9月30日(土)11時45分より、中国飯店「麗穂」にて会食会を開催いたしました。「麗穂」は、2017年7月29日に名古屋市中村区ミッドランドスクエア41階にオープンしたばかりのお店です。「麗穂」HPご参照ください。

http://www.chuugokuhanten.com/store/reiho.html

 

中部地区に縁のある方をお招きいたしました。当日ご参加いただいた方は以下8名の方がたです。(あいうえお順)

・石田 志保 様(株式会社ヴィヴィ 花宴hanano-en 代表)

・伊藤 綾 様(小畑孝廣音楽事務所内TEAM357所属 ジャズボーカル、ジャズドラマー)

・井上 武 様(ラブリークイーン株式会社 会長)

・井上 富紀子 様(LFC株式会社 取締役)

・佐野 直史 様(株式会社ファッズ 代表取締役社長)

・杉山 貞之 様(株式会社スギヤマ薬品 代表取締役社長)

・速水 亨 様(速水林業 代表)

・横山 巧 様

 

 

参加いただいたゲストの方の感想を一部ご紹介させていただきます。

・伊藤 綾 様(小畑孝廣音楽事務所内TEAM357所属 ジャズボーカル、ジャズドラマー)

久しぶりに先生にお会いできたこと。 本にサインをいただけたこと。

おいしい料理を食べられたこと。 ご活躍の方々とご縁をいただけたこと本当にありがとうございます。 (略)

今後も歌う場が広がっていくよう、 そして、地元の名古屋を盛り上げていけるよう精進して参ります。

 

・井上 武 様(ラブリークイーン株式会社 会長)

・井上 富紀子 様(LFC株式会社 取締役)

昨日は、名古屋での昼食会にお招きいただき有難うございました。5年ぶりくらいにお目に掛かりましたが、80歳になっても、とてもお元気でパワーを頂きました。

お会いした皆様も、各界でご活躍の方ばかりでとても楽しい時間でした。

特に、速水林業の速水さんの話は夢があって楽しい話でした。上場を目指している佐野様や、500億企業に成長された杉山様の話しも興味ありました。

 

※井上様は当日のご様子を自身のfacebookでもレポートしてくださいました。https://www.facebook.com/inouetakeshi0517

 

・佐野 直史 様(株式会社ファッズ 代表取締役社長)

先日は名古屋での食事会にお誘い頂きありがとうございます。色んな方とお会い出来たこと嬉しく思います。

 

・杉山 貞之 様(株式会社スギヤマ薬品 代表取締役社長)

先日は「麗穂」におきましてお食事会にご招待頂きまして誠にありがとうございました。 「麗穂」の美味しいお料理をご馳走になりながら、高井先生の鋭い洞察力を感じるお話しを聴けましたこと、そして社長塾の頃にお世話になりました井上様、鋭い視点を持つ速水様、 佐野様、女性経営者として活躍されている石田様、先生の旧友でございます横山先生、音楽家の伊藤先生と多種多彩な方々と交流できたこと感謝申し上げます。

以上

 

 

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<イッピン>
麻布十番はなぶさ「ひつまぶし」

 

 

20171015ひつまぶし.jpg

 

 

名古屋生まれの私にとって、鰻といえば、まず「ひつまぶし」が頭に浮かぶ。

名古屋に帰郷した際には当然のように食する、いわば私のソウルフードであるが、東京ではひつまぶしというメニューをそもそも目にする機会が少ないので、これまでは殆ど食べたことがなかった。

 

8月末に酷い風邪を引き、精力をつけようと思って、ひつまぶしをインターネットで検索したら、麻布十番にある「はなぶさ」というお店が出てきた。

 

お店のHPによると、このお店では愛知県一色町の矢作川の清流で養殖した鰻を使用しているという。

清流で養殖する鰻、というものを初めて聞いたので、興味を引かれて昼食時に早速食べに向かった。

 

はなぶさは、店構えは小作りだが、お客さんで賑わっていて中々繁盛しているようであった。

 

少し待つと、茶色のお櫃によそわれたひつまぶしが出てきた。

名古屋には、ひつまぶしの名店として知られる蓬莱屋というお店がある。このお店のひつまぶしは濃茶色の木のお櫃によそわれていてるのだが、中のひつまぶしとお櫃の色が合っていて、見た目も美しく、食欲をそそられる。

「はなぶさ」は蓬莱屋と同様、濃茶色の木のお櫃を使用していた。

 

薬味は、わさびとねぎと海苔で、きゅうりと紫蘇漬け、奈良漬け、お茶漬け用のお出汁が添えられていた。

ひつまぶしの定番の食べ方通り、一杯目はそのまま。二杯目はわさびとねぎと海苔で、三杯目は出汁をかけてお茶漬けで頂いた。

肝心の鰻は、硬めに焼き上げられた皮を噛むと、ふわりとした香ばしさが漂った。肉は、弾力と厚みがあり、非常に美味しかった。

 

麻布十番「はなぶさ」のひつまぶしは、東京にいながらも故郷を味わえる料理として、これからも重宝するイッピンとなるだろう。

 

 

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2017年8月24日(水)13:02 ベロペロネを撮影
花言葉:「ひょうきん、おてんば」

 

 

第32回 人事・労務の未来(1)
(2009年10月5日転載)

 


高井伸夫弁護士は、企業構成員が「個」としての能力を十分に発揮できるよう条件を整えるのが、人事・労務管理の役割と位置付けている。いまや利益追求のみで通用する時代ではなく、心身の健康と人間性重視の姿勢で臨むべきであると提言した。

 

「個別人事管理」に重心

企業におけるこうした人の獲得競争が激化した根本原因は、①日本の人口が減少局面に入り“人材の市場”も縮小し、優秀人材の獲得競争がますます激しくなっていること、②グローバル化により企業は外国企業との競争を強いられていること、③日本の国内市場が縮小し、右肩上がりの成長路線を描けなくなったこと等であり、手をこまねいていればジリ貧になるという恐怖感が、潜在的にせよ強く意識されてきたからであろう。

10年ほど前に日本に成果主義が浸透し始める以前から、私は、「事業戦略・企業戦略は、人事採用戦略に宿る」と述べてきた。近年この人的資源獲得競争の中で、特に経営能力・管理能力・専門知識を備えた稀少人材を確保・維持・育成することの重要性は増し、今後もますます増加するのは必然で、それに伴い人事・労務の重要性がさらに高まっているのである。

そして、成果主義的な人事・賃金制度の定着と社会的な個人主義の風潮の高まりが相俟って、企業では集団管理よりも個別人事管理に重点が置かれるようになってきている。成長という右肩上がりのビジョン・価値観によって従業員に対する求心力を保つことは不可能になっており、その一例として、組合の組織率が低下し続けているのは当然の現象であり(2008年労働組合推定組織率=18.1%)、かつての団体交渉を中心とした組合・社員会対策は下火となっている。それゆえ、人事・労務管理の面でも、これからは個々人を対象として丁寧な対応を行う必要に迫られるだろう。

しかし、企業は秩序ある協働体・組織として活動し、成果を上げ続けなければならない存在であることに変わりはない。即ち、企業においては、社会的変化によっていかに組織の集団的な堅固さが脆弱化する状況にあっても、個別人事管理だけでは経営組織は成り立たず、集団管理も当然に必要とされるのである。したがって個別管理と集団管理の両立という点にこそ、これからの人事・労務管理の難しさの根本があると言ってよい。

さて、人事管理と労務管理の違いとは何か。人事管理とは、企業経営のために従業員の個々の処遇を決定すること、つまり、配置・賃金等の報酬の決定をすることである。配置の決定とは、各人が取り組む仕事の内容を決めることであり、賃金等の報酬の決定とは、単に賃金額の決定だけではなく、序列付けをし、どの地位の職位・職制に就かせるかにも関連してくる。そこで、配置と賃金は互いに大きく関係してくるのである。

これに対して、労務管理とは、多数の労働者を使用するに当たって公明・公平・公正に処遇していくことである。

 

