<イッピン> シェ・オリビエ

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<イッピン>
シェ・オリビエ

 

 

私の事務所から歩いて数分のところに、趣のある佇まいのフランス料理店がある。

名前は「シェ・オリビエ」。

ミシュランガイドで一つ星を獲得した、知る人ぞ知るフランス料理の名店である。

 

ふとしたことで訪れ、気に入り、以来知人をお招きする食事会などで利用している。

 

シェフのオリビエ・オドス氏は、パリの「ラ・トゥール・ダルジャン」(在籍当時2ツ星)でセカンド・シェフを務め、2000年に「ル・コルドン・ブルー」の料理教授として来日。2009年にシェ・オリビエをオープンされたそうだ。

 

シェ・オリビエの店内はさほど広くはないが明るく、テーブルセットが綺麗にされていて、いつ来ても気持ちのいい空間だ。

 

肝心の料理はというと、オリビエ氏の発想の豊かさが窺われるような独創的なもので、新しいけれど、確かに美味しい。

そしてまた、美しい食器に色彩豊かに、大胆なレイアウトで盛り付けられていて、目にも楽しいのだ。

 

半熟たまご、ハーブのソース、きのこのクリーム煮ベルモット酒の香り

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アイナメのボワレ、カラマンシー風味のエリンギ、スモークグリーンソース

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ホワイトチョコレートの殻に入ったティラミス、温かいコーヒーのソース

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私は、このお店で料理研究家の大森由紀子さんとディナーをご一緒させていただいたことがあるが、やはりプロの方から見ても、シェ・オリビエの料理は一級品であるようで、大森さんも舌鼓を打っていた。

 

職場の近くにこんな素敵なお店があるということは、ちょっとした幸せを私に感じさせてくれる。

シェ・オリビエはイッピンを味わえる名店である。

 

 

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  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第26回目です。
  • 第26回目は、株式会社浦上蒼穹堂 代表取締役 浦上満様です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第26回)■ ■ ■ 

株式会社浦上蒼穹堂 代表取締役 浦上 満 様

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[株式会社浦上蒼穹堂 代表取締役 浦上満様プロフィール]

1951年東京生まれ。

大学卒業後、古美術界の老舗、繭山龍泉堂にて5年間修行。1979年4月に独立、日本橋に浦上蒼穹堂を設立し、今年で満38年。

中国、朝鮮半島、日本の古陶磁を主に扱い、他に青銅器、漆器そして浮世絵(主に葛飾北斎)なども取り扱う。国内外の美術館、博物館の企画展にも協力、出品依頼が多数あり、1994年東京国立博物館で催された「中国の陶磁」展には全343点(国宝3点重要文化財30点を含む)中、42点を出品協力。個人コレクターを主眼におきながらも、国公立の美術館や財団法人の美術館、アメリカの美術館にも数多く作品を納める。

葛飾北斎の「北斎漫画」のコレクションは質量ともに世界一といわれ、1987年以来、現在までに35回以上「北斎漫画」展を全国の公立美術館で企画、開催。2016年、第10回国際浮世絵学会 学会賞受賞。

〔著書〕

  • 「古美術商にまなぶ 中国・朝鮮古陶磁の見かた、選び方」(淡交社)
  • 「北斎漫画入門」(文春新書)

 

〔現在〕

(株)東京美術倶楽部 常務取締役、東洋陶磁学会 監事、国際浮世絵学会 常任理事/総務委員長、アートフェア東京 コミッティ(運営委員)、慶應義塾大学特別招聘講師

浦上様と高井

(写真は左が浦上満様、右が高井伸夫 取材日に撮影)

[今回のインタビュアー・同席者は以下の通りです]

  • 高井伸夫
  • 高木光彦(弊所庶務・ドライバー)

(取材日 2017年8月26日(土)11:30~於:株式会社浦上蒼穹堂)

 


高井

浦上様といえば、北斎漫画のコレクションでは世界一と言われていますよね。

 

浦上様

北斎漫画は葛飾北斎が描いた絵手本です。初編から15編あって、これは江戸時代のベストセラーでありロングセラーなんです。私は18歳の時から集め始めておりまして、爾来48年間、今でも集め続けていて、専門家の間では質量ともに世界一のコレクションといわれています。

江戸時代の版本ですから、当時は1編につき、何百冊、何千冊とあったはずなんです。版画ですから、初摺りといって、初めに摺ったものがいいに決まっているんですね。なぜかというと、初めのうちは版木がまだエッジが立っている、ところが沢山摺っていくうちに、だんだん版木が摩耗して、線も鈍くなっていく。当然初摺りで、なおかつ保存状態がいいものが欲しくなる。200年も前に刊行されたものですから、保存状態が悪いものがいっぱいあるんですよ。摺りが早くて、保存状態がいいものを一生懸命探しているうちに、1,500冊にもなっちゃったんです。初摺りは1,500冊あるうちの150冊もないですね。とても貴重です。

自分で購入して「これより、こっちのほうが早いな」という経験を積んで、だんだん目も利いてくる。1,500冊も集めましたので、おかげさまで、大英博物館や東京国立博物館の所蔵品よりも良い「北斎漫画」を私は持っています。

 

 

高井

本当によい骨董品とはどういったものをいうのですか。

 

浦上様

例えば“三彩”は技法ですから、現代でも作られていますよね。中国は唐の時代、8世紀を中心に作られたのが、オリジナルの唐三彩です。本ものでも、ピンからキリまであります。理想をいえば、本ものの最高品を買うことです。でもそんなものはなかなか出てこない、出てきても1点で何千万円、何億円もする場合があります。値段も大切なファクターです。大切なのはそのものの本質を見ることです。

例えば、あるジャンルで、最高のものが1億円だとして、同じ時代の同じ窯で焼成されたものでも10万円しかしないものもあります。本ものでありながらこの1億円と10万円の差というのは、普通ちょっと理解できませんよね。それぐらい厳しい差があります。

 

 

高井

本ものとガラクタをどうやって見分けるのですか。

 

浦上様

やっぱりそれは、長年の経験と、経験を通じて培った美意識でしょうね。そんなに難しいことではありません。私たちは若いうちから数多くのものを見ている。特に見始めの頃は、変なものを見ちゃいけない。いいものだけをたくさん見る。そうすると、変なものを見た時に、自然に拒絶反応が出ます。嫌だとか、気持ち悪いとか。そんなのは君の感想だろうといわれそうですが、それが大事なんです。そうやって一種の感覚が純粋培養されていきます。ただ、それを勘とか感覚だけで終わらせず、本を読んだり研究したり、いろいろ勉強もします。今は、世界中の美術館で、優れたコレクションを見ることができます。現物を見る機会がある。そういう時にしっかりといいものの造形や感触を叩き込んでおきます。比較してみると“いいもの”と“そうでないもの”との違いが分かってきます。

 

高井

そういった“目利き”の後継者は育っているんですか。

 

浦上様

どの業界も、「後継者不足だ。質が落ちた。」と言いますが、それなりにいると思うし、いなきゃ困りますね。

今、一番の問題は、優れた本ものに触れる機会が少ないことです。美術館の学芸員で例えると、いい作品を、展覧会のためによそから借りてきたりする。その時に、学芸員が直接触れることができないんですよ。日通とかヤマトの美術専門のチームがあって、その人たちが、作品を開包したり展示したりする。なぜかというと、何か事故が起きて美術品が壊れたりした時に、そういう人たち以外の人だと、保険が下りないからです。

