2011年9月アーカイブ

 

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(2011年9月26日(月) 午前6:43 東京都目黒区 中目黒公園にて撮影)

 

 

 さて、6月17日より、今まで計15回に亘り「気」をテーマとした記事を投稿して参りましたが、今回と次回の「気のまとめ~気とそしてその核たる心を知れば人生が楽になる」をもってひとまず「気」に関する記事の結びとさせて頂きます。

 

 【「気」とは何か】

 

 そもそも私が何故に「気」に関心をもち、ブログのテーマにしたかというと、私が60歳になって以降、病気を重ねてきたということが大きな理由の一つです。

 

 私は現在74歳ですが、2003年4月に、一度目の脳梗塞を、2006年4月に二度目の脳梗塞を発症しました。また、心臓疾患を持っており、バルーンによる手術を受けたこともあります。耳の病気については、2008年11月に左耳の突発性難聴を発症後次第に悪化し、2010年5月には、右耳の聴覚過敏症、2010年10月頃には同じく右耳の耳管開放症も相次いで発症するという異常な事態に見舞われてしまったという経緯があります。

 

 すなわち、体力がどんどん衰えていたのが目に見えているということです。そして、それを「気力」で補ってきたということです。この「気力」というものを分析する必要に迫られて、「気」なるものに関心をもったのが根本です。

 

 もちろん、「気」に関する言葉、「気」が付く言葉は多岐にわたっており、日常用語として様々な使用法があります。このように「気」という言葉が我々の生活に身近なものであるにもかかわらず、「気」そのものについて、とかくないがしろにしてきたのですが、その実態に迫らなければという思いもありました。

 

 また先に述べましたが、2008年11月から私が耳を患い、事実上事務所で仕事をしなくなって以降、依頼者から、事務所に「活気」がなくなったという話を度々聞くようになりました。この話を耳にする度に、「活気」とは何かということを意識するようになりました。

 

 「活気」、すなわち「気が活きる」ということは、気を活かす術が何かあるのではないかと思ったのです。また、「人気」という言葉もあります。要するに、人の「気」が働いている状況を人が評価するということでしょう。ここでも「気」が活きています。さらには、「覇気」という言葉があります。「覇気」がなくなった、「活気」がなくなった、「人気」がなくなったという言葉につながってきますが、「覇気」とは何かということを意識することによって「気」を意識することになったのです。

 

【宇宙とつながる気功レッスン】

 

 「宇宙とつながる気功レッスン」(メグミ・M.マイルズ著 地湧社 2003年)と言う本があります。同女史は、24歳で中国に渡り、10年間に亘り気功を学んでいました。そして、彼女はこの長年の気功修行を通じ、ついに「とうとう木との交流に成功した」と感じたのだそうです。

 

 同女史は最初に就いたリー先生から、「何も考えるな、自然であれ」・・・「為す無くして為さざる無し」・・・「いっしょうけんめいやりすぎてはいけない。適当がいい。適当にやれ」と教えられます。その後に就いたチン先生からは、気功の型を正確に繰り返すことの重要性を教えられます。次に就いたヤン先生からは、型の練習は自発功(中国古来に伝わる気功の中でも最高位にランクされる、自力治癒力を呼び覚ます気功)の基礎になるものと自発功の重要性、「自然に従え」「無心」「淡」を心がけることを教えられます。これらを忠実に実行し続けたことで前述した「木との交流」に成功したのです。

 

 ちなみに、「木との交流」とは本著によると、自分が気になる・ひかれる木に出会ったら、その木に向かって親しみをこめ、ある程度距離をおいて、ことばでなくていいから、友好的な気持ちのバイブレーションを送ることのようです。そして、それを木が受け入れてくれると、ぐいっと引っぱったり、どんどん押してきたり、やさしく抱きしめてくれたり、明らかにはっきりと木から気がこちらに伝わって、返事をしてくるそうです。

 

 自然界の中で自立的動作を伴わない植物である「木」と交流できたと感じた彼女の驚きと喜びはいかばかりであったでしょうか。結局、「気」(き)は「喜」(き)に通じると言うことでしょう。

 

 喜雨(きう)、喜悦(きえつ)、喜捨(きしゃ)等、人間が最高の喜びの中で発せられる「気」は、「気」の流れの最も理想とする最上質のものと言えるでしょう。

 

 「日本道観」(昭和55年、「導引術」をはじめとする気の健康術を指導する場として早島天來(筆名/早島正雄<1911年~1999年>)初代道長によって設立された「気の導引術」を学べる唯一正当な学院)のホームページによると、古来、中国では「『気』とは自然界に存在するすべての物質の最も基本的な構成単位であり、エネルギーの元であると考えられて」きており、「『気』が無くなったらその物質や生命体は存在できなくなり消滅することになる」そうです。

 

 参考・「日本道観」HP  http://www.nihondokan.co.jp/

 

 ところで、気功については、1998年、中国政府は11類の健身気功を認定しています。その内の一つに「一指頭禅」(いっしとうぜん)があります。「一指頭禅」とは、指の先に「気」を集中させる気功のことで、さまざまな一指頭禅が伝えられているそうですが、ある仏家気功(ぶっけきこう)では、入門希望者に、師がだまって親指を一本を立てて見せ、入門希望者に親指周囲の「気」の形を答えさせる資格試験を行うそうです。見えなければ入門を許さないとのことですが、中国気功では、「気」は見えて当然というのが、常人の達し得ない奥深さを感じさせられます。

 

 

【気を入れて】

 

 文頭で述べたとおり、私は、「気力」というものを意識するようになったとき、そもそも「気」なるものは何かということを考え始めました。私はこの「気」をもたらすものは幼い頃からの教育というのが一番肝心であるとおもいます。

 

 たとえば、幼児、少年・少女が「ピアノを習う」「バイオリンを習う」「ダンスを習う」あるいは「お絵かきを習う」といった様々なお稽古ごとをする時、実は「気を入れて」行い、継続してチャレンジしなければならないということです。


 

 それは、ただ時間だけを費やしても勉強にならないということです。もちろん、いわゆる文化系の勉強だけでなく、理科系の勉強も「気を入れて」行うことが必要ですし、さらにいえば、体力作りという勉強も「気を入れて」行うことが必要です。

 

 「気を入れる」とは、各自が持っている「気」をフルに機能させて取り組むということです。「気を入れて勉強しなさい」、という言葉には、「自分にしっかり意識して勉強しなさい」という意味を含んでいるのです。すなわち自分自身と「気」のやりとりが「気を入れる」ということです。それは幼児期から意識しなければならず、そういう世界を構築していくことが幼児教育にあたっての重要なポイントではないかと思います。子どもがお稽古ごと等の練習を「気を入れて」行うべきこと、練習するにあたって「気を大切に」すべきことを意識させるのは、親でありまた指導者の責任であるのではないでしょうか。

 

 このように、万般において、学ぶにあたっては「気を入れて」行う必要があります。野球の練習にしても、水泳の練習にしても、「気を入れて」練習しなければ、真の成長は望めないということです。すなわち、宇宙の膨張のスピードに遅れをとる人間であってはならないということです。一刻一瞬も怠らずに宇宙が膨張しつづけているのと同じように、一刻一瞬を大事にして、その「気」を絶やさず勉強しつづけることが人間の成長につながるということです。

 

 まずは幼い頃からの勉強にはじまり、大学生になって、社会人になっても同じように「気を入れて」勉強しつづけることが必要でしょう。それが成長に繋がるということです。「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、好きであれば、おのずから気が入って勉強するということになるから、成長するのではないでしょうか。

 

 要するに、「気」があってこそ成長するということです。「気」があってこそ自分自身が磨かれるということは、実は宇宙に存在する全てのものに「気」があり、それと共鳴・共感・共振することに本質があるのではないでしょうか。

 

 さらに対人関係について述べれば、私は弁護士ですが、弁護士業務をするにあたって、相手の「気配」を感ずること・察することが大事だと思っています。それは、実は相手の心を読むことができることにつながると思うからです。相手の心を読むことができれば、説得の仕方が極めて簡明に浮かび上がります。弁護士たる者は相手の心が読めなければなりませんが、これは実は相手の「気配」を感ずる・察することから始まりますが,それは、「気」の世界の事象なのです。

 

 「心が読める」とは、「気」と「気」が交流して交錯したポイントを誰しも確認することが出来るということです。そして、お互いの「気」と「気」が離れている場所も感じることが出来る、さらに確認をしたところが生じます。これらをふまえて、相手の心を解読をすることが可能となります。

 

 全ての「気」が絡まって交錯するわけではありません。それは、お互いの「気」が離ればなれの時もあるからです。また、曖昧な時もあるからです。「気」が絡まったり、絡まらなかったりということがありますが、前後の状況を踏まえて解釈することが、「心を読める」ということです。そしてその確度が高ければ高いほど、「心が読める人」ということになります。ゆえに、「心が読めない人」は、如何せん他人との「気」が交錯しない人をいいます。要するに、存在感が極めて希薄な人のことでしょう。それは何も能力や経験によるのではなく、持って生まれた生来のものなのではないでしょうか。

 

 私は、「気」を理解してこそ、「気」を勉強して学んでこそ、人生は楽しくなり、楽になると考えています。

 

 

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(2011年9月23日(金)午前7:00 東京都千代田区麹町 仲良し公園にて撮影)

 

元外交官 谷野 作太郎 大使 

 

9月22日(木)18:30より、とうふ屋うかい(東京都港区芝公園)にて、元外交官の谷野作太郎大使他数名と懇談会を開催しました。これは、私が今年11月19日(土)から11月27日(日)まで、インドへの旅行を計画しておりまして、その準備として谷野大使をお招きしたのみならず、長年インドで日本画を描かれて来た山田真巳様をもお呼びし、お打ち合わせを兼ねたものでした。当事務所客員弁護士千種秀夫先生にもご出席いただきました。そして、インドの現状、中国、東南アジアなど、様々なお話で盛り上がりました。

 

とうふ屋うかいHP http://www.ukai.co.jp/shiba/

 

さて、谷野大使は、1936年生まれで、東京第一師範学校男子部付属小学校時代は福田康夫元総理大臣と野球のバッテリーを組む間柄だったということです(谷野大使がピッチャー、福田元総理大臣がキャッチャーでした。)。その後、東京学芸大学附属世田谷中学校、東京都立日比谷高等学校をいずれもご卒業され、東京大学法学部にご入学されました。1959年、大学在学中に外交官試験上級職に合格され、1960年に外務省に入省されました。

 

外交官時代には、中国課長、アジア局長等を歴任され、主にアジアを中心にご活躍されました。ソ連(一等書記官)、中華人民共和国(一等書記官)、米国(公使)、韓国(公使)等の在外日本大使館勤務をされた後、1995年9月からは在インド日本国大使、1998年4月からは在中華人民共和国日本国大使を務められ、2001年4月に退官されました。2001年6月に、天下りではなくまったくの実力で、株式会社東芝の取締役に就任され(2007年6月ご退任)、また2002年には早稲田大学大学院アジア太平洋研究科客員教授(2007年3月ご退任)など幅広くご活躍されてこられた方です。

 

谷野大使は、非常に勉強家でいらっしゃいます。私とは、谷野大使が在中華人民共和国日本国大使でいらっしゃった当時に初めてお会いしました。谷野大使の中国大使としての時跡の中で、何はともあれ、2つの出来事が私にとって印象深いものでございます。

 

1つ目は、1998年7月中国共産党と日本共産党の文化大革命をめぐる見解の相違・対立で、長期間の断絶状態にあった両党の首脳が、32年ぶりに握手を交わすという和解を見守られたことです。ちなみに、中国共産党は、現在では、文化大革命に対し、触れないようにしていると、私は理解しています。

 