実効性ある労務管理へ

要するに、人事管理が一人ひとりの個人を対象とするのに対し、労務管理は多数の労働者を対象とし、集団的に秩序付けるべく取り組むことである。

この意味において、人事管理と集団管理を旨とする労務管理とは根本的に異なるようにみえるが、集団も個人によって成り立つがゆえに両者は密接な相関関係にあり、一体感あるものでなければならない。そしてそのバランスは、個別企業ごとに経営理念によって異なってくると思われる。

現在では、前述のとおり個別人事管理の重要性が増してきているが、その背景には、従業員・社員が、使用者に対して個別に発言するようになったこともあるだろう。それゆえに、企業の対応は複雑にならざるを得ず、公明・公平・公正を期する労務管理自体が、難しくなってきたことを意味する。

また、労務管理は日々の積み重ねが重要であるが、労務管理にとっての日常的な指導・教育の意義を改めて考えさせられる近時の裁判例がある。

「T社事件」(甲府地判平21・3・17)では、営業職にある従業員が、社有車を子どもの保育園への送迎に使用していたこと、早退が多い等合計15項目の解雇理由により普通解雇されたことの有効性が争われたが、裁判では解雇は無効とされた。裁判所は、不適切な言動を繰り返す従業員に対して会社が指導を行ったことを示すメモは、記載が断片的で不自然であるため、公平かつ公正な立場から記載された物とは認められないとして、メモ自体の信用性を否定した。そして、会社が主張した解雇理由15項目中14項目について「事実を認めるに足りる証拠はない」としたのである。

「詞は飛び書は残る」という法諺を紹介するまでもなく、裁判における証拠としての書面の存在は極めて重要である。そして、裁判対策だけの意味ではなく、労務管理の実効性をあげるためには、会社が自らを律するとともに、日頃から就業に関する的確な指導・教育を行う体制を作っておく必要があるのである。

 

アナログ的能力を活用

さて、企業間競争が激しくなるにしたがって、「企業を活かし、人を活かす」ことがなお一層必要となる。「企業を活かす」とは、集団管理の視点に立つことであり、経営者・管理職者のリーダーシップ・マネジメント力等々が要素となる。「人を活かす」とは個性を大切にされてこそ人は最大限の力を発揮できるとの個別人事管理の視点に立つものであり、個別管理の基本である「人を見て法を説く」ことが重要な要素となる。

こうして、個性に主眼を置く個別人事管理の強化という視点に立つと、集団管理の困難さが一層際立つことに気づくだろう。これからの人事・労務管理は、集団管理と個別管理の一層の統合を図らなければならないが、結局、両者の架け橋は評価にあり、その公明さ・公平さ・公正さと、適切な経営理念の推進を実現することにあると言えるだろう。

人の労働の価値基軸は、主に手足を使う肉体労働がメーンであったフットワーク・ハンドワークから、頭脳労働・知的労働がメーンであるヘッドワークに移行し、社会の進歩や変化とともに変わってきた。そして今まさに、主に心を用いることが重要な要素であるハートワークの時代(心の時代)となっており、そして、近い将来はハートワークよりもなお一層人間性全体を活性化する時代(ヒューマンワークの時代)になるだろう。

私が提唱するこの「ヒューマンワーク」とは、マニュアル経営と対峙する概念であり、人間性の原点に立ち帰り、心身の限界を尽くして、人として有する全機能をフルに働かせる労働を意味している。言わば、全人教育の成果としてなし得るものである。

グローバル化が進めば進むほど、民族の考え方の違い、価値観の違いを超えて機能する、人類に普遍的な「ワーク」であるヒューマンワークが必要とされるだろう。

つまり、人事管理・労務管理においても心・精神性、さらには多様な価値観を前提とした上で、個人の人間性を念頭において構築なければならない。

先に、経営能力・管理能力・専門知識を備えた稀少人材の必要性について触れたが、そこで重視される人間の資質・能力はデジタル的な能力(数値上明確化することのできない能力)にあると言える。現代のように誰もがITを仕事に活用するのが当然の時代となればなるほど、勝負はIT化できない能力、数値化できない能力の優劣にかかってくる。例えば、話す能力・意思伝達能力・問題発見能力・協調性・営業力・交渉力・プレゼンテーション能力・リーダーシップなどは、いわばその代表例である。これらは、成果を数字で示すような頭脳労働だけではなく、人の感情や思いに訴えかける能力を必要とする。そして、ITはこれらの能力を増幅させる「てこ」の役割を果たす。だからこそ、ヒューマンワーク社会ではわずかな違いが大きな成果の差につながるのである。

 

利益追求のみでは限界

さて、このヒューマンワークの時代においては、健全な肉体はもとより、心の健全性も当然意識されなければならず、健全な心身と人間性との統合があって初めて、人としての存在意義と機能が十分発揮できるのである。この点、人事・労務管理においても人間性の尊重は当然意識されるべき視点であり、経営者や管理職者についても、また企業の精神である経営理念や事業活動自体についても、さらたには就業規則等の規定類の運等に当たっても、心身の健康と人間性を重視する態度で臨む必要がある。そして、こうした姿勢は企業構成員の意思統一を図るためにも極めて重要である。

人事労務管理の目的は、「企業の活性化を図る」「事業経営の成功を期する」ことに尽きるが、これは利益のみを追求するだけでは不可能であり、個々の企業構成員が「個」としての能力を十分に発揮することが必要不可欠となるであろう。即ち社員・従業員・労働者を、尊厳ある存在として扱うべく人事・労務が重要視される時代となってきたということなのである。

 

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  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第22回目です。
  • 第22回目は、シンガーソングライター・自営業 ボビン・マン・バジュラチャルヤ様です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第22回)■ ■ ■ 

シンガーソングライター・自営業
ボビン・マン・バジュラチャルヤ 様 

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


[ボビン・マン・バジュラチャルヤ様 プロフィール]

生年月日:1976年4月17日、出身地:パタン、カトマンズ盆地、ネパール

ヒマラヤのふもと、カトマンズ盆地の南に位置する古都パタンの大乗仏教お坊さんと金属職人を営む家系のもと生まれる。

1996年10月、アルバム『Heroes Of Dream』を発表。2000年2月日本での初アルバム、『SAMSARA bobin』をMONSOONRECORDよりリリース。2001年春、日本で2枚目となるアルバム『bobin and the mantra』をリリース。2002年7月に台湾の音楽フェスティバル『HO_HAI_YAN』に出演。ネパールに帰国。2003年春、台湾でアルバム『Soul Rhythm』リリース。当アルバムが台湾の金曲賞にノミネートされる。2003秋、2004年夏に台湾ツアーを行う。2004年冬、音楽活動の拠点を日本におくために来日。2005年春、アルバム、『Songs Of Love』をリリースし、Earth Day Main Stage、Fuji Rock Festival、Risining Sun Rock Festivalなど日本の大型音楽フェスティバルに出演する。2007年6月、日本で代表曲"Slow Burning"を収録したアルバム『Rainbow Vibaration bobin』を発表。

2007年ネパールで伯父が営む工場で音楽関係のTシャツ生産を開始。同年、日本で(株)スローバーニンを設立。その後、2010年2月まで日本を拠点に音楽活動と会社運営に励む。結婚を経て、子育てはネパールでしたいとの思いから2010年3月ネパールに帰国。地元パタンで現地生産のみのセレクトショップ、アパート、フリースペースを含んだ独自の店、『Melting Pot』を開店。

2015年のネパール地震後、カトマンズの中心街タメルにTシャツ屋を移転。ネパールに住みながら、定期的に日本での音楽ツアーを行う。ネパールでも音楽活動中。2017年9月カトマンズ・タメルに新たにTシャツ屋を2店舗オープンさせ、現在に至る。

ボビンさん写真

(写真は左からボビン様、高井、角様)

