2013年3月アーカイブ

「花」第7回:花の一生

| コメント(0)

IMGP3634.JPG


2013年3月28日(木)7:15
目黒区中目黒 中目黒公園にて源平花桃を撮影
花言葉:恋のとりこ、よい気立て


 

2月1日(金)付記事から、私が撮影してきた花の写真とともに、花について私が思い・感じ・考えてきたさまざまなことをつづっています。

 

 花は、こぼれおちそうな時間(とき)の経過のなかの、その一瞬一瞬で違う表情をみせ、その姿ははかなくも美しいものです。前回3月15日(金)付記事「さくら」でお話ししたとおり、人は、満開の花だけを賛美するのではなく、散りゆく花を愛おしく想い、いのちの尊さを感じます。

 

 そして、つぼみが徐々にほころぶ姿に自分自身の青年期の、満開の花の盛りをみて壮年期の、花が凋落を迎え散りゆく姿に老年期の姿を重ねて、自分自身の人生を振り返るのだと思います。西行(俗名・佐藤義清。1118年~1190年)が、常日頃から辞世句として詠っていた「ねかはくは 花のしたにて 春死なむ そのきさらきの 望月の頃」(山家集)がありますが(「きさらき(如月)の 望月の頃」とは、釈迦入滅の時節である陰暦2月15日、ちょうど満月の頃を意味し、新暦では3月下旬~4月上旬頃であり、ちょうど桜が満開の時期です)、西行は、桜が満開に咲く美しい情景を思い描きながら、そのなかで、みずからの残された人生、やがてくる死をみつめていたのではないでしょうか。なお、西行は1190年、陰暦の2月16日に入寂しましたので、この辞世句の彼の願望は現実のものとなりました。

 

IMGP3463.JPG

2013年3月9日(土)東京都港区麻布十番二丁目付近にて撮影

 

 「散る桜 残る桜も 散る桜」と誰かが詠いましたが、私も76歳を間もなく迎え、この歌が身に沁みるような思いがいたします。花曇りの空のもと、またたくまに花風に流されゆく零れ桜の姿に、年老いたわが身が抱える数々の病の疼きも相俟って、私が辿りゆく残された人生の行方を重ねてしまいます。しかし、私が散るのはいつになるかはわかりませんが、残された人生の中で仕事を続け、いささかなりとも社会に貢献し、散り際の花を、そっともう一花咲かせられればと願います。

 

 そして、散る花もあれば、咲く花もあります(これは、NHKBSプレミアムのBS時代劇「薄桜記」〔2012年7月13日~9月21日放映〕の台詞の一つでもあります)。桜が散ってしまったあとには、たとえば、ハナミズキが白やピンク、赤の花を満開に咲かせてくれます。

 

 ハナミズキといえば、私が、イセ文化基金理事長、イセ株式会社、イセアメリカ株式会社等々のイセグループ各社の会長を務められている伊勢彦信様とともに、ニューヨークで1989年4月に日米美術協会を立ち上げる際に、ご協力いただいたご縁でお知り合いになった、元米国三井リーシング社長の青木博様のニューヨークのハーツデールのOld Farm Lane(古い農家通り)に面したご自宅のお庭で、同年5月に見たハナミズキがとても美しかったのを憶えています。

 

 01.jpg

青木博様のご自宅のお庭のハナミズキ
二階の寝室の窓ごしから美しい花を見せてくれるとのことです

 

今回の記事を書くにあたり、青木様のご自宅のお庭に咲いていた美しいハナミズキの凛とした佇まいの光景とともに、青木様との遠い昔の思い出がふと甦ってまいりました。そこで、ご連絡をとりましたところ、3月2日(土)付で上記のハナミズキの写真を頂戴し、久しぶりに心の交流ができたことを大変嬉しく感じました。青木様は、現在、Japanese American Social Service Inc.という東部アメリカにすむ日本人援護団体のお仕事に従事されているとのことです。御令室様 壽子様は、2009年10月に山梨県の平山郁夫シルクロード美術館主催の「第1回絵手紙コンテスト」で、特別賞を受賞されたそうです。ご夫婦は、80歳をこえられたとのことですが、これからもご一緒にお健やかに、ますます充実した素晴らしい日々をお過ごしになられますようお祈りしております。また、壽子様の作品を一枚いただきたい旨と、次回、博様が訪日される際には是非ともお会いしたい旨、ご連絡いたしました。

 