2つ目は、1998年12月の、台湾との関係を重視した産経新聞社と中国政府との和解に注視されてきたことです。これは、文化大革命期に、産経新聞を除く他社は、中国当局の台湾支局閉鎖の要求を呑んで、中国に支局を開局しましたが、産経新聞は中国当局の要求を一貫して拒否し、以後、1998年までの31年間、北京に支局を置けませんでした。1998年12月に、産経新聞は、北京に再び開局した支局を「中国総局」とし、組織上「台湾支局」をその下に配置することで中国支局を再開したという経緯があります。産経新聞は、他の新聞とは異なり独自性を発揮されたということです。

 

なお、ご退官後は、弊所の中国室が主催している講演会にもご出講してくださったり、また聴講者としてもご参加してくださったりと、親しくさせていただいております。

 

谷野大使が共著でご執筆された「日本とアジア」(亜細亜大学アジア研究所、1993)で谷野大使は、「日本がアジアにおいて、なにがしかの役割を果たすという場合に、やはり厳しく求められているのは、日本という国の国がらというか、国の品格というか、信頼される日本というか、そういうことではないかということである。…アジアで役割を果たすと言っても、日本としての好ましい国がら、日本という国に徳というものがあってこそ、他のアジアの国々からよりすんなりと受け入れてもらえるのではないか…日本の国の品格ということは、アジアにおける役割ということを私どもが考える場合に、決して無関係ではないと思う」と述べられています。

 

「品格」とは大辞林によると「その人やその物に感じられる気高さや上品さ。」ですが、日本が今後ますますこの「品格」を尊ぶことが日本の存在感を高め、広めることと私も信じております。

 

私も様々なところで、日中友好について、さらには中国に限らず例えば北朝鮮と日本との友好についてもお話してきておりますが、谷野大使のおっしゃる「日本の国の品格」の方が、スケールが大きく感じられます。一人ひとり、そして各企業が、それぞれの価値観と確固たる使命感のもと、日本人たる誇りを忘れず、しかも奢らず、日本のアジアにおける役割、アジア諸国との関係性を考え、想いを馳せることが、日本の「品格」を高め、「徳」のある国であるということに繋がると存じます。

 

今後私は、10月26日(水)から10月29日(土)まで台湾旅行を、11月19日(土)から11月27日(日)までインド旅行を企画しています。そして、年明け早々にはミャンマーへお邪魔します。出来たら3月にはパラオにお邪魔したいと存じております。そして4月末には北朝鮮へ3度目の旅行を計画しております。これらの旅行でも、日本人としての「誇り」「品格」をもって臨みたいと考えております。

 

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「祈り」と「気」

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(2011年9月22日(木) 朝6:44 東京都港区 芝公園にて撮影)

 

 

本日掲載の写真は、私の新しいカメラ「CANON POWERSHOT S95」で撮影しました。このカメラは、私と親しいGMOインターネット株式会社 代表取締役会長兼社長 熊谷正寿様から、9月14日(水)に行われた私の激励会にて、記念品として頂きました。心なしか、カメラの腕が上がった気がいたします。熊谷正寿様、有難うございました。

GMOインターネット株式会社HP http://www.gmo.jp/

 

 

【祈り】

人間は、その歴史の中で、全ての民族が、真摯に「祈り」をささげてきました。その対象は、大自然、大自然が息づく地球、その地球が存在する宇宙の、目には見えない働き…すなわちサムシング・グレートに対するものです。全ての民族が、「祈り」の形や方法こそ千差万別とはいえ、「祈り」という行為を綿々と続けてきています。また、宗教を信じていない人でも、危機的な状況で、困った時、苦しい時、希望が打ち砕かれそうになった時等には、人は何かに「祈り」ます。

 

国に一命を捧げた戦没者や、不慮の天災などの犠牲者を対象とする、国民儀礼としての「黙祷」(もちろん、民間でも黙祷を捧げることも多くあります)という儀式があります。皆が沈黙し、神や死者に「祈り」を捧げるこの行為は、広島への原爆の投下(8月6日)、長崎への原爆の投下(8月9日)、終戦記念日(8月15日)、震災記念日(9月1日)等に行われます。東日本大震災に際しては、震災後初の2011年3月17日の衆議院本会議でも黙祷が行われました。

 

さて、黙祷の歴史を調べてみると、言葉自体は中国・唐の時代の文献に登場するほど古くからあります。しかし、その意味は「個人が心の中で祈る」程度の意味でありましたが、今日の国民儀礼としての黙祷の歴史はそれほど古いものではなく、1919年11月11日、第1次大戦中のイギリスにて、国王ジョージ5世の呼びかけで初めて行われたそうです。日本では、1924年9月1日の関東大震災1周年に行われたのが始まりといわれているそうです。その後、黙祷という儀礼は国際慣例化して今日に至っています。

 

このように、全ての民族が祈り続けるという歴史、現状は、「祈り」に何らかの効果があるからでしょう。「祈り」に、本質的に何らかの効果があることを、先人も、今を生きる私たちも、本能的に、遺伝子レベルで知っているのではないでしょうか。

 

私たちの体は、約六十兆個の膨大な数の細胞から成り立っているそうです。そして遺伝子とは、細胞の核におさめられた膨大な情報データで、私たち人間が生きていく全てを司っているそうです。

 

私たち人間が生きていく全てを司っている遺伝子が、「祈り」を情報として記録しているということは、「祈り」という行為とは、純粋な人間的な行為ではないでしょうか。すなわち、「祈ること」とは、「生きること」そのものなのでしょう。

 

2011年8月11日付毎日新聞夕刊3面に、アシリレラさんというアイヌ女性への取材記事がありました。「アシリレラ・ファミリーの暮らしの中には、当たり前のように祈りと感謝があった」…「カムイノミ(神への祈り)によって『人間の力の及ばない存在』を感じながら生きる」。アイヌの人々は、「祈り」が生きることそのものであることを、しっかりと理解しているのだと思います。ですから、1997年10月に、「チプサンケ」(丸木舟を新造したときに行なわれる儀式で、神へ水運の安全を祈る)を行うアイヌの人々の神聖な場所(北海道平取町の二風谷<にぶたに>)を、ダム事業によって水没させてしまったことは、すなわち祈りの場所を奪い、人間性を奪ったことであり、利便性や収益性ばかりを重視した人間が、「良心」「魂」を失ったということでしょう。

 

京都大学の外科部長であり、執刀医として「ゴッドハンド」と呼ばれた、故・青柳安誠先生は、執刀の前に、必ず神様に「祈り」を捧げておられ、「手術は祈りである」という発言を繰り返されたそうです。青柳先生は、外科手術は、「いのち」「生きること」に直結する行為であって、「祈ること」が「生きること」そのものであると理解されていたのだと思います。

 

また、医学・医療分野において、「祈り」によって、希望を見出し、将来に期待を持つことが、何らかの健康への効果を生み出すのではないかという点から研究がつづけられています。そして、実際に「祈り」の治療効果が明らかになりつつあります。現在、ハーバード大学、コロンビア大学などの権威ある大学が、競ってこの研究に乗り出しているとのことです。全民族が古来続けてきた「祈り」が最先端の研究分野になりつつあるということです。

 

【「祈り」と「気」】

 

私は、生命体に限らず、宇宙に存在する全ての構成物が本来持っているエネルギーを「気」「波動」「サトルエネルギー(微弱エネルギー)」であると解釈しております。たとえば、日本には古来より自然信仰がありました。これは、簡単に言えば、全てのものに神が宿る、という信仰です。神の宿っている宇宙のあらゆる構成物の有する「気」と、自分の「気」、その核である「心」とを交流させるために、古来より人々は「祈り」を捧げてきたのではないかと思います。前5世紀末には成立していたと考えられている「論語」述而第七の三十四には「丘の禱ること久し」、「わたしは、不断に誠を持っている。それが神に祈ることだ」という言葉があります。「誠」が「祈り」であると述べているのです。

 

また、洋の東西を問わず、ドルメン(巨石を利用した記念物)が存在し、巨石信仰が各地で行われていました。例えば、10メートルを超す奇石が数多く点在する「巨石パーク」(佐賀県佐賀市大和町)があります。「巨石パーク」は、佐賀県川上峡東側の山(標高約400メートル)にあり、巨石が積み重なり、17個の巨大な石が点在しています。これらの巨石は、古くは「肥前風土記」(奈良時代<710年~794年>初期に編纂)に記されており、肥前国一の宮としてさかえた与土日女(よどひめ)神社のご神体として崇められていたということです。おそらく古来の人々は、自然と共に生きており、すなわち宇宙と共に、宇宙の大いなる「気」が満ち溢れている地に、自然の石などを置いて宇宙の「気」と交流するべく「祈り」の場としてきたのではないでしょうか。また、仏教では合掌を行い「祈り」を捧げますが、これは「私」という小さな宇宙の「気」と、「私」の存在する大きな宇宙の「気」とを交流させ、宇宙と私とが一体となる、重ね合うということだと思います。

 

鎌倉幕府が貞永元年(1232年)に制定した法令「御成敗式目」には、「神は人の敬いによりて威を増し、人は神の徳によりて運を添う」という言葉があります。即ち、人が神を敬うことによって神はその御神威を上げ、御神威が上がった神の徳によって人は開運する、という意味です。逆に、神を敬わず神の意に反した時、「祟り」(神仏や怨霊<おんりょう>などによって災厄をこうむること)が起こるのでしょう。タタリの語は、神の顕現を表す「立ち有り」が転訛(てんか)したものといわれています。人間が、サムシング・グレートや霊魂などの超自然的存在、すなわち宇宙の意に反した時、宇宙の力が人間に災いを与えるのではないでしょうか。また、「呪い」(恨みや憎しみを抱いている人に災いが起こるように神仏に祈る。また、災難がふりかかったり、失敗したりするように願うこと)のように、人が「邪心」に基づくよこしまな祈りを神仏にささげることも、宇宙の意に反することではないでしょうか。祈りは尊大ではなく謙虚でなければならないことはいうまでもありません。神仏に祈るのですから人間として謙虚でなければなりません。「祈り」は宇宙との一体感を感じるため、結合を図るためのものであり、「気」「良心」「魂」によるものでなくてはならないのです。

 

宇宙と自分とが一体になるように「祈る」ときは、人は全身の力をこめます。手を合わせるなどの祈りの姿勢をとっているとき、脱力している人はいないでしょう。力を込めて、すなわち自分の持っている「気」を注ぎきって祈ります。

 

月刊文藝春秋2011年9月特別号に、伊勢神宮の参拝に訪れた一人の老婦人が、荷物を置き、靴と靴下を脱いで素足になり、きちんと正座をして深く頭を下げ、長い祈りを捧げていた光景のエッセイがありました(巻頭グラビア「私とお伊勢さん」)。このエッセイを書いた作家の佐藤多佳子さんは、その光景を「老婦人は一時間くらい祈るのかもしれない」…「実際は十五分か二十分。それでも、」…「長い強い祈りに出会い、私自身も心の深みに降りたような厳粛な気持ちになったのだった。」と表現されています。強く長い「祈り」の姿は、「祈り」に、祈る人の「気」が強く入っているため、それを見た他人の「気」と共鳴・共感・共振し、他人の「気」「心」「魂」にも影響するのではないかと思います。

 

ですから、巨石信仰のような自然崇拝であれ、神社や寺院での「祈り」であれ、人々が「祈り」を捧げてきた場所は、「気」のエネルギー、パワーに満ち溢れた場所であると思います。神聖な場所が昨今「パワースポット」と呼ばれるのもそれが所以でしょう。非常に長い間、人々が「祈り」を捧げてきたことで、さらに「祈り」のもつ力、すなわち「気」のエネルギーが集中した場所であるわけです。「パワースポット」には、「気」は、悲しみに満ち溢れた「気」であったり、願い事の成就の喜びの「気」であったりと、様々な「気」に満ち溢れています。このように「気」に満ち溢れた場所は、宇宙と一体となるにもっとも近しい場所であり、神仏と交感できるのに易しい場所であるのだと思います。先にご紹介した「巨石パーク」も、1995年に開園以降、やや来場者は減少傾向にあったそうですが、最近は「パワースポット」ブームで、若い女性やカップル等県内外からの来場者が増えてきたそうです。

 

【参考】 http://allabout.co.jp/gm/gc/60042/

 

