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2013年12月1日(日)8:10
目黒区立中目黒公園内にてダリアを撮影
花言葉:「華麗」「優雅」「威厳」「移り気」「不安定」

 

 

縁で紡がれる人生


高井先生の旅行に何度か同行させてもらった。それに伴い、行き先々で多くの体験をすることが出来た。また、先生に何度か同行するうち、旅先での先生の言動をして「先生独特のパターン」に気付いた。


まず、どこに行こうと、現地にて出会い、接し、見たものすべてに、重度の好奇心を発揮されるということだ。ちょうど、探検家が未知なる世界に好奇心をたぎらせるようなとでも言おうか、いやそんな言葉では足りないほどの強烈な好奇心である。

もう一つは、「袖すりあうも多生の縁」である。


いつだったか、徳島で「眉山ケーブルカー」に乗った時である。平日ということで乗客は先生と私、そして40代と思える男性の観光客、3人だけであった。

先生は、ケーブルカーが動き出すとすぐにその男性に「観光ですか。どこから来たのですか」と声をかけた、すると男性は、一瞬戸惑ったような表情で「東京からです・・・」と答えた。その言葉には、旅先で出会った観光客どうしの「旅は道連れ」的な空気は感じられなかった。無理もない。初老の男性2人がわけのわからない笑顔を振りまいて馴れ馴れしく話しかけてきたのだ。“得体の知れない人たち”ということで構えてしまったかもしれない。

それでも先生は、ケーブルカーが中間あたりに差し掛かった頃、一方的に「私も東京からです」と言って名刺を出した。名刺をみて相手は、目前にいる初老の人が「弁護士」ということで一先ず安心したか、或いは気を取り直したようであった。男性は、筑波にある研究所に勤務していると言い、会話らしきものが行き交った。


だが、ここからが高井先生の、高井先生たる所以である。男性に「名刺があったらください」と言った。男性は「あいにく名刺は持ってないのですが・・・」と言うと、「それじゃ携帯電話番号を教えてください、ああ、名前と住所も書いてください」と言い放った。

出会って5分もたっていない相手に「電話番号・住所」を教えろとは、「袖すり合うのも多少の縁」どころか、「縁と思って俺の袖に触れろ!」と言わんばかりである。ところが意外にも、その男性は先生の要求に応えて住所と名前、携帯番号を書いてくれた。先生の積極的な声かけと人懐こさに、その男性は拒むことができなかったのかもしれない。きっとそうであろう。
それにしても、頂上までの6分間で、半ば強引に縁を取りまとめてしまったのだから、すごいセンセイである。


エピソードが長くなってしまったが、先生は常日頃から「縁」や「出会い」を重要視している。そればかりか、先生は現在、「縁」に関する本を発刊する準備をされているぐらいだ。つまり、これほど縁を大切に・・・いや本当にどんなところへ行っても、隣り合った人、触れ合った人にはすぐ話しかけて、縁をスタートさせてしまうのである。

高井先生が「縁」をそれほどまでに大切にされる理由も、なんとなく分かるような気がする。

人生におけるすべては「縁」にて紡がれる。そればかりか、宇宙を司っている何かの存在が、我々人間を、我々を導くために「縁」という手段を施しているような、そんな気がしなくもない。人には偶然としか思えない縁も、その実、それは必然的なものであるように思える。

 

縁といえば、米作家アーネスト・ヘミングウェイ(1899~1961)の人生が思い出される。彼の作品『老人と海』は、世界で最も多く読まれた小説であり、多くの国で教科書としても使われている。

米イリノイ州で生まれたヘミングウェイは18歳の時、新聞記者からスタート、世界大戦の勃発とともにヨーロッパに渡り、義勇兵としてイタリア戦線に加わった。戦後、通信記者としてパリに住み、作家活動をはじめる。

ヘミングウェイが文壇にデビューしたのは1926年にパリで発行した『日はまた昇る』であった。その後、『武器よさらば』『誰が為に鐘が鳴る』等の名作を発表した。

『老人と海』にはモデルとなった一人の老人がいた。キューバ籍のグレゴリア・フェンテスさんがその人である。彼はスペイン領アナリア諸島に生まれ、6歳のとき家出してキューバにわたった。そして31歳のときにヘミングウェイと出会い、ヘミングウェイの船の船長兼コックとして働いた。1952年、ヘミングウェイはフェンテスさんの日常生活や漁民たちの様子をもとに『老人と海』を書き上げ、ノーベル賞を受賞した。一方、フェンテスさんは2002年1月、ハバナから15キロほど行ったコヒマル村で104歳の生涯を閉じた。

ヘミングウェイにとって、フェンテスさんと出会った「縁」がなかったら『老人と海』、“ノーベル賞”は存在しなかったはずだ。ヘミングウェイだけではない。人間が織りなす人生は、こうした名も無き人たちとの出会いによって紡がれる。

 

高井先生はこれからも、海外や国内を問わず、出張される地で様々な「縁」を手繰り寄せることだろう。そういえば、私が今、この原稿を執筆しているのも、高井先生と出会った「縁」からである。

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