 日米美術協会を立ち上げる際には、在ニューヨーク総領事大使閣下 英正道様にもご協力いただきました。英様は、当時、私と伊勢様が、日米美術協会には公的なご協力もいただかなくてはと思い、総領事館をアポイントもなしにお訪ねした際、応接室に通していただき、気さくに引き受けてくださいました。英様、青木様ご夫妻には、日米美術協会の発会式にもご出席いただき、司会は、当時JAL International Service Inc.の取締役会長でいらした藤松忠夫様にお願いし、英正道様には、主賓としてスピーチをしていただきました。当時親しくさせていただいたみなさまとは、ずいぶんと長い間ご無沙汰してしまっていますが、何かの機会に、またお会いしたいと願っております。

 

 なお、藤松様には、藤松様が「終の棲家にしたい」とおっしゃるほどのアリゾナ州のツーソンをご紹介いただき、「ローズ ベンタナ・キャニオンリゾート」というホテルに何度か(たしか2回だったと思います)宿泊したことがあります。同ホテルは、広いゴルフ場に面していて、大きなサボテンがたくさんあったのを憶えています。

 

 さて、青木様によると、ハナミズキはアメリカではドッグウッドと呼ばれ、ヴァージニア州の州花に指定されているそうです。私が青木様のご自宅を訪れた1989年の頃に比べて、お庭のハナミズキの勢いはなくなり、2本のうちの1本は大雪にやられ、昨2012年に百日紅に植え替えたそうです。しかし、最近、お庭の裏に流れる小川のなかに、小さなハナミズキの木が新たに育ち始めたそうで、これを水のなかからお庭に植え替えたとのことです。

 

 私の人生の盛りに出会ったあのハナミズキが残した新たないのちを、私が見ることは叶わないでしょうが、瞬く間に過ぎ去った私の人生など関係なく、ハナミズキは、いつの日か立派に成長し、見事な花を咲かせてくれるでしょう。

 

04.JPG

2012年4月26日(木)東京都千代田区ニューオータニ前でハナミズキを撮影

 

 花が枯れたあとには、果実ができ、種ができます。その種がまた芽吹き、成長し、美しい花を咲かせてくれます。花の詩情豊かな一生が見せてくれる時々の表情に、美しいと感嘆するとき、わたしたちの誕生から死までのはかない一生のなかの、数々の幸せだった日々の情景や、悲しみの瞬間が、ふと呼び起こされるような思いがします。わたしたちは、花のように、つかの間の生を過ごし、たちまちに散ってしまいますが、四季はめぐり、わたしたちの子、孫たちによるあたらしい暦がはじまり、瑞々しい花を咲かせてくれるのでしょう。

 

~ 今回の記事執筆にあたり、青木博様、壽子様ご夫妻にいろいろとご教授をいただきました。ありがとうございました。

 

この記事にコメントをする

高井伸夫の「一期一会」(1)

| コメント(0)

IMGP3512.JPG2013年3月17日(日)13:17 高井伸夫撮影「大島桜」
(静岡県静岡市清水区馬走 日本平ホテルのお庭付近にて)
花言葉:優れた美人、純潔、精神美


鮒谷周史です。


3月14日(木曜)の午後6時より、高井伸夫先生主宰の会食会が
「とうふ屋うかい」にて開かれました。

参加者は以下のとおり。

写真家の初沢亜利様
朝日新聞東京本社デジタル編集部次長の高橋美佐子様
A.S技術士事務所代表、全日本写真連盟監事の角耀様
そして高井伸夫先生。


高井先生をご存知の方は既にご承知の通り、数十年の長きにわたり、
早朝から夜まで、年齢、性別、職種、職業を問わず、
ありとあらゆる分野の方々と精力的にお付き合いの幅を広げてこられました。

 


ご縁を紡ぎ、繋ぐことにおいて高井先生の右に出る方を見たことがありません。

まさに柳生家家訓にある

「小才は、縁に会って縁に気づかず、
中才は、縁に気づいて縁を生かさず、
大才は、袖振り合う縁をも生かす」


を実践してこられた方と思わずにおれません。

と同時に、あらゆるジャンルの本を渉猟してきたゆえの
博覧強記ぶりにもいつも驚かされている次第です。


長きにわたって蓄えてきた膨大な活字由来の知識と、
無数の出会いを通じて、無機質な知識を有機的な文脈の中で
活用できる知恵へと転換されてこられたことが会食、会合等に
同席させていただくたび、感じられます。