 

【祈りの本質】

さて、「祈り」という言葉自体に、仰山(ぎょうさん)なイメージを持たれる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、日常生活の中でも、「あなたの健康を祈りましょう。」「あなたの幸せを祈りましょう。」「お幸せに。」といった言葉は頻繁に使われています。「祈り」は自分のために行うだけでなく、他者のために祈りを捧げることも多々あるということです。他者を想って「祈り」を捧げるとき、実際に「祈る人」の姿を見ていなかったとしても、「祈られた人」は、その「祈り」が、自分の「守り」であるように感じるでしょう。これが「他者のための祈り」が持つ、強い力であると思います。

 

また、先に、「祈る」ときは「自分の持っている『気』を注ぐ」と述べましたが、最近若い方も多く通われて日常的な治療方法となってきている整体では、「気」を注入します。そして、整体の世界では、これをを「愉気(ゆき)」というのだそうです。元々は「気」を輸る(おくる)という意味で「輸気」と表していましたが、そこに「愉しく明るい陽気を伝える」という意味を込めて、愉気」としたそうです。「愉気」「祈り」とは、いきいきと生きるために必要な行為です。いきいきと生きるとは、孤独感を払拭し、未来へ向けての期待、希望、成長等を持って生きるということでしょう。

 

私の専門である人事労務の世界で「祈り」について述べると、企業においては、労務管理を進めるうえにおいて、この「祈り」の精神を忘れてはなりません。生産性の向上を祈ることは勿論大事ではありますが、メンタルヘルス管理の責任ある立場にある経営者は、自らのメンタルヘルスの健全さ、社員、従業員、同僚、部下の「気」、「心」が平和であって傷つかないこと、傷ついた者の回復を願う「気」、「心」を決して忘れてはならないと思います。それは、誰しも絶えず傷つきやすい存在であるからです。具体的に述べれば、部下を叱ったとき、フォローして、優しい言葉かけをすることが必要ということです。たとえば、「言霊」という概念がありますが、つまり言葉は「気」「波動」「サトルエネルギー(微弱エネルギー)」を持っています。自分が放った優しい言葉の持つ「気」が、相手の「気」と感応して、相手と共鳴・共感・共振することができます。

 

人間は孤独な存在です。それがゆえに、人は神に、そして隣人に救いを求め続けます。絶対者や他の人間との共生を求めるということです。人が孤独を感じた時、「寂しさ」や「悲しみ」が生まれ、他者のぬくもりに触れた時、人は孤独を忘れ、嬉しさが伴うのです。

 

自分のために祈るだけでなく、他者のために祈ることが本来の「祈り」の意味でしょう。そして、他者のために祈るということは、自分が他者との接点を得るということに繋がります。そしてそれは、孤独な存在である人間が相手と通じ、心が通い合い、すなわち「気」と「気」が交流するという瞬間のことでしょう。「気」を充実させれば、他者との一体感を意識することができ、「愉しく明るい」人生を送ることができます。「気」を充実させることは、他者との一体感だけでなく、いずれは宇宙との一体感を意識することができ、そしてそれは、人間は孤独な存在であるという普遍的な事実、そこから生まれる孤独感から、いささか解放されることに繋がるのでしょう。

 

宇宙の「気」には、死者の「気」も含まれていると思います。愛する人を失うことは、人間が孤独であると否が応でも認識させられる出来事です。しかし、自分が孤独であって、「寂しさ」や「悲しみ」を強く感じながら、愛する人の在りし日への想いを募らせ、「祈り」を捧げると、ふとその人が近くに居るように感じることがあり、見守ってくれているよう意識することがあります。これも、宇宙との一体感を意識していることの一つの例であり、「寂しさ」や「悲しみ」がいささかなりとも和らぎ、彼は癒され、本来の自分を取り戻すのでしょう。「悲しみ」は人の想い・想念ですから、「気」のエネルギーがあります。「気」の核は「心」「良心」で、つまりは「魂」です。「魂」から生み出された「悲しみ」は、「祈り」によって宇宙と一体化し、宇宙に存在するサトルエネルギー(微弱エネルギー)の一部となります。逆に、宇宙との一体感が生まれなければ、すなわち「悲しみ」を自分一人で抱え込むならば、一層孤独感が深まり、「寂しさ」が強まり、「悲しみ」が増し、空しい思いに至るのです。こういった哲学を持って人生を生きることが大切であると思います。

 

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【交友録 後日録】 その1

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(2011年9月18日(日)午前6:31 東京都目黒区 西郷山公園にて撮影)

 

 

 

 

 

9月16日(金)午前10時から、8月16日付「交友録 その6」にてご紹介した霧島高原ビール株式会社に再度お邪魔しました。霧島高原ビールは鹿児島空港からタクシーで正味1分のところにあります。

 

この日は株式会社源麹研究所代表取締役社長山元正博氏がシンガポールにご出張中でお会いできず、奥様でいらっしゃる山元紀子様(バレルバレープラハ&GEN 霧島高原ビール株式会社 代表取締役社長)にお会いしました。山元様の出張は、焼酎の残滓を豚の麹発酵飼料、鶏の麹発酵飼料にすべく、リサイクルを研究されておられますが、その株主はトヨタ自動車株式会社、全日本空輸株式会社、日本通運株式会社、株式会社日本政策投資銀行等々錚々たるメンバーで、奥様によれば、既に山元正博社長は20年来これに注力されておられるとのことでした。

 

 

 

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(2011年9月16日(金)午前10:01 左から山元佳奈様、
私、一番右 山元紀子様 霧島高原ビール株式会社内にて撮影)

 

さて、山元紀子様のお話によると、グループ事業の一環として、焼酎を中心とした鹿児島の文化と、チェコのピルスナービール文化を融合させた異国情緒豊かなテーマパーク「バレルバレープラハ & GEN」を運営されておられます。

 

霧島高原ビール株式会社は、現在月間2万人の観光客を迎えられ、ビール、焼酎、マッコリ等を提供する施設として15年間継続され、最盛期には年間40万人を数えたこともあったとのことでした。

 

さらにこの間、来場されたお客様に向けての通信販売を、最初は小さなところから始められ、今では、事業の大きな柱の一つとなっているそうです。

 

私はマッコリをいただきましたが、マッコリという韓国の特産品も実は源麹研究所の河内菌によって製造されていることを知りました。河内菌とは、麹の神様とよばれ、麹研究に生涯をかけた故・河内源一郎氏(1883年~1948年)が開発された麹菌で、日本の焼酎の約8割に使用されているそうです。この麹菌の発見により、焼酎づくりは九州のみにとどまらず、韓国や満州までにも普及し、源一郎氏は現地におもむき焼酎づくりの指導も行われたそうです。アジア各国で愛飲されている焼酎のほとんどはこの麹菌と当時の指導の賜物と言えるそうです。即ち、私が頂いたマッコリは山元会長直々でご製造になっている製品ですが、マッコリも含め、韓国の焼酎の殆どが河内菌で造られているそうです。いってみれば、源麹研究所が保管している河内菌は国際ブランドになっているということです。

 

何はともあれ、年間25万人前後のお客様をお迎えしている事業が鹿児島にあることに驚きをもちました。要するに、「本物を追及すれば如何に人気がでるか」をまざまざと見せつけられた思いでした。

 

別れ際に、お嬢さんの山元佳奈様にもお会いしました。27歳とのことですが、お母様の後を継いで、この仕事に従事したいとのことでした。山元佳奈様は朗らかな方でしたが、お会いしてみて、霧島高原ビールは今後も発展することは間違いないと感じた次第です。

 

なお、今後は、ご次男がお父様でいらっしゃる山元正博様の後を継がれて、お嬢様でいらっしゃる山元佳奈様がその方を支えるという体勢になっているとのことです。

 

企業にとって大切なことは何と言っても有限であるとされている企業においてこれの存続を図るには適切な後継者を得るということにあります。無限でありたいと目指す企業として、後継者を得ることは極めて大切なことでありますので、ご次男が後を継がれるということは山元正博ご夫妻にとっては本当に幸せなことでしょう。

 

余談ですが、私はマッコリ「元祖源一郎さんのマッコリ」3本と黒酢「げんきっす」1本を注文しましたが、それは私の健康保持のために必要不可欠な商品と理解してお願いした次第でございます。

 

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(2011年9月18日(日)午前6:31 東京都目黒区 西郷山公園にて撮影)

 

 


三起商行株式会社 社長 木村 皓一 様 

 

 9月14日(水)18:30より、コンラッド東京(東京都港区東新橋)にて、「高井伸夫を激励する会」という会合が開催されました。私の友人がご多忙の中、多数ご参加くださいました。その会合の司会を務めて下さったのが、三起商行株式会社 社長 木村皓一様でした。

 

 

 

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 三起商行株式会社 木村 皓一 社長

 

ミキハウスHP http://www.mikihouse.co.jp/jp/

 

実は、9月3日(土)正午から、木村様のご子息のご結婚披露宴がザ・リッツ・カールトン大阪(大阪市北区梅田)にて行われ、私も出席させていただく意向でございましたが、当日、台風に見舞われてしまい、飛行機は運航中止となり、また東京から大阪までの新幹線のダイヤが大幅に乱れていましたので、私は残念ながら欠席せざるを得ませんでした。

 

私と木村様との出会いは、1990年夏の終わりにミキハウスが教育月刊雑誌を出版されるという計画が発表され、その購読者を募る広告を機内誌で見たことによります。「あなたは子供達にどんな未来を残せるでしょうか」というコピーの言葉に私は感銘を受け、一面識もない企業であるにもかかわらず、木村様にお会いしたいという想いに駆られました。そして、同年10月29日に本社をお訪ねすることになったのです。

 

私がお訪ねしたのは、同社が現在の本社ビルを建てられる以前のことであり、当時の本社は誠に質素なバラック建てともいってよい木造の二階建ての建物でした。その中で、本当に若々しい社員の皆さんが働いていたので今でも覚えています。その日木村様と面談したのは、本社があった八尾という大阪市内から遠方の地でありましたので移動時間に時間をとられ、わずか15分程度でしたが、以降何かと親しくお付き合いをさせていただいております。

 

1993年5月に私は三起商行株式会社の顧問弁護士を委嘱され、2006年9月には監査役就任、そして2010年3月に監査役を退任しました。私の退任後は株式会社ピー・アンド・イー・ディレクションズ代表取締役 島田直樹様(後にご紹介させていただいております。)のご発案により、私の長男である弁護士高井伸太郎が監査役に就任させていただいたという経緯があります。

 

また、木村様には2010年12月3日(金)当事務所の年末講演会にて「熱意ある経営~なくなっては困るといわれる会社に~」というテーマでご出講いただき大好評を博しました。

 

私は1992年4月から1993年3月まで「労働新聞」にて「心の経営体を訪ねて」という連載を執筆しましたが、その連載の第1回で、ミキハウス木村社長のことも取り上げさせていただきました。当時の記事によれば、同社の人事労務に関することなどを述べたのですが、同社では会社の方向性として「ビッグカンパニー」ではなく「ベストカンパニー」を目指しておられ、人づくり、社員教育を最重要視されていること等をご紹介しました。具体的には、何はともあれコミュニケーションの場を出来るだけ作るように努め、全社員参加(もちろん社長も)のスキー研修や海外研修の実施をご紹介しました。また、社長のもとに社員からその近況報告や自分の気持ちを書いた手紙が送られてくることもご紹介しました。

 

また、同連載第2回においては、木村様がエコロジー問題について心がけ、取り組まれていることをご紹介しました。具体的には、ミキハウスでは、子供服のお直しを行い続け、どんな綻び(ほころび)にしろ、あるいはどんな裂けにしろ、いつご購入の商品でも修理することを引受け、実践しておられるとのことでした。その結果、お客様は二代か三代に亘って同じ服を着続けている事例すらあるということでした。

 

自然・環境問題、エコロジー問題等は今でこそ多くの企業が取り組んでいる課題ですが、その当時、世間・一般では意識されていなかった問題で、木村社長は早い段階からこれに着目され、取り組んでいらっしゃったのです。

