「花」第13回:花のうた+付録

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20131129.JPGのサムネール画像

2013年11月24日(日)16:17
静岡県浜松市西区舘山寺町 はままつフラワーパークにて
フォックスフェイスを撮影
花言葉 「偽りの言葉」

 

 


花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろう

花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く いつか恋する君のために

(NHK「明日へ」復興支援ソング『花は咲く』)

 

これは、東日本大震災の被災地・被災者の復興を応援するために制作されたチャリティーソングで、NHKが震災後の2011年から行っている震災支援プロジェクト「NHK東日本大震災プロジェクト」のテーマソングとして使用されている曲です。作詞は岩井俊二氏、作曲・編曲:菅野よう子氏です。

 

人は人生のさまざまな時期に、折に触れて、そばでそっと咲いていた花々の姿に、その時の幸福感、愛情、失意、悲しみ等のさまざまな想いを重ねます。白百合を見ると、亡妻孝子と亡娘真理子とのカトリック麻布教会での別れを思い出すと前回(11月1日「花」第12回:花ことば(2))のブログでもお話しましたが、人それぞれの想いを映し出す花は、美しく、そして人々をそっと励まします。


いまでは指輪も まわるほど
やせてやつれた おまえのうわさ
くちなしの花の 花のかおりが
旅路のはてまで ついてくる
くちなしの白い花
おまえのような 花だった

 

「くちなしの花」(作詞:水木かおる、作曲:遠藤実、1973年)は、離別した女性をくちなしの花にたとえ、遠く離れても、くちなしの花の香りによって、別れた女性を思わずにはいられない切ない男の心境が詠われています。

くちなしの花の香りは、「花」第4回:季節を彩る花々(2)(2013年3月1日付)の当ブログ記事でも触れたとおり、甘いジャスミンの香りよりも一層甘く、やや、ふくらみを持たせたような深い香りが印象的です。

くちなしの花の深く甘やかな香りが、女性と過ごした甘い日々と情を交わした相手への思いの深さとをたとえているようにも思えます。人は生きていくなかで、誰かを愛し、別れのときを迎えます。ともに過ごした日々が甘く幸せであればあるほど、その別れの切なさはいやますものです。死別の悲しみは、失った人が決して戻ってくることがないことから癒えがたいものですが、この「くちなしの花」の生きながらの別れもまた、いまは風の噂で痩せてやつれたときく女性を遠く離れて思うことしかできないやるせなさに、胸が締めつけられるような思いがいたします。

 

このように人の生きざまや心映えを花にたとえた歌はこれまでも数多くありました。たとえば、「花 ~すべての人の心に花を」(作詞・作曲:嘉納昌吉、1980年)という歌もあります。


花は花として わらいもできる
人は人として 涙も流す
それが自然の うたなのさ
心の中に 心の中に 花を咲かそうよ

 

花は、自然の中で強い風雨や日照りにあい、思うように咲けないこともあります。人もまた、自然の中で生きるものとして、ままならぬことに見舞われることがあります。しかし、それでもまた、芽吹き咲こうとするのが花なのです。

そのような自然の中で生きる花の姿に、人は自らを重ね合わせることによって大自然―宇宙と一体となり、大きな流れの中で生きる自らを見つめ、悲しみと向き合うことができるようになるのではないかと思うのです。

 

また、花は、種類によって咲く時期が様々であることから、歌詞の中に花を詠み込むことで、季節やその情景を効果的に表現することができるでしょう。


リンゴの花が咲くころに 帰ってくるよと約束してた
あなたの便りが風に飛ぶ あなたの便りが風に飛ぶ
 

「リンゴの花咲くころ」(作詞:橋本淳、作曲:すぎやまこういち、1967年)という歌は、リンゴの花が咲く時期である5月になっても恋人が帰ってこない哀しみを詠ったものですが、白く小さなリンゴの花が健気に咲くさまはより一層憐憫の情を誘います。

このように、人は、花の生きざまそのものあるいはそれを詠いこんだ歌に触れることで、ときに癒され、勇気をもらい、希望や夢を抱くことができるのだと思います。

 

少し前に日本でも「ガーデニング」ということばが一般名詞となり、多くの愛好家が生まれましたが、このように何気ない日常で私たちの目を引く花の多くは、個人宅のお庭やベランダで丹精込めて育てられている花々ではないでしょうか。

確かに首都圏に住む私たちのまわりでも、道路の中央分離帯には夾竹桃、歩道沿いにはツツジが咲き、大きな公園は管理事務所や自治体が協力して美しい花を咲かせています。春には河川に沿って桜が咲き誇るのも、関係者の日頃の努力の賜物かと思います。

しかし郊外の小さな公園などは、土木事務所や公園管理事務所の委託を受けた地元の町内会が、ボランティアで美しい花壇を作っている例が多いのです。

また横浜市や名古屋市の公立小学校には、日頃お世話になっている子ども110番の家や地域の方にプランターに植えた花苗を贈る行事があります。校庭のまわりをコスモスが取り囲む小学校もあります。幼稚園・保育園や小学校に球根を送る運動をしている非営利団体もあります。おしなべて義務教育の現場では、花を身近に感じられるような努力が続けられています。

このように、日本ではまだまだ花に関しては民間の団体や教育現場、個人の努力に負うところが大きく、私見ながら環境省、観光庁といった、大きな影響力を持つ国や官公庁の働きかけは十分とは感じられません。

