2012年7月のアーカイブ

「自己研鑽」(その3)


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2012年7月25日(水)午前7:30
東京都千代田区三番町付近にてミニバラを撮影
花言葉:「無意識の美」

 

 今回も引き続き、「自己研鑽」をテーマにお話ししたいと思います。

  さて、前々回のブログ記事で、勉強のひとつの方法として、私が取り組んできた継続的な執筆活動について述べましたが、文章を書く際になによりも大切なことは、「推敲」を重ねて文章を練り上げることであると思います。

 

 推敲とは、「詩文を作るのに字句をさまざまに考え練ること」(広辞苑〔第5版〕)ですが、これは中国唐代の詩人賈島(779年~843年)が、「僧推月下門」という句を思いついた際、門を「推(おす)」ではなく「敲(たたく)」にするべきかどうか迷い、韓愈(768年~824年)に問い、「敲」の字に決めた、というよく知られた故事に由来します(『唐詩紀事』巻四十)。賈島のような詩人や作家に限らず、文章を書く人はみな、推敲に重きを置きます。

 

 一度書いた文章は、推敲することで輝きを増していきます。まさに、「玉磨かざれば光なし」であるということです。なお、校閲(文書・原稿などに目をとおして正誤・適否を確かめること)、校正(文字の誤りをくらべ正すこと)も、推敲と似ています。どちらも推敲とあわせて行うべきです。

 

 推敲してみると分かることですが、これで完璧と思っていた文章でも、完璧どころか間違っていることはよくあります。間違いを修正するために辞書を引いたり、文章表現を工夫したりしているうちに、文章が上手になると同時に多角的な思考をするようになり、国語力を身につけることができますから、自分の成長に繋がります。これこそが、推敲がもたらす一番の効用であると思います。

 

 自分の思い・感じ・考えたことを文章化し、文字にしてそれらを検証し、推敲を重ね表現の的確さの確認をするという一連の作業を経て初めて、自分の思いや考えは、形となって自分のなかに定着すると思います。そして、ビジネスに限らずどんなシーンにおいても、自分の思いや考えを、的確な言葉を使い、論理的な文章を書く力を身につけることは、基本です。幸いにも、いまはメールのやりとりが増え、文章を書く機会が増えていますから、書きっぱなしにせずに、推敲の習慣をつけて、研鑽を重ね、文章力を向上させていただきたいと思います。

 

(リライト 宮本・加藤)

自己研鑽(その2)


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2012年7月14日(土)午後12:05
東京都千代田区麹町一丁目にて西洋風蝶草(クレオメ)を撮影
花言葉:「秘密のひととき」

 

 先週7月13日付けブログ記事にて、「充実した人生を過ごすには、生涯勉強し、研鑽しなければ結果が得られにくい」と述べ、勉強の一つの方法として執筆活動についてお話しいたしました。今回も引き続き、「自己研鑽」をテーマにお話ししたいと思います。

 

 私たちが勉強を開始するときに端緒となるのは、多くの場合、さまざまな書籍や雑誌に触れることです。しかし、あれこれ忙殺されていると、読書はなかなかできません。

 

本来、読書の醍醐味は、作者あるいは執筆者の作り出した世界をじっくり味わうことにあると思います。しかし、限られた時間のなかでこれを実行するのは容易ではありませんから、そもそもどの書籍、雑誌を読めばよいか、判断・選別する工夫が必要になってくるでしょう。私は、時間のないときには、まず目次をみて、記事毎のリード文に惹かれるかどうかをひとつの基準にしています。読書によって多角的・多面的な視野をもつためには、1冊に時間をかけて読むよりも、より多くのジャンル、より多くの文章に触れることが重要である場合もあるのです。

 

 読書の時間ができたとしても、結局は自分の仕事に関係するテーマの本を選んでしまうことが多いかもしれません。

 

この点、私の読書歴を振り返りますと、ブログのテーマでもある「無用の用」を大切にして、さまざまなジャンルの書籍を読んできたように思います。そのなかでも、時代小説、たとえば吉川英治(1892年~1962年)、藤沢周平(1927年~1997年)、山本一力(1948年~)、宇江佐真理(1949年~)などの作品を好んで読みました。一見、仕事に関係がないようにみえますが、名作と呼ばれる小説は、人間の洞察、描写が出色であり、これが大いに勉強になるのです。書籍や雑誌を読むことは、それを執筆した人の魂に触れることと同義であると思います。

 

 たとえば、吉川英治著『宮本武蔵』の最終章は「魚歌水心」と題され、次のような文章で締めくくられています。

 

「波騒(なみざい)は世の常である。波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚(ざこ)は歌い雑魚は躍る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。水のふかさを。」(吉川英治歴史時代文庫21『宮本武蔵(八)』、講談社、1990年、369頁)

 

「魚歌水心」という言葉は、出典を探してみてもわからなかったので、あるいは吉川の造語かもしれません。私は、『宮本武蔵』の最後の文章とあいまってこの言葉に感銘を受け、書家にお願いして書いていただいたという思い出があります(詳しくは2011年12月6日付ブログ記事をご覧ください)。