ボビン君との出会いは、2002年8月に知人と訪れた赤坂の沖縄現代料理店「紅い花」で、皿洗いのアルバイトをしている当時25歳の彼に声をかけたことがきっかけです。私は、同年11月20日から24日にかけて25名からなる「桃源郷を訪ねる訪問団」の団長としてネパールを訪問する予定があり、ボビン君がネパール・カトマンズ出身と聞き、秋にネパールを訪問予定である旨お話しました。すると彼は「10月にはネパールに帰国するので、11月20日にはカトマンズの空港でお待ちしています」という言葉を返してくれ、実際にカトマンズ空港で我々一団を出迎えてくれたのです。その後も親交を続け、シンガーソングライターとして活躍する彼をささやかながら応援させていただいております。

ボビン君についての過去のブログご参照ください。【交友録 その9】9月第1週<8月28日(日)~9月3日(土)>

 

[今回のインタビュアーは以下の通りです]

  • 高井伸夫 
  • 角 耀 様 
  • 高島さつき(秘書)

取材日:2017年8月8日(火)於:中国飯店市ヶ谷店

 


 

高井

ネパールの地方選挙は終わったんですか。

 

ボビン様

地方選挙が3回に分かれてしまったんですが、僕のところは、もう終わって、20年ぶりに市長も決まりました。ただ、まだ1州(One State)が終わっていないので、そこが終わらないと完全に終わったとは言えません。

 

高井

地方選挙はまだ終わってないとして、国の選挙はいつやるんですか。

 

ボビン様

国の選挙は、もうちょっと先だと思います。今、やっと憲法ができました。それでもインドの圧力がいろいろとかかっています。実際、この20年の間に、1,000万人ぐらいのインド人がネパールの国籍を取得していると言われています。ネパールの人口が今、3,000万人ですね。その3分の1はインド人です。

 

高井

ネパールはインドの影響が大きいようですが、お隣のブータンはどうなんですか。

 

ボビン様

ブータンは、割と安定しています。ブータンの国王は、Gross Domestic Happiness(国民総幸福量)を提唱して「ブータン」のブランド化に成功しました。ブータンはインドに政治的影響を受けつつも、自身のアイディンティティーを確立させていて、政策がスマートだと感じます。

インドは、領土問題などで中国と揉めていて、中国とインドの間にあるブータンとネパールをコントロール化においておきたいんです。インドのモディは、過激ヒンズー教でネパールがヒンズー王国になるんだったら、王制を復活させてもいいという気持ちがあると思います。モディだけでなく、インドにはRAWというシンクタンクがありますが、RAWも、ネパールと合併してもしなくてもいいから、自分のコントロールできるリーダーをネパールに作りたいと思っています。

 

高井

ネパールにインドの言いなりになるリーダーがいるんですか。

 

ボビン様

いっぱいいます、それがネパールの問題なんです。国民はすごく頑張っているんですが、政府がインドの顔色を窺っている。ネパールは90年代に王制が弱くなってから、だんだん、だんだん政策もでたらめになっていったように感じます。

 

 

高井

2015年に地震がありましたが、観光への影響はどうですか。

 

ボビン様

地震の前に少し、観光客の数が増えていたんですが、地震の後、当然激減しました。4月に地震があって、8月まで全然駄目で9月からは徐々に良くなったんですよ。地震の後のネパールを見たいということで観光客が増えたんですが、9月末からインドに国境を封鎖されてしまってしばらく全くダメでした。それからやっとよくなりはじめて、今年はこれからシーズンに入るので、どれくらい来るのかまだ分かりませんが、ホテルは空室がなくなっていると聞きます。

 

角様

地震でお寺とか随分つぶれちゃったと言いますが復興は進んでいるんですか。

 

ボビン様

お寺を修復する伝統的な職人も、まだまだたくさんいますのでお寺は復活できると思います。地震があってもネパールでは暴動が一切起きなかったんですよ。そういう点でも焦ってる人は誰もいないですね。復興は、ゆっくりですけど進んでます。

 

高井

ネパールではバーや何か盛んですか? クラブやキャバレー等はどうですか。

 

ボビン様

昔みたいな、踊るところは、だんだん減っています。もっと若者が集まるライブハウスのようなところは、たくさんあります。ジャズのフェスティバルとか、ブルーズのフェスなど。

僕も1つ「Shanti Utsav(シャンティ ウトサブ)」というイベントを主催しています。シャンティは平和で、ウトサブは祝うという意味です。心の平和を祝うというテーマです。イベントでは友人である日本人のキャンドル・ジュン氏と一緒にキャンドルアートをやったりしています。

カトマンズにはストリートチルドレンがいるのですが、彼らに職業訓練として竹細工を教えたり、キャンドル・ジュン氏が、キャンドルを教えたりして、販売するにまで至っています。そのキャンドルを7世紀のお寺に灯して、中庭で僕らが音楽をやったりしています。次のイベントは11月中旬を予定していますが、過去には北海道のアイヌのミュージシャンOKI(オキ)氏を呼んでライブを開催したりしました。OKI氏はアイヌの楽器「トンコリ」の奏者で、古くからの友人だった縁でお招きしたんです。

 

高井

音楽活動に、ストリートチルドレンへの職業訓練。ボビン君の本業、ビジネスは何をやってるんですか。

 

ボビン様

僕は日本にいるときから、音楽活動とTシャツの販売の両方をやっています。音楽活動の方は、実は今年も日本でフジロックに出る予定だったんですよ。ネパールのタメルという町に2つのTシャツのお店を3月にオープンする予定だったんですが、ビルが完成してなくて、延びて、延びて、延びて、9月になってしまった。それで、7月末のフジロックに行けなくなって、キャンセルしたんですよ。

日本でのTシャツの販売のビジネスは、東日本大震災が起こる前までは、どんどん伸びていてすごく良かったんです。今は駄目ですね。地震後は、ネパール自体への注文がどんどん減ってるんです。日本人の最近の傾向として、あんまり洋服にお金かけなくなっちゃったっていうのが一番の理由だと思います。ただ、高級で高額な洋服は売れているらしいんです。昨日お会いした方は、5万円~10万円くらいの高級なシャツを作っているて、イタリアで5万~10万ぐらいのシャツを作っているんです。それをネパールで作れないかなという相談をしました。100%麻で、ビジネスマンが夏に着られる服。日本で作ると10万円を超えてしまうので、イタリアのシャツに勝てないんですね。そういうマーケットは健在していますが、僕らが売るのは、シャツ1枚8,000円とか、1万円。その価格帯は、需要がものすごい低下しました。高級品を作るか、もう、3,000円、4,000円のを作るか・・・。実は、ある方とネパールで繊維が作れないか、相談しているところなんです。

 

高井

ネパールで作る繊維とは、何の繊維ですか。

 

ボビン様

麻とイラクサです。イラクサというのは、雑草なんですが、ネパールでは、昔から紐を作ったり、洋服にしたり、食べたりしてるんです。すごく栄養があって、ちょっとねちょねちょしていて、煮てから食べるんですよ。そのイラクサから繊維が作れないかと。今は繊維を中国から輸入して、それで生地を織ったりしているんですが、コストが合わないんです。

 

角様

繊維を作るっていうのは、技術を導入するっていうことですか?

