありましたが、同校の『恩給廃止の問題』については、自分で意見書を書きました。はじめは新しく入る教職員のみ恩給を廃止しようとしたのですが、それだけでは掛け金を払う人が少なくなり、受給者だけが増えていくことになる。すると大学は200億円を超える損金を計上せざるを得なくなる。そこで、恩給制度そのものを廃止することにしたのです。その決断後、しばらくたってから世の中で企業年金問題が起き始めました。私は、そのハシリの案件を担当したことになるわけで、先駆を成して企業年金問題に取り組み、裁判にならず恩給制度廃止を実現したということが、大変うれしいことでした。これは、大木金次郎先生という大人物が当時の理事長だったからこそ、解決できた問題だったろうと思います」

 

“会社側に立つ労働弁護士”は、それが企業であれ学校であれ、経営のトップと直接やりとりする立場にあり、事業体の存亡をかけて経営陣とともに歩む存在だ。そうした状況下では、”全人格”でぶつかってくる弁護士にこそ、経営者は信頼を置くものだろう。

 

また、法廷で対峙(たいじ)した弁護士の多くが、「髙井先生とは、どうもやりにくい。なにやら哲学的なことを持ち出してくるから」と苦笑いするらしい。

 

「小手先の論理を弄(ろう)し、上っ面だけで、裁判あるいは議論を終わらせないためには、人生観、社会観、すなわち哲学を持たなければならない。哲学とは、”人間愛”が根本ではないかと、私は思っている」と髙井氏。―労働問題は人格性の問題。人の心が読めなければ成功は望めない―人事・労務問題の専門弁護士として、何百社もの経営トップとタッグを組んできた髙井氏ならではの言葉である。

 

30年ほど前、髙井氏が「労働事件の特色とは」というインタビューに答えた内容(※12)を紹介しておく。
※12 『弁護士という職業』河合弘之著(三一書房・1982年5月初版発行)より引用。

 

「労働事件は永久闘争ではない。経営者も労働者もその企業の中で人格を実現・発展させ、その企業によって生活を確保する。どこかで労使紛争は解決しなければならない。そこが、金を取ってしまえば終わりという民事、商事の事件と違うところだ。相手をたたき殺す必要はなく、それはむしろしてはならないことである。訴訟に全力を尽くす中で正しい和解の機運を醸成しなくてはならない、これが労働事件の特色だ/労使は相容れない不倶戴天の敵といった考えは、こちらが包容力を持って接すれば氷解する(一部要約)」

 

また、信条を問われて「天下の大道を歩む。小細工は弄さない/経営には、論理と倫理がある。そこで働く労働者全体への責任がある。だから経営者およびその弁護士である経営法曹は大道を歩まなければならない。私は絶対に偽証をさせないし、訴訟で全力を尽くしたあとで和解の機会が熟せば、依頼者を強力に説得もする(一部要約)」と述べた。

 

「労働事件の捉え方も信条も、何十年たとうと骨子は変わりません。これは私の弁護士人生で一貫した考え方なのです。私はただ、30年かけてその骨子に枝葉をつけ、少しばかりの花を咲かせ、実をならせてきたに過ぎないと、当時のインタビュー内容を読み返し、あらためて感じています。思えば、これまでには反省することも多々ありましたが、私は、何事も常に真摯(しんし)に取り組むように努めてきました」

 

事務所を起こしてから常時30件以上の労働事件を抱え続け、1000件以上ものリストラ案件に携わってきたといわれる高井氏。2005年に東京地裁で和解が成立した日本無線の地位確認等請求事件(※13)において、2004年12月「僕が証人尋問できる時代は終わった。これが最後だから」と依頼者にことわりを入れて、法廷に立ったという。
※13 2004年に提訴。2005年3月に和解成立。

 

この最後の反対尋問と相前後して、高井氏の関心は本格的に海外に向かっていった。1999年に上海、2006年に北京で事務所を開設(※14)、中国進出を図ったのである。
※14 上海代表処、北京代表処。

 

「”人治主義”から”法治主義”への方向転換を迫られる中国。その将来の発展性に魅力を感じた」と髙井氏。2010年には「弁護士としての第一線の活動に区切りをつけたい」と、岡芹健夫弁護士に所長を譲り会長に就任。現在は、主に執筆・講演活動を通じ、経営者や働く人々に向けたメッセージを送っている。

