【歴訪記】5月26日(日)静岡(2)

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2013年10月21日(月)日本時間12:34
中国 上海市新天地の路地にてスプレー菊を撮影
花言葉:「私はあなたを愛する」

 

  10月4日(金)付記事に引き続き、5月26日(日)に静岡を訪問した際の歴訪記を掲載します。

 

<七八寿司~草薙球場>

 七八寿司を出て、車で、南幹線を清水に向け走りました。南幹線は、通称「カネボウ通り」とよばれ、昔は、鐘淵紡績の大きな工場があったのだそうです。

 

 清水に向かう途中、草薙球場(静岡県草薙総合運動場硬式野球場)に立ち寄りました。草薙球場は、温暖な気候のためか、日本で初めて野球のキャンプが行われた球場です。また、草薙球場では、日本のプロ野球が始まるより以前の1934年12月、「日米野球大会」が開催され、沢村栄治がベーブ・ルースを三振に抑える等、結果1-0で日本が敗れたものの、日本球史に残る熱い戦いを繰り広げた試合を記念して、沢村とベーブ・ルース両者の銅像が飾られていました。

 

静岡県草薙総合運動場硬式野球場にて撮影
左・沢村栄治の銅像 右・ベーブ・ルースの銅像

 

<草薙球場~草薙神社>

 草薙駅を左にみながら、草薙神社の鳥居を拝見しました。

 草薙神社では、毎年9月20日前後の吉日に「秋季例大祭日」が執り行われ、「龍勢花火」と呼ばれる花火が打ち上げられますが、これは重さ25キロもあります。上空300M以上まで打ち上げられ、ある高度に達すると落下傘が開き、それを関係者が落下地点まで追いかけるそうです。あるときは落下傘が開かず火事になったこともあるそうです。安政年間(1854年)から打ち上げられているとのことです。その龍勢花火の打ち上げられる前の実物が、日本武尊の祭られている草薙神社の神殿脇に飾られているそうです。

 

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草薙神社の鳥居

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 草薙球場や草薙神社等、草薙という地名の由縁は、古事記、日本書紀に出てきます。すなわち、三種の神器として知られる「草薙の剣」(天叢雲剣・あめのむらくものつるぎ)です。草薙の剣は、諸説ありますが、愛知県名古屋市熱田区にある熱田神社のご神体であり、日本武尊が伊勢神宮でこれを受け取り、東征の途上、この神剣によって野火の難を逃れたという地とされているのが草薙神社であるそうです。

 

 清水様の調査によれば、草薙神社の由緒によると、<御祭神 日本武尊 御創建 景行天皇53年 例祭日9月20日この地で逆賊に出会った 尊は佩用の剣を抜いて「遠かたや、しけきかもと、をやいの鎌の」と鎌で打ち払う様に唱え剣を振り草を薙ぎ払ひ火を逆賊の方へなびかせ尊は無事に難をのがれた地を草薙という。天叢雲の剣は、草薙の剣と名稱を変更され、草薙神社に神剣として奉られた。はるか1900年余近く前の事である。>とされているそうです。なお、神社入口正面の日本武尊の像は現代の少年程の大きさです。

 

 また、私が、戦前、小学2年生のときに疎開した、三重県桑名郡の多度町(旧古浜村)御衣野(みぞの)にある草薙神社は、日本武尊が東征からの帰路に、この地にあった一本松に太刀を置き忘れた、という伝承により、この地に草薙神社が建てられたのだそうです(なお、御衣野という地名は、日本武尊が伊吹山から難を逃れる途上、激しい雨に打たれて衣が濡れたため、これをこの地で干したことに由来しているのだそうです)。桑名郡、旧古浜村、御衣野と古代史との関連性については、いつかブログで発表できればと、調査を続けております。

 

<草薙神社~巴川製紙>

 

 南幹線を清水方面に進行し、江戸時代の旧東海道にでて、一里塚跡碑で写真を撮りました。一里塚跡碑は、清水銀行草薙支店の敷地内にあって、すぐそばに、大きな狸が鎮座しているのを見つけました。いわゆる狸八相縁起の説明板がありました。なぜ信楽の狸がこの地にあるのかは、わかりません。

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左・狸八相縁起の狸  右・一里塚跡碑

 

 なお、この狸が鎮座する交差点から国道一号線までの拡幅工事は50年も経っても完成していないそうです。

 

 国道一号線に面している「七ツ新屋」(地名)には、かつて7つの新屋があったと伝えられています。清水様の幼いころ(60年程前のことです)、その7つの新屋の一つであった叔母さんの家に遊びに行くと、その家の前の小川は飲めるほどきれいな水が流れていたそうです。また、当時の国道一号線は中央部のみ舗装され左右は砂利道だったそうです。

 

 間もなくすると、清水桜ケ丘高校(旧清水商業)を右手にみて、桜橋を通過、入江岡を左折すると、『ちびまる子ちゃん』の原作者である、さくらももこさんの生家が見えました。国民的漫画である『ちびまる子ちゃん』の生家を、国が買い上げればよかったと、清水様は残念がっていました。なお、この家は、すぐ近くに旧東海道があります。もともと旧東海道に面していたのだそうです。

 

 途中、東証一部上場企業の株式会社巴川製紙所の清水事業所前を通過しました。清水事業所の正面玄関の門柱には、駿府城の石垣と同じ石が使われています。というのも、1606年に、徳川家康公が駿府に隠居するにあたり西国諸大名に命じ、駿府城の大改修をすることになり、全国から巴川製紙の付近に石が集積されました。その集積された石を駿府に運ぶ為にいかだに移す際に、何らかの事情で巴川に沈んでしまった石もあったそうです。しかし、沈んでしまった石も江戸幕府の所有物であるとされ、それらの石は沈んだままでしたが、明治に入ると、石を引き上げる者もでてきたそうで、この門柱にも、巴川に沈んでいた石が使われているのです(もともと三個ありましたが、現在は二つになっているそうです)。

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巴川製紙の門柱と説明版

 

 次回も引き続き静岡での思い出をお話します。 

 

 

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