同席の高橋美佐子さんが
「高井先生の持つ知識と、取り巻くご縁は
あたかも巨大な生態系のごとくである」
旨のご発言をされていましたが、まさに同感です。


今回も歴史、政治、経済、芸術等、広範な分野にまたがる
楽しい話が繰り広げられた次第です。


同席なされた角さんは建設に関わる各種設備工事を行っている
三機工業株式会社の技師長等を歴任され、現在A.S技術士事務所の所長を
つとめられていらっしゃいます。


写真撮影も長年のご趣味としておられ、初沢さんとも会話が弾みました。


ところで写真家の初沢亜利さんは1973年フランス・パリに生まれ、
上智大学文学部卒業後、写真家として活動を始められました。
2003年には、イラク戦争前後のバグダッドの日常を写した写真集
「Baghdad2003」(碧天舎)を出版。

さらに
2009年12月「覚悟。」(著:福田衣里子、写真:初沢亜利、徳間書店)を出版、
2012年4月 被災地写真集「True Feelings-爪痕の真情。」(三栄書房)を出版、
2012年12月には北朝鮮写真集「隣人。38度線の北」(徳間書店)の出版、
と様々なシーンを写真として切り取ってこられた方。


「被災地の写真集であれ、北朝鮮の写真集であれ、
いずれも特定の(そして分かりやすい)バイアスをかけない、
ありのままで多様な日常を伝えたくて撮影してきた」


とのことでした。


それを初沢さんの写真集「隣人。38度線の北」の中ではこのように記されています。


「この写真集こそが北朝鮮の真実である、というつもりは毛頭ない。
真実とはそれ自体多面的なものであり、どこに眼差しを向けようとも、
それらは無数の真実の一部でしか有り得ない。」


「北朝鮮」と聞くだけで一般的な日本人は、メディアを通じて
伝えられる、ある特定のイメージを持ちがちです。

ただ、それはある一面ではあるかもしれないけれども、
他面においては政治とは無縁の世界に生きている普段着の人たちが
彼の地において生活しているのもまた真実であるわけで、
そんなありのままの北朝鮮を、迎合もせず、断罪もしない形で、
等身大の姿をカメラに収め、昨年、徳間書店より出版されました。


たまたま今回の会食の前日、気仙沼におられたそうですが、
彼の地の人が『隣人。38度線の北』の写真集を見て、

「被災地もこの写真と同じく、メディアから特定の意図に基づく
視点で切り取られていたんだなあと感じた」

という旨の発言をされていたとのこと、
まことにむべなるかな、であります。


日本人で訪朝する人数は年間100人程度、とのことでしたが、
同国を訪問した日本人自体、それほど少ないわけで、
現地の実際を見てきた人ならではの、臨場感あふれる
貴重なお話を伺った次第です。


今後は「沖縄」をテーマに撮影を開始されたい、とのことでありました。


高井先生は初沢さんに、初沢さんは筆力のある方で
ぜひ写真の道とともに文章を書かれるノンフィクション作家ともなっていただきたい、
視覚に加えて、文章の描写力も類い稀なるものがあるので
その2つの力を合わせて世の中に対しメッセージを発信して
いかれたらいいのではないか、ということも言われておりました。


それにつけても高井先生のあふれる好奇心、座右の銘でもある
「無用の用」の姿勢を改めて目の当たりにさせられた場でもありました。


そんな高井先生の「一期一会」について、これから不定期にて
拙いながらも記してまいります。


お付き合いのほど、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

 

この記事にコメントをする

「花」第6回:さくら

| コメント(0)

 

00.JPG

2013年3月13日(水)14:47
静岡県伊東市岡広町付近にてアザレアを撮影
花言葉:節制

 

 

2月1日(金)付記事から、私が撮影してきた花の写真とともに、花について私が思い・感じ・考えてきたさまざまなことをつづっています。もうすぐ花見のシーズンが到来しますが、私も、ひと雨ごとに近づく春を感じながら、毎朝の散歩でカメラを手に、満開の桜を、いまかいまかと待ち望んでいます。

 

01.JPG

左:A.S技術士事務所 所長 角耀(すみ・あきら)様撮影の桜:2012年4月1日(日)新宿御苑にて(角耀様は、全日本写真連盟の監事を務められており、当事務所の行事の折々に、写真を撮影してくださっています。)

 

日本で「花」といえば桜を意味するほど、桜は日本を代表する花として親しまれてきました。桜の開花時期には、桜の木々のもとに人々が花見に集まりますし、この文化は、古くから山野に桜の花を訪ね求めて楽しむことを桜狩りと呼びます。単に「花」というだけで、平安時代後期以降の和歌では桜花を指すそうです。また、和歌だけでなく、日本画や陶芸等の美術作品にも、桜が多く描かれてきました(花と美術については、今後のブログで述べたいと思います)。

 

 

