2011年11月のアーカイブ

 

 
今回は、卓越したコミュニケーション能力を発揮されている
高井伸夫先生を間近から観察し、わたし(鮒谷)自身、
模倣し、試行錯誤する中で、気付いた「学び」についてご紹介いたします。
まず、
「大勢の人とご縁を広げ、深めるにあたって
心がけるべき大切なこと」
が3つ、あるようです。
その3つとは、以下の通り。
1、「気」を入れる
2、行動はすべて前倒しで
3、「1」と「2」を支える運用システムを構築する
といっても、言うは易く行うは難し、なのですが。
この3つを自分仕様にアレンジすることで、高井伸夫先生ばりの、
「人間関係を広げ、深め、育て」
時間の経過を味方につけながら、人間関係の巨木を形成することが
できるのだと思われます。
まず、1番目の「気を入れる」についてですが、これは、
人と出会った際に相手への強い興味・関心を持つ、ということです。
そもそもこの気持ちがないと始まりません。
小説家、吉川英治氏の言葉に「我以外皆我師」とある通り、
 「自分以外の人はすべて先生であり、
皆なにか学ばせて下さる方である」
という気持ちを持っていると、自ずと一つ一つの出会いに
「気」も入るし、それは自らの学習につながります。
さらに、そこで得られた話の断片は、相手に対して貢献・お役立ち
しようとした際の起点ともなり得ます。
次に、2番目の「行動はすべて前倒し」というのは、
気を入れて接することによって、何か相手に対してお役立ち、
お手伝いできることを見つけたならば、
「すぐに行動する」
ということです。
人を紹介するということになれば、その場で携帯電話を
使って、すぐに紹介して差し上げる。
何かお送りするものがあれば、すぐにお送りする。
「今晩やろう」、「明日やろう」、
「できるときにやろう」
ということではなく、すべてを前倒しでやっていくことが
大切なようです。
しかし、そうやって、できる限り、相手のことに関心を示し、
記憶に留め、前倒しで行動し始めた瞬間、どんな人であっても
あっという間に、自分の時間的、肉体的、精神的余裕、
そして、脳内メモリの容量を軽くオーバーしてしまうことと
なるでしょう。
(そしてすべてが破綻するのです)
そうならないように、自らの行動を支えるための
「オペレーションシステム」
を確立しておかなければなりません。
実際に「1」、「2」を心がけつつ、たくさんの人と
お会いし続けると、お礼状、お礼メールを送ったり、
その返礼が発生する必要性が生まれてきます。
送付する必要のある物も出てくれば、贈答品の手配もあるし、
誰かとお会いする前の下調べ、調査といったことも必要と
なってくるでしょう。
他にも、会食の手配をしたり、人数の変更があったり、
場所の連絡を入れたり、といった細々としたやりとりが
発生することもあるでしょうし、
何かしていただいたときの後日の報告や、人をつないだり、
何かお手伝いしたり、といったことを含めて、無数の行動が
次々と発生します。
これらについて、気合と根性で体力の限界まで頑張っても
こなせる作業量には限界があるので、それらの行動を支えるための
「システム」が必然的に必要となってくるのです。
それはITを活用したシステム構築であったり、お手伝いを
他の人にお願いする、といったことかもしれません。
通常の人の何倍、何十倍と常識の枠を飛び越えてご縁を
広げ続けている高井先生を観察していると、
「この3つがうまく組み合わさり、機能している」
ことがよく分かります。

今回は、卓越したコミュニケーション能力を発揮されている

高井伸夫先生を間近から観察し、わたし(鮒谷)自身、

模倣し、試行錯誤する中で、気付いた「学び」についてご紹介いたします。

 

 

まず、

 

「大勢の人とご縁を広げ、深めるにあたって

心がけるべき大切なこと」

 

が3つ、あるようです。

 

 

その3つとは、以下の通り。

 

1、「気」を入れる

2、行動はすべて前倒しで

3、「1」と「2」を支える運用システムを構築する

 

といっても、言うは易く行うは難し、なのですが。

 

 

この3つを自分仕様にアレンジすることで、高井伸夫先生ばりの、

 

「人間関係を広げ、深め、育て」

 

時間の経過を味方につけながら、人間関係の巨木を形成することが

できるのだと思われます。

 

 

まず、1番目の「気を入れる」についてですが、これは、

人と出会った際に相手への強い興味・関心を持つ、ということです。

 

そもそもこの気持ちがないと始まりません。

 

 

小説家、吉川英治氏の言葉に「我以外皆我師」とある通り、

 

 「自分以外の人はすべて先生であり、

皆なにか学ばせて下さる方である」

 

という気持ちを持っていると、自ずと一つ一つの出会いに

「気」も入るし、それは自らの学習につながります。

 

さらに、そこで得られた話の断片は、相手に対して貢献・お役立ち

しようとした際の起点ともなり得ます。

 

 

次に、2番目の「行動はすべて前倒し」というのは、

気を入れて接することによって、何か相手に対してお役立ち、

お手伝いできることを見つけたならば、

 

「すぐに行動する」

 

ということです。

 

 

人を紹介するということになれば、その場で携帯電話を

使って、すぐに紹介して差し上げる。

 

何かお送りするものがあれば、すぐにお送りする。

 

「今晩やろう」、「明日やろう」、

「できるときにやろう」

 

ということではなく、すべてを前倒しでやっていくことが

大切なようです。

 

 

しかし、そうやって、できる限り、相手のことに関心を示し、

記憶に留め、前倒しで行動し始めた瞬間、どんな人であっても

あっという間に、自分の時間的、肉体的、精神的余裕、

そして、脳内メモリの容量を軽くオーバーしてしまうことと

なるでしょう。

 

(そしてすべてが破綻するのです)

 

 

そうならないように、自らの行動を支えるための

 

「オペレーションシステム」

 

を確立しておかなければなりません。

 

 

実際に「1」、「2」を心がけつつ、たくさんの人と

お会いし続けると、お礼状、お礼メールを送ったり、

その返礼が発生する必要性が生まれてきます。

 

送付する必要のある物も出てくれば、贈答品の手配もあるし、

誰かとお会いする前の下調べ、調査といったことも必要と

なってくるでしょう。

 

 

他にも、会食の手配をしたり、人数の変更があったり、

場所の連絡を入れたり、といった細々としたやりとりが

発生することもあるでしょうし、

 

何かしていただいたときの後日の報告や、人をつないだり、

何かお手伝いしたり、といったことを含めて、無数の行動が

次々と発生します。

 

 

これらについて、気合と根性で体力の限界まで頑張っても

こなせる作業量には限界があるので、それらの行動を支えるための

「システム」が必然的に必要となってくるのです。

 

それはITを活用したシステム構築であったり、お手伝いを

他の人にお願いする、といったことかもしれません。

 

 

通常の人の何倍、何十倍と常識の枠を飛び越えてご縁を

広げ続けている高井先生を観察していると、

 

「この3つがうまく組み合わさり、機能している」

 

ことがよく分かります。

 

 

 

 

 

20111124.JPG

 

 

(2011年11月16日(水) 朝9:18 神奈川県横浜市 藤が丘駅前にて
「マリアカラス」を撮影)

 

 

【丹羽式統合医療 その他の施設について】

 

さて、前々回にご紹介した丹羽クリニックの提携施設「細胞賦活化療法(アスクレルーム)」のほかにも、「丹羽式統合医療」の一環として、丹羽先生は色々な治療法を、提携施設と協力しながらおこなわれています。


 

まず、「温熱免疫ルーム」です。これは、一見「サウナ」と混同されてしまいますが、「サウナ」は高温で身体を表面から温めて短時間で汗を出させるものですが、「温熱免疫ルーム」は、体温よりも2~3℃高い温度で時間をかけ

温熱免疫ルーム.JPG

て身体の深部を温めるのだそうです。内臓や深層筋など身体の深部が暖まるには、リンパの流れや血流などの力を借りて40分く らいかけてじっくり温める必要があり、「温熱免疫ルーム」では、それが可能なように温度と湿度を設定してあるそうです。身体が深部まで温まり、基礎体温が上がり、リンパの流れが促され、血流が良くなります。身体の深部まで温まると腸から汗のように免疫物質が分泌され胃腸機能が活発になるそうです。そして、自律神経のバランスが整い全身の緊張が取れ、心身共にリラックスすると、皮膚からも免疫物質や皮脂が混じったサラサラの理想的な良い汗が出て、防御機能が向上します。さらに、デトックス効果もあり、肌が美しく丈夫になるということで、病気治療中の方からリラクゼーション、アンチエイジング目的の方まで色々な方々が来院されているそうです。

 

 

 

 

次に、「音楽音響ルーム」です。音の響きを身体に与えることによって、身体と脳に、同時に刺激を与え、自律神経(交感神経/副交感神経)のバランスを整える療法です。特に副交感神経の働きを活発にすることで、末梢神経が改善され、交感神経(活動・緊張時に働く神経)優位から生じる身体の緊張やストレスを緩和します。また内臓器系統の働きを正常に戻し、自己免疫力を大幅に高めることから、多くの疾患を予防・改善へと導きます。


大自然のせせらぎや、美しい音楽を聴いていると、その音の持つエネルギーと、自然治癒力という自分が本来有するエネルギーとが共鳴し、自分本来の力を目覚めさせてくれるような、すがすがしい気持ちになり、心が晴れ晴れとすることがあります。ですから、私も音楽には秘めたる力があると思います。


 

 

 

 

 

最後に、「TRUE HANDS(正顔・フェイシャル・フットケア)」ですが、「丹羽式統合医療」の中で、丹羽先生は「美しさ」も1つのジャンルとして挙げられています。これは、丹羽先生の「健康だから美しいのでは正顔・フェイシャル.JPGなく、美しいから健康であり、病気を予防できる」というご理念のもと、統合医療システムに組み込んだのだそうです。

若い女性がカラーコンタクトレンズを入れて瞳を大きく見せようとして目の炎症を起こしたり、無理なダイエットをして体を壊したりと、歪な「美」を追求した結果、不健康になってしまうケースをよく聞きます。これは、「美しいから健康である」ということの真逆であると思います。また、肌が荒れていたり血色が悪いからと厚化粧をして、外見のみを美しく見せるのも主客転倒でしょう。「美しいから健康である」ということは、薄いお化粧でも(勿論素肌でも)美しければ、その人は健康であるということです。丹羽式正顔術というものを丹羽先生は実践されていますが、これは丹羽式正體の理論と技術を顔に応用し、肩、頚、頭を正常な位置に整え、顔面、頭部の筋肉を整えていくことで、その人本来の持っている、いい表情と顔を作り出すものだそうです。厚化粧をして肌に負担をますますかけるのではなく、自分本来の美しさを取り戻すように努力をするべきだと思います。

 

また、「美しいから健康である」といえるためには姿勢、立ち振る舞いの良さもその要素の一つであると思いますが、丹羽先生は「フットケア」も行われています。人間が直立二足歩行で「立つ」「歩く」「走る」といった動作をする時、身体を支えている足への衝撃は体重の3~6倍かかっているそうです。足に何らかのトラブルをかかえていることに

フットケア.JPG

より、身体のバランスをうまくとることが出来ず、正しく歩くことが困難になるそうです。足のトラブルを解消し、正しい歩行をすることで、身体全体のバランスが整った、歪みのない身体へと導けるそうです。

正しい姿勢は座った時も同様です。パソコンの普及により、デスクワークで長時間机に座った作業をすることが多くなってきていますが、同じ姿勢でいるとお尻の筋肉が圧迫されて血行が悪くなり、その結果、腰痛や足の冷えなど、悪影響を与えるそうです。腰痛を解消するためにはできるだけ筋肉を使うようにする、すなわちある一定の時間作業を行ったら、立ったり座ったりして筋肉を使用すること必要だそうです。

 

私が8月23日付「交友録その7」でご紹介した株式会社新規開拓 代表取締役社長朝倉千恵子様は、スーツを颯爽と着こなし全国の企業での社員研修や営業、指導、講演などを実施されています。いつも背筋をピシッと伸ばし講演先でお話なさっている姿は「美しいから健康である」のお手本のような方です。

 

朝倉様は「姿勢」の取り組みについて次のようにおっしゃっています。

 

〈気持ちを変えるのは難しいですが、形を変えることで気持ちは後からついてきます。たとえばつらい時は下を向いてトボトボ歩きたくなりますが、そんな時こそ胸をはり堂々と歩きましょう。そうやって歩いていれば周りは「元気な人」「自信のある人」と思うようになります。また声の大きい人に猫背の人はいません。胸を張っているから大きい声が出る、これは腰が立っている、すなわち姿勢がいいからです。〉 

 

