2011年8月アーカイブ

 8月23日(火)から27日(土)まで、私は北京と上海へ行って参りました。今回の出張では、23日(火)午前11時過ぎ(日本時間正午過ぎ)北京空港に降り立ちました。空港では当事務所北京代表処上席顧問律師 王建寧先生が出迎えて下さいました(王建寧先生については、【交友録 その8】8月第4週<8月21日(日)~8月27日(土)>をご覧ください。)。つづいて、25日(木)朝7時(日本時間8時)に北京空港を出発し、上海の虹橋空港へ9時10分(日本時間10時10分)に到着しました。そして、27日(土)朝9時10分発(日本時間10時10分)の飛行機で上海を出発し12時40分に帰国しました。

 

 

 今回の「歴訪記 その3」では、中国滞在中に訪れた様々な場所についてご紹介させていただきます。

 

 

 以前ブログでご説明したことがありますが、ブログに掲載している花の写真は私が撮影しております。中国でも夏のことで花が少なかったのですが、一瞬一刻の開放感を求めて花の写真を撮影して参りました。

 

 

(1)北京語言大学

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(2011年8月24日(水)日本時間 午前10:11 北京語言大学にて撮影

 

 

 私は外国に行く際には、努めて大学を訪問することにしています。大学にお邪魔することによって、その国の知的世界に少しでも浸ること、ひいては外国の大学で講演をさせていただくことを期しているからです。

 

 私が最初に講演をしたのは、1990年6月モスクワ大学法学部です。ここでは、「日本の中小企業の法制度」についてお話をさせていただきました。二番目に講演をしたのは、1991年10月北京大学法学部においてでした。講演のテーマは「日本経済の発展と法制」と題して安保条約が締結された1960年から1969年までの10年間に制定された法律と産業の発展との関係について論じるというものでした。他にも海外の大学で講演をさせていただいたことがありますが、いささか冗長になりますから省略いたします。

 

 さて、今回の訪中では、北京語言大学を訪問しました。【交友録 その8】 8月第4週<8月21日(日)~8月27日(土)>で述べたとおり、当事務所弁護士萩原大吾君が中国語を習熟するべく勉学に励んでいる大学であるからです。

 

 同大学は、北京市郊外にありますが、中国政府教育部直属の大学であり、来年には創立50周年を迎えるそうです。外国人に対する中国語教育で著名な名門大学であり、同大学のホームページによれば、開学以来、全世界の176カ国以上の国と地域からの12万名以上の留学生の育成に関与してきたとのことです。2010年度には、中国人学生3万5千人余と、外国人留学生8千6百人余が在籍しています。中国語の検定試験として世界的に有名な「HSK」も、ここ北京語言大学で開発、研究され、運営もされています。「HSK」とは、母語が中国語ではない者(外国人、華僑、中国国内少数民族を含む)の中国語能力水準を検定するために設立された国家レベルの標準化試験のことです。同大学の正門正面にある一番主要な校舎には「新しい教育理念を創造し、今までの教育理念を強化し、中国語に関する国際教育の水準を高めよう」という趣旨の標語がかかっており、同大学の中国語教育に対する意気込みを感じることができました。

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 (2011年8月24日(水)日本時間 午前10:03 北京語言大学にて撮影

  

【HSKについて】

http://www.hsk.org.cn/Centerintro_J.html

【北京語言大学】

http://www.blcu.edu.cn/blcuweb/japanese/index-jp.asp 

 

 実際に私がキャンパスを20~30分歩いたところ(中国人の感覚からはかなり狭い敷地だそうですが、外壁に沿って歩けば優に1時間以上はかかる広大なキャンパスでした。)、欧米系、アフリカ系、アラブ系、アジア系など、ほぼ世界中といっても過言ではないほどに実に多彩な国からの留学生が見受けられ、ごくごく普通の姿で歩いている姿を目にしました。聞けば華僑の子弟の留学生もとても多く、学生の多様性という点で、英語学習のための語学留学とは明らかに異なる様相でした。学生の殆どはキャンパス内にある17棟の宿舎に住んでいるとのことです。一部の外国人留学生は別として、中国人学生は一部屋に6人から8人程度が一緒に住んでおり、文字通り4年間寝食を共にするわけですから、非常に強い絆が築かれるそうです。

 

 キャンパス内には、いくつもの教室棟や、大きなグラウンドや何面ものテニスコートやバスケットコート、立派な図書館があり、それらの基本的な建物等のほかにも、鉄筋5階建ての立派な巨大な食堂棟、売店、果物屋、コーヒーショップ、コンビニエンスストア、郵便局の出張所、理髪店、書店、温水プール付きのジム、カラオケ店、来客用の宿泊施設までありました。このように日常生活に必要なものがキャンパス内に揃っているので、数ヶ月全くキャンパスから出ないで生活する学生もいるそうです。

 

 さて、キャンパス内を歩いていた際、一人路上で円を描くように歩いている学生がいました。近づいてみると、ICレコーダーを片手に、必死にフランス語の教科書を暗唱していることがわかりました。多くのクラスメイトと一緒に住む部屋では勉強は捗りませんし、声を出しての暗唱は図書館でもできません。修行僧のように勉学に一身に打ち込む姿にとても感銘を受けた次第です。

 

 中国において、イラン系の学生をみることが時々ありますが、それはシルクロードを背景とするアーリア系中国人が往々にして大学に入っているからです。

 中国では大学に入るということは、実は非常に厳しい、難しいことです。大学のランキングが公然とされており、また成績が優秀でないととても入学が許可されません。北京語言大学周辺では10以上の大学が隣立していますが、「それらの大学は80点以上でないととても入れない」という王建寧先生の説明がありました。要するに、古から中国社会は選抜社会ですが、現代の中国においても、きわめて厳しく選抜が運用されているということです。なかでも一番厳しい選抜が行われているのは、共産党の党員です。要するに共産党は優秀な人材の教育・育成のため精力的に力を注いでいます。これが、中国共産党のリーダーシップの源泉となっているのでしょう。そして、そのことが、実は共産党を一党独裁ながらも、なお国民を指揮する、政権を維持する原点となっているということに気づかなければなりません。

 

 

(2)朝陽公園 

 

 

 8月24日(水)、(1)の北京語言大学を訪問した後、午前10時から20分間、北京市朝陽区にある「朝陽公園」を散歩しました。

 南北の長さは約28キロで、東西の幅は約15キロと、総面積280ヘクタール以上もある大きな公園でした。280ヘクタールというと、私も折々朝の散歩に訪れる東京都千代田区の日比谷公園は約16ヘクタールですから、日比谷公園の17倍以上の広さです。北京市四環以内の最大の都市公園だそうで、1984年に工事を開始し、20年後の2004年9月15日に公園全体の開放を開始したそうです。

【参考】

http://bciw.bjchy.gov.cn/feature/chypark.html

 

夏のことで少ししか撮影できませんでしたが、花を撮影しました。

 

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(2011年8月24日(水)日本時間 午前11:03 朝陽公園にて撮影)

 

 

(3)ABC Cooking Studio2号店・上海環球金融中心スタジオ 

 

 8月26日(金)午前11時、上海の浦東にあるABC Cooking Studio2号店・上海環球金融中心スタジオにお邪魔しました。同スタジオは東京でいうと「丸の内」のような場所にあり、上海市内で1番高いビルの2階にあります。 

 木下忍様、粟野幸恵様等のご案内を受けました。2号店が7月に開店されたばかりにも拘らず十分な成果を上げられ、すでに1500人近くの生徒さんを要しておられるとお聞きして、大変嬉しい限りでした。

 

 さて、6月17日付「気」のブログ第1回の記事にて、「男性と女性では生命力、つまりエネルギーが違い、女性のエネルギーこそ男性のエネルギーに勝る」といったことを書きましたが、ABC Cooking Studioでは、まさにこの女性のエネルギーを上手く活用されて、躍進に次ぐ躍進を遂げられています。私に同行してくださった知久信義様も、今回同店を訪問し、「女性がリーダーシップを発揮して生き生きと働き、ピカリと光った職場の姿」という印象をお話されていました。

 

 私は、2005年4月に同社で内紛が起こった以降、関与させていただいておりますが、見事内紛を克服され、当時は生徒数は8万人でしたが、現在では25万人もの方が料理を学んでいることは、まさに女性のエネルギーの賜物であると存じます。

 

 中国においては、5年で50店舗を開店される計画とのことですが、中国でも日本と同様に、女性のエネルギーを活用されれば、5年以内に達成されるものと確信しています。

 

 今後は、日本の市場は、破たん的な状況に陥ることは目に見えています。それ故、海外の市場はどの企業にとっても大切でありますが、ABC Cooking Studioと同様に、女性を活用することが必要でしょう。

 

 同店の女性達と一緒に写真をとりました。皆さん若々しくて元気はつらつでした。

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(2011年8月26日(金)日本時間 午後12:14  ABC Cooking Studio2号店・上海環球金融中心スタジオにて撮影)

 

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語言大学にて.JPG    (2011年8月24日(水) 日本時間 午前10:07 北京語言大学にて撮影)

 

 

(1)当事務所北京代表処 上席顧問 王建寧先生

 

 8月23日(火)、午前11時30分(日本時間午後12時30分)に、北京空港で、当事務所北京代表処 上席顧問 王建寧先生が私たち(当事務所顧問の知久信義様,有限会社セカンドステージ代表取締役社長鮒谷周史様が同行して下さいました)一行を出迎えて下さいました。王先生との出会いは、2003年2月で、まったく偶然のことといってよいでしょう。しかし、必然でもありました。私は、講談社から、2002年10月に、「中国で成功する人事労務の戦略戦術」という書籍を出版しましたが,王先生が、その書籍を読んで下さり、感激されて,わざわざ北京から、私の事務所に訪問して下さったのです。それ以来、9年来、ご縁をいただいています。

 

王先生.JPG 

(2011年8月24日(水)日本時間 午後16:02 王建寧先生)

 

 王先生は、東京 野村証券本店で10年ほどお仕事をされており、その後中国へ帰国され、中国の弁護士資格を取得され、日中友好のために弁護士活動をされています。派手な方ではありませんが,頭脳明晰な方で、かつ、コンプライアンスに徹底する、中国では珍しい弁護士でいらっしゃいます。私は、王先生を信頼しきっており、色々なことでご相談申し上げておりますが、直近のご相談は、小生の北京代表処に、中国人弁護士を新たに活用することであり、王先生のお知恵とお力をお借りしたいとお願いしていることです。当事務所萩原大吾弁護士が、今年6月中旬より8月末まで北京語言大学で中国語習得に励んでおられ、この9月から、北京代表処で勤務を開始します。萩原弁護士は、中国語を相当マスターしている弁護士ではありますが、萩原弁護士の支えとして、中国人の弁護士が必要であるのではないかと判断したからです。

 

 王先生は、私の北京代表処が黒字にならない限り、中国人弁護士を採用する必要はないのでは、という現実的なアドバイスをくださいましたが、私は、敢えてチャレンジして、中国人弁護士を迎え入れようと考えているのです。

 

 王先生のご趣味は、きわめて多岐にわたりますが、私の知っている限りでは、絵画、骨董等、美術に大いにご興味があるようです。私は、王先生から中国画(国画)の掛け軸をいただき、それを東京事務所の入り口にも飾っております。

 

 王先生の奥様は、汪文華様で、日本のNHKにあたる中国中央電視台においてプロデューサーを務められておられ、世界を股に活躍されています。この8月も、アメリカへ赴いてお仕事をされたそうです。汪文華様も、また非常に日本文化に理解のある方で、親日家でいらっしゃり、私は2年か3年に1回、東京でお会いさせて頂いております。直近では、今年の2月9日(水)に、東京都港区芝「とうふ屋うかい」にて開催した会食会でお会いしました。

 

 王先生に見守られて、今後北京代表処は発展していかなければならない時期にいると改めて感じました。というのは、北京が3か月前の状況と変わって、更に一層発展しているからです。私の講談社の書籍をきっかけにして、王先生の日中友好へかける思いが、今日の私とのご縁をもたらしてくださったのですから、これを実りあるものにするには、私も高齢ではありますが、引き続きの努力をさせていただくとともに、新しく赴任し勤務を開始する萩原弁護士が、大活躍することが必要であるでしょう。

 

 中国社会は非常にナイーブな状況ですが、しかし,共産党政権を変えてでも、改善しようという意向は大衆にはありません。共産党政権こそが、今後も中国社会をリードしていくものであるという意識で、大衆が対応しているのではないかと拝察しております。その意味において、中国の民主化への歩みは遅々としておりますが,期待している次第です。

 

10月26日~29日にかけて、私は台湾へ赴く予定ですが、王先生もお招きいたしました。その際の王先生とのやり取りは、改めて本ブログに掲載させていただきます。

 

 

(2)三井住友銀行(中国)有限公司 北京分行 金 昌雪様

 

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(2011年8月24日(水)日本時間 午後12:16 金昌雪様)

 

 24日(水)11:00頃,三井住友銀行北京分行の金昌雪様にお会いしました。久しぶりに三井住友銀行にお邪魔しましたが,私が以前お邪魔した2008年8月には,25年も使っている今に比べれば小さな事務所でしたが,本日お邪魔した新しい事務所は大変立派なオフィスになっていました。

 

 三井住友銀行(中国)有限公司は,三井住友銀行の全額出資により,2009年4月27日(3年前)に正式に中国政府から認可をとり,金融機関として認められました。上海に本店をおき,中国全土に8つの支店と4つの出張所,2つの駐在員事務所があり,大々的に事業を行っています。上海の本店には,600名の行員を抱えているそうですが,蘇州支店は200名,広州支店は150名で,北京支店は少なくて60名とのことでした。

 

 金様と初めてお会いしたいきさつは,当事務所初代中国室顧問であった足代清様でした。足代様とは,銀座のバーでお会いしました。いつも静かにお酒をたしなまれて,長居している足代様と,ひょんなことからお話しを交わすようになり,「一度住友銀行の東京本部においで下さい」とおっしゃるので,住友銀行東京本部(現三井住友銀行大手町本部ビル)にお邪魔しましたところ,もう足代様は定年を迎えられ国際総括部の顧問でいらっしゃったにも拘らず個室をお持ちでした。当時個室を持っていたのは,頭取・巽外夫様と足代様だけだったと思います。

 

 足代様が三井住友銀行を退職された後,1997年に足代様を当事務所顧問に迎え,その翌年だったと思いますが、元部下であった金様を北京でご紹介していただきました。金様も,足代様も,お酒が好きな方ですが,酒席が縁で,このような深い縁に恵まれ私の人脈が繋がっていくことは素晴らしいことだと思います。

 

 ご紹介いただいた当時課長であった金様は,その頃から極めて巧みな日本語で,日本人と遜色のない,むしろ日本人以上にコミュニケーションの良くとれる方で,将来出世するな,と確信しておりました。まさにその通りとなり,北京支店の副行长となられ(行长は日本人の方です),また,总行行长経理助理(三井住友銀行中国有限公司の社長補佐)をされておられます。わずか10年でトップに上り詰めたことは,本当に素晴らしいことですが,ご苦労も,ご心労も多かったことかと思います。しかし,それを意識させない軽やかな口調でお話を続けられる姿にはいつもながらに感銘を受けていました。