これはまさに本末転倒の話で、プロの学芸員が触らなきゃいけない。特に新米の学芸員なんか、そういう時に触ってものの重さとか、高台の様子を覚えるんですね。ところが、触れることができないから、一生、目利きになれませんよ。

われわれ、いわゆるプロの美術商がなぜ目が利くかというと、恐ろしいほど沢山ものを見ているんです。それも手にとる。手にとって、体で覚えているんです。だから、そういう訓練をしていかないと、眼なんて肥えるもんじゃないんですね。保険が問題なら、特記事項に、ここの学芸員の誰々が触って、もし何か事故があっても保険が下りるというような条項に変えたらいいんですよ。今のままだと、どんどん不毛になって、目利きが育たなくなると思います。

 

 

高井

先生は長年古美術を扱っていますが、オールマイティの目利きですか。

 

浦上

オールマイティという人は、ハッキリ言っていません。いたら、それはかなりあやしいと思ってください。みんな、自分の得意のジャンルしか分からないです。ただ、得意なジャンルを極めた人は、当然いろんなものを見ていますから、だいたいのことは分かるんです。でも、“だいたいのこと”であって、自分の自信を持って言えることしか、言っちゃいけないんです。

全部オールマイティ、どこかの占い師じゃないけど「黙って座れば、ピタリと当たる」なんて、そんなふうに言う人がいたら嘘だと思ってください。

それぞれの分野で「これはあの人だな」というのがあるんです。私も「これはもう浦上さんに聞こう」という立場にならなければいけない。お互いにそれぞれの分野で、引き出しを持っているわけです。これはあの人に聞く。それはもう、ものすごく確かです。学者さんは値段まで分かりませんが、プロは当然値段まで分かっちゃう。

 

高井

日本の美術の問題点について教えてください。

 

浦上様

日本の政治家とか官僚や役人という人たちは、非常に美術に弱い、疎いんです。それが問題だと思っています。美術は政治家にとっては票にならない。官僚も学業は優秀なんでしょうが、子どもが「お父さん、今度の日曜日、美術館に連れて行って」と言われても「お前そんな時間があったら勉強でもしていろ」とか、「せめてスポーツにしろ」とか言う。要するに、美術は無駄なもの、ある意味では、一種の遊びだという感覚で捉えている人が多い。

企業でも銀行でもトップになる人というのは、人間性が大事ですよね。外国で「私、美術が嫌いです」とか「関心がありません」と言ったら、「私は野蛮人です」ということを、自ら吐露しているようなもんなんですよ。ところが日本人は、それに気が付いていない。一流の政治家でも、一流の経済人でも、それが非常に恥ずかしいということに気が付いていないんです。

日本人は、勉強なら勉強だけができればいい。企業なら、ただ仕事がちゃんとできればいいとか、そんなことばかり言っているけれど、そこに文化的な素養がないと、欧米では馬鹿にされるんです。少なくとも、トップには立てない。

 

 

高井

日本人がより美術に親しむためには何が必要でしょうか。

 

浦上様

根本的には教育です。小さい時から、日本には、美術に対してのびのびと見る環境がなさ過ぎると思います。

外国では、よく美術館の大きな絵の前で、子どもたちがペタッと床に座って、先生か学芸員の人たちから「これはね、こういうことが描いてあるのよ」と説明を受けている光景を目にします。日本だと、「静かにちゃんと見て、レポートを書きなさい」と言われる。だから、子ども心に「厄介な所に連れてこられたな」と思ってしまう。要するに、もっと自由に本当にその世界に馴染むような教育がされていない。日本の美術教育っていうのは、中学校も高校も、惨憺たるもんです。文化は金だけかかって何にもならないって、一般の人も思ってしまっていると思います。

 

高井

美術に対する教養が必要なんでしょうか。

 

浦上様

“教養”とは少し違います。教養というと勉強なんか嫌だと思ってしまう。私は、美術を楽しんでほしいと思っています。

よく美術館へ行くのは敷居が高いとも言われますが、私たちが2015年に日本初の春画展を開催した時、3ヶ月で21万人の入場者があり、特に若い女性が殺到しました。その中には「美術館に生まれて初めて来ました」と言う人もいました。春画がどうこうということではなく、本当に見たいものがあれば人は来ます。

本当に見たいものを見る。何か好きなものを見つけることが大事です。例えば美術館へ行って混んでいれば順番に見る必要はありません。すいているところから見て「あ、これ好き」と思うものがあったら、作品の名前を覚えておく。そして、また行った時に「ああ、これやっぱり何回も見ても好きだな」と、そういうことから入っていけばいいんです。そうやっているうちに、だんだん、いい意味で深みにはまって行く。好きな絵をみると疲れが吹っ飛んじゃう。例えば、おいしい物を食べたり、素晴らしい景色を見たときと、美術も同じなんです。

また、若い時はいいと思ったけれども、年を取ってきたらちっともいいと思わない。逆に若い時、これはつまんないと思っても、だんだん年を取ってきたら良くなった、なんていうこともあります。ものを通して自分が見えてくる。そういうこともあるから、美術は面白いんです。古美術だって古くさいと思わず今に生きる人間として、人類の遺産と思って、まず見ること。自分の好きな作品を、素直に見ながら、少しずつ勉強していく。そうしたら、美術が楽しいし、また、はたから見ても「あの人はちょっと格好いいわね」ということになると思いますよ。

 

 

高井

浦上さんは今後どういう生き方をするのですか。

 

浦上様

私は美術商ですから、よい作品をそれにふさわしい美術館やコレクターに収めていくということです。やはり、できるだけいいものを扱いたい。あの世まで持って行けないだけに、そのものにとって一番ふさわしい所に収める。そうやって日本の美術を盛り上げるのに一役かって、「いい仕事をしたな」と思えたら嬉しいです。

 

以上

 

 

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2017年11月29日(水)、日本工業倶楽部会館において、連載「時流を探る~高井伸夫の一問一答」第25回達成を記念して、感謝の会を開催いたしました。16名の方々にご参加いただきました。

ご参加いただいた方々をご紹介申し上げます。

〔対談者〕

s   第3回 プロ登山家 竹内洋岳様

http://www.law-pro.jp/weblog/2016/10/post-220.html               

s   第6回 精神科医 大野裕先生     

http://www.law-pro.jp/weblog/2016/12/post-234.html               

s   第7回 元トッパン・フォームズ代表取締役社長 福田泰弘様                

http://www.law-pro.jp/weblog/2016/12/post-237.html

s   第8回 アタックス税理士法人公認会計士・税理士 酒井悟史様             

(現在 株式会社repca 代表取締役社長)             

http://www.law-pro.jp/weblog/2017/01/post-243.html

s   第9回 メルコスール観光局 池谷光代様                      

http://www.law-pro.jp/weblog/2017/02/post-248.html

s   第12回大鵬薬品工業株式会社特別相談役・ニチバン株式会社名誉会長 小林幸雄様

http://www.law-pro.jp/weblog/2017/04/post-267.html

s   第15回TMI総合法律事務所パートナー 弁護士・弁理士 升永英俊先生

http://www.law-pro.jp/weblog/2017/06/post-280.html

s   第17回ナミHRネットワーク 代表 人事コンサルタント 川浪年子様  

http://www.law-pro.jp/weblog/2017/07/post-286.html

s   第18回法政大学名誉教授 諏訪康雄先生                      

http://www.law-pro.jp/weblog/2017/08/post-290.html

s   第24回警察官友の会 前事務局長 秦正行様、事務局長 星範夫様      

http://www.law-pro.jp/weblog/2017/11/-gen.html

 

