2012年2月のアーカイブ

高井先生から教えて頂いて以来、印象に残り、いつも意識している

言葉に「私心を捨てよ」というものがあります。

 

 

このブログの2011年8月5日付記事において、高井先生は

 

「『私心』とは『私欲』とか『利己主義』という意味にも

理解されるもの

 

(中略)

 

人間は社会的動物と言われますが、『私心』があれば社会性を失うと

いうことにもなります」

 

 

といわれていますが、間近に接しさせていただき、

まさにこの姿勢を自ら実践されていることを感じます。

 

 

とくに人、物、金、知識、情報、信用といった貴重な資源を

手元に留め置き、秘匿、隠匿し(ストックし)、

 

もって自分の利益のみを図る、という姿勢ではなく、

それらを寸刻も手元に留め置かない、というほどの勢いをもって

(フローで)回されているところに感銘を受けるのです。

 

 

そうやって、ある種の勇気と決意を持ってフローの姿勢を貫いていくと、

やがてその流れが巨大な潮流となって、大きな渦巻きとなり、

結果として、手元にとどまるものも大きなものとなっていく、

ということが分かります。

 

反対に、「私心」や「邪心」によって、さまざまな資源を手元に留めたり、

あるいは、自らのみを利することを考えていると、いつしかせっかくの宝も

朽ち果て、腐敗し、結果として社会性を失う(人から見放される)ということ

にもつながっていくのでしょう。

 

私自身、高井先生からたくさんの方(おそらくは、のべ数百人を

優に超えるであろう方々)をご紹介いただき、一切の対価を求められることなく、

知識や情報を頂戴してきました。

(申し訳なく、そして有難く、たいへん感謝しております)

 

もとよりご多忙な身でいらっしゃるがゆえに、

その場で携帯電話でコンタクトをとるように言われたこともあれば、

先方の名刺のコピーをメールやFAXでお送りいただき、連絡を取るように

言われたり、紹介状を送っておいたから連絡するように、といわれたことも

あります。

 

もちろん、直接に会食の場をセッティングいただいたことも

多々あります。

(会食の場において双方の紹介を終えられた後、我々を残して、

すぐに次の会合に向かわれることもしばしばありましたが、、)

 

接するすべての人に、しかもおよそ半世紀近くの長きにわたり、

このような姿勢を続けてこられたがゆえに、巨大な渦巻きとなっている、

という現実を目の当たりにするにつけ、

 

まさに私心、邪心を捨てることによって、

矛盾するようですが、結果として、

さまざまな側面において自らを富ませることにも

つながっていくのであろう、と思われるのです。

 

私心、邪心を捨て去ることは容易なことではありませんが、

つとめて意識をしていきたいと考えています。

縁(その3)


 

20120224.JPG

(2012年2月11日 朝10:11 
東京都台東区上野公園 東照宮ぼたん苑にて撮影)

 

 

2月10日(金)より「縁」をテーマにブログ記事を連載しておりますが、今回は人間関係のトラブルに直面した際の「謝罪」について述べたいと思います。

 

 

【謝り上手になろう】

人間関係を上手に維持するためには、人の心の痛みを敏感に察知する繊細さが必要です。そして、人との縁を、気持ちよくかつ長くつなげていきたいならば、トラブルが発生したとき、円満にそれを解決する聡明さが何より重要になります。

 

まったく悪意はなくても、人に失礼なことを言ってしまったり、してしまったりするようなことは、誰にでもありますし、避けて通れないことです。しかし、こういったトラブルを起こしてしまった際に、責任逃れの言い訳に終始したり、率直に謝罪する誠意を持たなかったりする人は、疎まれ、嫌われるものです。謝らなければならない立場におかれたとき、大げさにいえば、人間としての真価が問われます。どんな釈明よりも真っ先に「謝罪する」という誠意を見せることが何よりも大切で、相手の怒りの感情を、一刻も早く鎮めることを最優先するのが、謝るときの基本です。

 

