【歴訪記】その8 下村湖人先生の生家

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先週11月30日(水)夕方5時近く、佐賀県神埼市千代田町崎村にある下村湖人先生(1884年~1955年)の生家を訪問いたしました。この生家は、2006年に神崎市重要文化財に指定され、2009年度には佐賀県遺産に認定されています。ご同行者は、佐藤学園西武文理大学創立者 理事長 学長 佐藤英樹先生でした。また、佐賀にお住まいの橋口電機株式会社常務取締役 橋口佳代子様がご案内してくださいました。3人とも興奮して、1時間程、閉館時間を遅らせて下さった館長である北川信幸先生のご説明を聞きながら、夕闇迫る中で、湖人先生(先生は内田夕闇<うちだゆうあん>という筆名で歌人としても活動されました。)はとても私は足下に及ぶことのできない大人物であったと改めて思い返しました。湖人先生は教育者であり、そして真の意味での思想家であり、ほんとうの学者でした。

 

・ 佐藤学園西武文理大学HP  http://www.bunri-c.ac.jp/

 

 

佐藤英樹先生.JPG 

 

(下村湖人先生生家前で撮影
佐藤学園西武文理大学 創立者 理事長 学長 佐藤英樹様)

 

 

 

屋内風景-2.JPG 

 

(生家の内覧)

 

私が、小学校6年生、12歳だった1949年(昭和24年)に、父からいただいたであろう湖人先生が書かれた『次郎物語』の第一巻を読み、それ以降『次郎物語』は私にとって愛読書となりました。爾来62年間、湖人先生の生家を訪れたいと願っており(1949年当時には、湖人先生はご存命でしたが、私はもう亡くなっていたと思っておりました)、ついにその夢がかない、感無量でした。

 

湖人先生については、語るべき事があまりにも多くて、とても今回のブログだけでは語りきれません。ですから、一つだけピックアップしてご紹介するとすれば、「道義、道理、道徳」の話を挙げたいと思います。

 

「道義、道理、道徳」とは、「義の上に道があり、理の上に道があり、徳の上に道がある。」という意味です。つまり、「大いなる道」「大いなるもの」の理想を求め、「人の歩き続ける道を究める」という世界が、『次郎物語』の主人公の姿勢でした。湖人先生のご子息である下村覚様が、東京都小金井市立「文化財センター」開所式で述べられたご挨拶文が、2階の一隅に飾ってあり、改めてこの言葉を拝見しました。(「文化財センター」は元々、1931年<昭和6年>に建てられた「浴恩館」という名の建物で、全国の青年団指導者養成のための青年団講習所でした。1933年<昭和8年>から1937年<昭和12年>までは、湖人先生が所長を勤めていました。「次郎物語」の第5部に登場する「友愛塾」のモデルとなったそうです。)

 

「親父が『道義』と『道理』と『道徳』という三つの単語を書きまして、『覚、これ何と読むんだ』と言いましたので、棒読みに、『道義であり、道理であり、、道徳である』と読みましたら、親父が『そう読むんではないんだ、これは我々日本人の祖先が未来永劫の教訓を与えたもので、『義の上に道あり、理の上に道あり、徳の上に道がある』ということを教えた日本古来の本当の文化の根源のこの三文字を祖先から与えられたんだ。これをようく見つめて、これからの人生を歩め』と教えられました。

<下村覚様のご挨拶文より抜粋>

 

『次郎物語』は、湖人先生の自伝的色彩が濃い作品で、湖人先生の上記の「道義、道理、道徳」の理想を求めて成長していく次郎に対して、私は小学6年生の頃から憧れ続けました。『次郎物語』は、自分の人生の一端を規律してくれた書籍ですから、湖人先生には感謝の念を抱いています。

 

