【歴訪記】5月26日(日)静岡(3)

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2013年10月13日(日)10:37
ミャンマー・ネピドーにある
ミャンマー連邦共和国国家計画・経済開発省前にてデンファレを撮影
花言葉:「わがままな美人」

 

 10月4日付け10月25日付けブログに引き続き、5月26日(日)に静岡を訪問した際の歴訪記を掲載します。

  

<江淨寺>

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 徳川家康の長男(嫡男)・松平信康(1559年~1579年)の遺髪を葬った墓がある江浄寺を訪れました。信康は、徳川氏を継ぐことなく死去したため、松平信康と名乗っていたといわれていますが、現在では徳川信康といわれることも多いようです。

 

 

 信康は、弱冠9歳にして1567年に、織田信長の娘である徳姫と結婚し、元服時には信長から「信」を与えられ信康と名乗った人物です。徳姫は、信康と不仲であり、また、姑である信康の母(徳川家康の正室)の築山殿とも折り合いが悪かったそうで、ある日、信長に、信康と不仲であること、築山殿が武田勝頼と内通している等と記した手紙を徳姫が信長に送ったところ、信長は家康に信康の切腹を強硬に要求し、信康は満20歳にしてその生涯の幕を閉じたのだそうです。

 

 信康の切腹については、いろいろな説があるそうですが、晩年、家康は度々この江浄寺を訪れたといいますから、家康が信長に忠誠を誓ったとはいえ、将来を嘱望された若武者である息子に切腹を命じたことは、家康の本心ではなく、家康の心に、深い悲しみを残したのではないでしょうか。

 

 

<清水駅~アラジン清水店>

 

 江浄寺を出て、清水駅に向かいました。清水駅ロータリーには、清水重雄様も所属しておられる「清水ロータリークラブ」が寄贈したサッカーモニメントを見ました。清水ロータリークラブは、1952年(昭和27年)に正式承認を受け、静岡県内で4番目、日本で83番目のクラブとして誕生したロータリークラブだそうです。

 

 そして、清水重雄様の経営されるスポーツショップ「アラジン」清水店に到着しました。駐車場の脇には、PL教団の教祖 御木徳一様が、第一声を唱えたとされる場所を記念するモニメントがありました。これは、アラジンがPL教団からこの駐車場の土地を購入し造成した際に出てきたレリーフを飾ったものだそうです。

 

 また、アラジンの第一駐車場を横切る「旧しみず道」を徳川家康公が晩年信康のお墓参りの際に通過したといわれているそうです。

 

 アラジン清水店は、清水区浜田町にあります。「清水」の地名の由来は、アラジン近くの浜で、旅の高僧が倒れ村人が介抱し、そのお礼にお経を唱えたところ「しみず」が沸き出たことに由来するそうです。また、その井戸は現在も存在し「ちゃんちゃん井戸」と呼ばれているとのことです。旅のお坊さんが情念を込めて「チャンチャン」と打ちならしたに違いないと、清水様が語っていました。また、「浜田町」の由来は、800年頃前にはこの地が海岸線であった「はま」だったから浜田になったに違いないとのことでした。また、近くに入江があり、その入江の小高い丘が「入江岡」という地名になっています。

 

 「アラジン」清水店の4階は、清水様のご自宅になっており、4階の正面出入り口には「高井伸夫先生歓迎」とある大きなバナーがあり嬉しく感じました。昼食のおもてなしを頂戴しましたが、空輸したチーズ、お肉、パスタ等々、どれも大変美味しくいただきました。臥龍梅という清水区にある三和酒造株式会社が醸造している吟醸酒もいただきました。臥龍梅という酒名は、三和酒造の近くにある清見寺の梅「臥龍梅」に由来します。徳川家康は、幼少期に、今川家の人質として清見寺に暮らし、寺の庭の一隅に一枝の梅を接木したそうです。この梅は、大木に成長し、龍が臥したような見事な枝をもつことから臥龍梅と呼ばれるようになったそうです。

 

 4階のベランダからは、生憎富士山は顔を見せてくれませんでした。富士山といえば、本年6月22日に、世界文化遺産へ登録が確定しました。ここ静岡県静岡市清水区の景勝地である三保の松原が指定地域にふくまれるかが話題になりました。日本新三景・日本三大松原のひとつとされてきましたが、なぜ三保の松原が世界遺産候補地とされないかといえば三保の松原を守るために、点在するそのテトラポッドにより美観が崩れているから、と清水様の御令室様清水典代様がおっしゃっていました。

 

 今回の訪問後の、2013年6月に、奇跡の逆転の末に世界文化遺産に登録された三保の松原は、日本の高度成長期である1960年代に、安倍川から流れてきた土砂を大量に採掘したことなどを原因として、波の浸食により消失しかけているのだそうです。それを食い止めるために、テトラポッド等を設置しているのですが、要するに日本の高度経済成長の弊害であるといえるでしょう。また、天女が羽衣をかけたとされる樹齢650年の「羽衣の松」を含む老松たちも、この影響で徐々に枯死しているのだそうです。

 

 

<アラジン清水店~少年サッカー発祥の地>

 

 「アラジン」を後にし、清水駅から少し西に行ったところにある「少年サッカー発祥の地」を徳川家康公が初めて巴川に橋を架けたと伝えられている稚児橋を通過しながら訪れました。これは、大型の石でできたサッカーボールのレリーフで、1956年(昭和31年)に、清水市立江尻小学校に新任教師として着任した堀田哲爾先生が、全国に先駆けてサッカー少年団を結成したそうです。堀田先生の教え子である綾部美知枝先生は、日本初の女性サッカー指導者と呼ばれる人物で、日本サッカー協会特任理事として活躍されています。綾部様とは、7月3日(水)に、清水重雄様のご紹介でお会いしました。

 

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「少年サッカー発祥の地」にてサッカーボールのレリーフと説明版

 

 最後に、清水様に彼の夢を尋ねたところ、サッカーの地であるここ清水に、日本では例をみないスタジアムの建設をみんなの手で作ってみたいとのことでした。具体的には、富士山が見える清水駅近くに、地上5階建(1階から4階までは駐車場、5階を国際Aマッチができるようなタッチライン105Mゴールライン68Mのサッカー専用スタジアム)のスタジアムを建設し、それを取り巻くように商業施設を集約し、津波対策万全を期し、一部を富士山が見える場所をマンションにしたいとのことです。「フットサル」の言葉すらサッカー関係者、保険会社に通じない20年前に、清水駅近くに作ったフットサル場のように、夢をかなえてみたい、と熱く語られていました。

 

 「ベランダから富士山が見えなかったのは、『再度お越しやす』の富士山からの歓迎の声かも知れませんね。」とは清水様の弁ですが、必ずまた訪問することをお約束し、午後3時50分頃、辞去いたしました。

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