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2016年9月11日(日)丹沢大山国定公園にて撮影




第14回「メンタルヘルスとトレーナー」
(平成28年2月29日)

 

 

2015年のラグビーW杯での日本代表チーム大健闘の立役者のひとりとして、メンタルコーチ荒木香織氏(兵庫県立大学准教授)の存在に注目が集まったことは、心の問題が大きなテーマとなっている社会全体の状況にも符合するものだろう。

 

私が本紙に「精神健康管理入門」(全33回)を連載したのは32年ほど前、1984年のことである。89年8月にはこの連載に一部加筆し、『判例からみた企業における精神健康管理』という本にまとめた。当時はメンタルヘルスという言葉は一般には使われておらず、同書まえがきで私は「精神障害者が企業において大きな問題として最近クローズアップされてきた。」「(精神障害者に対する)暖かみのある態度が企業にも要求され、それには雇用の場にも強く意識される時代が来つつある」と書いたが、当時は働く者の心の病はさほど広がりのある深刻な論点とされていなかった。

 

国立社会保障・人口問題研究所によれば、自殺やうつ病による社会的損失(単年)は2009年の例で約2兆7000万円と推計されている。また、WHOは今から30年後の予測として、世界全体の疾病負荷(疾病により失われる生命や生活の質の総合計)が一番大きくなるのはうつ病であるとしている。このように心の病が世界共通の重大問題であるという実情をみれば、昨年12月1日施行の改正労働安全衛生法66条の10により新設されたストレスチェック制度は、「『うつ』などのメンタルヘルス不調を未然に防止するための仕組み」とされているが、働く者への配慮だけでなく、心の病によって生じる社会的損失を防ぐために、労働者の自己保健義務をあえて国が補完しようとするものと捉えることもできるだろう。そして、こうした予防の観点から、メンタルヘルストレーナー・メンタルコーチに日頃の指導を求める気運が社会全体で高まってゆくのは必然であろう。

 

ところで、メンタルヘルス不調に陥る原因は何であろうか。人事・労務問題を長年手掛けてきた立場からすると、真実発見と発展・成長を欲する人間の本能が一因ではないかと思う。

 

人間は、真・善・美を尊び、真実発見に向けた本能を有するがゆえにこれまで進化を遂げてきた。そして20年ほど前から急激にIT化によるスピード時代となり、働く者に高度な処理速度と処理能力が求められるようになると、自分の限界を超えてまでも激しい競争に耐え、真実に近づこうとする者は、脳と身体を疲弊させストレスをためこみ心の病となり、身体にも変調をきたしてしまうのではないか。あるいは、身体の不調がもたらすストレスが原因で心を病むこともあるだろう。ストレスの感じ方は千差万別で、適度な好ましいストレスは仕事の責任感と覚悟を醸成し、人を成長させる側面もある。その意味でストレスの良否の見極めが重要になってくる。

 

日常的にコンピューターやIT機器に囲まれて生きる私たちは、人間もまた自然界に身を置く生き物であるといった意識をほとんど失っている。心の健康を保つには、自然と一体となる時間を持ち、適度に身体を動かし、他者との良好なコミュニケーションで心を解放し、ストレスを外に吐き出す工夫をして、脳と身体の疲弊を予防するしかないだろう。しかし、こうした方途を自力で為し遂げられない人も多いはずだ。今後は、一人ひとりがメンターあるいはメンタルトレーナーを持つ時代が到来するのではないだろうか。

 

来週9月15日(金)から、新連載「時流を探る~高井伸夫の一問一答」がスタートします。
話題のテーマについて、各界でご活躍されている方々と高井等の対談を一問一答形式で掲載しますので、ぜひご覧ください。

 

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2016年8月28日(日)12:09 千葉市若葉区の風戸農園にてジニアを撮影
花言葉:「不在の友を思う」 

 

 

  • 話題のテーマについて各界でご活躍されている方々と対談をする一問一答形式のブログを始めることにいたしました。
  • 第1回目は日本マクドナルドホールディングス株式会社代表取締役副社長兼最高執行責任者(COO)下平篤雄様です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第1回)■ ■ ■ 
日本マクドナルドHD株式会社
代表取締役副社長兼最高執行責任者(COO)
下平 篤雄 様 
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


[日本マクドナルドホールディングス株式会社
代表取締役副社長兼最高執行責任者(COO)下平篤雄様 プロフィール]

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下平様は、1978年に日本マクドナルドに入社され、中央地区本部長やコーポレートリレーション本部長、営業推進本部長などを経て、2005年からは代表取締役を務められています。 その後、2009年に同社大手フランチャイジーであるクォリティフーズ株式会社に出向、後に転籍され、同社執行役員副社長を務められた後、2015年1月に、日本マクドナルドに再入社され、上席執行役員フィールドオペレーション本部長を務め、同年3月より持ち株会社である日本マクドナルドホールディングスと、事業会社日本マクドナルドの副社長兼最高執行責任者(COO)としてご活躍されています。

 

[今回のインタビュアーは以下の通りです]

  • 高井伸夫 
  • 株式会社ことば未来研究所 代表取締役 鮒谷周史 様 

 

 


 

高井

3月29日に株主総会が終わりましたが好評だと聞きました。業績は回復したのでしょうか。


下平様

おかげさまでセールスも順調に回復してきています。 前年は残念ながら、大きく収益が悪化しましたが、今年上半期の利益も順調なトレンドとなっています。

 

高井

顧客からの信頼が回復してきていると言えるのでしょうか。


下平様

お客様の声を謙虚な気持ちでお伺いし、食の安心、安全にかかわる改善のための取り組みを会社として積極的に実施してきました。その結果、お客様には少しずつご理解をいただけるようになってきていていると確信しています。

 

高井

今、業績が好調に推移していらっしゃるのは、どういう理由があるのでしょうか?


下平様

1つ目は、お客様の店舗体験を向上するためにQSC&V(Quality:最高の品質、Service:スピーディで心のこもったおもてなし、Cleanliness:清潔で快適なお食事空間、バリュー:お客様にとっての価値ある店舗体験)にフォーカスした取り組みを積極的に行ってきました。マニュアルの変更を行ったり、新しい清掃キットの導入も行ってきました。 また、店舗施設にも積極的な投資を行ってきました。モダンなデザイン、使いやすい客席等、店舗の空間の改善を行うことで、快適にお店でお食事を楽しんでいただけるようにしています。

 

高井

どのくらいの店舗が変わったのですか。

 

下平様

全体で2900の店舗がありますが、本年度末には60%以上のお店がモダンな店舗になる計画となっています。

 

高井

2分の1以上ですね。

 

下平様

2018年までに残りのほとんどの店舗の改装を進めてまいります。多くのお店のQSCが改善され、清潔になって、お客様の店舗体験も大幅に向上したのではないかと考えています。QSCはお客様などの評価をスコア化し、40年間以上継続してトラッキングして、その動向を注視していますが、そのスコアが昨年くらいから着実に向上してきました。これも最高のQSCを担う人材への投資を積極的に行ってきた結果だと考えています。 さらにおいしく魅力的なメニュー、マクドナルドらしさ、そしてバリュー、すなわち価値を感じていただける商品、この3つに集中してお客様にお喜びいただける商品の提供に力を入れています。マーケテイングもお客様とのつながりを大切にした活動を行っています。商品開発では昨年からお客様の声をうかがうことに力を入れ、今年はたくさんの期間限定商品がお客様にご好評をいただきました。

 

高井

どのような商品ですか?