 

続く

 

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2015年5月9日(土)11:45
長野県北佐久郡軽井沢町にてサクラソウを撮影
花言葉:「希望」「初恋」

 

 

2011年に刊行された『Lawyer’s MAGAZINE(ロイヤーズマガジン)』7月号の巻頭特集「Human History 弁護士の肖像」に、私のインタビュー記事が掲載されました。

このインタビュー記事のなかで、私は、これまでの弁護士人生を振り返り、二人の恩師、新人時代からの血沸き肉躍る労使紛争を経て学び取った信条、現代リーダーシップ論、そして、若手法曹への助言などの一端について述べております。

この記事をお読みいただければ、各位の中には、同時代人として生きられた当時の喜びや悩みを感慨深く思い出される方、あるいは、これから待ち受ける極めて困難な時代への心構えとして活かしていただける方がいらっしゃるのではないかと考え、ブログにも掲載することにいたしました。今回から3回にわけて転載します。

 

 

『Lawyer’s MAGAZINE(ロイヤーズマガジン)』2011年7月号
巻頭特集「Human History 弁護士の肖像」より転載

 

 

1960年代、高度経済成長期であったころ盛んだった労使紛争。この時会社側の弁護士として名を馳せたのが高井伸夫氏。高井氏は、近年の「弁護士ランキング(※1)」の労務部門でトップクラスにその名が挙がる。人事・労務問題専門弁護士の草分けであり、労働問題を入り口に経営改革・リストラ問題や経営者(リーダーシップ)論にもアプローチ、74歳の現在も精力的に活動を続ける高井氏の、“弁護士人生”を追った。
※1 「2009年に活躍した弁護士ランキング」日本経済新聞社。

 

弁護士人生の原点に二人の恩師あり

 

高井氏は1937年、名古屋市に生まれた。四人兄弟の長男で、幼いころは弟たちや近所の友だちと野山を駆け回る日々だったという。

「真夏には汗まみれになって野原でトンボを追い、木に登ってはセミをとり、冬は寒風にさらされて、霜柱を踏みながらたこ揚げもしました。疎開先の田んぼの用水路で、大きなカラス貝を取ったことも懐かしいですね」

教育熱心な両親の意向で、中学・高校は進学校へ入学した。

「私の父は、名古屋で弁護士をしておりました。いわゆるマチベンです。弁護士会活動に積極的で、後年は名古屋弁護士会(現:愛知県弁護士会)会長も務めました。その父の影響で、物心ついたときから弁護士以外の職業は選択肢になく、さほど迷うことなく東京大学へと進学したのです。大学では、旅行やマージャンもよくしました。私は一箇所にとどまるのが苦手で、ユネスコ研究会や、古曳正夫君や本林徹君も居た東京大学法律相談所に顔を出し、学生運動にも加わりました。講義は8割がたまじめに聞きましたが、決してガリ勉タイプではありませんでしたね。」

大学3年のとき、高井氏にとって、かけがえのない師との出会いがあった。

「来栖三郎先生(※2)というすばらしい先生の民法を受講し、その講義のレベルの高さ、思索の深さに大変な感銘を受けました。先生は多方面にわたる知識を駆使され、単なる法律学を超えて、人間観・人生観に及ぶ内容を、講義を通じて教えてくださいました。”労働の人格性(※3)”について学んだのも、来栖先生の講義でした。」
※ 2 民法解釈学で研究業績を残した法学者。東京大学名誉教授、日本学士院会員。戦後、親族法・相続法改正の起草委員を、我妻栄氏(日本民法学の第一人者)らと務めた。
※ 3 『契約法(法律学全集21)』(1974年9月初版)の「第六章 雇傭(412ページ以下)」参照。「人格と不可分に結びついている労働力」など。

 