宮本武蔵も、道を究める人であったでしょう。吉川英治先生(1892年~1962年)の、『宮本武蔵』にも私は少年時代から憧れつづけましたが、その本には「魚歌水心」という言葉があります。これは、最終章のタイトルになっていて、最後に「波騒(なみざい)は世の常である。波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚(ざこ)は歌い雑魚は躍る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。水のふかさを。」という文章で、物語は幕を閉じます(吉川英治歴史時代文庫21『宮本武蔵(八)』、講談社、1990、369頁)。私は結婚して間もなく、妻の孝子の故郷である広島県福山にて、現在、財団法人毎日書道会総務、毎日書道展審査会員、奎星会副会長等を務められている書道家、大楽華雪先生にその「魚歌水心」を書いていただいたという思い出があります。

 

また、徳冨蘆花先生(1868年~1927年)の『思出の記』という名著も、少年時代の私を規律した書籍です。『蘆花』という言葉は、蘆(あし)の花という意味であるそうです。ところで、下村湖人先生の生家の一隅には、「白鳥入蘆花」という碑が建っていました。これは、『碧巌録』(特に臨済宗において尊重される中国の仏教書で、宋時代<1125年>の圜悟克勤<えんごこくごん。1063年~1135年>の編。)の第十三則にある言葉「白馬入蘆花(白馬、蘆花に入る)」によるものです。しかし、湖人先生は「馬」より「鳥」の方が詩的であり、また湖人先生が幼いころにこの地にみられた白鷺と蘆の花の印象が鮮やかであったので、白鷺を白鳥と例えて、「白鳥入蘆花」へとアレンジを加えてこの言葉を愛用したといわれています。「白い蘆花が、辺り一面に咲いており、その中に白鳥が舞い込む。白鳥は姿を没するが、その羽ばたきで起こる花の波は無限に広がる」といった意味の言葉です。「善行とは目立つものではない」という意味で、湖人先生が生涯頻繁に口にされていたそうです。善行の在り方についての至言であり、とても素敵な言葉であると思いました。

 

さて、湖人先生は1925(大正14)年から1931(昭和6)年まで、台湾に居住されており、1926年に台北帝国大学の傘下にあった、当時台湾島内唯一の高等学校である台北高等学校の校長を務めるなど、台湾でも活躍されました。私は来年3月29日から4月1日まで、再び台湾を訪れる予定ですので、その折には湖人先生ゆかりの土地を訪ねたいと思っております。(前回10月26日~29日の台湾歴訪につきましては、11月22日付「歴訪記その7」をご覧ください。)

 

また、湖人先生は、歌人としても、素晴らしい業績を残されました。歌人としては、先にも述べた通り、内田夕闇という筆名で活動していました。湖人先生は1902年(明治35年)、18歳の時に、中央の雑誌に詩歌を投稿し始めました。おそらく、遠く佐賀から投稿されたのでしょう。例えば、新声社(現在の新潮社)発行の月刊誌「新声」1901(明治34)年1月号には『海べの朝』を、5月号には『哀傷』、7月号には『鐘楼』という詩が掲載されました。また、与謝野鉄幹が主宰していた1900(明治33)年4月から1908(明治41)年11月まで刊行された、詩歌を中心とする月刊文芸誌「明星」の1906(明治39)年2月号には、湖人先生の『孤独』という詩が載りました。その時の『明星』には、石川啄木と与謝野鉄幹の詩も掲載されていたのだそうです。湖人先生は、信じがたい程才能があり、まさに天才肌の人であったのだろうと思います。

 

さて、今回の記事では、下村湖人先生、吉川英治先生、徳冨蘆花先生についてご紹介しました。3先生に共通していることは、肥州(肥前国・肥後国)にご関係があるということが、まず一つ挙げられます。今回訪れた湖人先生のご生家は、佐賀県神埼市、つまり廃藩置県前でいう肥前国に位置しています。吉川英治先生の代表作『宮本武蔵』の宮本武蔵は、肥後国の千葉城(現在の熊本県熊本市)で他界しています。そして、徳富蘆花先生は、熊本県水俣市つまり肥後国のご出身です。