 

下平様

今年の上半期では「名前募集バーガー」という商品がありました。北海道産のほくほくポテトを使った商品で、お客様からもご好評をいただいたバーガーです。 このプロモーションは、お客様と繋がろうという取り組みが大きな特徴です。具体的にはお客様から商品の名前を募集しようということで、まず「名前募集バーガー」と命名しました。私たちの予想では、当初は100万件ほどの応募になるだろうと想定していましたが、いざ募集を開始してみたら、何と500万件以上もの応募をいただきました。

 

高井

500万件

 

下平様

そうです。500万件。大変多くのお客様にご興味をおもちいただき、応募していただきました。

 

高井

500万件というのは反響がすごいですね。当選者はなにか賞品などがもらえるのですか?


下平様

名前募集バーガーは「北のいいとこ牛っとバーガー」(きたのいいとこぎゅっとばーがー)という名前に決まりました。当選者の方にはこのバーガーの10年間分にあたる賞金を差し上げました。

 

高井

いくらくらいですか。


下平様

140万円くらいです。

 

高井

その次にヒットしたのはどんな商品ですか。


下平様

その次はグランドビッグマックという商品で、ビッグマックをさらに大きく、おいしくした商品です。

 

鮒谷

ポケモンGOとのコラボレーションによる集客効果はよかったのでしょうか?長時間滞在されたりとか、功罪いろいろあるかと思いますが、いかがでしょうか?


下平様

今のところ幸いなことにお客様からお叱りを頂戴することはほとんどありません。ただ、引き続き店舗には気を抜くことなく、お客様に快適にお食事をしていただけるよう注意することを伝えています。

 

鮒谷

ゲーム目的の利用者が長時間滞在することによって回転率が下がったり、 客単価が上がらない、というような話はありますか?


下平様

今のところ、そのような話はありません。株式会社ポケモン様とは2001年からお付き合いがあります。毎年のように何らかの企画をご一緒させていただきましたので、今回、このようなコラボレーションが実現いたしました。

 

高井

人の問題で投資をしたと先ほどおっしゃっていましたが、具体的にはどういったことをしたのでしょうか。

 

下平様

やはり人の投資と言いましても、まず大切なのは、コミュニケーション、つまり風通しのよさだと考えます。弊社は、フランチャイジーが店舗の68%を占めています。200人近いフランチャイジーのオーナーの方々がマクドナルドビジネスの大きな柱のひとつで、1オーナーあたり平均10店舗以上を運営しています。オーナー様1人1人とコミュニケーションを密にしなければその先のお店にまでは届きません。単に風通しをよくしようとしてもできませんから、組織を大きく変更いたしました。

 

高井

組織を全部変えてしまった?どういうふうに変えましたか?

 

下平様

フランチャイジーとのコミュニケーションを改善するために、地区本部制にしました。これまでは新宿オフィスで一括管理を行い、そこから各地域に情報をおろしていくヒエラルキーの組織となっていました。そこで、適切なコミュニケーションができるように権限移譲も行い、組織を大きく変えました。縦の組織より、地域密着した柔軟に対応できるアメーバのような組織に変えました。

 

高井

アメーバ組織ですね。

ところで、医食同源を活かして、メニューを作ったらどうですか。健康志向の高まりと、少子高齢化で、高齢者向けの商品開発も需要があるのではないでしょうか。


下平様

ご提案、有難うございます。医食同源ですね、日本ではシニア層の割合が増えていますので健康の問題も大切だと思っています。大切なのは食生活のバランスだと思っています。あらゆる年齢の方にお食事を楽しんでいただくのが私たちの使命だと思っていますので、これからの時代に合ったメニュー開発も重要なチャレンジだと認識しています。

 


 

 

下平様は、事業に対して非常に真摯に取り組んでいらっしゃり、 このたびもご多忙の中、時間をお割きくださり、 様々な質問に対しても丁寧に、誠実に受け答えくださり、 大変に、律儀で実直な方でいらっしゃいました。

 

以上

 

 

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2016年8月28日(日)12:02 千葉市若葉区の風戸農園にて初雪草を撮影
花言葉:「好奇心、穏やかな生活」 

 

 

第12回 管理監督者問題の本質(4)
(2008年8月4日転載)

 

 

裁量性欠くとは言えず

「日本マクドナルド事件」(東京地判平20・1・28)は、店長職にある者が自らは管理監督者(労働基準法41条2号)に該当しないとして、会社に対して時間外割増賃金等を請求した事案であり、裁判所は「被告(=会社・筆者注)における店長は、その職務の内容、権限及び責任の観点からしても、その待遇の観点からしても、管理監督者に当たるとは認められない」として、過去2年分の時間外割増賃金等約755万円の支払いを会社に命じたものである。

管理監督者問題の「まとめ」を述べるにあたり、まずは、本判決は企業の実態を必ずしも捉えておらず適切でないとして、判決骨子とそれに対するコメントを述べたい。

企業では現場主義で経営しなければ生き残れないというのが今や常識であるが、現在の中央集権的な本社機構では現場の細かい事象まで監督できないのは明白である。事業所の数が増え、グローバル化によって把握する地域が広がるという状況のもとではなおさらである。

本判決は、基本的には本稿第2回・第3回でも言及した行政通達(昭和22・9・13発基17号、昭63・3・14基発150号)に則って店長の管理監督者性を、①職務内容・権限・責任、②勤務態様、③待遇の面から判断している。これらについて、ひとつずつコメントしていきたい。

 

①職務内容・権限・責任についての判断

本判決は「店長は…労務管理に関し、経営者と一体的立場にあったとはいい難い」「店長の職務、権限は店舗内の事項に限られるのであって、企業経営上の必要から、経営者との一体的な立場において、労働基準法の労働時間等の枠を超えて事業活動することを要請されてもやむを得ないものといえ(る)ような重要な職務と権限を付与されているとは認められない」とする。

しかし、この裁判所の認識は(a)統一的協同体としての企業における現実の役割および(b)企業における現実の現場の重要性を正しく認識していないと言わざるを得ない。

(a)企業における現実の現場の役割

店長の権限が労務管理も含めて店舗内の事項に限られるのは至極当然のことであり、その上位組織が管轄している事柄については希望を伝えたり要請することならいざ知らず、くちばしを入れることなど組織の常識としてあり得ないし、あってはならないことである。もちろん、小なりといえども、店長は気掛かりなこと等を上層部に具申することはできるし、そうあらねばならない。

また、企業は統一的協働体でなければならないから、その意味において店長の権限は無限定とはなり得ず、裁量性に限界があるのは当然である。ことに大規模企業になればなるほど、企業としての信用を保持するためにも、店舗ごと・事業所ごとの運用に均一性を持たせる必要もある。問題は、より裁量性があれば店長・事業所長の働く意欲が一層強まるということであるが、他にも裁量性を大いに発揮すべき分野があるから、このことを以って裁量性を欠くとは必ずしも言い得ない。