「腰が立っている」いわゆる「立腰」については、主体的人間になるための 「立腰教育」などを汎く世に知らしめた哲学者であり、教育者でもあった故森信三先生(1896年~1992年)が次のようにおっしゃっています。

 

〈つねに腰骨をシャンと立てること-これ人間の根性の入る極秘伝なり。 

 

人間は心身相即的(「相即」とは「二つの物事が密接に関わり合っている」という意味)存在ゆえ、性根を確かなものにしようと思えば、まず躰から押さえてかからねばならぬ。それゆえ二六時中(四六時中)、「腰骨を立てる」以外に、 

真に主体的な人間になるキメ手はない。 

 

「腰骨を立てる」ことは、エネルギーの不尽の源泉を貯えることである。この一事をわが子にしつけ得たら、親としてわが子への最大の贈り物といってよい。 

 

一、腰骨を立て 

二、アゴを引き 

三、つねに下腹の力を抜かぬこと 

同時にこの第三が守れたら、ある意味では達人の境といえよう。〉 

 

(「新版 立腰教育入門」森 信三著 不尽叢書刊行会、1985)

 

「腰を立て、良い姿勢でいるということが人間のエネルギーを貯える」の「エネルギー」とは、「気」「波動」「微弱エネルギー」であると思います。つまり、姿勢を良くして大地に立つことではないでしょうか。また、姿勢を良くし「気」を貯えることが病気にならない身体づくりを行う上で重要であるということは、まさしく「病は気から」という言葉とおりであると思います。

 

また、10月14日付ブログ記事から計4回にわたってご紹介した齋藤博保先生は、月刊「公論」(株式会社財界通信社発行の総合誌)2011年3月号「リレー対談」(1983年から続く人気コーナーで、ゲストが次にホストとなり、新たなゲストを招聘するコーナー)で朝倉様と対談されました。齋藤先生に朝倉様の姿勢についてお聞きしてみたところ、以下のようにおっしゃっています。

 

月刊「公論」HP http://kohron.jp/index.html

 

<朝倉様の姿勢の良さは、身体の中心である『丹田』に気を収めることを無意識に体得されていることによるものであると思います。それによって姿勢が自然と正され、事を成すに至るときに一気に『気を吐く』ことにより、最大の力を発揮されているのだと思います。> 

 

「丹田に気を収める」ことを体得し姿勢をよくすることとは、森信三先生の「腰を立て、良い姿勢でいるということが人間のエネルギーを貯える」に通ずるものであると思います。

 

さて、朝倉様はこれまで数多くの講演や研修を行ってこられましたが、ご自身が、姿勢ひとつ変えるだけで、会場、参加者の空気も変わると感じられるそうです。それは、朝倉様が、姿勢を良くして貯えている「気」を、講演や研修の場で受講者に伝え、相手にそれを受け取ってもらえるということでしょう。私も、例えば、講演を行う時、「気を入れて」お話しすると、それまでザワザワしていた状況が静かになるということがよくあります。これは、「気」を、人間は持続的に保持、貯えることができるということの表れでしょう。(詳しくは、7月15日付ブログ記事「気を入れて」をご覧ください)

 

朝倉様のセミナーは参加者から大変好評で、日本だけではなく、海外でも講演をなさる機会があります。2011年11月2日及び3日の中国・上海で行われた講演では、中国人聴講者の方から「朝倉様と朝倉様のチーム3人のスタイルがとても印象深かったです。立ち方、座り方が正しければ、良い身体を保つために役立てることができ、人に与える印象も良く、健康にも良いと思います」という感想があったそうです。正しい姿勢は人に好印象を与え、また「健康」につながっていると考えられているのは日本だけではなく、中国でも同様であるのです。

 

「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」といいますが、「健康」「健全」「健やか」の「健」という字は、人間が心身ともに健やかな状態にある姿が語源となっているそうです。「廴」は人が足を投げ出してくつろいでいる姿であり、気持ちがとても伸びやかであることを表しており、「聿」は手に筆をもった様子で、背筋がぴんとして姿勢のよい状態を意味しています。つまり、伸びやかで自然と背筋がぴんとしている人は、健康な人であると、漢字が成立した古代中国の先人たちも理解していたのでしょう。

 

 

【がん治療について】

 

現在、国民の3人に1人ががんで亡くなっている時代です。がんの患者さんは近年、急速に増加し、もはや身近な病気であると言っても過言ではありません。医学の世界においても、「がん治療」との戦いは年々、重要視されていると言えます。

 

これまで、がんに対する治療法は、

  1. 手術療法
  2. 化学療法
  3. 放射線治療

といった治療法が基本でしたが、この治療法が必ずしも良い結果を得られているのでしょうか?実際、化学療法や放射線治療を行い、副作用で辛い思いをされている方が多いことも現実です。

 

全身の免疫力を高め、抗酸化能力を強め、栄養状態を良くすることでがん細胞をアポトーシス(生物を構成する細胞が自分の役目を終えたり、不要になると自ら死ぬ<自殺>現象、細胞死ともいう)の状態にもっていき、がんに打ち勝つことが重要だと思います。

 

丹羽先生は、開業する前は、大学病院等で16年間、消化器外科の第一線で活躍され、多くのがんの症例を経験なさったそうです。そこでの経験から、クリニック開設以来、23年間、丹羽式統合医療の目的の一つに、がん治療を確立することがあったそうです。

 

敢えて研究発表はされていませんが、現在、がん患者さんに対する治療を確立し、信じられない程の治療効果を上げているとのことです。治療の基本は、患者さんの自然治癒能力、自己治癒能力を高めるために、独自のビタミン・ミネラル療法や全身の細胞賦活化療法(アスクレルーム)等を行っています。

 

 

【最後に】

丹羽先生はこれまで計4回にわたってご紹介した通り「丹羽式統合医療」によって、治療の対象を患部だけでなく、骨格や、筋肉、臓器、心、脳神経など人間の身体全体を総合的に捉えて西洋医学・古典医学問わず様々な治療法を活用され、研究を重ねられ、治療学に基づく独自の診断法と治療法を構築なさいました。開業して23年間でアトピー性皮膚炎、糖尿病、それからがん、慢性肝炎、喘息、アレルギー疾患(花粉症、アレルギー性鼻炎等)、筋骨格系疾患(腰椎椎間板ヘルニア、腰痛症、頸椎症、肩関節周囲炎、膝関節症)などのあらゆる難治性疾患において、治療効果を上げてこられました。

 

丹羽先生の「人となり」について、丹羽クリニックのスタッフの皆さまにお聞きしてみたところ、丹羽先生は、仕事人間で休みの日でもクリニックに来てお仕事をされているそうです(ここ10年間で年末年始も休んだことはないそうです)。また色々な事に興味をお持ちで、興味を持ったことは最後まで探求され、特に歴史や地理に関しては、専門家の方よりもご存じなのではないかと思うぐらいです。

 

開業以来、「病気を根本から治す」ことを念頭におき、これまで様々な疾患と向き合い、研究し、実践し続けています。こんなことが出来るのは、患者さんを良くしたいということと、日本における治療学を形成したいという丹羽先生の強い熱意があってこそだと思います。病気を心身・身体から治すという強い情熱には本当に敬服しています。

 

また、私の病状について、丹羽先生にお聞きしたところ、下記のお言葉をいただきました。

 

 

1997年、高井先生と初めてお会いして、診察した際にまず、「骨がしっかりしている。」と感じました。医師になって、多くの患者さんを診てきましたが、 

これ程、強靭な身体の方は後にも先にも高井先生だけです。 

 

ただし、高井先生は、首の緊張が強く、首の周囲の筋肉がかたくなっている状態でしたので、このまま放置しておくと脳の循環器障害(高血圧、脳梗塞、脳出血等)を引き起こしてしまうと推測しました(身体は、筋骨格系を精査するとある程度の疾患、またはウィークポイントを予測できます)。 

 

実際、高井先生はこれまでに、様々な病気に罹患されたと思いますが、やはり骨がしっかりしていることが身体を強くし、病気になっても、負けじと戦い、病気を克服して来られたのではないでしょうか。強靭な高井先生だからこそ、なし得たことだと思います。 

 

私は長らく自分の病気と闘ってまいりました。時として、自分の体調の悪化に心が折れそうになることも多々あります。しかし、このような丹羽先生のお言葉を有難く受け止め、自分の強靭さを信じて、病気と闘うことをやめず、これからも積極的に活動していきたく存じている次第です。

 

8月16日 付【交友録その6】でご紹介した、株式会社開倫塾代表取締役社長 林明夫様も、丹羽先生にお世話になっているうちの一人です。林様は、「丹羽先生は、私が不摂生のため、体調を大きく崩した折、救ってくださった先生のお一人です。丹羽先生は結果を出すことのできる数少ない医師という意味で名医のお一人と確信しています。どうしてもよく治らない病気をお持ちの方は、一度先生の治療をお受けになることを心からお勧めいたします。」とおっしゃっていました。私も全く同感であります。

 

丹羽先生は、「東と西、古きと新しき、そして全体と部分の医学を包括した統合医療は、いままさに地表に現れ、目に見える大きな流れとなろうとしています。」というお言葉をご自身のご著書「ステロイドは使わない!アトピーはこうして治す」(長崎出版、2004)に載せられています。丹羽先生が、「統合医療」を日本の医療の主流とすべく、今後も真摯に研究・診療に励まれ、より多くの、難病に苦しみ、悩む人の救いのともしびとなってくださることを願っております。

 

丹羽クリニックHP http://www.niwa-clinic.com/

【歴訪記】その7 台湾


私は10月26日(水)、12時40分にBR-191便で羽田空港を発ち、台湾の台北松山空港に現地時間(日本との時差1時間)の15時5分に到着しました。

 

今回の台湾訪問は、「台湾視察団」として私が主催したもので、10月26日(水)午後から10月29日(土)早朝の羽田空港帰着までの短い旅程ではありましたが、多くの場所をお訪ねすることができ、大変満足なものとなりました。

 

ご一緒したのは、中央精工株式会社取締役相談役 中村光次様、丹治林業株式会社代表取締役 丹治敏男様、弊所上海代表処 兪浪瓊様、株式会社クレース・プランナーズ 代表取締役社長 正門律子様で、このメンバーの中で一番旅行慣れされているのは、丹治様でした。丹治様は、今までに海外は200回ぐらい赴いたことがあるとのことでした。また、中村様は100回以上海外に赴かれているそうです。私も数多くの国に赴いては参りましたが、流石にこのお二人にはかないません。

 

【兪浪瓊様のコメント】

私は学生時代に度々貧乏旅行をし、最後の一円まで使い切って、危うく家に帰れないこともありました。今回の視察旅行の快適さに大満足でした。

 

 

今回の「歴訪記」は、中村光次様にご寄稿いただきました。中村様、どうもありがとうございました。

 

 

 

(1)10月26日(水)

羽田空港12:40発BR-191便は定刻15:05に、台北市内中心部にある昔から至便な台北松山空港着。出迎えのバスでW Hotelに荷物を置き、早速16:30には台北市仁愛路四段376号ビルへ。

 

16時30分 「寰瀛法律事務所 Formosan Brothers、Attorneys-at-Law 」訪問

 

 

劉先生と.JPG

(事務所玄関で高井伸夫弁護士と代表パートナー弁護士劉志鵬律師)

 

【高井のコメント】

劉志鵬先生は1979年に国立台湾大学法学士を修了され、1982年に同大学で法学修士を修了されました。ドイツに留学された後、東京大学大学院法学政治学研究所に1985年から1988年まで留学され修士課程を修了されました。大学院では、菅野和夫先生に師事して労働法を勉強された方です。この間、当事務所にも、幾度もおいでになり、当時の弊所の所員とも親しくなられた方です。

 

晶華軒での晩宴

 

 

晶華軒にて.JPG

(晶華軒での晩宴)

 

 

仁愛路四段ビルの事務所を辞して、リージェント台北ホテルの三階にある、今、台北で最も人気の晶華軒での晩宴(正餐)は劉先生のご招待でした。

 

晶華軒(元蘭亭晶華軒)は、2008年伝統料理に新様式のメニューを加え新設し、最近は故宮博物院別館にも「故宮晶華餐廳」を出店したとのことです。東京・赤坂にある四川飯店の陳建一氏とも親しく交流。広東・四川・上海・香港・北京の様々な中国料理様式を現代的にアレンジした上品な仕立て。ガラスの透明感を基調に全く新たな宴席の雰囲気は日本人による設計とのこと。

 

席には、プラティアコンサルティング(保益橋顧問股份有限公司)董事兼総経理 陳 一先生他3名の方も参加され、陳先生からは東アジアに於ける合弁指導など日本から台湾を経由し中国本土への事業経路について貴重なご意見を伺った。陳先生は今年8月まで金沢大学大学院の教授を23年間、務められ、日本通でいらっしゃいます。

 

晶華軒HP GRAND REGENT TAIPEI http://www.grandformosa.com.tw

 

【高井のコメント】

陳先生には来年の春、当事務所において講演をしてくださることを引き受けて下さいました。

 

【正門様のコメント】

同席の皆様の知的レベルの高さに、はじめはやや気おくれしたものの、おいしい食事と教育・経済・文化・食べ物・時事ニュース多岐にわたる話題で、非常に有意義で楽しい会食となりました。

また、複数の国籍の方が参加している場においては英語でのコミュニケーションが主流となる場合が多いのですが、今回の会食の場では全員日本語が堪能で尊敬いたしました。

なお、こちらの様子は連載コラム(20~30代OL向け無料情報誌『シティリビング』http://cityliving.jp/ 7万部発行)に書かせていただきました。

 

【兪浪瓊様のコメント】

台湾の土地制度、食品衛生、就職状況、労働事情、投資環境等、日頃関心を持っているものに関して、大先生や先輩弁護士にいっぱい質問をし、新鮮な知識を仕入れ、大変得した気分です。ありがとうございます!

