2013年8月のアーカイブ

 

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 2013年8月9日(金)17:09(現地時間16:09)
中国 北京市豊台区南四環中路235号
「世界花卉大鑑園」にて胡蝶蘭を撮影

 

 

 

ホタル狩りとは一昔前に流行っていましたが、現在都心では全く見られなくなった夏の風物詩です。 

去る6月15日、私が顧問弁護士を務めるポルシェクラブ六本木が主催するイベントで、ホタル狩りに参加しました。

 

場所は東京・豊島区目白の椿山荘。以前は九州から空輸し放った蛍を楽しんだのだそうですが、現在は庭園内で自然羽化した蛍だそうです。都心で自然羽化とは管理される方の御苦労が察せられます。

今年は、桜の開花が早かったため、開花状況が目安となる「ほたるの幼虫の上陸」も例年より一週間早かったそうです。
会場では、期間中の前半はゲンジボタル、後半はヘイケボタルを観賞できるので、同じホタルでも大きさや光り方などが違うことが分かるとのことです。また、庭園の滝の裏側にはほたるが好む水辺の環境があり、ビオトープ(生物空間)を設置するなど、お客様を喜ばせる工夫も随所にありました。

 

当日は曇り空、無風でしたから絶好のホタル狩り日和でした。

 

当イベントはポルシェクラブ六本木の理事会とクラブ懇親会を兼ねており、完全にオープンな形で開催され、興味を持ったクラブ会員及び関係者がいつでも出席できるようになっていました。

小生は沖縄から参加された医薬品メーカー社長・奥キヌ子様をお誘いし、同行いたしました。仕事で開宴時間には遅れたのですが、懇親会後半に挨拶もさせていただきました。
そこで私が述べたのは、ポルシェクラブ六本木の大黒柱・小松茂生さんのことです。小松さんの働きによっていかにこのクラブが旺盛な活躍を見せ、世界に誇る自動車クラブになっているのかということです。
当クラブが主催するモータースポーツ活動の質の高さは国内は勿論、海外のポルシェ開発の地“ニュルブルクリンク”においても定評があるそうです。

 

18時に開演し、皆様のご挨拶が続き、瞬く間に2時間を過ぎ、その頃が最も蛍が飛び交う時間だそうで園内の散策に出たのは21時過ぎでした。
私も、娘婿が連れてきてくれた孫とホタルを仲立ちに楽しいひとときを過ごすことができました。夜陰に妖しげに光るホタルを見て、たくさんの来場者とともに安らぎある一刻を過ごしました。

会も盛会の内に終了し、そぞろ歩きの自然解散となりました。大きな解放感・満足感とともに帰路についた、夏の前の一宵でした。

 

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2013年8月15日(木)17:30
青森県十和田市沢田にてノウゼンカズラを撮影

 

 

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左:シュエダゴン・パゴダにて
左から清水氏、高井、三輪氏、カイン(Khine)様
右:宿泊先ホテル(Chatrium Hotel Royal Lake Yangon)周辺に咲いていた花

 

7月20日(土)~22日(月)にかけて、ミャンマーを訪問しました。ご同行者は、三輪芳裕様、株式会社スポーツショップアラジン(静岡県静岡市清水区浜田町、葵区昭府町)代表取締役清水重雄様でした。

今回は、私の5度目か6度目となるミャンマーへの訪問でしたが(なお、私の最初の訪問は17年前の1996年4月27日~5月3日でした)、訪問した理由は、年内に高井・岡芹法律事務所がミャンマーに法律事務所を開設する予定であり、その下準備と、また、ミャンマーサッカー協会に100足のサッカーシューズをプレゼントすること等々のためでした。

法律事務所開設にあたっては、同地のいろいろな方に、お力添えをいただき、実現に向けて動いております。なお、私は、10月11日~13日にかけて、再度ミャンマーを訪問する予定でもあります。

この度の正式な歴訪記はいずれこのブログでもご紹介することとして、まずは取り急ぎ、「速報」として三輪様(文章)、清水様(写真)に作成していただきましたので下記に掲載します。 

 

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7月20日(土)午前10時半の成田発全日空便で、高井先生とスポーツショップアラジンの清水社長に同行させていただき、私(三輪)にとって1年半ぶりのミャンマー渡航です。初めての直行便でミャンマー入りしたせいか、感覚的に少し距離が近くなったヤンゴン国際空港に午後2時半に降り立ち真っ先に感じたことは、活気に満ちた人々の熱気や喧騒でした。 

2000年に初めてミャンマーを訪れてから、私はこの13年間で延べ約60回の渡航を重ねてきました。かつてのミャンマーを体感している私としては、この1年半が10倍程の長さにも感じられる位、まるで別の国に来てしまったかと錯覚するほどの変わり様でした。

 

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(元首相のキン・ニュン氏と高井)

 