つまり、しかるべき事業所であればあるほど、日々問題・難題が次々と生ずるから、当該企業の規則・運営方針に基づいて直ちに処理していかざるを得ず、それには店長・事業所長の幅広い裁量がなければ現実に迅速な展開はできない。店長・事業所長の腕次第という世界が現実に展開するのである。

(b)現実の現場の重要性

企業において現実に現場を知るのは店長等の各拠点の責任者であり、彼らは経営と一体であるがゆえに上位組織に対して報告・具申・助言等を行うべき立場にある。

企業は、本社だけで現場の細かい事象まで監督できないのは明白であり、現場主義でなければ成長はおろか生き残れないのは、常識であることは前述のとおりである。大規模企業・グローバル企業であればあるほど、現場の意見を尊重せざるを得ず、現場責任者の役割はより一層重要になってきている。現場を知り、現場のことを集約して本社により的確な情報を提供できるのは彼らしかいない。

このように、労務管理も含めた経営に関する事項の全てにわたり、何らかの形で店長の意見が貴重なものとして斟酌されているのは実態であるから、その意味で店長は経営と一体である管理監督者であり、極めて重要な立場にあると言える。裁判所は、企業におけるこうした現実の現場の意義を強く意識しなければならない。

なお、企業経営にとって「一国一城」と評価できるような重要な拠点の事業所長である店長には、この面でも一定の役割と権限を付与して然るべき裁量権を認めれば、経営に参画している認識が生まれる。そうすれば日々やりがいを感じて仕事に取り組むはずだ。そして所定の成果を上げれば、店長の責任の大きさとその功績の程度に応じて待遇する仕組みにすればよい。

即ち、いずれの企業であれ、然るべき事業所の店長・事業所長であれば、管理監督者性を認めるべきなのである。

 

②勤務態様についての判断

本判決は、「…被告(=会社)の勤務体制上の必要性から、…法定労働時間を超える長時間の時間外労働を余儀なくされるのであるから、かかる勤務実態からすると、労働時間に関する自由裁量性があったとは認められない」とする。

しかし、官民問わず、上司ほど長時間にわたって労働をすることが本来あるべき姿であり、例えば現代においては、社長といえども“重役出勤”するなど論外であることは言うまでもないし、一般上司においても同様である。

より本質的に言えば、現場重視という経営の本道からして、店長等の現場責任者は単なるマネージャーではなくプレーイングマネージャー化してきたことは広く企業一般の流れであるが、そうなればシフト勤務にも就かざるを得なくなる。

そしてそこで着実かつ瞬時に問題を覚知し、これに対する解を与えるのが現場責任者である事業所長としての店長の重要な役割となっている。そのような状況において日々どのような勤務に就くかは自らを律して決めるべきであることは言うまでもなく、まさに臨機応変の勤務姿勢が店長・事業所長には求められるのである。

 

実態とかい離した認識

このように、自分自身の1日の時間の配分即ち自らを差配すること、さらには部下の一日の時間の配分・差配等々、まさに店長は手腕・力量・裁量を発揮すべき重要な分野を当然抱えているのである。

事実、管理監督者の労働時間について、裁判所が言うような自由裁量が認められている企業など、現実にはほとんどないだろう。この点も、裁判所は実態と乖離した認識をしていると言わざるを得ず、勉強不足との謗りを免れまい。

 

 

来週9月15日(金)から、新連載「時流を探る~高井伸夫の一問一答」がスタートします。
話題のテーマについて、各界でご活躍されている方々と高井等の対談を一問一答形式で掲載しますので、ぜひご覧ください。

 

 

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全て2016年8月28日(日)12:00頃千葉市若葉区の風戸農園にて撮影
右から時計回りに
落花生 花言葉:「仲良し」
タマスダレ 花言葉:「便りがある、期待」
オクラ 花言葉:「恋の病」

 

 

第13回「コンプライアンス」
(平成28年2月1日) 

 

 

「道徳を忘れた経済は罪悪であり、経済を忘れた道徳は寝言である」「道徳なき経済は経済に非ず。経済なき道徳は道徳に非ず」―前者は二宮尊徳、後者はその思想から大いに影響を受けた日本資本主義の父、渋沢栄一の言葉である。これらが指摘するのは、資本主義経済において経営者が最優先で取り組むべきは、より良い物やサービスを生み出し消費者や社会に貢献しようとする良心的な創造・生産活動であり、利益は結果としてもたらされるのだという戒めであろう。この思想こそが企業の社会的責任の本質なのである。

 

2015年は企業の社会的責任を改めて考えさせる重大事件が目立った。フォルクスワーゲン社の排ガスデータ改竄事件、東芝の不正会計事件などの報道が連日なされ、これら不正が長期にわたり組織的に行われていたことを知るに至っては、まさに言葉を失う。特に、歴代3人の社長らの責任が糾弾され、過去最大5500億円の赤字(2016年3月期連結純損益)が見込まれる東芝は、従業員1万人をリストラし複数事業の統合・譲渡・売却を断行せざるを得ず、さらには経済産業省などが支援に乗り出したとの報道をみれば、企業として存続さえ危ぶまれる状況である。自ら退職する優秀な人材も続出するだろう。私の経験からすると、全体の3分の1が流出すると、その企業は倒産の危機を迎えるといって良い。

 

私が最も憤りを感じたのは、東芝が設置した第三者委員会の報告に従い、東芝の監査委員会が現旧役員98人のうち経営責任を5人だけに認め、彼らへの3億円(連帯債務)の損害賠償で幕引きを図ろうとしたことである。経営陣の責任によって多くの利害関係者がどれほど損害を被っているか理解していないといわざるを得ない。東芝は、商法改正以前の98年に執行役員制度を導入するなど、日本の企業統治改革のリーダーだったという。法令を遵守した外形的に立派な企業で経営陣が不正を行っていたとなれば、仏作って魂入れずどころか、仏そのものをないがしろにしたことになる。

 

コンプライアンスは、一般に法令遵守とされるが、法律さえ守っていれば良いという考えは根本的に間違っている。私は、コンプライアンスとは、企業に利益をもたらす人々との信頼関係を仕組み化することであると考えている。これをかみくだいていえば、良心に基づく経営こそが企業の原点であり、コンプライアンスそのものなのである。良心を核に私心を排し邪心を削いで、自立心・自律心・連帯心・向上心を発揮する良心経営を原点にしてこそ、企業は大衆に支持され業績を伸ばすことができる。経営者が良心に恥じる言動をとれば、その企業は社会的に糾弾される。そして、真の意味でのコンプライアンス=良心経営を行えない企業には、社会的制裁という突然死があるのみである。

 

企業活動に携わる皆さんには、二宮翁、渋沢翁の教えをかみしめてもらいたい。経済活動の土台は道徳と良心なのである。そして私たち弁護士は、法曹倫理を厳守し、真のコンプライアンスの牙城たる社会的責任を負っていることを肝に銘じなければならない。東芝の第三者委員会は、役員らに対して3億円ではなく300億円請求すべしとするほうがまっとうな見解であろう。同委員会の委員の半数が弁護士であるが、法曹倫理の点からみても、彼らは自らの判断に極めて重大な責任を負うことをあえて指摘しておく。

 

 

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2016年7月31日(日)8:28 東京都千代田区五番町12にて百日紅を撮影
花言葉:「雄弁、愛嬌、不用意」

 

 

株式会社開倫塾
代表取締役社長 林 明夫

 

『「無用の用」(無の効用)を考える』

 

1.はじめに

高井伸夫先生がいつも口になさり、また、このブログの表題でもあるのが「無用の用」だ。そこで今回は「無用の用」について考える。

 

2.