 

ボビン様

そうですね、おそらく工場を造るなどで10億円規模のプロジェクトになるので、結局、政府の協力がないと、個人ではちょっと大変です。権利関係とか、手続き等、今調べているところです。伯父が25年くらい前から縫製工場を経営していますが、今、繊維をネパールで生産できれば色々と一番スムーズにいく段階なんですね。ただ、今のネパールで作る繊維は古いスタイルのままなので粗いんです。

 

角様

麻やイラグサはネパールでたくさん生産されているんですか。

 

ボビン様

ネパールは、麻、イラクサの産地です。うちは縫製工場なので、やっぱり、麻の布で何かしたいというのが一番のメインです。ネパールでは、麻の栽培は禁止されていますが、実情は政府がコントロールできないぐらいあちこち至るところで栽培されています。5年ほど前の報道ですが、南ネパールの麻、種類がヒマラヤとは少し違って薬にも使える麻が、ネパールから60億円分もインドに密輸されてるそうです。医薬会社が、原料として使うために密輸してるらしいんです。毎年60億円分も密輸されてるんだったら、ちゃんと合法化して税金を取ったほうが、もっといいんじゃないのかという意見の記事でしたが、その状況はいまだに続いてるんです。

 

高井

音楽活動と、Tシャツのビジネスの他は何かやっていますか。

 

ボビン様

実は、ネパールの山間部に6,000坪ぐらいの土地を買ったんです。まだ車道がなくて、車道から5分くらい歩いて登らないといけないんですが、水源もあります。そこでトウモロコシの種をまいた1週間後に地震がきて、農場に2軒あった家が潰れちゃったんです。ぺしゃんこに。しばらく落ち込みました。それでその後フルーツの木を100本くらい植えたんです。今度帰国したら、車道を造ろうと思っています。車が入れるようになったら、自分たちの食べ物だけでも作ろうかなと思っています。他にもショウガとか、そういう乾燥できるもの作って、輸出できたら輸出もしようかなと思っています。来年ぐらいには農業の会社を1つ設立しようかなと思ってるんです。

 

高井

ネパールの将来は明るいと思いますか。

 

ボビン様

将来は明るいと思っています。ネパール人はネパールが好きなので、政治が安定していけばと願っています。ネパールはいろんな文化が混ざって、いろんな人種が混ざっています。地震のちょっと前は中国人観光客が多かった。今は南米系、メキシコ人とか、ベネズエラ人や、ベトナム人も増えてるんです。常に誰かしらネパールを訪問・観光しています。

ネパールは、シンプルな政策を取ればいいなと思っています。フリーポートみたいに、シンガポールみたいにすればいいんですけれど、それはインドにとっては都合が悪いので、政治家は斟酌しています。国民自体は、一回ネパールに来てみたらわかると思いますが、すごくリラックスしてます。パタンにも、おしゃれなカフェや宿ができて、町の雰囲気はすごくいいですよ。ネパールの発展には、日本とかヨーロッパとは異なる文化的な発展が、もっと重要になってくるかもしれないですね。まあ、未来は明るいと思いますよ。

 

高井

最後に、ネパールに日本人が行って、一番興味がある所どこでしょうか。

 

ボビン様

やっぱり、山、自然ですね。去年、標高5,000メートルのところにあるティリチョ・レイクという湖を見に行ったんです。自然は、もう涙が出るほどきれいです。ぜひ見に来ていただきたいです。

以上

 

 

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※明日の高井杯は雨のため、中止いたします(2017年10月20日)

【10月21日】第50回記念「高井杯ゴルフコンペ」ご案内

一緒にゴルフを楽しみませんか?高井伸夫よりゴルフコンペのご案内です。

 

★日 時:平成29年10月21日(土)

スタート  東コース 8:48AM  南コース 8:48AM

※30分前にお集まりください。

※6組予定(東3組、南3組)

 

 

★場 所:千葉夷隅ゴルフクラブhttp://www.chibaisumi.jp/

【住所】〒298-0261 千葉県夷隅郡大多喜町板谷588

【電話】 0470-83-0211

 

※キャディ13年連続日本一!!

 

 

★アクセス:圏央道市原鶴舞ICより車で30~40分http://www.chibaisumi.jp/access/

 

★費 用:26,000円位

(含む プレイ代、キャディ付、昼食、ワンドリンク、パーティ代)

(賞品多数あり)

※各自贈答品(1000円位)ご持参ください。

 

 

★幹 事: 知久信義、亀梨信夫

 

★申込方法★

http://www.law-pro.jp/weblog/pdf/news20171021.pdf

上記URLより申込用紙をダウンロードして、FAX(03-3230-2523)までお申込みください。

 

 

 

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2017年9月10日(日)10:53 北区豊島8にてエンジェルストランペットを撮影
花言葉:「魅力、愛嬌」

 

 

第9回 対人影響力の極み

 

株式会社日本総合研究所
リサーチ・コンサルティング部門
青木昌一

 

1.人を巻き込む力

「極み」

とてもインパクトのある言葉ですが、人と人との関係に関しての「極み」を高井先生とのお付き合いを通じて垣間見た気がしています。

企業再建に向けて高井先生のご指導を仰いでいる頃、私が先生の圧倒的な存在感に触れて信者になってしまっていたことは、この連載をお読みいただいている方なら既にお気づき頂けたと思います。

高井先生は当時、「弁護士は一人で仕事をするスタイルをとる人が多いからリーダーシップに長けた人が少ないんだよ。」と仰っていました。私が日本総研に入って様々な専門職の方と接する機会が増え、これは弁護士に限らず専門職の世界、とりわけ高度な専門性を必要とする職種の方々の特徴であると実感しています。一方で高井先生ご自身はというと、強烈なリーダーシップを発揮してクライアントを引っ張って行ってしまいます。

いかに高井先生といえども、ひとりの人間の作業としてできることは極々限られています。それでも多くの会社の支援し、再生させてこられたというのは、ひとえに周り人の巻き込み方に極めて秀でていらっしゃったことで、クライアントの中の多くの人の力を引き出されて大きな力を発揮させていたからだと考えています。

以前、リーダーシップとは「方向を指し示すこと」だと高井先生が仰っていたことをご紹介しましたが、さらに人を巻き込み組織化する能力もリーダーシップの重要な要素なのだと考えています。

ハーバード大学の有名な経営学者であるジョン・コッターは変革型リーダーの重要な要素として「危機感を高める」ことができる。これが企業を変革する際の第一のステップであるとしています。その上で次に「周りを巻き込み組織化する」ということを言っています。

これは私の勝手な推測ですが、高井先生は当時コッターのこの主張を恐らくご存知なかったのではないかと思います。しかし、数々の困難な案件をこなされる中で人を巻き込む力を身につけられたのではないかと考えています。

 

2.勉強会

私が日本総研に入社し、コンサルタントとして歩み始めた頃から、高井先生に様々な勉強会に声をかけられ出席させていただくようになりました。スタイルも様々で「シンクタンクについて考えよう」といったテーマで、人材マネジメントにかかわる方々がごく少数集まるスタイルだったり、年2回の定例的な会に最初のメンバーが知り合いの方々を誘い出席者が増えていきホテルのミーティングルーム集うというスタイルもありました。そこでひとつのテーマに関して各出席者が自らの意見や経験談を紹介し、みんなで議論するようなもの。また、ある時はこのテーマに関しては我が国の第一人者という方をお招きし、基調となるお話を聞きし、出席者が質疑応答をしながらおいしい料理を楽しむ食事会ということもありました。

それらの勉強会に出席されている方々も実に多様多彩な方々でした。大きな会社の役員の方や人事担当者、起業家としてビジネスを立ち上げている方、ジャーナリスト、教育家、会計士や弁護士、医師、コンサルタント 等々。

そこになぜ私がいるのかはいまだによくわからないのですが、実に様々な分野で活躍されていて、すごい方ばかりです。そういう場にいらっしゃる方というのは何かしらそれまでの人生の中で高井先生と知り合われた方ばかりです。高井先生がこのような人と人との縁を極めて大切にされていたことがよく分かります。

 

3.人への影響力

このようなスタイルで広がった高井先生の人脈が実際のところどのくらいなのかは私にも想像がつきません。

ですが、例えばビジネスの種について何か分からないこと、困ったことが発生した場合に高井先生を通じて連絡を取り合ったり、場合によっては出席者同士が新たな人脈として協力し機能し始めるといったこともあります。

私の周りでも高井先生から大きな影響を受けた方はいらっしゃいます。

この連載の第一回でご紹介した西洋環境開発時代の先輩であり直属上司だった課長。西洋環境開発の再建に向けて数えきれないほど多くの回数の高井先生とのミーティングに私は一緒に参加しました。この方がそのまま勢いがついて法曹への道を志すようになり、40歳を過ぎて司法試験に見事合格されました。