 

次に、3先生に共通していることとして、もう一つ挙げられることは、昭和の初年に活躍した人、すなわち明治に生まれた人であるということです。私は、この3先生のように、昭和の初年に活躍した人、すなわち明治に生まれた人は、私たちの世界とは別人のごとき大きな事業に挑まれ、足跡を残された方が多いと思います。今の青年諸君が、海外に赴かないという嘆かわしい状況を見るにつけ、まさに「ネズミの時間」になった日本人を、ひしひしと感じました。みなさんが、改めて「象の時間」を目指されることを期待してやみませんが、果たしてこれが可能でしょうか。「ネズミの時間」に生きている人は小さいことしか考えません。海外雄飛という言葉がまさに躍った明治、大正、昭和初年の日本人の心を想う時、現代の青年、さらには中年の日本人の心の萎縮した現状の有り様を、私は嘆いています。

 

ところで、『次郎物語』の映画化は、既に4回にわたって行われ、テレビドラマも2回放映されています。すなわち、国民的文学の代表であるということでしょう。

 

【映画】

1.  1941(昭和16)年12月11日 日活より公開
次郎:杉幸彦(幼年時代)、杉裕之(少年時代)
お浜:杉村春子

2.  1955(昭和30)年10月25日 新東宝より公開
次郎:大沢幸浩(幼年時代)市毛勝之(少年時代)
お浜:望月優子

3.  1960(昭和34)年 松竹より公開…3月4日公開の「次郎物語」と5月13日公開の「続次郎物語 若き日の怒り」の二部作。
次郎:中森康博(第1作)→山本豊三(第2作)

お浜:桜むつ子(第1・2作)

4.  1987(昭和62)年7月4日 東宝より公開
次郎:樋口剛嗣(6歳時)→伊勢将人(10歳時)

お浜:泉ピン子

 

【テレビドラマ】

  1. 1956(昭和31)年5月8日から8月28日まで 日本テレビ
    早川雪洲、宇野重吉等が出演
  2. 1964(昭和39)年4月7日から1966年(昭和41年)3月29日まで NHKにて
    池田秀一、加藤道子等が出演

 

『次郎物語』の次なるブームはいつくるのでしょうか。第5回目の映画化、次のテレビドラマ化はいつでしょうか。それは、青少年の覚醒が必要不可欠になるほど日本が追い込まれた時に、実現するのだと思います。

 

 

【橋口 佳代子様よりコメント】

 

11月30日は、佐賀の町がお天気に恵まれたとても気持ちの良い日でした。同郷の大先輩に誇るべき偉人がいたことをあらためて学び・感じるよい機会でした。

県道沿いにある素朴な二階建ての古い生家は、他の偉人のそれに比べると質素であり、 ガイドブックやインターネット情報では見過ごされる見栄えです。でも、屋内に一歩足を踏み入れ、北川館長さんの話をお聞きをしたら、とても清らかで懐かしい心持ちがし、帰り際には去りがたい気持ちでいっぱいになりました。

その理由をあげるときりがないのですが、高井先生が帰りの道中、「私がなぜ『次郎物語』に魅かれたのかがようやく分かった」という言葉に、理由のすべてが凝縮されています。

 

コメント(1)

 60才の節目を目に前にし、また仕事柄事業の2代目・3代目の指導・助言を繰返す中で特に2011・3月に起きた災害を節目に若者たち視線は大きく次の時代を睨んでの行動心が湧いて来たように想えます。しかしながらその方向性を指し示す大人たちのいないことにとても残念に想います。 私と次郎物語の繋がりは、加藤剛が父親役をしていた映画だと思います。屋根の上で次郎と父親の会話はまさしく、親が子供の贈ることができる将来(大人=日本人)へと成長してゆく指針であるように想います。 

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