 高井伸夫先生の愛読書、佐藤一斎著「言志四録」(全四巻)の第一巻「言志録」の「無用の用」は極めて示唆に富む。

 

『無用の用

1.

(1)世の中の物事は、自然のなりゆきでそうならざるを得ないものがある(皆、存在理由はあるのだ)。

(2)とかくすると、学問があると称する人は、あるいは人の行なう事を排斥し、「無用」物視する。

(3)そしてことに、「天下には無用の物もなければ、無用の事もない」ことを知らない。

(4)学人が排斥して、「無用」物視するものが、大いに役に立つことがある。

(5)もし、人間の衣食住に何ら役に立たないものは皆「無用」であると考えるならば、天の神は、なぜ「無用」の物を数多く作ったのだろう。

(6)用材にならない草木、食用にならない鳥獣や虫魚などがある。

(7)天が果して、如何なる用途を目してこれらのものを生ぜしめたのか、人間の考えが及ばない。

(8)易経に「あごのひげをのばして儀容を飾る」とある。

(9)其の鬚も何の役に立つものであろうか。

(10)我々はそう簡単に物を考えてはいけない。自然のなりゆきというものがあるのだ。

 

2.

(1)前条の理屈を人間の事に当てはめてみよう。

(2)一年中の仕事はさまざまであるが、これを算えてみれば十の中の七は「無用」である。

(3)ただ人は平和な時代にあって、心を寄せるところがないと、「大学」にいう「小人は閑居して不善をなす」ことも少なくない。

(4)今の世は、貴いも賤しいも、男も女も、「無用の用」が多くて、それに引きまわされて忙しく働いているから、悪い事をしようという気持の起こることが少ないのであろう。

(5)これも「無用の用」ということであろう。

(6)思うに、太平無事な世の中では、こうならざるを得ないのも、また、自然のなりゆきである。』

 

以上は、佐藤一斎著、川上正光全訳注「言志四録(一)全四巻」講談社学術文庫、講談社1978年8月10日刊、P128~131より引用

 

3.「老子」第11章、「無用の用(無の効用)」

佐藤一斎はおそらく「老子」第11章の「無用の用」から学び、「言志四録」を執筆したと思われる。

 

『無用の用(無の効用)

1.〔題意〕

(1)世人は形あるものの有用性は良く知っているが、形なきもの、空虚なるものの有用性を認識しているものは少ない。

(2)家の屋根・柱・床などは、人を居住せしめる室の空虚な部分を形づくるためのものである。

(3)ところが、それに気づいている者は少ない。

(4)かく空虚な部分が真に有用であることを説き、これより連想させて、無すなわち道の有用であることを読者に悟らしめようとするのがこの章の趣旨である。

(5)無の有用なるを説くという意味で、「無用」とこの章に題されているのは適切。

 

2.〔書き下し文〕

(1)三十の輻は一轂を共にす。

(2)其の無に當りて車の用有り。

(3)埴を挻して以て器を爲る。

(4)其の無に當りて器の用有り。

(5)戸牖を鑿ちて以て室を爲る。

(6)其の無に當りて室の用有り。

(7)故に有の以て利を爲すは、無の以て用を爲せばなり。

 

3.〔通釈〕

はじめに(道はその存在が知られない。いわば無の如きものであるが、その働きを譬えると次のようである。)

(1)車輪の三十本の輻(や)は一つの轂(こしき)の空虚な部分に集中している。

(2)その轂の空間部が軸を通しているからこそ始めて車輪はその働きをなすことが出来るのである。

(3)粘土をまるめて器を作る。

(4)その器は中の空間部があればこそ物を容れるという器の働きが果たされるのである。

(5)また戸や窓をあけて室を作るが、

(6)室というものは人を容れる空間部があればこそ室としての働きをなすことが出来るのである。

(7)このような訳であるから、有すなわち存在するものが人々に利をもたらすのは、無すなわち存在しないもの隠れたるものが働きをなすからである。

おわりに(道あればこそ万物の働きも可能であり有用となってくるのである。)

 

4.〔語釈〕

(1)三十輻「輻」は車輪の矢。河上公注によると、昔は月の日数に法(のっと)って車輪には三十本の輻を用いたという。

(2)共一轂「共」は同じくするの意。「轂(こしき)」は車輪の中心にあって軸(じく)を通し、輻を集めている部分。

(3)挻埴「埴」は粘土。

 

5.〔余説〕

(1)老子や荘子には普通人の考えも及ばない物の見方や考え方が随所に見られる。

(2)この章の如きはその良い一例である。

(3)道という虚無なものの存在を、一般世人は普通意識していない。

(4)それに対して、実はこれこそ最も尊いもの有用なものであるとして、器や室の例を取って合点させる。

(5)その譬喩の巧みさ、着想の奇抜さは、ちょっと他に類を見いだせない。

(6)油絵の如く、画面一杯に絵の具を塗りつけ、いささかの余白をも残さない洋画に対して、中国の絵画は古来主材を簡潔に描くのみに留めて、余白を生かすことに苦心が払われていると聞く。

(7)こういう、いわゆる「無の芸術」の思想根拠も、かような老荘の「無の効用」の思想に由来するのではあるまいか。』

 

以上は、阿部吉雄・山本敏夫著「新釈漢文大系、第7巻、老子」明治書院1966年10月30日刊、P27~29より引用。

 

4.

 (1)このように、言志四録を川上正光全訳注の講談社学術文庫で、「老子」を阿部吉雄・山本敏夫著の明治書院の新釈漢文大系でお読みになると、なぜ高井伸夫先生が「無用の用」の大切さを人々に訴えておられるのかがよくわかると思います。

(2)後者は極めて詳細でこの上なくわかりやすい作品ですが、少し高価なので、図書館で御覧頂くか、蜂屋邦夫訳注の「老子」ワイド版岩波文庫、岩波書店2012年4月17日刊でお読みになることをお勧めいたします。

 

5.最後に一言

(1)高井伸夫先生の素晴らしさは、佐藤一斎の「言志四録」はじめ様々な古典に絶えず親しまれ、現代社会に最も必要なテーマを、古典のことばを通して示されることにあります。

(2)高井先生は、「四書」、つまり「論語」「孟子」「大学」「中庸」など儒教だけでなく、「老子」など道教の考えにも精通し、人生にとり、また、リーダーを目指す人々にとり何が大切かを優しく示してくださいます。