05.JPG

これは、先日孫娘の誕生に際してプレゼントした、江戸時代末期から明治初期にかけて活躍した浮世絵師、二代目歌川国貞(1823年~1880年)の作品です。木々の緑と桜の紅、水辺の爽やかなせせらぎ、春の宵を楽しむ子どもたちの歓びの声が伝わってくるように感じます。

 

さて、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.のポトマック河畔の桜並木の桜は、明治の終わりごろに、大統領ウィリアム・タフト夫人の希望により、1912年に尾崎行雄東京市長が贈呈したもので、送られた桜の苗木は、東京の荒川堤の五色桜を穂木にしたものだそうです。いまでも、毎年のごとく、日本の新聞やテレビで報道されますが、日米友好のシンボルとして、開花時期の頃には例年「ナショナル・チェリー・ブロッサム・フェスティバル(桜祭り)」が開催され、「桜の女王」をはじめ、小さな子供から大人まで参加する華やかでいかにもアメリカらしい楽しいパレードなどが繰り広げられ、多くの人々に親しまれているそうです。

 

また、中国の武漢大学桜花園の桜は、1938年に武漢を攻略した日本軍が慰問のために負傷者収容施設の側に植えたものだと伝えられているそうですが、1972年の日中国交正常化によせて、田中角栄首相が周恩来総理に贈った150本の桜のうちの50本が、同地に植えられているそうです。武漢大学桜花園の桜は、日本軍侵略の象徴でもあり、同時に、日中友好の象徴でもあるのです。戦前から植えられていた桜とあわせると、1000本余の桜が満開になるシーズンには、多くの観光客が訪れるとのことです。なお、1997年には、青森にあるみちのく銀行が武漢事務所を開設したのちに、武漢市東湖風景区管理局と共同で10ヘクタールに5000本もの桜を植栽したと聞きます。

 

このように、日本の象徴である桜は、各国との架け橋としての役割を果たすかのように、春になると各地で春空を美しく染めています。

 

02.JPGのサムネール画像

(2011年4月4日(月) 朝8:16 東京都千代田区国立劇場にて撮影)

 

さて、「三日見ぬ間の桜」という言葉どおり、桜はあっという間に散ってしまいます。第二次世界大戦以前の日本の軍歌に、「歩兵の本領」という歩兵を謳った歌で「万朶〔ばんだ。多くの花、という意味〕の桜か襟の色 花は吉野にあらし吹く 大和男子と生まれては 散兵戔の花と散れ」(歌い手によっては、吉野を「隅田」と歌う場合もあります)という歌詞があります。不利な戦況になったとしても、最後は歩兵の突撃によって敵陣を占領し勝利を挙げろ、いう意味だそうです。まさに「死に花を咲かせる(死ぬ間際にはなばなしいことがあって、名誉を死後に残す)」の世界ですが、桜と同じようにいのちをはかなく戦場で散らした当時の若い兵士たちを思うと心が痛みます。

 

また、桜の花が散りゆくさまについては、「いつのまに 散りはてぬらむ 桜花 面影にのみ 色を見せつつ(凡河内躬恒・後撰集)」等、数多くの和歌に詠まれてきました。一夜の雨、一陣の風に散ってしまう桜は、人生のはかなさを痛感させるような、胸打たれる思いがしますから、先人たちは桜の姿を自分自身に照らし合わせ、和歌を詠んだのでしょう。

 

桜のほかにも、たとえば、ジャスミンの香りをやわらかく、清々しくした印象の強い香りがする月下美人の花は、白い大輪で、夜に咲き始め翌朝までの一晩でしぼみ、散ってしまうことで有名です。また、月見草は、その名のとおり、月が現れる夕方から朝にかけて咲き、朝になるとしぼんでしまいます。このほかにも、ドラゴンフルーツの白い花も一日花ですし、赤やピンク、黄色等の派手な色合いのアメリカ合衆国ハワイ州の州花でもあるハイビスカスは、夜の9時ごろに開花し、夕方にはしぼんでしまいます。

 

※ 一般に月見草と呼ばれる花は、「富士には月見草がよく似合う」と太宰治が『富嶽百景』で紹介したオオマツヨイグサ(大待宵草)を指すそうです。「月見草」という名前がつく「ヒルザキツキミソウ」は、白からピンクに変わり、日中開花する園芸種であるそうです。

※ ハイビスカスは、昨今の品種改良で、数日間開花し続ける品種も生まれたそうです。

次回のブログでは、花のはかない一生について、お話ししたいと思います。

 

~ 今回の記事執筆にあたり、ランドブリーズ 渡辺憲司様、株式会社浦上蒼穹堂 代表取締役 浦上満様、フラワーショップ華曜日 荒川智彦様、積水ハウス株式会社 常任監査役 久保田芳郎様にいろいろとご教授をいただきました。ありがとうございました。