しかし、特にビジネスがらみの場合には、むやみに謝ればよいというものではありません。当方の非があきらかで謝るべき部分については、素直に謝らなければならないでしょうが、事実関係については、それとは別の客観的な判断を下さなければなりません。つまり、相手に被害や不快な感情を与えてしまったことに対してはきちんと謝ったとしても、事実に関しては安易に認めたり、妥協したりしてはならないと思います。相手の気持ちを慮りながらも、事実関係については、「別途、慎重に対処します」ということを適切な態度ではっきりと表明することが正しい謝り方であると思います。

 

 

 

【謝罪とは】

謝り方の得手不得手は、人生を大きく左右することもあります。謝り方が悪ければ、長年かかって築いた良好な縁が切れてしまうことになるでしょう。そして、忘れてはならないことは、謝罪とは、自分の心を救済するものではないということです。それでは単なる自己満足の世界です。謝罪とは、相手の傷ついた心を救済するためのものであるということです。

 

飼い犬や飼い猫は、人に迷惑をかける振る舞いをしたときに飼い主から叱責されれば、シュンとして反省をしますが、当然のことながら、そのあとで相手方にお詫びをしに行くことはしません。謝罪とは、他者の心の痛みを正しく認識し、自己を律する行為であり、人間にしかできない行動であると思います。つまり、謝罪とは、非常に人間的な行為であり、人間であろうとする行為なのではないでしょうか。

 

昔から「災い転じて福となす」というように、上手にお詫びをすることで相手の心を慰謝できたならば、信頼関係はかえって強まるものでしょう。謝罪しなければならない事態とは、単にピンチであるだけでなく、そのあとの縁の発展の大きなチャンスでもあるという2つの局面が背中合わせに存在する緊張状態なのです。言い訳をしたり、取り繕ったりをせずに、率直に謝罪する誠意・勇気をもつことが、縁をより成熟させる鍵となるでしょう。

 

 

(リライト:加藤・宮本)

縁(その2)


 

20120217.JPG

(東京都文京区伝通院付近にて撮影)

 

 

【挨拶】

先週から「縁」をテーマにブログ記事を連載しておりますが、今回は縁(人間関係)を築く入口となる「挨拶」についてお話ししたいと思います。

 

挨拶は、人間関係の基本です。中国古典『礼記』には、「挨拶はお酒を造る麹(こうじ)のようなもの」という記述があります。醸造に麹が不可欠であるように、挨拶は人間関係の構築に欠かすことのできないものです。

 

挨拶の漢字の由来をひも解いてみると、「挨」は「聞く」「押す」、「拶」には「押し返す」「引き出す」という意味があるそうです。つまり、「心を開いて、相手のよい部分を引き出す」ということが挨拶の本来の役目なのです。挨拶は、人間関係の入口であり、第一関門であると心得る必要があります。加えて、会社などの組織に属する人が、その組織外の人に対して挨拶をする場合は、自分が組織を代表しているという意識が大切です。

 

近ごろは、この挨拶が出来ない人が増えてきていると聞きます。しかし、挨拶が出来ない若手社員をみて上司が怒ってしまうのは間違いでしょう。挨拶とは、先にも述べた通り「心を開いて、相手のよい部分を引き出す」ものですから、「挨拶は先にすることをもってよしとする」ということに気づかなくてはなりません。上司が率先して挨拶をすれば、若手社員はそれを見習い、挨拶を積極的に行えるようになるのではないでしょうか。

 

また、朝一番に発する「おはようございます」は、特に基本となる挨拶であると思います。人と人とが、一日の始まりに会って最初に発する言葉だからです。この「おはようございます」がしっかりできるようになれば、「こんにちは」や「こんばんは」そして「ありがとう」という言葉も自然と発することができるようになるでしょう。

 

 

【「ありがとう」と感謝の心を表す】

人は皆、自分ひとりでは生きていけません。人が人を相互に支え、思い合うことで、人は生きていきます。

 