(3)論語や孟子も大切ですが、「無用の用」、「無の効用」など道教はその教えの中で最も現代が必要とするものと確信します。

(4)最大の問題は、「言志四録」のような日本の古典や「老子」のような中国の古典を読み込むことなくリーダーを目指す人々が余りにも多いということです。

(5)日本や中国の古典の深い理解ほど役に立つ勉強はありませんので、今からでも大いに学んで参りましょう。

 

―2016年8月23日(水) 林明夫記―

 

開倫塾のホームページ(www.kairin.co.jp)に林明夫のページがあります。

毎週、数回更新中です。

お時間のあるときに、是非、御高覧ください。


 

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2016年7月16日(土)7:27 中目黒公園にて韮を撮影
花言葉:「多幸、星への願い」 

 

 

第11回 管理監督者問題の本質(3)
(2008年7月28日転載)

 

 

前回、大井方子氏の論文「数字で見る管理職像の変化」を引用したように、スタッフ職の数はいわゆる管理監督者の数よりはるかに多い。ところが、スタッフ職を管理監督者並みに扱うべきであるという解釈は、行政通達(昭63・3・14基発150号)があるのみで、法文上の根拠はない。言わば鵺(ぬえ)的な存在であると言ってよい。

これを直視し法律上どのように扱うべきかを考えることが、管理監督者問題の改革への出発点となるのである。スタッフ職と同心円上のものとして専門職概念があるが、それは今日的に「プロ人材」と呼ばれている。スタッフ職の論を進めるにあたり、企業における「プロ人材」の増加および需要の高まりについて、まずは論ずる。

 

経営者を動かす役割も

「プロ人材」とは、並みの一般人には到達し得ないひときわ優れた専門的能力・技術を身につけた者を指す。その域を目指す並みの人材は大勢いるが、真のプロ人材は実際問題として極めて少数の人間に限られる。スタッフ職との関連で言っても、スタッフ職の中でプロ人材と呼べるものは極く僅かにすぎない。

このような有能な人材を輩出するためには、企業は候補者としての人材を多数擁していなければならない。真のプロ人材は、まさに時間を超越した自己啓発・切磋琢磨の中から生まれるのが真実だからである。しかし、有効な組織体を構成するための人員確保の必要性から、企業はプロ人材たらんとする中程度レベルの人材をも数多く抱え込む必要がある。

リクルートワークス研究所の「ワーキングパーソン調査2004」をもとに、リクルート社はプロフェッショナル人材の規模推計を行っている。推計によれば、言わば「自称」も含めたプロ人材は2002年において合計568万人で、その比率は雇用者の11.6%を占め、産業別ではサービス業が最も多く、プロ人材の約4割の(216万人)に及ぶ。そしてビジネス・プロフェッショナル(=ホワイトカラー系プロフェッショナル)人材は380万人でプロ人材の67%を占める。2015年には、プロ人材は612万人と2002年より44万人増加し、割合は12.6%に上昇すると予測されている。

サービス経済化・ソフト経済化・グローバル化・産業の高度化・競争の激化等に伴って、ますますプロフェッショナルな人材が産業界から渇望されることがこの調査から分かる。これまでは専門的職業人とは医師・弁護士のような特別な資格を有し専門知識を駆使して仕事をする者を指すのが一般であったが、今では特に資格が要求されないビジネスの世界でもプロ人材が要求され、一部がスタッフ職として活躍するようになった。

ところで、スタッフ(staff)とは元々は軍用語であり、staffには参謀・幕僚という語訳があてられている。軍における参謀とは、自らは上司部下のラインから外れ指揮官の補佐をするstaffであり指揮官にのみ責任を負う。参謀もスタッフ職も、上役になり代わり戦略構築や行動計画等の立案をして貢献するという点では、組織において同様の役割を担っている。しかし、企業におけるスタッフ職は、助言のみならず、それぞれの役割に伴う機能を果たす責任をも担う点で、軍の参謀より幅広い概念と言えよう。

高度情報化・グローバル化・競争激化等が甚だしく進行する今の社会では、現場からの情報がこれまでより遥かに重要になっているので、企業経営には参謀、参謀補佐、そしてその補佐…等々の役割が必要になり、スタッフ職が増えてきているという実態があると言ってよい。

フットワークの時代にはヘッドワークやハートワークの機能等を重視する必要がなかったから、経営は経営者の専門領域であり、その意を受けた経営補助者としての管理監督者が多数の一般社員を統率し社員を単一的な価値観で労働せしめていた。

ところが、ヘッドワークそしてハートワークの時代には、経営者は、個々の従業員がハートワーク等を十分に発揮しながら職業倫理・企業理念に叶う言動を自ずと取るような状況・環境を創り出し、社員それぞれの個性を活かした「考え方・思い方・感じ方」を発揮させることこそが重要になってくる。したがって、経営者のリーダシップ・マネジメント力は労働者を拘束する方向ではなく、労働者に個性を発揮させる方向に向けて、ハートワークがよく機能する「多様性が尊ばれる世界」にしていかなければならないのである。その結果として、経営者個人の発想による経営判断の重みはフットワークの時代に比べて相対的に低下するが、その結果、トップダウン方式ではなく、末端社員個々人の自律的な活動を一体化してこそ、企業としての体を成すことになる。

そして従来は経営者に強く求められていた具体的な指示命令が次第に抽象化され、より幅広く従業員にも自律的・自覚的な言動が求められるため、このプロセスにおいて、経営者を動かすスタッフ職が重要視される。かくして、スタッフ職にはその資質や発想や言動において経営者的かつ事業家的感覚を有し、逞しく新しいアイデアを産み出す人材が求められるのであり、企業はそうした人材が多ければ多いほど活性化し、競争に勝ち抜いていけることになる。

経営者はそうした人材を見出す“目利き”でなければならない。と同時に、スタッフ職の成果を的確に取捨選択するために、彼ら個々の様々な思いや意見をも洞察する能力と包容力ある姿勢が求められるのである。

 

立法的解決以外になし

スタッフ職の急増という背景で、今の社会では労働基準法の管理監督者の規定では如何ともし難くなっているが、それにも拘らず、学者はもとより弁護士もまた判例もスタッフ職について詳しく論じていない。スタッフ職の問題は、立法的に解釈する以外に道はない。

従来の企業組織はピラミッド型で、一定の上位層にある者は管理監督の役割を担うという認識があった。しかし、組織そのものがフラット化し、またグローバル化してきたことで、会社の機能スパンも広がりトップ以外の経営者もスタッフ(staff)化した。即ち、経営者は、現場に下りて独自の発想をすることを行動の基盤にしなければならなくなったのである。この状況下では一握りの経営者だけでは、多種多様な情報を集めそれを解析するというのが実質的に不可能になってきている。それが執行役員(スタッフオフィサー職)の存在理由でもあろう。

スタッフ職のようにマネジメントに関与せず、経営につながる職務に専念する役割の者を、今の労基法は全く想定していない。用語はともかく、「経営者」・「スタッフオフィサー職(上位のスタッフ職)」・「スタッフ職(一般のスタッフ職)」・「管理監督者」・「一般職」等々という区分で、法律を再構築して規定しなおすことを、具体的一案として提言するものである。

 

 

 

