【第5回】松浦 和光の『百聞は一見に如かず』

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2014年1月12日(日)朝8:21
東京都目黒区中目黒公園にてシクラメンを撮影
花言葉:「はにかみ」

 

 

文は人なり

 

高井・岡芹法律事務所の業務においては、文章・文章力がとても重要なキャリア要素になっている。これはなにも高井先生のところだけでなく、他の弁護士事務所でも同じであろう。弁護士事務所の業務といえば、文章で始まり文章で終わるといっても過言ではない。そもそも、訴訟・裁判を前提とした弁護士事務所の業務は、「訴状」から「判決文」まで、すべてが書面をもって進行される。弁護士事務所だけではない。わが国では口頭での意思表示よりも書面の方が重要視される。だからか、「反省文」や「始末書」、「辞表」など、およそ口頭で伝えられることでも「文章」として提出するのが習わしのようになっている。それも、「辞表」の場合、お決まり文句のように「一身上の都合により…」と記す。経営者と喧嘩して辞めても「一身上の都合」である。「始末書」も同じだ。反省していなくても一応、「反省文」や「始末書」にて反省しているようなニュアンスの文面を書いて提出すると、一件落着となる。まさに、世界でも類をみない「書面文化の国」である。

 

話がそれてしまったが、高井先生の事務所において「文章」が重要視されるのは、弁護士事務所だからという理由だけではない。約半世紀にわたり法曹界で活躍されてきた先生ゆえ、政財界はもちろんのこと、文化・教育・スポーツ界に至るまで、幅広い交友関係にて寄せられる数多くの用件・案件・問い合わせ・招待・相談事に対応しなければならない。そして、そのほとんどが文章での連絡で始まるので、こちら側も文章で対応しなければならない。ましてや先生は、どんな用件でも誠意と敏速さをもって対応されることから、高井事務所のスタッフたちは気を抜く間もなく、文章と取っ組み合いをしながら励んでいる(このへんの様子は、前回のコラム(第4回)で移動中の先生に書類や文章をFAXで送信する現場を書いてあるので参考にされると解りやすい)。

 

先日、得意先の社長から書信を頂いたが、その文面に「貴台」との言葉が使われていた。貴台とは、二人称にて相手を敬う敬語だが、貴台と言われるとこちらが恥ずかしくなってくる。そればかりか、その方から依頼されて送付した私の原稿を「玉稿」と評して誉めてくれた。ここまでくると、夏目漱石ではないが、「先生と言われるほどのバカでもなし」という気持になってしまう。日本ではなるべくむずかしい漢字・言葉を用いて書けばいいという傾向があり、中には広辞苑で引かなければ意味がわからないことも少なくない。私なら、メールで頻繁に連絡しあっている身近な間柄ゆえ、「貴台」や「玉稿」という言葉よりも、《○○さんありがとう。送付された原稿を拝読、とても参考になりました。ありがとうございます》とでも記してくれた方が素直に喜べる。この方だけではない。書信や挨拶状などの場合、相手を敬う気持を少しでも文面に表したいと思うあまり、普段使わないような難しい漢字・言葉を羅列した文章が少なくない。事実、私の会社に送られてくる案内状や書信のほとんどが、ビジネス文章の例文から引用したと思える“やたらと丁寧な言葉”に覆われた文章になっている。そしてそこに「宛名」と「日付」を入れ替え、文中に用件を付け足しただけの、無機質な文面に仕上がっている。このようなことは礼節における形式的な慣例ではあろうが、なるべくなら“自分の言葉”で伝える文章…たとえ文章が下手でもこちらの気持が率直に伝わる文面だと、相手はそれなりの気持で読んでくれるものである。

 

文章といえば、南九州市にある知覧特攻平和会館に展示されている「特攻隊員たちの手紙」が胸に焼き付いて離れない。祖国のために死を決意した若者たちが、特攻隊として発つ前に書いた肉親への手紙だ。そこには、どんなに優れた見識をもってしても表現できない「人間の究極な心情」が綴られており、これほど心に迫ってくる文章は他にないと思える。まさに「言霊」で綴られた文である。

 

文章の上手・下手は文法的巧みさや見識・学識にて評されるものではなく、読む人の心に素直に入ってくる文脈で計られるものである。

高井先生はよく「文は人なり」と言われるが、まさにその通りだと思う。素直で飾り気のない文章は、書き手の気持が行間から伝わってくるのはもちろん、書き手の人間性や性格まで伝わってくる。が、まさにその通りだと思うだからか、難しい言葉を並べた文章は一見、格調と品格を備えているように思えるのだが、心に刻まれることはない。

 

世に名文といわれる文章は山ほどあるが、私は「相田みつを」氏の文章が好きである。相田みつを氏のそれは文章というより“言葉”といった方がいいかもしれないが、その言葉が文字となって発せられる時読む人の心に「余韻」を刻みつける。まさに「文は人なり」である。

 

「相田みつを」氏の文章が人々の心に刻まれるのは、文章がうまいからではない。相田氏の言葉に込められた人間的な温もりや心が、読む人の気持を響かすからである。相田氏だけではない。歴史を彩った偉人達の名言や手紙にも、そのような脈が息づいている。文章の下手・上手は、記された言葉と文章にあるのではなく、言葉と言葉の間から滲み出る…行間から伝わってくる筆者の思いとメッセージにある。相田みつを氏も言っているように「人間だもの」…人間が書いて人間が読む文書だからこそ、心と気持が伝わる文章を書けたらと願っている。

 

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