大学卒業後、司法研修所を経て、孫田・高梨法律事務所へ入所。

「孫田秀春先生(※4)とのご縁は、父がきっかけです。私の父がドイツ留学を希望し、労働法を学びたいと、かつて先生のもとに書生として置いていただいたことがあったからです。父は当初、名古屋であとを継がせたかったのだと思います。しかし私は父の影響下を離れ、東京で弁護士をしてみたかった。そう父に話したところ妥協してくれて、『それなら小さくまとまるのではなく、立派な先生(孫田先生)に師事し、しっかり勉強すべき』と。そこで二代続けて孫田先生にお世話になることに。『弁護士になったからには何でもやる!』と考えていたのですが、孫田先生のもとでスタートしたことにより、おのずと労働事件に携わることが多くなり、労働法を学ぶ機会にも恵まれたというわけです。孫田先生は『労働法』という本を出されましたが、そこで説かれていた”労働の人格的価値”は、まさにかつて来栖先生の講義で学んだことでした。もともと、労働法に特別関心のなかった私が、人事・労務問題専門の弁護士としてこうして歩んでこられたのは、この二人の師のおかげなのです」
※4 法学者・弁護士。1924年、『労働法』という名称での講義を日本で初めて行った。我妻栄氏は義理の弟にあたる。

 

 

寝食を忘れて仕事に没頭した駆け出し時代

 

当時の孫田・高梨法律事務所は、「屋根裏部屋のような狭い場所でした」と髙井氏。しかし髙井氏が弁護士となった1960年代は、まさに高度経済成長期。組合運動もさかんな時期で、使用者側から事務所への依頼は、引きも切らずに押し寄せた。

「事務所に入り、出張の多いことにまず驚きました。各地方で、さまざまな労働事件があったのです。最初に担当したのは新日本窒素肥料(※5)の労使案件(※6)。相手は合化労連(※7)、指揮していたのは太田薫氏でした」
※ 5 1965年まで新日本窒素肥料(株)、1965年以降にチッソ(株)と改称。
※ 6 現・JNC(株)。高井氏が関与した事件の一つとして、新日本窒素肥料水俣工場配置転換事件:熊本地裁・1963年12月26日決定・労民集14巻6号1519ページ参照。
※ 7 合化労連=合成化学産業労働組合連合。太田薫氏は労働運動家。1950年に合化労連を結成。元日本労働組合総評議会議長。

 

団体交渉、ストライキ、ピケッティング……労使激突の渦中へ、文字通り飛び込んで行く日々だった。

「相手を説得し、納得のうえで合意させるためには、体を張るしか方法がなかった。もみくちゃになりながら、強大なピケを突破したことも何度もあります。現場へ行き、会社側の弁護士として現場を体感し、その実感を持って回答書を手直しし、想定問答を作る。机上だけでは仕事にならないと、新日本窒素肥料をはじめとする多くの労働事件で学びました」

また、東大闘争と並び学生運動の頂点たる日大紛争の収拾にも貢献。

「当時、全国各地の大学で学生紛争が見られましたが、日本大学での紛争が中でも大きく、弁護士だけで100人余りが関与していました。私に割り当てられたのは、コピー係。当時のコピー取りは”青焼き”といって、インクのアンモニア臭で目が痛くなるような地味で過酷な作業。それでも弁護団に加われたことがうれしかったですね。あるとき『理事学部長会があるので弁護団からも5~10人ほど出席せよ』と弁護団に要請があり、半ば人数あわせで私も呼ばれました。そこで私は末席ながら、日大の古田重二良会頭も居並ぶ中、『(この紛争を収束するには)理事は総退陣すべきである!』と発言したところ、古田氏はじめ理事たちは、当初ものすごく憤りましたが、最終的には古田氏ほか皆さんの信任を受け、大衆団交の回答書の作成が私に任されるに至ったわけです。そして、古田氏が私の書いた回答書を読み上げ、辞任して、この件は終結となりました。この日大紛争に関連し、”日本大学K専任講師事件(※8)”が起きました。その裁判で私は法廷に立ち、反対尋問を繰り返して勝ち抜きました。このときの反対尋問がすばらしかったと言って”反対尋問の名人”の呼び名を世間から頂戴しました(笑)」
※ 8 農獣医学部(当時)の専任講師を大学が不当解雇したとして起きた裁判:東京地裁・1976年1月28日判決。

 弁護士のイロハを学び、父の言葉どおり”小さくまとまらず”仕事ができたのは、孫田氏の指導、そして「たまたま携わった労働法・人事労務の仕事が天職であったからだろう」と髙井氏。