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2016年7月16日(土)7:22 中目黒公園にてクロコスミアを撮影
花言葉:「楽しい思い出、陽気」

 

 

第10回 管理監督者問題の本質(2)
(2008年7月21日転載) 

 

 

スタッフ職増加の背景

労働基準法が制定されたのは、今から60年も前の1947年(昭和22年)のことである。したがって、元々は当時主流であった肉体労働・フットワークを前提とする価値観に基づく規定であったことは言うまでもない。そのため、時代の変化に応じた度重なる法改正も弥縫策に過ぎず、フットワークからヘッドワークへ、そしてハートワークへと激しく移行していた産業社会・社会の質的変化(例えば製造業の著しい衰退)に対応しきれなかったというのが実情であり、事態と法理との乖離は必然の結果である。

このことは、管理監督者問題についても同様である。元来、労基法41条2号が労働時間規制の適用除外者として定める管理監督者は、ライン管理職が想定されていたが、事業構造の変化および事業内容の高度化・専門化に伴って、今では本社の企画・調査等に携わるいわゆる「スタッフ職」「スタッフ管理職」が急増してきていることは、周知のとおりである。

こうした変化に対応して、スタッフ職でも処遇如何で同規定の該当者である旨の行政通達をやむなく出さざるを得なくなっている(昭63・3・14基発150号)。

スタッフ職の問題は、特に自律的な労働時間制度(いわゆるホワイトカラー・エグゼンプション)につながる重要な議論であるが、この通達をめぐっての裁判例は今のところ見受けられない。ここに、スタッフ職に関する考察を展開したい。

いささか古い数字になるが、1979年から2004年にかけての期間、わが国におけるライン管理職の人数はほぼ50万人と一定であったが、スタッフ職を含む広義の管理職の人数は同じ期間で1・5倍増え、340万人に達したという(大井方子氏「数字で見る管理職の変化」『日本労働研究雑誌』2005年12月№545掲載)。

こうしたスタッフ職の増加は、実際には、ホワイトカラー人口および高学歴者数の増加やIT等の発達に伴う仕事内容の激変によって、管理職ポストが総じて不足してきたという背景があった(総務省統計局「労働局調査」、厚生労働省白書「労働経済の分析」昭和56年版ほか参照)。

つまり、人数に比して管理職ポストが減少したとしても、企業は雇用に当たり従業員に対して年齢にふさわしい処遇をせざるを得ない実際上の大きな要請もあって、30~40歳でも平社員のまま留まらせると社会的評価が極端に下がり、その結果働きがいを失わせることになる。このため管理監督者のみならずスタッフ職の著しい乱造の必要性が生まれ、真にそれらに相応しい者に限らず管理監督者の扱いをしていかなければならなくなったのである。

その結果、当然のことながら管理監督者等の賃金の低下をもたらした。石を投げれば全てがスタッフ職も含めたいわゆる管理監督者であるというような企業組織も存在するが、それにはこうした背景があると言ってよい。

これは平等社会の帰結でもあるし、そうしてこそ企業にとっては、生きがい・働きがいを見つける労務管理の真の目的を実現することができる。

こうした実情はあったが、ますます進行する業務の専門化に対応するために、スタッフ職を名実ともに充実させなければ企業の存続・発展はあり得ないという厳然たる事実が、スタッフ職の肥大化が進行してきたことの主要な理由である。

 

構造変化と「心の時代」

業務が専門化する中では、企業は、「専門職概念」を通常の管理監督者に比してより上位の概念として構想・構築しなければ、優秀人材を集めることはできず、企業としての生命すら失われてしまう。そして、この専門職は、単に人を管理監督する能力に長けた能力だけでは不十分で、本人が現場に身を置き現場の情報を収集したうえで、これに応え得る専門知識と技能に長けたプレーイング・マネージャーでなければならなくなったのである。

前回紹介したように、P・F・ドラッカーは管理監督者の備えるべき重要な要素として「人間としての真摯さ」と「教育的役割」を指摘したが、これはライン管理職を念頭に置くものであった。とすれば、スタッフ職には、この教育的役割を超越する“プロフェッショナルとしてのスキル”“専門知識・専門技能”が求められることになるのは当然のことである。

フットワークを中心とする産業が基軸であった時代にできた労働基準法は、ヘッドワークの時代に移り産業構造と相容れない法律になったが、ハートワークの時代にはこの乖離はいよいよ甚だしくなる。

ヘッドワークの時代には頭脳労働・ソフト産業が中心となり、研究・開発・企画等の仕事が重視されてきた。その結果として、労働時間制は「みなし労働時間制」や「裁量労働制」という新しい法制度を弥縫策として作らざるを得なくなった。

そして、社会のIT化・ソフト化により個々人の考える・思う・感ずる能力が重要になるがゆえに、人間としての自立と成長が求められ、その行き着く結果として、「ハート化」「心の時代」が招来・到来するのである。

そして、この「ハート化」の目標は「真・善・美」「人間としての良心」等々の世界にあるから、個々人が良心に目覚め、善意で気働きをし、それらを通じて成長への希求を一層強く求めることが、企業経営の根幹を支える要素となるのである。

 

確立されない評価基準

実は、企業においては既にこれらを念頭に置く組織が芽生え始めたどころか急速に成長し続けている。例えば、コンプライアンス部門の設立、職業倫理・企業倫理の重視を実現する組織、さらには企業による社会貢献・顧客満足度の向上を目指す組織の組成等々、それぞれの部署・担当者の定着等である。

さらに、人材競争・人材難の時代を迎えて、持てる人材の成長に大きな責任を課せられる人材開発部も企業において重要な地位を占めつつある。

ヘッドワークの所産は才能・能力によるが、その才能・能力は偏差値等その他諸々の測定概念でかなり明確になり得るが、ハートワークはその能力格差を捉える基準がなく、それを基盤にした確固たる評価基準が未だに確立されていない。つまり、ハートワーク時代には、心の在り方・持ち様という流動的で絶えざる変化に的確に対応できる能力、即ち捉え難い人間性を前提とするものなのである。

スタッフ職に求められる専門職としての能力も、まさにこうした社会と産業構造の変化に応じて変容し、需要が高まると言ってよいが、そこでは労働時間の長さ如何によって能力と成果の良し悪しを測定する基準とすることが、決定的にできなくなっているのである。

 

 

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上から時計回りに
2016年7月10日(日)7:34 中目黒公園にて芍薬を撮影 花言葉:「恥じらい、謙遜」
2016年7月16日(土)11:10 パソナビルにてベゴニアを撮影 花言葉:「片思い、親切」
同日時同場所にてペチュニアを撮影 花言葉:「心の安らぎ」 

 

 

第12回「知性・考えぬく」
(平成27年12月28日より転載) 

 


「初めに言葉ありき。言葉は神とともにあった。言葉は神であった」―新約聖書にある有名な辞句である。宗教的意味は分からないが、言葉こそが相手に想いを伝え得る道具であり最大の武器であると、諭しているように感じられる。私たちは、言葉なしには決して考えることはできない。哲学者パスカルは、「考えが人間の偉大さを作る」「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかでも最も弱いものである。…だが、それは考える葦である」などと述べ、考えることの重要性を説いた。私たちは言葉によって考え、思索を深め論理を構築し、議論を重ねることができるのである。

