先日、ある社員が通勤中に自動車と接触し、転倒する事故に遭いました。事故当時、けがもそれほどでないと思った当該社員は、相手からの示談交渉に応じ、当日10万円の示談金を受領したそうです。しかし、事故から数日後に頭痛を訴え受診したところ、脳内出血を発症していることが判明し、手術することになりました。会社としては、このような事態に至るまでの報告を受けておらず、既に示談金を受け取っている社員が労災保険を受給できるのか、疑問を感じています。ついては、通勤災害認定の有無や事故時の会社への報告義務、示談に応じるか否かなど、留意すべき点をご教示願います。

1 通勤災害認定と第三者行為災害

通勤災害とは、労働者の通勤による負傷、疾病、傷害または死亡をいいます(労災保険法7条1項2号)。

また、今回のご質問では通勤中の事故であることは疑いないようですが、「通勤」とは、労働者が就業に関し、次に掲げる移動を、合理的な経路および方法により行うことを指し、業務の性質を有するものは除かれます(労災保険法7条2項)。

①住居と就業の場所との間の往復

②厚生労働省令で定める就業の場所から他の就業の場所への移動

③①に掲げる往復に先行し、または後続する住居間の移動(厚生労働省令で定める要件に該当するものに限る)

ご質問によると、当該社員は通勤中に自動車と接触し、転倒する事故に遭ったとのことですが、本件のように被災労働者やその事業主以外の第三者の行為などによって発生した業務災害や通勤災害を「第三者行為災害」といいます。

 

2 第三者行為災害の場合の注意点

 

第三者行為災害であっても通勤災害認定を受けることは可能ですが、第三者行為災害の場合には、被災労働者は労災保険給付を受けることができ、これとは別に、当該第三者(ご質問のケースでは自動車の運転手)に対して民法上の損害賠償請求を行うこともできます。しかしながら、一つの損害について複数から補償を受けることは不合理であることから、労災保険制度においてはこれらを調整することになっています。

具体的には、労災保険法12条の4第1項には、「政府は、保険給付の原因である事故が第三者の行為によつて生じた場合において、保険給付をしたときは、その給付の価額の限度で、保険給付を受けた者が第三者に対して有する損害賠償の請求権を取得する」と、また同条2項には、「前項の場合において、保険給付を受けるべき者が当該第三者から同一の事由について損害賠償を受けたときは、政府は、その価額の限度で保険給付をしないことができる」と定められています[図表]。

これらの条項からすると、今回のように第三者から既に示談金を受け取っている場合については、労災保険法12条の4第2項により既に受け取った分が控除され、それを上回る金額については労災保険給付が受けられると考えられます。しかしながら、この点、労災保険給付と示談との関係で、注意しなければならない行政通達があります。

労災補償と損害賠償の関係

 

3 示談した場合の労災保険給付

労災保険給付と示談との関係について、

①示談が真正に成立していること

②その示談内容が、受給権者の第三者に対して有する損害賠償請求権(保険給付と同一事由に基づくものに限る)の全部の填補(てんぽ)を目的としていること

――の二つの要件を満たす場合には、それ以上の労災保険給付を受けることができないこととなっています(昭38. 6.17 基発687)。

①については、錯誤や詐欺等によって示談した場合には、示談が真正に成立しているとはいえません。また、②については、損害の一部について保険給付を受けることとしている場合や、示談書の文面上、全損害の填補を目的とすることが明確でない場合、あるいは示談書の文面上、全損害の填補を目的とする旨の記述がある場合であっても、示談の内容、当事者の供述等から、全損害の填補を目的としているとは認められない場合には、②には該当しないと考えられています。

ご質問のケースの示談金については、示談書の有無やその文面等にもよりますが、被災労働者はけがもそれほどでないと思ったことから示談交渉に応じ、当日10万円の示談金を受領したこと、事故から数日後に頭痛を訴え受診したところ、脳内出血を発症していることが判明し、手術することになったという経緯からすれば、①あるいは②の要件を満たさないと判断される可能性が高いものと考えられますので、通勤災害の申請を行えば、既に受け取った分が控除され、それを上回る金額については労災保険給付が受けられると考えられます。

言い換えれば、①および②の要件を満たす場合には、実際の損害が示談した金額以上の場合でも、労災保険給付を受けられなくなりますので、示談する場合には十分注意する必要があります。

 

4 通勤中の事故についての報告義務

通勤災害については、業務災害と異なり事業主に労働基準監督署長への届け出義務があるわけではありませんし、通勤は業務そのものではないことから、通勤中の事故について被災労働者に必然的に報告義務が発生するわけではありません。

ただ、示談に応じるか否かは最終的に被災労働者が判断することではありますが、上記のように労災保険給付のことを考えずに安易に示談に応じてしまうと、実際の損害について補償を受けられなくなる等の不測の事態を引き起こす可能性があり、それは労働者にとっても不利益となり得るものです。

そこで、就業規則等において、通勤中の事故についても、事業主に報告するように定めておくのがよいと思われます。

以上

 

労務行政研究所「労務行政」第3929号160頁掲載「相談室Q&A」(秋月良子)より転載