現在は紀尾井坂テーミス総合法律事務所で活躍されている西本弁護士がその人です。年に数回今でもご一緒する。。。実態は遊んでもらっているのですが、弁護士を志した理由についてきちんとお話を伺ったことはありません。しかし、当時間近で西本弁護士を見ていて間違いなく高井先生の影響を受けて司法試験に挑戦されたことは疑いようがありません。高井先生と知り合うことがなければ恐らく弁護士としての西本さんはいなかっただろうと思うのです。

さらに私が西洋環境開発の人事部員として最後の頃に北海道の関連会社に出向していた後輩が人事部に異動してきました。一緒に仕事をしていた期間は2年ほどでしたが、この後輩も現在は帯広で弁護士として活躍しています。この後輩の場合、高井先生と直接の面識がないわけではありませんが、さほどでもありません。どちらかと言うと西本弁護士の姿を間近に見て司法試験への挑戦を始めました。そして見事に弁護士として活躍している訳です。つまりは間接的に高井先生の影響を受けた一人と言えるのでしょう。

以上

第9回 対人影響力の極み 

 

「極み」 

とてもインパクトのある言葉ですが、人と人との関係に関しての「極み」を高井先生とのお付き合いを通じて垣間見た気がしています。 

企業再建に向けて高井先生のご指導を仰いでいる頃、私が先生の圧倒的な存在感に触れて信者になってしまっていたことは、この連載をお読みいただいている方なら既にお気づき頂けたと思います。 

高井先生は当時、「弁護士は一人で仕事をするスタイルをとる人が多いからリーダーシップに長けた人が少ないんだよ。」と仰っていました。私が日本総研に入って様々な専門職の方と接する機会が増え、これは弁護士に限らず専門職の世界、とりわけ高度な専門性を必要とする職種の方々の特徴であると実感しています。一方で高井先生ご自身はというと、強烈なリーダーシップを発揮してクライアントを引っ張って行ってしまいます。 

いかに高井先生といえども、ひとりの人間の作業としてできることは極々限られています。それでも多くの会社の支援し、再生させてこられたというのは、ひとえに周り人の巻き込み方に極めて秀でていらっしゃったことで、クライアントの中の多くの人の力を引き出されて大きな力を発揮させていたからだと考えています。

以前、リーダーシップとは「方向を指し示すこと」だと高井先生が仰っていたことをご紹介しましたが、さらに人を巻き込み組織化する能力もリーダーシップの重要な要素なのだと考えています。

ハーバード大学の有名な経営学者であるジョン・コッターは変革型リーダーの重要な要素として「危機感を高める」ことができる。これが企業を変革する際の第一のステップであるとしています。その上で次に「周りを巻き込み組織化する」ということを言っています。

これは私の勝手な推測ですが、高井先生は当時コッターのこの主張を恐らくご存知なかったのではないかと思います。しかし、数々の困難な案件をこなされる中で人を巻き込む力を身につけられたのではないかと考えています。

   

2.勉強会

私が日本総研に入社し、コンサルタントとして歩み始めた頃から、高井先生に様々な勉強会に声をかけられ出席させていただくようになりました。スタイルも様々で「シンクタンクについて考えよう」といったテーマで、人材マネジメントにかかわる方々がごく少数集まるスタイルだったり、年2回の定例的な会に最初のメンバーが知り合いの方々を誘い出席者が増えていきホテルのミーティングルーム集うというスタイルもありました。そこでひとつのテーマに関して各出席者が自らの意見や経験談を紹介し、みんなで議論するようなもの。また、ある時はこのテーマに関しては我が国の第一人者という方をお招きし、基調となるお話を聞きし、出席者が質疑応答をしながらおいしい料理を楽しむ食事会ということもありました。

それらの勉強会に出席されている方々も実に多様多彩な方々でした。大きな会社の役員の方や人事担当者、起業家としてビジネスを立ち上げている方、ジャーナリスト、教育家、会計士や弁護士、医師、コンサルタント 等々。

そこになぜ私がいるのかはいまだによくわからないのですが、実に様々な分野で活躍されていて、すごい方ばかりです。そういう場にいらっしゃる方というのは何かしらそれまでの人生の中で高井先生と知り合われた方ばかりです。高井先生がこのような人と人との縁を極めて大切にされていたことがよく分かります。

 

3.人への影響力

このようなスタイルで広がった高井先生の人脈が実際のところどのくらいなのかは私にも想像がつきません。

ですが、例えばビジネスの種について何か分からないこと、困ったことが発生した場合に高井先生を通じて連絡を取り合ったり、場合によっては出席者同士が新たな人脈として協力し機能し始めるといったこともあります。

私の周りでも高井先生から大きな影響を受けた方はいらっしゃいます。

この連載の第一回でご紹介した西洋環境開発時代の先輩であり直属上司だった課長。西洋環境開発の再建に向けて数えきれないほど多くの回数の高井先生とのミーティングに私は一緒に参加しました。この方がそのまま勢いがついて法曹への道を志すようになり、40歳を過ぎて司法試験に見事合格されました。

現在は紀尾井坂テーミス総合法律事務所で活躍されている西本弁護士がその人です。年に数回今でもご一緒する。。。実態は遊んでもらっているのですが、弁護士を志した理由についてきちんとお話を伺ったことはありません。しかし、当時間近で西本弁護士を見ていて間違いなく高井先生の影響を受けて司法試験に挑戦されたことは疑いようがありません。高井先生と知り合うことがなければ恐らく弁護士としての西本さんはいなかっただろうと思うのです。

さらに私が西洋環境開発の人事部員として最後の頃に北海道の関連会社に出向していた後輩が人事部に異動してきました。一緒に仕事をしていた期間は2年ほどでしたが、この後輩も現在は帯広で弁護士として活躍しています。この後輩の場合、高井先生と直接の面識がないわけではありませんが、さほどでもありません。どちらかと言うと西本弁護士の姿を間近に見て司法試験への挑戦を始めました。そして見事に弁護士として活躍している訳です。つまりは間接的に高井先生の影響を受けた一人と言えるのでしょう。

 

以上

 

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  • 今、話題のテーマについて各界で活躍している方々と対談をする一問一答形式のブログの第21回目です。
  • 第21回目は 墨田区長 山本亨様です。

 


 

■ ■ ■ ■ 時流を探る~高井伸夫の一問一答 (第21回)■ ■ ■ 

墨田区長 山本亨様

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


墨田区長 山本亨様 プロフィール]山本亨様

昭和36年9月25日生まれ、墨田区向島出身。

昭和59年3月 青山学院大学経済学部経済学科卒業

昭和63年4月1日 都議会議員秘書着任(平成17年7月退任)

平成19年5月1日 墨田区議会議員就任(2期)

平成27年4月27日 墨田区長就任。

座右の銘は「背私向公」、趣味特技は剣道(教士七段)

 

 

[今回のインタビュアーは以下の通りです]

  • 高井伸夫
  • 高島さつき(秘書)

取材日:2017年7月19日(水)於:墨田区役所

 


高井

墨田区の人口は伸びていますか。

 

山本様

おかげさまで伸びていまして、人口がいま26万7千人です。ひところは、例えば区のイベントでは“22万人のメッセージ”というキャッチコピーを使っていましたが、22万人を割っていた時期がありました。20年くらい前です。そこから徐々に増えていって、現在26万7千人です。昨年策定した墨田区の基本計画では、10年後には人口が27万5千人と想定していますが、もう少し前倒しで達成できるのではと考えています。

 

高井

人口が増えた要因は何ですか。ベッドタウンが増えたのですか。

 

山本様

下町の“ものづくり”の工場だったところがなくなって、跡地にマンションが建っています。東京スカイツリーが5年ほど前に開業して、その近隣エリアが大手町まで13分とか、実は非常にアクセスがいいところであると再認識されました。スカイツリーができるちょっと前から、いい状況になっています。