 

 金様との思い出は,仕事の上のことではありませんが、中国の社会情勢を色々と教えていただいています。

  

 金様が課長時代に,私が北京の中国法学会で講演した際も,サポートしていただきました。そのとき中国法学会から与えられていたテーマは,弁護士以外の日本の資格者について述べるというものでしたが,司法書士,行政書士,社会保険労務士といった様々な資格者を紹介しました。その話を聞いてくださった金様が,「将来,定年後は行政書士の資格を取得したい」とおっしゃったことに驚きました。中国には行政書士という資格はありませんでしたが、いかに金様が勉強家であるか,よくわかると思います。

 

 さて,金様は三井住友銀行の本店で研修を受けるため度々日本にいらっしゃったこともあり,日本文化にお詳しいのですが,私を北京のそごう百貨店にある吉野家に連れて行ってくださったことが印象深い思い出です。牛丼をいただいた後,金様が私に,「この牛丼は少し変ではありませんか」と質問されたので,私は「いえ,美味しかったです」と申し上げたら,「この吉野家には紅ショウガがないのです」とおっしゃいました。それを受けて,私はその後,実際に,吉野家の社長にその事実をお伝えし,それを受けて吉野家が調べたところ,北京そごう店では,紅ショウガは横流ししていた上に,日本から輸入した純正の醤油ではなくて,安ものにすりかえていたことが判明したそうです。

 

 この他,金様とお話をする際は,何かと食べ物の話が多いのですが,金様のお子様がお寿司を食べたいとねだるので,週末にはお寿司の話が話題に上らないよう苦労されているという微笑ましいお話をお聞きしました。どうやら,お子様がお友達とお寿司屋さんのお話をされているそうで,どこどこのお寿司が美味しかったというお話を聞くと,金様に連れて行ってもらえるようねだられるそうです。このように,北京でも大変な寿司ブームが続いていたようです。日本では寿司文化,寿司職人は少し廃れつつあると聞きます。日本人はものづくりというものに対して,消極的になっています。言ってみれば,株やファンドといった心身に技を磨かない世界で生活する人が多くなっていて,これを解決するには,子弟を教育する制度を大幅に改革しなければなりません。

 

金様は,本年2月に満60歳の定年を迎えられましたが,会社の希望と御本人の希望とが合致して,あと3年の契約をされたそうです。私は,金様の人間性にいつも感心しております。一度日本の三井住友銀行本店の,金様を支えてくださっている方にお会いしたいと思っています。金様を高く評価されている,三井住友銀行の中枢の方にお会いすることが,日中友好に資するものであると信じているからです。具体的な氏名はここで明かすことはできませんが,金様が来日した際はその方とご一緒にお食事をしたいと申し上げました。

 

 

 

(3)画廊上海華氏文化発展有限公司 「華氏画廊」 華雨舟様

 

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(2011年8月26日(金) 日本時間 午前9:54 華氏画廊にて撮影)

 村上画伯(2).JPG(2011年8月26日(金) 日本時間午前9:56 華氏画廊にて撮影)

 

 8月26日(金)午前9時に,上海市准海西路にある華雨舟様の画廊「華氏画廊」へ訪問しました。私たち一行が画廊に到着したおり,華様はすでにお待ちくださっていました。26日は,台北でのアートフェア―に出席されるご予定だったということですが,26日に先立ち,20日に東京六本木で華様とお会いした際に、私が26日にご訪問させていただくことを申し上げたところ,台北行きを27日に変更して下さったのです。

 

 すなわち8月20日(土)は、午後19時から1時間30分ほど、東京六本木で華様にお会いしました。浦上蒼穹堂の浦上満様とご一緒に会食会を開催しましたが、美術の話で盛り上がったことはいうまでもありません。

 

浦上蒼穹堂HP http://www.uragami.co.jp/

 

 その会食会で華様は、将来日本の古い明治以降の画家の美術館を日本に作りたいと言うお話をされていました。また、その古い日本人の画家に学んだ戦前の中国人の多数の画家の作品も、その美術館に置きたいとお話しされていました。大変立派な目標を持たれていて、関心いたしました。

 

 また,華様は、アジアの中で一番安定している国は日本である、規則をよく守る国も日本である、将来は決して暗くなく、明るいものである、というお話を盛んにされました。そのことは、日本人の認識とはまったく異なるものでした。

 

 さて,華様は、1963年上海生まれで、1994年に東京都町田市にある和光大学人文学部芸術学科を卒業されましたが、そもそもは、画家になる心づもりでいらっしゃいました。しかし,自ら、画家としての才能が足りないということを悟られて、その後画商に転じられた方です。

 

 華様は,画廊上海華氏文化発展有限公司の代表で,「華氏画廊」のオーナーでいらっしゃいます。また,上海国際商品拍賣有限公司(オークション会社)の副総経理でもいらっしゃり,他の多くの美術商の方々に推薦されて副総経理になられたそうです。世界を股にかけたオークション等で活躍されています。

 

 私は、華様のご自宅を度々お邪魔させていただいておりますが,中国には珍しく、立派な一戸建てのお住まいで,それは、美術商として極めて精力的に励まれていたからにほかなりません。

 

 華様と私は1998年8月に初めてお会いしました。その時は、「華氏画廊」は上海仙霞路の小さなビルにありました。画廊に偶然小生が飛び込んで、お会いしたのです。

 

 そこには,王向明画伯の絵がありました。かつて、私がシンガポールに赴いた際に、ふらふらと画廊に寄り、素敵な絵を発見しましたが、それが王画伯の絵を見た初めてのことでした。その後、台北に行った際に、またまた画廊に寄り、そこで「California on the beach」という名前の、半抽象画の王画伯の絵を購入しました。これが王画伯の絵を入手した最初のことでした。この経緯を華様にお話ししたところ,まもなくして、南京西路にある王画伯のアトリエへ,華様のご案内で訪問することになりました(華様は,王画伯に今から15年前,1996年頃からご面識をお持ちでした)。今では,王画伯は、売れっ子画家として、中国でも相当の地位にいらっしゃる方ですが、こういったご縁で、私も王画伯の絵をいくつか、所有するに至りました。

 

 さて,その後、華様は、発展に発展を遂げられ、5度も画廊を移転され、「華氏画廊」はどんどん大規模な画廊になっていかれました。現在の「華氏画廊」は上海市准海西路にあり,上海博報堂のビルの隣にあるビルで,2年前にオープンされました。今では2000点を超える美術品を買い取り,保有されています。

 

 華様が評価され成功されている画商である一つの理由は,現実に作品を「購入して」画廊におき,それを評論される点にあると思います。日本の銀座には「華氏画廊」のような規模の画廊は存在しないし,そもそも,日本のほとんどの画廊に置いてある作品は「委託」であって,画商は買い取ってはいません。(この点,浦上蒼穹堂の浦上満様は,華様と同じく作品を「買い取って」いらっしゃいます。)

 

 8月26日には,個人コレクションとして集められているものも写真で見せていただきました。素晴らしい作品ばかりで,優に日本の美術館に匹敵するものであると拝察いたしました。私に同行してくださった知久信義様の弟様の知久正義様は画家であり,それゆえ知久信義様は審美眼をお持ちですが,華様のコレクションには心底驚いていらっしゃいました。

 

 さて,「華氏画廊」には,前回訪問した時(今年5月14日)よりも多くの村上隆画伯の絵が1階フロアーに展示されておりました。華東地区の代理店として販売活動に力を入れていらっしゃると言うことでした。村上画伯は,アジアにおけるモダンアートの旗手として世界的に活躍されており,ニューヨークのサザビーやロンドンのクリスティーズにおいて,最高級の評価を受けている方です。

 

 村上画伯の本画は,何千万円という価格であったため、到底私には購入できませんでしたので、前回5月14日には,村上画伯のリトグラフを二枚購入し(このリトグラフに、署名が無いゆえに,本物であるかどうかは定かではありませんが、私はそのリトグラフから「気配」を感じて、購入しました。),今回26日には,村上画伯の署名入りの自画像をリトグラフで購入しました。村上画伯の自画像はとても珍しいのです。2万元を切ると言うことでした。

 

 また,その他にも,26日には四川大学出身の若い作家の絵を1枚購入しました。これは,日本の美術館はもとより画商には,とても受け入れられないような,かなり先駆的な絵です。しかし,私はそこに「気配」を感じて購入したのです。「かなり先駆的」と言っても,「華氏画廊」にあるというだけで,それはそれなりの評価があるということではありますが。

 

 絵の持つ「気配」については,8月23日、私が今回中国へ向かう機内で読んだ、同日付日本経済新聞朝刊最終面「私の履歴書」の中で、日本画家の小泉淳作先生が、「じっくりと向き合い写生して、風景や静物が発する、生きている『気』をとらえたかった」と述べられていました。私は7月15日付ブログ記事「気を入れて」の記事内で、【気配を伝えるべく「気を入れる」ことが芸術家の仕事】という見出しで、東山魁夷先生の絵のことに触れ、それぞれの絵がもつ「気配」について述べましたが、まさにその通りであると思いました。

 

 また,草間彌生様の作品についてもお話が及びましたが,私がいささか草間様から昔譲っていただいた作品があると申し上げたところ,華様は是非譲って下さいと繰り返しおっしゃられて,今後またご訪問させていただくときに,そのお話しがあると思います。草間様の作品はいまや世界的に評価され,モダンアートの画家のひとりとして大活躍されていることは皆様もよくご承知のことだと思います。

 

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水の気

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(8月21日(日) 午前8:57 東京都文京区小石川植物園にて撮影)

 

  8月12日付記事「大地の気(1)」、19日付記事「大地の気(2)」にて、「植物」にも気がある、「石」にも気があるというお話をしましたが、今回は人間を含む全ての生命体にとって必要不可欠な存在である「水」についてのお話をしていきたいと思います。

 

 

【水の種類】

 まず、少し水の種類について説明しますと、水には「硬度」というものがあって、硬度とは水に含まれるカルシウム濃度およびマグネシウム濃度で表される指標のことです。

 

 自然の濾過水、つまりミネラルウォーターとして市販されているものには軟水も硬水もありますが、日本では軟水の方が好評だそうです。軟水は一般的にくせがないのでそのまま飲んでもおいしく、料理をするのにも適していますが、硬水は、ミネラル成分が多く含まれているものの、くせがあり、そのまま料理に使うにはあまり適していないようです。私も軟水の方を好んでいます。

 

 

 水はアルコールと同じようにものの香りや味を引き出しますが、その力は軟水の方が強いと言われています。よって、コーヒーやお茶、ウイスキーなど香りを求めるものには軟水の方が美味しいと言われます。また、昆布やカツオのだしでは軟水がうまみを抽出しやすいようです。

 

 逆に、肉料理は抽出力の強い軟水では嫌な肉の臭みまで出てしまいます。よって硬水を使うと肉のタンパク質とカルシウムが結合してアクとして抜けて、いい味が出るそうです。欧州、それもイタリアなどで中心に飲まれてきた深煎りのエスプレッソは硬水を用いることで渋みの成分がカルシウムなどに結びついて、苦み・渋みが除かれて、まろやかさやコクが加わるようです。

 

 このように、水は欧州では硬水中心、日本では軟水中心として料理や色々なものに関係し、歴史を作ってきているのです。一概に硬水・軟水のどちらがよいといえるものではなく、用途により使いわけるのがよいでしょう。

 

①体に必要なミネラルがほどよく含まれており

②飲んでおいしいと感じ

③体に悪影響を与える物質を含まない

④イヤな臭いがない(カルキ臭・カビ臭など)

 

水が、質のよい水だそうです。ちなみに、人が一番おいしいと感じるのがミネラルバランスの整っている水(軟水、硬水に限らず、理想的なミネラルバランスはカルシウムとマグネシウムが2:1であるといわれているようです)だそうです。

 

【参考】

http://www.volvic.co.jp/volvic/water/delicious.html

http://goods02.info/water/water01/post-3.html

http://www.aquabar-style.com/literacy/literacy06.html

 

 私の知人である株式会社フロンティア(ペットボトル製造機器メーカーでありペットボトル並びにプラスチックボトル生産の総合コンサルタントなどを業務内容とされています。長野県上田市小島所在。)代表取締役社長 中村喜則様に「名水」についていくつかご教授いただきましたので、ブログの読者の皆様にも知っていただきたく、ご紹介します。

株式会社フロンティア http://www.frontier-inc.co.jp/

 

(1)   北海道の黒松内銘水のミネラルウォーター
…黒松内町は、北海道後志支庁管内の南部に位置し、日本海・太平洋に近く、札幌市、函館市それぞれから約140kmの位置にありますが、その昔堆積した貝殻層の下から取水している天然のアルカリ性ミネラルウォーターだそうです。

 

(2)   ブルボンの天然名水出羽三山の水
…出羽山、月山、羽黒山の霊峰から流れ出た地下水を取水しているミネラルウォーターとのことです。

(3)   JT(テーブルマーク株式会社)の越後の名水

…谷川岳の雪解け水がしみ込んだミネラル水で、軟水で飲みやすい水とのことです。

(4)「白神山水」(藤里開発公社<秋田県藤里町が経営母体の会社。環境庁

の特別許可を得て取水しているそうです。>白神山水の館が製造販売)

…世界遺産・白神山地のブナ林から浸漬(しんし)して出ている美味しい水とのことです。

 

 

【「気」のある水】

 さて、「気」は、6月17日付記事(「気」をテーマとしたブログ第1回「宇宙に存在する『気』」)で述べたとおり、森羅万象宇宙空間一切の事物に関わりをもっています。自然現象である気象、気候、天気、四季、満月、大潮なども、一種の「気」の流れでもあるでしょう。地球は「水の惑星」と表現されるほど水が豊かですが、私たちが飲む水は、気象、気候、天気といった「気」の流れによって雨が降り、それが地中にしみ込んだものです。雨水は、地上に降ると、土砂(石、岩を含む)を通じて、伏流水(河川の流水が河床の地質や土質に応じて河床の下へ浸透し、水脈を保っている極めて浅い地下水)となって、やがて清水となって、そして人間の飲める水となります。

 

 このように、自然水は土砂(石、岩を含む)に濾過され、つまり大地の「気」を濾過しているのではないでしょうか。水は岩を、土砂をくぐり抜けてきます。それは石、岩の「気」、土砂の「気」をも経ているということでしょう。水を吸い上げる植物にもこうした「大地の気」で濾過された自然水というものが影響を及ぼすと考えられます。8月12日付記事「大地の気(1)」でもご紹介したランドブリーズ渡辺憲司様によると、例えば苔を育てる際、塩素などで殺菌された水道水を使うのは絶対にダメだというように、全ての植物は、やはり井戸を掘ってその水を利用するなど「大地の気」で濾過された自然水で育てるのが一番とのことです。

 

 

【「水」は記憶する】

 さて、「気のある水」について述べましたが、実は「水」は記憶するという説があることをご存知でしょうか。

 