 

この記事にコメントをする

IMGP3391.JPG

2013年3月3日(日)11:00
神奈川県川崎市麻生区 ホテルモリノ新百合丘にて凛凛花を撮影
 ※ 凛凛花はアネモネの新品種
   アネモネの花言葉:はかない恋、清純無垢、可能性

 

 

 2月1日(金)付記事より、私が撮影してきた花の写真とともに、花について私が思い・感じ・考えてきたさまざまなことをつづっています。今回は、前回前々回に引き続き、私の好きな花の香りと、花についての和歌、俳句も少し織り交ぜながら、秋、冬の花についてお話します。

 

  秋は、冴えわたる空と月、そして趣のある美しい草花の多い季節であると思います。たとえば、10月頃に開花する金木犀や銀木犀は、秋の到来を感じさせる甘く強い華やかな香りを放ちます(金木犀の方が、その香りがより強いそうです)。香りも印象的ですが、オレンジの金木犀、白の銀木犀の小さな花びらが、はらりはらりと散り、地面を鮮やかに染める様は正に秋の風物詩といえるでしょう。また、ドライブの道すがら、漢字で「秋桜」と書くコスモスの花が、秋風にたおやかに靡く風景をよく目にしました。コスモスは、花びらが星々のように美しく整然と並ぶ様子から、秩序、宇宙と同じ名前の由来を持つのだそうです(日本経済新聞2012年11月10日夕刊「あすへの話題」)。

  20130308-01.jpg

2011年10月10日(月)千葉県若葉区小間子町 風戸農園付近にて撮影
※ 風戸農園については、2011年10月18日(火)付記事【交友録その14】もご覧ください。

20130308-02.JPG

2012年10月20日(土)東京都渋谷区代々木公園にてコスモスを撮影

 

  冬の寒々しい冬枯れの印象から花をイメージする方は少ないかもしれませんが、冬に美しい花をつける花もあります。晩秋から冬にかけての寒い時期に、華やかな色の花を咲かせる山茶花は、そのとりどりの色だけでなく香りも魅力的です。山茶花の花は、赤や、白、ピンクなど様々ですが、香りはそれぞれ違い、白はふんわりと淡く優しい香りで、赤やピンクの山茶花は白のものに比べるとやや濃い、ジャスミンのような甘い香りがするそうです。なお、山茶花は、日本原産の樹木であり、英名も「Sasanqua」で、「サザンカ」と読んで通じるのだそうです。山茶花の花びらが、艶のあるその濃い緑の葉の上に、1枚、また1枚と散るさまは、冬枯れのもの淋しい季節にあっては数少ない貴重な彩飾のひとつといえるでしょう。

20130201.JPG

 2013年1月27日(日)東京都八王子市南浅川町うかい竹亭にて山茶花を撮影

 

 また、山茶花とよく似た花木に椿(中国で山茶花と書くと、椿を指すそうです)がありますが、椿の花は山茶花とは異なり、散るときには花首(はなくび)ごと落ち、そのさまは「落ち椿」と表現されます。そして、介錯を連想させることから、古来、武家社会では忌み嫌われ、武家屋敷には椿の木を植えられることは稀であったそうです。現在でも、武家の家系の家では、庭に椿の木を植えない家庭は多くあるそうです。しかし、茶の湯では、椿の花は冬の茶花の代表格でもあります。武士(もののふ)の茶人は、冬の茶事の折には床の花入れにどのような花を生けていたのだろうか、と思うことがあります。

 IMGP0932.JPG

2012年2月24日(金)東京都千代田区一番町付近にて椿を撮影

 

 そして時はめぐり、また花の咲きほころぶ春が訪れます。春の花については先週、先々週のブログに書きましたが、早春(2月頃)、まだ寒い時期に満開を迎える椿寒桜(つばきかんざくら)は、私の好きな曲のひとつである1949年(昭和24年)に発売された藤山一郎さんと奈良光枝さんのデュエット曲『青い山脈』に登場します。

 

 戦後間もない昭和22年に発表された石坂洋次郎氏の青春小説を原作とする映画の主題歌であったこの曲は、「若く明るい歌声に 雪崩は消える 花も咲く 青い山脈 雪割桜(※椿寒桜の別名)」というフレーズにあるとおり、まだ極寒の2月頃、ちらちらと、ひとつ、ふたつとつぼみがほころびはじめる椿寒桜を、冬の(戦争の)時代の終わりと、戦後の希望に満ちた時代への幕開けを告げる花として歌われています。

 