 

また、ミキハウスではスポーツ選手の育成にも大いに力を注いでおられます。ミキハウススポーツクラブに所属する選手は、柔道の野村忠宏選手やテニスの土居美咲選手など2011年4月時点では、9種目20名とのことで、柔道、卓球、飛込、競泳、シンクロナイズドスイミング、馬場馬術、アーチェリー、陸上、テニスの各種目において日本を代表し世界の大舞台で活躍する選手たちが、オリンピックや世界選手権をめざし、日々自分と向き合い、想像を絶するプレッシャーと戦いながら大きな夢に向かって努力されておられます。そして、そんな選手の方々を、ミキハウスはまさに応援されています。

 

ミキハウススポーツクラブHP http://www.mikihouse.co.jp/miki_sports/

 

木村様とのお付き合いについてお話しするのに、何より忘れ難いことは、2005年の出来事です。同社は5年間連続増収増益を上げられたこともありましたが、苦難の時期もあり、その際、木村様の少しでもお力になりたいと、私と2003年8月以来お付き合いのある、株式会社ピー・アンド・イー・ディレクションズ代表取締役 島田直樹様(事業再建、企業再生から新規事業立ち上げ、M&A支援など多数の実行支援プロジェクトで成果を創出されている企業です。)を介して東京海上キャピタル株式会社様をご紹介いたしました。

 

株式会社ピー・アンド・イー・ディレクションズHP

http://www.ped.co.jp/

 

木村様はいつも「我慢が大事」とおっしゃっています。それは過去の様々な苦難を乗り越えられた経験に基づきます。例えば、同社は24年前にフランスに出店されましたが、その後20年位赤字だったそうです。イタリアにも出店されましたが同じく20年位赤字でした。しかしながら、お客様を大事に「信用第一」でご奮闘されたところ、現在ではイタリアでもフランスでも空前の利益をあげられ、ヨーロッパ各国の王室や、大企業の創業者、トップアスリートなどの著名人御用達のお店となりました。

 

木村様は現在も「信用第一」を根気強く説かれ、実践され日々ご奮闘されています。

 

さて、9月14日の「激励会」では、木村様には、冒頭で思いがけないスピーチをしていただき大変感激しました。

 

実は、私の長女が今月9日に、残念ながらがんで他界しました。享年43歳でした。彼女ががんの告知を受けたのは今年の4月でした。しかし、彼女は、自分自身の病を冷静に受け止め、あとに残される幼い娘の心のケアを何より心配しました。そして、彼女は、母親である自分がこの世を去ることを娘にどのように伝えたらよいのか、さまざまな資料を調べ、専門家に相談するなかで、親御さんをがんで亡くすという悲嘆の極みを体験してしまう幼い子どもの心の問題、グリーフケアの問題が、日本では認知されていないことを知りました。自分の抱える思いが、個人的な問題にとどまらず、広く社会的な問題であることに気づいた彼女は、代表者としてAIMS(エイムズ)という団体を立ち上げました(現在NPO法人の申請中です)。AIMSは、「がんでなくなるパパやママをもつ子どものためにできること」というテーマで実践的なケアとサポートの方策を構築していくことを目標にしています。

 

木村様は、冒頭のスピーチで、この彼女の想いを、志を、披露して下さり、また、会合に出席された皆様にAIMSへの活動支援を呼び掛けて下さいました。そのお心遣いを、私は大変嬉しく感じました。そして、会場全体に共感の輪が静かにひろがってゆくのを肌で感じ、わが娘のことながら、高い志は世論を喚起しリードする力を持つことを改めて知ったのです。長女の遺志が実現されていくことは、社会に貢献することであり、さらには、私の人生の希望、励みになるように感じています。

 

木村様とは、これからも良いお付き合いを続けさせていただきたいと強く感じた次第でございました。

 

AIMSホームページより「代表メッセージ」

http://www.aims-japan.org/?page_id=34

 

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良心と法律の「気」③

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(2011年9月15日(木) 午前6:33 東京都港区 芝公園にて撮影)

 

 前回、前々回と【法律と「気」】との関係を述べて参りましたが、今回はこのシリーズの最終回として、私の専門である労働法の世界について「気」との関係から述べるとともに、【法律と「気」】について私の思うところをまとめようと思います。

 

【労働法の変遷】

 「労働組合法」が1945年にでき、1949年にこれが改められて現在の「労働組合法」になったのが最初のことでした。次に、1947年に「労働基準法」が制定され、同年、「職業安定法」も制定されました。1949年には「最低賃金法」が制定されました。そして、1985年には、いわゆる「男女雇用機会均等法」が施行されました。

 

 2004年には「労働審判法」、それに先だって、2001年に「個別労働関係についての解決の促進に関する法律」ができました。そして、2007年に「労働契約法」ができました。これが、労働法の主だった歩みであります。

 

 さて、労働基準法第1条では、「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を満たすべきものでなければならない。」と定められています。つまり、「人間尊重の思想」に、国民大衆が「気分」として、「良心」として、「魂」として取り組むことが、労働基準法制定の経緯と理由だったのであると思います。

 

 また、1985年に制定されたいわゆる「男女雇用機会均等法」の制定の所以は、女性差別が間違っていることが、国民の「気・気分」、「良心」等として出来あがってきたことにあるのではないでしょうか。そしてこの根拠は、日本の労働が、フットワーク、ハンドワークの時代を経て、ヘッドワークの時代(ソフト化の時代)に移り変わったことで、重たいものを持つことができる・強くものを引っ張ることができるという男性の「肉体的な優越性」が失われたことによるものではないでしょうか。また、6月17日付「気」のブログ第1回の記事にて、「男性と女性では生命力、つまりエネルギーが違い、女性のエネルギーは男性のエネルギーに勝る」旨記述しましたが、これにも関係することでしょう。

 

 そして、戦後荒れた集団的労使関係の時代がおさまって、個別労使関係の時代になりました。労働契約が中心の時代になったということです。「労働契約法」が2007年に制定されました。それに先だって2001年には「個別労働関係についての解決の促進に関する法律」ができました。これらの個別労使関係を規律する法律は、いよいよ個人の尊重という時代になったことを示しています。日本は豊かになり、集団の尊重から個人の尊重に価値観が移ったのですが、要するに価値観が変わった、法意識が変わった、ということは、「気・気分」、「良心」等が変わったことを意味するのです。

 

 さて、「社会法」と言う概念があります。所有権の絶対、契約自由の原則等を基本原理とする市民法を修正・補完する意味を持つ法を指します(有斐閣法律用語辞典第3版、2006)。つまり、資本主義のもと、企業等社会的権力が絶対的に強くなり、個別な法律関係、すなわち私法だけでは、社会が円滑に動かなくなっていったのです。そこで、弱者を保護するためのバランスを意識する「気分」が大衆に生まれたのです。これは、契約自由の原則という私法の法精神を否定する、新たな「気・気分」、さらに言えば「良心」、「魂」が自覚されたということです。私法から社会法への転換は、様々な法体系で行われていますが、労働法が一番分かり易い世界でしょう。「労働基準法」をはじめとする労働関係諸法は、要するに、個人的な善悪だけではなく、次第次第に社会的な善悪をも法体系の中に取り込んだのです。また、企業等が絶対的・一方的な力を持っている状態では、社会的弱者(例・労働者)の「気」が滅入ってしまいます。労働者の「気」が滅入るということは、企業にとっても結局は不利益なものとなります。なぜなら、「気」を意識する事業の展開や経営戦略こそが、最終的には高収益に繋がるものであるからです。弱者の「気」が滅入ると、ひいては社会全体の「気」が弱まってしまいます。そこで、セイフティーネットという価値基準が生まれたのでしょう。

 

 セイフティーネットの話をしましたが、「気」を滅入らせないように、社会が発展していっている、といった「空気」作りが必要なのは言うまでもありません。2010年FIFAのW杯で日本代表チームを国外開催大会で初めての決勝トーナメント進出まで導いた岡田武史監督の心の支えとしている本は、山本七平著作の「空気の研究」(株式会社文藝春秋、1983年)だそうです。

 

 「空気」は、法律の世界でも忘れてはなりません。例えば、刑事訴訟法は刑事裁判の手続きで、民事訴訟より厳格な証拠を要求する裁判手続きですが、後に東京大学の総長となった平野龍一先生は、「裁判に勝つのは法廷の空気がどちらを味方しているかで決まる」と述べられたそうです。ここでいう「空気」とは、法廷の中にいる裁判官、検察官、弁護士、傍聴者の持つ「気・気分」のことで、すなわち法廷内の空気という「気・気分」を依頼者の勝ちムードへと変えることが、優れた弁護士の為すことでしょう。

 

 また、世論調査で政権の支持率が明らかになりますが、世論と政権との関係は、世論をリードする、そして、結局は世論に従うのが政権のありようだといえるでしょう。しかし、選挙民、しいては国民の「気分」は浮動的なものであるので、その「心」、すなわち「本心」、「良心」がどこにあるか、あるいはその「魂」がいかなるものなのかを見極めることが、政権を維持するにあたって重要なことでしょう。

 

 

【チームワーク=気の交流、気を合わせる】

 さて、「手当」という言葉があります。「住宅手当」「家族手当」などといった言葉にも使われて残っていますが、要するに心を慰藉することであります。子どもが、母親に「頭が痛い」と訴えれば、頭をなでられ、「お腹が痛い」と泣けば、お腹をさすられます。このようなことは、皆様にも記憶のある情景であると思います。バイブルにも、仏典にも、手を当てることで奇跡が起きるシーンが数多くあります。そうしてみれば、手を当てることが極めて大切なことであることがわかります。われわれは、「触れ合い」「ぬくもり」という言葉を軽く受け取る傾向がありますが、この「触れ合い」「ぬくもり」にこそ人間関係の絆を築く基礎があることを知らなければなりません。そして、この「触れ合い」「ぬくもり」とは、両者の「気」が交流すること、「気が合う」ことです。

 

 また、医師と患者と看護する人とのチームワークであるという名言を五木寛之さんが述べています。私も、ある動物が、病気にかかった仲間の個体の周りに群れとなって集まってきて、その個体をじっとみんなで見守ってやることで病気を治すという話を聞いたことがあります。私たち人間もこの「看護」の世界を忘れてはならないと思います。人間は誰しも孤独であり、だからこそ、「看護」や「お見舞い」が必要なのです。それらは、前記のチームワークの必要性にも繋がってきます。

 

 これを法律実務の世界で言えば、問題解決のためには、依頼者、弁護士、弁護士をサポートする諸々の職員とのチームワークであると思います。チームワークとは、皆の「気」が交流し、すなわち「気が合う」ということです。ですから、弁護士だけでなくて秘書もパラリーガルもその他の人も「気」を勉強しなければならないこと、「気」を発することが必要なのではないかと思います。法律の運用にあたっては、依頼者が、そして社会がよくなるよう善導するように「気」を入れて解釈をしなければならないのが弁護士事務所の務めなのです。

 

 法律家が法の運用や適用に当たって「気」が入らず、「気持ち」がこもらず、「心」がこもらなければ、何とひどい法律家が目の前にいるのだろうという評価を関係者が持ち、「法律家は悪しき隣人」ということがそのまま当てはまってしまいます。「悪しき隣人である法律家」とは「良心を失った法律家」のことでしょう。

 

 弁護士が、「気」を入れて、「良心」をもって、依頼者が不安に思っていることの核心をついてあげれば、弁護士、依頼者双方の凝り固まった細胞が一斉に開放し、満ち足りた気持ちになります。これは交渉の場でも、裁判の場でも同じです。論議の末に、一定の解に達した時、すなわち合意に達した時、満足感があるのは、双方の「気」が震え、「良心」、「魂」が揺さぶられ、それらが活性化するからでしょう。

 