〔対談にご同席された方〕

s   第1回、第7回、第10回ご同席 株式会社ことば未来研究所 代表取締役社長 鮒谷周史様

(第1回)http://www.law-pro.jp/weblog/2016/09/hdcoo.html

(第7回)http://www.law-pro.jp/weblog/2016/12/post-237.html

(第10回)http://www.law-pro.jp/weblog/2017/03/post-255.html

s   第2回ご同席 株式会社新規開拓   管理部  古林央子様 

(第2回)http://www.law-pro.jp/weblog/2016/10/post-218.html

s   第4回、第9回ご同席 久佐賀義光様

(第4回)http://www.law-pro.jp/weblog/2016/11/post-223.html

(第9回)http://www.law-pro.jp/weblog/2017/02/post-248.html

s   第22回ご同席 A.S技術士事務所 所長 角耀様

(第22回)http://www.law-pro.jp/weblog/2017/10/post-302.html       

s   第23回ご同席 公益財団法人ヒューマニン財団 理事長 寺山智雄様

(第23回)http://www.law-pro.jp/weblog/2017/10/post-306.html

 

当日は、小生の挨拶の後、プロ登山家竹内洋岳様、精神科医大野裕先生、メルコスール観光局池谷光代様よりスピーチをしていただきました。

スピーチの一部をご紹介いたします。

 

竹内洋岳様

「私が登山を続けてきた理由は、おそらく“人に出会う”ためだったのではないかと思っております。自分にとっての1つの頂上に立った時に、またその先の頂上を見つけます。皆さんが違う山なんだが、それぞれの分野の頂上に立っておられて、実はその山同士が意外と見渡しが良くて、見えてしまって目が合った、というのが今日のような機会なのかなと思っております。」

 

大野裕先生

「『意欲をどうやって出すか。』というテーマで取材があり、“山に登る”というのを1つのテーマに、ちょっと話しました。山に登るのは非常に大変なことだけれど、それでも登るのは、その先に目標があるからではないでしょうか。山に登って良い気持ちになるというのも理由でしょう。それから“人との出会い”というのも大事なんだと思います。今日そういう話をここで聞けるというのが、すごく色んなご縁だと感じております。」

 

池谷光代様

「1番大切なご縁。ご縁というのは、その人の可能性を引き出す大きなものだと思います。そしてそのご縁を未来につなげるのは、自分自身であります。ですから、またこういう素晴らしい皆様とのご縁を頂きまして、本当にありがとうございます。」

 

また、警察感友の会 事務局長星範夫様が勇躍登壇され、友の会の会員募集に熱弁を振るわれました。

 

今回参加が叶わなかった第3回ご同席のUTグループ株式会社 代表取締役社長若山陽一様より、卓上花をお贈りいただきました。お花は講演台に飾らせていただきましたが、会場が大いに華やぎました。

 

参加された皆様、積極的に名刺交換をされて、熱心に交流しておられました。最高齢は、昭和6年生まれの大鵬薬品工業株式会社特別相談役・ニチバン株式会社名誉会長 小林幸雄様で、最年少は??

幅広い年代の皆様とご縁をいただき感謝申し上げます。

今回は第25回を記念しての開催でしたが、50回、75回、100回を目指して連載インタビューを続けたいと思っております。

 以上

 

集合写真

写真撮影:角耀様

 

 

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2017年10月22日「カメリア会桜ヶ丘訪問記」

 

 

高井会長弁護士20171022カメリア桜ヶ丘訪問.jpg

 

2017年10月22日、湖山医療福祉グループが運営する特別養護老人ホーム カメリア桜ヶ丘を訪問しました。

 

カメリア会の湖山泰成理事長は、社会奉仕のために高齢者施設等の運営を始めたといいます。現在では17都道府県に199箇所の施設を展開し、年間利用者数延べ380万人、職員は9,000人を超す大規模グループとなりました。湖山理事長は、交通費以外は無給で仕事に取り組んでおられるそうで、その福祉精神の深さに、私は非常に感銘を受けました。

 

さて、訪問日当日、職員の皆さんはお忙しいさなかにもかかわらず、暖かく迎えてくださいました。

 

私が一番驚いたのは、何といっても施設の清潔さでした。

一般的に、医療等の施設においては、どうしても臭いが多少は気になるものですが、カメリア会桜ヶ丘はそういったものが全くありませんでした。

 

院内には、各居室の中央に「なかまち」というスペースが設けられ、そこは、カフェでもあり、同時に買い物、映画やコンサートの鑑賞もできるようになっています。

買い物スペースにはカートが設置され、施設内にいながら外出しているような気分を味わえるという工夫も凝らされており、こういった環境であれば、長期滞在の入居者の方々も閉塞感を感じることなく毎日を気分よく過ごせるのではないでしょうか。

 

伺った話によると、湖山医療福祉グループでは人材育成に力を入れていて、介護福祉士実務者研修を行うことのできる「KOYAMA College」を開設して、授業料を全額免除として、職員が国家資格を取得するための手助けをしているとのこと。職員の方々がキャリアプランを明確に思い描き、充実感をもって働いていることも、施設の雰囲気を明るくする大きな要因なのだと思います。

 

湖山医療福祉グループは経営方針として以下の五箇条を挙げられています。

 

個を大切にし、心を満たす医療・福祉の実現

よろこびと感動の共有

地域社会との対話と交歓

安定と健全な発展

誇れる職場の創設

 

今のような運営を続けられていれば、この方針を体現する貴重な施設として、カメリア会はより一層の発展を遂げていくであろうと私は確信しております。

 

以上

 

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  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第25回目です。
  • 第25回目は、レストラン・L’asse(ラッセ) シェフ 村山太一様です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第25回)■ ■ ■ 

レストラン・L’asse(ラッセ)  シェフ 村山 太一 様

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[レストラン・L’asse(ラッセ) シェフ 村山太一様 プロフィール]

新潟県出身。http://lasse.jp

京都、料亭にて茶懐石の修業をした後、2000年イタリアに渡る。

2つ星レストラン2店を経験した後、3つ星レストラン「ダル・ぺスカトーレ」で修業。2008年に帰国し、店の開店準備を始め、2011年5月12日、オーナーシェフとして独立、L’asseをオープン。L’asseはオープン半年でミシュランガイド1つ星を獲得。

 

[今回の同席者は以下の通りです]

  • 株式会社松井オフィス 代表取締役 松井忠三様

株式会社良品計画 名誉顧問(現任)、株式会社松井オフィス 代表取締役 http://matsui-office.jp/

2001年に株式会社良品計画代表取締役社長就任。大掛かりな経営改革を断行し、創業以来11年続いた海外の赤字も2002年に黒字に転換させ、現在25の国と地域に300店舗を展開する礎を築く。2008年、株式会社良品計画 代表取締役会長(兼)執行役員。2015年から現職。


※村山様と松井様は、村山様が当時、イタリアを代表する三つ星レストラン「ダル・ペスカトーレ」にて副料理長として働いていた時に、松井様が食事に訪れ出会われました。村山様の帰国後にお二人は再会され、東京でのレストラン開店を目指して、準備をすることで意気投合され、2010年10月19日に、株式会社ラッセを村山様と松井様の折半出資で設立されました。