 

 書籍や雑誌を読むと、執筆者の魂に触れることによって自分の魂も揺り動かされ、さらには、執筆者の考えに同意したり、もしくは抵抗したりして、あれこれ思考を巡らす過程を経ることができます。そして、それによって、自分自身の心・魂が練られていき、成長に繋がるものであると思います。

 

 このように、読書はいつの時代も変わらない自己啓発手段です。読書の 時間を持てずにいる方は、この機会に是非、読書をする時間を一日に少しでも設けていただきたいと思います。

 

(リライト 加藤・宮本)

自己研鑽(その1)


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2012年7月11日(水)朝7:30
東京都千代田区九段南三丁目にてランタナ(和名・七変化)を撮影
花言葉:「協力」「厳格」「心変わり」等

 

 前回7月6日(金)付のブログ記事で、私が当事務所報「Management Law Letter」1997年5月号に書いた巻頭言「いかに企業構成員に上昇感を与えるかの課題に取り組む」をご紹介いたしました。そのなかで、「変化の時代を迎えて、誰しも勉強しなければそれに対応しきれない、また、萎縮し続ける社会の中でそれを乗り切ることはできない」と述べ、勉強のひとつの方法として、私が取り組んできた継続的な執筆活動をあげました。

 

 本の出版や雑誌への寄稿などは、自分には縁のない別世界の話だと思う人も多いかもしれませんが、いまの時代はブログなど、無料で自分の意見を社会に発信できる便利なツールがあります。書籍の出版でも、ブログでも、しっかりと資料にあたり、根気よく勉強をしたうえで原稿をまとめ、そしてなにより、継続して書き続けることが大切です。そうすれば、思いもしなかったような新しい着想が浮かぶこともありますから、自分の成長につながります。また、あなたが今執筆を行える場がブログだけであったとしても、自分の思い・感じ・考えたことを日々まとめた集積は、いつの日か大いに役に立つでしょう。まさに、継続は力なりです。

 

 さて、継続性の大敵は、なんといっても「怠け心」です。人は本能的に楽なことを求め、苦しいことやつらいことは避けようとするものです。これが怠け心の正体なのです。

 

 この怠け心を克服するには、試練をゲームのように楽しむ気構えが効果的です。ゲームにはルールがありますが、ルールを守る経緯で生じる試練を克服することこそが、ゲームの醍醐味であると思います。つまり、ルールとは、試練が姿を変えたものであるといえるのではないでしょうか。このように、ゲーム感覚を、実生活に取り入れてみることも一つの手立てです。

 

 執筆活動に限らず、どんなかたちでも、勉強を継続的におこない、新しい知識、能力を身につけ、優れた人材となるという強い意志がなければ、これからに時代は到底生き残ることはできないでしょう。私は、江戸時代の儒学者佐藤一斎(1772年~1859年)の「少(しょう)にして学べば、すなわち壮にして為すことあり。壮にして学べば、すなわち老いて衰えず。老いて学べば、すなわち死して朽ちず。」(少年のときに学んでおけば、壮年になってから役に立ち、何事かを為すことができる。壮年のときに学んでおけば、老年になっても気力が衰えることはない)という言葉を大切にしてまいりました(「言志晩録」第60条:岬龍一郎編訳 佐藤一斎『〔現代語抄訳〕言志晩録』PHP出版より)。

 

充実した人生を過ごすには、生涯勉強し、研鑽しなければ結果が得られにくいということを、改めて、皆さんに伝えたいと思います。

 

(リライト 加藤・宮本)

これまで高井先生の国内外の出張、会食、会合に同行し、

学ばせて頂いたことは本当にたくさんあります。

 

今日はその中でも、時間に対する意識という面で

私が強い影響を受けたことをお伝えしたいと思います。

 

それは、

 

「会合、会食にあたって『けじめ』をつける」

 

ことの大切さ。

 

 

高井先生は決して会合、会食の時間をだらだら延長させる

ことはされません。

 

特に会食の場において特徴的だと感じるのですが、

スタートから終了までの時間が短くて物足りないということなく、

反対に必要以上に長い時間をかけ、冗長になるということもなく、

 

「ちょうど、このくらいで終われば良い余韻が残る」

 

と思われる絶妙のタイミングで、

 

「それでは今日はありがとうございました」

 

と締めの挨拶をされるのです。

 

その場に居合わせたことのある方は皆さん感じられる

ことでしょうが、それはそれは潔く、かつ鮮やかです。

 

私などは、ともするとひと通りのテーマについて話し終えた後も

だらだらと居残ってしまう、ということを行いがちでしたが、

 

自身の時間の使い方を振り返り、もっとしっかり「けじめ」を

つけたほうが良いな、と思ったものでした。

 

 

そんな高井先生のスタイルから私は2つのことを学び、

今も実践しています。

 