 3回にわたって【法律と「気」】について述べて参りましたが、法律の運用や適用を自分の職責とする法律家の皆様も、この法律と「気」との関係を、「気迫」を持って取り組んでいただきたいと思います。「気迫」とは、力強く立ち向かってゆく精神力のことで、「気魄」とも表現します。「魄」は「魂」と同意義です。「気魄」とは、「気」と「魂」、すなわち人間性そのものを指すのではないでしょうか。そして、さらに言えば、法律家は人間として生まれたこと、すなわち、宇宙に存在する一員であることを自覚して、宇宙の基盤である「気」(サトルエネルギー<微弱エネルギー>)のお陰であることに気づき、「良心」が与えられたこと、さらには「魂」が与えられたことに感謝する気構えが必要でしょう。

 

 小生は、残り少ない人生ですが、これらを踏まえて、これらを学ぶべく、法思想の発展史・法哲学の深化にもいささかなじみたいと思っています。

 

 以上、【法律と「気」】の3記事内にてお話しいたしましたことは、何も法律家だけに限ったものではございません。全ての職業、業種に就いている人、全ての人間が、「気」「良心」「魂」を意識しながら絶えざる成長を期していかなければ、「宇宙のスピード」に追いつかず、人間としての存在意義がなくなってしまい、埋没してしまいます。

 

 「宇宙のスピード」というのは、宇宙はサトルエネルギー(微弱エネルギー)によって光の速さ(時速約30万㎞)の3倍の速度で一瞬一刻も休まずに膨張し続けている、そのスピードを指します。ですから、膨張し続ける宇宙に存在する私たち人間が存在感を示すには、「宇宙のスピード」にまさるほどの速さで、一瞬一刻を厭わずに成長する必要があります。つまり、人間は、宇宙のサトルエネルギー(微弱エネルギー)による膨張以上に速く成長してこそはじめて、存在意義があるということになります。要するに、停滞したり後退したりしていては、その存在意義が忘れられてしまったり、失われてしまったりします。

 

 しかしながら、方向性を無視して成長することは許されません。なぜなら、人間は、もとい人間の生命エネルギーである「気」「良心」「魂」は、宇宙の調和のなかで、力を得たり、与えたりしながら、バランスをたもっていて、これらを無視して成長することはあり得ないからです。「気」「良心」「魂」にもとづいた成長が必要です。 

 

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(2011年9月11日(日)午前6:42 東京都中央区 築地川銀座公園にて撮影)

 

新潟トヨタ自動車株式会社 代表取締役会長 等々力 好泰 様

 9月7日(水)午後15時15分、新潟総鎮守 白山神社(新潟市中央区)へ新潟トヨタ自動車株式会社 代表取締役会長 等々力好泰様のご案内でお邪魔しました。白山神社の御祭神、菊理媛大神(くくりひめのおおかみ=白山大神)は別名を、白山比咩(しらやまひめ)大神と言い、加賀の霊峰白山頂上に祀られている女神様で、この神様を勧請して新潟の地に祀ったものだそうです。菊理媛大神は農業の神、海上の神、そして国家、郷土の守り神として広く人々より尊崇されていたとのことです。境内を参拝しておりましたところ、本殿において等々力会長が指をさされたのでその方向を見てみると、なんとそこには総代を示す場所に「等々力好泰」と書かれた御神燈がありました。等々力会長は地域でご活躍される人物として評価されるだけでなく、人格・識見が優れている方として同神社の氏子総代を務められていると存じます。

 

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(2011年9月7日(水)午後15:12 新潟市中央区 新潟総鎮守白山神社にて

一番目にある「等々力好泰」と書かれた御神燈を撮影)

 

 新潟総鎮守白山神社HP  http://www.niigatahakusanjinja.or.jp/

 

 

 その後午後16時に株式会社加賀田組を訪問し、午後16時30分から、新潟トヨタ自動車株式会社本社にお邪魔しました。

 

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(2011年9月7日(水)午後16:45 左から新潟トヨタ自動車株式会社社長等々力徹様、等々力好泰様、私 新潟トヨタ自動車株式会社本社前にて撮影)

 

 新潟トヨタ自動車株式会社HP  http://www.niigata-toyota.co.jp/

 

 株式会社加賀田組HP  http://www.kagata.co.jp/

 

 

 さて、私が等々力様にお会いしたのは14年前の1997年に新潟トヨタ自動車株式会社の労使紛争の問題に対処するために私が主任弁護士に起用され、担当したことが縁でございます。当時等々力会長は代表取締役社長でいらっしゃいましたが、この労使紛争を乗り切られ、今日の発展を促されたのです。そしてそれ以来、14年間等々力会長には本当にお世話になっております。

 

 例えば、私の車は、現在メルセデスベンツS350ですが、これは等々力会長のお気持ちで新潟トヨタグループからお借りしています。

 

 さて、等々力会長はたくさんの事業をなさっていますが、その主だったものをいくつかご紹介したいと思います。

 

Ⅰ 日本と中国における車の販売事業

 

 新潟トヨタ自動車株式会社というからには、トヨタの自動車を販売することは言うまでもありませんが、トヨタのディーラーのうち、全車種を販売しているのは、実は、新潟トヨタだけとのことです。全国にいくつのディーラーがトヨタ系としてあるかは分かりませんが、新潟トヨタは群を抜いた扱いを受けているのです。いうまでもなく、それは、等々力会長およびその先代がトヨタに対して真摯に対応してきたからに他ならないでしょう。また、同社ではもちろん、レクサスの販売もされていますが、今は、プリウスに重点をおかざるをえないそうです。地方都市であるが故に、高額な車は売れないということが理由であるのはいうまでもありませんが、日本全体でもそうなっているようです。

 

 等々力会長の事業展開は、新潟のトヨタ系販売会社で平成23年度に約880億円の売り上げを上げられていますが、それ以上に中国で手腕・力量を発揮されているそうです。等々力会長は、中国ではBMW等々の車種を販売されていますが、中国での2011年1月~12月の売上高は72億元(約1,000億円)の売り上げを見込まれているそうです。

 

 

 中国への事業展開は労使紛争で新潟トヨタ自動車株式会社が苦況に立たされた前後から開始され、労使紛争によって拍車がかかったということですので、極めて強いご決断のもとになされた事業ということになりますが、中国ではすでに成都BMW・青島BMW・南寧BMW(2010年度売上高ベスト3)など15の営業拠点でディーラーを展開されています。

 

 BMWについては先程述べましたが、BMWに限らず、等々力会長は中国において様々な車種を扱っておられます。近いうちには、ポルシェも展開されるでしょう。私はそれに対してささやかな助言をし、中国のポルシェファンがこぞって等々力会長のポルシェのお店に駆けつけるような状態になればと念じています。

 

 国際的な視点だけでなく、国内的視点についていえば、私は日本がますます貧困になっていくだけに、100万円の車も買えなくなる地域が多数発生するだろうと予測しております。このことを念頭において、私は、インドのタタ・モーターズと提携をしては如何かとの提案をしています。日本の今後をみつめて事業展開をしていかなければならないのは、何も自動車のディーラーに限ったことではなく、全ての職業、業種にとって大いなる課題といえると私は考えております。

 

 

Ⅱ マクドナルド事業

 等々力会長は、クォリティフーズ株式会社(新潟市西区)で取締役会長をされています。同社は1990年に開業され、2008年に群馬県及び長野県におけるマクドナルド直営店の営業主体をマクドナルドから同社に移行し、同社によるフランチャイズ経営として以降、マクドナルドを140店舗ほど設置しており、マクドナルドにおける最大のフランチャイジーだといわれています。

 

 マクドナルドのフランチャイジーを始められたきっかけは、新潟トヨタ上越営業所の遊休地の運用として、車のショールームへの来客誘致、活性化のためにイエローハット店とともに出店したとのことですが、当初より車に乗ったままで商品を買えるシステムであるドライブスルーが大成功をおさめ、現在も新潟県下最大級のセールスを上げているとのことです。非常に厳しいファーストフード業界の中で、等々力会長はチャレンジし続けていらっしゃるのです。

 

Ⅲ その他

 

 等々力会長はいつも新しい事業は何かということにご関心を持ってチャレンジされていますが、この数年来手がけていらっしゃったのは、裏方としての株式会社加賀田組の再生です。マンションデベロッパーの不良債権問題で苦しんでおられましたが、メインバンクである第四銀行の特段の配慮やリストラ等が功を奏し、立ち直り、再び新潟で大々的に活躍できる状況をむかえようとしています。 

 

 ところで、新潟市中央区に本店を構える「第四銀行」は、現存する銀行では日本で最も歴史の長い銀行ということをご存じでしょうか。明治5年に「国立銀行条例(日本最古の銀行法令)」が制定され、それに基づき、主要都市に4つの銀行が設立されました。第一国立銀行は東京に設立され、第二国立銀行は横浜に、第三国立銀行は株主間で紛議が生じ開業に至らず、第四国立銀行が新潟に設立され、第五国立銀行が大阪に設立されました。明治の初期には、新潟県は県勢として日本で4番目、正確には3番目にランキングしていたということです。これは、当時新潟には、江戸末期に盛んに行われた新田開発により、全国でも有数の大地主が多く在住していたからだそうです。その後新潟県は凋落に次ぐ凋落を続けてしまって、2011年の県勢を見てみると一人当たりの県民所得が全国で27位(新潟県勢要覧2011)です。こうした状況のなかで等々力様が一層ご活躍され新潟県勢を盛り返されることを期待しています。

 

 さて、今後、等々力会長は、若手技術者の採用、加賀田組の新社屋の建設等、攻めの経営に転じていきたいとお話されていました。

 

 私は新たなことに関心を持ってチャレンジし続ける等々力会長を誇りに思っており、クライアントにとどまらず、そのような知人・友人を持てたことを嬉しく思っています。

 

 この9月10日、くしくも等々力好泰様は満61歳を迎えられました。私に比べて13歳もお若いのですが、それだけに、まだ10年は少なくとも頑張っていただきたいという気持ちで、いつも私はお付き合いをさせていただいています。

 

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 9月4日(日)午前9時45分から10時40分までの間、東京国立博物館(東京都台東区上野公園)へ赴きました。2つの展覧会を見るためで、「空海と密教美術展」と、「特別展『孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本』」を見学しました。

 

1.空海と密教美術展

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(2011年9月4日(日) 午前9:40 東京国立博物館にて「空海と密教美術展」の案内看板を撮影)

 

 「空海と密教美術展」は、実は8月21日(日)に一度赴いたのですが、あまりの人だかりで混雑していた上、雨が降っており、高齢の私にとって博物館の入口から展示場まで雨の中歩くのが億劫でありましたので、またの機会にと諦め、今回再度赴いたのでした。

 

 9月4日(日)もあいにくの雨でしたが、小雨であった上、前回に比べると入場者が少なく思えたので入館しました。しかし、実際に入館してみると、午前10時前であるというのに、老若男女の人々が溢れかえり、かなりの混雑で、驚きました。この人々が全員、空海・密教の世界を理解しているとは到底思えませんでしたが、理解しないまでも関心を持っているのでしょう。

 

 私が空海や密教の世界について意識したのは、学校の歴史等の授業で色々学んだ随分以前のことになりますが、現実にこの世界に近づいたと感じたのは、鹿児島県にある最福寺を訪問した時でしょう。最福寺に初めてお邪魔したのは2009年2月です。それから2年半後の本年7月9日に、2度目の訪問をいたしました(7月12日付【交友録その1】にて、最福寺法主 池口惠観先生についてご紹介いたしましたので、そちらもご覧ください)。

 

 さて、空海と密教美術展に入館し、暫く見て回った後、パンフレットを購入しました。2500円でしたが、決して高いものと感じませんでした。なぜなら、最福寺にお邪魔して以来、密教に限らず宗教、信仰に興味を持ち始め、今後本ブログで「神・仏」をテーマに自分なりの感じること・思うこと・考えたことを取り纏めたいと考えているからです。そのためには「空海」の世界は避けて通れないと思っているからです。阿倍仲麻呂、空海、最澄といった学僧(もちろん名もない学僧も含めて)が中国にわたり、仏教その他の年代の文化に接し、日本にその仏教、文化を持ち込みました。彼らは、中国で異言語をマスターし、仏教という世界を理解しマスターするという大変な困難、障壁を乗り越えるために多大な努力をし、日本文化の発展に寄与しました。彼らの努力が、今日の日本文化を築き上げる基礎となり、そして仏教の影響力は日本人の魂にしみわたっているものであると思います(8月9日付【交友録その5】にて、日中協会の白西紳一郎様をご紹介した中で、阿倍仲麻呂についてや私の日中友好への想い等を述べておりますので、そちらもご覧ください)。