 この「水は記憶する」という説は、「気」という意識エネルギー(言い換えれば「想念」、人の想い)が、水に何らかの影響を与えているという推測から研究されている説です。心の在り方が他人に影響を与えるように、周囲の物質にまで影響を与えるということが考えられるそうです。また、共鳴・共振の原理により、その「気」を発する人の周波数によって、周囲の物質(この場合は水)が共鳴・共振する、ということが考えられるそうです。

 

 共鳴・共振とは、同じ分子構造を持った物からは同じ性質の電磁場が出ていて、2つの物質が同じ分子構造の場合、両者の間に「共鳴・共振現象」が起こることをいうそうです。たとえば、鍼灸医療等でつかわれるO-RING(オー・リング)の検査方法において、ある特定物質のサンプルを手に持って検査したとき、患者の生体内に同じ物質がある場合、指の筋力が弱くなり、O-RINGが開くという結果がでますが、これはこの共鳴現象の1つの例だそうです。7月19日付【交友録その2】で紹介した矢山クリニックではすでに実践されています。

 

 話を元に戻しますと、「水が情報を記憶する」可能性については、学術的証明が現時点では難しく、経験的な現象に基づいて仮説を立てている状況だそうです。国際波動友の会代表江本勝先生は、ご著書「水からの伝言」に水の結晶写真なるものを掲載しておられますが、残念ながらこれらは氷が解ける瞬間の結晶写真とのことです。つまり、氷の結晶写真ということになります。水の構造は1兆分の1秒で変化しますので、写真に撮ることは不可能だそうです。しかしながら、意識や言葉(言霊)が水を含めた物質にあるいはエネルギー体に、良きにつけ悪しにつけ、影響を与えうるということを世間に知らしめた功績は大だと評価されているそうです。

 

 また、私の講演等をよく聞いて下さっている村田ボーリング技研株式会社 取締役会長 村田保様の会社の「社長ブログ 溶射屋」2007年12月4日付記事では、この「水からの伝言」で紹介されていた実験を、実際に試されたことをご紹介されています。2002年12月8日にご飯をいれた二つのビンを用意し、片方のビンにはビンに“プラス言葉”(ありがとうございます、感謝、おかげさま、等の言葉)を書いた紙を貼り付け、もう一方のビンには“マイナス言葉”(ばかやろう、死ね、等)を書いた紙を貼り付け置いておいたところ、5年後に、“プラス言葉”の紙を貼り付けたご飯は白いままで、“マイナス言葉”の紙を張り付けたご飯は腐った状態は通り越してご飯とは思えない真っ黒なカリカリ状態になったということです。お米を炊くと、つまりご飯にすると、水分は4割を占めるそうです。ご飯が含有する水が、言葉の持つ「気」のエネルギーを記憶し、それがご飯に影響しているのではないでしょうか。

 

村田ボーリング技研株式会社ブログ 「社長ブログ 溶射屋

http://www.murata-brg.co.jp/weblog/

 

 

 さて、こういった実験の結果があるにしろ、「水が情報を記憶するか否か」を現時点で、100%解明することは極めて困難であるとのことです。かつて、ニュートンはリンゴの実が落ちるのを見て、「月はなぜ落ちてこないのだろう?」という疑問から、万有引力の法則を発見しました。理論化できたのは、それから22年も経過した後であったそうです。「初めに結果ありき」、水の情報記憶のメカニズムも近い将来解明できる日が来るものと、私は科学には素人ではありますが、その可能性を信じています。

 

 

 

【「気」等に関連した医学の今後の取り組み~水の秘めたる可能性】

 

 人間の体はほとんどが水でできており、胎児で体重の約90パーセント、新生児で約75パーセント、子どもで約70パーセント、成人では約60~65パーセント、老人では50~55パーセントが水で満たされているそうです。この数値からも、人間と水とは切っても切り離せない関係であることを痛感しますが、実は「気」のある水を飲むことが大切です。

 

 会議の席では、お水やお茶が用意されています。そして、会議中に、この一杯の水を飲む、お茶を飲む、ということは、ごくごくありふれた光景です。水分を含むと、リラックスできて、会議といった緊張した場面で一呼吸置く、一息つく、ということができるといわれています。これは、一般的には水に含まれるカルシウムやマグネシウムに鎮静作用があるため、といわれているそうです。また、お茶については、緑茶に含まれているアミノ酸の一種であるテアニンが、リラックス効果のある成分であるといわれているそうです。

 

 もちろん、カルシウムやマグネシウム、テアニンによる鎮静作用もあるかとは思いますが、水の有する大地の「気」が、一口含むことによって自分の身体に伝わり、宇宙の力により、緊張がとけ、自分の「気」が通りやすくなるということではないかと思います。そしてそれは新しい発想が生まれるということにも繋がります。そしてお互いの気の交流を容易にして、コミュニケーションの充実にも繋がるのではないでしょうか。

 

 さらに深く考えれば、神前式の結婚式で行われる三三九度の杯(正式には三献の儀と呼ばれます)があります。お神酒を一つの器で共飲することは、一生苦労を共にするという誓いを意味しているそうです。つまり、お互いに「親和性」が生まれると言うことではないでしょうか。お神酒という、同じものを口にすることによって、新郎と新婦の「気」が通じ合うのではないでしょうか。

 

 また、水の音は人間の心を落ち着かせ、鎮めます。それは、人間と水とは波長が合うからではないでしょうか。そもそも人間は海の生物から進化して誕生したと言われていますが、それも理由でしょう。

 

 

【参考】「水と生きるSUNTORY」 HP

http://www.suntory.co.jp/company/mizu/

 

 さて、間中喜雄先生の「身体の中の原始信号」(1990年、地湧社)の11ページに、「私たちの身体には三十億年分の記憶が秘められていて、」…「決して脳や神経系だけで考え感じているのではない」との記述があります。さきほども述べたように、私たちの体は多くを水が占めています。私たちが「記憶」と呼んでいるものは、私たちの脳や神経系だけで考えているものだけを指すのではなく、身体の中の「水」も、様々な情報を記憶していると言えるのではないでしょうか。

 もし、水が情報を得て、それを体内に伝達するという仮説が成り立つならば、例えば、モーツァルトの曲など、気持ちが落ち着く曲を聴かせた水は、それを記憶して、その水を飲んだ人間を落ち着かせる効果なども期待できるでしょう。そしてモーツァルト等を聞かせた山野草の成長は他の音楽を聴かせない山野草より著しいそうです。

 

 このように、「水」には、まだまだ科学的に証明できないような秘めたる可能性が大いにあります。代替医療、補完医療、統合医療、ホメオパシー医療、ホリスティック医学など、精神性や霊性の生命の本質に迫る医療や新たな医学分野である「振動医学」等々にこういった「水」の秘めたる可能性を利用した取り組みを導入するのも、決して夢幻ではないのではないでしょうか。

 

「振動医学」とは

…全身の器官や組織、細胞の一つ一つに生命力を与えているエネルギーの流れが何らかの理由で衰え、エネルジェティック(エネルギッシュ)な滞りができると、そこに病や障害が発生しやすくなります。その滞りを取り除き、エネルジェティックな流れを回復するために、波動を用いるドイツで誕生した医学。

【参考】http://www.subtle-eng.com/annai.html

「最新ドイツ波動健康法」(ヴィンフリート・ジモン著 現代書林発行 2008)

 

 幸いにも日本の医師の約8割は、漢方薬をはじめ、何らかの東洋医学を診療に採用するに至りました。しかし、まだまだ西洋医学が主流であることは否めないことです。「気」という怪しげにもとれる考え方ではありますが、西洋医学一辺倒の先生方でも「気を失う」「気を確かに」「気をつけて」といった「気」という言葉を、日常茶飯事にすなわち頻繁に使っているのがある意味では笑えるところです。恐らく西洋医学の先生方も無意識にでも「気」が存在すると思っておられるのではないでしょうか。

 

 

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 8月13日(土)午後15時から15日(月)の早朝まで二泊三日で、栃木県佐野市にある一乃館において夏休みをとることになりました。大都会の喧騒を離れて、静かな癒しのひと時で、ちょっと嬉しい旅になりました。8月16日付で更新した8月第2週<8月7日(日)~8月13日(土)>の交友録でご紹介した開倫塾の林明夫様とは、年3回ほど折に触れて、温泉旅館で一緒に半ば合宿のような勉強会をかねて休暇をとります。今回は、有限会社セカンドステージ代表取締役社長鮒谷周史様も参加して下さいました。

 

 林様、鮒谷様との話の内容は雑談を含め多岐に渡りましたが、特に開倫塾の「改革の方向性」ということを意識して話が進みました。

 

 私からは、私の最近のテーマのいくつかの中の「ヒューマン・ワーク」と「共同体理論」を中心としてお話をさせていただきました。そして、それは、私の「リーダーシップセミナー」のレジュメの充実に資するためであることは言うまでもありません。

 

 さて、今回の「歴訪記その2」では、この夏休みに訪れた色々な場所についてご紹介させていただきます。

 

 (1)ホテル 一乃館

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(8月13日(土)午後15:53 一乃館のエントランスにて撮影)

 

 

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(8月15日(月)午前5:31 ホテル一乃館にて撮影)

 

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(8月15日(月)午前5:31 朝靄の出流原弁天池を撮影)

 

 

 今回も宿は「一乃館」(栃木県佐野市出流原)を利用しました。一乃館のある佐野市は、日光例弊使街道の宿場町としてさかえ、現在でも明治・大正時代にタイムスリップしたかのような街並みが続き、田園風景に満ち溢れていて、大変心地よい場所です。一乃館の館内は、まさに「大正ロマン」を感じさせる造りになっています。また、敷地に面して、「出流原弁天池」という、1956年に県文化財天然記念物に指定された周囲約138メートルの池があります。この池は、年間を通じ一定の水量(2400㎥/日)、水温(約16度)が保たれており、この湧水は1985年環境庁選定の「名水百選」にも選定されました。

 

ホテル一乃館 http://www.ichinokan.co.jp

 

 

 

(2)ココ・ファーム・ワイナリー 

 

ココファーム.JPG

(8月13日(土)午後16:37 ココ・ファーム・ワイナリーの葡萄畑を背に 左から 林明夫様、私、鮒谷周史様)

 

 

 8月13日(土)午後16:20頃から1時間程、足利市田島町にある「ココ・ファーム・ワイナリー」という醸造場へお邪魔しました。

 

 ココ・ファーム・ワイナリーの経緯は、1950年代、計算や読み書きが苦手な子どもたち(中学校の特殊学級)とその担任をつとめていた故・川田昇様(2010年12月17日に逝去)が、急斜面の山を切り開き、600本余りの葡萄の苗木を植えたことにさかのぼります。この山は、当時知的障害者と呼ばれていた子どもたちのために、「共に生きる道をさぐりたい」との思いで、川田様が私財を擲って購入されたそうです。

 

 1968年には、川田様は補助金なしの自力で、知的な障害を持つ人たちの為の「こころみ学園」の施設づくりに奔走し、翌年、成人対象の知的障害者更生施設として認可がおりました。1980年には学園生の親らが出資して、有限会社ココ・ファーム・ワイナリーを設立、1984年、ついに「ココワイン」が完成したとのことです。このように、社会と、学園生との共生のために様々な施策を成功させ、広く社会の模範となった川田様は、お亡くなりになる8カ月前の2010年4月に、財団法人吉川英治国民文化振興会より、第44回吉川英治文化賞を受賞されました。川田様は受賞を大変お喜びになり、同賞受賞の言葉として、「思いがけない受賞の知らせに冥土への土産をいただいたような気がします。」と述べられたそうです。

 

 ココ・ファーム・ワイナリーも、8月16日付「【交友録 その6】8月第2週<8月7日(日)~8月13日(土)>」でご紹介した霧島高原ビール株式会社(山元正博会長)と同じように、観光客を呼ぶに相応しい施設でした。当然、ワインを中心にしている施設ですが、美味しいケーキをいただくことができたり、珍しい葡萄のお酢や、ノンアルコールの飲み物も用意されていました。

 

 「コツコツとした伝統的な手仕事を大切に、葡萄本来の持つ魅力を確かな醸造技術で誠実に引き出していくこと。一杯のワインが、今日あることの喜びのためにありますように。」とのお言葉がパンフレットに紹介されていました。何種類かのワインを試飲をさせていただきましたが、そのお味は、この後にご紹介します総合文芸誌「足利文林」(第74号-2011年5月28日発行)の中で発行人の中島粂雄先生が「こころみ学園や、森と沼のある谷、そこで作られる人々の苦悩や怯えを癒す不思議な味の極上のワイン」と賞されています。わたしも、川田様のご意志を受け継がれた「ココワイン」を作る皆様の想い(現在、学園の理事長と施設長は川田様のお嬢様お二人が引き継がれているそうです)がワインにしっかりと染み出ていると感じました。ワインだけでなく、ケーキもいただき、少しばかりリラックスさせていただいたいっときでした。「ココワイン」は、2000年開催の九州沖縄サミット、2008年開催の北海道洞爺湖サミットでもふるまわれたとのことです。

 

 ココ・ファーム・ワイナリー http://www.cocowine.com/

 

 

 

(3)巌華園(がんかえん) 

巌華園.JPG

(8月13日(土)午後17:41 巌華園入口を撮影)

 

 8月13日(土)午後17:40頃から20分間ほど、足利市月谷町にある旅荘「巌華園」にお邪魔しました。巌華園は、作家の檀一雄や、洋画家岡本太郎、俳優森繁久弥等、多数の著名人が訪れた歴史ある旅館です。また谷文晁作庭、渡辺崋山命名とされる、素晴らしい庭園でも有名で、2006年(平成18年)には、庭園文化の展開を知る上で貴重な事例として栃木県初の国の名勝に登録されたそうです。

 巌華園 http://gankaen.it-b.com/

 

 さて、巌華園に訪れた理由は、先にご紹介した「足利文林」(1980年創刊の31年の歴史を持つ総合文芸誌。)を発行している中島粂雄先生にお会いするためです。中島先生は、巌華園のオーナーも務められています。「足利文林」の創刊者である,県文化功労者の詩人、三田忠夫様が1996年に亡くなられた後、中島先生が発行人を引き継いでこられたとのことです。

 

 18:00頃に巌華園を出ると、「迎え盆」ということで、老若男女の人々がろうそくに火を付けて、提灯を持って家路についているのが目につきました。

 

 お盆とは、先祖供養の儀式で、先祖の霊があの世から現世に戻ってきて、再びあの世に帰っていくという日本古来の信仰と仏教が結びついてできた行事だそうです。「迎え盆」というのは、多くの地方では毎年8月13日に行われ、お墓の前で盆提灯や盆灯籠を灯し、お墓から家まで精霊を案内し、精霊を家に迎え入れるそうです。14日・15日の2日間は、精霊が家に留まっている期間ですので、仏壇にお供え物をして迎え入れた精霊の供養をするそうです。3日後の16日の夜に、精霊は再びあの世へ帰っていきます。この時、迎え火と同じように今度は「送り火」を焚き、再び帰り道を照らして霊を送り出すとのことです。

 【参考】http://iroha-japan.net/iroha/A01_event/10_bon.html

 