 

(2)10月27日(木) 

台湾高速鉄道 #115 台北07:54 発 台中08:43着 NT$1、000

(10、000円≒3、800NT$)

マイクロバスでの山登りは高速道路経由で快適でした。昔は泊りがけでした。

 

9時30分頃 景勝地「日月潭」訪問

 

日月譚.JPG

日月潭とは北側が太陽、南側が月と見立てられ、地勢風水も縁起がよいとのことで、現在では休閑保養地として国家風景区に指定され、様々な施設が完備し賑わっている。

 

日月譚(銀座通).JPG

(丁度昼時の日月潭随一の銀座通り。一見閑散としているが、団体の観光客はバスから店内に。)

 

 

日月譚(龍髭菜).JPG

(日月潭の銀座通りで地元料理の昼食)

 

 

看板・店構えは、至ってお粗末ながら、店内は中国人観光客で大賑わいでびっくり。

初見参の、龍髭菜なる、まさに「龍の髭」のごとく細く炒めた菜が歯触りよく、誠に美味でした。元来、日月潭は日本の台湾統治時代に幾多の困難を越え建設された水力発電用のダム湖で、台湾産業振興の基として重要な存在。水力発電ではいまでも最大です。

 

15時すぎ 「高雄国家体育場」訪問

 

高雄国家体育場(1).JPG

 

高雄国家体育場(2).JPG

(高雄国家体育場のメインスタジアム)

 

 

2009年1月14日に高雄市と民間の努力で完成したばかりの高雄国家体育場は、国際基準の台湾最大規模4万人収容、最大5万5千人に拡張可能。

 

伊東豊雄先生設計・竹中工務店他施工により、現地の気候風土に十分配慮された独特の開放式運動場は、建設に際し様々な国際会議を誘致、開催しました。観客席屋根は高雄市の象徴である昇龍を模した躍動的な構成が見事に実現されているが、複雑な三次元の屈曲した鋼管による工事は難しい工事であったことがうかがえます。

 

高雄国家体育場(3).JPG

(高雄国家体育場の屋根)

 

このように広大かつ複雑なうねりを持つ屋根全面に、隈なく「龍の鱗」さながらに110万Kwh/年の発電能力を持つソーラー発電パネルを配置したのは、おそらくは世界的にも初の事例。伊東先生は、「建築界の平和な時代の野武士」と呼ばれる世代の筆頭株と評され、訪れる様々な人に心地よく調和する持ち味の場を創る。

 

 

【高井のコメント】

伊東豊雄先生と私は1996年以来面識があります。私が評価するに日本で随一の建築家だと存じます。日本には今はモニュメントになるような建築対象物がないので、伊東先生は現在は主に台湾で仕事をされています。台湾にモニュメントの建物がなくなったら、新たに別の地域に進出されようとしています。

 

 

17時30分 「度小月」の鍋料理

地元料理、台南名物百年の歴史を誇る三代祖伝「度小月」の鍋料理での夕餐。

台湾料理で最も有名な小吃(シャオチー・店や屋台で食べる中華の一品料理のこと。)が担仔麺(タンツゥミェン)だが、もっとも有名なのが、総統も訪れるこの「度小月」。

台南市中正路101号店は本店が手狭になり男子相伝の原理を変革、孫娘が仕切る分店。擔仔麺(ターアー)とはそぼろ肉の煮込み麺で様々な具を面前で担ぎ、屋台の伝統を残す仕掛け。

 

 

度小月.JPG

 

(店頭で、女将の擔小麺工房:注目は天秤棒で担ぎ売り時代の名残の道具立て)

店の入口傍の擔小麺制作工房をつぶさに確認中の丹治代表。苫小牧名物の野生鹿を具にしてはいかがでしょう?

 

面前で調理するのは、江戸時代の夜泣きそばと全く同じ仕組み。店頭で看板の美人ママが愛想よくひと鍋毎に仕立てるのも人気の素。ご推奨です。

 

 

(3)10月28日(金)

9時30分 「烏山頭(ウザンドウ)ダム」訪問

台南から早朝バスで出発し、午前9時30分頃から鳥山頭ダムを表敬訪問しました。

 

元々、ここ嘉南平原は草も生えない不毛の地であった。

ここを巨大な食料産地に変えようと、日本台湾総督府は1920年から1930年に至る10年間の辛苦の大工事を見事に完成。今でも、東アジア最善の灌漑開発工事として誇れる存在。

烏山頭水庫周辺は「藍天緑地水藍有気の地」として国家風景區に指定されている。

ダムは、元々の曾文渓(そぶんけい。台湾南部を流れる河川)の支流である官田渓をせき止めるために、世界でも希な事例と言われる「半水力沖積式の土石ダム」で地勢風土を巧みに活かして構築された。ダム湖は山間に珊瑚のように枝分かれし、別名を珊瑚潭とも言う。


 

八田與一胸像.JPG

(記念館に置かれた八田與一技師の胸像)

 

八田與一技師は、1886年2月21日生、現在の金沢市今町の出身。第四高等学校を経て1910年東京帝国大学工学部土木科を卒業。台湾総督府に勤務。後藤新平初代民政長官のもとで、猖獗(しょうけつ)を極めたマラリアなど風土病の対策を担当し、嘉義・台南・高雄などの上下水道整備に従事。28歳で台湾北部桃園灌漑の大水利事業を指揮し、見事に成功を収めた。31歳で金沢の医家出身の外代樹(とよき)と結婚。

 

1918年台湾南部嘉南平野を調査。灌漑面積1000ha、有効貯水量1億5千万㎥の大貯水池の開発建設を開始。事業は半額を国費、残余を受益者負担の「官田渓埤圳組合」を結成して施行。與一自身は官職を辞し組合付き技師として、1930年の完成に至るまで工事を陣頭指揮。水路は16000kmに及び、不毛の嘉南平野を豊穣の地に変えました。

 

與一没後の1973年には、與一の設計に基づく曽文渓ダムも見事に完成している。與一のダム工法はセミ・ハイドロリックフィル工法と言われる、コンクリートを殆ど使用せずに粘土・砂・礫を使い水圧による自然な定着を図る仕組みにより、土砂堆積による不具合もなく、現在でもダムの機能を完全に維持している。1942年5月8日フィリピン調査へ赴任の途中、五島列島付近で大洋丸が雷撃沈没のため、戦没。遺骸は山口の漁船により収容され、遺骨は烏山頭に埋葬された。妻外代樹は、戦後1945年、ダム起工記念の日に放水路に覚悟の上入水、與一の後を追う。

 

 

【兪浪瓊様のコメント】

親日派として、中国も戦争の事ばかりではなく、日本人の貢献も事実通り宣伝すればよいと思います。

 

【高井のコメント】

八田與一技師記念公園は以前から訪問してみたいと思っていた場所でした。日本統治時代の台湾で、農業水利事業に貢献し、世界一のダム建設に命を懸けた八田與一様は現在も地元民に慕われ続けています。毎年5月8日の命日には、日本と台湾各地から数百もの人が訪れ、今年の命日には馬英九統帥も献花に訪れたそうです。台湾で毎年このように政治家が参加するのは、八田様以外にはいないそうです。

 

中村光治様.jpg

中村光次様 八田夫妻の墓前で撮影)

 

前日27日、高雄から私どもが乗ったバスの運転手蔡水樹さんは28日の朝、ゆりの花束をもってバスの運転を開始しました。私は怪訝に思って何のための花かと思っていましたところ、鳥山頭ダムの八田夫妻の墓に着いたとき、彼は恭(うやうや)しく墓前にその花を捧げたのです。そしてそこで私が彼に聞いたところ、台湾において一番尊敬する日本人は八田様であると明言されたのでした。もちろん鳥山頭ダムの恩恵を高雄で受けているのではないのですが、八田様の功績は、広く台湾中に鳴り響いていることを感じ取ったのです。

 

 

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(八田夫妻のお墓に献花礼拝するバス運転手の蔡水樹さん。)

 

また、台湾には日本統治時代に日本語の教育を受けた世代を中心として今でも浪花節ファンが少なくないそうですが、「日本人技師、八田與一が台湾に築いたダムと水路を世界遺産にしようという動きもある。…台湾の人々の心に浪花節が残っていることと、決して無関係であるまい。」と11月16日付産経新聞1面の『産経抄』に記載がありました。台湾の対日感情は様々に報じられていますが、八田様に対して台湾の人々は「恩人」と慕い、今でも愛されているのです。それは、八田様が生涯をかけて情熱をかけてひたむきに治水事業を成し遂げたからであり、それは台湾の人々への「愛」「浪花節」ゆえであったのだと思います。

 

八田様について、私もご面識のある竹田恒泰殿下は「別冊正論16号」(日刊工業新聞社、2011年10月20日発行)にエッセイを寄稿されていて、次の様に述べられています。

 

「八田與一の意義は政治的意味合いに限るものではない。八田の人生には、大和心と、日本人のモノづくりの原点を見ることができると思う。…モノを造りながら周りの人が幸せになり、できあがったモノが人々を幸せにし、そして最後に自分が幸せを噛みしめる。これこそが、日本人のモノづくりであろう。八田イズムの根本には『愛』がある。私たちは八田の生きざまを通して、人を愛することの大切さと、人のために生きることの尊さを知ることができる。」

 

 

湖畔の展望台.JPG

湖畔の展望台から枝珊瑚のように分岐している珍しいダム湖を臨む。

湖の周辺は風景区として指定されて様々な施設が設営されている。

 

 

台中発 台湾高速鉄道で台北駅に帰着。すぐに国立台湾大学へ。

 

16時 「国立台湾大学」訪問

 

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国立台湾大学西側にある正門。左手奥に「台北101」を遠望。ここにも昔の佇まいが。

 

国立台湾大学は、旧台北帝国大学として1927年名称決定。1928年3月設立。

初代学長は幣原坦(しではら たいら)。当初より総合大学として拡充。1936年には医学部設置。1945年中華民国政府が接収。現在では11学部学生3万人を超える。李登輝・陳水扁・馬英九他台湾立志伝の重要人物を輩出。

 

【高井のコメント】

国立台湾大学においても伊東豊雄先生は大活躍されております。国立台湾大学の現在建設中の社會科学院を設計されており、それが建築中の建物の外壁に表示されておりました。

 

 

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国立台湾大学社會科学院建設説明看板に伊東豊雄先生のお名前が。

 

 

圓山大飯店

 

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圓山大飯店の外観

 

金曜日の引け時の渋滞を縫い、一路故宮博物院への途中、今年で創設59年目と、だいぶ古くはなったがリニューアルもされ、堂々たる風格の「圓山大飯店」。

日本統治時代の台湾神宮跡地の台北を一望する小高い丘に建てられ、外賓を迎える迎賓館として使われていました。


 

17時頃 「国民革命忠烈祠」訪問

 

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国民革命忠烈祠の衛兵交代を参観

 

辛亥革命や戦争で没した将兵を祭る国民革命忠烈祠(即ち靖国神社に相当)の本日最終17時の衛兵交代に、見事に間に合い一部始終を参観。体格の揃った兵士達の一糸乱れぬ衛兵交代の靴の鋲と銃の台尻で奏でるリズムは耳に残る。

今回の台湾の旅の間、兵士の姿はこの衛兵達だけしか見かけなかった。武装警官の姿もなく、他の諸国と比べると非常に治安の良いことが感じられる。

 

 

17時過ぎ 「故宮博物院」訪問

故宮では撮影禁止で写真なし。18:30の閉館まで約一時間の駆け足参観は充実。

中国人観光客で大賑わい、例のごとくここも喧噪。国宝特別展で素晴らしいものが並ぶが、展示方法が時代系列による方法に変わり、いささか食い足らず。

 

【高井のコメント】

参観者は、大陸の中国人の方が圧倒的に多かったことが印象的でした。日本人の参観者は見かけませんでした。

 

 

(4)10月29日(土)

台北松山空港を7時45分に発ち、羽田空港に11時45分に到着し帰国いたしました。

 

(5)まとめ~台湾反芻 40年前から比べて~

1.  劉先生に伺ったところ、台湾で「官との裁判案件」が多いことは、日本より民主的な社会に移行しつつある証左であるかもしれないと感じました。そしてもちろん中国本土の民主化への底流にも大いに関わりを持つと思いました。また高雄国家体育場建設では、公開コンペにより日本人が設計、日本の建築会社が施工に関与しつつ、官民協調し「公開透明の原則」に従い大工事が実行されたのは刮目に価します。

 

2.  台湾社会は、秩序が自律的に護れる地域に見事に成長し、世界でも希有のことと思われます。今回の訪台中、衛兵と駐車管理を除いて、市中に警官・軍人の姿をほとんど見かけませんでした。また大陸では当たり前のように見受けられる、我先に押し合う姿や鉄格子で囲まれた牢屋のような住宅はありませんでした。これらの違いはなぜでしょうか?台湾は、町並みも人心も極めて整えられているような、落ち着いた、調和が感じられる国であり、心が和みました。

 

3.  台湾料理が穏やかな料理に進化した?