 

高井

工業地区だったところが住宅地やマンションになっているのですね。商業地区はどうなんですか。

 

山本様

墨田区には商店街が40くらいあります。これは墨田区に限らないと思いますが、後継者がなかなかいません。墨田区は、13.77平方キロメートルと、23区のなかでも下から6番目に小さい区なのですが、大規模な商業施設ができていますので、そうした店舗と、専門の魚屋さんや八百屋さん、お肉屋さんなど、意欲あるお店も多くありますが、後継者がいない現状におかれている皆さんが競うのは厳しいと思います。

 

高井

墨田区の観光面について教えてください。

 

山本様

もともと墨田区には、大相撲が国技館で年間3場所開催され、隅田川花火大会などの伝統行事があり、江戸東京博物館やスカイツリーなどの観光スポットもあります。

さらに、昨年11月にはすみだ北斎美術館がオープンしました。平成2年頃から、作品の寄付を受けたり、区が購入したりして葛飾北斎の作品を1500点ほど取得して、なんとか建設したいということで、前任の山﨑区長さんが努力されていたんですが、区が美術館を持つことの難しさがありまして、昨年11月22日に私の代でオープンさせていただきました。これが好調で、8か月ですでに27万人のお客様をお迎えしています。

来年の1月には、日本刀の刀剣博物館がオープンします。これは渋谷区代々木にあったのですが、刀剣美術保存協会の皆さんの協力を得て、両国にある旧安田庭園内に移転されます。その他にも、大手町にあった逓信総合博物館が東京ソラマチの8階に郵政博物館として生まれ変わり、渋谷にあった、たばこと塩の博物館もスカイツリーにほど近い、横川に移転されました。

今まで、これらは連携や関連性をもった運営は、されていませんでした。他にも、相撲博物館や花火の資料館がありますが、これから連携をとってネットワークを創り上げるなどいろいろと盛り上げていきたいと思っています。また、ハード面、いわゆる施設だけつくるのでなくて、両国地域の歴史や、江戸時代から脈々と流れる下町の伝統なども伝えていきたいと思っています。

 

高井

観光地区としては材料が有り余るということですね。オリンピックは影響はありますか。

 

山本様

3年後の東京オリンピックでは、国技館がボクシング競技会場になります。墨田区から会場が一つ選ばれたということで、これをきっかけに、区民を挙げて盛り上げていきたいですし、おもてなしの心をもって、国内外のお客様に墨田区はいいところだなと思ってもらえるように、ソフトパワーも備えていきたいと思っています。

区の基本計画に掲げる10年先の墨田区の将来像は、ちょっと大げさにいうと、国際文化観光都市として、レガシーをもって街の発展につなげていきたいと思っています。

 

高井

墨田区は、ものづくりは今でも盛んですか。行政としてどのようにかかわっていますか。

 

山本様

墨田区では、墨田区のものづくり事業者が作ったそれぞれの商品を、“すみだモダン” として認証して、販路につなげる活動をしています。ものづくりは盛んで、ガラス製品、皮製品、羽子板づくりや人形づくり等、伝統工芸にかかわる皆さんは、事業継承がうまくできています。墨田区伝統工芸保存会には若い人も参加しています。伝統工芸以外も盛んで、精密機械や部品類、ニットも有名です。

伝統工芸に携わる方々は、まっすぐ地道に努力をされている方で、自分が、自分がという人でもなく墨田の独特の職人気質の皆さんです。工場を経営している人もそうです。先進、先端技術をしっかり持っていて、地道に努力されている人が多いです。それをどう紹介して、情報発信していくのか、といった点は区が担当しなければいけないところです。

 

高井

墨田区はどういった取り組みをしているのですか。

 

山本様

東京都の事業を活用し、区内で新たな“ものづくり”を創出する拠点を整備する事業者に、整備費として2000万円を上限に補助しています。ニットだったりガラスだったり、機械工場だったり、水耕栽培だったり、印刷だったり、墨田区内では、8か所の拠点が整備されています。東京都の産業労働局との連携ですが、工場を建て替えたり、改装したりして、“新ものづくりの拠点”を整備する事業者の、ものづくりを支援しています。

また、先ほどご紹介した“すみだモダン”ブランド認証事業のほか、区内での事業承継を円滑に行うための支援事業などによって、すみだの“ものづくり”を様々な面からサポートしています。

 

高井

23区の中で墨田区はそういう支援の予算は多いんですか。

 

山本様

墨田区よりもっと面積も広く予算規模も大きい区はあると思いますが、産業支援とか、産業振興という点において、うまく効率的に支援ができていると思っています。額が大きいかどうかはなかなか比較はできません。

 

高井

成果は上がっていますか。

 

山本様

8か所の新ものづくり創出拠点は視察の方が来られるなど、いろんな面で取り上げられていると思います。各事業者の皆さんも、ご自身の事業に活かしたり、異業種との連携をしたりと拡がりを見せています。ただこの事業は5年目なので、これから実を結んでいくと思います。

 

高井

最後に、墨田区の子ども子育て支援について教えてください。墨田区は、子どもの数は多いんですか。

 

山本様

人口が伸びている一番大きい要因は、20代30代の方々の転入です。特別区民税の規模が200億円くらいですが、この3年で、8億、4億、4億と増えていますので、いわゆる納税世代、お子さんがいて働く世代の方に住んでいただいて税収も上がっています。その一方で保育園も待機児童が増えているという状況です。どこも23区は似たような傾向がありますが。

たとえば、墨田区の今年度の一般会計が年間1111億円ですが、すでに保育園の運営費だけで年間100億円かかっています。待機児童を解消しようとして、保育園をつくればつくるほど、運営費が10億円単位で増えていきます。保育園以外にも、幼稚園への支援、子育て支援総合センターの運営等、子育てに関するものも含めると、現状で予算の10分の1以上を子育て支援に充てています。

 

高井

300人規模の大規模保育園を作る計画はありませんか。

 

山本様

限られた土地を有効活用してつくるので、どうしても規模は限られてしまいますが、比較的大きい保育園では、定員150人というところもあります。限られた財政の中でできる限りの対応をしていきたいと思っています。

 

高井

分かりました。今日は時間をとっていただき、ありがとうございました。

 

以上

 


 

[次回のご案内]

次々回「時流を探る~高井伸夫の一問一答」のゲストは世田谷区長 保坂展人様です。更新は10月25日(水)の予定です。

 

 

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こんにちは。

株式会社新規開拓の阿部由里と申します。今年の5月、縁あって私の地元山形県庄内地方の旅を、高井伸夫先生、有限会社セカンドステージ代表取締役 鮒谷周史様、弊社代表の朝倉千恵子と一緒に過ごさせて頂きました。
とても楽しく充実した庄内時間を満喫いたしました。

朝一番の便で庄内空港到着。まずは腹ごしらえ!東京でも美味しいブランド豚で有名な平田牧場経営の喫茶店「HIRABOKU CAFÉ」平牧三元豚ソーセージがまるごと入ったチーズヒラボクドック。コーヒーよりもビールにあう味でした。

 

庄内の旅は庄交ハイヤーさんにお願いして移動。腹ごしらえも終わって、まず最初に訪れたのが

【鶴岡市立加茂水族館】

小学生の頃、遠足で訪れた頃は、正直、ごく普通のありふれた地元の水族館で、入館者も減ってきていましたが、「クラゲドリーム館」で全国的に有名になり、今では夏休みや週末など全国各地から沢山の人が訪れる人気スポットになりました。可愛いアシカのショータイムも楽しみました。

クラゲの前で

 

【藤沢周平記念館】

「阿部さんの地元か、一度行ってみたいんだよなぁ」帰省のタイミングで藤沢周平記念館を訪れて、高井先生に熱烈なファンとお聞きしていたので、藤沢氏の冊子をお土産でお渡しさせて頂きました。そのときの会話がきっかけで、今回の旅も実現しました。藤沢周平記念館