「孫田先生には生き方に通じることを教えていただいた。『石にも目がある(※9)』『尽くすべきは尽くす(※10)』という先生の言葉は、弁護士としての座右の銘です。当時の労働分野には血湧き肉躍る駆け引きがあり、経営の中枢に弁護士が関われるという、仕事がダイナミックで楽しい時代でした。寝食を忘れ、心血を注ぎ、ぎりぎりまで働くことで人は初めて自分の限界を知ることができます。その体験こそが、どんなに苦しくとも、仕事と真正面から向き合う契機となり、人間としての成長につながる。身を持ってそれを体験できた駆け出し時代でした」
※ 9 “硬い石でも弱い点、筋目を突けば割れる”の意。剣聖・塚原卜伝が剣術の極意を悟ったエピソードから。「似たような話は、藤沢周平の『隠し剣 秋風抄』にも出てきます。自分の手に余る大きな仕事もどこかに必ず目(弱点・筋目)がある。そこを狙い突破口を開けば良いということ」(高井氏)
※ 10 あらゆる努力をして最善の問題解決を図る。「人事を尽くして天命を待つ」と同義。

 

以来、弁護士キャリア約半世紀にならんとする現在まで、「元旦の午前6時半からその年の大みそかの午後10時まで、一日も休みなく働き続けてきた。2年半ほど前に耳に故障が起こるまではずっとそのペースでした」と髙井氏。「こんな弁護士は他にいないですよ!」と破顔する。

 

続く

 

 

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2015年5月9日(土)12:30
長野県北佐久郡軽井沢町にてヤエヤマブキを撮影
花言葉:「気品」 

 

 

(1)日頃からの営業活動の重要性

恒常的に仕事を維持するためには、日頃からの営業活動が重要である。営業ができない弁護士は、独立した事務所を経営することはできないだろう。

弁護士の営業活動は、不特定多数による広告活動よりも、第三者に評価してもらい、その人に推薦してもらう方が、客観性を帯び、信頼性が高まり、効果的である。それゆえ、お客様は、弁護士にとって、最大の営業マン、宣伝マンだということを忘れてはならないのである。また、人脈をつないでもらうばかりではなく、自分の人脈もお客様に紹介し、ギブ&テイクの関係が成り立つようにすることもポイントである。

また、弁護士は専門的職業人であるがゆえに、自らの専門性、信頼性について、一部の人だけではなく、広く世評を勝ち得なければならない。

世間で評価されないときもあろうが、それを乗り越えるだけの不断の努力をしなければならない。単に広告だけ大々的にうっていても大きな営業効果は得られないであろう。

では、世評を勝ち得るためには何が必要かといえば、まずは地道な講演活動、執筆活動であろう。これにより世評を得ることができれば、既存のお客様は、安心してその弁護士を他の方に推薦できるようになる。そして、何より重要なことは、営業活動は、繰り返し継続的、持続的に行わなければならないということだ。例えば、講演は毎週1回やらないと新規のお客様の獲得にはつながらない。セミナー会社の講演であれ、あるいは個別企業の講演であれ、毎週1回行わないと営業効果は出ないのだ。本も同様である。6ヶ月に1冊書かないと営業活動にはならないし、少なくとも3冊は出さないと本を出しているという世評は得られない。日比谷パーク法律事務所代表弁護士 久保利英明先生は、昭和46年の弁護士登録から平成24年5月までの41年間に、62冊の書籍の刊行に携わってこられた。この62冊目のご著書を贈呈いただいた際に、「これから、エイジシューターならぬエイジライターを目指します。年齢と同数の書籍を刊行する覚悟です。年2冊としても72歳になるまでかかります。年1冊では永久に追いつきません」とのレターをいただいた。久保利先生の書籍刊行に対する熱意にふれ、何事も継続性、持続性が力の源泉なのであるということを再認識した次第である。

 

①講演活動

講演活動においては、自分が作成した資料、自分の執筆した書籍に沿った講演をすることで、一貫性をもち、専門性、信頼性をもたなければならない。雑談のような一過性の話をしても意味がない。また、何よりも、迫力のある講演を意識する必要がある。ぼそぼそと話しているだけでは、新たにお客様を獲得することは難しいだろう。お客様が弁護士の講演を聴講する際には、話の内容はもとより、弁護士の人柄や姿勢、熱心さなどに関心を持つという。弁護士は常に考課されているということを強く意識しなければならないのである。