 3回にわたって、季節ごとに咲く種々の花々について書くにあたり、いろいろと調べてみると、その花々の個性にあらためて魅了されます。花は、うつりゆく季節に寄り添うように、咲き、何気なくとも愛おしい日々の背景に、そっと彩りを添えてくれます。

 

 そして、花は、季節のうつりゆくさまとともに、芽吹き、成長し、開花し、そして満開に咲き誇り、くずれおちるように散り、朽ちていきます。花だけでなく、植物、動物、わたしたち人間、地球、宇宙に生き死ぬすべてのいのちも、いずれも生まれては消えていく、はかない存在です。

 

 「巡りくる 去年〔こぞ〕に変はらぬ 花の季節 うつろひゆくは わがこころなり」
(江口君子「追憶」より:『足利文林』第76号)

 

 春夏秋冬、朝な夕なの花の姿のなかに、時のうつろいをふと感じるとき、私は些かの感傷をもって、これまでの人生を思わずにいられません。

 

~ 今回の記事執筆にあたり、川口彩子様、石草流生け花 家元後継 奥平清祥様、冷泉流歌壇玉緒会 伊藤幸子様、草月流師範 栗生世津子様、ランドブリーズ 渡辺憲司様にいろいろとご教授をいただきました。ありがとうございました。

 

この記事にコメントをする

IMGP3379.JPG2013年2月23日(土)13:55
東京都文京区小石川3丁目付近にて撮影
花言葉:愛、美

 

 2月1日(金)付記事より、私が撮影してきた花の写真とともに、花について私が思い・感じ・考えてきたさまざまなことをつづっています。花といえば、「花鳥風月」という言葉があるとおり、日本では、古来より、花のある美しい自然の風景や風情を重んじてきました。今回は、前回に引き続き、私の好きな花の香りと、花についての和歌、俳句も少し織り交ぜながら、季節ごとにお話します。

 

 真っ先に春を呼ぶ梅の花については、前回の記事でお話しましたが、梅の花に続いて、桃の花、杏子(あんず)の花、桜の花がつぎつぎにほころび、麗しい春の訪れを私たちに告げてくれます。

 

 関東では桜よりも少し早く咲く桃の花には、ほとんど香りがありません。桃の香りというと、桃の果実の甘く瑞々しい香りを思い浮かべてしまいますが、実際には全くしないとのことです。桃の鮮やかなピンク色を目にすると、かつて、地方に出張に赴く際によく通った、中央自動車道等の車窓からみえる山梨県南アルプス市の桃源郷の、富士山を背景に、桃の花々がのどかな春の空に映えた風景が懐かしく思い出されます。桃の花の控えめな美しさは「桃李不言下自成蹊」(桃李もの言わざれども下おのずから蹊を成す:桃や李〔すもも〕は言葉を発することはないが、美しい花と美味しい実の魅力にひかれて人々が集まるから、その下に自然と道ができる。桃や李は、徳のある者のたとえで、優れた人格を備えた人のまわりには、その人を慕って自然と人が集まってくる、という意味)の言葉があるとおりです。なお、この言葉は、成蹊大学の学名の由来となっていると聞きます。

 

 このように、君子を説くひとつの象徴となる桃の花は、同時に、女性らしい花でもあります。桃の花、実、葉について、その瑞々しさを女性にたとえた詩「桃夭」(若々しい桃、という意味)が中国最古の詩集『詩経』に収録され、古来中国から結婚式の席上好んで詠われてきたそうですし、日本でも、上巳(「桃の節句」)が、女の子の厄除けと健康祈願のならわしとして広く親しまれています。2月22日(金)に、今年12月6日(金)ホテルグランドパレスで開催を予定している当事務所の年末講演会の打ち合わせをホテルオークラ東京で行いましたが、本館ロビーでは雛祭りのお雛さまが飾られ、桃の花も活けられていました。私の娘や、孫の初節句を懐かしく思いだしました。

 

 ※ 「桃夭」(『漢詩名句辞典』鎌田正・米山寅太郎著、1980、大修館書店より抜粋)
   桃之夭夭 灼灼其華(桃の夭夭たる灼灼たり其の花)
   
~ 若々しい桃の木には、色あざやかに花が咲き乱れている
   
之子于帰 宜其室家(之の子 于に帰〔とつ〕ぐ 其の室家に宜しからん)
   
~ そのように美しい適齢期のこの娘がお嫁に行ったら、
      その家庭に調和して、立派にやってゆくことであろう。

 

ホテルオークラの桃の花.JPG2013年2月22日(金)15:30 ホテルオークラ東京本館にて撮影
左から株式会社クレース・プランナーズ代表取締役 正門律子様、私、
コントラバス奏者 大槻健太郎様