今回の民主化路線こそ本物だと気付くのに、それほど時間はかかりませんでした。

昔同様、走っている車のほとんどが日本車ではあるものの、ボロボロの車が見当たらない、ダウンタウンに向かう幹線道路は渋滞と立体交差の工事だらけ。ホテルの料金は5~6倍に跳ね上がり、市内はオフィスビルやマンションの建設ラッシュ。

 

 

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(若手政治家候補と青年実業家、高井、清水氏) 

 

そして何より、比較的おっとりしたミャンマーの人たちはとても快活で、気のせいか動きも早い。この国の進化の例を挙げれば、枚挙に暇がない。国が急激に経済発展するとはリアルにこういうことなのかと、今更ながらに驚かされました。

 

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(ダウンタウン近くの旧官庁街…なぜ「旧」官庁街かというと、2006年にミャンマーは首都をヤンゴンからネピドーに遷都したからです。)

 

 

今回のミャンマー訪問の目的は、日本企業のミャンマー進出をサポートするための基盤づくりと、日緬友好の証としてミャンマーサッカー連盟にサッカーシューズ目録を寄贈するためのセレモニー。高井先生としては、これらを今後も継続していく意向です。その第一回目となる今回の渡航は、大変有意義かつ充実したものになりました。

 

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(MFF理事 Soe Moe Kyaw様へ高井よりサッカーシューズ贈呈)

 

 

これまでの軍事政権支配はもはや過去のもの、というのが次代を担うミャンマー青年実力者たちの合言葉です。今年12月にはSEA GAME(東南アジアのオリンピックのようなもの)がミャンマー全土で開催され、スポーツの大祭典の裏では各国の政財界要人達のネゴシエーションツアーが目まぐるしく展開されます。そして2年後の2015年11月には実質的に民主化後初めての国政選挙と大統領選挙を迎えます。

 

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(MFF関係者と青年実業家)

 

 

夢が現実になりつつあるこうしたミャンマーの皆さんと論議を交わしながら、相も変わらぬ高井先生のエネルギッシュな行動力に触発されたミャンマー滞在3日間でした。

文章:三輪芳裕

写真:清水重雄

 

2013年8月3日(土)11:46 高井伸夫撮影「ひまわり(サンゴールド)」
(長野県小諸市菱平762付近

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2013年8月3日(土)11:46 高井伸夫撮影「ひまわり(サンゴールド)」
(長野県小諸市菱平にて)
花言葉:あなたはすばらしい、愛慕

 

 

高井先生と接していて、たくさんの長所と思えるところがあるなかでも、特に強く感じる長所は「つながりを維持し続けることに対する熱い思い」です。

 

高井先生は、いつも柳生家の家訓である「小才は、縁に会って縁に気づかず。中才は、縁に気づいて縁を生かさず。大才は、袖振り合う縁をも生かす。」を引き合いに出しておっしゃいますが、単なる意思に留まらぬ、まさに日々の、袖振り合う縁をも生かそうとする実践の姿を見て、我と我が身を反省させられます。

 

この実践の姿について、僭越ではありますが、少し私なりの考察を加えると、名刺管理の方法であったり、スケジュールの管理であったり、事務所報の発行であったり、それらを支えるスタッフのマネジメントであったり、「つながりを維持し続けるシステム」が他の追随を許さぬレベルで構築されていることが、まず驚嘆の対象ではありますが、それよりもなによりも、ご縁を大切にするという心からの思いが加味されることによってシステムに息吹が吹き込まれる、そんなイメージがあるのです。

 

なぜそんなことがいえるのかというと、たとえば高井先生は、新聞や小説、雑誌、あるいはテレビなどに接していると、それら活字や映像にインスパイアされる形で、ほんとうに頻繁に、過去、交わってきたさまざまな方々を思い起こされるのです。

 

常人以上に、徹底して人に対する関心を強く、かつ深く持たれているからこそ、数年前、ときに十数年以上前の出会いについても記憶を蘇らせることができるのではないかと思われます。

 

このようにして思い出した人について、高い精度で構築されてきたシステムの力を用いつつ、再度のコミュニケーションを図っていく、そんな姿をたびたび見聞きして、つまるところ、コミュニケーションにおいて最も肝要なのは、「システムではなく思い」という風に考えるようにもなりました。

 

とはいえ、勿論、ただ思い、願うだけではコミュニケーションを広げ、深めていくこともできないわけで、その思いを下から支えるために、やはりしかるべきシステムの運営管理を行っていくことが大切、ということも理解できるようになりました。

 

 

いずれにしても、高井先生の長所はどこか、と考えるとき、やはり、人に対する思いとシステムの両者に裏付けられた、「ネットワークを維持し、強化し、広げていく力」こそが高井先生を高井先生たらしめている力の源泉、と思わずにはおれません。

 

 

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2013年7月25日(木)10:13 三重県四日市市顕正寺にて百日草を撮影
 

 