 「迎え盆」も「送り盆」も、どちらも夕方に行うようです。田舎では未だに見られる風景ですが、徐々にこういった風習はなくなりつつあります。

 

 その後、18:15頃、足利フラワーセンターによりました。何枚か写真をとりましたが、夜の花を撮影したのは,ブログを作成しはじめて以来初めてのことでした。その後、夜の帳の佐野の町を自動車で移動し、一乃館へと戻りました。夜の風景も、まさに、日本のかつての田畑、街並みをイメージするに十分でした。

 

フラワーセンター.JPG

(8月13日(土)午後18:26 足利フラワーセンターにて林明夫様と撮影)

 

 

 

(4)開倫塾 足利中央校 

 

 8月14日(日)午前9:40頃、開倫塾の足利中央校へお邪魔し、10数名の生徒の皆様にご挨拶をさせていただきました。「勉強とは達成感を味わうことであるが、そのことによって新たなチャレンジ精神が生まれ、次なる目標を定めて取り組む気構えができる」という旨をお話しいたしました。10時10分に辞去しました。(開倫塾については8月第2週<8月7日(日)~8月13日(土)>の交友録もご覧ください。)

 開倫塾.JPG

  (8月14日(日)午前9:45 開倫塾 足利中央校の教室にて 左から足利中央校校長 羽鳥正彦様、私、鮒谷周史様と共に撮影)

  

 

 

(5)日本最古の学校 足利学校

足利学校.JPG

(8月14日(日)午前10:24 足利学校「入徳門」にて鮒谷周史様と共に撮影)

 

 8月14日(日)午前10時20分頃、足利学校を訪れました。今年は、足利学校の復原が完成して20年になると共に、足利市制90年、足利学校中興の祖・上杉憲実(うえすぎのりざね)生誕600年という区切りの年とのことで、「足利学校復原20周年~守り伝えられた学問の場~」展も開催されていました。

 

 

 皆さんもご存じの通り、足利学校は、日本最古の学校として知られています。足利学校の創建の時期については、いくつかの説があるそうですが、学校の歴史が明らかになるのは室町時代中期以後です。また戦国時代には全国から多くの学徒が集まり、江戸時代にも徳川幕府の庇護を受けて継承されてきました。

 

 足利学校の建物は、全て木造の建築で、素晴らしい日本庭園がありました。本ブログで8月12日付、19日付で「大地の『気』」というテーマの記事を執筆しておりますが、この足利学校はまさに大地の「気」が充満した癒しの地でした。足利学校は、天文年間 (1550年頃) の全盛期には学生数3000人という規模を誇ったそうで、キリスト教宣教師・フランシスコ=ザビエルによって「日本国中最も大にして最も有名な坂東(奈良時代の律令制における足柄坂<静岡県駿東郡小山町と神奈川県南足柄市の境にある峠>より東の東海道のこと)の大学」と海外に伝えられるほど活気にあふれていたそうです。ここで昔の若者がのびのびとした心持で学問に身を入れていたことに思いを巡らすと、クーラーのきいたコンクリート造りの狭い部屋で勉強する今の若者に足りないものは大地の「気」であると思った次第です。

 

 

  

(6)栗田美術館 

栗田美術館(1).jpg

(大手門から見た陶磁会館<奥>とミュージアムショップ<手前右>)

 

栗田美術館(2).JPG (歴史館)

 

 8月14日(日)11時過ぎに、足利市駒場町にある栗田美術館を訪れました。これが私の3度目の訪問でした。

 

 私は1990年4月から1993年10月にかけて、「日経アート」に「法律税金相談室」を全43回連載しました。その第12回(1991年3月号)で、栗田美術館を「日本を代表する美術館」として紹介しました。栗田美術館は、故・栗田英男様(1996年没)の蒐集による伊万里、鍋島を館蔵する世界最大級の陶磁美術館として有名です。大きな特色として、江戸時代に世界中に分布した、肥前鍋島藩で生産された伊万里、鍋島のみを、再び買い求めて里帰りさせ展示するという偉業を果たし、また、伊万里と鍋島以外の作品に対しては一顧だにしない信念と一貫した思想を持った美術館です。今回3度目の訪問を果たし、日本一の美術館と呼ぶにふさわしいものだということを再確認した次第でした。

 

 しかし、私がお邪魔した時間には、駐車場に車が4台しかとまっておらず、お盆休み中とはいえども、はなはだ閑散としている印象を受けました。これは日本人が「文化」を愛する気持ちを失いつつあるということではないかと思いました。全国の美術館が経営的に喘いでいるとのことですが、これをどのように国家的事業として大切にしていくか、ということに改めて思いを馳せました。

 

 栗田様は、非常に女性に人気のあった方としても有名との話を聞いたことがあります。その詳細を明らかにすることはできませんが、美術館の展示場に1988年4月15日に米国の大女優、故エリザベス・テーラーが来館した時の写真がありましたが、その写真に、お二人の間には、縁が深かったのではないかと察せられるような雰囲気が流れていました。艶福に恵まれた男性は大成し、モテない男性は大物になれない…それを証明したといえるような写真でした。栗田美術館が日本一であると申し上げましたが、栗田様のお人柄も、日本一のものであったと思われます。

 

 栗田様は、1952年の第25回衆議院議員総選挙で当選され政界入りし、独占禁止法改正案(いわゆる栗田私案)を手掛け、独占禁止法の充実に奔走し、この分野の発展に貢献した方としても有名です。極めて多彩な方であったということです。

 

 

 私は、忙しい日々を過ごしておりますが、都会の喧騒から逃れ、時間の流れの緩やかなところへ宿泊することによって、心身ともに安らかなひとときを過ごし、日々の活力をいささか回復しています。今回訪れた足利は、まさにこれを実現するに相応しい場所で、満足した二泊の旅となりました。

 

 さて、今回の旅に同行して下さった有限会社セカンドステージ代表取締役鮒谷周史様からは、「足利は、『日本最古の総合大学』といわれる足利学校があったことの影響なのでしょうか、伝統、文化、教養の香りの漂う素晴らしい街だと感じました。」とのご感想を下さいました。

 

 鮒谷様は、2004年4月に、私が何度も著作を出版させていただき、公私ともに親しくさせていただいている株式会社かんき出版最高顧問 境健一郎様(当時は代表取締役社長)にご紹介されて初めてお会いして以来、親しくさせていただいております。鮒谷様は、メールマガジン「平成進化論」を発行されておられ、初めてお会いした当時は購読者数が約2万人でしたが、現在ではおよそ20万人の読者がいらっしゃるそうです。素晴らしい経営の才覚をお持ちであると思います。

 

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(8月21日(日)午後17:10 東京都台東区上野恩賜公園不忍池にて蓮の花を撮影)

 

 

 

株式会社 新規開拓 代表取締役社長 朝倉 千恵子様

 8月17日(水)午後17時10分から18時まで、株式会社新規開拓(東京都千代田区丸の内)へお邪魔しました。同社の代表取締役社長である朝倉千恵子様と共著で、この10月に三笠書房から、経営と営業に関連する本を上梓する予定であるので、そのタイトル等の打ち合わせをするためです。


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(株式会社新規開拓 代表取締役社長 朝倉千恵子様)

 

 朝倉様は、いつもロングスカートを美しく颯爽と着こなしていらっしゃるイ メージがあります。しかし、その朝倉様には、波乱万丈な過去がありました。小学校教員として勤められ、結婚、出産、離婚を経て、35歳の時に人生の転換期を迎えていた朝倉様は、焦って生活力を付けようとして株の業界で失敗してしまい、多額の借金を背負うことになり、無一文の状態になってしまったことが あるとのことです。その時、「もう一度教育業界に身を置きたい」と思い、唯一面接に応じてくれた「地獄の特訓」で有名な社員教育研究所に入社されました。35歳、中途採用、営業経験ゼロからのスタートだったのですが、礼儀、挨拶を徹底した営業スタイルで、何と3年後にトップセールス・パーソンになられたそうです。

 その当時、社員数230名、総売り上げが23億円の規模の会社で、朝倉様は一人で1億円を売り上げたというのですから、その並はずれた営業力には脱帽です。その後、独立の道を選ばれ、平成15年に「有限会社朝倉千恵子事務所」、16年に現在の「株式会社新規開拓」を設立されました。新規開拓では、全国の企業での社員研修や営業指導、講演などを実施されています。その内容は、「即、営業成績に繋がる」と、多数の大企業からも高く評価されています。「人は仕事によって磨かれ、仕事によって鍛えられる。沢山の経験を積み、成長していく。失敗を恐れないでチャレンジしてほしい。」とセミナー等で朝倉様は受講生に活を入れるそうです。どん底とも言える状況から、多くの企業から信頼を受ける企業の代表とまでにご成長される朝倉様の人生が、「仕事を通じた成長」そのものであり、このお言葉をしっかりと裏付けていると思います。
 

 新規開拓は少数精鋭で、現在15名のスタッフで切り盛りされていますが、その内の12人が女性です。これからは男性社員も増やしていきたいと朝倉様はおっしゃっていました。当初、朝倉様が女性社員を中心に会社を構成された意図は、必死に働くお母様の後ろ姿を見て「働く女性の応援団長に成りたい」という強い想いがあったそうです。

 

 2003年より、女性たちの自立支援を目指し女性限定の公開コース「トップセールスレディ育成塾」を開催されていて、卒業生は1200名を超え、働く女性たちの応援団としても支持されているのは、「仕事の世界には男性も女性もなく、ウーマンではなく、ヒューマン。ところが、女性が女性に逃げてしまっている。これは非常にもったいないこと。難しい仕事、困難な仕事ほど、思いきってチャレンジすることが成長、成功のきっかけ」と話される朝倉様の想いが受講する皆様に伝わっているからでしょう。

 

 この 「トップセールスレディ育成塾」は、とても高額です。受講料は20時間で27万900円とのことですが、これに 宿泊費、遠方から来た受講生は交通費も含め、多い方だと70万円位をかけて受講する方もいらっしゃるそうです。全受講生の9割以上が30万円以上をかけて朝倉様の講義を聞きに来るのだそうです。そして、この不況にも拘らず、この塾は着実に成果をおさめられています。

 

 新規開拓のオフィスは、東京駅前丸の内ビルディングの中でも一番素敵な事務所を占めていると思います。17日は立派な応接室に案内されて打ち合わせをさせていただきましたが、その部屋は東京駅に面している心地よい部屋でした。「このオフィスに移ってから1年半になりますが(その前は帝国ホテルタワーに事務所を構えていらっしゃいました)、ずっと蘭が咲き続けています」と朝倉様がおっしゃるので目をやると、3度か4度花を咲かせてきたような胡蝶蘭が咲いていました。伺えば、もうすでに3度花を咲かせたそうです。

 

 朝倉様は、度々セミナーで「観葉植物が枯れている会社に未来はない!」と熱弁されているそうです。朝倉様は、「観葉植物は本当に正直。愛情を持って育てればすくすく育ち、義務的な気持ちだったり、放っておくとたちまちに枯れてしまいます。愛情と根気、細かい気配り、心配りが必要です。部下教育も同じ。」と、セミナー等で、度々、部下の指導育成を観葉植物にたとえられているそうです。このような朝倉様の人財(朝倉様は敢えて『人材』ではなく『人財』という表記を使われます)育成に対するこだわりは、小学校教師時代の「落ちこぼれを作らない」「教育には根気がいる」ということを身を持って体験されたご経験が生きているのだと思います。

 

 毎朝毎朝、日光に当たって、新しい空気にいささかそよいで、新規開拓のスタッフの皆様の愛情、根気、細かい気配り、心配りに、胡蝶蘭が応えてくれているのだと思います。

 

 さて、出版の打ち合わせは順調に進みました。私は来年5月に75歳を迎えることになり、様々な取り纏めをしていますが、出版もその一つであります。朝倉様との共著は、先に述べた通り、三笠書房から出版されるもので、私を「怪物弁護士」、朝倉様を「カリスマセールスリーダー」として、本音を語り合った企画にしようとされるものです。上梓した暁には、本ブログでもご紹介いたします。
 
 

 

 株式会社新規開拓HP  http://www.shinkikaitaku.jp/
 

 朝倉 千恵子様のブログ「熱血社長一日一分ビジネスパワーブログ」
    http://ameblo.jp/shinkikaitaku-asakura/
 

 「トップセールスレディ育成塾」HP http://www.tsl-lady.com/
 

 

 来週 は、8月第4週(今週)にお会いした方々をご紹介したいと思います。

 

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大地の「気」(2)

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(2011年8月16日午前6:41 東京都目黒区 中目黒公園にて撮影)

 

 前回に引き続き、今回も「大地の気」についてお話していきたいと思います。

 

【高所恐怖症と「気」】

 

 人間誰しも多かれ少なかれ高所恐怖の感情をもっています。危険が伴うような高い場所で本能的に恐怖を感じることは正常な反応ですが、安全だとわかっていても不安がピークに達するような場合は高所恐怖症と考えられるそうです。

 

 【参考】http://www.u-tsu.com/cat99/

 

 恐怖症の状態は脳に強くアドレナリンとノルアドレナリンが出現し、セロトニンやエンドルフィンがほとんど出ていない状態をいうそうです。また、高所恐怖症は、Specific Phobia(特定の恐怖症)という診断分類に属し、不安障害の一群に入るそうです。転落の経験があると黒いイメージが消えず、高所恐怖症になりやすいということも聞いたことがあります。あるいは前世の記憶も関係しているのではないでしょうか。

 

 ◆用語の説明◆(「広辞苑」第四版より)

  • 【アドレナリン】副腎の髄質ホルモン。心筋の収縮力を高め、心・肝・骨格筋の血管を拡張、皮膚・粘膜等の血管を収縮せしめ、血圧を上昇させる作用をもつ。
  • 【ノルアドレナリン】哺乳類の交感神経の末端から分泌される物質で、化学的にはアミンの一種。交感神経の支配を受けている細胞に神経刺激を伝達する働きをもつ、代表的な神経伝達物質。
  • 【セロトニン】=ゼロトニン。生理活性アミンの一種で、脳・脾臓・胃腸・血小板に多く含まれ、平滑筋の収縮、血管収縮、止血、脳における神経伝達、松果体でのメラトニン合成などに作用し、また脳の活動を高めるといわれる。トリプトファンから合成される。
  • 【エンドルフィン】哺乳類の脳や下垂体に存在するモルヒネ様作用を持つペプチド。
  • 【トリプトファン】芳香族アミノ酸の一。必須アミノ酸として、生体内でインドール・セロトニン・ニコチン酸などの生成に関与し、生理上重要な物質。
  • 【ペプチド】ペプチド結合によってアミノ酸二個以上が結合した化合物。アミノ酸の数に従って二個のものをジペプチド、三個のものをトリペプチド、さらに多数のアミノ酸から成るものをポリペプチド、百個以上のものを蛋白質と呼ぶ。

 

 

 また最近、「超高層ビル症候群」と呼ばれる病気があるそうです。これは超高層ビルのオフィスで働くサラリーマンやOLの間に、めまいや耳鳴り、頭痛、吐き気、生理不順などの症状があらわれていることをいうようです。また、症状が進むとエレベーターに乗るのが怖くなったり、勤務中に漠とした不安をもったりと「出社拒否」にもつながるようです。特にこれといった改善法が無いのが現状なようで、体調不良に気付いた時点で、1階に近い職場へ配置転換させてもらうなどの対応が大切なようです。