まさか高井先生と一緒に庄内を訪れることができるなんて!と朝倉と私も(そして鮒谷さんも一緒!)驚きと嬉しさと、どんな旅になるか・・・とワクワクしながら予定を立てていきました。

ちょうど菖蒲が綺麗に咲いている時期。記念館の周辺は遊歩道になっていて、ゆったりとした時間が流れています。

 

【大松庵】

地元でもお蕎麦が美味しと有名なお店。店舗は、元々鶴岡市内にあった慈善家・鈴木今右エ門の屋敷を移築したもので、古民家風でとても趣ある雰囲気です。手打ち蕎麦はもちろんですが、庄内名物「麦切り」も是非、食べて頂きたくて追加オーダーしました。

https://www.tsuruokakanko.com/cate/p0358.html

うどんとひやむぎの中間のような、庄内独自の麺で、ツルッとしたのど越しで美味しいです。

 

【藤沢周平氏生誕の地Ⅰ】

旅の最後は藤沢周平氏生誕の地を訪れました。

内川

小説「蝉しぐれ」に登場する「五間川」牧文四郎がお福と幼子を刺客から守るために暗闇の中を舟で逃がした川がここだと言われています。地元では「内川」と呼ばれています。

【小菅隆次氏の自宅訪問】

この度、大変貴重なご縁と出逢いを頂きました。小菅さんは甥にあたる方で、藤沢周平氏ととても近しい人物。今回の鶴岡訪問にあたり、ご自宅にお邪魔させていただき「小菅留治さん」(藤沢氏の本名)との思い出やエピソードをお聴きしました。

藤沢周平直筆

ご自宅には藤沢氏直筆の書がありました。大事に保管しているものを見せてくださいました。ご存命のとき、毎年届いていた年賀状。手書きで優しい柔らかい文字でした。

直筆年賀状

この日は当時、ご近所に住んでいた佐藤久雄様も同席いただき、色々お話しをしてくださいました。学校の勉強を藤沢氏に教えてもらった思い出があるそうです。

【藤沢周平氏生誕の地Ⅱ】

記念碑

この周辺は鶴岡市高坂地区といいます。当時あった家は既に取り壊されていて、更地の状態でしたが、藤沢氏を忍んで全国からファンの方が訪ねてきて、何かあったほうがいいのでは。せっかく訪ねて来てくださるんだから、、、とこの石碑を建てられたそうです。

(中央:小菅隆次さん、右から2番目、佐藤久雄さん)

 

生前、藤沢氏は目立つことや派手に振る舞うことを嫌い、記念碑などをつくることはやめてくれと常々言われていたそうです。

 

【高坂部落藩公民館】

地元の公民館には、貴重な資料や書籍が保管されています。

地元に原版や初版書籍など、今ではなかなか見ることができない当時の作品が大事に陳列されていました。高井先生が色々質問すると、小菅さんも1つ1つ丁寧に教えてくださいました。

藤沢周平文庫

ファンの方であれは、これだけ作品がそろっていたら、物凄く嬉しいし、気持ちが高揚すると思います。(終始、このような姿で食い入るように閲覧しておりました)

文庫を見る三人

【曹洞宗洞春院】位牌

こちらの寺院には藤沢氏の位牌と遺影が安置されています。作品ができると必ず寄贈しており、寺院と公民館にそれぞれ今でも保管されています。大変貴重な資料を拝見できました。

位牌と遺影のある場所も案内してくださいました。写真も撮って大丈夫ですから。と、お声かけいただき、手を合わせてから一枚撮らせて頂きました。

 

鶴岡庄内の旅の最後まで、地元の方々の優しい温かい心遣いに触れることができました。また甥であり、藤沢周平著書保存会会長の小菅隆次さんと佐藤久雄さんがずっと同行してくださって、地元の方々にご紹介をいただきご縁を繋いでくださいました。皆さん優しい笑顔であったかいおもてなしの心で迎えてくださり、旅の最後は胸がいっぱいになりました。

高井先生は日帰りで、夕方の最終便で鮒谷さんと一緒に東京へ戻りました。

地元庄内の魅力を十分にお伝えできただろうか。大好きな藤沢周平氏生誕の地を一緒に訪問できたことは、数か月経った今でも、大切な思い出です。

高井先生、鮒谷さん、鶴岡市高坂の皆さん 大変お世話になりました。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

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2017年8月6日(水)13:21 麻布十番2にてペチュニアを撮影
花言葉:「心のやすらぎ」

 

 

第31回 経営理念と賃金ダウン(下)
(2009年7月27日転載)

 

 

今回の全世界的な不況に限らず、グローバル化が一層進むこれからの社会には、予測不可能な変化が起こり続けるであろう。企業としては、経営手法も人事制度も賃金体系も、諸事情の変化に応じて迅速かつ適切に変更できるものにしておかなければならない。それと同時に、働く者の側も家計の面において心配りをしてく必要がある。

日本の家計の貯蓄率は1970年代半ばには20%を超えていたが、下降の一途をたどり、07年度は2.2%と過去最低を記録したという(09年6月28日付日経新聞等参照)。今の深刻な不況下では、この率はさらに悪化していくに違いない。

賃金ダウンを実施した企業で従業員からとったアンケート資料に接する機会があったが、それによると、家計に関して次のような回答があった。―①教育費の捻出が特に問題で、家計の縮小・見直しについて家族で真剣な討議をした、②様ざまな節約をする中で、本を買わない・新聞購読をとりやめるなど自分自身への投資を減らした、③とにかく生活を根本から見直してこれからの厳しい社会を生きる覚悟をした―。

このように、賃金を引き下げられた従業員等の心理を分析すると、まず「不平」「不満」「非難」が噴出し、「反発」となり、その後事態を「甘受」するようになり、やがてやむを得ないという「諦め」「諦念」の心境に至る。しかし「諦念」だけでなく、その後賃金ダウンを積極的に「承認」するということにならないと、「発奮」にはつながらない。

賃金ダウンされた従業員等が最終的には「発奮」し、前向きに業務に取り組むようになるためには、経営者に愛情がなければならない。では、愛情をもって賃金ダウンを行うとはどういう意味だろうか。

 

「愛情」と「慈悲」の心で

人間はもともと共同体・協働体の中で生きるように作られた存在であり、自分達は社会のために働いているのだという大義名分が人にも企業にも潜在的にしろ存在している。しかも、日本人労働者は、環境の改善提案等を自主的かつ積極的に行うなど、自らの労働を意義あるものにすることに熱心であるということを念頭において、賃金ダウンを実行することが必要である。即ち、彼らの働きを認め、冷酷なやり方ではなく「愛情」と「慈悲」の心で、決して機械的ではない情理にかなった進め方をしなくてはならない。

二宮尊徳が「慈悲」とは「強と柔と二つ合わせて唱うなり」、「人を治め、国家を治むるにも、よく両面(強と柔のこと)を見ること肝要なり」と述べているように、企業経営も、優しさあるいは強さだけでは立ち行かず、優しさと強さの両方が必要なのである。尊徳の言う「強」は企業経営において経営者側から見れば慈悲の「悲」であり、「柔」とは慈悲の「慈」である。賃金を引き下げることは「悲」であることは間違いなく、その「悲」に対する「慈」の施策も同時に行うことが必要なのである。

ここで企業がなすべき「慈」の施策とは、賃金ダウンを実施している間にも経営改革が確実に一歩一歩進み、企業としても競争力がいくらかでも強まっていることを従業員等に見せることである。透明性を確保して、経営が少しずつでも上向いている様子が分かるようにするのである。例えば、不況で取引先が急減したとしても、営業努力によって新規の取引先が少しずつでも開拓され得ている状況が見えるようにするのである。

そして、賃金ダウンにおける「柔」の施策としては、雇用の維持を明示貫徹し、企業の再生を図ることである。賃金ダウンには、この見通しがなければならない。「悲」の施策(=賃金ダウン)を実施するが、近い将来は企業にとって確実に明るいものがあり、社会への貢献につながることを現実化することである。賃金ダウンにあたっての大義名分書でそれを約束し、実現していくことが「柔」の施策ということになる。