 

 「空海と密教美術展」は9月25日(日)まで開催されているとのことです。皆さまもお足を運ばれてはいかがでしょうか。

 

 「空海と密教美術展」HP http://kukai2011.jp/

 

 


 

 

2.特別展「孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本」

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(特別展「孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本」パンフレット)

9月4日は「特別展『孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本』」の最終日で、私としてはタイミング良く訪れることが出来たことが大変うれしく感じました。この展覧会に関心を持った理由は、私は来年5月に75歳を迎えますが、その記念として「中国民主化への底流」という本を出版したいと考えており、展覧会にて、現在の中国の民主化の歩みである孫文先生(1866年~1925年)について理解を深めることは、この執筆にあたり大いに参考になると思ったからです。

 

孫文先生について関心を持ち始めたのは、中山陵(江蘇省南京市東部の紫金山に位置する孫文先生の陵墓)を見学した時のことです。初めて中山陵を見学したのは、1997年11月に上海から南京に赴いたときで、次は上海高井倶楽部の皆様と2005年4月に見学した時です。中山陵には孫文先生の陵墓があり、祭堂の三つの入り口の上には「民族」「民権」「民生」という孫文の唱えた三民主義のスローガンがそれぞれ掲げられていました。珍しいことに墓室の天井には台湾の国旗である青天白日旗の模様が描かれていました。陵墓はフランスのナポレオンの陵墓を参考に造られたものであるとのことで、大変立派なものでした。毎日多数の中国の人々が中山陵に訪れ、孫文先生を偲び、大いなる敬意を表しているとのことです。

 

孫文先生はいつからか「孫中山」と号すようになりましたが、この「中山」の由来は、孫文先生が日本亡命中の1913年から1916年の間、東京都千代田区日比谷公園付近に住んでいたそうですが、公園の界隈にあった中山忠能公爵(明治天皇のご生母・中山慶子様の父)邸の「中山」の表札を見て、「中山」という名字が気に入り、その後「孫中山」と号すようになったという逸話があるそうです。非常に日本に好意的な方であったということです。中国では、「孫文」ではなく、「孫中山」の呼称が一般的とのことです。ちなみに北京でも上海でも台北でも、そしてその他の都市でも「中山」という名前がついた公園や道路があります。

 

梅屋庄吉様(1868年~1934年)は、香港で「梅屋照相館(写真館)」を営み、その後、映画産業に乗り出し、日活の創設に関わるなど、日本における映像事業の黎明期に活躍し日本の映画産業の地盤を築きつつ、孫文先生の志に共感し、物心両面にわたって手厚く庇護していたということでした。その額は、現在の貨幣価値で約一兆円になるということです。梅屋様は、「孫文トワレトノ盟約ハ一切口外シテハナラズ」と遺言に残したとのことです。

 

ご遺族は、その言葉を守り、梅屋様が残した資料は、近年まで世に出ることはなく、今回の展覧会はその貴重な資料が公開されており、大変勉強になりました。例えば、梅屋様が愛用された,つむぎの羽織です。裏地には孫文先生による「賢母」の文字が書かれていました。「賢母」という文字には、孫文先生が親身になってお世話をしてもらった梅屋庄吉様のご夫人、トク様への特別な思いも込められているといわれているそうです。また、孫文先生の妻として生きた宋慶齢(そうけいれい。宋家三姉妹の次女、中華人民共和国名誉主席)がトク様に宛てた直筆の手紙なども展示されていました。

 

孫文先生の言説の中では、「三民主義」(岩波書店)にある「中国人は砂の民である」という言葉が一番説得力があると思います。それだけに中国の政権は民を石にし、岩にする努力が日本人の政権以上に大変であるといつも思っています。民を石にし、岩にしてこそ、世界に伍する中国になるからです。

 

・  特別展「孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本」HP

http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1398

 

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良心と法律の「気」②

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(2011年9月8日(木)午前6:51 新潟市西蒲区 岩室温泉「著莪の里 ゆめや」にて彼岸花を撮影)

 

 前回のブログで、憲法にある「良心」を論じ、また法律条項の中には抽象的な概念に頼らざるを得ないこと、例えば公共の福祉、権利濫用、信義誠実の原則、公序良俗、といった概念について、「気」の世界から私の考えを述べました。そして、「抽象的概念」であるということは、結局は人間の「判断力」「バランス感覚」に頼らざるを得ない側面があること、人間の価値判断の基準作りには限界があるところから一見して合理的であるか否かについて割り切れないところがあることを意味しているというお話をいたしました。即ち、人間の合理性というものは、限界があるということで、それを補完するために、人間の「総合判断力」「バランス感覚」に敬意を表して、それに頼らざるを得ないということを意味しているのです。その判断力等の原点は何かと言えば、「気」であり、さかのぼれば「志」、「良心」であり、さらにさかのぼれば「魂」であるということでしょう。それらの根本は、「人間愛」、「人間尊重」ということになるのでしょう。

 

 「愛」、すなわち心をうけとるということですが、愛「情」という言葉にあるように、真っ青な心、すなわち純粋な心で相手に対応することが人間として求められているということなのでしょう。

 

 

【魂の変化と法律の変遷】

 

 さて、思想の発展、殊に、法思想の発展は、人間そのものをどのように見極めるかという感じ方、思い方、考え方の進展にほかなりません。そして、感じ方、思い方、考え方というものは、結局は人間が「良心」に支配されているものであり、さらに言えば「魂」に統御されているということになるでしょう。

 

 「魂」とは、広辞苑第4版(三省堂)によると、「(1)動物の肉体に宿って心の働きをつかさどると考えられるもの。(2)精神、気力、思慮分別、才略。(3)素質、天分。」とあります。漢和辞典を調べてみると、「人の生命のもとになる、もやもやとして、きまった形のないもの。」との説明があります。「魂」は、このように、ぼんやりとした概念ではありますが、人の「気」の核である「良心」の、更に核となっているもので、それは人間性そのものを問い、尊重する精神、ということになるのではないでしょうか。「霊性」という言葉と「魂」とは同義と思われますが、そのことからもそのようにいえるでしょう。

 

 さて、前回は主に憲法と民法のお話をいたしましたが、法律はこれだけでなく、沢山の法律でできていることは言うまでもありません。本年7月15日現在の法令データ(官報掲載法令)によると、憲法・法律あわせて1,848 の法令があり、政令・勅令、府令・省令を合わせると計7,592 の法令があります。

 

 そして、法律はどんどん進化し、細分化しています。これは、社会の変転とともに法律があるからです。それは、実は、国民のあるいは大衆の意識、「気」が多岐にわたり複雑化していることを意味するといってよいでしょう。ある期間持続する、やや漠然とした心身の状態を「気分」といいます。すなわち「気分」とは「気」の発露であるかと思いますが、「気・気分」が変われば法律も変わるということです。要するに、国民大衆の「気・気分」の変化が新しい法律を作成する源泉となっているといってよいでしょう。

 

 二宮尊徳の名言と言われている、「経済を忘れた文化は戯言である。文化を忘れた経済は罪悪である。」という言葉がありますが、この言葉は、経済の世界だけでなく、法律の世界でも、十分展開できるでしょう。即ち、「文化を忘れた法律は罪悪である。」ということになります。文化とは、その時代時代を築きあげた大衆の「気・気分」、「良心」、「魂」そのものでありますが、これに反した法律は、時代遅れであります。また、「法律を離れた文化もありえない」ということになります。法律は世論(大衆)の支持によって成立し、それゆえに「気・気分」の変化によって変遷していくということで、最高裁判所判例すら応々変更されるのも、社会情勢・社会状況の変化、すなわち、大衆の「気・気分」、「良心」、「魂」が変化していくからです。大衆の「気・気分」、「良心」、「魂」は、文化(新たに誕生する文化と、時代遅れとして忘れられていく文化)にも直結し、法律にも直結すべきであるということでしょう。それゆえ法律は改正を繰り返し、新たに制定され、また細分化されていくのです。

 

 さて、憲法は、国家の骨格を定める法規です。法律は、憲法の条項を細分化したものであるといわなければなりません。そして、「気・気分」を意識することが、法律の在り方を決めることになるということでしょう。国民意識、更にいえば「気・気分」が変遷していくことに伴って、法律も変遷していくということなのです。

 

 人間にある「気・気分」というのは、ぼやっとした曖昧なものです。非常に浮動的な存在です。それだけに、何か骨格を定め、「気・気分」というものを具現化するものを作らないと、人間集団が成り立ちません。ここに「ルール」「基準作り」が生まれる所以があり、そのルールの中で最上位のものが憲法であり、それに次ぐものとして法律が生まれるのです。「気・気分」を具現化する、すなわち形にすることが大切なのです。

 

 

【刑罰は動的な性格】

 

 例えば、刑法では、応報刑主義だけでなく、教育刑主義という考え方も現れました。教育刑主義は、リスト(1851年~1919年)の目的刑主義(刑罰は、それ自体として意味があるものではなく、社会を防衛するなど一定の目的をもって科せられるものとする考え方)に始まり、リープマン(1869年~1928年)によって教育刑主義の考え方が主張されました。応報刑主義とは、刑罰の本質を犯罪という悪に対する応報と考える立場(例えば、ハンムラビ法典196・197条の「目には目を、歯には歯を」の考え方がその古典ではないでしょうか)ですが、教育刑主義とは、刑罰の目的を、犯罪人の社会復帰のための教育であるとする考え方です(有斐閣法律用語辞典第3版、2006)。つまり、刑罰は、犯罪に対する非難としてくわえられるという意味で応報であることだけではなく、刑罰は犯罪人の社会復帰を実現させるべきものでもあるという考え方が発展してきたということです。そして、教育刑主義は、かねてより議論の多い死刑廃止論の論拠の一つともされているところです。私が大学で教えを請うた団藤重光先生は、「刑法綱要総論 改訂版 付・第一追補」(創文社、1978)の中で、刑罰は、「本人の改悛状況や、社会情勢の変化などにより、仮釈放や恩赦などによる緩和が必要になって来ることがすくなくな」く、「根本的に動的な性格をもつものである」と述べられています。その意味で、刑罰の動的な性格に「もっとも不適切なのは死刑だといわなければならない」と、死刑廃止論に傾いた発言をされています。

 

 団藤先生の述べられる「刑罰が動的な性格」の所以は、国民意識、つまり大衆の「気・気分」が変化し、「良心」が変わり、「魂」が変化していくことにより刑罰の裏付けとなる事態も変化するからでしょう。それを、団藤先生は、「社会情勢の変化」という言葉を使って説明しているものでしょう。

 

 

【大衆の「気・気分」「良心」「魂」の変化を促す法律】

 

 さて、ダイバーシティ(diversity:多様性)という概念があります。この概念は、もともとアメリカで提唱されたものです。1964年に人種・宗教・性などによる差別を禁止する「公民権法」が成立しましたが、これを受けて、米企業や組織では差別で「提訴されないようにする」ことを目的とした消極的な姿勢で施策を行ってきました。しかし、女性やマイノリティ(社会的少数者。アメリカではヒスパニックの人々等)の職場進出が急速に進むことで、差別を禁止する施策は積極的な姿勢に変化していき、さらにその解釈が発展し、企業における人種・性別・年齢・国籍などの差別を解消し構成員に機会均等を保障し、個人差を認知し、資質の差異等を是認してこそ次なる進歩・発展に繋がると前向きに捉えようという「ダイバーシティ」という概念が生まれました。このような歴史的背景は、差別を禁止し人間を尊重する公民権法という、まさに人間性を発揮すべき法律により、大衆の「気・気分」「良心」「魂」の変化を一層促したことの一つの具体例であると思います。