 

【参考】

http://www.jiyu.co.jp/GN/cdv/backnumber/200304/topics02/topic02_08.html

http://den-jiha.com/58.html

 

 

 さて、高所恐怖症の社員を抱えていると企業が往生します。何故なら高層階にのみ職場を置いている企業があるからです。配置転換できるような職場が下の階層にあればよいのですが、必ずしもそういう企業ばかりとは限らないため、高層階のみにしか職場を置いていない企業に勤めているこれらの症状を抱える人たちは、職を失うことになってしまいます。そもそも実は「大地の気」を受けないことから高所恐怖症や超高層ビル症候群になるのではないでしょうか。「大地の気」を大いに受けるためにも、私はできるだけ低め低めの階層で仕事をしたり生活をしたりすることが心と体の健康のために必要であると考えます。

 

 さてこの点でいくと実は超高層マンションさらにはオフィスは、ナンセンスの代物といってよいでしょう。40階建て、50階建ての高層マンションがありますが、高所恐怖という点からしても、住んでいる人はいつも不安等の精神状態におそわれていることになります。先にもお話をしましたが、超高層ビル症候群には現状では改善法がないため、事実、超高層の階層に住んでいる人は超高層マンションから脱出したがります。すなわち、転売して移転したがるのです。しかし、本人の思惑とは異なり実は高くは売れないのです。超高層マンションの価格は転売の際に低下していることも多いのです。これは超高層マンションは「大地の気」から隔離されるものとして、市場、マーケットで診断されているからではないでしょうか。超高層マンションは人間の精神に影響を及ぼすものとして、それを建てる業者は最近では、やむなく、20階とか30階とか40階とか中途のフロアーに子どもの遊び場を作ろうとしていると聞きます。勿論、小手先のアイディアでありますが、それではとても超高層マンションが適正なマンションになるとは思えません。人間は本来、大地に足をつけて生きているものだと思います。子どもは「遠足」「いも掘り」「林間学校」等々を通じて自然の中で遊び、学び、自然に馴れ親しむものです。自然は敵ではなく友であるのですが、超高層マンションに住む子どもが不自然なことに、地面で遊びたがらないのは、馴れていない「大地の気」を恐れるからではないでしょうか。万物に「気」がありますが、「気」は生体の電気エネルギーと密接に関連していますので、高層マンションは生体の「気」を乱しやすいと言えるようです。また、気功をしている何人かの友人・知人が「高層ビルの上の階に行くと、『気』の流れが阻害されることを感じる」と口を揃えて言っているので、あながち間違っていないのではないかと思います。

 

 

 

 

【「木」と「気」~裁判所について】

 

 私は弁護士になってもう50年近く経ちますが、結局本物の木造の机にも腰掛けにも座らぬまま人生を終わるのではないかと思います。私はスチール製の家具でこれまで仕事をしてきました。スチール製の机であり、スチール製の腰掛けです。木製の机や椅子を使って仕事をしてきた人よりも,大地の「気」を感じにくいことは言うまでもありません。

 

 さて、最高裁判所長官は違憲審査権(憲法第81条「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」)を司る最高裁判所の長としてまさに「良心」に従って職務を遂行しなければならない立場にあり、また最高の賢者であるべきことを要請されています。(なお、「良心」については、8月5日付ブログ記事「気は心」等幾度も本ブログで述べて来ましたので、そちらもご覧ください。)

 

 それはまさにできるだけ「気」のある場で仕事をしなければならないということを意味しています。また、これは長官に限らず、裁判官たるものは、最高裁判所裁判官であろうと下級審の裁判官であろうと同じことで、みんな「気」のある場で仕事をすることが大切なのです。そもそも裁判所自体、戦前(太平洋戦争前)は、「木」あるいは煉瓦で造られていたことを思い出してみなければなりません。煉瓦造りもまた、土や岩、泥といった「大地の気」を有する自然の素材を利用しているといえるのではないでしょうか。

 

 さて、話は元に戻りますが、裁判官は「良心」にこだわって仕事をしなければならないため、最高裁判所の裁判官の机と椅子がどのようなものであるかは、国民にとって大切なことであり、たとえそれがどんなに高価なものであろうと、引き続き本物の「木」で作った机と椅子を活用してもらいたいし、また木製のフロアで職務に励んでもらいたいと思っております。念のため、関係の方々に確かめましたところ、間違いなくそうであるとのことで、安心しました。

 

 なお、技術の進歩と共に、建築物や家具などは発達しますが、木材を含め自然の資源の量に限界がありますから、現在は材料自身が合成され、いわゆる一枚板の類は減少していると思われます。問題は、木が「木」であることを厳密に考えて材質を確保することかと思いますが、最高裁判所の内部では、それが行き届いているそうです。例えば,最高裁判所の裁判官の部屋は、東北地方の著名な桜の木を加工した特製の壁板でできているそうです。

 

 さて,私が日頃から教えを請うている千種秀夫先生が、ご自身で健筆を振るわれた『古い庁舎をめぐる思いで』という抜き刷りの紙面を私に下さいました。古い庁舎とは裁判所の庁舎のことです。その文章の末尾に、奈良の薬師寺の関係者が、薬師寺の本堂がコンクリートで改装されたことに関連して次のように述べたというくだりがあります。

 

 「『私たちは、コンクリートの歴史というものは僅々100年余しか持っておりませんので、この新しい建築物が良いのかどうかは直ちに計りかねます。ただ、今まであった木造の建造物は、間違いなく千年余を経て今日も健在です。これは事実です。』と。私たちは未知の分野についても、今日までの経験と理論で見通しを立てて前進しなければならないことも多いが、大丈夫と思って進んできたことが本当に大丈夫なのかどうかは、常に監視を怠らず、見直しをしていかなければならないのである。」

 

 このような,極めて含蓄のある千種先生のコメントに触れ,裁判所の古い煉瓦造り、あるいは木造の庁舎を懐かしむだけではなく、「すべての制度の発足に当って、常にこの言葉の趣旨を忘れないようにしたいと思う。」と千種先生がこの文章の結びの言葉にされていることにある通り、年月を経ないと、どんなことも正しいことであったかどうかが分からないということを仰っていることに、私は得心しました。

 

 私たちは、「気」という世界を忘れてしまっていましたが、改めて、「気」が日常用語として様々な場面で頻繁に使用されていることを想い、それが法律にも、裁判所にも、大きな影響を及ぼしていたのではないかと私は気づいたのでした。

 

 ところで、「木」造の建物ということで、最近読んだ本をふと思い出したのですが、「木とつきあう智恵」(株式会社地湧社発行 エルヴィン・トーマ著 2003年初版)には、「特定の月相(月齢により月面の輝く部分が変化する有様「広辞苑 第四版」)に合わせて気を伐る」という「智恵」や、「木造の家屋が化学薬品で保護されなくても無傷で五百年以上も建っている事実」など興味深い内容が書かれています。ぜひご覧になってみて下さい。

 

 

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(2011年8月16日午前6:37 東京都目黒区 中目黒公園にて撮影)

 

 

 (1)株式会社源麹研究所 代表取締役社長 山元 正博 様

 

 8月8日(月)、霧島高原ビール株式会社(鹿児島県霧島市溝辺町麓)の山元正博会長をお訪ねしました。山元様は、株式会社源麹研究所の代表取締役社長でもいらっしゃいますが、スロヴァキア共和国の名誉総領事でもあって、スロヴァキア名誉総領事館も設置されていました。スロバキア名誉総領事館を拝命しているということは、国の光、鹿児島県の光として、観光客を呼ぶにふさわしい材料であると思いました。

 

 山元様は、東京大学農学部をご卒業された後、麹一筋でお仕事をされてきたそうです。山元様は、私の「社長フォーラム」(1993年5月~2007年7月、計127回にわたって東京にて開催)に鹿児島からよくご出席くださっていた方で、この度私が鹿児島に赴くにあたり、久々にお会いし、ご挨拶したものです。

 

 日本の焼酎の代表的な商品として「チンタラリ」というものがありますが、これは霧島高原ビール株式会社のものであって、山元様が作られたものです。霧島高原ビール株式会社から直に購入すると15,750円ですが、巷では25,000円以上で売られていて、私も以前そのくらいの金額で知人から購入した記憶があります。これは、「チンタラリ」は1日3本の限定製造で、貴重な銘柄であるからです。「チンタラリ」のボトルに使っている瓶は大変美しいガラスで、これは一個ずつ青森県十和田市奥入瀬で作成している手作りのものだそうです。今度奥入瀬に行った際には、この「チンタラリ」の瓶を作っている会社を訪問させていただきたいと思います。

 

 なお、プラハに訪問する場合は、今後は山元様を通じていただくと、最大限の便宜を図っていただけると仰ってくださいました。私は、耳の故障で、本当に不快な思いをしながらも、様々な人に出会い、色々な場所に赴くことを楽しんでおります。この不快な思いがもう少し軽減したら、東ヨーロッパ、プラハへお邪魔したいと思っています。その際には、山元様のご高配を是非お願いしたいと存じております。

 

 また、お酒の話をブログで投稿するときには、焼酎・泡盛についてもお話ししますが、そのときには、山元様に再登場していただくことにもなるでしょう。

 

 霧島高原ビール株式会社HP http://gen-khb.co.jp/

 源麹研究所HP http://www.genkoji.com/index.htm

 

 

 

(2)匡正堂(きょうせいどう)葛飾 齋藤整骨院 院長 齋藤 博保先生

 

 8月12日(金)午後17時頃より、東京都葛飾区柴又にある齋藤博保先生の整骨院にて治療を受けました。前回治療のためお邪魔させていただいたのは、昨年4月24日(土)ですので、約1年3カ月ぶりのものでした。

 

 齋藤先生とは、1982年8月に初めてお会いして以来、29年来のお付き合いをさせていただいています。私は親しみを込めて、先生のことを「葛飾の齋藤先生」とお呼びしています。

 

 齋藤先生が掲げられている「匡正堂」は、江戸時代末期の1830年、初代の漢方医であった齋藤玄悦先生までさかのぼります。2代目の齋藤周治先生は、古来より伝わる活法殺法術の厳しい修行の中から、柔術は殺すにあらず活かすにあると学び、その結果、活かすということは古来漢方に言われるところの経絡に活の術を与え、肉体に「気」即ち「活の気」を入れることと悟り、齋藤家秘伝の技としてこれを「気絡流柔術」と名付けました。この術は、3代目の齋藤正先生(齋藤博保先生のお父上)へと継承され、「気絡流柔術」をさらに民間治療である柔道整復術に取り入れて、鍼やお灸を用いない、独自の脊椎及び筋を基本とした「匡正術」を生み出しました。

 

 4代目である齋藤博保先生は、この「匡正術」を社会に認知してもらうことを目指して、地道な治療活動を続けていらっしゃいます。近年、高齢化社会問題を受けて、齋藤先生は「元気な老人作り」を目指し、その一環として60歳代からの健康管理に特に力を入れられているそうです。待合室には、「元気で長生きは世の為、家族の為、我が身の為、足は第2の命です」と標語を掲げておられ、待合室には80歳、90歳の患者さんの笑いが絶えないといった成果を上げられているそうです。また、最近では、数十年前にすでに先生が「パソコン病」と命名した、コンピューターにまつわる病の20代の方も多くなっているそうです。性別では、女性のほうが多いとのことで、1日の来院者数は100名前後ですが、時に150名を超えることがあります。

 

 齋藤先生は、1965年に家業整骨業に継承入門をされました。1967年に日本柔道整復師(国家資格)を取得、1971年に匡正堂の屋号を背負い現在の齋藤整骨院を開業されました。齋藤先生は、11人兄弟の4番目ですが、お父上のカバン持ちをしたのも1番、開業したのも1番だったとのことです。現在では、匡正堂グループは海外ホノルルの整骨院を含め20院、40人のお弟子さんを抱え、匡正堂グループの理事長を務められています。匡正堂全体として、これまでのべ100万人を診てこられ、齋藤先生は、そのうち20万人の患者さんを診られたそうです。

 

 さて、匡正堂のスタッフの方々は大変礼儀正しく、また勉強熱心でいらっしゃいます。お弟子さんは、10年間勤めて一定の技能レベルに達したら、分家させるそうです。そのとき、開業資金はお弟子さんには一銭も負担させず、お給料も出し、貸付金(400万~500万円)を自然に返済する方式にするとのことです。腕の良い人は、3年~4年で家を建てるまでになるそうです。

  

 このように、「責任」と「貸し」ということを意識していると、お弟子さんの心構えとして適度な緊張感と向上心が芽生え、治療に専念することで、お客様が自然と増えるのだそうです。先生は、お客様や有名人を追いかけないことをモットーにされていますが、故人では、たとえば福田赳夫先生など、多くの著名人が先生の治療を受けられています。

 

 齋藤先生の本業の腕前の素晴らしさは、私が身をもって体験しておりますが、お仕事以外にも、多彩なご趣味をお持ちです。私が知る限りでも、「ゴルフ」「ガーデニング」「難しいご本の読書」「自動車」などがあります。

 

 先生は、今年68歳になられましたが、ゴルフはシングルプレイヤーで抜群にお上手です。毎年、「関東シニアオープン」(出場資格55歳以上)に出場され、昨年は「日本シニアオープン」(出場資格 プロ50歳以上・アマ55歳以上)に出場されたほどの腕前です。このほかにも、30代からのアマチュアゴルファーが集う大会などにも、若い世代に伍して出場されています。

 

 先生のゴルフ好きは本当にケタ外れで、世界中の有名コースを奥様とご一緒に回られています。有名なところには既に行き尽くしてしまい、昨年の暮れからは、一番ポピュラーなハワイ島のコースに行かれたとのことです。

 

 先生は、難しいご本を読むこともご趣味のひとつとされています。最近では「『孟子』は人を強くする」(佐久協著)を読まれていて、その前は新渡戸稲造の「武士道」を読破されたそうです。昨年4月24日(土)にお伺いした時は、「『白鯨(ハーマン・メルヴィル著)』を読み終わったところなので、これから聖路加国際病院理事長 日野原重明先生のご著書を読むところです」と仰っていました。その豊富な読書量には、感心いたします。

 

 また、先生はクルマが大好きです。クルマ好きの人とであれば、初対面の人とでも、3時間も4時間も楽しくお話しをされています。

 

 このように、多彩なご趣味をおもちの齋藤先生は、次なる趣味として、川の近くに池を作り鯉を飼うという夢をお持ちであるとも伺っております。現在、入札で入手された鯉を60㎝にまで育てられているそうですが、この鯉は、もっと成長すれば1mになるそうです。齋藤先生は、68歳になられてもなお、夢を追い続けていらっしゃるのです。

 

 要するに、私もモットーとする「無用の用」を体現されている方であるということです。

 

匡正堂葛飾HP http://匡正堂.jp/

匡正堂HP http://kyoseido.jp/

 

 