 

一つは上にも記しましたが、

 

「会合や会食に意義を持たせるために、必要にして十分な時間を

 見計らい、そのタイミングで終了することを習慣とする」

 

こと。

 

ずるずると時間を延長しない。

キリの良いところでさっと終了する。

 

これにより、参加者全員が心地良い余情を残しつつ、

その場を退出することができようになるのではないか、

 

そんな風に感じています。

 

 

そしてもう一つ大切だと思われたことは、

 

 「周囲に『そういう人(=長居しない人)』だと

  理解してもらう」

 

こと。

 

案外、これは見過ごされがちなことかもしれません。

 

どういうことかというと、高井先生ご本人が

周りにいる人たちから、

 

「そういう人(=時間を大切にし、けじめをつける人)」

 

なのだと既に認識されているから、打ち合わせや会食の時間を

キリのよいところでパっと切り上げられても、

それが当たり前だと思われるし、

 

そこに一貫性を感じ、かえって驚嘆されさえするように

なるのではないか、

 

また、そういったスタイルであることが分かっているがゆえに

多忙な人であっても、安心してお誘いに乗ることができるのでは

ないか、

 

そんな風にも思われたのです。

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2012年6月30日(土)朝7:31
東京都千代田区北の丸公園にてタイサンボク(泰山木)を撮影
花言葉:「前途洋洋」「壮麗」

 

6月22日(金)・29日(金)の2週に分けて、私が当事務所報「Management Law Letter」2009年新緑号に書いた巻頭言「存続こそ企業の社会的責任」を紹介しました。この内容を受けて、今回は、1997年5月号に書いた巻頭言「いかに企業構成員に上昇感を与えるかの課題に取り組む」をご紹介します。

これは15年前のものですが、企業が存続に向けて努力した具体例が書かれており、いまの時代にも十分あてはまる普遍性があると思われます。

 

 

<当事務所報「Management Law Letter  1997年5月号の巻頭言より転載>

 

 

【いかに企業構成員に上昇感を与えるかの課題に取り組む】

 

まさに変化の時代を迎えて、誰しも勉強しなければそれに対応しきれない、また、萎縮し続ける社会の中でそれを乗り切ることはできないと痛感する毎日である。私はその勉強のひとつの方法として、執筆活動を続けている。最近最も力を入れてきたものは『揺らぐ終身雇用制』(労働新聞連載)であって、これはこの3月末をもって2年半に及ぶ連載を閉じたばかりである。

 

 こうした連載にあっては、統計を読み、資料を漁るという作業を根気よく続けながら絶えず新しい世界を構築していかなければならない。常に新しいもの、核心をついたものを書き続けたいという思いに駆られながら執筆活動に取り組むが、その結果、思いのほか新しい着想が浮かび、新しい真実に近づくことができる。

 

それにつけても、人間の発想や理念は無限大の拡がりと深さを持つことに思いが至り、頭脳活動の神秘さに改めて感じ入るのである。

 

昭和52年、私は倒産間際にあった一部上場企業「ニチバン」の再建の一端を担当した。これにはいろいろ経緯はあるが、大鵬薬品工業株式会社の社長である小林幸雄氏が「ニチバン」の再建を引き受けることとなり、人件費を圧縮するという方策だけでなく、年間労働時間を1865時間から2136時間に延長するという抜本的施策を採用するということに始まった。私はこの関係の裁判を引き受け、裁判では負け続けたが、結局会社再建に成功した。

 

成功の原因は、従業員の大半が労働時間の延長策等々の施策が会社再建にとって必要不可欠な処置であるという理解に達したことによる。東京地方裁判所(渡邊壮裁判官)も昭和54年6月7日の決定において「もとより、当裁判所は、債務者の積極的な経営政策をそれ自体として批判するものではなく、また、本件勤務時間延長実施の前後を通じて相当数の従業員が債務者の経営方針の転換、経営政策の積極化に協力的な気運を醸成していた、との債務者の主張を否定し去るものではない」と認定した。会社が従業員に満足感・幸福感・充実感を与えることに成功したのである。その根源は何かと言えば、企業には浮揚感を、また従業員個々には上昇感・燃焼感を与えることを企て、かつこれを実現したことに他ならない。

 

ところで、当時の合化労連ニチバン労働組合の佐藤功一委員長に対する反対尋問は、数年間にわたって30回以上に及んだ。この間同じ命題をめぐって、私が質問し彼が答えるというやりとりの中で、人間の頭脳の緻密さや深さといったものを体感した。同じことを質問しながらも自分が絶えず新しく構想し、また委員長の答弁も、次第にそれにふさわしい深みと意義を持ったものとなっていったからである。それはもとより虚偽を語るものではなく、真実を次々と新しく発掘する経過であった。

 

今後の勉強の課題も、この時代にいかに企業を浮揚させ、従業員に上昇感・燃焼感を与えることができるかの一点にあるが、それには現実的困難を克服する気構えが必要であると自覚している。

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