 

先日、「AI(人工知能)の発達により弁護士の仕事も代替されるようになるか?」と問われたとき、私は「情報処理能力では凌駕されていくが、AIは考え“ぬく”ことはできない。その意味で弁護士の仕事をAIが完全に行うことはできない」と答えた。これはすべての職業に当てはまることであり、これからは考えぬく力を持ち、秀でた成果を出せる者しか生き残れない。樹木が栄養を得ながら成長するのと同様に、人間も考え続け、考え尽くすことで頭脳に栄養を得て、いろいろな知恵が生まれ、花が咲き、実がなるのである。

 

私がなぜ「考えぬく」というテーマに関心を持ったかといえば、マスメディアで「反知性主義」という言葉を度々目にしたことによる。おそらくこれは、知性を振りかざして行動の伴わない人々を揶揄した表現であろう。しかし考えぬいた末に得られる知性を身に付けることは、人間によって極めて重要な所為である。努力を重ね知性という実を得た者だけが、知性主義の弊害を論ずる資格がある、と思うのは私だけではないだろう。

 

知性の第1ステージは、徹底的な準備と調査に始まる。方向性を定め、物事を客観的に証明し実証するための裏付け資料を、収集する。多くの書物や資料にあたるだけでなく、各方面の賢者たちに教えを乞い、その知見を素直に学ぶことにより、多様な角度から考えをめぐらせることが可能になる。

 

第2ステージでは、自分の考えを文章化し、ひとつのテーマについて考えぬいて論考をまとめる。文章にすることで思考が固まり、次なる発想の土台となる。本質に迫る努力が肝要であり、大義名分、想定問答、さらには討論技術をも念頭に置く。反論内容をも考えぬいて、考え方・思い方・感じ方を統一し強固にする過程は、まさに知性の塊であろう。

 

第3ステージでは、身に付けた知恵・知性を常に見直し、スピード感と時代の流れを意識した自己革新を重ね続ける。

 

ただ、こうしたプロセスによって考えぬくことを旨とする知性主義には、主に2つの欠陥がある。ひとつは思考を重視するあまり、大胆さを失い慎重になりすぎることで、もうひとつは考えぬくことに没頭しすぎて脳に緊張の連続を強いて疲労させると、メンタルヘルスに不調を来すおそれがあることである。適度な休憩・休暇・休日・休養を取り、リフレッシュしなければ、健全な知性は育まれない。

 

孔子は、「中庸の徳たるや、其れ至れるかな」(どちらにも片寄らない中庸の道は徳目の最高指標である)といった。それほどに物事のバランスをとるのは難しい。人事労務の分野においても、考えぬく能力のある優秀な人材が心の健康を害さないよう、緩急のバランスを取る配慮が何より求められる。

 

 

 

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2016年7月16日(土)7:20 中目黒公園にてタンジーを撮影
花言葉:「平和、挑戦する」

 

 

株式会社開倫塾
代表取締役社長 林 明夫

 

「上手に人を辞めさせる
-教育ある人とは勉強し続ける人-」

 

1.高井伸夫先生の名著の一つに、「上手に人を辞めさせる」がある。

 

2.「上手に人を辞めさせる」大前提は、就業規則の絶えざる見直しだ。労働法の基本的な
理解と遵守も欠かせない。

 

3.ただ、我が開倫塾は、高井先生の有難い教えを参考にしながらも、「人を辞めさせない経
営」を1979年の創業以来目指している。なぜなら、失業は人間の尊厳を著しく阻害するものであるから、縁あって開倫塾にお勤め頂いた社員の皆様には、もし開倫塾でよければ、できるだけ長い期間働いて頂きたいと考えるからだ。

 

4.1998年以来、日本経営品質賞を目指して経営を行っている開倫塾では、経営の基本理
念の一つに「社員重視」を掲げ、「働くに値する職場づくり」に励んでいる。

 

5.開倫塾が60校舎を展開する栃木県、群馬県、茨城県の北関東地域は、30~40年前から
輸出主導型のハイテク製造業のメッカで、有効求人倍率や雇用者所得は全国でも有数の高さであるため、慢性的な人手不足が続いている。

 

6.ここ数年の円安と東北復興、東京オリンピック・パラリンピックの影響で、人手不足感は今
まで経験したことのないレベルにまで達している。そこで、現在の人事労務の最大の課題は、「働くに値する職場づくり」を磨き込んで、新しい社員の採用と今いる社員にできるだけ長く働いて頂くリテンションとなる。

 

7.ただ、この採用とリテンションを果たすためにも、高井先生の「上手に社員を辞めさせる」
前提となる就業規則の見直しと、労働法の基本的な理解と遵守は欠かせない。

 

8.これからの社員に求められる最大の資質は、論理的な内容の文章や資料を分析的に読
み込み、問題点を発見し、課題として設定、それを皆と力を合わせて解決する能力だと考える。例えば、栃木県、群馬県、茨城県の北関東3県に60校舎を展開し、各校舎に約100名の塾生を擁して小学校1年生から高校3年生までの学習指導を行う開倫塾では、毎月膨大な経営情報が蓄積されている。上場企業ではないが、それらの中から財務情報を抽出し、従来からの「月次決算」を固定させると同時に、2011年より「四半期決算」を導入し、本年2016年度で5年目になった。

 

9.今後は、日々の経営に直結する「管理会計」の充実を図ると同時に、非財務情報で企業
としての中長期的な発展に欠かせない重要な経営情報を「統合報告 Integrated Reporting」として取りまとめたい。

 

10.IoT(モノのインターネット)やAI(人口知能)が発展して現在の仕事がなくなり、別のもの
に置き換えられると言われているが、データや論理的な文章を分析し、問題点を発見、課題を設定し、皆で力で合わせて解決する能力は、月次決算、四半期決算、財務会計、管理会計、統合報告以外にもありとあらゆる業務分野で必要とされる。「働くに値する職場」とは、そのような能力を社員一人ひとりのキャリアとして、また、社員のキャリア権を担保するものとして、戦略的に身に着けさせるようなしくみを独自に構築しているところと考える。

 

11.高井先生は、「教育ある人とは勉強し続ける人」というドラッカー先生のことばを折に触
れて口になさり、生涯にわたっての勉強の必要性を訴えておられる。

 

12.開倫塾の本社のある栃木県足利市出身の書家、相田みつを先生のことばに、「一生勉
強、一生青春」がある。相田先生は、私の実家の近くにお住まいであったので、散歩するお姿をよく拝見した。高井先生の教えてくださった、ドラッカー先生の「教育ある人とは勉強し続ける人」という教えと相田みつを先生の「一生勉強、一生青春」の教えは私の中で渾然一体となり、「一生勉強し続けてはじめていつまでも青春時代のように元気に生きられるのだよ」と教えてくださっているようだ。

 