(3)株式会社 開倫塾 代表取締役社長 林 明夫 様

 

 8月13日(土)、栃木県佐野市にある一乃館において夏休みをとることになりました。この夏休みと一乃館についての詳細は、来週に更新する予定の「歴訪記」で述べたいと思いますが、この夏休みの設定をしていただいたのは、開倫塾の塾長林明夫様でした。

 

 62校舎(栃木県、群馬県、茨城県に教室を展開され、埼玉県・東京都に進出予定で、早ければ、来年の今頃には東京に塾を新設されるとのことでした。)、塾生7040名(2010年度ピーク時塾生数)、教職員数400名の北関東屈指の学習塾である開倫塾の塾長でいらっしゃる林明夫様は、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、司法試験の受験のために、予備校や学習塾の講師、家庭教師をしながら同大学の司法研究室生として研究生活を送っていらっしゃいましたが、29歳の時に司法試験の受験を断念された際、大学時代に刑事政策の研究会(宮沢浩一先生のゼミ)で刑務所や少年院などの矯正施設を何か所か視察し、その際に、刑務所長や刑務官の先生から「ちゃんと勉強さえしていれば、このようなところに来なくてもいい人がほとんどなのに…」とお話しされたことを思い出されたそうです。

 

 そこで、少しでも世の中や子どもたちのためになることができればと、足利市の南端に8畳と4畳半の2間ある家をお借りになり、1979年に開倫塾を創業されました。開倫塾では、学校で受けた授業の補習と希望校に向けての受験勉強の他にも様々な社会的活動をされていますが、その理由の一つは、このような創業に至る経緯のためとのことです。

 

 私が初めて林様にお会いした1994年当時は、開倫塾は生徒数3000名程度の学習塾でいらっしゃいましたが、先にご紹介しましたとおり、この少子化の中で、今では7000名以上の生徒を集めるに至りました。

 

 このように、林様の開倫塾が、少子化の中で順調に生徒数を増やされていることは、林様がカリキュラムの更新に精力的に取り組んでおられ、OECD(経済協力開発機構。ヨーロッパ諸国を中心に日・米を含め30ヶ国の先進国が加盟する国際機関)の教育政策と、文部科学省の教育政策を研究された上で、時代の流れを先取りしてこられたからです。

 

 林様は、開倫塾の経営で大変ご多忙の中、CRT栃木放送(ラジオ)で毎週土曜日午前9:15~から、21世紀の知識社会に対応できる「自己学習能力の育成」の方法について、林様が日本や世界を歩きながら考えた内容をお話しされる「林明夫の歩きながら考える」という番組を25年間も担当していらっしゃいます。この番組は、社会人をも対象として、効果の上がる勉強方法をご教授されている世界で唯一の番組とのことです。また、月に何回もの大学や大学院その他での講演や、執筆活動等も行われています。

 

 上記のご活動に加えて、公益社団法人経済同友会(東京)や、東京、栃木、群馬の経済団体の政策提言等のための委員会に数多く所属されていらっしゃり(その内の多くで役員を務められています)、年間200日以上も会合に出席されるそうです。出席される会合は、国際会議(各地域開催のダボス会議、OECD IMHE<高等教育管理>プログラムのメンバーでいらっしゃるため、その関連会議 等々)や、経済同友会の視察など、海外で行われるものも多く、世界を股にかけてご活動されています。

 

 多数の学会や研究会にも参加されています。今ご紹介したのは林様のご活動の氷山の一角に過ぎず、すべてをご紹介するには、紙幅がいくらあっても足りません。過密なスケジュールで大変ご多忙な日々をお過ごしでいらっしゃいます。

 

 しかし、忙しさのあまりに一つ一つが疎かになるわけではなく、「1つ1つの組織にはそれぞれのミッションがあります。そのミッションを達成するために、その場で全力を出すのが私の考えです。」とのことに私は感服いたしています。

 

 尽すべきは尽す精神で、常に全力疾走で、かつ大変な勉強家の林様が経営される開倫塾は、経営品質向上活動への取り組みが高く評価され、2002年度には栃木県経営品質賞中小企業部門県知事賞を受賞されました。教育界で経営品質賞の受賞は日本で初めてという快挙でした。また2009年には、公益財団法人 日本生産性本部 サービス産業生産性協議会のイノベーションや生産性向上に役立つ先進的な取り組み(ベストプラクティス)を行っている企業・団体を表彰・公表する「ハイ・サービス 日本300選」を受賞されています。

 

 かくのごとく、私の知る限り、林様は、日本一の勉強家であって、そしてイノベーションを推進、実践している方です。林様の車はもう60万キロを走破されているというお話を伺い、真に行動的な方であるという印象を改めて受けました。私が以前乗っていた車は25万キロで、周りの方々に「売りなさい」と勧められて売ってしまいましたが、60万キロというのは驚異的な数字です。今後は林様は100万キロを目指されるとのことでした。

 

 開倫塾 ホームページ http://www.kairin.co.jp/

 「開倫塾 塾長 林 明夫のページ」http://www.kairin.co.jp/akio/index2.htm

 

 

 来週は、8月第3週(今週)にお会いした方々をご紹介したいと思います。

 

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8月7日(日)、朝8時に釧路のホテルを出発し、中標津を経由して、午前10時45分頃、北海道野付郡別海町に位置する野付半島にある原生花園へ赴きました。

 

野付半島への道中では、信号に遮られることもない道を、車で走りまわって、北海道の夏の自然を大いに満喫しました。とりわけ嬉しく感じたことは、アブやブヨなどの昆虫類が、東京とは違って極めて活発で、昆虫取りなどに興じた私の少年時代の色々なシーンを思い出したことです。

 

さて、野付半島へ赴いた理由は、北方四島を遠望しようと思っていたからでした。しかしながら、大変残念なことに、天候に恵まれず、また絵葉書などを売っている売店も見当たりませんでしたので、やむなく「距離16kmの近くて遠い島 国後島」と書かれた看板を背に写真を撮ってもらいました。

 20110815.JPGのサムネール画像

(同日午前10時51分撮影)

 

この地域では、内地とは違って北方領土返還運動が盛り上がっているように思いましたが、そこにも少し陰りがきているのかとも感じました。これは日本の国力の低下とも、大いにかかわりがあるのではないかと思いました。

 

それから釧路空港へと向かい、同地に到着したのは午後の2時30分ごろのことでした。

 

小生は、来年同好の士を募って北方四島に行きたいと思っております。

 

別海町HP http://betsukai.jp/

 

 

 

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大地の「気」(1)

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20110811.JPG

(2011年8月11日 朝6時41分 東京都千代田区六番町にて撮影)

 

 

【「植物」にも気がある】

 15年ほど前に株式会社黒石植物園(青森県黒石市)の渡辺憲司様より、「山野草は癒し・和みを与えてくれる存在。独身のOLが仕事を終えアパートに帰り、山野草に「ただいま」と話しかけたりすると、山野草が元気になるだけでなく、OL自身も疲れが取れる」というお話を伺いました。「癒し・和みを与えてくれる」ということは、つまり山野草を始めとした植物にも「気」があるということだと思います。

 

 何年も花を咲かせていない植物に毎日気持ちを込めて世話をしていると、木が花を咲かせるようになったり、逆に「この植木はもう駄目だ」と愚痴を言うと、今まで元気があった植木でもたちまち枯れてしまう、といった話も、私が治療に通っている山手通り鍼灸院の川口博司先生にお聞きしました。

 

 山手通り鍼灸院 http://www.yamate-st.com/

 

 これらの山野草、植物にまつわるエピソードは、人間の「気」と植物の「気」が相互に作用し合っている一つの例だと考えています。

  

 山野草についての最近の傾向としては、先の渡辺様(現在は「ランドブリーズ」栃木県鹿沼市上石川)によると、「苔」が異常に売れているというお話でした。調べてみたところ、「苔玉」などが若い世代に人気だそうです。渡辺様は、「苔は究極の癒しの植物」で、その理由として、

  1. 安定感
  2. 高温多湿の風土にあった安心感
  3. 触った時の柔らかな触感
  4. 復活の強さ
  5. 日本の懐かしい原風景
  6. 手間のかからなさ。

等を挙げられていらっしゃいました。

 

 日本の代表的な庭園の一つである苔寺(西芳寺の通称。京都市西京区にある臨済宗の寺院)の苔は心を落ち着かせます。何故ならば、苔が大いに水と親しむことにあるからではないかと思います。つまり、人間の成人の60%が水で構成されているそうですから、水と親しむ苔に人間が馴染み、癒し・和みを感じるのではないかと思うのです。

 

 つまり、水にも「気」があって、水を多分に含む苔と人間が、「気」を通じながら、「気」が共感・共鳴・共振するということなのではないでしょうか。このことは、日本人だけでなく外国人も熱心に苔寺に来て観賞していることからも頷けるでしょう。

 

 また、先の渡辺様のお話によると、水苔を中心にしたヨシ、スゲなどの死骸が長い年月の間、湿地のなかで腐食したものをピート(泥炭)というそうですが、ピートも色々な品質のものがある中で、水苔の多いものが一級品で、世界の鉢植え園芸にとって無くてはならない植込み材料とのことです。水苔は、人があまり立ち入らない過酷な寒冷地に自生しているそうですが、人間を拒む冷酷な自然で、太古から延々と成長し続けたその数千年の水苔の「気」が、ピートに宿り、全世界の人たちの心を癒す草花をつくりだす元となっているともおっしゃっていました。

 

 さて、「枯山水」という「池や遣り水(寝殿造の庭園などに水を導き入れて流れるようにしたもの。)などの水のない庭」もありますが、庭には殆ど池があり、できたら水が動いている池を日本人は好みます。ささやかでも水が動いている時、マイナスイオン効果も働き、心の安らぎを得られます。

 

 ときたま庭には鹿威しがあって、水の動きとリズミカルな音によっても、人間は安らぎを得るのでしょう。もちろん安らぎを得るということは癒しに繋がっているということです。それは宇宙の気との接合を意味しているのではないかと思います。

 

【参考】

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%AF%E5%B1%B1%E6%B0%B4

 http://minus-ion.ae2k.net/elementary/post-1.html

 

 

 

【「石」にも気がある】

 

 石には、火成岩(マグマが冷えて固まったもの。マグマとは、溶融した造岩物質を主体とする、地下に存在する流動物体のこと。<広辞苑第4版,三省堂>)、堆積岩(岩石の破片や生物の遺骸などが、或る場所に集積して生じた岩石。<同>)、変成岩(もともとあった岩石が、地下の高い温度・圧力で変質し新しい岩石となったもの。<同>)などがあります。

 

 まず、火山が爆発しマグマが流れ出て、冷えて固まると火成岩になります。その火成岩はその後、川の流れなどにのって細かくなり、川の下流などで堆積岩となります。また火成岩が地下でゆっくりと固まり深成岩となり、更に温度や圧力で変質すると変成岩となります。つまり、地球上の石は姿や場所を変え、循環しているのだそうです。

【参考】http://tender-time.net/stonesbasic/basic2.html

 

 さて、私は1961年(昭和36年)から2年間「庭造り」を行っていました。「庭造り」は植木を集めるだけでなく、石も集める必要があります。何故なら「庭造り」には木だけではなく、わび・さびを演出するためにも庭石が重要な役割を果たすからです。また、日本人には、石を愛でる習性があります。何もそれは日本人だけではなく中国人もそうです。中国上海の豫園でも多く見掛ける、江蘇、浙江の代表的な石である「太湖石」は、蘇州付近にある太湖周辺の丘陵から採れる穴の多い複雑な形の奇石ですが、蘇州はじめ中国各地の庭園で鑑賞や瞑想などのために置かれているようです。

 

【参考】http://www.masuki-gardenart.com/SHOP/533953/722578/list.html

 

 また、庭造りや造園等には「土」も不可欠ですが、最近先の渡辺憲司様より奇跡の用土である「鹿沼土」という土のお話をお聞きしたので、ご紹介いたします。

 

 園芸に最も理想的な用土は①水持ちが良く②空気の層がたくさん有ること、この2つが条件とのことですが、この2つを兼ね備えるのは大変難しいのだそうです。

 

 「鹿沼土」は、①関東地方に位置する赤城山が3万年以上前に噴火し、その噴出物が土となったこと②偏西風に乗って、東に位置する鹿沼地方に多く降り積もったこと③重い火山粒は桐生や日光方面、軽い火山粒は宇都宮地方に落ち、最も条件の良い堅さのものが鹿沼地方に降り注いだこと等々色々なよい条件が重なったため、上記2つの条件を兼ね備えることができた「奇跡の用土」なのだそうです。

 

 微妙な堅さ、粒の大きさ、空気層の絶妙なバランス(空気は植物にとって何より重要です。)、清潔感のある明るい色をもつ「奇跡の用土」である「鹿沼土」から漂う「気」に、全国から人々が鹿沼に集まり、色々な園芸の展示会が開かれ、日本で一番多く全国からマニアが集まるそうです。この「鹿沼土」で生産すると、全てのものが元気に育つそうです。根が「鹿沼土」の「気」を喜んで伸び、人工で作ったいかなる用土も「鹿沼土」には敵わないそうです。

 

 さて、話を「石」に戻しますと、私が1961年(昭和36年)当時住んでいた東京都武蔵野市桜堤にて、往々夕方、石屋さんが、都心に昼間売りに行った後に売れ残った石(例えば、三波石など)を投げ売りに来るということがありました。

 

<三波石とは>

群馬県多野郡鬼石町には、赤色があざやかな紅簾石片岩、緑色のうつくしい緑簾石片岩などが見られる、1957年(昭和32年)には国指定の名勝、そして天然記念物の指定を受けている「三波石峡」があります。この三波川で採れる「三波石」は、永年を経ても色が褪せないという点で評価を受け、建築や造園に多く用いられているそうです。

 

【参考】

http://www.hirahaku.jp/web_yomimono/geomado/sekiz26.html

http://onishoko.or.jp/stone.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B3%A2%E7%9F%B3%E5%B3%A1

 

 私が石屋さんに声をかけたところ、石屋さんは、「この石は自然石です。」と自慢していました。その際、「発破(ダイナマイト)で欠けた、即ち爆発させた石はだめですよ。自然の石(=発破でない石)でなければだめです。」ということを教わりました。「発破の石は気が割れるからね」ともおっしゃっていました。調べてみたところ、発破された石は、採掘時の削岩などの衝撃や発破の波動を記憶している場合があるということです。

【参考】http://hinohikali.com/kaiun/isinojouka.html

 

 石に気が宿っているというのは、必ずしも科学的ではないかもしれませんが、その存在を否定することも出来ないと思います。例えば日本人の素朴な信仰心は、こうした自然の一部である石や岩に願をかける(=神仏に或る事の成就を祈願する)ことがその原点だと思います。


 また、「夫婦円満」、「家内安全」、「海上保安」や「大漁追福」の象徴や祈願・祈念の対象とされるものに「夫婦岩」がありますが、三重県伊勢市の二見興玉神社にある夫婦岩が有名です。

 このように、石や岩に願掛け等するのは、「気」や「石」「岩」自体にその波動、エネルギーがあると考えられているからでしょう。勿論自然の石や岩に願をかける際には特に、自然石を選ぶべきではないかと思います。