 

【参考】http://www.jmam.co.jp/column/column09/1188147_1531.html

 

 

【信教の自由と「狂気」】

 

 さて、憲法第20条第1項前段には「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」とあります。明治憲法下では、信教の自由は「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」(第28条)保障されていましたが、実際には「神道は宗教に非ず」として、準国教化する動きがあるなど、信教の自由が制限される状態にありました。しかし、日本国憲法では、これを不可侵の権利として、一切の限定なしで国民に対して認めています。信仰とは人間の「気・気分」「良心」「魂」そのものであり、それは抑圧するべきものではないということが憲法によって保障されたものであるのだと思います。

 

 しかしながら、信教の自由にも限界が考えられ、すなわち制約が必要な場合があります。多くの判例が信教の自由の限界について判断していますが、事案の多くは、度の過ぎた信仰が引き起こしたものです。「狂信」、すなわち「狂『気』」が引き起こしたものです。「狂気」は、他者の「気」を乱し、社会全体の「気」を乱してしまうものですから、時として制約が必要になるということでしょう(もちろん、信教の自由という基本的人権、すなわち人間の「魂」そのものを制約するには、「やむにやまれぬ利益」を実現するための必要最小限のものでなければなりません。)。

 

 孔子(紀元前551年~紀元前479年)、釈迦(紀元前463年?~紀元前383年?)が紀元前500年頃に誕生し、そして紀元前後に即ち2011年前にキリストが登場したことに伴い、東西ともに精神革命をもたらしました。この革命は、人間の「気」「良心」「魂」等の変化でありました。法律の変遷も同じように、人間の「気」「良心」「魂」等が変化していることの表れだと私は考えています。

 

 さて、法の変遷と「気」との関係を、全ての分野について述べるだけの紙幅はありません。ですから、次回は、「良心と法律の『気』」第3回(最終回)として、私の専門である労働法の世界について述べようと思います。

 

 

【お知らせ】

 

 6月17日より、今回の「良心と法律の『気』(2)」を含めて、計13回、「気」をテーマにブログ記事を執筆して参りましたが、残すところあと3回または4回で本テーマはいったん終了する予定でございます。

 

 つきましては、6月17日から「気」ブログ記事最終回までの全記事につきまして、ご意見・ご感想等の評論をいただければ幸甚に存じます。

 いただきました評論は、本ブログ内で、ブログ開始6カ月記念と合わせて、発表させていただくこともございます。

 なお、今後本ブログで取り上げるべきテーマ等のご提案も歓迎しております。

 奮ってご意見をお寄せ下さいませ。

 

 また、小生は「高井伸夫」名でFACEBOOKに登録しておりますが、こちらの「友達申請」もお気軽にお願いしたく存じております。高井伸夫FACEBOOKにつきましては、本ブログ右下のFACEBOOKバナーをクリックしていただきアクセスしてください。

 

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(2011年9月3日 午後16:58 東京都世田谷区桜丘 東京農業大学付近で撮影)

 

 

 

 

ボビン・バジュラチャルヤ様 

 

9月2日(金)午前11:00より40分ほど、ボビン・バジュラチャルヤ様,薄井由美子様御夫妻が私どもの事務所にご来所されました。ボビン様とは、約10カ月ぶりの再会でしたが,ボビン様と由美子様は本年1月にご結婚されたばかりとのことで,由美子様には初めてお会いしました。由美子様は栃木県矢板市のご出身とのことでした。

 

私は親しみをこめて彼のことをボビン君と呼んでいます。今のネパールの現況等のお話に華を咲かせました。

ボビン君はネパールの首都カトマンズの南の郊外パタン(ボビン君曰く、「下町」であるとのことですが、仏教思想にもとづき、職人、農家、王族・貴族が昔住んでいた古い建物が並ぶ歴史ある古都です)のご出身です。2日には、ネパール、カトマンズの魅力についてお話ししていただきました。「一言では言い表せない魅力がありますが、『心が落ち着く』場所であることです。スピリチュアルな着地点であるとおもいます。60年代、70年代のヒッピーの方々が、旅の最後に選ぶ場所がネパールでした。また、仏教から生まれる仏教アートが魅力です。具体的にはタンカ(チベット仏教の仏画の掛軸の総称。曼荼羅もタンカの1種類)などでしょう。」とのことでした。私も曼荼羅を購入したいと思っていますが、どういう曼荼羅が良いかお伺いしたところ、「インスピレーションで選ぶもの」であるということでした。まさに芸術作品を選ぶ着眼点だと思います。

 

バジュラチャルヤというボビン君の姓は、日本語で書けば「金剛阿闍梨」で、つまり「金剛乗の師範」といった意味であるそうです。金剛乗(バジラヤーナ)とは、密教の思想の内の一つで、比較的後期の思想であり、宇宙の真理、宇宙のエネルギーを説いたものだそうです。

 

ボビン君はいつもお会いするたびになにがしかのネパールのお土産を持ってきてくださいます。今回2日には,90センチ四方の,ボビン君のお母様の手織りのチベット絨毯でした。ボビン君は、「この絨毯に心安らかに座って瞑想してください。耳の故障も軽快しますよ」と仰ってくださり、その優しい言葉に嬉しくなりました。

 

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(2011年9月2日 午前11:34 左からボビン君,私,薄井由美子様
いただいたチベット手織りの絨毯を前にして)

 

さて、ボビン君との出会いは、彼が当時25歳の、2002年8月のある夜のことでした。赤坂の沖縄懐石料亭「沖縄懐石 赤坂潭亭」の女将・高木凛様が出店した赤坂の沖縄現代料理店「紅い花」に食事に行った際、皿洗いのアルバイトをしていた彼とひょんなことから言葉を交わしたのがきっかけでした。ボビン君がネパール・カトマンズ出身とお聞きしましたが、たまたま私は同年11月20日から24日にかけて25名からなる「桃源郷を訪ねる訪問団」の団長としてネパールを訪問する予定でありましたので、その旨をお話ししたところ、「10月にはネパールに帰国するので、11月20日にはカトマンズの空港でお待ちしています」という言葉を返してくれたので大変嬉しかったのでした。

 

沖縄懐石 赤坂潭亭HP http://www.akasakatantei.com/

そして2002年11月20日、日本でのわずか十数秒の短い会話がきっかけで、ボビン君は本当に空港で私を出迎えて下さいました。その日は、関西国際空港から上海で給油した飛行機が3時間も遅れ、本来なら現地時間夜11時にカトマンズ空港へ到着するはずであったのに、私たち一行が空港に到着したのは翌日の午前2時でした。しかし、ボビン君は日付が変わってもなお、深夜の待合室でじっと私を待っていて下さいました。そのことに感激した私は、短い日程の合間を縫って、ボビン君のご自宅へお邪魔し、また彼の故郷パタンにもご案内頂きました。その時、ボビン君がシンガーソングライターであることを初めて知りました。

 

9年前のネパールと現在のネパールは随分と変わったということで,トマンズは特に発展が著しく,今や東京の渋谷と変わらないショッピングモールもあるということでした。ネパールでの私の一番の思い出は,野生の蜂蜜が最高であったということです。今では日本では勿論手に入らないのですが、ネパールでも入手することがはなはだ難しいものであるとお聞きしました。

 

さて,ボビン君は、1976年生まれで、1996年、留学のため初めて来日し(今は亡きお父様が大の親日家でいらっしゃったそうです)、千葉県八千代市の秀明大学国際協力学部を2002年3月に卒業され(大学の卒業論文では「南南協力」をテーマにしたということでした。)、その後「紅い花」でアルバイトをしながらライブ活動をされていました。ちなみに,私は秀明大学の顧問弁護士を務めていた時期があり,ボビン君と私は,この奇遇に驚いたものでした。

 

ボビン君の音楽は、「オリエンタル・フォークロック・バンド」と分類されるそうで、カトマンズの精神風土を色濃く反映したスピリチュアルな癒し系の音楽です(とはいっても、エレキギターなどの演奏等、西洋音楽の要素もミックスしていらっしゃいますので、伝統的な民族音楽ではありません)。何度か演奏をお聞きしましたが、心が動かされる音楽でした。ささやかながら私は応援を続けさせていただきましたが、現在は祖国ネパールに戻られ、カトマンズのパタンにて「Melting Pot」という,ボビン君のお母様が作る手作りキャンドル、地元の素材で作ったアクセサリーなど自分が好きなものを売るセレクトショップも経営されています。ネパールが、様々な文化、人種が集まる国であることから、17世紀アメリカを形容した「Melting Pot」<人種のるつぼ>をヒントに、それを店名にされたとのことです。音楽活動も続けられており、今まで50曲位を作曲されたそうで,ボビン君の下記にご紹介するブログでは、たびたび来日され精力的なライブ活動を続けられていることがわかります。勿論日本だけでなく、アメリカ等諸外国にも進出されています。今後とも応援させていただきたいと思っています。

 

一瞬の出会いをも大切にすることによって、心の交流が生まれ、お付き合いがひろがることを、そしてさらに縁をつなげ続けることを旨として、私は本日まで生きてきました。私の財産は、このような人と人との「つながり」であることを、9月2日ボビン君との再会で改めて認識いたしました。

 

ボビン君のブログ(日本語)http://slowburning.seesaa.net/

 

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良心と法律の「気」①

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(2011年8月31日(水) 午前11:13 千葉県富里市にて撮影)

 

【「良心」とは何か】

 「良心」の重要性については、ブログ等で何度もお話ししてきましたが、次第にその意義を充実させてきました。つまり、現段階では「真・善・美」「夢・愛・誠」そして「義理・人情」と「自己規律」の上にある「志(マインド)」であるということです。そしてさらに言えば、「魂」ということにいきつくでしょう。ほぼ50年の弁護士生活の中で、色々な激しい仕事をしてきた間、「良心」については全く考えたことがなかったのですが、改めて「気」について勉強するにつれ、このように解釈することに到達しつつあるのです。

 

 「良心」には「気」というエネルギーがあることはいうまでもありません。そして、「魂」は、「気」の最小の核であり、最高の核であります。英語で憲法をConstitutionと言いますが、この単語には、「気質、性質」という意味も含まれています。憲法には、「良心」という言葉が2度使われます。要するに、「良心」は、「心」すなわち「本心」「良心」ということを意識した法体系でなければならないということを、法律の骨格を定める、すなわち国の骨格を定める憲法でも明確に意識しているということなのです。

 

 すなわち憲法第19条【思想及び良心の自由】では、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」としていますが、法律も人間の所産である以上、これを蹂躙してはならないという意味です。

 

 また、第76条【司法権、裁判所、特別裁判所の禁止、裁判官の独立】第3項では、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と「良心」について述べています。

 

 この「良心」の解釈について、「良心に従ひ」という文言に特別な意味がないとすると解釈する学者の方もいるようですが、これは誤った見解であると思います。「良心」こそ裁判の核心であると私は考えるからです。

 

 例えば、清宮四郎「法律学全集」(1974年発行)では、

 

 「憲法には、『良心に従ひ』とあるが、この場合、『良心』を、裁判官個人の良心、すなわち、主観的な政治的・宗教的・道徳的・思想的信念や人生観・世界観などと解すると、裁判がまちまちになり、しかも、法を離れて行われるおそれがあるので妥当でない。右のような主観的良心は、裁判にあたっては、かえって抑制されなければならないのである。憲法で『良心』といわれるのは、裁判官が適用する法のうちに客観的に存在する心意・精神、いわゆる『裁判官としての良心』を意味する。したがって、裁判官個人としては、例えば、死刑廃止論者であっても、それを理由にして、刑法を無視した判決をくだすことは許されない。このように解すると、裁判官は、『憲法及び法律にのみ拘束され』、それらを忠実に守るにすぎないことになり、『良心に従ひ』という文言に特別の意味はなくなる。

 