ことさらに台湾現地らしい料理店を歴訪した今回、昔と比べて全体的に意外と薄口傾向、塩分、調味料が控えめで、これは生活水準向上を反映していることであると感じました。

 

【正門様のコメント】

旅の道中、有名な台湾バナナ・マンゴーから普段あまり口にすることのないドラゴンフルーツ(火龍果)・シャカトゥー(釈迦頭)・ワックスアップル(蓮霧)・リュウガン(龍眼)など、丹治社長のご厚意により様々なフルーツをごちそうになりました。私の中で、台湾は「フルーツ天国」というイメージがつきました。

 

4. 1911年、清朝崩壊から現代中国発展に至る起点である辛亥革命100年を記念すべき年に訪台できたことは、感慨まことに新たでした。日本統治の善き遺産を承継しながら、大陸文化の伝統に培われる新台湾の更なる善き発展が、おおいに期待されます。

 

5. 故宮博物院の中国宮廷の文物、至宝の存在は、台湾市民の文化発展に自然に溶け込み、新たな文明の要素となりつつあるように感じました。

 

6. 高井は来年3月29日から4月1日に再び台湾を訪問する予定であり、陳先生との講演の打合せも行う予定です。

 

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(2011年11月16日 朝9:18 神奈川県横浜市 藤が丘駅前にて
「プリンセスミチコ」を撮影)

 

さて、前回に引き続き、医療法人社団丹伎会 丹羽クリニック院長丹羽正幸先生についてご紹介いたします。

 

【糖尿病について】

さて、身近な難治性疾患には糖尿病がありますが、丹羽先生は糖尿病についても深く研究をされています。一般的に西洋医学では、血糖値をコントロールする食事療法、運動療法、薬物療法、インスリンを投与する治療法となっていますが、糖尿病は全身病で、代謝の疾患だそうです。西洋医学の行う個々の治療法ではなく、身体全体の代謝を改善してゆき、自然治癒力を取り戻す「丹羽式統合医療」が糖尿病治療にも力を発揮するのです。前々回にご紹介した丹羽式正體術や、前回ご紹介したアスクレルームなどの提携施設(「アスクレルーム」以外の提携施設については次回にご紹介します)の他にも、ビタミン・ミネラル療法も行われるそうです。(ビタミン・ミネラル療法については後述します。)

 

 

【アトピーについて】

丹羽式統合医療の実績で最も著名なものはアトピー性皮膚炎の治療です。先生は、アトピー性皮膚炎は、「皮膚」だけの問題ではなく、「身体」の問題であり、身体に問題があるからこそ、その問題点を解消するために体質の改善を行う必要がある、と都度述べられています。糖尿病と同様、アトピー性皮膚炎は皮膚だけの疾患ではなく、全身病なのです。

 

アトピー性皮膚炎を引き起こす原因は、私たちの身の回りに数多く存在しているそうです。体質、食生活、寝不足、夜型の生活、運動不足、ストレスの増加、生活環境…いろいろな原因があり、人それぞれに多様な原因があるそうです。アトピー性皮膚炎の語源は、「atopos」というギリシャ語が語源で、これは「奇妙な・よくわからない」という意味だそうです。現在主に実施されているのはステロイドを使った治療法ですが、丹羽先生は基本的にはステロイドを使わずにアトピー性皮膚炎を治すことは可能であると考えているそうです。約40年前からステロイドがアトピー性皮膚炎治療の中心として使われてきましたが、ステロイド治療が一般的に使われる一番の理由は、ステロイドには優れた抗炎症作用があるからだそうです。ステロイドを塗れば、痒くて痒くて夜中目が覚めてしまいよく眠れなかったりすることもなく、また炎症がおさまれば皮膚もきれいになります。しかし、ステロイドは、症状をおさえるために使われる薬であって、アトピー性皮膚炎を根治させる薬ではないということです。

 

丹羽先生は、ステロイドを全く否定しているわけではなく、ステロイドを使った治療はあくまでも「応急処置である」とお考えだそうです。つまり、風邪をひいて高熱がでたら解熱剤を使うのと同様ですが、頻繁に熱を出しているのに解熱剤を使って熱を下げればそれでよしとするのではなく、風邪をひかないような身体づくりをしなければ同じことの繰り返しです。ステロイドも同様で、長期間使用すべき薬ではなく、ステロイドをやめるための身体づくりが必要であると先生は考えているのです。

 

丹羽先生によると、アトピーの人に共通している弱点は概略以下の4つだそうです。

 

(1)胃腸が弱く、消化吸収能力が低い

消化吸収能力が低いと、身体が未消化の食べ物をうまく処理できないために、身体の中にあってはいけない異物であると誤認識し、免疫機能を発動させて排除しようとするのだそうです。皮膚の「膚」の字には「胃」という字が入っていることに、丹羽先生は中国医学の先人の深い洞察を感じる、と述べられています。皮膚の表面は、胃腸の状態が改善されることで消化吸収が良好となり、皮膚の栄養状態も良くなります。例えば、下痢や便秘状態に陥ると皮膚の状態が悪化してしまう(潤いがなくなり乾燥してしまう)のだそうです。

 

(2)皮膚が薄い

皮膚が厚いほど血管が多く、血液もたくさん流れるために皮膚をつくる機能も活発になりますが、皮膚の薄い人はどうしても皮膚の補修・回復が遅く、傷や炎症も治りにくいのだそうです。(また、ステロイド剤は皮膚を一層薄くする原因の一つだそうです)

 

(3)身体にゆがみがある

皮膚への血液は、必ずその下の筋肉の中を通る血管によって運ばれ、筋肉にゆがみやねじれがあるとそこで血管が圧迫され、その先にある皮膚の血流が悪くなってしまうそうです。

 

(4)よい汗をかけない

よい汗とは、水分量と皮脂の量が一定の割合でできているものです。例えば、早歩きをした時にかくサラッと流れる玉のような汗です。アトピーの人は、皮膚が薄くなって汗腺や皮脂腺の働きが衰えているため、上手く汗がかけない体になっているそうです。

 

(1)~(4)を克服し強い身体づくりをするために、丹羽式統合医療では、消風散、十全敗毒湯、補中益気湯、十全大補湯、四物湯、温清飲等の漢方による治療(体質改善)、ビタミン・ミネラル療法(サプリメント。これについては後述します)、正しいスキンケア指導、丹羽式正體(ゆがみを治して、皮膚の血液量を増加させる)を行っているのです。アトピー性皮膚炎で悩む人はもう何十年もステロイドを塗っている人が多いと聞きます。私の事務所にもアトピー性皮膚炎に悩む女性秘書がいますが、その秘書は、生まれたときからずっとステロイドを塗って症状を抑えているそうです。一度、丹羽先生が実践されているように、体質改善をしようと努力をしたそうですが、結局「すぐにかゆみがなくなり皮膚がきれいになる」ステロイドを使ってしまっているとのことです。このように、ステロイドの即効性から、長期間ステロイドを塗っている人が多いのが現実ですが、丹羽先生は、徐々にステロイドを少なくして、体質を改善し、皮膚を厚く丈夫にして、皮膚の免疫力を取り戻す、ということが大事だとおっしゃっています。そしてそれには根気と努力が必要だそうです。ステロイドは一瞬にしてかゆみを確かにとってはくれますが、身体全体の代謝を改善してゆき、自然治癒力を取り戻すという丹羽式統合医療の、一見遠回りに思える方法が、アトピー治療の根本治療として正しいといえると思います。本当にアトピー性皮膚炎を完治させたいなら、対症療法に依存する西洋医学だけではもはや限界なのでしょう。

 

 

 

【ビタミン・ミネラル療法(サプリメント)】

丹羽クリニックでは、上述してきたとおり丹羽式統合医療の中でビタミン・ミネラル療法も行われています。

 

「体内の環境を良くし他の治療効果を上げるもの」、「機能低下を抑制し代謝を助けるもの」、「免疫力を助けるもの」など、病気の方すなわち患者さんが長期間摂取しても問題が無く、しかも治療効果を上げることが出来るものである、ということがサプリメントで重要なことだそうです。丹羽先生は、38年間ビタミン、サプリメントを研究し、データを取り続けられていて、丹羽先生曰く「良いサプリメントは、飲みはじめて2週間程度で効果が現れるものであり、サプリメントで重要なのはクオリティの高い原材料を使用することと効果を最大限に生かす組合せであり、なおかつ健康被害がないものである。」とおっしゃっています。また実際市販されているサプリメントには、利用していても効果が無いもの、健康被害を出しているものが非常に多く存在しているそうです丹羽クリニックで使用するサプリメントは、丹羽先生自らが処方を考え、原材料、配合などを監修し、臨床で安心して患者さんに使えるもののみを使っているのだそうです。市販されているビタミン、サプリメントの中で、最も効果が高いそうです。

 

サプリメントの中でも、ビタミンA、ビタミンCは体の状態を良くするための基本となるものだそうです。以下は丹羽先生から教えていただいたビタミンA、Cの説明です。詳しくは、丹羽先生もしくはスタッフの方々に聞かれると良いでしょう。

 

◎ビタミンA

人の身体は、体の外界に通じる部分は皮膚・粘膜で全て覆われています。ビタミンAは、皮膚・粘膜の働きを正常にして、体を良い状態に保つ為には欠かせないビタミンです。

・   一般的に欠乏すると、夜盲症、感染に対する抵抗力の低下、成長不良、骨・歯の発育不良と変形、皮膚や粘膜の角質化、皮膚の異常乾燥、色素沈着などが起こると言われています。

 

◎ビタミンC

ビタミンCは、体内へきちんと吸収されると、体の65%以上を占める水の部分で幅広く作用し、様々な効果をもたらすビタミンです。その主な効果は、抗酸化作用であると言えます。ビタミンCは水溶性であるため多く摂取しても排泄してしまうと思われがちですが、実は体の重要な部分(脳、下垂体、副腎など)に多く存在します。ストレスや病気などで消耗されると、そこから補てんされ、現代人のほとんどは潜在的にビタミンC不足と言えます。ビタミンCは多めに摂り、重要な部分が十分満たされた状態で初めて色々な働きをしてくれます。代謝系も含め細胞レベルで状態を良くしていく為には必要不可欠なサプリメントです。

・   一般的なビタミンCの効果としては、免疫力を高める抗酸化作用、抗ガン作用、抗ウイルス作用、解毒作用、コレステロールを下げる、メラニン色素の生成を抑える、鉄・銅の吸収を助ける、ヘモグロビンの合成を助ける、アンチエイジングにおいて必要な細胞の結合組織であるコラーゲン(骨などを構成するタンパク質のひとつで、脊椎動物の細胞外基質<細胞外マトリクス:細胞を囲むもの>の主成分)の合成、血管・皮膚・粘膜・骨を強くする効果があります。そのほかにも、アンチエイジングにおいて重要な抗酸化作用、などがありますが、研究中のものも含めると、まだこの他にも様々な効果があります。

 

特に風邪やインフルエンザが心配なこの時期、ビタミンA、Cは健康を保つうえで必要不可欠です。

 

次回はアスクレルーム以外の関連施設等についてご紹介をして、丹羽先生のご紹介ブログ記事のまとめとしたいと思います。

 