 

 さて、京都市右京区にある臨済宗龍安寺は、その石庭が大変有名です。龍安寺は、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録され、そのため観光客が絶えない観光名所です。

 

 ところで、観光客は何故石庭に惹かれ、訪れるのでしょうか。人々が石庭に惹かれる理由は、おそらく殆ど誰も分かっていないでしょうし、私もはっきりとは分かりませんが、私なりに思うところでは、石庭を構成する全てのものが、それぞれ微弱なエネルギー、すなわち波動を出し、「気」を有していて、その「気」が、観光客等鑑賞する人の「気」と共感・共鳴・共振し小さな安定した「宇宙」を創り、そこに浸ることによって心の安らぎを得ているのではないかと思います。

 

 日本の有名な茶室もしかりです。壁にカビで染みをつくりますが、その染みの形で宇宙が見えてくるというのでしょう。日本人は茶室を愛します。愛するということは、好感を持っているということであり、好感を持っているということは、心が和むということ、更には癒しに繋がっているということです。そして癒しに繋がるということは心が落ち着き、安定感が生まれ、宇宙と一体となるということなのです。

 

 そのような宇宙との一体感を得るために、人々は石庭や茶室を訪れるのではないでしょうか。

 

 また、伝承医学(例えば中医学、インドのアーユルヴェーダ)では、さまざまな鉱物(=石、宝石の原石など)も治療に使われているそうです。中近東の薬局では、鉱物が置かれているそうです。つまり、石の有する「気」の効果を活用しているのでしょう。地球のミネラル成分が凝縮して固まったものが石や宝石などの鉱物ですから、それを治療に活用するのも頷けます。また、王族や権力者などが宝石を身につけたのは、装飾の意味だけでなく、石からパワーをもらったり、「気」をもらったり、身を守ったりする意味もあったそうです。

【参考】http://www.mon-age.com/cafe/101210.php

 

 次回も引き続き、「大地と気」についてお話しようと思います。

 

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(2011年8月5日午後13時22分

北海道札幌市北海道大学内ポプラ並木に隣接したミックスフラワーを撮影)

 

 

 

(1)社団法人 日中協会 理事長 白西 紳一郎 様

 8月3日(水)午前8時30分から、社団法人日中協会(会長は衆議院議員の野田 毅様)の第59回理事会が東京都千代田区ホテルニューオータニで行われ、私も9時30分まで出席いたしました。

 

 同協会の理事長である白西紳一郎様は、1965年に京都大学文学部東洋史学科を卒業され、1967年から、日本国際貿易促進協会に勤められました。そして、1975年の日中協会設立に伴い、監事に就任され、2000年には理事長に就任されました。1967年以来中国には400回を超える訪問をなさったそうです。このご経歴からお分かりになるかと存じますが、日中友好にかける想いは青年時代から非常に強く「日中友好」に生涯をかけられてきており、また元来ムードメーカー、盛り上げ役と自負されておられます。そして、現在71歳でいらっしゃいますが、大変ゴルフがお好きな健康的な方です。

 

 私は白西様にお誘いをうけて2000年7月から日中協会の理事に就任しています。それは、私が中国の上海に日本高井・岡芹律師事務所上海代表処を1999年5月に設立していたからであります。ちなみに私はその後2006年、北京代表処も設立しております。

 

 さて、中国に進出した日本人・日本企業の多くが「中国人は信用できない」だとか「中国人にだまされた」などとぼやいていたり怨んだりしているのをよく耳にしますが、そのような認識をもつに至る理由は、日本人と中国人との思考が全く違うことを理解していないからだと思います。

 

 かつて孫文先生(1866~1925)は、『三民主義』(岩波文庫,1957)の中で、「中国人は一握りのバラバラな砂である」との論説を紹介されました。一方、日本人はまさに集団主義であります。日本最初の憲法である聖徳太子の17条憲法第1条には、「和を以って貴(たつと)しと為す。忤(さから)ふこと無きを宗とせよ」の一節がありますが、このことは日本人が集団主義を形成してきた根源となっています。ちなみに個人主義的な国民性は何も中国人に特有のものではなく、大陸国家、例えばヨーロッパ諸国の民族やアメリカ人等にも共通して言えることでしょう。

 

 しかし、文化の違う日中が交錯あるいは交流したとき、そこから新たな文化も生まれ得ることに、私たちは心を留めなければなりません。

 

 奈良時代の文人、阿倍仲麻呂は、8世紀初頭,西暦717年に、弱冠19歳にして遣唐使として入唐し、優れた才能を玄宗皇帝に認められ、王都・長安(現在は陝西省の省都・西安)で唐朝の要職を歴任し、ベトナム(越南)の支配人(安南都護府節度使)になりました。阿倍仲麻呂は彼の地で生涯を終えましたが、しかし、日本のことを忘れがたく、有名な和歌を残しています。それは、「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」という詩です(753年,55歳の時に作られたとする説が有力です)。長きに渡り中国で仕事をしながら、そして重要な仕事を任されながらも、なお望郷の念が止みがたかったのでしょう。

 

 

 日中文化の懸け橋となった阿倍仲麻呂のお話をいたしましたが、上海と北京に事務所をもつ私は、彼の何十分の一でもいいから努力を重ね、日中文化、日中ビジネスの懸け橋となりたいと思っております。経営的には赤字が続いていますが、これを良しとせず、最善の努力をしながら、社会貢献活動という意味合いも充実させていきたいとして、私は本日に至るまで一生懸命努力しております。

 

 

 

(2)企画集団 知性コミュニケーションズ 代表 小石原昭先生

 

 8月3日(水)の18:30頃から21時まで、小石原昭先生と東京都新宿区神楽坂にあるL'Alliance(ラリアンス)にてお食事をしました。ラリアンスは、一店舗での年間売上が8億円(8000万円ではありません)にのぼり、フランス料理店として東京一・日本一の売上を誇っています。

 

 L'Alliance HP http://www.lalliance.jp/

 

 小石原先生は、1951年に河出書房に入社され、1954年に27歳の若さで若者向け新総合雑誌『知性』を企画、同誌の編集長となられました。1957年に河出書房が倒産後も、先生が中心となって同年に知性社(現・株式会社 知性アイディアセンター)を創立されました。爾来、日本最初のPRジャーナリズムを創造・発展させてこられ、文化人・知識人をシンクタンクとして新しい情報産業を創成されてきた方です。私は、先生とは1988年2月に初めてお会いし、爾来お付き合いをさせていただいております。

 

 先生は60年に亘る編集者人生の中で様々な人にお会いし、そしてその出会いに感謝の念を大いに持たれていたことに、大変感銘を受けました。いつもながらのお食事会では、色々な興味深いお話をお聞きしましたが、印象深かったお話を二、三、ご紹介させていただきます。

 

 第一に、小石原先生は84歳であるにも関わらず、何しろ大変な美食家でいらっしゃいます。様々な食事処にお出かけになられておられますが、何十年もの間昼食・夕食を外食なされておられます。そのような生活をされてきたにも関わらず、健康そのものです。勿論、健康には万全な気配りをされて いますが…。

 

 かつては、フランス料理が大好きでいらっしゃり、それは5年位続いたそうですが、今では99%といっていいほど、和食をお召し上がりになられているそうです。蕎麦、寿司、鰻等々美味しい料理をいただきながら、年中無休で働き続けていらっしゃるというお話をいつもながらお聞きしました。このお話は,7月26日付「2011年7月第4週<17日(日)~23日(土)>の交友録 その3」でご紹介した「自己欲するところの美味いものを食いつづけようとする意欲は、一概に贅沢などという平凡な一語に動かされてはならない。平凡な輩がいうところの『贅沢食い』をつづけ、心身の健康をつくり、人一倍優れた仕事が出来得るならば、美食は経済の本旨に逆らうものでないのではないか。」という魯山人の言葉の趣旨と同じであると思います。

 

 

 第二に、人は高齢になればなるほど、半ば当然と言っていいくらい物忘れが強くなるものですが、先生は正に頭脳明晰、記憶力抜群の方でいらっしゃいます。先生は昔の話を日時・場所・時間、その話から派生するエピソードまでもしっかり記憶されている驚くべき方です。私は往々にして、お話しさせて頂くのですが、昭和史・平成史の本を書かれたらどうですか、皆さんびっくりして感激なさると思いますよ、と何度もお勧めするのですが、頷いて下さいません。先生は名文家ですから、読者に感銘を与えるのは容易なことでしょう。

 

 例えば、ヤクルトの故・松園尚巳様についてのお話をしました。私も松園様とは2度ほどヤクルト社長室でお会いしたことがございますが、先生と松園様は松園様が他界された1994年まで、54年にわたるお付き合いをされていました。文藝春秋2011年3月特別号に、先生は松園様との思い出を「鰤」というタイトルのエッセイで発表されています。エッセイは、お正月に毎年鰤を送ってくださっていた松園様が他界された後も、秘書が『オーナー(松園様)のご遺志ですから』と鰤を贈り続けて下さるというエピソードで、松園様の「他界されてもなお発揮されるオーナーシップ」には感銘をうけました。

 

 私は、松園様からお聞きした当時のエピソードとして、ブラジルで丸ごと1軒の大邸宅を買って、また、「ブラジルのピカソ」と呼ばれたマナブ間部(マナブ・マベ)氏のことも松園様からお聞きしました。また、その大邸宅にあったステンドグラスだけを日本で売って元をとったというお話もお聞きしたと申し 上げたら、「丸ごと1軒だけではなく教会までも買った」とか、私のぼんやりした記憶を甦らせていただきました。要するに、私はステンドグラスを売って一軒家の代金の元をとったという話しか記憶していないのですが、小石原先生は詳細に覚えておられたのです。

 

 先生とともに、年に数回お食事をさせていただくことが楽しみであるのはいうまでもありません。私のワイフの高井孝子の弔辞も、先生に書いていただきました。先生が弔辞のなかで私に贈ってくださった言葉「愛する人を喪(うしな)っても、愛する幸せを知らないよりはいいと思います」(日野原重明先生)は、いまも私のささえです。

 

 知性コミュニケーションズHP http://www.chisei.co.jp/

 

 

 

(3)堺屋 太一 先生

 8月4日(木)14時45分から約30分程、堺屋太一先生に、先生の事務所でお会いさせていただきました。堺屋先生にお会いしたのは今回が初めてのことでしたが、先生は1935年生まれで、私は1937年生まれですから、ほぼ同年代で、同じく東京大学卒業でいらっしゃったこともあって、お話も弾みました。

 

 堺屋先生は東京大学経済学部卒業とともに通商産業省(現・経済産業省)に入省され、1978年に退官されるまでの間、1970年の大阪での日本万博博覧会の開催を実現され、また沖縄観光開発などを推進されました。その後はテレビ、雑誌等で幅広い執筆・講演活動をおこなわれ、また1998年から2000年まで小渕内閣、森内閣において経済企画庁長官を務められました。学者としても東京大学先端科学技術研究センター客員教授、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授、関西学院大学専門職大学院経営戦略研究科客員教授などを歴任されています。小説家としても著名な方で、ご著作は、第一次ベビーブーム世代を「団塊の世代」と位置づけ、現代日本の社会学に影響を与えた『団塊の世代』(文藝春秋、1980)、1982年のNHK大河ドラマの原作となった歴史小説『峠の群像』等、多岐多数に上ります。私も少しは著作をしておりますが、小説を書く筆力はとてもなく、いつもながら感嘆しています。

 

 さて、堺屋先生の奥様は美術展覧会で数々の受賞歴がある画家の池口史子様です。先生の事務所には、各部屋にそれぞれ違った趣の絵画が飾られていますが、先生の書斎の先生が座る椅子の奥には奥さまの絵画が飾られていました。そして先生は絵画はこよなくお好きでいらっしゃるようでした。奥さまの絵はオーストラリアの風景を描いたものではないかと拝察したのは、私の知人で以前オーストラリアにお住まいで、現地の風景を描かれたことのある長野県飯山市にご自宅兼アトリエをお持ちの画家の山田真巳様の絵に通ずるものがあったからです。お二人の絵は、それぞれの個性があり、池口様の絵は鮮やかな色遣いによって大自然の「動」を、山田様は落ち着いたどこか寂しげな色合いで大自然の「静」を、それぞれ表現されているようにも思えました。

 

 さて、堺屋先生は大変な勉強家で、現在,公務員改革と地域主権の道州制の導入に熱心に取り組まれているというお話しを頂きました。私はかねてから、国家公務員、地方公務員あわせて100万人を削減すべきだと申し上げてきました。民営企業に勤める人の賃金はどんどん下がり、非常に貧しくなっているにも拘らず、公務員は非常に高い賃金を、年功序列型で今なお自然と昇給しながら受け取っているようなシステムでは、日本はとても持ちこたえられないと存じていましたが、堺屋先生はまさにこれを公務員の出身であるにもかかわらず、実現されようと意気込んでおられたのです。

 

 さて当日堺屋先生には、2つのことをお願いしました。 

 

 1つ目に、小生がこの3年間主催してきた「キャリア権研究会」についてお言葉を頂きたいということで、キャリア権研究会がこの6月に報告書を作成して、キャリア権の普及の段階になってきたということを踏まえ、堺屋先生にしかるべきときにご講演をお願いさせて頂くかもしれないということを申し上げました。(キャリア権研究会については、7月19日付「2011年7月第3週<10日(日)~16日(土)>の交友録 その2」をご覧ください)

 

 2つ目は、「貴水」についてです。これは当事務所発行の事務所報2011年新緑号と、5月20日付のブログ記事「原子力発電に代わる新発電方式の提案」を印刷したものをお渡しし、研究施設をご紹介いただきたいたい旨をお願いしたところ、「この紹介は大変難しく、日本の研究所では理解されず、適確な答えが見つからないでしょう」とのことでした。「私もそう思います」ということで、お願いは実現できませんでしたが、今後、何かしかるべき研究施設を思いつかれたら是非紹介して頂きたいとお願いしました。

 

 今後キャリア権と貴水を通じた新発電方式の研究などを通じて、今後何かと先生にご指導を頂ければと存じております。

 

 

 

 来週は、8月第2週(今週)にお会いした方々をご紹介したいと思います。

 

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気は心

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(2011年8月4日朝6時36分 東京都千代田区 靖国神社付近にて撮影)

 

 

 

【気は心】

  他人から何かをしてもらった時、何かをプレゼントしてもらった時、何か「親切」を感じた時に、「気は心」という言葉を使います。親切心は、人間と人間を結び付ける絆の一つです。人間という言葉は「人の間」と書き、人と人との間にこそ人間としての存在意義があります。そして、自分がどんなに苦しくて大変な状況になっても、人間には他人に思いを馳せることができる能力があります。これが「親切心」でしょう。「親切」とは、「弱い立場にある人や困った目にあっている人の身になって、何かをしてやったりやさしく応対したりすること」(新明解国語辞典第6版、三省堂)です。円滑な人間関係を構築するためには、「親切」という、人間同士を結合させる「心」、「気」の働きは極めて大切なことなのです。

 

 