帯津良一先生を囲む会が、6月17日(月)19:00より、「東京 芝 とうふ屋うかい」にて開催されました。

 

 

 会場の東京 芝 とうふ屋うかいは、ご存知の方も多いかと思いますが、東京タワーに隣接したボーリング場施設の跡地約2000坪の広大な敷地にあり、建物は新潟の豪農屋敷や山形の造り酒屋が移築され、土と木肌のおだやかなぬくもりを感じます。静謐な日本庭園の片隅に身を置くと、梅雨の湿り気をまとった緑の葉脈から発せられるこの時期独特の香りに包まれ、仰げば、天にそびえ対峙する東京タワー。まさに都心の異空間。体にやさしく多くの美食家の頬をほころばせる懐石の品々を頂けばまさに五感が喜ぶ御食事処です。

 

 今宵のメインゲストは、帯津良一先生(医療法人直心会 帯津三敬病院名誉院長、日本ホリステック医学協会会長他)。先生は本ブログでも幾度もご紹介しておりますが、東大医学部第三外科、都立駒込病院外科医長など歴任され1982年に開業、今日まで日夜、日本全国から先生を頼りにくる患者さんのため、後述のホリステック医学の確立のため治療、研究に邁進されておられます。現代では稀少となった「医は仁術」を体現されているお一人です。

 

 帯津医術は、西洋医学に中国医学、ホメオパシー(全ての症状に、それに似た作用を起こす極微量の激毒薬を投与する治療)等の代替療法をとりいれ、人間を包括的に癒し治療するホリステック医学(からだの部分を診るのではなく、生命ある人間のからだを環境も含めた丸ごと全体としてとらえ、医者と患者が一緒になっていのちのエネルギーを高めていくこと)と称されています。先生を敬愛し、教えを乞いたいという医師、研究者も全国に多くいます。

 

 さて、帯津先生を囲む論座には、下記の皆様がお集まりになりました。

 ・ 岡田紘未先生(吉祥寺東方医院) 
 ・ 川口彩子様(マクロビオティック研究者)
 ・ 佐藤英樹先生(学校法人文理佐藤学園 創立者・理事長)
 ・ 土屋喬先生(東邦医大大森病院 東洋医学科 顧問/ツチヤ鍼療所 所長)
 ・ 丹羽正幸先生(医療法人社団丹伎会 丹羽クリニック 院長)
 ・ 布施田次郎様(CONEX ECO-Friends株式会社 社長)

 

 会は、布施田さんに進行役をおつとめ頂き、帯津先生より自己紹介頂いた後、参加者全員の自己紹介と帯津先生へ質問一題という流れで進行しました。

 高井先生とは参加者全員、以前よりよくお知り合いの方々ばかりですが、帯津先生とは初対面の方も多く、論題はがん治療から大学での東洋医療・代替医療学部創設構想まで幅広く、何よりみなさんの実務、実学研鑽、地に足がついた勉強からの論考が次々と繰り出されました。

 

土屋先生からは、医学における温故知新、古典の重要性の一例として「アトピー性疾患は、食生活の豊かさによって戦後にうまれた疾患ということがいわれますが、実は中国の明時代に著された『医宗金鑑(いそうきんかん)』には、四湾風(シワンフー)という名前で、4つの身体湾曲である両の肘・膝に痒みが出る症状としての記述がある」ということを披歴頂きました。

これには私自身、いかに現代の医学医療の常識なるものに包まれ、ごくわずかな情報と知識しか持ち合わせていない無知なる存在であるかを痛感しました。  

 

布施田様からは、かつて存在した色覚異常(色盲)のためのクリニックに関するお話を頂きました。「もう30年以上前に子ども達の治療にあたり、その数20万人を下らない。そのクリニックには、治療後2,3か月の子どもたちが赤や青の色を使うようになって描いた絵が飾られていた。治療法の開発者である山田武敏氏によれば、“色覚治療だけでなく認知症への効果も認められ、当時68歳の元外交官も物忘れと視力の改善を告白している。論理的に説明することより、パルス(微弱電流)が脳を刺激することによって脳が活性化すると仮説を立てて挑戦している”。」のだそうです。

その際、土屋先生がご自身も微弱なパルスでうつ病などを治しきるというお話をされました。

 

また、会の締めくくりとして高井先生から、信用に足る健康維持法として、断食療法やプラズマ治療法などについての貴重なお話がありました。まさに、先生ご自身の病魔との闘いの経験と、養生法に対する真摯で熱心なご姿勢の一端を垣間見ることができました。

 

そして、和気あいあいたる雰囲気のなかにも凛とした緊張感がときおり流れる濃密な時間はあっという間に過ぎ、お開きの21時すぎとなりました。

 これも、帯津先生の終始穏やかな佇まい、参加者の言葉ひとつひとつを傾聴され、和顔愛語にて会話されることの所以と感じ入りました。

 

(エヌティ経営研究所 コンサルティング 寺山 智雄)

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