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(2011年11月12日(土)鹿児島県鹿児島空港にて『つわぶき』を撮影 
花ことば「謙譲(Modesty)」)

 

 

 

料理教室・お菓子教室エートル・パティス・キュイジーヌ主宰 
大森 由紀子 様 

 

11月8日(火)13:00より、フランス料理店マッシュルーム(東京都渋谷区恵比寿西)にて、大森由紀子様とランチをご一緒させていただきました。マッシュルームは、大森由紀子様のご主人様である山岡昌治様がオーナーシェフを務めていらっしゃるお店です。私にとっては2度目の訪問で、初めて訪れたのは2009年2月でした。

 

 

 

大森様,山岡様と.JPG

 (2011年11月8日(火)14:25 マッシュルーム店内にて撮影  
左から大森由紀子様、私、山岡昌治様)

 

私は、前菜に「エゾ鹿ソーセージと野菜のサラダ セロリとアンチョビドレッシング」、主菜に「シャラン産鴨モモ肉のコンフィ」、他にパンと「旬のキノコいろいろガーリックソテー」をいただき、デザートには、レシピを大森様がご考案されたという「タルトフォードワーズ 栗のアイスクリーム添え」とコーヒーをいただきました。

 

 

 

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(2011年11月8日 14:16  タルトフォードワーズ 栗のアイスクリーム添えを撮影)

 

マッシュルームHP http://www.mush.jp/

 

どの料理も、お店の名前にもあるように、特にきのこにこだわっており、山岡様は、休日になると、今の時期であれば山梨県周辺へ自らきのこ取りに赴かれるそうです。大森様いわく「きのこオタク」だそうですが、パリの老舗の名店「ル・トゥールダルジャン」ほかで約4年半フレンチを学ばれ、帰国後は横浜ルヴァンを経て、麻布文明楼、銀座モンセニョール、自由が丘フレールジャック等の料理長を歴任された実力者です。その後、1993年に「マッシュルーム」をオープンされました。大森様とは、「ル・トゥールダルジャン」で修行をされていたときに厨房で一緒になったことがきっかけで1989年にご結婚されたそうです。

 

さて、大森様と私は、2008年9月に初めてお会いしました。実は、私が結婚するよりも前の、45年前頃からお付き合いをさせていただいている元株式会社テレビ東京人事部長武井良夫様のご子息である武井晴峰様が、神奈川県横浜市金沢区で経営されているフランス菓子店「オ・プティ・マタン」を2008年8月頃に訪問しました。その際、オーナーである武井晴峰シェフから、大森由紀子様にご支援をいただいている由承り、ご紹介いただきたい旨武井シェフにお願い申し上げたことがきっかけでした。武井シェフはフランス、スイスで経験を積んだパティシエで、2001年に帰国し「ミクニズカフェ・マルノウチ」のシェフパティシエに就任された後2005年「コートダジュールミクニズ」に勤務され、2007年に「オ・プティ・マタン」を開店された方です。

 

オ・プティ・マタンHP http://www.au-petit-matin.net/

 

私は2008年4月23日から2009年9月17日までの全6回にわたり「社長塾」を主宰しておりました。「社長塾」は、1993年5月27日から2007年7月26日まで全127回、14年間にわたって私が主宰し、講演した「社長フォーラム」を前身としているセミナーでした。日本が人口減による労働力人口減少・国内市場縮小という不可避な事態に直面しながら、「今豊かな企業がさらに成長するために何をすべきか」を基本的なテーマとして、私が講演をすると共に、毎回ゲスト講師をお呼びしておりました。大森様に2008年9月に初めてお会いした際、大森様には是非「社長塾」のゲスト講師を務めていただきたくお願い申し上げたのです。結局は講師としてはご出講いただきませんでしたが、2009年5月26日の第5回「社長塾」にご招待しました。それから何度かお会いさせていただき本日に至ったのです。

 

大森様は現在、フランスの伝統菓子、地方菓子などのお菓子や、フランスで日常的に作られるお惣菜等を雑誌・本・テレビなどのメディアを通じてご紹介されたり、料理教室「エートル・パティス・キュイジーヌ」を主宰されたりしています。特に、そのポリシーの一つとして、「フランスで日常的に作られるダシをとらない惣菜」を教えることを心掛けていらっしゃるそうですが、それは、フランス料理というと少し難しいイメージがありますが、そういうイメージを取り除いてすぐに家でできるものを教えたいと考えたからだそうです。

 

エートル・パティス・キュイジーヌHP http://www.yukiko-omori-etre.com/

 

 

大森様がフランスにご興味をもたれたのは、学習院高等科に在学されていた時代にさかのぼるとのことです。「SAISON de non-no」のフランス特集をみて、こんなに華やかな世界があるんだ、行ってみたいと憧れたそうです。また、友達の家に遊びに行った時に、友達のお母さんが作った手作りのお菓子をごちそうになり、心ひかれ、自分でも作ってみたいと思ったのがフランス料理・菓子に目覚めたきっかけとのことです。当時は、まだフランス料理のレシピ本等は世に少数しか出ていなかったとのことですが、宮川敏子先生の本、今田美奈子先生の本などをあれこれ買って、見よう見まねの独学で料理やお菓子作りを学ばれたそうです。

 

学習院大学仏文科卒業後、パリ国立銀行(東京支店)に勤務され、そのOL時代には、東京會舘クッキングスクールで学ばれたそうです。資金が貯まった27歳の時、ついに一大決心「清水の舞台を飛び降りる」気持ちでフランスに渡られたそうです。当時は、ネットやメールも普及しておらず、情報が少ない上、フランスから資料を取り寄せても日本に届くまでに相当時間がかかるという雲をつかむような状況だったそうです。今でこそ気軽に留学や海外旅行に行けますが、当時ではかなり珍しいことでもあり、ご両親も大変心配なさったそうですが、「行かないと自分の人生始まらない」ということでご両親を説得され、ついに高校時代からの憧れの地パリの地を踏まれました。

 

パリには2年弱滞在され、その間1年半で「ル・コルドン・ブルー」の全課程を修了されたそうです。「ル・コルドン・ブルー」は、1895年、フランスパリに創設されたフランス料理・菓子を学ぶ学校で、世界各国から料理人を目指す人々が集まってくるそうで、大森様のクラスメイトには、現在江上料理学院副学院長である江上佳奈美様がいらっしゃったそうです。(ちなみに、江上料理学院とは私は1994年1月からお仕事をさせていただいております。)

 

江上料理学院HP http://www.egami-cooking.co.jp/

 

パリでは学校に通うかたわら、「フォション」「アルページュ」「アピシウス」「ラ・トゥールダルジャン」などのお店で研修をされていたそうです。女性が厨房に入るのが珍しく、からかわれたりもしたそうですが、面白く貴重な経験であったそうです。大森様のご著書「ママンの味、マミーのおやつ」(文藝春秋、2009)では、パリ在住の日々を「私は多くの発見をし、たくさんの友人をつくった。夢中で過ごした二年間の出会いや経験は一本の苗のように、するすると伸び、枝分かれし、さまざまなものをもたらしてくれた。」(60頁)と振り返られています。

 

さて、大森様の考えられる当時のフランス料理から現在のフランス料理への変化は、フランス料理といえば、かつては「煮込み」「ソース」の料理と言われていましたが、今では「ソース」がだんだん少なくなっており、線で書く位になっているとのことです。また、重い料理はだんだん避けられるようになってきており、「ヘルシー」ということにも重点が置かれるようになっているそうです。フランスにおけるフランス料理も、最近では鰹のたたきが出てくるなど日本の食材を使っていることも少なくないらしく、また、フランス人のシェフが日本に来て、日本料理の厨房で研修をするなど、何がフランス料理か、境がなくなって来ているとのことです。

 

大森様はパリ以外に長期滞在されたことはないそうですが、帰国されてからも、フランスの地方へ度々足を運ばれているそうです。例えば、大森様の料理教室・菓子教室エートル・パティス・キュイジーヌでは、毎年「フランスお菓子紀行」というツアーを催行されています。毎回フランスのある地方を限定し、その地方の特色あるお菓子を探訪する事を主な目的とし、その地方の料理、ワインなどの食に関する特産品を賞味し、各地の定評あるレストランやビストロを訪れるそうです。今年は、ルルドを皮切りに、フランス南西部の中央高地やピレネー山脈が背後に迫る、ミディー・ピレネー地方を回るツアーであったそうです。ルルドと言えば、「ルルドの泉」で有名です。ルルドの泉は、「万病を治す奇跡の水」とされ、連日、世界中から多くの人々が集まります。水の成分は、天然ゲルマニウムイオン水で、現在でも1日約12万2400リットルの量が湧き出ているそうです。私も一度は訪れたいと存じております。ミディー・ピレネー地方は、フォアグラやトリュフの有数の産地で、ブルーチーズの代名詞「ロックフォールチーズ」はこの地方のロックフォール村でつくられているのだそうです。

 

さて、このツアーはもう17年毎年続けられており、この不況で旅行業界において、一般的な旅行者やツアー参加者が減っているなかでも、毎年コンスタントに20名程度のご参加者がいるとのことです。また、個人的にも本の取材等を兼ねてフランスの地方を巡られるそうで、これらは大森様のライフワークとなっているとのことです。

 

大森様は「世界のベストレストラン50」の選者のお一人でいらっしゃるとお伺いし、せっかくですので、あらゆる料理を食べ歩いて、今もう一度行きたいというお店について質問してみたところ、下記2店を挙げてくださいました。

 

【大森様が今もう一度行きたいお店 2店】

 

・レフェルヴェソンスhttp://www.leffervescence.jp/ja/

(東京都港区西麻布2-26-4)

 

・レストラン ラッセ http://ameblo.jp/restaurantlasse/

(東京都目黒区目黒1-4-15 ヴェローナ目黒B1)

 

実はラッセは、9月26日(月)に、私が、株式会社ジェイ・アイ代表取締役 石川次郎様(『POPEYE』『BRUTUS』『Tarzan』<株式会社マガジンハウス発行>といった数々の雑誌創刊に携わってこられた、今日の雑誌メディアを創った立役者のひとりとして知られた方です。)、ハリウッド株式会社経営企画部マーケティング室マネージャー小野裕子様と共に大森様をランチにお招きして、ご一緒したという経緯があります。その際に、ラッセの経営者で株式会社良品計画 代表取締役会長でもある松井忠三様のご令室様である珠江様にもご一緒していただきました。ラッセについては、7月26日付ブログ記事【交友録 その3】もご覧ください。ラッセを大森様が気に入ってくださっていてなによりでございます。また、小野様をお呼びした理由は、「月刊 婦人画報」(ハースト婦人画報社)の2011年12月号の記事内でハリウッド社の商品を大森様がご紹介され、小野様がお会いしたいとのことでしたのでお仲立ちをした次第でございます。ラッセに向かう途中、小野様はハリウッド化粧品の紙袋を手にされていたそうですが、大森様が路上でそれを見かけて、小野様に話しかけられたということでした。小野様は、大森様にお会いした印象を「パワフルでエネルギッシュな生き方をされているにもかかわらず、お人柄は非常に気さくで気取らない方。人とのご縁を非常に大事にされる方。」とおっしゃっておられました。私もその通りであると思います。私は常日頃から女性のエネルギーは男性より強いと感じておりますが、大森様は特にエネルギーがある方だと思います。大森様が27歳だった当時、当時としては大変困難だったフランスへの留学を夢だけに終わらせず、一歩踏み出し未来を切り開かれたことは勇気ある素晴らしい行動であったと存じます。それほどのパワフルな方でいらっしゃるにもかかわらず、上品さも兼ね備えた素敵な女性です。

 

大森様の将来の夢は、季節を選んで1年の半分をパリ、半分を日本で過ごすこと、とのことです。大森様が、今後も若手のパティシエを見守っていただき育成していただくことを祈念しております。そして、スイーツを愛するすべての人に、更なる夢と、快さをお与えくださるよう、ますますのご活躍を期待しております。

 

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(2011年11月6日(日)朝7時2分 東京都渋谷区代々木公園にて雨上がりの薔薇を撮影)

 

さて、前回に引き続き、医療法人社団丹伎会 丹羽クリニック院長丹羽正幸先生についてご紹介いたします。

 

「丹羽式統合医療」の目的は、「病気の根本治療」にありますが、「丹羽式正體術」以外に、丹羽クリニックの提携施設として「アスクレル-ム」「温熱免疫ルーム」、「音楽音響ルーム」、「TRUE HANDS(正顔・フェイシャル・フットケア)」等があります。今回は「アスクレルーム」をご紹介したいと思います。

 