 

 

 ところで、私は、少年時代からロマンあふれる古代史に大いに関心を持ちつづけてきました。古代史にまつわる文献をよんでいると、花と人とのいにしえからの深いつながりを実感することがあります。たとえば、邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡で、2009年に確認された大型建物跡から、2000個を超す桃の種が見つかったそうです。桃は、古代中国の神仙思想(道教思想の基礎となった思想)で、不老長寿や秩序を象徴する女神、西王母(せいおうぼ)の食べ物とされ、邪気を祓う神聖な植物とされてきたそうです。日本には弥生時代に伝わり、弥生時代の遺跡で、祭祀に用いられたとみられる桃の種が広く出土されているそうです(参考:2010年9月17日付日本経済新聞)。花と古代史については、いつかまたブログで書きたいと考えています。なお、この思想にもとづいて、邪気の象徴である「鬼」を、桃から生まれた桃太郎が退治する「桃太郎」のおとぎ話ができたといわれているそうです。

 

 また、杏子の花といえば、「日本一のあんずの里」として世に名を馳せてきた長野県千曲市の倉科・森地区が有名です。例年4月上旬頃に開花し、遠くから見ても里全体がうっすらと色づいているのがわかるほどだそうです。今春には、できれば山梨県南アルプス市、長野県千曲市どちらも訪問したいと願っています。杏子の種は、種の中の核(仁)にせき止め、のどの痛み等の薬効があるとされ、「杏仁」と呼ばれ、漢方で用いられているそうです。中華料理のデザートである杏仁豆腐も、薬用の杏仁とは少し違うものの、同じように薬効があるとされているそうです。

 

 また、杏子の林を杏林(きょうりん)といい、「杏林」には医者という意味があります。これは、三国時代の呉(222年~280年)に生きた董奉(とうほう)という名医が、治療代をとらない代わりに、病気が治った人には、杏子の苗を植えさせたところ、いつしか杏子の木が茂る大きな林ができたという中国の故事「神仙伝」(西晋・東晋時代〔265年~420年〕に著されたとされています)に由来するもので、杏林大学の学名、杏林製薬の社名の由来になっていると聞きます。

 

 また、桜の花については、日本では「花」といえば特に桜の花を指すほど、日本を代表する花です。桜については、また別の機会に詳しく述べたいと思います。

 

 晩春の花としては、4月頃から咲き始める山吹の花が好きです。山吹といえば、太田道灌(1432年~1486年)の山吹にまつわる伝説が有名です。ある日道灌が鷹狩りに出かけた帰りに蓑を貸りるために貧しい民家に立ち寄りました。しかし、その家に住む少女が、蓑ではなく山吹の花を差し出したので、道灌は怒って帰りました。後日、家来から「七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに なきぞあやしき」(兼明親王、後拾遺集)という歌になぞらえたのではないか、との話があり、道灌は己の不知を恥じ、この日から歌道に精進するようになったそうです。この歌のとおり、山吹は、明るい黄色からオレンジの中間の色(これを山吹色と呼ぶそうです)の花を七重、八重に折り重なるように咲かせ、春の終わりをはなやかに彩ります。

 

 そして、春の宵は過ぎ逝き、惜別の感傷にひたりつつも、次の季節、夏がめぐりきます。夏の花でいえば、まず、5月頃に開花する橘(たちばな)の花は、「さつきまつ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする」(よみびとしらず・古今和歌集)という有名な和歌があるとおり、爽やかで清々しい柑橘類(シトラス)の香りがします。橘は、昔から日本に自生していた日本固有の木ですが、いまや自生地は少なくなり、絶滅危惧種となっているそうです。

 

 梅雨時、つまり旧暦の五月雨の頃の花でいえば、白から黄色に変化する花を咲かせる梔子(くちなし)の香りに魅力を感じます。梔子の学名の種名「jasminoides」は「ジャスミンのような」という意味があるそうで、その名のとおり、甘いジャスミンの香りよりも一層甘く、やや、ふくらみを持たせたような深い香りが印象的です。梔子の花言葉はいくつかあるようですが、そのなかのひとつである「喜びを運ぶ」という言葉がぴたりと合う素晴らしい芳香です。雨上がりには特に香りが増すそうで、「薄月夜 花くちなしの 匂いけり」という正岡子規の歌がありますが、雨続きで気持ちがふさぎがちな梅雨も、このような情景に出逢える季節と思えば、とても楽しみで待ち遠しい気分になるものです。

 

梔子.JPG

2012年6月26日(水)東京都千代田区北の丸公園にて
雨上がりの梔子を撮影

 