しかし、誰かに支えていただいたとき、何かよくしていただいたとき、「ありがとう」という感謝の心を適切に表現することはなかなか難しいことではないでしょうか。『礼記』には、「礼は節を踰(こ)えず」(礼儀は節度を越えてはいけない。丁重がよいといっても、度を超えた丁寧さは、むしろへつらいに近くなり、ときには失礼にさえなる。:諸橋轍次著『中国古典名言事典』〔講談社1973年〕より)という指摘もあります。ただ確かにいえるのは、感謝の心は、心で思っているだけではだめで、形や言葉や態度でしっかりと表さないと相手に伝わりにくいということです。ともすると、日常の雑事に紛れているうちに、感謝の心を伝えることをすっかり忘れてしまったりすることもあります。

 

しかし、よくお金の貸し借りでいわれる「借りた方はすぐ忘れるが、貸した方はよく覚えている」と同じように、何かをしてあげた側はいつまでもよく覚えているものですから、うっかり感謝の心を表すことを忘れてしまうことが度重なると「礼儀知らず」「恩知らず」という印象を相手に与えてしまうことがあります。そして、人間関係がぎくしゃくしてしまい、折角のご縁が、疎遠になってしまう原因となってしまいます。

 

そのような事態にならないように、私は、感謝すべきときには、忘れないうちに、丁重に感謝の心を表すよう意識しています。「ありがとう」は、漢字では「有り難う」と書きますが、これは、もともと「滅多にない」という意味です。人によくしていただくことを当たり前に感じていては、「有り難い」という感謝の気持ちが湧かないものです。感謝の心を真摯に、そして率直な言葉で表す人には、その謙虚さに人間的な深みと凄みを感じます。感謝の表明を繰り返し行い、それをよき習慣として定着させれば、おのずと自分も感謝される存在になり、縁、人脈は無限に広がっていくでしょう。

 

 

(リライト:加藤・宮本)

縁(その1)


 

20120210.JPG

2012年1月16日(月)朝7:03
東京都千代田区北の丸公園にてフユザクラ(バラ科)を撮影
花言葉:「優美・精神美」

 

 

 

 

2011年10月14日付記事から2012年1月13日付記事まで、計14回にわたって「病気」をテーマとしてブログ記事を連載してまいりましたが、いったん終了し、今回の記事から「縁」をテーマとして連載を開始いたします。

 

 

【人脈に恵まれるためには】

人はひとりでは生きていけません。

相互に思い合い、助け合える人の存在がなければ、人生は寂しいものになりますし、仕事のうえでも発展は望めません。人のつながりは家族が第一ですが、仕事や趣味の世界で築き上げる人間関係もとても大切です。一般に人脈と呼ばれるものです。

どのような人脈を持ち、どのような仲間がいるかで、その人の人柄や仕事での手腕・力量も、おおよそ見当がつくものです。

 

では、どうしたらよい人脈に恵まれるでしょうか。

これは簡単なことで、まず声をかけて、出会いのきっかけを作ることです。

なかには、せっかく出会って名刺交換もしたというのに、心を開いてもらえなかった、ということもあるでしょう。しかし、それも縁の内ですので、格別気にする必要はないと思います。つまり、相手の反応に過剰な期待を抱くことは禁物であるということです。

 

この広い宇宙で、直接対面して言葉を交わすことは、確率論的にいえば奇跡に近いことです。そのような奇跡的な出会いに恵まれたことを、まずは有り難く思いましょう。そして、相手の為に何か自分がお役に立てることがあるかを考え、打算抜きに、自分のできることを爽やかに実行することが大切です。そうすることで、相手は自分のことをよき仲間だと思ってくれるでしょう。

 

人脈作りの最低限のルールは、ギブ&テイクです。ときにはこちらが与え続けることもありますし、逆に受け取り続けることもあります。そうした状態になってしまっても、糸が切れない関係が本当の人脈でしょう。つまり、自分がよい人脈に恵まれ、また、相手にとってもよい人脈であるためには、ギブ&テイクを前提としながらも、こちらが与え続ける状況になっていてもそれを認める心の広さが必要であるということです。

 

 