  • 高井伸夫

村山様松井様お写真

(写真は村山太一様(左)、松井忠三様(左)取材日に撮影)

(取材日 2017年8月22日(火)15:30~ レストラン・L’asse(ラッセ)

 


 

高井

村山様はイタリアで修行されていますが、イタリアに行くまでの経緯を教えてください。

 

村山様

僕は新潟の十日町の出身です。十日町は豪雪地帯で、冬になると雪が2~3メートル積もることがあります。高校を卒業して、長岡市の北陸学園に1年間通った後に、京都の料亭で修行をしました。「吉泉」という2008年にミシュランが上陸したときに3つ星を取っている料亭です。僕が修行していたのは20年前なので、まだミシュランも何もない時代でした。そこで修行した後に今度イタリアにひょんなことから行くことになりました。25歳の時です。8年弱、イタリアで過ごしました。

 

高井

村山様はイタリアに行って、”皿洗い”から始めたんですか。”見習い”から始めたんですか。

 

村山様

イタリアでは、洗い場は洗い場という職業があり、料理人は料理人という職業で分かれています。僕は、料理人として入ったので最初に働いた店からメイン料理を担当しました。

イタリアでは、料理人に階級というのがなくて、前菜のポジション、お肉のポジション、お魚のポジション、パスタのポジションというように、ポジションがあり、そこを全員でぐるぐる回るという形です。ある程度未経験の場合は、そのまま各ポジションのサブ的な役割、見習いの役割になるんです。一度各ポジションのシェフになると、もうずっとシェフのまま、いろんなポジションを移動して、それで最終的に全部学んだ後に一番の統括シェフになります。イタリアでは、見習いかシェフかのどちらかしかありません。

 

高井

イタリアでは、料理人は見習いかシェフしかない。村山様はどちらでしたか。

 

村山様

最初のお店からシェフとして「できるか?」と聞かれたので「できる」と答えました。本当に初日からシェフとして働かなければならない状況でした。客席には、最初はイタリア語が分からなかったので出ませんでしたが、6~7年目ぐらいになると自分で作った料理は自分で出してサービスするということもやっていました。

 

高井

村山様は三つ星レストラン「ダル・ぺスカトーレ」で修業されていますが、相当厳しかったようですね。

 

村山様

「ダル・ぺスカトーレ」は、イタリアで一番長い、23年間ものあいだ、3つ星を取っているレストランです。「ダル・ぺスカトーレ」のシェフであるナディア・サンティーニさんには、イタリア料理を徹底的に教えていただきました。とても厳しいところでしたが、もっとも多くのことを学びました。今でも、シェフとは月に1回は電話をしています。家族のような感じで、たわいない会話をしていますよ。

 

高井

L’asseを開店してから、一番苦労したことは何ですか。お客さん集めですか?

 

村山様

L’asseを開店したのは、2011年5月です。今ちょうど7年目に入りました。店を開ける前にお客さまに対して宣伝・告知を一切しなかったので、当たり前ですが、全く知られていなかったので、お客さまは来ませんでした。

 

松井様

海外で経歴を積んで、通常は日本のレストランでスーシェフ(注)か何かをやってお客さんを作って、独立するときには、その人たちが来てくれる。これが通常の独立の仕方です。村山君はそれなしで独立したんです。ですから通常とは違って苦労がありました。

注:スーシェフ フランス料理における副料理長のこと

 

村山様

今は、いい時もあれば悪い時もあり、山あり谷ありですが、お昼は90%以上、夜は70%くらい席が埋まっています。週末はありがたいことにずっと満席なんです。お客さん集めも大変なことですが、料理は味を向上させるというのがやっぱり一番苦労します。

 

高井

味を向上させるとは、どうやって向上させるんですか。

 

村山様

いい食材を探すことが第一です。食材探しは本当にいい生産者と出会うこと。その生産者自体がどこにいるのか分からなかったので、お客さまに聞いたり、知り合いのシェフに聞いたりして、生産者さんのところに会いに行って、生産者さんと話をしてお互い信頼関係を結ぶ。よりいいものを仕入れて送ってもらうためには、生産者さんと信頼関係を結んでいくことが大切だと考えています。

 

高井

生産者との出会いで一番感激したことは何ですか。

 

村山様

当店では、淡路島の漁師さんから直接、お魚をそのまま船の上から発送してもらってるんです。今年の2月頃に、淡路島へ行って漁師さんと一緒に船に乗って漁に出させてもらいました。漁師さんたちは、ものすごい揺れてる船の上で、落ちたら本当に命を失ってしまう、そういう状況で漁をしている。漁にかける思いに重みがあります。そういう人たちから新鮮なお魚を送っていただいている。それにすごく感動して、これはぜひお客さんに届けなきゃいけないと感じました。船の上で食べたらすごくおいしい、そのおいしさを、いかに変わらないように最短で送ってもらい、お客様に届けるか。僕らの仕事は、“食材”を“味”に変えるということ、そこで味わった感動をお客さまに味わっていただく、というのが僕らの仕事かなと思っています。

 

高井

ディナーコースは、1万5,000円と1万800円。ランチコースは2,600円、5,400円、3,600円。メニューの中身はどれぐらいで変えるのですか。

 

村山様

メニューは月に1回変えて、季節感を大切にしています。月に1回変えるんですけども、その日に本当にいい食材が、お魚の漁師さんだったり、お肉の生産者から入ったりしたら、その時はぱっと入れ替えます。

 

高井

L’asseのメインディッシュでベストワンは何ですか。

 

村山様

今、当店でベストワン、お客さまに一番支持いただいているのは、先日『東京カレンダー』という雑誌でも取り上げられた、4種のチーズを入れたラヴィオリです。一番お客さまから好評いただいています。ラヴィオリというのはパスタ料理なんですが、チーズの詰め物をした卵の麺です。先生も何回か召し上がっていますよ。

東京カレンダー掲載:https://tokyo-calendar.jp/article/9848?ref=restaurant

 

松井様

「L’asse」という名前はイタリアの麺を打つ板のことを意味します。それでL’asseでは全部手打ち麺なんです。発想はイタリアのマンマの味を日本に届けるということです。イタリアの最高の素材を最高の技術で届けている、ラヴィオリは、まさにナンバーワンに相応しい料理ですよ。

 

高井

麺はどこから仕入れているんですか。オーガニックですか。

 

村山様

麺は日本の国産の小麦や、鮮度のいい、いわゆる製粉したての小麦を使っています。千葉県にある、小さな小さな製粉会社から仕入れています。すべてオーガニックにこだわっていて、卵もやっぱり味の濃い卵で合わせて使ったりしています。

 

高井

ところでお店の壁紙がすべて和紙のようですが、特徴的ですね。

 

村山様

店内の壁紙は全部和紙でつくっています。故郷の新潟十日町の森のブナ林と白樺が素晴らしいので、それをコンセプトに特注したんです。パンレフットに載せた「木漏れ日の差し込む森の中」をイメージしたんですよ。

 

高井

村山様の理想のお店はありますか。

 

村山様

理想ですか。理想は、教わってきたイタリア料理もそうなんですけれども、やっぱり現地のイタリア料理、現地でしか食べられないもの、日本だったら日本の素晴らしい食材、新鮮な食材を、イタリアで教わってきた技術で「日本でしか食べられないイタリア料理」にしたいなと思っています。それでこそ本物のイタリア料理になると思っています。