 また、梅雨を代表する花として、忘れてはならないのが紫陽花です。私にとってもっとも忘れがたい紫陽花の思い出は、箱根登山鉄道沿線に咲く見事な景色です。私は、1973年(昭和48年)1月に事務所を開設してからしばらく後、数年間、休日に、たびたび強羅に勉強に訪れていました。その行き帰りの箱根湯本から強羅にむかう車窓からは、左右の線路わきに寄り添うように咲き、五月雨に鮮やかに映える愛らしい姿を眺めることができました。その鮮やかな花景色は、穏やかなリズムで進む登山列車と一対になって、いまも瞼に焼き付いています。

 あじさい.JPG

2012年6月17日(日)東京都千代田区千鳥ヶ淵交差点付近にて撮影

 

 夏の茶事で茶花としてよく用いられる木槿(むくげ)の花も魅力的です。

夏7月頃から秋10月頃までの長い間、白、紫、赤などの美しい花をつけます。「デリケートな美」という花言葉にもあるように、一輪摘んで生けたとき、その花の姿はとても繊細な美しさで見る者を魅了します。そして一夜でしおれてしまう儚さに、「もののあはれ」の美を感じます。

 

槿.JPGのサムネール画像

2012年8月5日(木)東京都千代田区清水谷公園にて撮影

 

このブログでも、私が撮影した木槿の写真を何度か掲載しましたが、なかでも、2011年9月23日(金)から25日(日)にかけての高知での旅の道中で、9月24日(土)に大方町上川口にある「朝鮮国女の墓」を訪ねた際に咲いていた白とピンクの木槿は格別です(木槿は、韓国の国花であるそうです。詳しくは2011年10月4日付「歴訪記」記事をご覧ください)。

 

掲載用 坂高麗ザエモン.jpg また、この3月9日に、小生の10年来の知人が結婚されます。私は、東洋古美術の専門美術商「浦上蒼穹堂」で、結婚祝いにふさわしいものを浦上満様に手配していただき購入し、その知人にお贈りしました。茶の湯には、「一楽、二萩、三唐津」という言葉があります。その作品は、萩焼の坂高麗左衛門(先代〔12代〕坂倉新兵衛氏〔1949年~2011年〕)のもので、木槿の花が描かれています。文禄・慶長の役(1592年~1598年)の際、朝鮮半島から毛利輝元によって萩に連れてこられ、兄の李勺光と共に萩焼を創始した朝鮮人陶工の李敬(1586年~1643年)を初代とする坂高麗左衛門の作品に、朝鮮半島ゆかりの木槿が描かれていることに胸を打たれる想いがいたしました。

 

 木槿のほかにも、暑い夏の日には、1958年頃、武蔵野の奥の平屋建ての家の庭で百日紅(さるすべり)が鮮やかに咲き誇っていた光景が懐かしく思いだされます。夏のうだるような暑さのなかでも懸命に花を咲かせる姿が、青年であった私を勇気づけてくれたことを憶えています。「散れば咲き 散れば咲きして 百日紅」(加賀千代女)、「杉垣に 昼をこぼれて 百日紅」(夏目漱石)、「炎天の 地上花あり 百日紅」(高浜虚子)など、晩夏の季語として、多くの俳人、歌人に詠まれています。

 

 百日紅.JPG

2012年9月16日(日)東京都港区芝公園にて撮影
残暑厳しいなか咲く白い百日紅

 

 次回の記事では、秋、冬の花についてお話ししたいと思います。

 

~ 今回の記事執筆にあたり、川口彩子様、石草流生け花 家元後継 奥平清祥様、冷泉流歌壇玉緒会 伊藤幸子様、草月流師範 栗生世津子様株式会社エール 代表取締役社長 丹澤直紀様、株式会社光彩工芸 取締役 深沢信夫様、ランドブリーズ 渡辺憲司様にいろいろとご教授をいただきました。ありがとうございました。

 

この記事にコメントをする

ご利用案内

内容につきましては、私の雑感等も含まれますので、真実性や正確性を保証するものではない旨ご了解下さい。

コメント欄に法律相談を書き込まないようお願い致します。

私のブログへのご意見・ご批評をお待ちしております。コメントは承認制とさせて頂いておりますが、基本的に掲載させて頂きたく存じますので、ご記名のうえご記入下さい。掲載不可の方はその旨ご記入下さい。

→ リンクポリシー・著作権

カレンダー

<   2013年3月   >
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

カテゴリ

プロフィール

高井・岡芹法律事務所会長
弁護士 高井伸夫
http://www.law-pro.jp/

Nobuo Takai

バナーを作成