「アスクレルーム」の「アスクレ」とは、ギリシャ神話に出てくる医神「アスクレピオス」(優れた医術の技で死者すら蘇らせ、後に神の座についたとされる。)を語源としているそうです。ギリシャ医学は、身体の自然治癒力を重視しており(人間に自然治癒力があるとする考え方自体の歴史は非常に古く、世界三大古典医学といわれているインド医学<アーユルベーダ>、中国医学、ギリシャ医学などに共通しています)、丹羽先生も自然治癒力を高める為のシステムを構築した治療を実践なさっています。

 

 

「アスクレルーム」の五大機能は、下記の通りです。

 

① 細胞の活性化
細胞のエネルギー代謝を高め、新陳代謝を促進する

 

② リンパ球数の増加
免疫力、自然治癒能力、自己治癒能力が高くなる
人間の免疫力、自然治癒力等は、非常に高度で精密なシステムになっているそうです。免疫機能を担っている要素の例としては、この「リンパ球」が挙げられるそうです。「リンパ球」というのは総称であり、現在のところ「ナチュラルキラー細胞(NK細胞)」「B細胞」「T細胞」などが知られているそうです。ナチュラルキラー細胞は腫瘍細胞やウイルス感染細胞を直接撃退する力を備えていて、B細胞は体液性免疫や抗体産生に、T細胞は細胞性免疫に携わっているそうです。

 

③ 血管の拡張
身体の隅々まで血液を行き渡らせる

 

④ 筋肉の弛緩
血液の巡りをスムーズにする

 

⑤ 副交感神経の刺激
脳をリラックスさせ、ストレスを緩和させる
人間の「自律神経」は、正反対のはたらきをする「交感神経」と「副交感神経」の2つの神経から成り立っているそうです。「副交感神経」がはたらくのは、睡眠中、リラックスしているとき、ゆったり過ごしているときで、昼間の活動によってたまった疲れや、体に受けたダメージを、「副交感神経」に切り替わった睡眠中に修復して元気な状態に戻す、いわゆる「からだの修復」が主な役割だそうです。

 

「細胞の活性化」「リンパ球数の増加」「血管の拡張」「筋肉の弛緩」「副交感神経の刺激」という5つの機能によって、人が持っている治癒能力が最大限に高まる、人の細胞が賦活(ふかつ)化する、これが「細胞賦活化療法アスクレルーム」と呼ばれる所以なのですが、丹羽先生は次のようにお話なさっています。

 

〈まず、アスクレルームは細胞賦活化を目的とした装置です。細胞の賦活化とは、細胞ひとつひとつを活性化させるという意味です。約2年間に亘り、数多くの利用者のデータをもとに、気圧の調整方法を研究し、工夫して、「最も効果的で、なおかつ最も副作用の少ない(耳の痛み・頭痛・めまい・脳貧血等にも配慮した)方法」へと改善を続けています。ただし、「気圧を高くすること」はなく、「気圧を低くするか、低くしたものを戻す」という調整を繰り返しており、現在のところは最大限に気圧を低くしても飛行機の中と同じ程度としています。酸素濃度に関しては、気圧の調整に伴って自然に変化させているものであり、人工的に酸素の充填や抽出を行っているものではなく、大変ナチュラルなものです。〉

 

つまり「アスクレルーム」は中身の気圧を常に変化させ続けるということなのですが、ルームの外よりも気圧が高くならないという基本方針の下、酸素の量を減らしたり戻したりを繰り返します。一番低い酸素濃度は、飛行機の中と同程度だそうです。飛行機の中と同程度になると、およそ人間は防御機構を持っていて、簡単にいうと低気圧でも耐える身体になっていくということです。

 

「防御機構」とはどういうことかといいますと、「アスクレルーム」内では気圧が低下しますが、これは人間が、自分の力で、常に一定の身体条件(外的条件が変わろうとも、常に一定の身体状態でいられるようにすること。)を保つようにする仕組みです。これは、人間の身体には外部の条件が変わろうとも自分の身体の状態を維持しようとする「余力」が残っていることを意味していて、これは人が持っている「生命力」です。「アスクレルーム」では、この「生命力」を引き出し、エネルギーの生産効率を上げることができるということです。

 

気圧を戻すということは、酸素の少ない状態から通常の酸素量へ復元するということになります。酸素の少ない状態とは、身体が酸素を渇望していることですので、気圧が少ない状態から通常の気圧に戻るときは、細胞の酸素の吸収力、細胞の利用効率が上がるということです。「アスクレルーム」で一番大事なことは、絶えず気圧を変化させていること、すなわち生体防御反応が絶えず機能していくということです。気圧を固定するとその気圧に慣れてしまった身体になってしまうことになりますので、そうならないために気圧を常に変化させることが重要だと思われます。

 

「アスクレルーム」に入ると、人間の体内では、薄くなっていく空気に対し、血管が拡張し、血液を体の隅々まで行き渡らせ身体の全細胞に酸素を効率よく運搬して身体を守ろうとする生体反応がおこります。それゆえ身体が温かくなり、それだけではなく血流が良くなり、脳への血流もよくなり、副交感神経が優位に働きます。副交感神経が優位に働くということは、身体をリラックスさせるということだそうです。具体的にいうと「眠くなる」「筋肉の緊張が和らぐ」「イライラしにくくなる」といったような効果があるようです。

 

 

私も丹羽先生と提携されている虎ノ門の「アスクレルーム」で何度も体感いたしましたが、私が「アスクレルーム」の施術を受ける時間は、私にとっては「睡眠時間」といってよいでしょう。「アスクレルーム」それ自体は、眠気を強く促す時間ではないのですが、副交感神経が活発になるからリラックスして、私は眠くなってしまうのです。

 

虎ノ門アスクレルームブログ http://ameblo.jp/ascletora

 

また、私たちは日常において「深呼吸する」という行為がありますが、深呼吸には副交感神経を強めてリラックスさせるという効果があるようです。たとえばラジオ体操の中に「深呼吸する」という行為がありますが、最後の深呼吸を必要と感じないならば、体操を十分に行ったとはいえないそうです。つまり、体操によって疲れた筋肉に酸素を補給することが最後の深呼吸で、また、最初の深呼吸はこれから動かす筋肉に酸素を与えるために必要な行為であり、眠っていた筋肉をおこしてあげる意味があるそうです。こういった意味において、体操には必ず深呼吸が必要なのです。ラジオ体操の中で最初と最後に深呼吸がありますが、これは意味もなく入っているのではないということです。

 

丹羽先生の「アスクレルーム」は、新宿と虎ノ門のほか、今月新たに調布市若葉町(京王線仙川駅)の湯けむりの里仙川店が開業されています。また、「アスクレルーム」によって体調改善された方々が、新規に設置を各地で企画されているそうです。海外からも、設置意向がもらされているそうです。丹羽先生は、様々な疾患で悩まれている方々により良い治療方法を提案することをご信念にされています。丹羽先生のご信念を具現化する一環として、アスクレルームを多店舗展開するにあたっては、アスクレルーム株式会社取締役社長 服部新一様が大いに協力されているようでございます。

 


最後に、「アスクレルーム」が行っている「酸素濃度が低い状態から通常の酸素量に戻る変化を繰り返すこと」は、まさに地球の歴史そのものをたどることだという考え方に感銘を受けました。つまり、丹羽先生は以下の様におっしゃっています。

 

<地球は、46億年前に誕生し、36億年前に海水の中で生命が誕生しました。27億年前に、太陽光を用いて海水を分解し、エネルギーを産生する細菌群が出現しました。そして、20億年前に初めて酸素が発生しました。生物は酸素を利用してエネルギーを効率よく作ることができるようになったのです。しかし、その頃の酸素濃度は現在の酸素濃度(21%)の10万分の1であったそうです。6億年前になるとやっと酸素濃度が1%になり、現在に至っているということです。> 

 

酸素の少ない状態から通常の酸素量に戻るという変化によって、血管が拡張し、血液を体の隅々まで行き渡らせ身体の全細胞に酸素を効率よく運搬して身体を守ろうとする生体反応から身体が温かくなり、それだけではなく血流が良くなり、脳への血流もよくなり、副交感神経が優位に働く等の効果が得られるということは、自分の小さな肉体が、地球の歴史をたどり、宇宙の歴史をたどり、宇宙との一体感を味わうことであるのだと思います。言いかえれば、人間は宇宙の一つの存在に過ぎないのです。

 

次回は、丹羽先生が「丹羽式統合医療」で特に実績を挙げられているアトピー性皮膚炎について等をお話ししたいと思います。

 

高井伸夫先生と一緒にいて学んだ「好奇心、向学心、質問力」
高井先生から学んだこととして、前回は「無用の用」について
お伝えいたしました。
学んだことの二番目として、
「好奇心、向学心、質問力」
というキーワードを挙げたいと思います。
高井先生は様々な方とお付き合いされ、前回お伝えしたとおり、
多岐に渡る知識をお持ちですが、会食の場などでそういったことを
ひけらかすといったことは全くありません。
むしろ、お会いする相手の方に、そのご専門について
積極的に質問をされる姿が印象に残っています。
その様子を見て感じるのは、知的好奇心、知識欲をとても強くお持ち
であること。
先に申し上げたように、
広範な分野にわたって一定以上の知識をお持ちなので、
どんな人とでも、同じく一定以上のコミュニケーションが図れることに
ついて感嘆するのですが、同時に、それに加えて、さらに貪欲に
学ぼうという「好奇心、向学心」そしてそのための「質問力」を
お持ちであるように見受けられます。
どういうことかというと、まず「無用の用」という考え方を
そのまま受け入れ、森羅万象、世の中のあらゆる事象について
興味を持ち、調べ、教わることで、それぞれの分野についての
知識・知見が徐々に蓄積されていく。
それを会話の糸口として、知的好奇心、旺盛な知識欲を
発揮して様々な質問をする。
そうすることで、相手からいろいろな専門的な話を聞かせて
いただくとともに、その方とのご縁も深まり、
さらに自らの世界も広がっていきます。
この繰り返しにこそ、多方面の知識を蓄え、専門性も同時に
身につけられ、そしてあらゆる分野の専門家の方々とも
仲良くなってこられた秘訣があるのではないか、
と、私なりに分析してみた次第です。

 

高井伸夫先生と一緒にいて学んだ「好奇心、向学心、質問力」

 

 

高井先生から学んだこととして、前回は「無用の用」について

お伝えいたしました。

 

学んだことの二番目として、

 

「好奇心、向学心、質問力」

 

というキーワードを挙げたいと思います。

 

 

高井先生は様々な方とお付き合いされ、前回お伝えしたとおり、

多岐に渡る知識をお持ちですが、会食の場などでそういったことを

ひけらかすといったことは全くありません。

 

むしろ、お会いする相手の方に、そのご専門について

積極的に質問をされる姿が印象に残っています。

 

その様子を見て感じるのは、知的好奇心、知識欲をとても強くお持ち

であること。

 

 

先に申し上げたように、

広範な分野にわたって一定以上の知識をお持ちなので、

どんな人とでも、同じく一定以上のコミュニケーションが図れることに

ついて感嘆するのですが、同時に、それに加えて、さらに貪欲に

学ぼうという「好奇心、向学心」そしてそのための「質問力」を

お持ちであるように見受けられます。

 

どういうことかというと、まず「無用の用」という考え方を

そのまま受け入れ、森羅万象、世の中のあらゆる事象について

興味を持ち、調べ、教わることで、それぞれの分野についての

知識・知見が徐々に蓄積されていく。

 

 

それを会話の糸口として、知的好奇心、旺盛な知識欲を

発揮して様々な質問をする。

 

そうすることで、相手からいろいろな専門的な話を聞かせて

いただくとともに、その方とのご縁も深まり、

さらに自らの世界も広がっていきます。

 

 

この繰り返しにこそ、多方面の知識を蓄え、専門性も同時に

身につけられ、そしてあらゆる分野の専門家の方々とも

仲良くなってこられた秘訣があるのではないか、

 

と、私なりに分析してみた次第です。

 

 

 

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(2011年11月1日(火)午前6時56分 東京都千代田区 北の丸公園にて撮影)

 

 

私が1997年5月以来、しばしばお世話になっている医療法人社団丹伎会 丹羽クリニック院長丹羽正幸先生は、日本統合医療学会代議員の肩書をお持ちで、「統合医療」を実践されているお医者様のうちの一人です。「統合医療」とは、病気で苦しむ人々が本当に必要な医療を自らの意志で選択できる、先端医療をはじめとした近代医学と、伝統医学や代替医療などが融合した医療のことです(「統合医療」については今後詳しくブログで私の思うところを述べるつもりです)。丹羽先生はご自分の治療法を「丹羽式統合医療」という独自の名称を付けて日々治療にあたられています。

 