そしてそれは、やはりいかに自分でおいしい料理を作ってお客さんを呼ぶかにかかってるなと思っています。いかにおいしい鮮度のある食材を出せるか。

お客さんが来店された時にいかにおいしいものを提供できるか。自分が全力を出して、昨日よりも今日の方がおいしい。今日よりも明日のほうがおいしいっていうものを常に考えていく。

 

高井

社訓や理念はありますか。

 

村山様

社訓。そういうのをまだ考えている最中といえば考えている最中なんですけれど、「食を通して人を幸せにする」ということでしょうか。あとは、食に関わることによって、みんなが、関わってる人全員が幸せになっていく、これがすごく大事じゃないかなと思っています。

 

高井

最後に、今後の抱負を教えてください。

 

村山様

これは、やはり料理の味です。より一層おいしいものを作っていって、おいしい料理で勝負したい。これに尽きます。

 

高井

おいしい料理の追求ですね。これからも頑張ってください。

 

以上

 

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2018年10月18日(水)13:10 六義園にてツワブキを撮影
花言葉:「謙遜、先を見通す能力」

 

 

第11回 経営危機下の身の処し方

 

株式会社日本総合研究所
リサーチ・コンサルティング部門
青木昌一

 

 1.窮極の選択

今回はかつて私が経験したような経営危機下でどうモチベーションを保ち、自らの役割を全うするかについてお話ししておきたいと思います。

今現在、どんなに優良企業であっても10年後に会社が経営危機に瀕することはないとは誰も保証できません。私自身前職の西洋環境開発に入社したときにまさか自分の会社が14年後にこの世から消えてなくなるなどということは露ほども考えていませんでした。

 

さて、自らが所属する会社が経営危機に瀕したらどうするか?

もちろん、そんな会社には早々に見切りをつけて新たな道を見つけて転身することも有力な選択肢です。もし、今の私であればたとえ年齢的に転職が厳しくてもそういう選択肢を志向したのではないかと思います。

しかし、もしあなたが30代半ばまでの若手、中堅であれば、しばらくその環境に置いて厳しい体験をあえて経験してみることをお勧めします。

会社で仕事をするというのは自らを成長させる場であることは誰しも考えるとは思います。しかし、一方で働いて得た収入で生活をしなければなりません。そのことはある意味自らを成長させること以上に重要なことです。まして養っていかなければならない家族があるとしたら、その選択は余計に簡単ではありません。したがって、経営危機に瀕していてもその会社にとどまることは究極の選択とも言えます。

 

2.修羅場の経験

私自身、どうだったのか?

実は当時置かれていた立場のせいで辞めるに辞められなかったというのが正直なところです。まず、会社が極めて厳しい状況に置かれているという情報は他の部署の人より早くしかも詳しく知らされていました。再建に向けて事業ドメインを絞り、人員を削減しても生き残れるかどうかという状況の中で人員を絞るための施策の検討をする立場に置かれたことで、「僕、一足お先に失礼します。」とは言いたくても言えなくなってしまったのです。

とは言え、ここで頑張って会社での役割を全うしたところで将来報われるという保証はどこにもありません。しかし、今思えばあのときの経験が私にとってとても貴重な経験でありさまざまな困難に対して、耐えながら勝機を伺う訓練になっていました。

私の場合、幸いなことに周りの上司や先輩に恵まれていました。例えば極めて厳しい環境下でも先輩や上司の心が折れることはなく、いつも前向きに議論がされていました。あれがもし周りが後ろ向きな愚痴ばかりであれば恐らく私の心は折れて、早々に会社を辞めていたと思います。しかし、当時は周りの先輩たちとも「これだけ大変な思いをしていればどこに行ってもやっていけるよな。」といった開き直りで仕事をしていました。

さらに、幸運にも高井先生に日々起きる様々な問題を報告し、指導していただきながら解決策をひねり出していたことも大きなモチベーションにつながっていました。高井先生に「こうしてみたらどうだい。大丈夫だよ。」と言われると、不思議とどうにかなるような気がしてきます。そういう日々を過ごすことで、いわゆる人事的なスキルが上がり、さまざまな引き出しが自分の中に増えていくことを実感することができていました。

さらに、人事部の後に異動した関連事業部という部署で不良資産つまり保有不動産の売却や関係会社の売却、閉鎖を担当したことで今の仕事につながるスキルを得たとも言えます。交渉におけるポジションのとり方、様々な経営指標を読み取る力、そういったものを実務として身に付けることで単に座学では得られないものを吸収できました。

こういった仕事を通して、どん底の「基準」のようなものが自分の中に培われ、日々増えていく自分の「引き出し」と相まって大きな自信を得ることができた訳です。

 

 

3. 今苦境にあえぐあなたに

「今年度過去最高益の見通し!」といった新聞の見出しが躍る一方で、苦境に喘ぐ企業のニュースも飛び込んできます。

そういう企業で再建に取り組んでいる方に是非以下のような意識を持って仕事に取り組んで頂きたいと思います。

(1)今の苦労は真剣に取り組んでいれば、将来必ず自分の武器になる。

企業の状況が厳しいときというのは、例えば取引先なども極めて厳しい条件を提示してきます。したがって、その厳しい状況を少しでもばん回する必要があります。そのときに「ここはひとつなんとかしてよ!」という精神論は通用しません。相手が「それも良いか」とか「それなら大丈夫」と思ってもらわなければなりません。そのためには現在の状況を分析し、相手にもメリットがあると感じてもらえるような条件をひねり出す必要があります。この訓練はそう簡単には体験できません。

(2)火事場の馬鹿力を体験できる。

厳しい経営環境の中で仕事をやっていれば必ず「もうダメかもしれない」と感じる場面と遭遇することも多いでしょう。そういったときに自分では持っていないはずのスキルが発動されることがあります。私の場合、元来のんびりした性格で締め切りギリギリのおしりに火がつかないと動かない悪い癖がありました。しかし、物事には旬というものがあり、このタイミングを逃したら二度とチャンスは訪れないかもしれない。そういうアラームが鳴るようになりました。その際のいくつかの選択肢に対する判断も比較的適切に選択できるようになっていました。こういった力は意識して働くものではなく、日々ギリギリの中で仕事をしていたからこそ発揮できたに違いありません。

 

会社が傾くような経験をせずに済むに越したことはないのですが、もし、厳しい環境に置かれたときには以上のようなことを思い出して欲しいと思います。

以上

 

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<イッピン>
萬鐵五郎記念美術館にて― 岩手県花巻市東和町

 


 

news20171115.JPG

 

わずか41年の生涯ながら、独自の世界観を持つ画境を開こうとした萬鐵五郎。独特の自画像や裸婦像を思い浮かべる方も多いのではないだろうか。

今年は萬の没後90年に当たり、ゆかりの土地などで大規模な回顧展も催されている。

小生も秋晴れの岩手県花巻市を訪れ、萬鐵五郎記念美術館へと足を運んだ。

実は、7月9日の葉山の回顧展に続き、今年2度目である。

 

萬の生地である土沢が一望できる「舘山」。ここからの風景を萬はこよなく愛したという。その中腹に位置する美術館で、作品を巡りながら進むと、果たして最後の部屋の真ん中で堂々たる「裸体美人」が出迎えてくれた。東京美術学校の卒業制作であり、萬を世に出した作品だそうだ。