13.では、どのように生きるかが最大の課題となる。今年は、スペインの文豪、セルバンティ
スの没後400年にあたるので、小学生のときに読んだ覚えがある「ドン・キホーテ」を岩波文庫で読んでみた。読んでいるうちに、セルバンティスはドン・キホーテが目指す「遍歴の騎士」を通して、読者にある一つの生き方を問いかけ、示しているのではないかと気づいた。そこで、セルバンティスが訴えたいところに鉛筆で横線を引きながら、全6巻を一通り読んでみて、「ノブリス・オブリージ(高貴なる生き方)」とは何かが少しだけわかったような気がする。

 

14.日本では、内村鑑三が「後世への最大遺物・デンマルク国の話」と「代表的日本人」の2
冊でどのような生き方があるのかをわかりやすく示してくれているので、参考になる。

 

15.高井先生はいつもカバンの中や身近に本を何冊か置き、考えながら著者との時空を超
えた対話をしておられる。大いに参考にさせて頂きたい。

 

2016年7月27日(水) 

 

開倫塾のホームページ(www.kairin.co.jp)に林明夫のページがあります。

毎週、数回更新中です。

お時間のあるときに、是非、御高覧ください。


 

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2016年7月10日(日)7:31 中目黒公園にてグラジオラスを撮影
花言葉:「忘却、勝利」

 

 

 

第9回 管理監督者問題の本質(1)
(2008年7月14日転載) 

 

 

世間の耳目を集めた「日本マクドナルド事件」判決(東京地判平20・1・28)の影響もあり、近時様ざまな分野において管理監督者問題が議論されている。しかし、「名ばかり管理職」という余りにも印象的なフレーズのせいか、残業代の支払いの有無だけが大々的に取り上げられ過ぎている。本稿では、3回にわたって、本質的な視点から管理監督者問題の分析を試みたい。

まず、管理監督者とは何かという問題から説き起こす必要がある。条文には管理職という文言はなく、管理監督者とある。一般的に用いられる管理職とは、管理監督者の通称であろう。

条文の定義としては、労働基準法上の労働時間規制の適用除外を定める同法41条2号で「事業の種類にかかわらず監督若しくは管理の地位にある者」と規定、また労働組合の自主性を図るために一部の者を組合員資格から除外する規定である労働組合法2条1号で「役員、雇用解雇昇進又は異動に関して直接の権限を持つ監督的地位にある労働者、使用者の労働関係についての計画と方針とに関する機密の事項に接し、そのためにその職務上の義務と責任とが当該労働組合の組合員としての誠意と責任とにてい触する監督的地位にある労働者その他使用者の利益を代表する者」としている。

 

人間としての真摯さを

多人数の集合体である企業は、構成員各々が共感・協調して機能しなければ組織体(互助と牽制とその上に立っての成長を期すことに本質があるもの)としての業務を遂行し得ず、企業としての価値がない。個々の多種多様な人材を統合し、一定の成果を上げるための共感・協調を実現して協働体制を構築するなかで必要とされたのが、経営者と管理監督者なのである。

合理性を企業の背景として通すこと=「理を管する」ことがそうした協調・協働体制の基盤であろう。集団はとかく情緒的支配に刹那的に流れていく。それをセーブし、理性的コントロールを行うのが、管理監督者の役割である。その一方で、集団を動かすには情緒的・感性的な側面もなければならない。理に頼り過ぎては無味乾燥のものとなり、およそ人に対して感動を与え得ないからである。

構成員の共感・協調を育むためには、管理監督者は率先垂範して業務を遂行することから始めて部下らを教育・指導し、育てる必要がある。

ドラッカーは言う。「経営管理者であるということは、親であり教師であるということに近い。そのような場合、仕事上の真摯さだけでは十分ではない。人間としての真摯さこそ、決定的に重要である」と。さらに「最も一般化した経営管理者についての定義は間違っているばかりか破壊的である」「誰が経営管理者であるかは、役割と期待される貢献によってにのみ定義される、何よりも経営管理者を他の人から区別するものは、教育的な役割の有無である」と喝破する(傍線は筆者/P・F・ドラッカー『現代の経営(下)210~223頁『第27章優れた経営管理者の要件』参照』)。

ここで注目すべきは、ドラッカーが、「地位」「給与」よりも「人間としての真摯さ」「教育的役割」こそが、管理監督者たる所以であるとしている点である。彼は、管理監督者は単に仕事ができるだけでは足りず、情熱をもって部下に対する育成、即ち教育・指導等々が決め手であるということを言いたかったのであろう。要するに、教育的機能を果たしてこそ、管理監督者たる素地を具有すると言ってよいのである。

さらに、人には「人の上に立ちたい」という本能があるが(それは向上心のひとつの表れであろう)、それは下の者に慕われてこそ初めて可能になる。上の者が下の者を引き立ててくれるという要素があってのことであり、それは、ドラッガーの言う教育的役割と同義である。

下の者から慕われるためには、上の者が下の者の面倒を見る等、まずは「自己犠牲」を厭わない姿勢を持つことが必要である。自己犠牲を具体的に言えば、第一に組織において成果を上げ組織として成長を図り続けること、次にそれにかかわりを持ち自分を支えてくれる個々人の成長を図ることである。そうして、自己犠牲を払っている者は昇進させ部下を持たせるが、その一方、自己犠牲を厭う者に対しては昇進させないどころか降格させ、ついには淘汰していかなければならないのである。

また、報酬についても、部下よりも控えめの報酬でもよしとする姿勢でなければならない。要するに、自己犠牲のうえに初めてリーダーシップ、ひいては信望が生まれるのである。

 

戦って勝てる組織とは

企業体のトップである社長は、素晴らしい業績を上げてこそ初めて然るべき報酬を得る資格を獲得する。それゆえに、業績を上げられない経営者・管理監督者は、淘汰されなければならないことになる。ここにこそ、「人事管理」の本当の意味があるのである。

これらの一般論を具体的に展開すれば、産業構造の変革により業務がソフト化し、グローバルな競争の激化にさらされている企業において、管理監督者は従来以上にマネジメント的視点を持つことが要求される。加えて、個々人の自主性が重んじられる社会的風潮を背景に、管理監督者には下の者に対して取り締まり的な高姿勢ではなく、人間的に接する姿勢が求められるのであり、監督的機能よりも管理的機能を果たす方が重要になってきているのである。

「日本マクドナルド事件」は、ファーストフード店の店長が労基法上の管理監督者に該当するかどうかが争われた事例であり、一般企業とは多少状況を異にするであろうが、管理監督者と労働時間制の問題は、各企業において日常的に見受けられるテーマである。それは、実は管理監督者の処遇は極めて低いことに起因すると言ってよい。

確かに、管理監督者がそれ相応の処遇を受けていないという側面は否めない。しかし、企業という組織体は上位の者の自己犠牲の上に成り立っているという先の論述とともに、企業は競争に勝たねばならない宿命を負っている。その結果として管理監督者の賃金が割り食っていることのみに議論を収斂させるのではなく、組織に貢献したいという心意気とタフな精神力が、今後管理監督者の要件として強調される必要がある。管理監督者が賃金と処遇でしか繋がっていない企業は、戦って勝てる組織でなく、敗退の途を辿ることは必定である。

 

 

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高井・岡芹法律事務所会長
弁護士 高井伸夫
http://www.law-pro.jp/

Nobuo Takai

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