と、「良心」につき断じていますが、これは「良心に従ひ」というところについてきわめて軽視した見解であるといえます。これは改めるべきは言うまでもないところだと思います。

 

 そして、清宮先生のいう「良心」とは、「実質的な判断を下す謙虚で良心的な態度で裁判をしなければならない」裁判官が、「適用する法のうちに客観的に存在する『心意・精神』を意味する」とされています。要するに、「心意・精神」という言葉は無私という言葉になりますが、これは実は「良心」を述べているだけであって、特段の要件事実を示したものではないと思います。すなわち、どんな要件を踏まえれば「良心」になるのかということを明記しなければならないでしょう。その意味に於いて、我々は「良心」の意味と要件を熱心に今後も見極めつづけなければならない必要に迫られているのです。

 

 そして、下級裁判所やその他の機関には覆すことが認められない判決を下す権限を有する最上級の裁判所である最高裁判所の裁判官は、まさに「良心」に目覚めた賢者であると、国民は信頼しています。司法の堕落(裁判所はもちろん、検察官・弁護士も含め)は最も忌み嫌われるのもこれゆえです。司法のあるべき姿とは、「良心」を担当する、すなわち「気」「波動」「微弱エネルギー」を担当する人たる裁判官一人ひとりが、さらには検察官も弁護士も法曹に関与する全ての人が、勉強をしつづけ、革新を図って新しい時代の「良心」を追及しなければならないのです。

 

 よく「良心に訴える」といいますが、これは相手の「良心」に迫ることです。すなわち「良心」は強い「良心」に押されるということです。当方が「良心」をもって臨まなければならない所以はここにあります。「良心」は「気」のエネルギーを持っていて、その「気」の核は「魂」ですから、つまりは、相手の「魂」を揺さぶるのです。揺さぶるとは、「魂」を強く感動させる、ということです。法曹の中でも弁護士について言えば、「良心」をもって裁判に関与する、弁護士として活動するということは、結局は依頼者にも相手方にも、裁判官にも検察官にも、当方の「気」を伝え、「気」が乗り移ると言うことなのです。また私は、「良心」があってこそ迫力が出ると思っています。迫力をもって相手に迫ると、相手に心が伝わりますが、それは何故かといいますと、「気」に力があるからです。「良心」を旨として生きることは、「気」を一層強めることから、波動となり、微弱エネルギーとなるので、その「気」が相手に乗り移って到達するのです。

 

 

 勿論、司法のみならず、立法、行政も新しい時代の「良心」を追求しなければならないことは言うまでもありません。英語で国のことをGovernmentといいますが、その動詞であるGovern(〈国・国民を〉治める、統治する)は、ラテン語で「舵をとる」という意味を持っています。法律や政治にかかわる者が舵取りを誤ると(すなわち「私心」「邪心」をもって舵取りをすると)、国家の「気」が乱れてしまうのです。

 

 

【法規全般に顕れる「良心」】

 

 「良心」については、最高法規である憲法で述べられているがゆえに、その下の法規全般にも言えることで、様々な所で「良心」は機能します。「公共の福祉」(日本国憲法第12条、13条、22条、29条、民法第1条第1項)にしろ、「信義誠実の原則」(民法第1条第2項)にしろ、「権利濫用の禁止」(民法第1条第3項)にしろ、「公序良俗」(民法第90条)にしろ、きわめて包括的で曖昧な概念ですが、その内容は、その時期・時期、時代・時代、人・人、それぞれの法的感覚にのっとって解釈され、運用されていくものでしょう。

 

 

  1. 「公共の福祉」
     「社会公共の利益」といった抽象的な価値です。すべての人の人権がバランスよく保障されるように、人権と人権の衝突を調整することを、憲法は「公共の福祉」と呼びます。
    【参考】http://www.jicl.jp/chuukou/backnumber/09.html

  2. 「信義誠実の原則」
     権利の行使や義務の履行は、相手の信頼を裏切らないように誠実に行わなければならないという原則のことであり、民法全体の指導理念で、信義則ともいわれます。


  3. 「権利の濫用」
     権利本来の目的・内容を逸脱してその権利を不公正な方法で行使することであり、民法は、「権利の濫用は、これを許さない」と定め、そのような権利行使は無効とされています。

  4. 「公序良俗」

 公の秩序又は善良の風俗の略であり、社会の一般的秩序や倫理・道徳のことです。法律行為は原則として自由ですが、民法は公序良俗に反する事項を目的とした法律行為を無効としています。公序良俗違反の法律行為は、国家的・社会的にみて放置できないことによります。

 

    【参考】 法テラスHP http://www.houterasu.or.jp

 

 

 さて、これらを「気」という概念に当てはめて考えると、概略は以下の通りになると思われます。

 

 

  1. 「公共の福祉」
     公共の福祉を重んずることで、社会全体の利益を得ることになるかもしれませんが、基本的人権は損なわれる可能性があり、気苦労や気に病むこともあり得ます。ですから、公共の福祉という大義(大気)を重視しながらも、私的な小義(小気)をも考慮する必要があるのではないでしょうか。

  2. 「信義誠実の原則」

     個人や一部集団のエゴイズムによって、他の心(気)や社会全体の雰囲気という「気」を惑わすことはできない、という原則です。

  3. 「権利濫用の禁止」
     法的にある権利を得た者が、その力を利用して「司法」「行政」「立法」の任に携わると、社会全体の「気」を乱します。仁(思いやり)の心をもって、「気配り」することが大切です。

  4. 「公序良俗」
     公の秩序又は善良の風俗に反すると、社会全体の「気」を乱します。しかし、何が公の秩序又は善良の風俗であるのかは、その時代・時代の価値観によって変わり得るものです。つまり、「気」が変わるということです。
     また、一人ひとりが、気ままに成りすぎず、他者に気を配り、他と協調(気を合わせる)することが、社会全体の機運を上昇させることにも繋がるでしょう。

 

 

 この4つの法律の条項は、やり過ぎや逸脱を許さないとする条項ですが、この条項をしっかりと理解するためには、気を張りすぎず、気づまりすることもなく、かといって、気後れすることのない「中庸の精神」(かたよることのない「中」を以て「常」の道をなし、易(か)わらないことをいう)を養うことが肝要かと思います。

 

 つまり、「気」が強からず、弱からず、中庸の「気」すなわち平明な精神を養うことが必要で、中庸は、人間にとって、安定性こそが極めて大事であること、すなわちバランス感覚が大切であることを語っています。フランスの哲学者であったブレーズ・パスカル(1623年~1662年)も、「人間は考える葦である」という有名な一節「L'homme n'est qu'un roseau、 le plus faible de la nature ; mais c'est un roseau pensant.」がある随想録「パンセ」の中で、「中間から逸脱することは、人間性から逸脱することである」と中庸の考え方に近い記述を残しています。

 

【法曹に必須なリーガルマインド】

 

 さて、個別具体的なあらゆる法律に精通し、各法律の細かい技術的な情報や詳しい知識・体験を有している法曹は、実際はほとんどいないと思います。しかし、法曹一般は、法律を取り扱う者として、一般人よりもずっと多くの情報を持っています。

 

 それは、法律の細部についての知識というよりも、倫理観・概括的かつ一般的な原理原則をもってする判断力を優秀な法曹が有しているからであると思います。そして、こういった判断力、法律家としての基礎的な素養は、一般に「リーガルマインド」と呼ばれています。

 

 先に、「信義誠実の原則」にしろ、「権利濫用の禁止」にしろ、「公序良俗」にしろ、きわめて包括的で曖昧な概念であり、一義的ではないと述べましたが、それは実はリーガルマインドに基づく「判断力」によって対処することが必要な所以です。

 

 「判断」とは「真偽・善悪・美醜などを考え定めること。ある物事について自分の考えをこうだときめること。」(広辞苑第4版、三省堂)をいいますが、「判断」というのは、いちいち細かく検討して「判断」する場合は極めて少なく、ほとんど直感的に一瞥して「判断」するのが「判断」の「判断」たる所以でしょう。いわば細部にわたる観察ではなく、ホリスティックな観察、すなわち全体的な知見、見方によって判断するということでしょう。あまり細部にわたって分析的であると全体を見失ってしまい、すなわち、「木を見て森を見ず」という状態になってしまいます。むしろ全体像を一瞥し捉えて判断するのがリーガルマインドなのです。 

 

 そして、リーガルマインドに基づく「判断力」とは、「良心」をもって、交渉相手の「気」と自分の「気」を交流させて、相手の諦念と執着の対象・程度等を察し、それを踏まえてその場に最もふさわしい、説得力ある話法を用いることなのです。

 

 「人を見て法を説け」という言葉があります。この格言は、ブッダ(釈尊)が相手の能力や性質に応じて理解できるように真理を説いたことによるもので、仏言では「対機説法」と言っています。ブッダが説法されるときは機をみて法(生きる道)を説いたといいます。「機」とは法を説く相手の「素質、能力」を指すそうです。その人の人格、年齢、教養、性質、まわりの環境、それらをできるだけ知った上で、その人が理解できるように法を説いたのだそうです。

【参考】

http://homepage2.nifty.com/koudaiji/houwa/m17/houwa171.html

 

 対顧客、対部下、対相手方、対裁判官、どんな場面においても、相手の言動の中からその性向を感じ取り、その人の諦念と執着の対象・程度を見抜きながら、相手が理解できる説明方法を工夫することが大切です。

 

 

【経営判断における「気」のバランスによる「判断力」】

 今まで法曹について述べて参りましたが、「人を見て法を説く」ための、すなわち「気」のバランスによる「判断力」は、企業の労務管理において、千差万別の労働者を相手にする経営者陣にとっても極めて重要な能力です。しかも、それは労務関係だけではありません。ありとあらゆる経営判断において「気」のバランスによる判断力が必要とされることは言うまでもありません。

 

 一番分かりやすい具体例は、「経営判断の原則」ですが、これは「取締役の行った経営上の判断が合理的で適正なものである場合は、結果的に会社が損害を被ったとしても、裁判所は、取締役の経営事項については干渉せず、当該取締役も責任を負わない」という原則のことです。

 

 一例を挙げれば、平成4年(ワ)第5783号取締役損失補填責任追及請求事件【野村證券株主代表訴訟事件】(東京地判平成5年9月16日)は、損失補填を行った証券会社の取締役の行為が、経営判断上の裁量の範囲を逸脱したものとはいえないとされた事例であり、取締役の経営「判断」にスポットがあてられました。

 

 要するに社長を初めとした経営陣の「判断」、バランス感覚すなわち社長を初めとした経営陣の「気」の在り方つまり「良心」の在り方が優れていることが大切です。そしてこのバランス感覚は、前に進むスピードが速ければ速いほど、極めて強く要求されます。なぜならば、スピードが速い中でバランスをとることは大変難しいからです。そして、「気」は、法律家だけが保有すべきではなく、全ての人間が判断する以上、これを尊ぶことが必要なのです。

 

 さて、日本人は非常に安定志向が強いですので、「判断力」は正しいながら、進む力すなわち「前進力」が弱いと言われています。もちろん具体的には改革の立ち遅れ等様々ありますが、それは結局、日本人はスピードの中での「判断力」が弱いということを意味しているのではないでしょうか。すなわちスピードの中での「気」のバランスが弱いということを意味しているのではないでしょうか。だから、日本の社会では「気」を強める様々な試みが盛んなのではないでしょうか。たとえば、空手、合気道、剣道、柔道、弓道等々、日本武道は全てその一点にあるのではないかと思います。それはスピードの中での「気」を磨き、バランスを整えることの必要性を日本人は無意識にも感じ取っているのでしょう。しかし、それは定まった土俵の上でのことであって、日本人は飛躍する発想、新たな土俵を構築することに疎いということではないでしょうか。飛躍をしながらバランスをとるということに日本人は非常に劣る民族ではないでしょうか。そのことが実は日本人にはリーダーシップをとれる人材が少ない所以なのでしょう。そして、そこからあえてリーダーシップを勉強する必要があることになり、本屋さんに行くとリーダーシップの本が真に多く発刊されていることを知るのです。

 

 

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