丹羽先生は、人の生命力は強いもので、どのような病気でも、すべての人が持ち合わせている生命力と自然治癒力を最大限に生かし、身体の総合力を高めれば、根本治療に結びつくという信念のもと、診療と研究を続けられ、「丹羽式統合医療」を編み出されました。「丹羽式統合医療」は、自己のもつ自然治癒力を引き出すことで根本的な部分から治療を行っています。治療の対象を患部だけでなく、骨格や、筋肉、臓器、こころ、脳神経など人間の身体全体をトータルに捉えて行っています。丹羽先生は、「人は身体とこころを持つ生き物です。ですから、病気を治せても身体を根本から治すことは、西洋医学だけでは不可能だと考えます。また現代の医学は、薬で病を治そうとしますが、本来は自分の身体は自分の力で治せるようになるのが理想です。」とおっしゃっています。

 

さて、丹羽先生のご経歴は、1973年に横浜市立大学医学部を卒業され、横浜市立大学附属病院に入局、第二外科で多くの外科手術の執刀を務められました。その後米国カルフォルニア大学サンディエゴ校外科研究室研究員として勉学に励まれ、近代西洋医学の研究者、臨床の現場で日々活躍されていました。現在とは違い、丹羽先生は、もっとも近代西洋医学の真ん中をいく医者だったのです。(しかし近代西洋医学だけでなく、医学部在籍中より東洋医学研究会に所属し、漢方の第一人者、石原明医師に師事されていました。漢方のみならず鍼灸、アーユルベーダ、チベット医学、食養法など東洋医学の研鑽を積まれてきました。)

手術の執刀医を務めるうちに、臓器の病気の変化と体表変化の相対関係に気付かれ、すなわち「病気により生じた臓器の病変」と「体表に現れる歪み」との関係が、手術を行う中でより一層明確になったそうです。そこで、「手術以前にもっと他にすべきことがあるのではないか」と認識され、1988年にご自身で医療法人社団丹伎会「丹羽クリニック」を設立されました。以後、難治性疾患の治療を目的とし、「統合医療」の方法論の確立を目指した治療を行っています。開業以来、23年間で難治性疾患の患者さんを40、000例以上診てこられたそうです。

 

 

「丹羽式統合医療」の目的は、「病気の根本治療」にあります。そしてその特徴は、下記の5つが挙げられます。

(1)    多面的な診断(身体を様々な視点から診る)
近代医学・東洋医学の枠を超え、バランスを考慮して診断されています。

(2)    治療の組み立て(治療の処方)
薬だけを処方するのでなく、完治までの治療計画を処方されています。

(3)    様々な角度からの治療
一つの病気には、一つの病因・症状・身体の状態があるわけではありません。一つの病気には、患者それぞれの病因・症状・身体の状態があります。ですから、治療法も、患者一人一人に合わせて身体の内側・外側・心・脳神経・細胞など、様々なレベルと角度からアプローチされています。

(4)    効果が確認できた治療法のみを採用
代替医療とはいっても、根拠の薄いあやしげな民間療法などを取り入れているわけではなく、長年の臨床経験で効果が実証された代替療法を取り入れています。

(5)    薬・代替療法の処方
上記の(1)~(4)に基づき、薬(漢方薬は100種類以上を常備。西洋薬と漢方薬の相乗効果を引き出す独自の処方)と代替療法(関連施設と協力。「アスクレルーム」、「温熱免疫ルーム」、「音楽音響ルーム」、「TRUE HANDS(正顔・フェイシャル・フットケア)」等)を処方されます。

 

 

また、「丹羽式統合医療」の特徴として、筋骨格系のバランスを整える独自の手技療法「筋骨格系医学」を取り入れています。これは「丹羽式正體術」とよばれ、大変人気のある療法で、全国各地から患者さんがお見えになっています。「丹羽式正體術」はわかりやすくいえば整体、マッサージです。しかし丹羽クリニックでは一般で使用する「整体」という文字ではなく、あえて「正體」という文字で表現しています。「體(たい)」の字には、丹羽先生の深い意図があるそうです。「體」とは「からだ」の古字で、「骨」を「豊」かにすると書いて「體」と書かれているように、「骨が豊かであることが免疫力を高め、健康な体の基本となる」というお考えに由来するそうです。近代西洋医学的に言えば、血液を作る幹細胞は、骨の中にある骨髄でつくられます。「丹羽式正體術」では、筋肉を緩め、血流を促進させることで、幹細胞の働きを促し、どんどん元気な血液をつくり出すことを目的とします。それで、「正體(せいたい)」と書くのだそうです。

 

「丹羽式統合医療」に「丹羽式正體術」を取り入れられた経緯については、丹羽先生に次のように教えていただきました。

 

<“筋骨格系医学とは造語であり、私が医学生時代から40年間に渡り、疾病時における変形した内臓と歪んだ筋肉・骨格系の相対関係に着目・研究し、医学の本質を考えた結果、行き着いた言葉であります。現在私が行っている診断、治療方法において重要な概念であり、医学における治療の本質であると思っております。

46億年前に地球が誕生してから時はながれ、20万年前に新人(現代人の祖先)が誕生し、サルから直立2足歩行の人間として進化するまでの過程をみてみると、筋肉・骨格は大きく変化しています。そして病気に対しても人間への進化の過程を追うことで、ある程度理解出来ると考えます。

ただの解剖学としての筋骨格系という意味ではなく、20万年という新人誕生から直立2足歩行の人間へ進化する過程を考えて、個々の身体の問題を検証し、診断・治療へと進めていく為の概念としての筋骨格系であり筋骨格系医学はデータを基に系統立てた新しい方法論です。>

 

地球が宇宙に誕生した時代の話から、人類がサルから進化した時代、自分の身体の不調の原因論にまで結び付くということは、何とも壮大なスケールの話です。しかし、人間は宇宙の小さな構成物として宇宙に存在する以上、ごく当然のことであるとも思いました。

 

さて、私が丹羽先生に正體を施術していただくと「首が伸びましたよ」「胸が広がりましたよ」という言葉をいただきます。丹羽先生のお話によると「首をのばすとは、首の周りに硬くなって縮んだ筋肉がゆるめられた」ということになるそうです。そして、首の周りの筋肉がゆるむと血管の緊張がゆるみ、血管が拡張することで脳への血流が増え、その結果脳への循環が良くなり、右脳と左脳のバランスが整ってくるのだそうです。私は2度も脳梗塞を発症していますので、脳の神経については非常に興味があります。普段、人は環境や身体の使い方の癖(例えば利き手や利き足)などで偏った脳の使い方をしがちだそうです。ですから、私は先生の正體を受けることで、首の状態を正しい理想的な形にしていただき、自律神経と脳神経の機能を正常にしていただいているのです。

 

また、「胸が広がりました」という意味は、胸部の周りの筋肉をゆるめることをいうそうです。胸部を広げると呼吸がしやすくなると同時に、酸素を取り込む量が増えます。酸素を多く取り込むことで、血中の酸素濃度が高まり、細胞を活性化し、その結果免疫力を高めることにつながるのだそうです。

 

私が先生の正體を初めて受けた時、先生に私の身体は「象のようだ」といわれました。とても人間のかたさではなかったということです。筋肉をゆるめることで、自律神経と脳神経の機能を正常にしたり、細胞が活性化され、その結果免疫力が高められるというなら、私のように身体が「かたい」ということは、私が長らく身体の故障に苦しんでいることと密接に関係があるのでしょうか。

 

丹羽先生にお聞きしたところ、身体が「かたい」というのは、筋肉や骨格、靱帯がかたくなっているということだそうです。筋骨格系がかたくなっていると、身体が歪み、神経や血管が圧迫されて、内臓機能の働きが悪くなります。例えば胃炎、胃痛など胃の調子が悪い場合、実は多くの原因が身体の形態が歪んだり、ねじれたり、腹部や背中の緊張が強すぎることによるもので、胃が圧迫され、胃の動きが悪くなってしまうそうです。こうなると、近代西洋医学のように胃薬を処方するだけでは良くならず、正體で胸部を整え、背中や腹部の緊張をとることで改善されるのだそうです。

 

このように、正體によって骨格のバランスを整えることは、筋肉の緊張を取り、血流やリンパの流れが良好になり、その結果、新陳代謝(ターンオーバー)が高まり、胸部の周りの筋肉を温め、それらによって呼吸が楽になり、結局は自己免疫力が高まって、アトピー性皮膚炎、ぜんそく等が軽減、除去されていくという効果があるそうです。「丹羽式正體術」はアレルギー疾患を除去するという一見意外な効果があるのです。

 

また、身体を「柔らかく」するためには、正體はもちろんのことですが、身体を温めることも必要だそうです。身体を温めることで血行がよくなり、筋肉の緊張や歪みがほどけるということです。「身体を温めると病気は治る」ということについては、イシハラクリニック 石原結實先生、三井温熱株式会社東京施術所所長 岩間功先生、新潟大学 安保徹先生も述べてらっしゃいます(それぞれの先生につきましては、今後ご紹介したいと思います)。

 

「身体を温めること」が健康への第一歩であることは、このようにいろいろな先生が提唱されていることでありますが、私は専門家ではないので詳しいことはまだ勉強不足です。しかし、やや抽象的な話ではありますが、家族や友人が風邪をひいたときに「温かくして寝てね」と声をかけたり、けがをした人や病気で苦しむ人を「温かく見守る」といった、看護の世界で「温かい」という言葉が頻繁に使われるのは、先人からの教えでもありますが、人間が遺伝子レベルで「温めること」が人の癒しになることを体内で情報として持っているからではないでしょうか。

 

また、丹羽先生に治療をお願いすると、必ず安心感があります。丹羽先生の治療は1時間治療するうち、5分くらいしかありません。あとの55分はお弟子さんがされるのですが、この5分間で治療効果が発揮できているという実感がありありと体感できるのです。丹羽先生の肉体的な力強さはもちろんのこと、何より勘所を押すと迫力があります。これは丹羽先生の技術が優れているのはもちろんですが、患者に対して愛情をこめて気を入れて「温かく」治療にあたってくださっているからだと思います。

 

また「丹羽式統合医療」にはもうひとつの柱である、「アスクレルーム」がありますが、次回はその「アスクレルーム」についてご紹介する予定です。

 

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(2011年11月1日(火)朝7:01 東京都港区 芝公園にて撮影)

 

 

10月14日(金)付、21日(金)付、28日(金)付記事の計3回にわたって匡正堂葛飾 齋藤整骨院院長齋藤博保先生についての記事を掲載してまいりましたが、今回はその「番外編」として、齋藤先生が10月19日(水)、20日(木)に榛名の森カントリー倶楽部にて行われた平成23年度全日本ミッドシニアパブリックアマチュアゴルフ選手権の全日本決勝戦に出場された際の「奮闘記」を齋藤先生にご寄稿いただきましたので、ご紹介いたします。

 

 

榛名の森写真.jpg榛名の森カントリー倶楽部 http://www.harunanomori.jp/

 

 

 

 

<齋藤博保の『たかがゴルフ、されどゴルフ奮闘記』>

 

 

【第一日目 10月19日(水)】

10月19日(水)、朝6時に目を覚ますと、朝靄を透し、湖面に映し出された逆さ榛名富士が夢の中から出迎えてくれました。国民宿舎の温泉場は、ホテルの最上階にあり、紅く染まった榛名富士を眺


 

めながらとっぷり湯につかり、今日の初戦の試合にそなえ身体を温めた後、いざ出陣。

 

 

 

紅葉と落葉の山道をいっきにくだり、榛名の森カントリークラブにスタート1時間前に到着。外国人のスタッフが出迎えてくれた。そう言えば、かつてこのコースはジャック・ニクラウスの設計の県下でも有数の名門コースとのうわさを聞いたことがある。さすがバブル景気に作られた趣が感じられた。

 

<榛名の森カントリー倶楽部のコース>

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どうやら経営者は代わったようだが、正常営業されている様だ。コースもさほど長くはないが山の傾斜をうまく造成された戦略性高いコースとなっている。

特にニクラウスの特徴でもある多くのバンカー配置とグリーンの大きくうねったアンジュレーションは難物である。

 

軽い練習とストレッチ後グリーンで念入りのパット練習。グリーンの速さは約11フィート。この速さは少しの傾斜の所へボールを垂直にポンと落とすと勝手にコロコロと勢いをつけながら下り降りる速度である。つまり,打ち方によってフック、スライス、ラインは倍以上ふくらませても下へ下へと転がってしまいます。隣の人間のつぶやき「こんなグリーンじゃ3パットや4パットは当たり前だ」と耳に入って来た。そんなつぶやきは絶対に心にとどめてはいけないのだが…

 