萬の作品には、その信条に裏打ちされた、見る者にうったえかける魂の力強さが溢れているように思う。萬の絵が、最初に出会った時から鮮烈な感動とともに忘れがたいのは、小生にとってはその印象的で独特の画風ゆえ、というだけではない。

小生は、美術はいささかかじった程度である。しかし、絵画から発せられる、何か画家の「エネルギー」や「息遣い」や「言葉」、「心もち」は感じられるように思うのだ。

 

萬が生きたのは、西洋の新しい美術運動である後期印象派、フォービスム、キュビスムが日本に紹介された時代だったそうだ。(セザンヌ、ゴッホ、ゴーガン、マティス、ピカソ、といった画家たちがいる。)それに影響を受けつつ、それを吸収し、自身の表現方法を模索し続けて41年という短い生涯の中に自己の内面、魂を具現化した絵画を確立しようとしたのではないか。

 

すでに画家として活動していた萬が突然故郷である花巻に戻り、外からの刺激を遮断してひたすら絵の探求に打ち込んだ時期があった。その時、萬はこんな言葉を残しているという。

 

「あらゆる周囲と戦い、いろんな関係を切り離して、ここに自由に製作しうるごく僅かな機関を作った。作画以外に少しの時間もエネルギーも費やしたくない」

 

「吾々は自然を模倣する必要はない。自分の自然を表せば良いのだ。円いものを描いたとすれば、それは円いものを描きたいからなので、他に深い意味も何もない」

こうも言う。

「画家は明日を憂えてはならない。今日 今 最も忠実でなくてはいけない」

 

「画家は」を言い換えれば、それぞれの日常を生きる我々にも頷いて思い当たることがあるように思う。それを貫き通せるかどうか。

萬が向き合ったのは、常に自分自身であったのだろう。難しいことだが、そのことに飢え、時に悶え苦しみながら強く絵画を追究し続けた姿を想像するのだ。

しかし、それこそが成しえなかったことを遂げようとする幸福でもあり、「日本近代絵画の先駆者」と称され、海外でも高い評価を得るに繋がったのではないかと思う。

 

萬の作品には魂の力強さを感じる。言い換えれば、強さを与えられるような気がする―。

小説家であり、「気まぐれ美術館」等の美術エッセイでも名を知られる州之内徹氏は、

「いい絵とは何か?一言で答えなければならないとしたら、盗んでも自分のものにしたくなるような絵である!」と言った。我が意を得たり、小生にとっても萬の作品はまさにそれである。

心に語りかけてくる精神世界をもった、小生にとってのイッピン(逸品)である。

 

追記:

訪れた「萬鐵五郎記念美術館」は萬鐵五郎を顕彰するため、萬の没後57年目の1984年、生地に開館した町民手作りの美術館であると聞いた。

様々な企画展等で萬の世界観を後世に伝える努力、取り組みをされていることの尊さを思う。その画家とともに、地域が誇るべき美術館である。

 

 

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  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第24回目です。
  • 第24回目は、警察官友の会 前事務局長 秦正行様、現事務局長 星範夫様のお二人です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第24回)■ ■ ■ 
警察官友の会 
前事務局長 秦正行様
現事務局長 星範夫様
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


[秦正行様プロフィールご紹介]

昭和15年1月生まれ。千葉県出身。

昭和34年11月警視庁警察官拝命。高輪警察署、深川警察署、第二機動隊等々勤務、警察学校初任科教授、丸の内警察署副署長、戸塚警察署長を歴任。平成11年3月警視庁を退職。平成19年4月、全国警察官友の会事務局次長、警察官友の会事務局長(東京担当)、平成23年4月東京都警察官友の会事務局長就任。平成29年6月同会を退職。

平成20年4月より、佐倉市少年野球連盟西志津クラブコーチとして活動。趣味は野球観戦と映画鑑賞。

 

[星範夫様プロフィールご紹介]

昭和26年7月生まれ。宮城県出身。

昭和45年3月、警視庁警察官拝命。牛込警察署、新宿警察署、麻布警察署、人事第一課等々勤務、王子警察署副署長、蔵前警察署長、荏原警察署長を歴任。平成23年9月警視庁を退職。平成29年5月東京都警察官友の会事務局長に就任。

特技 全日本剣道連盟7段、称号教士。趣味は園芸とゴルフ。

秦様星様高井

(写真は左から秦正行様、中央 星範夫様、右高井〔撮影:取材日2017年8月21日)

[今回のインタビュアーは以下の通りです]

  • 高井伸夫 
  • 中村六彌(弊所参与) 

取材日:2017年8月21日(月)於:日本工業倶楽部会館2階ラウンジ

 


 

高井

警察官友の会は、どういった経緯で発足したのですか。

 

秦様

昭和35年、第一次日米安全保障条約改定反対闘争がきっかけです。その前年に私は警視庁警察官になりましたが、いわゆる安保闘争、学生紛争が激しかったためたくさん採用されたうちの一人です。反安保闘争が激しくて、世の中が騒然として、警察官に負傷者が続出していました。このままでは日本の国が滅ぶ、何とかして治安を守る警察官を激励、慰問しなければならないとして、当時のNHK会長阿部真之助氏や、テレビドラマ「花子とアン」のヒロインである村岡花子先生が中心となって、世の有識者、文化人、市民らが昭和35年(1960年)7月30日に警察官友の会を作りました。

設立趣意書

 

(写真は、警察官友の会機関誌「国民と警察」(第1号1961年7月25日発行)より、設立趣意書と役員名簿〔当時〕を抜粋)

 

高井

警察官友の会に入会すると、具体的にどういった活動をするのですか。

 

秦様

主な活動内容は、(1)警察職員のところへ行き慰問激励をしたり(2)殉職警察職員の慰霊、遺族の方々へ肖像画を贈呈したり、慰霊祭へ出席する(3)警察官の表彰・記念品の贈呈これは、警視庁優良警察職員、地域活動等優秀警察職員の表彰と記念品を贈呈することで、士気の高揚に努めています。(4)警察学校の卒業式に友の会の役員が出席して、卒業生全員に記念品を贈り激励する。(5)警察武道の奨励、これは、警察では、柔道・剣道・逮捕術・合気道など各種大会がありますが、優勝者や優勝チームに記念品を、年間で柔道・剣道に精励した署員に武道奨励賞を贈呈しています。その他に(6)懇親会・研修会等の開催、新年会や支部懇親会、警察施設の見学や社会見学研修があります。また、警察官友の会主催の懇親会、懇談会に参加して、警察幹部の方と話したり、治安情勢などを直接お聞きすることができます。

 

 

高井

機関誌は、今も発行されているのですか。

 

秦様

1号が昭和36年7月に発刊されまして、1年に12回発行されていて、発行されない月は一度もありませんでした。創刊から57年経ちましたが、平成29年9月号で第675号になります。

 

高井

警察官友の会の会員は、現在どのくらいおられるのですか。

 

秦様

全国で約6万6000人くらいです。東京だけでは、約2700人です。

 

高井

2700人とは、少ないですね。

 

星様

なぜ少ないかと申しますと、入る方も退会される方も高齢者が多いのです。分かりやすく言えば、1年間で100人が入会しても、95人の方が退会されている。結論はプラス5名。退会の理由は、健康上の理由や連れ合いの介護などや、死亡退会などです。やはり、若い世代の方に入会していただかなければと思っております。それで、3年後の東京オリンピック・パラリンピックまでには3000名、つまり300名を増員していこうと目標を立てています。

 