また、管理職研修等、お客様である企業が主催する講演の依頼を受けることがあるが、その講演のテーマを選ぶ際は、企業が望んでいるテーマを選ぶことが大切だ。まずは、企業の希望を確認してから講演しなければならない。そして、企業の研修は、毎年のごとく継続して行われるから、講師として引き続き、依頼されれば引き受けるという姿勢でいなくてはならない。リピートするということが大事である。そのためには、依頼した企業の満足度だけでなく、その研修を聴講した人たちの満足度も高くなくてはならない。そして、10年、20年とリピートして講師を引き受けられれば嬉しい限りである。なぜなら、それは、その研修での講義が、企業と聴講生の琴線に触れたことになるからである(なお、管理職研修等の講師に選ばれるということは、管理職は非組合員であるので、企業の在り方を説く一端を弁護士が担うということであり、非常に重要なポジションに就かせていただいたということでもある)。

 

②執筆活動

本を出版することは、非常に時間がかかるのでそれによるロスは大きいものの、専門家としての信用を得るためには必須といえる。本を出版することは、自分の精進・勉強の成果を定期的に発表し、「十分な専門知識を持っていて、信頼できる人物」「じっくりと課題に取り組む姿勢」を世間にアピールできる最良の手段であるのだ。執筆活動は将来の大きな財産となるのだから、産みの苦しさを乗り越えて取り組んでほしい。

そして書籍の広告、宣伝は、弁護士の営業活動に大きな効果をもたらすだろう。執筆によりネームバリューが上がることで、講演の依頼や、取材を受ける機会も増えてくるだろう。そして、講演、取材、執筆が増えることで、更に、講演、取材、執筆の依頼が増えるという好循環で、ネームバリューの強化につながり、新規・大手のお客様の開拓につながるだろう。ただし、まずは第一歩からである。事務所と関連のある出版社や雑誌社に、地道な営業活動を続けていくことである。

 

 

(2)書籍を出版する際に気を付けるべき点

弁護士の出版した書籍の内容が自分の問題解決に直に役立つだろうと考えるお客様がいる。そのような場合に、お客様の抱える問題が複雑であり書籍に載っている案件と細部少し異なっていても、書籍に書いてある内容が一般論としてお客様の問題の内容と同じように見えることがあるが、詳細を聞いてみると、肝心なところが違っていて、お客様の問題の答えをその書籍では解決できないことが往々にしてあるものだ。弁護士として、勉強して書籍を出版するのは良いが、それを読んだお客様の問題解決が上手くいかなかった場合には、お客様の責任による判断ミスか、著者である弁護士の判断ミスであるかが、はっきりしないという場合も起こり得る。

このようにトラブルを招かないように、出版する際には、例えば本の冒頭に「この本は具体的な事案について語っているのであり、一般論について語っているわけではないので、読者の方の抱えている問題と一致しない場合もあります」という注意書きを入れるなど、推敲に推敲を重ねて、慎重に行わなければならないのである。

 

 

(3)新聞社からの取材

新聞記事の解説欄に弁護士の名前が登場すると、信頼のある弁護士という評価になるのは言うまでもない。ところが、新聞記事というのは、弁護士の解説の部分も新聞記者が書くため、とかく誤解を招く表現になっていることがある。だから、新聞記事に載る前に、原稿ができたらチェックする必要があることは言うまでもない。さらに、私は、取材を受ける前に取材テーマを十分に勉強して、書面化するようにしている。新聞記者が質問するのはどこか、必ずしも事前にはっきりと分かるわけではないが、下準備をしっかりして話をすれば、誤解は少なくなる。事前に勉強して書面化したメモを、取材後に相手の記者に渡せば、齟齬が生じる確率はさらに減るだろう。

 

最後に、初めに述べたように営業は継続なので一度会っただけで成立することは、まずありえない。二の矢、三の矢、四の矢、五の矢と続けていかなければならない。例えば、書籍を出版したり、雑誌に取り上げてもらったりしても、そこで終わりではない。書籍であれば、書評などで紹介してくれそうな方にお送りする、また、書籍や雑誌をつながりのある方々にお送りして次につなげる、といったことが必要である。書評で取上げられることは、第三者に評価されるということであり、客観性が担保されるので、良いことである。

常に次の手を考えて行動しなければ、営業の成果は上がらないのである。

 

以上

 

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