さて競技委員に呼ばれ打順通りに並び、ルール説明とお互いの使用ボールの確認。スタート前の一番緊張の一瞬である。これ迄何回か全日本の試合に臨んで来たが、今回のように最終組最終打順は初めての経験である。おまけに同組の連中はシード選手(予選免除)か常にトップクラスの名の売れた面々。その中で小生は新参者、これだけで相当なプレッシャーを感じざるを得ない環境である。いよいよスタート。三人共判を押したようにフェアウェイ中央をとらえている。

 

たのむからボールがティーに素直にのってくれと大きく一息入れうまく乗せられた。目をつぶり大きくもう一息大きく素振りをし、本番である。アドレスから一気に振り抜いた。緊張の為か身体が回転不足の為か、ややボールが左方向に飛び出した。左のラフに落ちたボールは右傾斜によってフェアウェイの真中にしかも他の3人のボールをオーバードライブ。同伴者のナイスショットの言葉にホッとしながらスタートをきった。

 

昨日の練習ラウンドではノンプレッシャーの中で気楽に出来、36.38。トータル74の上出来で廻り,侮っていた。今日はうって変わってドライバーはいいのだがアイアンとパターがうまくいかない。くそ、くそと思いながら43回、目標の30台を大きくオーバー。他の選手は皆30台である。

 

この試合に挑む前に小生なりに目標をたてていた。今の自分の実力では全体の真中と思っていた。一応20位を目標としていたのである。ところが最初のつまずきで、もしかしたら最下位…とか何ともやり切れない気持ちで残りハーフのスタート。

 

マイナス思考が頭の中をかけめぐっている中シード選手の一言、「齋藤さんとは前に一度廻ったことがあるね」でマイナス思考からプラス思考にスイッチが切り換えられた。つまり、この強者達と一緒にラウンド出来る境遇は自分に与えられたチャンスであり恵みなんだと思えた。よし,この日を楽しむ事にしよう。あとは野となれ山となれだ。

 

そして午後のスタートを切った。1人は30台であとの二人は自分のスコアーと同じ40回。まあまあである。その日の競技終了後電子掲示板にスコアと順位が写し出される。20位から大きく下位の38位である。明日の試合の出来で下手をすれば…などふたたびマイナス思考がよぎる。

 

アマチュアの試合の場合二日間で決着がつく。明日(10月20日)の為に17時近くまで、練習グリーンでパットの練習の後、ホテルに帰り夕食後温泉につかりながら今日(10月19日)の試合の反省。あれ程継続は力なりと信じ何千回何万回クラブを振り続け、用意周到だったはずがたった1回のミスがどうして出る、と自問自責の思いである。

 

高井先生からの激励の言葉、「初めは静かにスタート、後から気合を入れがんばってくれ」と、応援をいただいた。そんなことを考えている中ようやく頭が冷静になり、そういえば自分で先生のブログの中に載せて頂いた言葉の中に「ただ技術向上だけの鍛錬のみではただの組上げ作業でしかなく真の技術とはいえない。」「本当の技術とは『心』が入っている事だ」と思い出し、これだと思った。

練習ラウンドを含めるとすでにコースまで、4往復している道すがら、榛名神社を横目にしながら何の躊躇もなく通り過ぎていた。「よし、明朝早く神社を参拝してから試合に挑もう」と決心し早めに寝た。

 

 

【第二日目 10月20日(木) 榛名神社へ】

10月20日(木)早朝、窓ガラスを透して朝焼けにくっきり浮かぶ榛名富士と湖面に浮かぶ姿が霊気をおびて見えた。思わず2拍1礼!

 

6時30分にホテルを出発し、8分で神社の鳥居をくぐった。石畳の廻廊は少し朝露に濡れ、黒く光り重々しく感じた。所どころに七福神だろうか大きな青銅かなにかで出来た様な像が鎮座し、いかにも本殿に導いているかの極くであったが、7、8分経っても中々行きつかず時間的に不安になって来た。ここまで来て引き返すことはできない、と更に進むと、徐々に急な坂と石階段は続く。

 

早朝の為か誰1人いない辺りは朝靄の中に、右手に蛇行する渓流、断崖から細い滝と深山特有の霊験灼かな(あらたかな)雰囲気を醸し出している。

 

それにしても結構な道のりである。この辺りでおさい銭でも川に投げ入れ帰ろうかと思ったが思い直しとうとう山の七合目位まで登ったところでひときわ急な石階段が7、80段あり、いかにもこれが最後だからがんばれといわんばかりで立ちはだかる。よし、と掛声と共に一気に登りつめたところにやや小広くなった場所に社務所があるが本殿らしきものはない。よく見ると更に細く急な石階段があり、上を望むとどうやらそこが本殿らしい。早朝ということで未だ立入禁止の縄が張ってある。仕方なくその階段に向かってお賽銭を投げ、2拍2礼。

 

そして、「気の恵み」を頂き、下山しようと振り向いた瞬間(ここからは信じ難い事なのでどう解釈されても結構です),石門の陰に白い布のようなものが一瞬横切ったように目に写り、巫女さんかと思い、折角来たのだからお札でも頂けないかと追いかけ、声を掛けようとしたが姿がない。社務所にでも入ったのかと思い、大きな声でおはようございますと声を掛けても応答はなかった。気のせいかと思いつつ下山しました。今でも確かに見たのだが…とうその様な事件があった。巫女さんに会えなかったことが今でも心残りであった。

 

 

【第二日目 10月20日(木) 試合の結果―20位入賞】

さていよいよ2日目最終日。新たな組合わせは3人でいずれも関東人。しかも関東の決勝で一緒だった選手。気さくな人間で馬が合いそうです。もう1人は千葉県八千代出身で気むずかしそうなので無視。

 

“今日は気楽に廻りましょう”とこちらから挨拶。自分のペースに!スタート、中盤までグリーン中央ねらいで、とにかくパーオン無難にパープレイ池越え150ヤード。昨日は7番アイアンで、やや大きめのクラブ選択。思わず力がゆるみ、池ポチャで手痛いダボ。今日は8番アイアンで思い切り振り抜いた。ピンに一直線2.5m下りスライス。

 

よしチャンス到来、打ち出しラインを決め、いざ、と構えた時、なんとしても決めたいとの思いで榛名神社での「気の恵み」を頂いたことを思い出し、無の境地に入り、自然に手が動いた。しまった、少しふくらませ過ぎか、左に抜けそうなボールは右に急カーブ。カップの真中から沈んだ。ヨォーシと思わず声を上げガッツポーズ。心の中で神にありがとうとつぶやく。

 

その後無難にパーが続き午前ハーフ35ストローク。その時点で全選手中最小ストロークで上がった。結局午後は大崩れなく最終18番、グリーンをはずし、アプローチややティポット気味からピン迄40ヤード。むずかしい場面だ、ここでワンストロークオーバーは痛い。慎重になり過ぎてピン手前約8ヤードオン。これをはずすと41回。なんとしても沈めたい。ギャラリーの見ている中慎重に慎重にラインを読む。約5cmのフックライン。もう一度天を仰ぎ、心の中で榛名神社に向かって2拍1礼!もうこれで入らなければ仕方がない、すべて自分の実力だといい聞かせ、アドレスに入りボールの一点をにらみつけた。不思議に雑念が消え、手が自然に動いた。やや強いか、勢いよくボールはカップに向い、カップの向こう側に当たって沈んだ。瞬間ギャラリーから拍手。ゆっくりボールを拾い上げ一礼。これはギャラリーではなく神への一礼である。

 

風呂から上がり早速掲示板の自分の位置を探した。なんと20位である。1日目のシード選手が「齊藤さんよく後半がんばったね!」の一言に、ありがとうといって胸を撫で下ろした。

 

家に帰宅するとすでにインターネットで順位を確認していた連中が、「よく後半もり返し、公言していた20位でよかったね!」と。

 

“いやー、神様のおかげさ”…158分の1の割合で、まさかと思った20位158ストロークのたった1打のミスが違った結果を生む。たかがゴルフ、されどゴルフ。何か気付かされた様な思いです。

 

 

【高井より】

一日目は38位と、目標である20位から大きく順位を離されていた齋藤先生ですが、「ただ技術向上だけの鍛錬のみではただの組上げ作業でしかなく真の技術とはいえない。本当の技術とは『心』が入っている事だ」と当ブログでも語っていただいた齋藤先生の治療における信念をゴルフの場でも思い出され、また榛名神社とそれを囲む榛名富士の大自然の「気」の恵みをいただきながら、結果目標通り20位でフィニッシュできたことは本当に喜ばしいことであると思います。齋藤先生、お疲れ様でございました!

 

高井伸夫先生に学んだ「無用の用」
高井先生は「無用の用」という言葉を座右の銘の一つとされています。
(そういえば、このブログのタイトルも「無用の用」でしたね)
私も大きく感化されて、「無用の用」という言葉を座右の銘の一つと
しているのですが、高井先生とお話させていただいていると話題の幅が
社会、経済の分野はもとより、文化、芸術、政治、地理、歴史、医学などなど
非常に多岐に渡り、あらゆる分野について網羅的に概略は語れるといった程度の知識を持たれていることがわかります。
人事労務分野の弁護士として第一線で活躍されてこられましたので、
その関係分野はいうまでもありませんが、様々な分野に精通されていることが
窺い知れるのです。
間近で拝見し、いろいろな方との会合や会食の中で、ご縁を広げ、
深めていく、そのプロセスにおいて気づいたことがありました。
それは、高井先生が博覧強記な方ですので、どんな方とお会いしても、
おおよその話の接ぎ穂のようなもの、とっかかりを作ることができ、
「まったくその分野のことについては知りません」
「全然、その世界の話は分かりません、興味もありません」
ということがないのです。
お会いしている相手の方の専門分野について、その方の分野において、
ある一定のレベルまでは話が通じる。
そしてその「一定のレベルまで」という話の接ぎ穂が
あることによって、初対面の方とのコミュニケーションや、
自分の専門外の分野で活躍されている方との交流も円滑に進んでいく、
このプロセスを何度も目の当たりにしたのです。
これぞまさに「無用の用」でありましょう。
「どういう知識・情報がどんな場面で役に立つのか」は
事前に想定することはできません。
効率化優先の世の中において、効果を想定できないからこそ、
投下する資源に対して、費用対効果が悪いということで、
「自分の専門外はあまり触れない」
とか
「遠ざける」「学ばない」
という人も、あるかもしれませんが、
すぐにはその効果が想定できないことを継続して行うことで
時間の経過と共に知識が逓増していき、後々にコミュニケーションを
広げるための幅広い知見として活きてくる、効いてくるのではないかと
思われるのです。

 

高井伸夫先生に学んだ「無用の用」

 

高井先生は「無用の用」という言葉を座右の銘の一つとされています。

(そういえば、このブログのタイトルも「無用の用」でしたね)

 

私も大きく感化されて、「無用の用」という言葉を座右の銘の一つと

しているのですが、高井先生とお話させていただいていると話題の幅が

社会、経済の分野はもとより、文化、芸術、政治、地理、歴史、医学などなど

非常に多岐に渡り、あらゆる分野について網羅的に概略は語れるといった程度の知識を持たれていることがわかります。

 

人事労務分野の弁護士として第一線で活躍されてこられましたので、

その関係分野はいうまでもありませんが、様々な分野に精通されていることが

窺い知れるのです。

 

間近で拝見し、いろいろな方との会合や会食の中で、ご縁を広げ、

深めていく、そのプロセスにおいて気づいたことがありました。

 

 

それは、高井先生が博覧強記な方ですので、どんな方とお会いしても、

おおよその話の接ぎ穂のようなもの、とっかかりを作ることができ、

 

「まったくその分野のことについては知りません」

「全然、その世界の話は分かりません、興味もありません」

 

ということがないのです。

 

 

お会いしている相手の方の専門分野について、その方の分野において、

ある一定のレベルまでは話が通じる。

そしてその「一定のレベルまで」という話の接ぎ穂が

あることによって、初対面の方とのコミュニケーションや、

自分の専門外の分野で活躍されている方との交流も円滑に進んでいく、

 

このプロセスを何度も目の当たりにしたのです。

 

これぞまさに「無用の用」でありましょう。

「どういう知識・情報がどんな場面で役に立つのか」は

事前に想定することはできません。

 

 

効率化優先の世の中において、効果を想定できないからこそ、

投下する資源に対して、費用対効果が悪いということで、

 

「自分の専門外はあまり触れない」

 

とか

 

「遠ざける」「学ばない」

 

という人も、あるかもしれませんが、

 

すぐにはその効果が想定できないことを継続して行うことで

時間の経過と共に知識が逓増していき、後々にコミュニケーションを

広げるための幅広い知見として活きてくる、効いてくるのではないかと

思われるのです。

 

 

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