高井

警察官友の会の会員の女性比率は増えていますか。減っていますか。

 

秦様

おかげ様で少しずつ増えております。東京都警察官友の会に女性部会がありまして、そこのリーダーの方は熱心に活動してくださっています。月丘夢路さんや、山本富士子さんも過去に会員でした。

 

星様

警察官友の会には、会長、副会長、常任理事がいて、常任理事は20名くらいいますが、西新井大師近くの清水屋のおかみさんである清水洋子さんも常任理事の一人です。女性会員を増やしていこうということで、今から3年前に役員10名の女性部会を作りました。任期3年でこの6月に任期満了になったので、新たに会議を設けたときに、「今の10人だけではとてもとても女性の活性化は図れません。もっと女性の幹部を増やして活性化していきましょう」という意見が出たので、松澤会長の了解を得て、6人女性部役員を増やしました。お陰で、3年前よりも女性部会の活性化が図られ、女性の会員も増加しています。

 

高井

入会は会員の推薦が必要とのことですが、自分から進んで入会したいという人が来られることはありますか。

 

秦様

入会するには、個人会員、法人会員ともに会員の推薦が必要ですが、お知り合いがいないという場合は、当会事務局に直接お問い合わせいただくことがあります。

 

警察官友の会 事務局 電話番号03-5226-8655

 

平成22年に50周年の記念行事が新聞で報道されました。その時には、問い合わせが数件ありました。友の会の会員の皆様は、企業の社長さまも多く、お金には換えられない信用というものが第一でございます。それと、世界一のおまわりさんを応援しているという誇りをもっていらっしゃる方々です。そこまで理解しておられる方にご入会いただいております。

 

会員の皆様には、友の会の活動を理解していただいて、役員としていろいろ活動していただける方と、活動はできないけれども、趣旨を理解して応援していただいてる方の両方が相まって友の会は成り立っております。

 

高井

秦様は前事務局長として一番友の会活動で印象に残ったことは何ですか。事務局長を何年勤められたんですか。

 

秦様

事務局長を10年勤めさせていただきました。暑い時期や寒い時期にも会員の皆さんと交番や駐在所で活躍されている警察官の方々を激励訪問しておりました。警察官の方々は、夜もほとんど寝ないで、重い装備を身にまといながら、昼夜を問わず親身に応接や事件事故の取り扱いを行っています。

 

現職時代は気が付かなかったのですが、会員の皆さんが、交番の前を通るときに、警察官が立番してれば、「ご苦労さまです」と声をかける。あるいは、取扱い中で立番をしている時は、心の中で「ご苦労さまです」と唱えながら感謝の気持ちを表しています。このような嬉しいお話を会員の方から聞きました。また2011年に起きました東日本大震災で当時、30人の警察官が殉職されました。そのうちの28人がほとんど逃げられるにもかかわらず、逃げないで仕事をしておられました。そういう公に尽くす尊い気持ちというのを持ち続けるには、国民の理解と応援が必要ではないかと思います。

 

そのようなことで、元警察官であった私が育てていただいた警察の組織を応援する警察官友の会で勤務できたこと、警察官の皆さんが大変なご努力をされていることを改めて肌で理解して感謝の念を持って心から応援したということが一番の印象に残ったことです。

 

高井

僕は若いころ、交番にお酒を持っていきました。今は禁止されていますから、警察官を激励するといってもどうしたらいいんでしょうか。ざっくばらんに言って。ご苦労さんですなんて言ったっていいけれども、何かいい考えはありませんか。

 

星様

実は、同じような質問が先日の支部総会でありました。それで、警察官友の会の存在をもっとアピールしないと強く感じました。

警察官を激励するには、現在は各支部から署長さんに事前連絡して了解をいただいたうえで、警察署を訪れて激励品を渡したり、交番や駐在所を訪れて激励品を渡したりしております。一般の方が激励するには、必ず警察署に電話して面会したうえで行動に移してもらいたいと思います。

 

高井

昔は交番に一升瓶を持って行ったものです。そういった交流は今はなくなってしまったように感じます。

 

秦様

私も昭和の話ですが、当時、寒い時には炭を使用していた時代でしたから、炭が足らなくなると、地元の方が持ってきてくれたなんてこともありました。これからの時代は、多忙な警察の実情をくんでいただき、公務に支障を及ぼさないように配慮して激励を行うなど、会員の方も含めて住民の皆さんと警察官の方々が交流していければと思っています。

 

高井

友の会の在り方も時代とともに変わっていくと思いますが、考えられる今後の会の在り方について教えてください。

 

星様

集団的行動による暴力闘争、あさま山荘事件など爆弾・銃器を使った闘争から、国際的なテロ・ゲリラ闘争、弱者に対するDV、特殊詐欺、ITやサイバー攻撃の横行など、世の中が複雑になってまいりました。警察官は多忙を極め、常に精神的緊張感を強いられています。

 

警察官友の会は設立趣旨の通り、目に見える形で激励慰問する活動を中心にしていくことに変わりはありませんが、今後は、警察官に対する心身のリフレッシュへの支援や、警察官が努力されておられることの広報活動など、精神面への応援も重要な柱になってくるものと思っています。

 

警察官友の会の在り方も更に検討を重ねてまいりたいと思っています。

 

 

 

以上

警察官友の会入会希望の方は、以下へお問い合わせください。
警察官友の会事務局 電話番号03-5226-8655

 

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9月14日(木)~16日(土)に、上海を訪問してまいりました。旅行の様子を、ご同行いただいた小松茂生様にご執筆いただきましたので、掲載致します。

 

9月14日(木) 

9:25 羽田国際空港発 11:30上海虹橋国際空港着        

上海代表処首席代表五十嵐充弁護士に空港まで迎えに来ていただき、昼食会場である、レストラン老吉士へ移動しました。

13:00~昼食会 「老吉士」 

高井先生のブログ上の連載「時流を探る~高井伸夫の一問一答」(http://www.law-pro.jp/weblog/cat63/)の取材インタビューを兼ねた食事会が開催されました。劉佳歯科医師をゲストにお迎えして、予防医療や虫歯の話を伺いました。詳しくは後日公開されますブログをご参照ください。(※公開されたらリンクを設定いたします)

 

14:30にホテルに一度チェックインし、14:45に、田中信孝様(無印良品(上海)商業有限公司董事営業総監)がホテルまでお出迎えくださいました。

 

15:00 無印良品上海淮海755店見学                  

田中様等のご案内で、無印良品の店舗を見学いたしました。豊富な品揃えとセンスの良さを感じ、中国もいよいよ洗練されてきたと実感いたしました。

おかし

(写真は立ち寄ったレストランで食べた可愛いデザート)

18:00~夕食会 「翰林(大上海代广店)」

上野陽子様(万弼士文档信息管理(昆山)有限公司副総経理兼上海分公司総経理)、増子聡様(迪睿合電子材料(上海)有限公司管理部門総監)、俵坂浩光様(長生人寿保険有限公司団険一部部門総経理)、大久保雅章様(东装窗饰(上海)有限公司副総経理生産部長)をお招きして、夕食会を開催いたしました。

 

9月15日(金)        

10:00 上海住友商事有限公司 今福陽久様(文書法務部長)、大草太郎様(文書法務部第一科科長(ニューヨーク州弁護士))、張琛様(文書法務部第二科科長) 表敬訪問                   