 

その時々で折々の花に支えられ、生かされてきた私だからこそ、家族、企業、特に地方公共団体、国には“花いっぱい運動”を広めて頂きたいと希うのです。

 

 

 

 

付録 朧谷 壽 先生との懇談

 

先日京都にて、同志社女子大学名誉教授・朧谷壽先生と懇談の機会を頂きました。その際ご一緒した積水ハウス株式会社の常任監査役・久保田芳郎様が、この懇談の様子をご寄稿くださいましたのでご紹介します。

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本年10月6日(日)、京都グランビアホテル・六本木楼外楼において、同志社女子大学名誉教授・朧谷壽先生と昼食をご一緒する機会を頂きました。

出席者は、朧谷先生、高井先生、私・久保田の3名です。

朧谷先生は、平安朝史、特に政治・文化・邸宅研究を専門とされています。午後1時より、3名でランチを頂きながらご専門のお話を交え、楽しく懇談いたしました。

 

先ずは、朧谷先生が2007年8月13日にご担当された、今上陛下へのご進講のお話が興味深いものでした。

時間はご進講が30分、ご質問をお受けするのが10分ほどとのことです。昔の天皇の院政(上皇政治)等についてお話されると大変熱心にお聴きになられ、天皇陛下からはご質問があったそうです。

 

現在、朧谷先生は「第73代・堀河天皇」についてご執筆中で、間もなく完成とのこと(ミネルヴァ書房からご出版の予定)。

堀河天皇(1079~1107)は8歳で即位されるも、父・白河上皇の院政下で苦労された方です。

堀河天皇は29歳(当時は数え年)の若さで崩御されたため、その子・鳥羽天皇が即位されたのはまだ5歳の時。それゆえ白河院政はなおも続き、次の75代崇徳天皇まで3代続いたそうです。

高井先生もこの本の出版が待ち遠しく、校正前に一読させてほしい、とお願いされたほどでした。

 

その高井先生が、「特にすぐれた天皇は?」と質問されると、詳細は伝わらないけれど「15代・応神天皇かと…」とお答えがありました。母上が神功皇后(ヤマトタケルの第2子である仲哀天皇の后)という説のある方で、さらには皇太子が後の仁徳天皇(16代)ゆえ、さぞかし崇高なかたであられたかと。

また髙井先生は、蘇我氏に滅ぼされた物部氏に関心を持っておられ、その延長で邪馬台国は二カ所あったのでは、という説をご披露されたところ、朧谷先生も、「大いにあり得ます。昔から夏と冬の二つの都を持つという事例は、いくつもあります。長安と洛陽、北京と承徳のように。ですから大和と九州にあっても不思議ではない」と。もちろん想像の域を出ない訳ですが…。

この話題に触発される形で、天照大神は男性では? 万世一系は天皇家だけか? 等々興味深いお話が次々と飛び出しました。

 

また、平安時代に宮家にお仕えした才女達、特に清少納言と紫式部の確執も面白いお話でした。感性の強い女性・清少納言は冷静に事実を見つめ描写するのには長けていたが、『源氏物語』のように多くの登場人物が複雑に入り込む内容のものは書けなかったのではというお話です。紫式部に『枕草子』は書けるが、清少納言に『源氏物語』は書けなかっただろうと。

王朝女流作家の共通点は、地方官吏の、それも教養のある家庭の子女であったということ。テレビもラジオもインターネットも無い時代に、宮中に入った彼女らは、さらにそこで情報を得て知識に磨きをかけたのです。

 

更に、高井先生からは、冷泉家(近衛中将に代々任官された羽林家と呼ばれる家柄の公家、藤原道長の子・藤原長家の子孫にあたる)の宝物の調査が終わったことについてのご質問が。

「明治4年に天皇が京都から東京(江戸城)へ移られる時、冷泉家はお留守居役を命じられたのです。当時は各宮家がこぞって東京へ移られたのに。和菓子の虎屋までが。

しかし、そのお陰で冷泉家は関東大震災にも、終戦間際の東京大空襲にも見舞われず、今のお宝が残っているのです。」というお答えが。

因みに、天皇家御所有のお宝は、現在皇居の三の丸尚蔵館に保存されていますが、これらは国宝級のものでも国宝には指定されず、御物(ぎょぶつ)と呼ぶのだそうです。

そして、明治時代の歴史認識としては足利氏はあくまで逆賊であり、それゆえ明治28年創建の平安神宮の祭り・時代祭に足利氏は登場しない、更には足利義満・義政、また利休という文化人も登場しない背景がそこにあるというお話を披露されました。

 

引き続き、高井先生からの「平安時代にわが世の春を謳歌した藤原家のその後は?」というご質問には、

「鎌倉時代以降、彼らは日常では氏名の藤原を名のらず家名で通したのです。例えば近衛、九条、一条、冷泉、烏丸のように。そして彼らは第二次世界大戦後に家名を氏名にしたのです。」とのことでした。

 

歴史の裏側を垣間見た楽しさで、あっという間に2時間が過ぎてしまいました。

 

 

――高井より――

なお、両3年のうちに、朧谷壽先生には弊所の年末講演会の講師をお願いしたいと存じます。

演題は“『紫式部』『清少納言』『伊勢』『赤染衛門』など、中世の女流作家について”、いきいきとしたお話を伺えればと願っております。

 

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