【縁が円になる】

さて、私は、徳川将軍に二代(秀忠、家光)にわたって仕えた柳生家の家訓「小才は縁に出会って縁に気づかず、中才は縁に気づいて活かせず、大才は袖すりあう縁も活かす」という言葉が好きで、大切にしてまいりました。付き合いが濃密であれ、疎遠であれ、一度ご縁に恵まれた方とは、いつも変わらずに、丁寧にご縁を結んでおくことが大切だと思います。

 

縁や人脈を大切に生かしたいと思うならば、まずは手紙やハガキをまめに出す癖をつけることが必要です。「理由がないのになかなか書けない」という方が多いかと思いますが、手紙を出す機会を絶対に逃さないようにすればよいのです。私は、例えば、ちょっとした品をいただいた時、すぐにお礼状を出すようにします。そして、初めてお会いした方には、「先日はお目にかかれて幸いでした。○○に関するお話が大変参考になりました。また機会がございましたらお目にかかりたく存じます。」といった内容のお手紙を出しています。メールでもかまわないですが、できれば手書きがよいでしょう。IT時代においてはアナログな「手書き」の価値が逆に高まっているからです。

 

人の縁とは不思議なもので、1つの出会いが人生を大きく変えることが折々あります。そして、縁は、つないでこそ更に生きてくるし、意味があると思います。「折角知り合ったご縁を、自分の人脈のどなたにご紹介するのがよいだろうか」ということを常に念頭においていると、素敵な人脈が無限に広がっていきます。つまり、「縁が円になる」ということです。なんと素敵なことでしょう。

 

次回も「縁」についての記事を投稿したいと思います。

 

 

(リライト:加藤・宮本)

本ブログ2011年12月20日付【歴訪記その9】でご紹介いたしました通り、私は、同年11月19日(土)から11月27日(日)まで、弊所の特別企画「21世紀の国 インド 社会・経済視察団」の団長として、インドへ赴きました。その視察団の解団式が、1月19日(木)18時30分から21時すぎまで、東京都千代田区二番町のインド料理店「アジャンタ」にて開催されました。私は、新年より体調を崩しておりますため、出席することが叶いませんでしたので、私の秘書の山崎郁子が代わりに出席いたしました。本ブログ記事にて、解団式の様子を簡単にご紹介します。

 

解団式には、視察団に参加された22名の内、下記12名の皆様にご出席いただきました。

 

信州レジャー興業株式会社 代表取締役 新井 泰憲様

株式会社ユービー 代表取締役 内舘 健彦様

シナノア株式会社 専務取締役 釜谷 俊朗様

JNC株式会社 取締役 最高顧問 後藤 舜吉様

マナック株式会社 取締役社長 杉之原 祥二様

デロイトトーマツコンサルティング株式会社 パートナー 土田 昭夫様

弊所顧問 知久 信義様

弊所客員弁護士 千種 秀夫様、千種 友子様

新潟トヨタ自動車株式会社 代表取締役会長 等々力 好泰様

中央精工株式会社 取締役 相談役 中村 光次様

株式会社ワールドプランニングオフィス 代表取締役 椎葉 卓光様

 

また、2011年9月27日付記事【交友録その12】でもご紹介しました日本画家 山田 真巳様、一般財団法人インド経済研究所理事 菅谷 弘様がゲストとしてご出席くださいました。解団式では、本ブログ【歴訪記その9】に少し手を加えたものに、参加者各人に作成していただいた原稿を加えた小冊子をお配りいたしました。インド料理をいただきながら、早朝から夜分に渡る相当な強行スケジュールだったインド視察での思い出を、ご出席くださいました皆様が、楽しく語らい、式は大盛況であったとのことです。この場を借りまして、ご出席くださいました皆様に、私の欠席の無礼をお詫びいたしますとともに、心より御礼申し上げます。

 

 

【解団式の様子】

IMG_0095.JPG
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写真を拝見すると、インドに赴いた昨年11月のことがまるで昨日のように思い返されます。私は、現在、いろいろな病を治療中でございまして、いわば、真っ暗闇の中にいるようなものです。私が次にインドに赴くことができるのはいつになるか分かりませんが、また必ずお邪魔できるよう、真っ暗闇の中に、一筋の希望があることを祈りながら、諦めずに、頑張って治療に励んでまいります。

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