  私は、「心」の周りにあるモヤッとしたものが「気」だと思います。つまり、「気は心」という言葉は、「心」の更に外側に大きな「気」というエネルギー地帯があるということを意味しているのではないかと思います。逆に言うと、「気」の核を「心」というのではないでしょうか。「気は心」という言葉を短縮して「気心」という言葉がありますが、つまり、「気」と「心」はまさに一体のものであることを意味していると思います。そして、「気」の方が「心」より先に表現されているのは、「心」より「気」の方が大きいということを意味しているのでしょう。

 

  「気心が知れた」、「気心が分かる」という言葉がありますが、「気」その核心の「心」を持つことができ、それを知ることができるのは「気」「心」には微弱エネルギーや波動といったものがあるからでしょう。

 

  「気は心」という世界を実現するためには、「気」という物事を察知する警報なりアンテナなりを張り巡らさなければならないと思います。そうでなければ、「気は心」という親切心は成り立ちません。人間の器というものは、実はこの「気」というアンテナの大きさ・深さによって勝負しているといって良いのではないでしょうか。

 

  また、「縁は縁を繋いでこそ円になる」という言葉があります。私は今まで、交際範囲の広く信頼のおける多くの知人から様々な人物をご紹介していただき、それによって私も交際範囲を広げることができ、多数の企業様からご依頼を受ける事務所へと成長することができました。

 

  ブログの交友録その3(7月26日付記事)でご紹介した曹洞宗大本山總持寺祖院の監院である今村源宗先生は、2000年9月からお付き合いさせて頂いている七尾自動車学校 代表取締役社長 森山外志夫様にご紹介いただきました。今村先生はお会いした同日の7月19日付のお手紙で「人に学ぶということが第一番の『縁』と存じます」という有難い言葉を寄せてくださいましたが、まさにその通りであると思います。

 

  ですから、私も、自分の親しい知人を別の知人へとご紹介する仲立ちをし、いってみれば弁護士活動ひいては人間としての活動の支援をさせていただいております。こういった他人に対する「気づかい」こそ、「気は心」という世界の一つの現れかと思います。

 

 

 

【弁護士は「気は心」の精神で臨む】

  弁護士はなんといっても自分の良心を示す、「気は心」の精神で臨まなければなりません。つまり、弁護士は絶えず依頼者のことを思い、そしてその思っていることを依頼者に伝え続けること、親切が必要でしょう。

 

  何かの折に気がかりなことが生じた時、あるいは音信がない時に、依頼者のことを思って、それとはなく電話をするなり、あるいは書面・メールを送るなりして問い合わせ、確認することが必要です。

 

  仕事を貰うまでは依頼者によく連絡をし、仕事を頂いたら(たとえば弁護士について言えば委任状をもらったら)、もう依頼者から連絡なりがなければ放っておく等、受動態のスタンスになる、さらにいえば冷たい態度をとる弁護士が多いのですが、それは「気は心」という世界を演出していない、あるいはそういうような気持ちになれない人物なのでしょう。こういった弁護士は、いずれは社会的評価の低い存在になってしまうでしょう。

 

【私心とは】

  私は、「気は心」の精神を絶えず心に留めて弁護士として仕事をしてきました。「気は心」の精神とは、つまり、「真・善・美」を追求する姿勢と、「夢・愛・誠」を旨として取り組み、またそれだけではなく、「義理」・「人情」に生きて、「(自己)規律」を負うという態度をとってきたということなのです。

 

  こういった対応を私は「良心にもとづいて仕事をする」という言葉を使って説明していますが、この「良心」とは、その詳細は「何が善であり悪であるかを知らせ、善を命じ悪をしりぞける個人の道徳意識」(広辞苑第4版)と解されています。

 

  「良心」に対峙する言葉は、「私心」です。およそ「私心」というのは、霊的ではなくて、動物的な意識です。

 

  「私心」のあるなしは、全ての人に関係することであり、「私心」のある人は、浅い人間関係社会において、かろうじて生きていくことになります。

 

  つまり、「私心」とは「私欲」とか「利己主義」という意味にも理解されるものであって、そして「邪心」、つまりよこしまな心、不正な心のことでもあります。つまり、人間性を失った心ということです。人間性を失ったということは、人間としての意識・霊性をも失ったということでしょう。人間は社会的動物と言われますが、「私心」があれば社会性を失うということにもなります。

 

  「私心」という邪悪な心をとりまく「気」は、もちろん邪悪であり、そういった「気」を発しても、相手は受け取らないでしょう。要するに、他人に「心」が伝わらない人は、「私心」のある人で、邪悪な気のエネルギーを有しており、相手に「邪心」として映って反発されるからです。それが人と人との協調を阻むことにもなります。

 

 

【良心に悖る】

  「良心に悖る(もとる)」という言葉があります。「悖る(もとる)」とは、「そむく、さからう」という意味です。「良心に悖る(もとる)」は、広辞苑には載っていないのですが、不思議なことです。そもそも、この「良心に悖る(もとる)」という言葉が、一般に慣用語句として使用されていないということでしょうか。この言葉は、例えば日本初のヨーガ行者で天風会の創始者である中村天風先生の本『中村天風 一日一話 元気と勇気がわいてくる哲人の教え366話』の8月30日に記載があります。

 

  「本心(「本心」とは広辞苑によると良心と同意義です)良心にもとった言葉や行いというものは、それ自体すでに消極的なんです。積極的じゃないんであります。というのは、本心良心にもとると、やましい観念のために心の力は常に萎縮してしまう。本心良心の発動した場合における言葉や行いというものには、一点のやましいことがないから、どんな場合でも恐れることはないという意味です。ですから、一言ものをいうときでも、ちょいとした手足を動かす場合でも、本心良心にもとらないようにしなくてはなりません。」

 

  ところで、嘘発見機(代表的なものとしてポリグラフを使用した装置が有名)という装置を皆さんも耳にされたことがあるかと思います。この装置は血圧や心拍数の変化を読み取ったり、脳波や声紋を測定したりと様々な種類のものがあるようですが、本心良心にもとる言葉や行いを発すると、その邪悪な「気」や「心」の働きから人間の生理現象に変化が表れ、この装置に反応するのではないかと思います。

 

 天風先生の上記言葉を簡単にまとめれば、良心にもとるとなると、やましい観念のために心の力は常に萎縮してしまいますが、良心の発動した場合における言葉や行いというものには、一点のやましいことがなく、全身全霊で取り組んでいるから、どんな場合でも恐れる必要がないということです。

 

 また、火事場の馬鹿力、という言葉があります。これは、科学的に言えば、人の脳というのは、筋肉を動かしたり、行動を起こすときに、普段は70%~80%程度の力しか出さないよう、脳がコントロールし、セーブしているのだそうです。なぜなら、常に100%の力で筋肉や身体を動かしていると、筋肉や骨に負担がかかり、身体を壊してしまうからだそうです。しかし、「火事場」のような、危機的状態や人を助けなければならないような状態に遭遇すると、この脳のセーブ機能が外れ、アドレナリンによって増幅され、そして100%の力(パワー)を発揮出来るのだそうです。

【参考】

http://blog.goo.ne.jp/senses1123/e/9b76419e188fe3c596577cfad33d1a4c 

 つまり、「火事場の馬鹿力」は、いってみれば潜在的能力のことで、これは、邪心を捨てて、良心に従い、「心」の力を強く持つことによって、「心」のブレーキが切れたときに、「心」の力が強くなってその力を引き出すことが可能になるということでしょう。そのときは単に「心」だけではなく、「心」を覆う「気」も解放され、心力とともに気力も充実し、強大になるのだと解釈しています。

 

 次回以降も「気」に関係するブログを投稿します。

 

高井・岡芹法律事務所
会長弁護士 高井伸夫

(次回に続く)

 

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(2011年7月31日 朝6:58 東京都千代田区日比谷公園にてインパチェンスを撮影)

 

 

(1) 株式会社木村興農社 代表取締役 木村 秋則 先生

 
7月24日(日)11時45分から12時40分まで青森空港の和食処ひばにて木村秋則先生にお会いしました。

 木村先生には、来年2012年12月7日(金)に弊所が開催する年末講演会にご出講をお願いしたところ、ご快諾をいただいたので、今回青森に赴いた際に空港でお会いした次第です。

 先生は、自然の力のみを利用した自然栽培農法を20年余にわたり、実践されていて、特に不可能といわれてきたリンゴの無農薬栽培を成し遂げ(もともとリンゴは通常十数回の農薬散布が必要なほど病害虫に弱いそうです)、ニュートンやライト兄弟よりも偉大な奇跡を成し遂げた方とも言われています。2006年12月7日NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で先生の特集が放映され、りんごの無農薬栽培を成功させるために試行錯誤、苦闘されてきた先生のエピソードは、視聴者の大きな反響を呼んだそうです。

 このNHKの番組を基に出版された先生のご著書「奇跡のリンゴ」(幻冬舎、2008)を私も購入し拝読しました。リンゴの持つ本来の生命力を信じ続け、そして成功を収められたエピソードは、リンゴに限らず、私たち人間も、自らの「生命力」「生きる力」について見つめなおし、中医学やホメオパシーなどの代替療法を取り入れ、ホリスティック医学(生命ある人間のからだを環境も含めた丸ごと全体としてとらえ、いのちのエネルギーを高めていく)の確立をしなければならない時期にあると感じました。(ホリスティック医学については、7月12日付の「7月第2週 2日(日)~9日(土)の交友録」もご覧ください。)

 先生は、自然保護の観点から様々な事柄に取り組んでおられる方です。また、この不況下にも関わらず、年間200回もの講演を引き受けておられ、お会いした前日の23日も八戸で講演されて青森県弘前市にご帰宅の途上、空港で落ち合ってお会いさせていただいた次第です。

 実際にお会いしてみて、津軽弁丸出しの素晴らしい話術の持ち主で、かつ非常に明朗闊達な方という印象を受け、年末講演会では必ずや素晴らしい講演をして下さるに違いないと確信致しました。私からは、「僅か1時間ほどの講演ですが宜しくお願いします」と申し上げ、今後、年に1~2回のペースでお会いさせていただき、講演に備えていただくことになりました。

 先生にご講演いただく2012年12月7日(金)の年末講演会には、皆様もふるってご参加のほどよろしくお願い致します。木村秋則先生の講演を大いに楽しみにしましょう。

株式会社木村興農社HP  http://www.akinorikimura.net/



(2)   双日株式会社 社長 加瀬 豊様・執行役員 西原 茂様・秘書部上級主任 五十嵐 なみ穂様

 7月26日(火)夕方18時30分より21時近くまで、加瀬 豊様、西原 茂様、五十嵐 なみ穂様とリーダーシップセミナーの取材のため東京・芝とうふ屋うかい(東京都港区芝公園)にてご歓談させていただきました。

 加瀬様とは、1988年に加瀬様が日商岩井株式会社で人事部人事チームチームリーダーを務められていた当時にタイ支店でお会いしたのですが、最近のご活躍ぶりを改めて嬉しく思い、今般、リーダーシップについてご教授をお願いした次第です。

 西原様と五十嵐様は、今回初めてお会いしましたが、西原様は、頭脳明晰という印象で、加瀬社長から信頼を寄せられていらっしゃることが分かりました。五十嵐様はベテラン20年選手の秘書さんでいらっしゃいますが、若々しさがみなぎっていらっしゃいました。私は、故・速水 優様とは日商岩井株式会社の代表取締役社長でいらっしゃった当時にご面識がございました(後に第28代日本銀行総裁になられました)が、五十嵐様はその当時から秘書として勤められているとのことでした。

 さて、取材のお話をしますと、予め「リーダーシップ」についてご質問した5つの項目につき、それぞれがご回答をご用意して来て下さっており、それぞれ実務に即した忌憚のないご意見を述べられました。結論的に言えば、「リーダーシップはそれぞれの個性にあったものを確立しなければならない」ということでございましたが、当然のことながら、その必須条件、ポイント、スペック等々を語って下さりました。

 「リーダーシップ」は、私が人生の最後の課題としてチャレンジする75歳からの講演の基本テーマです。私が75歳となる来年の5月9日から100回を期して、全国で講演を行う予定であり、その目的は言うまでもなく、日本人の後継者に日本人によるリーダーシップはどうあるべきかを語ることにあります。ドラッカー論とか何とか論によらずに、日本人の手による、そして、日本の思想家による、更には東洋の思想に基づく、リーダーシップ(統率)論を展開したいという思いからであります。

 あまり偏頗な考え方にならず、おおらかな形で論稿をまとめ、100回達成の時点で本を上梓したいという思いにかられているため、その100回記念が77歳になるか78歳になるか分かりませんが、レジュメを毎日少しずつ更新しながら、より立派なものにしていきたいと考えています。

 そのリーダーシップセミナーのトライアル版は今月5日に札幌において開催するのを皮切りに月1回のペースで開催していき、来年5月からは月に1回に限らず、100回を目指して精力的に開催していきたいと考えています。


(3)    株式会社ティーワイリミテッド 代表取締役社長 依田巽様ご夫妻

 7月30日(土)19:00頃から、西麻布の「椿」というイタリアンレストランの一番奥のコーナーで依田巽様ご夫妻とお食事を共にしました。


 依田巽様とは、1975年頃サンスイでお会いしました。サンスイは労使紛争が激しい企業でしたが、依田様はアメリカで仕事をされることが多く、直接の関わりはありませんでした。ある日、たまたまサンスイ本社で会合があった時に、依田様が丁度帰国されており、その際に初めてお会いしたといういきさつでした。その後、正式な仕事の絡みで面識を得たのは、1995年、依田様がエイベックス・ディー・ディー株式会社(現エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社)代表取締役会長兼社長でいらっしゃった時のことです。以来親しくして頂いていますが、一番印象的なのは、1996年4月27日から5月3日まで、私が団長を務めたミャンマー社会経済使節団として、ミャンマーを訪問した時です。そのとき依田様ご夫妻もご出席されていました。


 私は弁護士になってアジアをほとんど巡回しました。行っていないのはラオスとボルネオとスリランカのみであり、殆どの国にお邪魔しました。ミャンマーにもその後少なくとも3回、計4回、ひょっとしたら計5回もお邪魔しています。一方、依田様は現在、東京国際映画祭のチェアマンとして世界を股にかけて大活躍されている方です。

 7月30日(土)のお食事会では、3時間近くにわたって歓談させていただき、主に依田様の人生の歩み、それからミャンマーでの思い出、リーダーシップ等々のテーマで話が弾みましたが、とりわけ依田様ご夫妻がお元気であったことが嬉しく存じました。依田様の奥様とはミャンマーで一緒だった以降何かのきっかけでお見かけしたことが一度あっただけであって、久し振りに親しくお話しをさせて頂きました。

 依田様はお仕事柄殆ど外食で、奥様は一人で食事をするのにももう馴れてしまったなどと仰ってはいましたが、私は折々依田様にお会いしますので、奥様をも交え何人かの方をお誘いして、ご懇談の機会を折々設けさせていただくことをお約束し、夜10時近くにお開きになりました。

 

 来週は、8月第1週(今週)にお会いした方々のご紹介をしたいと思います。

 

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