そうは言っても、愛情をもって賃金ダウンを行うことは大変難しい命題である。それゆえに、経営者としては、たとえ一時期賃金がダウンしても、企業に将来再起の目処があり、賃金が元に戻る可能性があるということを現実の問題として検討したうえで、賃金ダウンを行うべきである。つまり、一時しのぎの意味での賃金ダウンは、愛情ある賃金ダウンではない。それゆえ、単に賃金が復元し得るだけではなく、将来企業が再興し成長していくという確信が経営者になければ、賃金ダウンをしてはならない。

賃金ダウンを行うのは経営者としてもイヤなものだが、企業の存続そして将来への展望に向けて必要であれば、断行せざるを得ない。そして、賃金ダウンを断行しても経営改善の見通しが得られないならば、事業の大幅な縮小をして、人員整理を行い、あるいは企業の自主廃業を検討すべきことになる。

さて、企業で評価が必要とされるのは、多数の労働者の組織体である企業においては序列付けが不可欠だからであり、また、この序列付けなくして、企業の秩序は確立し得ない。

人間には、自立心・連帯心とともに向上心があり、下位の者は上位をめざし、上位の者はさらに上位をめざすといった向上心に支えられている。評価制度は人間の刺激剤という役割を担っているのである。そのため、人間の成長は競争的解決の手法によって促されると言えるが、単なる競争的解決だけではなく、協調的解決も必要であり、それゆえに連帯心を刺激することも必要になってくる。そのためには、評価システムとしての様ざまな規則や規定に基づいて「公明・公平・公正」を旨とした評価を行い、連帯心を刺激していくほかない。

また、評価をするのは、人間が個性ある存在であるからでもある。個性は、優秀かどうかという違いにとどまらず、優秀さにおいてもそれぞれ格差があることを前提としている。即ち、人間は適切に評価されなければ、優秀さを発揮できない存在なのである。この格差による個々の分裂を埋めるものは、人間的な精神の絆しかない。共感し共鳴し合う状態を形成することが、職場において必要不可欠である所以は、この点にある。

ところで、経営は目的をもった組織、即ちゲゼルシャフトであり、成果をあげるための組織であって、仲良しクラブのようなゲマインシャフトとは違う。問題は「成果」として何を掲げるかということになるが、収益だけを掲げてはならない。企業は公共的存在であるがゆえに、社会的貢献活動・社会責任も大きな課題として念頭に置かなければならないし、成果の目的としての組織理念・経営理念も、評価の根本基準としなければならない。そうしてこそ、より適切な評価が得られることとなる。

評価においては、企業を取り巻く現在の社会情勢に適合するように「成果」を定義づけなければならない。従業員が組織の頂上に登りつめることをめざす“エベレストクライマー”ではなくなってしまった現在においては、従業員が評価の基準をそれぞれの“個性”に求めていることは言うまでもない。誰しも社長をめざす時代ではなくなり、各々が各々の場で活躍する場所を与えられなければならない時代となったからである。

こうした今の時代に合うように、評価の在り方も根本的に変換する必要がある。そのため、評価制度は総合的・網羅的なものではなく、専門性の向上に資するものではなければならず、それぞれの分野における判断力・実行力・企画力が問われる。賃金ダウンに当たって多くは賃金体系を変更するが、その意図するところに沿って再格付けを実現すべきなのである。

賞与や退職金と異なり、月額で支給される基本賃金の減額に手をつけるということは、労働者の生活のための保障を奪うことである。そうなると、経営者は責任を問われてもやむを得ないと言うことになる。

 

トップの交代も視野に

経営者の責任問題の端的な表れは経営者の交代であろう。企業を売却せざるを得ない状況を迎えるということもあり得るだろう。つまり、賃金ダウンをするのは万策が尽きた結果であるが、その万策には経営者の交代も含まれる。企業の再建・再生に新しい視点・新しいビジネスモデルで取り組むためにも、賃金ダウンされた従業員等に展望を与えるためにも、経営者の交代が必要である。これは、今後の賃金ダウンの施策において、特に意識していかなければならない課題と言えるであろう。

経営理念といえども、人が策定するものであり、人の所産である。賃金もまた人が人に給するものであろう。そうなれば、経営理念と賃金との間に、連動性があるとされる所以も明確になる。“給する人”が経営理念を確立して行くため、当然ながら賃金もまた、経営理念を踏まえたものでなければならない。

ところで、ドラッガーが「若年人口の減少が国内市場を根本的に変える」「人口構造の変化こそ、ネクスト・ソサエティにおいてもっとも重要な要因である」(ドラッカー著『ネクスト・ソサエティ』1章・2章参照)と言うように、人口動態は今後の社会のあり方を決めるものである。既に05年から人口減少社会に突入した日本は、出生率がこのまま推移すると、50年度には総人口が現在の約1億2770万人から3割減り、100年後には6割5分減り、900年後には日本人が消失するという推計があるという。

日本企業は労働力の確保が極めて困難になり内需も望めず、成長はおろかしだいに衰退していかざるを得ない。凋落し勢いを失った根源的な衰退状況にあっては賃金ダウン策さえ意味を持たなくなってしまうだろう。

経済評論家としても活躍された故神崎倫一氏は、今から10年以上も前、「週刊新潮」1997年12月18日号で「私は常々、日本は美しく老いるべきだと考えているんです。それが最も大切なことだと思っています」と述べられた。もはや日本には老いて朽ち果てていく以外道がないとすれば、国家のみならず企業も雇用者も、貧しくとも世界に尊敬される存在をめざし、それを実現するための教育等諸施策が必要になってくるのである。

 

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<イッピン>
道場水産「たらこ」―北海道茅部郡鹿部町

 

 

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この夏、北海道・道南地方を旅し、鹿部町に立ち寄った。駒ヶ岳山麓と内浦湾(地元の方は噴火湾と呼ぶ)に挟まれるようにたたずむ、水産が主産業の町である。

 

当地で、「道場水産」さんの「たらこ」に出会った。
たらこの加工場を多く有する鹿部町の中にあってそのおいしさは折り紙付き、全国で1,2を争う逸品と聞いた。

噴火湾は古くから「宝の海」と呼ばれ、季節ごとに様々な魚が来遊するが、特に冬に産卵のためにやって来るスケソウダラの日本有数の漁場なのだという。このスケソウダラの卵のみを使用して作られるのが、道場水産の「たらこ」である。

その最大の特徴は、皮が非常に薄く、かぶりついても簡単に噛み切れる食感の良さである。それでいてきめ細かい粒がぎっしりと詰まり、一粒一粒のうまみとともにさらさらと喉を通ってゆくのだ。

道場水産では、その日水揚げされたスケソウダラの生の卵をその日のうちに仕入れ、低塩水でまろやかな塩味に漬け込む。低塩だから素材本来の味を失わず、健康志向にもかなう。甘みを含む上質な塩にこだわり、その日の卵の状態によって塩分濃度を微妙に調節するという徹底ぶりと、たらこへの愛情こそが、日本1,2といわれるブランド力を築いているのであろう。

 

もうひとつ、「原料としてのたらこ」の話を聞いた。鹿部町から送られたたらこが、福岡の「明太子」になるのだという。原料の良さが、「明太子」というもう一つの逸品を創出しているのだ。

最良の素材を、最良の状態で加工し、最良の商品を生み出す。加工だけでも、もちろん原料提供だけでも成り立たない。個々のたゆまぬ技の追求と、世に送り出す創意工夫が相俟ってこそ、それぞれの「イッピン」が生まれるのであろう。

 

鹿部土産の「たらこ」を手に、町の大(おお)寿(ず)司(し)さんで「たらこ」を食した。実に美味、「イッピン」に間違いなかった。

 

以上

 

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プロフィール

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弁護士 高井伸夫
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Nobuo Takai

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