張様は、2003年4月から2011年5月まで高井・岡芹法律事務所上海代表処に勤務してくださっていた方です。高井先生とは、張様が上海代表処退所後もときたまお会いし交友が続いているようです。

 王子製紙より

(写真は王子製紙国際貿易(上海)有限公司からの上海の街並み)

この日は、14:00~(公財)茨城県上海事務所副所長海野仁男様を表敬訪問し、15:00~王子製紙国際貿易(上海)有限公司董事長総経理笹垣一様へ表敬訪問、16:30~世達志不動産投資顧問(上海)有限公司/世達志(武漢)商務咨詢有限公司董事総経理松岡貴士様を表敬訪問させていただきました。全体的にみて日本企業が退潮傾向にあることを知りました。

 

18:00~夕食会「悦(大上海代广店)」                      

坂井哲也様(時事通信社)、菊池賢司様(常陽銀行股份有限公司上海代表処首席代表)、石野健夫様(日立(中国)有限公司集団人力資源業務伙伴中心経理)、林成彬様(卡西欧(カシオ)(中国)貿易有限公司総経理)、荒木治夫様(同卡西欧(中国)総経理助理卡西欧(広州)財務部上級部長)をお招きしての夕食会でした。親睦をかねての食事会でしたが、皆様と楽しくお食事をさせていただきました。高井・岡芹法律事務所からは、五十嵐充弁護士、沈佳歓律師、段霊娜カウンセルが参加いたしました。

 

9月16日(土) 

葉才富運転手が見送ってくださいました。

9:00上海浦東国際空港発 13:00成田国際空港着の飛行機で帰国いたしました。

 

以下、上海訪問の感想をまとめました。

  • 私は、2007年に上海へ訪問して以来10年ぶりの上海でした。まず驚いたのは、道路がきれいになり、上海の街全体が整理されていたことです。東京と同じくらい道端にごみが落ちていない上海を見るのははじめてでした。上海の道路と言えば、かつては未舗装の田舎道、というイメージでした。
  • 上海は自転車シェアリングサービスがさかんで、スマートフォンで自転車をレンタルして乗り捨てることが可能です。この自転車が、至るところにおいてあり、歩道の3分の2がふさがれていました。自転車の上に自転車が積み上げられていたり、人が歩くスペースは歩道の3分の1ほどしかなく、印象的でした。
  • また、上海代表処が入るビルのすぐそばの道路わきで魚をさばいているのを見ました。道路が舗装され近代化されていく一方で、道路わきで魚の調理が行われている、生活感溢れる場面も肌で感じた3日間でした。

路上で

 (写真は上海代表処が入るビルのすぐそばの一コマ)

以上

 

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第10回 尋ねることの勇気

 

株式会社日本総合研究所
リサーチ・コンサルティング部門
青木昌一

 

1.質問力

高校時代、同じクラスにN君という秀才がいました。どの授業でもちょっと分からないこと、疑問な点があると「しつもーん!」と大きな声を出し手を挙げます。そして、自分が疑問に思っていることを遠慮なく質問するのです。

当時、私は彼のことが羨ましくて仕方ありませんでした。と言うのも、私はと言えば、分からないことが分からない。仮にここが分からないと思っても「こんなこと聞いたら頭がわるいのではないかと思われるのではないか?」あるいは「恥ずかしいからあとで調べよう。」などという考えが頭をよぎり、質問することができませんでした。

恐らく高校3年間で先生に質問した回数はゼロ。よく、「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」と言いますが、私は正に一生の恥を積み上げていた訳です。

こんな状況に至ったのにはいくつか理由があったと今では思っています。

(1) 何がわからないのか本当に分からない。

これにはいくつか原因があったと感じていて、大きな原因のひとつがそもそも疑問を持つだけのベースになる知識がない。言い換えると、日ごろの勉強不足が災いした結果だということです。

さらに、人の話を集中して聞いていない。だから重要なポイントを聞き流してしまっている。つまり、質問しようにも先生が何の話をしているのかが分かっていないから質問できない。

(2) 変なプライド

高校生に限らないと思いますが、人から「君はそんなことも知らないのか?」と思われたくないという心理です。実際にはよほどレベルの低い質問をしない限りは誰もそんなふうには思わないのですが、そこが私の浅はかなところです。

(3) 面倒くさい

今思えば大変もったいないことをしていたのですが、人にものを尋ねるという行為そのものを面倒だと思っていた記憶があります。

他にもいろいろとあるのかもしれませんが、以上のようなことだったと思います。

 

2.質問の効用

高井先生とお付き合いをさせていただくようになって感じたのは「よく質問する先生だなあ」ということでした。ここで高井先生と先述のNくんが私の中ではオーバーラップするのです。

高井先生と打ち合わせをさせていただいていて、例えば先生がご存じない言葉を使ったり、話に説明不足な部分があると「それどういう意味?教えてくれよ。」、「そりゃあ、どうしてそうなったの?」ということがしばしばあります。別に詰問されるわけでもなく、ごく自然に質問を投げかけてこられるのです。

 

質問にはいくつか重要なメリットがあります。まず、時間が大きく節約できる。

疑問に思ってもそれを尋ねることなく後で調べようとするとたくさんの時間が必要になります。今ではネットの普及で「言葉」に関しては昔ほどではありませんが、その場で疑問に思ったことを尋ねると一発で解決します。場合によっては数日もほったらかしにして結局分からないまま終わるなんてこともあります。

また、話の内容に関しては大きな広がりが生まれることもあります。例えば、事業の売却を担当していた頃、「●●社の人と話をしていてちっとも交渉が進んでいません。」という話をしたことがありました。「誰と話をしているの?」と尋ねられ、「●●取締役です。」とお答えしたところ、「●●さんならよく知っているよ。」とその場で電話をしていただき、我々では聞き出せなかった、先方で時間がかかっている理由が明らかになりました。

その時は我々が売却しようとしていた関連会社の事務所のひとつが、かつてその相手先とトラブルになったことがある別の会社の物件を借りていることがネックになっていることが分かり話が進まなかったのです。そこで、さっそくM&Aを仲介してくれた会社に仲立ちしてもらい、事なきを得ました。

このような形で質問しなければ触れることのなかった話に辿りつくこともある訳です。

 

3.優秀な人の特性

現在、こうやって多くのクライアント方々と接するようになって、この質問をする力が不足していることを猛省しています。こちらが質問しなければクライアントの方々はこちらが理解していないことを知らないまま話が進んでしまうことがあります。

クライアントさんからすると、質問がないのだから当然理解している、あるいは知っていると判断して話を先に進められます。

後で分かった時に、かなり以前に議論して結論付けたことを再検討しなければならないことさえあります。

例えばその会社あるいはその業界でしか使われていないことばが日常的に使われているケースがあります。そこで確認の質問をしないでやり過ごしていくと核心となる話に辿りつけずに終わってしまうこともあります。

そうならないために我々に限らず企業で仕事を進める場合には「これはどういう意味だろう?」とか「これはなぜなんだろう?」と感じたことは躊躇せずに相手に尋ねる力がとても大切だと思うのです。

私の周りでも優秀だと言われる人のほとんどが疑問をひとつひとつつぶすように質問する癖を身に付けています。

そういった質問を重ねる癖を身に付けていることで、知識の幅が広がり、結果として様々な課題に対する解決の引き出しが豊富なのだと感じています。

「で、お前はどうなんだ?」と訊かれると、「これが簡単なようでなかなか。。。。。」

 

以上

 

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